長門「このチョコレートも、古泉一樹に」


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1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 13:55:35.26 ID:VAoGyBEm0



空が青い。

冬といえど、今年は暖冬だ。愚図ついていた天気が、次の日には快晴というのも珍しくなかった。

この爽やかな晴れ模様が、心境にもそっくり当てはまればいいんだがな。


俺は俺が抱くにはどうにも不似合いな花束を携えて、えっちらおっちら坂道を上るに励んでいた。

高校へ赴く中途にある生徒からの恨みつらみを受けた遅刻坂ではない、とある総合病院――
俺も随分と世話になった、『機関』の息の掛かったSOS団御用達の病院へと続く路である。


3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 13:59:18.30 ID:VAoGyBEm0



「こんにちは」

病室手前にて、花瓶を手にしていた看護士さん声を掛けると、顔見知りとなったばかりの彼女は、控えめな微笑を返してきた。

「こんにちは。今日はあなたの担当?早いのね」

「授業が半ドンだったもんで。……あいつ寝てますか?」

「大丈夫よ、起きてるわ。花、丁度取り替えるところだったから、貰っていくわね」

「あ、はい。お願いします」

扱いかねていた花束を看護士に譲り渡し、手ぶらとなった俺は、そのまま半開きになっていた扉を潜った。
ネームプレートに筆記されていた名は、『古泉一樹』。


一週間ほど前から入院を余儀なくされている、俺たちの副団長殿の居座る個室である。


5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 14:00:16.57 ID:VAoGyBEm0


看護士さんの話の通り、古泉はベッドの上で文庫本を開いていた。

病人らしい青い患者衣を纏い、俯き気味に読書に耽る姿もまた絵になるという厭味な面構えも相変わらずだ。

余程熱中しているらしく、俺の方に気付いた様子はない。

書名は――「カラマーゾフの兄弟」か。長門からのレンタル品だろうな。

暇つぶしの為にと持ち寄られた古泉所持品のボードゲームに加えて、俺が泣く泣く貸してやったPSPなんかも紛れて置かれている筈だが、利用されているのを一度として眼にしたことがない。

俺に遠慮しているというより、古泉が根っからのアナログゲーマーであることに起因しているのだろう。

何時になったらこっちを向くかと暫く待ってみたが、五分くらい経過した時点で阿呆らしくなった。


6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 14:02:30.56 ID:VAoGyBEm0

「おい、古泉」

「……えっ」

ぱっと顔を上げた古泉は、見るからに狼狽し、申し訳なさそうな顔をした。

もったいぶった常の余裕は微塵もない。

「来てくれてたんだ? ……ごめん。読むのに夢中で気付かなかった」

「こっそり入ってきたからな。調子はどうだ?」

「特に変わりなし、かな」

何処か幼いような微笑を浮かべる古泉は、ふてぶてしいという言葉からは縁遠く、いかにも病人らしい。


7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 14:09:03.21 ID:VAoGyBEm0



「何か不都合なこととか、持って来てほしいものがあったら遠慮なく言えよ」

「そんな……十分すぎるほど、良くしてもらってるよ。ちょっと気味が悪いくらいだ」

あ、今のはオフレコで、と人差し指を唇の前に立ててはにかむ。こういう仕草は古泉まんまなんだがな。

『機関員』というだけでもvip待遇の病院だ。

大した怪我もないのに個室で、専属の看護士が数人ついているという至れり尽くせり状態なのもその為だが、
古泉はそんな事情を知る由もない。


「何か、少しでも思い出せたことはないか?」

「………」

表情を翳らせ、無言でゆるゆると首を横に振る古泉。進展ナシ、か。

溜息を吐きたい気分だったが、右も左も分からない状況に放り出されて戸惑っている目の前の男の方が、
余程そうしたいに違いない。


9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 14:15:57.09 ID:VAoGyBEm0

「まあ、焦らず行こうぜ。ドタバタしたって始まらんしな。少しずつ思い出していけばいい」

「……うん。ありがとう」

静かに微笑を取り戻す古泉。

つくづく思うが、この古泉の素直さを目の前にしてると回れ右して逃げ出したくなるな。
……俺の心が穢れてるのか?


ごほん、と俺は気を取り直す意味を込めて咳払いした。雑念は後だ後。

「で、だ。今日は何が聞きたい?」

古泉は少し考え込むようにした後、「SOS団」、と呟いた。

「前は雪山の別荘に行った……ってところまで聞いたよね。それからの話、聞かせてくれるかな。
僕が企画したっていう、『推理ゲーム』について――」


10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 14:24:22.01 ID:VAoGyBEm0



早くに総てを思い出したい、という古泉の姿勢を前に俺は思う。

丁寧語口調とのギャップに違和感こそ酷かったが――多分、こっちが「本当」なのだろう。

この柔らかな性質の、よく照れたように笑う古泉こそが、仮面を纏わぬ、「いつか本音て語り合える友人同士になりたい」と漏らしていた古泉一樹の内側。

取り繕うところのない、素のままの古泉なんだろう。



記憶を取り戻すことは、古泉にとって幸せなんだろうか。

そんなこと、俺が決められることじゃない。……分かってはいるんだけどな。



11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 14:28:22.92 ID:VAoGyBEm0




俺はシャミセンという飼い猫の話と、そのシャミセンを利用して古泉が行った余興のお粗末な推理劇の話をしながら、
思い返していた。

一週間前、古泉が病院に担ぎ込まれた日。



あの日から、思えば、何かがおかしかった。





13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 14:35:51.18 ID:VAoGyBEm0


………
……





二月突入。
世間はピンク色の空気が目視できてしまいそうなくらいに、甘ったるい雰囲気を醸し出していた。

一年前は未来人のおつかいやら「機関」とは別組織による朝比奈さんの誘拐劇やらに振り回され、
気付いたときにはバレンタインデーだった、というサプライズに見舞われた。

あれだけ印象的なバレンタインデーを迎えた一年後だ。今回はそうそう忘れられるものでもない。

俺は他の男子生徒と然程変わらず、今年も麗しき三人娘からチョコレートを恵んでもらえるかどうか、
いやしかしハルヒのことだから一筋縄の渡し方じゃないだろう――というように、気を揉んで過ごしていた。




