キョン子「ま、魔法少女ハァハァだたいま参上…はぁ」


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9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 16:04:59.55 ID:VILP7rVm0

なぜ開いた……。
そうだ、俺はなぜ開いてしまったのだろうか。
『コレ』を開くことが何を意味しているのか、
それについては長門や古泉に加えて、
朝比奈さんからも説明を受けていたというのに。

「なぜ開いちまったんだよ」

後悔とともに頭を抱えて呟いたとき、ふと違和感をおぼえた。
他でもなく自身の声にだ。
むしろ俺がおぼえた感覚は違和感というより、
恐怖というものに近かったのかもしれない。
……ひょっとして俺の耳がイカれちまったのか?
確認のためにも再度呟いてみるべきだ。

「もしもし。大丈夫か、俺? これは俺だよな?」

一語一語発するごとに焦りが募りゆき、
耳を疑ったすえに姿見の前に立ったところで、
今度は眼を疑うべきなのかという疑問と立ち眩みに襲われた。

「なんてこった」

勘違いなんかじゃねえ。
俺の声が俺の声ではなくなっている。
正確には男であるはずの俺にとっては、
あまりにも不似合いな代物と化していたのだ。

いや、それだけじゃない。
姿見に映っている俺自身は、どう見ても――。

13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 17:01:26.11 ID:VILP7rVm0

「キョーンく〜ん」

間延びた声と軋む階段。
扉の向こうからだ。
時間的にみれば夕食のメニューを報せるために、
親の命をうけた妹が早馬役を担ったのだろう。
逡巡している暇はなかった。
室内の明かりを落とすなり、ベッドへと潜り込む。

「あれー? 寝てるのー?」

扉が開かれたのはそれと同時だった。
俺は暗がりにあることを利用して頭まで布団をかぶると、
できるだけ息をひそめるようにと努める。
呼吸音すらをも気取られるのはまずいと考えたからだ。
頼むから去ってくれ、妹よ。

「ねえねえ寝てるの?」

ああ、俺は疲れて眠っているんだ。
だからあっちへ行ってくれ。興味を持たないでくれ。
俺の姿を晒させないでくれ。

「ねえってばー!」

のっしのっしと床が踏まれ、声が俺の頭もとから降り注いできた。
物陰に潜む暗殺者に監視でもされているかのような居心地の悪さ。
強迫観念に近い恐怖に身が震える。

14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 17:04:40.64 ID:VILP7rVm0

「…………」

やがて扉は閉められ、妹は階段を下っていったようだ。
戦々恐々、布団から顔を出してみた。室内には誰もいない。
安堵したことで全身から汗が噴き出してくる。
素肌に衣服が纏わりつくのが不快で堪らない。
しかしそれを押してでも先にやらなければならないことがある。
俺は携帯電話を取り出してやつへと繋げた。

「助けてくれ、ヘマをこいちまった」

捲し立ててみるが、向こうからの返答は芳しくない。

『すみません、どちらさまでしょうか』
「俺だよ俺、オレオレ!」

冷静に考えてみれば、これじゃ出来の悪い詐欺だ。
俺は一旦言葉を切り、情報を整理してから事由を伝えた。
念のために『俺』の氏名や年齢、所属クラス諸々で証明を済ませると、
相手もこちらの状況を信用してくれたのか手早く提案をよこしてくれた。

『……なるほど、わかりました。すぐに迎えにあがりましょう。
 ただしひとつだけ留意していただきたい点があります。
 僕がそちらに向かうまで、その姿を濫りに衆目へは晒さないでください。
 あなたが取った行動と一般的概念から推察して、それがベストだと考えます』

17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 17:23:44.45 ID:VILP7rVm0

携帯電話が古泉の到着を知らせる。
俺は閉め切っていたカーテンの隙間から、
外に停まっている黒塗りの高級車を認めた。

『窓から飛び降りてください。
 ついでに外出に見せかける必要性もあります。
 例の物は勿論のこととして、携帯電話や制服と学用具、
 加えて何着かの私服、財布などは決してお忘れないように』
「無茶いわないでくれ。飛び降りるなんてタダじゃすまないだろ」
『では御家族の方々の眼を盗んで玄関までこれますか?』

……無理だ。そっちのほうが怖くて堪らない。

『ならば選択肢はないようですね。窓からどうぞ。
 最悪、下から僕が受け止めますので怪我の心配はありませんよ』

気持ち悪いことを口にする古泉。
けれどもこの状況下ではやつに頼る以外の道はない。
俺は手短に荷物類をまとめるとそれを窓から放った。
ついで窓際に立ってみる。
地面までの距離は数メートルほど。
骨折はしないだろうが、下手を打てば捻挫くらいはする高さだ。

だったというのに……俺はなんの躊躇すらも感じずに飛び降りていた。
地面に足跡を残すこともなく、ふわりと、
まるで背中に翼でも生えているかのように、気づけば地に足をつけていた。

19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 17:37:57.86 ID:VILP7rVm0

俺を抱き止めようとしていたのだろう。
雨乞いでもしているのか、という古泉のポージング。
傍からみれば滑稽以外の何物でもない。
だがやつも本分を思いだしたのか、すぐに平時通りに繕い、

「車内へどうぞ。足音は立てずにね」

静かに指示をくれた。
俺はそれに従いスムーズに車内へと乗り込む。
そこで手落ちに感付いた。

「悪い、靴を忘れてきちまった」
「問題ありません。ですよね、新川さん」

運転を担うのであろう新川さんが、肩越しに俺の靴を示す。
手際の良さは流石というべきなのだろうか。

「では参りましょう。まずは分析を行うべきでしょうからね。
 こういう場合には頼れるべき相手へと頼るのが定石です」

やがて恙無く走りだした黒塗りの車。
夕闇に染まる街中を、俺たちは静かに運ばれていく。

21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 18:14:00.82 ID:VILP7rVm0

車内は静寂に満ちていた。
静音仕様の車体に、防音仕様の車内。
運転手は口を開かず、俺や古泉も同様に黙る。
何より窓に張られた遮光フィルムが、多大な安心感を与えてくれる。
深々とした時間の流れ。
眠りに落ちる寸前のような充足感。
しかしそれも唐突にして破られてしまう。
車外にいた通行人と俺の視線がカチあった瞬間だった。

「――っ!」

燃え盛る炎に直肌で触れ、生体反射が起きたときのように、
俺は慌てて身を潜め、手近にあったバッグで頭を隠した。
自分の行動が理解できなかった。なのにそうせずにはいられなかった。
そんな俺に、いまの今まで顎に手をあてて黙考していた古泉が言った。

「厄介なルールですね。ですが車内と車外は完全に断絶されていますよ。
 そう過敏になられることもないんです。ところであなたは彼、なんですよね?」
「こっちが訊きたい。俺は誰なんだ」
「いえ、すみません。あまりに驚いてしまったものでして」

古泉が再び考え込む。
こいつにすら俺が『俺』であることが通じないのだから、
あのとき姿見で映ったアレは間違いなく現実の『俺』だったのだろう。
どうも気分が悪くなってきそうだ。この視線恐怖症にも似た強迫観念はなんなんだ。
ハルヒの所業によって精神病とかにでもやられちまったのか、俺は?

「違うと思います。少なくともそういうものではないようですね。
 現に僕の前におられるあなたは、紛れもなくあなたではない。
 どこからどう見たって別人のようですし、そればかりか根本的に……」

22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 18:16:41.39 ID:VILP7rVm0

すまん
片手間でやってるからペース遅い

24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 18:36:25.75 ID:VILP7rVm0

言葉を切り、指を立てる古泉。

「確認させてください。
 あなたの行動を見た限り、あなたは他者の眼を酷く気にしている。
 先ほどから落着きがないのもそのためなんですよね?」

お前の言う通りだ。
理由は知れないがどうにも気になって仕方がない。

「ではどうしても僕には連絡をよこされたのでしょうか。
 また、その際になにか恐怖などの感情は抱かれましたか?」

特にないと思う。
不思議とお前や長門、それに朝比奈さんらには何も。

「ふむ。早合点なのかもしれませんが、
 僕の直感も捨てたものではないようですね。
 隠密に行動したことが良い方向へと働いてくれたようです。
 さて、ここで共通項から推察してみましょう。
 僕や長門さん、朝比奈さんらは一般人ではない。何らかの秘密を抱えている。
 けれどもあなたが怯えている相手は、その総てが一般と思しき人です。
 恐らくそれらがひとつのルールとなっているのかもしれません」

解り易くたのめないか。

「端的には、あなたの正体を一般人に暴かれてしまうのは禁則だということです。
 そして僕などの近づくことを許されている人物は、概ね補佐ってところでしょうか。
 あくまで当て推量ですがね。ともかく長門さんに訊ねるのが最善でしょう」

古泉がちらりと外を覗うと、そこには長門が佇んでいた。

30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 20:03:51.31 ID:VILP7rVm0

長門が俺の隣へと乗り込み、変わっての古泉が助手席へと移る。
言葉もないまま決まっていたことのように再発進する車。
長門は何も言わない。
じっと、俺の瞳を覗きこんでくるだけだ。

「どうすりゃ、いいんだ?」

段階的推論すらも忘れた俺の問いかけ。
長門は答えず、その代わりに俺のバッグを漁りはじめ、
暫くすると『ボロボロの石箱』をとりだしてから首を傾げた。
どうして開けたの、と訊かれているような気がする。

「その、なんだ。どうせ開かないだろうと思ってて。
 それで暇つぶし程度にと触ってたら落っことしちまって」
「気づいときには開いていたと?」

古泉の合いの手に、俺はうなづく。
それだけで長門は把握できたのか解説をはじめた。

31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 20:16:12.53 ID:VILP7rVm0

「相互間物質転位装置。起動条件は、これの開放だと推測される」

いきなり意味不明な単語がでてきた。
だがこういう時には古泉が頼りになるようで、
噛み砕くのが本分だとばかりに口をはさんでくれた。

「箱型のワームホールのようなもの、と解釈してよろしいのでしょうか?」
「便宜上それでも構わない。けれどもあくまで転移するのは物質とみられる。
 細部に不明な点が多いものの、少なくとも今回の件に絡んでいるのは間違いない。
 先日の調査では何らかの方法によって完全に密閉されていたはず。
 わたしやあなた、涼宮ハルヒや古泉一樹、朝比奈みくるが手にした所で、
 開閉は不可能だったことからもそれは疑いようのないこと。
 けれども現在はこれが開かれている。そして、あなたはそうなっている。
 道筋は不明でも結果は現状のとおり。関連性は十分だと考えられる」

俺はどうなる、このままなのか?
せめて体だけでも何とかできないのか?

32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 20:27:19.93 ID:VILP7rVm0

「あなた自身の体はいま現在、当該時空間上には存在していない。
 あなたの意識と記憶だけを残し、全くの別個体へと書き換えられている。
 もし強制的にあなたの姿を修復するとした場合、
 あなた自身を原子レベルから再構成しなければならないことになる。
 つまりはゼロから新しく個体を造りだすことと同義。
 不可能ではないが、推奨はできない。身体的にみても危険。
 それ以上に、本来の肉体と解離された状態にある意識や記憶に、
 致命的な障害が発生する可能性が否めない」

所々理解できないが一筋縄では元に戻れないということらしい。
どうして俺がこんなことになっちまうんだろうか。
それもこれもハルヒがモロに噛んでいることは俺だって解っちゃいるし、
その場に俺自身も立ち会い、半強制的とはいえ箱を預かったのも俺だけど、でも……。
もはや言葉も見つからず頭を振っていた俺に、古泉が付け加えてくる。

「勝手な推測で申し訳ないのですが、その箱を開くべき人物は、
 実のところあなたではなかったのかもしれません。
 でなければ何故、その……あなたの性別までもが挿げ変えられたのか、
 という点についての説明がつけられませんからね。
 なので本来は女性が使うべきものではなかったのかと。
 いや、それにしても。
 予め何かが起こるかもしれない可能性を知りながらも、
 それを放置していたのは僕の責任でしょう。申し訳ありません」

古泉の語調から伝わってくる微妙な気遣いが辛い。

33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 20:43:12.91 ID:VILP7rVm0

すべての発端は数日前に遡る。
俺たちはこの街から遠く離れた山のなかを歩いていた。
その動機は実に端的なものであり、
団長様の一声で行楽シーズンのピクニックと銘打たれ、
例によって例の如く古泉が適当な場所を見繕ってきたからである。

ただ一つ特別な点を挙げるとするならば、
その場所とは化石だかなんだかしらんが、
趣味で発掘を行っている人たちにとって有名な場所だったってことだ。
ここまで言えば後のことは語るまでもないだろう。
ちょうど、俺たちが通りかかったときにそういう人達を目にしたハルヒが、

「トリケラトプスでも埋まってんのかもしんないわっ!」

などと零し、俺たちまでそれに付き合わせられるはめになり、
どうせ徒労に終わるだろうと考えていた俺は木陰で寛いでいたのだが。

「なんか出てきたから、雑用係のくせにサボってたあんたが預かっておくように」

ぽんと手渡されたのが例の箱。
当然、ハルヒを除くSOS団員は警戒したさ。
あいつが掘り当てたのだからパンドラの箱くらいの代物かもとな。
だからこそ連日に渡って長門たちが調べていたというのに……。

34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 20:54:41.54 ID:VILP7rVm0

長門や古泉たちでさえ開けなかった。
終いには単なる四角い石ころなのではと言われるようになり、
団長の意向に沿う意味でも保管を頼まれた俺が所持するという形になっていた。
なのに現状はどうだ。
あれだけ開かなかった筈の箱が、こうも簡単に開いてしまった。
何故、俺には開けられたんだ?

「…………」

ふと、古泉の視線を感じた。

「何かわかったのか?」
「いえ、なにも」

古泉はツイと視線を逸らし、今度は長門をとらえる。

「長門さん、他になにかしらの発見はありませんか?」

36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 21:13:58.55 ID:VILP7rVm0

いまだに石造りの箱を眺めていた長門は、
魅入られでもしたかのように底のほうをじっと見つめ続けている。

「……長門?」

呼びかけると、緩慢な動作でこちらへと向き直った。
俺は何か不可解なものを覚えたのだが、
それを俺が訊ねるよりも早く長門は口をひらいた。

「この箱は不完全で不均衡な状態。
 歳月によって損壊したなどという詳細は、現時点において不明」

そして古泉。

「なるほど。いずれにせよ、欠けている状態ということですね。
 足すべき要素がほかにある。それを補うのは――」

俺、とでもいいたいのか。

「さあどうでしょう。
 しかし、それが誰かによって作られた装置だとするのならば、
 普通は逆方向に働く機能というのも備わっているはずでしょう?
 例えば部屋の電灯にしたって、スイッチを入れれば明るくなりますし、
 逆にスイッチを切れば機能は停止し、暗くなります。そういうことです」

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 21:31:35.74 ID:VILP7rVm0

箱を開いたことによって起きた変化を、
箱を閉じることによって鎮めるということなのだろうか。
確かに、道具としての機能面から考えればそうなるのかもしれないが。

「繋がった」

長門がつぶやく。
古泉と話していた俺がそちらを向くと、
長門が掌サイズの石箱のなかへ腕を突っ込んでいた。

「何やっているんだ? というよりそれ、どうやってんだ?」

返答なし。奇術にしちゃあ上出来すぎるその様。
そうこうしている間にも、長門は肩ほどまで腕を突っ込んでいく。
ガタガタと震える石箱との格闘。
やがて長門は何かを掴んだのか、一挙に引き抜くと、
まるで魚でも釣り上げたといわんばかりに何かぶっといものを手にしていた。

棒状の何か、というのはわかる。
今の俺が両手を広げたサイズ以上に長く、円周は握れるくらいであり、
片方の頭となる部分には、欠けたのか折れたのか刺々しい装飾が施されているようだ。
といっても全体が錆びついているのか泥に塗れているのか汚らしい。

「そりゃなんだ」

祭事に用いる杖のようにもみえるが。

41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 21:53:26.65 ID:VILP7rVm0

「車内では狭そうですね。降りましょうか」

古泉が言う。
車外の風景も、いつのまにか閑散としている。
というより鬱蒼としている。ちょっとした雑木林のようだ。
つくづく手際の良い奴である。

「大丈夫のようです、辺りには人気がありませんから」

古泉の言葉で後部座席のドアが開かれた。
丁寧なことに靴まで用意してくれている。
エスコートでもされている気分だな。

「おっとと、少し待ってくれ」

俺は外に降り立とうとしたのであるが、ぶかぶかの衣服が邪魔となり、
足元をロールアップして無理やり着こなすという作業に手間どってしまう。
そうこうしているうちにも陽が落ちてから冷たさを増した外気が、
車内との気温差も相まって俺の体温を奪っていく。

「やたら寒いのは気のせいか?」
「そうでしょうか。僕には程よく思えますが」
「服のサイズが合ってないせいかな――と、よし」

靴のサイズも合っていないが歩けないことはない。

「それで今から何をするんだ?」

46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 22:25:03.97 ID:VILP7rVm0

俺の問いかけに長門が回答する。

「可能な限り復元を試みる」

言うなり、何かを唱えだした。
言葉とは思えないテープの早回しのように口が動き、
それに応じるように汚らしかった杖が仄かな青光りに包まれる。
折れていた頭の飾り部分にも、熊手を思わせる爪が生えていく。
植物が成長する様子を20倍再生くらいにすればこうなるんだろうな。
で、待つこと六秒か七秒ほどだったのだろうか。

「終わった」

化学反応じみた光が消え失せ、辺りは再び鬱蒼とした暗がりに落ちた。
100年以上、雨ざらしにしていたような杖も、
今では鈍い赤銅色の柄を持ち、爪の部分はガラスのように透き通った、
イミテーションとしてそれなり値が付けられそうなくらいにはなっている。
それを差し出してくる長門。
よく観察してみると、先ほどよりも柄の長さが伸びている。
さらに柄の部分には蛇のようなものが巻きついている、エンボス加工のような装飾。

「やけに気味の悪い杖だな」

やや受け取るのには躊躇したのであるが、
長門の手が一向に引かれることはなかったので仕方なく手にすることにした。

49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 22:54:53.38 ID:VILP7rVm0

手にした瞬間。
ぱちんと何かが弾けた。
ゆらりと視界が滲んだ。
体の感覚が遠くへ吹き飛んでいくような虚脱感。
夜にしてはあまりにも昏く、
山にしてはあまりにも鎮かな場所。
だけどここって――。

「だいじょうぶ」

長門の声が耳元で聴こえた。
はっとして、俺は弛緩しきっていた両足に力を込める。

「悪い、立ち眩みだ。すまない」

抱きとめてくれいたのであろう長門から身を離す。
古泉も驚いているのか表情からは微笑が消えている。
不自然なことに一瞬完全に意識が飛んでいたのに、
杖だけはしっかりと俺の右手に握られていたままだった。
RPGでいうところの呪われた装備なのかもしれない、とふと思う。

クラクラと酸素欠乏症に似た頭を支えようと手をやり、そこで変化に気づく。
下半身が心もとない。
なんだこりゃと思って確認する。
それが解ってまたも立ち眩みを覚えた。今度は精神的な意味でだ。
氷解したぜ、古泉の驚いていた理由が。

「なんで俺がスカートなぞを穿いているんだよ」

53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 23:11:59.43 ID:VILP7rVm0

長門がいう。

「あなたが手にしているデバイスの効能。
 それにより時空間座標の相互固定化が促され、物質転移を助けた。
 一部分でしかなかった肉体の転移も、第二段階へと移行している」
「それで髪型も変わられたのですね」

古泉がさらりと重大なことを付け足したので、俺は慌てて身なりを確認した。
といっても鏡がないので触診だ。
頭に手をやってみると、なんだか髪が凄いことになってる感触がある。
それにプラスして後ろ髪が腰ほどまでに伸びているような。
というかちょっと待て。

「お前たちは俺を元に戻すために何かしらの作業をやってくれていたんじゃないのか?
 なのにどうして俺がファッションショーじみた真似をしなきゃならないんだ」
「お綺麗ですよ」
「あまりふざけないでくれ、こっちは死活問題なんだ」
「勘違いなさらないでください。こちらとて死活なんです。
 あの石箱が不完全だというのはお話ししましたよね?
 ということは段階的に機能を取り戻していくのは致し方ないわけです」

どこか納得がいかない。

「それよりどうですか、なにか身体的な変化などは?」

爽やかなに笑う古泉。
腹がたつが、やつの言うことにも一理あるのだと自分自身に言い聞かせる。

56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/20(日) 23:36:31.61 ID:VILP7rVm0

身体的な変化なんて数時間前から腐るほどあったさ。
そしてとうとう女装までしちまったわけだからな。
これ以上なんの変化があるっていうんだ――って、

「ここらの気温って急激に上がりでもしたのか?」
「いいえ、特に変わりは」

古泉が手を広げ、長門も首を振る。

「寒さが吹き飛んでいるような。
 それだけじゃないな、春の日差しのなかにいるような温かさを感じる」

まるで羽衣にでも包まれているような気分だ。
そういえば体も軽い。
一番初め、窓から飛び降りたときのように自重を全く感じない。
あれだ、あらゆる不快な感覚というものが完全にシャットアウトされ、
完璧なコンディションに保たれ、かつ体の芯から瑞々しい活力までもが湧いてくる。
悪い気分ではないけれど、それゆえに恐い。

「まさかとは思うが、妙なクスリみたいな効果があるんじゃないのか」
「そういうものではないと思――」

古泉の言葉を最後まで聞いているのが面倒だった。
じっとしているのが辛い。
酷く勿体なく思えてしまう。
今すぐにでも町内中を走りまわりたい気分だ。

俺は気持ちのやり場がわからずに杖を眺めた。
初めこそ気色悪いと思っていたはずのそれは、
改めてみると地球よりも美しい造形のように思えた。

59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 00:00:17.03 ID:VILP7rVm0

握りしめる。杖を。
握力だけでへし折ってしまうくらいに、強く、強くだ。
両手で杖のなかほどを持ち、捩じ切るように捻る。
カシャリ、と小気味いい駆動音が聴こえた。
杖の頭を飾っていた三枚のガラスのような爪が、
気づけば二枚、今度は左右対称に生えていた。
ツルハシのような形状。

「古泉一樹、離れ――」

誰かの声が聴こえた。
それを聞き取り理解するのも面倒だった。
両手でつかんだ杖が、強風に煽られているかのように震えだす。
それを腕の力で強引に抑え込む。
されど絶え間ない衝動までもは抑え込めそうにない。
叩き込みたい、振り抜きたい、ぶち壊したい、そんな律動。
ドクリドクリと心臓が脈打ち、リズムに合わせて意気が昂っていく。

決めた。
目の前でいい。
目の前にある鬱蒼とした雑木林が気に入らない。
標的を定めるなり腰溜めに構えた杖に、全神経を集中させる。
一気に振り抜いてやろう。フルスイングでだ。
確かな狙いをつていく。
同時進行で両手に力を込める。
杖に絡まっていた蔦がブチブチと千切れいくような感触が走った。
それが異常に心地いい。

「そんなもの――」

60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 00:01:19.86 ID:VILP7rVm0

魔法か性転換か本筋かのどれかに絞るべきだった
難しい

69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 01:21:42.97 ID:e69GsA2K0

全力で、何かを叫びながら振り抜いたはずだ。
自分でも何を言ったのか解らなかったはずだ。
ただ煩かったのだけは憶えている。
分厚い金属板を鋭利な刃物で斬り捨てるような、
悲鳴といっても差支えのない響きに耳が鳴ったのだから。
きっとそれは空間を切り裂く音だったのだろう。

杖を振り抜いてからも見据えていた。
眼前で暗澹たる雰囲気を醸していた雑木林をだ。
緩やかに隆起したような地形。
それの木々が薙ぎ倒されていく様を。
様相を喩えるなら素麺の山だった。
お椀一杯山盛りの白飯に、茹でてもいない素麺を数十本突き立て、
弱々しく茂っているそこを目掛けて渾身の力で包丁を振り抜いたかのように。

木々が飛び、枝葉が乱れ、土が舞い、山は消えた。

「ハァハァ……」

どさりどさりと地面に横たわってくる木々によって、
地面がひとつ揺れるたびに優越感と充足感が満たされていく。
代わりに、湧き上がってくるような衝動もなりを潜めていく。
杖の鳴動も、自身の鼓動も、抑えきれない律動も。
そのすべてが平時のバイオリズムへと戻りつつあるのを感じる。
そして目の前に拡がっていた光景を再認識してから、はたと我に返った。
所々で炎が燻っている、山火事あとのような惨状にだ。

「これ、私がやったのか?」

訊ねるべく、二人を探して振り返ると。

73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 01:45:58.17 ID:e69GsA2K0

「武器を収めて。チャージングモードを解除して」

長門から片掌を向けられていた。
古泉は長門の後ろに隠れているようだ。
やれやれ、こっちとは4〜5メートルは離れているんだから、
そんな危ないやつを監視するかのように警戒しなくともいいだろうに。
ところでなにやら言われているようだが、どうすりゃいいんだ。

「先ほどと同じように杖を操作すればいい」
「操作ってどのようにだ?」
「それはわたしには判らない。杖はあなたにしか扱えないもの。
 あなたが思うように扱えば、あなたが思うように働きかけるはず」

アバウトにもほどがあるだろうと思いつつも、
ついさっきの高揚感のなかで杖を捻っていたことに思い当たる。
なるほどそれかもしれないな。
てなわけで、適当に捻ってみると。

「おっと」

カシャリ、という駆動音と共に爪が内部へと引っ込んだ。
それとともに全長も半分ほどになったので、
公園などでジイさんに渡せば普通の杖としても重宝されることだろう。
さってと。

「これで何か新しい発見があったんだろう?
 だったら早いところ、私を元に戻す方法を探ろうぜ」

……あれ?

76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 02:00:31.42 ID:e69GsA2K0

ちょっと前から何かが変だ。
杖を振り抜いたあたりから記憶も飛び飛びだしな。
それで、えーと。
そうだ、一人称だ。

「俺、俺……私じゃなくて、俺……」

よしよし、これで元通りだ。
危ない危ない、これも体が変わっちまった弊害だろうか。
以後注意しておかねばな。

「まったく派手にやらかしたものですね」

長門の陰から古泉がでてきた。
右腕を押さえている。

「どうかしたのか?」
「とばっちりを食ってしまったようです。
 長門さんのお陰で大事には至らなかったようですがね」

するりと、ようやく長門が手をおろした。
安全だと判断したのだろう。古泉と長門が言葉をかわし始める。

「しかしどうしましょうか。雑木林が更地になってしまいました」
「こちらで手配はしておく。けれども次回のテストは場所を変えるべき」
「同感です。そうなると、おあつらえ向きの場所に心当たりはあります」

俺は蚊帳の外だ。

78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 02:16:26.70 ID:e69GsA2K0

古泉が向き直る。

「さて、本日の所はここらにしておきましょうか。
 現状は2.5段階目というところですし、上々だと思われます。
 初日から飛ばしすぎるとあなたも疲弊してしまわれるでしょうし、
 こちらとしても辺り一帯を荒野にされては困りものですからね。
 ところでその杖についてですが、固有名詞が欲しいところです。
 名前というものがあったほうが、後々の判別で困らないでしょうし」

どうですか、と俺へ訊ねてくる古泉。
名付け親にでもなれというのか。

「そうだな」

ポチ、じゃ犬だし、ジャミセン、じゃうちの猫の亜種だ。
ネーミングセンスにはあまり自信がない。
なら、こういう場合は状況から取ってつけるに限る。
この杖を発掘したのはハルヒで、それが石箱の中からでてきた。
箱、箱。オーパーツじみた意味不明な能力を持つ、箱。未知数。

「パンドラってのはどうだろう」

我ながら、なかなかにスマートだと思えた。

「……ふむ、そうきましたか。ふふっ。
 まさに箱を開けたあなたが持つに相応しい名前だと思います」

くっくっく、と古泉は何がおかしいのか一頻り笑い声をあげ、
俺は自身のネーミングセンスが拙かったのだろうかと気恥ずかしさに苛まれた。

84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 02:39:12.07 ID:e69GsA2K0

ところで、夜の蚊帳も降り切っているわけであるが、
俺はふと、自宅へ連絡を入れていなかったことを思いだした。
ということで二人へ解決策を求めたところ、古泉があっさりと答えた。

「既にあなたの携帯電話から外泊するという旨で、
 御両親のもとへとメールを送っておきましたよ。
 いやー便利なものですね、送信者が僕でも簡単に偽れて」

余計なことをと言いたいが、今回は助けられたな。
気が動転していて俺はまともな判断力も失っていたのだし。
俺の両親ならハルヒの突発合宿でさえスルーなのだから、
割と適当な理由でも暫くは問題なくやりすごせることだろう。

「で、実際の俺はどう過ごせばいい?」
「僕の所で……と言いたい所ではありますが、
 今のあなたは曲がりなりにも女性なんですし、
 また様々な諸問題の際にいち早く対応できる人の傍がいいでしょうね」
「となると?」

ぴっ、と古泉が隣を指差す。

「わたし」

なるほどね。確かに長門ならば安心できそうではあるが。
でも本心をいえば複雑だ。他人からみりゃ俺は女なんだろうけどさ。

「ふふ、あなたが覚悟すべきは夜が明けてからでしょうね。
 その体をどう偽りつつ、学校へ通うのかというのは見ものです」

よし長門、明日の天気を外出不可の台風にでもしてくれないか。

141 名前:>>84[] 投稿日:2009/09/21(月) 19:24:06.22 ID:e69GsA2K0

夜のドライブも散開の刻が近づいているようで、
遮光フィルム越しの風景も見慣れたものへと変わってきている。
その移動中に杖や状況から推察して解ったことであるが、
俺が手にしている俗称パンドラには、様々な機能が内包されているようだ。

現在のように爪が引っ込んでいる状態では俺の着衣に関する異相転換、
とかいう衣装交換状態も元へと戻るようで、髪の長さも背中ほどとなり、
現在の俺は元々身につけていたブカブカな男性服へと身を包んでいるわけだ。
それらについて納得できないでいた俺に、古泉が茶化すような解説をくれやがった。

「いわゆるの変身というやつですね。
 杖を手にすることで事を為すのに向いた衣装へとドレスアップするわけです。
 我々人間だって登校する際は制服ですし、自宅では私服、
 仕事へと赴かれる方々は作業着やスーツなど多様性に富んでおります。
 あなたの姿が変わるのも、そういうルールと似たようなものなのでしょう」

