ハルヒSS: 宇宙からの依頼 1 名前:吉星 ◆gnO38AK4p8QO [sage] 投稿日:2010/12/16(木) 16:12:57.90 ID:ycXYRC3D0 ・古泉「魅力的な人だとは思いますが」 ttp://punpunpun.blog107.fc2.com/blog-entry-1192.html  という話の続きのつもりで書いています。作者の方に無断で書きました。ごめんなさい。 ・ハルヒ達の子どもという設定のオリキャラが登場します。オリキャラが苦手な方はご注意下さい。 ・130レス程度、投下は17時頃に始めて、23時頃終了の予定です。 それでは、どうぞよろしくお願いします。 6 名前:吉星 ◆ObCLeKAw2g [sage] 投稿日:2010/12/16(木) 16:48:32.62 ID:XtnbsO5lP サキ「はぁっ、はぁ」 走っても、走っても出口が無い。 音の無い、灰色の空に覆われた世界。いつもの町並みなのに誰一人いない。 サキ「誰か、誰か助けて……」 足を緩めて周りを見渡しても返事はない。 胸の中の恐怖がどんどん膨らんでいく。何かが来る予感。いや、その何かが現れることをハッキリとわたしは感知している。 背後。気配に射すくめられたように足を止めて、恐る恐る振り返り…… サキ「きゃあああああっ!!」 天井。窓から朝日が差し込んでいる。 あ。夢か。良かった。じゃない、晴れて今日から高校生活がスタートするというのに何という夢を見たんだ。 幸先が悪すぎる。いや、多分今日だからこそ不安でこんな夢を見たんだ、としておこう……。 大きく息を吸い込むと弾みをつけてベッドから降りた。 7 名前:吉星 ◆ObCLeKAw2g [sage] 投稿日:2010/12/16(木) 16:51:05.61 ID:XtnbsO5lP 七重「サキーー。おーはよっ」 全くわたしと同じ、真新しい制服に身を包んで、七重が高々と腕を振りながらこちらに駆け寄ってくる。 相変わらず朝からテンション高いのが頼もしい。 サキ「おはよー」 わたしも、七重のように表にこそ出ないけど、緊張と期待に胸が膨らんでいる。東中の入学式の朝以来だな、こういうのは。 あの日もいつものように七重と光陽園駅前で待ち合わせて、お互いのセーラー服姿に何だか照れながら登校したんだっけ。 中学と高校じゃ違いはたくさんあるに違いないけど、こうして同じでいてくれる相手がいる。 おかげで今朝の悪夢が残してくれた後味の悪さも随分とやわらいできた。 入学式の前日の夜でなかなか寝付けずいたのに(少なくとも3時前までの時計の針は覚えてる)、やっと眠ったらあれだから。 だとしても上り坂の途中のあちこちを、腕一杯に抱えあげた白くてほんのり桃色な花びらであやどるソメイヨシノと、 この坂からの、朝日に白く照らされる、海まで続く街並。 そしてこの4月の陽気そのまま、と言ったら失礼だけど、そんな七重と坂を上りながら、高校でありそうななさそうなことを、この延々と続く坂みたいに喋ってる。これじゃ憂鬱になれと言う方が無理だ。 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 16:53:14.09 ID:XtnbsO5lP しかしわたしの顔色に出てたのだろうか、ふと七重が、 七重「どうしたの、サキ」 瞬間にテンションをわたしに合わせてくれてる。 別に隠すほど大したことでもなく、ありのままを話すと、 七重「うんうん、やっぱそれだよね?ああー、いいなあ!」 と音階を何段かすっとばして昇降するような羨望の声を上げた。 サキ「今の話のどこがいいの?」 七重はいたく思うところがあるらしく、ほとばしるように答えを返してきた。 七重「だって、普通は入学式の前日って、そういう風に自分も家族もどうなるかなって緊張を漂わせるものでしょ?    まったく無かったんだよ?お父さんもお母さんも、わたしも! 下手したらわたしが今日から北高生になるってことが忘れられてるんじゃないかってくらい。 さすがにそれはないけど、ただ淡々と過ぎて、いつも通りの朝だったんだよ?」 半分くらいはそんな自分自身に、怒りと悲嘆をぶちまけるように七重は訴えると、悔しそうに前に向き直って言葉を切った。 入学式を前に緊張するかしないかのどちらが普通かはわからないけど、七重は前者に憧れていて、それが果たせなかったらしい。 唇を突き出してムスッと目の前の坂を見つめながら歩いている。 確かに、あのおじさんとおばさんなら何にせよ「普通」の反応はしないだろうし、七重も気の毒ながら本人は普通のつもりで、ナチュラルに凄い感覚を持ってるところがあるから。 そんなことを考えているとふと、道端の草地にちらちらと薄青い花を咲かせているオオイヌノフグリが目に入った。春だな… 不意に七重がふたたび口を開いた。 七重「だいたいお父さんとお母さんが出会った場所なのに。だから……」 そこまで言って、突然我に返ったように、わたしを見た。 七重「ごめん。嫌な夢だったんだよね」 言われて思い出すくらいだったけど、そういえば夢のことはもう気にならなくなっていた。 思わず笑みをこぼすわたしに今度は七重が怒る。なんだか相変わらずの登校時のわたし達みたいだ。 9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 16:55:20.10 ID:XtnbsO5lP さすがに高校入学という区切りで、七重とは離ればなれの組になるんじゃないかと内心覚悟していたのだが、 わたし達二人はさいわいまた同じクラスだった。 七重とは幼稚園から、小・中とずっと同じ組だということを、初めて聞く人に話せば必ず驚かれるのだけど、 そこまで話せば、今までのわたし達を知っている周りが「席もほぼ前後左右で隣になってるよね」と付け足すことになる。 するともう、驚きを通り越して何かウラ事情があるのではないかと勘繰られたり、 この世ならぬものに触れたような顔をされたりする。 当のわたし達はというと、不思議ではあるがただこの幸運に感謝している次第である。 体育館での入学式が終了すると(七重は既に校歌の歌詞をばっちり覚えていたらしい)、 お互いまだ見知らぬクラスメイトの皆と、一年五組の教室に入り、それぞれの席につく。 同じ中学出身どうしがちらほらおしゃべりしているほかは、微妙に大人しい空気が教室内に漂っていた。 わたしの後ろの席の七重が声をかけてきたとき、教室の前の方の引き戸を開けて、落ち着いた雰囲気の中年の男性が入ってきた。 が、教壇の前では打って変ってクラス中に響き渡る大きな声で挨拶され、遅れ気味に皆が挨拶を返す。 その、岡部という担任となる先生は、ごく手短に自分が体育教師であること、なんでも言い合えるクラスにしていきたい、 ということを話され、それから多少詳しく、顧問をしているハンドボール部について、 競技の魅力と、部員不足なので入部希望者を大いに募っていることを力を込めて説明された。 この説明にもう少し耳を傾けていればどうだったかな、と思うことがあるが、まあ……わたしはそうはしなかったわけである。 そして、一人一人が順番に立って自己紹介していく段になった。 10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 16:57:50.15 ID:XtnbsO5lP こういう時、何か打ち込むものがないと自分の説明とはしづらいものである。 前の席の子がよろしくお願いします、と話し終えたのに拍手して、それからわたしは席を立った。仕方ない。 サキ「東中学から来ました小坂幸(こさかさき)です。よろしくお願いします。光陽園駅近くに立ち寄るさいには、 ぜひ薬や生活用品はうちのお店で買ってあげて下さい」 まあこうとでも話すほかないか。生暖かい反応に包まれながら席に着く。とりあえず厳しいツッコミが来なくて良かった。 次は七重だ。目で促すと、笑顔でゆるりと立ち上がったのでわたしは前に向き直った。 七重「同じく東中学出身の涼宮七重(ななえ)です」 ここまでは良かった。が、 七重「春休みにインターネットしてて色んなページを見ていたら、家のパソコンが壊れて両親にものすごく怒られました。    みんなも気をつけてください」 ………………。 初めてっき聞くね、それは。 わたしは頬と耳が熱くなるのを感じた。 七重がツッコミを待たず席に着いて、椅子を戻す音が後ろから聞こえる。 きっと立った時のようににこにこしたままに違いない。 数人の男子が抑えきれず笑い声を漏らしている。 ちゃ、違う〜〜!!七重はそんな子やないんやーーっ!とわななくわたしの表情など、七重は想像だにしていないに違いない。 その後の学校生活の様子で、そんな子ではないと皆も分かってきたにせよ、 こういう子なことはしっかり印象づけてしまった七重である。 11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 16:59:56.32 ID:XtnbsO5lP ともあれ、慌ただしい4月が過ぎ、ゴールデンウィークも明け、高校生活の日常とでもいうべき流れに入ったころ。 七重「ねぇ、サキは何か部活入るの?」 サキ「うーん、どうかなあ」 そういえば、中学の時からわたしは部活動というものに入部したことがない。七重も、いわゆる帰宅部というやつだ。 入らない理由なんて聞かれるのが不思議なのだが、あえて答えるなら理由は二つある。 まず特に好きなことがないこと。 もうひとつは、家事が結構あるから。学校の帰り道にスーパーに寄って、晩ご飯の買い物をしていく。 家に帰ってからも洗濯物の取り入れや掃除、夕食の準備等あるので、部活なんて面倒くさくて出来たものではない。 まあ最初の理由の方が大半かな。 七重の方はというと、わたしと一緒にスーパーに寄って涼宮家の晩ご飯の買い物をしたり、 時々わたしの家に泊まりに来る日は一緒に献立を考えたりしている。 振り返ってみれば、ものごころついた時から七重のお母さんに二人連れられて買い物したり、一緒に料理したりの延長で、 自然と今のようになっていた。 七重は色々特技があるし、家事にそこまで時間を取られることもないんだから、何かクラブに入ればと勧めたことがあるが、 「こうしている方が楽しい」と言われればそれ以上わたしから言うこともない。 たまに断り切れなかった各クラブの代役を引き受けたりしてその度におおいに貢献をしているが、 本人に継続して特定の部活動をする気が無いのである。 七重「サキ足が速いのに。クラス対抗リレーだっていつもアンカーで走るじゃない」 サキ「でも走るのが好きってわけじゃないから」 わたしが唯一七重と互角程度なのは走ることかもしれない。小さいころから野山を一緒に駆け回って培った心肺機能の賜物だ。 自分から名乗り出るわけではないのに、体育大会のリレーでは主に七重からアンカーになるのをすすめられたりする。 任せられると変に責任を感じていつも以上に頑張ってしまう面はあるかもしれない。 それはともかく結局、七重はまたもったいないことに、わたしと同じく部活に入らず、こうして一緒に下校しているのである。 12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 17:02:02.46 ID:XtnbsO5lP ところで、この高校に入れてよかったのは、家から歩いて通えるということだ。 坂道続きなのが難点だが、それほど苦にもならないし。 それに、坂の途中から近くにある母のお墓にも足を運びやすいのだ。 今日はわたしの誕生日。そして、母の命日でもある。 七重を伴って霊園を訪れると、いつものように墓石がきれいに磨かれ、水をかけた跡があった。既に父が供えた花もある。 今日は父が掃除をしていてくれたので、わたしは水をかけ、そして手を合わせる。七重も黙って手を合わせていた。 ここは山の懐に抱かれるように静かで、今は若葉が淡く目に眩しい。 また坂の途中へ戻り、下りていると、 七重「ね、今度の金曜、家に泊まりに来ない?」 サキ「うーーーん、いいね、そうさせてもらうか」 ゴールデンウィークは七重の誘いも断って、ひと月で随分進んだ各科目の勉強と宿題にほぼ費やしていたからな。 ここでいったん羽を伸ばすのもいいな、と思って答えたら、 七重「なあに、今ずいぶん考えたね」 わたしがその考えていた内容を話すと、本当に驚いた顔をしている。 七重「え、宿題……すぐ終わらなかった?」 13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 17:04:05.46 ID:XtnbsO5lP やれやれ、まだ気づいてなかったか。 サキ「一言でいうと、あなたとわたしじゃ頭の出来が違うの。    中学の時じゃ同じ成績だったから気づかなかったかもしれないけど、ナナはわたしより相当頭が速い、って思ってたよ」 父から聞いたことがある。同じ大学でも、父がとても難しくて何度も考えて分かるような問題を、 一度講義を聞いた、あるいは一度教科書を読んだだけで頭に入れてしまう人がいたという。そんな人が中にはいるものなのだ。 今わたしの目の前にいるそんな人は、自分とわたしの頭脳に差異があることをまだ信じられないらしい。 七重「そんな……うーん」 このまま一緒にされては、のちのち厄介なことになりかねない。 サキ「そんなもん。すぐにとは言わないから分かれ」 ついでに、やっと問題が解けて思いっきり伸びをする時の充実感、達成感は分かるまい、と負け惜しみも言っておきたい。 べーだ。まあ、それはそうと、 サキ「高校入ってからばたばたしてたから、七重ん家でやっと一息つけそう」 今からほーっと息をつきながら自分の肩をたたいてるわたしに、 七重「えー、休むなんて言わずに、たっくさん話すんだからね!」 サキ「いつもナナのほうが先に寝るくせに」 七重「そ、そんなことないよ」 でも七重の言うとおり、久し振りのお泊りで色々話せそうだ。そういえば夏物まだ全然見てないな。 14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 17:06:08.64 ID:XtnbsO5lP 七重「じゃあ、また明日ね」 サキ「うん。また明日」 スーパーでの買い物を一緒に済まし、七重の家の前で別れた。 住宅街の中を歩いていると、思わずひとり言が口をついてでた。 サキ「しまった」 昨日の夜炊いたごはんがお釜に入れっぱなしだ。晩ご飯のあと、さっさと今日の分の弁当に詰めて、 弁当箱は冷蔵庫に突っ込んだのに、残りのごはんの方は入れた記憶がない。 お父さんは今日、薬剤師会の集まりに行くとか言ってたし。最近の暖かさだと、昼にはあめてしまっているに違いない。 サキ「やれやれ……」 一つ年を取った初日からこれか。自分のふがいなさにうんざりしながら、止まっていた足をのろのろと動かすと、 サキ「――――!」 ほとんど歩くこともなく、ふたたびわたしは立ち尽くした。追加のうっかりを思い出したためではない。 またあの感覚だ。 ここ最近、あるときは近く、またあるときは遠く、これの気配を感じていた。あの悪夢に似た気配。 灰色の空に包まれた世界。 その世界との境界を、今、目の前の道いっぱいに感じる。 どうしよう。回り道して帰るか。 いや、どうせ気のせいだ。両手に買い物袋と通学かばんをさげて、いちいち気のせいのために遠回りしていられるか。 それに、気のせいだって証明できる、いい機会じゃないか。 半ばヤケ気味な勢いで、わたしはその見えない壁に向かって歩いていき、 そして入ってしまった。 15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 17:08:11.89 ID:XtnbsO5lP 空が黒かった。 突然夜になってしまったのか、と一瞬だけ思い、すぐに違うと分かった。 星がない。月も雲もない。新月の晩だって星は出てるはずなのに、ただ漆黒の闇だけが天に広がっている。 なにより、今歩いてきた道の電灯はぼんやりついているものの、どの家にも明かりが灯っていない。 それにもかかわらず、空の下にぼうっと浮かび上がるように無人の町並みが続いている。 そう、人がいない。車も通らない。風もなく、何も音がしない。 夢ではない。あまりに五感が明瞭だ。 しかし、すぐにそう思いたくなることになった。 数軒先の家の門からフラフラと、白い服の女が出てきて、道の真ん中でゆっくりとこちらを向いた。 垂らした長い髪が顔を覆っている。 刷り込みなのか本能なのか、一目で分かる。ヤバい。 縮み上がるような恐怖を感じる。なぜこんな郊外で都市伝説なんだ。あと、奇妙なビデオを見た覚えはないぞ。 間違えてたら悪いけど、と振り返って走り出そうとしたら、目の前にいた。瞬間移動はナシでしょ! これはパターンに入っている。もう一回振り返ったら必ずまた目の前にいるはずだ。 足には多少自信があるけど、買い物袋を振り回しながら超短距離シャトルランはしたくない。 わたしが後じさりする。 女がわたしの歩幅より大きく、一歩間合いを詰める。 わたしがまた後じさりする。 女が、乗っていたマンホールの蓋ごと勢いよく跳ね飛ばされ、五十メートルは先の家の屋根まで放物線を描いて衝突し、 地面まで転げ落ちていくのが見えた。 茫然としているわたしに、 一「おいおい、どういうことだよ」 その少年は呆れたような声で私に呼びかけてきた。 一「俺が相手をする時は閉鎖空間に機関の人間は来ないはずだろ」 16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:21:07.71 ID:uBy9YMPiP 声につられて振り返ると、ダボッとした安っぽいTシャツに七分丈のジーンズをはいた少年が立っていた。 乱暴な口のきき方とは裏腹に、道に迷った人に声を掛けたような、くりっとした黒目がちな大きな目に温かさを感じる。 ていうかこの異常な状況というか、 時が止まったような静けさなのに胸騒ぎするような空間――そう、もう異空間と呼んでいいと思う――に、 あの都市伝説みたいな女を目にしているというのに、この子は関係なく日常の中にいるような平然とした顔をしていた。 しかし少年は何かに気づいたように、 一「あれ、お前……。いや、もしかして覚醒したばかりで迷いこんじまったのか?」 改めてよく見るとわたしよりも背が低く、声変わりもしていないから、小学六年かせいぜい中学一年くらいだろう。 あどけない顔立ちがどこか七重に似ている。 そう思い掛けた時、ずっと向こうまで吹っ飛んだはずのさっきの女が、逆方向の、つまり少年の後ろのほうからぴた、ぴた、 と近づいてくるのが見えた。明らかに今度は少年を怨念を持った目で睨めつけながら、ゆっくりと。 サキ「危な」 とわたしが口を開くあいだに、女の姿が瞬間的に少年の背後まで移動し、まさに仕留めようと見下ろしたとき、 女は突如天から降ってきた巨大なこぶしに、地響きを立てて潰された。 わたしは轟音と震動に硬直したが、少年は自分の後ろ、そしてわたしの後ろのことのどちらも全く気に留めない様子だった。 わたしの後ろにまたいつの間にか現れた、ものすごく大きな何かの全体像がこの子の視界には入っているはずなのに。 少年の背後のそれは、半透明だけれど、確かに巨大な腕だった。 地面に突き立ったモニュメントのような柱がクレーンのように、ゆっくり引き上げられていくのををたどって空を見上げると、それは青白くほのかに光る体の巨人の肩から延びていたから。何十メートルにもそびえ立つ巨体に漆黒の空が透けて見える。 わたしは何度目か分からないが、改めて絶句した。 夢でわたしが振り返ったときに見たモノが、今目の前にあるから。 恐怖と共に、何故かこの巨人と対峙しなければならないという、ありえない義務感もある。 上を向いたまま瞬きも忘れていたわたしに淡々とした少年の声が聞こえた。 一「大丈夫。敵じゃない」 17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:24:41.48 ID:uBy9YMPiP 少年は膝をついて、クレーターのような穴の中に倒れている男を抱き起こしていた。え、潰されたはずの女は? 確かに地面と巨人のこぶしの間に挟まれる瞬間を見たが。 道路の陥没したような窪みには女の影も形もない。 凝視しても、どう見ても眉間に皺をよせて気を失っている、痩せた若い男性だ。見た感じかすり傷もない。 一「ネットの動画から感染したのか」 うなされている男性の額に指先を当てぽつりと呟きながら、男性の腕を自分の肩に回して持ち上げる少年。 サキ「…一体今のは何だったの。君は誰?」 一「俺から説明するより、あとで柊という人が来るから、その人から聞いて」 さっさと行こうとしている。 サキ「ちょっと待って。あなた、名前は?」 一「俺は……」 と言いかけて、少年は、 一「いや、知らない方がいいだろう。君はまだ選んでないようだから」 サキ「だから、何の話なの?」 と言うそばから、空が一気に明るくなった。 黒い空の天頂はすでに、ふわあっと円形に拡がっていく明るい光に替わっていて、 あの青白い巨人も、繋がっていたパズルがピースに分かれるように、うっすらと消えていくところだった。 気がつくと、ついさっきの、いつもの夕方に戻っていた。近くを通る電車の通過音がここまで届く。 閑静なところなのに、ずいぶん様々な音が聞こえてくるものだ。 傾いた日の光さえ、あちこちに色彩を与えているのだと気づかされる。 道路に目を戻すと、男性を背負った少年の姿はなかった。 18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:31:05.27 ID:uBy9YMPiP 次の日の帰り道、わたしは思い切って尋ねた。 サキ「ナナは弟っていないよね?」 七重「ううん、どうして?」 サキ「昨日、ナナに少し似てる男の子に会ったから」 突然七重は驚いたような悲しいような複雑な表情でわたしを見つめた。 サキ「ナナ、どうしたの」 七重「…それ、わたしのお兄ちゃんかもしれない……」 言ってしまってから、言ってよかったことなのか迷ってる。 民法上年下の兄なんて発生することってあるのかな、という疑問はあるけど、ここはとりあえず サキ「そう」 とだけ答える。 七重が思い出したように、 七重「わたしの家でサキに会いたいって人がいるの、ちょうど七重が家に来る日に。 わたしのお父さんとお母さんの高校の時からの友達で」 サキ「柊って人?」 七重「えっ?なんで知ってるの?」 サキ「今話した男の子がそう言ってたから……でもまさかナナの家でだとは思わなかったな」 七重「そう……じゃ、やっぱりその子って家のお兄ちゃんだわ、きっと」 サキ「じゃあ、七重ん家で聞かせてね」 七重「うん」 そして金曜日。 サキ「じゃあ、また後でね」 着替えて、家の夕食のおかずを少し作っておいて、泊まりに行く用意をするために、いったん七重と別れた。 19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:33:07.59 ID:uBy9YMPiP チャイムを鳴らすと、間もなく七重の返事がインターホンから聞こえた。 門扉を開け、少し尻尾を振って鼻先を寄せてくるジョンのふっかりしたあご周りを撫ぜながら挨拶して、 巣に入っているツバメの親を眺めながら玄関ドアの前で待っていると、七重が出迎えてくれた。 わたしを玄関の中に入れてくれると、静かにドアを閉め、 七重「いらっしゃい。柊さん来てるよ」 サキ「うん。おじゃまします」 七重に続いて靴を脱ぎながら、家の中に挨拶する。 サキ「おばさん、こんにちは」 ハルヒ「ああ、サキ、上がって。お茶用意してるわよ」 リビングの方から明朗活発な顔と声だけ見せると、ポニーテールを翻しておばさんはさっさと引っこんでしまった。 これがお泊りのときの、いつものおばさんの歓迎の仕方。よくわたしが見た事のない(七重も見たことがないらしい)、 すごく美味しいご馳走(多国籍の料理らしい)を何時間もかけて用意して振る舞ってくれる。 