15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 14:44:45.70 ID:VAoGyBEm0



「いやはや、青春ですね」

僕はあなたの心中を痛いほどに察していますよ、と胡散臭く微笑みかけてきそうな男から、
俺は全力で眼を逸らした。

脳内に繰り広げられた妄想では朝比奈さんが照れながらラッピングされたチョコレートを差し出してくれていたりしたのだが、
我に返れば古泉と二人きりの下校。理想から180度ずれた現実である。

「今日から暫くあたしたちは用あるから団活なし!男はさっさと帰りなさい!」という、
ハルヒの一方的な宣言によって無理やり帰宅させられた俺と古泉は、情けなくとぼとぼ夕暮れ小路を歩いているというわけだ。


「いじらしいじゃないですか。今回のバレンタインデーはどんな催しを考えて下さっているのか、
僕としても楽しみでなりません」


18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 14:55:12.20 ID:VAoGyBEm0



今回の早期準備は十中八九このイベントの為でしょうからねと、含むように笑う古泉。

外面は顰めて見せていたものの、概ね俺も同意見だった。

昨年は俺たちにバレないように秘密裏にやっていたみたいだが、昨年ああいうサプライズをやった以上、
今年も隠す意味はないと判断したのだろう。ハルヒもいつになく大っぴらである。


「ま、平和なのはいいことさ」

バレンタインデーに浮き足立っている、ごく普通の高校生たちによる高校生活。

ハルヒの力も落ち着いてきているし、このままSOS団がいつ青春お楽しみサークルに早変わりしても俺は驚かないね。

俺含め一般男子生徒は女子から貰えるチョコレートの数を、例えば谷口なんかを冷やかしながら浅ましくも期待し、

古泉は学年を越えてあらゆる女子から義理本命含めて貰い、もてない男達から恨みがましい視線を向けられるのだろう。



19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 15:04:12.96 ID:VAoGyBEm0



光景が眼に浮かぶようだが――そんな生活も、きっと、悪くはないのだ。

俺は、古泉も賛同することを疑わず、同意を求めてそう投げ掛けた。

投げ掛けて、俺は隣に歩いていた筈の男がいないことに、初めて気付いた。


「古泉?」


焦った俺が振り返ると、古泉は俺より数歩後ろにて、立ち止まっていた。

苦難に立ち塞がれたような、険しい顔つきをしている。


「どうした」

別に気に障るようなことを、言ったつもりはないんだが。

「ええ、あなたの発言に問題があるわけではありません。ただ――」

「ただ?」

「どうにも、きな臭い動きがあるのです。どうやら……長門さんの親玉絡みで」


21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 15:14:11.65 ID:VAoGyBEm0



背筋が冷える思いがした。

古泉は場合によって表情や、声の調子まで、相手に与える効果を鑑みて匙加減を調節する。

真剣な面持ちで告げる古泉の声は、「本気事」に相対した際のものだった。


「……どういう状況なんだ。急進派が主流派に取って変わろうとしている、とかか?」

「わかりません。接触したTFEIから引き出した情報ですが、機関も統合思念体のすべてを把握できている訳ではありませんから。
しかし、長門さんの様子が妙なのも事実です。あなたならば、とっくに気付かれていたとは思いますが」

確かに、長門は何時になく――近頃は特に、落ち着きがないように見える。

ただ、俺はそのことに大した懸念は抱いていなかった。

人間らしくなっていく長門の在り方を見ていたから、バレンタインデーを前に、長門にも思うところがあるのかもしれないと……
そういうように、勝手な理屈付けをしてしまっていたのだ。

25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 15:33:42.41 ID:VAoGyBEm0


いらんフィルターを通して見過ぎるのも考え物だな。俺は自分の頭を軽く叩いた。

「……俺にできる事はあるか?」

「長門さんの進退に直結するような事ならば、いかに長門さんといえど、あなたには相談するでしょう。
気に掛けてあげてください。今は、それだけです」

「……そうか」

「機関も情報収集中です。詳細が判明したら、またお報せしますよ」

危機意識を持ちながら、ハルヒたちの前ではその胸中を億尾にも出さずにいた古泉を前にすると、敵わない、という気分にさせられる。

こういう時ばかりは、何の力もない一般人である自分が嫌になるな。

嘆息した俺に、古泉はふっと表情を緩めた。

「あなたがいるからSOS団は成り立っている。それを忘れて貰っては困りますね」

「忘れちゃいないさ。ただ――」

「あなたはあなたらしく在ることで、いつも周囲を救っているんです。涼宮さんや長門さんや朝比奈さんや……無論のこと、僕のこともね」

なんだ、今のは。……もしかして励まされたのか?


