涼宮ハルヒの純潔


メニュー
トップ 作品一覧 作者一覧 掲示板 検索 リンク SS:シンジ「ただいま・・・」

ツイート

263 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/06(金) 19:12:51.96 ID:q24cxmso

「土日使って合宿とかいかないか?」
誰だ、こんな事をハルヒに吹き込んだ大バカ野郎は…俺だ。
過去の自分につくづく言ってやりたい。あの女に余計な事を吹き込むんじゃない!
及ばざるは過ぎたるよりまされり。昔の人は偉かった。昔の俺は馬鹿だった。

世界がひっくり返る直前でハルヒに思いとどまらせたはいいのだがその翌週はハッピーマンデーとやらがある週だった。
もちろん3連休という好機を脳内にホワイトホールを持っている涼宮ハルヒなる女が見逃すはずも無く…。
「3連休はここに行くわよ!」
ハルヒがPCのディスプレイをびしっと指差したのが週も半ばあたりの放課後だった。
朝比奈さんはびっくりして動かなくなってるし古泉はいつものスマイルで問いただそうなんてしない、長門に至っては本から目すら上げない。
俺はため息一つ、立ち上がりハルヒの後ろに立ってディスプレイを覗き込んだ。
「どこに行くって?」
そこにはネットニュースが映し出されていた。

○○県の黒周(くろす)ダムが連日の大雨で決壊。
そのためダムの底に沈んだ村がおよそ60年ぶりに地上に姿を現した。
再び地上に現れた建造物は水流が無かった為に意外にも保存状態が良く当時の生活が伺え知れる様相をしている。

おおよそ、そんな記事とダムの底から現れた建物を撮った写真が何枚か載っていた。
「なんだこりゃ?廃墟探索なんて何が面白いんだ?」
ハルヒは俺の反応が見事に餌にかかった魚に見えたらしい。まぶしいくらいの笑顔と勝利の瞳を輝かせこう言った。
「ただの廃墟じゃないわ!これを見なさい!!!」
溢れんばかりの尊大な態度で机も砕けよとばかりにハルヒがクリックしたのは

264 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/06(金) 19:13:23.08 ID:q24cxmso

「関連記事 黒周村 吸血事件」

黒周ダムに沈んだ黒周村で起きた奇怪な事件についてだった。
60年程前、当時その地方の名士であった某氏が一夜にして村中の未婚の娘を襲い首に噛み付いて回った。
その後、噛まれた娘達は精神に異常をきたし全員死亡。
その死に様が爪と八重歯が伸び瞳が赤くなり肌が白くなった状態で苦しみ抜くという遺族にとって見るに耐えかねるものだったらしい。
襲った某氏を逮捕しようと警察がその屋敷に踏み込んだがもぬけの殻。
結局某氏は逮捕できぬままに屋敷もろとも村はダムの底に沈む事になった。
某氏は以前より邪教崇拝等の噂があり当時は呼び出した悪魔に取り憑かれたのだとまことしやかな噂が近隣に流布した。
資産家であった某氏は海外から貴金属や美術品等を屋敷にかなり持ち込んでおり、それを目当に某氏がいなくなった後かなりの人数が屋敷を家捜ししたがめぼしいものは見つからなかった。
それでもあきらめきれない一攫千金を狙う者の中にはダムの底に潜って探すという強欲なものもいたらしい。
しかし結局価値のあるものが見つかったという記録は残されていない。

「すごいでしょ!」
まるで自分の手柄のように目を爛々と輝かせハルヒが胸を反らす。
後ろにつっかえ棒いるか?
「あー…、もしかしてあれか?この沈んだ黒周村とやらに2泊3日して財宝探しをしようというわけじゃないだろうな」
「というわけで古泉君、寝袋やキャンプ道具、それにスコップやヘッドライトなんかをそろえて頂戴!」
「分かりました手配しましょう」お前は…。

265 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/06(金) 19:13:46.24 ID:q24cxmso

「あ、あの、人が死んだところに行くんですか?」朝比奈さんがおっかなびっくり聞いてくる。
「大丈夫よ、みくるちゃん、肝試しも出来て一石二鳥よ!」
何が大丈夫なのか意味が分からん。投げた石が自分に帰ってきそうな諺の使い方だな。
ほらみろ朝比奈さんが肝試しと聞いてなおの事血の気を引かせているじゃないか。
俺の方に倒れて来ないかな。なんてね。
「金属探知機も備品に入れておいた方が良いでしょうか?」お前は口を開くと余計な事しか言わん。
「入れておいて頂戴!」
言い出しっぺだ、古泉、お前が担げよ。
「過去誰も見つけられなかった財宝をSOS団が見つけるのよ!!」
「いや、そもそも財宝なんて無かったんだとは考えないのか?」
「夜中に村中の女の首に噛み付いて回る様な人間なのよ?!隠し部屋には金銀財宝が隠されているに決まっているわ!」
どういう論理の飛躍だ。酔っぱらいの三段論法でももっと説得力があるぞ。
「ナイフを人数分用意して」
その物騒な言葉の内容にぎょっとして振り返ると長門がページをめくるところだった。
「ナイフが必要」もう一度本を読みながら長門が言った。
「分かりました。ナイフも用意しておきます」古泉が快諾する。
「ナイフだけは明日部室に持って来て」長門ずいぶんナイフにこだわるな。
さて、俺も経験に伴いそれなりに知恵がついてきたのである程度は頭が回る。
大量殺人、犯人行方不明、ダムに沈む、再び現れる、ハルヒが興味を持つ、そこにナイフが必要…とくれば。
おいおいおい、考えたくないぞ、ナイフコンバットなんて慣れない人間がやるもんじゃない。

266 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/06(金) 19:13:58.49 ID:q24cxmso

生兵法は怪我のもと。何より俺は自慢じゃないがナイフで殺されかけた事がある男だぞ。長門に助けられたけど。
この話ホントに自慢にならないな。
廃墟の財宝探索、絶対にろくなことにならない。俺は確信と言って構わない程の予感にたっぷり浸った。
まぁ、よく考えたらいつもの事だがな。ハルヒが何か思いついて俺がいい思いをしたなんて…朝比奈さんのコスプレくらいかな。
「えらいわ有希!転ばぬ先の杖っていうもんね!」
ずいぶん物騒な杖だけどな。
長門が必要と言うならばそれは間違いなく必要になるんだろう。
俺に出来る事はどうか物騒な事になりませんように、とどこかの神様に祈るだけだ。
つまり何も出来ないってわけだ、うん。
パタン。長門が本を閉じた。
---------------------------------------------------------------------------

280 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/08(日) 21:27:05.70 ID:XoPEip.o

いつもの坂の下り道、ハルヒは朝比奈さんに怪談話をノリノリで話している。
無理やり聞かされている朝比奈さんは半泣きになってしまってついに長門の後ろに隠れてしまった。
朝比奈さんが長門をすがるなんて珍しい事もあるもんだ。
「何よ、みくるちゃん恐がりね」ハルヒお前ものすごく楽しそうだぞ。
不思議の国にいる猫でもこうはいかないだろうという位のにやにや笑い。
ハルヒそれ悪人の笑い方。
「きょ今日、一人じゃ寝られなくなっちゃいます」
うるうるとした瞳に見上げられると思わず添い寝を申し出したくなる。魅惑的です朝比奈さん。
ところで未来人でもお化けとか幽霊って怖いもんなんですね。
いつの時代でも変わらない人間の性にほっとしたりしなかったり。
「泊まる?」長門が朝比奈さんに話しかける。
言われて朝比奈さんははっと長門から離れてぷるぷる首を振った。
「い、いえそんなご迷惑をかけるような事はできないです。大丈夫です、ごめんなさい」
慌てて恐縮。
「そう」なんの未練も無く歩き出す。
長門は押すって事がないんだよな。
たまには宇宙人と未来人でパジャマパーティーでもすればいいのに。
想像してちょっと頬が緩む。
「なに?変な想像してるでしょ?」
ハルヒがアヒル口をして俺を覗き込んだ。妙な目つきでにらまれて現実に引き戻される。
むむ、俺のカタルシスに水を差しやがって。
---------------------------------------------------------------------------

281 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/08(日) 21:27:31.63 ID:XoPEip.o

次の日の放課後、部室に古泉が持って来たナイフはいわゆるサバイバルナイフと呼称されるものだ。
同種類の刃物が5本そろっているとそれだけでなんだか壮観だな。
よく全く同じものを揃えられたもんだ。まぁ詳しくは聞かないが機関からの借り物…かな?
俺はそのうちの1振りを手に取り、鞘から引き出してみた。
重さと光沢が本物である事を主張している。切れますよ、と。
俺にとってはあまり気分のいい感触ではないのですぐに鞘に戻し元通りに置いた。
長門はそれを5本とも束ねると黙って鞄にしまいこむ。
「当日に持ってくる」
そしてナイフと入れ替わりにハードカバーを取り出すといつもの席にちょこんと座りいつものごとく読書を始めた。
コンピ研とのゲーム対決でも解析するとか言ってゲームを持ち帰ったけど、ナイフは解析する事なんて無さそうだが、いったい何の思惑があってやら。
しかしあのカバン、今ある公的機関に見られたら銃刀法なんとかという法律に引っかかるよな。
ハルヒといえば今日も今日とてPCの前で必要な備品を思いつくまま古泉に言っている。
おいおいおい、幾らなんでもエベレストやマリアナ海溝へ行くわけじゃないんだ、どう考えても潜水艇とかシェルパなんていらねぇだろう。どこで手配するんだ。
古泉、お前いい加減にしておかないと機関の備品全部もってくることになるぞ。
よく見たらニヤケ顔もそろそろ引きつってきたように見えるな。助け舟がいるか?
「ハルヒ、一応言っておくが、俺たちが行くのは日本の片田舎だぞ。酸素ボンベや犬ぞりをどうやって使うつもりだ?」
「わかってるわ、冗談よ。意気込みってやつね!」
「その意気込みにお応えできるように善処します。では、持って行くものはこれくらいですね」
古泉が半ば強引に話を打ち切った。
「荷物がそれなりの量になると思われますので皆さんはご自身の着替えだけ持ってきてください。集合場所に僕が備品を持ってきますから」

282 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/08(日) 21:27:47.51 ID:XoPEip.o

自分で厄介ごとを抱え込んだ愚か者がいるな。
俺が半分呆れた心境で古泉の発言を聞いていると
「どうぞ」人生の苦労が報われるような笑顔が声をかけてくれる。
ことん。
目の前に湯気の上がる湯のみがメイドさんによっておかれた。
「この前キョン君に買ってもらった茶葉ですよ。うまく煎れられたかな?」
朝比奈さんが半分心配、半分期待で俺の反応を待っている。
「いや茶葉の良し悪しは分かりませんが、朝比奈さんが煎れてくれたのでおいしいです」
「キョンそれすごく馬鹿な答えよ」ハルヒにばっさり切られた。
朝比奈さんは俺のまぬけな返事に気も悪くせず、くすくす笑って他の部員のお茶も煎れ始めた。
そういえばハルヒと朝比奈さんと長門に新しい下着を買ってやったんだったな。
俺の視線が自然とそれぞれのふくらみに移動した。ハルヒ、朝比奈さん、長門…と移動したところで長門が俺の視線に気がついた。
長門がハードカバーを胸元にあてた。
「見せない」
いえ、そんなつもりは…。

306 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/14(土) 00:41:27.30 ID:0am1EOMo

---------------------------------------------------------------------------
3連休の第1日目。
古泉が着替えだけもってこいと言ってくれたおかげで朝早くに軽装で家を出ることができた。
大荷物になればなるほど妹が見つける確率も高くなるのでこれには古泉に感謝しなければならないだろう。
何よりナイフを使わなければいけなくなる様な状況に妹を巻き込みたくない。
って考え過ぎか?長門はただ便利だから必要だと言っただけかもしれないし。できればその方がありがたいんだが。
そんな事を考えながら俺は荷物をママチャリの前かごに突っ込んだ。男の2,3日の着替えなんてこの程度の大きさだ。
駅前に着くと、まぁ当たり前なんだが既に全員そろってた。当たり前なんて思う時点で既にあきらめの境地だよな。
「おそい!おそい!おそい!おそーい!!!」
時計を見てみると予定集合時刻の15分前…いつもの事か。
何だか待たせて悪いという気持ちも徐々に薄れてくるぞ、それでも一応謝罪の意を示すのが大人の対応ってもんだ。
「待たせたな」
「ええ!そりゃもう待ったわよ!いつも言ってるけど団長より遅く来るあんたの頭が信じられないわ!」
日頃から俺はお前の頭の中身が信じられんよ。
「ぐずぐずしてたら先を越されるかもしれないわ!キョンのバツゲームは行きの電車で考えるから覚悟しておきなさい!」
ハルヒの空恐ろしい宣言とともに俺たちは改札へと向かった。
うおぃ、古泉、大荷物だぞ。
「はい、何しろ5人分でしたので」
各人のザックはともかく俺と古泉だけ明らかに余計な荷物がある。
ぐぬぬぬ…!重い!一体何を持ってきやがったんだ。

307 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/14(土) 00:41:54.47 ID:0am1EOMo

電子レンジとか炊飯ジャーを持って来たんじゃあるまいな?
「さすがにそれは無いですが、金属探知機と超音波探査装置があります」
お前はアホか。
「そちらの荷物にはガイガーカウンターと磁場測定装置が入ってます」
この荷物捨てていいか?
ガイガーカウンターなんていったいいつ使うんだよ。殺人拳法が闊歩している世紀末にいくんじゃねぇんだぞ。
磁場測定装置に至っては使った所で何が分かるかもわからん。
こんな訳の分からん荷物に加えてシャベルやつるはしなど、用途の分かる荷物もあるのだから俺と古泉の担ぐ総重量は自分の体重と同じ位なんじゃないだろう か?
もはやこの時点で罰ゲームだぜ。
とにかくそれぞれのザップを背負ってホームに降り立つ。
乗車予定時刻は約5時間。長い旅になりそうだ。
しばらくはキャンプに出かける高校生と言った風情で俺たちはボックス席を二つ占領してトランプをしたりお菓子を食べたりして過ごした。
きゃいきゃいとはしゃぐ同年代の異性を眺めるのはなかなか心休まる光景だな。
一人だけはしゃいでいない異性もいるがそれなりに楽しんでいると俺は思うね。
それも含めて目に優しい光景だ。
何回か電車を乗り換え、再び席に着いた時ハルヒが言った。
「さ!キョン罰ゲームよ!」
このやろう覚えてやがったのか。胃が縮み上がる。
「当たり前じゃない!あんたの脳みそに遅刻する事は悪い事なんだって刻み込んであげるから覚悟しなさい!」
ハルヒはそういって自分のポケットからリップクリームを取り出した。

308 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/14(土) 00:42:06.41 ID:0am1EOMo

「何をするつもりだ」さすがに警戒する。
「動くんじゃないわよ」ハルヒがにやにやしながら俺の唇にリップクリームを塗った。朝比奈さんが息を飲む。
ぬお、たっぷり、べたべただ。
「さぁ!最後尾の車両まで行って車掌の部屋のガラスに唇の跡を着けて来なさい!」
だぁー!車掌がいたらどうすんだ?!
「いた方がいいのよ!罰ゲームだから!」
こいつは鬼だ。悪魔だ。
「ちゃんと後でみんなで確認しに行くからね!」びしっ!と人差し指を俺の鼻先に突きつけた。
ぎー!仕方が無く俺は最後尾目指して歩き出した。ローカル線だから数両で最後尾車両だ。
なんだかもう家に帰りてぇ。
不幸中の幸い、車掌はいない。が、当たり前だが他の乗客はいる。
うわー視線が気になる。気になる。気になるー!!!
てーい!
ぶちゅり…
早々に立ち去る!一刻も早くこの電車から降りたい!
俺たちの席に逃げ帰ってくるとハルヒが言った。
「さぁみんな!確認しに行くわよ!キョンは荷物番!」
もう好きにしろ。
しばらくして全員が帰ってきてハルヒに散々からかわれた。
その頃には俺は悟りの境地、何を言われたって動じないぜ。
朝比奈さんが頬を染めながら言った。
「キョン君、涼宮さんと間接キスしちゃいましたね」
ああああ朝比奈さん!!!!!
「こ、こ、このエロキョンー!!!」
ばきっ!
なぜ俺がー!!
---------------------------------------------------------------------------

314 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/15(日) 03:16:26.26 ID:.xgNPiIo

ようやく悪夢に満ちた電車経路が終わり、さらにバスに乗り込む。
もちろん沈んだ黒周村までのバスなんてものは出ているわけも無く、俺たちはダム近くの停留所でおりた。
うー、ケツが痛くなった。
こんな辺鄙な所にバスが通っていること自体が驚きだが、どうやらダムへのバス路線というわけではなく、この近くに登山道があるらしい。
俺たちの乗ったバスに乗り合わせた人達は全員登山服にリュックを背負い杖などを持ち合わせていた。
平日に毎日否応無く山登りをしている俺にとっては休日にまでなんで登山をせにゃならんのだ、と思ったが、ダムの底に降りるのもにたようなもんか。
さすがに長時間移動しただけあって当たり前だが風景も空気もがらりとちがう。うーん、風光明媚だ。
俺たちは登山道へ向かう一行とは外れダム湖の周辺を廻っている道路からダムの内側を眺めてみた。
道から下はほとんど垂直に切り立っておりほぼ崖といって構わない様相だ。
目線をかなり遠くへ移すとなるほどかなりでかい中州の中に何軒か家屋が立っているのが分かる。あのあたりが黒周村だったんだろう。
当たり前だが水があった道路から下は植物は生えておらず藻と堆積した泥の世界だ。
目に映る風景の上半分は緑が生い茂っているのでなおの事、道から下の白黒の世界が不気味に映る。
「こ、こんなところに降りるんですか?」
朝比奈さんは早速泣きが入っている。俺も口には出さないが朝比奈さんに全面賛成だね。
「降りる道を見つけないといけないわね、無かったら飛び降りましょ」朝比奈さん顔面蒼白。お前一人でバンジーしろ。
「ダムに沈む前は集落への道があったはずです。地元の人に聞けば何かわかるかもしれませんね」古泉がもっともなことを言う。
仕方なくいったん俺たちはダムの売店に出向き店員にダムの底に降りる道はないか聞いてみた。
店員が言うには自分は知らないが昔からこの辺の山々を管理している杉田さんという人物がおりその人なら詳しいのではないかとのこと。
杉田さんは日中はほぼ枝打ちをしたり登山道の整備などをして山の中を歩き回っている。
あそこに見える小屋が、と言って店員はカウンターから出てきて沈んだ集落近くの山を指した、杉田さんの小屋だそうだ。