一発でこんな美味しい料理を作れるくらいなんだし、前に料理研究家としてテレビに出てみないかって、 近所の人を通じて誘いがあったのに、おばさんは断ってる。 他にも世界の政治情勢にやたら詳しくてニュースにツッコミを入れたり、疎い方面なんてあるのかってほどの雑学家だし、 あと大学レベルの数学や物理の問題を暇つぶしにクロスワードパズル感覚で解いたりしてるらしい。 犬のジョンの世話から炊事や洗濯、お掃除をこなして、地域の困ったことをご近所から相談されたら解決しにいって、 ながらのこれだから、最強の専業主婦であることは間違いないけど、何だか勿体ない。 でもおばさんは今のままが性に合ってるって言ってるし、七重も賛成とも反対とも言わない。 20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:35:11.61 ID:uBy9YMPiP 七重とリビングに入ると、初めて見る人がソファに腰掛けていた。 七重のお父さんやわたしの父と同じ年頃の男性で、知的で切れ長な目と落ち着いた柔和な表情とは対照的に、 引き締まった体つきをしているのが、グレーのジャケット姿からもうかがえた。年齢に合わない敏捷さで男性は立ち上がると、 古泉「初めまして、柊一樹と言います。一くんから小坂さんのことをうかがっています」 サキ「あ、はじめまして」 とは応えたものの、何だか色々と疑問が先立ってしまう。 戸惑っているわたしを見て、七重が台所の流しで洗い物をしていたおばさんを呼んだ。 エプロンをしたままのおばさんに、 七重「お兄ちゃんのこと…」 と促すと、 ハルヒ「ああ、サキ黙っててごめんね。どうも、息子の一(はじめ)と会ったみたいで」 悪びれずに言うおばさんだけど、もしかして。 サキ「あ、大丈夫です。わたし、お二人のことおじさんには黙ってますから」 おばさんと柊と名乗った男性は揃ってきょとんとした顔でわたしを見て、それから顔を見合わせ、そして爆笑した。 ハルヒ「やだ、サキ」 と言って、まだ笑っている。わたしの横の七重まで、両手で口を押さえて顔を震わせている。 ハルヒ「古泉くんの子どもだったらあんな放蕩息子に育ってないわよ。あ、古泉って古泉くんの旧姓ね。 あと、一は幼く見えたでしょうけど、七重の二つ年上の兄だから」 はは、勘違いで良かった。でもどう見ても中一くらいにしか見えませんでしたけど。 古泉「そう言えば僕も男の子が欲しかったですね。家は娘ばかりですから。 いや、一くんは僕や朝比奈さんや、泉さんにとっても息子みたいなものです」 21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:37:16.69 ID:uBy9YMPiP ハルヒ「古泉くん、そう思ってくれるのならね」 何か違う話が始まったみたいだ。 ハルヒ「そちらでどんな決め事があるのか分からないけど、一をもっと世の中に役立つように向けてくれないかしら。     今の状態って人としておかしいものだと思わない?」 古泉「ええ、涼宮さんの言うとおりだと、僕も思います。 しかし『機関』としてはですね、そう融通が利かなくて申し訳ありません。 今度のヤマを越えたらまた状況が変わるかもしれませんので、どうかそれまでは」 ハルヒ「いや、古泉くんを責めてるんじゃないのよ。そもそもあいつが自分自身で気づいて考えないといけないことだから。     ブシンだか何だか知らないけど、社会と関わりを絶って電波の相手だけしてるなんて絶対に良くない。     やっぱりね、あの時高校を出たまま職を持つなり大学行くなりして、 普通に人の中で揉まれて成長していくべきだったの。     それが許されないってのなら、せめて一が持ってる力を人のために生かすのが筋じゃない? そこで余計なことをしたとか反応が返ってきたり、失敗して初めて学ぶものでしょう? あの子、とにかく今のままじゃ駄目だわ」 俄然とまくし立てるおばさんに、 七重「お母さん」 と七重が冷たく口を挟んだ。おばさんは我に返ったように、 ハルヒ「サキ、ごめんね。今日はあんたのために古泉くんは来てくれたんだったわ」 口を閉じて、目をくりっとして軽く頭をさげながら、両手をぱっと顔の前に広げるおばさん。 22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:40:54.88 ID:uBy9YMPiP 沈黙に促されるように、柊、あるいは古泉という人が落ち着いた声でわたしに話し出した。 古泉「一くんによると、小坂さん、君は空が真っ暗で無人で、でも風景だけは一緒だという空間に迷い込んでしまったそうだね」 サキ「はい」 しかし言われてみれば、なぜわたしは異質な空間に入ってしまったのだとすぐに分かったのだろう。 空が急に暗くなって、周りの人が消えたのだと捉えてもおかしくない状況だったのに。 いや、それは自分から「侵入した」という自覚があったからだ。 古泉「そこでホラー映画に出てくるような女に出くわし、襲われてるところに一くんが現れて、君を助けてくれた」 サキ「…」 ちょっと考える。あの切迫した状況に一…七重のお兄さんだから、さんか、がいつの間にかいて、 あの能天気な態度に救われたと言えばそうだけど、マンホールの蓋が勝手に跳ね上がったのかもしれないし、 あの女を潰したのは…… 古泉「それとも見た覚えのある恐ろしい巨人がその女を倒した?」 それは。 サキ「見たことがあるなんて、一さんには」 古泉「混乱させてすまないね。かまをかけるつもりは無かったんだが、ただ僕も能力に目覚めてばかりの時は、 《神人》を実際に目にする前からどういうものか知っていた、という変な状態だったから君もそうかと思ってね」 サキ「…しんじん?」 ふとこんな話に七重がついてこれるのかと思って隣を見ると、かなり必死な顔で 七重「ごめん!サキが夢で見たって聞いてたのに。わたし、柊さんみたいな能力を持ってないから神人ってどういうものか、    よく知らなくて」 何故かあたふたと謝られた。 七重は話の内容は理解できてて、でもあの青い怪物については見たことはないらしい。 おばさんも、柊さんとは旧知の仲らしいけど、一さんの話のやりとりからすると、柊さんと全く同じ立場ではないらしい。 いや、わたしに起こったことを柊さんが説明できるということは、むしろわたしと柊さんが同じ立場なのだ。 古泉「君が見たはずの、青白い怪物のことだ。だがこちらは害を及ぼす存在じゃない、今ではね。    敵はむしろ助けられた男性の脳に寄生していた情報生命体のほうだ。」 23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:42:58.96 ID:uBy9YMPiP 情報生命体ってあの女のこと? 古泉「そうとはかぎらない。巨大なカマドウマの形をしたときだってある。 実体をもたず情報そのものとしてインターネットの中に潜み、 あるきっかけで任意のウェブサイト上に起動データがアップされると、 それを見た人の脳組織に直接、情報として感染するんだ。 人の脳に取り憑いて意識を奪い、異空間を作り出して被害者をそこへ転移させる。 その上で、宿主となった人の畏怖の対象に、本人を変異させてしまう。 具現化した情報生命体を倒せば、被害者は無事に解放される」 なんだかわけの分からない説明だが、少なくとも最後の部分だけは、わたしがあの場所で見たことと一致している。 あの男性はペシャンコのはずなのに、傷一つついていなかった。 サキ「異空間って、あの空が全部真っ黒な場所のことですか」 古泉「君が迷い込んだのは、情報生命体が作りだした異空間を、一くんが自身の閉鎖空間に変換したものだ」 サキ「閉鎖空間っていうと隔離されて、閉じ込められて出られないっていう、あれのことですか」 古泉「そう考えてくれて構わない。詳しい話は君が知りたい範囲で追い追いするとしても、ただもう一つ、 わざわざ空間を変換する必要があるのは、閉鎖空間でなら、僕のような『機関』の能力者たちが、 情報生命体と戦う能力を発揮できるから」 さっき、おばさんとの会話の中にも出てきた『機関』という組織の名称らしい言葉。 古泉「そうだね、君や僕のような能力者が閉鎖空間でなら敵と対等にわたりあえる、と言った方がよかったか。    君は正確には偶然に閉鎖空間に迷い込んでしまったんじゃない。 閉鎖空間へ侵入することも能力の一つだと、……分かるよね、君なら」 24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:45:03.79 ID:uBy9YMPiP 温かく、まっすぐな目でわたしを見ながら柊さんは言った。 見透かされている。 情報生命体や機関という単語はともかく、わたしは閉鎖空間と神人という言葉を聞いたとき既に、 その言葉の意味することを分かっていた。 だが、わざと知らないふりをしたり、一般的なイメージで確認するような姿勢を柊さんに見せた。 わたしが聞く前からわかっていたこと。 閉鎖空間は一さんの生み出した、彼の精神世界を反映させた空間。 大体が半径は数キロメートルの無人でモノクロの世界であるほかは現実の街並と何ら変わらない。 そして、そこに現れる神人をわたしは倒さなければならない。 なぜなら神人は閉鎖空間内の街を破壊し続け、それに比例するように閉鎖空間は拡大し続ける。 そして、閉鎖空間が地球上全てを覆う規模になったら最後……言葉通りの意味でこの世界は終わるから。 そして、わたしには神人を倒す力がある。ただし閉鎖空間でしかその力を発揮できない。 そして、同じ力を持った人が他にもいることを知っている。 その認識が合っているかどうか確認するために。 また、そのことを知っているか柊さんを試すために。 わたしの卑劣な猜疑心を柊さんは見抜いたうえで、それには触れず、ただ誠意をもって問いに答えてくれたのだ。 それに、全てではないがウラの取れる言葉があった、神人は「今では」敵ではない、と。 25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:47:44.58 ID:uBy9YMPiP サキ「はい。分かります」 古泉「機関には君や僕のような能力者が集まって、一くんと連携しながら情報生命体から人々を守るために戦ってるんだ。    本来与えられた力を応用する形ではあるけどね。今日は機関の者として君にお願いしにきたんだ。    我々の一員になって、君の力を機関に貸してほしいと」 それまでじっと、柊さんとわたしの言葉に耳を傾けていたおばさんが片手を挙げた。 ハルヒ「古泉くん、ひとつだけ言わせて」 柊さんが黙って頷く。 ハルヒ「サキ、あなたは要するに選ばなきゃいけないの。でも逆に、選ぶってことができるのよ。 ここから先は選択によってはずっと命がけの日々を送ることになる。 反対に今聞いたことで、それに脅かされず今まで通り普通に日常を生きていくことだってできる。 どちらが偉いとかじゃないわ、全てあなたの意志次第で決められることなのよ」 おばさんは「普通に〜」の辺りで強い目で柊さんに確認をとるような視線を合わせながら、ずっと昔からそうだったみたいに、わたしや七重に辛抱強く説いて聞かせる時のはっきりと、抑えた口調で言った。 すぐに柊さんがおばさんの言葉を引き取る。 古泉「君は涼宮さんにとって大事な――人だし、君のお母さんのことも、側聞してる。 君が関わりたくないのなら、以降僕の方からこの話はしないよ。 でも、閉鎖空間や神人の気配や、その他この件に関することで悩んだり困ったりするようなことがあれば、 いつでも力になる。同じ感覚を持った者だから理解できることもあると思うから。 あくまで君が、君の人生を歩む上での話でね。僕は自分が今していることに誇りを持っているけど、 涼宮さんが言う通り、どちらの生き方に優劣があるわけじゃないんだ。 僕個人は、君が心から願うほうを選ぶことにこそ意味があると思う」 そしてジャケットの懐から手帳を取り出し、手早く書き込むとそのページをちぎって、わたしに手渡した。 古泉「僕の番号だ。いつでも、どんな答えでも、掛けても掛けなくても構わない。それじゃ、涼宮さん、僕はこの辺で」 ハルヒ「え、ちょっと、もうすぐ一品出来上がるから、その味見してからにしたら?」 古泉「それは惜しいですね。でも、今日は」 短いながらもしっかりした口調の返答に、おばさんも引き留めるのをあきらめた。 26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:50:20.84 ID:uBy9YMPiP 玄関までわたし達は柊さんを見送った。ふと、柊さんは少しすまなそうに、 古泉「本当なら水入らずのところをお邪魔したくなかったんだけど……」 柊さんは、今日初めて何か言葉が見つからないみたいで、少し間が空いた。 それが何故なのか分からず、わたしも何か言った方がいいのかなと思い始めたとき、 後ろからぱたっと、わたしの頭におばさんの手が置かれた。 ハルヒ「大丈夫。この子はこう見えて強い順応性を持ってるから」 軽く頭を撫でられて、おばさんの方を向くと、一点の疑いもなく信じている目で笑みを浮かべ、わたしを見守っていた。 はて、わたしはそうだったかな。隣の七重と同じく、わたしも今きょとんとした顔をしているに違いない。 だが、柊さんは楽しそうな笑顔になっていたので、まあいいのだろう。 柊さんを見送ると、七重とわたしは、おばさんにがっしと肩を捕まえられて両側から引き寄せられた。 ハルヒ「さあ、おしゃべりで無駄にした分、巻き返すわよ!二人とも今日は手伝ってちょうだい!」 料理は多めに作ってあって、タッパに詰めて小坂家へ持ち帰るよう指示するのも、いつものおばさんのやり方だった。 正直なところ、わからないことの方が多い。敵がどういう経緯でわたし達と戦うことになったのか。 戦う必然性は…疑問はきりがないが、結局、助けが必要な人がいて、自分に助けられる力があるのなら、 と最後に述語がつかない漠然とした感覚で、わたしは答えを出した。 教えてもらった番号に電話をかけ、わたしは伝えた。戦いに参加したいと。  27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:52:22.41 ID:uBy9YMPiP そして今、わたしは閉鎖空間の中を必死に走っている。 あの悪夢のように何かに追われてでなく、訓練メニューの一環としてだ。 毎日、晩ご飯の後のジョギングと称して夜八時ごろ家を抜け出し、駅前公園の辺りですでに開いている閉鎖空間に飛び込む。 これは敵が中にいるわけではなく、柊さんが一さんに頼んで、 毎日定刻に、訓練のために開いてもらっているのだ。閉鎖空間を開く、という言い方はなんだかおかしいけど。 父には人気のない、暗い道は避けろと言われているが、正にそんなところをダッシュしているのである。 そう、閉鎖空間に侵入するなりジョギングは、長距離ダッシュに切り替わる。聞いたことがない。 公園内を一周すると、訓練には絶好のコースが待っている。そう、北高への坂道だ。 登り坂を駆け上がり(駈け上がれない)、校門がゴール。ここまで来て息が乱れない柊さんがありえない。 校庭のトラックを一周歩いて後、陸上部の部室の壁を柊さんが吹き飛ばし(毎日来るたびに直っているけど申し訳ない)、 中の器具を拝借して筋力トレーニング。もうここまででキツくて吐きそうになる。と言うか最初は吐いた。 筋トレでいい具合に負荷がかかったところで、 柊さんが作ってくれた足場を頼りに、校舎の横の壁をよじ登る。屋上まで、途中落ちた所からやり直し。 屋上のふちを落ちないように一周走り、飛び降りて一とおりのメニュー終了となる。 古泉「暫定として組んでみたけど、バランス悪くないかな」 意見を求められても、とりあえず父が心配しないくらいの時間に帰れるようにしたい、くらいしか分からなかった。 最初のころは筋トレの途中で終了になっていたが、だんだん壁登りの行ける高さが伸びてきた。 28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:54:25.55 ID:uBy9YMPiP ところで、問題があった。 勉強のことなら、帰宅してから晩ご飯の間のわずかな時間と、ジョギングから帰ったら風呂のあとすぐ寝て、 それまでの生活より何時間か早く起きてやればなんとかなった。 問題は機関の能力者として、根本的というか決定的なところにあって、 つまりわたしは自身の紅玉化も、赤い光球を手のひらから出すこともできないのだった。 当初の訓練メニューには、神人狩りが入っていた。 一さんに制御された上で暴れまわる神人を、紅玉化して倒すのが最終目標だったが、 まずは基本の飛行技術から学ぶところで、 サキ「どうやるんですか?」 柊さんは全く予想していない質問を受けたようだった。 古泉「どうって……わからない?」 要は感覚の話だった。あるものはある、ないものはないのだった。 そして、閉鎖空間に侵入できるのに肝心の攻撃能力が使えない、やり方が分からない者など、前代未聞らしかった。 柊さんは興味深そうに、 古泉「僕も遅咲きのほうだったけど、さすがに君みたいな例は初めてだな」 いや、それは相当ショックです。 古泉「では、できるようになると信じて、それまでは体力をつけることから始めるか」 というわけで今のメニューに変更されたのだった。 それにしても、紅玉化すれば体力なんて関係ないんじゃ、と疑問に思い質問したことがあるが、 古泉「いや。紅玉の状態は自身が武器になるだけじゃなく、敵の攻撃から身を守る鎧にもなるんだが、    その強さは精神力に左右されるんだ。そして、体力と精神力は比例するから」 体力をつける以外に精神力を強くする方法はないのだろうか。 柊さんはちょっと考えて、 古泉「まあ強制はしないけど、本を読むことかな。目的のためって言うより、学生なんだし読書で損はないと思うよ」 そう言われれば、世の中には難しい本がたくさんあるなあ、と思い始めた頃から、あまり本は読んでいない。 避けていたジャンルの本に取り組めば、アタマも強くなるものなのだろうか。 29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:56:30.07 ID:uBy9YMPiP ある日、七重が委員会で残って、わたしが一人で下校していると不意に声を掛けられた。 例によって中学一年の時の姿のままの、七重のお兄さんである。 一「よう」 こうして並んで歩いていると、周りからは姉弟に見えるだろう。 サキ「この間は助けてくれてありがとうございました。」 自分で丁寧語で話しているのがおかしく感じる。 一「いや。危ない目に遭わせたのはこちらの不手際さ。でも次からは自分の身は自分で守れよ」 分かってます。そのために毎日訓練してますから。それより、わたしに何か用ですか。 一「別に。あれからどうしてるかなと思ってさ」 サキ「おかげさまで元気です。でも一さん、高校出たままぶらぶらしてんでしょ。もっと有意義に時間を使ったらどうですか」 一「君が下校する所を一緒に歩くなんて、今の俺にとっちゃ有意義な時間さ。 学生時代ってのが何より懐かしいし、女学生が傾きかけた陽の中を今日の学業を終えていそいそと家路につくのを見てると なんかそう……ノスタルジックというか、もう俺には縁のない光景だなって感慨深くなるもの。 あ、一応、君の、高校のOBだから」 そんな小中学生にしか見えない顔をにこにこさせながら、おっさんくさいことを言われてもなあ……。 サキ「じゃあ、わたしのクラスの担任、岡部先生って言うんですけど、どの部活の顧問か知ってますか」 一さんは諦め気味の笑顔で前を向きながら鼻で溜息をついて、 一「サキも変わらんなあ。…職員室で、俺の親父の二コ下の卒業者名簿を見てみろ、山田って名前で載ってるから」 話がこんがらがってきた。わたしの混乱を察したように話を継ぐ。 一「ちょっと用事があって、過去に遡った。その時北高生として潜り込んで、そのまま今まで来たのさ。   あ、言っとくけど学業面でチートは使ってないぞ。頭の方は七重と違って親父似だが、正々堂々ギリギリ卒業したからな」 なにかバック・トゥ・ザ・フューチャーな事情があったらしい。いや、「そのまま今まで来た」って……? 30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:58:32.63 ID:uBy9YMPiP 突然一さんが足を止めた。 前方から歩いてくる、美しいストレートロングの女性を見ている。 女性も微笑みを浮かべてこちらを見ているから、 一「朝倉さん、お久しぶりです」 知り合いなのだと、 朝倉「こんにちは、一くん。それから小坂幸さん」 思ったら、 一「サキ、すまん。また巻き込んじまった。離れるなよ」 サバイバルナイフが飛んできた。 サバイバルナイフが私の目の前で空中に静止している。 女性の手元できらめいた刃物が一瞬でアップするみたいに自分の目の前にあったから「飛んできた」と後から思ったけど、 そう表現するには余りにも直線的で、回転もせずただ前にスライドするような軌跡だった。 周りの風景に違和感を感じて見回すと、向こうでゆっくり自転車をこいでたおっちゃんが、 アクロバティックなサイクリストもびっくりの静止を保っている。 動く物が無いから、二人の会話の他に周りに音が無い。ああ、また異次元。 31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:00:38.07 ID:uBy9YMPiP 一「どういうことですか」 淡々と一さんが女性に話しかける。 前触れもなくわたしの目の前のナイフが、刃先からサラサラと砂のようなきらめく粒子に分解されて消えていく。 かと思ったら同時に女性の手元で砂からナイフが構成されていく。 女性はナイフを手にしてしげしげと眺めながら、 朝倉「今度の戦いで、あなたとわたしがペアで北米一帯を任されたのは知ってるでしょう? なのにあなたからは何の挨拶もないし、久し振りにわたしから会いにきたわけ」 一「それは失礼しました」 ぺこりと頭を下げる一さんに、 朝倉「ああ、それはいいの。本当のところは確かめたいところがあったから」 一「と言いますと」 女性は腕を伸ばしてナイフをわたしに向けた。心臓がどきんと鳴る。 朝倉「素晴らしいわ。さすが長門さん由来の技ね。完璧に再構成されてる」 またわたしをダーツの的にするのかと思ったら、片目を瞑って刃に歪みが無いか確かめていたようだ。 朝倉「実を言うと、情報統合思念体では、あなたがまた前の時みたいに敵性存在に対して手加減するんじゃないか、    という懸念があるの」 手品のように大ぶりなナイフを両手の間にすとんとしまうと、改めて一さんの方を向いて女性は話し出した。 朝倉「わたしはそうは思わないんだけどね。偶然小坂さんが情報生命体に遭遇してしまった時の、あなたの対処から判断すると」 チラリとわたしを見てにっこりすると顔を戻し、 朝倉「それに一緒に戦うんだから今のあなたの力を見たかったし」 32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:03:03.99 ID:uBy9YMPiP 一「お分かりでしょ」 朝倉「数種のシールド展開や回避、再生しか、あなた繰り返さないし、それじゃ分かりようがないもの。 それに、長門さんみたいに、ただ守るだけが防衛じゃない。 攻撃は最大の防御と言うでしょう?今は、あなたの攻性情報の使用傾向を把握できる、理想的な条件下にあるわ」 保育士が、園児に描いた絵の披露をうながすような表情で、女性は、 朝倉「いまのあなたの全力を見せてみて」 女性の言葉に、一さんは一呼吸間を置いて答えた。 一「わかりました。全力ですね」 一さんの全力って、今ここであの女性と戦うってこと―――? おっちゃんが、再びキコキコと自転車をこぎ出した。 