涼宮ハルヒの風鈴


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14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 12:52:56.27 ID:2gln1Dhc0

それは俺が2年生に進級した年の夏の日の出来事だった――
ハルヒが学校に来なくなった。
それも欠席と出席を交互に繰り返し、やがて欠席日数が連続するようになった、などの緩やかなものではなく、
ある日を境に、ぴたりと登校しなくなったのだ。
2,3日の間はさして気にならなかった。
あいつのことだ。
夏休みを間近に控え、早めのモラトリアムと洒落込んでいるのかもしれない。
おかげで俺は平穏無事な日々を過ごせるってわけさ。

実際、クラスの奴らもハルヒの欠席になんら興味を示していなかったし、
SOS団のみんなも、空っぽの団長席を気にせず、普段通りに過ごしていた。
ハルヒ不在の学校は、平和だった。

だが、ハルヒの欠席が四日、五日と続いてくると、流石に不安になってくる。
俺はメールしてみた。
今更気づいたことだが、二日に一度は必ず送られてくるはずのハルヒからのメールは、一週間前から途絶えていた。

『今何してんだ?』

……素っ気なさすぎるかな。

『お前が連続して学校休むなんて、どうしたんだ?』

これでいいか。送信、と。
教師の言葉を聞き流しながら、窓の外を眺める。
ハルヒは今頃、何をしているんだろうな……。
お前が後ろからシャーペンで活を入れてくれないおかげで、まったく授業に身が入らないぜ……。
そんなことを考えているうちに、俺は眠りに落ちていた。

16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 13:07:42.69 ID:2gln1Dhc0

目が覚めると既に昼休みだった。
どうやら俺は教師から、起こす価値もないと判断されたらしい。
眠気が残ったまま、無意識に新着メールを確認する。0件だった。
あいつは、まだ寝ているのだろうか。
いや、早寝早起き適時夜更かしがモットーのハルヒが、こんな時間まで寝ているはずがない。
メールを確認していないのか。
それとも、俺のメールに気づいた上で、返信する気がないのか。
電話してやろうかと思った、そのときだった。

「キョーン。早く席もってこいよ」
「あとは君だけだよ。ほら、いつまでも寝ぼけてないで」

谷口&国木田コンビの呼びかけで、俺は自分がとても空腹であることを思い出した。
ハルヒに電話するのは、腹拵えしてからにしよう。

***

弁当をつつきながら、俺はハルヒの連続欠席を話題に挙げてみた。二人の食いつきは鈍かった。

「まぁー言われてみればそうだよな。
 珍しいこともあるもんだ。中学ん時も、あいつ、めったなことがない限り休まなかったし」
「病気か、家庭の事情か何かじゃないかなぁ。
 どっちにしろ、不穏当なことに変わりはないけどね」

不吉なことを言うな、国木田よ。
病気の線は考えにくい。それならSOS団の誰かを見舞いに来させるだろうし、
何よりこの街の病院すべてを掌握しているであろう機関が、古泉にハルヒの様子を知らせるだろうからだ。
今のところ、古泉に慌てた様子はなかった。
家庭の事情にしても、身内の誰かが亡くなったのなら、
岡部が俺たちに話してくれるだろう。

19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 13:21:04.08 ID:2gln1Dhc0

俺が国木田の説を否定すると、国木田はコップにお茶を注ぎながら、

「他には考えられないと思うけど。
 君は何か思い当たる節はないのかい?」
「そうだよ。お前が一番涼宮と仲良いじゃねえかよ。違うとは言わせないぜ」

谷口を華麗にスルーしながら、考える。
一週間前、そう、あいつがまだ学校にきていた頃、何か変わったことはなかったか。
自分の記憶に問いかけてみる。

あいつはいつものように笑っていた。
あいつはいつものように嬉しそうだった。
あいつはいつものように言葉を交わしていた。
あいつはいつものように目の端に涙を浮かべていた。

………ん?
おかしい。
ハルヒが泣いている?
俺はそんなところ、見た覚えはないぞ。
いつも強気で、どんなに辛くても気丈に振る舞うあいつが、涙を見せるわけがないんだ。

「……ン、キョンってば!」

国木田の声で我に返る。

「ほっとけほっとけ。キョンは今、涼宮のことで頭がいっぱいなんだよ。
 あーあー、もどかしいねえ。そんなに涼宮のことが心配なら、
 連絡とって会いにいけばいいんじゃねえの」

続く谷口の声で、俺はやっと、先ほどのイメージを振り切れた。

26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 13:37:12.39 ID:2gln1Dhc0

ほとんど手をつけていなかった昼飯を一気にかっこんで、
目を丸くしている二人を尻目に、教室を出る。
いくらこの学校が校則ゆるゆるとはいえ、校内で電話しているところを教師に見られるのはまずい。
俺は旧校舎に向かった。
渡り廊下を歩く。この時間帯、旧校舎には人気がない。
蝉の鳴き声だけがうるさかった。

***

『現在、電波の届かない場所に――』
「くそっ」

機械音声に悪態ついても仕方がないのは分かっていた。
一階と二階をつなぐ階段の踊り場で、俺はかれこれ三回くらい同じことを繰り返している。
結果は毎回同じだった。漠然とした予感はあった。
しかしそれが現実になると、不安が一回り大きくなった。
五回目の機械音声を聞いたあたりで、俺はひらめいた。
携帯がダメなら、家に電話するというのはどうだろう。
高校生がこんな真っ昼間からかけたら、ハルヒの家族は驚くだろうが、
まあそこら辺は適当に言い訳するとして……

「あいつの家の電話番号、何番だっけ」

何かの用事でかけた記憶はあるものの、番号が思い出せない。
携帯のメモリをあさったが、無駄だった。
滅多に使わない電話番号を登録するほど、俺は几帳面ではなかった。
ちょうどそのとき、予鈴が鳴った。
俺はモヤモヤした気分を抱えたまま、教室に戻った。

30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 13:53:33.48 ID:2gln1Dhc0

授業を消化し、HRが終わると、俺はまっすぐ文芸部室に向かった。
宇宙人、未来人、超能力者の三人なら、なんらかの情報を仕入れいているかもしれない。
そう考えたからだ。
なに?
数日ハルヒを放っておいたくせにえらい慌てようだな、だって?
はん、何とでも言うがいいさ。

ドアを開ける。
長門と古泉がいた。メイドさんはいなかった。
長門がこちらに一瞥をくれ、古泉が微笑みながら言う。

「お待ちしていましたよ。早速ですが、オセロでもしませんか」

いつもの光景、日常。
……やれやれ。
独り焦っていた自分が馬鹿らしくなった。
俺はパイプ椅子に腰掛けて、古泉と向かい合う。

りん、と涼しげな音が鳴った。

開け放たれた窓の近くに、風鈴が揺れている。
あれは、誰が取り付けたのだろう。
俺は首を傾げながら、古泉に初手を促した。

32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 14:09:51.39 ID:2gln1Dhc0

***

「ハルヒが学校を休んでいることについて、何か知らないか?」

俺が古泉にそれを尋ねたのは、オセロが中盤にさしかかった頃だった。
古泉は一目で演技と見抜ける呻吟をする。
ただ、その間が、俺への返答を考えるためのものか、
オセロの次の一手を考えるためのものかは、判らなかった。

「僕はなにも聞いていません」

盤面を白に塗り替えながら、古泉は言った。

「涼宮さん個人からも、機関の情報部からも。あなたは何かご存じなのですか」
「知らないから聞いてるんだよ。
 なあ、今思ったんだが、お前なんでそんなに余裕かましてるんだ?
 涼宮ハルヒが連続欠席、しかもその理由は不明。これは組織にとって大事件なんじゃないのかよ」

古泉は目を細めて、かぶりを振る。

「いいえ。機関はあの春の一件以来、静観に徹していますよ。
 閉鎖空間は発生していない。僕たちにとって、それはこの世界が安定していることと同義です。
 何か問題がありますか?」
「いや、ないけどさ……」

俺は何かがズレていると感じた。
ただ、その違和感を、上手く言葉にすることができなかった。
古泉から目を背ける。長門は俺たちの会話がに興味を示すことなく、読書を続けていた。
こいつはたとえ世界が突然滅びようとも、ちっとも動じずに本を読んでいそうだ。
久しぶりに、そんな感想を抱いた。

34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 14:23:56.78 ID:2gln1Dhc0

***

帰途。所用があるらしい古泉と校門前で別れ、
俺と長門は口を閉ざしたまま、並んで歩いた。
なにも喧嘩しているわけじゃない。これが普通なんだ。
分かれ道、俺は足を止めた。長門も歩みを止めた。
俺は無意味だと知りつつも、長門に尋ねてみた。質疑応答の結果は、やはり、古泉と一緒だった。

原因は知らない。
涼宮ハルヒの精神状態は極めて安定している。

それだけ告げて、長門は高級分譲マンションへと歩み出す。
淡い苛立ちが、俺の中に生まれていた。
ハルヒの欠席理由が、判明しなかったからじゃない。
古泉と長門が、あいつが欠席しているというのに、
全然心配している風に見えなかったからだ。
俺もつい昨日までそんな風に振る舞っていたのだから、
あいつらに対して悪態をつくことはできないが、
もう少し、俺の情報収集に協力してくれてもいいんじゃないかと思う。

空を見上げて、日が落ちるのが遅くなっているのを実感する。
東の地平線でさえ、まだ菫色だ。

さあ、ハルヒの家に行くとするか。

メールもダメ、電話もダメ。
なら、実際に足を運んで、あいつの安否を確かめるしかない。

「やあキョン、奇遇だね」

37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 14:37:44.15 ID:2gln1Dhc0

鈴音のように、澄んだ声がした。
数瞬前まで、一切の気配はなかった。
無論、俺に近づく足音も。しかしそいつは、当たり前のように俺の耳許に口を近づけ、

「親友と久闊を叙したというのに、嬉しそうじゃないね。
 突然の登場で驚かせてしまったのかな?」

くっくっく、と喉を鳴らす。

「佐々木か」

俺はため息をついて歩き出す。
佐々木は俺の隣に並び、歩調を合わせた。
一緒に帰る腹づもりのようだ。佐々木は制服だった。

「お前も下校途中なのか」
「そうだよ。もっとも、先ほどまでは友人たちと駅前の喫茶店で時間を潰していたんだ。
 君と出会えたのは、本当に幸運としか言いようがない」
「大げさだな。
 それより、喫茶店で時間潰してたって、あいつらと一緒にか?」

俺のいうあいつらとは、橘京子と周防九曜のことである。

「いや、別の人だよ。
 彼女たちは最近、色々と忙しいみたいでね。
 なかなか時間がとれないんだ」
「ふーん」
「それよりも、キョン。
 これからどこかに遊びにいかないか?
 久しぶりに会ったんだ、これくらいの我儘、聞いてくれたっていいだろう?」

39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 14:54:46.55 ID:2gln1Dhc0

「遊びに行こうって……どこ行くんだよ?」
「どこでもいいよ。
 彼女たち――喫茶店で一緒にいた女の子たちとは、話していると疲れるんだ。
 複雑巧緻な人間関係というものを、解きほぐそうと躍起でね。
 その点、君となら気兼ねなく、息抜きができる」

佐々木が両手で俺の右手をとる。
俺の一瞬の動揺をついて、佐々木はたたみかけた。

「それとも君は、親友の頼みを無視して帰ると言うのかい?」

子犬のように黒い瞳が、俺を見つめる。
俺は五秒と持たずに陥落した。

「……オーケー」
「そうこなくっちゃ」

再び空を見上げると、菫色は既に頭上に迫ってきていた。
西の端は深い紺色に染まっている。
夜の帷が、降りようとしていた。

***

制服で繁華街を彷徨くのは、狩ってくださいと言っているようなモノなので、
俺は映画でも見に行くことにした。
ただ、無駄な努力とは知りつつも、少しは制服に見えなくなるよう努力はしておいた。
具体的にはネクタイを外して鞄の中に押し込み、
佐々木にスクールリボンを外すように言った。

42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 15:12:43.29 ID:2gln1Dhc0

「こんな小細工、無意味だよ」
「知ってる。でもやらないよりマシだろ」
「まあね。
 うーん、でもそれなら、ボタンをもう一つ外してみたらどうだろう?」

お、おい。
お前自ら露出するなんて、清純なイメージが崩れるぞ。

「何を血迷ったことを言っているんだい? ボタンを外すのは君さ」

佐々木の手が俺のシャツの第二ボタンを開ける。
その間、俺は佐々木の邪魔にならないよう、赤くなっているのがばれないよう、
首を上に上げていた。情けない話だ。

***

映画を観た後は、ファミレスじみた、そこそこ盛況している飲食店に入った。
俺たちが選んだ映画は(というかほとんど佐々木が即決した)そこそこおもしろく、
その感想を述べあっている間に、料理が運ばれてきた。
出し抜けに佐々木が言った。

「君と一緒にいると、時間を忘れるよ。
 僕は普段、映画を観るタチじゃないんだが、今日観た映画はまったく眠気を誘ってこなかった。
 僕は実のない娯楽には手を出さないことにしているんだが、
 君とならこういうのも悪くない。中学時代にはなかった発見だよ」
「普段一緒にいる、その女友達は、よっぽどつまらないのか?」
「ううん、ただ、僕とは波長が合わないというか。
 彼女たちの興味は僕の興味とは違う、もっと別の方向に向いているんだ。
 そう、たとえば――恋愛とか」

69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 16:42:38.84 ID:2gln1Dhc0

出かけるの7時からになった


俺たちは窓際の静かな席で食事をしていた。
だから時々、この空間で、俺は佐々木と二人きりではないのかと錯覚してしまう。

「恋愛? あー、そりゃあ馬が合うわけないな。
 お前に言わせると、恋愛なんて精神病の一種なんだろ」

俺はまた佐々木が、恋愛感情というのは人間の生殖本能に依存した精神上のまやかしであり――などの持論を持ち出してくることを予想した。
でも佐々木は、窓の外の、流れていく車道に視線を向けたまま、