315 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/15(日) 03:16:47.98 ID:.xgNPiIo

言われてみれば自然の中に明らかに人工物のトタン屋根?の青い色が見える気がする。
俺たちは店員に礼を言いまずは道路伝いに集落の近くまで歩くことにした。
…疲れるぜ。
段々と黒周村に近づくにつれて全員杉田さんの小屋よりも目下に広がった風景の中にある一軒に目を奪われた。
ぽつりぽつりと日本家屋がある中に黒い洋館があるのだ。間違いなくあの建物が目指す某氏の館だろう。
かなり大きな中州のほぼ中央、なだらかな丘陵の頂上あたりに黒々とした姿を浮かび上がらせている。
周りは水が引いて泥が乾き白くなっているので余計にその黒が目立つ。
白紙に濃い墨汁をぼとりと垂らしたような印象を受ける。他の風景が死んでいるのにあの館だけ妙に生気を感じる。生々しい。
絶対に変だぞ、あれ。こんなことは言いたくないが常識はずれな経験をしてきただけに簡単に非常識な考えが頭に浮かぶ。
あの館、生きてないか?
ハルヒは館が目下に近づくにつれはしゃいで先頭をつっぱしり朝比奈さんが慌ててついて行っている。
長門はザックの重さを感じていないかのような軽い足取りでいつものごとく歩いている。
最後尾の俺は背中にかかる重さを前の古泉と共感しながら思ったことを聞いてみた。
「僕もそんな印象を受けますね。まるで我々を待っているかのようです」
俺より不気味なことを言いやがった。聞くんじゃなかったぜ。
「さぁ!まだ日は高いしあの館に突撃するわよ!」
この崖を荷物を持ちながら無傷で降りるのは不可能だぞ、それに降りる道を聞くために杉田さんとやらに聞きに来たんじゃないのか?
「そういや、そうだったわね」この女は…。
そう言って山腹にある小屋を見上げた。距離自体は大したことはなさそうだが、この荷物を担いであそこまで登ると考えると途端に距離感が増大する。
俺たちは杉田さんの小屋に続くであろう山道を登り始め、人目につかないところに荷物をまとめて置いた。

316 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/15(日) 03:17:19.13 ID:.xgNPiIo

うわー体が軽い!
ん?長門がザックを開けている。そしてがさっとナイフを取り出した。
「装備して」
感情の無い瞳で5本のナイフをぶら下げた。
「うん!いよいよって感じね!」ハルヒは益々テンションがあがったらしく大喜びで腿にナイフを装備する。
まったくだ、いよいよって感じだぜ。俺は何に対してかは知らないが少なからず覚悟を決めながらナイフを身につけた。
「さぁ!杉田さんからルートを聞き出して今夜はあの館でお宝発見パーティーよ!」
途中経過が抜けてないか?
荷物を置いて身軽になったハルヒはカモシカのごとくぴょんぴょんと山道を登っていく。
「遅いわよ!」振り向いて眉毛を吊り上げて怒鳴るので俺たちも自然と山道を駆け上る。勘弁してくれ。しまった荷物番すればよかった。
ハルヒがせかすおかげで、いやせいで、杉田さんの小屋の前にはものの数十分で着いてしまった。
長門以外の全員の呼吸が荒い。しかしあっという間に呼吸を整えた団長殿が小屋のドアをたたいた。
「こんにちは、杉田さんいらっしゃいますか?」
「何か用か?」
うわっ!後ろから声がかかり俺は驚いて振り向いた。
年のころなら60歳くらいだろうか、白髪を短く刈上げ腰からのこぎりやら山仕事の道具をぶら下げた老人が柔和な目をして立っていた。
日焼けしてシャツから見える筋肉は引き締まっており太い。すげぇ。
「初めまして、私たち高校の歴史探索の研究で黒周村を題材にしたんです。けど下に降りる道が見つからなくて」
いつも思うがハルヒって優等生の振りをするのがうまいよな。もっとも悪用じみた使い方しか見たこと無いが。
「このあたりの山林を管理されている杉田さんならご存知じゃないかってダムの売店の店員さんに伺ったのでお邪魔したんです」

317 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/15(日) 03:17:40.86 ID:.xgNPiIo

「管理なんてお上品なことはしていねぇ、ただのマタギだ」
そういって杉田さんは照れくさそうに笑った。
「お前ら、あの館に行くのか?」ストレートに聞いてきた。
「はい」にこやかにハルヒが応える。
「気をつけろ〜あそこは昔、鬼が住んでた屋敷だぞ〜」ノリがいいなこの爺さん。
朝比奈さんがびっくりしたのを見て杉田さんはまた笑った。
「いやいや冗談だ」
「杉田さんはあの事件をご経験されたんですか?」古泉がこれまた優等生面で聞く。
「俺がガキ時分の話だ、詳しくはしらねぇが鬼らしきものがいたのは本当みてぇだな。親父にその事を聞いたらこっぴどく殴られたよ」
杉田さんは全員の反応を見ながら続けた。
「山に一人で入っているとな、どうしても説明のつかねぇ事やら物をよく見たり経験したりするんだ」
不思議話というか自分の経験を淡々と語るだけに妙に説得力がある。
「そういうモノが人里に下りてきたとしても当時としては不思議じゃねぇ」
そう言って杉田さんはにかっと笑った。
「おい、若けぇの、鬼切刃ってのを聞いたことがあるか?」
のこぎりを取り出しながら俺と古泉に聞いてきた。二人とも首を横にふる。
「地方によっては鬼殺しって呼ぶところもあるらしいが、この刃だ」
杉田さんがのこぎりの一番手もとに近い刃を指差した。
他の刃が三角にとがっているのに一番下のその刃は幅が広く明らかに他の刃とは違っている。
「この刃を鬼切刃というんだ。俺たちマタギはこの刃が折れたときには山には絶対に入らないんだ。折れたことも口にしねぇ。鬼に聞こえるといけねえからな」

318 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/15(日) 03:17:56.80 ID:.xgNPiIo

そういってのこぎりを腰にしまう。何度も繰り返している動作なのだろう、道具というより…武器に見えるぜ、爺さん。
「ま、縁起担ぎといえばそれまでだが、この鬼切刃がついていない刃物は本当に山では役にたたねぇ。この刃を使って切るわけじゃねえのに不思議なもんだ」
そこで杉田さんは俺たちが全員同じナイフを装備しているのに気がついた。
「おい、そのナイフを見せてみろ」
古泉がナイフを杉田さんに渡す。手にした途端に杉田さんの目が険しくなった。
「こりゃ驚いたな…全員同じものを持ってんのか?」
俺も驚いた、教室で見たときのナイフとは明らかに質感が違う。
なんというか神々しい、まで言うと言い過ぎかも知れないが教室のナイフと今のナイフを比べたら素人の俺でも差が歴然と分かる。
長門は持ち帰っていったい何をしたんだ?
「ここにいる間はそのナイフいや刀は絶対に肌身離さないようにしておけ。どうせ館の近辺で寝るんだろうが寝るときも離すなよ」
なんだか嫌な予言をされてしまった気がする。
古泉にナイフを返しながら杉田さんはようやく降りる道について教えてくれた。
「お前たちダム湖の道路を歩いてきたんだろう。その道をそのままずっと進め。山側から沢がでているからそこら辺りのガードレールから下を覗けば石段が見つかるはずだ」
俺たちは杉田さんにお礼を言って今来た道を降りようとした。
「おい、あんた名前はなんて言うんだ」
このエロじじい、朝比奈さんの色香に迷ったか、と思いきや、杉田さんが聞いたのは長門に対してだった。
「長門有希」
長門が無愛想ではなく、無表情ですんなりと名前を杉田さんに届けた。
「そうか…あんたはユキというのか…」
今度は何を思ったか俺と古泉に向きなおる。
「鬼は生娘を狙う」
杉田さんの顔は笑っているが目が笑っていない。何かを届けようとしている目だ。
「女を守るのは男の仕事だ。肝に銘じとけよ」
俺は何となく気おされてこくこくとうなずいた。
「心得て置きます」古泉がいつに無くスマイルを消して杉田さんに返事をした。
---------------------------------------------------------------------------

338 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/18(水) 01:18:35.55 ID:6qynQBUo

再び荷物を担ぎ上げ俺たちは道路を歩き始めた。
沢、沢、沢っと…。
山を見上げながら歩くがいっこうに水の流れなんて見当たらない。
もしかしてここ数日の晴天で枯れたんじゃなかろうなと思い始めた頃、カーブの奥まった箇所に小さな水の流れがちょろちょろと音を立てていた。
水は道路の下に作られた水路をくぐりダム湖へ流れこんでいる。
ハルヒは沢を見つけた喜びで荷物を放り出し、ガードレールから身を乗り出し石段を探し出した。あぶねぇ落ちるぞお前。
「よっと」片足を高く上げて覗きこんでいる。
見てられないな。朝比奈さんもあわあわしている。
あまりに危なっかしいので上げている片足をつかんで引っ張った。
「こら!キョン!下が見えないでしょう!」馬鹿、放したらどうなるか結果を考えろ。
落ちる寸前の格好で何ヶ所か場所を変えながら下を覗き込んでいたハルヒが叫んだ。
「あったわよ!」
ハルヒがあまりに身を乗り出すのでつかみ所が無く俺はハルヒの足を脇に挟んでガードレールに足をのせ引っ張っていた。
目の前にハルヒのよく動くお尻が…。
「息が合ってますね」古泉がにこやかに言う。
うるせー、見てないで手伝え。
「おや、私が涼宮さんの足を掴んでもよろしかったのですか?」
「・・・」思わず言葉に詰まった。
なんだその冗談ですよと言わんばかりのしたり顔は。
俺に引っ張られハルヒがこちら側に戻って来た。そして早速ガードレールをまたぐ。

339 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/18(水) 01:18:58.12 ID:6qynQBUo

「よっ」気軽な掛け声と共にハルヒが石段に飛び降りた。
「キョン、荷物降ろして!」団長殿が足元から命令を出している。
俺はガードレールから身を乗り出しハルヒの荷物をぶら下げて声を掛けた。
「放すぞ」「いいわよ」どざっ。
「僕が下で荷物を受け取りましょう」古泉はそう言って荷物を降ろし飛び降りた。
俺は朝比奈さん、長門、そして古泉自身の荷物と俺の荷物を下の古泉に渡した。
長門がふわりと降り立ったのに比べて朝比奈さんは及び腰になってしまいなかなか飛び降れない。
「大丈夫ですよ。支えますから」
古泉が下から声を掛けている。
「みくるちゃん気合で降りちゃいなさい!」
ハルヒが下からハッパを掛けている。
「えぃっ!」可愛らしい気合と共に朝比奈さんは空中に身を投げ出した。
着地してよろけたのを古泉が支える。
「あ、ありがとうございます」朝比奈さんが古泉の腕をぎゅっと握りながらお礼を言った。
しまった、俺が下にいればよかった。
「支えますからどうぞ」
うるさい、どいていろ。
俺も石段の上に飛び降りた。
下から道路を見上げると草が目隠しの代わりになっておりハルヒのように身を乗り出して覗き込まない限りこの石段は見つからないだろう。
俺は自分が立っている石段を見てみた。作られてから、そして人の手が入らなくなってから相当年月が経ってるのが分かる。

340 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/18(水) 01:19:22.20 ID:6qynQBUo

積まれている石と石の間からは草が生えており場所によっては木の根が石段を下から持ち上げている。
石段を下るにつれて段々と足音が湿っぽくなる。
ひかっかっている流木をまたぎ、崩れている箇所を飛び越えたりしてなかなかアスレチックな気分を味わいながらダムの底についた。
「うーん」ハルヒが手を顎に当ててうなっている。
それもそのはず石段から先は泥沼なのだ。
はっきり言って底なしだと言われたら信用する。いや、底なしじゃないと言われても信用できない。
とてもじゃないが飛び越えられる様な幅じゃないな。軽く20mはあるだろう。
日照りが続いても乾かなそうなこの泥の流れをどうやって渡るか…。そうだ、京都へ行こう!
「キョンそこの流木取って」やる気になっている女がいるな。
水草が垂れ下がったまま乾いているひん曲がった流木を皆の頭上越しに渡してやる。
「よいしょっ」ハルヒが流木をなるべく遠くに突き立てる。
ずぶ、ずぶ、ずぶ、ずぶぶぶぶ…。3メートル以上はあったであろう流木があっさりと飲み込まれてゆく。
「わっ、わっ、わっ!」
遠くに刺しすぎて体重が前にかかり戻れない状態になりやがった!
「きゃぁ!涼宮さん!」朝比奈さんと長門がハルヒを掴んで引っ張る。
俺と古泉も朝比奈さんと長門の脇からハルヒを掴んで引っ張った。
勢いあまって全員でハルヒを抱え込むようにしながら石段に尻餅をつく。いてて。
「なかなかやるわね!」ますます燃えているヤツが一人いるぞ。
「古泉君!ボートを出して!」未来から来たロボットじゃねぇんだ、そんな都合良く「わかりました」あるの?!
というか、だったら最初から出せよな。

341 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/18(水) 01:19:41.76 ID:6qynQBUo

古泉が荷物の中からゴムボートを出してポンプで空気を入れ始める。
「これで勝ったも同然ね!」いつも思うがこいつは何と勝負しているんだろう。
古泉が膨らましたボートは3人乗りで、まずはハルヒと朝比奈さんと古泉が向こう岸へ渡った。
向こう岸はなだらかな斜面になっており労せず降り立つ事が出来るみたいだ。石と泥だけだが乾いているので足場はしっかりしていそうだな。
朝比奈さんが安心したようにこっちに向かってにこやかに手を振っている。
ハルヒはもうこちらには背中を向けて館の方を見ている。その背中にテンション上がりまくりのオーラを背負っているのがイヤになるくらい分かるぜ。
古泉がボートに乗りこちらに向かってきた。
ん?珍しく神妙な顔つきをしてやがる。いやな予感がして隣りの長門を見てみた。
「・・・」
いつもの無言だが、どことなく体調悪そう?なのか?とにかく通常状態の長門ではないとは言い切れる。
「どうした?」
ボートに乗り込んで長門と古泉両方に聞いてみる。
「あの建物に近づくにつれて情報統合思念体との接続が断続的になる」
「なに?!」
「涼宮さんが作り出す閉鎖空間ではありませんが、それに近いものを感じます。結界とでもいうのでしょうか。とにかく通常空間とは違う違和感を僕も感じます」
俺はなだらかな丘陵を仰ぎ見る。視線の先にそびえ立つ妙な存在感をまとった館。
ハルヒは我慢が出来なくなったらしく朝比奈さんを置いてきぼりにして一人で館に向かって突進しているところだ。
「これはハルヒがやったことなのか?」朝比奈さんのそばに着いて、ボートから降り聞いてみる。
「違います」古泉が即答する。
「60年程前にここに宇宙から自己増殖型の生命体が落ちて来た形跡を確認」長門がガラスの瞳を揺らしながら述べる。

342 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/18(水) 01:20:03.86 ID:6qynQBUo

「なに?宇宙人が落ちて来たのか?」
「ヒューマンタイプではない。現在の地球で言う所のウィルスに近い。墜落時の損傷を補う為に人間を宿主として自己増殖を試みたものと思われる」
「ということは宿主にされたのは館の主なんですね?」
長門が僅かにうなずく。
「単一の宿主の遺伝子で自己増殖を試みたものの自身の情報の欠損が激しかった為に他の宿主の遺伝子も使って増殖しようとしたのがあの事件」
「つまり館の主はウィルスに体を乗っ取られていたわけですか。しかし最初の宿主は死なずに後で噛まれた人達はなぜ死んだんですか?」
「本来であれば区別されるはずの宿主の本能とウィルスの自己増殖作業が複合してしまいその結果、エラーコピーを他の宿主に注入した」
「なるほど、それでエラーコピーのウィルスを注入された人達は死亡してしまったわけですね」
「おい、そういえば館の主は見つかってなかったな。まさかまだあそこにいるんじゃないだろうな?」俺は館を指差し長門に確認する。
「…」
「どうした?」
「確認する前に情報統合思念体との接続が切れた。しかし最初の宿主の存在消滅は確認できなかった」
「つまり今も生きている可能性もあるわけですか」古泉が言う。
「そういや接続が切れると具体的にどうなるんだ?」俺は恐る恐る聞いてみた。
困った時の長門様がお一人で行動したらいかな具合になるんでございましょう?
「情報操作が不能になる」
「つまり…」俺の言葉を古泉が繋いだ。
「普通の女の子になる、と」
長門が伏し目がちにうなずいた。
いつも冷静でいる長門がしおらしくなると何だか守ってやらなきゃという気が起こるな。

343 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/18(水) 01:20:19.05 ID:6qynQBUo