普段耳にしているはずの、周りの風景の音がやけに大きく聞こえて戻ってくる。 ビデオの一時停止状態から再生ボタンを押したように、何事も無かったようにふたたび動き出す世界で、 女性は一瞬あっけに取られたような表情をしたが、すぐにクスッと笑った。 朝倉「わたしが教えたことも衰えてはいないようね。いいわ、次は戦場で」 再び女性がこちらに近づいてきた。 歩の進め方は優雅で自信に満ち、それでいて小気味いいリズムの足取りで、もしただ見掛けただけだったら、 自分もあんな風に歩いてみたいな、と真似てみてすぐ挫折するような、とにかく溌剌とした華やぎを感じさせるものだった。 よく見たら、大人びた雰囲気だけどわたしと同じくらいの年頃だ。 流行でもない、普段着で揃えてるはずなのに着こなし、と言うんだろうか。 アクセサリと言えば小さな腕時計くらいだが、気取らない細めの茶色の革の、小さい時計盤も金メッキのごくありふれたものだ。全てわたし達の年代なら全然違和感のない、清潔とはいえむしろ目立たないファッションのはずなのに、 とても洗練されて見えるのはなぜなんだろう。何より、十人中十人が目を引かれるような美人だ。 人の輪の中にいても、パッと華が立ち目を覚まさせるような、生きものとしての生命力と、若さを誇る美が調和している。 って見惚れてる場合じゃ。でも一さんは何もしない。 33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:06:19.82 ID:uBy9YMPiP 女性が立ち尽くすわたし達とすれ違い、二、三歩過ぎた辺りで一さんが呼び止めた。 振り返る女性に、また淡々と、 一「朝倉さんと俺が組むってどうやって決まったんですか」 え、お世話になったらしい人に背を向けたまま物を尋ねるって失礼なんじゃない? 女性は気を悪くした風でもなく、 朝倉「決定したのは統合思念体だけど、進言したのは長門さんよ」 それを聞いて、一さんはなぜか微笑んだ。 それと相反するように、声色は変えず 一「朝倉さん」 前を向いたまま、不敵な笑みを浮かべて、 一「全力で行きますよ。あなたが殺されでもしたら、俺が有希さんに会わせる顔がありませんから」 女性はきょとんとしたが、やがてふっと笑い、わたしに向かって、 朝倉「あなたも、健闘を祈るわ。小坂さん」 女性が遠く見えなくなると、一さんは天を仰いでから大きく溜息をついた。 一「あー、怖かった」 いや、こっちのセリフなんですけど。 一「すまん。俺は全く予定外だったけど、あの人はこうして君と一緒にいる所をわざわざ狙ってたみたいだ」 すまなそうに頭をかいて笑いながら、歩き出す。 サキ「朝倉さん‥って、どんな人なんですか」 わたしもついていきながら、尋ねた。 一「俺は前に世話になったことがあったのに、さっき言われたとおり、ご無沙汰してたんだよ。 長門有希さんと同じ、情報統合思念体のインターフェース、朝倉涼子さん。機関から聞いてなかった?」 サキ「いえ。お二人とも知らない名前の方ですけど。今度の戦いとか、前の時とか、何があるのか、あったのか、    さっぱり分からなかったんですけど」 34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:09:33.73 ID:uBy9YMPiP 一「それは柊さんから聞くといい。君が恐らく感じてるとおり、相当やっかいなことだ。 気になることは全部聞いて、それから決めるといい」 気になることは全部というか、何の話だか全然分からなかった。 一「まあ君もボチボチ頑張れよ、じゃあ、また。あ、岡部先生はアタリだぞ。ハンドボールだけじゃなく人間も熱い先生だから」 そう言って、すぐ先の袋小路にひょい、と入っていった。 覗いてみると、もういない。 わたしはさっそく、その日の訓練のときに柊さんに、今日あったことを話した。 古泉「かなり長い話になるから、今度の日曜は空いてるかい?」 日曜の午後、柊さんと待ち合わせたのは光陽園駅近くの図書館分館前だった。 古泉「待たせてすまない。急用があったもので」 サキ「いいえ。おつかれさまです」 この会話は通行人の目があるからで、待ち合わせ時間の前に閉鎖空間が開いたからだった。 古泉「いや、今さっきのは僕らが関わったわけじゃないんだ。一くんと直接会って話す機会がなかなかなくて、    そちらの方を優先させてしまった。悪かったね。早速行こう」 約束した時間からは10分ほどしか遅れていないから、そちらは気にしていないのだが、 今日はまさに一さんの周辺のことを聞きたいのだった。 それにしても図書館は、わざわざ長い話をする場所ではないような。説明に必要な本でもあるからだろうか。 35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:11:51.39 ID:uBy9YMPiP 自動ドアから入って、右手にすぐ貸出返却受付カウンターがあり、さらりとしたショートカットの、女性の司書さんがいた。 その人はこちらにゆっくりと顔を向けた。シンプルな白いブラウスがとてもよく似合った、知的な感じのするきれいな方だ。 長門「…………………」 公共施設の運営が何でも民間委託の今時、珍しい昔ながらの物静かな司書さんのようだ。 でも不思議と、沈黙をもって迎えられても嫌な感じがしない。きっと、いい人なのだろう。 こちらをじっと見る目にもほのかに温かい雰囲気を感じる。ここなら、また今度本を借りに来ようかな、 と思って、素通りするものだと思っていると、 古泉「長門さん、この子が小坂幸です」 と紹介された。機関の人だったのかな。え、長門さんって一さんが。 長門さんは静かに椅子から立ち上がると、 長門「朝倉涼子があなたに迷惑を掛けた」 僅かに頭を傾けながら言った。 そうか。朝倉さんの知り合いの方だったんだ。 あわててわたしもお辞儀し、 サキ「あ、いいんです、一さんが守ってくれたみたいですから」 長門「そう」 古泉「ちょっと奥の部屋を借ります」 長門「そう」 淡々とした会話だけ交わすと柊さんは歩き出した。わたしはもう一度お辞儀をしてから、ついていく。 36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:13:55.49 ID:uBy9YMPiP カウンターから、正面玄関から入ったとおりまっすぐ歩いて突き当たりを右に曲がると、 書架と壁に囲まれた小さなスペースがあり、隅の方に、今わたし達から見て向かいに、ドアがあった。 ちょうどわたしがドアを見つけたとき、そのドアが開いて、一人の女性が中から出てきた。 そして、長い髪を後ろで大ざっぱに留め、小柄ながら自信に満ちた足取りでその女性は歩いてきた。 この辺りに見かけない垢抜けた雰囲気に気を引かれて眺めていると、 柊さんとその女性が同時にお互いに気づいたようで足を止めた。 古泉「奇遇ですね、泉さん。取材ですか」 こなた「おや、古泉くん!今かがみに会ってたところだよ。今日はぶらっと遊びに来ただけ」 柊さんを旧姓で呼ぶということは、かなり前からの知り合いらしい。 わたしを見て、 こなた「あ、サキじゃん。どうして古泉くんと一緒なの?」 サキ「こんにちは、泉さん」 37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:15:57.53 ID:uBy9YMPiP 小さな図書館の片隅で、泉さんに会うとは。 七重の家に時々訪ねてきた時に会ったことがある。おばさんとおじさんが高校の時、 部活のみんなで東京へ行ったときに知り合ってからの友人なのだそうだ。自分の趣味を表情豊かに熱く語ってる姿が印象的だ。 泉さんはわたしと二つ共通点がある。 誕生月が同じなのと、幼い頃にお母さんを亡くされて、お母さんの記憶がほとんどないという点だ。 学校のクラスの子が後者の話題に触れたとき空気が微妙になるね、 その度に記憶が無いから凄く悲しいわけじゃない、と改めて説明しないといけないよね、と何気なく話されていたのを覚えてる。 柊さんは戸惑った表情をしながら、 古泉「今度新しく入った子なんですよ」 女性はテンションをすこしこちらに歩み寄るように、柊さんの顔を見て、それから再びわたしを見つめた。 好奇心を湛えた明るい瞳を持った人だ。 古泉「泉さんとは僕の女房が、それに僕も高校の時からの友人なんだ」 こなた「どうも、よろしく。時間ができたらまた取材させてね」 悪戯っぽくウインクしながら、泉さんは名刺を差し出した。 両手で受け取った名刺を見ると、名前と住所と電話番号しか書かれていない。 そう言えば七重の家ではマンガやゲームの会話しかしてなかったから何してる人とか知らなかったな。 古泉「泉さんは、主にアニメーション作品の舞台になった地域と、そこに住んでいる人との関わりを焦点にした、 ルポライターなんだよ」 へぇ、ここ、アニメの舞台になってたんだ。 泉さんは照れるように、 こなた「そんな大げさなもんじゃないって。チンピラな物書きだよ」 でも言われてみれば人懐っこさのなかにも、見抜くような鋭さも感じる。 古泉「泉さんの独自の感性と、普通見過ごしがちな事柄をすくい取る視点は一読者として貴重ですよ。    凝り固まった頭がほぐれて、日常の中にもある面白さを垣間見るような気がします」 そういう説明をされると、どんなものか読みたくなるなあ。 38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:17:59.82 ID:uBy9YMPiP 古泉「そう言えば一くんがついさっき、ちょうど帰ってきてましたよ。会ったら喜ぶと思いますが」 こなた「え、あの子戻ってきてたの?でもまたすぐ行かなきゃいけないんでしょ?」 古泉「まだ他の場所が開いてませんから大丈夫。 それに泉さんが来たと知ったら地球の裏側からでも飛んでくるでしょうから。電話すれば?」 泉さんは懐かしむような顔をして、 こなた「そうしようかな。ふむ、一には聞きたいことがあるし」 意地悪におどけた目でわたしをチラッと見たが、しかしふと顔を曇らせた。 こなた「でも一がこの地域に来てたってことは……」 柊さんは声を落として、 古泉「ええ。長門さんや喜緑さんがいるにも関わらず、です。そろそろ近い。 泉さんも大丈夫だとは思いますが、こちらでは一応用心して下さい」 こなた「わかった。古泉くん達もね。じゃあね」 と図書館の入り口に向かって歩きかけて、泉さんは足を止めた。 39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:21:14.25 ID:uBy9YMPiP 少しの間そのままでいたので、 古泉「泉さん?」 と柊さんが呼びかけると、振り返った泉さんはさっきとは打って変わった深い瞳をしていて、 でも違いはそれだけで柔和な表情はそのままだったけど、 こなた「古泉くん。……あの子、わたし達にとっては子どもみたいなもので、普通に役目に頑張ってるように見せてるけど、     ホントはわたし達より大人な面あるから……わかってあげてね」 柊さんには泉さんの言いたいことが伝わったようで、 古泉「はい。本当に泉さんには……。森さんと常々話していますが、あなたの存在にどれだけ彼が救われているかと」 こなた「わたしだけじゃなく、古泉くんも、でしょ」 古泉「……」 大人が目の前で沈黙して、マジな目で見つめ合っているのは、あまり穏やかな光景とは言えない。 古泉「すみませんが、それは難しいんです」 こなた「……そうだね。……ごめん、この話はこれまで!じゃあね、また」 笑顔で手を振って歩いていった泉さんは、閲覧テーブルで本を読んでいた人にも声をかけて、二言三言フランクな感じで会話し、手を振りながら離れて、今度はカウンターのところで長門さんにちゃきちゃき話しかけていた。 柊さんは、何か言い負かされたような流れの割にそんな泉さんを称賛し羨望するような、僅かな笑みを束の間見せていたが、 古泉「さあ、行こう」 と泉さんが出てきたドアにわたしをうながした。 当時のわたしは、今の話の内容は、一さんも悩んでることがあるんだろうな、ぐらいにしか思っていなかった。 それはそれで合っていたのだが、それが七重のお母さんが、とりわけ世界の時事ニュースを見て、 なぜあんなに憤っているのかということを全然分からずにいたように、それ以上は考えもしなかった。 40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:23:42.23 ID:uBy9YMPiP ドアを開けて中に入り、柊さんは広間の中央まで足を進めながら、 古泉「市立図書館とは別に、ここでは長門さんが収集した資料の閲覧を許してくれてる。 ほら、正面に大きい扉があるだろう。気が向いたら、長門さんに頼んであちらを案内してもらうといい。 長門さんが文化的、歴史的、科学的価値があると判断した、古今東西の書物が収められている。 書物以外の資料もあるけど」 長門さんの個人の蔵書なのだろうか、と気になりながらもわたしは広間の全景に目を奪われていた。 確かに足元はコツコツとした平たい床の感触があるが、足元の遥か下(?)の方まで奥行きのある星空が広がり、 まるで全てがプラネタリウムだ。 いや、今柊さんとわたしが立つ平面上に、円形に広がって配置されている幾つかのドアが無ければ、 宇宙そのものだと言っていいくらい。 館内の隅っこのほうのはずなのに、どこにこんなスペースが、というレベルではなかった。 大小様々な、色も様々な無数の星々や銀河が散りばめられ、足元の斜め下、遥か遠くの方を横切る彗星や、 音もなく頭上を遠ざかっていくたくさんの岩の塊の群が見える。 宇宙空間に漂っているような感覚に襲われた。 ドアにしても、平面上に円形に広がるように配置されているというだけで、壁にはめ込まれているわけではない。 今入ってきた場所から正面の、向こうのドアだけは観音開きで一番大きいが、他は普通の、よく見る大きさだ。 そもそも、壁自体が無く、例えばドアの後ろ側にだって歩いて回りこめそうな気がする。 41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:26:53.96 ID:uBy9YMPiP しばし呆然と見回しているわたしに、 古泉「実は今このカギを使ったんだ、泉さんも、僕も」 と手の平に載せた鈍く光る小さな丸っこいカギを見せた。 古泉「ここは中央ホールで、長門さんの故郷を模したデザインになっている」 散開したドアの配置からして広間の中央には、一脚のソファが置かれていた。 そこまで歩いて柊さんについていくと、 古泉「座る?」 わたしは首を振った。 サキ「いえ。それより、泉さんも柊さんもこの図書館の関係者の方なんですか」 確かに「準備室」と書かれた古く変色したプレートがドアの上にはかかっていた。 そうそう簡単に部外者が入れる場所ではないのだろう。 古泉「いや。こんな奥の方にあっても、人目につかないように長門さんにちょっと手助けしてもらってるけどね。    このカギも長門さんからもらったものだ。それからこの空間も長門さんが構築した」 空間。 サキ「教えてください。朝倉涼子さんや長門有希さんがインターフェースとか、どういう意味なんですか。 七重のお兄さんはその人たちの仲間なんですか」 あの黒い空間に迷い込んだあたりから、わたしは、いや、わたし達は一さんと非常に関わりがあることだけは分かっていた。 なぜ分かるのかは知らないが。 でも朝倉さんがやったような、周りの景色が一時停止してしまうようなことは本当にサッパリ分からない。 古泉「…何から話せばいいものか。まず答えよう。朝倉さんや長門さんはこの地球で生まれた人間じゃない」 42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:29:16.97 ID:uBy9YMPiP 目を見開いたわたしの反応を見ながらも、柊さんは話を続けた。 古泉「銀河系、いや宇宙全体に渡って広がる、知性そのものの意識の集合体があるとしよう。 人類が地球上に誕生する遥か前から、悠久の時を専ら思索と、インテリジェンス――つまり情報を探索し、 それによって更に思索を深めていく営みに費やす」 すみません、日本語でお願いします。 柊さんは片手の手のひらを天井の方へ軽くかかげながら、路線バスが次に停留所に来る時刻を教えるみたいに、 古泉「宇宙には今言ったような、情報統合思念体という存在があるんだ。 朝倉さんや長門さんはそこから人類とコンタクトするために派遣された、有機アンドロイドなんだよ。 我々『機関』では彼らをTFEI端末と呼称しているが、簡単に言えば宇宙人」 ……………。 信じられるかどうかと言うより、あんな現象を見せられては、そう納得した方が早い気がする……。 とりあえず、では、 サキ「一さんも朝倉さんと同じ力を使えるみたいですが、宇宙人なんですか」 答えを聞きたくないなあと思いながらわたしは尋ねた。 古泉「いや七重ちゃんの兄で人間だよ。ただ彼は、二つの特殊な能力を生まれながらに持っていた」 43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:32:03.77 ID:uBy9YMPiP サキ「というと?」 古泉「一つは僕らの知っているとおり、閉鎖空間と神人を生み出す能力。そしてもう一つは、 どう表現したらいいのか迷うけど、現実に合わせて自分を変えられる能力、とでも言ったらいいかな」 サキ「それって……誰でも多かれ少なかれ、そうしてるんじゃ」 柊さんは頷いて、 古泉「現実を受け入れる、ということだね。彼の場合、状況を判断して、自分がどうすることが必要か判断したぶんだけ、    それができるようになるんだ。それも、無限のキャパシティをもって」 サキ「つまり、自分のやりたいことは何でもできるってことですか」 古泉「いや、あくまで、彼自身が、本人の意志次第で、制限なしの可変の対象であるという意味に限定される」 サキ「どっちも同じで問題ないじゃないですか」 柊さんは苦笑しながら言った。 古泉「大ありだよ。現実を根本から覆したり、新たに創造したりするのではないから。一くんにはそこまでの力はない。    それに、生まれながらと言ったけど、最初彼は、閉鎖空間を生み出し、神人を暴れさせることしかできなかった。    というより、子どものころある日、自身の生み出した閉鎖空間に迷い込んで、神人に踏みつぶされそうになっていたんだ。    駆けつけた僕ら、機関の能力者が彼を助けたけどね」 懐かしそうな目で言う。 サキ「一さんが閉鎖空間に迷い込んだんですか?」 古泉「そう。思えばこの時すでにもう一つの能力の片鱗を見せていたのかもしれない。    しかし、それ以降何度も閉鎖空間を発生させては、神人の破壊行動に巻き込まれて、必死に逃げ回っていたんだ。    無意識の暴走に自分自身が危険にさらされて、彼にとって悪夢のような日々だったに違いない。    なぜこんなことになるのか、本当に理解するまではね。それはずっと後で、閉鎖空間の空も、今と違って灰色だった」 44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 19:34:07.94 ID:uBy9YMPiP そういえばわたしが見た悪夢の空も灰色だった。 古泉「ある日、彼は僕に神人の狩り方を教えてほしい、と言ってきたんだ。今の君みたいだね。    僕は、まず紅玉化について、これは選ばれた者にしか使えないのだと説明したんだが、    僕の目の前で彼は紅玉化してみせたんだ」 聞きながらふと思う。わたしみたいな例は初めてじゃなかったっけ。 古泉「彼の能力が発現した瞬間だったんだね。意志の力で、機関の者しか扱えないはずの能力を獲得したんだ。 それまで逃げ回るだけだったのが、自分から向かっていこうと決めたからだと思う。 彼は機関の一員になって、僕より強い能力者になったんだ」 現実に合わせて自分を変えるって、そういうことか。……わたしの参考にはならないな。地道にやるしかないか。 柊さんはもう、なんだか嬉しそうな顔で問わず語りに入っていた。 古泉「一くんはやはり涼宮さんと彼の子どもだよ。本当の意味で頭がよくて、 年の差や上司とか部下とかの関係に縛られず、友達になりたくなるようないい奴だ。あ、話がそれたね。 ……そのうち、自分の精神をコントロールすることで、閉鎖空間の発生や神人をも一くんは操れるようになった。 考えてみれば、自分の心に振り回されなければ、閉鎖空間も神人も発生しないんだけど、一度は通る道だったんだろうね。 能動的に閉鎖空間の開閉ができるようになってから、空が黒くなった」 一さんの成長を喜ぶのは分かるけど、その発生源の子どもを命がけで助けながらだから、なんだか人のいい話だなあと思う。 あ、そういえば、さっき閉鎖空間が開いて、一さんが来てたって言ってたような。 サキ「さっきの閉鎖空間って、一さんが情報生命体と戦ってたんですか」 古泉「さっきのは、一くんが戦っていたけど、相手は情報生命体じゃなかったんだ。 確かに一くんも情報生命体と戦うこともあるけど、それは広範囲にわたって感染者が出たときとか、限定されてる。 さっきの閉鎖空間は、天蓋領域のTFEIが涼宮ハルヒの半径300メートル以内に接近したために開かれ、 一くんがTFEIと交戦した」 どうしてここでおばさんの名前が出てくるんだ?天蓋領域? 古泉「この宇宙の外にある情報意識体で、情報統合思念体と同じく多くのインターフェイスを擁する。 彼らが涼宮さんに近づいたのは彼女をかどわかすためだ」 45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/16(木) 19:35:20.07 ID:uBy9YMPiP 30分程休憩します 46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:09:51.87 ID:uBy9YMPiP サキ「何ですって!?」 声を荒げるわたしに柊さんは落ち着いた口調で続ける。 古泉「安心してくれ。ここは我々にとっても彼らにとっても、最重要地点と言っていい場所であり、 長門さん達、統合思念体のTFEIの中でも精鋭で固められている。 何せ天蓋領域のターゲットである、七重ちゃんの両親と長門さんが全て揃っている地域だから」 サキ「おじさんまで!それに長門さんも、どうしてそいつらに狙われなきゃいけないんですか?」 こちらが詰め寄っても、柊さんは注意深そうな表情をさらに、慎重に考えるよう促すようにして言う。まどろっこしく感じる。 古泉「狙う理由については話の中で説明するよ。だが今さっきの接近は、彼らも誘拐が成功できると踏んでやったとは思えない。    裏で進行している大きなことを隠すために、 一時的に長門さん達TFEIの注意をインターネット上から逸らすのが目的だったのかもしれない」 サキ「長門さん達も情報生命体の被害者が出ないように協力してくれてるんですか?」 早口でわたしは尋ねた。 古泉「そのとおり。感染元になった起動データの削除や、ネット上のどこかに巧妙に隠され仕込まれた情報生命体の探索を、    日夜行っている。情報生命体、と言ったけど、起源は情報統合思念体と同じなんだ。 感染元を断つのは、専門家に集中してやってもらったほうがいいから。 パソコンの操作はTFEIの中でも長門さんが一番上手いんだけど、彼女はここの司書の仕事があるから。 実際の作業は他のTFEIがほとんど行って、長門さんや喜緑さんに報告する形らしい」 サキ「喜緑さん?」 古泉「彼女もこの近辺に住んでるから、いずれ紹介できると思う」 サキ「はい。今隠したとか仕込んだって言いましたよね。もしかしてそれをやったのは…」 古泉「分かってきたね。そう、天蓋領域だ。この宇宙で滅亡したはずの情報生命体を、兵器として送り込んできている」 兵器……戦争………。 