だったら姿形も完全に、元の俺へと戻ればいいのに。

「杖はあくまで衣装やエクステンションに関する補完扶助装置。
 となれば恐らく、肉体転位は『石箱』が受け持っていたんでしょうね。
 生憎その石箱が不完全なままなのでスイッチをオフにすることはできませんが。
 ほら、変身少女ものでドレスアップする際には必ず道具が必要でしょう?」

俺はそっちの話にゃ疎いんだ。ついてはいけないね。

「力をもつ杖を手にした少女。一般的呼称では魔法少女ってところですかね」

珍しく愉快そうな表情を露わにする古泉を、俺は無視することにした。
無言で窓外を眺めていると、通行人を見かけるたびに冷汗が流れるのも相変わらず。
やがて俺たちを運んでいた車が停まった場所は、長門が住む高級分譲マンション前であった。

143 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 19:47:42.67 ID:e69GsA2K0

「長門さん、護送は頼めますよね」

古泉が指示らしきものを下して先に降車する。
俺は長門をうかがった。
部屋まで行くにしても他人の眼に対する恐怖が拭えない。
けれどもやはり、こういう状況での長門は頼りになる。

「わたしの手を握っていて。フィールドを展開する」

フィールド。ずっと前の世界事変時に経験したのと似たものかな。
いずれにせよ俺に選択権はないようだけど、
差し出された長門の手、それを掴むのは、なんかこう。

「離してはだめ」
「……了解」

見かねたのか長門の方から掴んできた。柔らかい。
周りからみれば仲の良い友人って関係なのだろうが、まあ、うん。
さて、身体的な変化は特にないが、視界が僅かに彩られている気がする。
シャボン玉の膜を通して景色を見ているような状態。

「奇妙な光景だな」

俺が言うとドアを開こうとしていた長門がそれを中断させ、訊ねてきた。

「みえてる?」
「ああ、薄い膜みたいなものがな。それがどうかしたのか」
「…………」

黙り込んでしまった長門に引かれ、俺も車を降りる。

145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 20:00:54.44 ID:e69GsA2K0

杖の効果か外気の暗い冷たさも感じない。
俺が辺りの風景を見まわしていると、古泉が片眉をあげた。

「彼女はお隣りでしょうか?」
「わたしの隣」
「さすがは長門さんですね。それならば問題もないことでしょう」

それから執事なみに馬鹿丁寧なお辞儀をし、

「僕の役目はここまでです。
 あとは担当の者へ引き継がせてありますので。
 長門さん、彼女をよろしくお願いしますね」

では、と車内へ戻っていく。
引際のいいやつである。
いつの間にか俺の代名詞が彼女になっているのに対し、
ひとつ抗議でもしてやりたいと考えていたのに。
まあいいか、肉体が妙なことになってから助けられたのは事実だ。

「サンキュー。マジで感謝してるからな」
「いえいえ、これも役目ですから」

車が走り去る直前、古泉は華麗にウィンクを残したので、
俺は寒気とともに前言を撤回するべきかを本気で悩まなければならなかった。

148 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 20:28:49.56 ID:e69GsA2K0

長門の部屋を目指す道中、マンション管理人や通行人、計二人とすれ違った。
そのたびに襲われる、まるで眼前1ミリメートル先に、
アイスピックでも向けられているような本能へと訴える恐怖。
そんな俺が眼を閉じているあいだにも、長門がそそくさと先導してくれる。
部屋についたらまず謝ろう。
握っていた長門の手には、きっと跡が残っているのだろうから。
しかし俺の算段も、長門の部屋に足を踏み入れた瞬間吹き飛んだ。

「お待ちしておりました。
 古泉に引き続き、わたしが身辺のお世話を担わさせていただきます」

メイド服の端をちょいとつまむ、この人は――、

「森さん、でしたよね」
「さようでございます」

本職メイドと見紛うような柔らかい笑み。
古泉のやつ、引き継ぎってこういうことかよ。

「勇み足かもしれませんが、さっそく必要物品類の説明に移りたいと思うのですが。
 なにせ明日までの時間もそうないようですし、
 あなた様もかのように不安定な状態では過ごしにくいかと推察します」

森さんが宣言するなり俺はあれよあれよと部屋の奥へと連れ込まれ、
今から何がはじまるのかと不安がっていたところ、
森さんは至って真剣な様子で用意していた女物の衣服を着せてくる。
ついでに、同時進行での採寸も兼ねているのか、
あーだこーだと着せ替え人形よろしく俺は弄ばれ続けるはめとなった。

覚悟はしていたが、これから先が思いやられそうだ。

152 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 20:50:52.62 ID:e69GsA2K0

ひと段落がついたのは、小一時間後のことである。
組んず解れつな格闘をようやくして制した俺は、
森さんが用意してくれた夕食にしては遅すぎるそれを前に座っている。
もちろん長門もだ。
森さんは別で食べていたのか、システムキッチンにいらっしゃるようであるが。

「いただきます」

一般家庭では口にできないであろう豪勢な食事。
その味は、かつての旅行劇のさなかにも味わい、保障されていた――はずなのに。

「どうかなさいましたか?」

俺の箸が止まっていたのを気にしたのか、森さんが声をかけてくる。

「いえ、その。そうですね。
 失礼なことを訊ねるのかもしれませんが、味付けはどのように?」

俺の質問に嫌な顔ひとつせずに森さんはスラスラと答えていき、
それらの要素から連想できる料理の出来栄えを俺も脳裏に描いていく。
しかしそれは、どう考えてもこの料理の味には繋がらなかった。
どうしてこうも、この料理には味がないのだろうか。
柔らかいはずなのに食感がない。コクがあるはずなのに水よりも淡泊。
無味乾燥。それだけで筆舌に尽きる夕食。

「すみません。ちょっと疲れているみたいで、入りそうにないです」

申し訳ないと俺が森さんに頭をさげるなか、
長門は不思議な顔をしながら、それを平らげていった。

156 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 21:07:42.21 ID:e69GsA2K0

結局、添えつけの卵スープだけを啜って夕食終了。
俺としては食べ物を粗末にするのは憚られるのであるが、
喩えるなら満腹状態の人間に無理やりフランスパンを食わせているように、
俺の胃袋が、俺の身体が、それを受け付けることはなかった。
スープだけでもと啜ったのは、あくまで森さんに対する体面のためだ。
たったそれだけでも既に苦しい。吐き気すら感じる。

「お気になさらず。身体が慣れていないのでしょうから」

森さんは素気なく言って手際よく皿を片付けはじめ、
その途中でもう一言を付け足した。

「お風呂も沸かしてありますので、お疲れを流されてはいかがでしょうか」

そうですね、と答えようとして思いとどまる。
ちょっと待て、俺はこのアレでソウしろってことなのか?
確かに何度も冷汗を掻いていたので汗を流したいのはやまやまではあるが。

「あの」
「駄目ですよ。女の子なんですから、ね?」

長門、俺はどうすればいい。

「不潔にしておくのは推奨できない。はいるべき」

……はい。

159 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 21:26:43.90 ID:e69GsA2K0

ひょっとすると森さんってそういう世話が好きな人なのだろうか。
と、俺は手渡された女物のネグリジェや下着類を眺めつつ考えている。
押し込まれるように風呂場へと閉じ込められてしまえば、
このまま踵を返したところで無限のループを繰り返すだけにしかならない。

「やれやれ」

なんだよこの、ヒラッヒラした下着は。パンツは。俺に着ろってのか?
首を振った俺の視界の隅に、ちらと鏡が映りこんだ。
いかに長門の部屋には調度品がないといえど、
こういう場所には必要不可欠なようで、
バスルームにはしっかと大きな壁鏡が備え付けられている。

心臓が高鳴ってくる。
少々、恐い。そして恐いものみたさという好奇心に心が揺れる。

思えば俺は、自分の姿をまじまじと観察する機会に恵まれなかった。
一番初めに異変に巻き込まれた直後の自室では恐慌状態だったし、
それからあとは鏡がない場所ばかりを移動したというのに加えて、
夜の帳が降り切っているという非常に視野が利かない状態であった。

だが、すぐそこには鏡。
それを脱衣所のランプが橙色に照らしている。
足が竦みそうになる。
自分が自分でないと理解したとき、平静でいられるだろうか。

「だいじょぶだいじょぶだいじょぶだいじょぶ……」

男なんだろ俺は。
覚悟、決めなきゃな。

169 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 21:54:56.24 ID:e69GsA2K0

そろりそろりと歩を進める。
鏡の端に肩が映った。明らかに『俺』という男の身長ではない。
もう一歩だけ進める。
鏡の端に髪が映った。明らかに『俺』という男の長さではない。
さらにすり足で進める。
鏡の端に輪郭が映った。明らかに『俺』という男の硬さではない。

「俺は、俺だっ!」

そして一挙に躍り出る。
鏡に映り込んだ見慣れぬ姿も、覚悟を決めたのか対面してきやがった。

睨みあい。

服装だけ見れば、いつもの俺だった。
カジュアルなコートに今でこそロールアップしているボトムス。
けれどもどう見ても、それは、俺ではなかった。
一連の騒ぎで乱れたのであろう髪は背中ほどまで伸びており、
ほっそりとした輪郭や、小さな唇などはどう穿ってみても女性のそれ。
どこか幼さがあるせいか、朝比奈さんに似た緩い包容力すら感じられる始末。
加えて俺の困惑した表情がそうさせるのか、
冷たそうな眦は、相反した大人っぽさを湛えている。

何より全体的に整った顔立ちが、俺には絶大的に似つかわしくなかった。

「お前……誰だよ、誰なんだよ?」

応えちゃくれない。
鏡のなかの『彼女』も、俺へと同じ疑問を投げかけてくる。
わかっちゃいたが、この邂逅は相当にショックだった。

191 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 22:17:37.51 ID:e69GsA2K0

「背中、流しましょうか?」

背後の扉を隔てた先から森さんの声が聴こえた。
あれから暫く放心状態に陥っていた俺は、

「結構です! 自分でできますからっ!」

慌てて返答し、脱衣所の鍵を確認した。
扉のむこうからは楽しげに微笑む声が漏れている。
もしかすると俺のことを気遣ってくれているのかもしれない。

「はぁ」

溜息がもれる。
考えても仕方がないか。
パンドラなりパンドラボックスなりが直るまでの辛抱だ。
そこまでの肉体。それまでの付き合い。
長い人生という観点から思案すれば、偶にはこういうこともあるだろうさ。
宇宙的規模で考えてもみろ。
俺なんて塵のような太陽系の片隅の地球という星の一国のさらに――。
俺はスケールのでかいことを考えてショックを紛らわせることにした。

一通りの論理展開で心を落ち着けると、いそいそと服を脱ぎ始める。
自分の身体なせいか、或いは順応してきているせいか、
自分自身の裸体にドギマギするって感情はあまり湧かなかった。
胸が控えめなせいなのかもしれないけどな。

それでもやっぱり自分ではない自分を見るのは辛すぎて、
風呂場に備えつけられていた鏡にはタオルを掛け、何も映り込まないようにした。

198 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 22:41:51.12 ID:e69GsA2K0

長髪には慣れないせいか背中に触るそれが鬱陶しい。
洗うにしたって毛量が多いせいで作業が捗らず邪魔くさい。
そして自分自身と格闘すること十数分。
ようやく身体まで洗い終わり、湯船に浸かることができた。
やや熱めのお湯が、疲れをじかに吸い取っていく解放感。
俺はヘリに腕と顎を乗せてから、今日の出来事を回想していく。

ハルヒが発掘した謎の石箱。
調査段階では密封されており、決して開かなかったという箱。
最初こそ警戒されていたものの、やがては無害認定を受けた箱。
周りにまわって俺が受け取ることになった箱。
やがて紆余曲折の末に開いてしまい、俺はこうなってしまった。
開きっぱなしとなった石箱は現在も閉じられることなく、
さらには何処か異次元に繋がっているのか、長門が腕を突っ込んで探り。

「でてきたのが、パンドラか」

俺の独り言ちが風呂場特有のビブラートを孕んで降り注いでくる。
当然ながら、その声も全くもって馴染みのないものであった。
一般的には、自分の声を自分で正しく評価するのは難しい、
と言われているようではあるが、今回については100パーセント断言できる。

こんな透き通った声は俺の声じゃない。
例え裏声を使ったところで、絶対的に男にゃ無理な声質だ。

俺は湯船に顔を突っ込んだあと、蛇口を目一杯捻った。
どぼどぼと揺れる水面と、ごうごうと唸る水道管の音は、
室内の雑音や俺の呼吸音、果ては渦巻く葛藤を吹き飛ばしてくれるようだった。

204 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 23:01:12.75 ID:e69GsA2K0

風呂をあがるなり森さんに訊ねた。

「すいません、下着がたりてないみたいなんですが」
「はい? 手落ちがありましたでしょうか?」
「あのー、ほら……」

口にするのがつらく思え、自分の胸元を指差す。
すると把握してくれたのか森さんは明るく笑った。

「寝るときはつけないものなんですよ、一般的にはですけれどね。
 そうですね、喩えるのなら靴下を履いたまま眠るようなものなのでしょうか。
 勿論それはわたしなどがそう思うだけであって、必要であらばお出ししますが」

なら結構です、と俺は手を振った。
男のときには真裸でも気にならなかったのに、
コレになってからはどうしてこうも胸元が心許なく思えるんだろね。
と、森さんがハサミを手にしていることに気づく。
床には新聞紙が広げられ、その上には椅子というセッティング。なにをされる気で?

「髪を整えるべくと思いまして。伸びっぱなしでは勿体ないですからね」
「誰の?」
「あなた様のです」

……へ?

「身辺のことについて幇助するのが、わたくしめの責務ですから」
「まさかそれ、古泉の差し金なんかじゃないでしょうね」
「守秘義務というものもありますので、お答え致しかねます」

この時俺は、本気で自分が着せ替え人形なのかもしれないと思い始めていた。

211 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 23:16:41.43 ID:e69GsA2K0

「希望される髪型がありましたらお申し付けください」

との質問に対して咄嗟に答えることのできなかった俺は、
しかしこのまま黙っていると古泉色に染められるのではという危機感を覚え、

「ポニーテールで」

とだけ答えた。
俺の好みを自らで実践するとは妙なもんである。

「では全体的に梳いて整えますね」
「おねがいします」

目を閉じる。
ちゃきりちゃきりと規則正しい音には眠気を誘われてしまう。
風呂あがりの心地いい感触も相成れば尚更である。
思えば、今日は実にいろいろなことがあったのだ。
そろそろ限界というものが訪れてもいい頃合いだろう。

という、ある程度の認識はあったのだ。
そういう眠いなという認識は。
だが、俺が次に目を開いたとき、その場所は布団の上だった。
俺がボヤけている視界のなかで状況を見取ろうとしたところ、
長門と森さんらの心配するような眼差しが目にとびこんできた。

なにかあったのだろうか?

222 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 23:27:20.22 ID:e69GsA2K0

「だいじょうぶ」

長門からの抑揚なき問いかけ。

「ああ、問題ない」

いまいち状況がわからない。
俺は瞬き数度のあとで身を起こした。
されどその動作が非常に辛く、異様に重かった。
杖を手にしていた時とは真逆、自重が数倍かかっているような感覚。

「……身体が鉛のように重い」

呟く俺に森さんが教えてくれた。

「先ほど髪を整えていたのは憶えておいででしょうか。
 その途中からあなた様が眠られたようなので、
 わたしは構わず作業を続けていたのですが、
 それらが終わったことを伝えようとして肩を揺すりましたところ」

倒れた、ってわけか。
言われてみれば鬱陶しかった前髪も、
梳いてくれたお陰でさっぱりとしている。

「これを」

溜飲がくだらないでいた俺に長門がそれを差し出してきた。
いまでは全長1メートルほどとなっている、例の杖をだ。

230 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/21(月) 23:44:46.47 ID:e69GsA2K0

俺は、受け取った。

手にした途端、真夏の日差しのもとを吹き抜ける、
涼やかな風に包まれていくような心地よさを感じた。
重かった身体も、熱かった体温も、
その他すべての劣悪な体感覚が遥か彼方へと吹っ飛んでいき、
代わって日曜の早朝のようにゆったりとした気分が湧きあがってきた。

そうだ。たった一瞬で。
コンディションは万全に整えられた。

「へいき」

長門の質問に首肯する。

「そう」

それだけで終わりかと思えば、いきなり解説が加えられた。

「あなたは、あなたではない。
 今のあなたは意識だけが別個体と噛みあった全く別のあなた。
 本来ならば意識は固有の身体と共にあって然るべきもの。
 けれども今のあなたは、それがなせてはいない状態。解離。
 そして杖とは相互間物質転位を助ける扶助装置。
 現在、石箱を通した『あちら』には、あなた固有の肉体が収められている、
 と推測することができる。つまりは杖に触れるというのはそういうこと。
 定期的にあなたは杖に触れ、本来の肉体とリンクしなければならない。
 これらは、あなたに『彼女』を受け入れるだけのキャパシティが不足していることが原因」

ちょっと待ってくれ。咀嚼解説役の古泉がいないので時間をくれ。

248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/22(火) 00:04:20.79 ID:b5pepmXt0

「となりますと目下のところは杖を手放さないほうがよい、
 との解釈でよろしいんでしょうか? あまりに大雑把ではありますが」

森さんが古泉役を担ってくれるようだ。
立ち場を判断した俺は、その森さんに訊ねる。

「長門のいうキャパシティとかは……?」

古泉が相手ではないので些かやりにくいが、森さんは構わず解説する。

「喩えればそうですね。
 何世代も前の真空管コンピュータを御想像ください。
 そこに最新式のオペレーティング・システムをインストールするとしましょう。
 この場合にどういう結果が招かれるのかというのはお解りになりますでしょうか」

動かないでしょうね。

「まさしくその通りでございます。
 古泉のほうからの連絡でしか存じてはいないのですが、
 御話によればあなた様は先ほど山を吹き飛ばしになられたのですよね?」

はい、あまり自覚しちゃいませんが。

「そのような所業、一般の人間には到底不可能なことなんです。
 けれどそれをあなた様は可能とされている。紛れもなく自身の身体でです。
 問題はあなた様が有しておられる意識のほうが一般人という部分であって、
 つまりは不釣り合いで、かつ肉体と精神が不安定だという状態も重なって、
 現在のように倒れられたということになります。だからキャパシティが足りていない、と」

お粗末な読解ですが、と森さん。

254 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/22(火) 00:18:52.22 ID:b5pepmXt0

俺は手にした杖をじっと眺めた。
相互間物質なんたら機能を持ち、
それによって変身だかなんだかをも可能とする杖。
その変身ってのが遠くにいる何か、ないし誰かと交代しているわけで、
しかし中途半端な状態なのでこんなことになっている――ってことは、

「今の俺は異世界人ってことになるのか?」

懐かしきキーワードを口にすると、

「便宜上は極めてそれに近い」

長門がこくりと頷く。
とうとう俺も一般人ではなくなっちまったのか。
いや、俺ではない俺なのだからギリでセーフともいえる。
で、異世界への扉、仮称パンドラボックスを開いたのが俺。
硬く閉ざされた扉を開く……『鍵』か。この俺が。
でも、どちらかというとヒーローにしてくれりゃあ良かったのに。

「俺はどうすればいいんだ?」

割りかし切なる願いをこめた質問。
残念なことに、長門は答えちゃくれなかった。
恐らく答えることができなかったのかもしれない。

256 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/22(火) 00:31:22.69 ID:b5pepmXt0

沈黙が生じる。
それを破ったのは森さんだった。

「深刻な事態なのかもしれませんが、
 深く考え込みすぎるのは良くないことです。
 焦ったところでよき方向へと転がることなんて、
 わたくしめの経験上一度足りともありませんから」

失礼、ですぎたことを申しました、との森さん。
彼女をみているとムードメーカーとしても一流だなと思えた。
俺もふっと息を吐く。
考えたってしょうがない、なるようになれだ。

「よいしょっと」

俺は布団から立ちあがった。
二人が動揺したようにもみえたが、
俺が平気だとわかるなり何も言わずに口を閉じてくれた。
さてと、森さんのお陰で首筋を刺していた髪も、
さらりと柔らかい流れるようなものへと変貌しているわけだ。
気分も上々。こういう立ち位置も悪くはないさ。

「すこしばかり杖を調べてみる。なにか解るかもしれないしな」

そして俺は、パンドラを捻った。

58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/22(火) 22:59:30.33 ID:b5pepmXt0

ひょんなことからハルヒによって発掘された石箱。
煩雑とした理由からそれの保管を任されていた俺は、
SOS団メンバーからの諸注意があったにも拘わらず、
それを軽視してしまったが為に石箱を開いてしまった。
妙な違和感をおぼえた俺が鏡の前に立ってみると――。

「身体が変わってしまった!」

どういう訳かこの姿を他人に視られるのが怖くてたまらない。
すぐさま助けを求めて古泉へと連絡を寄越すと、
様々な話を聞かされると同時に駆け付けてくれた長門も連れ、
俺は鬱蒼とした雑木林まで運ばれていった。
長門によると石箱は別次元的な何かと繋がっているらしく、
俺の肉体はあっちとこっちでごっちゃ混ぜになっていると告げ、
身体がもとに戻らないのは石箱が欠損状態にあるからだという。
一連の推察を寄越しつつも長門は石箱のなかに探りをいれ、
どうやったのか向こう側にあった物質、『杖』のような何かを取り出し、
同じ箱からでてきたアイテムってことで俺が所有する手筈となったのだが……。

杖を手渡された俺はどうしようもない衝動に駆られ、
なかば意識を失った状態で絶叫をあげながらひと暴れしたらしく、
気づいたときには眼前にあった雑木林をまるごと更地へと変えちまっていたのだ。
どうやら杖が今回の事態に噛んでいると悟った俺たちは、
オーパーツじみた石箱からでてきたってことで、それを『パンドラ』と名づけ、
欠損状態にある箱をどうにかするには杖や『俺』についての情報が必要だとのことから、
俺は身体を取り戻すことを主軸に据え、杖と寝食を共にする覚悟をしなければならなかった。
一定期ごとにパンドラに触れなければ『俺』の身体が持たないとの理由もあったからな。

さて、要約すれば男だったはずの『俺』が、女という『俺』になったって話だが。
やれやれ。どうなることかね。

72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/22(火) 23:18:52.65 ID:b5pepmXt0

「あの、だいじょうぶですか?」

唐突に声が聴こえた。
ぼーっとしていた俺は、ぼんやりと相手をとらえる。

「……ええ、大丈夫です。先ほどまで寝ていましたからね。
 寝起きってことで、すこしばかり出来事を思い返していただけです」

森さんへと告げてから俺は辺りを見回した。
ここは長門が住んでいるマンションであり、
身体が変わっちまった俺の身辺幇助って名目で、
古泉がよこしてきた相手が森さんであったワケだな。
俺は一般人に正体を晒してはならいってルールがあるらしいし、
どちらにせよこんな身体じゃ自宅では生活できない。
とのことから俺は長門のところへお世話になっているってワケだ。

で、現在時刻は夜分。
風呂をいただいた俺が森さんに髪を切り揃えて貰っていた最中、
突然、倒れてしまったのでこうやって寝室に運び込まれており、
一定期ごとにパンドラに触れなければならないと告げられ、

「なら、杖を調べれば何かわかることもあるかもしれない」

と俺が返答し……今現在、両手でパンドラを持って突っ立っているのか。
そうだ、そうだった。そういうことだったな。
俺としたことが不覚にも寝起きで呆けちまってたぜ。

「それじゃあとりあえず、やってみるか」

そのように呟き、俺は杖を捻った。

76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/22(火) 23:37:19.32 ID:b5pepmXt0

カシャリ、という小気味いい駆動音。
同時に酷い立ち眩みに襲われ流れ消えゆく、音に視界に体感覚。
どこか遠いところへと吹っ飛ばされていくような、杳とした脱力感。

「ちきしょっ――!」

予め覚悟はしていたので気力を振り絞る。
意識を保とうと画策する。そして。
昏かった視界が蛍光灯の光で染めあげられた時、眼前には床が迫っていた。
慌てて片足をさしだし、地を踏み抜く勢いで態勢を整えようとする。

結果、全力で地面を踏みつけた形。
なのに足の裏には僅かな衝撃しか伝わってこなかった。
まるで体全体が高度な緩衝材にでも包まれているようにだ。
さらには、なにかに守られているのか、なにかに力を与えられているのか、
摘みたてのトマトを絞った時のように、全身から瑞々しいまでの活力が湧いてくる。
身体は羽毛よりも軽い。今なら空さえも飛べるのかもしれない。

「あれっ?」

杖を確認しようとして、衣服が変わっていることに気づいた。
さっきまでネグリジェを着ていたはずなのにな。
背中に手をやってみると髪も腰ほどまで伸びているようだ。
頭のほうもアクセサリだかなんだかが凄いことになっていそうだし、
妙に短いスカートとかコスプレとしか思えないカラフルな衣装などなど、
突っ込みたい部分は山ほどあるのだが、そんなものより調べるべきは杖の方だろう。

使い方を把握しておかないとあの時みたいに、
衝動的にぶっ放してしまう危険性があるんだろうからな。
これから暫く持ち歩かなくちゃならないんだ、特性は知っておきたい。

79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/22(火) 23:51:14.51 ID:b5pepmXt0

ってなわけで慎重に杖の観察をはじめる。
杖の全長は2メートル程度。
鈍い赤銅色の柄には蛇のような装飾が絡みついており、
杖頭には透き通った、三本の熊手状の爪が生えている状態。
精神的には例の衝動的ななにかを感じるわけでもなく、
非常にゆったりと、適温の水中にいるように落ち着いていられる。
これは待機状態、アイドリングモードだろうか。
杖の形状から適当にクローとでも仮称しておく。

「確か、もう一回捻ったら杖の形が変わったんだよな?」

訊ねると長門が小さく肯定した。
あの時の記憶がぼんやりと蘇ってくる。
これ以上、杖に触っているのは危ないのかもしれない。
とはいえ、危ないものを持ち歩くからこそ調べておく必要性もある。
どうするべきか、と長門を頼ると。

「わたしはいつでも構わない。
 もとより判断材料を得るには試行が最重要。
 遅かれ早かれ試行する必要があるのならば早いほうがいい」

ゴーサインもだされたわけか。
恐いものがあるが、だからこそやらなければならない。

85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 00:12:32.87 ID:Wncf9ZBp0

念慮して長門へと言付けておく。

「悪いけどひとつ頼みがあるんだ。
 またもや杖をぶっ放しそうになったら、即座に杖を奪ってくれ。
 ぶん殴ってもぶっ飛ばしてくれても構わない、周りの被害だけは抑えてほしい」
「わかった」

心強い返答を貰うなり杖の中ほどを両手で持ち、力任せに捻る。
カシャリ、という御馴染の駆動音。今度は立ち眩みを感じなかった。
察するにアレは、変身するとき限定のもののようだ。
杖の形状はというと柄が少し伸び、爪も二本、左右対称のツルハシ状となっている。
長門いわくチャージングモード。適当にピックとでも仮称しと――。

どくり、と脈動を感じ、ぞくり、と律動に襲われた。
一呼吸のたびに一鼓動のたびに沁みいるように意気が昂っていく。
走りたいような、叫びたいような、壊したいような。
発散することだけを前提とした刹那的衝動。耐えがたい焦燥。
平静を保とうとする意志と反して、冷静に壊そうとする意気が蠢きだす。
まるで辺りの空気に甘美な媚薬でも忍ばされたのかといわんばりに、
その状態から抜け出すことができない。求めないことが選べない。

杖を捻らなくちゃ、な。

と思っているはずなのに身体がいうことをきいてはくれない。抗えない。
酷く勿体なかった。これを手放してしまうのが。ここでやめてしまうのが。
このまま両手に力を込めて、狙いを付けて、ひと思いに振り抜いてやりたい。

抑止しようとはしているのに、ぎりりと視線が滑っていく。
両手が力む、身体が火照る、発散すべき対象を求めていく。
全くもってあのときと同様だった。無作為に辺りを見回しはじめ――。

97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 00:41:40.58 ID:Wncf9ZBp0

気に入らないな。

それと眼があったときにはパンドラを振り抜いていた。
私は何かを叫び、相手は何かを喚いたように思えた。
悲鳴のような唸りとマグネシウムが燃焼するときのような閃光。
景色が白一色に洗われ、やや遅れて残光で焼きつく視界が拡がった。

これで満足できるはずだった。
これで元に戻せるはずだった。
けれどもそれは叶わなかった。
掌を向けているあいつが、隣のそいつを隠しやがったからだ。
それにくわえて地面に壁に天井に、
すべてが直線の交差だけで描かれた、広大な白黒世界へと引き込みやがった。
眩暈のするくらい整然とした風景。気に入らない。全く、すべてが気に入らない。

「パーソナルネーム――」

あいつがごちゃりと言葉を紡ぐ。
オッケーぐちゃりと潰してやるよ。
肚を決めるなり標的を見据えて狙いを絞っていく。
面倒な呪文を唱えられる前に仕掛けるべきだろう。
この間合いなら、水素よりも軽い身体を以てすれば瞬きひとつでもお釣りがくる。

「そういや恨みもあったっけ」

算段を立てるより早く背を蹴った。水平への跳躍で標的との距離を詰める。
同時にパンドラを握る両手に全霊を込めて、ぐるりと捻り込んでやった。
カシャリ、と返答がよこされ柄の伸長とともに水晶刃が一本、杖頭から飛び出してくる。
斧槍形態、ハルバード。非常に柄の長いナイフ兼ヤリのようなものだ。
昔あいつと似たようなやつからナイフで刺されたこともあった。なら、同じ痛みをくれてやろう。

110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 01:24:14.85 ID:Wncf9ZBp0

察するに、よほど驚いたのだろうな。
常日頃から無表情で通してきたあいつも、
瞬間的に目前まで迫られれば眉のひとつくらいは動かすようだ。
こりゃいいものが見れた。できればもっとよく見たい。
だったらその表情のまま、すっぱ抜いてやろう。