「うん、そうだね。その通りだよ」

と、頷いただけだけ。
窓に映り込んだ横顔はどこか寂しげだった。
食事を終えて、伝票を手に立ち上がる。
精算に行こうとした俺を呼び止めて、佐々木は笑顔でこう言った。

「半分は僕が持つよ」
「いいよ。たまのことだし、気にすんな」
「優しいな、君は。お人好しが過ぎると、たかられるよ?」
「いーんだよ。黙っておごられてろ。
 それに、あいつに比べちゃ、今みたいに申し出てくれただけでも嬉しかったぜ」

佐々木に背を向けて、レジに並ぶ。この時、俺はちっとも気づいていなかったのだ。
佐々木が憂いた表情で俺の精算を待っていたことと、
誰を指しているのか分からないまま「あいつ」という言葉を使っていたことに。

74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 16:54:43.15 ID:2gln1Dhc0

***

「また近いうちにこういう機会を持てるかな」
「俺は最近は暇なことが多いから……
 今日みたいにちょいと遊びに出かけるくらいなら、いつでも付き合うぜ。
 予定が重なったらダメだけどな」
「重畳だよ。ありがとう。
 それじゃあ、ね。楽しかったよ、キョン」

佐々木が扉の向こうに消えていく。
気配が完全になくなってからも、俺は佐々木家の前で少しだけぼーっと佇んでいた。
ここに来るのは何年ぶりだろう。
中学時代の思い出が、みずみずしく蘇ってくる。
ただ、ここに佇み続けて不審者扱いされるのはごめんなので、今度こそ帰途につくことにした。

おふくろにまた小言言われるんだろうな。
いや、それよりも妹の追求の方が熾烈を極めるかもしれない。

結局、家に着いても巧い言い訳は思い浮かばなかった。

76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 17:09:02.38 ID:2gln1Dhc0

俺がハルヒのことを思い出したのは、風呂に浸かっている時のことだった。
靄の中から、うすぼんやりと浮かび上がってきて、
佐々木との思い出を反芻していた俺を、きつく咎めた。

今日はハルヒの様子を見にいくんじゃなかったのかよ。

ああ、そうだったな。でも、一日くらい延期したって構わないだろう?
風呂の気持ちよさのせいか、はたまた、佐々木と久しぶりに会ったせいか、
ハルヒに関する緊張感はかなり薄れていた。
つい数時間前まで自分の意志でしようと思っていたことが、今では義務に感じられた。

ハルヒのことは、そう急ぐことでもない。
もしかしたら、ひょっこり学校に顔を出すかもしれない。
そう、ただの杞憂に終わるかもしれないじゃないか……。

***

次の日。
たっぷり余裕をもって登校した俺は、
最初に職員室に向かった。一応、ハルヒのことを聞いておこうと思ったのだ。
なんらかの事情があって休んでいるなら、学校に連絡がされているはずだ。
俺はそれを岡部から聞いて、納得して、終わり。
面倒なことはさっさと終わらせてしまうに限る。

「失礼します。岡部先生はおられますか」
「おう、おはよう」

岡部は既にデスクについてPCで何かの書類を作っていた。
運動ができるだけじゃ教職にはつけないんだなー、と俺は余計な感心をする。
さ、手短に澄ませちまおう。

79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 17:18:46.58 ID:2gln1Dhc0

「涼宮のことで質問があるんですが。
 あいつ、ここ数日連続で休んでますよね。
 なにか理由でもあるんですか」

忌引か? 病気か?
どっちにしろ、シリアスな事情を聞かされることは間違いない。
俺は真面目な顔をして返事を待った。すると岡部は苦笑いしながら、

「それが何の連絡もなくてな。
 俺も困ってるんだよ。お前、確か涼宮とは仲良かったよな」
「えぇ、まぁ……」
「何か聞いてないのか?」

ったく、知らないからわざわざ尋ねにきたんだろうが。

「いえ、何も」
「そうか。じゃあ何か分かったら教えてくれ」

は?
おい、たったそれで終わりか?
あんた教師だろ? 涼宮ハルヒの担任だろ?
教え子が理由もなく連続で欠席してて、放っておいていいのかよ。
上記の文章を限りなく敬語に翻訳して、俺は言った。
岡部は相変わらず暢気な顔で答えた。

「あー、うん。あんまり長く欠席が続くようなら家庭訪問しよう」

そして職員室の壁時計を見上げ、

「お前もいい加減、教室に戻れ。俺もあと少ししたら行くから」

87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 17:38:11.82 ID:2gln1Dhc0

教室に戻って、HRが恙なく終わり、一限目の授業が始まっても、岡部への苛立ちは収まらなかった。
その感情は、昨日、古泉や長門に向けた物と同種のモノだった。
「ハルヒの欠席理由」が分からないのは、まだいい。
でも、どうしてどいつもこいつも「ハルヒの心配」をしていないんだ?
忘れているわけじゃない。
しっかり憶えていているのにも関わらず、まるであいつの存在、不在がどうでもいいように扱っている。
軽視している。俺はそれが我慢ならなかった。

相変わらず、授業には身が入らない。
俺はうたた寝と板書をとるのを繰り返しながら、時間を潰した。

***

昼休み、谷口と国木田と別れ、俺はあてもなく校舎を散歩していた。
廊下は相変わらず喧噪の坩堝と化している。
自然と足は、静かな旧校舎のほうに向かっていた。

いつか、あいつが寝転んでいた木の下に、俺も寝転んでみた。
木陰は涼しく、時折俺の頬を、熱気を含んだ風が撫でていく。

あいつは、今、何をしているのだろうか。
今日こそは絶対、ハルヒの家を訪ねよう。

今まで何度も決意したことを、もう一度復唱する。
ふと、耳慣れた声が聞こえた気がして、俺は体を起こした。
想像したとおり、朝比奈さんが渡り廊下を歩いていた。隣には鶴谷さんもいる。

朝比奈さんは昨日、団活に来ていなかった。
もし忙しくて今日も来ることができないとしたら、ハルヒのことを尋ねるチャンスは今しかないかもしれない。
俺は綺麗な木漏れ日を目に納めてから立ち上がって、朝比奈さんの元に走った。

93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 17:49:36.72 ID:2gln1Dhc0

「朝比奈さんっ! 待ってください」

俺の存在にいち早く気づいたのは、やはりというべきか、鶴谷さんだった。

「およ、キョンくんじゃないかっ。みっくるー、キョンくんが話があるみたいだよ?」
「ふえっ? キョンくん?」

朝比奈さんが鶴谷さんに体をクルリと回されて、
転びそうになりながら俺を認める。
朝比奈さんは両腕に、ノート類を抱きしめていた。教室移動の最中だったようだ。
今から思えば、先ほどから渡り廊下を歩いているのは、三年生ばかりだった。

「どうしたんですか?」

子リスのように首を傾げる朝比奈さん。

「ちょっとお話が……。あんまり人には聞かれたくないので、
 ついてきてもらえますか。すぐ澄みますんで」

渡り廊下の真ん中で話せるような話題じゃない。
しかもこの段階で既に、俺はいたるところから、男子生徒の痛い視線を浴びていた。
北高二大美人との接見には、常に注意を払わねばならないのである。閑話休題。

「えっと、その、次の授業、早く行かないと前の方の席が埋まっちゃって……」

鶴谷さんの方を伺いながら、朝比奈さんは口を濁らせる。そこに鶴谷さんが、助け船を出してくれた。

「内緒話かいっ?
 いっといで、みくる。席はあたしが確保しといてあげるからさっ。
 でもでもキョンくん、あたしに抜け駆けでみくるに告白は許さないからねーっ」

101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 18:03:50.36 ID:2gln1Dhc0

そして朝比奈さんの腕からノートを奪い取ると、黒髪をなびかせて、颯爽と駆けていった。
残されたのは手ぶらの朝比奈さん。告白という単語だけで、淡く頬を染めている。
どんだけ初心なんだ、この人は。俺は言った。

「それじゃ、部室行きましょうか」
「は、はいっ」

部室につくと、この人の癖になっているのだろう、朝比奈さんは滑らかな手つきでお茶を煎れ始めた。
15分後に授業があることを忘れているに違いない。
コトン、と湯飲みを置いて、テーブルの対面に朝比奈さんが座る。
俺は切り出した。

***

結果は芳しくなかった。
ただ、こう言うと朝比奈さんに失礼だが、
元からあんまり期待していなかったので、残念とも思わなかった。

「メールも、電話も、完全に音信不通ですか」
「はい。四日くらい前に、一度だけメールしたんですけど、返信はありませんでした。
 どうしちゃったのかなぁ、涼宮さん」

湯飲みを、悲しげに見つめる朝比奈さん。
その仕草に、俺は朝比奈さんが本気でハルヒのことを心配しているのではないかと希望を持ったが、
何事に対しても情緒豊かな朝比奈さんの性格故に、どの程度の心配なのか、測ることができない。
加えて、最期にメールしたのが四日前ということもあり、
朝比奈さんが、ハルヒのことを常に気にかけているという可能性は極々低かった。

113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 18:18:07.27 ID:2gln1Dhc0

「本当に、どうしちゃったんでしょうね、あいつ」

居心地の悪い沈黙が降りる。
俺は朝比奈さんの気持ちを確かめようと、こんなことを言った。

「病気でも気合いで克服して、何があってもSOS団を優先するようなハルヒが、
 こんなに連続で休むなんて、異常ですよ。朝比奈さんも、やっぱ、心配ですよね……?」
「え……あ、はい。心配といったら心配ですけど」

この含みのある言い方は何なんだ?
普段は愛らしく思える舌足らずなしゃべり方が、今はそう思えなかった。

「涼宮さんは、大丈夫だと思いますよ」
「大丈夫って、何を根拠に大丈夫だと言えるんですか」
「だって、未来から命令は来てないし、長門さんや古泉くんも、何も言っていませんでした。
 この時間平面もとっても安定していますよ」

違うんですよ、朝比奈さん。
俺が言いたいのは、そんなことじゃなくて、

「いったいキョンくん、どうしちゃったんですか?
 今日のキョンくん、おかしいです……涼宮さんが休んでいるだけなのに」

愕然としたね。今朝比奈さんはなんて言った?
おかしいのは俺じゃない――俺がそう言おうとしたとき、見計らったかのように予鈴がなった。
朝比奈さんが立ち上がる。
そして俺に天使の微笑みを投げかけながら、告げた。

「もしかしたらわたし、これから不定期に団活をお休みするかもしれません。
 受験勉強の方が、忙しくって」

119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 18:32:34.80 ID:2gln1Dhc0

バタン。
ドアが閉まる。俺は独りになった。
予鈴が鳴り終わっても、教室に戻る気になれなかった。
何が起きている?
足音もなく、滑るように、液体が染みいるように、日常が溶けていく。
俺の知っていたものが、いつのまにか書き換えられていく。
そんな恐ろしい想像をした。

無性に、ハルヒに会いたかった。

***

予告通り、団活に朝比奈さんは来なかった。
代わりに古泉がお茶を煎れていた。不味かった。

「僕は気分を害したりしませんが、その言い方はやめた方がいいですよ」
「お前だからこんな言い方になるんだよ」
「やれやれ、しかたありませんね。
 まあ、その暴言の原因の一端は僕の不手際に起因するものでもありますし、
 朝比奈さんの代役を務められるよう、自宅で練習しておくとしましょう」

長門は既に昇降口に向かっていた。
俺が施錠係で、頼んでもいないのに、古泉がそれに付き合っているというわけだ。

229 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 22:31:48.59 ID:2gln1Dhc0

旧校舎を出て、鍵を元の場所に戻す。
古泉が真顔で俺に「ある誘い」を持ちかけてきたのは、昇降口に向かう道すがらであった。

「あなたは今夜、何か予定がありますか」
「ある」

即答で悪いな。
そのびっくりした顔からするに、俺が暇を持てあますと考えていたみたいだが、
今日はどうしても外せない用事があるんだよ。

「そうですか、とても残念です。
 それでは、お話だけでもしておきましょう。後から誹られるのは嫌ですからね」

古泉は歩調を緩めながら語り出した。
意図的に昇降口への到着を遅らせていることは、俺でも分かる。
長門の耳には入れたくない話なのかもしれない。

「実は今夜、ちょっとした会合がありまして。
 なに、さして緊急性のある会合ではなく、あなたが欠席されたところで問題はないのですが、
 出席するメンバーが、あなたの出席を強く望んでおられましてね。
 僕としても、あなたを誘わざるをえなかったんですよ」

いつにもまして勿体ぶった話し方をする古泉。
俺は情けで相槌を打ってやった。

「その俺の出席を強く望んでるってのはどこのどいつなんだ?」
「佐々木さんです」
「なんですと!?」

どうしてここで佐々木の名前が出てくるだ。その会合、組織が絡んでるならさっさと言えよ。何が緊急性はない、だ。

242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 22:48:03.88 ID:2gln1Dhc0

「まったく、それを早く言えっての」

悪態をつく俺に、古泉は形ばかりの謝罪をして、

「しかし、あなたは結局、会合に参加されないんですよね?
 なら、僕に悪態をつかれる筋合いはないと思いますが」
「いや、ちょっと待ってくれ……」

ハルヒのお宅訪問と、佐々木が出席する会合とやらを天秤にかけてみる。
ハルヒのことは心配だった。ただ、古泉の口から発せられる会合という台詞は、俺の心を揺さぶった。
何が話しあわれるのだろう。
佐々木派とハルヒ派の組織は、春の一件で、仮初めの和平を結んだはずだ。
そこに罅が入ったからか?
それとも、新たになんらかの問題が発生して、対策を練る必要があるのか?
どっちにせよ、参加しなかった人間が蚊帳の外になることは見え透いている。
俺は逡巡ののち、古泉に参加することを告げた。

「元あった用件は、後回しでいいんですか?」
「あぁ。心残りはあるが、優先度からしたら、ギリギリこっちの方が上だから」

古泉は満足そうな、不満そうな、よく分からない笑みを浮かべ、唇の橋を歪めた。
ほっとくと皮肉を言われそうだったので、俺は古泉を放って歩き出した。

***

服装は結局、ラフなものにした。
機関のどういった階級の人間がやってくるのかは知らされていない。
帰宅後、古泉から送られてきたメールには、
駅前で7時に集合、とだけしか書かれていなかった。
現実世界の会話では話が長い癖に、メールでは淡泊なヤツである。