古泉「数か月以内に情報生命体の爆発的感染が引き起こされる兆候がある。それに乗じて彼らはきっとTFEIをつぎこんで、    七重ちゃんの両親や長門さんを奪いにくる。    それに対抗して統合思念体と機関の連合が、天蓋領域と情報生命体を迎え撃つ」 47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:11:57.30 ID:uBy9YMPiP わたしは呆然としながら聞き、考えていた。なんでそこまで……? 古泉「……大丈夫かい?」 柊さんがソファに座るよう促したが、 サキ「…どうしてそこまでして、おじさんやおばさん、長門さんを狙ってくるんですか」 古泉「延ばし延ばしで悪いけど、それについては一くんのことを話す中で説明しよう。構わないだろうか」 サキ「……はい」 柊さんは、ちょっとの間考えて、 古泉「一くんが閉鎖空間と神人を自在にコントロールできるようになったことは話したね。 そこまで戻るけど、このとき一くんは中学一年で、普通の子として生活していた。 周りの人や七重ちゃんとお母さんに隠した秘密をのぞけば。お父さんは以前から知ってたんだ」 サキ「七重もおばさんも知ってるみたいでしたが」 古泉「もう、一くんが過去へ行くときが迫っていたから、旅立つまえに打ち明けたんだ。二人ともよく受け止めてくれた。    一くん自身も直前まで、自分が時間をさかのぼることを知らされていなかったんだが」 そうだ、一さんもおじさんやおばさんが北高生だったころに、もぐりこんだようなこと言ってたな。 言われたとおり卒業アルバムには、山田というめがねを掛けて、ぼんやりした子が載っていた。 確かに一さんだったが、コンピュータ研所属というのが意外だ。成績良くないと言ってたし。 サキ「一さんが過去に戻った理由ってなんですか。お父さんとお母さんが結婚するように仕向けなきゃいけないとか?」 柊さんは楽しそうに笑った。 古泉「冗談が言えるようでよかった。いや、そちらの方はもう大丈夫だった。 そうだな、朝比奈さんなら既定事項だったから、と答えるだろうし。    でも、一くんは長門さんを守るためだったと言うだろう」 48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:14:01.81 ID:uBy9YMPiP 次から次へと、新しい人やことを知らされる日だ。 サキ「朝比奈さん?」 古泉「朝比奈みくる。一くんを過去へ送る助けをしてくれた人だ。ずっと未来から来た人で、僕と同じ部活の先輩で仲間だ。    そうだ、長門さんのことを君にしっかり紹介してなかったね。まったくあの人は……。    長門さんも涼宮さんが作った部活、いや、団の、同級生の仲間なんだ。もともとの部室の主でもあったんだけど」 ……なんだかにぎやかな部活だったんでしょうね。 古泉「そう。だがそれだけじゃなかった。    君は涼宮さんの家で、一くんが中学一年くらいにしか見えないと言ってたね。    あのときは話をそらしたけど、まさに君の言うとおりだ。一くんは中学一年から、肉体的に年を取らなくなった」 サキ「‥一さんは人間だっておっしゃいましたよね」 柊さんはじっとわたしを見た。 古泉「七重ちゃんのお兄さんで、涼宮さんと彼の子ども、そして君の‥、これだけ言えれば、人間だと言えないかな。    過去に行ってするべきことを知ったとき、 一くんは自分の意志で、長門さんからTFEIの能力を伝授してもらった。不老は、その特性の一つだ。    朝比奈さんからは時間跳躍の仕方を習った。その意志をもって一度その瞬間を見れば、能力として使えるようになるんだ。    いずれも完璧に、それどころか無限の容量を持ち、申請を通すこともなく、はるかに強力に自在に、使いこなせる。    そして、環境情報を操作して自分の記録と、七重ちゃんや両親、そして僕らのような限られた人々を残して、 周囲の人の自分に関する記憶を消し、過去へ行った。僕らが北高の三年になったとき、新入生の一人としてやってきた」 49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:16:04.03 ID:uBy9YMPiP サキ「長門さんを守るため?」 古泉「天蓋領域のインターフェイス達からね。ずいぶん遠回りしたけど、やっと彼らが狙う理由に言及できそうだ。    長門さんはこのとき涼宮ハルヒ――、一くんのお母さんを観測する役目についていた」 一さんの親ともなると過去にまでさかのぼって、観測の対象になってしまうのだろうか。 古泉「最初、天蓋領域側のインターフェイスは、周防九曜という単体しか存在しなかったが、 ある日、長門さんが蓄積してきた観測データを彼女ごと強奪しようと、集団で攻めよせてきたんだ。 彼らもまた、情報統合思念体に追随して涼宮ハルヒの観測データを欲していたから。 天蓋領域側が、統合思念体のTFEIについて研究しつくしていたのに対し、 統合思念体側は、天蓋領域について未知の部分が多く、不利に思われた。 彼らは朝倉さんの、情報制御による空間封鎖さえやすやすと突破できるから、閉じ込めることもできない。 統合思念体は長門さんを奪われる前に隠そうとしていたらしい」 サキ「隠すというと……」 古泉「簡単に言うと長門さんをこの世から消して、統合思念体の元へ戻させるということだ。    そのときそれを止めさせて、代わりに襲来した天蓋領域のTFEI達から長門さんを守ったのが一くんだった」 サキ「彼らを一人で全て倒したんですか?」 古泉「違う。彼はそのとき一体も傷つけず、倒さなかった」 サキ「ええ?」 古泉「一くんはまず天蓋領域のTFEI達を閉鎖空間に閉じ込めると、    閉鎖空間内の時間の流れを、通常空間から切り離し、後は専ら防戦に努めたようだ」 50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:18:06.44 ID:uBy9YMPiP 意味が分からない。 サキ「それじゃあ、勝てないじゃないですか」 古泉「そう。負けず、勝たずの戦法と言える。相手の攻撃をひたすら防いで待つ」 待つって、何を。 古泉「相手の戦闘の意志がなくなるのを。そうなれば閉鎖空間を消して解放する」 帰しちゃうんですか!? 古泉「そう。持久戦に持ち込むことで被害者が出ない限りは、今でも基本的に一くんはそうしてるらしい」 サキ「多数のTFEI相手にたった一人で、よくそんな戦法が通じましたね」 わたしは朝倉さんしか知らないけど、もし戦うとなったら人間は、恐らく閉鎖空間の中での機関の能力者でさえ。 しかも、その統合思念体のTFEIが苦戦を強いられる相手となると。 古泉「確かに。でも一くんは無限の処理能力をもって、どんな攻撃を受けても一瞬で再生できるし、 彼の能力の特性を考えれば、手のうちを見せたぶんだけ相手が不利になる一方だ。    それにしたって、彼が閉鎖空間から帰ってきて、初めてそんなことをしていたのだと分かった。    当時の僕らは訳も分からず、ただ中に入らないでほしいと言われて外で五分ほど待っていたんだ。    でも出てきた彼を見た長門さんによると、彼は一千年近く閉鎖空間で戦っていたらしい」 サキ「1000年!?」 ………………。 古泉「長門さんのためだからと言って天蓋領域のTFEI達を殺したりしたら、長門さんもいい気はしないだろうと言ってたが」 サキ「しかし千年とか、どれだけ長い時間なのか分からないですけど、そんな経験して一さん、よく気が狂いませんね」 古泉「長門さんの支えが大きいんだろうね。まず彼女も似たような経験をしているから。 それに、一くんは人間の立場から宇宙人の感覚に近づいていってるのに対して、 長門さんはその逆を歩んできた人だから、理解しあえるところがあるんだろう」 51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:20:08.44 ID:uBy9YMPiP 長門さんも同じように、切り離された場所で、長い時間を過ごしたことがあるのか。 サキ「ところで、そのとき天蓋領域があきらめたことで、それで終わ…らなかったんですよね」 古泉「ああ、現在の状況は見てのとおりだ。しかし、そのとき以来、一くんは自分がいた未来に時間跳躍を使って帰らず、 そのまま過去の時間の流れから現在まで来ているんだ。今の一くんにこの宇宙でかなう者はいない。 彼の存在自体で天蓋領域が攻め込んでくるのを抑止している面があるから、機関では俗説にならい武神と呼んだりする」 ん?過去の時間の流れからそのまま帰らずに来たのなら、 子どものときの自分に会っちゃいけないとか、色々問題があるんじゃ……。 古泉「そのときから今までの経緯については、かなり入り組んだ説明になるけどいいかい?」 あ、やっぱりいいです。 古泉「ともかく今、ふたたび天蓋領域は狙ってきている」 サキ「長門さんをまた、さらおうとしているんですね」 自分から聞きたいと言ったものの、こんなに長い話になるとは思わなかった。 古泉「長門さんだけじゃない。今回は、情報生命体とあちらのTFEIによる、人類への侵攻をともなって、    ある程度観測情報の集積が見られた本体の回収も目的だ」 本体って。 古泉「七重ちゃんのお父さんとお母さん」 52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:22:14.92 ID:uBy9YMPiP サキ「そういうことか!!」 冗談じゃない。両親がいなくなったら、七重はどうなる?高校は何とか卒業できたとしても、 頭がいいのに大学もあきらめて就職して、兄貴はあの通り放蕩してるしおじいさんとおばあさんの世話を一人でして、 そのうちどうでもいいような男に捕まったりしたら…… サキ「そんなこと絶対に許せない!」 古泉「君が血相を変えるなんて珍しいね。いや、十分そうするに値する状況だが」 いや、柊さん笑ってる場合ですか。 古泉「ああ、悪かった。……さて、僕から話すことは以上だ。聞きたいことはある?」 サキ「今回も一さん一人で片づけてしまえないんですか」 古泉「できない。前回は長門さんを集中的に狙ってきたけど、かれらも賢い。    世界中に情報生命体やTFEIを送りこんで、人類を攻撃しようとしている。 そうなるとこちらの防衛力も分散せざるを得ない」 サキ「だから、そいつらも全部、閉鎖空間に閉じ込めてしまえばいいでしょう」 古泉「もちろん一くんはそうするさ。でも君は、閉鎖空間が世界中に拡がってしまえば、どうなるか分かってるだろう」 あ、閉鎖空間が世界と入れ換わってしまって、終わるんだった。 古泉「向こうもその事情を把握してる。その弱点をついて点を面につなげるように、世界全土にわたって侵攻してくるだろう。    こちらの手を封じるために。でも、それに屈して、人々が危険にさらされるのを見過ごすわけにはいかない。    七重ちゃんの両親と長門さんを守り抜きながら、いかに早く相手を倒し、閉鎖空間を消していくか。 今回はその点も重要なんだ」 53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:24:57.75 ID:uBy9YMPiP サキ「けど、世界が終わったら天蓋領域だって困るでしょう。どういう思考回路してるんですか」 古泉「そう、謎だね。チキンレースを仕掛けてるのか分からないけど、何にせよそういう戦略を取ってくるのは確かだ。 大体、涼宮さんの観測データを奪うのが目的で、人類侵略はその手段に過ぎないんだ」 なんならわたしがさらわれて、おじさんやおばさんのことを連中に説明したっていい。彼らがうんざりするほど聞かせてやる。 古泉「娘を持つ父親としてそれは賛成できないな。それにしても、そもそも長門さんのデータを彼らは解読できるんだろうか。    ……さて、君はどうする。今ならまだ、全てを知らなかったときのようにとはいかないが、 涼宮さんや七重ちゃんのそばにいて、危険があればそれを我々に連絡する役につくこともできる。それだって重要な…」 サキ「何言ってるんですか。やらなければいけないと分かってるなら、やるしかないでしょう。戦わせてください」 柊さんはそれまでになく驚いた目でわたしを見たが、気を取り直したように、 古泉「……君がそのつもりなら、長門さんも君に何かと力を貸してくれるはずだよ。    情報統合思念体から機関に、標的の護衛に少しでも多くのTFEIを配備するため、また、観測条件を整えるために、    人類を保全してほしいという依頼が来ているから」 サキ「あきれた!わざわざ頼まれなくても、全部わたし達に切実なことばかりなのに」 古泉「お偉方の融通が利かないのは、どこも共通の事情らしくてね。 長門さんはもともと面倒見のいい人だけど、建前があった方がやりやすいに違いないから。    統合思念体にとっては、観測の継続こそが切実な問題なんだろう。    長門さん達TFEI端末には、貴重な情報を教示してもらったり、機関としても世話になっているから、    そういう浮世離れした感覚もあるのだと、尊重していかなくてはね」 長門さんも静かな表情をしていたけど、板ばさみで苦しいこともあるのかもしれないな。 古泉「もう聞くことが無いなら……」 サキ「はい!失礼します!」 今のわたしには、閉鎖空間に侵入できる以外に、何も力がない。 訓練をもっと早く、多くこなせるようになって、能力を使えるようになって、それから使いこなせるようにならなければ。 カウンターでレファレンスの相談に応じている長門さんにおじぎをすると、わたしは自動ドアをくぐって駆け出した。 54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:27:00.90 ID:uBy9YMPiP 化学の教師が黒板に中間考査の範囲を書いていくと、クラスのあちこちから溜息をもらす声があがった。 後日、教室の後ろの掲示板に、全ての教科の範囲がまとめて貼り出されるはずだけど、今まで知らされた分だけで十分苦しい。 サキ「ふぃ〜〜。テスト範囲広いね」 と後ろの席の七重を振り返ると、何か考え込んだ表情をしている。 そう言えば朝会った時から何か元気がなかったが、話しかけてるのに気付かないとはよほどのことだ。 七重はいつもは能天気なくらい開放的で、いい意味であまりものを考えてない。 周りが愚痴を漏らそうが、マイペースにボケて、言った方までくだらないことに悩んでたような軽い気分に感化してしまう、 普段はそういうタチの悪い奴だ。本人はいたってマジメなつもりでいるからますますタチが悪い。 成績優秀でおばさんに似て美人で、運動神経も抜群なのに、肝心の性格がこんな隙だらけだから、同性異性問わずもてる。 にも関わらず、わたしが知る限り七重は誰とも付き合ったことはない。それはともかく…… わたしはもう一度呼びかけた。 サキ「七重、どうしたの」 七重はハッとしたように、 七重「え、何でもないよ」 サキ「嘘」 とわたしは言いながら、日番がもうほとんど消しかけている黒板を指さす。 七重「あ、わわ」 と慌ててシャーペンを走らせるも、時すでに遅し。 サキ「ほれ」 わたしがノートを見せると、 七重「ありがと」 なんと、ほとんど板書もノートに取ってない。 サキ「………」 55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:29:03.86 ID:uBy9YMPiP わたしの無言の視線攻撃に観念したのか、手を止めてふうっ息をつき、 七重「きのう、お父さんに怒られちゃった」 そう言いながらまた書き出す。 サキ「どうして?」 七重「サキのこと」 わたしのことで、おじさんが七重を怒る? 七重「どうして止めないんだって。……お母さんが話したの、サキを柊さんに会わせたこと黙ってるべきじゃないって」 旧友を娘の幼馴染に紹介するのがそんな禁忌事項になってたのか。 うーん、ああ、そうか。『機関』のことでだな。 七重「お母さんは、サキが自分で選んだ以上、とやかく言うべきじゃないっていうの。 お父さんは、とにかく信じられない、て怒って柊さんに電話かけようとするし……柊さんのせいじゃないのに」 そこまで言うと、唇をくちばしのように尖らせる。 しかし何だろう、この違和感は。 この家では、他の家の子のために、本気で親子喧嘩、夫婦喧嘩を始めるらしい。 わたしは感謝してるけど、他の人から見たらかなり奇異な光景が映るだろう。 おじさんとおばさんのことだから、取っ組み合いになったのかもしれない。おじいさんもおばあさんもびっくりしただろう。 その光景を思い浮かべると、思わずクスッと笑ってしまった。 七重「……」 今度はわたしがジトッとした目でにらまれる番だった。ごめんごめん、なんか、ありがとね。かばってくれたみたいで。 七重「わたしだって。……とにかく、お父さん、サキとも直接話したいって、言ってたからね」 サキ「ああ、うん、わかった」 七重はまだ言いたそうな顔をしたが、残りを書き写しにかかった。 一さんのことがあるのに、わたしの心配までしてくれてる七重の前で笑ってしまって悪かったと思う。 でも、まさかその日のうちにおじさんと話すことになる、とまでは考えが及ばなかった。 56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:31:27.84 ID:uBy9YMPiP わたしと七重が帰りに父の薬局に寄っていると、表にお客さんの来る気配があって、 ガラスの引き戸を開けてきたのは、おじさんだった。 おじさんは地元の酒造会社のルートセールスをしていて、 近くの酒屋に用があるとき、よく家のお店に立ち寄って父と立ち話をしていて、時たまわたしや七重も居合わせたりする。 しかし、よりによって、というかわたしと七重にとって居合わせるのは随分久しぶりであったのだが。 サキ「あ、おじさん…」 キョン「おう、いたのか」 七重は黙っている。 父の分からないところで気まずい空気が漂った。 おじさんはいつものようにリポビタンDを一本買うと、その場で飲み干した。 そしてわたし達を無視して父と世間話を一くさりすると、入ってきた時みたいにさっさと出ていった。 しかし、おじさんは元々さっぱり物事にこだわらないというか、おばさんと違って感情は間接的な言葉で表現するというか、 心の奥はいつも温かいのに淡々としているような人だけど、今のわたしと七重に対する態度は明らかにいつもと違う。 父は気づいてないみたいだけど。 こういうことは早いほうがいい。七重やおばさんと、おじさんの冷戦状態を長引かせる必要はどこにもないし。 七重と夕飯の買い物のためにお店を後にすると、少し歩いたところでやっぱりおじさんは待っていた。 キョン「サキ。少し話せるか」 サキ「うん、いいよ」 と答えて、七重に、 サキ「ナナ。また明日ね」 七重はわたしを見て、それから、 七重「…ん。わかった」 と先に帰っていった。 話を済ませてから一緒に買い物するには、長すぎる「少し」になるに違いないから。 57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:33:33.40 ID:uBy9YMPiP 二人で並んで歩き出し、おじさんが話を切り出すのを待っていると、 キョン「店に入ったとき、なんで佐々木が北高の制服を着てるんだと、一瞬錯覚したぜ」 サキ「あれ、そういえば見るの初めてだっけ」 最近、祖父母にも、母とますます似てきたと言われる。 父は、ものを考えるときなどのしぐさがそっくりで驚くことがあると言う。そういうことがあるのだろうか。 キョン「ああ。似合ってるぞ」 サキ「ありがと。外で会うのなんて久しぶりだものね」 キョン「そうだな。お前も十六か」 サキ「あ、そういえばそうだった」 おじさんはぐいっと首をこちらに向けて大げさににらみながら笑った。 キョン「おいおい」 その日に色々とあったせいでずっと後ろのほうに隠れてしまっていたな。 わざわざ自分の誕生日が祝われるのに積極的でないけど、そういう習慣も考えものかもしれない。 話を少し戻す。 サキ「でも外見はお母さんに似てても、性格は全然違うんでしょ?」 キョン「全然、てことはない。ものをよく見て、なおかつ動じないところなんかよく似てる」 おばさんに似たようなことを言われたような。 キョン「…だがな」 そう呟いて、おじさんは口をつぐんだ。 58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:35:35.58 ID:uBy9YMPiP 自販機で買った缶飲料を渡されて、わたしはおじさんと光陽園駅前公園の中のベンチに腰かけた。 二人とも黙ってとりあえずプルタブを起こし、飲み物を啜る。 おじさんは一息つくと、 キョン「暖かくなったな。日も長くなった」 サキ「それ、鶴屋さんとこでお花見した時も言ってた」 キョン「ほら、あの頃は花冷えで、日が傾くとまだ肌寒かったろ」 サキ「まあ、そうだね」 会話が途切れる。 キョン「お前、親父の跡を継ぐのか」 サキ「そのつもりだよ」 キョン「勉強難しいだろ」 サキ「なんとかやってる」 キョン「そうか」 再び会話が途切れる。 おもむろに、おじさんは口を開いた。 キョン「とりあえず一は殴っといた」 サキ「ちょっおじさん!? 誰が能力者になるかなんて、一さんには分からないんだよ?」 キョン「ああ。だがあいつのふざけた力にお前を巻き込んだのは確かだからな」 サキ「でもそれじゃ機関の人の数だけ息子を殴らないといけなくなるよ」 キョン「それはない」 おじさんはきっぱりと言い放った。 サキ「それおかしくない?」 キョン「おかしくないとも!俺はお前が可愛いからだ!」 59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:37:37.67 ID:uBy9YMPiP …人通りの少ない公園でよかった。 サキ「ねえ、お母さんが生きてたら、このことを知ったらどう言うかな」 おじさんが前に、わたしの母のことを、中学のときからの親友だと言ったことを思い出して、わたしはたずねた。 キョン「…まず殴られるのは俺だろうな。それからどんなことを言ってでも、お前を止めるだろうよ」 サキ「…飄々として、物事をいつも客観的に捉える人だって言ってたじゃない」 キョン「お前に関してだけは別だ。早くお前に会いたいと、十月も待てないようなことを言ってた」 サキ「……」 キョン「地球を侵略するエイリアンに向かってお前が戦いにいくなんてことは、お前の親父には話さない方がいい。 だが佐々木なら、話を理解した上でお前にはそうすることを絶対に許さない。 俺は、知ってる側の人間として、お前を止める義務がある」 60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:39:40.47 ID:uBy9YMPiP わたしはおじさんを見ていたけど、おじさんは話しながらずっと前を向いたままだった。 話し終わると、缶コーヒーの残りを一気に飲み干し手に持ったまま黙っていた。 サキ「お母さんやおじさんが、その理由で止めるのなら、おじさんもお母さんも分かってくれると思う」 おじさんは怪訝な顔を向けた。 サキ「わたしが戦うのは、おじさんが言ったその理由と全く同じだから。わたしがおじさんやおばさんや七重が大好きだから。    こんなことに脅かされずにいてほしいから。だから、絶対に、やめるわけにはいかないの!」 少しのあいだ、表情が固まっていたおじさんは、こちらに傾けていた顔を前に戻し無理に笑顔を作ろうとしながら、 キョン「一を殴っておいて正解だった…」 わたしはおじさんが泣くところを初めて見た。 キョン「時間を取らせたな」 しばらくの後、おじさんが落ち着きを取り戻して、わたし達はベンチから立ち上がった。 おじさんが辺りを見回す。 サキ「何か忘れ物?」 