鶴屋さん「ごめんね?」


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2 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:19:47 ID:y6teEiOw0

「……本当にごめんね〜? こんな事頼んじゃってさ」
 背後から聞こえる申し訳無さそうな鶴屋さんの声に
「いえ、別にいいですよ。どうせ暇でしたから」
 俺は色むらが出来ないよう、視線を手元から動かさないままそう答えた。
「あたし、この匂いがどうしてもダメでね? その代わりと言っては何だけど、お昼は期待し
てて! 丹精込めて作っちゃうからさっ!」
 はい、楽しみにしてますね。
 そう答えながら、俺は軽くなってきたローラーを水性ペンキが満たされたトレイに沈めた。
 さて。何故、俺が鶴屋さんの傍で日曜大工に精を出しているのか?
 ――それは今朝早くの事だった。
「ごっめ〜ん寝てた? 寝てたら起きてね? そしてあたしの家まで来て欲しいっさ!」
 ――以上。
 朝早く鶴屋さんからの電話で起こされ、理由も解らないまま彼女の家にやってきた俺を待っ
ていたのは、庭先で汚れてもいいような作業着に身を包んだ鶴屋さんと、その足元に置かれた
木製の小さな犬小屋だった。
 ただ、小屋にはまだ色が塗られておらず、木目を晒したままになっている。
 そして、小屋の傍に置かれたペンキ用具一式。
「あのね? この小屋に色を塗ろうと思ってペンキを買ってきたんだけどさぁ……」
 鶴屋さんによると、せっかく道具は準備したのに彼女は塗料の匂いが苦手で困っていたんだ
そうだ。
「ねぇ。……迷惑だと思うけど、お願いしてもいいかなぁ」
 遠慮がちに聞いてくる鶴屋さんに、
「ええいいですよ、お手伝いします」
 普段からお世話になってますし、これくらいお安い御用ですよ。
「本当? ありがとねっ!」
 ――とまあそんな理由で、俺は今シンナー臭の中ローラーを動かしている訳だ。
 正直、準備と片付けが面倒なだけで俺はこういう単純作業が好きだったりする。
 素人なりに綺麗に仕上げるってのもやりがいがあるしな。
 やがて時間が経過するにつれて作業も進み、赤い屋根に白い壁という古典的な犬小屋が出来
上がろうとしていた時
「キョン君〜どんな感じかなっ? ……おおお、もうすぐできあがりそうじゃないか〜!」
 家の中から顔を出した鶴屋さんは、色付いた犬小屋を見て歓声を上げた。
 ……よしっ。これでいいだろ。
 最後に残った壁を塗り終え、俺はローラーをトレイに置いた。
 固まってしまった腰を伸ばしながら犬小屋を確認してみるが、見た感じ塗り残しは見当たら
ない。

3 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:20:15 ID:y6teEiOw0

 部屋の窓からこちらを伺っている鶴屋さんに肯いて見せると、
「お疲れ様! こっちもお昼ご飯できたからさっ! 手を洗って上がってきてね!」
 笑顔全開で部屋の中へと戻っていった、さて……どんな昼食が待っているのか? かなり楽
しみだったりする。
 後片付けと着替えを終え、軽く迷いながら――前に映画の撮影でお邪魔してるんだが広すぎ
るんだ――ようやくリビングに辿り着いた俺が見たのは、我が家の敷地面積程のリビングの中
を我が物顔で駆け回る小さな茶色い物体と、それを追いかけて走る鶴屋さんの姿だった。
「こっこらジョン! ダメだってば! 逃げちゃだめっ! め〜!」
 そいつは自分を追いかけてくる鶴屋さんの手を、体格差を巧妙に利用して逃げ回っていたが
――はい、捕まえたっと。部屋の入口に立っていた俺の足元に走ってきたそいつ――雑種らし
き子犬を、俺は両手で抱き上げた。
「あんがとキョン君! ……も〜、おいたはダメだよ〜? ジョン、め」
 ジョン、ですか。
 俺から子犬を受け取り、鶴屋さんは片手で器用に首輪をつけて見せた。
「そ、これがあたしの愛犬のジョン君です。ほらほらジョン、ご挨拶はできるかな〜?」
 ぱっと見、ジョンは何とも普通な雑種の犬でしかなく、鶴屋さんが選んだにしては普通すぎ
る犬だと俺は思った。首輪に対して無駄な抵抗を繰り返していたジョンは、
「あれ? ……急に静かになったね」
 俺の顔を見るなり突然大人しくなって、犬のくせに何とも味のある表情で俺の顔を眺めるの
だった。
 ……なんだよ、俺の顔がお前と似てるとでも言いたいのか? 似てるのは名前だけだぞ。
「よ〜しいい子いい子。ジョンには優しい人が解るんだね〜。さっ! 手を洗ってご飯ご飯!」


「ジョンはね? みくるが拾ってきた迷い犬なのさ」
 念入りに手を洗った後、値段を聞くのが怖くなる程柔らかいローストビーフと分厚いスモー
クチーズが挟まれたサンドイッチを食べる中、鶴屋さんはジョンがここに居る理由を教えてく
れた。
「最初は迷い犬で市役所に届けたらしいんだけど、何日たっても飼い主が出てこなくってね。
……それでみくるは、保健所に入れられる事になるなら自分で飼いますって言って引き取った
んだけどね。あの子、家で犬を飼えないみたいで泣いちゃっててさ〜」
 朝比奈さんの家庭環境は知らないが、まあ……いずれ未来に帰るって解ってるから迂闊にペ
ットは飼えないんだろうなぁ。
「それで、みくるの代わりにあたしが飼う事になったってわけ。みくるは散歩とかを担当で、
あたしはご飯とかお風呂に入れてあげてるのさっ」
 なるほど、そうだったんですか。
 床に置かれた皿にアグレッシブに挑むジョンを眺めながら、俺は肯いた。

4 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:20:39 ID:y6teEiOw0

 よかったな、ジョン。天使様と散歩が出来て鶴屋さんに飼ってもらえるなんて、迷い犬冥利
に尽きるぞ? 俺から見ても羨む様な生活環境だ。
 俺がジョンの幸運を羨んでいると、
「も〜本当に助かっちゃったよ、キョン君本当にありがとうっさ! これはもう、何かお礼を
しなきゃだねぇ」
 いやいやいやいや。
「そんな。サンドイッチ凄く美味しかったですし、これ以上何かしてもらったら申し訳ないで
すよ」
 本当、ご馳走様でした。
 遠慮して手を振る俺を見て、鶴屋さんはテーブルに両肘をついて妖しげな視線を向けながら
「そうなの? ……ん〜じゃあ……お姉さんのキスとか、要らない?」
 俺の心臓に負担をかける一言を放った。
「え?!」
 って今のは何だ? 空耳か? やれやれ……こんな幻聴が聞こえるとなると、欲望を持て余
しすぎてるのかもしれんな〜。
 などと頭の中でそう理由付けをしても、俺の目に注がれたままになっている鶴屋さんの視線
が俺の緊張を解かせようとしない。
 ……え、まさか……今の本気、なんですか?
 妙に喉が渇いて、何も返事を言えないまま固まっていると
「……そんなに可愛く慌てないでよ〜もう。冗談冗談」
 鶴屋さんは笑いながら立ち上がり、誤魔化すように手を振るのだった。
 はは……は。そうですよね、冗談ですよね。
 俺がテーブルに置かれたグラスに手を伸ばしている中、昼食を終えて早々と昼寝を始めてい
たジョンを優しく抱き上げながら
「……冗談にしちゃっていいんだ。ちぇ〜……」
 鶴屋さんは何か言った様だったが、俺には彼女が何て言ったのかは聞き取れなかった。


 昼食を終え、リビングのソファーで犬の躾や芸の覚えさせ方を話していた時の事だ。
「鶴屋さ〜ん――キョン〜――どこですか〜?」
 玄関の方向から聞こえてきたのは間違いなく朝比奈さんのお声だったんだが……珍しいな、
朝比奈さんが俺をキョンって呼ぶなんて。ちょっと嬉しいじゃないか。
 そんな朝比奈さんの声を聞きつけたジョンが、鶴屋さんの手から飛び出していく。
「みくる〜こっちこっち〜!」
 あれ、そういえば鶴屋さんは何時の間に朝比奈さんを呼んだんだろう? そう思いながら麗
しい天使様の登場を待っていると、
「あ、キョン! 元気だった? 鶴屋さんは何処に居るのか教えて――きゃっくすぐったい!
もう! こら、だめだってば!」
 ……え? あれ?