260 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 23:00:02.24 ID:2gln1Dhc0

駅前を目指して愛車を走らせる。
昨日と打って変わって、気候はとても涼しく、初夏であることを忘れそうになる。
露出した腕は夜風を浴びて、少し肌寒いくらいだった。

駅前につくと、それらしき人影はどこにもいなかった。

いや、正確に言うと顔見知りは数人見かけたのだが、
明らかに古泉の言う会合に参加するメンバーではなさそうだったので、気づかないフリをした。
下手に挨拶して、時間をとられたら面倒だからだ。おいそこ、冷たいヤツだとか言うな。
しかし、駅前の端で、独りぽつねんとしていたら逆に目立つモノで、
やがてあっちから声をかけてきた。

「ようキョン、お前こんなとこで何してんだ?」
「おう、谷口じゃねえか。友達と約束しててさ」

どうか谷口が俺からすぐに興味を失いますように。
そう祈りながら、谷口の背後を確認する。俗に言う遊び人と呼ばれるような同級生の男が、2、3人で喋っていた。
俺はなんとなく、谷口がここにいる理由が分かった気がした。

「どうして俺がここにいるのか聞かないのか?」

誰か俺に、このニヤケ面を殴り飛ばす許可をくれ。

「……どうしてここにいるんだ?」
「よくぞ聞いてくれました!
 なんと今日は、某有名進学校の女の子たちと合コンなのよ。
 いやぁ〜、抜け駆けして悪いねえ、キョン。
 ま、お前にはSOS団があるし、僻む必要もないだろうけどな」

273 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 23:13:47.33 ID:2gln1Dhc0

俺は大きく溜息を吐いた。早く二十歳になりたいもんだ。
もし煙草が吸えたら、溜息ごとこいつの顔面に思いっきり紫煙吹きかけてやれるのに。

「そりゃ良かったな」
「ああ、羨みの言葉、ありがとう」

俺はなんとなく聞いてみた。

「ところで、その某有名進学校の名前は何なんだ?」
「別に教えてやってもいいが……。○○、だよ」
「ふぅーん」

言葉とは裏腹に、俺はかなり動揺していた。佐々木の通っている高校じゃないか!
でもまさか、佐々木がそのメンバーに入っているなんてことは……。
いや、あいつのルックスはかなり、つーか、最上の部類に入るほうだし……。
いやいや待て待て、佐々木の恋愛に対する興味は零に等しい……。
憶測に否定を重ねているうち、谷口は独り勝手に愚痴りはじめる。

「にしても、あいつ遅っせえなあ。約束の時間、もう十分も過ぎてるぜ」

男の遅刻には厳しい男、それが谷口である。
俺も時計を確認してみる。現在、七時十分。古泉も谷口の待ち人と同様、十分の遅刻だった。

俺は待ち時間の退屈しのぎにと、谷口に訊いた。

「なあ、お前の待ち人って誰なんだよ」
「すんげえイケメン。この駅構内にいる男ども全員と比べても、圧勝するレベルのとんでも野郎だよ」

285 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 23:25:54.43 ID:2gln1Dhc0

俺はにわかに嫌な予感がした。そして往々にして、嫌な予感とは的中するものなのだ。

「いんや、勿体ぶることなかったな。お前がよく知ってるヤツさ」

出し抜けに谷口は背伸びし、

「……おっ、来た来た」

その名を叫んだ。

「おーい、古泉! ここだよ、ここ」

愕然としたね。一瞬のうちに憶測、推理、推断、認識のプロセスが終了し、
俺は一目散にこの場を立ち去ろうとした。だが、屈強でいてスラリとした、男の理想型みたいな体に阻まれた。

「遅くなって申し訳ありませんでした。
 僕以外のメンバーは全員そろっているようですね。それでは参りましょうか」
「どうなってんだ古泉!? 合コンなんて聞いてねえぞ」

古泉は惚けた顔で言った。

「おや、僕は確かに、会合と申し上げたはずですが」

この世のどこに、合コンを「緊急性のない会合」なんて堅苦しい言葉で表現する人間がいるんだよ馬鹿。

「おいキョン、いつまでもゴネてんじゃねえよ。お前はお前で何か別の用事があるんだろ。それじゃあな」

素っ気ない谷口。その前に立った古泉は、俺を指さしながら、

「彼は僕たちと一緒ですよ。今日の昼休み、もうひとり連れてくる可能性がある、と言っていたのは、彼のことです」

296 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/20(水) 23:41:34.43 ID:2gln1Dhc0

色々と嫌みを言ってくるかの思われた谷口は、しかしそれで得心した様子で、

「なんだ。それならそうと早く言えよ、キョン」

とだけ言い、歩き始めた。どこに向かっているのか分からない俺は、
この場で唯一、怒りの矛先を向けられる古泉の隣に並んだ。

「俺、すぐに抜けるからな」
「女の子たちの顔を確認することはするんですね」
「あのなぁ、そういう下卑た理由じゃねえ。
 ここで帰るなんて言ったら、お前の顔が立たないだろ。
 合コンが盛り上がって、誰が初期メンバーか分からなくなった頃に、すっと抜けるっていってんだ」

古泉は不適に唇の端を上げて、呟いた。

「さて、どうなることやら。
 今夜こそあなたの堅い意志という物を見せてもらいたいものです」

***

結論から言うと、古泉の予言は的中した。
繁華街のネオンの影に、その約束の店はあった。
内装は質素で、どのアンティークも年季が入っており、
清潔感漂う飲食店とは一線を画していた。
ただ、だからといって不潔なわけではなかった。
むしろ店内は洒落ていて、暖色の照明や、温かな木製のテーブルが、
そこで行われる食事や会話を、普段とひと味違ったものに変えるような感じさえした。
要するに、高校生が合コンするには、もったいないくらいの店だった。

316 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 00:02:08.50 ID:b4TNgJb40

まず、最初に言い訳をさせてもらいたい。

一つ。何故か俺が通路側ではない、壁側の一番奥に押し込まれこと。
二つ。少し遅れてやってきた女の子たちの背後に隠れるようにいた佐々木が、
はにかみながら対面の席の壁側一番奥、すなわち俺の正面に座ったこと。
三つ。他の男女が時間の経過とともに席の位置を変えているのに、
何故か俺は移動を許されず、また、佐々木も移動しなかったこと。

以上の三点を知った上で、皆さんは俺を批評していただきたい。
そう、これは不可抗力だったのである。
結局俺があれから二時間たっても席を立てずにいることも、
佐々木と、その友達らしい女の子と良い感じにおしゃべりしていることは、
すべて仕方のないことだったのである。
加えて、佐々木のしゃべり方も変化していた。
一人称は僕、俺を呼ぶ時も君だったのが、
今日に限って一人称がわたし、俺を呼ぶ時はあなただったのだ。
これには参った。
俺には佐々木の真意が分からなかった。
にこにこと笑う佐々木は、本当に可愛くて、
服装も今日のためにお洒落してきたのか、
俺の知っている佐々木とは別人になっていた。

348 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 00:55:12.00 ID:b4TNgJb40

合コンがお開きになった頃には、俺はいろんな意味でへとへとになっていた。

――『キョン。近いうちに、またね』

店の前で佐々木が俺に見せた笑顔が、頭から離れない。
互いの成果を確認しあっている谷口含む男どもを尻目に、俺は一人、溜息をついた。
否、古泉がぴったり同じタイミングで、溜息を吐いていた。

「結局最後まで愉しんでいましたね」

嫌みったらしい口調の割りに、目は笑っていない。

「……なんとでも非難するがいいさ」
「先約の方は、本当によろしかったのですか?」

先約? ああ、それならもう時間的に手遅れだからいいんだよ。
俺が返事をするよりも先に、同級生の男どもが俺たちに歩調を合わせてきて、

「おーい、古泉。お前はどうだった?」

イケメン古泉は、さもそれが当たり前のことであるかのように、涼やかな声で言う。

「佐々木さんを除く全員分の連絡先をいただきました」
「ヒュー、さすがだな」
「後で○○ちゃんの連絡先、回してくれよ?」

囲まれる古泉。俺は相手にもされていない。
どうしようもなく切なくなった、そのときだった。
ポケットが振動する。携帯のフラップを開けると、メールが一件、届いていた。

351 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 01:05:44.23 ID:b4TNgJb40

差出人は、佐々木。
本文にはたった一行、自転車で、塾の前に来てくれないか。

それでも、俺には佐々木が何を望んでいるのか、すぐに解った。

「お前佐々木さんとなんか話した?」
「いんや。あの人、ずっと席固定だったし」
「佐々木さんの連絡先だけは、誰もゲットできてねぇんだよなあ。
 一番可愛いのに、ガード硬すぎ」
「それにあいつ、今日は男に対しても女言葉だったし。イメチェンか?」

遊び人数人の嘆きと、今更のように佐々木の様変わりに突っ込む谷口に、

俺は佐々木の連絡さきなんか四年も前から知ってるよ。
あと谷口、今日数えるほどしか佐々木と会話してないお前に、それに突っ込む権利はねえ。

とそれぞれ心の中で呟いてから、俺は言った。

「俺、急ぎの用ができたから先に帰るわ」

古泉を除く男どもが、口々に

「おー、じゃーなー」
「お疲れー」

と興味のなさそうな返事をする。
唯一古泉だけが、讃えているのか蔑んでいるのか判然としない、微妙な感情を込めた視線で、俺を見つめていた。
それを無視して、駅前の駐輪場に走った。

359 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 01:22:35.94 ID:b4TNgJb40

とっぷりと闇に沈んだ街を、愛車で駆け抜ける。
通い慣れすぎて、目を瞑ったままでも着けそうな、
しかし高校に入学してからは一度も訪れたことのない場所。
その塾は、変わらぬ外観でそこにあった。
今も高校受験を控えた塾生が、勉強に励んでいるのだろう。
ブラインドが敷かれた窓からは、薄明かりが漏れている。

そしてその仄かな光に照らされて、佐々木が佇んでいた。穏やかな微笑みが浮かんでいる。

俺が来たことには、とっくに気づいているに違いない。
なのに、佐々木は俺の方を見ようともせずに言う。

「受験生だった頃のことを思い出すよ。
 緩い人間関係を適当にやり過ごして、ただ勉学に打ち込むだけで褒められていた、あの頃を」

俺は気の利いた返しが思いつかなくて、

「女言葉、やめたんだな」

思ったことを直接口にした。佐々木はくっくっくっと喉を鳴らして、笑った。呆れてるのか?

「安心したんだよ。君があの場で、一度も僕のしゃべり方に指摘を入れないものだから、
 てっきり僕の口調の変化に気づいていないのかと思っていた」
「流石にそこまで鈍感じゃねえよ」

なあ、どうして今日は合コンなんかに参加したんだ?
恋愛には興味なかったんじゃなかったのか?
それに、今更だが、どうして女の子みたいに振る舞い出したりしたんだよ。
それらの疑問を口にするよりも先に、愛車を振動が伝う。それはとても懐かしい振動だった。
振り返る。案の定、佐々木がちょこんと荷台に腰掛けていた。

367 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 01:34:27.27 ID:b4TNgJb40

「どちらまで?」
「あの場所まで、と言ったら分かるかな」
「十分だ」

漕ぎ出す。佐々木を乗せてなお、自転車のバランスは寸分も狂わなかった。
細い道も、坂道も、まったく苦にならない。
俺たちはゆっくりと、しかしスムーズに、目的地へと近づいていった。
そして、たどり着いた。

「わぁ………」

息を飲む。二年の時を経て変わらぬ美しさが、ここにある。
夜空の星々を、そのまま地上に鏤めたかのような夜景。
高台からの眺望は、最高だった。この時間帯にここに来るのは、本当に久しぶりだ。
二年前は、これが日常だった。
塾の帰り、それも少し早めに授業が終わったときだけ、
俺は佐々木を荷台に載せて、ここまで運んできたのだった。

443 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 11:10:49.43 ID:b4TNgJb40

佐々木が傍に寄ってくる。
そのまま身を寄せてくるかとおかしな期待をしたが、
俺の脇を通り過ぎ、柵にもたれかかっただけだった。
夜景をバックにした佐々木は、どこかの映画女優のように見えた。

「折角ここまで連れてきてやったのに、
 こっち向いてちゃ意味ないじゃないか」
「いいんだよ。僕は"一目"見たかったんだ。
 素晴らしいものに感動を覚えるのは、最初の一瞬だけ。
 後に続くのはただの余韻に過ぎない」
「そうかい」

手持ち無沙汰になった俺は、近場の、木製のベンチに座った。
煙草でもあればなあ、と思う。
喫煙したいわけじゃなく、こういった間を、簡単に埋めることのできるアイテムが欲しかった。
俺は佐々木を見た。佐々木も俺を見ていた。表情には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

「ねえキョン。もし僕が、今から飛び降りると言ったら、君はどうする?」

何を言っているんだろうね、こいつは。
俺はわざとらしく欠伸をしながら、

「馬鹿なこというな。俺はそんなの信じないよ。
 お前が命を自ら絶つような人種じゃないのは知ってるし、まず動機がないだろ」
「冷静な推量だね」

言いながら、佐々木は柵を乗り越えようとする。
嫌な汗が、背中を伝った。佐々木の髪が、スカートが、夜風に凪がれていた。

「でも、僕は本気だよ」

451 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 11:26:25.12 ID:b4TNgJb40

自分があそこに立っているわけじゃないのに、足が竦んで動かない。
この高さから落ちたら、間違いなく即死だ。
いや、傾斜があるから奇跡的に助かる可能性もなきにしもあらずだが、重傷は免れないだろう。
佐々木が、柵を乗り越え終える。
そして、

