キョン「朝起きたら鶴屋さんが隣で寝ていた」 1 名前:(0/0)[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:13:50.12 ID:6w1XGp9Q0 前置き。 それなりに長編になると思います。 一応すべて書き終わっているので規制とかトラブルとかない限りは完結できると思います。 それなりに長いので数日かもうちょいかかると思いますがどうぞお付き合いください。 一応投稿順にメール欄で章と節とに区切ってあります。 章の最後には通し番号の後にEndマークをつけます。「(1/1end)」のように表記します。 改行作業と並行するので一応エディタで見切れなど注意していますが ミスがあった場合流れ上再投稿はできませんのでおかしいところに気づかれた方は一報ください。 次回以降の投稿に反映します。 なるべく連投は避けたいのと改行作業の都合で投稿に間隔が開くことがありますが その日の分が終了する際は本日分は終了ですとアナウンスします。 なるべくキリのいいところで終わるように調節します(主に眠気など) 当日の急用などで書き込めないことはあるかもしれませんが基本的に 11時以降、日付変更前後の投稿を予定しています。 スレが残っている場合は携帯などでその旨を報告します。 ただ規制されている場合はご容赦ください。 次回以降メール欄は「投稿者名@投稿時のID(通し番号)」ように表記します。 前置きが長くなりましたがそれでは本編の投稿を始めたいと思います。 数日の間気を長くお付き合いいただければ幸いです。 それではどうぞ── 9 名前:オープニング(0/1)[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:20:09.01 ID:6w1XGp9Q0 昨日まで何もなかった。 いや、いつも何かしらの事件はあるんだがまぁ今まで通りの何かしかなかったんだ。 ハルヒの相手をして、長門や古泉に助けられて、朝比奈さんは可愛らしくて愛らしくて。 そんないつも通りの何かだ。 何があったのか気になるってんなら聞くべきだ。本当に驚くべきことだ。 世界が突如平和になったとか朝起きたら仮面ドライバーになっちまってたとかそういう次元じゃない。 もっと身近なことだ。だがありえない度ではそれに引けを取らないと言っていいね。 いいか、言うぜ? 朝起きたら鶴屋さんが隣で寝ていた。 わけがわからなかった。 15 名前:(1/1)[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:25:38.36 ID:6w1XGp9Q0 俺は完全に呆気に取られて数十秒間現状を受け入れることができなかった。 鶴屋さん「あふっ、う〜ん……くあっ」 鶴屋さんは猫が起き抜けにするような欠伸をすると目を瞑ったまま伸びをする。 まだ半分夢の世界でうにゃうにゃと戯れているようだ。 寝返りをうったその手が俺の足に当たり鶴屋さんはうっすらとまぶたを開く。 呆然とする俺を眠そうに見上げる鶴屋さん。 二三度まぶたを擦って大きく伸びをすると「おっすっ!」と元気一杯に俺に笑いかけてきた。 鶴屋さん「キョンくんおはよっ! 今日も爽やかでいい朝だねっ。にゃははっ」 爽やかに挨拶されてしまった。ますますわけがわからなかった。 鶴屋さんはにこやかに笑っている。俺が隣にいることを不思議がる様子もない。 だがこんな状況は俺と鶴屋さんが何か突発的で事故的な状況に巻き込まれているんでなければありえないことだ。 鶴屋さんはなぜにさも当たり前のように挨拶を? 考えれば考えるほどますますわけがわからなくなった。 キョン「つ、鶴屋さん、なんでウチに、ってか俺の部屋にいるんですか? そして何故に俺の隣で寝ているんですか……」 鶴屋さんはキョトンとしている。言葉の意味はわかっているが質問の意味はわかっていないというように。 鶴屋さん「キョンくんとあたしはずっと前から一緒にょろ。同じベッドを使う寝床仲間さっ」 え……? いや、でも鶴屋さん、自分の家があるでしょう。 俺は人間の視力の限界を試しているかのように延々と続く塀を思い出す。 趣ある純然たる日本家屋に想像もできない悪事を連想したものだ。俺はよーっく覚えている。 鶴屋さん「うん、あるよっ。でもうちはうちさっ、あたしが寝るとこはここだよっ」 俺は目眩と共に一種の安堵を覚えた。 もし俺がうっかり──うっかりってなんだ──鶴屋さんを誘拐して抱き枕替わりに持ち帰ったんだとしたら。 俺の背筋を冷たい汗が伝う。 俺は目覚めた鶴屋さんに鶴屋流古武術であっという間に取り押さえられお縄を頂戴し連行されて 地元の名家のお嬢様を誘拐しあまつさえ添い寝をした不埒者として家族共々世間につるし上げられた挙句…… いやそんなのはまだ生ぬるい、それがニュースになれば究極的懲罰として ハルヒに存在自体初めからなかったことにされてもおかしくはない。 17 名前:(1/2end)[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:28:47.49 ID:6w1XGp9Q0 だがそんな一瞬にして脳裏をよぎる走馬灯が如き不安は杞憂だろう。 少なくとも今目の前のこのお方は俺の隣で寝ていたことにまったく違和感を感じていないようだからだ。 今すぐ社会的にも存在的にも消え去ることはないだろう。あくまで今すぐとしか言い切れないのだが……。 鶴屋さんは俺のなんとも言えない複雑な表情を覗き込んで不思議そうにしている。 それでも何かおもしろそうなことを期待しているのだろう。 若干姿勢が前のめりで、って胸元はだけてますよ鶴屋さんっ!? ボタンを、ボタンを閉じてください! 鎖骨が、胸元が見え、ってそれ俺の制服のYシャツじゃないですかっ!? うれしい、じゃなかった困ります! だがそんな一喜一憂はさておき今は聞くべきことがあるんだった。 キョン「あぁ、なるほど。お、俺の家はきっと何かしらの経済的な理由で鶴屋家のものになったんですね。 そ、それでこの部屋は実はもう俺の部屋じゃなくて、鶴屋さんの個人的な寝室で、 それに気づかずにうっかりいつもどおり迷い込んだマヌケがこの俺、と、 そういうわけですよね。あっはは……は……」 どんなにムチャクチャでもそう思うほかない、そう思うほかはないのだ。 とりあえず超常現象以外の納得できる現実的な説明が今の俺には必要だ。 それでも十分非現実的だが。いや、待て。さっき不吉な言葉を耳にした気がする。 思い出せ。たしか、ずっと前から一緒……とかなんとか。寝床仲間、とかかんとか。 鶴屋さん「ううんっ、違うよっ」 鶴屋さんは満面のはにかんだ笑顔を見せると、 鶴屋さん「あたしが寝るとこは決まっているのさっ。それはキョンくんのとなりっ、ずっと前からそうにょろよっ?」 屈託なく笑ったのだった。 22 名前:(2/1)[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:32:58.81 ID:6w1XGp9Q0 妹が起こしに来るまでもなく俺は起きていた。 なによりも驚いたのは目の前で一緒に朝食を取っている鶴屋さんに対して妹も、 家族の誰もが不自然さを感じていないことだった。 和やかで賑やかな朝の談笑に混じって異様にテンションの高い鶴屋さんが料理の腕を褒め称える歓声が木霊する。 俺はひたすら訝しげな目つきで家族を一瞥したきりもくもくと箸を口に運んでいる。 なぜだ、ここはいつぞや迷い込んだパラレルワールドなのか? だが今のところ確認できる相違点は俺と鶴屋さんが相部屋同衾しているという一点だけだ。 妹ちゃん「キョンくん目つきわるーい、もっとニコニコってしなよー。そんなことじゃ鶴屋さんに嫌われちゃうよ」 鶴屋さん「妹ちゃん、わかってないなぁ。キョンくんは今、七人の敵との戦いに備えて精神を統一しているのさっ」 妹ちゃん「え、そうなの?」 鶴屋さん「そうっさっ! 男には人生で倒すべき敵が七人もいるからね、       今日あたりその何人目かと遭遇する予感をキョンくんは肌で感じ取っているのさっ」 鶴屋さんがむちゃくちゃを言う。 もしこの異常事態が我が家に限ったことなら世界のすべてを敵に回しそうな気がするんですけど。 俺は最初に口をつけた焼き魚を飲み込む気にもなれずひたすら噛み続けてしまっている。 手をつけないのも不自然なので新しいおかずを口に運んで平静を装っているが、 うぷ、そろそろ限界かもしれない。 口をげっ歯類のようにふくらませた俺を見て鶴屋さんがケラケラと笑った。 本当にこの人は笑い袋みたいな人だな。妹に何か言われた気がしたが耳に入らなかった。 口の中も頭の中もカオスに支配されていたからだ。 鶴屋さんの鞄も靴も制服もすべて俺の部屋にあった。 さすがに着替えまで同室ではなく、いや、決して残念に思っているわけではないぞ。うん。 24 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:36:08.08 ID:6w1XGp9Q0 門口で見送る母親に鶴屋さんが 「いってくるっさ〜っ!」 と景気よく出発の挨拶をした。 俺は見送られたことなんて一度もないぞ。 まぁ相手が鶴屋さんなら見送りたくもなるというものだ。それは認める従える。 鞄を肩に乗せてダラダラと坂を下っていく俺のすぐ横に鶴屋さんがいる。 勢い良く鞄を振り回して大股で俺の歩調に合わせ、何か陽気な歌を口ずさんで、 いや叫んでいたのだが何の曲かはわからなかった。 キョン「あの〜、鶴屋さん、ちょっといいですか」 鶴屋さん「なんだい、キョンくんっ」 キョン「俺と……鶴屋さんってなんで一緒に暮らしてるんでしたっけ……?」 いきなりで直球すぎる質問だとは思ったが、いちいち遠回りに探りを入れている余裕もない。 今ここで聞けることならこの場で聞いてしまいたい。少なくとも学校に到着するまでには。 それに鶴屋さんなら知っていることなら正直に答えてくれそうだという期待からだ。 思考するにも情報が足りなさすぎる。今はあなたの答えだけが頼りです、鶴屋さん。 鶴屋さん「ん〜っ、そうだね。理由……かぁ」 鶴屋さんはしばらく考え込むように路傍を見つめたあと、少し照れくさそうに笑った。 鶴屋さん「一緒に居たい……からかなっ、たはは、ごめんねっ。こんな答えでさっ」 俺はなんとも言えない脱力感に襲われ目眩がした。 と同時に足元から地面がなくなって一瞬浮き上がったような錯覚を覚えた。 突然前のめりになり思いっきりたたらを踏んだ。足が痺れて痛む。 下り坂だというのに間抜けにも足の置き場を間違えたらしい。 有益な情報を得られなかったからか、いや、それだけじゃない。足元がおぼつかなくなっちまった原因は。 25 名前:2/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:39:04.92 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「参考になったかいっ?」 なぜに嬉しそうなんですかあなたは。 そしてなぜに両手を組んで恥ずかしそうに? あれ、なんだこの雰囲気。え。 鶴屋さん「早く行かないと遅れちゃうよっ。キョンくん、ここからはダッシュだ!       先に着いた方が勝ちだぞっ、待ったはナシにょろっ!」 え、ちょっと、鶴屋さん待って──。 鶴屋さん「よぉーーーい、ドンっ!!」 鶴屋さんは風のように坂道を駆け下っていく。ちょ、速いですよ、ってか時速何キロ出てるんですか。 ジューマン・ボルトも真っ青の世界新でも作るつもりですかあなたは。難易度設定はないんですかっ。 俺はひいひい言いながらなんとか着いていく。 時々鶴屋さんが速度を落としてくれていたのは考えるまでもない。 時々振り返る彼女のその頬がいつもより赤く染まっているように見えたことは、 単なる錯覚や、光の悪戯や、激しい運動をしているからではないように思えた。 個人的に。これ重要。 27 名前:2/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:42:26.00 ID:6w1XGp9Q0 とりあえず学校の玄関口で鶴屋さんとそれぞれの教室へ別れた跡いつものように一年五組に入る俺。 先に着ていた谷口と国木田の挨拶に適当に返事をすると窓際の自分の席に座った。 当然ハルヒなどはとっくの昔にいましたよと言わんばかりに外の景色を眺めている。 なんだ、いつも通りじゃないか。あの朝の喧騒が嘘のようだ。 だがいつも通りでない状況がここにも一つだけあった。 ハルヒ「なによ、キョン。汗臭いわね。こんな朝っぱらから何、      運動の喜びに目覚めたのなら体操着でやりなさいよね。      後ろでその臭いをかがされる身にもなって欲しいわ」 さすがにこれはハルヒでなくともそう思う至極一般的な感想である。 普段坂道を降りる登る、チャリで走る以外に特に運動などしていない俺である。 高校に入学してからたまにものすごーく走らされたり球技に駆り出されたりことは何度かあったものの、 それは日々の鍛錬とは無縁のものであって俺自身のパラメーターを上昇させるには至っていないのである。 たぶん今の俺の素早さは8ぐらいだ。うん。 キョン「なぁハルヒ、何か変わったことはないか?     例えば朝起きたらすんげー美少女と添い寝してたとかかんとか」 ハルヒ「はぁ、なによそれ。あたしがなんで美少女と添い寝しなきゃなんないのよ。     第一それはあんたのくだらない妄想でしょ。     人生の先行きに悩んでいるならもっとマシなことにエネルギーを使いなさいよね」 まぁ最初の質問は俺自身の気持ちを和ませるための軽いジャブみたいなものだ。 マジで込み入った話なんてこいつにできるわけがない。 話したら最後、面白半分にかき回されるか、挙句、処刑台に送られるかもしれない。 くわばらくわばら、触らぬハルヒに超常現象なし、である。 もっともハルヒの場合触らなくても罰があたったりするから理不尽なのだが。 そう思っていると後ろでハルヒが何かを思い出したように両手を叩いた。 ハルヒ「そうそう、鶴屋さんは元気? 明日の放課後部室に来るようあんたから言ってくれない?     みんなでワイワイ鍋パーティーでもしようかと思うのよね」 29 名前:2/5end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:44:35.72 ID:6w1XGp9Q0 このときの俺の目を外から見たら皿のようでした、といわれても納得できる。 眉尻の感覚がなくなるほど俺の両目は見開いていた。 と同時に口元はだらしなくゆるんでいたようでポタリと唾液が滴った。しまった、と思ったよ。 ハルヒ「なによ……あんたってそんなに鍋大好き人間だっけ……」 ハルヒのなんだか哀れな牛を見るような目。あの流れならそうなるわな。 ただ俺はそんなことよりも鶴屋さんのことがハルヒの口から出たことに驚きだ。 なんだ、こいつもなのか、なら谷口や国木田やクラスの全員や学校の教師やまさか、 長門や朝比奈さんや古泉もなのか? いや、そう思うにはまだ早い、そう思うのは会って実際に話をしてからだ。 キョン「あの〜、ハルヒさん?」 ハルヒ「なによ、鍋奉行をやりたいってんならさせないわよ」 キョン「なぜに朝比奈さんではなく俺に鶴屋さんを呼んでこいと……?」 ハルヒは呆れるように今更何を言うのかという表情で俺を見据える。 ハルヒ「はぁぁ? 何言ってんの? あんたと鶴屋さんおんなじとこに住んでるんでしょ。     だったらあんたに頼んだ方が手っ取り早いからに決まってるじゃない。     それに同じ手を煩わせるならみくるちゃんよりあんたにした方がいいからよ。     第一平団員のくせに──」 ハルヒの言葉で記憶に残っているのはここまでだ。 俺の体は驚愕と戦慄で一切身動きが取れない。 冷たい汗が背筋を伝っていくのがわかる。 あぁ、とかうぅ、とか返事はするのだが、言葉にならない。 ハルヒ「ちょっと聞いてるの、だいたい団長に対してあんたは普段から態度が──」 すまん、ハルヒ。お前の言葉がわからない。 31 名前:3/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:48:13.38 ID:6w1XGp9Q0 ただでさえ俺のなけなしの処理能力は日々の喧騒で手一杯だというのに、その上授業についていかなきゃならん。 俺の成績が壊滅的なのは言うまでもない。赤点ギリギリなことすら上出来とさえ思える。 特に今みたいな状況が現在進行形で継続しているならなおさらだ。 ハルヒじゃないが俺は外の景色をぼんやりと眺めていた。 何度か教師に頭を叩かれ、谷口に女子の運動着姿でも眺めてたのかとからかわれる。 それでも俺の意識は教室の外に漂ったままで視線はどこを捉えるでもなく泳ぎ続けていた。 成績のことなど考えたくもない。 休み時間、授業、何度目かの休み時間、何度目かの授業、昼休み、放課後。 ハルヒは気がついたら居なくなっていた。 何度か背中をつつかれたような気がしたのだが、それも曖昧な記憶だ。 俺はのたのたと教科書をしまうと鞄を抱えてSOS団の部室へと向かった。 長門、朝比奈さん、古泉、お前らは、大丈夫だよな? (もしあいつらまで変わってしまっていたら?) いつぞや俺たちの世界が消失したときのことを思い出す。すべてが変わっていた世界。 俺以外の誰一人として記憶を留めていない世界。 普通のおとなしい文学少女になっていた長門。 ハルヒはあんまり変わってなかったな。 古泉はなんというか、うん、いつも通りだったな。 そして俺を怯えるような目で見ていた小動物のような朝比奈さん。 確かあの時俺は無理に朝比奈さんに迫って困らせちまったんだったな。 どういうわけか朝比奈さんだけは変わっていないと信じたかった、いや、すがりたかったんだ。 あの時の虚脱感は忘れようもない。 確かその後、鶴屋さんに腕を捻り上げられて、追い返されたんだったな。 俺の知っている奴らが俺だけ置いてさっさとどっかに行っちまって、それぞれ勝手にいつも通りの日常を過ごしていて。 いや、あれは俺が本来歩んでいた、過ごすと思っていた日常にほとんど近いものだった。 いつの頃からか俺は非日常なんて絵空事の子供だましで、 ごくごく平凡な日常の中にしか幸せってのは存在しないものだと思っていた。 寂しかったんだよな。 正直、寂しかったんだ。 33 名前:3/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:50:49.23 ID:6w1XGp9Q0 ハルヒは相変わらずだったし、古泉の胡散臭い顔つきも相変わらずだった。 長門は──うん、あの表情は俺の脳内画像フォルダに大切にしまってある。 朝比奈さんも自分の未来ではあんな風だったのかな。 SOS団の存在しない世界。 当然荒川さんとも森さんとも顔見知りじゃない、それに、鶴屋さんとも。 今俺の部屋で寝泊まりしているあのお方は俺のことなんて知りもしない。 俺は背景の一部で、朝比奈さんに迫る邪魔者で。 なんだ、これ。 なんなんだ、これは。 俺が望んでいたのは当たり前の日常だった。 じゃぁこれは当たり前の日常じゃないのか? 宇宙にふわふわ漂ってる意識だけのアメーバみたいな思念体がいて、 未来から使命を負った可愛らしいターミネーターがやってきて、 世界を守る為に血みどろの戦いを繰り広げている(自称)の超能力機関の三者三様で小競り合っている。 おまけにゴッド。それもどうしようもない性悪のゴッドだ。 しゃべる猫。バカな妹。まるで漫画の中から出てきたような大金持ちの美人の先輩。 異様に賑やかでまるで終点をなくしたジェットコースターのような世界。 あれ、なんだこれ。 これは、俺の当たり前の日常じゃないのか。 なぁ、お前ら。また俺を置いて居なくなっちまったりしないよな? なぁ。 35 名前:3/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:55:02.33 ID:6w1XGp9Q0 SOS団の部室。その扉の前で俺はながながと躊躇っていた。 今の俺の状況は特に危機的というわけではない。 正体不明の敵や勢力に攻撃されているわけでもなければややこしい謎解きをする必要もない。 必要なのはただ訪ねることだ。そして意見を交換する。そして俺の疑問を誰かと共有する。 そう、それだけでいいのだ。 俺は意を決してSOS団の扉を開く。 おや、今日は遅いですね、どうされましたか。と古泉。一人でオセロをやっている。面白いか? 朝比奈さんは俺を確認すると手早くお茶を作って出してくれた。 軽く挨拶をする。今日も御姿がまぶしいですよっ。 長門はいつもの場所でいつも通りに俺の知らない小難しい本を読んでいた。 なになに、不確定性原理、ハイゼンベルクの散乱パラメータ……だめだ、わからん。 お前の興味は俺にはレベルが高すぎる。 俺は何気なくさりげなーく訪ねることにした。 いきなり訪ねてまともな答えが帰ってくるという期待はもう持てない。 さりげなーく、自然に、ナチュラルに、ごく普通に訪ねるのだ。 俺は古泉のオセロの相手をしながら二言三言言葉を交わす。とりあえず冗談は極力抜きにしよう。 キョン「なぁ、古泉。少し聞きたいことがあるんだが」 古泉「なんでしょう。僕とあなたの仲ですから、なんでも言ってください」 いちいち気持ち悪い言い回しをしないと気が済まないのかお前は。 キョン「一人で眠りに着いたはずなのに朝起きたら隣で誰か寝ていたとしたら驚くよな?」 古泉「そうですね。まずは自分の正気を疑って、次に一人で眠りについたという自分の記憶を疑いますね」 38 名前:3/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:58:09.74 ID:6w1XGp9Q0 古泉は特に驚いたという風でもなく笑顔を絶やさず淡々と答える。 古泉「まぁ、隣で眠っていた相手が男性か女性かで大きく意味が変わってくるかと思いますが」 どういう意味だそれは。 古泉「おや、寝ている間に寝床に潜り込まれるという夜這い的なイベントのことでしたか?    私はまたてっきり何かしらの異常現象がらみかと思っていましたが……    どうやらもっと楽しそうなお話のようですね」 いやいやいや、合ってるよ、それで合ってるよ! どうか俺を素敵な妄想少年に認定しないでくれ。頼むから。 古泉「おやおや、年頃の高校生がなんと夢のない。もっとも、夢と現実のどちらに属しているかというと、    あなたは間違いなく夢の方ですよね。二重に夢を見るというのも難しいことなのでしょうか」 古泉、俺とお前は一応同い歳だよな? 実は若作りのもういい歳でした、なんてことないよな? 古泉「えぇ、もちろん。しかしどうしてそのような質問を?」 少なくとも突然朝目覚めたら隣に誰かが寝ていた、という状況を異常と感じることに同意は得られたようだ。 