衝動を杖へと注ぎこむとギリギリと軋みがあがった。
紙粘土を握りつぶすように馴染みくる杖のグリップ感。
それを堪能する間もなく、叩きつけるように全身で振るってやる。
相手の首元めがけて喰らいついていくパンドラの柄が、
推力によって歪曲しているのが視界の隅に映り、
空間を切り裂く艶めかしい感触も、嬌声も、鳴動をとおして伝わってくる。

やれると思った。とれたと思った。けれどそうはいなかった。
水晶刃によって相手の横髪を数本ばかし掠め取れただけだ。

「武器を収めて。この空間はわたしの情報――」

空間跳躍でもやりやがったのか声が背後から注いできた。
聴きとるのも面倒なので振り返るなり答える。

「やなこった」
「ならば実力行使も厭えない。これはあなた自身との取り決め」

またもあいつが何かを唱えだしたので、俺はそれを待つことにした。
やがて欠伸をし終わる頃には相手の呪文が成立したのか、
周囲には煌めく無数の光糸が出現し、
終わりのない空をキラキラと鬱陶しくもデコレートしてくれている。
なるほどね。いつぞやの委員長の金縛りと同じ手で拘束しようってワケかい。
だけどそういうのは見えちゃう相手にゃ通用しないと思うけど。

114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 01:50:29.71 ID:Wncf9ZBp0

数年放置された廃屋を飾る蜘蛛の巣よろしく、
縦横無尽に張り巡らされた光糸の出所を探っていく。

所詮は糸。
一本の線が連なった連結体。
蜘蛛の巣と同じで重要な接合部を切り裂けば容易く崩せる。
それとも糸のほうではなく、
それを創りだしている蜘蛛のほうを駆除するべきだろうか。

私は十数メートルほどの位置にいる相手を睨み、
しかしやめておいたほうがいいなと俺は考え直した。
やっぱり糸だ。そっちのほうが鬱陶しくて気に入らない。

解体すべき目標を見定めるなり、杖の形状をピックへと変える。
待っていたぜといわんばかりに杖も応えてくれ、
震えすら覚えるほどの陶酔感で心胆が溢れそうになる。
だけど惚けちゃいられない。
糸に絡めとられて身動きが封じられれば面倒そうだ。
などという若干の躊躇が仇となったのだろう。

「拘束する」

相手が直立不動からのサイドスローのごとく腕を振り抜いた。
完全に先手をとられた形。
呼応するように私を取り囲んでいた蜘蛛糸も、
まるで糸に絡めとられた獲物を漁りくる蜘蛛子たちのように迫り、
ただでさえ狭かったこちらの行動可能半径が収束しだしていく。

反応が遅れた――とはいえ。
なんら問題などないんだけどね。

118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 02:08:24.69 ID:Wncf9ZBp0

杖の持ち手をなかほどへと滑らせ、
頭上へ掲げるのと同時に拒絶の意をこめて捻る。
カシャリ、と水晶刃が三本に増え、
春風に浚われているような心地よい感触に肢体が包まれた。
やれやれ、パンドラにあまり負荷をかけないでくれ。
情報操作だか空間改竄だかはしれないが、

「そんなデタラメ認めない」

言うなり俺の周りを虹色の幕が覆い尽くし、
下賤な蜘蛛糸はそれに触れたそばから、
ストーブに落ちた水滴のような悲鳴を残して蒸発していく。
これは暫く前、長門に手を引かれていたときのものを、
自分なりに応用して扱った付け焼刃的な策であったのだが、
どうやら上手くいってくれたようだな。

「……うん?」

って、どうして俺はそんなことをやらなきゃならんのだ。
七面倒臭いあの手この手と杖を振り回して、
長門相手に時代劇風近未来アクションを演じるなんて。
ふと生じた疑問によって、俺はパンドラを眺めてみる。
変身するときに用いるクロー形状となっているようではあるが、はて。
かのように困惑していた俺の耳に、長門の声がとびこんできた。

「これでテストを終える」

直後、バチッとした衝撃が手首に走ったために俺はパンドラを取り落とし、
木なのか石なのか金属なのかよくわからない地面で杖が跳ねた。

124 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 02:30:04.01 ID:Wncf9ZBp0

何事かと掴めないでいた俺をよそに、
ワイアフレームで創られていた世界が滲んでは溶けていく。
白と黒という眩暈のするような配色であったそれも、
徐々に自然味溢れるものへと姿形を変えていき、
俺が荒れた呼吸を数度ほど繰り返したあとには完全に、
長門が住んでいるマンションの一室へと変貌していた。

「なにがどうなってるんだ?」

先ほどまで寝室にいたような憶えがあるのに、
いつのまにかネグリジェ姿でダイニングルームのテーブル上に突っ立っている。
パンドラも全長1メートル程度のロッド形態で、足元に転がっているようだ。

「古泉から伺ってはいたのですが、これはまた随分とじゃじゃ馬さんなんですね」

ひょっこりと現れた森さんが杖を拾いあげ、

「はい。落し物ですよ」

手渡してくる。この状況、そしてまたも曖昧な記憶。
仄かにも身体に残っている高揚感の残滓。

「俺はまた暴れちまったのか?」

手を焼いてくれたであろう長門へと訊ねると。

「それなりに」

短い返答。
溜息が混じっていたような気がするのは、俺の気のせいだろうか。

134 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 02:48:27.48 ID:Wncf9ZBp0

そういえばと思いだす。
俺は確か森さんへ向かって杖を振り抜いていたような。
冷静になってくるにつれて記憶も繋がってきた。
こりゃ大変なことをしちまったんじゃないのか。

「すみません、森さんに危害を加えるつもりはなかったんです」

俺が頭をさげると森さんは気に病むようすもなく微笑み、

「古泉も言っていたでしょう?
 諸問題の際にいち早く対応できる人の傍がいいでしょうね、と。
 こちらもその程度の覚悟はできていましたし、それに」

森さんがちらと長門へ視線をよこすと、

「予め杖には制圧用の因子を仕掛けておいた。
 制御空間も同じこと。だから、わたしはいつでもいいと答えた。
 限定空間に引き込めさえすれば、わたしには場所など関係のないこと」

制圧用?
言われてみれば腕が痺れている。
先ほどの電気ショックみたいなやつだろうか。

「ところで……」

はい、なんでしょう?

「あなた様は、カラーコンタクトレンズをお使いで?」

141 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 03:00:46.03 ID:Wncf9ZBp0

一体どういう意図を持っての質問なのだろうか。
首を捻ったことで疑念が伝わったのだろう、
森さんはメイド服のポケットを改め、手鏡をだしてくれた。
覗き込んでみる。

「ちょっと待て、どういうこった」

先ほど入浴する前に鏡を見たとき、
俺は自分の姿にそこまで違和感というものは覚えなかった。
いや、そりゃ驚愕はしたがあの程度で済んだのは、
あくまで一般認識的な範疇における女性の姿をしていたからだ。
ところが今、俺の目の前にある鏡に映っているやつの瞳は、
まるで若々しい朝顔から絞り出したようなヴァイレットに染まっている。
さっきまでの俺とはどう考えても異なる虹彩だ。

「俺が寝ているあいだに何かしたのか?」

長門へと訊ねるが、長門は首を横に振るだけ。
ということは自然発生的にこうなっちまったってことになる。
それも希少色とされる色にだ。

「訳がわからん……」

150 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 03:27:09.31 ID:Wncf9ZBp0

間断なく不可思議な事態に見舞われてしまえば、
俺のような元一般人にはなす術などありはしない。
できるのはせいぜい、
頭を掻き毟り諦観という形での反抗心をみせるくらいだ。

そんな俺があてもなく視線を泳がすと、長門の頬に妙な色をみつけた。
俺の瞳にも勝る妙な色。日常生活とは程遠いそれ。
真赤。紛れもなく血の色だと直感する。
側頭部あたりから垂れているようで、見ている間についと顎まで伝わり、
膨らんだ水滴が左頬から零れ落ちそうになっていた。
俺が斬りつけたときのものなのだろう。

「すまん長門。だいじょうぶか、それ」

言われて気付いたのか、長門が手をやって確認する。
自らの手についた血を不思議そうに眺めてから。

「へいき」
「それは治せないのか?」

しばし集中するように動作を止める長門だったが。

「この場での修復は不可と判断される。
 損傷個所が修復命令を受け付けない。
 あなたの杖には対情報素子用の解離因子が、
 塗布される形で施されているとみられる」

一旦の間をおいて。

「ゆえに、濫りに杖を抜き出すのは危険と判断される」

155 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 03:45:00.75 ID:Wncf9ZBp0

何かどんどん不味い方向へと事態が進展しているような気がする。
断崖絶壁に向かって猛ダッシュしているような、
或いは袋小路へと逃げ込んでいるような、焦燥感。
俺の身体を取り戻すには杖やら石箱やらの特性解明が必須らしいのに、
それのテストを重ねるたびに俺の暴挙が激しさを増し、
俺自身や、何より周りの人達の状態が悪化していく現状。

そもそも何のためにだ。
何のために、こんな力を秘めた杖や箱が創られたのだ。
手当たり次第に標的を探してはそれをぶっ壊すことだけに興を注ぎ、
終わったら終わったで恐怖や後悔だけが俺へと圧し掛かってくる。

「この調子でいけば、いずれ誰かを……」

俺は言葉を切った。
口にだすのも憚られたからだ。
時刻も深夜、とっくに街は寝静まっている。
そんななかで俺たちだけが頭を抱えている。

室内にはお通夜ムードが到来していた。
しかしそれを払ってくれたのは、ムードメーカーの森さんだった。

「夜もだいぶ更けて参りました。
 疲れた体ではよい考えも浮かばないでしょうから、
 今夜はここらへんで就寝なされてはいかがでしょうか。
 お布団のほうも、わたしが用意させていただきますので。
 長門さまの手当ては、出来うる限りわたくしめが行ってみましょう」

そうですね、と俺は辛うじて答える。
この時ばかりは古泉の采配に心から感謝した。

162 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 04:01:41.80 ID:Wncf9ZBp0

深夜。
電灯が完璧に落とされた暗い寝室。
森さんと長門は打ち合わせがあるのか別の部屋で話あっているらしく、
俺はひとり布団のなかで、ぼーっと天井を眺めている。

寝付けなかった。
俺がパンドラとは切っても切れない身体である以上、
布団のなかにいるときでさえも手放すことはできないのだ。
喩えるならニトログリセリンを抱えながら横になっているようなもの。
精神的に疲れていようが眠るなんて以ての外。

「はぁ」

これで何度目の溜息かな。
数えるのも面倒なんで数えはしないけれど。

先が見えない。
前途多難なんてものじゃなさそうだ。
もしかしたらパンドラボックスを開いてしまった時点でもう……。

ぐるぐると回り続ける行き場のない思考。
それでも身体は疲れていたのか、やがて俺は眠りにおちた。

167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 04:14:12.16 ID:Wncf9ZBp0

不意打ち。

「おはようございますっ!」

サーっとカーテンの開かれる音。
途端に眩い朝日が差し込んでくる。
瞳孔が閉じ切っていた俺の眼には、
あまりにも眩しすぎたそれのせいで、
空を泳ぐように手をバタつかせながら声の主を探った。
やがて焦点が定まる。森さんだ。

「どうかしたんですか」
「どうかではありません。もう朝の六時四十五分です。
 そろそろ支度なさらないと学校に遅れてしまいますよ」

まだまだ余裕があるじゃないか。
起こした半身を重力に任せ、ペタリと布団に潜りこむ。

「だめですよ、女の子の支度には時間がかかるんですからね」

母親なみに優しげに言い聞かせる森さんであるが、
同時進行でやっていることは俺の掛け布団の剥ぎ取りだ。
この季節にそんなことをされたら寒くてたまらない。鬼だ。

「さあ起床いたしましょう。学生たるもの学業が本分です。
 朝食も用意してありますから、さあさあどうぞこちらへ」

言いつつ身なりからは想像もできないほどの凄い力で引っ張られ、
俺は躾の悪い飼い犬が受ける仕打ちのように床を滑っていった。

171 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 04:30:54.05 ID:Wncf9ZBp0

こうも森さんが強引ってことは、
さては古泉のやつ、日頃の恨み辛みを込めやがったな。

俺が寝起き特有の不機嫌さで推論を重ねようとしている間に、
身体は森さんの手によってテーブルの前に座らされた。
すると、無言で朝食を掻きこんでいる長門と眼が合う。

「おはよう」

俺がいうと長門は一瞬だけ手をとめ、

「おはよう」

再び昨夜のものと同程度に豪奢な朝食をつまんでいく。
いつみても度肝を抜かれるような大食漢ぷりは、
こと早朝という爽やかな時間帯であろうが遜色はないようだ。
さて、そんなことよりもだな。
訊ねなければならんだろう。

「俺はこの身体で学校へ通わなきゃならないのか?」

されど長門は無反応。
どうやら質問受付窓口は食事の時間帯だけ臨時休業となるようである。
代わりに答えてくれたのは俺の布団をベランダに干していた森さんだ。

「あなた様は高校生であられるのですから、
 しっかと学業をつとめるのは当然のことにございます。
 あなた様をご両親からお預かりしているわたくしめと致しましても、
 責任というものがありますゆえ、見過ごすわけにはいきませんので。
 御安心下さい。長門さまとの検討の結果、プランというものはございます」

176 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 04:50:23.77 ID:Wncf9ZBp0

プラン?

俺は思案しつつ用意されていたフレンチトーストをつまみ、
けれども砂のような味しかしなかったので即座に箸をおく。
仕方がないのでホットココアを啜ったところ、
こちらはまだ飲めないこともなかったのでちびちびと啜ることにした。
ベランダから帰ってきた森さんは快活に続ける。

「あなた様がお持ちの杖には、昨夜のテストの結果、
 いくらかの特別な機構があることがわかりました。
 そのうちのひとつは、長門さんの真似ができたという点です」

真似?
あの、しゃぼん玉のようなやつかな。
もとは長門が俺を不可視にするために使ったやつらしいが。

「つまりやりようによっては、
 長門さんの持つ能力と同等の効果が期待できるわけです。
 そういう特性を逆に利用する形で発案されたのが――逆変身です」

なんだか珍妙な単語がでてきた。

「あなた様がそのお姿で衆目に晒されては危険。
 ならば、それを偽ればいいだけの話というのは自明の理。
 他者からみえる容姿を偽る程度ならば、
 長門さんの幇助を以てすれば造作もないことですからね。
 いわゆる立体ホログラム的なものと解して頂ければ十分かと」

俺はとりあえず頷いて先を待つ。

178 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 05:20:38.09 ID:Wncf9ZBp0

「本来ならば長門さまが近くにいらっしゃらなければ長く持たないそれを、
 あなた様がお持ちである杖を動力源として持続させるという仕組みです」

よく分からないが、なんとかなるようではある。
と考えていた俺に森さんが付け足す。

「注意点もあります。
 姿を偽っている際に変身、つまりはパンドラを活性化させてしまうと、
 あなた様にかけられていた逆変身を吹っ飛ばしてしまう恐れがあります。
 どうも長門さんの観察結果によると、変身時の杖、
 要するにあの三本爪の形態ですが、
 あれには所持者を防護する仕組みが施されているようだとのことなので」

確かにクローには守られている感覚をおぼえはしたけど。

「いくらあなた様の杖が特異な能力を秘めていようとも、
 逆変身のような高度な光学計算を要する偽装は人間には行えません。
 そうなってしまえば長門さまに頼るほかの手がなくなってしまいます」

というわけで、と森さんが手をたたく。

「登校の準備をはじめましょうか。
 まずは寝癖から梳かなくてはならないようですからね。
 あと、当然ではありますがこちらに女生徒用の制服も用意させて頂いて――」

その後、ただでさえ慌ただしかった朝の空気が、
森さんに追い回される俺のせいで五割増しくらい悪化した。

179 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 05:42:27.79 ID:Wncf9ZBp0

朝における一般学生が行うべき、すべての準備が整った。
どうせ姿を偽るんだから服装は男物でもいいだろうにとの主張は、
『服装は心の乱れ』という伝統と格式ある標語の前に屈してしまった。
皮肉にも俺は女学生として生活するという災難に遭いながらも、
結局のところ北高という場所からは遠ざかることができないようである。

「杖を手にして」

長門の言葉に応じて俺はパンドラを構える。
活性化させなければ目下のところは安全ラインだ、
と森さんは仰られていたが、昨夜の一波乱による不安は拭えない。

「なあ長門、どうして俺は学校へ通わねばならない。
 森さんの言葉はあくまで体面上のものなんだろう?」

長門はすらすらと返答。

「不用意に事態を刺激しないほうがいいと判断されたため。
 涼宮ハルヒによって発掘された物質であるからこそ、
 たとえ些細な不可測要素でも加えてしまうのは避けるべき。
 あなたが学校を長期欠席するなどすれば、引き起こされる結果は――」

なるほど、ハルヒは高い確率で俺へドヤしてくるだろう。
終いにゃ自宅まで押しかけ兼ねられない。
そもそも学校に通ってないと解れば家族が捜索願をだしかねないのか。
俺は家族にすら正体を見せられないってのに、そりゃ不味いよな。

「わかった。頼ってばかりですまないが、俺に力を貸してくれ」

こくりと頷いた長門が、ここ24時間で数度目ともなる呪文を唱え始めた。

180 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/23(水) 06:02:35.28 ID:Wncf9ZBp0

長門の周囲に奇妙な光の風、とも表現すべきか、
あるいはヨーロッパ地方でみられるエンゼルヘアーにも似た、
何かの流れというものがみえた。
暫く前からもそうだったのであるが、
どうもここ最近の俺はそういう不可視なものが視えてしまうようだ。
前日にも増してこうもハッキリと映ってしまうのは、
瞳の色が変わってしまったことも影響しているのだろうか。

「完了した」

言われて俺は身体を見回したが特に変化はない。
他者からみた光景だけを偽るもののようだ。
急場凌ぎ的な対策はこれで終わりだろうか、と思っていると長門が。

「そしてもう一つ。これは提案。
 あなたが過失によって杖を活性化させないようにするため、
 声紋認識によるプロテクトを掛けておくことを推奨する。
 提案を受ける場合、任意の文字列を用意して」

任意の文字列、と急に言われてもな。
だが何かの拍子に杖を抜き出してしまうのは危険だ。
ともなれば推奨どころか必須ともいえる。
しかしネーミングセンスなどを俺に期待されても……いや、俺の名前にするか?
待て、抜き出すたびに呼ばれることのない俺の名前を口にするのも妙だな。

「開けゴマとかでもいいのか?」
「わかった」
「ちょっと待て、やっぱ待ってくれ」

これは案外むずかしいぞ。難問なのかもしれない。

152 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 20:34:35.07 ID:JeUuaAOc0

数十秒にも及んだ非効率的な逡巡の結果、面白味のない単語が頭に浮かぶ。

「シンプルに『開け』で頼む。それでいい」
「その文字列の有効性は認められない。
 あくまで声紋認識という表層的手段を選択するのは、
 思考認識を使用した場合に起こりうる心理的機微による誤動作を防ぐため。
 あまりに短すぎる文字列をプロテクトキーに設定してしまうと、
 日常会話、例えば『扉を開け』などと口にした場合にも誤反応する恐れがある」
「えーと、そうか……」

古泉との暇つぶし中に、チェス盤を開いてくれ、
などと言うたびに変身しちまってたら世話がないな。
だったら名詞を付ければこの問題は解決することになる。

「決めた。『開けパンドラ』って文言ならどうだろうか。
 もとは石箱から出てきたものだし丁度いい気がするんだ」
「それならば安全性も認められる。処理する」

長門が俺の手にしている杖に触れる。

「文字列を発声して」

録音テープのようなものなのか。
いやに緊張してしまうな。こほん。

「開けパンドラ」
「……プロテクト構築、正常終了」

これでセーフティーロックがかけられたことになる。
取扱いの厳重さからして、機関拳銃でも持ち歩いている気分だ。

155 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 20:56:30.23 ID:JeUuaAOc0

「それではいってらっしゃいまし」

俺の着替えやらなんやらに世話を焼いてくれた森さんに見送られ、
俺と長門は北高を目指してのんびりと歩き出す。
やはりというべきか、通行人とすれ違う際には戦慄を覚えたものの、
前日の長門によって証明なされた正体偽装による安全性は、
本日の登校に際しても有効に働いているようである。
視線が気になってしまうのは変えられないけれども。
それと比較すれば些細なことではあるが、
男だったときは然して気にならなかった後ろ髪も、
今この姿になってからは必要以上に気になってしまようになった。
自分では位置が定められずにうまくポニーテールにできなかったので、
見かねた森さんに甘えるかたちで結ってもらったのであるが、
何はともあれ後頭部が引っ張られるような感覚と、
いつもとは違う朝のウォーキングコースは新鮮味で一杯にあふれている。

「あのさ、長門……」

近くにいる人たちの記憶とかいじれないかな、と言おうとして踏みとどまる。
少し考えてみれば人の記憶を改ざんするのは難しいのだと解ったからだ。
あの騒動のときでさえハルヒの能力を使って、為せたのは三年程度だったわけだしな。
朝倉が転校ということになっているのも、物理的な情報操作、
恐らくは古泉やら朝比奈さんやらの手を借りたのに違いないのだろうし、
第一、ここまであれこれ頼っておきながらそれ以上を期待するってのも気が引ける。
そもそも長門ならば最善の策を練ってくれるはずなので、
もしそれが可能ならばすでにそれを実行しているはずなのだ。これまでを顧みれば。

「その、色々とありがとな」

頭を働かせてはみたが、俺がいうべきことはそれくらいしかなかった。

158 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 21:13:10.93 ID:JeUuaAOc0

しかしパンドラとは持ち歩くにしては非常に邪魔くさい杖だな。
今は森さんが用意してくれた黒色のカバーで覆って、
鞄の蓋部分に挟んでいるわけであるが。
他人からみれば竹刀か雨傘のようにでも見えてくれるだろう。

「おはようございます。『あなた』に会えるとは意外ですね。
 いや、僕としては残念というべきなのかもしれませんが」

登校路の途中、古泉と遭遇する。
のっけからうすら寒いことを口にする奴である。
古泉は事の顛末を長門へと訊ね、暫くするとこちらを主眼に捉えてきた。

「逆変身、ですか。いやはや考えたものですね。
 僕の目にはいつも通りのあなたとしか映ってはいないのですが」
「考えたのは俺ではないがな」

適当に話を打ち切ろうかと思い、しかしと考え直す。

「質問してもいいか?」
「なんなりと。お答えできることであれば、の話ですが」
「どうして俺は人に姿をみせられないんだ」
「見せられないかどうかは試してみなければ判りませんよ。
 どうです、未実証の仮説よりは一度きりの検証。逆変身を解かれては?」
「……そんなの無理に決まっている。この姿でさえ精神的にはギリギリだ」
「怖いから見せられない。ある意味では理にかなっていますね。
 人間における恐怖という感情は、身を守るためのファクターともいわれています。
 本能がそう主張するのなら、それは正しい判断なのではないでしょうか」

こいつまたもや煙に巻こうとしているな。

159 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 21:33:17.50 ID:JeUuaAOc0

昨夜のことが頭を掠める。
長門へむけて衝動を叩きつけていた、俺自身の悪行。
それもこれもパンドラなんてものが存在しているせいだ。

「どうしてこんなものが存在しているんだ」
「杖のことでしょうか」
「ああ、この不愉快も甚だしい杖のことだよ」

思わず拳を握りしめそうになりつつも、
声だけは荒げないようにと穏やかに伝える。
古泉は一頻り考えるように遠くをみると、
そうですね、と不意に真面目な顔つきになってから言った。

「なぜあるんだ、ではないんですよ。
 ある必要があるからこそ、ここにこれはあるんです。
 現段階では机上の空論の域をでない様々な案が錯綜しているため、
 勝手なことも言えませんし大したことも言えませんけれどもね。
 情報が少なすぎる初期の段階から案を絞るのは危険なんです。
 精々ワームホールのようなもの、と今の僕にはその程度しかいえません。
 それより、あなたは杖だけでなく石箱もお持ちでしょうか?」

しっかり持ってるぜ、保管役の責任を持ってな。
石箱は俺の鞄の奥底のほうで転がってるけど。

「安心しました。キーアイテムに他ならない以上、決して手放さないようにね。
 まあぼちぼち進めていきましょう。では、今日の放課後は空けておいてください」

校門をくぐるなり古泉は片手を挙げ、俺も長門へと別れを告げだ。

160 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 21:47:52.45 ID:JeUuaAOc0

いつもより早い登校。いつもより済んだ空気。
俺の教室ではそういう図式が目に見える形で表わされているようで、
室内には親しい人間、つまりは問題を引き起こしそうなやつは、
揃いも揃って姿を現しちゃいなかった。

席につく。
考えてみる。
パンドラの意味を。

ハルヒが発掘したからハルヒが噛んでいる、
果てはハルヒが諸悪の根源だ、と結論付けるのは早計にも程がある。
何かしらの形でハルヒが噛んでいる可能性は否めないのだろうが、
ならばどうして『こんな危険なものが』存在しなければならないのか、
という点にはどう推論を重ねてみても段階的論理が繋がってはいかない。

仮にハルヒが望んだからこれがあるとした場合、
じゃあこうも危険なものを使ってハルヒは何をしたいのかって事になる。
今までのあいつの行動を顧みれば、あいつの願いってものはすべて、
面白いことが起きて欲しいってことへと繋がっていた。
つまり逆説的に考えるのであれば、この杖があることで、
何か面白いことが起こるのであればハルヒによって引き起こされた問題、
と結論付けられることにはなるのであるが。
けれど落ち着きをみせていたはずのハルヒが、こんなものを望むのだろうか。

「わからん」

どう頭を捻ってみても解らない。
繋げない、繋がらない。この杖の存在意義が。
或いはハルヒを主軸に据えること自体が過ちなのか……?

163 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 22:09:32.92 ID:JeUuaAOc0

「珍しく早いのね」

思わず盛大に振り返る。

「どうしたのよ、そんなに驚いて」

きょとんとしているハルヒだった。
思惟に耽っているあいだに来校していたようだ。
俺はなんでもないふうに繕う。

「うとうとしていたんだよ。最近寝不足でな」
「ふーん。早くに学校へ来たせいで寝不足が祟って居眠り。
 それじゃあまるで本末転倒ね。自動車使って遠回りするようなもんだわ」

ハルヒが机に鞄をかけ、自席から身を乗り出す。
補足しておくと俺の席の後ろがハルヒの席だ。

「ねえ、訊きたいんだけどさ。
 行楽シーズンっていったらなんだと思う?」
「しらん」
「やっぱ温泉よね!」

俺の返答は加味しねえのかよ。

164 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 22:19:22.47 ID:JeUuaAOc0

「海や山に行ったら次は平地か盆地かなって思うの。
 やっぱり地形が変わると内容も変わってしかるべきなはずよ。
 要するにそこにはなにか新しい発見やらがあると思うわけ!」

ほんのこの前、休日を潰して山まで行ったばかりだってのに。
はたまた旅行の計画とはね。
まるで泳ぎ回ってなきゃ息が止まっちまう回遊魚のようだ。
と、俺が冷めた目でみていると。

「あんた座り方へんじゃない? どうしてそうも内股なのよ」

冷汗が流れた。ちくちくと全身の毛穴が開くような圧力。

「それはだな」

間違ってもスカートを履いているから、などとは言えない。
あーっと、どうするべきか。そうだ。

「どうも季節の移ろいが激しくてさ、風邪の引きかけのようなんだ。
 朝方からずっと寒気が止まらないし夜も寝付けなくてな……」
「へえ、だから傘も持ってきてるわけ?」

ちらとパンドラを包むそれに眼をやるハルヒ。

「ああ、悪化しちまったらアレだからな。万全を期そうかと。置き傘だと盗られちまうし」
「気をつけなさいよ。メンバーが欠けちゃったら計画も台無しなんだからね」
「わかったよ、気をつけとく」

このプレッシャーはなんなのだろうか。
ハルヒを前にすると嫌に疲れてしまう。これが一日続くのはしんどそうだ。

167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 22:33:17.42 ID:JeUuaAOc0

授業時間になろうが休み時間になろうが、
40人近くの視線というものは絶えず俺の周りを飛び交っていく。
針の筵を絵に描いたようなものだった。

もしも長門手製の逆変身が解けていたら。
もしも何かの不手際により正体が見抜かれたら。
無意識のうちに辺りの様子を窺ってしまう。そのたびに。

「どうしたんだキョロキョロして」
「なんだかキョン、挙動不審だよね」

馴染みの二人はもとよりクラスメイトからも訝しまれる始末。
完璧なまでの負のスパイラルだった。
俺の虚像が男子用制服を着込んだ姿である以上、
体育の授業での着替えではどうしようか悩んだのであるが、
そこは機転を利かせて風邪という仮病を使い、見学の許しを乞うてパス。
地雷原を裸一貫で走り抜けるような学校生活。ほとほと勘弁してほしい。

それでも時間が経つにつれて俺も順応はしていき、
姿を偽装できているという客観的事実も証明されたことで、
どうにか突発性視線過敏症も抑えられてはきたようであるが。

心労というものは確実に俺を蝕んでいた。

170 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 22:47:36.02 ID:JeUuaAOc0

昼休みになるなり席を立つ。
昼食の友、谷口や国木田には、

「今日は弁当を忘れたから学食いってくる」

投げやりに答えて逃げるように教室を後にする。
とはいえ廊下に出ても視線の数というのは変わらず、
それはまるで一流スナイパーが、
レーザーサイト付きの銃を構えて闊歩しているようなものだった。

少しでもはやく人目のない場所へと行きたい。
もとより食欲なんてもんはないのだ。
昨日からも殆どなにも口にしてはいないのだから。

人気がなく落ち着ける場所といえば自ずと限られてくる。
外観がみすぼらしい部室棟方面、
つまりは我らがSOS団の本拠地、元文芸部室の近くである。
本校舎と離れたここならば昼時のこんな時間帯に、
わざわざ訪れようなんて物好きな奴もいるわけがあるまい。

まあ昼休みなのだから部室の鍵は閉まっているだろうが、
と思いつつもダメもとで扉を捻ってみると、それは難なく開いたのだ。

180 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 23:02:31.18 ID:JeUuaAOc0