27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 15:48:19.77 ID:VAoGyBEm0


俺の呆け面がよほど耐えかねたらしい、噛み殺す努力をしながらも沸いてくる笑いを止められない古泉に、
俺は憮然としているしかなかったのだが――

珍しく立場が逆転したようなこのやり取りに、少なからず感謝してもいた。

……笑いの止まらない古泉に、礼を言うのだけは断固としてしなかったけどな。




それから各自の方向へと別れ、俺は自宅に帰り着き―――

夕飯を終えて、妹を相手にしながらテレビをだらだらと視聴し。


携帯電話が危急の報せを受け取って鳴り響いたのは、俺が風呂上がりに私室へ戻ってきたときのことだ。


発信元は古泉一樹。
何事かあったかと、緊張して通話ボタンを押した傍から、漏れ出てきたのは古泉の声ではなかった。


『森園生です。覚えていらっしゃいますか』


『―――古泉が、倒れました』


29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 16:04:13.84 ID:VAoGyBEm0




混乱のあまりろくに頭が回っていない状況だったが、俺はひとまず森さんの誘導に従い、
家族に事情を説明して家を出た。

黒塗りのタクシーは、俺が飛び出すのを待っていたかのようなタイミングで、滑り込むように停車した。

中には既にハルヒ、長門、朝比奈さんが乗り込んでいた。
別口から連絡が行っていたらしい。俺の迎えが最後だったというわけだ。


運転手は新川さんではなかった。俺は事情を問うことが出来ず、ハルヒ達もじっと黙り込んでいた。

車は明らかに規定を逸脱したスピードで進み、二十分後には俺も入院したことのある総合病院に到着。



降り立った俺たちを森さんが出迎え、儀礼的に一礼した。



32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 16:15:35.10 ID:VAoGyBEm0


「古泉くんの具合はどうなの?」

タクシー内では石のように押し黙っていたハルヒが、我慢の限界だったのだろう、掴み掛かるように森さんを問い詰める。
俺は「落ち着け」とハルヒを制止しつつも、心境は同じだった。

孤島のメイド姿からは一転、パンツスーツ姿に身を包んだ森さんは、俺たちを見渡し簡潔に答えた。

「古泉は意識不明です」


びくりと朝比奈さんが毛を毟られた兎のように震え、長門は瞬きもせずに森さんを見据えている。

……意識不明、だって?

俺の脳裏に、帰途で別れた際の古泉の笑みが浮かんだ。

なんのジョークだ、これは。


「原因は不明なのですが、……高熱が止みません。
このままでは、最悪の場合も、覚悟して頂くことになるでしょう」

皆さんに来て頂いたのはそのためですと、淡々と応じる古泉の上司。

「そんな……」



35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 16:27:57.07 ID:VAoGyBEm0


掠れた声は誰のものだったのか。

古泉が寝かされているという病室に入ることも許されず、
廊下に待たされた俺たちは、何を為す術もなく祈るしかなかった。


病院特有の匂いが鼻をつく、その薄暗い壁際にて。

手を組んで、眼を瞑り祈る。ハルヒも朝比奈さんもそうして、ただ、祈っていた。




そんな中――



「……来て」

他の二人に気取られないように、そっと俺に囁いたのは、長門だ。

37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 16:38:41.08 ID:VAoGyBEm0



廊下の曲がり角まで長門の後を追い、ハルヒ達と距離を取った先に、いつの間にか姿を消していた森さんも立っていた。

俺は森さんと長門を見比べる。

「これは、どういう――?」

「私が長門さんに、あなたを呼んで頂いたんです」

声には疲労が滲んでいた。……さっきまでの森さんは、ハルヒ達の手前、気丈に振舞ってみせていたってことか。

「古泉が倒れた原因も、本当は分かってるんですか?」

「……いいえ。原因が不明なのも、古泉がこのままでは危険なことにも嘘はありません。
古泉は今日、公園傍で倒れているのを発見され、そのまま機関付けの病院に搬送したのですが……。
何せ原因が分からない以上、手の施しようがないのです」


40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 16:53:51.11 ID:VAoGyBEm0


公園?