もしこの世界が朝起きたら突然誰かが隣に寝ているどころか 突然同居していたことがよくあるようなことだとされているならこんな返事は返ってこないだろう。 一先ず一歩前進だ。 39 名前:3/5[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:01:28.07 ID:6w1XGp9Q0 キョン「じゃあな、古泉。それがもし知っている相手だったとしたら?」 古泉は口元に手を置いてしばし考えるような姿勢になった。 古泉「ふむ。それは相手が誰か、ということにもよりますが。たまたま行きずりの他人と同衾してしまった、    という一夜の間違いではないとしたならば、少々厄介ですね。    後々の人間関係にまで不可逆の影響を与えることになるでしょう」 俺が心配していることはまさにそれだ。 赤の他人というならば忘れてしまえばいい。 だがそれが朝比奈さんの友人でSOS団のメインスポンサーとも言える鶴屋さんなら話は別どころの騒ぎじゃない。 例えそれが朝比奈さんを、SOS団を挟んだ上での付き合いだったとしても。 そういえば俺個人で鶴屋さんと一対一の関わり合いを持ったことなんてなかったな。 俺と鶴屋さんとの関わりの間には常にSOS団の活動や頼みごとがあった。 友達、でもない、知り合い、ではある。だがまったくの他人というわけでもない。 と言うにはお世話になり過ぎている。まぁ世話になっているのはSOS団として、なのだが。 それがどうして俺のところに? 鶴屋さんは先輩として素晴らしい人である。それは一抹も疑念を挟む余地がない。 一方俺はというと後輩としてもその、なんだ、男としても一切見る所のない一般ピープルである。 周囲の異常に対する経験値は常人より若干上ではあるが俺自身は至極普通の高校生である。 そう自分で断言できることが少し泣けてくるのだが。 俺と鶴屋さんの接点ってなんだ。 40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:04:05.31 ID:6w1XGp9Q0 SOS団以外の、朝比奈さん繋がり以外の接点ってなんだ。わからない。 そんなものは考えたところで初めからないのだろうか。 そう思うと少し寂しい気がするな。あれだけの騒ぎの中にいて俺はハルヒや長門や朝比奈さんや古泉を通してしか 人間関係を広げていない。もといそれにかかりっきりで他になにができたというわけでもないのだが。 キョン「なぁ、古泉」 うだうだ考えてても埒が開かねぇ。 俺には今目の前でニヤついている超能力者や未来人や宇宙人という心強い仲間がいるじゃないか。 例えそうじゃなくても、話を聞いて、意見を交換して、考えを聞いてもらって、知恵を貸してもらうことはできる。 そうだ、恐れることなど何もない。言うんだ、がんばれ俺。 キョン「朝起きたら突然鶴屋さんが隣で寝ていた。これって異常だよな? 問題だよな?」 古泉はまったく考え込む風でもなく、表情を些かに崩すこともなかった。 古泉「それのどこが異常で問題なんですか?」 俺は目の前が真っ暗になった。 気がついたら俺は伝説の勇者で父親を探す旅の途中に倒れヒゲもじゃの王様に蘇生してもらったばかりだとしても 何も驚かないだろう。 がんばれ。おれ。 41 名前:4/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:07:48.73 ID:6w1XGp9Q0 正気を取り戻した俺は古泉に喰ってかかった。 キョン「なんでだよ、どうしてだよ、わけわかんねーよ!」 古泉「そう言われましても。私にはあなたの質問の意味がわかりかねます」 キョン「だから、年頃の男女が同じベッドで寝起きしているってのは不自然で異常で問題だろう!」 古泉のなんだか珍しいものでも見るような視線が突き刺さるように痛い。なんだその含み笑いは。 古泉「いやぁ、あなたは結構昔風の考えを持っていたんですね」 キョン「な、な、な、なにぃ」 古泉「年頃の男女であればむしろそうあることは自然であると言いますか、    互いにそれを望んでいる二人が一緒にいることは至極当然のことでしょう」 いや、そうじゃなくてだな。 古泉「わかりますよ、あなたはそうした生活が周囲からどのように思われているか気になってしまうんですよね。    自分の頭がおかしいんじゃないか、世間に吊るし上げられたりしないだろうかとね」 よーっくわかってるじゃねぇか。俺の小市民的思考回路をよ。 キョン「おい、古泉。さっきの質問に付け加えたいことがある」 古泉はなんでしょうと微苦笑する。 あれはすごくダメな子を見る目だ、そしてそのダメな子を優しく導いてあげようという庇護者の目だ。くそう。 古泉「無理のないことです。あなたと鶴屋さんのことで何か悩みがあるのでしたらなんでも相談に乗りますよ」 43 名前:4/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:11:38.98 ID:6w1XGp9Q0 キョン「お前の考えは基本的なところで俺とほとんど変わらないことはわかった。 だが、俺は鶴屋さんと寝起きを共にしていることを異常だと思っている。 けどお前はそう思ってないんだよな?」 古泉「その通りです」 キョン「なぜだ?」 なぜだ。そこが一番のポイントだ。ここでまともな答えを聞けなければ俺は思考の迷路に落ちちまう。 今はお前の答えだけが頼りなんだ。頼むぞ、頼むぞ古泉。古泉くん。 古泉「それはあなたと鶴屋さんだからです」 俺がずっこけたのは言うまでもない。 いや、正確には椅子からも落ちなかったし一ミリたりとも滑ってはいないのだが、 なんかこう、気持ち的に宇宙の果てまですっ飛んでいった気分だ。 俺の公序良俗的感覚は例えるなら適当に動かしすぎて元に戻せなくなったルービックキューブのごとき惨状で もはや取り返しのつかないところまでひっかきまわされてしまった。常識、カンバック。 こうなったら長門や朝比奈さんにも訪ねるしかない。 キョン「長門!」 長門は俺の言葉に反応し読んでいた本を静かに閉じるとこちらを向いた。 キョン「俺たちの話を聞いていたよな。お前はどう思う?」 頼む、長門。お前が何かしらの異常事態を感知していないんだとしたら、もう俺にはどうしようもない。 44 名前:4/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:14:20.69 ID:6w1XGp9Q0 長門「不自然なところはなにもない。」 ナガートス、お前もかっ。 みくる「あ、あの……」 さっきから視界の隅で事の成り行きを見守っていた朝比奈さんが口を開いた。 みくる「あの……キョ、キョンくんは鶴屋さんと居るのが 嫌なんですか……?」 朝比奈さんは今にも泣きそうな顔で俺に訪ねる。これには一も二もなく首を横に振った。 滅相もありませんっ。朝比奈さん、あなたを泣かせるわけにはいきません。 みくる「よかったぁ……」 朝比奈さんは安堵のため息をついた。朝比奈さんを泣かせずに済んだので一先ず俺も安心した。 同時にこの状況に対して間違っているとは思うのだが 内心ではそれほど嫌がっているわけではない自分を認識するハメになった。ううん、年頃の俺め。 そして今ここにハルヒがいないことに感謝する。 朝比奈さんを泣かせたとあってはどのような教育的懲罰を受けるかわかったものではない。 そういやあいつどこに行ったんだ。 突然大きな音がして部室の扉が開かれた。 そこに立っていたのは何を隠そう我らの団長涼宮ハルヒである。 ハルヒ「あぁ、なによキョン。あんたを探しに一旦教室まで行っちゃったじゃないのよ。 部室にいるなら部室にいるって最初に言いなさいよね」 こいつは無茶しか言わんなほんとに。 45 名前:4/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:17:19.28 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「やっほ〜いっ、あたしもいるよっ」 って鶴屋さん!? ハルヒ、お前鶴屋さんを探しに行ってたのか。 ハルヒ「そうよ。あんたがいつまでもフラフラフラフラ揺れてるだけで一向に動く気配がないから自分で迎えに行ったわよ。     だいたいなによあんた。鶴屋さんずっと下駄箱であんたのこと待ってたっていうのに。ひどいんじゃないの」 え? 鶴屋さんが、俺を下駄箱で? え? 鶴屋さん「まぁまぁハルにゃん、キョンくんは今朝からちょっと調子が悪いっさ。だから大目に見てやっておくれよっ」 鶴屋さんのフォローでなんとか納得したようで、ハルヒは俺への攻撃の手を緩めた。 キョン「すまん、ハルヒ。鶴屋さんへは家に帰ってから電話で……じゃない直接話そうと思っていたんだ」 ハルヒ「何言ってんのよ。材料は今日買って明日持ってくるんだから打ち合わせは放課後にしとかないといけないでしょ。     そんな当たり前のことぐらい予想しときなさいよね」 ぐぐっ、言われてみればその通り。俺もヤキが回ったな。 ハルヒ「ったくこのダメ人間! ろくでなし! 甲斐性なし! ミジンコ! 万年平団員!」 いや、SOS団に入ってからまだ一年経ってないだがな。 ハルヒ「どーでもいいわよそんなこと。     それよりも許せないのはな・ん・で・鶴屋さんを放ったらかしてあんたがのうのうと部室にいるのかってことよ。     いつもはちゃんと迎えに行くのに今日に限ってなんですっぽかすのよ。     鶴屋さんがかわいそうじゃないの! えぇ!?」 46 名前:4/5end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:19:41.35 ID:6w1XGp9Q0 ハルヒはものすごい剣幕で俺の胸ぐらを掴むと俺を睨みつけてそう言った。 なに、いつも? いつもって言ったのかハルヒお前は。 ハルヒ「そうよ、言ったわよ。そんなことよりあんたは何よ。     鶴屋さんを泣かせたらあたしが直で制裁に向かうからね、わかった、キョン!」 俺は部室内を見回す。 朝比奈さんは心配そうな表情でオロオロしている。ごめんなさい朝比奈さん。 長門は読書を再開していた。おーい長門ー助けてくれー。 古泉はいつもの微笑を絶やさない。お前は俺のお母さんか。 ハルヒは真剣そのもの。どうやらマジで怒っているようだ。 最後に目に入った鶴屋さんのなんだか照れくさそうな表情に思わずドキリとしてしまった。 ポリポリとおでこをかいているがそれでいて居心地悪そうにはしていなく、優しげで温かい瞳を俺に向けている。 その時の鶴屋さんは、その、なんていうか。いつも以上に美人なだけではなく。 春の桜のように可愛らしかった。 俺のたいしたことの無いボキャブラリーではこんな表現で手一杯だが、理由はそれだけじゃない。 頬が染まっていた。桜色に。 鶴屋さん……どうして、あなたは……。 俺のとなりに現れたんですか……。 48 名前:5/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:23:01.52 ID:6w1XGp9Q0 帰りがけ俺と鶴屋さんは近くのスーパーに寄って明日の鍋パーティーの材料を買っていった。 とりあえず豆腐ときのこ関係が俺達の担当だ。 鶴屋さんに適当なきのこを探してきてもらうよう頼んだのだが自分で頼んでおいてしまったと思った。 もしうっかり松茸なんかを持ってこられでもしたらどうしたものか。 頼んだ手前断りにくい。だが幸いにして今は松茸シーズンではないことに気付いた。 俺は一先ず安堵のため息を吐くのだった。 鶴屋さんが持ってきたのはごくありきたりのしいたけやエリンギやあとまいたけか? このヘンテコなきのこは。 まぁいいだろう。スーパーで売ってりゃ食えるはずだ。 鶴屋さん「大量だね〜っ、豆腐ときのこだけでこんなにあるよっ」 カゴ一杯になった豆腐やきのこを見て鶴屋さんが感嘆の声をあげる。 鶴屋さん「こんなに食べられるのかいっ?」 俺も同感です。 キョン「ハルヒがあらゆる種類のあらゆるメーカーの豆腐を10個ずつ買って来いって言うんですよ」 鶴屋さん「それはまたムチャクチャだねっ。あはは、キョンくんのお財布がすっからかんだっ!」 鶴屋さんは俺の財布をポンポンと真上に放り投げながら言った。いいえ、もともとすっからかんなんですっ。 幸い文芸部から横流しした部費がいくらか支給されているのでそこまで俺個人の資産にダメージがあったというわけでもない。 ハルヒから渡されていた封筒を取り出して中を確認する。 しかしなんだ、これってコンピ研の部費とかも入ってるんじゃないだろうな。そう思うと若干心苦しいものがある。 恐らくこの豆腐の大半はハルヒのおもちゃか何かにされるんであって まともに口をつけられるのは一体どの程度のものなのか見当もつかないからだ。 案外長門が全部平らげたりしてな。 キョン「まぁこんなものでいいでしょう。鶴屋さん、会計してきますんで、その辺ぶらぶらしててください」 49 名前:5/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:25:28.38 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「んにゃっ、あたしもいっくよっ。キョンくんがちゃんと買い物できるか見守る義務があるからねっ」 あなたは俺のお母さんですかっ。そう言うと鶴屋さんはてへへっと笑った。 鶴屋さん「どっちかというとお姉さんかなっ、キョンくんのことが心配で仕方がないのさっ」 ん、弟とは言われなかったな。まぁいいか。 キョン「じゃぁ余った部費で何か買っちまいましょうか。なに、ハルヒにはなんとでも言っておきますよ」 鶴屋さんは待ってましたと言わんばかりに瞳をキラリと光らせる。 鶴屋さん「越後屋、そちも悪よのうっ、かんらかんら」 キョン「いえいえ、鶴屋さんほどでは」 俺の絶妙の合いの手に鶴屋さんは明るい声でケラケラと笑った。 キョン「じゃぁ何にします? お菓子でもなんでも、あ、鶴屋さんだったら和菓子とかのがいいでしょうか。     まぁあんまり高いものは買えないんですけど。鶴屋さん?」 鶴屋さんはいつの間にか立ち止まり棚の一点を凝視していた。 俺が振り返って呼びかけても一向に反応がない。何かに注意を奪われているようだ。一体何にだ? キョン「鶴屋さん、どうかしました? 何か欲しいものでも見つかりましたか」 鶴屋さんは近づいてきた俺のコートの裾をつかんでぐいぐいと引っ張った。 50 名前:5/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:28:00.99 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「キョンくんキョンくんっ」 そして見たことのないかっこいいおもちゃを見つけた少年のようならんらんとした瞳で陳列棚の一角を指さすと、 「これは何かなっ!?」 動物園でキリンの名前を訪ねる子供のような期待と驚きに満ちた表情を俺に向けた。 鶴屋さん「んしょっ、あれ、届かないや。あれぇ」 鶴屋さんは一生懸命ピョンピョンと飛び跳ねている。この棚は結構高さがある。 鶴屋さんの背丈では飛び上がっても届きそうにない。はいはい、俺が取りますよ。鶴屋さんは大人しくしておいて……。 鶴屋さんの視線が俺に突き刺さる。 俺をじぃっと凝視して。何かを期待するような眼差しで。 鶴屋さん「じぃーーーっ」 いや、口に出さなくても結構ですよ鶴屋さん。 鶴屋さん「キョンくんキョンくんっ」 はい、なんでしょう。いや、悪い予感しかしないんですが。俺の危険感知スキルがレッドアラートを鳴らしている。 鶴屋さん「あたしを抱え上げて欲しいっさっ、そうすれば棚の上の方にも届くにょろっ」 俺が困った顔を見せても鶴屋さんの目は真剣そのものだった。 キョン「え?」 俺はわざと間抜けで素っ頓狂な声をあげた。それにもめげず鶴屋さんは俺に訴えかけてくる。 51 名前:5/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:30:55.99 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「だーかーらっ、キョンくんがあたしを抱え上げてくれたら高いところもバッチシっさっ!       二人の力と勇気を合わせて二人の願いは百万パワーさ!」 や、でもどうやって……。 鶴屋さん「簡単っさっ。後ろからあたしを抱え上げてくれればいいっぽ。       大丈夫、キョンくんなら絶対できるにょろよっ!」 いや、それは、え、それだと鶴屋さんのスレンダーなお胸に俺の手があれしてこれしてなにしたりする危険があるんですけどっ。 鶴屋さん「さぁさぁ、キョンくんっ、今こそ二人の魂を一つに重ね合わせるときさっ! いっくにょろよーーーっ!」 突然鶴屋さんが天に羽ばたくがごとく俺の膝を駆け上がり鶴のように天を待った。 というか正確には俺の前に来てぴょんぴょん飛び跳ねている鶴屋さんを普通に抱えあげただけなのだが。 なるべく胸の前には手をまわさずに、後ろから押し上げるようにっ。 鶴屋さん、俺はまだ罪人になるには早すぎますっ。 鶴屋さん「取った! キョンくん、取ったよ! やったよっ!」 鶴屋さんが満面の笑みを浮かべる。 よかった、満足していただけましたか、って暴れないでください鶴屋さん、どわああっ! 元々無理な抱え方をしていただけでなくどうやら鶴屋さんは自ら大地を蹴って飛び上がっていたらしい。 予期せぬところにいくらほっそりとしていてスレンダーだとはいえ鶴屋さん一人分の体重が 伸びきった腕に加わり鶴屋さんは見事俺の上に落下してきた。 それでも俺は鶴屋さんをなんとか両腕を交差して抱きかかえるとゆっくりと下ろした。 ん、なんだこの感触は。一瞬俺の脳みそがフリーズする。 何が起こったかわからなかったからではない。何が起こったかわかってしまったからフリーズしたのだ。 53 名前:5/5[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:35:38.63 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「キョ、キョンくんっ……もうだいじょぶっさっ……」 鶴屋さんは恥ずかしそうにうつむいて制服の胸元を抑える。 キョン「す、す、す、すすすすすすすいませんっ!」 俺は飛びのいた、というか間抜けな格好で後ずさった。 右腕を正面にかざしをひじを90度に曲げ左腕は天を突きあげ右足は90度に曲げられた。よく後ろの棚を崩さなかったな。 こういうときでも周囲への無意識の観察を欠かさない俺。生きていく上で欠かせない能力である。 鶴屋さん「あっはははは……ちょ、ちょっと失敗しちゃったさっ……。事故事故っ。それよりも大丈夫だったかいっ、キョンくん?」 鶴屋さんは俺の不埒な所業にも一切の目くじらを立てることなく笑って俺を気遣ってくれた。 むしろ烈火の如く怒ってくれたほうがまだ気が楽だった。 こんな天使のような方の大切な部分にタッチしてしまった俺のこの罪深き両手の業罪は いまやおれの全身に広がり両腕を切り落としても地獄行きは避けられないと断言できる。 なんていうか、ふんわりしていた。いかんいかん、何を考えているんだおれはっ、今に罪と罰の天使が俺の脳みそを煮沸消毒しにくるぞっ。 大丈夫です、俺の頭はたとえ半透明の巨人に脳天唐竹チョップをくらっても なんでだよ!と突っ込めるぐらい丈夫ですから。 鶴屋さん「そうかいっ、それは良かったよっ。キョンくんは頑丈だねっ!」 まぁ正直鶴屋さんぐらいの体重なら二階や三階から落ちてきても大事には至るまい。 見た目だけなら中学生に見られたっておかしくはなく、それを考えるとなおのこと俺の業罪は深まるのだった。 犯罪、ダメ・ゼッタイ。みんな、お兄さんとの約束だぞっ。 鶴屋さん「ところでキョンくん、これはなんていうんだいっ?」 鶴屋さんが長方形の物体を俺に差し出してくる。 54 名前:5/6end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:37:48.31 ID:6w1XGp9Q0 キョン「えぇーっと」 それを受け取った俺は同じ商品を棚から探す。さっきの騒ぎで大体の場所はわかっている。 すぐに見つけることができた。俺は商品名を読み上げる。 キョン「スモークチーズ……スモークチーズですね」 それを聞いた鶴屋さんの表情がみるみる明るくなっていく。 いや、もともと明るかったんだが、いったいあと何回変身を残しているんですかあなたは。 鶴屋さん「略してスモチだねっ、スモチスモチ! すっごくいい響きだと思わないっかな!?」 鶴屋さんに激しく同意を求められた俺は「そ、そうですね」と生返事をするくらいで完全に気圧されていた。 スモークチーズってなんだ? 燻製にしたチーズか何かか? 鶴屋さんはスモークチーズをお腹の前で目いっぱいぎゅっと抱きしめるとその場でピョンピョンと飛び跳ねた。 そして喜色満面の顔で俺の名を叫んだ。 鶴屋さん「キョンくんキョンくんっ!」 またいやな予感がする。 鶴屋さん「これをあと10個買っていこうよっ!」 鶴屋さまがスモチをご所望だ。家が大金持ちなのにおねだり上手なこの人の可愛い笑顔が恨めしい。 鶴屋さんはにへっと笑うと小さな八重歯をのぞかせた。 俺はスモークチーズの値札をちらりと見る。これを10個。部費の残りだけでは足りそうもない。 鶴屋さんへと視線を戻す。訴えるような、ときめく乙女のきらめく瞳を投げかけられて俺にどうすることができようか。 部費で足りないなら余所から工面しなければならない。どこから工面するかって、そんなの決まっている。 さようなら、俺の今月の小遣い。 56 名前:6/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:40:50.88 ID:6w1XGp9Q0 我が家に続く坂道を俺と鶴屋さんだけが誰とすれ違うこともなく登っていく。 片手にさげたスーパーの袋はパンパンで、豆腐ときのこがはち切れんばかりに詰め込まれていた。 肌寒い季節、息が白くふわりと舞う。 鶴屋さんは制服にコートを一枚羽織っただけでそれでも元気そうにスモチが入った袋を片手に鼻歌を歌っている。 俺はというと汗がさんざんしみ込んで嫌な臭いを発し始めたマフラーを巻くに巻けずにくしゃみを二三発撃ったところだ。 鶴屋さんには、 鶴屋さん「だらしないぞぉっ、若者よ〜っ! にゃっははっ」 と笑われる始末。この人がもし飛び級の小学生でもおかしいとは思うまい。 キョン「それより鶴屋さん」 鶴屋さん「なんだい、キョンくんっ恋のお悩みかなっ」 キョン「や、そうではなくて」 鶴屋さん「なんだい、違うのかいっ」 鶴屋さんは少し残念そうにする。