「じゃあね、キョン」
「ばっかやろう!!」

駆けだした。佐々木の目が丸くなって、惚けたように口を開けている。
何か慌てたように言っているが、構うものか。
俺は世界最速のスプリンターをぶっちぎりで追い越せそうな速度で柵に近づき、
佐々木の腰を抱えて、一気にこっちに倒れ込んだ。

「はぁっ……はぁ……」

急な全力疾走が祟ったのか、倒れ込んだときに舞い上がった砂塵を吸い込んだからか、派手に咳き込む。
しかし、それが気にならないくらいの安堵感が胸を占めた。
俺は地面に手をついて、身を起こした。ついでに佐々木の体も起こしてやる。
佐々木は地面にへたり込んで、うつむいていた。肩が震えている。
泣いているのか?
心配になった、そのとき、

「……くっくっくっく」

俺はすべてを悟った。

「ちょっくら自殺してくる」
「くっくっく……、待って、待ちなよ、キョン!……くっくっく……、
 こんなにうまくいくとは……くっくっく……思ってなかったんだってば」

453 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 11:39:50.31 ID:b4TNgJb40

***

佐々木の笑いが止まり、俺の呼吸が落ち着いたのは、それから10分もたった頃だった。
精一杯の怒気を込めて、俺は訊いた。

「どうしてあんなことしたんだ。
 ちょっとでもバランス崩してたら、真っ逆さまだったんだぞ」
「理由? そんなもの、実に単純明快だよ。
 君も分かってて訊いているんだろう。……面白そうだったからさ。
 そして結果は、想定していた以上にエキサイティングだった」

怒りを通り越して呆れたね。

「お前、死ぬのが怖くなかったのか」
「おかしなことを訊くね。
 僕は自分が死ぬはずないと確信していたからこそ、あんな行動に出たんだよ。
 唯一無二の命なんだ、リスクにはさらせないよ」
「どっから死ぬはずないって根拠が出てくるんだ?」
「君だよ」

佐々木を俺を見つめて、

「君なら絶対助けてくれる。そう思ったから。
 口先では、僕が自殺する可能性を否定していたけど、
 いざ僕が柵を乗り越えると、君はすぐに駆け寄ってきてくれた」

記憶をたどる。
焦燥で、お前に駆け寄るまで、結構な時間があったと思うんだが。

「精神的に体感する時間は、実際の時間とは大きく異なっているものなのさ。君の行動は迅速だった」

461 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 11:56:01.39 ID:b4TNgJb40

「それにしても、面白かったなあ。
 興奮して憶えていないかもしれないけれど、あの時の君ったら、必死でね?」
「あーあー、もう思い出させんな」

顔が火照っているのが分かる。
記憶を消せる消しゴムがあるなら、全部すり切れるまで使って、
さっきの記憶を消し去りたい気分だよ。

「酷い言いようだな。僕にとってさっきのハプニングは、
 面白いことであると同時に、とても嬉しい出来事でもあったんだよ?」

嬉しい?
その言葉の意味を訝しむ俺に、佐々木は言った。
恥ずかしげもなく。衒いのない、本日最高に可愛い笑顔で。

「だって君は、僕を熱く抱擁してくれたじゃないか。
 男性にあんなことをされるのは初めてだったし、
 何より、相手が君だったからね。
 今僕は女の子として扱われているんだなあと思うと、自然、胸が熱くなったよ」

よくもまあぬけぬけと。
聞いてるこっちが、羞恥で死ねるようなことを言えたもんだ。
俺は怒られているわけでも咎められているわけでもないのに、言い訳する。

「抱きしめたのは、その、成り行きというか。
 ああする他に、なかっただけで……」
「ねえ、キョン。少しのあいだ、僕の話を聞いてくれないかな」

出し抜けに、佐々木が喋り始めた。

475 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 13:01:26.86 ID:b4TNgJb40

「恋愛なんて精神病のようなものだ。
 以前、もういつのことか記憶は定かじゃないけれど、僕はそう言ったよね。
 恋人という関係は生殖行為を望むが相手を伴侶と決めかねている状態を指すモノで、
 その先にある婚姻も、所詮は儀礼的なものに過ぎない、恋愛感情は、結局は、余分な感情なんだって。
 でも、僕はあれから、いろいろと考えてみたんだ。
 すると、僕は早とちりしているんじゃないだろうか、
 恋愛を抽象的にしか知らない僕が、果たして恋愛を否定できるのだろうか、と思うようになった」

佐々木の瞳はどこか遠くを見つめたままだ。
地上の夜景を見下ろしているのか。それとも、満点の星空を見上げているのか。

「恋愛の定義とは、何なんだろうね。
 今日僕と一緒にいた彼女たちは、以前その問いをしたとき、笑って答えてくれたよ。
 極めて世俗的な答えだった。お互いがお互いのことを好いている。
 お互いが、必要としあっている。なるほど、確かに世にあふれているカップルは、彼女たちの意見にそぐう形で存在している。
 でも、それでも僕は、まだ根本的な理解ができなかった。
 そんなときだよ。橘さんが、僕にアドバイスをくれたのは」

橘――橘京子。
佐々木を創造主とする機関の構成員。
俺は黙って耳を傾ける。

「彼女の喋り方をコピーすることはできないから、まとめて説明するとね。
 彼女は、僕が勘違いしていると言うんだよ。
 順序が逆なんだって、そういった風には恋愛は理解してはいけないって、柄にもなく熱く語っていたよ。
 曰く、恋とは自然に落ちるモノらしいんだ。
 これだって十分世俗的な文章だけど、彼女はこう付け加えた。
 最初は相手のことを何とも想っていない、それがだんだん相手のことを知るにつれて親しみを持つようになり、
 やがて相手がいない時間を不満に感じるようになる。そして、常に一緒にいたいと願う。
 これが恋らしい。そして彼女は最後に、僕にある質問をした」

484 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 13:26:25.84 ID:b4TNgJb40

「『佐々木さんには、そういう人がいないんですか?』ってね。
 僕はしばらく考えてみた。思い当たる人はいなかった。
 ただ、常に一緒にいたいとは願わずとも、その人がいない時間を、不満に感じるような人は心の中にいた」

誰だ? 俺は胸の内で質す。
佐々木は淀みなく答えた。

「君だ」

息を飲む。でも、驚きはなかった。

「それから僕は、ある試みをすることに決めたんだ。
 本当に君が、僕が恋愛するに不足ない人間なのか。……おっと、勘違いしないでくれたまえよ。
 それは僕が君を測るだけではなく、君が僕を測るという意味合いもかねた試みだったんだ。
 計画は単純、君を待ち伏せして、二人だけでどこかに出かける。そう、昨日のことだ。
 偶然がうまく重なって、僕は下校途中の君を捕まえることができた。
 君と過ごした数時間は、本当に有意義なものだったよ。
 ただ、一つだけ、気になったことがあってね。
 君が僕を女ではなく、男女平等の”親友”という言葉でカテゴライズしているんじゃないか、不安になったのさ」

謎が解けた。
つまり今日の合コンで、佐々木が雰囲気をガラリと変えた理由は、

「そう。君に僕が女の子であることを、思い出させたかったんだ。これも試みの一つさ。
 ねえ、率直な意見を聞いてもいいかい?」

佐々木は口元を三日月にして、聞いてきた。

「言葉遣いを変えたわたしは、どう? こっちの方が、あなた好みかしら」

494 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 13:46:22.19 ID:b4TNgJb40

合コン中に感じていた奇妙な感覚が蘇る。
佐々木、それは反則だ。

「い、今までの喋り方に慣れてた分、戸惑う。
 それになあ、お前、矛盾してるぞ。
 お前は親友として見られるのが嫌になったと言ってるが、
 ことあるごとに『僕たちは親友』と言っていたのは他ならぬお前だろ」

すぐさま抗弁が始まる。拗ねたような口調で。

「だってそれは仕方がないじゃない?
 塾を卒業してからつい最近まで、わたしはあなたを遠くから思い出していただけだし、
 あなたと共に塾で勉強していた時は、心のどこかで、薄い壁を作っていたんだから。
 これ以上仲良くなっても、進学する高校は別だから意味がない。
 あの頃のわたしは、そんな悲観的でつまらない考えを、堂々と掲げていたんだと思うわ」
「それは今も同じなのか」
「さあ、どうかしら?」
「じゃあ言ってやる。
 お前は、その、美人だし、頭も良くって、喋っていると退屈しなくて、
 あー、なんだ、まあその、とくかく!
 俺はお前のことを、女じゃないなんて一度も考えたことなんかねーよ」

佐々木はぽかんと呆気にとられた表情をしていたが、
やがて、無邪気に微笑んで、

「そう……。それなら、もっと早くに聞いていればよかった」

503 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 14:03:31.42 ID:b4TNgJb40

立ち上がった。
青白い月明かりは、まるでスポットライトのように、佐々木を照らし出している。
綺麗だった。

「それで……話は戻るが、その試みとやらの結果は、どうだったんだ?」
「やっぱり気になるのね?」
「うるさい。さっさと言えよ」

俺が促すと、意外にも佐々木は、恥ずかしがっていた。
こいつが羞恥を表に出すなんて、滅多にないことである。
あいつが涙を見せるくらい珍しい。
ん? あいつって誰のことだ?
佐々木は自嘲的な口調で言った。

「笑いたければ、笑うがいいわ。
 試みは見事に失敗よ。だって、途中から意味がなくなっちゃったんですもの。
 もっと早く気づくべきだった。
 あなたのために洋服を選んで、あなたのために話題を考えて、
 あなたのために言葉遣いを変えて、あなたとの夜を想像して眠る。
 いつの間にかわたしは、あなたと、常に一緒にいたいと願うようになった。
 ……あなたが好きよ、キョン」

佐々木は一歩俺の方に近づいて、

「それで、良ければ僕と……、じゃなくてわたしと、付き合ってくれないかしら」

見つめ合う。佐々木の双眸に、嘘の色はなかった。
つまり、本気で俺のことが好きだと言っているのだ。俺は答えた。

512 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 14:17:15.31 ID:b4TNgJb40

「ダメだ」
「えっ」

可愛い顔が、一瞬にして歪む。
自殺未遂のお返しだぜ。

「その言葉遣いを元に戻さない限り、ダメだ。
 お前は僕っ子だろ。まあ、たまに女言葉なら刺激的でいいけどな」
「もう、あなたって人は……ううん、君ってヤツは……」

下唇をかんで、怒る佐々木。
しかし、きちんと言葉遣いを元に戻しているあたりが、可愛くてしかたない。
それから佐々木は、もう一度、
今度は俺のよく知る言葉遣いで、告白してくれた。
流石に、もう意地悪はしなかったさ。俺だって、そこまで捻くれちゃいない。

その後、俺は佐々木を家まで送り届けた。
別れ際、俺たちは初めてキスをした。
その瞬間、頭の中で、何かが溶けていったような感じがした。
キス直後の佐々木の照れた顔は、たぶん、一生忘れないと思う。

唇に手を当てて、一人、自転車を走らせる。
火照った体に、夜風が凍みた。

それは、何かが始まって、何かが終わった、とある夏の夜のことだった。

***

次の日、俺は登校してすぐに洗礼を受けた。
言わずもがな、早くも情報を入手した谷口と、谷口からすべてを聞いた男子生徒諸々からである。

531 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 14:35:53.73 ID:b4TNgJb40

「聞いたぜ、キョン。佐々木とつきあいだしたんだってな」
「俺佐々木ちゃん狙ってたのによー。どうやって連絡先ゲットしたんだ?」
「バーカ、キョンの野郎は最初から佐々木と仲良かったんだよ」

しかし、俺が質問攻めに合っている間に、
いつの間にか谷口がマネージャー的立ち位置になって代わりに答えてくれるという
奇妙な状況が発生し、俺は難を逃れたのだった。

席に着く。

背後は空席だったが、気にとまらなかった。
当たり前だ。これがいつもと変わらない日常じゃないか。

授業をこなす。
あれほど眠たくてしかたなかった授業を、
今日は起きて聞いていられることができた。
理由はシンプルだ。俺がうつらうつらし始めたときに、携帯が鳴って、

『ちゃんと勉強しているかい?
 君のことだから、居眠りしていないか心配だよ』

と目覚ましメールが来たからだ。
それから俺は佐々木とメールを続け、返信を待つ間はきちんと授業を聞き、
なんとそのまま昼休みを迎えた。
国木田なんか、俺が一度もうたた寝しなかったことに、
谷口みたいなこと言ってたっけ。えーっと、あれ、何だったかな。

ああ、思い出した。

「驚天動地」だ。

542 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 14:51:23.60 ID:b4TNgJb40

その日一日、俺はスターだった。こんな気分は、何年ぶりだろう。
小学校以来かもしれない。何かつまらない絵の賞をとって、校長先生に、壇上で景品を渡してもらう。
教室に帰ると、みんなに持て囃されて、良い気分になる――。
今はまさに、そんな気分だった。

***

「……お幸せに」
「おめでとうございます」

部室に入って、最初にかけられた言葉がこれだった。
俺が面食らっている間に、すたすたと長門は定位置に戻り、
古泉もお茶煎れにとりかかる。いったいどうしたんだ?