古泉の現住所からは逆方向じゃないか。どうしてそんな所に居たんだ、あいつは。

分からないことだらけだが、ともかく、古泉が生死の境を彷徨っていることは間違いないらしい。


「あなた方を呼んだ本当の目的は、涼宮さんと、長門さんです」

森さんの発言に、俺も漸く合点が入った。

「ハルヒが祈れば、古泉が助かる可能性は高くなる。長門が情報操作で、古泉を救えれば、更に間違いない。……そういうことですね?」

「お恥ずかしながら、現状の機関の技術では、古泉を治療できませんので。我々としても、彼を失うわけにはいかないのです」

それは超能力者としての古泉か、機関の同士としての古泉か……。

どちらにせよ、森さんは真摯に古泉のことを案じている。


41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 17:04:15.27 ID:VAoGyBEm0


「長門。頼めるか?」

機関側の手持ちのカード開示があった以上、機関は本気で古泉を救いたがっているということだ。

そしてそれが出来るのは、ハルヒの能力に任せる以外においては、……恐らく、長門しかいない。


長門は蛍光灯の白さを反射して、病的に白い肌を晒していた。

俺はその横顔に、何か引っ掛かりを感じたのだが……



「―――わかった」



寄越された回答に、その小さなしこりのようなものも、気のせいだと思い込んでしまった。



当の古泉に、『気に掛けてあげてください』と、言われたばかりだったのに。



43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 17:14:09.40 ID:VAoGyBEm0



それから森さんの手配で、長門のみが古泉の病室に通された。

そこで長門が何をどうしたのかは分からん。

一時間ほど経過した後、「解熱完了」と長門が報告に戻る頃には、古泉の容態が快方へと向かっていることが明らかにされた。

朝比奈さんは本気で泣いていたし、ハルヒも少し眼が赤かったように思う。

夜が明ける頃には命に別状はないと結論づけられ、古泉は平時の病棟に移された。


俺たちは特別に医師の許可を得て、古泉の眠る部屋で泊まり明かし、古泉の目覚めを待った。


……とんだ副産物が、オマケについてきていることも知らずにな。


46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 17:17:29.47 ID:VAoGyBEm0

ここまで書いておいて何だけどメインは古泉じゃないはずなんだ…
おかしいな

少し休憩してきます、すみません

52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 17:39:19.01 ID:VAoGyBEm0

まつわ いつまでもまつわ
ほかのだれかに あなたがふられるひまで

53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 17:41:37.47 ID:VAoGyBEm0

………
……




「それで、涼宮さんとツルヤさんに犯人がバレてしまった――と」

「詰めが甘いんだ、お前が考えるのは」

「確かに、聞いてる話だけじゃ、綿密に計画を立てておくのに最後が締まらない感じかな」


俺が語った雪山山荘での推理劇の顛末に、古泉はくすくすと笑い、俺はその楽しげな様に複雑な気分を持て余した。

一週間前、原因不明の高熱に魘され、死の淵から寸でのところで舞い戻ってきた古泉一樹。
あろうことか古泉は、その古泉一樹としての記憶の大部分を目覚めと共に失ってしまっていた。

熱の所為なのか、はたまた別に理由があるのか。
日常生活には支障がないが、己が誰で、今まで何をしてきて……といった部分が、全く欠けてしまっていたのである。

当然、今の古泉は「機関」で超能力者として神人狩りをしてきたことも、SOS団の副団長として采配を振るってきたことも
何一つ憶えてはいない。

SOS団のことは一からハルヒ達と教え込みはしたものの、ハルヒが神様モドキかもしれないことや、
長門が宇宙人端末であることや、朝比奈さんが未来人であるということは伏せたままにしてある。

記憶のない人間を、無闇に困惑させても仕方ない、という森さん達の判断だ。
賢明だと俺も思う。

55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 17:57:40.55 ID:VAoGyBEm0


古泉は暫く安静を保つため入院することになり、俺たちは一日と途切らせることなく見舞いに通った。

最初の三日間は全員で。

記憶を揺り起こすのは長期の治療が必要になるだろう、という話を聞いてからは、日ごとに交代で訪れることが取り決められた。
誰一人、否やはなかった。
俺たちの古泉を取り戻す決意には。