「あっ、キョンくん……」

室内にいたのは朝比奈さんだった。
放課後とは異なりメイド服姿ではあられないようだが、
制服に包まれたその肢体の素晴らしさは健在である。

「どうしてこんな時間に?」
「すこし、その、お片付けでもと思いまして」

確かに室内には雑多なものが増えてはきている。
先日の似非ワンダーフォーゲルと発掘活動もその一端で、
他にも様々な戦利品がSOS団の歴史というものを物語っている。
物量が多いのに片付いているのは、紛れもなく朝比奈さんの功績だ。

「昼休みを潰してまでそんなこと、しないでいいと思うんですが」

朝比奈さんはいじらしく頬を綻ばせる。

「あたしにできることは限られていますから。
 せめてこういう形でもと自分なりに考えてのことなんです。
 気にしないでください。それより折角ですし、お茶でもいかがでしょうか」

俺が朝比奈さんの誘いを断れるはずもなかろう。
当然、はっきりと頷いてから席についたさ。

185 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 23:16:13.46 ID:JeUuaAOc0

「お待たせしました」

するりと差し出された湯呑からは、
ゆるりと薫る茶葉の風味が伝わってくる。
見惚れるような鮮やかなグリーン。

「いただきます」

俺はそれを口へ運び――しかし。

「どうかされたんですか?」

啜った瞬間に手を止めた俺を不思議に思ったのだろう。
朝比奈さんが不安げに瞳を揺らしている。
誤解をとかなければなと思い、俺は答える。

「実は――」

伝えていった。
パンドラボックスを開いたこと、パンドラを手にしたこと、
俺の身体がこうなったこと、古泉や長門たちと話合ったこと、
弊害なのか味覚が変わり食欲が失せたこと、
瞳の色がヴァイオレットになったこと、俺が暴れたこと、
そして今、あなたの目の前にいる『俺』は虚像であることを。
一言一句を伝えるたびに朝比奈さんの表情は焦りの色を濃くしていき、

「あの石箱を開いちゃったんですか……」

やがて言葉が見つからないといった様子で押し黙ってしまった。

191 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 23:36:05.45 ID:JeUuaAOc0

昨日の今日の出来事だ。
朝比奈さんは存じていなかったのだろう。
それを言葉という形に変えて言ってしまうのは、
こうやって掃除という形で貢献してくださる人にとって酷なので言えないが。

そうなのだ、石箱を発掘した直後のSOS団会議でも、
各々が注意を促し、朝比奈さんもそのなかの一人だったのであるが、
結局のところ俺はというとそれらのことを過小評価していたのだ。
それによって招かれたのが現状の災難である。
無害なのかもしれないが、何かがあるのかもしれない、
と朝比奈さんは主張していたというのに。

「すみません。注意を怠っちまったようでして、気づいたらこういうことに」
「いえ、べつにキョンくんが謝るようなことじゃないですから」

朝比奈さんは俺の湯呑を下げると、対面する席へと腰を落ち着けた。
言葉がみつからないでいた俺に朝比奈さんが訊ねてくる。

「キョンくんの今の姿ってどうなっているんですか」
「正体不明の少女っぽい姿、ってことになってるようです」

手足を見まわしてからの回答する。
自分の姿を他人行儀にいうってのも妙な話だ。

「その逆変身というものを解くには杖が必要ということなんでしょうか?」
「らしいです、あいにく校内では杖を持ち歩いちゃいませんし、
 一回解けてしまうと長門に手間をかけさせてしまうので解けませんが」
「……へぇ、複雑そうなんですねー」

わかったのかわからないのか、微妙な顔だ。

199 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/24(木) 23:55:48.66 ID:JeUuaAOc0

「あのー、こんなことを言うのも変なのかもしれませんが。
 キョンくんって、その、何も食べないで平気なんですか。
 お話を伺った限りでも昨日から殆ど飲まず食わずなんですよね?」

改めて言われればそうだ。俺自身、薄々勘付いてはいたものの、
食事どころか一般高校生に必要な水分すらも事欠いている始末。
こっちが訊きたい。大丈夫なんだろうか。けれども。

「身体的な不調というものは感じませんし、たぶん大丈夫なんじゃないかと。
 不鮮明なことが多すぎる身体ですが、
 杖に触れている限り、妙なことに力が湧いてくるっていうか……。
 あの感覚は上手く伝えられないんですけど」

朝比奈さんはころんと首を傾ける。
まるで起き上がりこぼしの原理に悩む子供のような表情。

「変なことを聞いちゃうのかもしれませんけど、
 お手洗いとか大変なんじゃないのかな……その格好じゃその……」

それも言われて気付く。
あまりにドタバタしていて失念していたのかもしれない。
されど思い返してみても、食べないせいか行ってないな。俺がそう言うと。

「なんだかキョンくんの話を聞いていると、キョンくんがどんどん――」

ある意味では絶妙なタイミングだったのかもしれない。
チャイムが鳴った。予鈴だ。杖を置いてきている以上、あまりブラブラするのも不味い。
そろそろパンドラに触れておかなきゃな、と席を立った俺に朝比奈さんが付け足してくる。

「大したことは言えないんですけど。体には気をつけてくださいね、キョンくん」

205 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/25(金) 00:17:47.40 ID:r9QLd36c0

午後の授業については特筆すべき点などはなく、
俺の身体の異変なんて世界レベルでみれば些細なことだ、
なんて具合に当然のように時間は流れていき、そして放課後となる。

「すまんハルヒ、今日は活動のほうを休ませてくれ」
「体育も休んでたみたいだけど、そんなに悪いの?」
「どうもそのようだ。昨日から予兆はあったようだけど、やはりな」
「ふーん」

ハルヒは唇を尖らせ、暫し黙考したのち。

「わかったわ。そのかわり早いところ治しなさいよ?
 あんたのせいで次回の予定が崩れちゃったら取り返しつかないんだし」
「わかってるよ。善処はしとくさ」

じゃあな、と俺は背を向ける。
そこに聞き取れるかどうかというくらいの声で、小さく。

「まあその、お大事に」

敢えて聴こえないフリをする俺。
つかつかと鞄とパンドラを手にして足早に廊下へでる。

「はぁ」

溜息。慣れないな、こういうのは。
少しばかり心が痛んだ。

209 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/25(金) 00:37:51.57 ID:r9QLd36c0

根回しのいいやつだから、
そろそろ現れる頃合いだとは思っていたが。
その頃合いとは俺が下駄箱まで来た時、だったようだ。

「これから早速、お付き合いいただきたい場所があります」
「お前のほうはハルヒに断っておかなくていいのか?」
「問題ありません。所用があるので、と事前にお伝えしておきましたので」

手際の良さも相変わらずである。

「俺を何処へと連れていく気なんだ」
「それは僕の申し出に乗っていただければ分かることですよ」
「そういうと思ったけどさ」

掴みどころのない返答に、俺は何気なく外をみてみた。
朝とは打って変わって、どんよりと曇っている空。
気に入らない雲色だな、と心中で毒づかずにはいられない。
なんにしても俺には拒否権など無いわけだけど。
ということで諦観露わにこう言うしかないわけだ。

「乗るよ。どっちみち俺自身のためなんだから」
「期待通りの返答で安心しました。では参りましょうか」

俺は古泉から心ばかりの距離を取って歩く。
その古泉は俺がついてきているのかを確認しつつ、やや前を先導。
こうして俺たちは学校をあとにした。
日常の象徴でもあるそれを、あとにしたのだ。

225 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/25(金) 03:13:07.03 ID:r9QLd36c0

移動手段、ともなればまたもお決まりな車の登場である。
しかし、かなり昔にタクシーってことで紹介されたはずなんだが、
こうも毎回絶妙なタイミングで止まる私用タクシーなんて、
砂漠にいるシマウマ並に不自然さを抱えているんじゃなかろうか。
などと今更なる繰言をぼやいても仕方がないか。
『機関』とやらに属している人間らの得体の知れなさは今に始まったことじゃない。

「気分でも優れないのですか?」
「そういうわけじゃないさ」
「打って変って口数が少ないなと見受けられましたので」

判ってるんだよ、これから俺が何処へと連れてかれるのかってことくらい。
それが判ってるってのに、下らない贅言に興を注ぐ余裕なんてない。
俺は終始無言で窓外の風景をうかがい続け、やがて、
学校帰りの子供たちで犇めく住宅街に推移したところで確認を取った。

「確かめておきたいことがある」
「なんでしょうか」
「俺が逆変身を解いた場合、無事に送り届けてくれるのか?」
「当然です。それはあなたのサポーターでもある僕が保証します。
 しかし……まるでこれから変身する必要性があることをお解りのようですね。
 いつから気づかれたのでしょうか。状況推理でしょうか、はたまた――」
「視えてるんだよ」

俺は古泉の言葉を遮った。
視えているのだ。状況推理を確たるものとしてしまう動かぬ証拠が。
住宅街にある寂れた公園。そこの滑り台のあたりから不自然なモノがな。
古泉の言葉を借りるのならば次元断層だかなんだからしいが、
隙間や境界とでも表現されていた、ズレた世界の繋ぎ目とやらがだ。
そしてそこから漏れ出している、コバルトブルーの光も。

227 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/25(金) 03:27:28.86 ID:r9QLd36c0

「これは驚きですね」

古泉は言葉とは裏腹に愉快そうな表情を覗かせ、

「では降りましょうか」

言うなり停まった車からそそくさと降り立った。
俺も続く。昨日とは違い虚偽の姿なので躊躇することもない。
車も役目を終えたように、光量が絞られはじめた街へと走り去っていく。

「公園内には幸い、人の目もないようです。
 別にあったらあったで構わないんですが」

すっと手を差し出してくる。
前と同じように俺の手を引っ張りつつ誘い込むつもりなのだろう。

「本当に俺が行っても問題はないのか?」
「ええ、危険だと判断すれば即座に救出致します」
「違う。お前のほうは安全なのかってことだ」

俺は長門を……。

「あまり蔑んで貰っては困りますね」

見せつけるように前髪を掬いあげる古泉。

「常々申し上げては来ましたが、どうやらお忘れのようなので再度申し上げておきましょう。
 僕は超能力者です。一般の方々とは違い、特異なる役目を与えられた超能力者なんです」

再び差し出された手は挑発的な自信に満ち溢れていた。

229 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/25(金) 03:44:22.66 ID:r9QLd36c0

『そこ』への侵入過程は端的なものだ。
古泉の手を握り、俺が眼を閉じ、そして数歩ほど歩く。
たったそれだけで、世界中の景色が変貌していた。

曇天ひろがる大空も、雲よりも無機質な暗灰色の空に塗られ。
身の辺りの照度などは自然のなかのそれよりも不可解に暗く、
遠く続く景色はどこまで行けば終わりがあるのか解せない空間。

「ようこそ、閉鎖空間へ。僕はあなたを歓迎します」

灰色の世界。
建物はみな闇に落ち、公園の外灯だけが虚しくチラついている。
先ほどまでは存在していたはずの家路を急ぐ児童らの喚声も、
こちらへと踏み込んだ瞬間ぴたりと、忽然と、消えてしまった。
車道を走るものなどは当然、辺りで騒ぐ虫たちも必然。
すべてが部外者として弾かれている、この限定空間。
踏み入れられるものは文字通り、限られた人間だけだ。

「久しぶりに訪れた気がするが、相変わらず気味が悪いところだな」

悄然としすぎている。
こっちまで気が滅入ってしまいそうになるぜ。

「復習、というわけで補足しておきます。
 神人は物理法則をも無視し、自重すらをも意に介さない相手です。
 仮に軍隊などを率いてきたところでダメージなどは到底与えられないでしょう。
 本来ならば我々、超能力者が相手をするところではありますが、さて。
 ここならば気兼ねなく暴れられますので、どうぞお寛ぎ下さい」

つまるところ実践テストってわけか。骨が折れそうだ。

231 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/25(金) 04:05:42.56 ID:r9QLd36c0

鞄に挟んでいたそれを抜き出し、俺は慎重にカバーを外していく。
鈍い赤銅色の柄が姿を現し、趣味の悪い蛇の装飾を経て、最後に杖頭が全貌を晒す。
朝方から概算すると、抜き出すのは半日ぶりという所だろうか。
俺の身体と一心同体である以上、奇妙な懐かしさすら覚えてしまう。

旧友との再会を喜ぶように柄を握りしめてやろう。
ギチギチと嬌声をあげる杖。手に馴染む感覚。
出来ることなら会いたきゃないが、そうもいかないこの近況。

「出来ることは片っ端からやってみるしか、道はなさそうだよな」

それを両手で構え、俺は古泉へと訊ねた。

「お前はどうするんだ、観戦か観察に徹しておくのか?」
「状況によりけりですね、観戦だけで事が済めばそれでよし。
 そうでなければ、あなたと肩を並べて働くことになるのかもしれません」
「そうかい。頼りにしてるぜ先輩さん」
「ですが場合によっては」

古泉は一瞬だけ言い淀み、

「場合によっては――僕と対峙する可能性も覚悟しておいてください。
 長門さんへと外傷を与えたあなたを相手にした場合、
 こちらとしても手加減は一切できかねないと推断していますので」
「ぶん殴ってもぶっ飛ばしてくれても恨まないから、
 俺がおかしくなっちまったら、そんときゃお前の判断に委ねる。
 念慮しておいて欲しいのは誰も怪我させないでくれ。それだけはくれぐれも」
「しかと、承りました」

じゃ、変身とやらを試してみるか。

6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/26(土) 22:01:23.91 ID:/uBLWEZO0

肩幅程度に足を開き、杖を握り締めた両腕は天に突きだす。
別に自己顕示のためにヒーローじみた格好を取りたいわけではないが、
例の強烈な立ち眩みに耐えるには重心を正しく保つのと、
前以っての精神面での心構えってのが重要なのだと流石に学んだ。
これだけの予備動作を踏んでおけば、きっと意識を保てるはずだ。

「僕は少しばかり離れておきます」

古泉の言葉が遠くから聞こえたのと同時。

「開け、パンドラ」

渾身の力でそれを捩じ込んだ。直後、ぐらりと揺れる身体と五感、体感意識。
カシャリ、という杖の確かな駆動音が異様に耳に残り、揺曳し、
対照的に俺の視界は真っ暗に、それこそ街灯ひとつすらないものへと、墜ちる。
墨汁の海のように杳とした場所へと流されていく感覚には、溺れそうになる。
次第に呼吸の仕方を忘れ、身体の挙措が乱れ、記憶は掠れはじめた――が。

――何やってんのかな、ほんと。

声が聴こえた時、俺は砂地の地面を踏み付けていた。
続けざま肺が壊れちまうほどに無理やりに息を吸い込み、
虫食い状態に陥っていた視力を取り戻そうと必死に目を凝らす。
徐々に光が差しこんでくる世界。
ちらちらと死にかけのような外灯の明り。静寂という音。それすらも有難く思えるこの空間。
持って行かれるかと思ったが、なんとか戻ってこられたようだ、な。

「ハァハァ……ただいま。いや、参上ってところかな……はぁ……」

強がって古泉へと笑いかけてはみたが、正直しんどい。

8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/26(土) 22:10:37.03 ID:/uBLWEZO0

『変身』を重ねるたびに深刻さを増していく意識障害には、
若年性生活習慣病にも似た仄暗い恐怖感を抱かずにはいられない。
けれども俺にはこの道筋を辿っていくしか、恐らく道はないのだろう。
それを恐れてみたところで、無為に時間を遣うだけ。
例えこの身体のまま過ごしてみたところで、とても長く持つとは思えない。
即ち、打てる策は絞られ、挽回の余地は失くし、現状の維持すらままならなくなるのは自明。

「そうなる前に進まなきゃな」

未だクラクラと視界がボヤけちゃいるが、動けないことはない。
意識だってコマ落ちフィルムのように飛ぶし、絶えのない浮遊間に苛まれているし、
同時多発的に身体のあちこちが不快さを訴えてきちゃいるが、しかし。
だからどうした。そんなのなんだ。あとは野となれ山となっちまえ。

「古泉っ! 『神人』とやらはいつ出現するんだ!?」

滑り台の上にいた古泉へと叫ぶ。
そうでもしなきゃ意識と平静さを保てそうにない。

「直に来るはずです。僕のような人間には判ってしまうことですから。
 それは閉鎖空間が発生している以上、疑いようのない事実でもあります」

俺は事情を聞き受けると荒れた呼吸を整えることに努めようとする。
普段は本能に従い無意識的に行っているそれを、意識的に、
深くゆっくりと継続して行うことで安定を図ろうと目論む。
どれほどの効果があるかは不明だが、やらないよりはマシだろう。
吸って、吐いて、また吸い込んで吐く。一定で規則的なリズム。
それによりパンドラの効能が発揮されてきたのか、
俺の身体が温かく柔らかいものに包まれていくように感じられた。
うむ、やれそうだ。それに、まだまだ本番はこれからだろう、俺よ?

11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/26(土) 22:21:49.50 ID:/uBLWEZO0

「来ました。『神人』の現出です」

古泉が指差した方向を俺も睨む。歪すぎる目標は即時見つかった。

「俺が相手をするって実感してからみると、かなりのデカブツだな」

住宅街という低層建築物の森のなかじゃ、あまりにも目立ちすぎるその巨体。
全身がくすんだコバルトブルーで彩られている痩身の怪物、現代版でいだらぼっち。
そのスケールがでかすぎるせいで三階建ての住宅物ですら、
予算を削りに削った特撮怪獣モノのお粗末なセットにしか見えない。

「ビル換算で二十階建てくらいか? 昔、俺が目にしたのが三十位だったっけ」
「おおよそその程度でしょう。これでもサイズは小さいほうです。
 涼宮さんも昔に比べてだいぶ落ち着いてこられましたからね。
 最近は閉鎖空間自体の発生件数も概ね減少傾向にありましたが、
 このタイミングであれが姿を現してくれたのはグッドタイミングというやつです」

お前が後ろで手を引いているんじゃないのか?
もしくは、タイミングを読むのには周期みたいなものがあんのかね、
と俺は『今の俺の身体』から導出できるジョークを言おうとして、やめた。
他人事じゃないかもしれないんだから笑えねえ。ブラックすぎだ。そして自爆だ。

「おわかりではあるのでしょうが、進言させて頂きます。無理はなさらぬように。
 先に申し上げたとおり神人とは本来、我々超能力者が相手にするものです。
 あなたが本当に相手にできるのか、していい相手なのか、は不明瞭です。
 飽くまでテスト。下手を打てばダメージすら与えられない可能性もあります。
 もともと神人は破壊活動こそが本分であり、こちらへの攻撃は稀なのですが、
 それでも場数が足りなければ事故という形で負傷しかねません。油断は禁じるように」

俺はアドバイスを頭に刻みこむなり、三本爪形態のパンドラ、仮称クローを構えた。

14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 22:34:44.70 ID:/uBLWEZO0

夕闇にも似た視界の悪さと建築物の特徴のなさが距離感を狂わせる。
相手との距離はざっと五百メートル以上、一キロメートル未満。
目測には慣れていないので計算精度が粗いのはともかく、
ここからだとかなりの距離が離れていることには変わりない。
当然ではあるがまずは距離を詰めなければ話にならないようだ。

それともピックに変えてぶっ放すべきか?
いや、安易にピックを濫用するのは避けておきたい。
この距離関係からだと、神人ではなく古泉のほうを襲いかねないからだ。

「手詰まりでしょうか?」

上空から声が降ってくる。
見上げると、赤光を帯びた古泉であろう球体が浮いていた。
直視するには少々、眼に悪いものがありそうなギラつく単色。
これだけ口を出すって事は、
ひょっとすると俺の身を案じてくれているのかもしれない。

「慎重派な俺はパーフェクトに終えるための策を練ってんだ。
 余計な茶々は要らんから、お前は悠長にお茶でも味わってろ」
「これは失礼、余計な配慮でしたね」

飛べるやつは楽そうで良いよな、まったく。
こっちは魔法のステッキじみたものを持ちつつも、
肝心の飛び方を知らないってのに。
ともなれば最終的に頼れる手段は限られてしまうわけだ。
原始的で、誰にでも使えて、特別ではない手段。

足に頼る。
つまり走る。

16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 22:54:25.92 ID:/uBLWEZO0

方針を固めるなり杖を片手に持ちかえ、公園の砂地を蹴っていく。
この身体には重さが存在しないのかと錯覚してしまうほど、
一歩一歩と地面を蹴るごとに急激なまでの加速に背を押され、
対照的に流れ消えていく景色には目が回りそうになる。
そして耳元を掠めていく風が唸りをあげたころ、俺は全力で飛び跳ねた。

走り幅跳びの要領だ。

あっという間に地面が遠くなる。
公園を囲うフェンスを軽々と越え、そのまま車道も、
二階建ての一軒家も、さらに電線をも眼下へと納め、
さながら低空を滑空する鳥にでもなったかのように障害物を観望している塩梅。
閉鎖空間内部には風など吹いていないはずなのに、
俺が走るだけで真向かいからの風が台風ほどに勢いを増していく。

「よっと!」

適当な家屋の屋根に一旦着地し、すぐさま跳ぶ。
ちらりと背後をうかがうと、あの公園とは短距離走のコース並に離れていた。
時速何キロなのかは判らないが相当にスピードは出ているようだ。

まるで飛び石。
屋根から屋根へと、日常では人々が道として使うことのないそれを、
時代劇にでてくる忍者のように飛び移っていく。
夢でも滅多に見ることのない光景だった。
自分でやっていることなのに実感が湧かず、他人事のようにしか思えない。
それもまるで夢そのもの。
こんな俺についてこれる古泉も、やはり常人じゃないんだなと再認識した。

20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 23:07:30.03 ID:/uBLWEZO0

一方、神人はというと。
俺たちの接近には全く気づいていないのか、
或いは最初からこちらなど意にも留めていないのか、
積み損ねたバランスブロックの出来に腹を立てる子供のように、
中学校へ横薙ぎの掌をぶち込んでいる。
建物が倒壊する音と衝撃が地鳴りとなり伝わってくるが、
どうしてか神人が闊歩する足音などは発生していない模様だ。
ほとほとデタラメなやつである。
って、前回とは違って俺も他人のことは言えないか。

「古泉、出来るだけ離れていてくれ。
 あいつはクローじゃどうしようもなさそうだから」

俺から見て九十度強くらい横を向いている神人。
その巨体に接近するにつれて、
自身の無力さというものが浮き彫りとなってくるようだった。
とてもじゃないが所持者の防護に長けるらしいクローじゃ、
見上げるだけで首が攣りそうな巨人に外傷などは与えられないだろう。
熊手を持ったアリンコでは象になど勝てないのだから。
古泉のやつは、こんなのを相手に数年物間も戦い続けていたのか。

あいつには今まで勝手なことばかり言ってきた気もするが、
困ったものだね、それがここにきて俺の心へと突き刺さってくるようだぜ。
もうちょっとでいいから気遣っておくべきだったのかもしれない。
なんだか悔しい。自分が口先だけだったってのが。
こうなりゃ意地でも一人で倒したくなるってのは自然な流れだろう?

「……よし、やるか」

古泉が安全距離を取ってくれたのを確認するなり、俺はそれを両手で握った。

22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 23:24:47.77 ID:/uBLWEZO0

力に任せ、ひと思いに捻り込む。
カシャリ、と律儀に鳴いて二つ爪のピック形態へと移行する杖。
それを眼の端で捉えつつ、そっぽを向いている神人を睨む。
対象までは50メートル強ってところでこちらは屋根の上。
狙うとすれば首か、手首か足首か。
いずれにせよ切断が望める主要間接部を奪うのが常套だろう。
しかし、そんな算段すらも徐々に霞んでいく。
例のアレが始まったからだ。

電器製品が蓄電していくときのような耳鳴りを聴き、
全姿全身が紅潮していくときのような高鳴りを味わう。
神人が放つ燐光に瞠目せずにはいられない視覚と、
撫で回したくなるような杖の触感、加えて芳しい匂いすら覚える始末。
五感がイカレちまったのか、緊張による生理現象なのか、
変性意識状態のように現実感が極端に薄れ、
正体不明の至福感や満足感、全能感に笑みが零れそうになる。
明らかに異常な心理状態だなと自覚できるほどに異常。
が、どうでもいい。それらについて自己診断を行う暇すら惜しい。

「落ち着け、冷静になれ。落ち着け……」

繰り返し念じる。言い聞かせる。
両手は杖をへし折るつもりで握り、奥歯は噛み砕く勢いで食い縛る。
なんとか、ギリギリのラインで、俺は『俺』で在れている。
いつまで持つか、何秒後まで持つか、それらは判らない。
だが長くは持ちそうにない。
押し寄せてくる膨大な律動にとっては、俺の意識など塵芥に等しい。
自我が途絶えて『何か』に衝き動かされるのは、時間の問題だろう。

なら、それまでにケリをつけなければ。

31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 23:42:40.26 ID:/uBLWEZO0

破壊衝動を理性で制御し、震える両腕は腰溜めに構え、
建築物へ両腕を振り下ろした神人が雁首もたげたその瞬間。

「千切れ飛びやがれっ!」

パンドラを一直線に振り上げる。
ゴルフスイングそのものな一閃が煌めく鋭利な衝撃の刃を生みだし、
俺の視覚と聴覚は瞬く間に、空気の燃焼と悲鳴のなかに呑み込まれた。
だけどまだ保てる。俺の意識はまだ持たせられる。
焼けた視界が戻ってくるのが待ち遠しく、すぐさま第二波を放つべく備える。

閃光が引いていくにつれて視界も返ってきた。
射線上にあった家屋は入刀されたケーキのように裂けており、
神人の姿は巻きあげられた砂塵の奥に、のっしと揺れている。
片足を挙げ、仰け反るようによろけてはいるようだが、
首を刎ねるどころか転ばせることすら出来なかったようだ。
効果が薄いのか、或いは広範囲を焼くピックじゃ火力が足りないのか。
いや、一撃だけじゃ判断材料の不足は否めない。もう一度だ。

「やはりあなたは神人にダメージを与えられるのか!
 僕の思った通りだ、態勢を立て直される前に追撃を!」

興奮している誰かの声が聴こえたが、それに構ってはいられない。
変に気を取られてしまうと、そいつを攻撃対象として認識してしまいそうだ。
全身に気を這わせる。
針の上に針を重ねるような限界近い集中力で心を鎮め、
今度は横一文字、強引に振り抜くようにしてピックを唸らせた。
再びの閃光。再びの轟音。
神人の足元を狙ったそれは、家屋の屋根を根こそぎ巻き上げ、
辺り一帯を炎に包みながらも着実に標的のもとへと迫っていく。

35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 00:03:47.76 ID:mkO8l/ws0

俺が走りだしたのと着弾したのは同時だった。
神人の両足を抉ったそれが猛烈な爆風を引き起こし、
鉄砲水が噴き上がるように砂埃は天高くのぼっており、
パラパラと降ってくる建築残骸物には天災トルネードを想起させられる。
赤々と燃えあがる街。暗い世界には丁度いい灯りだとふと思う。
俺は走っていく。降り注ぐ落下物を避けつつ、神人のもとへ。
ピックではトドメを刺せそうにない、というより埒があかない。
正確には時間をかければ俺の自我が持たない、と確信したからだ。

そもそもかつての超能力者たちの戦法は、
神人の体を糸切り羊羹の如く寸断していくものだった。
戦い慣れているあいつらがそうやっているのなら、
こっちだってそれに倣って挑むのがセオリーというもの。
故に、近接戦を挑むしかない。
そう、足元を掬われ転倒しているであろう神人の首を――刎ねる。
パンドラには切断に長けた形態もあったはずだ。
『あいつ』の時には、確かそれを使って斬りつけたのだからな。

「パンドラ、槍だ!」

扱いが分からなかったので呼びかけつつ引き絞る。
カシャリ、と簡素な返答。
するとピック形態の二本の爪が溶けるように引っ込み、柄が伸長し、
変わって杖頭からトリックナイフの如く、一本の刃が飛び出してきた。
よし、ちゃんと応えてくれたようだな。

斧槍形態、ハルバード。刃渡り1メートル弱の近接武装。
神人の首回りは直径にして2〜3メートルは楽にありそうなので、
それと比較すればこのチンケな刃でどこまでやれるかは疑問であるが、
これでなんとか切断を狙っていくしかない。

37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 00:18:27.89 ID:mkO8l/ws0

ピックの閃熱によって空気の流れができたのか、
神人に接近するにつれて激しさを増していた砂埃が、
とうとう数歩先の地面さえをも遮るほどになってきた。
ブリザード以上に視界が利かない砂塵の嵐。

「接敵しすぎるのは危険です!」

うるせえ、黙ってろ。
こっちはこれしか手がないんだよ。
それにあまり話しかけてくれるな、気が散ってしょうがない。

心中での毒づき。
言葉にして返答するほどの余裕はない。
それでも目的地を目指す足は止めない。止められない。

「ちっ、ピックを使ったのは失策だったな」

こうも先が見えなくては相手の首を探せない。
唯でさえデカくて特徴のない図体なので、
近づくとどの部位か見失いそうになるってのに。
完全に経験不足だ、これは。
と臍を噛んでいると、砂ぼこりの切れ間から青白いものが覗いた。
神人の体だ。これはどの部位だ?
転倒した方向的に考えて、こちらが頭だとアタリをつけていたのだが。

いや、考えている暇があったら動くべきだ。
外周を辿って探ろう。

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 00:33:55.59 ID:mkO8l/ws0

見失わない程度に距離を空けて探っていく。
どうしてかそれをやっている間、神人は暴れもしなかった。
そればかりか居眠りでもしているかのように、
起き上がろうとする意志すらも感じられなかった。
なんだか不気味だ。ロボットよりも無機質すぎる。

「うぐっ……」

ズキリ、と頭が痛む。
砂塵に揺れていた景色がさらに滲む。
それとはあまりにも対照的に、甘く暖かな、
心地よい眠りへと誘うような幸福感が湧きあがってきた。
まるで数日間に及んだ徹夜のあとに味わう、布団のなのようなそれ。
気を緩めればあっという間に引き込まれてしまいそうだ。

あまりの辛さと心地よさに片膝をつきそうになるも、
標的を眼と鼻の先にして倒れるわけには、と耐え忍ぶ。
こういう奇妙な精神状態も回数を重ねれば耐性がつくのか、
または『あいつ』の時の一件が教訓となって奮い立たせてくれるのか、
最初のころとは段違いに制御ができるようになってはきている。
それが良いことなのか悪いことなのかまでは、判らないが――と。