5 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:21:20 ID:y6teEiOw0

 リビングで待っている俺の耳に、廊下から聞こえてくる謎の言葉。
 その意味に俺が気づく前に、
「こっちに居るのかな? お邪魔しま〜……ええ?!」
 大興奮のジョンを胸に抱えて部屋に入ってきた朝比奈さんは、俺の姿を見て目を丸くして固
まるのだった。
 ……どうも。
「いらっしゃいみくる〜。あ、ごめんね! 言うの忘れてたけどキョン君来てるよ」
 今更過ぎるであろうその説明に、
「え? え? あ、嘘?! えっと……こここんにちわ!」
 混乱する朝比奈さんの腕から降りたジョンは、当たり前の様に俺の膝の上に座るのだった。
 ――えっと、つまりこいつの本当の名前はキョンなんですか?
「そうそう。あ、ちなみにその名前はみくるが付けたんだよ」
 鶴屋さんの言葉に、朝比奈さんは消えそうな程小さな声で「ごめんなさい」と呟く。
 あの、朝比奈さん? そんなに気にしないでくださいね? 俺は別に、犬に自分のあだ名を
付けられても気にしませんから。
 むしろ貴女にその名前を呼んでもらえるのなら、マグカップでも消しゴムでも何にだってつ
けて欲しいくらいです。
 それより、むしろ疑問なのは
「あの、じゃあ何で鶴屋さんはこいつの事をジョンって呼んでるんですか?」
 キョンの偽名がジョンって……個人的にちょっと深読みしてしまう個人的な事情があったり
するんですが。
「あ、それはね? キョン君が居る時、同じ名前だとどっちを呼んでるのか解らなくて不便だ
しさ、似てる名前なら犬も混乱しないかなって思ってあたしも名前を付けてみたの」
 なるほど。
 さて、二つの名前を延々と連呼されているというのに、ジョンは俺の膝の上で人間っぽいい
びきをかいている。
 そんなジョンの姿を見て、お2人は顔に笑みを浮かべていた。
 ……おい、ジョン。お前の名前の1つは俺と同じなんだから、ちょっとはしっかりした所を
見せてくれないか?
 そんな俺の思考を読み取ったのだろうか、ジョンは突然目を開いて慌てて立ち上がり――数
秒後、そのまままた俺の膝の上に寝転び、夢の世界へと帰って行った。
 鶴屋さんと朝比奈さんが声を殺して笑い転げる中、自分へ向けられた笑いではないと解って
はいたのだが俺は軽くジョンを恨んだ。


「わ〜わ〜! 可愛いお家になりましたね〜!」
 中庭に出て、そこに置かれた犬小屋を見つけた朝比奈さんは子供の様な歓声を上げながら駆
け寄っていく。
 そのお姿を俺は目を細めて眺めていると、
「みくるっ! まだペンキ塗りたてだから触っちゃダメだからね?」
 そうでした。

6 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:21:44 ID:y6teEiOw0

「え? あ、はい! ……危なかったぁ」
 小屋に手を触れようとしていた朝比奈さんは、ぎりぎりの所で手の動きを止めた。
「あ、そうだ。みくる〜誤解の無い様に言っておくけど。キョン君が今家に居るのは、犬小屋
の塗装をお願いしたからで、別にこっそりデートしてた訳じゃないんだからね? 多分」
「そうだったんですか〜。……た、多分?」
 朝比奈さんは、鶴屋さんが言った確信犯的な最後の一言が気になっているようだったが、
「これでお家もできたしジョンも安心だね。よかったよかった」
 鶴屋さんは知らん振りをしていた。
 あんまり朝比奈さんをからかわないであげてくださいね? 純粋な人なんですから。


「ふ〜ん、なるほどね。犬……かぁ」
 団長席に座ったハルヒは、鶴屋さんからジョンを飼う事になった経緯を聞いて複雑そうな顔
をしていた。
「あれ? ハルにゃんって犬は嫌いだった?」
「嫌いじゃないんだけどね……。前に、家でも犬を飼った事があるんだけど、何故かあたしに
懐かないのよ。あたしを見るといっつもお腹を見せて震え出して、リードを持っていくと小屋
の中に逃げ込むし、一緒に散歩もしてくれなかったのよ」
 不満そうな溜息をつきながらハルヒはそう言った。
 ……それ、服従の態度だぞ?
 と言ってやろうかとも思ったが、ハルヒは自分に犬が懐かない事を真面目に悩んでいる様だ
ったので言わない事にした。
「あっはは! そんなの大丈夫大丈夫。ジョンは本当に人懐っこいからさ!」
「ジョ、ジョン?!」
 やっぱり食いついたか。
 突然立ち上がったハルヒに驚きながらも、
「そう、ジョン。犬の名前だよ」
 あっさりとした鶴屋さんの言葉に「そっか、そうよね」と呟きながら、ハルヒは気を削がれ
様子で椅子に座りなおした。
 やれやれ、鶴屋さんがあの犬をキョンって呼ばなくてよかったぜ。
 ハルヒがその事実を知れば「キョン! お手!」といった具合に延々と弄られそうな気がす
るからな〜。
 その後、暫くの間何かを考えていたハルヒは
「……ちょっとだけ、見に行ってみようかな?」
 少しだけ楽しそうな顔で、そう呟いたのだった。


 プラスチックで構成された円状の盤が、緩やかな弧を描いて飛んでいき――地面に落ちる。

7 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:22:07 ID:y6teEiOw0

「こらジョン! フリスビーを投げたらあんたは取りに走るの! 寝るんじゃない、走るの!」
 翌週、休日を利用してみんなでやってきた鶴屋邸の中庭には、草むらに寝転んで午睡を楽し
むジョン相手に、延々と叫んでいるハルヒの声だけが響いていた。
 まるで「へいへい」とでも言いたげな顔のジョンは、ハルヒの指示に従う気配すら感じさせ
ない。
 一向に動こうとしないジョンに苛立ちながらも、ハルヒは自分が投げたフリスビーを取りに
行くのだった。
「何で? みくるちゃんや鶴屋さんだと言うことを聞くのに、何であたしだと無視するのよ!」
「つ、疲れちゃったのかなぁ?」
 困った顔で小さく笑う朝比奈さんだったが、確かにジョンはハルヒの命令だけ無視するのだ
った。
「あ〜もういい! 有希、交代して」
 苛立たしげに戻ってきたハルヒは、じっと様子を見守っていた長門の手にフリスビーを押し
付けて家の中へと入っていった。
「ん〜……ジョンがハルにゃんの事を嫌ってるようには見えないんだけどねぇ。なんでだろ?」
 そこで俺の顔を見られても困るんですが。
 鶴屋さんの意味深な問いに苦笑いで答えていると、
「……」
 フリスビーの上に刻まれた特に意味の無い円状の刻みをじっと見つめていた長門は、やがて
ゆっくりとジョンの方へと近寄っていった。
 冷蔵庫から勝手に持ってきたらしい麦茶を片手に、
「ジョン? これで有希の指示に簡単に従ったりしてみなさい。そんな事をしたらあんた、ど
うなるか解って……何よそれぇ!」
 ハルヒの忠告は、最後まで発せられる前に苦情に変わった。
 ジョンの前に立った長門が緩やかにフリスビーを投げると、ジョンはまるで活性のついたブ
ラックバスの様な勢いで動き出し、空中に浮いていたフリスビーに食いついて見せたのだ。
 長門の手元から離れて数メートルの位置でダイビングキャッチに成功したジョンは、嬉しそ
うに尻尾を動かしながら長門の元へと走り戻っていく。
「何でよ! みくるちゃんや鶴屋さんは飼い主だから解るけど、何で有希にまで懐くのよ?」
 ハルヒ、何で俺を見ながら言うんだ? 苦情なら犬に言え。
 長門の手に戻ったフリスビーが再び宙を舞い、ジョンは嬉々としてフリスビーに向かって走
って行くのだった。
「納得いかないわ……いったい何がいけないって言うのよ?」
 まあ落ち着けハルヒ、古泉もお前と同じだったじゃないか。
 そう、ハルヒ同様に古泉もジョンに無視されている。
 まるで、ジョンには俺の趣味が解ってるみたいだな。
「古泉君は男だからいいの。何、ジョンから見たらこのあたしが他の三人と比べて雌として劣
ってるって言いたい訳?」
 いくらなんでも考えが飛躍しすぎだ。
 ついでに、自分を雌とか言うな。

8 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:22:24 ID:y6teEiOw0

「こうなったら持久戦よ! ジョン、絶対あんたにフリスビーを取ってこさせてみせるからね」
 妙な決意に燃えるハルヒの声を無視して、ジョンは鶴屋さんの足の周りを嬉しそうに走り回
るのだった。