そういえば今の鶴屋さんと俺の距離感ってどんななんだ。 ハルヒの口ぶりではたしか下駄箱で毎日待ち合わせしてるんだったよな。 だがそれも同居しているという事実から単に習慣としてそうなっているだけだとも思える。 いかんいかん、何を期待しているんだ俺は。 たとえそうだとしても今の俺といわゆるいつもの俺には何の繋がりもないんだ。平静を保て。 キョン「今日は迎えに行けなくてすみませんでした……」 突然鶴屋さんが立ち止まったので俺は振り返った。 どういうわけか、鶴屋さんの顔は真っ赤だった。 ただ単に肌寒いからというだけではないことが俺にだってわかるくらいに。 57 名前:6/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:43:21.87 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「あっははは……あ、ありがとっ、キョンくん……ちょっと……ううん、すっごくうれしいっさっ」 スモチの袋を振り乱し両手を後ろに鶴屋さんは言う。 え? いやだっていつも迎えに行っているんですから謝るのは当然のことじゃ。 鶴屋さん「そ、そうだね。そうなんだよねっ、あっはははは。あたしどうしちゃったのかなっ……」 俺の言葉に意外そうな表情を見せた後照れくさそうにする鶴屋さん。俺もドギマギしてしまう。 い、いかんいかん、俺には朝比奈さんという人が。 鶴屋さん「なんでかな。今日のキョンくんがいつもと雰囲気が違うっからかもしれないっさっ」 う、やっぱりそのいつもと違いますか俺は。 鶴屋さん「ううん、いい意味でだよっ。いつもはもっと素っ気ないっからね。ちょっぴし嫌われちゃってたかと思って心配だったさ」 なんてことだ。いつもの俺って奴はそんなにも味気ない生き物なのか。うぬぬ、許さんぞ、俺め。 鶴屋さん「でもほんとは……」 鶴屋さんがうつむく。つ、鶴屋さん……? 鶴屋さん「めがっさ心配だったにょろっ」 はにかむ笑顔がまぶしく光る。瞳の奥に寂しさが覗く。 普段の俺は素っ気ないという。今の俺だってそんなに愛想のいい方じゃない。眉間にシワはいつものことだ。 そんな俺にも鶴屋さんは太陽のように笑いかけてくれる。だんだん顔に血が上って熱くなってきた。 きっと俺の顔も鶴屋さんに負けないくらい真っ赤になっていることだろう。だが今は鶴屋さんの笑顔に魅せられて顔を逸らすこともできない。 俺はただ魅き寄せられるままに、鶴屋さんの笑顔に見入っていた。 59 名前:6/3end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:45:34.62 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「あっははっ、今日のキョンくんはいろいろ反応してくれっからうれしいっさっ♪」 いつもはもっと余裕綽綽で俺をからかってくる鶴屋さん。 なんだろう、一生懸命というか、なんとか俺に近づこうとしてくれているような。そんな感覚を覚える。 俺のうぬぼれなのか、でもどうしてなんですか。 どうして俺にそんな顔で、そんな風に笑いかけてくれるんですか。教えてください鶴屋さん。教えてください。 俺は固まったまま何も言えないでいる。 鶴屋さんはてへへっと笑って頭をかいた。 鶴屋さんが俺の手を握る。 そして俺を下から見上げると 鶴屋さん「いこっかっ!」 屈託のない、些かの邪気も迷いもない顔が、ニコリと微笑んだのだった。 60 名前:7/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:48:26.35 ID:6w1XGp9Q0 妹ちゃん「鶴屋さんおっかえり〜っ! キョンくんもついでにおかえり〜」 鶴屋さん「ただいまっさ〜っ」 鶴屋さんと妹が元気にハイタッチした。玄関の段差でちょうど背丈に差がないくらいになる。 妹と鶴屋さんはそのまま抱き合うと廊下でくるくると周りながらリビングへと消えていった。 俺は俺と鶴屋さんの靴を揃えると手荷物を台所の一角に適当に置いておいた。 一応部活で使うものです、というメモ書きを貼って。 しかし妹よ、こっちの俺にはぞんざいな挨拶しかしてくれないんだな。いや、寂しくなんかないぞ。むしろ気楽なくらいだ。 鶴屋さんと並ぶと自分がおまけになってしまうのは仕方がない。 鶴屋さんがヒョコッと柱の影から顔を出した。楽しそうなイベントを期待と共に待っているようなお顔である。どうしました? 鶴屋さん「キョンくんキョンくんっ、例のスモチを食べようよっ! みんなで食べるとすっごく美味しいってあたしの直感がビンビンっさー!」 はいはい。でもさすがに一人一箱ずつというのは多すぎるでしょう。 俺が人数分に切り分けますよ。俺と鶴屋さんと妹の三人分でいいですよね。 鶴屋さん「うん、まっかせたにょろっ!」 鶴屋さんは俺から見えていなかった方の手からスモチを取り出すとぽんと放ってみせた。 俺は不意をつかれたもののフラつきながらなんとかそれをキャッチした。 鶴屋さん「にへへっ、失敗失敗っ」 鶴屋さんはペロッと舌を出して反省する。 うぐぐ、可愛いな。可愛いですよ先輩。 なんだか悔しいような恥ずかしいような気持ちのまま俺はスモチを切り分けていく。 鶴屋さんはその成り行きを俺の隣でじぃっと見守っていた。 61 名前:7/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:51:47.33 ID:6w1XGp9Q0 切り分けたスモチをリビングに運ぶ。ソファで飛び跳ねていた妹は不思議そうな目でその物体を見つめている。 妹ちゃん「キョンくん、鶴屋さん、これなーに?」 鶴屋さんは何故かそのスレンダーなお胸をぐぐいっと張ると 鶴屋さん「スモチさっ!」 と意気高らかに叫んだ。 あぁ、スモチだ。と俺。 鶴屋さんが楽しそうにしているのを見てきっと美味しいものだと思ったのだろう。 妹もスモチスモチとはしゃぎ始めた。鶴屋さんと妹のスモチの二重奏が響き渡る。 俺も適当に合いの手を打っていると鶴屋さんが突然 鶴屋さん「スモチを讃えようっ!」 と言い出した。 妹も讃えようっと同調する。はいはい、讃えましょうね。 鶴屋さん、キョン、妹ちゃん「「「スモチ万歳っ!」」」 スモチが盛られた皿を抱えてリビングの中をぐるぐると回る俺たち。なにこのカオス。 まだ食べたこともないスモチ万歳のコールが鶴屋さん、妹、俺の順で入れ替わり立ち代わり響き渡る。 こんな姿誰にも見せられない。古の邪神を祀る邪教のミサであると思われても弁護の余地がない。 スモチの香ばしい香りがリビング中に充満したころ、鶴屋さんのお腹が鳴ったのでさっそく食べようということになった。 ずいぶんゆったりしていましたが何か。 鶴屋さん「ううんっ、美味しいっさ〜〜!」 62 名前:7/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:54:10.88 ID:6w1XGp9Q0 口いっぱいに頬張ったスモチをもしゃもしゃとかじりながら鶴屋さんが叫んだ。鶴屋さん、飛んでますよ。 妹も美味しい〜と舌鼓を打っている。二人で見つめ合うと 鶴屋さん、妹ちゃん「「ね〜っ♪」」 と手をつないではしゃぎ始めた。スモチ万歳のコールが再び響き渡る。確かにこのスモチは美味い。 チーズ自体はそれほど特別なものという感じはしないのだが、外が煙で燻されている分香りが強い。 口に含むと風味が鼻腔を通ってなんとも香ばしくパッケージに味薫る!風味が絶品!と書かれていたこともうなずけた。 うん、美味い、もしゃもしゃ。 俺が二口目に手をつけようとすると皿の上からスモチが消えていた。 ゆっくり正面を見ると鶴屋さんと妹の二人がわざとらしくそっぽを向いている。 もうバレバレというか初めから隠す気がないというか。 俺は二人に訪ねる。 キョン「俺のスモチ知りません?」 二人は最初軽くうつむき加減で徐々に肩を震わせクスクス笑いになったかと思うと突然大爆笑して転げまわった。 なしてそんなに笑うんですか。おい、妹。俺の顔を指さして笑うな。 鶴屋さん「だ、だってキョンくん、スモチが、おでこにくっついてるにょろっ! あははははは!」 妹も鶴屋さんも転げまわって笑っている。額を触るとスモチの破片がべったりと張り付いていた。 なんだ、これ。いつのまに。いや、一つだけ心当たりがある。 63 名前:7/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:56:40.71 ID:6w1XGp9Q0 キョン「これ、鶴屋さんが飛ばしたスモチじゃないですかっ!」 俺が抗議の声を上げると二人は再び互いを見合わせきゃっきゃっと笑った。 あぁ、もうどうにでもしてくれ。ところで俺のスモチはどうなったんですか。 鶴屋さん「ごめんね、キョンくんっ。いやぁ、ちょっとからかおっと思ったんだけどね、      そしたらキョンくんのおでこにスモチがぽつっとひっついてんだもんっ。      おかしくなっちゃってさっ、ごめんよっ。それよりキョンくんがスモチを気に入ってくれたみたいであたしは嬉しいっさっ♪」 そう言うと鶴屋さんはおもむろに身を乗り出して俺の手からでこにひっついていたスモチをヒョイと取り上げるとパクリと口に入れた。 え、ちょ、つ、鶴屋さん!? 鶴屋さん「ん?」 鶴屋さんは最初何気なく俺を見るとにへっと笑って 鶴屋さん「食べたかったかいっ?」 といたずらっぽく訊いてきた。 その時の俺の顔は赤色なんだか桜色なんだかスモチブラウンなんだかよくわからない色になっていたらしい。 妹の笑い声がもう一段階高くなった。鶴屋さんの俺を見る顔はなんとも嬉しそうでこの上ない。もう、勝手にしてくださいっ。 ふてくされた俺を見かねて鶴屋さんが自分の皿と一緒に隠していた俺のスモチをつまみ上げると 鶴屋さん「うそうそっ、はい、キョンくんあ〜んっ♪」 と俺の口元に差し出してきた。もう完全に俺はこの二人のおもちゃである。なすがまま、されるがまま、飽きるまで弄ばれ続けるのだ。 俺は覚悟を決めて口を開く。 パクリと食いつくと一瞬鶴屋さんの指が俺の唇をなぞった。 65 名前:7/5end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:59:23.18 ID:6w1XGp9Q0 もしゃもしゃとスモチを咀嚼して飲み込んだ後鶴屋さんを見て驚いた。 俺も赤くなっていたと思うが、鶴屋さんまで赤くなっていた。 妹が視界の隅でニヤニヤと嬉しそうに笑っている。 鶴屋さん「や、その、ほんとに食べてくれっと思わなかったからっさ……」 微笑んでいた。困ったような、恥ずかしいようなはにかんだ笑顔の奥にいろんな感情が秘められているように見えた。 俺にはわからない、今の俺にはわからない何か。 鶴屋さんの心の機微が、今の俺にはわからない。そのことが俺の胸をたまらなく締め付ける。 なんだ、これ。なんだこの気持ちは。 妹ちゃん「今日のキョンくんおもしろいもんねっ」 妹が合いの手を打つ。 照れくさそうにする鶴屋さんに妹が抱きついた。 妹は鶴屋さんの膝の上で満足げな表情を浮かべている。 妹を優しく抱きしめる鶴屋さんの表情はとても優しげで、先輩というより、年上のお姉さんというより、むしろもっと柔らかい何かのように見えた。 女神? じゃない、もっと身近な、そう。もっと身近な。もっと大切な何かだ。 俺は二人を眺める。 どんな目つきで、どんな表情でいたのかはわからないが、鶴屋さんが一瞬俺を見て目が合った時のたまらなくくすぐったそうな笑顔から さぞ間の抜けたニヤついた表情だったのだろうと想像した。 俺は二人をきっと優しい目で見つめていたのだろう。 妹と鶴屋さんは戯れ続ける。俺の家で、俺の前で。 まるで本当の姉妹のように。 66 名前:8/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:02:09.95 ID:6w1XGp9Q0 昨日俺が眠りに着くとき鶴屋さんはいなかった。 当然だ。鶴屋さんには自分の帰る家があってそこで家族と暮らしているのだ。 俺の知っている鶴屋さんなんてほんの一部分で、 俺の知らない鶴屋さんの家族、俺の知らない鶴屋さんの生活、俺の知らない鶴屋さんの人生があるのだ。 だが今夜からは、いや、ここでは毎夜のことらしい。 俺は鶴屋さんが寝間着に着替えるのを部屋の外で待っていた。 鶴屋さんの生活用具一式は俺の部屋にあった。寝間着も普段着も制服も。俺の部屋はさながら鶴屋さんの更衣室だ。 俺の部屋で鶴屋さんが着替えている。その事実だけで俺はもうどうにかなってしまいそうだ。 俺は思春期真っ只中の健全な男子高校生ですよ、 その部屋で着替えるってことがどれほど狼の巣穴で羊がしっぽを振るようなことか想像してみてくださいよ。 いや、鶴屋さんの場合羊に擬態したハンターということもありうる。 迂闊に跳びかかった瞬間眉間をズドン。自分が見事倒される様を想像して俺の背筋は凍りつく。 狼に明日はない。俺にできることは精一杯羊を演じることで、ん? そうなると狼は鶴屋さんってことかになるのか? いかんいかん、何を期待しているんだ俺は。けしからん。 背後でドアがコンコンと鳴らされる。 鶴屋さん「もういいにょろよっ」 ドアの隙間から鶴屋さんがひょっこり顔を出す。 部屋に入るとそこには鶴屋さんのまぶしいばかりの艶姿、長い髪を後ろ手に縛ってロングなポニーテールを作っている。 ヤバイ、ツボだ。だがこの場合ロングテールっていうのか? ううん、それもいいな。って鶴屋さん、それ俺のYシャツなんですけど……。 鶴屋さん「そうにょろよっ?」 そうにょろよってあの……寝間着はどうされたんですか? 67 名前:8/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:05:30.24 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さんはクルッとその場で回って見せるとにししっと笑った。Yシャツの裾がふわりと舞い健康的な素足がチラリと覗く。 鶴屋さん「これがあたしの寝間着だよっ。キョンくんのYシャツっ、いつも勝手に借りてごめんよっ」 目の遣り場に困る俺。 鶴屋さん、わかっていてやってますね。わかっていて誘ってますね。俺が狼になりきれないことをいいことに。 俺の心を知ってか知らずか鶴屋さんはその場で何度もくるりくるりと回ってみせた。 その度にほっそりとした太ももが覗いてYシャツが高く舞い上がっていく。い、いかん。これ以上は、これ以上はいかん。 俺は鶴屋さんの腰に手を添えて回転を止めた。鶴屋さんは相変わらずあっけらかんとしている。 俺の手がくすぐったかったらしい。鶴屋さんは身じろぎして俺の手を振りほどいた。 鶴屋さん「にゃははっ、ちょっと調子にのって回り過ぎちゃったよっ。世界がくらくらーって回ってるっさっ」 そのままボスンとベッドに倒れこむと布団の中へと潜り込んでいった。 しばらく布団の中でもぞもぞと動いた後顔を覗かせ俺を見上げる。 鶴屋さん「ささっ、キョンくんっ。遠慮することはないっさっ」 鶴屋さんは右手を差し出しぽんぽんと布団を叩いた。さすがにこれにはたじろいだが、もう俺には今更どうしようもない。 一階で寝ようとか床で寝ようとかいう意見は既に却下されている。鶴屋さんの寝床はベッドの上ではなく、あくまで俺の隣なんだそうだ。 いまだに体臭とかが若干気になってしまっている。いつもより念入りに歯磨きをしてしまった。 いや、他意はないんだぞっ。そのはずだ。だがあんまり自信はない。 一枚の毛布と一枚の布団を鶴屋さんと共有する。 俺のベッドは決してダブルとかセミダブルではなく余裕たっぷりのシングルであるのでハッキリ言って狭かった。 少し姿勢を変えようとするだけで動かした肘や膝や手先が鶴屋さんの体に触れてしまう。 いや、主に触られているのはガチガチに固まっている俺の方で足で蹴られたり手で小突かれたりした。 鶴屋さん、あなたわざとやってますね。 俺はなんとか平静を保つ為鶴屋さんとは反対方向を向いた。鶴屋さんが壁側、俺が部屋側だ。 俺の無反応に飽きたらしい。鶴屋さんは攻撃の手を止めた。よく耐えた、えらいぞ、俺。 その安心もつかの間、鶴屋さんは俺の背中にピタリと寄り添うと俺の肩甲骨あたりに顔を埋めた。 69 名前:8/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:08:16.30 ID:6w1XGp9Q0 キョン「つ、鶴屋さん……?」 鶴屋さん「やっぱりキョンくんはあたしと同じ匂いがするっさっ」 キョン「え……」 鶴屋さん「なんだかキョンくんの隣で横になってるととっても気持ちが安らぐんだよねっ。なんでっかな?」 俺は全然安らぎませんが。だが鶴屋さんに俺の背中なんかで安らいでいただけるというのならいくらでも場所を貸そうというものだ。 ただ俺の理性のロシュ限界は近い。俺の精神は自我と欲望に分裂寸前である。いや、もうなってるか。 キョン「おかしいと想わないんですか?」 俺は思っていたことをついに鶴屋さんに言った。おかしい、これはおかしな状況だ。 なにがおかしいかなんて説明するまでもない。すべてがおかしい、これに尽きる。 だがこの言葉に対する鶴屋さんの返事は意外なものだった。 鶴屋さん「そうだね……おかしいことっかもしれないっさ……」 当たり前の、あまりにも当然の答え。にも関わらずその言葉は俺の胸にえぐるように突き刺さった。 心臓は急激に動悸を打ち始める。俺はまともに考えることができなかった。 鶴屋さん「でもね、キョンくんっ」 と鶴屋さんは続けた。 70 名前:8/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:10:42.98 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「たとえそれがおかしいことでも、あたしはこれが間違ってるってどうにも思えないっさ」 鶴屋さんの言葉。鶴屋さんの息遣い。鶴屋さんの体温。鶴屋さんの感情。鶴屋さんの…… 。 鶴屋さん「これが正しい形だって胸を張って言えるよっ。あたしの気持ちがそう言ってるにょろ。       キョンくんの隣がいいって、そう言ってるにょろよっ」 キョン「鶴屋さん……」 鶴屋さん「キョンくんは……どっかな? あたしと居るのは……嫌じゃないっかいっ? 迷惑じゃないっかなっ?       もし、そうじゃなかったらさ……このまま……あたしと……さ……」 鼓動はますます高鳴って恐らく鶴屋さんにも伝わっているのだろう。 うぅともすぅとも返事のできない俺に囁くように鶴屋さんは言葉をつないでいく。 鶴屋さん「すぐじゃなくてもいいにょろ。       いつか……キョンくんの気持ちを聞かせて欲しいっさ……だから今は……おやすみにょろよっ……キョンくん……」 つないだのは言葉だったが繋ぎたかったのは別のものだった。そう痛いほどに伝わってくる。 そしてそれに応えられない俺自身が、たまらなく痛々しい。 張り裂けそうな胸の内をすべて吐き出してしまいたい衝動に駆られる。すべてぶちまけてしまいたくなる。 でも俺はあなたの知っている俺じゃないんです。あなたは俺が知っているあなたじゃないです。 でも、でもですよ。もし許されるならですよ鶴屋さん。 あなたとのこんな日々を、いつまでも続けていたいと、 そう思ってしまうんです。 71 名前:9/1dream[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:13:05.74 ID:6w1XGp9Q0 おかしな夢を見た。 夢の世界の俺はのっぺりとした能面みたいなツラをしていてはたからは何を考えているかわからない奇妙な奴だった。 そしてもう一つ奇妙なことがある。鶴屋さんのことだ。 夢の世界の鶴屋さんは小柄で、いや鶴屋さんもそんなに大きい方ではないんだが、その鶴屋さんはいつにもまして小さかったんだ。 うちの妹の半分もなかった。俺はそんな二人を見下ろすように眺めていた。 夢の中で鶴屋さんはちゅるやさんと呼ばれていた。なるほど、ピッタリのニックネームだと思った。 ちゅるやさん「キョンくん、キョンくん、スモークチーズはあるかい?」 にょろキョン「ない」 夢の世界の俺はなかなかシビアだ。クールというより限りなくドライである。 ちゅるやさん「そ、そうかい? じゃぁ一緒に買いにいこうっさ」 にょろキョン「だーめ。だいたいちゅるやさんスモークチーズなんて食べないでしょ」 人間性をとことん希釈したような夢の世界の俺は表情もなく言った。(俺ながら感じ悪い奴だなこいつ) ちゅるやさん「にょ、にょろ? そ、そんなことないっさ。みんなで食べるスモチは最高だよ」 夢の世界の俺は呆れたようにため息を吐いた。(おい、俺、何やってんだよ) にょろキョン「何をおっしゃる。それとこれ。持って帰って」 ちゅるやさん「え、これ、あたしの荷物だよ。どうしてまとめてあるの? それに持って帰るって……」 にょろキョン「そもそも自分の家があるのにどうして俺の家に住んでるんだ? おかしいだろ」 72 名前:9/2dream[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:15:21.45 ID:6w1XGp9Q0 ちゅるやさん「え、え、だって、だってキョンくんとあたしはずっと前から仲良しで同じとこに住んでるっさ。         だからここがあたしのおウチだよっ」 にょろキョン「いいえ、違います。ごーとぅはうす。おうちにおかえり」 ちゅるやさん「え、キョ、キョンくん、待っておくれよ。待っておくれよっ」 夢の世界の俺はちゅるやさんを後ろから抱え上げると荷物と一緒に玄関の外へと置いた。 そのままちゅるやさんに一瞥くれることもなく無表情にドアをバタンと閉めた。(おい、やめろ) ちゅるやさん「キョンくん! 開けてよっ! キョンくん! キョンくん! にょ、にょろ……ひっく……えっぐ……」 (やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろ) ガチャリと音がして玄関の扉がわずかに開きあの能面みたいな俺が顔を出した。ちゅるやさんの表情がぱぁっと明るくなる。 俺も一先ず安心だ。どうやらタチの悪い冗談だったようだ。センスがないにも程があるぜ。(待て、おかしいぞ) にょろキョン「なんで俺の鞄にこんなものが?」 そう言って夢の世界の俺は鞄から何か四角い長方形のものを取り出した。 それは俺が鶴屋さんや妹と一緒に食べたスモチ、もといスモークチーズと同じものだった。 ちゅるやさんの表情がますます明るくなる。 