「手間かけさせやがって」

見つけた。
頭と胴体の接合部。
人間における急所。即ち、首。
ようやく見つけてやったぜ。

42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 00:48:45.75 ID:mkO8l/ws0

呆けたように仰向けのまま動かない神人。
寝込みを襲うようで些細な罪悪感を抱かずにはいられないが、
暴れまわっている相手を狩るのは神人と超能力者間における摂理。
今回に限って代役が超能力者役を担うことになっているだけの違い。

見様見真似で薙刀ふうにハルバードを構える。
こんな武器を日常的に使ったことなどないので、
狙った場所に一撃が入ってくれるのかという疑問は払拭できない。
そして、神人の首は近場でみるとやはり太い。
丸太とか土管とかそんなものは越えて、トンネルなみの円周。
仮にこのまま斬り掛かったところでダメージを与えられそうにもない。
とはいえ敵前逃亡なんて端から選択肢にはないわけで。だから――、

「恨まないでくれよ」

狙いをつけるなり全力での跳躍。
あっという間に地面は砂塵の霧へと埋もれ、
神人の身体も同様、上下左右が砂色に覆い尽くされる。
上空から押しつけてくる風と、身体を叩く砂粒が痛い。
やがて一瞬の無重力感。
次いで頂点に達した身体は、重力に従って加速度が加えられていく。
風向きも上から下へと変わり、風速も微風から大風へと推移していく。

このまま、一気に。
全体重と全霊を乗せて首を削ぎ落としてやる。
考えるなりパンドラの持ち手を幅広くへと移す。
片手は柄の最後尾を握り、もう片手はなるたけ刃に近い位置へ。
神人の首に押し負けないように、ギロチンさながらの断裁で仕掛ける。

44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 01:06:52.62 ID:mkO8l/ws0

ぬるり、と初手は表現し難い手応えだった。
餅のようなコンニャクのような、トコロテンのような、
それでいて内部はプラスチックのように若干の硬度を備え、
斬り抜くにつれて感触が水から金属まで、ゴロゴロと変化する気味の悪い肉質。
わかっちゃいたが、デタラメなのは外見だけじゃなかったようだ。
けれども引き裂いていく手触りは非常に気持ち良く、
水羊羹に箸を入れた時のように、神人のそれを切断していった。

そして着地。
パンドラによる斬撃は相手の首を刎ねこそはしなかったものの、
首の半分程度を切り離すという大儀を見事成し遂げてくれた。
神人の首。建付けが悪く開きっぱなしとなった扉を思わせるそこからは、
一層あかるい青色の光が漏出しており、内部は再生を試みようとしているのか、
離れ離れの相手を求めて蛆虫のように蠢動している。
さらには体液なのかコバルト水溶液のような物が地に落ちては、モザイク状に霧散していく。

ここまでは良かった。自分でも順調だと思った。
ただ、ひとつだけ気になったのは斬りつけた部分が、
果物が腐敗していくときのような色に変わり始めたことだった。
固定カメラによる録画の高速再生の如く、
痩身にできた裂傷部分が、じわりと黒い染みに染まっていく。
破傷風や化膿にしては進行速度が早すぎやしないか?
そもそも神人に病気なんてものが存在しているかは不明であるが。
そういえば大体、超能力者たちが相手にしたときはこんな症状……。

「おいっ!」

『そいつ』に訊ねるべきかと迷ったものの、砂塵と延焼のノイズがあってはそれも叶わない。
やがては『そいつ』が誰を指していたのかも薄れはじめ、どうでもよくなっていった。
このままやっちまうおう。早いとこ落ちた首が眺めたい。この首ならピックで落とせそうだしな。

47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 01:26:40.00 ID:mkO8l/ws0

杖を捻るなり御馴染の構えをとる。
脈々と流動しているようなパンドラの震えが、
こちらの身体まで伝導し、心臓の律動もそれに合わさっていく。
沁みだしてくるような、満たされていくような、溢れだしてくるような。
様々な正の感情がめまぐるしく全身を舐めまわしていき、
杖と同化しているような安心感に、ぞくり、と身体が粟立つ。

ちくしょう。

まずい、そろそろ限界だ。
この快感なのか悪寒なのか違和感なのかを拒絶し続けるのは、
ハッキリ言って意志の弱い人間には難行苦行の無理難題というもんだ。
荷が重い。そういう面倒なことを極力、忌避してきた人種には。

「ハァ……ハァ……」

意識が朦朧となり、次に閉じはじめていく。
必死に抗うつもりで刮目し、地を踏み、杖を握る手に力を込めるが、
猛獣相手の睡眠薬を打たれでもしたのかと驚嘆しそうになるほどの急激な脱力感。
一瞬だけ脳裏に、パンドラを手放せばいいのかもしれないと浮かんだが、
しかし直後にそんな粗末なマネはすべきじゃないだろうとの考えの前に却下された。
この感覚、感情、実情、扇情、とても惜しい。手放せそうにはない。
これから抜けだすことなんて、考えるだけ無益というもの。

でも、な。
あと一撃分だけ耐えればいいんだ。
それだけ与えて神人を倒し、あとは『変身』を解きさえすれば――。

49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 02:00:43.29 ID:mkO8l/ws0

すいっと、空気の流れを頬に感じた。
何かが動いたというのまではわかった。
されど寝起き以上に呆然としていた意識は、
それが何なのかどころか、何が起こったのかすら追えなかった。
気がつけば身体の左半身に猛烈な風が吹きつけており、
焦点が定まっていないであろう瞳は、流れいく景色を機械的に映出し、
ようやく重力の掛かっている方向が妙だなと、感知し始めたとき。

自動車が建物に突っ込んだ時のような破砕音を聴き、
鉄塊によって全身を殴られたような衝撃に襲われた。
いつの間にか見上げていた暗い場所。
民家の中なのだろうか、質素な天井がみえる。
そしてその天井に手を翳すように、歪な右手が視野を塞いでいる。

何が起こった……?

背中がしくしくと痛んでいる。
何かによって突き刺されているような、
或いはアイロンを密着させられているような熱痛。
ぽたぽたと身体から、重力に従って垂れ落ちていく何か。
視界が荒波に揉まれるボートのように揺れ、焦点が定められない。

だいじょうぶですか、どこにいるんです、と遠くから声が聴こえるようだ。

聴き覚えのある声。
そんなことよりパンドラはどこだ。
あと一撃で神人を倒せるってのに、肝心の杖はどうした。
テストは早いとこ終えたいんだ。帰宅してさっさと眠りたいんだ。
こんな荒行ホントは嫌いなのに、仕方なくやってるだけなんだから。
なあ、誰でもいい。身動ぎひとつおこせねえから……今すぐここまで杖を持ってこい。

65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 09:25:21.21 ID:mkO8l/ws0

毎度唐突とはいえ、今回は飛び切り豪快なお呼び出しのようだ。
内臓を幾つかと、吐血。加えて右手首が死んで片足も骨折。
ほか細かい部分に粉砕骨折少々と、あと主要靭帯断裂に流血かな。

……ほとんど持ってかれてるじゃないかー。

ここまでやられておきながら頭が無事だっただけでも奇跡モノ。
あんな至近距離からバケモノの振り払いを受けておいて、
防護障壁も使わず、さらには受け身もとらないとは呆れものだよ。

「さっさと任せときゃいいのに」

辺りを見回す。
首の骨が曲がっているのか不自然に抵抗力がある。
それでも構わずに見まわし続ける。
杖だけは離させないようにと縛っていたから、
段階的に考えれば近場に落ちている計算となるはず。
まずはその前に、この壁から脱出しなきゃ――、

「ねっ!」

ずりずりと身体を捻り、木製の柱を身体から引き抜いていく。
あたりどころが悪かったせいで貫通してしまっているという不運。
けれども、これのお陰で頭部が守られたのなら不幸中の幸いといえる。
あとでぶっ壊してやろう。

そんなことより今は杖を探さなきゃやばい、と畳を這いずっていく。

67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 09:52:59.18 ID:mkO8l/ws0

暗い世界のなかの暗い室内、
さらには半盲目のなかにいるせいで見失っていただけで、
注意してあたりを窺うと、ベランダ出入口前に杖は落ちていた。
砂嵐を縫って届けられた、外からの弱い光を浴びている。

それに何とか手を伸ばすと、
抱きかかえるようにして身体を巻き付けていく。
片手が死んでいるからには手では捻れない。
だったら足や腰、身体ぜんぶを使ってやればいいだけ。
動作命令についてこない四肢に手こずりつつも、
ちょっとずつ、ちょっとずつ捻っていき……。

カシャリ、と切り替わる気配がした。
途端に全身の痛みも和らぎ、止まっていた呼吸も再開され、
壊死寸前だったであろう末端神経の感覚も戻ってくる。
回復には時間がかかりそうだけど、これでなんとか繋ぎとめることはできそうだ。

「やれやれ」

移ってしまった口癖とともに外を眺める。
砂によって極端に眼が利かないけれど、
遠くではバケモノが暴れているのか、建物が倒壊する音が伝わってくる。
大したことはできないくせに反抗してみせたところから察するに、
このままでは消されてしまうと曲がりなりにも理解したのだろう。

そういう態度が気に入らない。
もともと存在が気に入らない。
間違いは、正すべきなのだから。
不条理は、壊すべきなのだから。

68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 10:22:06.59 ID:mkO8l/ws0

生命力が漲ってくる。
『路』を通して流れてくる力が、活力を与えてくれる。
制限はあるにせよ、理論上は無限に近い動力源。
この程度は造作もない。

右手を握りこむ。杖を掴める。
左足を踏みこむ。地を蹴れる。
空気を吸いこむ。息をできる。
眼前を見据える。捉えられる。

だいぶんと調子も戻ってきたようだし、
ずいぶんとやられちゃった借りも返さなくちゃね。
細切れにしてやろうか、粉微塵にしてやろうか、蒸発させてやろうか。
それとも――。

算段を立てつつ、杖を支えにして立ちあがる。
出血が完全には止まっていないものの、これくらいなら差支えなんてない。
杖を捻った。クローからピックへと移行。
バケモノを相手にするんなら切断力に長ける別の武器のほうがいいとはいえ、

「どこにいるんですか、返事をしてください!」

この五月蠅いやつを放っておくのも癪というもの。
どっちみち処理するのは決まっていることなのだから、
順番が変わってしまうけれど、まずはそっちから片付けちゃおう。

72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 10:55:56.39 ID:mkO8l/ws0

ぽっかりと穴が空いた壁から屋根へと飛び乗り、相手の声の出所を探る。

砂嵐と、閃熱と、業火に塗れている街。
辺り一帯の建物は強風で煽られた稲穂のように傾倒している。
つまり、一撃目と二撃目のピックで焼き尽くしたこともあって、
相手はこちらが吹っ飛ばされた正確な方向が掴めないのだろう。
よーし、と胸一杯に息を吸い込む。

「ねえ、こっちこっち! そっちは何処にいるのー!?」

呼びかける。

「僕はここです、無事だったんですね! 今そちらへ――」

聴きとり終わるより早く、私はピックを振るった。
風圧が砂嵐を吹き飛ばし、閃光が声のした方角を切り裂いていく。
あくまで声を狙っただけ。
あたるも八卦、あたらぬも八卦。
なので、じっと耳を澄まして結果を探ろうと試みなければならない。
しかし着弾したような衝撃も、熱に焼かれる絶叫も、届いてはこない。

「手荒なことをしてくれますね。口調が妙だと警戒しておいたのが幸いでした」

突然の背後からの声に、ピックを振り抜きつつ応じる。
相手は私が放った衝撃の波を易々とかわし、宙に揺蕩いつつ続けていく。

「長門さんのときと同様、ですか。仕方がありません。
 あなたとの約束もありますし、強攻策ともなりますが鎮圧させてもらいます」

赤光に包まれたバケモノ相手に、私はパンドラの刃先を向ける。

74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 11:15:31.46 ID:mkO8l/ws0

「おっと、これは恐そうだ」

次弾へのチャージを行っている間に、
相手は砂埃のなかへと紛れ消えていく。

視界が悪い。
数歩以上離れれば砂と煙に炎の嵐。
音で探ろうにも、あたりには雑音が多すぎる。
それでもチャンスは逃すまいと、ピックを握る両手は緩めない。
そんななかで、声が降ってくる。

「お聞きしたいことがあります」

その出所が掴めない。
高速で飛行しているのか、声が四方八方から響いてくる。
こちらの情報と対策を、予め『あいつ』から受けていたのかもしれない。

「あなたは僕だけでなく、神人や長門さん、
 そしてそれら以外をも敵と見做していらっしゃいますよね」
「さあどうかな」
「いえ、神人や長門さんにダメージを与えられた時点で、
 おおよその見当はついています。というより初めから直感はあったんです。
 あなたのような『パンドラの少女』が、存在しているのは必然だとね。
 ワームホールのようなもの、との推察も、強ち当て推量ではなかったんですよ。
 どうです、お答になられてみては。イエスかノーかだけでも結構ですから」
「だったら姿を見せてくれないかな。並んで仲良くお話しましょ」
「変身を解いてくださるのであらば、いつでも誘いには応じますよ」

やなこった。

75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 11:42:34.81 ID:mkO8l/ws0

突如、周辺視野に輝く光弾が映り込む。紅色。
飛び退いてかわすなり、光弾が足元の屋根を貫通し、
息をつく間もなく今度は真上から第二波が降ってくる。
それも身を捻って回避。

と、動作を終えるのをまたずして三弾目、四弾目、
まるでハンドボール級の霰のようにそれが降り注ぎ、
こちらの動きを読んでいるのか、あるいは戦い慣れているのか、
詰め将棋を思わせる粘着質な連撃が、ついには私の身体をかすりはじめていく。
屋根は半部以上が穴とかし、足場も削られ逃げ場も殺がれる。
ここまでくると反撃を狙っている余裕はなさそうだ。

「しょうがないなぁ」

ピックを振り回して杖の尾で一撃を弾くと同時、
流れるように頭上へと掲げ、『拒絶』の意をこめて捻り込む。

防護障壁。
春風のような優しさと共に、展開された虹色の膜が身をくるみ、
ギラつく紅玉は強化ガラスに激突した雪玉のようにひしゃげ、
零コンマ数秒後には蒸発して粒子へと還っていく。
ひとまずこれでやり過ごせる――という算段は甘かった。
相手はそこまでヤワじゃなかったのだ。

息をつこうとしていた背中に強烈な痛みを感じ、視界がぐるぐると回った。
理解した。飛び道具はブラフで、防護障壁を縫う近接攻撃が本命。
とりあえず空中で態勢を立て直し、アスファルトへ滑走するように着地する。
意外と骨がありそうなやつのようね。上等じゃないか。

「そんなもの、消し去ってやる」

78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 12:08:39.91 ID:mkO8l/ws0

ピックを構えて周囲を睨み見る。
車道スレスレの位置は空気の流れの関係かやや視界が利くものの、
2メートルも上空になればそれの悪さは相も変わらず。
これでは戦況的に不利にあるのは否めない。

何より厄介なのは、相手の特性でもある『飛行』だ。
こちらは地を蹴らなければならないのに、
相手は空をも自在に駆けることができる。
仮にこちらが攻撃を仕掛けたところで、それは直線動作。
相手は易々と見切りをつけられるうえに、
無防備となった私へ向けて死角からの反撃を加えることができる。

せめて水晶刃が僅かにでも掠れば、同列へ立てるのに。

問題はその一撃。
遠巻きにして攻撃を加えてくる相手をどうやって斬り抜くか。
高速で空中を疾駆する相手を捉えるには――、

「っと!」

降り注いできた紅弾を横っ跳びで避け、
起き上がると同時にこちらも『同じもの』をバラ捲いて応戦する。
ピックのように威力はないものの、一薙ぎでより広範囲に拡がる紅弾。
大して役には立たなそうな能力でも、
数打ちゃあたるなこの状況下では、牽制としちゃ効果的なのかもしれない。

「さてと」

一旦は近場の建物の陰に身を隠し、私は杖を捻り込む。
相手を捉えるに丁度いいものを持っていたのに、迂闊にも失念していた。

80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 12:30:42.75 ID:mkO8l/ws0

「――――」

『呪文』を唱える。
あの時、あの瞬間、『あいつ』が唱えていたそれを、
クローが蓄えていた記憶と威力を頼りに詠唱していく。
自分自身でも言葉の意味などわからない。わかる必要もない。
でも、効果のほどは知っている。光り輝く蜘蛛糸の呪文。

「拘束する」

上空へ向けて杖を振り抜くと、
砂塵のなかでキラキラと煌めく光糸が、辺り一帯に張り巡らされた。
といっても金縛るのが目的ではない。
いうなれば自由な移動の拘束。
糸を頼りに相手の位置を探るのが目的。
たぶん、この蜘蛛糸は超能力者である相手には見えちゃいない。
さらには優位に立てているという心理的隙間を衝き、
そこへと奇襲をかけることができれば一撃は与えられるだろうという一計。
『油断は禁じるように』と口にした相手が油断するかは不明なものの、
少なくとも不意をつけば正面切っての攻撃よりかは成功率が高くなる。

仕留められなくてもいい、掠らせさえすれば。

私は蜘蛛糸の動きをじっと観察し続ける。
反応があった瞬間を狙い――切裂いてやる。

83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 13:11:48.47 ID:mkO8l/ws0

睨み続けてはや十秒、ついに捉えた。
輝く糸がなにかに遮られ、そこだけ途切れたように見えている。
それはまるで空というスクリーンに影が投射されている状態。
愉快にもバレバレだね。

あいつは予測よりも遥か上空を旋回していた。
こちら側が身を隠したために、あちら側も見失っているのだろう。
いくら読みに長けていようとも、一般人では、
外にいるのに燃焼煙で中毒死しそうなこの環境。
大雑把なアタリをつけられるだけでもやり手といえる。

そっと、気取られないように杖を捻る。
カシャリ、と小さな駆動音は炎にまぎれ、
ハルバードの刃先がその首を狙っているというのに、
相手は一向に警戒するような素振りもみせなかった。

気づかれていない。

慎重に通りへと歩を進める。助走のためだ。
見失わないようにと両眼はしっかり固定し、
砂や煙で涙が零れそうになるのはぐっと我慢。
瞬きの回数さえ減らして一コマすら見落とさぬような注視で、
動きのパターンを学び、攻撃に至るまでの時差を計測する。

あの糸のところに居るんだから……。
この距離だと地面を蹴ってから相手の高度に達するまで1秒。
いえ、1.2秒と半分ちょっとくらいかな。
ワンテンポぶんの未来を読まなくてはなんないようだ。
そのくらいの読みであれば、奇襲をかけるのと加味して、
児戯にも等しい些事だけど。

85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 13:32:12.29 ID:mkO8l/ws0

痺れを切らしたのか、
あるいは薄れてきた煙幕を張るためか、
あいつが地面へ手当たり次第に光弾を放った直後。

地面を抉るように助走をつけ、
コンクリートに罅を入れつつ蹴り飛んだ。
風切り音をたてないように身体と杖は進行方向垂直に整え、
いつでも振り抜けるようにと両腕には盤石な態勢を敷く。
ぐんぐんと高度は伸び、砂塵の奥に揺らぐ赤光が、
どんどんと色身を増してくる。
まるで太陽へ向けて飛び立つイカロス。
煮沸しそうな愉悦感と笑みを抑え。
心内で数えていく。

『現在、0.6秒、0.7秒、0.8秒――』

砂色と赤色の中間色だったそれが、
刻々と原色に近いものとなってくる。

『0.9、1.0、1.1――!』

両手に衝動を注ぎこみ、

「ぴったり賞おめでとーっ!」

驚愕の表情をみせたその頭蓋めがけ、
全身全霊逃げ場なしの斬撃を叩きこんだ。

87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 14:01:34.74 ID:mkO8l/ws0

危険を察知し、回避を試みようとはしたんだろうな。
だけども遅い。遅すぎだよ。
すんでのところで頭を引っ込め即死は免れたようだけど、
垂直なる縦切りを防ぐべく、突き出した右手。恐らく利き腕。

もぎ取ってやったぜ。

スローモーションのような一時。
手首と肘の間から失ってしまった右腕を目の当たりに、
心の底から絶叫をあげて喜びはしゃぐ赤光のバケモノ。
宙を舞う右腕は激流に揉まれる枯葉のように舞い、
それから風車のように回転しつつ砂塵の海へと落ちていった。

うふふ、と愉しくて笑ってしまう。
ようやく一撃を、与えられたよ。これで対等、きみと平等。
鬱陶しいほどの優位性は崩されたわけ。

されど相手の瞳からは闘志が消えてはおらず、
あまつさえ明確な敵意というものが宿っていくのが感じられた。
少し見込みが甘かったな、と反省。
私は初撃の反動で自由には動けない。
そこへ敵意を持った相手が迫る。結果どうなるのかなっていうと、

「離れろっ!」

ハルバードからでは障壁を張るのも間に合わなかった。
残された左腕による渾身のカウンターに、私の喉が潰され、
地面へと叩き落とすつもりなのか殴りから続く紅玉に加重しつづけられる。
ブラックアウト仕掛けた意識をなんとか繋ぎとめ、
杖だけは手離さないようにとしたものの、気づけば地面が急迫していた。

90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 14:33:18.86 ID:mkO8l/ws0

ごうごうと唸る風に衣服がはためき、
風圧だけで身体の自由が奪われそうなほどの落下速度。
それはパラシュートなしで高度1000メートルから飛び降りるようなもの。
このまま激突してしまえば流石に死ぬ。
これほどの能力を持っていながら、なぜあいつは手を抜いていた?

場違いな疑問が浮かびつつも、
必死に紅玉の拘束から逃れ、手早く杖を両手へと持ち直す。

防護障壁――じゃ物理ダメージを殺せない。
落下速度と叩きつけは理に従っているのだ。
かといって受け身をとったところでこの高度――。

「応っ……ンドラっ……!」

声がでなかった。
が、一か八か掠め取ったばかりのそれに頼るしかない。
『疾駆』の意をこめて、杖へ願うように捻り込む。
カシャリ、と応えたパンドラが浮力を生みだしはじめた。
風の流れも猛烈なものへと変わり、身体を支えようと吹き上げてくれる。
なのにダメだ、間に合わない。とても制動できない。
ならせめて鉛直落下ではなく軸を斜めにずらそう。

場当たり的な判断で、勘を頼りに落下点を近場の草地へと逸らす。
しかしそれも完了しない間に、砂塵の切れ間から地面がのぞく。
次にパンドラを握りしめたとき、私の身体は地面へと叩きつけられていた。

91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 15:07:15.72 ID:mkO8l/ws0

落下個所は林のうえのようだ、
という激突寸前までで記憶は途切れ、
眠りから覚めたときのような不整合さを感じつつ、
気づけば木々や枝葉に覆われた空をみあげていた。
本日二度目の似たような光景。
目が覚めた瞬間にはボロボロで建築材に貫かれており、
目を閉じる瞬間にもボロボロで自然樹林に貫かれている。

最悪だよ。

瞼が落ちそうになってくる。
そろそろ時間が来てしまったようだ。
だけどこの状態で渡してしまえば、最終的に御終いになるのは確実。

酷い眠気だけど、パンドラには触れておかなくちゃ。

うつ伏せになろうと画策する。
努力虚しく、体中が震えて力が入らない。
動こうとしている間に目も見えなくなった。
鼻孔をつくのは生臭い血の匂いだけ。
呼吸停止はもとより、おそらく心臓も停止している。
身体を持ってしまった以上ハンディはしょうがないけど、
ここまでくると最早パンドラの自己修復機構があっても、
生き長らえるかどうかは怪しいレベルだ。

というより無理だねこれ。
身体が動かないや。指一本すら辛いよ。

まるで掴もうとすれば掴もうとするほど逃げる花びらのように。
私の意識は遠のいていき、次第に存在感も失われていった。

93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 15:36:02.78 ID:mkO8l/ws0

煙の臭いに刺激され、ふと目が覚めた。
空は木々に塞がれていた。
あたりには何か塵のようなものが舞っており、
遠くのほうからは何かが燃え盛るような音が聴こえてくる。

「はっ?」

何事かと疑って身を起こす。
するとコロリ、と俺の腹に載っていたそれが落ちた。
三本爪の杖、パンドラだった。
どうしてこれが……というよりここは何処だ……?
例によってまたも曖昧となっている記憶を探ろうと思い、
俺は頭を抱え、そうしつつ薄暗い辺りを見回し――そして気づいた。

「お前、どうしたんだ?」

返答はない。
近場の木々にもたれ、首をがくりと垂らしたそいつは、
北高の男子用学生服を隙間なく血で染め上げ、片腕を失くし、
いつものニヒルな笑みなど一片すらない仏頂面で固まっている。
まるで仏像そのもののように生気が感じられない。

朧げに光景が蘇ってくる。
フラッシュバックのように、やつと交えた一手一手の獲り合いが、
現実味のない夢のようなものとして、しかし紛れもない現実の出来事として、
俺の脳裏に焼き付けられていく。

「おい。なにやっているんだよ、古泉」

返答はなかった。

31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 19:25:58.74 ID:AyU3Xp/F0

俺は項垂れている古泉のもとへと駆け寄るなり、状態を確認していった。
右腕部の喪失による夥しい出血に加えて、制服が所々焦げており、
全身のいたる箇所にカマイタチにでもあったかのような裂創を負っている。
おそらくピックの閃熱と衝撃によるものなのだろう。
古泉は至近距離からの一撃を避けきれてはいなかったのだ。
だからこそ距離をとって闘っていたのか、と合致した。

「しっかりしろ、意識はあるか?」

俺はてっきり、古泉は目を覚ますものだとばかりに思っていた。
いつだって胸焼けしそうな爽やかスマイルを浮かべていたし、
苦境のときでさえも険しい顔つきなどを殆ど見せないやつだったからだ。
故に今回も『冗談ですよ』、などと苦く笑うものだとばかりに。
しかし、呼びかけても揺すっても返答はこない。反応もない。

「古泉っ!」

睫毛一つすら動かない。
ちくしょう、完全に意識が途絶えてやがる。
どうすりゃいい。俺は、どうすりゃいいんだよ。

……そうだ。

まずは呼吸と心音、脈を確かめるべきだ。
俺は何処かで学んだ応急手当の一旦を思い出すなり試みた。
まず古泉の呼気を確かめ、その結果に戦慄し、
次に心音と脈があることに望みをかけて探っていくと――。

幸いにも、辛うじて。
小さく動く心臓が、瀕死ながらも命があることを示していた。

34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 19:37:07.52 ID:AyU3Xp/F0

だからといって状況は好転しない。
切れかけのボロ糸がビニール紐になった程度の猶予。
全身からの出血に加えて呼吸停止なのだ。
仮に俺がこの場で完璧な人工呼吸を行った所で、
酸素を運ぶための血液が欠乏していれば意味はない。
大体、心臓だって停止寸前なほどに律動が弱い。止まれば終いだ。

ぱっと、カーラーの救命曲線というものが頭に浮かぶ。
心停止3分後の致死率50%、5分後で約90%。
呼吸停止10分後の致死率50%、15分後で約90%。
そして多量出血の場合は、
半致死時間が30分、1時間で死亡は蓋然だったはず。
あくまで目安とはいえ時間的な限界点が切迫していることは判る。

こいつが出血しはじめてからの経過時間はいくらだ?
計算しようとして俺はそれを即座に取りやめる。
『あっちの俺』が気絶する寸前にはパンドラを所持しておらず、
『こっちの俺』が覚醒する寸前にはパンドラを所持していた。
そして俺の近場に古泉が倒れていた。
これらの符号から導出できる答えは、たったひとつだった。

こいつ、探してやがったのか。
砂塵と業火と煙幕のなか、蛇口を捻るような出血を堪えつつ、
近場の山林へと叩き落とされていた、この俺を。
原因を作りだした、古泉の腕を叩き切った、この俺を。
俺より周囲の人間を優先してくれと、念を込めて言ったはずなのに。

「クソヤローめ。余計なことをしやがって。
 だからお前は嫌いなんだよ、そういう心配りがムカつくんだ」

35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 19:53:24.58 ID:AyU3Xp/F0

立ち上がってパンドラを握る。
意地でもこいつを死なせるわけにはいかねえ。
でもどうやって助けりゃいいんだ。
パンドラの自己修復を適用できるかと肌に触れさせても、
うんともすんとも答えやがらねえ。傷も一向に塞がらねえ。
ならば、実は俺が気づいていなかった機能が杖には隠されていた、
みたいなパターンを期待して奇跡的な治癒魔法や呪文が使えないかと、
俺の頭と杖を手当たり次第に捻ってみたが、これまた骨折り損。
そんな都合の良いモノなんて備わっちゃいなかった。
この杖には所持者の防護と他者の破壊しか能がないのか?