「荷物もってやろうか?」
「平気」
「何してんの!早く来なさーい!」既に今いる場所と館の距離を半分程制覇したハルヒが怒鳴っている。
俺たちは自分の荷物を担ぎ上げ団長の後に続いた。
「やはりあの館に近づくにつれて空間の違和感が増します」
古泉が汗を浮かべているがこれは暑さだけじゃない気がするぞ。
「すみませんがボートの方に向かって戻って頂けませんか?」
なに?なんでそんな面倒くさい事をさせるんだ。忘れ物なら自分で取ってこい。
古泉、朝比奈さん、長門が俺を見る。
ぐぬぬ。
「10歩程でかまいません。館から遠ざかる方向に歩いて下さい」
俺は館に背を向け歩き出した。
…8、9、10っと。
「歩いたぞ」そう言って俺は振り返った。なに?!
歩き出したときと変わらない距離に3人が立っていた。
朝比奈さんがびっくりしている。という事は俺を驚かそうとして3人そろって10歩後をつけて来たわけではないんだな。
「館に近づく事はできても遠ざかる事は出来ない様ですね」
俺は引っ張られた感じも戻された感覚もなかったぞ?
「はい、僕たちから見ても10歩あるいたように見えましたが距離が伸びませんでした。見てて下さい」
そう言って古泉はボート向かって歩き始めた。
古泉は確かに歩いている。進んでいる。右足の次には左足が出ている。地面をちゃんと踏んでいるのにもかかわらず距離が歪んでいる。
地面が動いているというわけではないのに古泉の移動する距離だけが縮んでいる。距離そのものだけがおかしい!
「おい、どういうことた?!」
「館の主が生きているという証拠ですかね」
歩くのを止めて古泉が館を見上げた。
「行くしか無さそうですね。このままでは戻ろうとしても歩き続けたあげく一歩も進めず餓死するでしょう。今の僕たちにとってあのボートは遥か彼方にあるんです」
俺は長門が授けてくれたナイフの存在を確かめてから館に向かって歩き出した。

352 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/20(金) 01:01:19.00 ID:1ntH1WMo

太陽が傾き出した。
今まで味も素っ気もなかった灰色の地面が夕日に染められオレンジ色に燃え上がる。
なだらかな丘陵の上を歩いているせいで飛び出している石の影も俺たちの影も全てが長く伸びる。
皆の一番最後尾で館を目指していた俺は特に注視するでもなく横に伸びた自分達の影を見ていた。
俺、古泉、長門、朝比奈さん、そして…。
そして!?
「古泉!影が多いぞ!」
全員が止まる。しかし一つの影だけいびつな形のまま館に近づいてゆく。
俺たちが見ている前でその影は突然地面を這うように伸びるとそのまま館に吸い込まれるように消えた。
「い、い、い、今のなんですか?」朝比奈さんがその場に崩れ落ちそうになっている。
だが、俺たちの誰も今の現象に対して答えは持っていない。
「影の様に見えましたが太陽の方向とは無関係に伸びましたね。影だとしても僕たちの常識の範疇内の影とは全く違いました」
館の方を見るとハルヒは裏に回っているのか姿が見えない。今の影を見られずによかった。
「長門、今のが何かわかるか?」
長門が申し訳無さそうに首を横に振った。何だか悪い事をした気がする。
「そ、そうか、すまなかったな」謝る必要がある質問とも思えないがつい謝ってしまう。
「先ほど一瞬ではあるが情報統合思念体と接続できた」
長門の言葉を待つ。
「ウィルスを体内に宿した宿主がまだ自立存続をしていたならば」
いてほしくねぇな。

353 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/20(金) 01:01:39.82 ID:1ntH1WMo

「そのウィルス抹消の許可が出た」
許可…ってどういう意味だ?
「こちらの生命活動をウィルスによって停止させられる可能性が大きい」
「俺たちが殺される可能性が高い?」
長門がうなずく。
「ウィルスはどうやったら抹消できますか?」古泉が聞く。
「宿主の自立活動を回復不能なまでに損傷させれば宿主と共に消滅する」
「つまり…宿主を殺せ」自分で言ってその言葉の意味にぞっとする。
殺さないとこちらが殺されるというのは分かるが倫理的にどうしても腰が引ける、元は人間だろ?
「ダムの底で60年以上も生きている時点で人とは言いがたいですがね」
古泉がいつものスマイルで言う。お前には躊躇やためらいといった麗しい人間の心の襞といったものが無いのか?
ん?ダムの底で60年以上も生きている…?
「そんなヤツの息の根をどうやって止められるんだ?」
「心臓に刺して」長門がそう言ってナイフを引き抜いた。
夕日に照らされてナイフの刃が赤く照り輝いた。
「ある周波数を放つナノマシンの集合体」
やれやれ、長門はこうなる事を予測して準備をしていたわけか。
はぁ…物騒な合宿になったな。
まさか化け物退治する事になるとは思わなかったぜ。
「早く来なさーい!」

354 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/20(金) 01:02:01.30 ID:1ntH1WMo

館の周りを一周回ったらしいハルヒが呼んでいる。
自分からあり地獄の底に向かう昆虫もいるまい、普通はもがくもんだとか思いながら俺は館に向かう。
近づくにつれ館の詳細が分かってくる、それにともない緊張も高まる。
60年以上水の中に存在したにもかかわらず腐敗の跡を見せず黒光りする壁と支柱。それに割れていない窓ガラス。
建築様式に俺は明るくないがゴシック調とでもいうのだろうか、そこかしこに施された装飾が余計に不気味さを増す。
そこに赤い夕日が差し込むのだから黒と赤に色づいてさらに不気味だ。
ハルヒは玄関の両開きの扉の前に腕を組んで仁王立ちしている。
「遅いわよ!もう館の周りを一周しちゃったわ!入る時の感激を皆で一緒に味わおうと思って待ってあげたんだから感謝しなさい!」
そう言って両開きの扉に手をかけた。
「開けるわよ」そう言って振り向いた笑顔が猛烈に楽しそう。
ハルヒが力一杯扉を引っ張る。

ギ………ギ……ギ…ギギギギギギ!

生理的に非常に耳障りな音を立てて扉が開いた。
「じゃーん!」ハルヒは喜んでいるが俺は地獄の扉を開けちまった気がするぞ。
何のためらいも無くハルヒが館に踏み込む。
その後ろに全員続いた。
そんなに大きな屋敷ではない。
構造としては二階建てだ。

355 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/20(金) 01:02:19.24 ID:1ntH1WMo

玄関ホールは2階まで吹き抜けで正面に大きな階段がある。
階段はそのまま2階の回廊に繋がっており2階には左右対称に部屋があるのが今いるホールから見える。
2階には右に3つ、左に3つの扉が見える。
1階は左に2つ。右に1つ扉がある。
しかし、なぜだ?
ダムの底に沈んでいたのにどこにも汚れが殆ど目立たない。
階段を上りきった正面にはステンドグラスというか装飾されたガラスが殆ど壁一面を埋めているのに一枚も割れておらずむしろ輝いている。
「ふわぁ、綺麗ですねぇ…」朝比奈さんが感嘆の溜息を漏らす。
「ここは食堂!」ハルヒが1階の右の扉を開けた。
「ここは厨房!」1階の左の扉。
「ここは談話室!」そのとなり。
だだだだだ!階段を駆け上がりためらう事無く右へ曲がり2階の扉を開けてまわる。
「部屋!」「部屋!」「部屋!」
戻って左の廊下へ走る。
「部屋!」「部屋!」「部屋!」あっという間に全ての部屋を回りやがったぞ。
ハルヒが憮然とした顔で階段の最上部、ステンドクラスを背に腰に手をあてて怒鳴った。
「秘密の財宝室はどこ?!」
「秘密ゆえに隠されているとは思わんのか?」
「むっ、キョン生意気よ!」
「どうでしょう。ライバルは見当たらないようなので一旦食事をしてから秘密の部屋を探すというのは?」

356 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/20(金) 01:02:33.45 ID:1ntH1WMo

古泉が提案する。
「そうね、腹が減ってはなんにもできないって言うもんね!」
わざと間違えているのか本気で言っているのか分からん。まぁ意味的には間違ってないんだが。
俺たちは一旦屋敷の外に出た。
屋敷の周りに落ちていた流木を引っ張って来て折り薪のかわりにする。
古泉が手慣れた感じで石を組み固形燃料を使って火をおこした。
太陽はもう地平線の向こうへ沈んだらしく西の空がわずかに明るいだけだ。
燃えている火を見ているとなんだか安心するな。飽きずに眺められるぞ。
古泉が飯盒に米を入れ火に掛ける。
空が真っ暗になり、世界が昼から夜になった。

バァン!

開け放した玄関の扉の奥から何かが勢いよく叩き開けられたような音がした。

373 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:37:23.95 ID:Vcp7aD2o

「何?!今の音!」言うと同時にハルヒが玄関に飛び込んでゆく。
「ハルヒ待て!」慌てて立ち上がり追いかけた。
館の中は暗く外のかまどの明かりが玄関付近に少々入ってきているが奥は完全な暗闇だ。
真っ暗闇ではさすがにいかんともしがたいらしくハルヒはホールで立ち止まっていた。
遅れて長門、朝比奈さんがやってくる。
古泉がライトを人数分もって最後に入ってきた。
「持ってください」全員に配る。
「今の音どこから聞こえたのかしら?」ハルヒが明かりを上下左右にふりまわし全ての扉を照らす。
夕方にハルヒが全ての扉を開け放していたが、明かりの中に浮かび上がる扉は全てそのときのままだ。
「おかしいわね?」ハルヒが全く物怖じせずすたすたと奥に進んでゆく。
俺も慌ててハルヒの進行方向にライトを照らしながら後に続いた。
歩きながら照らすのでライトが揺れる。
突然明かりの中に現れるゴシック調が恐怖心をかきたてる。まぁ人物像やガーゴイルのように彫像がないだけ救いだな。
1階をハルヒと俺で見て回る。異常なし。
階段を登る。
「キョンは左ね」ハルヒはそう言ってためらい無く2階の右の扉を見て回る。
俺も左の扉の中をライトで照らして確認する。
室内は何も置いてないので確認するのに10秒もかからない。
幸いなことに異常は無かった。
「うーん、気になるわね」結局どこからした音だったのか分からずじまいで俺たちは外に出た。

374 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:37:49.30 ID:Vcp7aD2o

…火が消えていた。

まっすぐ立ち上がっている煙が、まるで消えたのではなく消されたんですよと主張しているようだ。
古泉にささやいてみた。「こんな時間で消える程度の火だったか?」
黙って首を横に振りやがった。
間違いない。俺たちのほかに誰かいやがる。
いや、誰かじゃねぇ、60年前に宇宙からやってきた化け物が俺たちの周りにいるんだ。
古泉が黙ってもう一度火をおこした。
ここで騒ぎ立ててハルヒに勘ぐられたら更におかしな事になりそうだし。
よしっ!気を取り直してメシの準備でもしますかね。
朝比奈さんと長門が大き目の岩の上にまな板をのせ野菜を切り始める。
それを俺がハムやソーセージと一緒に串に刺す。
その串をハルヒが受け取って火の上に渡した。一番楽な仕事だな。
「何言ってるの?火の加減をみて焼き具合を確かめるのは難しいのよ。あんたやる?そのかわり焦がしたら罰金だからね!」
バーベキューのこげ位で罰金はないだろ。キャンプでの料理の失敗はご愛嬌だろうが。
気味の悪い館の中で気味の悪いことが起こった後だが、そんなこと全く気にせずハイテンションではしゃぎ続けるヤツがいるので雰囲気は暗くならない。
ハルヒの元気がありがたいと思ったのは初めてなんじゃないだろうか?
朝比奈さんも自然に笑い顔が出ているみたいだ。
しばしの間、俺たちは財宝目当てではなくキャンプに来た高校生となって更けてゆく夜を楽しんだ。

375 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:38:10.59 ID:Vcp7aD2o

「さて!秘密の部屋を探すわよ!」
腹ごなしの時間を取った後、ハルヒが言いだした。くそー、近くに危ない宇宙人が徘徊しているって言ってやろうか。
「古泉君道具を出して!」「わかりました」
返事をした古泉が荷物からなにやら機械を取り出した。
「超音波探査装置です」
で?それを使うといったい何が分かるんだ?
「魚群探知機と同じです。あれは魚の群れを探しますが、これは地下の空洞を探すんです。今回の場合は地下室ですけどね」
古泉がスイッチを入れるとサーモグラフィのような画面が浮かび上がる。見てもさっぱりわからん。
俺たちは再び館に入って来た。
装置を持ち上げ画面を見ながら古泉がホールをあちこち移動する。「どう?見つかった?!」ハルヒがせかす。
「この下に空洞がありますね、それなりの大きさがあります」
そう古泉が言ったのが階段の裏側に回った時だった。
このやろう、馬鹿正直にみつけるんじゃねぇ。
「でかしたわ!」古泉の周りをちょろちょろしていたハルヒが大喜びで床を調べ始める。
しかし何より暗闇の中だから空洞があるのが分かったとしても、その入り口なんてなかなかみつからない。
「キョンちゃんと探しなさいよ!」そんな事言われても出来れば見つけたくないからなぁ。

バァン!

いきなり床の一部が跳ね上がった。床の模様に巧妙に隠されていた入り口が開いたのだ。

376 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:38:27.50 ID:Vcp7aD2o

しかもこの音…さっき聞いた音だぞ。つまりこの扉が開いたのは2回目ということになる。
誰が開けたんだ?
俺は周囲をライトで照らした。
ゴシック調の柱の一部にレバーが隠されておりそれを長門が引っ張っていた。
な、長門…見つけるなよ。
「大丈夫、今は中にいない」
・・・じゃ、外にいるって事か?
うなずきやがった。
「あれ?長門、お前の親玉と…?」
「今、繋がっている」
「有希でかしたわ!!さぁとつげきー!!」
ハルヒが先陣きって地下室への階段を降り始めた。
その後を全員で続く。
これは…、書斎…?だったのか?
階段をおりると現れてきたのは四方を本棚に囲まれた部屋だった。ただし奇妙なことに本が一冊も無い。
正面に机と椅子がある。そして部屋の中央に、これは、認めたくないが…棺おけ、なんだろうなぁ。
真っ黒な棺おけだ。ふたが開いているので中まで黒いのが良く分かる。
そしてその中身は…長門が言ったように空だ。
ぴちゃん。
ハルヒが床に一歩踏み出すと水音がした。

377 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:38:47.21 ID:Vcp7aD2o

どうやらこの地下室は水はけが悪いらしく床一面がぐっしょりと湿っている。
「財宝は持ち出された後なのかしらね?」
ハルヒが一通り地下室を見回った後言った。
「普通推理小説なんかだと本がずらーっと並んでいてそのうちの一冊を動かすと本棚が動いたりするんだけどね」
推理小説ではな。
「今日はここまでにしましょうか。明るくなって探せば何か見つかるかもしれないわ。一歩前進ね!」
うむ、一も二もなく賛成だ。こんな万年水浸しの部屋で夜中に家捜しなんかしたくない。
階段を上がりもう一度長門がレバーを動かした。
今度は床の扉が驚くほど静かに閉まった。
俺たちはいったん外に出でテントの準備をしたのだが、やっぱり館の近くでは寝たくないな。
館とテントの間に焚き火がくるようにテントを張った。
当たり前だがハルヒ、朝比奈さん、長門がひとつのテント。俺と古泉がもうひとつのテントで寝る。
「さぁ!日が昇ったらもう一度地下室を探索よ!寝不足は能力の低下を招くからしっかり寝ること!じゃっお休みっ!」
そんなハイテンションで眠れるのかよ。という俺の心配をよそに隣のテントはすぐに静かになった。
俺は化け物のそばで熟睡できるほどの図太い神経は持ち合わせておらず、情けないとは思いながらもナイフを手にして横になる。
それでもいつもの習慣というか慣れというか食って横になっていれば人間まぶたが重くなるもので、テントの入り口から声がかかったときには意識は睡眠状態になっていた。
「起きて」
静かな長門の一言で目が覚めた。
隣で寝ていた古泉のほうが反応が早かった。寝袋から起きだすとすぐに入り口のジッパーを開けた。
時刻は…電波の届かなくなった携帯を見ると草木も眠る丑三つ時と来たもんだ。

378 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:39:03.47 ID:Vcp7aD2o

「どうしました?」
「先ほどの接続でウィルスの詳細が分かった」
長門が言う。なぜこの時間にウィルスの解説を?
とにかく俺と古泉はテントの外に出た。ありゃ朝比奈さんもいる。
「ウィルスは人間のX染色体に酷似していた。ところが宿主に選んだ人間はY染色体を持つ男性だった。ここでX染色体を模倣すればまだ良かったのだがY染色体を模倣してしまった」
長門がいきなり話はじめる。
「自らのエラー情報を少なくするために宿主を使い純粋なX染色体を求めている」
「普通の女性ではだめだったんですか?」
「一度でもY染色体との接触を持ち情報を受け取ったX染色体は対象にならない」
「なるほど」
まてまて、なんのこっちゃ?お前は分かったかもしれんが、俺にはさっぱりだ。分かるように砕いて話してくれ。
「犬の話ですが、一度でも他種のオスと性交した品種犬のメスは純血種として価値が無くなるという話はご存知ですか?」
そうなのか?
「なぜなら次に同犬種のオスの子供を生んでも不思議な事に以前かかったオスの特徴を持った子犬が産まれることがあるからだそうです」
それがY染色体の情報を受け取ってしまったX染色体という事か。
「そのようです。これは実は人間にも当てはまるみたいですね」
げ!そうなのか?そうだとするとなんとなく処女信仰が廃れないのも分かる気がするな。
「では館の主が行った吸血行為というのはエラーコピーの注入とX染色体の情報摂取だったわけですか」
長門がうなずく。
ということは今の化け物の狙いは…。