73 名前:9/3dreamend[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:17:41.56 ID:6w1XGp9Q0 にょろキョン「こんなもの知らない」 そう言うと夢の世界の俺はスモチを門の外に向かって放り投げた。(お、おい!) ちゅるやさん「あ……」 ちゅるやさんは捨てられたスモチに駆け寄って拾い上げる。スモチは潰れて形が崩れてしまっていた。 泣きそうな顔でちゅるやさんはスモチを見つめていた。背後でドアのバタンと閉まる音がした。 ちゅるやさん「キョンくん……キョンくん……ひっく……ひっく……」 ちゅるやさんはスモチを抱えて荷物を引きずって、 涙を流しながら坂道を下っていった。 俺は絶叫と共に目覚めた。 74 名前:10/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:20:36.42 ID:6w1XGp9Q0 俺は絶叫と共に目覚めた。 息が、息が苦しい。寝間着がぐっしょりと汗を吸って身体に纏わり付く嫌な感触がした。 隣に目をやると妹が何事かという表情で俺を見ていた。 どうやら俺に飛びかかる直前だったらしい。奇妙な体勢のまま硬直していた。 キョン「何を……やっとるんだ……お前は……」 息を切らしながらなんとかそれだけを言う。俺はマラソントラックを全力疾走した直後のような疲労感を覚えた。 妹ちゃん「キョ、キョンくんを起こしてあげようと思って……あ、あの……ごめんねキョンくん……」 俺の状態から何か異常なものを察したのだろう。妹はそれ以上なにを言うでもなくその場に佇んでいた。 呼吸は整ってきたが胸の痛みが消えない。鈍く重いものが心臓を締め付けているような感覚。 それはもはや痛みと言って差し支えない。 何が俺の胸を締め付けている? あの夢か? あのわけのわからない、意味のわからない夢がなんだっていうんだ。 俺の神経はどうかしちまったのか。 妹ちゃん「キョ、キョンくん……鶴屋さんが……」 キョン「鶴屋さん……?」 そうだ、あんな風に叫んでさぞかし耳障りだっただろう。俺は隣に寝ている筈の鶴屋さんに謝ろうと壁側を見た。 だがそこには居るはずの人が居なかった。鶴屋さんはそこにいなかった。 言いしれない脱力感。目眩がした。平衡感覚がなくなった気がした。 視界がぐにゃりと歪んでそのままベッドから転げ落ちそうになる。妹が慌てて駆け寄ってきて俺の身体を支えた。 妹ちゃん「キョンくん! どうしたのっ、キョンくんっ!」 俺の蒼白な顔を覗き込んで言う。妹が俺を本気で心配しているのがわかった。 75 名前:10/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:23:04.89 ID:6w1XGp9Q0 俺の蒼白な顔を覗き込んで言う。妹が俺を本気で心配しているのがわかった。 俺の頭の中は思考なのか感情なのか感覚なのかわからないものでぐちゃぐちゃになっていた。 キョン「鶴屋さん……鶴屋さんっ!?」 俺は妹を置き去りにして部屋から飛び出した。 まさかあれは正夢だったのか? 俺はいつのまにか、いつもの俺、っていう奴に戻っていて、 それで鶴屋さんを追い出しちまったっていうのか? 泣きながら坂道を下っていく鶴屋さん、いや、 ちゅるやさんの悲しそうな顔と後から後から溢れて止まらない涙を思い出す。 鶴屋さん、ちゅるやさん、いや、鶴屋さん? くそ、まともに考えらんねぇ。 ただ追いかけなければ。追いかけて謝らなければ。 そしてまた一緒に暮らそうって、そう言うんだ。またいままで通りだって、言うんだ! 今まで、今まで……。 玄関で適当な靴に足を突っ込んだ直後俺の思考は停止した。 今まで? 今までだと? 今までの俺はあの俺で、俺の今までなんていうのはほんの一日の出来事で。くそ、そんなこと構ってられるか。 今までの俺だろうが本当の俺だろうが知ったことか。あんな奴、この場でぶっ飛ばしてやりてぇよ! 俺が勢い勇んでドアノブに手を掛けた時、背後からここのところ特に耳慣れた声が響いてきた。 鶴屋さん「あれっ、キョンくんパジャマのままどこいくにょろっ? どっか行くならあたしも連れてってほしいっさっ」 他ならぬ鶴屋さんである。俺の頭はますますこんがらがった。 キョン「え、つ、鶴屋……さん……?」 俺は呆然とする。開いた口がふさがらない。 鶴屋さん「朝ごはんできたにょろよっ。せっかくだし、急いでないなら食べてから行くといいっさっ」 76 名前:10/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:26:36.32 ID:6w1XGp9Q0 よく見ると鶴屋さんは制服の上にエプロンをかけていた。さっきまでは気付かなかったいい匂いが鼻をくすぐった。 鶴屋さんはとたとたと廊下を駆けてきて俺の手を引っ張るとダイニングまで導いた。 そこには美味そうな朝げが用意されていた。 朝食と言わずに朝げと言ったのはそういう表現がしっくりくるようなしっかりとした和風朝食だったからだ。 焼き魚にはおろしたての大根がついていて、味噌汁の具も少なくとも五品以上ある。 三色以上の漬物が白米に添えられていた。他にも煮豆やらきんぴらごぼうやらひじきやらが小皿に盛られている。 それが俺と鶴屋さんと妹の三人分用意されていた。 どうやら両親は日も上がらないうちにどっかへ出かけちまってたらしい。行き先も告げず、ただ山の方へ旅行、だとよ。まったく。 俺は椅子に座って香りをかいでみた。 うん、まだ食べてないのに美味いとわかるほどだ。一口すするとダシの風味が広がる。スーパーのパックではない、 ましてやキチンとダシを取っている味噌汁などほとんど口にすることがないだらけた家庭に育った俺としては 非常に新鮮で驚きに満ちていた。焼き魚にポン酢をかけて口をつける。 大根おろしに苦味はなく、ツンとくる辛さもなかった。苦くない大根おろしもあるんだな、と間抜けにも感動した。 一体どれだけ食生活貧しかったんだ俺は。 鶴屋さん「どうだいっ、ちゃんとできてるっかな?」 バッチシですよ、っていうか完璧ですよ鶴屋さんっ。 鶴屋さん「にへへっ、気に入ってもらえてうれしいっさっ」 鶴屋さんは恥ずかしそうに照れ笑いをした。 鶴屋さんも普段こんな食事を取っているのだろうか。普段からこういう食事を取っていればあんな元気もつくというものだろう。 鶴屋パワーの真髄をかいま見た気がする。それはさすがに言い過ぎか。 しかしこの量を朝一人で準備したのか。このお方にはマジで一生頭が上がらんだろうな。俺は再びそう確信した。 77 名前:10/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:29:03.17 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「ううん、妹ちゃんにも手伝ってもらったさっ」 マジですか。っていうかあの妹がどこをどう手伝ったというのだろう。むしろ邪魔している光景しか思い浮かばない。 キョン「マジですか」 鶴屋さん「そうっさっ。キョンくん、キョンくんが思っている以上にあの子はできる子さっ。       だからあんまりいじめたらダメにょろよっ」 鶴屋さんは人差し指を立てると俺の上唇にピタッと押し付けた。 キョン「ふ、ふひはへん。ひほふへはふ」 鶴屋さん「よろしいっ♪」 鶴屋さんは嬉しそうに自分の席についた。俺の左隣、斜向かいだ。 鶴屋さん「ところで妹ちゃんはっ? 確かキョンくんを起こしに行ったと思うにょろっ。会わなかったかいっ?」 そういや俺は妹を放ったらかしにしたままだった。妹はまだ俺の蒼白な顔しか見ていない。 しまった、ここで呑気に飯を食っている場合じゃなかった。 鶴屋さんは俺の顔を覗き込んで不思議そうにしている。 キョン「鶴屋さん、俺ちょっと部屋に」 そこまで言ったところで不安そうな表情の妹が現れた。 妹ちゃん「キョンくぅん……鶴屋さぁん……」 泣きそうな顔で妹が入ってくる。鶴屋さんは慌てて椅子から下りて駆け寄ると妹を抱きしめた。 78 名前:10/5[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:31:21.69 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「ど、どうしたっさっ! 妹ちゃん、だいじょぶかいっ!?」 妹ちゃん「キョンくんが……キョンくんがぁ……」 嫌な予感がした。鶴屋さんの背後に鬼神の如きオーラを感じたのは俺の錯覚だろうか。 鶴屋さん「キョンくぅ〜ん?」 鶴屋さんはゆっくりと立ち上がる。まずい、これはまずい。懲罰的な、教育的な体罰の予感がする。 俺の危険感知スキルが満場一致でレッドアラートを鳴らしていた。 鶴屋さんは振り返ると一瞬で俺に詰め寄り胸ぐらを掴み上げた。 鶴屋さん「妹ちゃんを泣かせるのは、例え実の兄のキョンくんでも許さないよっ!」 鶴屋さんがまくしたてる。 キョン「ち、ち、ち、ちがいまふ、ますっ! ゆ、ゆすらないでください鶴屋さんっ」 鶴屋さんの目がマジだ。ヤバイ、殺されるかも。 鶴屋さん「まっさか妹ちゃんを泣かせて逃げるところだったんじゃぁないよねっ!?       どうなんだいキョンくんっ、ハッキリ言いなよっ!」 12月に朝比奈さんに無理に迫って鶴屋さんに腕を捻り上げられたことを思い出す。 あの時にもまして鶴屋さんは俺をきつく睨みつけていた。血の気が引いていく。 い、息が苦しい。さっきとはまた違う意味で動悸が早まっていく。 79 名前:10/6[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:33:56.23 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「どうなんだいっ!」 しゃ、しゃべれません、鶴屋さん。く、苦しい。 妹ちゃん「違うの……違うのぉっ」 妹が鶴屋さんに駆け寄って必死そうに訴える。 妹ちゃん「キョンくんは、朝汗ぐっしょりで、うなされてて、それで鶴屋さんがいなくて、       それで飛びだしていっちゃったのっ、だからキョンくんは何も悪いことしてないのっ、       鶴屋さん、キョンくんを許してあげてっ」 妹の必死の訴えに俺を掴み上げていた鶴屋さんの手が緩んでいく。 鶴屋さん「え、そ、そうなのかい……? 妹ちゃん」 妹ちゃん「そうなの……だからキョンくんを許してあげて……」 鶴屋さん「そうだったにょろ……ごめんね妹ちゃん、心配させて」 妹ちゃん「ううん、いいの。あたしがびっくりしちゃっただけだからさっ」 妹は安心したようで笑顔を取り戻した。 80 名前:10/7end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:36:48.65 ID:6w1XGp9Q0 俺を掴み上げる手が離れ俺は椅子に腰を落とした。 椅子が床と擦れる音がして俺の両腕から力が抜けた。 鶴屋さんは俺に向き直ると申し訳なさそうにうつむいた。 鶴屋さん「キョンくんごめんね……あたし早とちりしちゃってさ……ほんとにごめんね……」 いいんですよ、鶴屋さん。いいんです。 鶴屋さん「あたしったらどうかしてたさ、頭に血が登って……ってキョンくんっ? キョンくんっ!?」 記憶はそこまでで、 とっくに限界を超えていた俺の精神は掴みどころを間違えたロッククライマーのように落下していき── 夢の世界へと旅立ったのだった。 81 名前:11/1dream[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:39:18.05 ID:6w1XGp9Q0 にょろーん。にょろーん。 淋しげな声が響く。広い日本庭園を前に縁側の片隅でちゅるやさんが歌っている。 ちゅるやさん「かなしくなんっかないっさ〜。さみしくなんっかないっさ〜」 やりきれなさを吹き飛ばすようなちゅるやさんの歌。誰に聞かせるでもなく自分に言い聞かせる為の歌だった。 ちゅるやさんはそばに置いてある紙袋からスモークチーズを取り出した。潰れて形が崩れてしまったスモークチーズ。 それは夢の中の俺が放り捨てたスモチだった。 ちゅるやさんはスモチにかぶりつくともしゃもしゃと美味しそうにほおばっていく。 ちゅるやさん「やっぱりスモチは最高にょろっ! スモチ万歳っ!」 声高らかに天高らかにスモチを太陽にかざす。季節感のない光が天から降り注ぐ。 「ねぇ、キョンくんもそう思う……にょ……ろ……」 ちゅるやさんは誰もいない空間に向かって振り返った。 陰った室内には日が射さず薄緑色のモノトーンだけが何を答えるでもなく貼り付いている。 薄ぼんやりとした影だけがちゅるやさんの傍らで佇んでいた。 83 名前:11/2dreamend[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:41:38.98 ID:6w1XGp9Q0 ちゅるやさんはうつむく。 見下ろすだけの俺からはちゅるやさんの表情が見えない。何を感じているのか。何を思っているのか。 ちゅるやさんの肩が小刻みに震えてスモチがポトリと床に落ちる。 固くなったスモチは割れて、いくつかの破片に別れた。 ちゅるやさんは両手で目元を抑え、静かに泣いていた。 ちゅるやさん「みんなと……キョンくんと一緒に食べたいにょろよ……          みんなで食べた方が……きっと……きっと……美味しいにょろよ……」 一粒、また一粒と頬を伝う雫。 ふらふらと緑の闇の中に歩いていくちゅるやさん。 滴り落ちた涙は日差しで乾き、畳に吸い込まれ、何事もなかったかのように消えていた。   84 名前:12/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:44:12.86 ID:6w1XGp9Q0 肩を揺すられる感覚がする。浮遊感の中で意識だけが覚醒した。 まぶたは重くて開けられない。夢の中で夢だと気づいたときのような感覚。遠かった声が徐々に近づいてくる。 鶴屋さん「キョンくん……キョんくんっ!」 叫ぶような呼び声に目を覚ますと鶴屋さんの泣きそうな顔が目の前にあった。 俺は鶴屋さんの膝の上で気を失っていたらしい。鶴屋さんはまだ俺を呼び続けている。 鶴屋さん「ごめんにょろ……ごめんにょろよ……キョンくん……」 そういえばおはようの挨拶がまだだったな。 キョン「おはようございます、鶴屋さん」 鶴屋さんは俺が目覚めたことに気がつくと慌てたように俺の顔をいじくりまわした。 鶴屋さん「だいじょぶにょろっ!? 首は痛くないかいっ! 声はちゃんと聞こえっかいっ!?」 俺の顔はぐにゃぐにゃともみくちゃにされる。 キョン「へーひへふよ」 そう言うと鶴屋さんは安心したように俺の顔を抱き寄せた。正確には俺の顔に鶴屋さんが覆いかぶさってきた。 首筋から覗く白い肌と鎖骨が眼前にある。仮に鶴屋さんの胸元のスレンダーさがもう若干低ければ接触は避けられなかっただろう。 決して残念がっているわけではない。これ重要。 鶴屋さん「よかったっ……よかったにょろよっ……」 鶴屋さんは今にも泣き出しそうだ。 87 名前:12/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:46:41.68 ID:6w1XGp9Q0 俺は床を這う鶴屋さんの長く綺麗な髪を踏まないように気をつけながらゆっくりと身体を起こして立ち上がった。 傍らで鶴屋さんが支えてくれている。こんなに嬉しいことはないな、うん。 鶴屋さんの甲斐甲斐しさに感謝しながら俺はリビングのソファに腰を下ろした。 妹が心配そうについてくる。思えば妹にこれほど心配されたことはなかったかもしれない。 まぁそれほど大きな怪我も病気もしたことがないんだから当たり前だが。 確か階段から転げ落ちたってことになって入院したときはお構いなしに跳びかかってきたからな。 俺の意識がない間はこのぐらい心配してくれていたのかもしれない。いや、していたんだろうな。 生意気な妹よ、俺は若干お前を見直したぞ。あくまで若干だから調子に乗るなよ。 妹ちゃん「ごめんねキョンくん……」 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか妹は実にしおらしい。いつもこうだといいんだけどな。 妹ちゃん「いつものキョンくんなら鶴屋さんと10時間うそんこで戦ってても平気そうにしてるから……       こんなことになるなんて鶴屋さんもあたしも思わなかったんだよ……       だからあたしのことはいいから鶴屋さんを許してあげて……お願い、キョンくんっ」 そう言って妹は俺にすがってきた。あぁ、本当に普段からこうならぁ。ってなに? なんだって? 俺が何をしても平気そうにしてるんだって? 鶴屋さんと10時間なんだって? 決して俺が想像しているような不埒なことでないことは明らかだった。 88 名前:12/3end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:49:00.49 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「キョンくんの本気って見たことがないっからさ……あたしもつい力を入れすぎちゃったさ……」 どんだけ超人なんだいつもの俺ー! なに、なんだ? ここではいつもの俺って奴は山をひっくり返したり月を割ったりできるっていうのか? 一体どこの博士が作ったアのつくロボットだ俺はっ。 鶴屋さん「さすがにそこまでは見たことないっさっ」 まるで本当はできるみたいに言わないでくださいっ。キーンって飛ぶんですかキーンって。 鶴屋さん「飛びはしないけど走ってるところは見たことあるよっ。隣を走ってる電車にも追いつきそうな勢いだったさっ!       あれで3割も実力を出してないってんだから驚きだよねっ」 鶴屋さんは半ば興奮している。スーパーヒーローを見るようなランランとした瞳で俺を見ている。 くそう、いつもの俺め、いつもこんな瞳を鶴屋さんに向けられているのか。悔しい。 しかしますますいつもの俺って奴が得体の知れない生物になっていくな。大丈夫か? いきなり決闘を申込まれたり手の込んだ暗殺を企てられたりしないよな? ダメだ、不安になってきた。 89 名前:13/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:52:50.72 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さんと妹は二人して大事を取って今日は学校を休めと言う。俺的にはまるで体調に問題がなかったのだが、 鶴屋さん「あのキョンくんが気を失うんだから一大事っさ!」 妹ちゃん「うんうん! 一大事一大事!」 というわけで俺は急遽学校を休むハメになった。そして妹はさっさと学校へ行ってしまった。 鶴屋さんも責任を取って俺を看病する為休むそうだ。 う〜ん、鶴屋さんまで俺に付き合わせてしまってなんだか申し訳ない。すみません、鶴屋さん。 鶴屋さん「気にすることないっさっ、だって全部あたしが悪いんだからね……」 キョン「そんなことはないと思うんですが」 鶴屋さん「キョンくんっ、時に優しさは人を深ーく傷つけるっさ。ここはあたしに名誉挽回のチャンスを与えておくれよっ、この通りっさっ!」 頭まで下げられたらもう断りようがない。まぁ若干悪い気がしなかったというのも少し、いや、多分にあるのだが。 鶴屋さんは毛布を取りに二階へと上がっていった。どうやら俺をリビングから出す気はないらしい。 突然の休日に俺はどうしたものかと適当に辺りを見回した。特にすることもなかったのでなんか飲み物でも探すことにしよう。 俺は冷蔵庫へと向かう。 冷蔵庫の扉を開けて炭酸の抜けた無果汁オレンジジュースを飲んでいると視界の片隅に昨日帰りがけに立ち寄ったスーパーの袋が目に入った。 豆腐ときのこではちきれんばかりにパンパンに膨らんでいる。俺は今日SOS団の部室で鍋パーティーがあったことを思い出す。 すまん、お前ら。今日は豆腐ときのこと俺抜きで楽しんでくれ。そして鶴屋さんがそれに参加できないことは非常に申し訳ない。 それももともとは俺のへんてこな夢のせいだ。恨むんなら俺だけにしてくれよな。 しかしあの夢はなんだったんだ? 妙な俺といい、鶴屋さんといい。あぁ、思い出しただけであの俺にはムカッ腹が立ってくる。 もし会うことがあったら一発と言わず何発でもぶん殴ってやる。と言っても夢の中の俺に俺がどうやって会えるというのだろう。 わけのわからない思考をしてしまっている自分に気がついて一気に力が抜けた。 ちゅるやさんじゃないがにょろ〜んと歌いたくもなるってもんだ。 90 名前:13/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:56:19.23 ID:6w1XGp9Q0 キョン「にょろ〜ん」 ん、微妙にアクセントが難しいな。にょろ〜ん、にょろ〜ん。 奇妙な鳴き声をあげる俺を鶴屋さんが珍獣でも見るような目で見つめていた。いつの間にっ。 鶴屋さん「あっははっ、キョンくんおっかしーっ、あたしもそれ言ってみよっかなっ」 鶴屋さんは毛布を手にケラケラと笑った。 うぐぐ、ハズい。ハズすぎる。俺はそそくさとリビングに退散するとソファに腰掛けた。 ふわりと毛布が舞い音もなく俺の膝にかけられた。鶴屋さんが隣に座る。 俺は何気なくテレビをつけると朝のワイドショーを眺めた。 キャスター「今週末は季節外れの流星群が見られるそうです。         本当に意外ですね、この時期にこれほど大規模な流星群が突如現れるとは」 女子アナ「そうですね、なんでも突然どこからともなく現れたとか。        ご存知の通り流星群とは宇宙空間の塵が地球の大気圏に突入し燃え尽きる際の発光現象で、        しし座流星群など季節性のものが有名です。ですがこれほど大規模のものがどこからともなく突然現れるというのは        天文学的にも観測史上非常に稀なことですよね」 キャスター「そうですね、専門家の見解では火星と木星の間を漂ういずれかの小惑星が引力圏からなんらかの理由で放り出され         どこかで細かく砕けて太陽の引力に引かれ、たまたま地球の軌道上に入ったものとされていますが、         詳しいことはまだよくわかっていないようです。まぁこういう話ってだいたいいつも──」 俺はそこでチャンネルを変えた。どこも同じようなニュースだった。変わったこともあるもんだ。 まさかまたハルヒがらみじゃないよな。俺は一抹の不安を覚える。だが今日ばかりはそれを確かめようがない。 それに明日は確か日曜だ。疑念は来週までお預けか。 まぁハルヒに訊くことなど何もないので長門か朝比奈さんにでも電話して聞いてみればいいのだが。古泉は一番最後にしておこう。 