俺はそれから正月に春と時節をスライドさせ、SOS団が繰り広げてきた活動の数々――裏側にあった不思議現象については上手く誤魔化しながら、
話を進めた。

まあ、表向きだけ語れば、仲のいい面子が不思議探しにかこつけて遊んでるだけだからな。

古泉にはそれが、いたく魅力的に感じられたらしい。

「……うん。すごく楽しそうだ。いいなあ、SOS団」

「楽しいことばかりじゃないけどな。ハルヒにこき使われてくたくたになる日の方が多いぜ」

「でも、それでも満更じゃないって顔に書いてある」


58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 18:22:47.70 ID:VAoGyBEm0




古泉の敢えて作られたものでない、人を見透かしたような自然の笑み。

俺の知る古泉のものとはかけ離れ過ぎていて、居た堪れなくなる。


「涼宮さんのこと、好きなんでしょう?」


古泉は言い、俺は仏像になれそうな気分だった。


……黙秘権を行使する。




60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 18:25:42.85 ID:VAoGyBEm0


―――雑談の後、俺はふと、古泉の手持ちの本に視線を遣った。


「――その本、面白いのか?」

「これ?」

唐突に挿入された話題に、古泉はきょとんと眼を見開く。さっきまで読んでいた文庫本。
長門が貸していた「カラマーゾフの兄弟」。

そうだね、とうっすら微笑み、古泉はまるで無邪気な調子で頷いた。

「まだ序盤だけど、面白いよ。カラマーゾフの一家は、兄弟が三人いるんだけど。その父親が、道化にならずにはいられない人間なんだ」

「………」

俺は思わず黙り込んじまった。――道化にならずにはいられない人間。

長門に何か意図するところがあったのかどうか。俺に判別はつかないが……。

「どうかした?」

「いいや。……面白そうだな。俺も読んでみるかな。あんまり海外のには詳しくないんだが」

「最近はあんまり読書しなくなったって言ってなかったっけ。……長門さんからの借り物だけど、回すのは僕が読み終わってからでいいかな」

「それで十分だ。今すぐ取り上げやしねぇよ」

ちゃっかり専有する気でいたらしい、ほっとした表情を露骨に見せる古泉に、俺は笑ってやった。

61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 18:28:30.64 ID:VAoGyBEm0

ねむい

64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 18:44:26.41 ID:VAoGyBEm0




日も暮れる頃になり、夕陽が窓から差込んで、灰色の壁紙にグラデーションを作っていく。

俺は眼を細め、退去の旨を古泉に伝えた。

「ああ、もうそんな時間か……」

寂しげな呟きに後ろ髪を引かれるが、そろそろ帰らないと夕食に間に合わなくなっちまう。

悪いな、古泉。日曜にはまた来るからさ。


「わかってる。今日は沢山話せて楽しかったよ。……ありがとう」

「ああ、またな。――明日は、長門が来る予定だ。あいつは無口だが、本の感想でも教えてやれ」

そうすりゃそれなりに話も弾むだろうと助言すると、古泉は何か、堪える様に眉を寄せた。

「……長門さん……」

90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 21:13:01.34 ID:GQCJOk090



「……長門が、どうかしたのか?」

そのささやかな声色の移り変わりが、俺には特異に映った。

この数日間、記憶を喪失した状態で全くといって良いほど変わり映えのしなかった古泉は、惑うように口を開く。

「……長門さんと僕に、何か、繋がりってあったのかな」

「繋がり?」

「仲が良かったとか、親しかったとか」


俺はお前のその質問の意図が分からんのだが。

率直に言って、古泉と長門の組み合わせに想起される光景なんて思いもつかなかった。

これが古泉とハルヒという取り合わせならば、まだ納得もいくのだが……。


「そう、だよね。ごめん。変なこと聞いて」

「いや。何か、長門絡みで思い出したことでもあるのか?」

「そうじゃないんだ。ただ、長門さんを見てると――」

93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 21:19:15.64 ID:GQCJOk090



古泉が些少の照れもなくストレートに発した言葉は、思いも寄らないものだった。


「――懐かしいんだ。懐かしくて、切なくて、泣きたくなる」


なくしていた片割れにやっと出遭えた、そんな気持ちになるのだと。

余りに不可解な、それでいて今の古泉が唯一拠り所にできるその感情……

俺は答えることができなかった。


それはもしかすると、俺も、当の古泉自身すら関知していなかった想い――
そのものだったのかも、しれない。




95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 21:30:55.53 ID:GQCJOk090


………
……



『――さん、――よ、まだ―――だから――』


『―――だから、そう言ったじゃない』


『―――さん』



『長門さん』




………。

六時十二分四十三秒、起床。


わたしは視界を確認する。
良好。皮下組織の磨耗ニ・五パーセント。任務続行に異常なし。


97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 21:38:14.38 ID:GQCJOk090



――エラーの堆積――
――可及的速やかに処理を検討――



警告を無視。


――接続せよ。
――報告義務/メンテナンスを怠るなら、該当端末の削除も止むを得ない。


警告を無視。


――回答を。

――回答がなければ、バグの発生した記憶回路の消去行動に出る。
リミットは七日後。回答を――


メッセージを遮断。


………頭が、痛い。


101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 21:54:17.31 ID:GQCJOk090



「あ、あのぅ……長門さん、何処か、具合でも悪いんですか?」

三角巾と割烹着を装着し、涼宮ハルヒが買出しから帰還するまでの間の待機時間。
お茶を淹れていたエプロン姿の朝比奈みくるが、わたしに問う。

わたしは、適当な語彙を検索する。不都合は、ない。少なくともこの状況においては。


「………問題はない」

「そ、そうですか?でも……」

なんだか、無理して見えます――と、朝比奈みくるの意思表示より先に、家庭室のドアが開く。

「お待たせーっ!買ってきたわよ、生クリーム!」

大股に、腕まくりをして入室する涼宮ハルヒ。

「まったく、何処の店も売り切れなんだもの。時期が時期なんだから、ちゃんと常備しときなさいよって感じだわ。
でもこれで心置きなくチョコを作れるってもんよ」

今年は昨年通りのチョコレートケーキを製造しようと提案したのも、涼宮ハルヒだった。
あれだけ記憶に残るバレンタインデーを演出したんだもの、同じケーキを渡せば、古泉くんの記憶を呼び覚ますきっかけを作れるかもしれないじゃない。
古泉くんに早く復帰して貰うためにも、あたしたちが腕によりを掛けるのよ!


105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 22:04:14.22 ID:GQCJOk090


涼宮ハルヒの願望は、大抵の場合、優先的に成就される。

涼宮ハルヒが古泉一樹の記憶の蘇りを願っている以上、何らかの邪魔が入っているのでなければ、
高確率によって実現するのが通例のこと。

………やはり、何かに阻害されている?

それとも、別の理由がある?

不明。統合思念体からの情報は期待できない。接続は、わたしの意志で切断した。

救援は見込めない。


……わたしは、……。



「有希?どしたの?」

「や、やっぱり、休んでた方がいいですよ〜。最近ずっと、体調よくなさそうで……」

わたしは視界を調節した。……いけない。

意識の混濁が、早い。

107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 22:16:54.74 ID:GQCJOk090


「……平気」

「本当に?無理しちゃだめよ、有希。古泉くんがあんなことになって……この上有希もなんて、
冗談でも笑えないわ」

涼宮ハルヒの手がわたしの額に触れる。……平温の掌。心地良い。

記憶回路から抽出される擬似風景が、現実と重なりわたしに反響する。


『長門さん?無理しちゃだめよ』


ソプラノボイス。大きな瞳。
煮え立つ鍋。


『インターフェースだって、具合が悪くなることはあるのよ?』


握られた包丁。エプロン。微笑。
チョコレート。掻き混ぜられたボウルの中身。


『美味しい?』

110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 22:33:20.67 ID:46YZ8au80

――エラー。

――エラー。


反動を抑え込む。保持する。何としても、七日間の間は。

消去されるまで。……大丈夫、失くしはしない。




「長門さん…!」

朝比奈みくるの憂いの表情が、すぐ傍らにあった。涙を溜め込んだ瞳。
わたしの憧れた、硝子の器のよう。


「……平気……」

「平気じゃないわよ!」

肩を掴まれた。釣りあがった目尻。……怒りを出力する涼宮ハルヒの表情。

「今日はやめ、実習中止。具合が悪いんなら無理しなくていいから、今日は帰って寝るの。いいわね?
明日も辛いようなら、古泉くんのお見舞いはあたしたちが代わるから」

「あたしも、長門さんの代わりに頑張りますから。だから、お願いですから、今日は休んでください……」

二人に揃って請われ、わたしは上手く断りの言葉を算出できない。

114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 22:46:59.86 ID:46YZ8au80



本当に、身体に異常はない。けれど、それを齟齬なく伝達することは、今のわたしには困難。

……わたしは結局、二人の要請を受諾した。


(心配させてはいけない)

そう「思った」のは、恐らく二度目のこと。

一度目は、そう「思った」ことさえ、わたしは理解していなかった。


116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 22:52:52.15 ID:46YZ8au80