「おや、あまり好ましくない表情ですね。クラッカーを用意したほうがよろしかったですか?」
「用意しなくていいから。おめでとうって、何のことについてだよ?」

このとき、俺はまさか他のクラスの奴らまで、
俺と佐々木のことを知らないだろうと思い込んでいた。
古泉が昨日の合コンの参加者であることは、すっかり失念していたのだ。

「つくづく罪な人だ。僕にわざわざこんな台詞を言わせるとは。
 僕たちは、あなたと佐々木さんの交際成立を祝っているんですよ」
「……あぁ、そうだったのか」

大した感慨もなく、ありがとう、と言ってパイプ椅子に座る。
「嬉しい」という感覚が、麻痺しつつあるのかもしれなかった。
それにしても、古泉はどこからその情報を手に入れたんだろう。
機関から? それとも昨日連絡先を交換した佐々木の友達から?
俺は少しだけ推理してから、どうでもよくなって考えるのをやめた。

551 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 15:12:49.78 ID:b4TNgJb40

卓上ゲームを嗜み、対戦表に白星を新たに5つ加えたあたりで、長門が本を閉じた。
団活終了の合図。俺たちは帰り支度を済ませて、いつも通り、俺が施錠をした。
古泉は今日は何の内緒話もなかったようで、俺は一人、文芸部室を目に納めて、鍵を回す。

――りん。

かちゃり、という音に重なって、涼しい鈴音が耳に触れた。
この扉の向こう側では、今も、風鈴が揺れているのだろう。

俺は旧校舎を後にする。
無風の文芸部室で風鈴が鳴ったことに、なんら、違和感を感じぬまま。

***

昇降口には、長門と古泉が揃って待っていた。
校門まで一緒に歩き、そこで、俺は別れを告げた。

「何か用事ですか」

古泉が言った。

「ああ、ちょっとな」
「どういった御用向きなのかは、聞くだけ野暮なのでしょうね。
 それでは長門さん、僕たちは帰るとしましょう」

古泉が歩き出す。後に続くかと思われた長門は、しかし、すぐには歩き出さなかった。
一瞬、俺を、その漆黒の瞳で見据えて、

「………あなたは、」
「長門さん?」

554 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 15:17:44.27 ID:b4TNgJb40

「なんでもない」

ととと、と古泉に追いつく。
俺は長門の様子を不思議に思ったが、
何か言いたいことがあったのかな、まあ本に栞はさんで寄越さないだけ、大事なことでもなかったんだろう、
と自分を納得させて、古泉たちとは反対方向に歩き出した。
目指すは駅前の喫茶店。
そこにはもちろん、俺の彼女が待っている。

***

564 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 15:47:26.58 ID:b4TNgJb40

光陰矢の如し。時間の流れとは早いモノで、
佐々木と付き合いだしたあの夜から、一週間が過ぎた。
俺はほぼ毎日、佐々木と会うようにしていた。
何故かって? 会いたかったからさ。
そしてそれは佐々木も同じだったようで、
俺が姿を見せる度、あるいは、喫茶店の中に俺の姿を見つける度、
佐々木は喜色満面で俺の名前を呼ぶのだ。

幸せだった。

会えない時はメールと電話で我慢して、
時間を作れるときは、迷いなく佐々木のために当てた。
恋は盲目というが、その至言は、まさに俺の状態をうまく言い表していると思う。

俺は盲信していた。
この満ち足りた時間が、永遠に続くのだと。

***

転機は、前触れなく訪れた。
それはあの夜からちょうど八日目の、
夏休み突入を三日後に控えた、柔らかい雨が降る日のことだった。

授業をこなし、終礼が終わる。
支度をして文芸部室に直行しようとした俺を、呼び止める声があった。
振り向く。岡部が手招きしていた。

「何か?」
「お前に頼みたいことがある。涼宮のことなんだが……」

569 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 15:57:49.21 ID:b4TNgJb40

涼宮……ああ、俺の後ろの席の涼宮ハルヒか。
思い出すのに数秒、涼宮がここ十日間くらい学校に来ていないことを思い出すのに、さらに数秒を要した。
俺は尋ねた。

「涼宮がどうかしたんですか」
「お前、あいつの家がどこにあるか知ってるよな?」
「ええ、一応知ってますけど」

俺は嫌な予感がした。
岡部はおもむろに、教卓の上のプリントの束の端を、トントンと揃え、

「じゃあ、このプリント持って行ってやってくれないか。
 俺が持って行けたらいいんだが、今から職員会議で無理なんだ。頼む」

俺に手渡した。
どうして俺に白羽の矢が?
あいつの家くらい知ってる人間は他にだっているし、
こういう運搬役は、普通、そいつの家に近い人間が行くもんだろ。
たとえば、同じ東中校区の谷口とか。
反論したかったが、岡部と揉めるのは利口じゃないと判断、プリントを受け取る。

「任せたぞー」

岡部は一言、そう残して教室を去っていった。
俺はプリントの束を改めて見た。届け先――涼宮ハルヒ。

やれやれ。
面倒な仕事を押しつけられちまった。

573 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 16:12:31.52 ID:b4TNgJb40

***

団活が終わった後、俺は久しぶりに古泉と長門と帰路を共にした。
歩行者用スペースが狭く、傘を差していることもあり、俺と古泉が並び歩きその少し前を長門が歩く、という帰宅風景だ。
古泉は驚いていた。

「今日は佐々木さんと逢い引きされないのですか?」

俺は声を潜めて、

「声がでかいんだよてめぇは。担任に、用事を頼まれてな。
 佐々木とはそれを済ませてから会う予定だ」
「わかりました」

傘に隠れて古泉の表情は伺えない。
また、雨粒が傘をたたく音も、声に含まれた感情を、覆い隠しているように思えた。

東中校区に続く道で、二人と分かれた。

雨脚が、頓に強くなる。俺は傘を上げて空を見た。
鉛色の雲は、その色の濃さを増していた。

583 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 16:30:56.28 ID:b4TNgJb40

道すがら、俺は佐々木にメールしておくことにした。
当初は遅刻を知らせる予定だったが、この豪雨だ、街まで遊びにはいけないだろうと考え、

『今日はすごい雨だし、やめとかないか。
 俺もちょっと用事ができて、約束の時間に間に合いそうにないし』

こう打って、送った。
会えないのは残念だが仕方ない。
まだ今は六時を過ぎた辺りだから、佐々木もちょうど、学校を出た時分だろう。
早めに俺のメールに気がついて、直帰してくれるといいんだが。

涼宮の家にたどり着いた頃には、俺の足下はびしょびしょに濡れていた。
いくら傘で上半身を防ごうとも、水たまりの跳ね返りは防げない。
陰鬱な気持ちでチャイムを押す。

ぴんぽーん。

家人が出てくるまでの間、雨に濡れた家を観察した。
そう、確かあの窓が涼宮の部屋だ。今は電気が灯っていないが。

「はぁい。あら、あなたは……」

出てきたのは、涼宮の母親だった。
俺を知っていることもあってか、無警戒の微笑みを見せているが、
その裏側に、沈んだ感情を湛えているのが分かった。

俺は家に案内された。
母親にプリントを渡して帰っても良かったのだが、
ここまできたら、直接渡してやろうと思った。

624 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 17:47:11.06 ID:b4TNgJb40

涼宮の家に来たのは、これが初めてじゃない。
間取りは把握していた。俺は涼宮の母親に断りを入れて、二階に上った。
彼女は一瞬、何か言いたげな顔をしていたが、
結局、何も言わなかった。

ぎしぎしと、階段が軋みを上げる。
静まりかえった二階の廊下に、俺の足音と、雨音だけが反響していた。
俺はノックをして、問いかけた。

「涼宮、開けても良いか」

1秒、2秒、3秒……。返事はない。
だが、ここに涼宮がいることは分かっている。
眠っているのか。聞こえないふりをしているのか。
答えはやはり、後者だろう。俺は続けた。

「お前が学校休んでいる間にたまってたプリント、持ってきてやったんだ。
 なあ、入っても良いか? 色々プリントの説明とかもしたいしさ」

返事はない。もう一度ノック。同じく返事ナシ。
俺はドアノブに手を伸ばした。俺の手だけが、虚しく滑った。
ドアには、鍵がかかっていた。

「はは、こりゃ参ったな……」

完全に引きこもりだ。外部からの干渉を拒絶してやがる。
俺がどうするべきかと立ち尽くしていると、
今まで静観していた涼宮の母親が、階段を上ってきた。

「ごめんなさいね。あの子、もうずっとこうなのよ」

643 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 18:04:30.94 ID:b4TNgJb40

階下の居間に通されて、俺は少しだけ、話を聞かされた。
涼宮の母親は、多くを語ろうとしなかった。
思い出すだけで悲しくなるんだろう。俺は淡々と、そう思った。

曰く、涼宮の引きこもりは突然始まったらしい。
『今日からあたし、学校行かないから』
その一言を皮切りに、涼宮は自室に籠城した。
母親や父親が説得しても一切効果はなく、部屋から出てくるのは、
トイレと、ドアの前に置かれた食事をとる時だけ。
筋金入りだった。

あの子のことで思い当たる節はないですか、いいえないです、
そう、今日はプリントありがとうね、いえいえ、それじゃあお気をつけて、と言った遣り取りを終え、俺は玄関を出た。
傘を差す。豪雨は、霧雨になっていた。
話を聞いているうちに、雨脚は遠のいていったらしい。

こんなことなら、佐々木との予定をキャンセルするんじゃなかったな。
俺は溜息をつきながら、
元凶が棲まう部屋を、振り返った。カーテンが揺れる。
水滴が張り付いた窓の向こう側に、人影があった。涼宮が、いた。

「………」

数刹那、視線が交錯する。涼宮の表情は、判然としなかった。
奇妙な感情の波が、押し寄せてくる。
なんでプリント受け取りに出てこなかったんだよ――違う、これは怒りじゃない。
引きこもりが、尋ね人が去ってからおでましかよ――違う、これは蔑みじゃない。
可哀想に、このままずっとああやって過ごすのか――違う、これは哀れみじゃない。
そんな黒い感情じゃないんだ。
もっと明るい、何か、笑い出したくなるほど、楽しい感情のはずなのに。

650 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 18:22:47.63 ID:b4TNgJb40

無理矢理視線を、地面に落とす。
涼宮の頬を、涙が一筋伝ったような気がしたのは、俺の錯覚だろうか。
いや、きっと、窓の水滴が流れただけだろう。
そう自分に言い聞かせて、俺は踵を返した。
奇妙な感情は、その正体は分からないまま、消えていった。

***

その日、俺は家族団欒の夕食の機会を失った。
涼宮の一件で疲れた俺は、温かい食事と暖かいお風呂を夢見ながら、玄関の框を踏んだ。
が、背後からの声で、俺は玄関先に引き戻されることになる。

「お久しぶりなのです」
「あー、わざわざ訪問してもらってわるいんだが、」
「???」
「帰れ」

きょとん、とした後、大声で俺の名を呼ぶ橘京子。
本能的に俺の足を止める方法を知っているのかもしれない。

「ちょっ、それはいくらなんでも酷すぎますっ。キョンくーん、待ってー!」
「大声出すな。次叫んだら二度と口聞いてやらないからな」
「はい……」

橘は素直に、萎縮する。雨のせいだろう、橘自慢のツインテールも、元気がないように見えた。

「とりあえず、車に乗ってもらえませんか。
 立ち話もなんなんで、ドライブしながら話しましょう」
「お前、免許は?」
「持ってません。でも、大丈夫ですよ。訓練受けましたし」

656 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 18:39:26.40 ID:b4TNgJb40

俺は溜息をつきながら、車体を確認する。
某有名日本メーカーの、コンパクトカー。色はオレンジ。
目立った傷はなかった。とりあえず、俺の家の前までは無事故で運転できたようだ。
不安は残るが……乗ってやってもいいか。

「オーケー。ただし、絶対安全運転な」
「了解です」

シートベルトをきつく締める。必要以上に用心している俺を、橘は憤慨していたが、
その運転テクニックは本物だった。
ゆっくりと、車体が滑り出す。
拍子抜けしたよ。俺としては、急ブレーキ急発進の、ハチャメチャ運転を予想していたんだが。

***

車に乗ってから十数分。橘は、郊外の県道を適当に流していた。
相変わらず、その運転には危なげがない。
ここまで、俺たちの間に会話はなかった。ワイパーの音だけが、等間隔に静寂を乱している。

「佐々木さん、とっても嬉しそうでした」

橘が、ぽつりと言った。

「キョンくんと付き合いはじめてから、佐々木さんは変わったんです。
 前は教室の女の子たちとも、少し距離を置いている感じだったのに、
 今ではその真ん中にいます」

佐々木が変わったことには、俺も気がついていた。
婉曲な言い回しが減り、直感的な言葉が増えた。
もっとも、そのせいであいつの理知的な一面が損なわれた、というわけではない。

668 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 18:53:54.55 ID:b4TNgJb40

俺はシートベルトを解除しながら、

「佐々木が変わったことで、なにか問題でもあるのか。
 腹が減ってるんだ。手短に用件を済ませて、家庭料理にありつきたいんだが」

橘がハンドルに手を置いたまま、後ろを振り返る。
心臓が止まりそうになったが、後部座席においてあったファーストフードをとっただけだった。
前方車両との車間は、しっかり保たれている。

「どうぞ。ついさっき買ったばかりだから、まだ温かいと思いますよ」

用意周到なヤツだ。
そう思いながらも、俺の手は勝手に袋を開封していた。

「佐々木さんの方は、何も問題ありません。
 あたしが気になっているのは、あなたの方」
「どうして俺が気になるんだ?
 お前の所属組織の興味の対象は佐々木なんじゃなかったか」
「もうっ、いつあたしが組織を口にしたんですか。
 これはあたしの個人的な調べ物なのです」
「変わったこと、変わったこと……。
 うーん、谷口っていう悪友の、嫌味が増えたくらいだな」

685 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 19:18:24.08 ID:b4TNgJb40

橘はハンドルを指でとんとんたたきながら、

「それじゃあ、キョンくん自身の、精神的な変化は何かありませんでしたか?」

こいつは俺から何を聞き出したいんだろう。
不信感が募ってきたが、問答を続ける。

「それは佐々木への感情とは、別の面での話か?」

コク、と頷く橘。珍しく真剣な表情だ。
俺はここ最近の自分を反芻してみた。
涼宮の家を訪問して、その帰り道に感じた奇妙な感覚のことが、脳裏をよぎる。
だが、俺は胸の内にしまっておいた。

「ないな。期待に添えなくてすまんが」
「そう……」

声音は残念そうだったが、返事が想定通りであったことに、なんらかの確信を得ていることを、俺は見ぬいた。
こんな表情をするヤツを、俺はよく知っていた。古泉だ。
車の進行方向が、緩やかにターンしていく。ここらが折り返し地点というわけか。

「お前、まだ俺に聞きたいことがあるんじゃないのか?」
「えっ?」
「聞きたいことは、今全部聞いといた方がいいぞ。
 お前のドライブに付き合わされるのは、これで最後だからな」