91 名前:13/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:59:13.20 ID:6w1XGp9Q0 毛布が浮き上がる感触がして隣を見ると鶴屋さんが俺の毛布の中にいつの間にか入り込んできていた。 キョン「え、ちょ、鶴屋さん!?」 もう何度この言葉を言ったかわからない。俺と鶴屋さんは毛布を合い掛けにして正面を向いた。 テレビの音など頭に入らない。もう何度目だこの状況は。 いい加減に慣れてしまいたかったが、それは無理な話だった。 鶴屋さんにここまで肉薄されて動揺しない俺がいるとしたらそれは嘘か夢の話だ。 鶴屋さん「薫は香を以て自ら焼くって言うし、あんまり油断してるとそうなっちゃうにょろ……」 鶴屋さんは俺の知らない昔の人の格言を口にした。 く、くんはこ……? どういう意味ですか、鶴屋さん。 鶴屋さん「力のある人はねっ、その力を慎重に扱わないといけないっさ。        じゃないと、自分で自分を滅ぼすことになっちゃうからねっ。でもこの場合、迷惑かけたのはキョンくんにだったさ……」 鶴屋さんは申し訳なさそうにそう言うと俺の肩にしなだれ掛かってきた。 キョン「つ、つ、つ、鶴屋さんんっ!?」 鶴屋さんは半目にどこを捉えるでもなく視線を宙に置いている。 鶴屋さん「しばらく……こうさせて欲しいっさ……。キョンくんには……ほんとに迷惑ばっかりかけっぱなしで申し訳ないっさ……」 鶴屋さんは猫が匂いをつけるように自分のおでこを俺の肩にこすった。 存在を示すように、できればこっちを向いて欲しいと訴えかけるかのように。 鶴屋さんに視線を向けると目と目が正面から向き合った。 93 名前:13/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:02:47.33 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さんはじっと俺を見る。 俺は鶴屋さんから目を逸らすことができなかった。吸い込まれそうというか、視線に捕らえられてしまったというか。 鶴屋さんの唇がかすかに動く。鶴屋さんはペロリと舌を出して唇を濡らすとゆっくりと目を閉じた。 こんな状況で、俺に何ができる。こんな状況で、俺に何を変えられる。 抗うことはできない。 それは俺が状況に流されているからでも、鶴屋さんに頭が上がらないからでも、しおらしい鶴屋さんを慰めたいからでもなかった。 ただ単に、俺も、鶴屋さんとそうしたかったのだ。 俺は鶴屋さんに顔を近づける。互いの息が肌より先に触れ合った。 俺と鶴屋さんの顔と顔の間の空気だけが熱を帯びていく。 息の強さが互いの距離を予感させるたびに鼓動が高鳴り、俺も鶴屋さんも呼吸が荒くなっていった。 互いに口をかすかに開く。吐息と吐息が交換され、互いの肺が満たされる。温かい、とても暖かい何かと共に。 突然電話が鳴りそれまでの雰囲気は吹き飛んでしまった。 互いに飛びすさり鶴屋さんは慌てて電話を取りに向かった。俺は頭を抱えて唸ることしかできなかった。 どうやら電話の向こうで妹が泣きじゃくっているらしい。なんらかの忘れ物をしたようだ。 あいつめ、俺と鶴屋さんを応援するような素振りを見せておきながらこの決定的な瞬間を邪魔するとは。 俺は本気で残念がっていた。もはや取り繕いも何もあったものではない。やはり俺は狼だったのだ。 申し開きも何もない。おまけに面目もない。 鶴屋さん「ご、ごめんねキョンくんっ、ちょっと行ってくるっさっ」 鶴屋さんはダイニングから妹のものらしい袋、恐らく体操着か何かを抱えて颯爽と走り去っていった。 先程までのしおらしさを微塵も感じさせない軽やかな足取り、というか足さばきで。 ただ一瞬だけ通り過ぎたその横顔が悔しそうに見えたのは俺の自惚れなのだろうか。 いや、そういうことにしておこう。 94 名前:14/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:07:04.48 ID:6w1XGp9Q0 夕方になって妹が帰ってきた。 実の兄の最大にして最高の一瞬を邪魔しておいて実の妹はあっけらかんと何に気づくでもなく鶴屋さんと戯れている。 こら、そこ、部屋の中でどたばた走るのはやめなさい。あ、鶴屋さんはいいんですよ。軽やかな足さばきですね。 しかしあれだけ動いて音が聞こえないのだから恐ろしい。古武術どころか暗殺術まで納めてるんじゃないかこのお方は。 鶴屋さん、妹ちゃん「「いえっさ〜っ!」」 二人して息のぴったりな敬礼をするとそのまま再びばたばたと走り始めた。 若干一文字変わっただけである。俺はそういうことを言ったわけじゃぁないんだがなぁ。 俺はそんな鶴屋さんと妹をリビングのソファに座ったままボーっと眺めていた。 こうして見ると本当の姉妹のように見える。そうなると俺は間に挟まれることになるのか。うぅん、上に下にと大変そうだ。 俺は自分が鶴屋さんと妹の両方にこき使われている光景を想像してゾッとした。 そんなことを思っていると妹がなんの前触れもなく鶴屋さんに、 妹ちゃん「鶴屋さんが本当のお姉ちゃんになってくれたらいいのに……」 などと呟いた。 俺は飲みかけの茶を盛大に噴き出しそうになる。が、かろうじて耐えた。 鶴屋さん「えっ……!?」 鶴屋さんは驚いたような表情を見せた後ドギマギと落ち着かなそうにして俺を見る。 こういうとき俺はどういう風に反応すればいいかわからない。 鶴屋さんの切なげな瞳がものすごくくすぐったい。くすぐったいのだが、どうすることもできない。 俺は身悶えしそうになりながらもなんとか平静を装った。 若干湯呑みを握る手元が震えてしまったのは俺的に仕方がないと思いたい。 95 名前:14/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:10:56.68 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さんが妹の手を取って恥ずかしそうに笑う。 妹は無邪気にうれしそうだ。お前、自分が言っていることにもう少し自覚を持てよな。 おれはただでさえここのところ動揺続きで参っちまってるんだからな。これ以上心臓に悪いことは勘弁してくれよ。 俺の気持ちを知ってか知らずか、鶴屋さんと妹はまたきゃっきゃと遊び始める。 妹の脚からだけドタバタと音がする。さっきよりやかましくなっている。俺は眉間に手を添えて唸った。 時計の針は七時を回り、八時を回り、九時を回ったところで妹が舟を漕ぎ始めた。 鶴屋さんが妹をおんぶしようとしたのを制して俺が代わりに抱えあげた。そのまま妹の部屋に運ぶ。 俺が妹をベッドに寝かせた後鶴屋さんが毛布と布団をかけた。二人してそろりそろりと抜き足差し足で部屋を後にする。 両親も居らず妹は眠りに落ち、鶴屋さんと俺は二人っきりになってしまった。 これはまたドキドキな状況である。心臓に悪いことはまず間違いがなかった。 鶴屋さん「キョンくん……」 鶴屋さんが上目づかいで俺を見る。何かを求めるような視線。俺は胸をつかまれたようにドキリとする。 キョン「な、なんでしょうか……?」 96 名前:14/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:14:26.74 ID:6w1XGp9Q0 嫌な汗が流れたか流れてないかは知らないが、気が気でなかった。 今何かを言われたら逆らえる気がしない、もとい自分の理性を抑えつける自信も余裕も心の広さもなかった。 いっぱいいっぱいの境地である。 鶴屋さんはゆっくりと口を開く。俺は覚悟を決めなければならないかもしれないのにまだ微妙に準備不足だった。 俺は生唾を飲み込んだ。 鶴屋さん「そろそろ寝ようっさ、妹ちゃんとずっと遊んでたから疲れちゃって、        それともキョンくんはまだ起きてたいのかなっ?」 俺は一先ず安堵する。とりあえず無茶な要求はされないようだ。 よかった、よかった安心した……ってもう寝るってことは鶴屋さんとまた同じ布団で寝るんだよな。 まずい、まずいぞ、今の状態でそれは危険すぎる。 俺の思春期の欲望はすでにレッドアラートを鳴らしていて狼寸前、というか半ば狼男なのであった。 健康な男子高校生にそれは、それは辛すぎますよ鶴屋さんっ。 俺はしどろもどろになる。 とはいえ今さら起きて何をするでもないし鶴屋さんは俺の隣が寝床だと言うし、観念するしか道はない。 こうなったら俺の忍耐力だけが頼みである。がんばれ、俺。自分を信じろ。 キョン「いいえ、もうすることもないですし俺も寝ることにします」 鶴屋さん「よかったよっ、キョンくんがそう言ってくれてっ。正直一人で布団に入るのは寂しいっからねっ」 鶴屋さんは恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いた。 うぐぐ、その仕草は反則ですよ、鶴屋さん。俺の理性を本当にどうにかするつもりですかっ。 鶴屋さん「じゃぁキョンくんっ、今日も一緒に寝ようっさっ!」 俺は鶴屋さんに手を引かれるままに自分の、今や俺と鶴屋さんの二人の部屋に連行される。 100 名前:14/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:19:14.44 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さんはぴょんとベッドに飛び乗るとそのままもぞもぞと布団の中へと潜り込んでいった。 俺もベッドの上へ横になる。もう今更どこへ逃げようという気にもならない。 もともとここは俺のベッドなのだ。何を逃げる必要があるんだ……ある、それは鶴屋さんが隣にいるから。 俺の理性がレッドアラートでピンチだから。忍耐力だけが頼みだから。ええい、ままよ。 俺は今も妹に言われたことが気になっていた。ここのところ鶴屋さんと仲良くし過ぎたのかもしれない。 距離感がむちゃくちゃになってしまっていた。どこまでが許されてどこからが許されないのか境界線がまるでわからない。 足場の悪い細道を渡っているような気分だ。 それならまだいい、もしこれが一本綱のロープなのだとしたらさじ加減を間違えた瞬間に奈落の底へ転落するのだ。 そりゃぁ気が気でないってもんだ。 鶴屋さん「キョンくんっ、どうしたにょろっ?」 俺がぶつぶつ言っているのを聞いて鶴屋さんが俺を上から覗き込む。 近い、近いですよ鶴屋さんっ! 鶴屋さんの息がかかる。正直辛抱たまりません。 キョン「あはは……な、なんでもないっすよ、先輩」 先輩、の部分を若干強調して俺は壁の反対側、鶴屋さんと逆方向を向く。 鶴屋さんは俺の態度に一瞬押し黙った後、何も聞かずにそのまま俺の背中に寄り添うように横になった。 鶴屋さんが呼吸をする度に俺の首筋に息がかかる。鶴屋さんを傷つけてしまったかもしれない。俺は不安になる。 しばらくの沈黙の後鶴屋さんが囁くように語り始めた。 鶴屋さん「そうっさっ……あたしはキョンくんの偉大なる先輩でお姉さんなのさっ。        キョンくんが困った時はいつでも助けてあげるにょろ……」 優しく笑いかけるように言う鶴屋さん。なんてことはない、俺の心配など杞憂に過ぎなかった。 この人は俺ほどヤワではないのだ。この人は本当に無敵だ。意識し過ぎていた自分が馬鹿馬鹿しくなる。 101 名前:14/5[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:23:24.41 ID:6w1XGp9Q0 キョン「俺は鶴屋さんの弟みたいなものっすよね」 俺は若干余所余所しい口調は残しながらも安堵していた。 もう鶴屋さんを先輩と呼んで突き放す必要はなさそうだ。 鶴屋さん「ううん、弟なんかじゃないよっ。キョンくんはあたしの弟にはなれないっさ」 これには若干ショックだった。もうちょっと距離が縮まっているという無意識下の期待が打ち砕かれた。 我ながら一方的で自分勝手な期待である。 鶴屋さん「キョンくんは……ちょっと年下の男の子っさ……」 鶴屋さんは恥ずかしそうに笑った。 鶴屋さん「も、もう寝ようっか。明日も朝の支度で忙しくなるからねっ」 そう言っていそいそと布団に頭まで潜り込む。 俺は思わず鶴屋さんの方へと振り返ってしまっていた。 鶴屋さんは布団の中にもぐってしまっていて俺の目の前には部屋の壁しか見えない。 鶴屋さんとの距離は俺が思っていた以上に縮まっていたのかもしれない。 鶴屋さんにとって俺は絶対にただの年下の男子などではない。 ただの後輩に鶴屋さんはあんな切なげな眼差しでキスをねだったりしない。背筋に寄り添ってしおらしく語りかけたりなんてしない。 鶴屋さんにとって俺ってなんなんだ。ただそれ以上考えることが怖い。 俺にそれに応えられるだけの準備があるのだろうか。準備不足なんじゃぁないのか。 もっとも準備期間なんてのは全く欠片もありはしないのだが。 鶴屋さん「キョンくんに抱きしめられた女の子にはこういう景色が見 えるんだね……」 鶴屋さんが呟いた。俺は不意を突かれてドキリとする。俺は思わず「えっ」と呻いてしまった。 103 名前:14/6[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:25:54.91 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さんは俺には聞こえていなかったと思ったのだろう。 鶴屋さん「な、なんで もないっさっ。ただの独り言だからさっ、気にしないで欲しいにょろっ」 そう言ってごまかした。 俺は少しだけ寂しさを感じた。どうして俺はこの人の気持ちにまっすぐ応えてあげられないのか。 まず自分がなぜ好かれているのか、そこのところがわからないのだ。 それが俺の手を止めている。俺の脚を縛っている。 しかしそれでも、俺にできることならばなんでもしてあげたいと、ただそう思った。 キョン「鶴屋さん……」 俺は鶴屋さんに静かに語りかける。 鶴屋さん「ん、なになにっ? さっそくお悩み相談かいっ?」 鶴屋さんは顔を出さずに布団の中で笑った。 鶴屋さん「うんうん、悩み事ってのは言いにくいもんさっ、でもこの頼れる先輩がどーんと受け止めてみせっからさっ。        なんの心配 もいらないっさっ!」 おそらく布団の中でそのスレンダーな胸を張ってらっしゃるのだろう。その姿を想像して俺は少し笑ってしまった。 今から言う言葉の気恥ずかしさもあって、余計にだ。俺は気を取り直して静かに言う。 キョン「少し……だ、抱きしめてもいいですか……」 鶴屋さん「え……」 鶴屋さんの顔が見えないことが幸いだった。見えていたら、おそらく俺は恥ずかしさに耐えられなかっただろう。 104 名前:14/7[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:28:13.70 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「あ、あたしを抱きしめたって何の得にもならないよっ?ほ、ほら、あれだよっ。        な、なんだっけかな……そ、そうだよ、だ、抱きしめるならみくるとかの方がいいよっ、        あた しも何度も抱きしめてるけどすっごく気持ちいいにょろよっ。なんたって柔らかさが違うからさっ!」 鶴屋さんの妙に焦ったような声が聞こえる。 その反応から恐らくいつもの俺って奴は鶴屋さんを抱きしめたことがないということがわかる。 きっと朝の甘えるようにもたれかかったりキスをねだったりということは鶴屋さんにとってものすごく勇気のいることだったのだろう。 そう思うと胸が痛む。この人の気持ちに中途半端にしか応えられない、俺自身に腹が立つ。 鶴屋さんが勇気を振り絞ったのなら、俺も振り絞らなければならない。そうでなければ、それは嘘だ。 キョン「鶴屋さんを……抱きしめてもいいですか……」 鶴屋さん「えっ……あ……」 鶴屋さんは一瞬押し黙る。短い沈黙が流れる。 鶴屋さん「う、うん……」 恥ずかしがるようなか細い声で鶴屋さんが了解してくれた。 俺が鶴屋さんの両腕に手を軽く添えると鶴屋さんの体がビクリと強張った。そのまま徐々に背中に手をまわしていく。 105 名前:14/8end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:30:52.04 ID:6w1XGp9Q0 鶴屋さん「ま、待ってほしいっさっ、や、やっぱり!」 鶴屋さんはそう言って俺を突き飛ばす。鶴屋さんに被さっていた布団も俺に引きずられてずり下がった。 そこから覗いた鶴屋さんの表情は切なげで、両手を胸の前で組んで恥ずかしそうにしている。 鶴屋さんはぎゅっと目をつむったあとおずおずと俺に視線を戻した。 鶴屋さん「ご、ごめんっさ……キョンくん……も、もうだいじょぶだからっさ……続きを……お願いしてもいいにょろ……?」 そう言って俺に両手を差し出してきた。だっこをせがむ子供のように、甘えるような視線で。 俺は鶴屋さんを抱き締める。鶴屋さんが俺を抱き締める。 鶴屋さんは安心し切った子供のように深い安堵のため息をついた。 そしてそのまままどろみ始める。鶴屋さんの、俺の隣に居ると気持ちが安らぐという言葉はどうやら本当だったようだ。 鶴屋さんは俺を信頼しきったようにその身を委ねると、深い眠りに落ちた。俺はそんな鶴屋さんをただじっと見つめていた。 そしてなんとも言えない、自分が狼だったかなんだったかも思い出せないようになるくらい、 鶴屋さんに対して言いようもない感情を抱き始めていた。 鶴屋さんの寝息、鶴屋さんの体温。 それは先ほどまでとは違う意味をまとって、俺の胸の奥に染み入ってきたのだった。 俺が一睡もできなかったことは言うまでもない。 107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:34:25.71 ID:6w1XGp9Q0 体力の限界が来たので本日はここまでにしたいと思います。 一応明日の日付変更前後に投稿すると思いますが、保障できなくてすいません。 一先ずここまでおつきあいありがとうございました。 あとその……前置きがキモくてすいません。今見るとわけわかりませんね。 文章が見にくいという指摘もごもっともです。反省してます。 何はともあれ、本日はここまでです。 お付き合いありがとうございました。 興味がありましたらまた次回にでも……。 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:17:31.53 ID:6w1XGp9Q0 こんにちは、二回目になります。 本日も当方の眠気の限界付近までお付き合いいただけると幸いです。 私の呼び名は都留屋シンです。よろしくおねがいします。 通し番号にIDと一緒に入れようと思いましたが邪魔な感じだったのでここで出しておきます。 前回セリフの前に名前はいらないんじゃ、という指摘をいただきましたが 今から消すとややこしいことになるのと登場人物が一気に増えるパートとがあるのでこのままで行こうと思います。 代名詞の指摘も……なんていうかすいません、ほんとに。 今からだと対応できないのでここで謝らせてください。読みにくくてすいません。 それでは改行作業と並行して順次投下していきます。 最後までお付き合いいただければこれ以上のことはありません。 ご指摘があれば可能な限り対応していきたいと思います。 よろしくお願いします。では…… 4 名前:15/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:22:40.37 ID:6w1XGp9Q0 あくる日曜日、俺はハルヒ達に呼び出されていつもの集合場所へと向かっていた。 鶴屋さんは今日は親族会議に出る為実家に帰るそうだ。実家、ううん、なんという響きだろうか。 ちなみにこれが今朝の会話である。 鶴屋さん「家族には無理言ってこっちに居させてもらってっからねっ。       こういう時には顔を出さないと立場がないっさ」 大変ですね。ってなぜにそこまでして俺のところに。 鶴屋さん「じゃぁ行ってくるっさっ、キョンくんも気をつけてねっ、       倒れたばっかなんだから、って倒したのはあたしだったにょろっ、なははっ……。        じゃぁね、キョンくん、また夕方に逢おうっさ〜」 そう言うと迎えに着ていた高級そうな車に乗って走り去っていった。 俺、鶴屋家の人達に恨まれてたりしないよな。 一瞬運転手に睨まれたような気がしたが、さすがにそれは俺の自意識過剰というもんだろう。 俺が集合場所に到着した頃には他の全員が到着していて、まぁいつものことだ。 ハルヒ「はい! おごりけってーい! ってまたあんたなのね。      いい加減あんたの財布の重量が心配になってきたわ」 大丈夫、もともと大して入ってない。 ハルヒ「そうだったわね〜♪」 歌うように言うんじゃないっ。おい、古泉、お前もなんとか言ってやれよ。 古泉「あはは、それならもっと早くくればいいじゃないですか。     僕にはあなたがわざと遅れてきているようにしか見えませんよ」 5 名前:15/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:25:17.06 ID:6w1XGp9Q0 俺はお前らみたいに支度が手早くないんだよっ、てか突然朝っぱらから電話食らってすぐに来れるかっ。 それに俺は一応病み上がりってことになってんだぞ。 古泉はクスクスと笑うといつもより若干ニヤついた笑みを浮かべた。 なんだその笑い方は。新兵器か。 古泉「あなたが日曜であるにも関わらず朝早くから起きていたところを見ると、     ちゃんと鶴屋さんに起こしてもらっているようですね」 おおーい、見てきたように言うんじゃないっ! あとこら、そこの長門以外のお前ら、ニヤニヤ笑うんじゃないっ! ってお前だよハルヒ、後ろを振り向くな! あ、朝比奈さんはいいんですよ。今日も笑顔がお綺麗ですねっ。 ハルヒ「あんたのツッコミはいちいちまわりくどいのよ。昇天の宇多○さんでも見て芸を磨きなさいよね」 おおーい、その誤字、致命的だよ! 致命的エラーだよ! おい! 長門「問題ない」 って長門おーいい!!? 朝比奈さんはそんな俺たちのやり取りを見て微笑ましそうにクスクスと笑っている。ううん、癒される。古泉、お前は笑わんでいい。 古泉「さて、時間もおして来たところでそろそろ電車の時間です。急ぎましょうか」 キョン「なんだ、今日はおごらなくていいのか。それならそうと早く言えよ。余分に持ってきて損しちまったぜ」 ハルヒ「んーなわけないでしょっ、ま、余分に持ってきたという点だけはあんたにしては上出来だわ」 ハルヒが偉そうに下から威張る。こいつ、いつか踏みつけてやろうか。 