 もし、ハルヒが何か迷惑をかけるような事があれば連絡してくださいね?
 念の為、ジョンの実質的飼い主である鶴屋さんに俺はそう言っておいたのだが
「でもさ〜あたしも早起きな方だとは思ってたけど、流石に今日はびっくりしちゃったよ〜」
 翌日、学校で鶴屋さんから聞かされた話しの内容に俺はただ頭を抱えていた。
 鶴屋さんの話によると、だ。
 ハルヒの奴はジョンとの交流を深める為、犬の散歩をしたいと鶴屋さん宅を訪れたらしい。
 事前連絡も無く、平日の朝の4時にな。
 まったく……今日のハルヒのテンションが、いつもより3%程高かったのはそのせいだった
のか。
「ジョンは喜んでたからいいんだけどね。ハルにゃんは授業中眠そうにしてなかった?」
 いえ。あいつはむしろいつもより元気でしたよ。
 教師が喋ってる最中に、無駄にでかい声で「思いついた!」とか叫ぶのもいつも通りでした。
「あはは! ハルにゃんらしいねぇ。まあ、キョン君もたまに遊びにきてよ。ジョンも寂しが
ってるからさ」
 はい、近いうちに。
 犬小屋に色を塗った縁ってのもあるが、運さえ良ければ朝比奈さんと一緒に散歩できるかも
しれないもんな。
「じゃあまたねっ! 待ってるからね〜!」
 大きく手を振りながら走り去る鶴屋さんの姿を眺めながら、俺は鶴屋さんの家にいつお邪魔
しようかと考えていた。


 放課後、部室を訪れた俺が見たのは……えっと、ここは元文芸部だよな?
 その部屋の中に居たのはいつものメンバーだったのだが、何故か俺は一度部室を出て部屋の
名前を確認する事になった。
 ……間違いない、ハルヒが書いた紙が貼られたこの部屋はSOS団の根城のはずだ。
 再び部室に戻った俺を見て、
「遅い。さっさと机に座って、あんたもそれを読む」
 何処からか持ってきたらしい伊達眼鏡をかけたハルヒは、机の上に山と積まれた本を指差し
てそう俺に指示するのだった。
 恐らく同じ様に言われたのだろう。
 長門に朝比奈さん、ついでに古泉の奴までもが今日は黙々と読書に精を出している。
 ちなみに鶴屋さんは不在だった。あの人は書道部も掛け持ちだから、居ない時の方が多いん
だよな。

9 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:22:46 ID:y6teEiOw0

 もしかしてここは文芸部に戻ったのか? または例の生徒会長が何か言いだしたとか?
 妙な不安を覚えながら自分の席に座った俺が見たのは……ああ、なるほどね。
 どうやら図書館から借りてきたらしい机の上に積まれた本は、「犬の飼い方」「躾け方」と
いった内容の物だったのだ。
「ハルヒ。何で俺がこの本を読まなくちゃならないのか聞いてもいいか」
「犬の飼い方を調べる理由なんて1つでしょ?」
 そうだな、1つだろうな。
 だがな、俺は別に犬の飼い方にも躾け方にも興味が無いんだが……まあいいか。
 ここで反論するのは簡単だが――と言ってもハルヒを納得するのは至難の業だが――まあ、
真面目にハルヒも悩んでるみたいだし、協力してやるとしよう。
 俺は開きかけた口を閉じ、山の一番上にあった本へと手を伸ばした。


 人と犬との接し方。
 犬は自分よりも強いと認めた相手には従い、自分よりも弱いと感じた相手は守ろうとします。
 ですから、はっきりした上限関係を示す事で、犬は誰に従えばいいのかを理解します。
「なるほどね……つまり、芸の1つでも躾けてやって、ジョンよりあたしが上だって事を思い
知らせればいいのね?」
 妙な笑顔を浮かべたハルヒに引きずられ、今日もまた鶴屋さんの御家にやってきた俺とハル
ヒだったのだが。
「お手ーーーーー!!!! お手ったらお手っ!」
 目の前に差し出されたハルヒの手を、ジョンはそこに何か食べる物が無いかと鼻を近づける
だけだった。
「違ーう! 違うのよ! ああもうジョン! あたしの掌にあんたの前足を乗せるの!」
 ハルヒの熱意は、ジョンには届かないらしい。
 まあ生物学的な差が意思疎通の障害になるのは仕方ないとは思うんだが、
「ん〜。どうしてハルにゃんにだけ懐かないのかな〜」
 ジョンの飼い主の一人である鶴屋さんも首を捻っていた。
 鶴屋さん以外のお家の人には懐いてるんですか?
「そりゃもう! 今ではジョンは家のアイドル状態なのさ。あたしのお父さんってハルにゃん
と似てる所があるからさ、苦手なタイプって訳じゃないんだろうし、何でジョンが懐かないの
か解らないんだよねぇ……。あ、せっかくだからお父さんに挨拶していく?」
 いえ、それはまた別の機会に。
 ハルヒ似だという鶴屋さんの親父さんってのも気になったが、
「お座り! 座るの! ハウス! あー! もうっ!」
 奇声をあげ続けているハルヒをそろそろ止めないと近所迷惑だな。
 廊下の端で、家政婦さん達が笑って見てるし。
「おいハルヒ。今日はその辺にしておけ」
 叫び疲れたのだろう。
 その場に座り込んだハルヒに向かって俺がそう言った時、
「あ」
 ハルヒの肩に、ジョンは「頑張れよ」とでも言いたげな仕草で前足を乗せるのだった。
「違ーう!!!」

10 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:23:03 ID:y6teEiOw0

 ――その後、数週間の間ハルヒは鶴屋さんのお家に通い続けたらしいが。
「いい。今後一切、この部室でジョンの事を話すのは禁止するわ」
 妙に冷静なハルヒの声に、古泉は冷や汗を流して固まっていた。
 どうやら、ハルヒはジョンを屈服させる事が出来なかったらしい。
 だからってここでその話をするなってのは無茶な命令だとは思うのだが、飼い主である鶴屋
さんや朝比奈さんもハルヒの努力を目の当たりにしてきただけに、反論は無いようだ。
 その日、珍しく部室に来ていた鶴屋さんは小声で
「あれだけ頑張ったのにダメだったかぁ……ねえ、何でだと思う?」
 困り顔で俺にそう聞いてくる。
 あれです、犬猿の仲って奴じゃないでしょうか。
 そう返答しようと思っていると、
「キョン。あんた今、失礼な事考えなかった?」
 それだけでハルヒは睨んでくるのだった。
 別に。
 ……しかし、ハルヒを相手に最後まで抵抗してみせるとは大したもんだよ。本当。
 俺は内心、ジョンに対して軽い尊敬の念を抱いていた。


 そんな訳で、その後SOS団の中でジョンの事が話題にされる事は無かった。
 のだが――
 朝なのか夕方なのか判断できない灰色の雨空の下、
「おはようキョン君! 今日もいい雨降りだねぇ〜」
 公園の休憩所で雨宿りをしていた俺に届いた黄色い声。
 黄色いレインコートに身を包んだ鶴屋さんが、お揃いのレインコートを着せられたジョンと
共にやってくるのを見て、俺は手元に置いていた傘を開いた。
 何故俺がこの公園に居るのかと言えば、奇数日の朝6時にジョンの散歩をするようにしてい
るからである。
 ちなみに発案者は鶴屋さんで、俺の参加はあくまで任意でいいとの事だったが今の所は皆勤
賞を守っていた。
 しかし……どうやら今日は朝比奈さんは居ないみたいだな。
「みくるは寝坊しちゃったから今日はごめんだってさ! キョン君に会えなくて寂しいですっ
て伝言だったよ」
 お気遣いありがとうございます。
 それが本当だったら、この憂鬱な雨空も快晴にしてしまえそうなんですけどね。
 傘を手にやってきた俺を見て急に走り出す物体が1つ。
 鼻息も荒く、俺が濡れる事になるのも気にせず擦り寄ってくるジョンは、何故か俺がお気に
入りの様だ。
 よ〜しジョン、今日も元気そうだな。お前のおかげで俺もようやく健康的な生活を営めるよ
うになったんだから感謝してやろう。
 そう思いながら鼻先を撫でてやると「お前の目的は俺じゃね〜だろ?」とでも言いたげな目
でジョンは俺を見るのだった。
 ふむ、中々鋭いじゃないか。