快晴の下、傾斜を降り、生活区域として提供されたマンションへの帰途の最中。

差し掛かった公園にて、わたしは足を止めた。


――微かに、情報が書き換えられた痕跡。



記憶にある。古泉一樹の上役、森園生の発言の中にあった。此処は古泉一樹が発見された場所である、と……。


……今のわたしの余力で、この場の解析が可能かどうかを計算。
力の消費を出来るだけ避けなければ、七日間すら保てるかどうか。

それでも――


「……@pofsjr3ir594%fsaa;c-e-fw3qqqq2rt」



………解析。


………結果。


121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 23:02:25.97 ID:46YZ8au80



『ああ、もう、駄目じゃない』

『まだ出来上がってないんだから――これは冷やしてからじゃなきゃ――』

『おでん、ちょっと作り過ぎちゃって――どうかしら?』

『それね。きっと、幸せって事なの』

『長門さんを傷つけることは許さない』

『わたしはちゃんとここにいるわよ』

『あなたがそう望んだんじゃないの。でしょう?』




(―――なるほど。密約というわけですか)

(お願いって言ったほうが正しいかしら。でも――悪い話じゃないでしょう?)




123 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 23:07:25.62 ID:46YZ8au80


『トドメをさすわ。死ねばいいのよ。あんたは長門さんを苦しめる。
痛い?そうでしょうね。ゆっくり味わうがいいわ。それがあんたの感じる人生で最後の感覚だから』



(いいですよ。……協力しましょう、あなたに)


『なぜ!? あなたは……!? どうして……』


(僕も彼女を護りたいのは同じですから)



最後の絶叫。消滅。……わたしの、朝倉涼子。

―――総ての光景がわたしを侵食し、わたしに答えを差し出した。



136 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/14(土) 23:49:10.30 ID:46YZ8au80


行かなければ。

会いに、行かなければ。



――エラー。

――エラー。


もう少しだけ、保たせて。

わたしは、立ち上がる。もう少し。もう少し。


………もう少し。

141 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 00:00:01.54 ID:8Dof6be+0

………
……




暗闇というものに風景がとっぷり呑まれてしまうと、人の気配も同時に飲み込まれてしまうものらしい。

僕は時折廊下を渡る、誰かのカツカツという足音に耳を澄ます以外は、ベッド下に根を生やした樹木のように、
身動ぎもせずに夜明けを待っていた。

夜明けは好きだ。心が洗われるような錯覚をするから。

瞼を伏せて、光が差し込む瞬間に檻を解き放つ。瞳孔を焼き付けるような光があふれる。

その小さな夜と朝の隙間に僕はうとうとと眠り、夢を見る。


夢には、よく長門さんが登場した。


長門さんはリビングらしきところでカレーを食べていたり、読書していたりする。

どの長門さんも、眼鏡を掛けていた。

綺麗な無表情を貫いているときもあれば、頬を赤らめているときもあった。


144 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 00:12:47.19 ID:8Dof6be+0


ああ、可愛いなあ、と眺めて思う。

華奢な手足や、美しい姿勢や、生まれたばかりのものにしか備わらないあどけなさ……。

そういったものに惹かれるのと同時に、その存在丸ごとに愛着している自身もまた存在した。

ただ、「彼」が言うには古泉一樹という男は長門さんと特別な関係であったことはないらしいから、
この光景は僕の逞しい想像が生み出したものなのだろう、と思う。

「好き」――それは勿論。

「いとおしい」、「慈しみたい」、「抱き締めていたい」……。

これは生来の古泉一樹も感じていたことなのだろうか?


過去の記憶がない、という境遇は他者から同情されるべきものだろうけれど、僕自身は大して悲観していなかった。

譲らなくていい土台というものが、確かに足元にあったから、ぐらつかずに済んでいたのだ。



146 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 00:23:40.20 ID:8Dof6be+0



見舞いにやって来てくれた彼を見送って、僕はその日も、夢現に長門さんの姿を捜していた。

眠気に誘われて、ぼやけていく視界の内……ベッドの脇、僕の左隣。


不意に、微かに衣擦れの音がしたような気がした。


……最初は、夢とリアルを混同したのかと思ったけれど。


意識がはっきりしてくれば、それが本当に其処にあるものかどうかくらい、見分けはついた。


「………長門さん?」



148 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 00:30:33.92 ID:8Dof6be+0



夢の人が、真夜中の病院内に、しかも自分の目の前に佇んでいる。

非現実的な光景だった。



どうしてこんな時間に、ここに。

紡ごうとした声は、しかし、僕の唇からは発せられなかった。

僕の意思とは裏腹に、声は勝手に別の言を手繰り寄せる。


「今日、来ちゃったの?……明日まで待っても良かったのに。
身体に余計に負担になったんじゃない、長門さん」

零れる声は耳に優しいソプラノ。


153 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 00:43:24.56 ID:8Dof6be+0




「………そんなことは、どうでもいいこと。――どうして、ここにいるの」

「どうして、って?」

「あなたは消滅したはず」

「そう、確かにわたしはあの世界もろとも消されたわ。
でも、わたしが此処に残存している以上答えは一つ。完全には消えていなかったってことよ」


身体の自由はまるで効かず、僕は身に覚えのないことをすらすらと応じる。
彼女が何を言っているのか、僕にはまるで理解できない。
僕自身の意識は確かに此処にあるのに、身体は全く別の誰かのモノになってしまったかのようだ。


僕は其の場にあって、ただの傍観者だった。
可笑しなことに恐怖はなかった。その存在を、当たり前のものとして身体が既に受け入れてしまっているみたいだった。



155 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 00:52:35.35 ID:8Dof6be+0



(ごめんね、少し不自由かもしれないけど、我慢して)


女性の意識がやんわりと響く。
僕の意識のごく側に、隣接するようにして存在している淡い炎。


……あなたですか、僕の身体の中にいるのは?