キョン「…この場所ならあるいはと思ったんだが」 おじさんは静かに笑いながら首を振って、歩き出しながら、 キョン「いや、別にいいんだ。お前、買い物行くところだったんだろ。送ってくか?」 サキ「おじさんこそ、まだ廻る途中だったんでしょ」 キョン「いや、次まで大分間があったから構わない」 有難いけど、その気遣いを家族にまわしてほしいものだ。 サキ「ありがとう。でも、いいよ。おばさんと七重と仲直りしてね」 おじさんは決まりが悪そうに頭を掻いて、 キョン「ああ、わかった」 いつものとぼけた調子で返事した。 61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:41:43.44 ID:uBy9YMPiP 駅前でおじさんと別れ、スーパーまで向かいながら、わたしは今の、今までのわたし達のことを考えていた。 おじさんと母は、中学の時からの親友らしい。 異性間に友情は成立するか、という問いに答えは色々あるけど、一つ言えるのは成立すると互いの結婚式の友人席の光景が、 かなり賑やかな顔触れになるということだ。もっとも、おばさんもおじさんと一緒に父の結婚式に参列したとも言えるし、 母の場合も然り。まあ、そういう余計な説明は不要なのである。友情にそもそもアカウンタビリティは存在しないのだから。 父と母は本当は二人で薬局を営むはずだった。 二人は大学で知り合い、一緒にお店を開こうと約束していた。 おじさんが言うには、父と母は大人しいところがよく似ていたようだ。 ただ、どちらかと言うと母のおしゃべりを聞いて、父が考えたところを返すような関係が印象に残っていた、と。 父は東海地方の出身だったが、両親があまりこだわりの無い人で、二人は薬剤師の資格を取ると、揃って関西の企業に就職した。 当初は母の実家近くに部屋を借りて通勤していたが、開業計画のことを知っていた母の両親に勧められ、 ちゃっかり二人ともに同居していた。男のプライドは、と言う人がいるかもしれないが、 父は感情と論理のバランスが取れていて、母との計画の実現のために、誰にとっても必要のない部分には本当にあっさり、 執着しなかったのだと思う。 決して目立たず地味だけど芯が強く、ゆっくりとだが着実に目標へ近づいていく父と、 大人しいところは似ているけどめくるめく発想の量とスピードを誇るアイデアマンでもあった母は、 社内での部門は違えど、互いにアドバイスを交換しあい、それぞれ目覚ましい研究成果を上げていたらしい。 今でも家には、勤めていた会社の人や、大学時代の友人が訪ねてくるけど、 なぜ研究者のままでいなかったのかとよく首を捻っている。 わたしが思うのは父は、祖父母や母、そしてわたし達家族の側にいたかった、 母が側にいられるようにしたかったのではないだろうか。 もちろんそれが理由のすべてとは言わないが、 父は寂しがり屋ではないけど、人が幸せそうな顔をしているのを見るのが好きだから。 とにかくそんな父のおかげでわたしはここにいられる。 62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:44:20.26 ID:uBy9YMPiP 二人で貯めた資金がある程度になったころ、父が店主の調剤薬局兼わたしと父が今二階に住んでいる店舗の話が、 おばさんと鶴屋さんから入ってきた。 鶴屋さんは地元の名家の当主で、おばさんとは高校時代からの部活でのつきあいが続いている間柄だ。 なんでもその薬局の店主の方が高齢で、近々田舎に帰って隠居するとのこと。そのためになるべく早く売れればいいなあ、 と話していたのをおばさんが聞きつけ、鶴屋さんにあれこれ相談し、うまく話を整えた上で持ってきてくれたのだ。 地域のことには隅々まで目の届く二人のお墨付きとなれば願ってもない話だったが、ちょうどその頃母の妊娠が分かったばかりで、父は当初乗り気ではなかった。 しかし、千載一遇のチャンスを逃すべきでないという母の強い希望に折れて、決断した。 そしてわたしが生まれ、母は亡くなった。 母の死後、既に購入していた薬局の店舗兼住居を、父はどうするべきか考えあぐねていたらしい。 それまでは母の実家、つまりわたしの祖父母の元で暮らしていたし、生まれたばかりのわたしのことを考えると、 わざわざ今の仕事を辞めて薬局を開業するなど、正直あきらめていたらしい。 しかし、そんな父に発破をかけたのがおばさんだった。 前からちょくちょく母の実家まで遊びにきていたおばさんとおじさんだたったが、 空いたままの店舗兼住居を売りに出すつもりだと話した父に、わたしの祖父母の前で、おばさんはこう言ったらしい。 ハルヒ「あんた佐々木さんとの夢をそんなに簡単にあきらめるつもりだったの!?いい、二人で決めた通りにやりなさい!     子どもなんてね、親が一生懸命まっすぐに生きてる背中を見てたらそう育つもんよ。     あんたが今まで佐々木さんと一緒にあたためてきた、描いた夢まで失くしたら、佐々木さんはどうなっちゃうのよ!」 母がもしその場にいたら、わたしはちゃんと死んでますから現実的に考えて下さい、と言うような気がしてならないが。 ともあれ、慌てる祖父母に、この娘の面倒はあたしが見る! ……とまでおばさんは言い、 その流れで今の、わたし達がある。 64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:46:22.97 ID:uBy9YMPiP 古泉「小坂、何をボーッとしているんだ。気を抜くんじゃない!」 柊さんの怒鳴り声でわたしは我に返った。 目の前にバスケットボールくらいの大きさの赤い光球が停止していた。日課となった閉鎖空間内での訓練。 ほんのわずかの間だが物思いにふけってしまった。 古泉「体調管理は基本だぞ」 今は柊さんが様々な角度から放つ、火の玉を受け止める訓練をしていた。 受け止めるといっても直接手で触れるわけではない。念の力で自分の手のひら近くに止めるのだ。 わたしはどうにか、これくらいはできるようになっていた。自分から紅玉化や光球を出すことはできなくても、 味方が出した火球を受け取ることができれば、またパスしたり、そのまま敵へ攻撃したりできる。 もちろん、受け損ねればやけどではすまない。そして、実戦で使うときはもっと大きい火球を、 ハンドボールの試合の連係プレーのように、めまぐるしく交差させているらしい。 フェイントで来たパスに自分が命中しては笑い話にもならないのだ。 入学式の日の岡部先生の話をよく聞いてれば、と頭をかすめるときがあるが、幽霊部員になるのがオチだと思うことにしている。 サキ「すみません、大丈夫です。いつもどおりです」 古泉「いつもどおりだと感じる日こそ、気を引き締めるべきだ。そのいつもどおりが、一瞬で崩れる境にいるんだと、    この場所では忘れないように」 柊さんにしてはやけに強調してるな、と感じたが、きっとそれだけの危険があるということなのだ。 サキ「はい。お願いします!」 65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:48:25.99 ID:uBy9YMPiP 校門から出てしばらく歩いていた七重とわたしに、前から歩いてきた女性が声をかけてきた。 森「こんにちは七重ちゃん、はじめまして小坂さん」 なんかシチュエーションが似てるな。 七重「あ、おひさしぶりです」 サキ「知ってる人?」 七重「森園生さん。機関の、柊さんの上司の人だよ」 サキ「あ、はじめまして」 通りがかった黒塗りのタクシーを森さんが手を上げて止めた。 森「ちょっといいかしら」 助手席に座った七重が、運転手の男性にお元気ですか、とにこにこ話している。やがて、 七重「森さん、今日はどうなさったんですか」 と後部座席に顔を向けてきた。 森「小坂さんとお話したくて。どう、七重ちゃん、高校は楽しい?」 七重「はい、おかげさまで。森さんは忙しいんでしょう?」 森「いつもどおりかな。こちらもおかげさまで、相変わらず元気でやってるわ」 七重「よかったです」 七重は微笑むと、顔を戻した。 66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:50:38.36 ID:uBy9YMPiP 光陽園駅前まで来ると、七重は、 七重「あ、ここでいいです」 タクシーが停止し、七重は前後を確認して降りた。 七重「多丸さん、ありがとう。お二人とも、また遊びにきてくださいね。サキ、じゃあ、また明日」 サキ「あ、じゃあ」 タクシーが発進し、手を振る七重が遠ざかる。 七重にしても、いったい涼宮家にはどれくらいのお客さんが来てるのだろう。 最近はわたしもつられて人の縁が次々に繋がっている気がする。広がる友達の輪、という言葉が勝手に頭に浮かんでいると、 森「忙しいところを突然ごめんなさい。すぐに済むから」 隣の森さんが静かな微笑みが向けていた。 サキ「あ、いえ。時間を割いてもらってありがとうございます」 森「古泉があなたが疲れてるみたいだ、って心配してたわ。めまぐるしいほど、色々なことが立て続けに起こったものね。   頑張りすぎないように、自分の時間も大切にしてね」 まだ戦力にもなっていないわたしを心配してくれる。柊さんと森さんに、何か申し訳なく、ありがたい気持ちになった。 市内の中心部にある北口駅の、ロータリーでわたし達は降りた。電車に乗るのかな、と思うと、 目の前の喫茶店に案内され、森さんに続いてわたしも自動ドアをくぐる。 店内は落ち着いた、少しレトロな雰囲気だ。静かにクラシック音楽が流れている。 席につき、注文をすますと、 森「これ、あなたに長門さんから」 大事にしてね、と手渡されたのは、あの鈍く光る不思議なカギだった。 67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:52:51.34 ID:uBy9YMPiP 森「いくつか説明するわ。まず、長門さんのライブラリの利用ができることは知ってるわね。   他にも、このカギを持って、自分の行きたい場所を念じれば、その最寄りのドアに通じる機能があるの」 なんだか夢が広がるなあ、と思うあたり、やっぱり疲れてるのだろうか。でも。 サキ「わたしの部屋のドア、カギがついてないんですけど」 森「カギの形をしてはいるけど、囚われることはないわ。必要なとき、使えば分かるから。   ただし、よほどのことがない限り使わないでほしいの。   というのは、このカギは使うたびに、長門さんに労力を割いてもらっているの。   長門さんは遠慮なく自由に使ってくれとおっしゃっているし、わたしから強制することではないわ。   ただ、長門さんからの友情の証しであるということは忘れないでね」 サキ「友情……」 森「機関ではわたしと古泉しか持っていない。いえ、わたしは例外にあたるほうね。   長門さんのごく親しい人々しか持っていないもの」 確かわたしは長門さんとはあの日が初対面だったと思うんだけど……。 森さんはそれまでの凛として思慮深い微笑みをほころばせた。 森「ほんとうは古泉の説明を聞いて、あなたが出てきた時に、ご自身から渡したかったそうなのだけど、   あなた、一目散に駆けていったものね」 サキ「え?森さんも図書館にいらっしゃったんですか?」 森「はい。ごめんなさいね。あの日あの場所で、古泉があなたに話をすることは聞いていたから、   早くあなたに会いたくて、カウンター近くのテーブル席に腰かけてたの」 すると柊さんは入館時に、上司の前を素通りしたわけか。 森さんは面白そうに、 森「そう。古泉にも知らせず来てたのだけど、あの子何食わぬ顔で長門さんにあなたを紹介して、行ってしまったでしょう。   わたしがそういうことをする人間だって分かってるのね」 本当に楽しそうに笑った。 森さんも茶目っ気があって親しみやすそうな方だと思ったけど、森さんがいると分かってて直行する柊さんも柊さんだ。 上司と部下とは思えない、何だか面白い関係だなと思う。 森「とにかくこうして改めて挨拶したいと思っていたの。遅れたけど、これからよろしくね」 サキ「はい。こちらこそ、わざわざありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」 68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:55:00.43 ID:uBy9YMPiP 注文した紅茶が運ばれてくると、森さんはうやうやしい笑顔をウェイトレスさんに見せながら受け取った。 喜緑「どうぞごゆっくり」 背中までの長さの、ウエーブかかった髪の、美しいウェイトレスさん。 わたしと同じ年頃のはずなのに、とても自然で心がほぐれていくような所作でわたしの前に紅茶が置かれるのに見とれる。 と、森さんは居住まいを正して、 森「お世話になっています。新人の小坂です。 この方は喜緑江美里さん。朝倉さんや長門さんと同じ、情報統合思念体のインターフェースの方よ」 あわてて頭を下げる。 サキ「あ、はじめまして。よろしくお願いします」 トレイと運んできたときの微笑のまま、喜緑さんは軽く頭を下げ、 喜緑「はじめまして。あなたのことは長門からうかがっています。こちらこそどうぞよろしくお願いします。    色々とお聞きになって、ご友人のことで心配がおありでしょうが、安心して下さい。 その時が来たら、七重さんのご両親を長門さんが、そしてわたしが長門さんを守ります」 その時。 そうだ、閉鎖空間の外では天蓋領域のインターフェースが一斉におばさんやおじさん、そして長門さんを攫いに襲ってくるのだ。 長門さんと喜緑さんが幾ら戦闘の術に長けているといっても、相手の数はきっと多すぎるほどなんじゃないか。 そんなわたしの恐れを見透かしたかのように喜緑さんは優しく微笑んで、 喜緑「ご心配なく。策はあります。一さんが作ってくれた時間を我々は無駄にしていたのではありませんから。    彼らが元々、我々インターフェースとのコンタクト用に造られたのであれば、今まで収集した彼らに関するデータを基に、    彼らに対抗できるインターフェースを造り出すまでです」 69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:57:03.02 ID:uBy9YMPiP ってそんな極秘事項っぽいこと口に出していいんですか。 喜緑さんはにっこりと、 喜緑「ええ、このカフェはお客様がゆったりと寛いでいただけるよう、風通しがいいものですから」 もちろん筒抜けってことか。慌てて周りのテーブルをわたしは見回す。 森「幾らなんでもそんなに近くに座って、聞き耳を立ててるのではないわ。情報統合思念体や天蓋領域の情報戦ともなると、   これくらいの情報は相手だって既につかんでるし、喜緑さんはわたし達のために話してくれただけよ」 宇宙からだって、この喫茶店での会話を聞くことができたりするのだろうか。それにしても、 サキ「そんなにお互いのことを知り尽くしてるなら、いっそ和解できたら一番いいのに」 思ったことをそのまま口に出したわたしに、静かな微笑みを絶やさず、喜緑さんが答えてくれた。 喜緑「おっしゃる通りです。ただ、外があるから内がある、そしてその逆も。そういうものなのかもしれません」 わたしよりずっと賢い人が、非礼な口を聞いたわたしに誠実に、率直に答えてくれたように感じた。 シンプルすぎてよく分からないが、喜緑さんの言葉の意味を心の中で考えた。なんだか神妙な気持ちになる。 喜緑「では、どうぞごゆっくり」 喜緑さんがカウンターに戻ってから、何だか『機関』の部下としてやらかしてしまったのではないかと、 わたしは森さんに切り出した。 サキ「すみません……。森さんの前で、喜緑さんに分かったようなこと言ってしまって」 しかし、森さんが気にしてないような顔をして、返してきてくれた言葉がまた意外だった。 森「いいえ、むしろわたしもこの状況に感謝している所もあるくらいよ」 70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:59:07.34 ID:uBy9YMPiP サキ「感謝?」 森「ええ。わたし達は他国の人間をただ敵対する相手としか認識しかねない時があるわ。領土や貿易、宗教の違い…   人間同士、争いを起こす火種は数えきれないほどある。 飢えや貧困、弾圧、支配…真っ先に改善すべき問題が山ほどあるのに、そういう状況を逆に新たに作り出しながらね。 そんな我々が一致団結するときというのは、人類共通の敵が現れる時くらいじゃないのかしら。 不思議なことに今、機関の能力者は世界中の各国に均等にいるの。 そうすると、領土の広い国にはとても人員が足りないから、 いざ情報生命体が現れたという時には近隣の国や区域の人が応援に駆けつけることだってある。 それは侵略や交戦のあった歴史がそう古くない国同士であってもよ。 感情的なしこりは残ったままだけれど、お互いに失うことのできない仲間だから。 そして、日本なら鶴屋家のような財閥のように、世界各域の経済を陰で動かしている方々に状況を説明して、 とりあえず軍需にお金を回さないようにとか、僅かずつだけれど加減を変える方向づけをしてもらってる」 なんだかよく分からないが、世界中にわたし達と同じように戦っている仲間がいるらしい。 しかし、鶴屋家が機関と関わっていたとは。当主の鶴屋さんのことは子どものころからよく知ってるけど、 いつもカラカラとよく笑っているイメージしかない。 だけど、こういう大事に関与していると言われれば、それも信じてしまえそうな大きな人だ。 森さんはティーカップを持ち上げると、片手を包み込むように添えて静かに紅茶を啜った。 そしてカップを持ったまま、ふと窓の外に目をやった。中学生らしい少女達が談笑しながら通り過ぎていく。 カップとソーサーが触れ合う小さな音を立てると、カップの中を見つめながら森さんは再び口を開いた。 森「最初のころは全て分からなかったの。なぜ閉鎖空間と神人が現れるのか、なぜわたし達が戦うことによってしか、   世界を守れないのか。ずっと分からないままだった」 ゆっくりと顔を上げてわたしに話しかける。 森「わたしが古泉の上司になったばかりの頃、あなたと同じ年くらいの子がいたの。年だけじゃなく、   あなたはあの子と似ているところがある。性格や容姿といったことじゃなくて、戦いに向かう姿勢がね。 そのせいか、古泉はあなたを特別な目で見ているところがあるわ」 71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:01:12.63 ID:uBy9YMPiP そう言えば、いつだったか、驚いた目でわたしを見ていたような。 でもわたし、そういう気持ちじゃないですから。尊敬はしてますけど。 森さんは愉快そうに笑った。 森「そういう言い方は彼に失礼よ。あれでかなりの子煩悩で愛妻家だから。そうだ、図書館で泉こなたさんに会ったでしょう」 サキ「はい。柊さんの奥さんの、高校のときからの友人だそうですね」 森「それも親友ね。あと、彼女は異世界の人なの。泉さんから見たらわたし達が異世界人とも言えるけど」 サキ「ものすごくセレブな人だったんですか?」 森「そうじゃなくて、アニメやファンタジー小説などに出てくる意味での、異次元世界の人なの」 サキ「…はあ」 森「あ、深く考えないで、そういうものだと思っておいて。泉さんも古泉も、長門さんのカギを使って、   あちらとこちらの世界を行き来してるの。悪い見本を言うようでなんだけど、古泉はしょっちゅうよ」 すると、あのプラネタリウムホールは中継地点の役目を果たしていたんだな。 森さんは笑顔から、思い出す表情に戻って話を続けた。 森「その子の話に戻るわね。……確かに当時、古泉は彼女を好きだった。   彼女はとても優秀で、しかもその人柄で、ややもすると閉じこもりがちな古泉の能力を見事に引き出したわ。 二人はチームを組んで、周りが舌を巻くような連携を見せていた。……でもある日。 その日はいつものように、神人を倒して過ぎる、そしてわたしたちなりの日常に戻るはずだった。それが……。 ……ペアの相手だった古泉が来るまで、わたしは彼女が独りで狩りにいくのを止めていなかった。 わたしは絶対にそのことを忘れないわ」 72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:03:21.76 ID:uBy9YMPiP 悲しみを決意で振り切るように静かに最後の言葉を放つと、光る瞳をまた窓に向けている。わたしも黙っていた。 しばらくして、目を戻すと森さんは続けた。 森「今ならわたし達が神人と戦ってきたことも、閉鎖空間で失った仲間の命も無意味ではなかったと言える。 それで彼らが帰ってくるわけではないけど。そうして命がけの修練を重ねてきたからこそ、 我々は閉鎖空間の中でなら敵性存在とも互角に戦える」 そう言えばさっき……エイリアンが攻めてくるからこそ人類が団結すると……。 森「逆説的な言い方だけれど……。そう考えると全てに意味がある。 涼宮ハルヒが統合思念体のインターフェースである長門さんや、未来人の朝比奈さん、そして古泉を集めたお陰で、 この三つの勢力が連携を取るきっかけになったわ。それに涼宮さんが彼と結婚したからこそ一くんが生まれたのだし」 とてもそんな見方をしたことはなかった。 森「でも、それは結果を振り返ったときに、そうとも見えるだけだから。あなたは決して無理はしないで」 それから腕時計を見て、ちょっと驚いたように微笑みながら、森さんは言った。 森「あら、いけない。つい長くなってしまったわね。送るわ」 伝票を取る森さんに合わせるように、わたしも席を立つ。 森さんが支払いを持って下さった。喜緑さんに改めて挨拶し、 わたし達が喫茶店の自動ドアから出てくると、なんとさっきのタクシーが待っていてくれた。 森「この辺りでいいかしら」 買い物のことを話してないのに、降ろしてくれた場所は、スーパーにほど近い場所だった。 森「ではまた、さようなら。あなたと話せて楽しかった」 サキ「カギのこと、他にも色々‥ありがとうございました。頑張りますのでよろしくお願いします」 森「こちらこそ。でも根詰めないでね」 ドアを閉め、緩やかに発車したタクシーが離れていく。角を曲がって見えなくなると、 わたしは小さくおじぎして歩き出した。心がすこしほぐれたような気分だ。 しかし、無理をしなければならない状況が、向こうからやってくることもある。 73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:05:24.06 ID:uBy9YMPiP 思えば、その日の慌ただしさは学校の帰り道から始まっていた。 七重とわたしが光陽園駅前でしゃべっていると、おばさんが歩いてきた。 重さをものともせずにぶらさげている、食材を詰め込んだ買い物袋からはごぼうが突き出している。 サキ「おばさん、こんにちは」 ハルヒ「二人ともおかえり。七重、あたし今日松井さんとこにご飯作りにいくから、あんた晩ご飯作っといてくれる?」 七重「あ、そうなん、わかった」 松井さん? ハルヒ「そ。あそこ、おばあちゃんが頑張って一人暮らししてるでしょう?息子さん夫婦も呼びたいと思ってるんだけど、     ここを離れたくないみたいで。でも掃除が行き届かないとこがあるじゃない?見るに見かねた息子さんが、     三日前ホコリ被ってる戸棚拭いてくれたらしいのよね、食器まで全部出して。 それが、戻した皿の配置が気に入らなかったみたいで、息子さんが帰ったあと、一人で全部直したらしいのよ。 それがたたったのか、次の日起きたら腰を抜かしちゃって、 で、動けるようになるまで近所で交替でご飯とか掃除とかしてるの。じゃあ、頼むわね」 いそいそと歩いていくおばさんのすらっとした背中を見送ってると、ふいに思い当たった。 サキ「あ、ジョン」 七重「そうだ、ジョン……」 わたし達は顔を見合わせた。 