379 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:39:21.79 ID:Vcp7aD2o

「涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、そして私のX染色体」
って、これは、処女宣言…ですか?
処女宣言したSOS団の女性陣を狙う60年前のエラー吸血鬼。
男としてこれは逃げ出すわけにいかねぇよなぁ…。
「最優先事項。涼宮ハルヒの安全」
長門がそう言ってTシャツを脱ぎ出した。「な、長門さん!」朝比奈さんが驚いている。
俺だって驚天動地だ。おいおいおい!どうした!
おまけに履いていた短パンも脱いだ。さすがに古泉も驚いている。
動揺が隠せない。わけを言えわけを!出来れば服を着てくれ!
長門は身につけているものが下着と靴だけの格好で言った。
「現在、情報統合思念体との接続が切れている。今の私に出来る事は涼宮ハルヒの囮になる事」
そりゃそうかもしれないが…なんだって下着に、まともに会話が出来ねぇ。
「私の体からも少量ではあるがフェロモンが分泌されている。相手はそれを嗅ぎ取る」
つまり女の匂いをまき散らす為に下着になったとおっしゃるわけですね。確かに効果抜群だわ。
「だから」
だから?
「私を守って」
長門の一言で男としての魂に火をつけられた気がする。
庇護心というか父性本能というか、弱いものを自分が絶対に守るという決意。
「わかった」俺はナイフを握りしめた。

380 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:39:39.19 ID:Vcp7aD2o

長門も下着姿にナイフを装備した。下着姿とナイフってアンバランスだが、妙に格好いいな。
はっと長門が闇の一点を見つめた。
「来た」
長門の見つめる方向を凝視すると闇の中に2つの赤い点がある。というかこちらを睨んでいる。
足音を立てずにこちらに近づいてくる。
遂に姿を現しやがった。
わずかに残るたき火の明かりでも目が慣れた今ならヤツの姿がよくわかる。
黒い古びたタキシードを着込んでおりその上に外套を羽織ってやがる。
表情は無表情だが薄気味悪く瞳が赤く光っているから不気味な事この上ない。
立ち止まり俺たちを睥睨する。
当たり前かもしれないが長門と朝比奈さんを交互に見た。
無表情だった顔面に表情が浮かび上がる。
苦痛に歪められた様な残忍な笑い。口の端が極端につり上がり妙に白い牙が口から出て来た。
元は人間だから意思疎通くらいは出来るかもと思っていたが甘かった。この表情を見れば絶対に無理だと断定できる。
人間の形をとっているだけでこいつは本物の化けもんだ。吸血鬼だ!
俺の僅かに残っていたナイフを使って傷つけるという躊躇を完膚なきまでに吹き飛ばしてくれて礼を言うぜ。
長門が館の玄関に向かって走り出した。
ハルヒから遠ざかるつもりだ!俺も長門を追う。
ホールの中央に来た時点で玄関を振り返る。
玄関から黒い影が宙を飛んで階段の最上部に降り立った。ばさりと広がっていた外套が閉じる。

381 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:39:55.26 ID:Vcp7aD2o

ステンドグラスを背後に俺たちを見下ろしやがった。赤い目が長門に対して光りを増す。
ちょうど月明かりがステンドグラス越しにホールに差し込みパイプオルガンでも鳴りそうな雰囲気になった。
くそっ!見とれている場合じゃねぇ。
長門がまるで崩れ落ちそうに歩き出した。
操られている!
情報統合思念体と切断された状態では本当にただの女の子なんだな。
考えてる暇はない!俺はナイフを抜き階段を駆け上がった。
どこでもいい、ダメージを与えるんだ!
ぶん!
自分では思いきり振り切ったつもりだったがあっさりとかわされた。
しかも空中に浮いてかわしやがった。
吸血鬼はそのまま長門の目の前に降り立つ。
この野郎!!俺の存在を、ナイフで傷付けようとした存在を無視しやがって!!
敵にも値しないとされた事に頭にきて階段を駆け下りる。
吸血鬼が長門の華奢な体を両側から掴み首筋に牙を立てようとしている!
次の瞬間、吸血鬼が横に吹っ飛んだ!明らかに自らの意思では無く誰かに吹っ飛ばされたのだ。
それをした誰かは…古泉だった。
古泉が長門のそばで左拳を突き出している。おいおい拳に紫電が走ったように見えたのは気のせいか?
トントン。古泉が軽くステップを踏み再び構える。ボクシングで言う所のアップライトスタイルというヤツだ。
っておい、古泉、お前も目が赤く光っているのはなぜだ?!

382 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:40:15.99 ID:Vcp7aD2o

部屋の隅まで殴り飛ばされた吸血鬼がものすごい形相で起き上がる。
しっかり起き上がる前に古泉が人間には不可能な早さの踏み込みと共に殴り掛かった。
腕の動きも目で追えない程の速度だ。正直に言って古泉の動きも化け物じみてる。
どがががが!どぐん!ばきん!
肉を全力で打ち抜く音がありえない間隔の短さで響く。
「長門さんを壁際に!」
一瞬バックステップして古泉が俺に声をかける。
長門はまだ硬直しており自分で動く事が出来ない状態だ。
俺は閉鎖空間でハルヒを抱き上げたように長門を抱きかかえた。
小泉達が闘っている反対側に長門を連れてくる。
俺も参戦をと思い振り返った。
空中戦になってる。こりゃ無理だ。
いや、古泉は空中に浮く事は出来てなかった、床と壁を蹴って飛び回っているだけだ。
古泉が空中でナイフを抜いた。終わらせるつもりだな。

吸血鬼が空中で急停止して古泉の背後に回りやがった!
古泉が無理矢理に体勢を捻って後ろにナイフの刃を走らせる。
ぱきーん!!
いい音がして根本からナイフが折られた!
次の瞬間古泉が床に叩き付けられてしまった。

383 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:40:36.12 ID:Vcp7aD2o

「ぐふっ!」あまりの勢いに古泉の体が一回バウンドする。
真上から吸血鬼が古泉に襲いかかった。
「き、吸血鬼さん!こっちです!」
玄関から可愛らしい声が上がった。
あ、朝比奈さん!下着姿で震えながらナイフを構えている!
フェロモン度で言ったら長門の10倍以上はありそうな下着姿に吸血鬼は空中で方向を変え朝比奈さんに襲いかかった。
まずい!朝比奈さんじゃやられる!俺は走り出した。
「えいっ!」朝比奈さんが目を閉じながらナイフを両手で握り前に突き出す。
きーん!「きゃぁ!」
当然の結果だがナイフは叩き折られた。
ばさりと目の前に吸血鬼に舞い降りられて朝比奈さんがたじろぐ「あ、あ、あ」
吸血鬼に見つめられて朝比奈さんの目が光を無くした。
間に合え!俺は猛然と吸血鬼にダッシュした。
ひゅん!
俺の耳のそば数センチを光が走り抜ける。
「ぎゃぁぁぁあああああああ!!!!」
吸血鬼が脇腹を押さえた。そこからナイフの柄が生えている。
振り返ると呪縛から逃れたらしい長門が片膝をついてナイフ投擲のポーズをとっていた。
口から黒い血をまき散らしながら吸血鬼がのたうち回る。
とどめだ!

384 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/25(水) 01:41:15.25 ID:Vcp7aD2o

ダッシュしていた俺はその勢いを緩めずナイフを振り下ろした。
がちん!避けられた!
外套を広げ空中に飛んでナイフを避けた吸血鬼はステンドグラスをぶち破りそのまま外に飛び立ってしまった。
一瞬追いかけようかとも思ったが俺は周囲を見回した。
朝比奈さんは硬直している。長門は動けるようだな。古泉が床に倒れたまま動かない。
「古泉!」
走りよって抱え上げる。
「ぐっ…全員ご無事ですか?」
あぁ、お前以外はな。
「まさか貴方の腕の中で看取られるとは…」
そんだけ気色の悪い冗談が言えりゃ大丈夫そうだな。俺はぽいっと古泉を放した。
「いたっ!一応本当に怪我はしているんですよ。もう少しお手柔らかにお願いします」
さすがにダメージが大きいらしく古泉は倒れたまま起き上がろうとしない。
長門が近寄ってきてかがみこみ古泉の胸に両手を当てた。
「情報統合思念体との接続が切れいる状態ではこれが限界」
そう言って古泉から離れた。
「いえ、かなり楽になりました。ありがとうございます」
古泉はふらりとしながらも立ち上がった。
長門は古泉の状態に興味は無いようですたすたと朝比奈さんに近寄る。
片手を朝比奈さんの目の前においてなにやらつぶやいた。
「きゃっ長門さん、古泉君もキョン君も無事ですか?」朝比奈さんが呪縛から解放されてみんなの心配をする。
ええ、何とか無事です。朝比奈さんもご無事で何より。
「おかげさまで。あっ、こっち見ないでください!だめです!向こう向いてください!」
朝比奈さんが長門をたてにして隠れる。
俺と古泉は回れ右をした。

392 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/26(木) 00:13:46.03 ID:U2O3IUgo

「お前どうしたんだ?」
玄関に背を向けたまま隣りの古泉に聞いてみる。
「私の動きですか?」そうだ、目も赤く光ってたぞ。
「中途半端に能力が使えました」
なるほど、そういえばここは吸血鬼の作った閉鎖空間だったな。
「ある程度まで使えれば良かったのですが、スピードだけ上がりました。スピードだけね」
そう言って古泉は手の甲を俺に見せた。
うわっ!
人体が耐えうる速度を上回り化け物を全力で殴り続けた代償に古泉の指の付け根はぼろぼろになっていた。
「先ほど長門さんに治してもらってこれでもマシになった方です」
相変わらずのニヤケスマイルを保っているがその事に俺は少し尊敬した。
さっき放り出した事にちょっと罪悪感を覚えるな。
「そんな手じゃ何も出来ないだろう」
「明日、長門さんが情報統合思念体と接続できた時を狙って治してもらいます」
そうだな、そんな手をハルヒに見せたら大騒ぎするに違いない。
あいつの事だ、宝探しを中断してでも古泉を医者に連れてゆこうとするだろう。
そしてこの館付近から遠ざかる事が出来ない事に気がついて…。
その時は吸血鬼よりも世界の崩壊を気にしなきゃだめだろうな。
「あの、もう大丈夫です」
後ろから朝比奈さんがおずおずと声をかけてきた。

393 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/26(木) 00:14:18.50 ID:U2O3IUgo

振り返ると長門も先ほど脱いだ服を着て朝比奈さんの隣りに立っていた。
「武器が減った」
長門の一言に慄然とした。
そうだ、古泉と朝比奈さんのナイフは折られて長門のナイフは吸血鬼の脇腹に刺さったまま持って行かれたんだった。
残る武器はハルヒと俺のナイフだけだ。
ハルヒを戦いに参戦させるわけに行かない。
となると必然的に俺の持っているナイフのみで吸血鬼を倒さねばならない。
とどめを刺せる武器が唯一とは…。戦局が不利になった実感をひしひしと感じてしまう。
「今もう一度襲われたら全滅ですね」古泉がいつもの口調で言う。
古泉の言葉に朝比奈さんがしおれてしまった。
「ご、ごめんなさい、私がナイフを折られなければ…」あ、泣きそう。
「いえ、朝比奈さんが命がけで行動してくれたお陰で僕は殺されずにすみました。朝比奈さんのとった行動に間違いはありませんよ」
「そうですか。ありがとうございます。お見苦しい姿を晒してしまって」真っ赤になってうつむく。
いえいえ、見苦しいとはまったく対極の麗しく凛々しいお姿でした。
「僕の方こそ戦略を間違えました。確実にとどめを刺せるようにと思い、ある程度弱らせようとしたのが失敗でした」
「今夜はおそらくもう襲って来ない」
長門が言う。そうかほっとするぜ。
「ただし明日の夜は再び襲ってくる」
長門が言う。そうかぞっとするぜ。
「襲われない方法が一つだけある」

394 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/26(木) 00:16:12.03 ID:U2O3IUgo

なんだ?十字架でも作って館の周りに立てるのか?それともにんにくのお守りでも持つか?
「私たちがY染色体の情報を受け取ればいい」
・・・
・・

全員の時間が止まってしまった。
あー、何と返事していいのか分からんが、とりあえず絶句かな?
つまり長門が言うにはあれだろ?俺と古泉が女性陣と・・・すればいい、という事なんだろうけど。
思わず長門と朝比奈さんと古泉の顔を見比べてしまう。いや、誰が誰と、なんて考えてないぞ。ホントに。
「情報統合思念体との接続が断続的な現状では最も確実な方法」
そりゃそうかもしれんが…はいそうですかと返事はできねえよ。
「確かにこの拳とナイフを失った今ではその方法が確実ではあるのでしょうが…」
さすがに古泉も及び腰になっている。
それにハルヒはどうするんだ?あいつと、その、あれだよ、ほら、そんなことになるなんて無理だろう?
「涼宮ハルヒは私が眠らせた。日が昇るまでは眠っている」
よけ悪いわい。眠っているのをいい事に無理矢理なんて本人の意思が全く尊重されていないぞ。
「そう」
「とにかく明日の夜までは時間があるんです。その案は最終手段にしませんか?」
朝比奈さんが真っ赤になってこくこくとうなずいた。
「情報統合思念体と接続できたときにもう一度治療してください。その治り具合をみてから考えても遅くないでしょう?」

395 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/26(木) 00:16:44.56 ID:U2O3IUgo

そうだな、今日はとりあえず寝ようか。
俺たちは妙にぎくしゃくした雰囲気になりながら再びそれぞれのテントにもぐり込んだ。
ふうー、色々と参ったぜ。
「特に長門さんの案に参りましたね」
まあな。
「仕方が無いとはいえ関係を持ってしまったらSOS団内の人間関係がこれまで通りとはいかないでしょうから、出来れば避けたい案ですね」
そりゃそうだ。勘のいいハルヒの事だ。何か特別な事があったなんてすぐに気がつくだろうしな。朝比奈さんなんて嘘がつけなそうだし。
「しかし、そうしないと全員死ぬとなれば、考えなければいけない案である事も事実です」
…とりあえず寝ようぜ。その事を考えているとおかしくなりそうだ。
「判断の先送りはあまり感心しませんが、今は賛成しますよ。いささか疲れました」
そう言って古泉は大きく息を吸いため息のような吐息をついた。
すぐに呼吸が寝息にかわる。お疲れさん、とりあえず今日は大丈夫らしいからゆっくり寝てくれ。
俺はほとんど活躍することができなかった自分を歯がゆく思いながら寝袋の中で寝返りをうった。
しかし本当に明日はどうする?
何の打開策も思いつかないまま俺もいつのまにか意識が睡眠の海に埋もれていった。

405 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/27(金) 01:02:24.35 ID:.Qsy5Oso

---------------------------------------------------------------------------
3連休の第2日目。
「二人ともいつまで寝てるの、起きなさい!!」
ハルヒがテントに侵入して来てがなり立てた。
うぅ、意識が無理やり覚醒される。朝っぱらからハイテンションで怒鳴られるとかなりキツイな…。
古泉も当たり前だがダメージが抜けきっていないようでゆっくりと頭を振りながら寝袋から起きだした。
「おはようございます」
男二人してのそのそとテントの外に這い出る。
うぉ、どこだここ?
一面真っ白だ。テントのまわりは遠近感はおろか方向感覚すらもなくしてしまいそうな白い世界に取り囲まれていた。
霧だ。
濃霧という言葉でも追っ付かない程の濃い霧。標高の高い山とかではガスとか言うらしいがそのレベルも超えてるんじゃないか?
有効視界距離は10メートルあるかないか。
館だってすぐそばにあるはずなのにぼんやりと霞んでいる。昇っているはずの太陽の位置も分からない。
今いる場所から離れたら冗談抜きで遭難できるな。
「もうみくるちゃんと有希とあたしで朝ご飯作ったんだからね」
「お手伝いできずにすみませんでした」
うむ、悪かったな、ありがたくいただきます。
「うまく出来たかな?お味噌汁とご飯と卵焼きです」
朝比奈さんと長門が湯気の出ているマグカップと料理の乗った紙皿を渡してくれた。

406 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/27(金) 01:02:43.04 ID:.Qsy5Oso

おお、純和食がいただけるとは思いませんでした。
長門が古泉にマグカップを渡す時に古泉の手の上に手を重ね合わせて何やらつぶやいた。
「ありがとうございます」古泉がお礼を言う。
長門の手がどかされると古泉のぼろぼろだった手が元通りになっていた。
便利なもんだ。しかしちゃんと中のダメージまで取れたんだろうな?
「ものすごい霧ですね」
古泉がみそ汁を一口すすってから、感心したように周囲に首を巡らせた。
「朝起きた時にはもうこんなに霧が出てました。怖いけど…なんだかちょっと幻想的ですよね。まるで世界がここだけになったみたい」朝比奈さんが楽しそうに言う。
いや、それかなり怖い想定ですから。
俺もこれがただの自然現象ならすごいなーで済ませられるのだが、そうでない可能性が否定できないからこの霧を不気味に感じてしまう。
これがヤツが起こした現象だとしたら…何を狙ってる?
俺たちをここから出させないというなら閉鎖空間だけで十分だったはず。そこからさらに視界を奪うとなると…。
絶対に逃がさないという意気込みの現れ?なわけないよなぁ。
どうも頭に栄養が回ってない、とりあえず食おう。
「これだけ霧が濃いとテントも装備も湿っちゃうわね。館の中に運び込みましょう」ハルヒが言った。
なるほど、そういうことか。
より自分の陣地に招き入れるためだったか。
確かに館の周りにこれだけ濃い霧を作っておけば一旦館に入ったらそこから出ようとは思わないもんな。
卵焼きをかじりながら古泉の方を見る。
うなずいた。

407 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/27(金) 01:03:02.74 ID:.Qsy5Oso

同じ事に気がついたらしい。
やれやれ、ますます逃げ出しにくくなってきたな。
「さぁ!荷物を運び込んで地下室捜索の続きよ!」
俺たちが食べ終えるのを待ち構えていたハルヒが言った。
俺と古泉でホールの端に全員の荷物をまとめる。
窓から外に目をやると一面真っ白。雪の中に埋まったような感じだな。
荷物の中から古泉が超音波探査装置を持ち上げた。
「地下室の下にさらに地下室がないか調べましょう」
俺はせっかく持ってきたのに使わないのはもったいないと思い、ガイガーカウンターを手にした。
長門が再び柱の隠しレバーを引く。

バァン!