11 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:23:27 ID:y6teEiOw0

「じゃっ! 行こうかごーごごー!」
 ――散歩のコースはいつも同じで公園を一周するだけ、登校前という事もあって距離は短め
なのだが、
「ジョンはあんまり散歩に行きたがらないんだよね〜。この朝の散歩も、キョン君が来ない日
は渋々って感じだもん」
 運動不足で、ジョンがストレスを溜め込むといった事はなさそうだ。
 生き急ぐ様な必死さで前へと進もうとするジョンを引き止めつつ、俺はなるべくゆっくりと
歩くようにしている……ってのにおい! 引っ張るな!
 おいジョン、俺の楽しみな時間を早送りしないでくれないか?
 試しにそう念じてみると、
「おお〜! やっぱりキョン君だと元気の良さが違うねぇ」
 俺の思いを知ってか知らずか、ジョンは更に力強く前へと進もうとするのだった。
 おい! わざとだろお前!
 リードにかかる負荷に、かなり本気で抵抗しながら歩いていた時の事だった。
「ねえねえキョン君」
 はい。
 力比べ状態だった為、少し強張った声の返事を返すと
「キョン君はさ〜どうしてジョンのお散歩に付き合ってくれてるのかな?」
 小首を傾げて、鶴屋さんは俺の顔を覗きこみながら聞いてくるのだった。
 どうしてって……。
「あたしが誘ったから? それとも、みくるに会えるかもしれないからかな?」
 次々と聞かれた内容に、俺は「はい、そうです」とも言い辛くて沈黙してしまっていた。
 確かに、俺は隔日で散歩がしたくなる程健康面に気を使ってる訳じゃないし、そんなに頻繁
に犬の顔を見たいと思う程犬好きでもない。
 それでも「気が向いた時だけでもいいからさっ」という鶴屋さんのお誘いに、こうして毎回
参加している理由はと聞かれれば……それは、その。
「ねえ。もしかしてぇ……あたしだったりする? キョン君が散歩に来てくれる理由って」
 小雨が降りしきり歩くたびに水音がする公園の歩道で、その言葉は妙にはっきりと俺の耳に
届いた。
 急に心拍数が上がった俺から視線を外し、前方を見つめる鶴屋さんの顔は赤く色付いている
様に見える。
 ……い、今のは……えっと、つまり?
 ありえない。
 鶴屋さんが俺にそんな事を言う何てありえるはずがない。
 現実的に考えればそうなのに、今も鶴屋さんは俺の返事を待つ様に沈黙していて、そのお顔
は真っ赤に染まっていた。
 冗談ですよね?
 そう、言ってみようかとも思ったが……彼女の真剣な眼差しが、その言葉を押さえ込む。
 ――彼女が俺をからかっているとして、俺の返答はイエス、それともノーなのだろうか?
 気が良く、元気で明るい上級生。向日葵の様に笑い、周りに居る人を笑顔にしてくれる優し
い女性。
 そんな彼女の事を俺は、その……。
 答えを告げられないまま散歩は進み、いつしか俺達は小さな公園を一周してしまった。
 いつもなら、散歩はこれで終わりになる。別にもう一周回ればいいだけの話かもしれないが、
そうするにしても、何等かの答えを言わなければいけない気がした。
 立ち止まったまま動かない俺達の回りを、ジョンは不思議そうな顔でぐるぐると歩き回って
いる。
 ええいちょっと待ってろ、こっちは今忙しいんだ。
 答えを出そうと焦る俺の前に、鶴屋さんが近寄ってきた。
 俺の片手には傘があって、もう片方の手にはリードが握られている。つまり、俺の両手は塞
がっていた訳で……。
 急接近してきた彼女の唇が俺の唇を塞ぐのを、俺は止める事も出来ずに受け止めていた。
 彼女の大きな瞳が、数センチ先で俺の目をじっと見ている。

12 名前:にょろーん名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 22:24:42 ID:y6teEiOw0

 何となく、レインコートを着ている鶴屋さんに雨が当たらないように傘を動かしていると、
「……ごめんね?」
 彼女は唇を離して小さく謝り、じっと俺の顔を見つめてくるのだった。
 今のは……その。
 あまりの事に何も考えられず、俺はただ彼女の顔をじっと見つめていた。
 そこに居るのは、真っ赤な顔で照れている鶴屋さんで間違いない。
 え……俺、今鶴屋さんと……え?
 雨は少しずつその勢いを増し、まるで俺たちを隠そうとしてくれるみたいに降り注いでいた。


 鶴屋さん「ごめんね?」 〜終わり〜

 以上です、お邪魔しました

21 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 23:41:32 ID:RFCf0PA20

電波が来たので続きを書いてみました
途中までですが投下します

22 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 23:42:02 ID:RFCf0PA20


 延々と続く雨が視界を曇らせ、
「……ごめんね?」
 脳裏に浮かぶ彼女の顔は、俺に何かを伝えようとしている様に見える。
 何であの時、鶴屋さんは謝ったんだろう。
 早朝に起きた奇跡の余韻はあまりに強く、通いなれた通学路を歩く俺の足取りは何故か重い。
 まあそれも無理もないだろ。あんな事があってから、まだ1時間も経っていないんだ。
 今日はもう休みたかったくらいさ、休める理由なんて何もないが。
 ――小雨の降りしきる公園で、鶴屋さんに突然キスされてしまった俺は……結局、彼女の問
いに何も答える事ができなかった。
 俺が公園へ通っていた理由……か。
 あれからずっとその答えを考えているんだが、未だにその答えは出せないでいる。
 何も言えないでいる俺を寂しそうな目で見ながら、やがて鶴屋さんは帰って行ってしまった。
 ジョンと一緒に小さくなっていくレインコートを何時までも見送っていた俺なのだが、その
まま公園に居るわけにもいかずこうして何時もの様に学校に向かって歩いている。
 こんな精神状態で授業なんて受けても何の役にも立たないだろうが……まあ、それは何時も
と同じか。
「おいキョン」
 それにしても……鶴屋さんはいったいどうしてしまったんだろうか? 少なくとも、これま
で鶴屋さんが俺に好意を示した事は無かったはずだ。
 2人っきりで話した事も数えるくらいしかないし、その内容だってごくごく普通の内容だっ
たはずだ。
「お〜い……聞いてんのか? なあおいってば!」
 これが彼女流のいたずらだったとすれば、それはそれで納得できなくも無い。でも、そうだ
ったとしても、キスまでする事は無いだろう。
 からかうだけなら、あの澄んだ大きな瞳で見つめるだけで十分なんだから。
 俺の傘の下で、真っ赤な顔で俺を見ていた鶴屋さん。
 あれが冗談だったとしたら……いや、あれはやっぱり本気だったとしか思えない。
「なあ、そんな所を歩いてると危な――……あ〜あ。やっちまった」
 ん、ああ谷口か。
 どうやらぼんやりと歩いていたらしい。気がついた時、俺の隣には谷口が歩いていた。
「よっ。朝っぱらから災難だったな」
 何の事だ?
 どちらかと言うまでもなく、あれは俺にとって嬉しい出来事だったんだが。
「俺はちゃんと注意してやったぜ? ぼ〜っとして聞いてなかったお前がいけないんだ」
 意味不明な事を口にしながら、谷口は俺の足元を指差してくる。
 その指が指し示す方向には俺の足があり、何故か靴とズボンはびしょ濡れになっている。
 ……なるほど、どうやら俺は道路際に近寄りすぎていたらしい。
 北高への登校路は知っての通り上り坂なのだが、その車道の所々には長年の通勤で磨り減っ
た窪みがあり、雨が降るたびにそれは危険地帯へと姿を変える。
 雨水を溜め込んだその場所を車が通るたびに、派手な水しぶきが歩道を歩く生徒へと襲い掛
かるからだ。
「あ〜あ。今日は体育も無いから一日そのままだな」
 何故か嬉しそうな谷口の言葉も気にならず、
「そうだな」
 俺はまた、通学路を登りながら鶴屋さんの事を考える事にした。
「おい、そんなに怒るなよ? 悪かったって!」
 ……考えて答えが出るとは思えなかったけどな。

23 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 23:43:00 ID:RFCf0PA20

 学年が違う事もあって、俺が鶴屋さんと偶然学校で顔を合わせる事は滅多に無い。
 それでも、あの陽気な上級生の姿が何処かに見えないかと周囲を気にしながら俺は校舎に入
って行ったんだが……。
 いない、か。
 結局、彼女には会えないまま教室に着いた時、俺は安堵とも失望とも判断できない溜息をつ
いていた。
 まあ……会ったら会ったで、いったい何て言えばいいのか解らなかったんだけどな。
「何よ、変な顔して」
 ようやく自分の机へと辿り着いた俺を、すでに教室に来ていたハルヒが不思議そうな顔で見
ていた。
「変なのはいつもだろ」
 そう簡単に顔が変わってたまるか。
「それはそうだけど。……ねえ、何かあったの?」
 お前が人の顔色を気にするとは驚きだ。
「別に。何もないさ」
 あのキスにいったいどんな意味があるのかも、鶴屋さんの真意も、俺には何も解らないのさ。
 雲が空を覆っているせいで教室の中は何時もより暗く、何故か俺の顔を見つめているハルヒ
の様子もいつもと違って真剣そうに見える。
 何だよ、お前まで今日は変なのか?
 どうでもいい事にだけ感がいいハルヒだが、何のヒントも無しに俺の悩みが何なのかまでは
解らないだろう。
 とはいえ、ハルヒを常識に当てはめて考える方が非常識だ。
「……ついさっき、学校に来る途中で車に水をかけられたんだよ。ほれ」
 そう言いながら濡れて不快感抜群の足を見せてやると、
「うわ、何それびしょ濡れじゃない! 相変わらず鈍いわね〜それくらい避けないさいよ?」
 返ってきたのは、やけに楽しそうなハルヒの声だった。
 やれやれ、どうやら上手く誤魔化せたらしいな。
 普段であれば、ここで安堵の溜め息の一つでもつく所……なんだが。
『ごめんね?』
 切なげな視線と共に告げられた鶴屋さんのその言葉が、俺の耳から離れる事は無かった。