雨脚が、また強くなる。
車体をたたく雨音がうるさい。橘はワイパーの速度を一段階上げて、言った。

「涼宮さんは、今も学校をお休みしているんですか」

695 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 19:38:57.61 ID:b4TNgJb40

「涼宮? ああ、あいつならまだ引きこもってるよ」
「涼宮……?」

橘が、目を真ん丸にしてこちらを見つめている。
それはさながら、自分の悪戯が思わぬ結果を呼んで慌てふためいている、小さな子供のような仕草だった。

「前向け。事故るぞ」
「あっ、はい」

橘はハンドルを握り直す。

「SOS団の皆さんは、涼宮さんに何か働きかけたりしていないの? その、彼女の家を訪問したり、」
「してないよ」
「ど、どうしてですか?
 彼女はあなたたちの中心人物だったはずです。
 一番涼宮さんのことを気にかけているのは、あなたたちでしょ?」
「いや、そうでもねえよ。
 古泉も長門も、朝比奈さんも、この世界は安定していて、涼宮の精神は平静で、時空間にも乱れはないって言ってた。
 誰も涼宮の心配はしてない。またあいつが学校に来たいと思うようになったら、来るだろ」
「キョンくんは、それまで放っておくって言うんですか!?」
「だってどうしようもないだろ。
 今日も涼宮の家に行ってみたけど、部屋には鍵がかかってて、
 俺を入れてもくれやしない」
「彼女に会いに行ったんですか?」

橘の瞳に光が灯り、

「ああ。担任に、プリント届けてきてくれって頼まれてさ」

すぐに消えた。

705 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 19:59:42.62 ID:b4TNgJb40

その後、橘は

「そんな……こんなのって、酷すぎます……」

とかなんとかブツブツ言っていたが、やがて口を噤んだ。
口元は、何かを決意した直後のように、真一文字に結ばれている。
俺は首を傾げながら、橘の運転を見守った。
満腹になったせいか、眠気が頭を支配しつつあった。

車は一直線に俺の家に向かい、五分もしないうちに俺は玄関に立っていた。

橘の去り際はあっさりしていた。
窓から首を出し、

「おやすみなさい。今日は、ドライブに付き合ってくれてありがとうございました」

それだけ言って、車を発進させた。
角を曲がるまで見守ってから、家の中に入った。
橘は俺に、どういった理由で涼宮のことを尋ねたんだろうな。
と、考える間もなく正面に妹発見。

「キョンくーん、おっかえりー」
「ただいま」
「今日もおそかったねー。どこいってたのぉ〜?」
「ツインテールの超能力者に拉致られてたんだよ。そりゃもう大変だったんだぜ」
「キョンくんのうそつき。本当のことおしえてよ〜」

嘘なもんか。半分は本当だぜ。
大変だった、ていうのは嘘だけどな。

717 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 20:19:32.53 ID:b4TNgJb40

軽く夜食をとって、シャワーを浴びた後。
俺は佐々木とメールするのを忘れたまま、ベッドに入った。
どうしようもなく疲れていたのだ。
睡魔は優しく魔の手を伸ばし、俺のまぶたを引き下げた。抵抗は無意味だった。

その夜、俺は夢を見た。

どこかとても懐かしい場所で、一人の女の子が、俺に背を向けて話している。

「今まで、ごめんね」

俺はその言葉の意味が分からない。
何を謝っているのか。どうしてその女の子が、今にも泣きそうなのか。
分からない。
――りん。
澄んだ音が響く。心地よい、自然と耳に染みいる音色。
やがて、その女の子が、振り向いた。
彼女の名は……

***

「でよぉ、俺がここぞとばかりにアタックかけたんだ。
 そしたらその子、なんてメール返してきたと思う? おいキョン、聞いてるのかよ!」
「ん、あぁ、悪い。ちょっと考え事してた」
「まったく、これだから彼女持ちは。独り身の独白なんざ、どーだっていいってか?」

翌日。ここ最近はきちんと早起きできていたというのに、、
夢を見たせいで寝入ってしまった俺は、運悪く谷口に出くわしたのだった。
ちっ、折角思い出しかけていた夢の内容が、
お前のせいで曖昧になっちまったじゃねーか。

747 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 21:26:57.83 ID:b4TNgJb40

一日は、何事もなく経過していった。
空模様は、昨日とはうってかわって快晴で、
涼宮の家を訪ねたことや、橘にドライブに誘われた記憶を、溶かしていった。
ただ、授業中に来るかと期待していた佐々木からメールは、結局昼休みになっても来なかった。
昼休み、俺は旧校舎に向かった。
自分でも、どうかしていると思う。
たった十数時間連絡を取らなかっただけで、どうしてこんなに気を病む必要があるだろう?

「もしもし」
「もしもし――キョン? どうしたんだい?」
「いや、声が聞きたくなってさ」

受話器の向こうから、くすくす笑いが聞こえてくる。
ほら。ただの杞憂だった。
それから俺たちは、他愛のない会話をして、昼休みを過ごした。
予鈴がなり始めた頃に、俺は言った。

「今日は大丈夫だよな?」
「それは僕の台詞だよ。それじゃあ、駅前の喫茶店に、7時にね」
「おう」

携帯を閉じる。
不安はきれいさっぱり、払拭されていた。
俺はゆるんだ顔のまま、教室に戻った。

もしも、一年前の俺が、今の佐々木の声を聞いていたら。
その俺は、難なく佐々木の機微を、察知できていただろう。

766 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 21:46:10.19 ID:b4TNgJb40

***

文芸部室に入ると、既に俺以外の団員は揃っていた。
今日は珍しく朝比奈さんもいる。ただし、彼女は制服姿でお茶を煎れていた。
メイド服はハンガーに掛けられたまま、ずっと放置されている。

「はい、どうぞ。久しぶりだから、味が変だったらごめんなさい」

湯飲みを一口。お茶は最高に旨かった。
たとえるならそれは、天上の玉露。
古泉のお茶を1とするなら、朝比奈さんのお茶は∞に値するといっても過言ではない。

「誇張表現だと分かっていても、傷つきますね」

古泉が拗ねたように言う。お前が拗ねても全然可愛くないからやめろ。
それで……今日は何のゲームで大敗を喫したいんだ?

「僕が負けるのが前提になっているのが納得できませんが……、将棋はいかがですか?」
「いいね。最近やってなかったし」

駒を並べながら、俺は窓際の方を見やった。
朝比奈さんが、長門にお茶を運んでいるところだった。

「はい、長門さん」
「……ありがとう」

微笑ましい光景。なんて平和な、夏の一コマだろう。
俺は、ほう、と溜息をつきながら、なんとなく、PCが置かれたデスクを見た。
――りん。
風鈴の鈴音とともに、違和感が去来する。

774 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 22:02:26.10 ID:b4TNgJb40

昨夜見た夢が、まぶたの裏に浮かび上がってくる。
この鈴音。風に揺られては熱い夏を涼しくする、魔法の音色。
この風鈴は誰が取り付けたものだったっけ?

「…………」

気づけば、みんなが俺を見つめていた。
どうやら俺は、モノローグの最後部分を、実際に口に出していたらしい。
朝比奈さんが復唱する。

「風鈴、ですかぁ? わたしは知らないです。
 わたしが休んでいるときに、誰かがとりつけたのかも」

古泉も顎をさすりながら、

「僕も存じません。しかし、妙ですね。
 この風鈴がいつからあるのか、思い出せないんです。
 まるで意識の隙間を突かれたみたいに、ね」

最後に長門が言った。
風鈴の音とはまた違った意味で、聞く者を涼しくさせる声が響く。

「……涼宮ハルヒ」
「え?」
「涼宮ハルヒが、その風鈴をとりつけた。今から約二週間前のこと」

長門が立ち上がり、風鈴を取り外す。
そして俺を見つめて、

「これを見て」

795 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 22:22:10.61 ID:b4TNgJb40

俺は将棋の駒を置いて、長門のもとに歩み寄った。
心の中で、何かが疼き始めていた。
風鈴を受け取って、取り付けようのひもを指にかける。
揺らしてみる。

――りん。

近くで聞いたその音は、今までよりも、より強く、心を揺さぶった。
朧気だった夢の記憶が、鮮明になっていく。
暑い、暑い、午後のこと。その女の子は、夏の始まりを祝うかのように、風鈴をとりつけた。
でも、次に聞いた言葉は、深く物思いに沈んでいた。

「今まで、ごめんね」

――りん。
風鈴が、夏の風を受けて、初めて鳴る。
そして、耳が鈴音に慣れてきた頃。
彼女は、涼宮ハルヒは振り返った。
ハルヒは、目の端に涙を浮かべたまま、笑っていた。

「っ!」

思わず、風鈴を手放した。
やばい、割れちまう!
そう思ったときには、風鈴はすでに、小さな両手のひらに包まれていた。
長門は無言で、風鈴をもとあった場所に設置する。

なんだよ。
涼宮が引きこもる前に、風鈴を置いていったことを思い出しただけだろうが。
……どうして俺が動じなきゃいけないんだよ。

818 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 22:37:27.09 ID:b4TNgJb40

パイプ椅子に座り込む。
背もたれに背中を預けたとき、俺は初めて、背中が汗でじっとりと濡れていることに気がついた。

***

黄昏時。
喫茶店にむかう俺の足取りは、軽いと言うよりも、急ぎ足だった。
ここ数日、奇妙なことばかりだ。
涼宮のこと然り、橘のこと然り、あの夢と記憶に然り。
早く佐々木に会いたかった。
会って、煩わしいことを全部、忘れてしまいたかった。

喫茶店に入ると、佐々木は既に到着していた。
遠目でもすぐに分かった。安心感が胸に広がる。

「よう。今日はお前が先か」

対面に腰掛ける。

「待っていたよ、キョン。
 そろそろ来る頃じゃないかと思って、コーヒーを注文しておいた。
 もうすぐ運ばれてくるんじゃないか」
「サンキュ」

いつもの遣り取りが交わされる。
先に到着した方が、相手の好みの飲み物も一緒に注文しておく。
そしてそれらを飲み終わるまで雑談して、遊びに出かける――。
今日も同じことが繰り返されるのだと、俺は信じて疑わなかった。

834 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/21(木) 22:54:25.76 ID:b4TNgJb40

大抵、先に飲み終わるのは俺の方だ。
佐々木は上品に、少しずつ飲む。だが、今日は順番が逆だった。

「喫茶店、さっさと出たいのか?」
「え、いや、……うん、そうだね。今日は行きたいところがあるんだ。
 でも、君はゆっくり飲んでくれて構わないよ」
「行きたいところって?」
「……それは秘密さ」

人差し指を唇に当てる仕草が、信じられないくらい愛らしい。
人目をはばからずに抱きしめたくなる。
我慢だ、がまん。

***

喫茶店を出た後は、街をぶらぶらすることが多かった。
そして、適当に面白そうな娯楽施設で、時間を潰すのがお決まりのコース。
だというのに、今日に限って佐々木は、

「散歩しよう。町内探索というのも、案外、悪くないものだよ」

と言って、俺の手を引いていく。
行き先を尋ねたい衝動に駆られる。でも、押さえ込んだ。
確かにこういうのも悪くはない。ちょっと退屈だけどな。

どれほど歩いただろう。

街灯が明かりを点し始めた頃、俺は、佐々木の歩みが、ある明確な方向性を持ち始めたことに気がついた。
やがて佐々木が語り出す。
まるで、俺が何かに気がつくことを、待っていたかのように。

877 名前:悪いな 俺の力じゃ20分に1レスが限度だ[] 投稿日:2008/08/22(金) 00:04:27.93 ID:iZsPw63w0

「さて、もうそうろそろ話始めようかな。
 時間的にも、話が終わる頃には、目的の場所に到着しているだろうしね」

俺はにわかに、悪い予感がした。
いや、それは予感というよりは、確かな現実味を持った、確信だった。

「僕は君に……君を含めた、多くの人に謝らなければならないんだ。
 僕の行為を罪とするなら、その罪を贖罪しきれないくらい、僕は悪いことをした」
「は? お前、何言って、」
「区切りのいいところまで、僕に話をさせてほしい」

口を噤む。佐々木の横顔は、何か吹っ切れたように落ち着いていた。

「ねえ、キョン。僕にSOS団団長の名前を、教えてくれないか?」

俺は反射的に答えた。

「涼宮だ」
「やっぱり、橘さんの言った通りだ。
 落ち着いて思い出して欲しい。
 君は本当に、彼女を涼宮、と呼び捨てていたのかな?
 僕の記憶が正しければ、君は彼女のことを、ハルヒ、と下の名前で呼んでいたはずなんだが――」

胸が、疼く。
涼宮ハルヒ。俺は口に出してみる。

「……ハルヒ」

唇は滑らかに動いた。まるで、それが正しい呼び方であるとでも言うかのように。

886 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 00:17:43.65 ID:iZsPw63w0

だが、頭が、思考が、それを認めない。認めることができない。
佐々木の前で涼宮の話題を出すことを、俺の中のなにかが拒絶していた。
今すぐにでも、話題転換しようか。
話は佳境に至っていない。まだ間にあう。

「君は、彼女が今どんな状態か知っているよね?」

でも、佐々木がそれを許さなかった。

「知ってるよ。引きこもりだろ」
「なら、どうして君はこんなに落ち着いて、僕と一緒に遊んでいられるんだい?」
「だって、それは……」

言葉が詰まる。継げるはずの二の句が継げない。

「君は麻痺しているんだよ。
 いや、君だけじゃない。彼女を知る人間すべてに、麻酔がかけられているんだ。
 誰もその麻酔に気づかない。
 麻酔はやがて、彼女に対する感情・記憶を消していく。
 静かに、ゆっくりと、確実に。抵抗する者には、より強力な麻酔がかけられて、
 それは彼女自身にさえ、作用する。こうして輪は閉じる。
 一部の人間を除いてね」