普段はおばさんが夕刻にしているジョンの散歩をさせなければいけない。しかし。 犬という生きものがひたすら人間に従順だと考えるのは大きな間違いで、実際はげんきんに人を見る。 七重が子犬の頃に拾ってきたこの雑種の大型犬は、決して人も犬も噛みはしないが何せ力が強く、 しかも何を求めてか、すぐに走りたがる癖がある。 それが普段エサをやっているおばさんや、休日にシャンプーしてるおじさんには恩を感じてか、外に出ても言う事を聞くのに、 七重やわたしは完全に同類の仲間と思われてるらしく、二人がかりでやっと散歩が散走にならずにすむくらいだ。 74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:07:26.17 ID:uBy9YMPiP とりあえず七重の家にカバンだけ置くことにしたわたしだが、自宅に着くや否や七重が、 七重「ごめん、ちょっと待ってて」 と家に入っていったので、庭で狂喜しているジョンに、前足であちこちどつかれながら、鎖をリードにつなぎ換えていた。 待ち切れないと訴える犬の首輪の、金具の付けかえが終わるや否や、持ち手のいないリードをつけたまま犬は駆け出し、 門扉の前で、発走準備完了をしきりにアピールした。 相変わらずの欲求に一直線な姿勢に感心していると、閉鎖空間が開く気配がした。 ここから東に数十キロ離れた、関西圏の中心都市の辺りだ。 と、カチャッと玄関ドアが静かに、狭く開いて、出てきた七重が鍵をかけた。肩に自分で作った手提げをかけている。 七重「お待たせ」 ちょっとはトレーニングの成果をと考え、わたしがリードの輪の中に手首を通した。七重は脇で綱を握る。 サキ「行こっか」 門扉を開くと、ジョンは足を踏ん張って、わたし達を前へ引っ張った。やっぱり力が強い。 なんとか散歩を維持しながら、図書館分館前まで来ると、 七重はペロッと小さく舌を出し、手提げをかけた肩をこちらに上げてみせ、 七重「長門さんに、だいぶ前から借りてたの」 と図書館の中へ入っていった。ジョンはおすわりくらいは言うことを聞く。 長門さんから借りていたのは、あの宇宙の広間の奥にある部屋の、長門蔵書の一冊だろう。 あやつ、カギをだいぶ前から持ってたことを隠してたな、出てきたらとっちめてやらねば。 あんな素敵な場所があることを黙っていたなんて。 そう考えているとふと、舌を出しハッハと息をしているジョンと目が合った。 75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:09:42.91 ID:uBy9YMPiP 走るなよ、絶対に走るなよ…… わたしの目を見て何を勘違いしたのか、リードとわたしの片腕がたちまちビンっと直線に伸びる。 サキ「のわあっ」 それから、猪突猛進と化したジョンに駅前公園に向かって引っ張っていかれ、 三十分ほど公園内を恣意的に駆け回るはめになった。 なんとか言う事を聞かせて(というよりはジョンの気が済んだらしい)、トイレ袋を片手にやっと涼宮家に戻ってくると、 七重が家の前にいた。図書館から出てくるとわたしとジョンが忽然と姿を消していて、周りにも見当たらないのでしょうがなく 帰ってくるのを門前で待っていたらしい。 一人にされたおかげで目に遭ったと言おうと思ったが、どこか様子がおかしい。 サキ「どうしたの?」 七重は逡巡していたが、わたしがジョンを再びつないでいる間に、お皿に水を汲んできて言った。 七重「さっき、柊さんが…」 あのプラネタリウム広間で、急いでドアから出てきた柊さんを見かけたらしい。 かなり緊迫した様子で、すぐに次のドアを開けて出て行ったので声を掛けることもできなかった、と。 突然、柊さんと森さんの言葉が頭の中をかすめた。いつも通りだと思う時こそ… さっきの閉鎖空間はまだ消えていない。そういえば、いつもならもっと早く気配が消えるはずなのに。 今さらに胸騒ぎがし始めた。 76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:11:48.73 ID:uBy9YMPiP 柊さんは、異世界の人と知り合い、そちらで結婚し、住んでいる。 長門さんのあのカギを使って、柊さんも泉さんも、あちらとこちらの世界を行き来できるのだ。 きっと、閉鎖空間の中で何かがあって、連絡を受けた柊さんは、向こうの世界から緊急に駆け付けたんだ。 サキ「七重、さっきって、どれくらい前?」 七重「あの部屋に入ってすぐだから、4時半ごろ」 今5時10分回ったくらいだ。ドアを開けたら念じた目的地のすぐ近くに出られるはずだから、 柊さんが恐らく応援のために閉鎖空間に入っていってから三十分はたっていることになる。 それにも関わらず、まだ戦いは終わってないということだ。 サキ「わたし、行ってくる」 走り出そうとすると、七重に腕をつかまれた。 七重「サキ、待って。柊さんがサキを呼ばなかったってことは、それぐらい危険なんだってことじゃない?    機関の他の人だって助けにいってるよ、きっと」 七重の言いたいことは分かる。 客観的に見て、わたしのように力の使えない者が行ったところで足手まといになるだけかもしれない。 でも、ケガをした人を脱出させる手助けくらいはできるかもしれない。 ……って、あれ、何か忘れてないか。 サキ「ナナ!!」 七重「はい!?」 サキ「今すぐあんたの兄貴に電話して!」 七重「え…あっ。そうか!」 七重が慌ててポケットから携帯を取り出す。 そうだ、武神って呼ばれるくらいの涼宮一ならすぐ助けられるはずだ。ていうか、なんで最初から助けに来てないんだ? 77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:13:53.40 ID:uBy9YMPiP 七重「あ、お兄ちゃん?…うん、柊さんがね、…え?」 意外そうな顔をしている七重。あいづちも忘れている。わたしはもどかしくなって、 サキ「ごめん」 と七重から携帯を奪い取った。 サキ「もしもし、一さん?」 一『サキか。どうした?』 サキ「どうもこうもないわよ。今、閉鎖空間の中で機関の人が戦ってるの知ってるでしょ、苦戦してるんでしょ?」 一『ああ。知ってる』 イライラするぐらい落ち着いた声が返ってくる。 サキ「なら話が早いわ。今すぐ敵を倒して、機関の人を助けて!」 一『わかった。サキが頼むのならそうするよ。……でもいいのか』 サキ「え?」 一『機関の人は、人々をあの敵から守るために命がけで戦ってる。そこへ俺みたいなチート野郎がほいさっと現れて、   敵を倒しちまっていいのか?彼らの今までは、培ってきたものは何になるんだ』 サキ「…」 わたしの答えを待っていた一さんが静かに言葉を継いだ。 一『森さんや柊さんからは連絡が来てない。でもサキが助けろって言うなら俺は行く』 サキ「た………」 わたしは電話を切った。言えなかった。助けを頼むのが恥ずかしいからじゃない。 …ふざけんな、ちくしょう。 命より大事なものが、何があるってんだ。 握りしめた携帯を七重に返す。 七重「サキ……」 サキ「ナナ、お願い。柊さん達に何かあったら、わたし自分が許せない」 再び図書館分館へ向けて、わたしは走り出した。 冗談じゃない。死ななくてもいいはずの人が死ぬなんて、絶対に許せない。 78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:15:53.76 ID:uBy9YMPiP サキ「長門さん、走ってすみません!カギありがとうございます!」 謝りながらカウンターの前を駆け抜ける。突き当たりを右に曲がって、ポケットからカギを取り出しながらドアを目指す。 柊さんはこのドアを開けるとき、鍵穴にカギを差し込んでなかったと思うが、念のためわたしはそうした。 中に駆け込むと、そこはプラネタリウムホールだった。 安堵するが、疑問がわいてわたしは見回した。 このホール内の周囲に幾つかあるドアのどれをくぐれば、柊さんが行った場所へつながるのか。七重に聞けばよかった。 いや、このカギはドアをくぐる時、念じた場所につながると森さんが言っていたから、多分どれでもいいのだ。 すぐに止まっていた足を動かし、右斜め前のドアに向かって、再び駆け出す。近づくと、今度は鍵穴がない。 (柊さんの行った場所へ、今開いている閉鎖空間の近くのドアへ) 右手にカギを握りしめ、左手でノブを回してドア引き、外へ飛び出す。 目の前の小便器で用を足していた、サラリーマンらしい男性がギョッと振り返った。 わたしも振り返るとトイレの個室からわたしは出てきたのだ。 閉鎖空間の気配はかなり近いが、もう少し走らないといけない。 トイレから飛び出すと、薄暗くて狭い、階段の踊り場に出た。どうやら雑居ビルの中らしい。 迷わず階段を駆け下る。三階ならエレベーターよりこっちの方が早い。 ビルから明るい外へ出ると突然、騒音に包まれた。 ビジネス街の中だ。やはり、七重の家の庭で感じたとおりの地点だ。 すぐに左へ、歩道を走り出す。 ほとんど知らない所でも、地図など無くても、その場所が、境界線がどこかは分かる。 あった。 今車が行き交う、横断歩道の真ん中に、ある。 信号が変わり、駆け出して行きたかったが、横断者の足並みに合わせて歩きながら、呼吸を整える。 その間、どんな状況があっても、すぐ反応できるように心の準備をして、入った。 79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:17:55.86 ID:uBy9YMPiP 騒音から切り離され、わたしは一人横断歩道に立っていた。 この広い道路の中で見回しても、情報生命体達の姿も、機関の能力者達の姿も辺りにはいない。 しかし、ビルや道路のあちこちに隕石がぶつかった跡のような穴が空き、 コンクリートの砕けた破片がそこら中に散らばっている。足元も見ずに駆けだすのは危ない。 漆黒の空を見上げても、紅玉となった能力者は飛び交っていない。 戦闘は終わったのか。違う。 わたしは紅玉化等の能力等が使えないので、実戦に加わったことはない。 しかし、柊さんから一通りのことは教えてもらっている。 閉鎖空間内での戦闘は、敵を攻撃する者、倒した情報生命体に寄生されていた人を避難させる者など、 幾つかの役割と段階に分かれて行っているが、基本的に敵を全滅させれば、閉鎖空間は消滅させられるのだ。 いったいどこで戦闘は行われているのか。とりあえず慎重に、周りを警戒し見渡しながら歩き始めると、 足下からくぐもった爆発音がした。地下だ。歩道に、地下へ降りる階段があったはずだ。 階段を前にして、なんとなく戦闘が長引いた理由が分かってきた気がした。 この都市の地下街はまるで迷路のようになっている。ここが戦場なら相手によっては相当厄介だ。 そろりと降りると、意外にも照明がついていた。中には壊されたものもあるが視界を得るには十分な明るさだ。 この世界は発電所も止まっているはずなのに、なぜか電気系統は大丈夫らしい。 突然、人の怒号と物がぶつかり合うような音が聞こえた。 曲がり角ごとに肝試しのような気分で通路を小走りに行きながら、これまで得た状況から今回の敵のスペックを想像する。 まず地下街に収まりきらないような巨体ではない。また、空を飛ぶことはない。 恐らく飛び道具は使わず、接近戦が得意なほうだ。 地上のあちこちの穴はみんな同じ形をしていたから、全て機関の能力者の火球が当たった跡だろう。 それは敵が避けた数でもあり、素早い動きをするはずだ。 それでも、幹線道路のような見晴らしのよい場所では遠隔攻撃をできるほうが有利で、敵は地下へ逃げ込み、戦場が移った。 そして、何より柊さんが応援に来なければならないほど、手ごわい相手だと言える。 たとえば―――野犬のような。 80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:19:59.62 ID:uBy9YMPiP 音が聞こえたと見当をつけた辺りの角で、獣の荒い息遣いが聞こえ、そろそろと先を警戒しながら顔だけを出すと、 目の前で男性が野犬に押し倒され、今にも食いつかれそうになっていた。野犬といっても、ライオンくらいの大きさだ。 サキ「うおおっ」 そばに落ちていたガレキのブロックを火事場のクソ力で持ち上げ、野犬の脳天に叩きつけた。 嫌な手ごたえと共に痛恨の悲鳴を上げて、野犬が奥の方へ跳ねて転がる。 起き上がって唸る犬から目を離さず、とっさに姿勢を低く、遊びを残し小さくして向き合う。 歯茎から恐ろしげな牙をむき出して、近づいてくる犬。溜めをつけて飛びかかってきたところに、火球がさく裂した。 わたしの後ろから、倒れていた男性が放ったのだ。 息絶えた野犬が霧のようになって消滅していくと、そこにはスーツ姿の女性が意識を失って倒れていた。 多丸圭一「ありがとう。おかげで助かった」 サキ「大丈夫ですか?」 上半身だけ起こしていた、白髪まじりの男性のそばに膝をつくと、 多丸圭「君のほうこそ。何が起きたか信じられないかもしれないが……」 なんとタクシーの運転をしていた人だ。被害者と間違えられたらしい。 サキ「新しく入った小坂と言います。長い時間、タクシーで送ってくれてありがとうございました」 男性は思い出したように、 多丸圭「そうだ、君か。しかし、まだ訓練中と聞いていたが」 サキ「ごめんなさい。役に立ちたくて、勝手に来たんです」 多丸圭「ふむ?これは驚いた」 目を見開く男性に、向こうから声が飛んできた。 多丸裕「兄さん!」 この人の弟さんらしい、壮年の男性だった。 81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:22:03.42 ID:uBy9YMPiP わたし達は地下街の、噴水のある広場を目指して歩いている。 閉鎖空間では携帯も無線も使えないので、時間を決めて集合する段取りになっている。 多丸裕「君が来てくれなかったら、兄の命はなかった。小坂さん、本当にありがとう」 女性をおんぶしながら、多丸裕さんが温かな笑顔を向けてくれた。 わたしは足をケガした多丸圭一さんに肩を貸しながら歩いている。 わたしは会釈して、 サキ「‥敵はあとどれぐらいいるんでしょうか」 あまり話したくない。情報の把握だけに努めていたかった。 多丸圭「そう多くはないはずだ。詳しくは他の奴に聞いてみないと分からないが、相当倒したから」 多丸裕「今回は企業の会議中にでも感染したのか、被害者の数は多くて、しかも一か所の閉鎖空間に敵が次から次へと現れた。データが削除されない限り、感染者は増える一方だからね」 サキ「そのデータは…」 多丸圭「もう削除されたんじゃないだろうか。TFEIの方の仕事なんだが、最近は相手の防護がキツいらしいけどね」 二人とも苦戦されたはずなのに、こんな話を明るい調子で話している。 多丸裕「それにしても能力が使えないのに閉鎖空間に飛び込んでくるなんて、君は無茶というか無鉄砲というか」 多丸圭「そうだ。しかも初陣にして大活躍とは、まるであの子のようだ。 君は強くなるよ。何、能力なんてある日突然使えるようになるもんだ」 通路に陽気な笑い声がこだまする。幾ら二人能力者がいるといっても、もっと警戒したほうがいいんじゃ……。 多丸兄弟のお二人が、わたしに感謝してくれていて、規則を破ったわたしをかばうために、 陽気にふるまってくれるのは素直に嬉しかった。でもわたしは柊さんにぶたれたい気分だった。 82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:24:05.93 ID:uBy9YMPiP 古泉「小坂!何しに来たんだ!」 噴水のところで、柊さんと、数人の能力者、そして助けられた被害者の人達が集まっていた。 怒鳴る柊さんに、 多丸圭「怒らないでやってくれ、古泉。この子は俺の命の恩人なんだ」 けげんな顔をする柊さんに、経緯を多丸兄弟が説明してくれた。 古泉「それはそれ、これはこれです。小坂、早く帰りなさい」 サキ「はい、帰ります。ケガした人を送らせて下さい」 厳しい目で柊さんはわたしを見たが、 古泉「本来、今の君にできることは何もない。それは分かってるな。 ケガ人の救護も、被害者を無事元の場所へ送り届けることも、我々が決めた手順がある。 しかし、その女性は君が助けた。だから責任をもって君が送りなさい。君の処分は追って伝える。 圭一さんは、僕が送ります。いいですか」 圭一さんは笑みをこらえるような顔で目を上に向けながら、 多丸圭「ああ、頼むよ、古泉」 裕さんから替わって女性を背負わせてもらうと、 多丸裕「気にするなよ。君のことを心配してるんだ。古泉にはあとで僕らがよく言っとくから」 とウィンクとともに小声で言われた。 言葉そのものより気持ちが嬉しくて、やっとこわばっていた口元がゆるむのを感じた。 しかし、女性を背負って階段を上るのはきつかった。 隣で圭一さんは、柊さんに肩を貸してもらいながら、 多丸圭「ところで古泉、敵の数のほうは分かってるのか?」 古泉「いえ、僕も後から来たので伝聞でしか知らないのですが、皆の情報を照らし合わせても、 地下へ逃げ込んだ正確な数は分からないが、残党は恐らく若干であろうという……」 階段を上りきると、 古泉「……ことだったんですがね」 道路は野犬の群れに埋め尽くされていた。 83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:26:07.93 ID:uBy9YMPiP じりじりと円をせばめるように野犬の群れが近づいてくる。 多丸圭「地下へ逃げ込むか」 古泉「いえ。素早くは動けませんし、背を向けると追ってくる。今まで助けた人々も危険にさらすことになる」 多丸圭「そうだな。しかし、俺がおとりになる。そのすきに地下に駆け込んで危険を知らせろ」 そのとき、地下から駆けあがってきた人物がいた。 七重「サキーーーッ!」 サキ「ナナ!?どうして来たの?て言うかどうやって来たの?」 七重「分かんない。気づいたら来てたの。サキ、大丈夫?」 サキ「いや。悪いけど、絶体絶命よ」 七重「えぇっ!?やっぱりお兄ちゃん呼ぼうか?」 サキ「あのバカ兄貴には死んでも頼らん。て言うかここ電波届かないわよ」 七重「えぇっ!?」 圭一さんも柊さんも平然とした顔でわたし達を見ていたが、 古泉「七重ちゃん、小坂。道は僕がひらくから、二人とも早くここから脱出するんだ。    小坂、その女性と圭一さんは任せたぞ」 サキ「え?」 柊さんに異変を感じた。 古泉「この場所からは必ず無事に還すから」 柊さんの右手が青白い光に包まれている。 わたしはそれを見て何かとてもヤな予感がした。 言うならば死亡フラグ。弟子達を守るために師匠が命と引き換えの大技を放ち、しかも犬死にに終わってしまって、 結局残された弟子が悲しみと怒りで真の力に目覚め、敵を撃破するシチュエーション。 冗談じゃない。そんなドラマツルギーのために死なれてたまるか。 わたしは口走っていた。 サキ「待って下さい!わたしに考えがあります」 84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:28:10.04 ID:uBy9YMPiP 無いんだけど、女性を背から降ろし、壁にもたれかけさせる。 意外そうな表情で振り返る柊さんに、確信の表情だけ見せ、次いで敵を見回すと一瞬で腹が決まった。 隣で身を寄せている七重に尋ねる。 サキ「ナナ、わたしを信じる?」 七重「うん」 目を交わし合うと、手を取って敵陣に向かって一緒に駆け出した。走り出すと自分の狙いが分かってきた。 古泉「何をするんだ、やめろ!!」 サキ「柊さん、こいつらを引きつけて時間を稼ぎますから、早く圭一さんとその人を!それから応援呼んで!」 もう振り返れない。 これは、賭け。 柊さんは、ヤツらの目的は長門さんと七重のお父さんとお母さんをさらうことだと言った。 でも、七重が標的だとは言わなかった。 七重は重要じゃないからか?違う、逆だ。 きっと、ヤツらにとって七重はまだ観測の対象だから。 大事な観察対象を傷付けることは出来ない。だから、七重が側にいればヤツらもむやみに攻撃できない。 それを逆手にとってこちらから仕掛けて相手をかき回す、ということだ。 そしてその賭けは―― 見事に裏目に出た。 85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:30:12.08 ID:uBy9YMPiP サキ「うわっ!」 繰り出される太い前足の爪をやっとの思いで避ける。七重の運動神経がいいのが唯一の救いだった。 じりじりと、わたしと七重を囲む敵ににらみ返すことしかできない。 今にして思えば情報生命体は、天蓋領域にとってただの道具に過ぎない。 配置された通りにしか動かないコマが、こんな複雑な相関関係を踏まえているはずがなかった。 だけどその時のわたしはただ必死で、やらかしたという思いしかなかった。 何てことだ、よりによって七重を巻き込んで自爆するとは。 でも、後ろにいる七重はわたしが打開してくれると信じてる。 ていうかここまでしてるのに何か出ろ、力。反則だぞ。 古泉「持ちこたえろ、今行く!」 右側から柊さんの怒号と爆発音、赤い光に照らされる敵。 確認はできないけど、ヤツらの包囲をかいくぐってくるつもりだ。 そんなの、振り出し。 また柊さんが。 窓の外を見る森さん。 サキ「いい加減に――――!!」 何か出た。 七重「サキ!?」 純白の光。 地面が揺れる。違う、わたしが揺れてる。 全てを真っ白に包む光がわたしから周りの世界へ拡がっていくのを感じる。 音が無い。 いや、七重の呼ぶ声が…遠ざかっていく。 それが、最後の記憶だった。 86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:32:15.41 ID:uBy9YMPiP 一「フォークいるか?」 無機質な感じの天井がある。静かにだけど手早く、ナシかリンゴをむく音。あ、ナシは季節じゃないし、リンゴだな。 寝たまま、頭だけ声のした方へ動かすと、ソファのようなイスに腰掛けなんもない顔をして、 一さんが小さなナイフでむいている。 その向かいに、テーブルを挟んで二人掛けのイスに七重が横になっているのが見える。 薄手の膝掛けのような毛布をかけられて、小さな寝息を立てている。 サキ「ナナは…」 一「見ての通り無事。ケガしてた機関の人も無事。君を含めて全員無事」 と答えて、 一「だから、俺との話が済んだら真先に親父さんに電話するんだな」 上半身を起こして、自分の手を見る。 ジョンのリードを握ったその日に、野犬の頭にガレキを叩きつけた。 情報生命体達の中には、最初に見たあの女のように、人の姿をしたものもあるのだろう。 それをわたしはきっと殺す。本物でなくとも何者かの命を奪う。 皿にリンゴを切り分けたのを乗せて、立ち上がってわたしの目の前まで歩いてきていた。 一「娘が突然道端で倒れて病院に担ぎ込まれたことになってるから」 リンゴを乗せた皿をわたしに持たせて、薄い肌がけの、わたしの脚の上あたりにぽんと何かを置くと、近くの棚の戸を開けた。 87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:34:18.03 ID:uBy9YMPiP 何だ、これ。 手に取ってみると、コードも無ければ番号を押すボタンもない、ただの受話器だった。 見つけてきたフォーク渡し、ベッドのすぐ傍にあった背もたれの無いイスに腰掛け、無言でリンゴをすすめてくる。 サキ「ありがとう」 一切れ口に運んでかじっていると、 一「ところで」 一さんが真顔で尋ねてきた。 一「何をした?」 どきりとする言葉だった。 サキ「何をしたって……」 一「俺の閉鎖空間が打ち消された。それも君によって。   あと、君を中心にして内側から広がった通常空間と、閉鎖空間の間に挟まれた情報生命体はすべて消えて、 それから機関の人のケガが全員、全て治ってた」 そうだったのか。 