 その日、鶴屋さんは部室に来なかった。
 でもまあそれは何時もの事……だよな。
 いつもと変わらない人口密度の部室、うるさいハルヒに可愛い朝比奈さん。寡黙な長門と、
他一名――習慣になってしまった古泉との対局の最中、俺は何となく部室の扉を眺めていたん
だが
「おや、どうかしたんですか?」
 何がだ。
「貴方が、どなたかを待っているように見えましたもので」
 ち……目ざとい奴め。
「気のせいだろ」
 俺は古泉の言葉を止めようと、適当に盤上の駒を動かした。

24 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 23:43:58 ID:RFCf0PA20

 あ、これは……まあいいか。
 たまたま俺が動かした駒は飛車、将棋では攻守に渡って活躍する重要な駒だ。
 その飛車が古泉の陣地の中で今、無意味に孤立している。特に続く手を考えてある訳でも無
く、解りやすく言えばイージーミスだ。戦局において致命的なレベルのな。
 これは……負けだな。
 普通にやれば古泉は勝てない相手じゃないが、中盤に飛車無しともなると流石にどうしよう
もない。迎え飛車だったし。
 ま、たまには負けてもいいか。そう、俺は本気で思っていたんだが……。
 かつて無い程の真剣さで、古泉は盤上を凝視していたのだった。
 不用意な形で陣の深くに突然飛び込んだ俺の駒を前に、古泉はそこにどんな策があるのかと
真剣に考えているようだ。
「少し……考えさせてもらってもいいですか?」
 ああ、いいぜ。
 好きなだけ考えててくれ。
 なるほど。相手の真意が解らないから、簡単な答えを出すのも躊躇ってるって訳か。
 解らないんだから、聞くしかない……な。
 まだ長考を続ける古泉を放置したまま、机の影で携帯を開き、俺は鶴屋さんへのメールを作
成した。
『明日、今日と同じ時間に公園で会えませんか?』
 ハルヒ理論じゃないが、メールで伝える事じゃないだろうしな。
 送信ボタンを押したタイミングで、
「……ふぅ、お待たせしました」
 古泉は、自分の王を守るべく手近な駒を動かして見せる。
「危うく罠にかかるところでした。流石は涼宮さんの選んだお人、油断できませんね」
 そうかい。
 疑心暗鬼に囚われた古泉がいったい何を考えたのか? それはまあどうでもいいか。
 妙な買い被りを披露する古泉を無視して、俺は飛車を一手前の位置まで戻した。


 翌朝、何故かすっきりと目覚める事が出来た俺は例の公園へと向かって歩いていた。
 いつもの時間より少し早いから、まだ鶴屋さんは来てないだろうが……その方が心の準備を
するにはいいかもしれん。
 ……あれ?
 ようやく視界の先に公園の入り口が見えてきた時の事だった。
 普段なら散歩やジョギングをしている人とすれ違うのに、妙に静かで人気の無い歩道の先。
 公園の入り口で、俺の居る方を向いて立っていたのは
「……」
 視線を下げたまま、じっと俯いている朝比奈さんだったんだ。

27 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 07:51:23 ID:Q5HMVLH60

 あれ、今日は確か偶数日……まあそんな事はどうでもいいか。
「朝比奈さんじゃないですか、おはようございます」
 本当、早起きってのはするもんだよな……って、あの朝比奈さん? 気分が悪いんですか?
「……」
 俺の声は聞こえているはずなのに、朝比奈さんは青白い顔でずっと地面を見つめている。
 おいおいジョンの奴、無理に朝比奈さんを連れまわしたりしたんじゃないだろうな? そう
思って騒がしい茶色い物体を探してみるが、あの暴走雑種犬の姿は見当たらない。
 それに、よく見れば朝比奈さんは散歩用のリードも何も持っていなかった。
 犬の散歩に来たんじゃないのかな? それとも、今日は鶴屋さんと二人で来たのだろうか。
 前者であったとすれば、俺に何も言わないままでいる理由が解らないし、後者であるなら鶴
屋さんがここに居ないのも変だよな。
 じっと何かを考えているのだろうか、時折悲しそうに目を伏せる朝比奈さんはいつも通りに
綺麗だとは思うんだが、彼女の苦しそうな顔を見ているのは俺としても辛いんだ。
 沈黙を守る天使の苦悩がなんなのか、俺は今それが知りたい。
 珍しくフル稼働を始めた俺の頭が導き出した天使の悩みとは、やはり「あれ」だろうか。
 どう控えめにみても可憐な美少女である朝比奈さんだが……驚くなかれ、こう見えて彼女は
俺よりほんのちょっとだけ年上らしいのだ。後、ついでに未来人。
 そんな彼女の未来的な事情によって、俺は何度か不思議体験をしてきた過去がある。
 何度も過去に戻ったり、過去に戻った自分を見たり。後は……そうだ、そういえばこの公園
の先で謎の暴走車から謎の少年を助けた事もあったっけ。
 また、何か未来に関わる事でも頼まれるのだろうか?
 もしそうなら、鶴屋さんとの約束はどうしようか等と考えていると、
「キョン君、一つ……教えて下さい」
 ようやく顔を上げた朝比奈さんは、俺から視線を外したままそう聞いてくるのだった。
「何を、ですか?」
「キョン君は……」
 そんなに聞きにくい事なのだろうか? 朝比奈さんは俺の名前を呼んだっきり、再び沈黙し
てしまった。
 他ならぬ朝比奈さんからの質問だ、どんな質問だってほいほい答えますよ? 朝比奈さんフ
ォルダに関しては黙秘しますけど。
 そんな俺の思いは通じなかったのか、結局朝比奈さんはそれ以上何も言わず、俺に背を向け
て去っていってしまった。
 そりゃあ、呼び止めようかって思ったさ。
 だが、朝比奈さんが俺の前から去っていく時……俺の見間違いでなければ、彼女の目には涙
が浮かんでいたんだ。
 いったい何があったんだろう?
 普段の朝比奈さんなら、何か問題が起きれば俺に相談してくれるだろうと思う。
 それで事態が好転した事は残念ながら殆ど無いが、それでも話を聞く事くらいは出来る。
 でも、今日の朝比奈さんはまるで……そう、自分を責めているように見えたんだ。

28 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 07:51:52 ID:Q5HMVLH60



「あ! おっはよ〜う、今日もいい朝だねぇ」
 公園の中程まで来た時、いつもの待ち合わせ場所でもある休憩所に居た鶴屋さんの姿を見つ
けた俺は何故かほっとしていた。
 それは、俺に向かって元気に手を振る鶴屋さんの態度が普段と変わらない物に見えたからか
もしれない。
 休憩所で俺の到着を待っている鶴屋さんとは対照的に、相変わらず俺に懐いているらしいジ
ョンは早朝とは思えないテンションで俺の足元に纏わりついてきた。
 本当、何でハルヒに懐かないんだろうな? 後、古泉にも。
 早くリードを持て! さあ!
 器用にリードを銜えてきたジョンの目は如実にそう語りかけている。まあ待て。今日は散歩
の前にやらなきゃいけない事があるんだ。
 ジョンの足止めを適当に避けながら前へと進み、
「おはようございます、鶴屋さん」
 休憩所に辿り着いた俺を見ると
「おや〜……なんだか今日のキョン君は元気が無いねぇ」
 そうですか?
「うんうん。……何かあったの? お姉さんは心配だなぁ」
 小首を傾げながら俺の顔色を見ている鶴屋さんと、飼い主とそっくりな仕草で俺を見上げる
ジョン。
 まあ、何時もと様子が違った朝比奈さんの事も気になってるし、これから鶴屋さんに聞こう
と思っている内容を考えれば緊張するのも当たり前なんだけどな。
 ――一瞬、このままメールで呼び出した事は何も話さずに犬の散歩をしてしまえばいいんじ
ゃないのか? とも考えたが、それでは問題を先送りにするだけだろう。
「鶴屋さん、あの」
 どうせ杞憂だとは思うが……緊張するな。
「はいはいっ。何かな」
「昨日の、朝の事なんですけど――」
 突然すぎたあのキスと、その後の「ごめんね?」という言葉の意味。
 それを尋ねようとした俺へ
「あ、もしかして〜。おはようのちゅーの事?」
 普段と変わりない余裕気な笑みを浮かべて、鶴屋さんは逆にそう聞いてくるのだった。
 お……おはようのちゅー……ですか?
 この時の俺は、いったいどんな顔をしていたんだろうな?
「そそ。本当に親しい人だけにする挨拶みたいな物なのさ。ごめんね? びっくりさせちゃっ
たかい?」
 びっくりというか……はい。
 そうですか、あれは挨拶なんですか。
 この胸を過ぎる感覚は果たして安堵なのか? それとも失望なのだろうか。自分がどんな答
えを期待していたのかも解らないまま、俺は苦笑いを浮かべていた。
 そうだよなぁ、鶴屋さんが俺を好きだとかあるはずないよな……本当、現実って奴は実に厳
しいぜ。
 なあ、夢を夢のままにしておかなかった俺が悪いのかい?