みくる「今日は遠くへ行くから電車を使うんですよね」 6 名前:15/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:27:55.42 ID:6w1XGp9Q0 ハルヒ「そうそう、というわけで、あんたは駅弁全員分とあとあたしにはポカリを買うこと!      あったかいのにしてよ、冷たいの買ってきたらぶっ飛ばすわよ!」 にしてもいちいち指定が細かいな。幸い古泉と長門と朝比奈さんは快く辞退してくれた。 さすがに全員分の駅弁は無理だと踏んだのだろう。フッ、俺も舐められたものだ。 実際そのとおりだよこん畜生っ! 俺は駅の売店で駅弁を一つ買った後自販機からあったか〜いポカリを取り出した。 こんなもんただの吉野川の水だろ。なんでこんなのが飲みたいんだハルヒは。 とりあえず古泉や長門や朝比奈さんの分のジュースも買っておいた。それぐらいは奢ってやってもいい。 むしろ朝比奈さんには奢りたい。そして感謝されたい。それは至福の瞬間だからだ。 俺が恍惚の予感に浸っていると背後でハルヒの叫ぶ声がした。気がつくと電車の発車ベルが鳴っている。 にもかかわらず俺が座りこんだままボケーッとしてるのを見てハルヒはさぞイラついていたことだろう。 慌てて振り返った瞬間電車の扉が閉まった。ハルヒはガラスを叩きながら何かを訴えている。 古泉は困ったような素振りをする。朝比奈さんはおろおろしている。長門はいつも通りだ。 冷たい汗が背筋を伝った。 俺は為す術もなくSOS団の一同かっこ俺を除くかっことじるを見送って駅のホームに呆然と立ち尽くしていた。 列車はみるみるうちに遠ざかっていく。指にかかる駅弁の袋の重さが増したように感じた。 7 名前:15/4end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:30:40.75 ID:6w1XGp9Q0 俺は駅弁とジュースでふさがった手で頭を抱えることもできずに唸った。 あぁ、もう、どうしちまったんだよ俺。 マジで調子悪いぞ。それもこれも、その、鶴屋さんのせいでないことだけは確かだ。うん。 俺が一人で空回りしちまっているんだ。まったく、俺もヤキが回りっぱなしだぜ。 仕方がない、次の電車に乗って、ハルヒ達に追いついて、さっさと文句を言われよう、うん。 と思ったところで俺はそもそも行き先を聞いていなかったことを思い出した。 ハルヒが何も言わないもんだから切符も適当に一番安いものを買っちまったし、 もしハルヒが怒って次の駅で待っていてくれなかったら俺はどこまでも電車に揺られることになる。 ハルヒのことだ、こんな寒い中俺をホームでじっと待っているなんてとてもじゃないがお断りだろう。 どうやら俺の今日のSOS団の活動はここまでのようだ。とりあえず、次の駅までは揺られてみるか。 長門か朝比奈さんか古泉が待っていてくれるかもしれないしな。 次の電車の時刻を確認しようと電光掲示板に目を移そうとしたとき、 俺の中で何か熱いものが全身を駆け巡った。 体温がどんどん上昇していく。 血流がものすごい勢いで加速していくのがわかる。 気分がどんどんハイになっていく。 秘められた力が開放されていくような、そんな高揚感すら感じる。 俺は線路の先を見据えた。ハルヒ達の乗った電車は建物の影に隠れてもう見えない。 だがこの線路の先にはあいつらがいる。間違いなく、今も電車に揺られて。 俺は線路の先を見据える。 このままどこまでも見通せるような気にさえなった。 俺の高揚はピークに達し、そしてなぜか、なぜだかわからないんだが、ものすごく、ものすごーく、 走りたくなった。 8 名前:16/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:33:36.77 ID:6w1XGp9Q0 俺は息を切らしてSOS団一同の前に佇んでいる。 脇に駅弁一つと人数分のジュースを抱えて、信じられないといった表情の面々を前にして。 キョン「ぜぇ……ぜぇ……」 あごから汗が滴り落ちる。生まれてこの方ここまで汗をかいたことはない。 一昨日鶴屋さんと朝に競争をしたときもここまで汗は出なかった。 まるで全身の水分という水分を絞り出したかのようだった。 俺、干からびてないよな。 「えぇ、一応」とは古泉。ハルヒは呆れるような表情で俺を見据えている。 ハルヒ「あんたってほんっっとに走るの好きね……」 いや、そうじゃないんだよ。なんか突然走りたくなっちゃったんだよ。自分でもわけがわからないんだけどな。 ハルヒ「ふぅん、ならマラソンランナーでも目指したらどう? 案外向いてるかもね。      ところであたしのジュース、ちゃんとあったかいの買ってきたんでしょうね」 キョン「あぁ、もちろんだ。ほれ、吉野川の水だ。あったかいぞ」 俺はハルヒに頼まれた通りポカリを差し出す。ハルヒは「何よそれ」と不満げだ。 ハルヒ「んなっ、なによこれっ! 冷めちゃってるじゃないの! しかもペットがほんのり生暖かいわよっ」 キョン「な、なにぃ? そうか、ずっと抱えてたから外の空気で冷えちまったんだな」 で、生暖かさは俺自身のぬくもりだと。まぁいいじゃないか、ハルヒ。ちっとは暖かいだろ。 9 名前:16/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:37:00.45 ID:6w1XGp9Q0 ハルヒ「あんたの体温で温まったジュースなんで死んでもいらないわよっ!」 ハルヒはそう言うと残念なことになったポカリかっこ吉野川の水かっことじるを俺の顔面に投げつけて ふんっ!と大きく鼻を鳴らした。 キョン「痛って! なにすんだよっ!」 ハルヒ「なによっ! だいたいあんたさっきから汗臭いのよっ、夏でもないのにあつっくるしい!」 俺が再び言い返そうとしたところで古泉が割って入った。おい、古泉、お前もなんかこいつに言ってやれ。 古泉「まぁまぁ、お二人とも。団長、副団長として言わせていただきますが、     彼がこの通りではもうこの先へは行けそうもありませんよ」 どうやらこれから向かう先はどっか山の方だったらしい。 俺のスタミナ残量を推して測るに残り1ポイントもないと言っていい。古泉もハルヒも同じ結論に達したようだ。 しぶしぶ承諾する。うぅ、なんかすまん。 古泉「彼は私が送っていきますから、涼宮さんは長門さんや朝比奈さんと一緒にどこかで遊んできてください」 ハルヒ「悪いわね、古泉くん。まったく、あんたのせいで今日の予定、      山に落ちた謎の流星群、そこには未知のウィルスが眠っていて人類に寄生し強制的に進化させたあと      体を操ってどんどん味方を増やしているんじゃないかツアーもこれで終わりね。残念だわ……」 おい、なんだその昔の名作SFホラーみたいな話は。 ていうかそんな危険なことをお前が口にするんじゃない、シャレにならん。 さすがに宇宙人、未来人、超能力者はまだいいとして そんなコテコテのSFクリーチャーと戦う根性を俺は持ち合わせちゃいないぞ。 10 名前:16/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:39:39.64 ID:6w1XGp9Q0 そんな俺の心を知ってか知らずかハルヒ達の間ではカラオケに行くことに決定したらしい。 女性三人のかしましい一団が誕生した。ハルヒ一人でかしましいのは言うまでもない。 朝比奈さんは会釈し、長門は棒立ちで手を振り、そしてハルヒはずんずんと大股で遠ざかっていく。 隣で古泉はにこやかな笑顔で三人に手を振っている。 俺はくしゃみを一発大きく放つと肩を抱いて震えた。 うぅ、さむっ。汗をぐっしょりかいたせいでコートの中まで氷つきそうだ。正直、シャレにならん。 古泉は突然俺の前に立ち真顔で俺を見据えた。 キョン「ど、どうしたんだ、古泉? んなマジな顔して」 古泉「とぼけないでください」 古泉の目つきは真剣そのものだった。 古泉「正直背筋が凍りつきました」 あぁ、俺だって寒くて今にも凍りつきそうだよ 古泉「お忘れですか? あなたは電車と並んで、今にも追い抜きそうな速度で走っていたんですよ」 マジでか。ってマジなんだが。いまだに自分でも信じられない。俺の脚ってあんなに速かったんだな。 古泉「そんなわけないでしょう」 つっこみは苦手だ、それはお前の領分だという痛いほど突き刺さる非難するような視線を受けて俺はふざけるのをやめた。 古泉「まったく……窓から電車と等速で並走するあなたを見たときはついに気が狂ってしまったのかと慄然としましたよ」 12 名前:16/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:42:01.48 ID:6w1XGp9Q0 呆れるように肩を落として大きなため息を吐く。珍しいな、こいつがここまで大きなリアクションをするとは。 古泉「そうしたくもなります」 ですよねー。 古泉「朝比奈さんも大層狼狽していましたよ。ほとんど泣き出しそうでした。     とっさに長門さんが涼宮さんの目を手で覆い隠してあなたの姿を見れないようにしたからいいものの、     もしあれが涼宮さんに見られていたら海外出張も徒歩で行くような世界になっていたかもしれないんですよ」 それはそれで便利そうじゃないか? いや、そう睨むなよ。わかったから。わかったって。 古泉は続ける。 古泉「長門さんに伺ったところ涼宮さんが力を使った形跡はないようです。     むしろここのところ涼宮さんの力は劇的に弱まっていると言っていたくらいです」 キョン「それはどういうことだ?」 古泉「昨日のことです。あなたたちが休むというので退屈した涼宮さんがホラー映画を借りてきたと言い出しました」 わーお、嫌な予感。 古泉「それは仏体十字という仏教系だかキリスト教系だかよくわからないエイリアンが人間に次々と寄生して     教えを広めていくという恐るべきB級映画で涼宮さんはそれを興味深々で見入っていました」 キョン「あぁ、で、何か起こったんだろ。それはお前らで解決したのか?」 古泉はそこで押し黙る。よっぽど怖い目に遭ったのだろう。同情するぞ、古泉。 お兄さんの前では泣いたっていいんだぞ。って誰がお前のお兄さんか。 13 名前:16/5[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:45:02.86 ID:6w1XGp9Q0 古泉「何も……」 古泉はぼそりと呟いた。え、聞こえないぞ。もっとはっきりと喋れ。 古泉「何も起こらなかったんですよ……」 青白い顔で小泉は続ける。いや、それのどこが悪いんだ? 結構なことじゃあないのか。 古泉「まぁ、そうなんですけど……私もさっきまではそう思っていました。     このまま涼宮さんの能力が鎮静に向かえばこれ以上のことはない、と……」 古泉はですが、と続けた。 古泉「あなたのあれを見てから考えが一変しました」 おい、どういうことだ古泉。ちゃんと説明しろ。 古泉「単刀直入に言います。あなたのそれは涼宮さんの力ではありません。     おそらく、考えにくいですが、あなた自身の力か、もしくは何者かがあなたにそういう変化を与えたんです」 じゃぁなんだ、これは未来人か、お前らと敵対する機関か、もしくは情報統合思念体のなにがしかの派閥が絡んでるって言いたいのか? 古泉は首を横に振る。 古泉「長門さんが言っていたんですが」 お前は何でも長門頼みだな。お前らの組織、ひょっとして長門一人より大したことないんじゃないのか? 古泉「それは否定しません。あっちは宇宙人ですからね。われわれは所詮ただの人間の集まりに過ぎません。     限界はあります。ただその長門さんが言うには、あらゆる情報改編の形跡も認められなければ未来人や、     なんらかの組織が関与した形跡もないと、そう仰るんです」 14 名前:16/6[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:47:25.18 ID:6w1XGp9Q0 キョン「な、なに? じゃぁマジでこれが俺の秘められし力だってのか?」 俺の鼻の穴が若干膨らんでいるのを睨みつけながら古泉が念を押す。 古泉「そんなわけないでしょう」 俺もそう思う。 古泉「どうやら何かおかしなことが起きているようですね。     涼宮さんの力でも他の何者でもない、まるで世界そのものが突然変わってしまったかのような」 なんかどっかで聞いたようなセリフだな。ん、おい、ちょっと待てよ。 古泉「何か最近、今までと変わったことに気が付きませんでしたか?     それが状況を分析する上で重要なヒントになる気がします」 古泉、待っていたぞ、俺はお前からその言葉が出ることを心から待ちわびていたんだ。 古泉「何かお気付きですか!? それはすごい、あなたを見直しました、     さっそく教えてください、どんなおかしなことがあったんですか?」 何かいちいちひっかかる物言いだな。まぁいい。いいか、心して聞けよ。これは驚くべきことなんだ。 16 名前:16/7end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:49:54.50 ID:6w1XGp9Q0 古泉「もったいつけずに早く」 いいか、言うぜ? キョン「朝目が覚めたら隣で鶴屋さんが眠っていた。      これってマジでおかしいだろ?」 古泉は一瞬ポカンと俺の正気を疑うような顔をした後、 「それのどこがおかしいんですか」 とどっかで聞いたようなことを言った。 あぁ、もう。古泉。 お前はしばらく黙ってろ……。 17 名前:17/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:52:09.09 ID:6w1XGp9Q0 どうやらさっきの話はまだ早いらしい。 俺は自分が鶴屋さんや妹に超人扱いされたくだりを古泉に話した。 もちろんその直前や直後に鶴屋さんと何があったかはごまかして。 ところで古泉、お前のその俺の頭の中を見透かしているような薄ら笑いが我慢できん。 古泉「これは失礼」 古泉は降参のポーズを取る。 古泉「どうやら認識に若干ズレがあるようですね……     私の知っているあなたはごく普通の一般人です。えぇ、それはもう悲しいほどに」 へいへい、わるーござんしたね。 古泉「謙遜することはありません。私にはあなたのその普通さがうらやましくて仕方ないくらいです」 俺のどこがこいつに謙遜しているように見えたのかまったくわからない。話が進まんさっさと続けろ。 古泉「思い出してみてください。涼宮さんの今日の目的を」 確かどっかの山に一足先に落下した流星に付着したSF的化け物を探しに行くんだったよな。 古泉「えぇ、そうです。おかしいとおもいませんか?」 おかしいっちゃ全部おかしいぞ。だいたい流星が落ちてきたなんて話は聞いたこともない。 古泉「それもあります。     ですが、涼宮さんが力を使って今週末の流星群を呼び寄せたとするならば、説明できない点があるんです」 それはなんだ? 18 名前:17/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:54:23.03 ID:6w1XGp9Q0 古泉「流星群が観測されたのは金曜日で、ニュースになったのは土曜の朝です」 金曜っていうと俺の隣に鶴屋さんが現れた日だ。なんかの偶然なのか。 古泉「そして涼宮さんが仏体十字という映画のDVDを部室に持ってきたのが土曜日の放課後です。     あなた達が来れないと知って昼休みにこっそり学校から抜け出して借りてきたそうです」 あいつも無茶をするなぁ。まぁいつものことだが。 古泉「涼宮さんはいろんな映画をタイトルも見ずに適当に10作ほど借りてきました」 それはまた景気のいい話だな。 古泉「旧作100円だったそうです」 あ、そう。 古泉「そしてタイトルから適当におもしろそうなものを選んで見たわけですが……     それは流星群がニュースになった後なんですよ」 キョン「んじゃぁなにか、流星群が現れたのはハルヒが宇宙のなんとかクリーチャーに興味を持つ前の話で、      ハルヒの力とは何の関係もないと」 古泉「その通りです」 キョン「ていうかその映画、旧作なんだろ。ハルヒだってどっかで見たことあるかもしれないじゃないか」 古泉「たとえそうでも涼宮さんが何の関心も前振れもなく流星群を出現させるとは考えられません」 19 名前:17/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:57:15.09 ID:6w1XGp9Q0 キョン「どうしてだよ、土曜の朝にニュースになって、土曜の昼に借りてきたんだろ。      大方朝のニュースでチラッと見聞きして興味を持ったハルヒが無意識のうちの呼び寄せたんだろ、      そしてハルヒはDVDを借りてきて、放課後に部室で鑑賞……って、古泉、さっきお前なんて言った?」 古泉は深刻そうな表情で言いにくそうに重々しく口を開く。 古泉「金曜日……と言いました」 古泉は続ける。 古泉「涼宮さんがその流星群をあらゆる可能性で気にかけるより以前に、     流星群は他の人間に観測されていたということです。     それもハッブル宇宙望遠鏡のような観測機器を有する専門機関でのみの話です。     これが外部に漏れてなにがしかの理由で涼宮さんの耳に入るということはあり得ません」 俺は愕然とする。 キョン「じゃぁ、今来てるっていう流星群や俺のバカみたいな走りっぷりは      本当にハルヒの思いつきじゃないのか……?」 古泉は静かに頷いた。異質な寒気が背筋をなぞる。 古泉「意識無意識は問わずあくまで意識下にある願望を実現することが涼宮さんの能力です」 そして続ける。 古泉「あなたのあのような姿を見るまで私もたまたまなんらかの理由で     流星群が出現しただけかと思って安心していたのですが……」 20 名前:17/4end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 23:59:27.47 ID:6w1XGp9Q0 やめろ、古泉、もういい。 古泉「流星群もあなたの疾走も、私たちの認識のズレも、何者かの作為的な操作であるならば説明はつきます。     ですがその痕跡はなく、涼宮さんの能力による情報改編ですらないというのなら……」 やめろ、もういい。やめてくれ。 古泉「長門さんに一切の痕跡をつかませないほどの強大な存在による作為か、     はたまた涼宮さんを含めた世界そのものが異常な変化を始めているということです。     私としては、にわかに信じたくはありませんが涼宮さんが世界を変えようとするように、     世界の方が涼宮さんを含む我々を変えようとしているかのように思えます。     荒唐無稽ですが、そう考える方がしっくりくるんです」 俺はへとへとに疲れた肺に胸いっぱい冷たい空気を吸い込むと力なく吐き出した。そして続けた。 キョン「……マジで世界が終わるかもな」 21 名前:18/1[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:02:18.23 ID:6w1XGp9Q0 意思も感情もないプログラムとかロボットだとかいうならわかる。だが世界ってなんだよ。 ハルヒに嫌気がさした世界がいい加減腹に据えかねて癇癪でも起こしたっていうのか。 世界に意思や感情があるってどこのメルヘンストーリーだ。 いや、そんなものはないのだろう。古泉が考えるにはハルヒの力が世界に刺激を与え過ぎておかしくなったんだと。 精密な機械にたとえるなら乱暴に扱い過ぎたってことだ。 そういった細かい異常や矛盾が蓄積していった果てに何が起こるのか、 そもそもそういった物理法則だとか量子なんたら論のようなレベルを含めて起こる無感情な単なる現象に いったいどのように対処すればいいというのだろう。 こういうことは俺の領分ではない。 俺と古泉は携帯で長門を呼び出した。トイレと言って抜け出してきたらしい。 朝比奈さんは一人でハルヒの相手をすることになっているだろう。 どんなセクハラ嫌がらせをされてもそれを止められる人間は一人もいない。否、止めようとする人間さえいない。 まぁ長門がそれを止めている光景なんざ思い浮かばないわけだが。 突っ立って話しているのも疲れてきた。そこで三人で近くの適当な喫茶店かファミレスにでも入ることになった。 ハルヒと朝比奈さんがいるカラオケ店のすぐ近くに手頃な場所があった。 俺の対面に長門と古泉が並んで座っている。 長門の見解はさっき古泉が言ったことと対して違いはなかった。 ただ事態の異常性に対して世界の構成情報自体は非常に安定しているという。 世界がハルヒや俺たちを何らかの方法で排除しようとしているならば不自然な点がなさすぎるのだという。 バグやエラーの集積によって起こっているとするならばそれはなおのことおかしなことだと言った。 話はそこまでで、それ以降は古泉も長門も黙り込んでしまった。 長門は沈黙のさ中も情報統合思念体とのなにがしかのアクセスを続けてくれているらしいが どうも情報統合思念体の側でさえ事態を把握しきれていないらしい。 古泉は右手を顎に添えてうつむいたまま動かない。 22 名前:18/2[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:05:06.19 ID:wsfxcr/i0 俺にしてみればあの金曜の朝、いや、木曜の夜という可能性もあるが、その日から世界が一変している。 鶴屋さんが俺と暮らしていて、古泉や長門や朝比奈さんやハルヒの誰もがそのことを知っているのに 俺だけがそれを知らない。加えて、いつもの俺って奴の存在。 そいつは俺よりはるかに超人的な能力を持っていながら人間味は薄いらしい。 噛み合わない記憶、居る筈のない場所に居る人物。 この中で元の記憶を完全に保っているのは俺だけだ。 まずはこの認識の齟齬を解きほぐすことから始めよう。 俺は自分の頭を整理しながら話し始めた。 キョン「お前ら、俺の話を聞いてくれ。      先入観とか自分の記憶には頼らず、ただ俺が感じている違和感の原因を一つ一つ挙げていく。      その上で、もしそれが本当だったならという前提で俺の思考につきあってくれ。      今のお前らには難しいことなのかもしれないが……」 古泉は真剣なまなざしで「わかりました」と続けた。 長門も「わかった」と首をわずかに縦に振る。 いいか、言うぜ? キョン「まず、俺の記憶上では俺と鶴屋さんはどうきん……オホン!      同居してはいない。そして次に、お前らや鶴屋さんが知っているいつもの俺って奴は今の俺とは別人だ」 長門も古泉も黙って俺の話を聞いている。 疑念はあるだろう、だが俺の話を真剣に聞いてくれている。 この異常な事態を把握したいという思いだけは共有できているようだ。 