隠し扉なのになぜこんなにでっかい音がでるんだ?知ってても驚くぜ。
階段を降りてぎょっとした。
棺おけの蓋が閉まってる!
「あれ?キョン、あんた閉めた?」
あんな縁起の悪いもんにさわった覚えはないぞ。
「ナイフの用意を」古泉が装置をおろしながら俺にささやく。
ガイガーカウンターを朝比奈さんに渡し、ナイフを抜く。

408 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/27(金) 01:03:39.40 ID:.Qsy5Oso

長門を見る。「切断中」
古泉が浅く腰を落とし軽くこぶしを握る。
「あれ?この!しっかり閉まってるわね。キョンあんた手伝いなさい!」
恐れを知らぬ愚か者が無謀にも開けようとしているな。
俺は棺おけに近づいてナイフ片手に蓋に力を入れた。

ぎ………………

蓋が少し持ち上がった。
「えーいっ!」ハルヒが力をこめる。全員の視線が棺おけと蓋の隙間に集中する。

ぎ……ぎ……

棺おけと蓋がわずかに離れた。隙間から煙のようなものが流れ出した。ん?これは霧?しかも黒!

ぎぎぎぎ……!

一気に持ち上げて反対側へ蓋を倒す。
ぶわぁ…
黒い煙が棺おけの内部から外へあふれ出す。黒いドライアイスみたいだな。
「何これ?」さすがのハルヒも一歩引いた。
ががががががががが!
突然朝比奈さんの持っていたガイガーカウンターが猛烈に反応し始めた。
「放射性反応です!いったんロビーへ!」
古泉が叫び全員が地下室の階段を駆け上った。

423 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/29(日) 04:21:14.12 ID:Von4TVso

階段を上りきった所で全員が地下を振り返る。
ガイガーカウンターは沈黙した。
「何だったの今の?」
「地下の岩盤の隙間から放射性物質が湧き出たのでしょう。一時的な間欠泉のようなものです」んなわけあるかい。
ハルヒの問いに答える古泉に思わず突っ込みそうになる。
そういえば館に近づくときに不自然に伸びた影があったな。
あの霧のような状態が吸血鬼の昼間の姿なのか?
昼間に吸血鬼の姿でいるならナイフも使えたのだろうがあれじゃ暖簾に腕押しぬかに釘。
霧にナイフで切りつけてもダメージは与えられそうに無いな。
くそ、どうしても夜に決着をつけないといけないわけか。
「みくるちゃん、かして」
ハルヒが朝比奈さんからガイガーカウンターを受け取り前に突き出しながら階段を下りる。
こいつには躊躇とかためらいとかないのかね?
がり……………がり………………
当然かもしれないがガイガーカウンターは反応しなくなっていた。
「さすが奇人の館ね。面白いことが起きるわ!」
俺にガイガーカウンターをぽいっと放り投げハルヒは嬉しそうに言った。
「おい、ハルヒこんな危なっかしい事が起きたんだ、ここは」「徹底的に探すしかないわね!!」
俺の意図とまったく逆のことを言いやがった。
「さあみんな!壁から床からしらみつぶしに探すのよ!!」

424 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/29(日) 04:21:32.94 ID:Von4TVso

何にも見つけたくねぇなぁ、おい。
古泉は超音波探査装置とやらを持ち上げ床を調べ始めた。
長門と朝比奈さんは空の本棚を調べ始めた。
「キョン!あんたも探しなさい!」
仕方が無い、俺は一応探す振りをするために地下室に唯一あった椅子に座り、机の引き出しを上から順番に開けてみた。
当たり前だが何も無かった。
一番下の引き出しを閉じたときだった。
「きゃー!!!」朝比奈さんの悲鳴!
振り返ると朝比奈さんの姿が無い!
「みくるちゃん大丈夫?!」ハルヒが右手の本棚に駆け寄り声を掛ける。
『ふにぃ〜、痛いけど大丈夫ですぅ〜』くぐもった声で返事が聞こえる。
「みくるちゃん、ちょっと離れて」
ハルヒがそう言って本棚に手を掛けて引っ張った。
どんでん返しのように本棚の一部が回る。
奥で朝比奈さんが頭をさすりながら心細そうに立っていた。
「ライト!」ハルヒが伸ばした手に古泉がライトを置く。
ハルヒが奥へ入っていった。
全員がつづく。
自然石がむき出しの長い部屋だ。
その中にいわゆるアンティーク家具とよばれるような調度品が山と詰め込まれていた。

425 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/29(日) 04:21:49.17 ID:Von4TVso

「うーん、金と宝石で出来た王冠や、ロシア王朝の4大秘宝の5番目とかがあると思ってたのに」
もはや突っ込む言葉すら出てこないぜ。
「あ、これ部室であたしの椅子にしよっと、キョン運び出して」
立ち直りの早いヤツ、しかも人使いの荒いヤツ。いつものことか。
俺はハルヒが目をつけた装飾のごたごたした椅子を持ち上げた。
「まさかこの家具全部持ち出せとか言うつもりじゃないだろうな」
「当たり前じゃない、夕方までに全部上に上げるのよ」
あのなぁ夜には吸血鬼と殺し合いをしなきゃならんのにこんな事で体力を使いたくないぞ。
調度品の中にベットがあるな。くそ、いっそのこと…。
長門案を安易に選択しそうな気分になった。いかんいかん。
古泉が困ったような笑い顔でこっちを見ていた。
「俺は何も考えてないぞ」
「僕も何も言ってませんよ」
「決断するなら早めがいい」長門が後ろからささやいた。
俺ってそんなに顔に出やすいか?
---------------------------------------------------------------------------
古泉と二人で全ての調度品をホールに運び終わった時には昼なんてとっくに過ぎた頃だった。
運んだ調度品の中に全てが曲線で作られた木製のベンチがあり俺と古泉はそれに座り込みぐったりした。
「二人とも元気出しなさい!これで殺風景な部室も賑やかになるわ!」
ばかたれ。お前がごみと備品の境界すれすれのものを持ち込みまくってるあの賑やかな部室にこれ全部入れたら床が抜けるぞ、抜けなくても人の立てるスペースがなくなるわい。

427 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/29(日) 04:22:07.67 ID:Von4TVso

ホールに円形に並べられた数々の調度品たちはアンティーク家具の見本市といった風情をかもし出している。
ハルヒは大喜びで朝比奈さんをベットに押し倒して悲鳴をあげさせていた。
「ハルヒ、腹が減ったぞ」
ベットで朝比奈さんの胸を揉みながら耳に噛み付くというなんともうらやましい事をしているハルヒに声を掛ける。
「あたしも減ったわ」
昼飯は作ってない、と。
もう文句を言う気も動く体力もねぇ。俺は天を仰ぎ見た。あー天井だー。
「食べて」
長門の声で俺は首を戻した。
焼きそばが山盛りになった紙皿を二つ持って長門が立っていた。
「ありがとうございます。いただきます」古泉が受け取る。
「助かるぜ長門」俺も礼を言って受け取った。うは、具がざく切りキャベツだけとは長門らしいな。
「あ!有希あたしにもちょうだい!」
こくりとうなずくと長門は外に出てゆき、同じようにやきそばが山盛りになった紙皿を器用に3枚持ってきた。
ハルヒと朝比奈さんが受け取る。
「さっすが有希!手回しがいいわね!」お前がはしゃいで飯の準備を忘れてただけじゃ。
「あ、あの、ごめんなさい、お手伝いしなくて」「いい」
「いただきまーす」全員で食べ始めた。
重労働の後の飯は何でこんなにうまいんだ。
「おいしい!」重労働をしていないハルヒも賞賛しているところを見ると純粋にうまいんだな。

428 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/29(日) 04:22:26.43 ID:Von4TVso

しばらく俺たちはアンティーク家具に囲まれながら長門のやきそばを楽しんだ。
ふぅーごちそうさん。
食べ終わって窓の外に目をやる。やはりまだ霧は出ている。濃さは相変わらず。
「さあ!さらに奥を探すわよ!」
こいつは鬼だ悪魔だ吸血鬼だ。
「キョンとっとと探しなさい!」鬼より怖い団長にケツをこづかれながら再び地下室にやってきた。
それから全員ライトを手にして地下室と石部屋をくまなく探したのだがこれ以上隠し部屋はなかった。
「ま、これだけでも収穫よね!」
ようやく現状に満足したらしいハルヒがそう言ったのはそろそろ夕方から夜になりかけている頃だった。
「ずいぶん時間がかかっちゃったけど、今日はお宝発見パーティーよ!」
前半部分の台詞が妙に引っかかるな、お前が手伝えばもっと早くなったとは思わないのか。
とりあえず全員で外のかまどで料理を始める。
基本的にキャンプでは焼くと煮るしか出来ないから出来る料理も限られるだろうと思いきや、SOS団の女性陣の料理の腕前は天井知らず。
かなりの悪条件だと思うのだが作られる料理はかなり凝ったものまで出てきた。
ご飯をメインにしてチャーハン、リゾット、野菜スープに卵スープ、ナスと肉の味噌煮込み、ジャガイモとにんじんのソテー、等々。
よく調味料を持ってきたなと感心する。
ホールにあった大きなテーブルを真ん中に移動してその上に数々の料理を並べた。
各自適当に古風な椅子を引きずってきて着席した。
「ほら!もう役に立ったじゃない!」ハルヒが俺に向かって勝ち誇った。もう俺の負けでいいよ。
「ではSOS団のお宝発見パーティーをここに開催します!かんぱーい!」

429 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/29(日) 04:22:46.66 ID:Von4TVso

「乾杯!」全員水で乾杯する。
とりあえず近いところにあった料理に手を伸ばす。
うまい…!
朝比奈さんがどきどきしながらこっちを見ている。
「おいしいです」
「あ、お粗末様です」座ったままぺこりと頭を下げる。ああ、麗しい。
「まずいなんて言ったら承知しないからね!」いえねぇ、恐ろしくていえねぇ。
しかしそんな心配は無くとにもかくにもどれもこれもうまくて俺たちは舌鼓を打ちながら色々な皿に互い箸を伸ばした。
「あ!キョン!そのジャガイモ遠慮しなさい!あたしが食べようと思っていたのに!」
「弱肉強食だ、もう口に入れたからあきらめろ」もぐもぐ。
「このー!」ハルヒが俺の皿に神速で箸を伸ばした。
「あ!人の取り皿からとるのは反則だろう!その鶏肉吐き出せ!」
「もう飲み込んだからあきらめなさい!」
てめ、よく噛みもしなかっただろう、味わいもせずに飲み込みやがって、肉だって俺にじっくり味わって欲しかったに違いない。
「あの、私のでよかったらどうぞ」朝比奈さんがにっこりとご自分の取り皿を差し出してくれた。
そこには俺の食べ損なった鶏肉の甘辛煮が乗っており「わるいわね」ハルヒが食った。
「あー!」本気で声を上げちまった。
「うーんおいしいわ!」ものすごい笑顔をみせられた。結構に腹って立つもんだな。
くそー、本気で長門案を採用してやろうか。
古泉をちらりと見る。

430 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/29(日) 04:23:09.65 ID:Von4TVso

「僕は何も言ってませんよ」
「俺も何も考えてねぇ」
「だからあんた抜けてるのよ」
ほんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ気で採用してやろうか。
俺とハルヒだけ大騒ぎしていたような気もするが宴会だか食べ合いだかよくわからない催しも夜が更けた頃にはお開きになった。
「今日は外じゃなくてこの中で寝たほうがよさそうね」
ハルヒの指定で2階の左側、一番奥が女性の部屋、その隣が男の部屋になった。
部屋の前の廊下からホールを見下ろしながらハルヒに言った。
「ハルヒ、お前これ本気で全部持って帰るつもりか?」
「当たり前じゃない」
「どうやって持って帰るか方法とか考えてるのか?」
「何とかなるわよ」
考えてねぇ、絶対に考えてねぇ。
「じゃ、おやすみ!」
ハルヒはそう言って朝比奈さんを引き連れて奥の部屋に入っていった。
廊下に残った長門がいつも通りの無表情な顔で言った。
「午前2時に敵はやってくる。だから決断するなら少なくとも0時までに部屋を尋ねて来て」
言われて吸血鬼との対決が迫ってきているのをあらためて思い出す。
長門がくるりと背を向けるとすたすたとドアの前まで歩いてノブに手を掛けた。
止まってこちらを見る。
「待ってる」
バタン。

431 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/29(日) 04:23:23.89 ID:Von4TVso

え?お誘い?
俺と古泉は隣の部屋に入った。
当たり前だが寝袋に入るような事はしない。
時間は23時を過ぎている。長門の言ったタイムリミットが迫ってきた。
俺は寝袋を枕にして天井をにらんでいた。
古泉は壁にもたれて座っている。
どちらとも何も言わない時間が過ぎる。
「古泉…杉田さんが別れ際に言ってた事覚えているか?」
色々と考えた挙句、俺は考えを口にした。
「はい、女を守るのは男の仕事、でしたね」
「その…長門の方法は守るように見えて、いや一時的に守る事にはなるんだが、本質では傷つける事になる気がする」
古泉に決断を告げる。
「すまないが…死ぬことになるかもしれんが、俺に付き合ってくれ」
「お供しますよ」いつものスマイルが、いつも通りなのが妙に頼もしい。
俺と古泉はどちらからというわけでもなく拳を握り、ごつ、と一回ぶつけ合った。
時刻は0時を回った。

440 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/30(月) 02:14:40.31 ID:E.kZHREo

長門が予告した襲撃時間まであと1時間を切った。
「そろそろ部屋の外で待機しようぜ」俺は立ち上がった。
「そうですね」古泉も立ち上がる。
「これお前が持っていた方がいいんじゃないか?」俺はそう言ってナイフを出した。
「しかしそれではあなたの身を守るものが無くなります。涼宮さんの安全も重要ですがあなたの安全も同レベルに重要なんですよ」
そらどうも。あまり重要人物扱いされても居心地が悪いな。
「僕は吸血鬼の動きをなるべく封じるようにします。とどめはあたながさして下さい」
「わかった」
俺たちは部屋の外へ出た。
どうやら、外の霧は晴れたらしい。昨日と同じようにステンドグラスから月明かりがホールに差し込んでいる。
ホールに浮かび上がっているようなアンティーク家具が物言わぬ群集のようにその影を床に斜めに伸ばす。
「ゴングです」古泉が言った。
突然ホールの床がまるでエレベーターのように沈み始めた。見る見るうちに遠ざかり暗闇の底に消えてゆく。
不思議なことに階が増えてゆく。ここはいったい地上何階になったんだ!?
天井も伸び上がりはるかかなたへ消えていった。やはり階数が増えてゆく。
右の壁も左の壁も猛烈な勢いで遠ざかり視界から消えた。遠ざかりながら扉が増えてゆく。
対面も遠ざかり暗黒に消えて行った。目の前に暗黒が広がった。
廊下の手すりから身を乗り出して上を見上げた。同じ手すりの平行線が延々と続き悠久の暗闇に溶けている。
下を見下ろす。同じく無限の同階層が連綿と積み重なっていた。
右を見ても左を見ても同じ風景。永久に続く扉の数々。これだけで精神的なダメージがあるな。

441 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/30(月) 02:15:01.37 ID:E.kZHREo

「これは驚きですね」
全くだ。
周囲の風景に驚いていた古泉だが、はっとしたように俺たちが出てきた扉を開けた。
「よかった、僕たちのいた部屋です」
古泉はそう言って部屋の中から金属製のマグカップとライトを持ち出してきた。
ひょいっと手すりの向こうに放り投げる。
くるくると回転しながらマグカップが落ちてゆく。それをライトの明かりが追う。
落ちてゆく…落ちてゆく…落ちてゆきますな……落ちていってしまいましたな。ついに明かりが届かなくなった。

………。

待っていても底に落ちた音がしない。
「ずいぶんと不利な状況になりましたね」古泉がライトの明かりすら届かない底なしを見下ろしながら言った。
落ちて死ぬのではなく永遠に落ち続けるってどんなもんだろう?永遠に暗闇を落ち続ける…。絶対に避けたい人生のエンディングだな。
「隣の部屋がちゃんと隣の部屋のままか確認しましょう」
古泉がハルヒたちが入った部屋の扉をノックした。
がちゃり。ほっ、いたか。
長門が顔を出した。「涼宮ハルヒは眠らせた」
朝比奈さんが続いて出てきて周囲の状況を見ると目を丸くした。「うわぁ広いですね〜」
「ご覧の通りの状況でして」

442 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/30(月) 02:15:22.22 ID:E.kZHREo

長門が扉を背にして暗闇を指差した。
「お出まし」
長門の指差している方向を見つめた。何も見えない。
ゆっくりと赤い二つの光が見え始めた。
どうやらこの館のご主人様は空中を歩いてこちらにお近づき遊ばされているらしい。
どこから入ってきているのか分からない月明かりの中に全身を現した吸血鬼は空中で立ち止まった。
長門と朝比奈さんを見ると、きゅうっと口の両端がつりあがり牙をむき出した。
「部屋に!」古泉が二人を押し込むように部屋へ入れて背中で扉を閉めた。
ばたん!
その音を合図にしたかのように吸血鬼は古泉めがけて一直線に飛んできた。
古泉が右ストレートを吸血鬼の喉めがけて放った。
「ぐげぇ!」
呼吸器官はさすがに効くらしい。バサリと外套を広げるといったん空中に戻った。
古泉の隣に俺も立ち、ナイフを握り次の攻撃に備える。
何を思ったか吸血鬼は俺たちの何階か下の階の廊下に降り立った。
バタン。
音から判断するに…部屋に入った?
古泉と顔を見合わせる。何のために?
バタン。
上の階から音がした!