時間は刻々と過ぎていく。
流血は脈々と増していく。
焦燥は着々と募っていく。
希望は段々と絶たれていく。

「長門がいてくれれば――」

浮上するひとつの解決策。
だが、それは大きすぎる不安要素を抱えていた。

『この場での修復は不可と判断される。
 損傷個所が修復命令を受け付けない』

昨日、長門と一悶着起こした後のやりとり。
パンドラによって受けた傷は、長門の力を受け付けない。
つまり、不確定ではあるが、不確実な解決策。
それが可能であれば古泉は助かるのかもしれない。
万が一、それが不可能であれば古泉は――。

36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 20:09:55.48 ID:AyU3Xp/F0

拳を地面へと叩きこみ、自分に喝を入れる。
諦めるな。見失うな。見誤るな。
ヒントはどこかにあったはずだ。
これだけの力を持っているパンドラを、
いままでの経験で培ってきた知識を、
効率的に使えばこの窮地を突破できるだけのヒントが。
俺が選択可能な道はどれだ。
古泉の命に繋がる道はどれだ。

智恵熱がでそうになったとき、閃きが走った。
寸隙も空けずに、それの考察に入る。

判断材料。

斬傷は、長門の異能たる能力を受け付けなかった。
前日、傷を負った長門を森さんが『手当てする』と言った。
今朝、長門とともに登校する際、長門は出血していなかった。

疑問点。

超能力者、もしくはそれに加担している『常人』であろう森さんが、
怪我をしている人物に施すことのできる『手当て』とは何か答えよ。

故に、アンサー。
導きだせる解答――。

「そういうことか」

辿り着いた答えは、一般人にとって至極当然なものだった。

37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 20:29:10.01 ID:AyU3Xp/F0

異端にばかり気を取られ、基本を忘れていたぜ。
『あの場所』へ行けばいい、あそこなら煩雑な手続きをパスできる。

ここからは時間との勝負だ。
半致死時間から考えて最良で10分、最悪で3分。
その火急的事態を打ち破る為に、
俺はパンドラを両手で握ると『呪文』を唱えはじめた。
といっても俺が長門や『少女』らと同精度で、
『呪文』の再現を行うことは到底不可能であるが、
人間二人分を固定するだけならば杖のみでも問題はないはずだ。

「俺と古泉を拘束しろ」

杖をかざすと稚拙ながらも光糸は出現し、
俺が古泉を背負う形でしっかりと固定された。
続けざま、今度は『拒絶』の意を込めて杖を捻る。
展開させるのは防護フィールドではなく、
昨日、俺の手を引いていた長門オリジナルの遮蔽スクリーンだ。
それは五秒と経たないうちに、しゃぼん玉のような幕となって周囲を覆い、
俺の眼には外界への情報漏出をシャットアウトできたことがわかった。
これで逆変身による虚像が解けた今も、外の世界を自由に動けることになる。
最後に一つ。これが大きな賭けだ。

『疾駆』の意をこめて、杖へ願うように捻り込む。

カシャリ、と応えてくれたパンドラの爪が開き、浮力を生みだしはじめる。
風の流れも味方をしてくれるのか、俺の背中を押すように吹き付けてくる。
古泉を背負った状態で制動できるかどうかはわからない。しかし――。
精一杯地面を蹴って山林から飛び出すと、俺はパンドラの柄に跨った。

40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 20:46:33.73 ID:AyU3Xp/F0

人生初体験どころか人類初体験ともいえる、杖での空中飛行。
凄まじい風圧が真向かいから襲ってくる。
それでも振り落とされぬようにと両手で杖にしがみ付く。
辺りには砂塵と業火と煙幕が立ち込めていることから、
未だ閉鎖空間内部に俺たちが取り残されているのだと解る。
けど、神人が残っていようがいまいかは関係ねえ。構っちゃいられない。
このまま外界へと脱出させてもらう。

僅かでも視界が利くほうを目指して一直線に飛び続ける。
閉鎖空間と元の世界との境界までいけば脱出できるはずだ。
以前、俺が閉鎖空間を訪れたときは脱出不能だったが、
古泉は閉鎖空間への出入りが任意に可能な超能力者である。
それを俺でも可能とできる、パンドラの持つ特性もわかってきた。

こいつは、所持者にかけられた何らかの能力や、
刃で直接切り抜いた相手の能力をコピーする力を備えている。
これまで俺が使用してきた魔法チックな力の殆どが、
長門や古泉らのコピー品であることをみればそれは明らかだ。
要するに、今の俺は超能力者と同等の力を持てているはずなのである。
少なくとも、古泉に手を引かれて閉鎖空間へ侵入した時点で、
俺はこの限定空間内部へ自由に出入りするだけの権利は持ったはず。
防護障壁だって、もとは俺の手を引いていた長門の力なんだからな。
だから――頼む。

願うように前方を睨むと、粉塵の切れ間から『それ』が見えた。
常人には決して見えることのないだろう、世界の境界。次元断層。
外の光が、弱々しくも煌々と輝いている、それ。
一分の躊躇いも抱かずに、俺はそこへと突っ込んでいく。

42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 21:10:05.21 ID:AyU3Xp/F0

一瞬、停電かと錯覚した。
暗闇と完璧な無音、そして無風。
何もかもが消えてしまったと思った直後、

「うわっ!?」

ざあざあと降り注いできた水滴が弾丸と化し、
俺の顔面どころか全身を執拗に叩きはじめる。
前を向いていられずに真下を向くと、
遙か眼下に夜の住宅街が拡がっていた。
閉鎖空間内部と同じ配置で、けれど光ある建物群。
星空のように輝く街の灯り。

帰ってこれたのだ。思惑通り、こっち側の世界に。
となればこの水滴は雨か。
大方、昼から愚図っていた天気が崩れたのだろう。
こんな時に限って天候にも嫌われるとはツイてない。

だけど、と気を持ち直す。
豪雨と夕闇のせいでこれまた視界が悪いが、
自分が住んでいる街の地理なんて目を瞑っても然して問題などない。
航空撮影写真さながらの風景には戸惑いそうになるも、
目の前にあるリアル地図を頼れば最短ルートで目的地を目指せる。

急げ、一秒でも早く。
杖よ、飛ばしてくれ。

44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 21:31:49.67 ID:AyU3Xp/F0

雨のせいなのか背中越しに伝わってくる古泉の体温が、
刻一刻と冷たくなっていき、ちらりと覗ったその唇が紫色に染まった頃。

「着いた!」

目的地上空へと到達した。
すぐさま『疾駆』を解除して、地へと降り立つ。
この場所は私立の総合病院、その駐車場。
かつてナイフで刺された俺が入院したこともあり、
その時に手を引いて便宜を図ってくれたのは紛れもなく――古泉本人。
記憶によれば、叔父が理事長だとかなんとか言っていたはずだ。
ならばその人なら『機関』と通じている可能性も高い。
そうでなければ、森さんへ通達するなりで迅速に適宜対応するしかないが。

そうなのだ。
例え異能の力を受け付けなくとも、文明の利器なら通じるはずだ。
森さんはそうやって長門の傷を治したはずなのだから。

と、手筈を確認した俺が、駐車場からエントランスへ走ろうした時だった。
一人の女性が傘をさし、人気のないこの場所の中心にぽつりと佇んでいた。
顔は隠れているが北高の女生徒用制服を着用しており、
長い髪は身体越しに見え隠れしている。見覚えのある妖艶な体躯。

「まさかっ!」

確信した。
縋るように走り寄っていき、その人の正面に立つ。
俺が視えていないのか所在なさげに辺りを見回していたのは――。

47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 21:53:02.99 ID:AyU3Xp/F0

「朝比奈さん!」
「ふぇっ!?」

ビクつく相手。
ここにこの人がいるってことは、
間違いなく関連が、意味が、あることになる。
俺は一縷の望みに託して『拒絶』を解除した。

「俺です、今は逆変身が解けていますが。昨日お話しましたよね?」
「キョンくんなの……? あの、あたしここに来るようにって言われて……あれ?」

朝比奈さんの視線が、背中の古泉を捉える。
その表情が氷点下まで凍りつく。

「こ、ここ、古泉くんっ!?」
「話はあとです、案内してください!
 理事長か何か誰でもいい、指示があるならそれを可及的速やかに。
 とにかく時間がないんで、こっちの事由を説明している暇もありません。
 今の俺は一般人と会話することができないし、あなただけが頼りなんです!」

捲し立てるように情報を伝え終わると、朝比奈さんはかくりかくりと頷き、

「わっ、わかりました、やってみます。掛け合ってみます!」

ぱたぱたと病棟に向けて走りだした。
俺も再び『拒絶』し、その背中を追っていく。
頼む、朝比奈さん。古泉を救ってやってください。

49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 22:21:33.28 ID:AyU3Xp/F0

対応は実にスムーズだった。
まるで古泉がここに連れて来られることが『規定』だったかのように、
朝比奈さんが受付に行くだけで係の者から個室に案内され、
差し出された搬入用の担架に俺が古泉を寝かせるやいなや、
一言の質問も、疑問も、向けられることなく奴は運ばれていった。

職員らがすべて出払い、後には俺たちだけが取り残される形。
騒がしかった個室内も、あっという間に寂寥で埋められている。
この部屋はなんなのだろうか。
事務室にしてはやけに空虚だし、病室にしてはベッドがない。
倉庫かなにか、にしては妙に小奇麗である。
観察をはじめていた俺に、朝比奈さんが静かに訊ねてくる。

「キョンくん、近くにいるんですよね」
「ええ。人が多い場所なので解けませんが」
「迷惑でなければ、何があったのか伺ってもいいでしょうか」
「……わかりました」

俺は事の顛末を朝比奈さんへと伝えていった。
朝比奈さんはそれを黙って聴き続け、俺の話が終わるとこう言った。

「……そういう、ことなんですね。そういう、ことなんだ」

自分へ言い聞かせるような復唱。そして。

「屋上へどうぞ。そこで人が待っているはずですから。あたし、今日は帰りますね……」

はいどうぞ、と傘を手渡してくる朝比奈さん。
何故だか悲しそうな表情を浮かべるその人を、俺は引き留めることができなかった。

51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 22:40:09.32 ID:AyU3Xp/F0

古泉の容体が気になる。
集中治療室なりに運ばれているはずなので、
例え俺が気にした所で何の役にも立てないだろうけど……。
せめて森さんにだけでも通達を、と考え駄目だと諦める。
携帯電話がないし、そもそも長門へは繋げられない。
そういえば長門は長門で何をやっているんだろうか。
ハルヒの傍にいるのか、はたまた別所で何かをやっているのか。

パンドラを使いすぎた弊害か、単純な緊張の弊害か。
頭痛を訴えだした俺の頭がいきつく先はひとつだった。

「屋上か」

朝比奈さんの意味深な言葉を受けた以上、俺がやるべきことはそっちだ。
何が待っているのかは知れないが、
俺は俺にできる最大限の努力を行い、善処していくしかない。
方針を定めるなり目立たないように個室から抜け出し、
その途中で古泉が運ばれていったであろう廊下の先を見つめる。

無事に助かってくれよ。
神様でもハルヒでもいい、そいつに願うから。

後ろ髪を引かれながらも俺はその場を後にし、
一旦、病棟から外へ出たあと、屋上へと飛び移る。
降りしきる雨で塞がれた街の景色と、
普段は人が往来しないのか汚れている屋上の地面。
そこに立っていたのは――。

54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 23:06:57.56 ID:AyU3Xp/F0

そうかもしれないとは思っていたが、やはりこの人だったか。
俺は相手を認めるなり『拒絶』を解除した。
すると相手は別段驚いた様子もなく、やんわりと微笑んでくる。

「暫くぶりですね。また会えて嬉しいわ」

季節がら着込んではいるが、大人びたその風貌。
教師を思わせるような知的な魅力。
ここにある『現在』と先にあるはずの『未来』でも衰えのない包容力。
朝比奈さん(大)だった。

「先に断っておきますが、今回はどちらかというと私用で来たの。
 だから大したことは伝えられないとは思うけど。でも、聞いてください」

俺は頷く。
それしかできない。

「キョンくんはいま、大変なことになっているんでしょう?
 アレを開いてしまったために、そういう姿に変わって、
 それで様々な問題を自分自身で巻き起こしちゃって……」

朝比奈さん(大)が沈みかけた表情を繕う。

「ううん、前置きはらしくないわね。
 ゆっくりとお話ししたいところですが、我儘を言ってもいられないし。
 キョンくん、わたしの目的は異常な時空間のノーマライズだって、
 ずっと前にお伝えしましたよね。そのこと、ちゃんと憶えてくれていますか?」

はい、と答える。

56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 23:25:23.25 ID:AyU3Xp/F0

「そう、ならよかった。物覚えが良いんですね」

と朝比奈さん。さらに。

「だったら、涼宮さんが口にした言葉も憶えておいでですか?
 宇宙人、未来人、超能力者、そして――異世界人。
 すべてが揃うことになったこの状況が何を意味しているのか。
 物覚えと理解力に長けるキョンくんなら、薄々勘付いているはずよ」

出揃ってしまった意味。
ああ、なんとなくは……わかる。
俺は首肯する。

「そうですか」

短く言を切った朝比奈さん(大)が、こちらへと歩みよってきた。
俺はその場に張り付けられたかのように動けない。
ほんの目前まで迫った朝比奈さん(大)は、
視線の高さを俺の目まで合わせたのちに、

「パンドラボックスは開くためのものではなく、閉じるためのものなの。
 言葉を持たない概念は伝えることもできないし、
 未来を視ていないあなたには伝えることも許されないけれど」

そっと耳打ちするようにしつつ、俺のパンドラへと指が触れる。
ぐらっと、一瞬だけ立ち眩みに襲われた。

「うふ」

眼前には完璧な笑顔が咲いている。

57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 23:43:11.72 ID:AyU3Xp/F0

ふっと、息をつくように朝比奈さん(大)は続けた。

「自分を信じてください。
 あなたがするべき事は、決して過ちではないんですから。
 しっかりと気を持って、これからの未来、頑張ってくださいね。そして」

その顔がすっと近づき、
反応できないでいた俺の頬に柔らかいものが触れた。
俺の持っていた傘と、朝比奈さん(大)が持っていた傘がぶつかり、
こつり、と小さくも無機質な音を立てる――その瞬間に。

「――――」

それを告げられた。
ふわりと優しげな残り香を場に、
朝比奈さん(大)が一歩一歩と遠のいていく。
水を跳ねながら、足音を残しながら、屋上出入り口のほうへと。

「あのっ!」

俺は振り返った。
けれど、口にすべき言葉が思い浮かばず、その背中を見つめるしかできない。
そんな俺に向けて振り返った朝比奈さん(大)は、小さく人差し指をたてていた。
口元に指をあてた御馴染のポージング。
唇は控えめに動き、音は雨で流され、届かないはずのその言葉。

『禁則事項です』

確かに聴こえたような気がして、俺はその背を無言で見送った。

61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 00:06:56.05 ID:xWJH9lEf0

パンドラを構える。
屋上のヘリを目指して全力で走り、
宙へ身を投げだしてからそれに跨る。

古泉の容体は気になる。
しかし今は長門のところへ戻ろう。
古泉の状態やその他様々な情報を伝え、
この事態を解決する術を得なくてはならないのだから。

それに逆変身が解けた今、あいつの力を借りなきゃ、
どっちにしたって俺は外を自由に歩けない。
不可視状態にはできても、それじゃ何れ限界がくるだろうし、
俺の身体のほうも、変身しっぱなしじゃ持たない可能性だってある。
下手を打てば、またも近くにいる誰かを傷つけかねない。

なんにせよ、今は協力者と力を合わせなければ。
一人ではどうしようもない。団結しなきゃ、これは無理だ。
パンドラを閉じる方法を、明確な解決策を、探しださなければ。

「やれやれ」

殴りつけてくるような雨のなかを、俺は駆け抜けていく。
先の景色など、何も見えやしない。

63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 00:30:35.29 ID:xWJH9lEf0

長門宅へ戻ると、扉の鍵は空いていた。
敷居を跨いで朝比奈さんから受け取った傘を置き、
ずぶ濡れの身体のままバスルームまで進入する。
携帯電話を片手にした森さんと出会ったのは、
バスタオルを掴んだ俺がバスルームの扉を開いたときだった。

「古泉はどうなったんですか!?」

平時とは異なって、狼狽を隠そうともしない。
情報が早いのは、病院側から連絡がいったためなのだろう。
やはりあの私立病院は『機関』と繋がっていたのだ。
俺は状況を呑みこむなり端的に答えた。

「俺がやりました。
 腕を斬り落とし、閃熱で焼き払い、衝撃で切り刻み、
 それでも俺の身を案じてくれたあいつは出血多量で……病院に」

齟齬が発生するのを忌避し、罪状を正直に告白した。
きっと、森さんは電話連絡を信じたくなかったのであろうが、
俺の言葉でそれが真実だと理解してしまったのだろう。

「だから後見人を連れて行けと指示したのに……」

深く溜息を残し、意気消沈の様子で近場の椅子に座りこんだ。
追い打ちをかけるようで気の毒ではあるが、俺は訊ねなければならない。

「長門はどこにいますか?」

森さんは首を横に振った。
まだ帰宅してはいない、とのことらしい。

65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 00:47:48.61 ID:xWJH9lEf0

杖を捻り、変身を解く。
そして森さんの対面席に座ろうとして――俺は倒れた。

意識はある。
視覚もある。
なのに身体が指一本たりとも動かない。
まるで電池が切れてしまったかのように、
変身していた時の活力を微塵すらも感じない。
疲労の波が、首を絞めるように押し寄せてくる。

「だいじょうぶ? しっかりして!」

森さんの声が聴こえる。
慌てている顔もみえる。
だが返答が、できない。

「この髪色は……なに……?」

ちらと視界の端に、それをつまんだ森さんの手が映った。
その手に握られていたのは、異常で異様な、
そう、まるで燃え盛る紅葉色のような、
または、全身の血管を流動している鮮血のような、
或いは、どこかの超能力者が包まれていたような。

目も醒めるほどの、赤だった。

73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/29(火) 01:09:51.68 ID:xWJH9lEf0

「……また倒れたんですか?」

昨日と同じ天井に気づくなり、森さんへと確認をとる。
布団のなかにいるようだ。

「ええ、お帰りになられてからすぐに」

森さんも落ち着きを取り戻している。
あのあと、徐々に意識までもが薄れていくなかで、
森さんが着替えさせてくれていたのまでは、
ぼんやりととはいえ記憶にも残っている。

「時間はどのていど経ちましたか」
「一時間と少々、といったところですね」
「そうですか」

変身時間が長かった反動なのか、
それとも二度も生命の危機に瀕した影響か。
細部までもはわからない。
けれども体調自体はマシになっている。

「長門は……?」
「こっち」

声のしたほうを向くと、長門はやや離れた場所で正座していた。
どうやら、寝ている間に帰ってきたようである。

85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 04:24:45.25 ID:xWJH9lEf0

「石箱はどこ」

目が合うなり、長門に訊ねられる。
石箱……言われてみれば所持していない。
記憶を掘り起こしていくと、一カ所思い当たる点が浮かぶ。

「閉鎖空間の内部かもしれない。
 進入したあと、実戦テストの前に公園に置いたような気がする」

あの時は目の前の出来事に頭が一杯だったので、
この記憶が確かかどうかはいま一つ怪しいが、
学校鞄のなかに入っていたそれを抱えながら、
『神人』とバトルアクションを行うはずもない。
段階的に推察していけば、あの公園に置いたとしか考えられない。

「そう」

長門は理解したように言い、そして告げた。

「事態が急変する可能性がある。
 まず一つめ。石箱、仮称『パンドラボックス』を仮称『神人』が取り込んだという可能性。
 もう一つは、仮称『神人』が、あなたの杖によって受けた外傷がもととなり、
 何らかの変異を引き起こしている可能性がみられる。両方である可能性も否定できない。
 悪性なのか、進化と呼ぶべきものなのかまでの断定は不明。でも、変異であることは確か。
 好ましい方向へ転べば進化。好ましからざる方向へと転べば退化。断定は観察結果のみが知る。
 あなたの持つ杖は、極めて高い変異原性を有している。それも特殊なものを。
 遺伝子などの構成素子に与える毒性だけでなく、情報その他多岐に渡りそれを書き換える変異原」

いきなり妙な単語を使わないでくれ。変異原っていうと、なんだっけ。
それによって傷付いた細胞やウィルスが特異質に変化して、突然変異する原因のやつか?

87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 04:28:57.31 ID:xWJH9lEf0

「それでもいい」

こくりと頷く長門。

「わたしの損傷個所が修復を受け付けなかったのも、それが原因とみられる。
 調査の結果、斬り抜くと同時に、即時修復操作を弾くプロテクトを、
 外傷面付近に展開されていたことがわかった。これは情報毒、ヴィールス。
 そしてあなたの杖は、わたしに与えられた権限を一部奪い取っている」

蜘蛛糸や防護障壁、拒絶のことなのだろう。
あれは元々、長門のもんだ。

「他者から奪い取った情報をもとに、破壊と自己進化をもたらす杖。
 それがパンドラ。あなたが有している杖に与えられた特性。そして……」

長門にしては珍しく、言葉に躊躇いが感じられた。
僅か一秒にも満たない逡巡。その後で。

「わたしはあなたに謝らなければならない。
 仮称『パンドラボックス』が極めて高い確率で自律進化の可能性を秘めていることは、
 涼宮ハルヒがそれを発見した時点で、既知としていた。
 それを得るためにわたしは、あなたと、古泉一樹に加担していたことになる」

それを古泉も知っていたってことか?

「そう。ただし、古泉一樹とわたしの目的は異なり、
 古泉一樹は独自の論理により、仮称『パンドラボックス』の存在を予見していた」

……だから古泉のやつ、最初の頃から意味深なことを。

89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 04:36:03.20 ID:xWJH9lEf0

森さんも口を挟んでくる。

「陰陽論というものをご存知でしょうか。
 端的には、正があれば負が存在するはずだ、というゼロサムな考え方です。
 そして涼宮さんの持つ能力。彼女は、大きな力を生みだし続けることができています」

長門が継ぐ。

「情報爆発や、世界改変。自律進化の可能性もその一端」

そして再び森さん。

「ここで疑問点が生じます。涼宮さんのエネルギー源は一体どこにあるのか」

喩えましょう、と間を置く。
それからコップを二つ取り出し、

「ふたつの同型のコップです。片方は空、もう片方は水で満たされていますよね。
 この時、空のコップへ、水の入ったコップから水を注いでいけばどうなりますか?
 単純明快。水の入ったコップは空になり、空のコップは水で満たされることになる。
 例え水を移しかえても両方のコップに入っている総水量は変わらない。『常識』ならば」

コップによる実演も確かにその通りである。当たり前だ。
森さんは古泉口調で、いや古泉が森さん口調だったのかもしれないが、とにかく続けた。

「けれど涼宮さんの場合、水の入ったコップから水を注いでも水は枯渇せず、
 やがては空のコップが水で満たされ――溢れ出したとしても。水は注がれ続けます。
 世界の改変、事象の改竄、端的には神なる所業を目にしてきたあなたなら、
 これらについての不合理さも理解できるのではないでしょうか?」

91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 04:44:28.38 ID:xWJH9lEf0

あいつの所業は散々目にしてきたさ。
今さら疑える余地など、はっきりいってない。

「無から有を作りだすことなど本来ならばできないことなんです。
 陰陽論を全肯定するわけではありませんが、バランスがとれていない状況。
 それはあまりにも摂理に反しています。物理法則にすらです。
 しかし実は、バランスはとれていたんですね……もうお分かりでしょう?
 無限の可能性を秘め、あらゆることにおける創造の力を持った涼宮さん。
 そして――衝動的に破壊の限りを尽くす、パンドラの少女。あなたのことです」

否定ができない。破壊衝動は紛れもなく自覚していた。

「二人は正と負ではなく、表裏。同質とみてもいいのだと考えます。わたし『側』は。
 『あなた』と涼宮さんは繋がっている。だから必然的に存在していた。しなければならなかった。
 ブラックホールとホワイトホールのように、真逆質にありながらも絶対的に共存しているんです。
 どちらが先に生まれたのかまでになると、鶏と卵に近い、水掛け論となってしまいますが」

ブラックホールとホワイトホール。その二つを繋ぐ『路』、ワームホール。そういうことかよ。

「これらは本来、古泉の口から語られるはずでした。
 『神人』にあなたがダメージを与えられるという事象が、
 この見解の正否をわけることになりますから。
 涼宮さんと対等の力がなければ、『神人』にダメージは与えられません。
 今日で実証する予定だったんですが……生憎、予定は変わったようです」

森さんの言葉を待ちあぐねていたように、長門が締めた。

「あなたの杖の動力源。それは対消滅を利用したものに概念が近い。相互間物質転移もそれのため。
 故に、『あなた』は莫大なエネルギーを有し、涼宮ハルヒもそれと同様となっている。
 本来ならばこうも安定した形で同時空間上に対存在が現れることなど、到底あり得ない」

92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 04:56:32.84 ID:xWJH9lEf0

大波のような情報量を前に溜息がでそうになる。
そろそろついていけそうにない。
でも訊かなきゃならないことがある。

「だったら、私は誰なんだよ?」

ぴくっと森さんと長門が反応し、何か変なことでも言ったのかと口を疑う。
でもそれを理解するより前に、森さんが質問に回答した。

「あなたは涼宮さんと同等で同質にありながら、
 鏡映しのように真逆の性質を持った、涼宮さんです。
 奇妙な話ではありますが、真逆といえどいわゆるの反対ではありません。
 同じでありながら逆質なんです。別の世界にいる涼宮さんと喩えてもいいくらいに。
 だから両者の力に差はありません。ただし、あなたの場合はルールを備えています」

ルール?

「あなたが破壊衝動を抱く相手。
 それはいずれも『不合理』を備えている相手だということです。
 一件目の雑木林のときは『あなた本来の人格』の影響が強かったため、
 攻撃対象を無意識的に逸らしたのでしょうが、後の長門さんと古泉の件では、
 紛れもない明確な敵意を持って襲いかかっておられたんですよね?
 なのに一般人の前には出られない。それは認めらているからなんです、『少女』に」

ハルヒと同質ってことは、『少女』はハルヒでもあって『少女』でもある、でいいのか?
ハルヒの理性みたいなものと解してもいいのだろうか。それとも一人二役だろうか。
混乱しはじめてきたが、森さんは構わない様子で、息をついでから断言した。

「だから逆質。涼宮さんが生みだした不合理を、あなたは元に戻す。消し去る。ゼロに戻す。
 あるいは認められないモノを、あってはならないモノを、滅する。それがあなたがもつ衝動の動機」

93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 05:18:16.43 ID:xWJH9lEf0

……古泉はそれらのことに見当がついていたんですよね。
じゃあその目的とは、なんなんですか。

「古泉のことを恨まないであげてください。
 あの子は本日中にでもあなたに真相を告げる気でいたはずですから。
 そしてあの子の目的。いえ、違いますね。
 わたし達の目的は――『神人』を滅し、一般人へと還ること。
 つまり、一向に終わりを見せない『神人』との戦いを終わらせる。
 不合理を消し去ることのできるあなたであれば、それが可能と踏んだのです」

『神人』を相手にする大変さは学ばされたばかりだ。
それを数年も継続してきたやつに向けて、文句はいえない。
ふと、森さんの表情に翳が差す。

「けれども初期の段階で既に、問題が発生していました。
 一時的にパンドラボックスの力を借りるだけという算段が崩れていたんです。
 本来はあなたが開かず、涼宮さんが手にすれば『打ち消し』て終わると推定され、
 長門さんらはパンドラボックスで『可能性』を手にし、互いにとって万事解決となる筈でした。
 ところが『少女』はあなたを選び、身体を依り代とするかの如く、居着いてしまった。
 そしてあなたを足掛かりに、着々とこちらへ侵入しはじめています。そうですよね?」

森さんの両眼に射抜かれる。
『変身』を重ねるたびに酷くなる意識障害。そして、それに伴う破壊衝動の長期持続化。
決定的なのは……俺の身体へ段階的に表れている変化。歴然だった。

「侵食、というのでしょうか。本来ならば『少女』は身体など持たないはずです。
 なんせ異世界。概念や理自体が異なった場所なのでしょうから。
 ですがこちらへと移るに至って、こちらの理を適用した存在へと変化する必要があった。
 だからこそ『あなた』を通して得た人間的な外見、を持っているのだと思われます。
 しかし決して、通常ならば存在するはずのない特異な存在。異様な外見はその象徴でもあると」

94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 05:33:36.44 ID:xWJH9lEf0

性別が女なのもハルヒの性質を写した象徴、ってことだろうか。
確かにこれだけの不条理な力を持つには、
ハルヒと同等でなくちゃ有り得ない、とはいえる気もする。
けれども侵食? 乗っ取られているというのか、この身体が?
疑問符が数えきれないほど浮いたとき、長門が補足した。

「あなたが手にしている杖、デバイス。相互間物質転移扶助装置。
 それは、物質だけでなく意識や存在をも転移していると訂正しなければならない。
 観測事例がなかったために発見が遅れ、事態を悪化させる一因ともなってしまった」

長門が申し訳なさを1ピコグラムくらい表現し、

「恐らく、『変身』プロセスを踏むたびに急激な転移量が発生していると推測される。
 あなたの意識は異世界へと送られ、彼女の意識は当該世界へと送られてくる」

変身するときの頭痛や立ち眩みは、まさか。
その別世界とやらを一時的に覗いてたってことになるのか?
訊ねると長門は肯定し、それから付け足す。

「ただし感知や理解は不可能。
 そのような能力や感覚器官を、人間であるあなたは持ちえていない。
 加えて、膨大な情報量を受け取ったところで処理が追いつかず、
 あなたの脳は自身を守るべく自己防衛機能が活性化し、結果、意識が遠くなる。
 これらは衝撃的な事態に遭遇した人間が普遍的に引き起こす、ショック症状と類似したもの」

ってことはあの妙な精神状態も、
理解できない何かを錯覚として受け取った結果、引き起こされていたのだろう。
もっとも、身体が『あっち』に乗っ取られちまったあとは本心なのだろうけど。

95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 05:53:55.92 ID:xWJH9lEf0

一通りの説明を終えたのか、二人は黙りこんでしまった。
こちらも同じように黙りこみ、腕を組んで思惟に耽る。
ちくりたくりと、時計の音が響くなかで各々が芳しくない顔つき。
そして残されている、たった一つの根本的かつ圧倒的疑問。

「ちょっといいかな」

決心し、訊ねることにした。
もしかするとその答えは耳にしないほうがいいのかもしれないが。

「私はどうな――違う。俺は、どうなるんだ?」

森さんは困惑するように瞳を揺らし、
長門は解が得られないのか彫刻と化している。

「そうか……わかった。そういうことなんだな」

やはり訊ねないほうがよかったのかと軽く後悔。

「ところでもう一つ追加質問があるんだ。
 長門、話を戻すが例の『神人』はどうなった?」

その質問には答えられるようで。

「わたしはそれを確かめるため、異変を察知しだい当該区域の探索を試みていた。
 しかし当該空間自体が発見できなかった。仮称『神人』は、逃走したものとみられる」

それで帰りが遅れたと。にしても『神人』のやつ、あのあと逃げやがったのか。
……なら事態が急変すると言っていたけど、そっちはなんだ?

97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 06:46:02.18 ID:xWJH9lEf0

「先述の通り、涼宮ハルヒと『あなた』のエネルギー発生源は、
 概念的な説明を試みた場合、対消滅プロセスと酷似している。
 仮称『神人』は涼宮ハルヒの分身として相似した存在。
 仮称『パンドラボックス』は、二人を繋ぐ路。
 従って、好ましくない形で仮称『パンドラバックス』などを有してしまった場合、
 涼宮ハルヒとあなた、二名分のエネルギーを有することになるか、
 または臨界点を迎え、莫大なエネルギーを発散させることになる」

莫大なエネルギーって、世界改変でもしちまう気か?