それは些細だが大きな進歩だった。 23 名前:18/3[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:07:14.88 ID:wsfxcr/i0 キョン「そして次に話すことが俺が感じる今一番の違和感だ。      ただこれは俺の頭の方が狂っているという可能性もある。      自分の言っていることにさっきの鶴屋さんの話やもうひとりの俺の話ほどの確信が持てないんだ」 俺は気を落ち着けようと手元のコーヒーに口をつけてぐいっと飲みほした。 古泉も長門も聞き役に徹してくれている。恐れることはない、俺はこいつらを信じている。 たしかに俺の知っているこいつらとは微妙に違うのかもしれないが、 たとえそれがどのような違いであれ俺はこいつらを信じ抜くことに決めた。 頼むぜ、長門、古泉。もう準備はできてるよな。いいか、言うぜ? キョン「ここんとこ眠ったり気を失ったりするたびにおかしな夢を見るんだ。      そこでは俺と鶴屋さんが今と同じく同居しているんだが、      ところが俺が夢を見始めたとき鶴屋さんは俺の家から出ていっちまった。      追い出したのは……夢の中の俺だ」 俺の胸に苦虫をかみつぶしたかのようないやな感覚が広がっていく。 夢の中とはいえ俺があんなことをするとは。まったく俺のばか野郎。 俺がやりきれない気持ちでいると古泉が口を開いた。 古泉「それは……」 そして古泉は驚くべきことを口にした。 古泉「それは私たちが知っているあなたにとても近いあなたですね」 俺は慄然とした。肌という肌に鳥肌が立っていく。さっき一気飲みしたコーヒーのせいで胸やけがする。 24 名前:18/4[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:09:45.62 ID:wsfxcr/i0 古泉「私は常々おかしいと思っていました。     鶴屋さんがあんなにあなたのことを慕っているのにどうしてあなたはそれに応えようとしないのかと。     ですがここ数日のあなたの反応を見て安心していたんです。     今までのあなたは単に恥ずかしさや照れくささからあのような素っ気ない態度を取っていただけで、     本当は鶴屋さんのことを大切に想っていたのだ、と。     まぁあなたが鶴屋さんと同居していることがおかしいと言い出したときは、     失礼ですが一回くらい殴ってでもわからせたほうがいいのだろうかと真剣に悩んでしまいましたが」 おまえはあの時そんなことを考えていたのか。自重してくれて助かったよ。 あんな状況でお前に殴られでもしたら俺は正気を保てなかっただろうからな。 古泉「その夢の話、もう少し詳しく話せませんか?     あなたの記憶をもとに考えれば夢の中のあなたと鶴屋さんの状況と     現実のあなたと鶴屋さんの状況が入れ替わっているように思えます」 入れ替わる……? 入れ替わるだと。 古泉「他にたとえば……夢の中のあなたや鶴屋さんで、共通する点は何かありませんでしたか?     なんでもいいんです。あなたの知っている鶴屋さんになくて、今の鶴屋さんや夢の中の鶴屋さんにあるもの、     或いは世界がおかしくなってからあなたか鶴屋さんに起こったなんらかの変化、とか」 俺は少し考え込む。そして一つだけ思い当たる点があった。 25 名前:18/5[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:12:43.40 ID:wsfxcr/i0 キョン「スモークチーズ……」 俺は静かに呟いた。そして机に両腕を突いて立ち上がると自分の考えを一気に述べた。 キョン「スモークチーズだ!      俺の記憶が確かなら夢の中の鶴屋さんも今の鶴屋さんもスモークチーズが大好きなんだが、      金曜日の夕方に鶴屋さんは初めてスモークチーズを見たようだった、      そしてみんなでスモークチーズを食べることを何より楽しみにしているみたいだった」 ふいに俺の頭の中に二度目の夢の情景、 鶴屋さんが薄緑色のモノトーンの中に消えていく瞬間が浮かび上がってきた。 キョン「……夢の中の鶴屋さんは……ちゅるやさんって言うんだが……     今は誰とも一緒にスモークチーズを食べられないでいるみたいなんだ……」 俺は肩や脚から力が抜けそのまま椅子に腰を落とした。 背後からはほかの客の話し声が聞こえる。混雑してきた店内では俺の叫び声もかき消されたらしい。 俺はなんとも言えない無情感に打ちひしがれていた。 どうして、どうしてこんなに心が痛むんだ。誰か教えてくれ。どうしてなんだ。 古泉が俺を気遣うような視線を投げかけてくる。長門は俺をじっと見つめている。 それだけでも心配をかけているのがわかる。 すまん、お前ら、すまん……。 古泉「どうやら……」 古泉は自分の紅茶に軽く口をつけると言葉を続けた。 26 名前:18/6[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:15:31.24 ID:wsfxcr/i0 古泉「あなたが見た夢の世界の状況と我々の世界の状況はあまりにも符合し過ぎています。     どういうわけだか、そのあなたが夢で見た世界と、     我々の世界の前提、物語で言うなら設定とでも言うべきものが部分的に入れ替わっているようですね。     そしてその影響は今も増大を続けているようです」 俺のあの疾走のことか。だが流星群の方はどうなんだ? 何か思い当たることでもあるのか。 古泉「それはまだわかりません……」 さっきまで黙っていた長門が語り始める。 長門「あなたの話を聞いて情報改編の形跡がなく且つ世界が不自然なほど安定している理由がわかった。     恐らくあなたが見た夢は無数に存在する並列時空の一つで     現在その内の二つの世界が互いに強い影響を与え合っている」 それはパラレルワールドってことか? 長門「そう。我々の宇宙の他に存在する別の宇宙がなんらかの理由で並列軌道を外れ     我々の世界と次元地平面上で交差しようとしている。そしてその次元間距離は今も縮まっている」 長門は続ける。 長門「このままでは宇宙が互いに衝突するか、そうでなくても潮汐効果で修正不可能なまでに分解される。     まず物理法則が消滅し、すべての正物質が暗黒物質へ還る」 宇宙が分解される……? その潮汐効果ってのはなんなんだ。 これには古泉が答えた。 27 名前:18/7[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:17:51.12 ID:wsfxcr/i0 古泉「一定以上の大きさと引力を有する天体同士が接近したとき、     互いが崩壊しない程度にすれ違える物理的な距離の限界をロシュ限界といいます」 ん、それは俺も知っているぞ。確か最近思い出すことがあったような。 そこで俺は鶴屋さんと過ごした最初の夜のことを思い出した。 俺と鶴屋さんの物理的距離はまさにロシュ限界を突破せんという勢いで接近し、 かくして俺の理性と欲望はバラバラに分裂して……い、いかんいかん。 今はこの世界を元に戻すことに全神経を集中せねば。 とはいえ俺の頭の中は鶴屋さんの寝息や甘い溜息を自動的に思い出し続けている。うぅ、俺のばか野郎。 このムズムズする感覚を誰かなんとかしてくれ。 古泉が微笑ましそうに俺を見る。 やめろ、息子に初めて彼女ができたお母さんみたいな目を俺に向けるなっ。 あと長門、コーヒーおかわりしすぎだ。 長門はこの店のコーヒーをすべて飲みつくすつもりなのか、 自分が話していない間は静かにドリンクバーを入ったり来たりしている。 それでもちゃんと話は聞こえているらしい。ひょっとして俺が視線を外している間もずっとそうしてたのか? ならそろそろやめてやれ、向こうで店員が不安そうにこっちを見ているぞ。 古泉「ともかく」 古泉が俺の思考を元の方向に戻す。 28 名前:18/8[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:20:10.88 ID:wsfxcr/i0 古泉「そうなるとわれわれには根本的な解決手段はなく対処的な行動しかとれません。     世界の交差が不可避の現象であるならば、     その変化した状況を一つ一つ本来の姿に戻すことによって次元間交差の瞬間を乗り切るしかないでしょう」 つまりどういうことだ? 古泉「流星群など物理的な変化はどうしようもありません。     ですが人間に起こった変化でしたらあなたの記憶を頼りになんとか修正できます。     居るべき人を居るべき場所へと帰す、ただそれだけのことです」 古泉の額から汗が一筋流れ落ちる。古泉はとても言いにくそうに視線を卓上に落とした。 俺は長門を見る。長門はもうコーヒーをガブ飲みするのをやめていた。俺をまっすぐと見据えている。 ただ古泉同様俺に何かを伝えることをためらっているように見えた。 長門が口を開きかけたとき、古泉が長門を制した。大丈夫です、と念を押して。 古泉、なんでお前はそんなに辛そうなんだ? それに長門、お前もそんな悲しそうな顔をするなよ。 一体どういうことだ。俺に何を伝えたいんだよ。 古泉「一番はじめに起こった変化は……」 古泉はいつもの流暢な喋り方を忘れてしまっていた。 歯切れの悪い、奥歯に挟まったものをなんとか取り除こうとしているよな、そんな迷いを含んでいた。 古泉は決心したように俺を見据える。 29 名前:18/9end[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:22:37.38 ID:wsfxcr/i0 古泉「あなたの隣に鶴屋さんが現れたことです。     我々が記憶している、あなたと鶴屋さんが共に生活しているという事実が     世界の変化によって発生した認識のズレであるならば……あなたがするべきことは──」 古泉は最後まで視線を逸らすことはなかった。 あぁ、わかったよ。古泉。お前の言いたいことは。 だからそんな辛そうな顔をするなよ。 そんな悲しそうな顔をするなよ。 長門もなんか言ってやれ。らしくねぇってよ。 いつも通りニヤつきやがれってんだ。 古泉「鶴屋さんを遠ざけることです」 古泉、お前の泣きそうな顔なんて、見たかねぇよ。 30 名前:19/1[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:26:52.80 ID:wsfxcr/i0 店を出たあと俺は古泉が止めたタクシーに一人で乗って帰り道をがたがたと揺られていた。 あの大量の汗もすっかり乾いてしまっていた。 多少なりとも寒かったのだが、マフラーやコートを羽織る気にはなれなかった。 車の窓からぼんやりと景色を眺める。あらゆる人々の生活が俺の目の前をただ過ぎ去っていった。 笑ってる奴、つまらなそうな奴、ハイになってる奴、何考えてるかわからない奴。 俺はただその一人一人を記憶に留めることなく誰にも気に止められていないラジオの音楽のようにボソリボソリとつぶやいた。 鶴屋さん、どうしてあなたは俺の前に現れたんですか。これには答えが出た。 鶴屋さん、どうしてあなたは鶴屋さんなんですか。俺に聞かれても困るだろう。 鶴屋さん、どうしてあなたは俺のことをそんな目で見つめるんですか? 大切なものを見るような、優しい眼差しを向けてくれるんですか。 俺にはわかりません。 俺はあなたのことを、何一つ、これっぽっちも、髪の毛一つ分ほどだって、わかっちゃいなかったんです。 タクシーが俺の家の前に到着した。 俺は古泉から適当に渡されていた一万円札を取り出す。 そこで一万円札が二枚重ねられていたことに初めて気がついた。 さっき渡されたときはそんなことを確認する余裕なんてなかったな。あいつも案外間抜けな奴だ。 これも機関の経費って奴か? まぁいい、今月はさんざんハルヒに奢ってピンチだったんだ。ありがたくもらっておくぜ。 店の前で別れたときの古泉や長門の顔が思い浮かぶ。タクシーを止める前、あいつなんか言ってたな。 なんだっけか、確か── 31 名前:19/2[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:29:13.84 ID:wsfxcr/i0 古泉「朝比奈さんには私たちから伝えておきます。     事と次第によっては、理由はあくまで誤魔化しますが涼宮さんにも伝えましょう。     私たちの変化に彼女なら気づいてしまうでしょうから、隠すよりこちらから先に伝えて置いた方がいいでしょう。     きっとその方が彼女の為にも……いいえ、なんでもありません。     これはタクシーの料金です。私はあなたを送っていくことはできなくなったので、涼宮さんたちに合流します。     今日はおつかれさまでした。それでは──」 ──そしてあの野郎は続けた。 「がんばってください」と。 俺は二枚ある万札を握り締める。 俺の家まで送るだけなら一枚だけで半分以上お釣りがくる。 なのにあいつは二枚渡しやがった。 そういうことかよ古泉……畜生、やっぱお前はどこにいてどんな奴でも本当にいけすかない野郎だぜ。 俺は運転手にすぐ戻るから待っているよう頼んだ。先に一万円札を一枚渡しておく。 これで少なくとも一万円分は待っていてもらえるはずだ。 俺は妹がおかえりと言うのも構わず自分の部屋に飛んで帰るとコートやマフラーを投げ捨てて ソッコーで新しい服に着替えコートとマフラーを取り替えてタクシーまで戻った。 32 名前:19/3[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:33:33.41 ID:wsfxcr/i0 キョン「鶴屋公園までお願いします。帰りは待たなくて構いません」 運転手は何も言わず発進させた。そしてそのまま法定速度ギリギリで飛ばし始める。 おいおい、大丈夫かよ。この運転手も機関とかいう組織の人間なのか。 俺はポケットから携帯電話を取り出すと、た行を検索した。 そしてそこに表示された人物に電話を掛ける。2、3回のコールのあと電話がつながった。 キョン「鶴屋さん、こんにちわ」 鶴屋さん「なんだい、キョンくんっ! キョンくんがあたしに電話なんてめっずらしいね!        あ、一緒に住んでんだから当たり前かっ、会って話せば済むもんねっ、にゃはは」 キョン「今って大丈夫ですか? 出れます? どうしてもあなたに話したいことがあるんです」 鶴屋さん「なになに、緊急の用事? それとも何かとっても大事なお話かなっ!?        いいよいいよ、会議ももうなんか顔見せだけでさっさと終わっちゃってさっ、        退屈だったにょろっ。一緒にどっかいこってならめがっさ大歓迎さっ!」 鶴屋さんのうれしそうな声と、弾けるような笑い声が携帯の向こうから伝わってくる。 俺はじゃぁ鶴屋公園で待ち合わせしましょう、と言う。 鶴屋さん「おっけおっけ、キョンくんとデート、楽しみにしてるにょろっ!        それじゃぁまた後で、でもまた前みたいにすっぽかしたら承知しないぞっ!         じゃね、キョンくんっ……えっと……その……ま、待ってるにょろよっ!」 鶴屋さんはそう言うと電話の向こうでにゃははっと笑った。本当に嬉しそうな、楽しそうな声だった。 33 名前:19/4end[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:36:02.94 ID:wsfxcr/i0 それは俺の聴覚神経を通り、脳へと伝わり、様々な電気的スパークを織りなして。 深い悲しみへと変わったのだった。 34 名前:幕間[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 00:38:24.02 ID:wsfxcr/i0 少し休憩をとります、1時ちょうどに再開する予定です。 楽しみに待っていてくれる方、すいません。ちょっとだけトイレとかに行かせてください。 39 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:02:12.88 ID:wsfxcr/i0 名前欄は一応まとまりをつけるために番号を振ってあります、邪魔でしたらすいません。 古泉の一人称については普通に勘違いしていました。投稿と並行して修正していきます。 指摘していただけて大変助かります。ありがとうございました。 それでは続きを始めたいと思います。 40 名前:20/1[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:05:16.89 ID:wsfxcr/i0 最後にタクシーの時計で確認した時刻は午後の3時をちょうど過ぎた頃だった。 鶴屋公園の一角、文化祭の映画を撮影した池で俺は鶴屋さんを待っていた。 肌寒い中俺は一人何をするでもなくぼんやりと空を眺めていた。 縮れた雲に埋め尽くされた灰色の空。そういや今朝は天気予報を見ずに出てきちまったな。 夕方か夜に雪でも降るんだろうか。 風が凪いで、時間が止まったように静まり返る鶴屋公園。 息急き切って駆けてくる音に、俺は視線を正面に戻した。 鶴屋さん「やっほっ! キョンくん、待たせちゃったかなっ」 鶴屋さんは白い息を吐きながら俺に挨拶をした。なんども大きく肩を揺らしながら息をする。 公園の入口から、いや、ひょっとしたらその前から思いっきり駆けてきたのかもしれない。 俺は軽く微笑む。鶴屋さんの表情は安心したように笑顔に変わった。 キョン「全然待ってませんよ。俺の方こそ急に呼び出したりしてすいません。迷惑じゃなかったですか」 鶴屋さんは大げさな身振りでふるふると首を横に振る。そして高らかに、 鶴屋さん「んなわけないっしょっ!        キョンくんが誘ってくれるならあたしは春夏秋冬一年365日        うるう年込み込みでいつでも準備オーケーさっ!」 天を指さして円を描いた。 俺は鶴屋さんの頭の上に天輪が浮かんでいる様を想像する。女神、か。こないだのバカな考えが頭をよぎる。 この人は女神なんかじゃねぇよ。もっと上等な、もっとレベルの高い何かだ。 俺は自分で自分にそう語りかけた。 42 名前:20/2[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:07:48.64 ID:wsfxcr/i0 キョン「じゃぁ、とりあえず市街の方にでも行ってみましょうか。適当にぶらぶらしましょう。今日は歩きたい気分なんです」 鶴屋さんは「あたしもあたしもっ」と言う。 鶴屋さん「若者よっ、それはとってもいい心がけさっ。 風の向くまま気の向くまま、歩いたところがあたし達の道になるっさっ!」 おどけるように言う鶴屋さん。 天に輪を描いたその指で俺を「ビシっ!」という掛け声と共に指差す。 鶴屋さんは今朝は車で出かけていった。私的な荷物はすべて俺の部屋に置いてある。 ちゃんとした支度をしてこなかった鶴屋さんはすこし肌寒そうに見えた。 俺はさっき着替えてきたマフラーを外すと鶴屋さんの首にそっと巻いた。 鶴屋さん「キョ、キョンくんっ……?」 俺はにこりと微笑んで「寒いでしょう?」と目の前の可愛い先輩に笑いかける。 鶴屋さんの表情がぱぁっと明るくなる。両手で俺のマフラーを嬉しそうにぎゅっと抱きしめる。 44 名前:20/3[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:13:48.61 ID:wsfxcr/i0 鶴屋さん「ありがとっさ……ほんとは、ちょっち寒かったんだよねっ。でもキョンくんは平気なのかいっ? 寒かったりしないっかなっ?」 鶴屋さんが俺を気遣う。俺は大丈夫です、コートだけあれば。そう言って納得してもらおうとした。 鶴屋さん「それじゃダメさっ!」 鶴屋さんは俺がかけたマフラーをほどくと一方を自分の首に、もう一方を俺の首に巻きつけた。 同じマフラーを半分半分に共有する形になった。 鶴屋さん「これでいいっさっ。でもちょっち待っておくれよ、今ちゃんと結ぶっからさ」 鶴屋さんは結びにくそうにしながらもピョンピョンと飛び跳ねつつ俺の首にマフラーをしっかり巻こうとする。 微妙に長さが足りなくて自分のマフラーを少しほどいたり、 逆にほどき過ぎて自分の分が足りなくなったりしながら。 鶴屋さん「あっれぇ、おっかしいなぁ」 それでもめげずに鶴屋さんは何度も挑戦を続ける。 もともと二人用のものではないのだからうまくいかなくても仕方がない。 だがそれで済ませるにはあまりにも勿体がなかった。 俺は鶴屋さんと頭が並ぶ高さまで屈む。 鶴屋さんはドキリとした表情で俺を見つめる。 鶴屋さん「キョ、キョンっ……くん……」 キョン「じっとしててください」 俺は鶴屋さんの首に手をかける。鶴屋さんはまぶたをぎゅっと閉じた。 45 名前:20/4[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:17:21.62 ID:wsfxcr/i0 俺は鶴屋さんの首からマフラーをほどいて真ん中に身長差分の余裕を作り 片方ずつ俺と鶴屋さんの首に巻きつけた。よし、これでいい筈だ。 鶴屋さんは目を瞑ったまま何かを待つようにじっとしている。 キョン「鶴屋さん。終わりましたよ」 鶴屋さん「えっ?」 まだだよ、と言いたかったのか、鶴屋さんはもの欲しそうな視線を俺に投げかけた後、 俺や自分の首に巻かれたマフラーに気づいて一気に顔を赤らめた。 そして弁解するように両腕を顔の前で交差させる。 鶴屋さん「や、こ、これはその、ち、違うんだ、違うんだよキョンくんっ、        あ、あたしはただキョンくんがマフラーを結びやすいようにしてただけさ、        だ、だからキョンくんが思ってるようなことじゃなくって……ってキョンくん、何笑ってるにょろっ!」 俺は笑わずにはいられなかった。面白かったから、ではない。ふざけて笑ったのでもない。 鶴屋さんはふてくされたように唇をとんがらせる。不満を訴えかける目つきで。俺を睨むかのように。 キョン「鶴屋さん」 鶴屋さん「何さっ! あんまりあたしをからかうと、グーと怒髪で突いちゃうからねっ!」 鶴屋さんが俺の顔に突き出したグーに片手を添えて収めてもらう。鶴屋さんは不満げに視線を逸らす。 キョン「こっちを向いてください」 鶴屋さんはしぶしぶといった体で俺を見据えた。そこにはどこか不安の色が伺える。 居心地の悪そうに目線が泳ごうとする。それでもしっかりと俺を見据えて、俺の頼みを聞いてくれて。 すみません、鶴屋さん。でも次に言う言葉は、ちゃんと視線を合わせて言いたいんです。 46 名前:20/5[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:20:26.43 ID:wsfxcr/i0 キョン「鶴屋さん」 鶴屋さんの肩がかすかに震える。 