443 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/06/30(月) 02:15:33.92 ID:E.kZHREo

バタン。左から音がしたぞ!
バタン。右に現れた!
俺たちのいる階の右側の何番目かはわからないがそこから吸血鬼が出てきた。
古泉があっという間に距離をつめて殴りかかった。
ぶん!こぶしが空を切る。
吸血鬼がふわりと消えた。
古泉がこっちを振り返り叫んだ。「伏せて!」
瞬時に何が起こったか理解して俺は前に飛び伏せた。
古泉が俺の上を跳び越しながら蹴りを放った。
「また幻です」俺の後ろに立った古泉が言った。
バタン。またどこかで扉の閉まる音がした。
「今更ですが長門さんの案を採用しなかったことに少し後悔しますね」
同感だ。
俺と古泉は守るべき扉の前で背中を合わせながら冷や汗を流していた。
バタン。
扉の閉まる音が近づいてくる。

480 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/02(水) 08:07:51.31 ID:wmM.QRQo

バタン。
俺たちの真上のドアが閉じた。
天井をにらむ…。
無音の時間が過ぎる…。
バタン。
今度は真下のドアだ。意識を上下に揺さぶられ、ぎくりと体がすくむ。
再び無音の時間。手すりの根元、廊下の縁に目が行く。
俺たちが完全に自分の手中にあることを実感させる気か。くそっ緊張で神経が磨り減る。
「ガァアアア!!!!」
上から襲ってきやがった!
「うわぁああ!!!」反射的にナイフを突き出す!
古泉も拳を突き出した!
消えた!また幻だ!
ドン!!真横からものすごい衝撃をくらい俺と古泉は同時に吹っ飛ばされた。
衝撃で廊下を数メートル転がりすべる。
古泉と同時に立ち上がり吸血鬼に向かって走る。くっ!左肩が!
古泉が思い切りかがみこんで下からわき腹に拳を走らせた。長門のナイフが刺さった場所だ。
「がっ!」吸血鬼の口から黒い血が飛び散る。完治はしてないらしい。
俺は心臓めがけてナイフを突き出した。しかし俺がナイフを突き出す速度よりも速く吸血鬼が後ろに飛び下がった。
下がった吸血鬼がすぐさま近くの扉に入った。

481 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/02(水) 08:08:23.39 ID:wmM.QRQo

バタン。
「これを連続でやられると…」
「精神的にかなりきついですね」
いつ本物がくるか分からない恐怖に加え、その考えがあるから幻でも攻撃せざるを得ないという緊張。
ぶっちゃけこれを長時間やられたら体力よりも気力が先に萎えて…殺られる。
くそっ!自分の行く末を自分で予想してしまったことに背筋が凍った。
どこかで打開策を見つけないと本気でヤバイ!
痛められた左肩が心拍数の上昇を告げる。ズキン、ズキン、ズキン…!
「どうする!?」
「どうしましょうか?」
背中越しに聞こえる古泉の声にも余裕が無い。
バタン。
どこかで扉の閉まる音がした。
その音に神経が縮み上がるのが無性に腹が立つ。
「くそぉ!」
「落ち着いてください。敵の術中にはまります」
「分かってる!」
分かってはいるのだが俺は怒鳴り返してしまう。
バタン。
焦りをあざ笑うかのようにまたどこかで扉が閉まる。

482 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/02(水) 08:08:42.10 ID:wmM.QRQo

くそっくそっくそぅっ!!!!!
バタン。
右の扉が閉まる。
バタン。
左の扉が閉まる。

沈黙の時間。神経がガリガリと音を立ててすり減ってゆく。
廊下の暗黒から吸血鬼がものすごい勢いで牙と爪を尖らせながら俺に向かって来た!
「っ!!」
半分以上恐怖でナイフを突き出す。刃が届いたと思ったらまた消えやがった!
「消えました」古泉にも同じことが起こったらしい。
「ぐっ!!」古泉の漏らした苦痛の声に思わず振り返る。
吸血鬼が古泉の足首に喰らいついていた!古泉が上から拳を叩き下ろす。
ドン!古泉の拳が廊下を叩いた。
あっという間に吸血鬼は暗闇に溶ける。
バタン。
突然俺たちの守るべき扉が開いて驚いた。
そして下着姿の長門が立っていてなお驚く。
「私を狙うのが本物」
突然正面の暗闇から吸血鬼が音も無く長門に襲いかかった。

483 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/02(水) 08:09:00.71 ID:wmM.QRQo

吸血鬼に押し倒され長門の伸びた素足が宙に跳ね上がる。
考えるよりも早くその背中に飛び込むようにナイフを突き立てた。
刺さると思った直前、またしても避けられた。
刃の先には長門が倒れており我ながらすばらしい反射で刃先を外した。
刃先は逸らしたが体はそのまま倒れている長門の上にのしかかってしまった。
「…」長門が俺の下で目線をそらして腕を組んでいる。
よく見たら腕を組んでいるのではなかった。
ブラがずれてしまっており胸のふくらみを両手で隠していたのだった。
「す、すまん」
俺は慌てて体を離した。
長門も片手で胸を隠したまま上半身を起こす。
「伏せて」
反射的に頭を下げる。
俺の髪の毛を数本引きちぎりながら長門の蹴りが飛んだ。ドスゥ!蹴り飛ばした音がする。
座った体勢からの蹴りだった為に長門が蹴り足を伸ばしたまま俺の頭の上にお尻を落とした。
長門のお尻に後ろ頭を押さえつけられておでこを床にぶつける。
「いて!」やわらかい!
相反する感覚に脳内が驚いた。
「失態」
長門がそう言って俺の頭からお尻をどかして立ち上がる。

484 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/02(水) 08:09:17.35 ID:wmM.QRQo

俺もあわてて立ち上がった。
長門が俺に背中を向けてブラをつけ直す。
その向こうから赤い目と牙がものすごい勢いで迫って来た。
ブラを止めようと背中に両手を回していた長門の首すれすれにナイフを突き出す。
「ぐぎゃぁあああああああおおおおお!!!!!」
吸血鬼の大きく開いた口の中にナイフが深く刺さった。
叫びとともに俺の手首に牙が切れ込み傷が無数に走る。くっ!!!
びしゅん!!!
ものすごい風切音と共に俺の耳の横を古泉の拳が通り過ぎ吸血鬼の顔面を直撃した。
吸血鬼が後ろにふっとび俺は右手首を押さえ込んでナイフを落とした。
手首までべっとりついた黒い血を押しのけるように赤い血が湧き出てくる。
ウィルスの注入なんてされてないだろうな。
痛みをこらえて左手でナイフを拾う。
「ぐっ…!」
長門が背中にくるように移動する。
古泉もそうしたのが気配で分かる。
二人で長門を背中で挟みガードしながら攻撃に備えた。
背中越しに声を掛ける。
「古泉、傷の具合はどうだ?」
「正直あまりよくありませんね。足の動きを封じられました。そちらの具合は?」
「右手を封じられた」
放っておいて治るような傷ではないらしく手首から流れ出した血が肘につたわり垂れている。
おそらくじっくり見ていないが古泉も似たような状態だろう。

492 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/02(水) 20:34:46.74 ID:jUnaPSYo

「吸血鬼にもダメージは与えています。今の一撃はお見事でした」
そらどうも。けどこのままじゃ俺たちの血は流れ出る一方だな。
「そうですね短期決戦が望ましいのですが…」
古泉は最後の言葉を濁したが何を言おうとしていたのかは分かる。
このまま時間をかけられると不利になり続けるのはこっちだ。
エラー吸血鬼にもそれくらいの知恵は働くのかドアの音がしなくなった。
待っていればいるほど状態は悪くなる。
長門が後ろから手を伸ばしてきて俺の傷口に触れた
痛みが少し和らいだ。心無しか流れ出る血も少なくなった気がする。
「すまないな」「いい」
かがみ込んだ長門が同じように古泉の血まみれになった足首に手を伸ばした。
「助かります」「いい」
長門のおかげで多少俺たちの持ち時間は延びたがそれでも戦況をひっくりかえす程ではない。
時間をかけられたらいっそう不利になり続けるという事実は変わっていないのだ。
「こちらから仕掛けられないというのがツライですね」
古泉が言う。
俺は左手でナイフを逆手に持ち右手を添えた。
「ヤツの巣のど真ん中だからな」
バタン。

493 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/02(水) 20:35:02.98 ID:jUnaPSYo

長門が部屋に入っていった。
なんだ?突然の行動に毒気を抜かれる。
すぐに出て来た。うわぁ。
下着姿の朝比奈さんを引き連れてる。
出て来るまでの時間を考えると朝比奈さんも下着姿で待機していたみたいだ。
「あ、あんまり見ないで下さい」もじもじしてたが俺と古泉の傷に気がつくと顔が蒼白になった。
「二人とも大丈夫ですか!絆創膏ありますけど使いますか?」
絆創膏じゃ多分この出血はとまりません。だけど…。
朝比奈さんの必死なおとぼけぶりに少し余裕ができた気がする。
「ありがとうございます、朝比奈さん」
「はい、助かりました」古泉も同じ心境だったようだ。
「え?え?なんですかぁ?」意味も分からずお礼を言われて頬に手をあてて困惑した。
俺と古泉は朝比奈さんと長門を背中にして暗闇に向き直った。
(女を守るのは男の仕事、か)
俺はもう一度自分に言ってみた。
だれも何も言わない時間が過ぎる。
朝比奈さんのフェロモンにも誘われて出て来ないとなると、もしかしてさっきの一撃で倒せたのか?そんな楽観的な考えが頭によぎった。
「ひっ!」背中から朝比奈さんの引きつった悲鳴が聞こえた。
慌てて朝比奈さんを確認する。

494 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/02(水) 20:35:19.83 ID:jUnaPSYo

朝比奈さんは恐怖で引きつった顔で長門はいつも通りの表情で正面の暗闇を見つめていた。
二人の目線の先、広大な暗闇にいつの間にかヤツが浮いていた。
距離は離れているが脇腹と口からかなり大量の黒い血を流しているのが見て取れる。床があれば滴るぼたぼたという音が聞こえているかもしれない。
傷は確かにひどい、しかしその傷はヤツにとって大したものじゃないのか?
吸血鬼が口の両端をゆっくりとつり上げる。
ぎぎぎぎ・・・
そんな幻聴が聞こえそうだ。暗闇に妙に白い歯が不気味に光る。
俺は長門の前に立つ。古泉が朝比奈さんの前に立った。
腰を落として突然の動きにも対応できるように構える。
「あと何発くらいパンチは打てそうだ?」
「全力で…せいぜい10発ですかね」弾数は残り少ないか。俺も片手をやられているし、まいったねこりゃ。
ヤツがゆっくりとこちらに向かって歩き出した。一直線だ。
空中を歩いているので足音は聞こえないが、ゆっくりとした歩調を刻んでいる。
近づきながら両腕を大きく広げはじめる。
引きつったように曲げられた指先が5本とも俺と古泉の顔面を狙っている。
どうやら獲物を直接狙う前に邪魔者を排除する事に決めたようだ。
視線のまっすぐ延長線上に鋭い爪が5本俺に向いている。狙われているという実感が背筋を凍らす。
すー…吸血鬼が加速し出す。
来る!!
思った瞬間には俺の目の前に不気味に尖った牙が俺の顔面直前にあった。

495 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/02(水) 20:35:47.05 ID:jUnaPSYo

俺狙いだったか!本能的に顔を両腕でガードする。
がちゅう!!!
俺の右肘に噛み付きやがった!
そのまま飛びつかれた勢いでドアの並んでいる壁をかなり引きずられ床に押し倒された。
それでも俺の肘を離さねぇ!サメかお前は!
噛み付いたままヤツが立ち上がり俺は無理矢理引き上げられた。
「ぐぁあああ!!!!」傷口になおも加えられる痛みに悲鳴が出る。
それでも逆手に持った左手のナイフをヤツに突き刺そうと振り上げたがその腕を吸血鬼が万力の様な力で握ってきた。
ものすごい握力にさらに力が加わり俺は振り上げたままナイフを落としてしまった。俺の後ろにナイフが落ちる。
どうん!吸血鬼の体が大きく震えた。
「耐えて下さい!」古泉が吸血鬼の背中を殴ったらしい。
どがががが!ドン!ドスン!ドドン!
「おおおおおお!!!!」古泉がヤツらしからぬ雄叫びを上げながら殴り続ける。
古泉やめろ!10発が限界とてめえ自分で言ってたろうが!!俺は僅かでも抵抗をと足をジタバタさせる。
「うおおおぉお!!!」
古泉の雄叫びとともに吸血鬼の腹から何か飛び出した!
手だ!古泉が抜き手で吸血鬼の腹を突き破ったのだ。
だかその手の甲の内側から白い骨が飛び出している!俺の為に限界以上に殴り続けたからだ。
ずちゅん!古泉が手を引き抜いた。
さすがに体内を異物が通り抜けては平気でいられないらしい。牙と手が緩んだ。
傷口が広がるのも構わず振り払う。
「ぎゃぁあああああ!!!!」口が自由になった途端叫び出しやがった。
その吸血鬼を古泉が後ろから羽交い締めにした。
暴れ続ける吸血鬼を古泉が引きずる。何をするつもりだ?!
古泉が手すりに片足を掛けた。
ひょいと俺に顔を見せる。
「それじゃ、涼宮さんによろしく」いつもどおりの爽やかスマイル。
「まて!古泉!」
もう片足で勢いをつけて古泉は吸血鬼を抱えたまま手すりを大きく飛び越えた。古泉が吸血鬼を抱えたまま自由落下に入る。
「ばかやろう!」
俺は古泉の後を追って手すりに足を掛け永遠の暗闇に体を躍らせた。

505 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/03(木) 20:41:42.24 ID:vvrwkiMo

俺は手すりを踏みつけた感覚を最後に一切の支えを失った。
圧倒的な存在感をもつ無限の空間が足元に広がり大きく口を開けた。
一瞬の無重力。そして先に落ちた古泉たちに向かい引きずられるように猛烈に加速し始める。
耳元で風がうなりをあげ始めた。
俺は振り返りもせず片手を後ろに伸ばし叫んだ。
「長門!ナイフ!」
落ちてゆく俺の手の中に正確に何かが飛んで来て俺は確認もせず握りしめる。
勿論長門が正確無比に俺の手に収まるように柄を先にして投げてくれたナイフだ。
空中で両手に持ち大きく振りかぶる。力をこめると手首とひじから血が噴出し上に向かって飛び散った。
「古泉ぃ!止まれぇぇ!!!!!」
一瞬でいい!!止まってくれ!!!
俺の足下を先に落ちて行っている古泉が瞬時に意図を理解し目を赤く光らせる。
急速に吸血鬼が足下に迫る。やった!止めやがった!
俺は飛び降りるように心臓めがけてナイフを振り下ろした!「おおおおおおおお!!!!!」
「ぎゃぁああああああ!!!!」
最後の抵抗で吸血鬼が暴れ、この期に及んで俺は心臓を外してしまった。ナイフはみぞおち辺りに刺さった。
くそ!もう一度!吸血鬼を踏みつけナイフを抜く。
バアン!「ぐはっ!!」「ぐぁっ!」
突然下からせりあがって来た何かに思いっきり全身を強打され体が跳ね上がる。
「ぐぅ!……くそっ」あまりの衝撃と痛みに息が止まる。激痛に体をえびぞりにしながらも周囲を確認する。

506 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/03(木) 20:42:04.96 ID:vvrwkiMo

館のホールだ!今の一撃で無限空間が解除されたんだ!
どうやら俺たちはホールに置いてあった夕飯のときに使ったテーブルの上に落ちたらしい。
バラバラになったテーブルの残骸の中に古泉がぐたりと仰向けになっている。
「古泉!」
骨の突き出した血まみれの手を震わしながら古泉がゆっくり2階を指差した。
(守ってください)
「古泉死ぬなぁ!!」
叫びながら俺は足元に落としていたナイフを掴むとなおも階段を平然と登ろうとしている吸血鬼の背中に迫った。
目の端に古泉の腕がパタリと落ちるのが見えた。
「おぉおおぉおおぉおおぉお!!!!!」
半分恐慌状態になりながら階段の中ほどまで上った吸血鬼に追いすがりナイフを突き立てた。
ばっ!外套を翻し吸血鬼がナイフを避け、振り返りざま俺の首を握り締めた。
ぐっ…!!心臓に…!!
ナイフを暴れさせるが首を絞められなおかつ持ち上げられつつある状態ではろくな傷を負わせられない。
足が空をける。
「きゃぁ!キョン君!!」朝比奈さんが叫ぶ。
その声に吸血鬼が反応し2階の廊下にいた朝比奈さんと長門を見据える。
(逃げて!逃げて下さい!!!)手でジェスチャーをする。逃げろ!!
吸血鬼は俺の首を絞め持ち上げたまま階段を上り始めた。
くそっ…意識が遠くなる。ハルヒ…。