サキ「皆無事でよかった」 一「うん。だがどうしてこうも都合の良いことが起きる?まるで…」 と言いかけて、ひそめた眉を戻し、 一「願ったり叶ったりなんだが、君はどうしてそんなことができたんだ?」 そんなことと言われてもなあ……。 白い光が見えたことしか覚えてないんだけど。 一「柊さんはそんなの見た、とは言ってないぞ。君の周りから閉鎖空間が消えた、 というよりは通常空間が拡がっていったようなことを言ってたし、俺もそう感じた」 88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:36:20.62 ID:uBy9YMPiP わたしの錯覚?いや、確かに目が眩むようなまっ白い光がわたしから放射状に広がるのが見えた。 サキ「そう。…でもわたしにもよく分からない」 一さんは小さく息をついて、 一「まあ、そんなとこだろうと思ってたけど」 わたしに目を戻し、 一「これから先、君から半径300メートル以内で発生する閉鎖空間については無視してくれ」 は? 一「あれだけの規模の情報爆発の中心にいた人物なら、連中の興味を引くのに十分だったみたいだ。あとは今までどおりで」 サキ「あ、ああ……何か余計な面倒増やしてしまったみたいで……」 一さんは真顔になって、 一「何言ってる。君はあの場にいた人全員の命の恩人なんだぜ。俺の方は一人二人増えたって変わりゃしないさ」 そう言われると幾分心が軽くなるけど。 サキ「……最強も色々大変ね」 一「あのね、何聞かされたか知らないけど…まあいいけど。一つ言わせてもらえれば、   強さなんて相対的で、価値観によってころころ変わるもんだよ」 パラパラを踊るみたいに腕を伸ばしたり曲げたりしながら話す。 サキ「そうね。わたしにとっての最強はおばさんかしら」 89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:38:27.78 ID:uBy9YMPiP 一「おふくろか……。まあそういう部分もあるかもしれないけど」 そこでちょっと焦ったように、 一「え、えーと、君のお母さんも凄い人なんだぜ」 ことさらいかにもという感じで言う。 サキ「あんた家のお母さんの回し者なの?」 一「い、いや、……」 自分でじゅうぶん落ち着けるまで待ってから、改めて話し出した。 一「俺はこんまい頃だったから覚えてないけど、君のお母さんに抱っこされてる写真があるんだ。   すごく可愛がってくれたみたいで。   君を産む前から危険があることは分かってた……」 サキ「それで?」 一「その、つまり、君を抱っこしたかっただろうなって」 七重の静かな寝息だけが流れる。 一「あ、その」 サキ「はい、ここまで!お互いさまってことで」 一「え?」 90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:40:34.09 ID:uBy9YMPiP サキ「わたしもおばさんに抱っこされてる写真、いっぱい持ってるんだから」 それだけじゃなく、あんな写真やこんな写真もあるけど。 サキ「だからおあいこ、お互いさまでしょう?」 一「うん……」 サキ「それにありがと。お母さんもあんたを抱っこできたから」 一「‥こちらこそだね」 七重「う〜ん……」 七重に掛けられた毛布がもぞもぞと動いた。 七重の声でわたし達は二人とも七重の方を見たが、まだ眠ってるようだ。 どちらからともなく微笑みが広がるのを感じた。 七重には笑っていてほしい。だから、わたしも笑顔でいよう。 わたしは一さんに幾分小さな声で、 サキ「みんな、色々ありますな。起きたらお礼言わなきゃ」 一さんも少し声のトーンを落とし、 一「七重は昨日からつきっきりで君のそばにいたから、疲れてベッドにもたれたまんま寝ちまってたのさ。   柊さんからもしょっちゅう着信入るし」 しかめっつらをこちらに向けてみせる。 91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:42:36.53 ID:uBy9YMPiP サキ「柊さん……」 わたしを心配してたのか。 一「そ。目を覚ましたってことは伝えとくから」 サキ「許しませんって」 一「は?」 サキ「そう伝えてください。無責任です、二度とあんなことしないでくださいって」 一さんは訳の分からなそうな顔をしながらも、 一「……分かった。何だか分からんが、伝えとくよ。そろそろ行くかな」 静かに椅子から立ち上がり、引き戸の方へ向かおうとする一さんに、 サキ「ありがとう、色々と。…ね」 ふと思ったことをたずねる。 サキ「お母さん、今のわたしのことどう見てるのかしら」 一「笑ってるとも」 サキ「え?」 いやに確信に満ちた目で微笑んでいる。 一「そのナイフは皿に置いといてくれ。じゃ、お大事に」 静かにドアを引いて出ていってしまった。そして静かにドアが閉められる。 ナイフってこれのこと?ていうか受話器だけど、どう使うの? 試しに耳に当てると、呼び出し音が鳴って2コール目の途中で父が出た。 92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:44:38.84 ID:uBy9YMPiP その日の新聞には、オフィスワーカーがビジネス街のど真ん中で集団で意識を失っていた、 という小さな記事が載っていたが、機関のキの字も書かれてはいなかった。 決戦の日は確定しないが、間近に刻一刻と近づいてきていることは確かだった。 それと言うのも、あれだけ頻発していた閉鎖空間の発生が最近極端に減ったのである。 つまり情報生命体による被害も、天蓋領域のインターフェースによる直接の侵攻も、鳴りを潜めているということだ。 嵐の前の静けさとは言ったものだが、来たるべき日に備えるチャンスでもある。 機関の上層部では、情報統合思念体のインターフェースと緊密に連携をはかるため、彼らとの会合を重ねたり、 一つの閉鎖空間につきかけられる時間は幾らか、を計算するためのシミュレーションのプログラムをアップデートしたりと、 とにかくてんやわんやの状況らしかった。 らしい、というのは柊さんから電話で聞いた断片的な話に過ぎないからである。 一方わたしは言うと、いつものように閉鎖空間内での訓練を一人黙々と行っていた。 そんなある日、長門さんから新たな援軍となる者を紹介したいとの連絡を受けて、 森さんと柊さん、そしてなぜかわたしも、長門さんが勤めている光陽園駅近くの図書館分館に集まった。 あの宇宙そのもののホールにわたし達が入ると、中央に置かれたソファの前で長門さんと、その人が待っていた。 挨拶しに近づいて行こうとすると、柊さんの足が止まっている。 長門さんのそばで、星空を見上げていた少女の横顔に、柊さんは釘づけになっていた。 古泉「君は……!」 ふいと顔を戻したその人は、 「久し振り。一樹」 93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:46:43.17 ID:uBy9YMPiP 柊さんが驚愕の表情のまま、言葉を失い、立ち尽くしている。 「森さんも、お世話になったこと、お礼を言えませんでした。またお会いできて嬉しいです」 ゆっくりと頭を下げ、そして起こすと、その少女は静かな笑みを湛えて懐かしそうな表情を森さんに向けている。 森さんは静かな瞳で少女に応えるのみだった。 わたしは森さんに尋ねることにした。 サキ「お知り合いの方なんですか?」 森さんは少女に目を向けたまま、簡潔に説明してくれた。 森「わたし達の同志よ。……かつて閉鎖空間で命を落とした」 サキ「!?」 古泉「長門さん、新たな援軍とは、まさか……」 ようやく少し落ち着きを取り戻した柊さんが、長門さんにまだ残る混乱した疑問をぶつけた。 長門「一が生み出す限定空間内の力場を最大限に生かせるのはあなた達」 古泉「……」 長門「統合思念体にゼロからそのような属性情報を付与したインターフェースを造り出すことは不可能だった」 重い沈黙が流れた。やがて、 古泉「……それで彼女に本来宿っていた情報生命素子を用いて、新たなインターフェースとして彼女を生み出したのですか」 長門「………そう」 柊さんは抑制しきれない怒気をふくんだ声を震わせた。 古泉「確かに無駄のない策だ。TFEIと、機関の者としての能力をあわせ持つ個体ならば、 戦局に応じてどちら側の援護にも回れる。でも長門さん、あなたは」 94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:49:10.05 ID:uBy9YMPiP じっと耳を傾けている長門さんに柊さんは続ける。 柊さんは言葉を切ったところで、もう一度、冷静になろうと努力したみたいだった。 古泉「あなたのことはいかなる状況においても役目のために、理性的であり続ける人だと僕は尊敬しています。    でもそれは統合思念体からあなたが生来授かった、精神の強さによる支えが大きい。    もともと人間として生まれた者がTFEIとして、不老の時間を永久的に過ごすことが、 本人の精神にどのような影響を及ぼすか、考えたのですか?」 長門「該当個体が統合思念体に直接申請することで、体組織の永久的完全復元を停止し人間としてのエイジングに移行できる」 古泉「統合思念体がその程度の認識で実行したとは信じがたい。それでは本人の居場所はどうなります。 それにまず、僕の疑問に対する根本的な解決にはなっていません」 長門「…まず、あなたのわたしに対する認識に、実像との齟齬が見受けられる」 柊さんが意外そうな顔で聞く方に回った。 長門「わたしは統合思念体から高い知能を付与されて造り出された。    しかし‥精神的な強さ、を付与されていたわけではなく、常に理性的であったとは言えない」 95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:51:17.89 ID:uBy9YMPiP 長門「かつてわたしが起こした異常動作によって、恐るべき事態を招いた。    それはわたしが常に理性的であるならば起こらなかったこと。    わたしの内部に蓄積されたエラーデータへの対処を誤った。 削除、圧縮等わたし単体が実行してもエラーの集積は膨大になった。 それは、感情。特に人に関わる心の動き。当時はその性質が全く把握できず、翻弄された。 精神の強さがあったとは言えない」 古泉「それは普通の人間らしくなる過程の上であったことでしょう。    げんに今のあなたは社会人としての生活とインターフェースとしての役割を両立、自らを周囲と共存させ…」 そこまで言って柊さんは、ハッとしたように口を止めた。 長門「そう。人との関わりを絶たず、人の中で生き、心の動きを否定せず、人との調和に理性を生かす。    わたしが観測する、自律進化の決して完成しない過程。    感情があるからこそ、人間は弱くもなるが、時間にさえ打ち克つ力を持つことができる。    愛、信頼、責任、勇気、やさしさ、尊敬、誇り、自負…全て人に関わる葛藤を乗り越えてこそ。だから強い」 古泉「ですから長門さんはそうでも、人間がTFEIに変容した場合を論じたことにはなりません」 長門「同じこと。わたしは一を知っている」 古泉「同じ道を通るのなら、武神がこの世の脅威となる事態もまた、いつか発生する、と?」 長門「可能性はある。だが、一は一人ではない。わたしが異常動作を引き起こした時も、そうであったように」 古泉「なるほど。その話はそれとして、一くんの例を敷衍して彼女のTFEI化を論じるのには…」 森「古泉。……わたしの方から長門さんに頼んだの」 古泉「え?」 96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:55:25.35 ID:uBy9YMPiP 森さんの発言に柊さんはびっくりしたように顔を向けた。 「それに、本人の意志に関係なく一方的に、長門さんがあたし達を甦らせたとでも思ってるの?」 長門さんは最初からずっと同じ表情のままで、黙っている。 「あなたがあたし達を心配してくれたようなことは、承知の上よ。みんな、この世界を守るためなら構わないと思ってる。  あたし達はそう望んで『機関』に集ったんじゃないの?」 古泉「みんな、ということは…」 「全員、イエスを選択したというわけ」 柊さんはそう聞いてうつむいてしまった。 やがて、 古泉「長門さん、悪かった。……ありがとう…」 その声はかすれて声に色がなく、溢れる思いを絞り出すように震えていた。 長門さんは、わずかに頷いて微笑んだように見えた。 長門「そう」 顔を上げた柊さんは一変して、いつもの状況を分析するような口調に戻っていた。 古泉「君が帰ってきたからには、また僕はバックアップに回らなければならないな。 どうせ、性懲りもなく最前線に向かうんだろう?」 「あら、あたしは長門さんを守る方の役に回ったわよ。一樹がエースなんだからその必要はないでしょう。あたし見てたわよ、 死んだあとも。そうだ、危うくまた言い忘れる所だったわ。森さん、一樹。毎年来ていてくれたわね。そのこともありがとう。 一樹、あなた、いい人つかまえたじゃない」 悪戯っぽく微笑む少女に森さんと柊さんは呆気にとられているばかりだった。 97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:57:35.29 ID:uBy9YMPiP そのまま二人を置いといて、突然少女は満面の笑みに大きく息を吸い込むと私に駆け寄ってきて、握手して一気に顔を寄せた。 「はじめまして!サキさんね、なんだか知らないことばっかり話してごめんね。それにしてもあなたとあたしって似てるわぁ。 性格は違うけど、向こう見ずな戦い方なんか特にね。気が合いそうだし、よろしくね!」 サキ「は、はい。よろしくお願いします……」 少女の自信に満ち、これからワクワクすることに向かっていくんだと言わんばかりの表情を見て、 わたしは思い出していた。そうだ、この子は七重のお母さんに似ている。 98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:59:38.70 ID:uBy9YMPiP そのカンは当たりで、先輩は面倒見が良く、わたしの訓練にその日からつきあってくれた。 球体化した先輩の動きを真似するだけでずいぶんと勉強になる。 何よりも、あの柊さんと組んで、しかも前衛だった人に教えてもらえるのはまたとない幸運だった。 というのも、わたしも実戦では一番槍の役に当たることになっていたから。 しかし、それは実力によるものではなく、ビジネス街での一件以来やっと使えるようになった、 わたしの能力の特殊性を買われてのことだった。 と言うわけで、特殊性その一。 わたしも球体化できるようになったのだが、紅玉ではなく白玉である。 はっきり言って、紅玉が群れて飛びまわる中の白一点は目立つ。わたしばかりが情報生命体達の攻撃の的にされる。 逆に言えば、うまく動けば相手の注意を引きつけかく乱する役割を果たすことができる。 特殊性その二。 機関の能力者の主な攻撃方法は、紅玉して体当たりすることで、敵に物理的にダメージを与える。 しかし、白玉化したわたしに攻撃してきた情報生命体達は、触れるそばから消滅してしまう。 おかげで無謀に突っ込んでいってもケガをせずに済むし、確実に敵の出鼻をくじくことができる。 それでも、大丈夫とは分かっていても敵陣の中を単独で飛び回るのは怖い。 そう先輩に言ったら、笑って、 「あんた本当に面白い能力が使えるのね!まるでアクションゲームの無敵アイテム取ったときみたいじゃない!」 と言い、わたしが止める間もなく白玉化したわたしに、興味津々な目で触ってきた。 ……特殊性その三。 機関の能力者が触れても、消えることはない、ということが分かった。 それどころか、 「……これはケガした人の、傷を治す力があるわね。あたしは今は自分で修復できるけど。ほんっとに面白いわね、これ」 とのことらしい。なんというご都合主義な力だろうか。 ともかく最前衛という、実力に見合わないポジションをいただいたわたしだが、 奇しくもそのお手本と言うべき人に、いかに動くべきか、みっちり叩き込まれる機会を得ることができたのだった。 99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:02:09.55 ID:uBy9YMPiP 六月某日、日本では未明に、それは全世界、同時多発的に発生し、進行した。 起きるべくしてそれは起き、また起こさせてから止める以外に術がない。 数多のウェブサイト上に、統合思念体のインターフェースの防衛網をかいくぐって、 天蓋領域のTFEIが起動データをアップした。 このデータの存在するサイトの特定と、データの破棄が実行されない限り、事態に歯止めがかかることはない。 しかし、当然容易に検索の網に引っ掛かるような痕跡は残されておらず、作業に当たった統合思念体のインターフェースですら、 それは容易ではなかったようだ。 目にした人間の脳へ、あらかじめネット上に仕込まれいっせいに起動した情報生命体が感染し、犠牲者を異空間へ飛ばしてしまう。 一さんがそれを捕捉し、その空間を閉鎖空間に変換し、わたし達に明瞭に感知させる。 そうなれば、閉鎖空間内の敵を機関の能力者が撃破し、意識を失った人々がそれぞれパソコンの前で、 「あれ、寝てたのか」と目覚めるように無事に帰してあげてその件はとりあえず解決だ。 もちろん、感染源となったウェブページ上のデータは破棄し、多少周囲の人間を含めた記憶の方も操作済みだ。 この地球上の爆発的感染を前に、当初はどうしても後手に回らなければならず、抜本的な解決策は即時には編み出されなかった。 長門さんなら、もしかしたらそれが出来たのかもしれない。 機関としても、彼女にはできればその任に当たってほしかったが、長門さんは七重の両親の護衛に集中する、の一点張りだった。 情報統合思念体も、そして当のおじさんとおばさんですらもその意志は覆せなかったというから、頑固な方である。 ともあれ、それはTFEI側の役目であり、お任せするより他ない。 そして、わたし達の戦場は閉鎖空間の中だった。 森「何と言うかこれは……。さながら地獄絵図ね」 数多くの人間の、それぞれの畏怖の対象が具現化したもの。 それらが閉鎖空間内を、所せましと湧いて出ているものだから、そう表現するのが妥当かもしれない。 しかし、確かに単体では恐いイメージを抱かせるが、こうしていっせいにお出ましとなると、かえって滑稽な感じすらする。 森「眺めてる場合じゃないわね。さあ、行きましょう」 100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:04:14.29 ID:uBy9YMPiP 今回の戦いは、今までと較べても特殊なものらしかった。 世界中に散りばめられた、とでも言うべきか、数えきれないほどの閉鎖空間の中で機関の能力者が、 情報生命体と戦うのまでは同じだが、敵をすべて倒し、 閉鎖空間が消えるとき、被害者はそれぞれ、情報生命体によって最初に拘束された異空間へ、わざわざまたワープさせられる。 すると、空間の主が倒された異空間は崩壊して、被害者は自動的に、無事元の場所に戻されるらしい。 らしい、としか言えないのは、閉鎖空間が消えてわたしも通常空間に出てくると、被害者の姿が無くなっているので、 人々がどこへ行ってしまったのか、わたしには分からないからだ。一さんのやることだから、間違いはないだろうけど。 それでは、今まではどうしていたのか。 敵を倒したあと、意識を失っている人々を、閉鎖空間内で、感染した場所と同じ位置まで、機関の能力者達が運んでいたのだ。 そして、閉鎖空間が消えるときに、被害者だけ、感染した時刻にまで戻されていたらしい。 わざわざ元の場所まで運ぶ手間がはぶけるし、いつも異空間にワープさせて戻してあげればいいと思うのだが、 それをすると、例のビジネス街の一件のように、翌日の新聞の記事になってしまうらしい。 今回は全てが片づいたら、地球規模で世の中の人々の記憶改変を行う、という条件つきの非常手段らしかった。 自分が聞かされた説明を、受け売り的にしているわたしだが、正直ちんぷんかんぷんである。 要は、今回は時間との戦いでもあり、敵を倒し、すぐ次の閉鎖空間へと向かう、というショートカットのための手段らしい。 非常時につき閉鎖空間内は、通常空間の時間の流れから切り離されているが、 次の閉鎖空間へ向かうわずかなロスの間に、感染者の数が膨れあがってしまう。 今回は全力で相手を倒しにいく、と言った一さんに限らず、皆が最初から死力を尽くしていた。 やがて、感染元となった起動データや情報生命体が、TFEIの作業班によって全て特定、削除されると、 それまでの凄まじいまでの増加の勢いが止まった (思えば一さんもよく戦いながら、こんなに速くしかも正確に相手を捕捉していたものだ)。 閉鎖空間が減少していくのを感じるにつれ、皆の希望が確信に変わっていった。 さらにあの先輩がこちらに加勢しに来てくれた。いち早く、七重の両親と長門さん、喜緑さんの無事の知らせを持って。 そして、受け持つべき近辺の最後の閉鎖空間で、わたし達は敵を全滅させた。 101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:06:16.93 ID:uBy9YMPiP 「よし、やったわ!」 あとは他地域の応援に回ればと思った。 でも、わたし達はすぐに異変に気づいた。 古泉「これは……」 森「閉鎖空間が拡大し続けている……?」 新たな発生こそ無いが、残っていた閉鎖空間が、消えるどころかぐんぐんその面積を広げていく感覚がある。 サキ「どうして…敵は全て倒したから一さんが解くはずじゃ……?」 言いながら背筋がぞくりとする。最近備わった能力でなく、本能的に感じ取る畏怖だ。 「サキ、うしろ!!」 言われるより早く、私は背後も確認せずに反射的に白い光球になって前方の空中に飛んでいた。 地響きに反転すると、わたしの立っていた場所に巨大な拳が振り下ろされている。 神人。 この空間の中の被造物を破壊し続け、閉鎖空間を拡大させる巨大な怪物。 それもおびただしい数が、見渡す限りタケノコのようにぬうっと立ち上がってくるのが見える。 森「被害者の確保、ただちに上昇!捕まらないで!」 森さんの鋭い声に、皆は我に返り、役目に戻ったようだった。 各々、被害者の人達を抱え、いっせいに飛び立つも、既に一体の長い腕の射程に巻き込まれそうな仲間がいた。 助けに飛び出しても間に合わない。 そう思った時、その神人の全体が赤く光って、消えた。 無事にこちらへ上がってくる仲間の後方からもう一つ赤玉がついてくる。 上空で円陣を組むと、後ろから来たのは一さんだった。 一「いや、すまん」 眉をひそめながら続ける。 一「閉鎖空間と神人がコントロールできなくなっちまった」 102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:08:19.31 ID:uBy9YMPiP 柊さんとわたしの反応がほぼ同時だった。 サキ「何じゃそりゃ」 古泉「ああ、なるほど」 足下で無人の街をぶっ壊し続ける轟音の中、一さんのトンデモ告白にも驚いたが、 わたし達は柊さんの言葉にもっと驚いた。 森「古泉、どういうことなの」 古泉「いえ、今思い当ったことで、仮説ですが」 森「話してみて」 森さんが短く早い言葉ながらも、落ち着いた口調で促す。 古泉「はい。考えてみれば、一くんが閉鎖空間で敵を倒す、それも全力を使って、 という状況は、ここ最近はなかったのではないでしょうか。 そもそもこの空間は一くんの負の感情で構成されているものです。 