(古泉くんとの契約。今のあなたには、よく理解できないでしょうけど)


――流れ込んでくる彼女の、記憶と感情。

埋め尽くされた熱。

長門有希を護りたいと、雪のように募り飽和した愛情。


158 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 01:00:12.74 ID:8Dof6be+0



「わたしは粒子に崩壊する寸前だった。意識を保てるレベルにまで回復したのは、殆ど奇跡だったわ。
でも、それも放っておけば、じきに消滅して掻き消えてしまうくらいの微弱さ。
器もなければあとは自壊するだけよ。思念で、執着のみでかろうじて留まっていただけの存在だった」


そんなときに、――古泉一樹が、朝倉涼子の存在を感知した。


「賭けだった。無理な融合は、彼の身体にも相当の負担になる。もしかしたら命すら危うくなるかもしれない。
でも……古泉くんは、乗ってくれたわ。わたしが器を得てやりたいことを理解してくれたから」



『いいですよ。……協力しましょう、あなたに。僕も彼女を護りたいのは同じですから』



古泉一樹と朝倉涼子が契約した。

それは、「長門有希を護る」という、その一点の約束のため。



162 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 01:16:37.32 ID:8Dof6be+0


「………わたしは……」


長門さんは僕から観ても、今にも泣き出しそうな――そんな眼をしていた。

喜怒哀楽を明快に刻んでいるわけでもない無表情が、それでも、訴えかけてくる。

後悔を、悲嘆を、懺悔を。朝倉さんに投げ掛けている。


「……あなたに、ずっと、謝罪したかった」

「……うん」

朝倉さんが彼女の身を抱き寄せる。

長門さんは抱かれるまま、身を縮み込ませて、震えていた。

「……わたしはあなたを二度も……犠牲にした。あなたに教わったことのすべてに、何一つ返せないまま。
――わたしはあなたを葬り、省みなかった」


その罪さえ、わたしは自覚していなかった。


165 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 01:33:45.99 ID:8Dof6be+0



「………ごめんなさい」

告解の声を搾り出すように口にして、長門さんは俯く。

朝倉さんは、……僕からは勿論見えない、見えないが――しかし確かに、穏やかな微笑と呼べるものを浮かべていた。

「うん。もう、赦したわ」

「……!」

「だからね、長門さん。『消してしまって』いいの。わたしに関する記憶を持ち続けてくれてるのは嬉しいけど……
そんなのは、わたしの望む贖罪じゃないから」

「だ、め」

「思念体からのアクセスまで切って、わたしの記憶を護ったところで……七日後には、長門さんが消去される。
それはただのエラーデータでしかない。バグなのよ。除去しなきゃ、長門さんに悪影響が及ぶ――」

「だめ……!」

「長門さん」



168 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 01:52:33.92 ID:8Dof6be+0


駄々をこねる子供と、それをあやす母親のような。

内実はもっと、悲しく痛ましい関係で結ばれた二人だったけれど。


「……わたしの望みを叶えてくれない? そうしたらわたし、安心して眠れるから」

「………」

しがみついて離すまいとする長門さんの頭を撫で、言い含めるように朝倉さんが言う。

「わたしの望みは、長門さんが、幸せを感じて、生きてくれること」

「………できない」

「できるわ。長門さんの傍には、SOS団の人たちがいるじゃない。
長門さんを心配して止まない人たち、長門さんのために命を賭ける男の子もいる。そうでしょ。
彼ら皆を見捨ててしまうの? 過去のわたしへの罪悪感に囚われて未来の芽を潰すなんて、それこそ愚かなことだわ」


171 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 02:01:21.00 ID:8Dof6be+0





『それね。きっと、幸せって事なの』


朝倉さんの感情が、今の僕にもフィードバックする。

朝倉涼子にとって、長門有希は手の掛かる妹であり、愛しい半身であり、初めて「愛しい」という感情を自覚させられた、
特別な個体だった。

長門有希のために彼女は己を犠牲にし、急進派として「鍵」の目の前で討ち取られることで、
長門有希が「鍵」に信頼を得られるよう画策した。

彼女は存在そのものが「バックアップ」。

長門を愛し、長門を育て、長門のために死ぬ。


――成長につれて朝倉涼子の自己犠牲を悟った長門有希は、途方もない罪悪感を、朝倉に対して抱くようになる。

そのデータが世界改変の折に変質し、劣化し、記憶もろとも長門の存在を破壊しかねない致命傷の一打となっても。
長門有希はその罪悪感と朝倉涼子への思慕故に、記憶を手放すことだけはどうしても、できなかった。


175 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 02:16:02.95 ID:8Dof6be+0

統合思念体からの、再三の除去せよという勧告にも従わず。
長門有希はとうとう、端末としての機能不全に陥り、七日間の期限を持って破棄が決定される。

……そう、そのままでいたならば、そうなっていただろう。

朝倉涼子の意思が、その事実を、消滅の寸前に耳にしていなかったなら。
長門有希を救いたいその一心で、這い上がり、古泉一樹に出遭わなかったならば。




「……愛してるから、幸せになってほしいの。わたしの為にもよ、長門さん」

朝倉さんの声もしまいには震えて、嗚咽が交じっていた。

「あなたが、大好き」


抱き締めあって、そのままぽろぽろと泣き、お互いの温もりを忘れないように身を寄せ合って。

朝倉さんの説得を、――小さな彼女の妹は、大粒の涙をその頬に伝わせながら、

……最後の最後に、受け入れた。


179 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 02:28:55.57 ID:8Dof6be+0


…………
………


(助かったわ。あなたに協力を要請して正解だった)