佐々木の言葉の意味が、解らなかった。
知らない外国語を無理矢理聞かされているみたいだった。

「そしてその一部の人間というのが、僕よりの機関の人間だよ。
 おっと、大切なことを言い忘れていた。
 もう気づいているかもしれないが、麻酔をかけていたのが、この僕だ」

901 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 00:36:08.14 ID:iZsPw63w0

「だが、こんな状況になってから言うのも言い訳じみているが、
 僕はつい数時間前まで、この事実を知らなかった。
 橘さんが、すべて教えてくれたんだよ。涼宮さんが引きこもっていることも、その時初めて聞かされたんだ。
 それじゃあ、まずはことの発端から、君に話すとしようか。
 彼女の引きこもりの原因も、今から話す、ある春の日の出来事に起因していると、僕は考えているんだ。
 ああ、君は耳を傾けてくれるだけで十分だよ」

佐々木は喉を鳴らしてから、

「言うなればこれは、僕の懺悔だ」

学問的、学術的なことを論議するのと同じ調子で、語り出した。

***

春の一件にピリオドが打たれて間もない頃に、僕は涼宮さんと二人きりで、話をする機会を持った。
とある日曜日のことだ。
僕は初めから、彼女に好感を持っていた。
彼女は聡明でいて、衒学的なきらいがちっともなく、溌剌としていた。
今までに見知ったことのないタイプだ。
そして北高に入学してからすぐに、僕の親友と一緒に、なにやら色々と活動していたと言うじゃないか。
僕が彼女に興味を示すのは、必然だったんだ。
そしてそれは、彼女にしても同じだった。
彼女にとって君の中学校時代は、好奇心を大いにそそるものだったのさ。
僕は彼女に中学時代の君の様子を話し、
彼女は僕に高校時代の君の様子を話す。
有意義な情報交換だったよ。
ただ、僕は時間の経過とともに、苛立ちを憶えている自分に気がついた。
その苛立ちの正体に、僕はとうとう、最後まで気づけなかった。
僕はね、君が思っているより、ずっと子供だったんだ。情けない話だがね。

916 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 00:58:35.10 ID:iZsPw63w0

苛立ちの正体は、嫉妬さ。
同じ思い出を語り合ったところで、
現在進行形で君と愉しんでいる彼女と、過去を語るだけしかできない僕、
どちらが有利なのかは、自明の理だ。

もちろん、彼女にはそんな暗い考えは、一切なかったと思うよ。

彼女は無垢だった。そして繊細だった。
彼女は君のことをとても気にかけていたよ。
もっとも、その心配のベクトルは、君ではなく彼女自身に向いていた。
君は認めないかもしれないが、彼女は、自分の行動を反省していたんだ。

――どうしてもキョンへの振る舞いが横暴になってしまう。
――キョンは本当はわたしに怒っているんじゃないかしら。

彼女の吐露を聞いて、僕は彼女に、二面性があると確信した。
要するに、彼女は君の前ではペルソナをかぶっていたんだ。
繊細で女の子らしい自分を抑圧し、強気で驕慢な自分を演出する。
でも、それがだんだん難しくなってきた。

想像するに、彼女は君に恋をしていたんじゃないかと思う。

まったくの想像だが、こう考えれば筋は通る。
さて、いつしか彼女の恋愛相談じみてきた話合いに、僕は一層、不満を感じた。
君と彼女が、僕の手の及ばないところにいるんだと思うと、黒い感情が生まれてくるのを止めることができなかった。

そして、僕は彼女に諭したんだ。

君の心理状態を偽り、さもそれが現実であるかのように、巧妙にね。
それは遅効性だった。時間の経過とともに、彼女は不安を募らせるという仕組みだ。

924 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 01:15:43.10 ID:iZsPw63w0

ところで、君は僕と涼宮さんの持つ能力について、どの程度知っているのかな。
能力規模の話じゃない。発現条件と、その条件に対応した効果のレベルについてだ。
もう、うすうす感づいているんじゃないかと思うんだが、
この環境情報変化能力というヤツは、実に不便にできている。

意識的な行使では、ほんとに手品程度のことしかできない。
でも、それが無意識での行使になると、想像を遙かに超えた現象を引き起こす。

行使した者が行使したことに気づかないぐらい、大がかりな現象だ。
君ならよく知っているはずだ。
言い忘れていたが、意識的な行使が可能なのは僕だけだよ。
彼女は今でも、自分が能力を持っていることに、少しも気がついていないから。

話を戻そう。
その日、彼女と別れた後、僕は少しずつ能力を発現させはじめた。
意識的にか、無意識的にか。答えは、後者だ。
何も僕だって、本気で彼女を傷つけようと考えていたわけじゃない。
ただ、悔しかったんだ。でも、能力が発現するのにはその些細な感情で十分だった。
僕はまだそのとき、感情のコントロールが自在にできるのだと過信していたから、
まさか自分の能力が発現しているとは、露程にも思わなかったよ。

そしてその日から、僕の環境情報変化能力は、一人歩きを始める。

彼女の精神は、毒を盛られていたんだ。
日付が変わるごとに、毒の量は増していく。
彼女は気丈に振る舞っていたかもしれないが、精神は、かなり弱っていたんだ。
これに、僕の能力が関係していたのは、ほぼ間違いないと思う。
確証はないが、そう考えたほうが自然だろう?
君は彼女が、悲観的な感情のスパイラルに、自らハマる様子を想像できるかい?

927 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 01:36:57.76 ID:iZsPw63w0

彼女の心が、君への自責の念で折れたのが、ちょうど不登校になる一日前のことだと思う。
でも、僕の能力はそれで満足しなかった。
今度は周囲に――彼女の異常を気にかける者すべてに、麻酔をかけ始めたんだ。
ここまでなら、まだ自動的に修復される可能性はあった。

これは推測にすぎないが、SOS団のひとたちは、他の人よりも麻痺が緩かったんじゃじゃないかと思う。
特に君は、最後まで抵抗できたはずだ。
そして異常に気がついた君が、彼女の元に駆けつければ解決することだった。
でも、絶望的に運が悪かった。
橘さんが僕にアドバイスをくれたのは、ちょうどその頃だ。
何も知らない僕は、君に会いたいと切に願った。

すると僕の能力は、素晴らしい偶然を提供してくれた。

それからの成り行きは、君のよく知る通りだよ。
すべては順調に進み、僕は君と交際を始めた。
たぶん、君が彼女を気にかけなくなった直接的な原因は、僕との接近だ。
なにしろ、能力を発現している人間の、目の前にいたんだからね。
例えるなら、広範囲拡散用の神経ガスを、目の前で噴射されているようなものさ。

君は彼女のことを、だんだん忘れていった。

僕よりの機関の人間は、この事態をとっくに察知していたらしい。
でも、放っておいた。彼らにとっては、この事態が好都合だったからだろう。
彼女は引きこもり、外部の刺激を受けることがない。すなわち、精神は悪い形でだが、安定を得る。

でも、橘さんはこの状況をよしとしなかった。だから彼女なりに調べて、僕に話してくれた。橘さんは、自分を責めていたよ。
「佐々木さんが自分で気づくはずのことを、あたしが何も考えずに言っちゃったから、こんなことになったんです」ってね。
おかしいだろう。責任はみんな、僕にあるというのにね。

80 名前:ちょっと色々手間取ってた 今から書くね[] 投稿日:2008/08/22(金) 13:41:00.24 ID:iZsPw63w0

話は以上だよ。
……あぁ、やはり予想通り、話の終わりと同時に目的地に到着できたね。
それじゃ行こうか、キョン。

***

ハルヒの家が、宵闇に浮かび上がっていた。
カーテンはぴたりと閉じられ、二階に人気はない。
だが、あの部屋にまだハルヒが閉じこもっていることは、なんとなく分かった。

佐々木の話は、信じがたかった。
状況が状況でなければ、んなわけあるかよ、と一笑に伏しているところだ。
でも、信じる他なかった。
佐々木が、その能力を解いたせいだろうか、それとも、俺が麻痺させられていることを知覚したからだろうか、
感情の波が押し寄せてくる。ハルヒに会いたい。会って、話がしたい。
インターホン越しに、応対を受けている佐々木を観察する。
佐々木を責める気持ちは、少しもなかった。
こいつは自分なりに自分のしたことを認めて、責任を感じている。
ハルヒを、無意識的にせよ、こんな風にしちまったことに、罪悪感を感じている。
もしも佐々木が能力の好き勝手に任せるなら、
このままずっと、橘の口を封じて、俺と付き合っていればよかったんだからな。

ドアが開く。

「いらっしゃい。……来てくれてありがとう」

ハルヒのお母さんが出てきて、俺と佐々木は家の中に入った。
佐々木の横顔を窺う。
相変わらず、緊張したように見えない。何かを恐れている風でもない。
ただ、目を反らしたいモノを直視しなければならない、というような印象を受けた。

83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 13:54:53.00 ID:iZsPw63w0

と、ここで俺は、根本的な疑問に突き当たる。
何故、佐々木は俺と共に、ハルヒの家にやってきたんだ?
ハルヒに謝るためか? 引きこもっているあいつを、外に連れ出すためか。
でも、どうやって説明するつもりなんだろう。
ハルヒは非日常的なことを楽しみにしていた一方で、常識的な観念をも持ち合わせている、と古泉が言っていた。
佐々木が、さっき俺に話してくれたことをハルヒに聞かせたとしても、
ハルヒがそれを信じるかどうかは分からない。
仮に信じたとしても、その次にハルヒがどんな行動に出るか、まったく予想できない。

「佐々木、」

お前はどうするつもりなんだ?
そう尋ねる前に、佐々木はノックしていた。
手の甲で二度、こんこん、と叩く。1秒、2秒、3秒……。返事はない。

「僕たちは拒絶されているみたいだね。
 なら、致し方ない。本当は彼女に迎え入れてもらうのが一番だったんだが」

佐々木は息をついて、ドアノブに手をかけた。
固唾を飲む。俺はドアが軋む、嫌な音を覚悟した。
だが、ドアは何事もなかったように開いていた。

――意識的な能力の行使では、手品程度のことしかできないんだ。

わずかに開いたドアの隙間からは、薄闇しか伺えない。
佐々木が言った。

「行きなよ」
「お前は来ないのか?」
「二人一緒に行くと、彼女が混乱すると思う。僕は後でいい」

90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 14:20:42.84 ID:iZsPw63w0

「そうか……。分かった」

佐々木は力なく微笑んで、ドアから離れた。
決意みたいなモノは、要らなかった。
ドアを押す。見知った、色々な家具が視界に入ってくる。
壁も、今は閉め切られた窓も、何もかも懐かしかった。
そしてその懐かしさの中心に、ハルヒがいた。

三角座りをして俯いているので顔は見えないが、確かにハルヒだ。
ずいぶん手入れを怠っていたのだろう。
髪はぱさぱさで潤いがない。

俺は何か話しかけようと、頭を回転させた。
だが、二週間ぶりに顔を合わせたハルヒにかけるべき言葉が見あたらなくて、

「よう、久しぶりだな」

どうしてこんなことしか言えないんだろう。自分で自分が情けない。
ややあって、ハルヒが顔を上げた。前髪が乱れて、視線が合った。
瞳には生気がなかった。
記憶の中の、元気をいっぱいに湛えた黒い瞳を思い出して、俺は悲しくなった。

「どうしてあんたがここにいるの?」

かすれた声。実に二週間ぶりに聞いたハルヒの肉声に、複雑なようで単純な感情が、わき上がってくる。
再び会えた喜びと。
今まで放っていた、罪悪感と。
ハルヒは続ける。口調からは、抑揚の変化を感じ取ることができない。

「……今さら、何しに来たの?」

100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 14:52:28.04 ID:iZsPw63w0

俺は黙って、ハルヒの隣に座った。壁に背中を預ける。
窓から差し込む街灯の光が、この部屋唯一の光源だった。

ハルヒの言い分はもっともだ。
二週間も放っておいて、今さら思い出したように来られても、白々しいだけ。
しかも俺は数日前にも、そう親しくない不登校の知り合いを訪ねるような感覚で、ハルヒの部屋を訪ねてしまった。
今日、いきなり心を開いてくれというほうが、無理な話なのかもしれないな。

でも、ここで諦めるわけにはいかない。
明るくて、無駄に元気なハルヒが、本来のハルヒなんだ。
こんな根暗で鬱なハルヒは、ハルヒじゃない。見ていられない。

「お前、もう二週間以上も学校サボってるんだぞ。
 もうそろそろ復帰してもいいんじゃないか。それとも、このまま夏休みを迎える気なのか?
 いい加減、顔出せよ。みんな心配してるし、俺だって、」
「……嘘よ。今日だって、どうせ岡部か誰かに頼まれて来たんでしょ」

虚ろな声。まるで、もう誰も信じない、と裏で語っているような声だった。
俺は即答した。「違う」
ハルヒも即答する。「違わない」
そして、俺から顔を背けて、

「もう、やめてよ。本当はあんただって、あたしが学校にいない方がいいのよ。
 あたしがいても、迷惑するだけ。なのに、あんたは笑って我慢してる。
 ……あたしは、そんなあんたを見るのが嫌なの」

俺は佐々木の話を反芻する。

『君は認めないかもしれないが、彼女は、自分の行動を反省していた。
 そして、僕は彼女に諭したんだ。君の心理状態を偽り、さもそれが現実であるかのように、巧妙にね』

112 名前:あつい……[] 投稿日:2008/08/22(金) 15:41:17.48 ID:iZsPw63w0

あいつの頭の良さが裏目に出たのだ。
ハルヒは自己完結した被害妄想に陥り、
やがてそれはエスカレートして、ハルヒの中で、事実になった。

「あんただけじゃない。
 有希や古泉くんやみくるちゃんだって、いい加減嫌気がさしてたに違いないわ。
 みんな優しいから、表には出さないけど、
 本心ではあたしのことを疎ましく思っていたのよ」
「なあ、それは一体全体、誰が言ったことなんだよ」