507 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/03(木) 20:42:28.55 ID:vvrwkiMo

「ぎゃぁあああああ!!!!」
吸血鬼の悲鳴と共に喉から手が離され俺は階段に転がる。
急激に肺に入ってきた空気にむせこんだ。
「ぼうず、よくやった」
声の人物は直径1メートル程の半円の黒い鉄板を吸血鬼の脳天に叩き込んでいる。
「ふん!」気合と共に鉄板を引くと吸血鬼の頭が左右に避けた。それでも吸血鬼は倒れず何歩か階段を上る。
「おい、大丈夫か?」
山で見た柔和な目がステンドグラスから入り込む月明かりに照らされて俺を心配そうに覗き込んでいた。杉田さん!
「杉田さん…ごはっ!あいつの心臓に、ぐふっ!このナイフをっ!」
「安心しろ、鬼切刃ならこいつも持ってる」
そういって杉田さんは先ほど吸血鬼の脳天に食い込ませた半円の鉄板を月明かりにかざした。
それは鉄板ではなく、のこぎりだった。まるで小学生のとき先生が黒板用に使っていたでかい分度器くらいの大きさがある。
その直線部分に普通ののこぎりの刃とは比べ物にならないほどのでかい刃が並んでいた。
もはや工芸品か博物館の資料室に眠っていそうな代物だ。
杉田さんが、ぶんと音を立ててのこぎりを振りかぶり吸血鬼に向かう。
一番手元にあるもっともでかい鬼切刃がぎらりと嬉しそうに光った。
「ふん!」
階段を上りきり朝比奈さんと長門に迫ろうとしていた吸血鬼の胴体に何の躊躇も無く杉田さんがのこぎりを叩き込む。
「そらっ!」
思い切り引く。吸血鬼の腕が落ち、なおものこぎりは胴体に切れ込む。

508 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/03(木) 20:42:43.78 ID:vvrwkiMo

「ガアァアアアアア!!!!」
吸血鬼が振り向き爪を振った。
杉田さんが咄嗟にのこぎりを盾にする、
ギャリン!!爪がのこぎりに当たりものすごい火花がフラッシュのように飛び散った。
杉田さんは恐れる事無く一歩踏み込みもう一度のこぎりを叩き込む。
「ふん!」
がちん!
片手で吸血鬼がばかでかいのこぎりを受け止めた。
「ぬぅ!!」杉田さんが力を込めると腕の筋肉がこぶのようにふくれあがる。
吸血鬼ががっちりと刃を掴んでいる。
「往生せい!」杉田さんが腰を落とし更に力を込める。
両者とも動いていないが凄まじい力がぶつかり合っている。ぶるぶると震えているのが分かる。
その力の応酬に最初に耐えられなくなったのは…のこぎりだった!
バキン!
吸血鬼がのこぎりを握り割った!

518 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/05(土) 06:00:25.12 ID:6Mkr4J6o

割ったと同時に吸血鬼が片腕で杉田さんを持ち上げ、投げ飛ばす。
杉田さんは2階の反対側の廊下までころがされてしまった。
吸血鬼は切断された腕を拾い傷口と傷口を合わせる。
触手のようなものが湧き出して切断された腕をつなげた。しかし腕の長さが明らかに違う。傷口からはなおも触手が蠢き跳ね回っている。
吸血鬼は自分の左右に切断された頭を外から手で挟み、びちゃりと音を立てて押し付けた。
同じように脳天から割れた傷に触手が蠢く。
そのまま、吸血鬼は朝比奈さんと長門の前に立った。
まずい、朝比奈さんが腰を抜かして長門にしがみついている!
あれでは二人とも動けない!
長門は朝比奈さんを守るように抱えながらも冷静な目で吸血鬼を見ていた。
俺は立ち上がり吸血鬼に近づこうとする。くそっ!さっき階段に落とされたときに足を挫いたらしい。
その横を杉田さんが平然と通り過ぎた。
「ぼうず、最後の仕事だ。いくぞ」
俺に振り向きもせず言葉をかけ、吸血鬼の真後ろに立った。
吸血鬼の襟首と袖を握る。
「ふん!!!」
綺麗な一本背負いを吸血鬼の背中側からかけ廊下の端に投げ飛ばした。
長門と朝比奈さんを背にし吸血鬼の正面に仁王立ちになる。
武器は持っていないが、それだけに堂々たる姿だった。
「おいぼうず、俺が喰われている間にとどめをさせ。できるな?」

519 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/05(土) 06:00:45.06 ID:6Mkr4J6o

死ぬ気か?!
途端に古泉の姿と重なる。
足を挫いたくらいで立ち上がりもしなかった自分が情けない。
「ぬぅ!」よろけながらも俺は立ち上がった。階段を上る。
「いいツラだ」杉田さんが満足そうに笑う。
「待って、あなたに命をかける義務は無い。可能なら逃げて欲しい」
長門が杉田さんの後ろから声を掛けた。他人の心配をするなんて珍しい。
「義務でやってるわけじゃねぇ。俺より若いのが…ユキが…死ぬのをもう見たくないだけだ」
杉田さんの正面に口を上下左右に割りながら吸血鬼が迫った。
もはや数多くの傷と噴出する黒い血、それを修復しようと中から溢れ出んばかりのうごめく触手に吸血鬼という言葉のイメージとは程遠い生き物になっている。
「生きろ!」
そう言って杉田さんは自分から吸血鬼との間合いをつめる。
「ガァア!!」吼えながら吸血鬼が杉田さんの首筋に噛み付いた!
「ぬぅ!!」
杉田さんががっちりと吸血鬼を抱きかかえる。
そのまま杉田さんは吸血鬼を引きずり壁にもたれた。
「こい!ぼうず!」
俺は足を引きずりながらも吸血鬼に近づき、ナイフを大きく振りかぶる。
俺の接近の気配に気づいてか、吸血鬼が杉田さんの腕の中であがき始めた。
腕を振り回し爪と牙を杉田さんに立てる。しかし杉田さんはますます締め付けるだけでびくともしない。

520 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/05(土) 06:01:03.19 ID:6Mkr4J6o

「おおおおおぉおおおおお!!!!」
俺は吸血鬼の肩甲骨の間、その先の心臓をめがけてナイフを突き立てた。
「ギャァアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
明らかに今までとは違う断末魔の悲鳴!!
手足を恐ろしいほどに伸ばし杉田さんの中で高速に痙攣する。
ぴたりと動きが止まる。
静寂。
ざざぁ…。吸血鬼は突如として砂となり杉田さんの足元に小さな山を作った。
「よくやった」杉田さんが俺の頭をくしゃっとなでてくれた。
途端に俺は緊張の糸が切れた。涙がでてきてしまった。「いえ、その、ありが、ありがとう、ございます」
長門が上を向いてつぶやいた。「情報統合思念体との接続を確認」
はっとして長門を向く。
「長門!古泉を!」
長門が階段を駆け下りテーブルの残骸の中の古泉に両手をあてている姿を見ながら俺は座り込んでしまった。到底立てそうに無い。
おまけにまだ涙は止まりそうになかった。
朝比奈さんがまだ下着姿だったが俺の隣に来てくれて、肩に手を当て頭をなでてくれた。
「ありがとう、キョン君、頑張ってくれて」
「はい、いいえ」俺は肯定しながら首を横に振り、否定しながら首を縦に振り、落ち着くまで朝比奈さんの温かさを感じていた。

539 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/08(火) 02:50:16.17 ID:1B8Oa2wo

長門と一緒に古泉が階段を上がってきた。さすがにまだ古泉は辛そうだ。
長門が俺に近づき傷を手当てをしようとする。
「杉田さんが先だ」
俺の具合を確かめるように一瞬俺を覗き込む。
長門スキャン開始…終了。かな?
すぐに目線を外し杉田さんに近づいた。
杉田さんが手を振って断る。
「すぐに死にゃしねぇ、まずは何か着て来い」
そうは言ったが、杉田さんは首筋やら顔やら肩やらを爪と牙でえぐられ引っかかれちぎられてかなりの出血だ。
「ダメです。すぐに長門さんの手当てを受けてください。私たちの事は後で良いですから」
朝比奈さんが自分の格好よりも杉田さんの心配を優先し大きな目で覗き込む。
長門も黙って杉田さんに近づき傷口にその華奢な手をあてた。
杉田さんは壁にもたれたまま黙って目を閉じされるがままになっている。
長門が全ての傷をふさいで一歩下がる。
「おわり」
「…奇妙な事が出来るんだな」塞がった傷口に触れながら杉田さんが言った。
そりゃそうだ、普通手を当てただけであんな傷が塞がるなんて常識的にはありえないからな。
「そうか…怪我が治せるのか…」誰に言うとでもなくぼそりと杉田さんがつぶやいた。
驚きよりも納得が優先するという不可解な表情を浮かべて杉田さんは長門を見た。
杉田さんは長門に今のことを問いただすことはせず目を閉じ押し黙った。
長門が俺のそばに来てその少し冷たい手を傷口にあてていった。
清水がしみこむ様な感覚があり痛みと熱が引いていく。
「助かったよ長門」
「助けてもらったのはこちら」
傷が治ったことよりもいつもどおりの長門の表情と態度にほっとする。
「夜明けまでまだ少し時間があります。お二人は涼宮さんの隣で起きてください」
古泉がそう言って朝比奈さんと長門を促した。
二人が部屋に入り扉を閉めると古泉が俺の隣に腰を下ろした。
「杉田さん、ありがとうございました。命を救われました」
「気にするな、子供を守るのは大人の仕事だ」

540 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/08(火) 02:50:43.21 ID:1B8Oa2wo

目を閉じたまま、杉田さんはそういった。
「それに…」
古泉が続ける。杉田さんが目を開けこちらを見た。
「…根掘り葉掘り聞かれなくて助かります」
「お前たちは娘たちを助けるために化け物と戦って勝った。違うか?」にこりと笑ってくれる。
俺だったら質問責めにするこの状況を一言で片付けてしまった。
なんというか、…貫禄っていうのかこういうの?
「その、こちらの事情は聞かないようにして頂けたのに、こちらからお聞きするのは気が咎めるのですが…」
「俺にも娘がいたんだ」
古泉の質問を最後まで聞かずに杉田さんが答えた。
だがその答えに、もう娘さんはいないという事を古泉も気がついたようだった。
「…ユキという名前だった。名前だけでなく顔も良く似ててなぁ」照れくさそうに頭をかいた。
「十の頃だった。山へ入った俺についてきて足を滑らせてな…」
話している杉田さんに寂しそうな笑顔がよぎる。
「すぐに医者に連れて行ったんだが、ま、打ち所が悪かったんだろうよ」
「そうでしたか…、ぶしつけな質問をしてしまってすみませんでした」古泉が頭を下げた。
「なもんで、お前たちのことが妙に気になってな」そう言って杉田さんは笑った。
「夜になっても中州にだけかかった霧が晴れねぇもんだから心配でつい来ちまった」
「そうでしたか…」
「お前たちも寝ろ、ひどい顔だぞ」
俺と古泉は顔を見合わせる。
自分の顔は分からないが、確かに古泉の顔は重病人が無理やり起き出して来たような印象を受ける。
杉田さんは立ち上がり折られたのこぎりを拾った。
「帰る前に俺の小屋に寄る時間があったら来い」
そう言って杉田さんは階段を下り、まだ夜が明けていない外へ出て行った。
「一眠りしますか」古泉がふらりとよろけながら立ち上がる。
そうだな。起きたらハルヒの相手とこの家具の運送に関して心配しなきゃならんからな。
俺たちはふらつく足取りで部屋に入り寝袋にもぐることもできず、広げた上に横になると目を閉じた。
疲れている。眠い。それは確かなのだが頭の芯だけ妙に覚醒していてどうにも眠たくならない。
すさまじい興奮状態から急に休息するというのはなかなか難しいな。

541 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/08(火) 02:51:08.86 ID:1B8Oa2wo

俺は無理には眠ろうとせず意識がゆらぐまま夜明けを待った。
………。
夜が明けてきた、らしい。
窓の外が白んできたのが分かる。
ぱら…。
寝袋に入らずその上で横になっていた俺の顔に何かが落ちてきた。
どうやら天井の漆喰のかけらだ。
ぱらぱら…ぴしっ!
天井にひびが入った!
「古泉起きろ!」
古泉が一瞬で起き上がり周囲を見回す。
見る見るうちに壁にひびが入り柱が裂け始める。
「涼宮さんたちを!」古泉が言って隣の壁を蹴る。あっさり壁が崩れ落ちる。
もうもうと舞う砂埃のなかに突撃すると長門は既に起きており突っ立っていた。
動けよ。
「ふわ?なんでうか?」寝ぼけ眼でろれつの回らない朝比奈さんを古泉が寝袋ごと抱き上げる。
長門がハルヒを指差す。
俺が抱えろって事か?いや迷っている時間は無い。
ハルヒを寝袋ごと抱えあげる。
「外へ!」
古泉の声に急かされ俺がドアを蹴るとドアばかりか壁ごと倒れた。
長門はまるで慌てた風もなくすたすたと歩く、なぜ落下物に当たらない?
俺と古泉は抱えた二人に物が当たらないように覆いかぶさりながら階段を急いで下りた。あいたっ!色々降ってくる。
「ちょっとキョン!何してるの!?放しなさい!」タイミングの悪いヤツめ!階段の途中で目を覚まし騒ぎ出しやがった。
こら!ジタバタするな!落ちるぞ!
「地震です!」古泉が嘘を叫ぶ。
「キョンもっと急ぎなさい!」落とすぞ。
全員が玄関を飛び出したところで館が崩れ落ちた。
風と共にものすごい埃が舞い上がる。
埃に追い立てられて離れた場所まで走った。

542 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/08(火) 02:51:39.05 ID:1B8Oa2wo

どうやら、主が死んたところに夜が明けて館も崩れ落ちたと見える。
「キョン戻って」崩壊がある程度落ち着いた頃を見計らってハルヒが言った。
俺はハルヒを抱えたまま館に近づく。
うわー、何もかも粉々だな。柱とかぼろぼろになってる。まるでダムの底に60年ほど放置しておいたらこうなりそうな具合だ。
って実際そうだったな。
「荷物と家具はどうなったのかしら?」
まさか掘り返せとか言うんじゃないだろうな…。
「当たり前じゃない」
荷物はともかく家具は諦めろ。
そう言った俺にハルヒが文句を言おうとした時だった。
俺たちのいるダムの底に朝日が差し込み始めた。
細い細い光の筋が次第に太くなり明るさを増す。
陽が昇る。
たったそれだけの単純な珍しくもない毎日起こる現象なのに、今周囲で起こっている現実はハルヒの口すら沈黙させる感動的な光景だった。
「うわぁー」古泉からおろされた朝比奈さんが感嘆の声を上げる。
見る見るうちに光は俺たちを包み込み世界が太陽の時間になった事を高らかに宣言する。
ハルヒも抱えられたまま大人しく朝日に包まれ眩しそうに目を凝らしていた。
山々の緑に日が当たるとこんなに綺麗な緑色になるとは思わなかった。
夜の世界で死に物狂いで戦い、なんとか辛うじて生き残った今日という日に感謝の気持ちが湧き出るくらいだ。
自分が生きていることがしみじみと実感できる。
「で?お二人はいつまでそうしておられるつもりですか?」
古泉の微笑ましい口調にハルヒと目が合った。
「キョン!いい加減にしなさい!早くおろしなさいよ!」ぴこぴこと寝袋の中ではねる。
まるで俺が無理矢理抱いていたような言い草だな。心外な。とにかくおろすから動くな。
古泉のくすくす笑いが後ろから聞こえるが気のせいだ。気のせいじゃなかったら後でトランプでヤツの財布の中身を全部巻き上げてやる。
「まったくもう…」ぶつぶつ言いながら寝袋を脱ぎ捨てようとしていたハルヒの動きが止まる。
ぺたん。ものすごく不機嫌な顔で腰から下を寝袋に入れたまま座り込んでしまった。
なんだ?
「キョン、あたしの荷物探して来なさい」
…。

543 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/08(火) 02:52:07.64 ID:1B8Oa2wo

何となく寝袋に隠されている部分が想像できてしまった。
「何考えてんの?!早く行きなさい!」
ハルヒの下着姿を想像していた俺は頭の中を的確に指摘されて妙に気恥ずかしくなり瓦礫の山をめざした。
古泉もついて来て二人で発掘作業を始める。
「大変な合宿でしたね」汗を拭きながら古泉が言う。
「今も大変だ」
ぼろぼろになったとは言えそれなりに大きな館の残骸だ、そうやすやすと目当てのものが見つかるわけも無く俺と古泉は部屋のあった辺りを掘り返した。
手袋も道具もなしで掘り返すこと数時間。ようやくハルヒの荷物だけは見つかった。
「ほらよ」
「向こう向いてなさい」
こいつは…ありがとうという美しい日本語を知らんのか?
俺は背を向けると他の荷物の発掘作業に戻った。
すぐに短パンをはいたハルヒがついてくる。
「あたしは家具を掘り返すから荷物を見つけたら手伝うのよ」
そう言ってハルヒは瓦礫の中に突進していった。その後を朝比奈さんと長門がついて行く。
少し見ていたらハルヒは手当たり次第にぽいぽい瓦礫を放り投げている。
あんなランダムな探し方で見つかるのかね?
俺と古泉はハルヒの荷物が見つかったところの近辺を重点的に探し昼ごろには埃まみれになりながらもなんとか全員の荷物を掘り起こした。
「飯にしよう」
「そうですね、さすがに堪えます」古泉も同調した。
くらくらして血糖値が下がっているのを実感できる。俺も古泉も昨日というか今日未明までかなりの出血をしていたから貧血もあるかもしれない。
さすがの長門様も無くなった血液の補充は無理だったらしいな。
荷物の中からすぐに食えるものを探し出す。
うーむ、チョコくらいしかないな。しかし贅沢は言ってられず俺と古泉は板チョコを半分づつ分けて口に入れた。
うまい!
甘いという味覚よりもうまさが上回る。しかしなまじっか少量の食べ物を胃に入れてしまったせいで自分がいかに空腹なのかを実感してしまった。
もはや飢えと言って構わないほどの空腹感、いや飢餓感だ。
古泉も同じだったらしくかまどに火をおこしフライパンに厚切りのハムを放り込み始めた。
「こらー!あたしにも寄こしなさい!」砂煙を巻き上げてハルヒが突撃してくる。
あまりの勢いにハルヒの走行ルートから一歩引く。