いいえ。でも、本当にここで別れてしまっていいんですか?
あなたが望むなら、この身体の中に居続けることだって……。


(……危ない目に遭ったのに、お人よしみたいね。
これ以上は危険なの。わたし達のような端末が長く居残り続けたら、人体にとんでもない負担になるわ。
今度こそ助からないかもしれない。古泉くんを死なせるわけにはいかないもの)


……そう、ですか。


(でも、わたしはわたしの目的を果たせた。長門さんは、生きることに希望を持ってくれたから…。
だから、これで十分よ。あなたのおかげ)


……朝倉さん。


(ありがとう)


183 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 02:37:15.46 ID:8Dof6be+0



声を聞き、僕はその声の心地よさに総てを忘れ、また、取り戻していく。


優しく、優しいながら激しい想いが胸にあった。

それは誰かを心から愛し、いつくしみ、その人のために死ぬ夢だ。


眼が覚める頃には忘れているだろう、想いを――

僕はただ、ほんのひとかけら、忘れずにいられたらいいと、そう思った。




186 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 02:52:41.25 ID:8Dof6be+0



……
………





「古泉くん復活を祝して!カンパーイ!!」


涼宮さんが音頭を取り、途端に、シャンパンの蓋が弾け飛んだ。
夜浮かれ騒いでも怒られないようにと、防音設備の行き届いた長門さんのマンションの一室にて。

曰く、2月14日、バレンタイン&退院記念パーティー開催。

ワイングラスになみなみとおもちゃのようなシャンパンを注いで回っているのを遠目に眺め、

「まさか、本物じゃありませんよね」

「いや、ハルヒのやつ鶴屋さんに掛け合ってたからな。本物かもしれんぞ」

「飲酒は禁ず、になったように記憶しているんですが」

「お祭りは無礼講なんだとよ」

したり顔の彼の弁に、僕はやれやれと曖昧笑顔でやり過ごすことにした。
すると、此方を凝視するように見据えてくる「彼」に視線がかち合う。


188 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 03:01:27.91 ID:8Dof6be+0


「……あの、何でしょう?」

「いやー、古泉だなあと思ってさ」

「……はぁ」

僕が記憶を喪っていたという一週間――その間のことは全く覚えていないのだが、
涼宮さん含め、皆には結構なインパクトがあったようだ。

何か襤褸を出さなかったかと、心配もしたのだけれど。

森さんにはこってり絞られ、機関の同士達から揉みくちゃにされ、涼宮さん達には心配を掛けたお詫びとして
不思議探索の際の昼食代は僕が払う、ということで片がついた。

背に腹は変えられない。


191 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 03:13:32.34 ID:8Dof6be+0

「さて、SOS団男子組、お待ちかねのチョコレートよ!有難く食べなさい!」

シャンパンを飲み干し景気づけたらしい涼宮さんは、じゃじゃじゃじゃーん!と自ら効果音を声で捲くし立てながら、
台所から姿を現した朝比奈さんを指差した。

朝比奈さんがお盆に乗せて運んできたのは、六つの箱。

……見覚えがあるパッケージだ。


「なんだ……去年と一緒か?」

少し落胆を滲ませた彼の発言に、涼宮さんがポケットに指していたボールペンが投擲された。

「いてっ、てっ、おい、ハルヒ…!」

「しょうがないでしょ、予定が狂っちゃったんだから!確かに見た目は去年と一緒だけど、味の方は去年の百倍よ!
絶対美味しくなってるんだから、キョンなんてほっぺが落ちて何処に行ったか分からなくなればいいんだわ!」

「って、っと、ああもう悪かったって!」

近くにある飾りつけを外して投げ合う状態に縺れ込んでいる。……これは、暫く終わらないだろうなと僕は判断し、
速やかに朝比奈さんと壁際に避難した。


197 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 03:21:42.06 ID:8Dof6be+0


「今年も美味しそうなチョコレートケーキですね」

そっと箱の中を覗き込み、微笑む。「寄贈」「チョコレート」「義理」。メッセージも去年と同じだ。

僕がどれから頂こうかとぼんやり考えていると、裾を軽く背後から引かれた。

「このチョコレートも、古泉一樹に」

すい、と差し出される別の箱。

僕は驚いて、長門さんの静かな眼差しを見返した。

「……あ、あの?」

「……」

渡されるままに手にするが、これはどういうことだろう。復帰祝いか何かだろうか。

朝比奈さんも不思議そうに此方を見ている。

女子三人組の合作、というわけでもなく、本当に長門さん個人のお手製で……?



199 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 03:29:11.23 ID:8Dof6be+0


好奇心と不審半分。

僕は長門さんに別に渡された、小ぶりの箱を開けた。


「……これは」


ハート型のチョコレートケーキに、丸い女性らしい字体で二文字。
――『感謝』。





「それは、わたしの……大切な人から、あなたに」

長門さんは最後に、極小の微笑に似たものを浮かべて。
目を白黒させている僕に向け、一言を囁いた。


「"From Your Valentine"」




201 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/15(日) 03:35:10.50 ID:8Dof6be+0

遅くなりましたが、一応これにて終わりです。
gdgd文にお付き合い下さって有難うございました。

208 名前:1[] 投稿日:2009/02/15(日) 03:39:26.93 ID:8Dof6be+0

学んだこと:見切り発車はすべきではない

青鬼説の朝倉さんが書きたくてやった。今は反省している。
文章のあちこちが壊滅的に酷いので、本当にすみません。すみません。全編書き直したい。
こんなのを載せるような奇特な方はいないとは思いますが、
まとめ系にはなるべく纏めない方向でお願いします。

支援くださった人、保守してくださった人のおかげで最後まで頑張れました。有難うございました。



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