「その可能性も認められる。どのベクトルへ向かうのかまでは不明瞭。
 可能性としては、単純に音や光、熱として発散されることも有り得る」

つまり、大爆発すると?

「そうなるでしょうね」

森さんが深刻な顔で頷いた。
空けるまでは壊れるか生まれるか、何も解らない。
まるで神話にでてくる『パンドラの箱』そのものじゃないか。
今にして思えばこの杖だって他者からの能力を奪い去り、
自身の力へと変えて成長していく、ある意味で万能、いや全能な力。
それや『少女』も含めて神々からの贈り物、ってわけかい。
困ったものだね、こうまで近似すると先を暗示されているみたいで。
まあいい、やるべきことは定まったのだ。

「その『神人』が今現在、どこにいるのかわからないかな?」

99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 06:59:22.00 ID:xWJH9lEf0

「なにをされる気なんですか」

森さんは心配とともに、警戒するような仕草をみせた。
俺がパンドラを手に握ったからなのだろう。

「いや、古泉から能力を引き継いじまったものでして。
 なので『神人』を退治するところまで含めて、私の役目なのかなってね。
 もとは自分で撒いた種です。どっちみち『神人』を消し去る必要があるんでしょ?」

パンドラを握ったせいか、所々で自分自身の口調と語調に違和感を覚える。
けどどうしようもないものはどうしようもない。
俺が心内で一人格闘を繰り広げていると、森さんはぽつりと零した。

「あまり変身を重ねすぎると、完全に戻れなくなるのかもしれませんよ?」
「だけどもこのまま過ごしていたって、結局は先延ばしになるだけなんですよね」

森さんの代わりに長門が返答する。

「杖を手にしている限り、それは避けられない。
 そしてあなたが杖を手放せない以上、避けることもできない」

とうとう八方塞がりだってことを告げられた。

「それで、居場所はどうなの?」
「現在は反応がみられない。
 仮称『パンドラボックス』を用い、異空間へ潜伏しているものだと推測される。
 けれども遠くないうちに姿を現すことだけは確実であると断定できる。
 当該空間は、過去のデータからも周期的な発生が認められているため」

なら、いまのうちに心の準備をしておけってことだな。上等だ。

100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 07:27:03.36 ID:xWJH9lEf0

森さんが、予め用意してくれていた夕食を温め直して、
またも豪勢であったそれがテーブルまで運ばれてきた。
こんな時でもメイド体質は抜けないのか規律正しい一礼をくれると、
携帯電話を片手に足早く外へと出ていった。
恐らく、連携をとるために『機関』へ報告するのだろう。
今まで謎に包まれていた『機関』の全容をここまで明示したってことは、
それだけそちらの人たちにとってはパンドラが重要であることを示している。
ならびに、それに賭けていた古泉の決意の重さもだ。

「逃げるこたーできねえよな」

独白のつもりでのそれに、長門はこくりと頷き、

「わたしとしての手落ちも否めない。すべては予見が甘かった。
 情報統合思念対は、あなたのバックアップを全面的に努めることを確約する。
 それが我々にとっても利であり、わたしという個体にとっても――同じこと」

長門は喰い溜めでもするつもりなのか、輪を掛けて夕食を詰め込んでいく。
俺は食事を摂らないし、摂れない。きっと、異世界には無い概念なのだろう。
そう考えながら長門をみていると、朝比奈さん(大)の言葉が蘇ってきた。

『自分を信じてください。
 あなたがするべき事は、決して過ちではないんですから』

……その通りだな。これから解決策は見つかるかもしれない。
だから今はやるべきことをやって、それが先に繋がると信じて。
事態が好転するように祈るしかない。駄目だったら後で考えよう。

俺は睨むようにパンドラを眺めると、ぎゅっと、強く握り締めた。

70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 02:38:18.45 ID:e3VkO8kD0

森さんが帰ってきたのは、夕食の殆どが長門の腹に収められた頃である。
どこで着替えたのかメイド衣装だったはずの森さんの身体は、
動きやすそうなラフなものへと包まれていた。臨戦態勢、なのだろう。
俺はすぐさま訊ねる。

「やつの行方は掴めましたか?」
「いえ、まだです。閉鎖空間の発生すら感知されていません」

一体どこへ行ったというのだろう。
あの時、ちゃんとトドメを刺せていれば……。

「けれども朗報ならあります。古泉は一命を取り留めたようです。
 依然として危険な状態ではあるようですが、目下の延命には成功したと」
「……信じていいんですか、それ」
「わたしは笑えない冗談なんて嫌いよ。それから、これをあなたに」

森さんが携帯電話を差し出してくる。見覚えのある型式。

「古泉のものよ。これから先、急務に対応するには必要でしょう?
 『神人』の対応はわたし達の専売特許。
 あなたがそれに加担するというからには、相互の連携を崩せませんから」

受け取ったそれを、俺は大事にしまいこんだ。
形見なんて縁起の悪いことは冗談でも考えたくないが、
これは今まで古泉を支えてきた重要なアイテムでもある。
やつの使命を引き継ぐ以上、大切に扱わなければならない。

72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 02:57:54.15 ID:e3VkO8kD0

しかしやつが助かって本当に良かった。
少しだけ救われたような気がする。

「今から古泉のところへ行けませんか?」
「無理ですね。先も言ったとおり重篤であることには変わりなし。
 行った所で面会謝絶は必至でしょう。でも心配は無用です。
 もともとあの病院は『神人』との戦いで傷付いた超能力者たちの優先治療施設。
 優秀な医師が揃っているからには、下らない医療ミスなんて起こり得ないわ。
 それにちょっとした助っ人の協力も得られたことだし、向かうところは安心よ」

助っ人?

「それについては禁則事項ですね」

ふふ、とクールに微笑む森さんはテーブルにつくなり、
先ほどまでの毅然とした態度も和らげて、馴染みあるメイド状態のそれへと戻った。

「さて、あなた様もそろそろ身体を休められては如何でしょうか。入浴もまだなんでしょう?
 暫く時間も空きそうなので、休めるときに休んでおかなければ持ちませんよ」
「ですがいつ『神人』が出現するか――」
「キョンくん、『神人』を甘くみないで」

一瞬感じる、金属のような冷たさ。

「わたし達を信じて。『神人』の感知においては他の誰よりも長けていますから。
 その時が来たら、あなたには真っ先に連絡を入れます。だから万全を期して。お願い」

懇願するようなそれに押され、俺はその場を後にした。

73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 03:13:41.16 ID:e3VkO8kD0

立ち上る湯気。ほどよい湯加減。心地よい入浴剤の香り。
身体の芯から疲れを流してくれるような、風呂の魔力。
そのリラックスムードが頭を冴えさせてくれるのか回転も速くなり、
前日と同じようにヘリに頭を乗せた俺は、情報の整理をはじめる。

森さんや長門、そのほか今までに蓄えられてきた情報からするに、
『パンドラの少女』とは、ハルヒと似たような存在であるということらしい。
そこで森さん、というより古泉は、そのパンドラや少女の力を用いて、
ハルヒの力を消滅させてしまおうと考えていたってわけだ。
これは熱平衡に近い考え方なのだろう。ハルヒと少女は逆質。
即ち、熱湯に冷水を注ぎ、ぬるま湯にしようという算段。
だが、『少女』がハルヒではなく、俺を選んだことによりそれが崩された。
奇しくも以前、俺は古泉から『涼宮さんはあなたを選んだのだ』と聞かされたことがある。
『少女』とハルヒが同質でもある以上、もしかするとそれは必然だったのかもしれない。

……偶然だと信じたい、ってのはハルヒと出会った時も考えたっけ。

浴槽に顔をうずめ、逸れた考えを元に戻す。
宇宙人にとって、超能力者にとって、そして未来人にとっても恐らく。
それぞれの目的を達成できるだけの絶大な力を秘めた、希望の箱パンドラ。
なのにどこで間違えたのか状況は絶望の一途を辿っている。
本当に解決策なんて見つかるのだろうか。
俺は、脱出不可能な袋小路のなかに居るんじゃないのか?

「はぁ」

いかん。余計なことを考えちゃ気が重くなっちまう。いい加減に風呂から上がるか。
俺は浴槽を立つなり、鏡にかけておいたタオルを回収した。
髪色の影響か、虹彩が紫から赤紫に変わっていたのは、最早些細なことだった。

76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 03:37:58.98 ID:e3VkO8kD0

「なにか反応はありましたか?」

部屋に戻って訊ねると森さんは首を横に振った。
未だ目立った動きはないようだ。
長門は食後のお茶なのか、じっくりと味わうように正座している。

「なあ長門。ふと思ったんだけど、俺の正体を一般人に晒すとどうなるんだ?」

長門がお茶を静かに置く。

「前例が無いために正確には判らない」
「予想でもなんでもいい、可能性が高いものを挙げてくれ」

それから黙考すること五秒。

「当ルールは、涼宮ハルヒ、または『彼女』が課したもの。
 両名はこの場合において同一で、合接。
 片側だけが課したわけではなく、片側が真となればもう片側も真となる。
 当ルールによって定めらた一般人とは、涼宮ハルヒ、または『彼女』の尺度における、
 『不合理』を認めていない人物、または有していない人物となる。
 それらに該当している者にあなたの存在が認められた場合、
 当然ながら『不合理』を有しているあなたもルールによって縛られる対象となる。
 だからこそ『彼女』はそれを忌避し、あなたもそれに抵触しないよう行動していることになる。
 『彼女』は本来存在しないもの。一般人にとっては『不合理』以外の何物でもない。つまり――」

こちらを向き、

「あなたは現存世界から抹消される」

長門はそう言った。

77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 04:07:16.21 ID:e3VkO8kD0

「そうか……俺はその『不合理』とやらを消す側でもあり、消される側でもあると。
 自分自身がルール違反。古泉が言っていた生存本能ってのは割と正しいんだな」
「これは推測。実証データは存在していない」

慰めているつもりなのかそれは。

「例外は存在する。涼宮ハルヒに存在を認知された場合がそれにあたる」
「どうなるんだ?」
「対消滅プロセスにより、莫大なエネルギーが発生する」
「ジ・エンドってことでいいのか」
「いい」

恐がらせているつもりなのかそれは。
熱湯と冷水どころか、太陽と冥王星ぐらいで考えたほうが良さそうだな。
水だって高温の物質に触れると水蒸気爆発を起こすんだから、似たようなもんなのだろう。
森さんも言葉を挟んでくる。

「少しずつ少しずつ、過剰反応を起こさない程度に消費できればベストなんですが」
「それも前に仰られていた陰陽論ってやつですか?」
「いいえ違います。単なる科学的見地からみた所懐です。
 ニトログリセリンだって製薬過程では爆発しないでしょう?
 そのような上手いやり方、というのが存在していればいいんですが」

森さんもお手上げなのか考え込むように溜息をついた。

「問題は涼宮さんと『あなた』が常識では測れない、特殊な存在であるという点ね。
 どちらかがプラスになれば片方がマイナスに転じ、逆もまた然りで恣意的に揺れる。
 それだけならいいんだけど、両方がプラスになる場合さえありそうなのが厄介ね」

そこで言葉が切れる。

79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 04:20:40.67 ID:e3VkO8kD0

「もし、もしもですよ」

言おうか言うまいか考えていたが、俺はそれを口にすることにした。

「俺が自らその『一般人』とされる人たちの前にでれば、
 これらの事態というのはあっという間に収束するんじゃないでしょうか」

森さんの目つきが険しくなる。

「自殺するっていうの?」
「いえ、そういうわけじゃ……ないですけど」
「でもそういうことよね。だってそうでしょう?
 長門さんの見解に則れば、正しく自殺行為じゃない」

完全なる論理的矛盾を突かれた俺は、何も言い返せない。

「まあ、もしそれを実行しようとしても『少女』が認めないでしょうけれど。
 場合によっては相手が認知するよりも早く、辺り一帯を消し飛ばすかもしれないわ。
 そうでなくとも涼宮さんと同質である『彼女』の消滅が何を引き起こすかは未知の領域。
 巻き込みで涼宮さんも消滅するのか、はたまたバランスが崩れて暴走するのか。
 何にせよ事態が好転する余地より、急激に悪化するリスクのほうが高い。だいたいね」

呆れたように森さんは続けた。

「縁起でもないことは言わないでください。
 古泉が目を覚ましたときにあなたがいなければ、きっとあの子は後悔しますから」

俺は深々と頭を下げ、森さんへと謝罪した。大事なことを失念していたからだ。
古泉が危険を冒しながらも拾ってくれたこの命を無碍に捨てるなんて、血迷うにも程がある。

80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 04:35:33.20 ID:e3VkO8kD0

「すみません。疲れているみたいなので少し眠ります。
 何かあったらすぐに報せてください、覚悟はできているので」

その場にいるのが辛く、寝室へ行こうとすると、
背中からはふたりの声が聴こえてきた。

「ごゆっくりどうぞ」

柔和な森さんと、

「おやすみ」

小さく長門。
察するに、この二人は今夜も打ち合わせをするのだろう。
俺も力添えをしたいところであるが、
残念ながら知力がついていけそうになく、
かつ先ほどのような失言を重ねれば進行妨害以外の何物でもない。
ならば森さんに言われたとおり、休めるときに休んで備えておくべきだ。
目下のところは『神人』の殲滅と、それによる超能力者サイドの悲願達成が第一。
パンドラでなくては消し去れない以上、最後を担うのは、俺であるはずだ。
だったら今はそれだけに全力を注ぐことを考えよう。

布団へと潜り込む。
気は張っていたつもりでも思っていた以上に疲れは溜まっていたようで、
布団に入るなり急激な眠気に襲われ、すぐに眠りに落ちてしまった。
そして結局、翌朝まで俺に声がかけられることはなかったのである。

81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 04:46:45.62 ID:e3VkO8kD0

目を覚ましたとき、辺りはまだ宵闇のなかにあった。
夜長の季節といえども、普段の俺ならば、
登校を嫌って布団のなかでイビキを掻いている時間帯だろう。
俺は布団からそっと抜け出すと、
パンドラを片手に灯りの漏れている隣室へと移動する。

「あら、お早いんですね」

森さんと長門は起きていたようだ。
二人へ挨拶をしながら俺もテーブルにつく。
時計を窺うと、時刻は朝の五時ちょっとだった。

「お二人とも起きっぱなしだったんですか?」
「いえ、わたしは仮眠をとりましたので。
 それに睡眠は時間が空いたときに小刻みにとるよう、心掛けておりますから」
「長門は?」
「へいき」

けろりと答える長門。
こいつは睡眠をとらないのかもしれない。
続けての質問をしようとしたところ、森さんに先手を打たれた。

「まだ何も、ですね。徐々に予兆が現れてはいるようですが。
 その予兆をもとに各員を配備してはいますが、閉鎖空間の現出報告はなし。
 これを喜んでいいのか悪いのか、溜飲が下がらない心境というところです。
 さて、それでは朝の支度としましょうか。空腹ではよい考えも浮かびませんから」

流石は森さん。
ペースは崩さないようだ。

84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 05:37:35.78 ID:e3VkO8kD0

コトコトと包丁がリズミカルに音をたて始めると、
俺は森さんの負担を減らすべきだとの考えから、
寝室の布団をベランダへと運びだし、次に洗面所へ向かった。
身なりを正しておかないと森さんチェックを入れられかねない。

手始めに髪をヘアバンドで留め、それから顔を洗う。
男のときはヘアバンドなんていらなかったのに、
髪が伸びてからはこうでもしないとマトモに顔も洗えない。
タオルで水気を拭き取ると、冷たい空気が一層、冷たさを増した。
鉄のように冷たい床にも、足を躍らせずにはいられない。

次に、お湯で湿らせたタオルを用いて髪を濡らし、
櫛やドライヤー、その他雑多なテクニックを駆使して暴れた髪を落ち着かせにかかる。
にしても、我ながらこの身体に適応するのが早いなと思う。
森さんの教え方がうまいのかもしれないけど。
そんなことを考えつつも、乾燥肌を防ぐ薬液だとか潤いを保つエッセンスだとか、
これまた森さんに仕込まれたものを手際よく塗布していく。
面倒だとは思うが、曲がりなりにも自分の身体なんで大切に扱わなきゃな。
とかいいつつ、前日は血塗れになっていたりもしたが。

「はぁ、こんなもんかね」

流石にメイクは森さんに頼るしかないがな。
切に願う。俺がそんなものを習得しなければならないような事態は避けたいと。
現状からするに、それは希望的観測なのかもしれないけれど。

85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 05:51:24.29 ID:e3VkO8kD0

一時間ばかし早めな朝食の時間。
今回は森さんも俺たちと一緒にテーブルを囲むようであるが、
言うまでもなく俺がそれらを口にすることはなく、
またも唯一の食物となっているホットココアを啜っている。
意地でもこれを飲むのは、人間である俺なりの抵抗だ。
食事を忘れてしまえば、いよいよもって異世界人と化してしまいそうだしな。

「ところで、今日の私はどう過ごせばいいの?」

昨夜は落ち着いていたのに、油断するなり口調が乱れてしまう。
言いなおすのも癪なので訂正はしないが。

「そうですね。あなた様はやはり、学校へと通われるべきでしょう」
「でもそれだと」
「変化があればすぐにお伝えします。
 それに、閉鎖空間の現出も無しに我々にできることは限られていますから。
 ですから、気晴らし程度だと考えて普段通りに過ごすのがベストでしょう」

長門はどう思う?

「提案に意を連ねる。平時との差異により、何かを得られる可能性もある」

……わかりました、そうさせて貰います。

「くれぐれも携帯電話は手放さないでくださいね。
 尤も、古泉の能力を引き継いだあなた様でしたら不必要なのかもしれませんが。
 というわけで、そろそろ学生ルックに身なりを整えましょう――ね?」

にっこりと向日葵のように微笑む森さんによって、
俺はまたもや洗面所まで引き摺られていった。チェックをパスできなかったようである。

86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 06:04:16.47 ID:e3VkO8kD0

毎朝の日課、着せ替え人形タイム。ところでだ。
規律に厳しいこの人は、『機関』とやらの階級でどの辺りに該当するのだろうか。
元帥、にしては気さくすぎるし軍曹、なんて無難な位置でもなさそうだ。
いっそ将軍とか猛将とか閣下とか珍妙な位置に陣取ってそうな予感がある。

「髪も染めてしまいましょうか、頭髪規則に反していますからね」
「いえ、結構です!」

カラーリングスプレーの原液をぶっ掛けて来そうな森さんを制し、
逃げるように寝室へ戻ると、慌てるように女生徒用制服に身を包み、
用意してもらった、というよりは、強制的に用意されていた姿見を用いて、
自分自身の頭髪をまとめあげ、ポニーテールにするべく結っていく。
この程度ならば俺だってできる。
きゅっと、後頭部が引っ張られるような感覚には気が引き締められるようだ。
昨日は定められなかった中心位置も、密かに練習していたお陰でバッチリである。

「準備は整いましたか?」

扉が開いたかと思えば森さんが顔を出していた。
そして俺を上から下まで眺めるなり、

「やっぱりテールがズレていますね。利き手のほうに気を取られすぎです」

容赦のないダメ出し。
姑のようなこの人には、ほとほと敵いそうにない。

87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 06:17:33.33 ID:e3VkO8kD0

「杖を構えて」

そしてこれも日課。俺はパンドラを構える。
逆変身の呪文を唱えはじめた長門の周囲には、
昨日にも増してクッキリとした光の風が視えている。
着実に、俺の侵食具合も進んでいるようだな。

「完了した」
「すまないな、毎度ながら手間をかけさせちまって」
「ノープロブレム」

決め台詞なのか思いっきり棒読みなそれのあと、長門は手をおろした。
朝の日課がすべて完了したという確認を済ませた俺は、森さんへと言う。
訊くのが怖くて後回しにしていたそれをだ。

「古泉の意識は戻ったんでしょうか」
「……大丈夫よ」
「わかりました」

若干、返答に間があったのが気になったが、
俺はそれに踏み入ることができなかった。
意識が戻っているのであれば時間的にも早いので、
登校の出掛けに見舞いにいこうと踏んでいたのであるが、
どうやらそれをするにはまだ時期尚早という塩梅のようだ。
焦らなくていい、きっとあいつは助かるから。
俺はニヤけた笑みをなじるために、言葉を用意しておけばいいんだ。

「それじゃあ、いってきます」

俺は森さんへと告げて、長門とともに学校へと歩きはじめる。

89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 06:37:54.42 ID:e3VkO8kD0

その道中でのこと。
俺は昨夜から考えていた提案を口にしようと決断した。

「大事な話があるんだ」

隣を歩く長門が、ゆるりとこちらを向く。
眼が合うとやはり止めるべきかと迷いが生じそうになり、
いや、やっぱり言うべきだろうと迷いを払い、固く決意する。

「俺がもし、完全に『あっち』に乗っ取られちまったらさ、
 その時はもう……俺が暴れないように……トドメでも刺しちまってくれ」

昨夜の森さんの至言は心に突き刺さったことも確かだ。
でも、最悪のケースに陥ったまま下手に生き永らえてしまうと、
間違いなく、俺は。SOS団メンバーを――手に掛けてしまう。
その言葉を期に互いに無言となり、足音のみという静寂が訪れ、
朝の爽やかな空気がそれを逆に、嫌な方向へと引き立てていく。だが。

「その提案は飲めない」
「どうして」
「根拠はない」
「でも俺はいずれお前をも――」
「させない、わたしが」

足を止め、睨むような目付き。
初めて俺が目にしたのかもしれない、霞のような長門の怒気。

「すまん。やっぱり俺は、頭が悪いようだ」

つかつかと先を歩いていく長門の背を追いながら、俺は自分の弱さを呪った。

91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 06:56:12.75 ID:e3VkO8kD0

結局、無言のまま校門前で長門と別れ、俺はひとりで教室へとむかった。
敷居を跨ぐなり、当然ながらにガラガラである席に迎えられる。
昨日よりも早い登校となると、クラスメイトたちのそれも顕著となるようだ。
俺は特にやることもなかったので、新しく用意してもらった学用鞄を開くなり、
適当にやり残していた課題というものを片づけていく。

古泉の携帯電話にいつ『呼び出し』が来るのかと考えたら気が気ではなかったが、
普段通りの学生生活をしていないと自分自身を忘れてしまいそうだったので、
一向に集中もできないまま、食い入るように教科書を見つめ、ノートに筆記し続けた。
その空気が変わったのは、ハルヒが登校してきてからである。

「おはよう」

またも唐突に後ろから聞こえた声。
俺が振り返ると、ハルヒは陸に打ち上げられたイルカのように、
自分の机へグッタリと顔をうずめ、調子が悪そうに唸っていた。

「おはよう。って、どうしたんだ」
「久しぶりに最悪の気分だわ」

ぬらりと顔をあげたハルヒは、
その気分というものを表情のすべてで以て表現している。
こいつほど顔に出るタイプというやつを俺は知らない。

「あとで気が向いたら話すから、今は話しかけないで」

大きな溜息を残したハルヒが再び口を開くことになるのは四時間目のことで、
朝は快晴だったはずの天候が急激に崩れていき、
まるでハルヒの心境を明示するかのように雨が降りだしたのも同時期だった。

92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 07:11:25.01 ID:e3VkO8kD0

授業も中程に差し掛かった頃、不意にハルヒが話しかけてきたのだ。
いや、もしくはそれは独り言だったのかもしれない。
やけに悄然としていて、ぼそぼそと呟くような声。
俺はそれを無視することができず、前を向いたまま耳を傾けていた。

「SOS団のこと、どう思う?
 あたしはさ、けっこう好きだと思うんだけどね。
 これまで一杯楽しいことをやってきたし、
 多分これからもやって行くと思うんだけど……」

俺は視線だけをよこし、静聴に徹する。

「でもね、ずっと気に掛かっていたことがあるの。
 あたしがSOS団を設立した当初に言ってたこと憶えてる?
 未知なる存在をみつけて、その人たちとともに有意義な時間を過ごす。
 細部までは憶えちゃいないけど、大体そんなことを言っていたと思うわ。
 だからこれまでだって、ずっと探し続けてきたんだから。でもね――」

ハルヒの視線が、真っ直ぐに俺を捉えた。
何故か俺は、胸が張り裂けそうになるものを感じている。

「どうしてあたしがそんな事をするようになったか、あんた知ってる?」

95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 07:23:46.23 ID:e3VkO8kD0

俺は記憶を辿るまでもなく即答した。

「俺がお前にSOS団を作るように進言したからだろう」
「違う。そもそもの要因よ。結果じゃなくて動機」

そう返答されるのは分かっていた。
私は、あなたが持っている答えを知っているから。

「昔、あたしが校庭に絵を描いたの知ってるわよね?」

知っている。今から三年、いや四年前なんだろう?
お前にゃ言えないが、俺はその一端を手伝ったんだからな。

「その時に会った人ともう一度会いたいなって思うの」

知っているぜ、それも。
ジョン・スミス。俺が騙ったもう一つの名前だ。

「だけどね、聞いて。違うの。そこじゃないの。それもあるけど違う。
 じゃあどうしてあたしは、『そもそも絵を描こうと思ったか』ってところ」

どうして絵を描こうと思ったか?
俺は知らない。されど私は知っている。

「ずっと昔からなんだけどね……あたし、夢をみるんだ。定期的に、同じ夢を」

いつか古泉が言っていた。
ハルヒが閉鎖空間を生みだすのは、夢をみている時間帯に多いのだと。
とてつもなく恐い夢が、ハルヒに閉鎖空間を生み出させているのだと。

96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 07:46:51.44 ID:e3VkO8kD0

「毎回毎回、同じ夢。どこまでいっても同じ内容。
 真っ暗よりも昏くて、タンスのなかよりも狭くて、墓場よりも鎮かな場所。
 そこに閉じ込められているあたしは、することもなくて蹲るしかない」

そのとおりだよ。
することなんて、一つも無かった。
できることなんて、一つも無かった。

「そこに閉じ込められているとね、酷く楽しそうな声が聴こえてくるのよ。
 何処から聴こえてくるのかは判らないけど、凄く楽しそうな人たちの声。
 あたしはただ、それをずっと聴き続けるだけ。
 他にやることなんて、できることなんて、何もないから。
 せめて声に耳を傾けて楽しめたらいいなって、そう願いながら聴き続けて、
 でもね、やっぱりそういうのを聴いていると物悲しいじゃない?
 だからあたしはこう言ったの――」

だから私はそう叫んでいたんだよ。
『わたしはここにいる』、って。

「あの日もその夢で夜中に目が醒めちゃって。
 居ても立ってもいられなくて、あたしは校庭に向かったわ。
 どこかの誰かが呼びかけているんじゃないかって気がしたから。
 その人に応えるには、大きな文字として描く必要があるんじゃないかと思って――」

そこまでハルヒが連ねたとき、地面が大きく揺れだした。
同時に携帯電話が震えだし、俺はその時が来たことを悟った。
もっとも、似非超能力者としての直感も併せてである。

98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/01(木) 08:09:57.78 ID:e3VkO8kD0

「地震だ!」

クラスメイトの誰かが叫んだかと思った直後、
喚声があがると共に窓際へと人が集まっていく。
俺はそちらを睨んでいた。誰よりも早くだ。
目を疑ったのも、きっと誰よりも早かったはずだ。

どうして『神人』が視えている?

北高からは遥か遠く離れた場所に、紛れもなく『神人』が立っている。
なのに辺りは明るいままで、こうやってクラスメイトたちの眼を引いている。
さらにはハルヒまでもがこう零しやがった。

「なにあれ……怪獣?」

いつもと異なり、腐ったリンゴのような色味を持っている『神人』。
どうしてやつが現実の世界に現出していやがる?
ちらと教室内の様子を見回すと、出入り口のところに長門がいた。
俺はその姿を認めるなり鞄とパンドラを引っ掴み、
教室内の混乱に乗じて素早く廊下へと飛び出す。そこも騒然としていた。
俺と長門は揺れる地面に構わず、走りながら情報を確認する。

「ありゃなんだ?」
「仮称『神人』と類似性が高い。ただし異なる点がひとつある。
 仮称『パンドラボックス』により、現空間干渉能力を得ていると推定される」
「マジかよ。やれやれ」

ついにこっち側まで出てきやがったのか、あのバケモノめ。
俺たちは現場に駆けつけるべく、肩をならべて屋上まで疾走していく。

32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 03:47:51.65 ID:FmSrPAT+0

波を打つような大地の暴挙は一向にやむ気配がない。
震度的にみて堅固な校舎が倒壊する恐れはなさそうであるが、
これだけ揺れてりゃ心構えをする暇もなかった一般生徒らは、
床にヘバりつけるだけでも上出来といったところだろう。
そんな校内状況を横目に階段を駆けあがっていく最中、
あたりに人がいないことを悟った俺は携帯電話の着信に応じた。

「森さん、視えてますか?」
『ええ、現場にいるから勿論。となると、そちらからも視えているようね。
 各関係からの情報筋でアタリをつけて警戒網を張ってはいたけれど、
 まさかこんな形で相見えることになるとは思いもしなかったわ。
 件の箱の影響が、『神人』が外空間へ現出しかけているみたい』

しかけている?