544 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/08(火) 02:52:37.74 ID:1B8Oa2wo

「いただき!」
走りぬけざまにハルヒがフライパンの中のハムを一枚手づかみする。パン食い競争でもあるまいに。よく熱くないな?
「あつー!」そりゃそうだ。
朝比奈さんと長門もやってきた。
全員で料理を始める。
この後は帰るだけだからということで持ってきた食材を全て使い切って朝食兼昼飯を作ったのだが量はあまり大したことが無く俺は空腹感をもてあましていた。
「家具はどうでした?」古泉が聞いた。
「ダメね。丈夫に見えたんだけど中身が腐ってたみたいにぼろぼろになってたわ」意外に未練なさそうなハルヒの言葉に少し驚きながらもほっとした。
どうやら家具も主と運命を共にしたらしいな。木製の家具が60年水に浸かっていたらぼろぼろにもなるだろうよ。
「さ!帰るわよ!」
食べ終わりハルヒがさばさばした口調で宣言する。
行きよりも軽くなった荷物を俺は背負い先頭を歩くハルヒの後に続いた。
立ち止まり振り返る。
60年間かけて崩壊するはずが一夜にしてその時間がのしかかった館の残骸に俺は目を向けた。
まるでここに来たのが何週間も前の出来事のように思える。
60年間孤独に水の底で復活を待っていた吸血鬼。
そいつに俺たちは殺されそうになった。
本当に危なかった。杉田さんが来てくれなければ全員ヤツに殺されていただろう。
恨んでこそ当然、惜しむなんてもっての外だ。
だが、なんだろう、俺の今の感情は。
生きているヤツのエゴだと言われるかもしれん。
勝ったから言える見下した態度かもしれない。
けどなぜだか崩壊した建物と一緒に埋まっているであろうヤツにどうしても憐憫の情が少なからず湧く。
戦友…とは違うのだが、なんだろうこの気持ちは。
俺は名前の付けられない自分の感情に戸惑った。
荷物を降ろし瓦礫の山に駆け寄る。
手近にあった長めの木材を持ち上げて瓦礫の隙間に押し込み立ち上げた。簡単に倒れないように大き目の瓦礫を根元に積み上げる。
瓦礫の中に一本、朽ちてはいるが柱が立った。
ぱんぱんと手を叩いて皆のところに戻ろうと振り替えった。
4人が静かに俺を見て待っていてくれた。
俺は幾分照れながらも自分の荷物に駆け寄り背負う。
「キョン、次があるわ!」ハルヒがなにを勘違いしたか声を掛けて歩き出す。
「キョン君、やさしいですね」朝比奈さんが隣に来てこそっと耳打ちしてくれた。
「墓標…ですか。よくよくお人が良いんですね」古泉が半分呆れ顔で笑っている。
「ユニーク」長門…本と一緒にするな。
やれやれ、皆さん色々とご感想をありがとうございます。
けどな、俺は俺のしたいように行動しただけだ。
間違っているかもしれないし、矛盾している行動かもしれない。しかし俺は俺の判断力を信じる。
俺は今度は振り返ることなく帰り道への一歩を踏み出した。

572 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/11(金) 02:46:57.45 ID:WEHCn7Mo

「杉田さんに挨拶をしてゆきましょう」
泥河を渡り終え、古びた石段を登り終えたところで古泉が提案した。
「なんで?」ハルヒが当然の疑問を口にする。
ハルヒにしてみたら杉田さんは最初にダムへ降りる道を聞いただけの人だ。
「合宿の始まりに挨拶をした人です。合宿の終わりにも挨拶しておいた方が締まりが良いと思いませんか?」
にこやかに説得する。
ハルヒはちょっと考えたがすぐに結論を出した。
「そうね!あのおじさん有希の事気に入っていたみたいだし、お土産の一つでも包んでくれるかもしれないわ!」
なんという厚かましいヤツだ。俺たちの命の恩人だぞ。お礼を包まなきゃならんのはこっちの方だ。
などと言えないのはいつもの事だが今回ばかりはいつもにも増して非常にもどかしい。
いいか、吸血鬼の魔の手から俺たちを土壇場で救ってくれたのは杉田さんなんだぞ。
と言葉にすると…非常に嘘っぽいな〜。
目の当たりにしていなければ俺だっていきなりこんなこと言われたらそいつの頭がおかしいと判断するだろう。
やれやれ。
俺は出そうになったため息を飲み込みハルヒの後に続いて杉田さんの小屋への道を登り始めた。
近づくにつれて音が聞こえて来た。
コーン…、コーン…、コーン…
少しだけ厳しい感じのする音だがとても耳心地が良い。
小屋の前で杉田さんが薪を割っていた。
「こんにちは!」ハルヒが片手を大きく挙げ元気よく挨拶した。
お前は近所の小学生か。
「来たか」杉田さんは目を細め俺たちを見回す。
「どうだ?宝は見つかったか?」少し面白がるように杉田さんが言った。
「見つかったわ!全部壊れちゃったけどね!」ハルヒがけろっと答えた。
「はっはっはっ!そうか、そうか」杉田さんが豪快に笑いながら小屋の中に入りすぐに何かを持って出て来た。
大きな笹の葉に何重にか包まれており杉田さんが両手で持っている所を見ると重そうだ。
「お宝じゃねぇが、熊の肉だ。食ってみるか?」
ぐぅ〜。
腹の虫が鳴る。
どうやらさっきの飯が足りなかったのは俺だけではなかったらしくSOS団の面々は全員大きくうなずいた。

573 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/11(金) 02:47:18.42 ID:WEHCn7Mo

杉田さんが七輪を3つ出して来てくれてそれぞれに炭を入れて火をおこす。
熊の肉は保存用に濃い味付けがしてありそれをフライパンに入れるとタレの焼ける匂いが香り立ち食欲を直撃する。
「すっごくおいしそうね、熊の肉は初めてだけどこれならいくらでも食べられそう!」
古泉が杉田さんから米を分けてもらい炊いている。
朝比奈さんと長門もキノコやら味噌やら保存されていた野菜等をもらい料理をしている。
「焼けたわ!」
ハルヒが宣言するとともに早速かぶりつく。
こいつは、ハムの一件で懲りてないのか。お、今度は平気らしい。
はふはふ言いながらハルヒが一枚目の熊の肉を飲み込んだ。
全員の注目を浴びながらにやりと笑い答えをじらす。
「もんのすごくおいしいわよ!狩人になった気分!」
杉田さんが楽しそうに食べっぷりを見ていた。
熊の肉メインの料理が乗った紙皿が全員に行き渡った。
「いただきまーす!」俺たちは幼稚園生か?
そんな俺のつっこみなんて吹っ飛ばすうまさが口の中に広がった。
空腹は最高のソースという言葉があるが、それを差っぴいてもうまい!
多少癖はあるがそれがむしろ旨いという方向に働いておりこれはハルヒではないがいくらでも食べられそうだ。
しばらく全員無言になって料理を貪った。
何回か肉をおかわりしてようやく一息ついた頃にまたハルヒと肉の取り合いが始まる。
「こら!その肉は俺が狙っていたヤツだ!」
「あんたにはこれをあげるから食べてなさい!」ハルヒが炭化した小さなものをつまんで俺の皿に放り込む。
「これは野菜が炭になったヤツだ、って、だから俺の肉をとるなと言ってるだろう!」
「野生の肉は弱肉強食よ!」訳の分からん理屈をこねやがる。
「お前の友達はいつもこうなのか?」杉田さんの質問に長門がうなずく。
「日常風景」
「ちょっと有希!それじゃいつもキョンと肉の取り合いしているみたいじゃない!」
「そうだ心外だ」
「おや違いましたか?」古泉ちゃちゃを入れるな。
朝比奈さんもくすくす笑わないでください。
わいのわいの騒ぎながら全員で熊の肉を頂いた。

574 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/11(金) 02:47:42.71 ID:WEHCn7Mo

「7、8キロはあったはずだが」杉田さんがにこにこしながら言った。
見ると、杉田さんが出してくれた笹に包まれていた肉が無くなっていた。
え?すると一人1キロ以上肉を食ったってことか?うーむ、我ながら信じられん。
まだ食える気がするがこれ以上所望するのはさすがに遠慮が先に立つ。
「腹は膨らんだか?」杉田さんが長門に問いかけた。
こくりと長門はうなずいた。
「そりゃよかった」嬉しそうにうなずき返した。
「ちょっと待ってろ」杉田さんは小屋へ入る。
「今度は鹿の肉かしら、それとも猪?」肉から離れろよ。
杉田さんが持って来たのは長方形の綺麗な木の箱だった。
長門の前に来て言った。
「娘が着るはずだったモノだ。持って帰るのが面倒じゃなかったらもらってくれ」長門に手渡す。
長門が受け取ってゆっくりふたを開けた。
こんな山中には似つかわしくない綺麗な青色の着物が入っていた。
長門が不思議そうに杉田さんを見つめる。
「もう、娘はいないもんでな。俺が持っていても仕方が無い」
「ふ〜ん、有希に合いそうな色ね」ハルヒが横から覗いて言う。
ぱたん。長門がふたを閉じた。
「あ」ハルヒが何か思いついたように声を上げた。
というか、こういうとき必ずこいつは何か思いつくんだよな。
「ちょっと小屋かりるわ」杉田さんの返事も待たずに長門を引っ張って小屋に向かう。
「みくるちゃんも手伝って」「は、はい」
3人で小屋にこもってしまった。
いつもはこういうとき朝比奈さんのあられもない悲鳴が聞こえるのだが今日は聞こえないな。
しばらくしてハルヒが小屋から飛び出して来た。
「じゃーん!おっまたせー!」
ハルヒが自ら開けた扉から静々と現れたのは振袖姿の長門だった。
流れる様な青に目を奪われた。
長門の身につけている着物は青から蒼に、そして淡い碧にグラデーションしており山吹色の帯がその華奢な体をしめていた。
俺たち男三人は長門の変身にあっけにとられ感想を言うのすら忘れてしまった。

575 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/11(金) 02:49:19.73 ID:WEHCn7Mo

それでも一番最初に口を開いたのは杉田さんだった。
「ユキ…大きくなったな」
一瞬、ほんの一瞬だが戸惑った様な表情を浮かべた長門だったが杉田さんに向かって丁寧にお辞儀をした。
杉田さんがゆっくりうなずいた。
「よし!お前らもう帰れ!そろそろバスに乗らないと家に着くのが遅くなるだろう」
言われればそろそろ日も傾き始めている。今バスに乗ったとしても言えに着くのは確実に夜になるだろう。
「そうね!有希その着物もらってちゃいなさい!すんごく似合ってる!」
そう言ってハルヒは長門を引き連れて小屋に入って行った。
「冥土の土産に良いものを見せてもらった」ぼそりと杉田さんがつぶやいた。
「命の恩人がそんな事はおっしゃらないで下さい。さみしくなります」古泉が俺の気持ちを代弁したかの様な事を言った。
ほどなくして3人が小屋から出て来た。
「帰るわよ!」
全員で荷物をそれぞれ背負い山を下り始めた。
バス停まで見送ろうと杉田さんも一緒に来てくれた。バスの旋回場がバス停になっている。周囲はもう銅色になりはじめた日に染められ始めている。
ゆっくりと大きな円を描きながらバスが入って来た。俺たちの前に止まりエアー音をだして扉が開いた。
ハルヒを先頭にバスのタラップを踏み乗り込む。
長門がタラップを踏んで乗り込もうとした時に朝比奈さんが後ろから長門に声をかけた。
「まるで長門さんのお父さんみたいでしたね」
ビクンとはじかれたように長門が止まり朝比奈さんを振り返る。
「お父さん…?」
「ええ…あの変な事いいましたか?」朝比奈さんがどぎまぎしている。
長門の全ての動きが止まった。まるで今言われた言葉の処理に全エネルギーを注いでいるようだ。
止まっていた長門の時間が突如動き出した。朝比奈さんの横をすり抜け杉田さんに駆け寄る。
長門は杉田さんの正面に立ち、ぽそりとつぶやいた。
「また…くる」

576 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/11(金) 02:49:36.95 ID:WEHCn7Mo

杉田さんが固まったのが分かる。しかし氷が溶けるようにその硬直が溶けると杉田さんは声を荒げた。
「ばかやろう!こんなじじいのためにお前の人生を寄り道するんじゃねぇ!」
長門が驚いた姿なんて初めて見た。目を大きく開けて杉田さんを見つめる。一体この人の真意はなんだろう?と言わんばかりに。
杉田さんはまるで家を出る娘に言葉を送るように、ゆっくりと優しく長門に言った。
「俺は山へ帰る、お前はお前の人生を歩け」
くしゃくしゃっと長門の頭を撫でた。
「出発しますよ〜」運転手ののんきな声が聞こえた。
「うるさいわね!父娘の別れなのよ!あんた人間の心がないの!?3時間も待てって言ってるわけじゃないんだから3分くらい待ちなさいよ!」
ハルヒが運転手にがなり立て出発を引き延ばしている。
長門がちょっとくしゃくしゃになった髪のまま杉田さんを見つめて同じ言葉を今度ははっきりと言った。
「またくる」
杉田さんの顔が内からの感情で歪む。
大きく息を吸い込み目を閉じ止める。空を見上げた。ゆっくりと息を吐き出し、長門を見つめて静かに言った。
「あぁ、いつでもこい」
くるり背を向けて歩き出す。
長門、朝比奈さん、古泉、俺がバスに乗りこむ。
バスの扉が閉まり大きく旋回する。杉田さんの後ろ姿がバスの左から後ろに大きく移動する。
「ありがとうございましたー!」ハルヒが窓から叫ぶ。
「ありがとうございましたー!」俺も古泉も朝比奈さんも杉田さんの背中に向かって叫んだ。
長門が着物の箱を開け上だけ羽織った。
着物を羽織ったままバスの最後尾座席にしがみつき遠ざかる杉田さんを見つめる。
杉田さんが振り向いた!長門が手を振る。
杉田さんは手を振り返す事もせず、すぐに背中を見せて歩き始めた。
夕日で全てがオレンジ色に燃え上がる中、杉田さんが一人で山に向かい歩く。
小さくも見え、だけど大きくも見えるその背中に俺たちは見えなくなるまで手を振り続けた。


                                   Fin

581 名前: ◆KMIdNZG7Hs[] 投稿日:2008/07/11(金) 03:24:21.36 ID:WEHCn7Mo

相変わらずの遅筆でした。申し訳ない。お待たせしてしまいました。
けど待っていてくれた方、本当に本当にありがとうございます。

〜ざれごと(言い訳)〜
今回は長門の保護者というか庇護する人を登場させたかったんです。
長門って誰かに頼られることはあっても自分から頼ることってないじゃないですか、ですから長門よりも能力は劣っているにもかかわらず長門に庇護的な愛情をかけて守ってやろうとする人に出てきて欲しかったんです。
SOS団で友達というか仲間はできました。だけど家族はいないですよね。家庭もない。そんな長門とお父さんの話がストーリーの裏に編み込めればな、なんて考えていたんですが…。
ストーリーに絡めるのをしくじりました。
エラー吸血鬼との戦いが派手になりすぎて杉田さんの父性愛がかすんでしまいました。
長門におせっかいとまではいかないにしろ、育ててあげる、面倒を見てあげる、といったシーンを入れるべきでした。
一人で買い物しているご老人を見ると私、胸が痛むんです。この人、家に帰っても一人でご飯食べるのかなぁって考えると、すごく悲しくなるんです。
老人って若者より死が近いですよね。終わりが近いんです。
家庭があれば自分の命が受け継がれているのを何かの折に実感できることもあると思うんですが一人だと自分が死んだら何も残らないって考えるとすごく怖いと思うんです。
独りになってしまった杉田さんと独りしか知らない長門で、家族、と明言できないまでも心の絆が生まれたらいいなって思ってました。
・・・。
書き直したほうがいいですかね?wwwwww
しませんけど。

とにもかくにもお付き合いいただき本当にありがとうございました。
だけどやっぱりwktk慣れませんorz

〜ざれごと 2〜
入院します。
2週間前にも勧められていたんですがその時は断ったんです。
『純潔』が書き終わってなかったから。wwwwww
期間は予定では最短で1ヶ月。
それ以上伸びたら…帰ってこない旅に出たと思って下さいね。
多分再来週からになります。それまでには分岐を書き終わらすのでご安心を。
入院から帰ってきたら真っ先にこのスレに来ますね。
私にとってとっても大事なスレです。
皆さんが見に来てくれて書き込んでくれたから本当に大切なスレになりました。
ありがとうございます。本当にありがとうね。
またこのスレで会ってください。

さ、言いたいことは言った!後は分岐をがんばるぞっと!



ツイート

メニュー
トップ 作品一覧 作者一覧 掲示板 検索 リンク SS:古泉「陰毛が生えているのかいないのか直接本人に聞いてみましょう」