29 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 07:52:32 ID:Q5HMVLH60

「ね〜そんなに落ち込まないで? 大切な友達に悲しい顔をされたらあたしも悲しいからさっ」
 友達という一言でさり気なく俺の妄想に止めを刺しつつ、鶴屋さんは俺の手を取ると
「ささっ! ジョンもお待ちかねちゃってるし、お散歩しよっ!」
 わっ! ちょっつ、鶴屋さん?
 妙にハイペースで俺の手を引く鶴屋さんは、後ろを歩く俺を振り返る事無く公園を歩いてい
くのだった。


「キョン君は最近あれかな? みんなとは仲良くしてるのかな?」
 みんなって……ああ、SOS団の事ですか?
「そうそう。ハルにゃんとか、長門っちとはどう?」
 まあ、普通だと思います。
「へぇ〜そっかぁ。……じゃあ、みくるとはどうなのかい?」
 朝比奈さんとも普通だと思いますけど。
「……みくるは大人しい子だからさっ! 言いたい事とか、つい我慢しちゃう所があるから優
しくしてあげてね。みくるって、あたしには本当にキョン君の事ばっかり話してるんだよ?」
 あの、鶴屋さん?
「何〜?」
 そろそろ、こっちを向いてもらえませんか?
 俺の前を歩き、ずっと背中を向けたまま話していた鶴屋さんは、俺の言葉にようやく足を止
めてくれたのだが
「え、えっと」
 それでも、俺に背を向けたまま振り向こうとはしなかった。
「ごめんっ! ……きょ、今日はちょろっとお化粧失敗しちゃったから顔はNGなのさ」
 え、でもさっき見た時はそうは見えませんでしたけど。
 足を止めた事が不満らしいジョンは、早く行こうと生き急ぐ様にリードを牽引し続けていた
のだが、ご主人様の様子が変だと気がついたのか、鶴屋さんの足元へと心配そうに戻ってきた。
 そんなジョンのそばに鶴屋さんはしゃがみ込み、ジョンの茶色い毛並みをゆっくりと撫でて
いる。
 この状況なら、鶴屋さんの前まで行けば彼女の顔を見る事は簡単だろう。
 でも、何故かそうしちゃいけない気がして、俺はそのまま彼女の後ろで立ち尽くしていた。
「……キョン君」
 はい。
 ご主人様の手で撫でられ、ご機嫌に振られていたジョンの尻尾が止まる。
 そして、鶴屋さんの顔を心配そうに見つめるジョンを抱き上げると、彼女は俺に背を向けた
まま――
「ごめんね?」
 静かにそう言い残し、鶴屋さんは俺を残して帰っていってしまった。取り残された俺はと言
えば……彼女を呼び止める事も出来ず、無様にその場で立っていただけ。
 まったく、これなら交通標識のほうがまだ役に立つってもんだぜ。
 朝比奈さんに続いて鶴屋さんまで挙動不審か、これはまた何かあるんだろうか?
 そう、いつもの様に俺はこれがハルヒに関わる非日常の出来事の幕開けなんだろうと高を括
っていたんだ。
 自分は巻き込まれるだけ、結局はまあ何だかんだあっても何とかなるだろうってな。
 だからこそ、いつの間にか胸の中にあった、自分でも理解できないこの不思議な感情を、深
く考えないでいたのかもしれない。

31 名前: ◆Yafw4ex/PI[] 投稿日:2009/05/08(金) 01:09:23 ID:0/dTrbA60


 ……俺の予想ってのは当たらないのが仕様なのか?
 その後、何かが起きるんじゃないかと心の準備だけはしておいた俺を嘲笑うかの様に、普段
と変わらない毎日が続いていた。
 あれ以来かかってくる事の無い携帯、眠いだけの授業時間。そして放課後が来れば――
「じゃ! 日曜日は朝9時に駅前に集合! いいわね?」
 じゃ、の前に何か説明的な台詞があったわけでもないのに、それはもう規定事項とでも言い
たげな空気の中、俺は賛同と取ってくれても構わないと溜め息でハルヒに応えた。
 何か意見をした所で、あいつが聞く耳を持たない事くらい解ってるからな。
 だが、
「何よ……何か文句でもあるわけ?」
 そんな俺の態度が気に食わなかったのか、ハルヒはそう聞いてくるのだった。
 普段通りの対応だったと思うんだが……まあいいか、
「別に、文句がある訳じゃない」
 朝比奈さんと休日をご一緒できる機会を逃そうとする男子生徒は、この学校をどれだけ探し
ても見つからないだろうよ。
「だったら何よ」
 ……あれ、どうしたんだ。
 俺を見つめるハルヒの顔は、不満と呼ぶのは少し違う気がする見慣れない顔つきで、何とな
く落ち着かない気持ちで俺はとりあえず口を開いていた。
「その……今日はほら、鶴屋さんがまだ来てないだろ?」
「あ、そういえばそうね」
「鶴屋さんが居ないのに、休日の予定を決めちまうのはどうかって思うぞ」
 俺は最初、これは我ながらまともな言い訳だったんじゃないかと思った。
 ハルヒは妙に団体行動が好きだからな。
 しかし、どうも今日のハルヒは普段とは違うらしい。
「……ふ〜ん。ま、確かにそうだけどさ。ねえキョン。鶴屋さんって、SOS団の部室に顔を
出すのって週に1回くらいよね?」
 まあその位だな。
 正直、常識人である鶴屋さんにはもうちょっと顔を出してもらえると嬉しいんだが。
「その鶴屋さんが来ないから予定を決めたくない、あんたはそう言いたいの?」
 なんだよ、その不機嫌そうな顔は? 何か俺が気に触るような事でも言ったのか?
 元より、ハルヒの逆鱗がいったいどこにあるのかなんて、この世の誰にも解らない謎に違い
ないのは解ってる。
 しかし、この時ばかりは本気で謎だったよ……こいつ、何を怒ってるんだ?
 静まり返る部室の中で睨みあいを繰り広げていた俺達を仲裁したのは、
「あ、あ、あの! 鶴屋さんは、明日は予定があるからこれないって伝言を頼まれてました」
 何故か誰よりも辛そうな顔をした朝比奈さんだった。
 まるで点滅した信号が切り替わるように、
「あ、そうなの?」
 朝比奈さんのその言葉にハルヒは顔色を変え、
「じゃあ仕方ないわね! 全会一致で明日は市内散策にけって〜い!」
 壊れたおもちゃの様に首を縦に振る朝比奈さんの姿を見た時にはもう、不機嫌を具現化した
ような顔は何処かへ行ってしまったらしい。

32 名前: ◆Yafw4ex/PI[] 投稿日:2009/05/08(金) 01:09:51 ID:0/dTrbA60

「キョン君……お話したい事があります」
 あの日と同じ公園。
 あの日と同じ組み合わせ。
 そしてあの日と同じ言葉を言った朝比奈さんに、俺もあの日と同じように肯いた。
 ハルヒ考案による市内散策もこれで何度目だろうか? 休日、朝早くから駅前に集まった俺
達はいつものようにくじ引きで別れ、
「またぁ!?」
 何故かいつもの様に、俺とハルヒは別の組になっていた。
 本当、くじ引きの神様ってのがいるなら真面目に信仰してもいいな。
 朝比奈さんとデ「マジ、デートじゃないんだからね! 遊んでたら後で殺すわよ!」……不
思議探しをするのも久しぶりの事で、俺はここ数日元気の無かった朝比奈さんと二人っきりに
なれた事を密かに喜んでいたんだが、
「……」
 以前、自分が未来人であると打ち明けてくれたベンチに座った朝比奈さんは、じっと沈黙を
守ったまま俯いていた。
 でも、自分から話したい事があるって言ってたんだし、いずれ何か話してくれるだろう。
 そう考えた俺は、彼女が口を開いてくれるのをじっと待っていた。
 それから数分後、
「キョン君」
 はい。
「……この公園の先で、小さな男の子を助けた時の事、覚えていますか?」
 ようやく彼女の口から零れたのは、そんな質問だった。
「ええまあ」
 あの暴走車が未来からのどうとか、詳しい所までは覚えてないんですが。
「あの時、わたしは……あの男の子が危険な目にあっているのに、ただ見ているだけでした」
 でもそれは仕方ないんですよね? 確か、過去を変えるのはその時代に生きている人じゃな
いとダメだとか。
 朝比奈さんの泣きそうな声に、慌ててフォローする俺を見て、
「はい。……そう、なんです」
 朝比奈さんはゆっくりと肯き――再び、口を閉ざして俯いてしまうのだった。
 俺って、もしかして理解力が足りないんじゃないだろうか……。
 鶴屋さんの事や今日の朝比奈さんの発言も含めて、まるで意味が解らないままの事が多過ぎ
るだろ。
 静かに落ち込んでいた俺を見ながら、そっと朝比奈さんはベンチから立ち上がった。
 辛そうな顔で俺を見る彼女が、いったい何を考えているのか残念ながら俺には解らない。
 だが、一つだけ言える事があった。
「ごめんなさい……また、困らせてますよね」
 どうやらまた、謎が一つ増えてしまったらしい。
 ――結局、というか当然なんだが不思議な事など何も見つからないまま時間だけが過ぎてい
き、何の収穫も無いままその日の市内散策は終わった。