そこに、長年抑制してきた闘争心をこの空間内で解放したことで、何らかの共鳴を引き起こし、 一くん自身にすら歯止めの効かない状態になっているのではないかと」 103 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:10:22.72 ID:uBy9YMPiP ええーっ。駄目じゃん、それ。 一「言われてみれば確かにそんな気もするなあ」 実に納得した様子で腕を組みながら頷いている。 「…この空間内だけで数百体はいる。あんた、どんだけ溜めてたの。他の閉鎖空間内もこれじゃ、応援は望めないな」 この人はこの人で足元を見回しながら、冷静に敵の数を見定めている。 一「まことに面目ない」 サキ「面目ない、じゃないわよ!こんなのどうしろっての、倒せるんなら、自分で片付けなさいよ!」 古泉「いや、それはまずい。この推論でいくと、彼が戦えば戦うほど、閉鎖空間の拡大に拍車がかかることになる」 チラッとわたしに目をやって、あくまで冷静に分析するように、 古泉「それに、一くんを責めちゃいけない。一くんの力を過信して、この事態を予想できなかった我々のミスだ」 「どこかに被害者を降ろす安全地帯は……なさそうね。残念、リベンジのチャンスなのに」 先輩、元気はつらつは頼もしいんですけど、そういう問題じゃ…。 今まで黙っていた森さんが、絞り出すように 森「仮に被害者を避難させられたとしても、神人がこの数では…悔しいけど策が無いわ。万事休すね……」 周りの人達に重い空気が立ち込めようとした時、あっけらかんとした声が響いた。 「策ならありますよ」 104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:12:25.04 ID:uBy9YMPiP 森「え?」 「ほら、全てのことに意味があるって言ったの、森さんじゃないですか」 言いながらわたしに流し目をくれる。 森さんが、そして柊さんが何かに気づいたようにわたしを見た。 一「そうか!」 突然、一さんが正面からわたしの両肩をつかんだ。 一「サキ!今すぐ七重をここに呼んでくれ!」 サキ「今すぐ……ここへ……?」 一「そうだ、早くしないと間に合わなくなる」 この時ばかりは、わたしも頭に血が昇っていたらしい。 サキ「や…」 小さな自分の声が聞こえたと思ったら、一さんを平手打ちしていた。 サキ「いい加減にして!!」 とわたしは叫んでいたと思う。 サキ「あんた、七重の兄貴でしょう!?どこのバカが、実の妹をこんな戦場に呼び出すって言うのよ…!」 言い終わる前に目の前が霞み出す。 105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:14:28.69 ID:uBy9YMPiP サキ「七重は…あんたをずっと心配して…ずっと待って……おじさんだって、おばさんだって」 後は、自分の嗚咽が聞こえるばかりだった。人前で泣くのは子供の時以来だ。 涙の粒が、すうっと下に、神人達の暴れる中にこぼれ落ちていく。 一「……すまん。サキの言う通りだ。俺は親不孝で、情けねえ兄貴だ」 静かに、今殴った相手とは思えないほど心のこもった声が返ってくる。 サキ「……」 一「サキにも。こんなに七重を心配してくれて」 サキ「……」 一「どうかこの通りだ。君と七重の力が必要なんだ」 顔を上げると、目の前で不自然なくらい思いっきり頭だけ下げている。 サキ「…約束して」 わたしの言葉に一さんは顔を上げて、 一「何を」 わたしを見上げながら尋ねる。 サキ「この戦いが終わったら、ずっと七重の側にいるって。七重がお嫁にいくまでよ。    今まで寂しい思いをさせたぶん、ずっとおじさんとおばさんと七重の側にいてあげて」 一「‥わかった」 ハッキリそう聞きとれた。 サキ「……どうすんの」 一「…?」 サキ「どうやってナナをここに呼ぶのよ」 一「…これを。俺の携帯を使ってくれ」 106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:16:30.64 ID:uBy9YMPiP ポケットを探って渡された、携帯のリダイヤルを回すとすぐに見つけられた。 七重『…お兄ちゃん?』 サキ「わたし。サキよ」 七重『えっ?サキ、無事なの?お兄ちゃんは?』 サキ「一さんは無事よ。……ごめん。…ナナ、お願い。あんたの助けがいるの」 七重『うん。わかった。どうやってそ』 七重「こへ行けば…」 パッとわたしの目の前に現れ、自由落下を始めそうな七重を、すかさず一さんが後ろから抱きとめ、支えた。 一「今のは俺じゃない」 携帯を返すと、聞いてないのに何か説明する一さんには答えずに、七重を見る。 下がとんでもないことになってるのに、一切目もくれず、ただわたしを心配そうな目で見てる。 七重「サキ。わたし、何ができる?」 サキ「この世界を。終わろうとしてる世界をあなたとわたしで止めなきゃいけないみたい」 言いながら、わたしは何を言ってるのだろうと思う。なんてことだ。いきなり幼馴染の親友に世界を背負わせるのか。 それなのに、七重は戸惑いも見せずにわたしに尋ねた。 七重「…どうやるの?」 サキ「たぶん、この前みたいに、…でしょ?」 七重に答えながら、七重を抱えている一さんに目を移して尋ねる。 一さんが頷くのを確認していると、突然七重に、両肩を前からつかまれた。 七重「ダメよ!それじゃサキがまた倒れちゃうでしょう!?ヘタしたら…」 107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:18:33.03 ID:uBy9YMPiP 心配に顔を歪ませる七重を見て、ああ、わたしも人のこと言えないな、と思った。 どうしたってやるしかないけど、それには七重が同意しないことには……。 サキ「ねえ、そこんとこはどうなの」 一「さあ、俺にも全く予想がつかん。死ぬかもな」 おいおい、そこは嘘でも大丈夫と言えよ。 七重は身をよじって、中学生が明日の天気でも考えるような兄の表情を見て、 七重「…そう。わかった」 え、納得したの? 七重「お兄ちゃんがああ言うなら大丈夫」 強い自信のある目をもって、今度は逆にわたしを励まそうとしている。 言葉だけ捉えればわたしの命の保障を示す内容でないのは明らかなのだが、七重がそう言うなら兄妹の絆に賭けてみる他ない。 確かあの時は七重とは背中合わせだったけど、向かい合っての体勢でもいいはずよね…。 根拠もなくそんなことを考える間もなく、 一「離すぞ」 七重をしっかり抱き止めると、こんな時なのに変に意識して胸が高鳴った。 七重も妙な感じになったようで、多分わたしと同じく恥ずかしがってる場合じゃないとか自分に言い聞かせるみたいで、 変にわたし達は力んで見つめ合ってしまった。 一「早くしろよ、10分切ったぜ」 あんたが言うな!しかしツッコミを入れてる場合ではない。 もの凄い勢いでこの黒い空間が地球上を覆おうとしているのを感じる。 108 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:20:34.99 ID:uBy9YMPiP 世界が終わってしまったら。 まずやっぱりこれだけは七重に言っておきたかった。 サキ「七重、あのね…、ありがとう。わたし、お母さんいなくて、兄弟もいなかったし、あんたがいなかったら、    きっと凄く寂しくいたと思う。あのね……」 10分以内で話せることじゃない。 いつ会ったのか覚えてないくらいずっと昔から知っていて、二人ですこしずつ行ける場所を広げていって、 一緒に笑って、一緒に怒られて、(つまらないことでケンカもして、でもすぐ仲直りして)一緒に泣いた。 思い出すのはとても感動的なことじゃなくて、何気ない、ありふれたカッコ悪いことばかりで―― サキ「大好きよ、七重…」 思い切り抱き締める。こんなに温かい。 七重「サキ、わたしも」 耳元の、ずっとずっと何度も聞いた声。 絶対嫌だ。失うのは。終わるなんて、無くなるなんて絶対に嫌だ。たとえ世界が新しく生まれ変わってそこに七重がいて、 会えたとしても、今までのわたし達で無くなるなんて絶対に、否だ。 そう、今までのわたし達はお父さん、おばさんとおじさんがいて。七重にとっては一がいた。 ……ああ、そうか、こいつ言わなかったな。 わたしにとってこいつはいなかっただけで、こいつにとってはずっと、わたしはいたんだ。 謝らなきゃ…ありがとう言わなきゃ… そう思いかけたとき、そのこいつが最高にあほなことを言った。 一「今だっ。キスしろ!」 109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:22:37.19 ID:uBy9YMPiP ふ‥ サキ「ふざけるなああっ!!」 叫ぶと同時に白い光の奔流がわたしからあふれ出し、それどころではなくなった。 世界を揺るがす無音の震動。止まらない。 でも今回は気づいた。 これはわたしの力じゃない。 わたしの胸の中が一番の中心で、そこから発せられてるけど感じる、これは七重の願いなんだ。 七重の思い。ここで大切な人々を脅かすものを無に帰し、ここで傷ついた人を治癒する。 切なる願いがわたしに伝わってくる。 ああ、七重は小さい時からこんな祈りを背負っていたのか、わたしにも、きっと誰にも見せず胸の奥で。 兄の無事、戦う人達の無事、滅ぼす相手への、そして何もできない自分への罪悪感。 この眩いほどの白い光が、わたし以外の誰にも、七重自身にも見えないのは、七重も気づかない、隠された純粋さだから。 七重の光に満たされながら、わたしは理解した。わたしだから見える。 全てのことに意味があるのなら、その中の一つのわたしの意味。 わたしだからできる。七重の思いを世界に拡げよう。 七重がすべての悩みや迷いを越えて、一人胸の中でだけ貫いてきた思いだから。 だが、広げようとする白い光を圧迫し、押さえ込もうとする黒い闇を感じる。 今回は前のようにすんなりとはいかないらしい。 サキ「七重」 抱き合ったまま、顔を見ず言葉に込めて伝える。 サキ「全て渡して。わたしは大丈夫」 110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:24:39.99 ID:uBy9YMPiP 一瞬、間があって、わたしの背中に回した腕に力が入った。 突然、段違いに大きい揺れが来る。追い越すほどのうねる波動が――― まずい、わたし自身が翻弄されそうだ。 一「負けるな、押し返せ!」 ……あんたにだけは――― サキ「ううおおおおおおおおおおおおっ!!」 視界が360度真っ白になりながら、わたしは自分に誓っていた。 この戦いが終わったら、このバカ兄貴をもう二、三発ぶん殴ると。 111 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:26:42.86 ID:uBy9YMPiP 結局、七重が心配したような大事に至る事もなく、わたしはただ三日ほど眠り込んでしまったらしい。 しかし、二度も突発性居眠り病に、しかも立て続けにかかってしまっては、父の心配も深刻さを増すだろうという、 一の勝手な配慮によって、わたしは体内時計を一時的に早巻きにされ、目が覚めた時は自宅の布団の上だった。 机の上の、七重の字の書き置きによって、わたしはそのことを知った。三日分余計に歳をとったことになるが、 寝ていればどうせ同じことだからやはり感謝すべきなのだろう。 携帯で確認すると、あの戦いから数時間も経っていなかった。 いつも通り起床する時間も近くなっていたし、わたしは家事と、学校に行く準備を始めたのだった。 それから、何事もない日々が続いた。 わたしは気づけば能力者としての力を全て失ってしまっていて、もう閉鎖空間を感知することができなくなっていた。 そして、機関の方から知らされることもなく、わたしと七重はただ平穏の中にいた。 学校生活での変化はと言えば、他クラスではあるが、あの先輩が同級生として転入してきたことである。 情報統合思念体のインターフェースとしての一面を持つ彼女は、七重の観測役の任務だけ長門さんから引き継いだのだそうだ。 だけどわたしが思うに観測する役というのは、もっと引き気味なスタンスの人がやるものだと思う。 転入早々、自己紹介からしてクラスを湧かせたらしい彼女は、 今や次の学期は委員長、はたまた生徒会長と目されると風の噂に聞く。 そうそう、新しい部活を作ったから入らないかと誘ってくれて、そう言えば何の部にも所属していなかったわたしと七重は、 彼女の人柄に引かれて、何の部活か確かめもせずに用紙に名前を書いてしまった。 部はいきなり作れないから正しくは同好会というのだろうか。 彼女自身、やりたい案が膨大にあるようで、幾つかにまとめるからその時また意見を聞かせてほしい、とのこと。 今までとは違う方向に、つまり学校生活の方が賑やかになってきた。 でも、もう閉鎖空間に出入りすることはないが、わたし達を脅かすあの存在が全て消えてしまったわけではなく、 機関の戦いは続いている。 あれ以来、一度連絡をとった柊さんや森さんに会うこともなくなってしまった。 112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:28:44.17 ID:uBy9YMPiP ある日、坂道を下りてきたところで柊さんが、笑顔を浮かべて待っていた。 片手を軽く挙げて、 古泉「やあ」 七重「あ、わたし先に帰ってようか」 すると、柊さんが、 古泉「あ、今日は主に二人の友達として、話したくて来たんだ。天気も良くなったし、歩きながら話さない?」 なんだか今日の柊さんはとてもリラックスしていた。にこやかにストレッチしながら歩き、周りの景色を見て、 古泉「う〜〜ん、ここは緑が多くて、いつ来てもいいなあ」 わざわざ話にきたはずなのに何やってるんだろう、とわたしと、多分七重も拍子抜けした感じで、 足に任せて、線路わきの県道から土手を登り、川沿いの遊歩道へ入る柊さんに、ついてきてしまった。 ずっと南のほうまで、桜並木が川の両側の道に続いている。 昨夜に止んだ雨ですこし地面が湿り気が残っているが、よほど大きな水たまり以外は残っていない。 雲のかたまりから抜けた日が射すと、まるで子どもの何の屈託もない笑顔のように、あたり一面がまぶしい。 木陰の乾いたベンチの上を軽く手で払うと、柊さんはわたし達に座るよううながした。 七重をまんなかに腰かけると、柊さんが顔を向けて、 古泉「小坂さん、あれから何か、困ってることはないか?」 サキ「あ、大丈夫です。普通の日常に戻ったというか」 古泉「よかった。それが何よりだ。これからも機関の一員として、七重ちゃんのことを頼むよ」 サキ「はい……。あの、わたしと会っててもいいんですか。その……忙しいのに」 113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:30:46.61 ID:uBy9YMPiP 柊さんは笑いながら、 古泉「何言ってる、森さんや僕、それに多丸さんたちは、機関での関係を外れたところじゃ、 これからも君とは年の離れた友人としていたいんだが、駄目かい?」 サキ「いえいえ、こちらこそ皆さんのことが好きですから是非お願いしたいんです、ただ…」 口を濁したわたしに、 古泉「そうそう、君にはまだ紹介してなかったけど、新川さんという、『機関』を引退した男性がいてね。 今回のことを報告しがてら、君のことを話したら、とても会いたがってたよ」 サキ「そうですか……」 あれ?新川さんって、確か。 古泉「そう。鶴屋家の執事の」 ああ、やっぱり。当主の鶴屋さんはおじさんおばさんと高校時代からの友達らしい。 涼宮家の家族旅行にわたしも一緒させてもらう時があるけど、行き先はあちこちなれど、 宿はたいてい鶴屋さんが気前よく招いてくれた別荘だ。 そして、そんな時、決まって温厚そうな年配の男性のお世話になっていた、まさにその方だ。 もっとよく一番深く覚えてることは、この辺りには鶴屋家私有の山があるけど、 子どものころ七重と勝手に遊びに入って、道に迷っていたわたし達を、何故か探して見つけてくれたのも新川さんだ。 もうとっくに日も暮れてるのに、家まで送って帰ってくれて、それぞれの親に叱られてるのをかばってくれた。 七重もきっとよく覚えてると思う。 森さんも柊さんも、新川さんも多丸さん兄弟も、みんな温かい目を持っている。 あんな戦場をくぐり抜けてきた人ばかりだというのに、それだけに染まらない優しく強い目を持っている。 114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:32:54.35 ID:uBy9YMPiP わたしも新川さんに改めて挨拶したい。でも…… 思い切ってわたしは口を開いた。 サキ「柊さんや森さんはこれからも戦いつづけるんですよね。‥なんか、わたしだけ抜け出したみたいで」 柊さんはわたしがしゃべり終わるまで、静かに聞くと、あのいつもの説明するときの、整然とした口調で話してくれた。 古泉「いや、僕らは今は天職だと思ってるし、もともと、これからも体が動くかぎりは続けていくつもりなんだよ。 そして、皆君に感謝してる。 それに君が力を失ったということは、その役目を果たしたんだと、誇っていいことだ。 我々にしてみれば、君がずっと力を持ち続けていることの方が心配なんだ。 それは君がずっと危険の中へ飛び込んでいかなきゃならないってことだけじゃない。 あの力を持った者が現れるということは、 また涼宮一が神人を抑えきれない事態が起きる恐れがあることを、意味するのかもしれないから」 サキ「そんなもんなんでしょうか」 古泉「森さんの言うとおり、全てのことには意味があるんだと思わされるところがあったからね。    もっとも、今回は幸運に恵まれただけかもしれないけど、いずれにせよ、君が自分を責めることはないよ」 そう言われればわたしには、返す言葉がない。 サキ「一は今も戦ってるんですか」 115 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:34:55.60 ID:uBy9YMPiP 七重は兄の悪口は決して言わないし、わたしには今閉鎖空間が発生しているか感じ取ることはできない。 古泉「戦いを続けてる。でも、以前に比べたら、我々に任せるようになったほうだよ」 やっぱり、あいつは時々、いや多分かなり家を留守にしてたのか。わたしが行った時は取り繕ったように戻ってたんだな。 七重「でもでも、お兄ちゃん前より、よく笑ったり話したりしてくれるようになったんだよ。 おじいちゃんやおばあちゃんは、よく遊びにくる男の子だと思ってるけど、 おじいちゃんの畑仕事手伝ったり、おばあちゃんに世界中の旅したところの話をしたり。 お父さんやお母さんとも、次はなるべくこの日にちに帰ってくるから何かしようとか……」 サキ「わたしは七重がいいなら、ほんらいわたしが言っていいことでもないし。あいつなりに使命を帯びてやってるんだって、    分かってる。……あんたの兄貴は大した男よ」 七重が胸一杯、嬉しそうな顔を輝かせる。もう少し、この健気な妹に寂しい思いをさせないでくれればね。 古泉「しかし、今回のてん末を涼宮さんに報告したら怒られてしまってね」 頭をかきながら話す柊さん。 サキ「え、怒られた?七重のお母さんに?七重まで巻き込んだから?」 七重「ううん、そうじゃないの」 柊さんは川の方を見ながら答えた。 古泉「一くんのことでね。実は、涼宮さんからは前々から言われてたことなんだがね、 一くんの力を、もっと人間どうしのことに使うべきだと。何といっても一くんのお母さんだから」 確かに、宇宙から襲来する敵と戦うこと以外に、一が何かしてると聞いた覚えがない。 考えてみれば、スーパーマンのような、人助けにだって生かせそうな力を一は持っている。 サキ「でも、いつ現れるか分からない敵と戦いながらそうするのって、大変なんじゃないですか」 116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:37:02.41 ID:uBy9YMPiP 柊さんは意外そうな目でわたしを見て言った。 古泉「‥確かに。それだけじゃなく、色々な理由で、統合思念体や機関からは、 今までは一くんに天蓋領域からの地球の防衛に専念するように求めてきて、そして一くんはそれに応えてきてたんだ。 涼宮さんもしぶしぶながらね」 サキ「じゃあ、今回のことでおばさん、それ見たことかだったんじゃないですか」 柊さんは痛いところを突かれたような笑顔を見せながら、 古泉「正にそのとおり。涼宮さんだけじゃなく、長門さんからもついに意見が出てきてね。    我々もとうとう、一くんの意志に委ねることになってしまった。 どうなることやら、とにかく森さん達の長年の苦労も水の泡だよ」 その割にどこか嬉しそうに見えるけど。 ところで、さっきの柊さんの言葉で、前から気になってたことがある。 サキ「柊さんって普段何してるんですか」 古泉「大学で文化人類学を教えてる。それから、妻の家が神社なんだが、そこで神主もしてる。 まあ、ほとんど研究のための出張ってことで家を空けて家族からは半ば呆れられてるけどね。 …妻も娘達も理解してくれてるのは本当に有難いことだ」 柊さんに教わる学生は幸運だ。それにしても、そんないい奥さんや娘さんたちを悲しませないでくださいね。 柊さんは苦笑して、 古泉「一くんから聞いたよ。ありがとう、めったなことでは無理はしないさ。 でも、奥さんって呼び方は正確じゃないかもしれないな。 小さいけれど町に弁護士事務所を開いて、彼女も家事と仕事で毎日忙しくしてるからね。 娘達が曲がらずに育ってくれたのは、彼女のお陰だよ」 117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:39:08.90 ID:uBy9YMPiP 森さんによると柊さんは子煩悩の愛妻家らしいから、機関の仕事の合間にも、 あのカギを使ってこっそりあちらの世界に戻ったりしているのかもしれない。 そうだ、カギで思い出した。 サキ「これ」 わたしはポケットからカギを取り出した。 サキ「長門さんにお返ししようとしたんですが、『いい』とか『わたしからのお礼』とかおっしゃって首を振るばかりで」 古泉「持ってればいいじゃないか。君の判断で使えばいいし、別にあの場所は利用してくれて構わないよ」 サキ「でも、落としたりしたら困るし」 古泉「君はそんなにおっちょこちょいには見えないけどね。そうそう、今度家に遊びに来てくれ。娘達は君達と同い年だし、    きっと気が合うと思うよ」 七重「わたしもそう思う。時々しか会わないけど、双子ちゃんなのに全然性格が違ってて、でも二人ともすごくいい子だよ」 それは会ってみたいな。今度、うかがう時にわたしからお電話します。じゃあ、そろそろ失礼します… 挨拶して見送り、わたし達も歩き出すと、七重が言った。 七重「ねえ、このまま北口まで歩いていかない?」 サキ「うーん、夕飯の買い物あるしなあ……」 七重「たまに北口で買ってもいいじゃない、帰りはバスで」 サキ「でもやっぱり歩くにはちょっと遠いよ……」 七重「じゃあ走ろうっ」 と駆け出す七重。 サキ「ええっなんでそうなるの!?」 わたしも走ってついていく。 まあでも、こんなことで騒げる日が戻ってきたことが素直に嬉しい。 北口駅辺りを二人でぶらっとするなんて随分久しぶりだ。 そう言えば、もうすぐ七夕。七重の誕生日だ。 あの「転入生」の子を誘って七重に内緒でプレゼントを探す、その下見にしようかな。 七重「サキ、何ニヤニヤしてるの?」 サキ「ううん、何でもないよ」 昨日降った雨の水たまりには、雲間から顔を出した太陽がキラキラ光っていた。 118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:40:15.34 ID:uBy9YMPiP 以上です。 読んでくれてありがとうございました。