俺はハルヒを見た。
ハルヒは頑なに、俺と目を合わさない。

「だ、誰も言ってないけど、」
「そうに決まってる、ってか?
 お前の想像には、何の根拠もない。
 こういうのをなんて言うか知ってるか? 思い込みって言うんだぜ」
「………でも、」
「お前はな、一言俺たちに聞けば良かったんだ。
 あんたたち楽しんでる?ってよ。
 他の三人に聞くのが恥ずかしかったら、俺に聞いたら良かったんだ。
 お前にとって、俺の嘘を見抜くのはテストの問題解くくらいに簡単なことだろ」

まあ、ハルヒの精神が弱っていることに、気づかなかった俺にも責任はあるけどな。
ハルヒが細く呟いた。

「……そんなこと、思いつきもしなかったわ」

それも佐々木の能力の影響だろうか。
俺は頭の隅で、佐々木の独白を思い出す。

121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 16:11:54.44 ID:iZsPw63w0

「お前なあ。
 もし俺たちが、お前のことを裏で疎ましく思っていたり、うざいと感じてたりしたら、
 一年以上もお前に付き合うと思うか?」

ハルヒは小さく首を振って、

「それが答えさ。
 そりゃ、お前が突飛なこと言い出すたんびに、心中で溜息をついてたかもしれないが、
 決してお前を鬱陶しく思ったりはしてない」

俺を見上げた。両目は涙で潤んでいた。
だが、口元に、かすかな微笑みを見取って、俺は安心した。

「ごめんなさい。……あたし、どうかしてたみたい」
「本当にな。
 もうほんの少ししたら夏休みだけどさ、明日からは、学校来いよ。
 お前がいない学校生活は、やっぱ、なんか物足りないんだ」

本来なら。もし、佐々木の能力が発現されていなかったのなら。
この会話は、ハルヒが鬱になったその次の日あたりにされていたんだろう。
朝比奈さんが大袈裟に心配しだして。
古泉がわざとらしく俺に意見を求めて。
長門がハルヒ家訪問を提案する。
そして俺が、みんなの先頭に立ってチャイムを押していたんだろう。

それから俺たちは、軽く雑談をした。
それは毎朝恒例だった、HR前の雑談みたいに、他愛もないものだったが、
ハルヒが元の調子を取り戻す、良いきっかけになったと思う。

133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 16:37:39.23 ID:iZsPw63w0

会話が途切れた頃を見計らって、俺は腰を上げた。
ハルヒの説得が上手くいったのは良かったが、予定よりも、だいぶ長く時間をとってしまった。
佐々木は自分の番を待ちくたびれているだろう。

「それじゃあ、また明日」
「うん。……今日はありがと、キョン」

ハルヒは笑顔でそう言ってくれた。
まだ100%とは呼べないが、じきにいつもの眩しい笑顔に復活するだろう。
俺はハルヒの部屋を出た。
佐々木は、ドアの横の壁に、もたれていた。
腕組みをして、目を瞑っている。

「終わったかい?」
「ああ。あいつ、明日から学校に来るってさ」
「良かった。
 これで彼女が君に心を開かなかったら、
 どうやって責任をとろうかと、考えあぐねていたところだよ」

声音には危機感が微塵も含まれていない。
大方、ハルヒの引きこもりは解決すると、確信していたんだろう。
こいつは頭がいいからな。
佐々木は俺の足下を見つめながら、言った。

「さあ、次は僕の番だね。
 話すことは決まってある。君ほど時間はかからないと思うよ」

そして一瞬、俺を上目遣いに眺め、
俺が何かを言う間もなく、ハルヒの部屋に入っていった。

134 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 16:42:10.59 ID:iZsPw63w0

―――こんばんわ、涼宮さん。

生ぬるい空気を、壁の向こうの声を伝わせる。
耳をそばだたせれば、二人の会話を傍聴することは十分に可能だ。
でも、俺はすぐに場所を階段近くに移した。

今ばかりは、盗み聞きをする気にはなれなかった。

162 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 18:26:16.63 ID:iZsPw63w0

本当に十分もしないうちに、佐々木は戻ってきた。
俺たちは互いに言葉を交わさないまま、
ハルヒのお母さんに挨拶して、家を出た。
彼女は、もう娘の変化に気づいてるだろうか。

ただ、歩幅を合わせて歩く。
お互いに視線は足下に固定したまま。
いや、佐々木は地面ではなく空の方を見ているかもしれない。
俺は今になって、
佐々木と付き合っている事実を忘れていた自分に気がついた。
思考が自動的に、その理由を導き出そうとする。俺はそれを力ずくでストップさせた。

ハルヒの家を出てから、ちょうど六つ目の街灯を数えた時。
佐々木がぽつりと漏らした。

「君は僕が、涼宮さんと何を話していたのか聞かないんだね」
「お前が話したくなった時に、話してくれればそれでいいよ」
「くっくっく。君らしい答えだ」

笑い声に、感情がこもっていないように聞こえるのは、俺の幻聴だろうか?

「お前の能力が止まって、ハルヒは明日から学校に来る。
 これで、この一件は終わりだ」

俺と、佐々木と、ハルヒ。
機関などの組織が絡まず、静かに事態が進行し、
ともすれば大規模の改変が成立していたかもしれない今回の事件も、ようやく終わりを告げる。
そうだろ?

「果たしてそうかな。君の言葉の中には、ひとつ、間違っている部分がある」

184 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 19:28:26.20 ID:iZsPw63w0

佐々木は俺に数秒、考える時間を与えてから、

「僕は依然、能力を発現させている。
 ただ、その能力は、反作用的な行使のされ方をしているのだと思う」

それはつまり、ハルヒの周りの人間の異常が元に戻って、
ハルヒの陰鬱な感情を後押ししていた物が、消えてなくなるということか?

「その通り。加えて、彼女が復帰するのに当たって、好ましい状況が作られるだろうね。
 周囲は彼女が引きこもっていた事実を忘却し、
 彼女自身も、それを不自然に思わなくなると思う。
 どうして客体的な物言いになるかというと、それには理由があってね。
 無意識的に発現された能力は、目的が達成されるか、
 同じく無意識的に、他の新たな目的を定めない限り、発現しつづける。
 今日、君と一緒に涼宮さんの家に訪れたのには、この法則が関係しているんだよ。
 僕はね、キョン。無意識的に――心の底から、彼女の復帰を願う必要があったんだ」

佐々木は一呼吸置いてから、

「告白するよ。僕は君と涼宮さんの会話を、盗み聞きしていた。
 最初から最後まで、ずっと。悪く思わないでくれよ。
 僕が作り上げたこの状況をなかったことにするには、そうするのが一番手っ取り早かったからだ。
 他意はない。
 間接的にではあるにせよ、僕は彼女を傷つけ、
 その周りの人たちに、特にSOS団の人たちや、彼女の家族に、たくさん迷惑をかけてしまった。
 君が涼宮さんを説得し終えた時、僕は改めて、自分の罪の重さを痛感したよ。
 そして、深層意識に根付いたその感情が、僕の能力をコントロールする役目を果たしてくれると思う」

俺は、ギリギリ佐々木の言っていることに追従できていた。
ただ、『僕が作り上げたこの状況をなかったことにする』という言葉だけが、腑に落ちなかった。

190 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 19:59:28.27 ID:iZsPw63w0

そんな俺を悟ったのだろうか。
佐々木は、頬をゆるませて、こう言った。

「僕の能力は、君にも作用する。
 ここ二週間、君が涼宮さんの事を忘れていたことから、それは証明済みだ。
 そしてその記憶改変は、彼女のことだけにとどまらない。
 僕に関するここ二週間の記憶も、消える」
「なあ、佐々木。それはつまり、」
「僕たちが交際していた事実も、解消されるということさ。
 元々、これは幻の恋愛だったのかもしれないんだ。
 今でも僕への恋愛感情が確固たる物か、君の胸に聞いてごらん」

俺は呆然とした。その様子を見て、佐々木は笑った。
嬉しいのか、不服なのか、よく分からない喉の鳴らし方だった。

分岐路が、道の先に見え始める。右が俺の家に続いていて、左が佐々木の家に続いている。

「とにもかくにも、これで僕と彼女は、フェアだよ。
 君と交際していた一週間は、蜜月のように幸せだった。
 でも、それも今日でお仕舞い。僕たちの関係は、親友に逆戻りだ」
「お前の記憶はどうなるんだ。今までと反対に働く能力は、お前の記憶も書き換えるのか」

佐々木はかぶりを振って、

「いいや。僕の記憶はそのままだろう。
 でも、安心しなよ。何もかもが元通りになった後、僕はこの記憶を、誰にも話したりはしないから。
 それに、いい戒めにもなる。能力をコントロールするのが、どれだけ難しいのか、僕はいやほど実感したから」

深く、溜息をつく。
分岐路に差し掛かる。俺は家まで送ると申し出たが、佐々木に断られた。

197 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 20:19:02.24 ID:iZsPw63w0

「忘れてはいないだろうね? 僕たちはもう、彼氏彼女じゃない」

佐々木が、切なげに微笑む。
胸が、締め付けられたように苦しい。
俺はいつも別れ際にするように、佐々木の細身を抱き寄せて、

「ダメだよ。
 キスしたら、今夜の僕たちの行動が、すべて水泡に帰すことになってしまう」

唇に、指を押し当てられていた。

この光景が、この記憶が、あと数時間たらずで消えてしまう。
佐々木と過ごした甘い一週間が、なかったことになってしまう。
そう考えただけで、自制を失いそうになった。

緩慢な動作で、佐々木を解放する。佐々木は一歩分、距離を置いて言った。

「ここで別れよう。いいね?」
「あぁ」

そう答える他なかった。
佐々木が、踵を返して、歩み出す。街灯の下、俺だけが歩き出せずにいた。
これで終わらせていいのか?
俺の記憶が改変される前に、何かあいつに、残せることはないのか?
気づけば俺は、佐々木の背中目掛けて語りかけていた。

「お前は、この恋愛がまやかしだったと言うけどな。
 俺のお前に対する感情は、本物だった。
 お前の能力なんか関係ない。お前が告白してくれた時は、本気で嬉しかったし、
 お前と過ごしたこの一週間は、本当に幸せだったんだ……」

208 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 20:43:51.83 ID:iZsPw63w0

ふいに、佐々木が振り返る。空気をふるわせずに、唇だけが動いた。
たった五文字の、気持ちを伝える言葉。

『ありがとう』

今度こそ、佐々木の影が闇夜に溶けていく。
俺は、独りになった。


それから数分後。
街灯が一斉に瞬き、俺は我に返った。
今しがたの現象に驚いたのか、蛾がひらひらと、道路の真ん中で舞っている。
そいつがまた街灯に誘い寄せられるまで眺めてから、俺は帰途についた。
妙に頭の中がすっきりしていた。いや、すっきりしすぎていた。
要らない物と一緒に、必要な物も整理してしまった――そんな感覚。


それは、何かが始まって何かが終わった、とある夏の夜のことだった。

***

翌日。俺は朝から調子が良かった。
今日は何かいいことがありそうだ、という漠然とした予感があった。
登校途中に谷口に出会った。
嫌味の量がいつもに比べて50%増しな気もしたが、明日からは待ちに待った夏休み。
笑って流せた。

夏本番を控えて、蒼穹の真ん中に君臨しているお天道様はますますその輝きを強めているようで、
おかげで朝から汗だくだ。タオルで汗をぬぐいながら、教室に入る。
すると、太陽に負けないくらいに眩しい笑顔が、俺を待ち構えていた。言わずもがな、ハルヒである。

216 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 21:05:19.95 ID:iZsPw63w0

こいつ、次に教室に入ってくるのが俺って事を予知していたんじゃあるまいな。

「はーやーくー、こっち来なさいよー」

手招きするハルヒ。小さく溜息をついて、俺は歩き出す。
強烈な懐かしさが、押し寄せてくる。少し遅れて、安堵感も。
それはデジャヴに、よく似ていた。
座席に腰を落ち着けると、ハルヒは身を乗り出してきて、朝の挨拶もそこそこにこう宣った。

「あたし、明日は佐々木さんと一緒に、買い物に出かけるの。
 それであんたにお願いしたいんだけど、一緒について来てくれないかしら?」
「どうして女同士の買い物に俺がついていかなきゃならないんだ?」
「荷物もちのためよ」
「拒否権は?」
「ないわ」
「もし断ったら?」
「私刑ね」
「あのな、ハルヒ。それはお願いじゃなくて、脅迫って言うんだぜ」

お馴染みの遣り取り。
教室を見渡すと、クラスメイトは俺に苦笑い。
俺は観念して、ハルヒに了承の旨を伝えた。
団員の快諾に、団長は大満足のご様子だ。

224 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 21:27:55.51 ID:iZsPw63w0

こんな風にして、夏休みの予定なんか、あっという間に埋まっていくんだろうな。
目を瞑る。イメージは既に描かれていた。
佐々木とハルヒを両脇にして、俺が洋服の入った紙袋を、あっぷあっぷしながら抱えている。
その俺はとても大変そうで、同時に、とても楽しそうでもあった。

俺は窓を開けた。
ハルヒは暑さは変わらないわよ、と俺を馬鹿にしていたが、

「あ! キョン。聞こえる?」

やがて耳の後ろに手を当てて、言った。
俺は耳を澄ませた。
何も聞こえない。

「ちゃんと聞きなさいよ。あたしにだけ聞こえるはずがないでしょ?」

ハルヒが顔を寄せてる。そのほっぺたを押さえながら、俺は再び、耳を澄ませる。

――りん。

すると、今度は確かに聞こえた。
熱気を孕んだ風に乗って。
それはまるで、夏の始まりを祝うような、涼やかな音色だった。


おわり

229 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 21:30:00.73 ID:iZsPw63w0

この後キョンが、ハルヒと佐々木どっちとくっつくかは
みんなの想像にまかせる

251 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/08/22(金) 21:40:28.81 ID:iZsPw63w0

>>240
現実とか選択とか
ここしばらくSS書く時間がとれなくて、
リハビリしようと思って書き始めたら止まらなくなって完成したのがこのSS

名前はどっかで出てた「涼宮ハルヒの風鈴」でいいや

それじゃあね
俺も書いてて楽しかったです



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