33 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 01:10:14 ID:0/dTrbA60

 ただ、駅前で解散する時、
「……ちょっと、キョン。あんたちゃんと寝てるの?」
 ハルヒは俺の顔を覗き込み、珍しく真面目な顔をしていた。
 寝てるつもりだが……そんなに酷い顔してるか?
「してるから言ってるの。朝も眠そうだったけど、今はそのまま倒れそうな感じ。い〜い?
確かにSOS団としての活動は大事だけど、体調が悪い時はちゃんといいなさい」
 へいへい、解ったよ。
 確かにここ何日か考え事ばっかりしてるもんな……慣れない事に、脳が悲鳴を上げてるのか
もしれん。
 疲れた頭脳に休息を、そう考えた俺は今日は早めに寝ようと思っていた。
 そんな俺の様子を見ていたのであれば、運命の神様ってのは趣味が悪いと言わざるを得ない。


 夕食後、色々と解らない事だらけで疲れ切っていた俺が早々とベットに入ろうとしていた時
の事だった。
 机の上に投げ出したままの上着の中から、振動音と共に聞こえてくる携帯の着信音。
 これが今日最後の仕事だと、休息モードに入りきっていた体に鞭打って携帯を取り出す。
 これで相手が古泉だったら電源を切るつもりだったんだが――
「あ、あの! キョン君! ……そ、その」
 何時もと違って挨拶もなし、電話を掛けてきたのはやけに慌てた様子の朝比奈さんだった。
 どうかしたんですか?
 またハルヒの奴が何かやらかしたんですか? と、そう思っていた俺だったのだが。
「今、えっと……つ、鶴屋さんと」
 鶴屋さん?
 意外な人物の名前が出てきたのだった。
「……キョン君。今、鶴屋さんと一緒ですか?」
 いえ、違いますけど。
 そう俺が即答すると、
「よ、よかったぁ!」
 朝比奈さんはまるで、爆発物の処理で最後の最後に感を頼って解体に成功した作業員の様な
声を上げるのだった。
 よかったって……。
 いったい何があったんですか?
「あの、実は今鶴屋さんと連絡が取れなくって、もしかしたら……キョン君と一緒に居るのか
なって思って」
 はぁ……。
 まあ、正直よく解らない話だが、
「ともかく、鶴屋さんを探してるんですよね? それなら、俺も心当たりを捜して――」
「いえ! あの、いいんです。大丈夫何です! じゃあおやすみなさい」
 あ、ちょっと朝比奈さん? ――切れてる。
 朝比奈さんはああ言っていたが気になるな、態度もあからさまに変だったし。
 とりあえずかけてみた鶴屋さんの携帯は、やはりというか不通だった。

34 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 01:10:35 ID:0/dTrbA60

 電源が入っていないというアナウンスを耳に、虚しく通話を終了させる。
 ……とはいえ、書道部からの付き合いである朝比奈さん以上に、俺が鶴屋さんの事に詳しい
はずもないんだよな。
 それにしても、朝比奈さんは何故鶴屋さんが俺と一緒に居ると思ったんだろう?
 ハルヒじゃあるまいし、鶴屋さんはこんな夜に突然やってくるような人じゃないだろうに。
 ――もしかしたら、そう考えた事がきっかけだったのかもしれない。
 何となく開けてみたカーテンの向こうは、厚い雲に覆われた暗い夜の町が広がっていた。
 そして、カーテンを開けた事によって部屋の明かりが外へと射し、通りのアスファルトの上
を明るく照らしている。
 その光の中に何かが見えた気がして、黒いアスファルトの上に目を凝らしてみると、そこに
はこちらを見上げる茶色い小動物の姿があった。
 あれは……まさか。おい、お前ジョンなのか?
 俺の呼びかけに、普段は殆ど吠える事の無いジョンが「ワンッ!」と吠えて答えた。
 待てよ、あいつがここに居るって事は、まさか本当に鶴屋さんが家に来てるって事なのか?
 そう考えて夜目を凝らして見るが、暗い道には誰の姿も見つけられなかった。
 いつの間にか眠気など吹き飛んでいたさ、
「ちょっとそこで待ってろ!」
 窓越しにそう叫んでから、俺は上着を掴んで部屋を飛び出していた。
 何事かと部屋から出てきた妹をかわし「ちょっと出てくる」とだけ言い残して玄関から出て
きた俺を見るや否や、ジョンは何処かへ向かって走り出しやがった。
「お、おいちょっと待てって!」
 急いで追いかけるが、相手が犬じゃ勝ち目は無い。
 ええいくそっ、自転車で来るんだった!
 どんどんと広がる距離に焦る俺だったが、ジョンはちゃんと別れ道では俺が近づくまで待っ
ているのだった。そして俺が目に入るとまた駆け出していく。
 結局延々と走らされ、いったい自分がどこを走っているのかも解らなくなった頃、ジョンは
高い壁に囲まれた建物へと入って行った。
 緩い円形の高い壁が続きその上部にはフェンスらしき物が見え、その先には陸上競技場が見
える。
 そこにあったのは以前、ハルヒの思いつきで参加させられた草野球大会の会場、市営グラウ
ンドだった。
 ジョンの後を追い、開いたままになっていた扉から野球場の中へと入ってみると――こんな
所に居たんですか。
 グラウンドの中央、ピッチャーマウンドの上にしゃがみこんでいる鶴屋さんの姿があった。
 いつの間にか雲は晴れていたらしく、月明かりの下でジョンと戯れている鶴屋さんは……何
だか、遠目には寂しそうに見えた。
 じっと俯いたままでいた彼女は、俺の気配に気づいたのかしゃがんだまま俺の方を見て驚い
ている。
「う、嘘……。何でキョンくんがここに居るのさ?」
 ジョンが連れてきてくれたんですよ。
「そうだったんだ……。ジョン、ありがとうね」
 自分の頭を撫でる鶴屋さんの手に、ジョンはうっとりと目を細めている。

35 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 01:10:51 ID:0/dTrbA60

「鶴屋さん、朝比奈さんが捜してましたよ」
「みくるが?」
 ええ、連絡を取りたいみたいでした。あ、携帯を忘れてきたのなら俺のを貸しますけど。
「ううん、ありがとっ。……でもいいの」
 そう言って首を横に振る鶴屋さんは、寂しそうな顔で笑っていた。
 やけに嬉しそうに尻尾を振るジョンの毛並みを、のんびりと撫でてあげている鶴屋さんなの
だが……。
「あの」
「ん? な〜に〜」
 ここで何をしているんですか?
 まさか、トリミングするならここでなければ嫌だってジョンがごねた訳じゃないでしょうし。
「えっと……思い出してたのさ」
 そう言いながら立ち上がった鶴屋さんは、誰も居ない野球場を見渡した後
「ここで、キョンくんと初めて会った時の事……。きっとキョン君はもう、忘れちゃってるよ
ね」
 俺の胸元を指差しながらそう言って、鶴屋さんは笑った。
 ――そう、草野球大会に出るために急遽集められた臨時メンバーで、朝比奈さんの友達。
『キミがキョンくん? みくるからよっく聞いてるよっ。ふーん。へえーっ』
 入学式当初のハルヒ位に長い髪の元気な女の人。
 それが、俺が初めて見た鶴屋さんだった。
「覚えてますよ」
「え〜本当かなぁ」
 ええ。朝比奈さんの友達だって聞いてましたから大人しい人かなって思ってたのに、実際は
凄く元気な人だったから驚きました。
「え〜! そんな第一印象だったの?」
 実は、はい。
「ちぇっ、大人しい振りをしておけばよかった。……あたしの目から見たキョンくんはね?
みくるから聞いてたイメージ通りの人だったなぁ」
 あ。あの時は聞けませんでしたけど、朝比奈さんは俺の事、いったいどんな風に話してたん
ですか?
「それはね〜……内緒だよっ! いつかさ、みくるは自分で言いたいだろうから」
 はぐらかしながらジョンを抱き上げた鶴屋さんは、俯きながらそう言った。
 残念。
「でも凄かったなぁ〜。あの連続ホームランといい、キョンくんの魔球といいさっ。あの時は
もう、何が起きてるのかってどきどきしっぱなしだったよ」
 そ、そうですよね。いや〜俺もびっくりでした。
 実はあれは世界を救う為に、宇宙人の助けを借りてたんです……なんて言えないよなぁ。
 言った所で、信じてもらえないだろうけど。
 愛想笑いで何とかこの話題を乗り切ろうとする俺だったのだが、
「……うん。キョンくんやハルにゃん、長門っちに古泉君と……みくる。みんなには、あたし
には言えない秘密があるのは、もう気づいてるんだ」
 すでに、手遅れだったらしい。
 感がいい人だからいつかはばれてしまうとは思ってはいたが……どうする、ここは誤魔化し
た方がいいのか? っていうか俺で誤魔化せる相手じゃないだろうし、全部打ち明けてしまっ
ても鶴屋さんならいいと思うんだが……。
 そう、1人で焦っていた俺に優しく微笑みながら
「何も、気づかなければよかったのにね」
 ……鶴屋さん?
 突然頭上から降ってきた水滴にジョンが頭を上げた先には、笑顔のまま涙を流している鶴屋
さんの顔があった。
 何だ?! 俺、何かまずい事を言ったのか?