「ってことは、まだ完全には現れていないってことでしょうか?」
『そうよ。現在は姿形だけが視えている、いわば現出地点に影写された状態。
 だけど時間が経過するにつれて実体も伴い始めているように見受けられるわ』
「そっち方面って建物や住人なんかが大勢いるんじゃ?」
『幸い、丘陵地に造られた閑静な高級住宅地付近だから駅前に比べればマシなものよ。
 それでも『神人』が閉鎖空間内部と同等の力を持っていると仮定した場合、
 このままいけば被害は甚大。前日と本日の雨も相まって地すべりの危険性すらある』
「把握しました。長門と共に、すぐにそちらへと向かいます」
『出来る限り急いで頂戴。協力者による現出の延引にも限度があるから。
 勿論、地域住民の避難誘導も並行させてはいるけれど、ステルスは忘れないようにね』
「了解」

俺が通話を終えたとき、長門が屋上扉を解錠した。

34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 04:03:32.59 ID:FmSrPAT+0

一秒ごとに雨脚が増し続ける濁り空。豪雨。どしゃ降り。
それに構わず突っ走り、屋上の安全柵をも踏み越え、

「開け――パンドラ!」

意識障害を気力で耐え抜くなり、『拒絶』と『疾駆』を行使する。
ストン、と背中に長門も飛び乗ってきた。
同時に物理フィールドでも展開させてくれたのか、
雨は俺たちを避けるように降り注いでいき、
高速飛行している割には風の抵抗を一切受けない。

「長門! あいつをどうにか出来る鬼謀とやらはないか!?」

神速果敢、雨を切って空を駆ける。猶予なんて寸刻すらない。気絶なんて以ての外。
地域住民に被害がでるのもかなり不味いが、騒ぎになるのはもっと不味い。
ハルヒに『神人』が視認されちまった以上、早急に何とかしなければ。

「方法はある。人工的に発生させた限定空間へ、対象を引き込む」
「一昨日にお前がやった空間閉鎖に情報封鎖だっけ。すまんが頼むぞ」
「ちがう。それらは既に試み、効果が芳しくないと判明した。
 大規模な遮蔽スクリーンの展開は困難。同時並行の空間切除も至難。
 現在、対象の現出を遅延させる微小な効力しか発揮できていない」
「……現在? じゃあ、森さんが言っていた協力者ってまさか」
「わたしと同等の任に就くものたち」
「超能力者と宇宙人の相互協力ってわけか。このぶんじゃ、未来人もいそうだな」

バケツをひっくり返したような雨によって見通しは限られ、
遠くは霞み、『神人』の姿は水のカーテンの奥で泳いでいる。
この悪天候のおかげで視界が遮られているのは唯一の幸運だ。
晴れていれば数十キロ先からでもバケモノの姿が視えていたことだろう。

35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 04:13:41.51 ID:FmSrPAT+0

長門の助けを借りた『疾駆』は敵陣へ放たれる嚆矢のごとく、
気色と血色の悪い『神人』までの距離をみるみるうちに縮めていく。
やがて近場まで到達すると、避難誘導を受けている人々のなかに、
敢然と集った森さんらの姿を見つけたので、俺と長門はすぐさま着地した。

「遅くなりました、現状はどうなんでしょうか?」

呼びかけてはみたが、姿が視えていないのだろう。
森さんはこちらを向いたものの焦点が定まっていない。
けれども慌てる様子もなく淡々と続けていく。

「現状は見ての通りよ。『神人』が現出しかけているわ。
 ついでに、空間干渉の際に発生した余剰エネルギーによって地震が発生。
 雨であることも重なって災害警報もでてるし、付近一帯はパニックね。
 もっとも、地震が発生してくれたお陰でこちらとしては誤魔化しが利くけど……」

渦中のバケモノは痩身が黒々としているものの、
50%程度の透明度を誇っており、どろどろとした雨雲が身体の向こうに透けている。
俺は面白くもない『神人』の観察はそこでやめにし、次に辺りを見回した。
傘も差さずに必死に逃げようとする人たちがいる一方で、
恐れる様子もなく『神人』を注視している人や、区域民の誘導に勤しむ人、
何かをやっているのか『神人』にむけて両手を掲げている人たちなど多種多用だ。
その服装もスーツを着込んだ社会人チックなのがいれば、大学生じみた者もおり、
なかには老人、小学生、そして我が北高の制服に身を包んだ高校生までいる。
やけに席がガラガラだなとは思っていたが、まさか身近にも潜伏してやがったとはね。
まあいい、そういうのは後回しだ。この場において彼等はみな、俺たちの味方なのだから。
そんなことよりも。

「これからの指示をください」

36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 04:19:12.45 ID:FmSrPAT+0

森さんが苦虫を噛み潰すかのように顔を歪める。

「難しいところね。
 閉鎖空間内部でなくては超能力者は能力を発揮できない。
 長門さん側の協力を得て限定空間への阻却も行ってはいるけれど、
 『神人』の力があまりに大きすぎて抑え込めそうにないのが現状よ。
 最悪……このまま現空間で闘ってもらうしか無いのかもしれないわ」

でもリスクが高すぎる、と森さんが零す。
毎度ながら、幼くみえる容姿からは想像し難いほどに的確な状況分析。
本物の閉鎖空間を生みだす『神人』がパンドラボックスの力を得た以上、
人工の閉鎖空間を創りだす長門らの能力では太刀打ちできないのだろう。
かつてハルヒが一度目の世界改変を行おうとした際も、
長門や古泉たちはヒントを残すために進入するので精一杯だったのだから。
或いは、ヤツがパンドラと同じく不合理反発特性を有したのかもしれないが。

だったらどうすりゃいい?
この人だかりのなかで俺がマトモに闘えるのか?
仮に闘えたとしても、代償として辺り一帯を吹き飛ばし兼ねない。
昨日、古泉によって連れ込まれた閉鎖空間のなかでの一件を、
現実の世界でやっちまえば大災害どころの騒ぎではない。壊滅だ。

「何か方法は――!」

はたと感づき、パンドラを睨む。
『本物の閉鎖空間を生み出す能力』を持つ、『神人』。
そして、他者から奪い取った情報をもとに自己進化を齎す杖、パンドラ。

そういうことか。考えてもみれば、俺は『神人』を斬り付けていたじゃないか。
だとしたら今の俺は、『神人』と対等の立場へ立てていることになる。

38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 04:33:41.54 ID:FmSrPAT+0

「方法が見つかったのかもしれません」

言うなりパンドラを雨天に掲げ、なかほどを両手で握る。
上手くいくかどうかは解らないが、やってみるほか道はねえな。
それと同じくして『神人』も実体を得たのか、接地する地響きが伝わってきた。
重さなど持っていなかったはずのあいつが、どうしてか盛大な足音を立ててやがる。

「時間がない。長門、俺に加勢してくれ」
「理解した」

長門がパンドラに触れるなり、眼を閉じて意識を集中させる。
頭の中に閉鎖空間内部のイメージを強く念じ、
可能な限り綿密に描きだし、『神人』を送り返すという意志を強固にしていく。
雑念が混じれば初めから唱え直し、集中が途切れれば描き直す。
空を灰色に塗り、家は闇色に飾り、唯一の明かりは街灯のみという光景。
明確に明白に自身へと問いかけ、それが当たり前なのだと錯覚させ、
自己暗示に次いでのセルフコントロールを高次元にまで昇華させていく。
途中、『神人』が腕を振るったのか悲鳴とともに破砕音が轟いたが、
俺は気を逸らさず空間を創りだすことだけに努めつづけた。

やがて幾度目かのこと。
喧噪が消え、風の音が止み、雨の音が流れ、
世界には自分の意識だけしか存在しないのだと確信できたその一瞬を衝き――。

「現実からは消えてしまえ」

『封鎖』の意をこめて、杖へ縋るように捻り込んだ。

39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 04:42:53.55 ID:FmSrPAT+0

パンドラの杖頭から放たれた白色レーザー光線のようなものが、
厚雲で覆われた空に伸び切るまでは、瞬き一つも要しなかった。
まず雨雲が吹っ飛んだ。綺麗なまでに。跡形もなく。
鬱屈としていた空には真夏の日差しにも匹敵する太陽が生まれ、
この身を冷たく濡らそうとしていた雨は、匂いすら残さずにかき消える。
文明を思わせていた白壁の高級建造物は一瞬にして朽ちてしまい、
廃墟のようなそれらには植物のツタが満遍なく絡みついている。
足元には花々、頭上には青天、遥か遠くは大地が切り取られたかのような虚空。

一変した景色は、まるで古い映画にでもでてくる浮島の楽園だった。
俺たちを中心にした円形で、空へと浮かぶ空中庭園。優しげな風までもが流れている。
そして、どうしてかこの風景は琴線に触れる。理由もわからず涙が溢れそうになってしまう。

「異相空間への転移を確認。特異限定空間の生成が認められた。
 間もなく仮称『神人』が現空間から送達されてくるものと思われる」

杖から手を離した長門がいう。
しかし、これを創りあげたらしい俺は釈然としない。

「こんなイメージを持った覚えはないんだけど」
「当該空間はあなたではなく、『彼女』のイメージに強く依存している」
「……なるほど。それにしてもハルヒのとは違って、やけに開放的だな」
「それが『パンドラの少女』の願望なんでしょう?
 うん、なかなか見晴らしがいいわね。ピクニックでも催したい気分だわ」

背後からの声に振り返ると、そこには森さんがいた。
太陽らしきものへ眩しそうに手を掲げている。しまった、巻きこんじまったのか?

「いえいえ。超能力者を甘くみてもらっては困りますね。
 限定空間へ進入するのが我々の本分。自ら望んで踏み入ってきたんですよ」

40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 04:54:24.60 ID:FmSrPAT+0

からりと笑ってみせた森さんが長門を捉える。

「この空間はどのくらい持ちそうですか?」

長門はゆるりと周囲を見渡してから答えた。

「臨時措置につき一つ一つのプログラムが甘い。第一に、安定性が著しく欠如している。
 切除対象の能力も加味した場合、突破されるのは時間の問題。長くは持たない」
「では空間の維持に人員を割いていただけますか? 避難誘導はこちらとあちらで担います。
 負担を掛けてしまいますが、現空間からの『神人』の送還補助も速やかにお願いします」

森さんの申し出に首肯するなり長門は黙りこむ。仲間との意思疎通でもはじめたのだろう。
そういや、空間の安定性が欠如していると言われてみれば確かに、
浮島の崖より向こう側の空が、ところどころ黒く、ぽっかりと口を空けている。
黒糖パンのレーズンよろしく虫食いとなっているそこでは、
テレビの砂嵐状態を連想させる虹色ノイズがチラついているようだ。
俺はパンドラの握りを確かめつつ、森さんへと進言させてもらう。

「折角のところ悪いんですが、巻き込んでしまう恐れがあります。
 極力少人数で闘うのがベストだと思うので、森さんはこのまま――」
「あらあら安く見られたものね」

両手を空へと拡げる、どこかで目にした仕草。

「長らく続いてきた『神人』との闘争は、わたしたちが存在してきた意義でもあるんです。
 それを終わらせようというときに超能力者がその場に居なくては、とんだ御笑い種よ」

森さんがぱちりと指を鳴らすと、古泉同様の紅玉が指先に浮かんだ。

「空間特性としては天然の閉鎖空間と大差なさそうね。贋作というよりは名作なのかも」

41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 04:59:49.04 ID:FmSrPAT+0

「やっぱり森さんも超能力者だったんですね」
「そうでなくては長門さまとの同居とはいえ、あなた様とは暮らせませんから」

にっこりと使用人モードでの微笑み。
まったく、メイドからソルジャーまで器用な人だな。
考えてもみれば俺がピックを振るった際にも、この人は動揺すらしなかったのだ。
あれから推察する限り、かなりの場数を踏んでおられるのだろう。
森さんは紅玉を吹き消すと、両手を払ってから口を開いた。

「単純に超能力者としての使命、というわけでもないんです。
 『神人』とは本来、超能力者たちが束になって挑むような強敵。
 あなたも体験なされたのでしょうが、マトモに攻撃を受ければ致命傷ものです。
 万が一にもあなたに何かが起こってしまってからでは、取り返しがつきませんので」
「そのことでひとつ確認があるんですが……。
 どうして古泉はあのとき、単身で『神人』とのテストを執り行ったんですか?」
「逆にお訊ねしますが、古泉の真意が本当にお分かりにならないのですか?」

少しばかり怒りを孕んだ顔つき。
いえ、わかりますと俺は首を振った。森さんの反応で確証を得たからだ。
古泉は前日、長門から『俺』や『少女』、パンドラの危険性を聞いていたのだろう。
だから無用な被害を抑えるために、敢えて単身で実戦テストを行った。
俺が長門のとき同様、「周りへの被害だけは抑えてくれ」と頼むと知っていたから。
つくづく、あいつの糸引きには頭が上がらない。

「同期が完了した。対象が当該座標へと送達される。注意して」

長門の一声で場に緊張が走り、俺たちは一斉に構える。
俺はパンドラを両手で。森さんは握り締めた片掌で。長門は棒立ちで。
遠くに着地した『神人』が大地を揺るがしたのは、それから数秒後のことだった。

42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 05:19:11.87 ID:FmSrPAT+0

丘陵地の高地に俺たち、低地に『神人』という位置取り。非常に見通しがいい。
障害物ともなっている元住宅の廃墟街は、段々畑のように連なっている。
それはさながら、塹壕や鉄条網といったところか。隠れるには最適だろう。
即座に森さんが片目を閉じ、開いた指での目測を行う。

「目標までは1キロと200メートルといったところね。
 わたしが正面を担うから、長門さんは右舷、キョンくんは左舷から仕掛けて。
 ただし、『神人』が『石箱』によってどの程度の力を得ているかは不明よ。
 間違っても相手の攻撃半径には立ち入らず、分析から入るように。油断は禁じなさい」

指示を受けるなり、素早く散開。
怒り狂うように暴れる『神人』めがけ、正面から突っ込んでいく森さん。
それを流し見しつつの俺は、建物を飛び越えながら横手へと回り込んでいく。
こちらと対称となる位置には長門が向かっているようで、その背中はもう、米粒のように小さい。

『聞こえる?』

声が聴こえた。というより響いた。頭のなかで長門の声がだ。
テレパシーのようなもの、なのだろう。今更その程度じゃ驚かない。

「ああ、聞こえる。森さんにも聞こえているのか?」
『そのようね。長門さんがいてくれて助けられたというものよ。
 多人数行動で連携が取れなければ、協力どころか自滅もありえるから。
 さて、先陣はわたしが切るわ。『神人』の動向も妙なので、まずは小手調べ。
 それに、キョンくんには極力トドメだけ刺してもらうのがベストだと思うし、
 長門さんは超能力者でない以上、『神人』とは満足に闘えないはずだから――!』

言い終わるよりも早く、森さんが練成したらしい運動会の大玉転がし級な『紅玉』が、
霞の先で地団太を踏んでいた『神人』の頭部へと邁進していた。

43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 05:25:26.62 ID:FmSrPAT+0

大爆発でも引き起こしそうな見た目とは裏腹に、それの弾速は非常に速く、
疾風迅雷かつ正確無比なスナイピングショットはヤツの頭部を見事に捉えた。
『神人』の頭部から汗を散らすように、禍々しい黒砂の粒子が飛散する。
が、派手に爆砕したわりにはフラつきすらしない。

『思ったより効果が薄いようね』

森さんも不振な様子だ。
黒の痩身で覆われたバケモノは、
被弾に構わず地面を掘り返すような仕草をみせている。

「なにをやっているんだ、あいつは?」
『限定空間の切開と、生成要因への情報攻撃』

長門の淡々とした声が響く。

「つまりなんだ、ヤツはここから脱出することを最優先に動いてるってことか?」
『そのように推測される』
『となると、急がなければならないようね』

日の当たる閉鎖空間は、お気に召さないってわけかい。
パンドラを持つ手に力を込め、みんなへ告げる。

「こちらからも仕掛けてみます」

進路を変更し、バケモノの右半身側へと急速に距離を詰めつつ、杖を捻った。
カシャリ、という駆動音と共に刹那的衝動が湧き上がってくるが、
唇を噛み、臥薪嘗胆の心得だと自戒させることで正気を保たせる。
ピックだ。射程限界ギリギリから、閃光と閃熱による衝撃で、ヤツを焼き払う。

44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 05:36:37.97 ID:FmSrPAT+0

安全面のことも考慮し、最適な距離をとりつつ助走をつけていく。
自我のためにも、あまり時間をかけるわけにはいかないんでな。

「いくぜカイブツ」

前回の反省を活かし、熱で付近一帯を焼かないようにと飛び上がり――、

「蒸し羊羹にでもなりやがれ!」

慣性と体重を乗せた一回転とともに、ピックを唸らせる。
光と熱と爆轟が空気を震わせ、猛禽類の威嚇に近い風鳴りが一瞬にして、俺の聴覚を奪う。
続けざま、衝撃の刃が着弾するかどうかを見届けずに態勢を整え、
身を捻って第二波を放ち、さらに崩れかけた体勢から片腕でもう一波のプレゼント。

連続三回転。休んでいる暇はない。一気に畳みかけなくては。

無茶な連撃だったせいか、俺の身体は近場の屋根に叩きつけられ、
一人でにコケたときのような無様な格好を晒すハメとなったが、
こちらの攻撃は『神人』に命中してくれたようで、ヤツが地を揺るがす音はピタリと止まった。
噴き上がった砂塵はバケモノの巨体を覆い隠し、周囲の廃墟には砂塵の雪が深々と積もっていく。

『相変わらず凄い衝撃。あんなのを扱って、キョンくんの身体は平気なの?』

森さんの声。

「問題ありません。まだいけます」
『そう。でも無茶はしないでね』

はい、と答えて立ち上がり、一定の周期で呼吸をするよう努める。
この程度で片付けられる相手じゃないことは、重々判っているからだ。

45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 05:46:19.34 ID:FmSrPAT+0

それでも腕の一本くらいは断裁できたのかもしれない、という期待は裏切られた。
砂煙が風に流されると『神人』の姿が露わになったが、
ヤツは蚊にでも刺されたか、と言わんばかりの仁王立ち状態。
地面を打ち鳴らすのは止められたようであるが、まるで手応えが無い。

「ちくしょう。マジでバケモノかよ」

俺が舌打ちしたとき、突如バケモノの首がフクロウのように捩れる。
ダルマ落としの頭だけを回したときのような、不自然で無機質なるそれ。
そしてヤツの双眼と思しき虚ろな窪みは、紛れもなくこの俺を捉えていた。
黒色でのっぺりとしていた体躯も、
その内面では対流でも起きているかのようにドロドロと蠢いている。

危険だと本能的に察知した。何か仕掛けてくるつもりなのだと。
それを気取ったときには、俺の周囲が急速に暗がりへと落ち込みはじめていた。
長門からの指示がくだされたのはその直後だ。

『エントロピーの増大を観測。可能な限り、対象から離れて』

既に飛び上がっていた俺は、『疾駆』を行使して風を切ろうとする。
が、背中に走った痛みに行動が阻害され、
痛みの正体を探るべく青々とした空を見上げ――。

「なっ……!」

絶句するほかなかった。
周囲が暗がりに落ちていた理由が判明したからだ。
まるで日食の如く、太陽光を塞ぎ切るような黒色の鋭利な槍。
夥しい数のそれが、俺の頭上をもれなく飾っていた。

46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 05:58:07.59 ID:FmSrPAT+0

ぴくり、と無数の槍のうちの一本が揺れ、振動が全体へと伝わっていく。
ツララのように鋭利な刃物は、今にも落ちてきそうだ。
俺は辛うじての判断により、持ち直したパンドラを捻って『拒絶』する。
同時、槍の雨に視野全域を覆われ、鋭い刃が五月雨のごとく降り注いできた。

トタンの壁を無数のトンカチで叩いた時のような金属的摩擦音。
杖を盾にした防護障壁によって軌道を逸らせてはいるが、
両腕に伝わってくる圧力は段階的に増していく。持ち堪えられそうにない。
着々と障壁の有効範囲が狭まりはじめ、槍が横髪を掠めだし、
それを察していた間にも、左脚を貫かれる強烈な痛みが生じた。駄目だ、持たない。

「よく耐えた」

耳元での一声は、死を目前に控えた幻聴かと思えた。
だが、槍を払う赤光と、ぐいと首元を掴まれる感覚で身体が軽くなった後には、
空に太陽が輝いており、俺は背中から地面へと叩きつけられていた。

「長門!?」

いつの間にか、座り込んでいるその人を見上げている。

「空間跳躍」

説明終了とばかりに立ちあがった長門。俺も杖を支えに、よろよろと立ちあがる。
どうやら風景からするに、最初に俺たちがいたらしい場所へと戻ってきたようだ。
『神人』の位置も遠くへと離れ、丘陵の低地に陣取ったあいつを見下ろす形。

「間一髪か……サンキュ。人生二度目とはいえ串刺しなんて真っ平ゴメンだ」

建物の陰へ身を潜めても、当然、臨戦態勢は解けない。

47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 06:05:41.49 ID:FmSrPAT+0

警戒しつつも『拒絶』を解除し、自己修復に出力を充てる。
長門も制服の裾を切り刻まれているが、目立った外傷は負っていないようだ。
俺は一息をつきつつ、森さんへ問う。

「あいつらって、元来あんなに凶暴なんですか?」
『いえ、有得ないことだわ。『神人』は空間の破壊活動こそが本分。
 巻き添えで超能力者が負傷することはあっても、
 ああまで明確に、執拗に、敵意を示したなんてことは前例にないもの。
 そもそも飛び道具を扱えるなんて事実さえ、初めて知ったというのに』

話を伺いつつも森さんの姿を探しているのだが、どこにも見つからない。
先ほどの攻撃を避けるため、狙撃されないよう建物群へと潜んでいるのだろう。
やがて、黙考していた長門が分析結果を伝えていく。

「空間干渉能力。動力源は涼宮ハルヒと『彼女』両名の対エネルギー。
 攻撃は、仮称『パンドラボックス』の物質転移特性を利用したものとみられる」
『現空間へ現出するケースからの応用である、と?』
「そう。仮称『神人』の絶対危険区域は周囲250メートル前後と推定。
 しかし射程距離自体に際限は無く、試行回数によっては習熟も考えられる。
 現時点においては、距離を空ければ補足時間と捕捉精度を鈍らせられるものと判断」
『相手は刻々と進化するというわけですか。アレを持っている以上当然なのかもしれませんが。
 けれども下手に近づけないのは厄介ね。何か突破口は浮かびませんか?』

考え込んだ長門を横目に、俺は物陰から『神人』の様子を窺う。
ヤツは消えた獲物を探しているのか腕を振り回しつつ騒ぎ立て、
自棄酒を呷った暴力亭主のような所業で近場の建物を吹っ飛ばしている。

奇怪なほどに攻撃的。
ヤツの頭部は歯止めが狂ったパトランプのように回転している。
次に眼が合った瞬間、俺はミンチにされているのかもしれない。

48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 06:17:57.34 ID:FmSrPAT+0

杖の効力でだいぶ、傷も癒えてきたようだ。状況は振り出し。
されど左脚と背中の治療が完了しても、『神人』の癇癪による地響きはやまず。
長門は黙考。森さんも応答なし。俺も同じく黙りこむ。
考えなければ。何かしらの有効な手立てを。
安易に近づけないとなれば、大別しての方法は二つしかない。

ひとつ、遠距離から何とかするという方法。
ひとつ、近距離まで何とかして近づくという方法。

ピックの閃熱や森さんの紅玉が通用しないとなれば、
必然的に近距離まで接近し、切断を狙うほか策がなくなってしまうが、
再度、『黒槍』の餌食になれば次こそは無事でいられる保障がない。
先ほどは森さんの援護射撃と、長門の空間跳躍によって助けられたものの、
あれは狙って何度もできるような代物じゃないのだろう。
もし容易かったのであれば、俺が負傷することはなかったはずだからだ。

「…………」

元々、ピックは『神人』に対して効果が薄い。
先日のテストでもある程度までは明らかだったがこの度、実証までされちまった。
加えて、『神人』と闘う場合のセオリーは切断。
距離が開くほどエネルギーが扇状に拡散してしまうピックじゃ、切断力が足りない。
となれば接近してのハルバードか、超能力者による糸切りが有効だと思うが……。
こんな時、古泉ならどうやって闘う?
昔、俺が目にした超能力者たちならば――待てよ。

俺も超能力者じゃねえか。

一人だけの力で算段を立てていたという過ちを恥じる。
古泉、お前の力を借りさせてもらうぜ。

49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 06:25:46.28 ID:FmSrPAT+0

『紅玉』のイメージを描いて杖をキツく握ると、
パンドラも理解を示してくれたのか、水晶刃が赤に染まりだす。
思い返せば、俺は古泉のときに『紅玉』で反撃していたはずなのだ。
そして防護障壁は長門のマジックを応用したもので、
パンドラの特性は他者からの能力奪取と自己進化。
ならば『紅玉』を応用して、対神人用の武器を生みだせるのかもしれない。

「パンドラ、古泉の能力を活用しろ」

言葉にしたほうがイメージが楽なので呼びかける。
杖の扱いに長けた『あいつ』なら必要ないのかもしれないが、俺には無理だ。
それにここで交代なんかしちまうと長門や森さんらの身が危ない。
まだまだ自我は保てそうだし、できれば永眠しておいて欲しいくらいでもある。
と、長門が妙な眼つきでパンドラを眺めているのに気づく。

「どうしたんだ?」
「デバイスのエネルギー捻出機構において改正が為されている。
 極めて高い速度での効率化、および高度な最適化が図られている」
「悪いけど俺には難しいことなんて解りそうもねえや」
「端的には、進化。生物のそれと同じ」

長門には何かがわかったらしいが、俺にはサッパリだ。
しかし効果が表れていることが判ればそれだけで充分。
よく応えてくれたと労う代わりに、パンドラを握り締めてやる。
爪部分が赤く染まっていたパンドラは、次第に赤光が拡がっていき、
ついには深海の発光生物のように、杖全体が仄かな赤色に包まれた。
試し切りを待ち兼ねるように震える杖は、俺に自信を与えてくれる。

頼むぜ、相棒。
今はお前の薄っぺらそうな望みに頼るしかなさそうだからな。

50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 06:36:55.51 ID:FmSrPAT+0

肚を決めるなり、長門への質問。

「どうにかしてヤツの懐まで接近できないか?」
「リスクが高い。近接するのは自殺行為に等しい」
「だったら、ピックが有効な200メートルまでならどうだ」
「わたしによる連続的な空間跳躍は不可能ではないが、
 次点の座標捕捉には一定の予備動作と算出が必要不可欠。
 跳躍する質量が増せば増すほど、比例して算出時間も増していく。
 現在の仮称『神人』は認識から攻撃動作に移るまでに一秒と要しない。
 よって、わたしが算出に要する僅かのラグですら命取りとなりかねない」

ピックを放ち、黒槍が降り注いできた際のことを脳裏に描きだす。
200メートル以上は距離があったのに、気づけば槍の包囲を受けていた。
あの距離ですら一瞬で仕掛けてくるのだから、
これは死地に飛び込むような作戦なのだろう。だが他に道はない。

「接近と離脱が無理なら、離脱だけでいい。可能か?」

長門は暫し静止したのち、

「それならば一定の安全性は保障できる」

頷いてくれた。
よし、作戦は決まりだ。

「長門、お前は森さんと合流してくれ」

そして俺は二人へ向けて、手早く方針を伝えていく。

52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 06:46:42.93 ID:FmSrPAT+0

一通りの説明を終えると、森さんから返答がきた。

『それだとキョンくんのほうのリスクが高いわね。
 わたしとしてはまずまずの良案だとは思うけれど、
 問題点は攻撃タイミングがシビアってところかしら。
 どこかに一つでも綻びが生じれば――例えば、
 あなたの攻撃が通じなかったり、わたし側の初手が遅れれば、
 荒れ狂う『神人』からの手痛い反撃は確実でしょう。
 それどころかあなたが倒れてしまえば『あの神人』は倒せない。
 術者が倒れ、限定空間が破られてしまえば敗北も必至。万事休す』

それより、と森さんは息をつき、

『あなたとわたしの役目を換えたほうがよいのではないかしら?』
「だけど森さんに『神人』を倒せますか?」
『トドメはあなたに任せるとして、動きを封じる程度までならば可能でしょうね』
「あいつの四肢を切断したところで、その後はどうするんですか?
 超能力者が切断を狙う場合、目標へゼロ距離まで近接する必要があることは既知です。
 即ち、森さんがヤツの腕を落とす場合、距離をとれる俺よりも飛躍度的に危険性が増します。
 というよりはむしろ、反撃は確実。その際、防護障壁を持たなければ串刺しは避けられない」
『でもキョンくんに何かがあったら、我々側はチェックどころかチェックメイト同然。
 将棋にしろチェスにしろ、キングは最後まで守るべきものなの。そうでしょう?』
「生憎、俺はパーフェクトが好みなので、手駒のひとつですら取られるのが腹立たしいんです。
 先日もそうでしたが、今まで暇つぶし程度にやってきた古泉とのゲームだってそうでしたからね。
 今回もそうです、徹底的に三人が同列な安全策を採らせて貰います。
 俺がキングかクイーンかは知りませんが、そうお考えであるのなら、異存は問わせません」

捲し立てるように言って、森さんを押し黙らせる。
捨て身の策なんて断じて採らせるものか。
そういうのはもう、いらないんだ。

53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/09(金) 07:21:31.02 ID:FmSrPAT+0

「森さんのほうを頼むからな」

強引な提案。
こくりと頷いた長門は森さんと二言程度の会話をし、
それにより座標捕捉とやらを終えたのか、『呪文』の途中で目前から掻き消えた。

『……本当にそれでいくのね?』
「はい」
『わかった。やるからには最善を尽くすから』
「お願いします」

森さんの同意も得た。あとは各々が役目を全うするだけだ。
まずは、作戦場所へ移動しなくてはな。それも極力急いでだ。
身体が頭痛を訴えだしてきたので、俺としても猶予がなさそうだから。
感覚が覚束なくなり始めた腕に鞭を振るい、杖を捻って不可視の『拒絶』を行使し、
建物から建物へと走り、それを繰り返して少しづつ『神人』のもとへと距離を詰めていく。
ヤツに不可視が通じるのかは不明であるが、愚直に走るよりはマシだろう。
とはいえ、ピックにしろハルバードにしろ杖を捻る攻撃形態との併用はできないし、
最終的には姿を現さなきゃならないので、まさに気休めにしかならないが。

「森さん、そちらの状況はどうですか?」
『長門さんの助けも借りて、すでに目標地点に到達しているわ。
 こちらの準備は整っているから、そちらにとって最良のタイミングで合図して』

下り坂を駆けおりている最中、ルート確認と併せて辺りを見回した。
錆びついた信号機や、草木が絡みついているブロック塀。草花の絨毯。
豪快にひび割れたコンクリート道路は、急激に盛った街路樹が呑み込んでおり、
市街地のなかだというのに木漏れ日を浴びるという、幻想的で頽廃的な光景。
そんななかを、足音を立てないようにとひた走る高校生。ふと、なんとなく。場違いにも。
森さんの言葉通り、皆とピクニックで来れるんなら楽しめそうだったのにと思った。



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