36 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 01:11:13 ID:0/dTrbA60

 いきなりの事に固まる俺へ、鶴屋さんは話し続ける。
「あたしさっ、最初は……キョンくんとみくるの事を応援しようって思ってた。でもね? み
くるは何故かそうして欲しくなかったみたい。理由は解らないけど、キョンくんと近づきすぎ
ない様にしてるみたいだった」
 ……何となくだが、鶴屋さんが言う朝比奈さんの事情ってのが俺には解る。
 未だに意味は解らないままだが、この時代にいる朝比奈さんだけでなく、大きな朝比奈さん
にもそんな様な事を言われた事があるからな。
「それでもさ? みくるはやっぱりキョンくんの事を何時も気にしていて……でも、言いたい
事は何も言えないみたいで。まるで……みくるは、自分が恋をしちゃいけないって、そう思っ
てるみたいだった」
 そこまで言い終えた鶴屋さんは、そっと足元の地面にジョンを降ろした。自由になったジョ
ンは足元から離れようともせず、名残惜しそうに鶴屋さんを見上げている。
 そんなジョンを見つめていた鶴屋さんはやがて顔を上げ、
「悪い女だよね、本当。そんなみくるの気持ちを知っててさ……君の事、好きになっちゃった
んだから」
 当たり前のように、俺に告白してきた――え? ……ええ?!
「ごめんね? あたし、嘘ついてました。あの雨の日のキス、あれは親しい人への挨拶なんか
じゃなくて……うん、好きだから……顔を見てたらいつの間にかキスしてた」
 つ、鶴屋さん? ちょ、あの
「前にさ、キョンくんがストーブを持ってきた時、学校の入り口で擦れ違ったでしょ? あの
時、あたしがハンカチを貸したのはみくるに負けたくなかったから。……この間ペンキ塗りを
頼んだのも、犬の散歩に誘ったのも全部、あたしがキョンくんと一緒に居たかったから」
 躊躇いがちに告げられた言葉と一緒に、鶴屋さんの大きな瞳が俺を見つめている。
 何か……何か言わないと?
 そう気持ちは焦るのに、それは言葉にならないままただ時間だけが過ぎていく。
 待て待て、鶴屋さんが俺の事を好きだって? そんな事が本当にありえるってのか?
 幸福も不幸も度が過ぎると現実感が無いってのはこの事だろう。
 仮に……だ、これが現実で鶴屋さんの言葉が俺の想像通りの意味だったとして……俺は、鶴
屋さんの事をいったいどう思っているのだろう?
 どうも思っていないのなら、わざわざ早起きして犬の散歩に付き合ったりしないし、こうし
て夜中に犬を追い掛け回したりする事も無い。
 元気で笑顔の似合う上級生、俺にとっての鶴屋さんってのはそれだけなのか?
 いいや、違う。
 彼女はSOS団の仲間で、頼りになるお姉さんで……俺にとっての鶴屋さんは、それだけじ
ゃないんだ。
 そうさ、こうして今彼女が泣いている姿を見るのが自分の事の様に辛いと本気で思ってる。
 上手く言葉にはできないんだが……もしかしたら、それが答えなんじゃないだろうか?
 じっと動かないでいる鶴屋さんの傍へと行き、俺は彼女の両肩にそっと手を伸ばした。
 俺の手が触れると、彼女の小柄な体が小さく震える。
 自分の唾液を飲む音が、やけに大きく聞こえたのも無理は無いさ。
 正真正銘、生まれて初めてのまともな告白ってのをこれからするんだからな。
 彼女の瞳の中の自分を見ながら大きく息を吸って、止める。
 ――よしっ言っちまえ!

37 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 01:11:31 ID:0/dTrbA60

「鶴屋さん、俺――」
 一大決心の末、ようやく口を開いた俺の唇に、鶴屋さんの手が何故か伸びてきて、それ以上
喋らせないようにと口を塞ぐのだった。
 鶴屋さん?
「ごっごめんね! や、やっぱり聞けない……。聞いちゃったら絶対、我慢できなくなるから」
 何を、ですか?
 口を塞がれているから言葉には出せないが、視線だけでそう聞いてみる。
「あたしね、みくるには全部言ったの。キョンくんが好きな事も、キスをした事も全部。そし
たら……みくるは、お願いだからキョンくんとは付き合わないで欲しいって。理由はどんなに
聞いても教えてくれなかった。ただ、どうしてもダメなんだって……ずっと、泣いてた」
 ――朝比奈さんがそんなどこかの団長みたいな無茶苦茶な事を言うって事はつまり……恐ら
く、未来に関わる何かがこの事に関係しているんだろうな。
 そう理解するしかないのだろうが、やはり鶴屋さんの言葉のショックは小さくはなく、彼女
の手が口から外されても、俺は鶴屋さんに何も言えなかった。
「みくるを……あの子を泣かせてたら、きっとあたしは笑えない……。だって、キョンくんの
事が好きなのと同じくらいに、みくるの事が好きなんだもん。それに、もしもみくるが居なか
ったら……きっとあたしは、キョンくんに出会う事もできなかったよ」
 あ! そうか……そういう事なのか。
『過去を変えるのは、その時代に生きている人じゃないとダメなんです』かつて朝比奈さんは、
謎の少年を謎の暴走車両から助けた後、俺にそう教えてくれた。
 そしてもう一つ、鶴屋さんが言うように朝比奈さんがもしも居なかったら……確かに俺は鶴
屋さんと出会うことは無かったのだろう。
 そんな俺達が、仮に付き合う事になったらどうなるのか?
 ……朝比奈さんが言いたかった事は、この事だったのかもしれないな。
 いくつもの謎が解けた先にあったのは達成感などではなく、むしろ溜め息と胸の痛みだけっ
てのはどうなんだよ……。
 鶴屋さんは鶴屋さんで、俺は俺で。
 お互いに理由は違うのだが……もう、これ以上は無理だと思った。
 前に進めないのならどうすればいいのか?
 諦めて違う道を行く? まあそれも選択肢だな。
 ハルヒならきっと、未来でも何でも切り開くつもりで前に行くだろうよ。
 ――でも、こんな選択肢もありだとは思わないか?
 どうしていいのかわからず、ずっと泣き続けている先輩の体を俺はそっと抱きしめた。
 そして、彼女の耳元へと顔を寄せ――


 さて……俺は今、早朝の公園に1人佇んでいる。
 朝靄に包まれた公園の中は静かで人の気配もしないが、そろそろあの明るい声が
「やーっ! おはよ〜!」
 ほら、聞こえてきた。
 俺がのんびりと休憩所のベンチから立ち上がる頃には、ジョンと一緒に走ってきた鶴屋さん
の姿はすぐ目の前まで迫ってきていて……。
 ごく当たり前の様に俺達の唇は重なったのだが、これはあくまで「挨拶」だ。
「おはようございます。鶴屋さん」
「えへへ……おはようっ!」
「いい朝ですね」
「本当さぁっ!」
 俺達が挨拶を繰り返すたびに、重なる唇と唇。
 それは足元でジョンが吠えるまで繰り返されて……まあ待てって、もう一回だけ。な?
 ――鶴屋さん、俺はあなたへの気持ちを結局伝えてませんよね? だったら……今のまま、
友達として一緒に居続ける事は問題ないって思いませんか? 友達としての、挨拶も。
 なんていうかまあ……我ながら言い訳にも程があるなぁ。
「さっ、そろそろ行こうか?」
 自然に繋がれた彼女の手を、そっと握り返す。
「ええ」
 でもまあ、これはありって事にしないか?
 鶴屋さんの笑顔が取り戻せて……俺もまた、こうして彼女と一緒に居られるのだから。


 鶴屋さん「ごめんね?」 〜終わり〜

38 名前: ◆Yafw4ex/PI[sage] 投稿日:2009/05/08(金) 01:13:00 ID:0/dTrbA60

今度こそおしまいです ありがとうございました



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