キョン「めがっさ可愛かったですよ」 鶴屋さんは一瞬キョトンとして何を言われたのかわからないといった表情になる。 そしてみるみる顔中を紅潮させていった。やられた、といった表情に変わって直後恥ずかしそうにうつむいた。 俺は笑ってしまう。 最初は不満げにうつむいていた鶴屋さんも、俺につられてか次第にクスクスと笑い始める。 最後には二人で思いっきり大爆笑した。 鶴屋さん「あはははははははっ! キョンくんのばかっ! キョンくんのあほー! あっはははははっ!」 キョン「すみません、すみません鶴屋さん、すみませんっ」 腹を抱えて数分間たっぷりと笑った。その間に鶴屋さんはたっぷり俺をなじった。 俺はそれにすいませんすいませんと笑いながら平謝りする。 体勢が崩れる度に近づいたり離れたりを繰り返しながら、首に巻かれたマフラーがピンと張って二人の距離を一定に保つ。 離れすぎないように、近づきすぎてぶつからないように気をつけながら、俺と鶴屋さんは互いの顔を見合わせた。 鶴屋さんに笑顔が戻っていた。 47 名前:20/6[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:24:14.88 ID:wsfxcr/i0 俺たちは並んで歩き始めた。まだ互いにクスクス笑いを残したままで。 鶴屋さんが俺の腕に抱きついてくる。小さな子供がするように、全身全霊で甘えてくる。 俺は肘から先をそっと鶴屋さんの背中に回した。 それに気づいた鶴屋さんがならばと俺の懐に入り込んで胴体に抱きついてきた。 あっという間の早業で、何かの古武術の応用なのかもしれない。 先人が培ってきた技術のあんまりにもあんまりな使い方だ。 俺は笑いながら参ってしまう。 並木通りを誰かとすれ違う度に、あらあらクスクスと微笑ましげな声が後ろから聞こえる。 どうやら兄妹か何かだと思われているらしい。むしろ年齢的には逆なんだけどな。 鶴屋さんもそれが聞こえてか聞こえいでか、ニヤニヤと嬉しそうだ。 ところで鶴屋さん、その体勢歩きにくくないんですか? 鶴屋さん「んーにゃっ、んなことないっさ。だってあたしは歩いてないっからねっ」 よく見えると鶴屋さんの脚は宙をぷらぷらと漂っていた。両腕は俺を脇からしっかりと挟み込み微動だにしない。 どうりで重いと思ったが、それほど片側に重量は感じなかったぞ。なぜだ。 鶴屋さんが軽いからか。いやでも小さな子供だって30キロぐらいはあるぞ。 俺が不思議そうにしていると鶴屋さんは「重心の使い方さっ!」と朗らかに笑った。 なるほど、貴重な技術の大変な無駄遣いですね。わかります。 鶴屋さんは「よっ」と俺の体を離し地面に着地すると、たたっと駆けて俺のすぐ正面に向き合った。 48 名前:20/7end[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:26:43.22 ID:wsfxcr/i0 鶴屋さん「じゃぁ、さっ、ほら。二人で一緒に歩くんならやっぱりこれが一番っしょ」 そう言って右手を俺に差し出してくる。 思い出づくり。 一瞬そんな言葉が俺の頭をよぎる。 俺は鶴屋さんが差し出してきた手を取って微笑み返す。 鶴屋さんは嬉しそうにニカッと八重歯を見せながら片方の頬を釣り上げて笑った。 そして握った手を一瞬ぎゅっと強く握った。 どうだい、大したもんだろう、とめいっぱい胸を張って何かを誇るかのように。 あなたのすべてが俺にはまぶしい。 あなたのすべてが俺には偉大に見える。 だから信じています、鶴屋さん。 あなたの偉大さを、あなたの強さを。 俺は鶴屋さんの手を強く握り返す。 俺なんかのせいでダメになったりしない、そんなあなたを信じて。 50 名前:21/1[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:29:53.71 ID:wsfxcr/i0 俺と鶴屋さんは丸鶴デパートの前までやってきていた。 鶴屋さんにとっては自分の家で経営しているのだから勝手知ったるものだが、 俺にとっては馴染みの薄い場所だ。 子供の頃数回訪れた記憶があるがそれきりで、我が家の資産状況では仕方のないことだ。 そういえば俺が知らないだけで母親や妹なんかは何度も訪れているみたいなことを言っていたような気はする。 もしそうなら我が家族ながら薄情なものである。 俺は鶴屋さんにグイグイと引っ張られてデパートの中へ脚を踏み入れる。 透明のガラス戸を手で押して潜った。 デパートはいくつかの棟に別れているらしくチラッと地図を見ただけでも西館と東館があった。 中の自動ドアを通ったところで鶴屋さんがくるっと俺に向き直った。 鶴屋さん「いらっしゃいませっ、丸鶴デパートへようこそっ!」 しっかりとした口ぶりで深々とお辞儀をする。俺はなんだか照れくさかった。 鶴屋さんは顔だけを上げるとにぱっと歯を見せながら笑った。 再び鶴屋さんが俺の手を取りグイグイと引っ張っていく。どうやら地下の食品コーナーへと向かっているようだ。 店内では暖房が効いているのでマフラーは外すことにした。鶴屋さんは若干残念そうな顔をしていた。 また外に出るときは同じようにしましょうと言うと笑って納得してくれた。 この人は本当に物分りがいいというか頭がいいというか、ちゃんと話せばわかってくれる。 どっかの誰かとはえらい違いだ。 地下の食品、おみやげコーナーは俺の母親と同じ位の年代の主婦や 二十代くらいの女性から老婆まで基本的に女性客で賑わっていた。 その中を俺は鶴屋さんに手を引かれるままに進んでいく。 幸い公園のようにジロジロ見られることはなかった。こんだけ人がいりゃ当たり前か。 51 名前:21/2[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:32:35.28 ID:wsfxcr/i0 とある土産物用の菓子売り場の前で鶴屋さんが脚を止めた。 そしてそこに陳列されている鶴のような形に装飾された板状の菓子を指差す。 鶴屋さん「これが鶴屋デパート名物、銘菓つるサブレにょろっ! この過剰なまでの装飾が        食べようとするものを圧倒してドン引きさせるほどの凄まじいオーラを生み出しているところが        最大のウリなのさっ!」 そういって店員に名前を名乗ってつるサブレーを一つ取り出してもらうと俺に差し出してきた。 う、近くで見るとまさに生きているかのようなすさまじいリアリティである。 そのまま飛んでいっても不思議と感じさせないくらいのオーラ、なのか 執念なのかよくわからない職人魂を感じさせる。 ちとこれはやりすぎだろう。その割にはよく売れているそうだ。 このオーラに圧倒されない大市民的存在が買っていくのだろうか。 と思ったらお年寄りから小さなお子様まで大人気らしい。理由は美味いから。 なるほど、わかりやすい。 鶴屋さんは再び俺の手を取るとずんずんと客の間を分け入っていく。 それでいて誰にもぶつかることなく最適なコースを選択している。 まさにデパート地下食品売り場の女王である。 かくいう俺は無能な小間使いなのであった。 52 名前:21/3[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:34:52.92 ID:wsfxcr/i0 できない子ほど可愛いのかはさておいて、俺は和菓子中心にいくつかの店を案内された。 銘菓、つる羊羹。ようかんでお食べ、とパッケージに描かれた鶴が吹き出しで喋っていた。 「よく噛まないとおっきくなれないにょろよっ!」とは鶴屋さん。 羊羹だと横におっきくなりそうなんですけど。 鶴屋さんは「横?」と言うと二、三回自分の胸の前に手をかざして上げたり下げたりしていた。 俺が隣で苦笑いをしていることに気づくと胸元をさっと隠した。 そして俺に向き直るとおずおずと訪ねてくる。 鶴屋さん「と、ところでキョンくんっ。お、おっきい方とちっさな方だと、ど、どっちが好きなのかなっ?」 俺は何のためらいもなく「おっきい方ですね」と即答する。 鶴屋さんはショックを受けたように肩を落としてシュンとした。 しおらしげに、残念そうに胸元にかざした手を上下させた。 かすかなため息さえ聞こえてくる。唇の先が少しだけとんがっていた。 俺はわざといたずらっぽく笑ってみせながら言う。 キョン「え、だって年上か年下かってことですよね?」 鶴屋さんは「えっ?」と驚いた顔で俺に振り返る。 俺は自分のわざとニヤついた顔に悪意をたっぷりとふりかけて鶴屋さんを迎え撃つ。 鶴屋さんの訝るような視線が合点がいった瞬間に消え失せて怒るような目つきに変わる。 鶴屋さん「と、年上をからかうんじゃないっさっ!」 鶴屋さんは俺を非難する。年上、という言葉を少しだけ強調して。頬を朱に染めながら。 53 名前:21/4[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:37:51.88 ID:wsfxcr/i0 俺にとってのおっきい方とは鶴屋さんのことである。 鶴屋さんは怒ったような素振りを崩さず、それでいてとても嬉しそうに俺の手を引っ張って歩き出す。 そのままいくつかの店を回っておすすめのお菓子を試食したあと他の売り場へと向かうことになった。 ブランドものの服売り場なんかはあまり回らずほとんど素通りしてしまった。 鶴屋さんがサーオ・カジヤという海外ブランドをオススメしてくれたのだが快く辞退しておいた。 ああいうものに手を出すには圧倒的に資金が足りない。 鍵ケース一つで一万ってなんだよ、おれの極貧生活を舐めんじゃねーっ。 鶴屋さんは俺を残念そうな眼差しで見守っている。なんていうか、すいません。 鶴屋さん「いいっさいいっさ、気を取り直して行くにょろよっ」 鶴屋さんにそれとなく慰められながら俺たちはゲームコーナーに脚を踏み入れていた。 デパートのゲームコーナーと言えば普通景品を掴み上げたりルーレットで当てたりする類のものや 太鼓を叩いたりする遊技的なものが大半と相場が決まっている。 ところがそこには、当然遊技場系のゲームはあるのだが、 対戦格闘ゲームからパンチングマシーンからガンシューティングからリズムゲームから とにかく対戦をテーマにしたものがズラリと並んでいて異様な熱気を放っている。 鶴屋さんの瞳がキラリと閃いた気がした。多分おれの錯覚である。 きっと。おそらく。いやそう思いたい。 鶴屋さん「キョンっくんっ! 血が、魂が、ハートが震えるほどにビートアウェイしないかいっ!?        あたしのバトルソウルは今、唸り上げるほどにデッドヒートっさね!」 俺はあぅあぅと宙を噛むのが精一杯で、 ムチャクチャだがなんだが熱そうな単語を次々と発しながら進んでいく鶴屋さんの後をただついて歩く。 その後はもうひどいものだった。 54 名前:21/5[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:41:06.68 ID:wsfxcr/i0 対戦格闘ゲームで俺をボコボコにする鶴屋さん。向かいでユーウィン、こちらでユールーズ。 パンチングスコアーで余裕でトップをたたき出す鶴屋さん。 二位以下のスコアは恐らく飛び蹴りで出したスコアである。背後で歓声が轟いた。 俺の順番。 南無阿弥陀仏。 鶴屋さんとリズムダンスゲーム。残念、鶴屋さんの足さばきがまったく見えなかった。 あれは間違いなく裏格闘世界の人間の動きである。 鶴屋さんとエアホッケー。円盤を受けたらマレットとかいう手に持つ道具が割れた。 そのままそそくさと退散する俺たち。 鶴屋さんとガンシューティング。はい、クリアー。俺は何もしていない。 俺と鶴屋さんは近くのベンチで休憩しながら適当にジュースを飲みつつ談笑する。 鶴屋さん「キョンくん今日は調子わるいねっ、        いつものキョンくんならあんなの全部簡単にできちゃいそうなのにさっ。        やっぱ初めてだとむつかしいにょろね」 キョン「ちなみに鶴屋さんはこういうのには慣れてるんですか?」 鶴屋さんは「んーっ」としばらく考えた後、「あんましっ」と答えた。 鶴屋さん「少年っ、日ごろの鍛錬を怠るでないぞっ、にゃっはははははっ!」 サバサバとした動作でバシバシと俺の肩を叩く。どうやらこの人は本当に生まれついてスペックが高いらしい。 それでいて嫌味を感じさせないのがこの人の本当にすごいところである。 一生頭が上がりそうにない、と思うのはもう何度目のことだろうか。 55 名前:21/6[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:45:40.27 ID:wsfxcr/i0 鶴屋さんが立ち上がり俺の手を引く。ゲームはもうおしまいのようだ。 手を引かれるままに階段を登ると屋上に出た。いつの間にか日は落ちていてあたりは暗闇に包まれている。 鶴屋さんは俺の手を離して誰もいない屋上を時折くるりと回転しながら駆けていく。 俺はそんな鶴屋さんを歩いて追いかける。屋上は結構な広さでうちの学校の体育館くらいはあるかもしれない。 小さなイベント会場や遊戯施設、今は閉まっているが売店なんかもある。 ところどころ灯る電光だけが辺りを照らしていた。 気がつくと鶴屋さんはフェンスの手前で立ち止まって俺を手招きしていた。 鶴屋さん「キョンくんっ、はやくはやくっ!」 ピョンピョンと子供のように飛び跳ねる鶴屋さん。 俺はその言葉に従って早足で駆けていった。 鶴屋さん「この場所はうちの店の特等席なのっさっ。なっかなかイカしてると思わないっかな?」 そこから見える景色は爽感だった。 埠頭までどの建物にも邪魔されずに見渡せるその場所からは市井のすべてが見渡せるようだった。 夜の闇に電光の灯り。絶え間なく動き続ける光、人、その生活。 古泉が手配したタクシーに揺られながら見た街と同じ場所とは思えない。 神の目線に立つならば、どんなに汚れた都市だって夜にはこうやって煌めいて見えるのかもしれない。 頂から眺める世界は美しく見える。そう、頂から見える世界は美しいのだ。 それがどこのどんな世界だったとしても。 そこは高い目線を持つ人間にとっての専用の空間であるようにも思えた。 こういった光景に素直に感動する心を俺はもう失くしていた。 隣で嬉しそうに街を眺めて時折景色を指差す鶴屋さんがまぶしく映ったのは 決して背後の電光の灯りが強すぎる為だけではないだろう。 56 名前:21/7[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:48:54.66 ID:wsfxcr/i0 突然鶴屋さんの歓声が止まった。 キョン「どうかしたんですか、鶴屋さん」 俺が訝ると鶴屋さんは難しい顔をしていた。言いにくそうな、聞かれたくないような表情。 恐らく聞かない方がいいのだろうが、上手く察してあげられるほど俺の直感は鋭くないのだった。 まさになまくらである。 鶴屋さん「え、えっとねっ……キョンくん……その……」 鶴屋さんからはいつものハキハキとした物言いが消え失せていた。 なんですか、鶴屋さん。なんでも言ってください。さぁどうぞ。 鶴屋さんは顔を赤くしながら俺を見上げて言う。 鶴屋さん「ちょ、ちょっちここを離れるっさっ!        ソッコーで帰ってくるから、キョンくんはここに居ておくれよっ、絶対だかんね、        約束破ったら怒髪で突くだけじゃ済まないにょろよっ!」 非常に強く念を押されてしまった。いつの間にか約束していることになっている。 よほど急を要する事なのだろう。俺は快く快諾した。 キョン「わかりました。急にようするんですね」 些細な言い間違いであった。を、を、に、に間違えただけである。 にもかかわらずあえなく俺の顔面は鶴屋さんの怒髪もといグーかっこ鉄拳かっことじるを強かに打ち込まれ 鼻っ柱を痛めたのだった。 それでも随分と手加減されていることはさっき鶴屋さんがたたき出したパンチングスコアを思い出すまでもない。 鶴屋さんは俺を殴った拳かっこ怒髪かっことじるを握り締め怒りで小刻みに震えている。 57 名前:21/8[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:51:33.57 ID:wsfxcr/i0 鶴屋さん「行ってくるにょろっ!」 そう叫んで風のように走り去って行った。そして屋上の片隅、女性用WCと書かれた入り口を潜って行ったのだった。 デリカシー。それが今の俺に一番足りず一番必要な感性である。あと運もな。 俺は一人ふぅと息を吐く。白い息がふわりと舞った。 それはわずかに漂うこともなく風で千切れて消えていく。何を後に残すでもいともあっけなく。 こうあっさり行けばいいのにな。人間の感情は冬場のため息ほどドライではないのだ。 俺はフェンスにもたれかかった空を見上げる。真っ暗な空。一雪振りそうな、そんな予感がする。     「キョンくん」 誰からともなく呼ばれた気がした。辺りに目を配り声の主を探す。だが見つけるまでもない。 その声は普段から非常に聞き慣れていて、しかしそれよりも大人びており俺を何度も助けてくれた人の声だったからだ。 次の瞬間風が凪ぎ時間が止まったかのような感覚がした。 影の中からヒールにロングスカートの朝比奈さん大が現れる。 夏に出会った時は薄着であったのだがさすがに冬場にシャツで現れないだろう。 しっかりと防寒着を羽織っていらっしゃる。それが残念かというと、非常に残念なのだった。 キョン「久しぶりですね。って、久しぶりってことでいいんでしょうか」 待望の対面であるにも関わらず俺の心は落ち着いていた。 58 名前:21/9[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:53:49.23 ID:wsfxcr/i0 みくる大「驚かないのね……」 キョン「えぇ、まぁ。なんか会うんじゃないかと思ってたっていうより、      多分誰と会っても驚きませんよ。今の俺は」 俺は朝比奈さん大に微笑んでみせる。本当にそれほどの余裕があった。 ただそれは表面的なもので、心の底からリラックスしているとは言い難かった。 朝比奈さん大は悲しそうな瞳で俺を見る。 その視線は俺にとって冬場の肌寒さよりも居心地の悪いものだった。 謝りたいような、許しを乞いたいような気持ちになる。 感情の関が壊れる寸前の、どこかヒビ割れた感覚がした。 みくる大「時間がないから手短に話すわね……」 俺は静かに、だが唸るようなか細い声で朝比奈さんの言葉を遮った。 キョン「俺はね、今思い出作りをしてるんですよ。      鶴屋さんと。最後の思い出作りをね。鶴屋さんが俺のとこに来た理由がなんなのか、      なんで鶴屋さんが俺のことを好きになってくれているのか、そんなことさえ知らないままで」 朝比奈さんは何かを言おうとした。だが俺はそれすらも遮って自分の感情だけを一方的に吐き出した。 59 名前:21/10[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:56:55.26 ID:wsfxcr/i0 キョン「だっておかしいでしょう! 朝起きたら突然鶴屋さんが隣で寝ていて、妹とも実の姉妹同然なんですよ、 それで妹は鶴屋さんのことをお姉ちゃんだったらなんて言うし、      しかも鶴屋さんもまんざらでもなさそうなことを言って、なのになんでなんですか、      わけのわからない夢を見て、わけのわからない流星群がやってきて、      わけのわからないパラレルワールドが俺たちの世界にぶつかりそうになってて、      わけのわからないまま俺は鶴屋さんを突き放して、裏切って、悲しみの鍋底に突き落とさなくちゃいけないんですよ。      俺が、俺自身が鶴屋さんをどう思っていようと、鶴屋さんが俺をどう思っていようと、      そんなことは、そんなことは今の俺には関係ないんですよっ!?」 みくる大「キョンくん……」 キョン「なのに……なのになんでなんですか……      どうしてこんなに胸が苦しいんですか……教えてください朝比奈さん……教えてください……      俺に……教えてくださいよ……」 俺は涙を流しながらその場にへたり込む。 地面に何度も握った拳を打ち付けた。 しかし俺のなけなしの根性はその痛みにも耐えられずそれ以上うんともすんとも動かすことができなくなってしまった。 情けねぇ。あまりにも情けない無様な姿だ。こんな姿、朝比奈さんにだけは絶対に見せたくなどなかった。 感情を抑えることができないまま、俺はただむせび泣き続けた。 食いしばる歯から頭の中にギリギリと嫌な音が響いた。 みくる大「キョンくん……そのまま何も言わなくていいから私の話を聞いてほしいの……」 俺は無言で肩を落としつつ頷いた。 62 名前:21/11[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:59:49.97 ID:wsfxcr/i0 キョン「朝比奈さんは……この後どうなったか知っているんですよね……      今のこの世界をあなたがいる未来に繋げる為に、そのために俺を導きに来たんですよね……」 朝比奈さんは黙って頷く。 キョン「だったら……!」 そこまで口をついて出たところで俺は言葉を止めた。 禁則事項。 その単語が脳裏をよぎった。 俺はそのまま押し黙った。さんざん自分の感情をぶちまけて置いて、今は逆に何も言いたくなかった。 俺が以降聞き役に徹したことを確認したのだろう。朝比奈さんは俺に伝える為の言葉を用意してきたとい言う。 ただそれは指示でも、導きでもなく、ただの個人的な頼みごとだという。 なんでしょう、朝比奈さん。あなたの願いで俺にできることなら、なんだってしますよ。 そう言うと朝比奈さんは微笑んだ。そして続けた。 みくる大「この世界だけじゃなく、鶴屋さんのことも守ってあげて。キョンくん。       鶴屋さんは今までのあなたにとって雲の上にいる掴みどころのない人だったかもしれない。       でも彼女は、彼女だって誰かを好きになって誰かに好きになって欲しい当たり前の、普通の女の子なの。       例えどんなに人より高いところにいるように見えたとしても、それだけは変わらないのよ。       だからキョンくん、鶴屋さんの心も……気持ちも……守ってあげて……それがあなたにとって       どんなに不可解で理解のできないものであったとしても。あなたの知らない彼女だったとしても」 63 名前:21/12[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:02:47.82 ID:wsfxcr/i0 俺は胸が張り裂けそうだった。朝比奈さん、何を言っているんですか? 俺は今から、鶴屋さんを、突き放さなきゃいけないんですよ。 そんな俺に、そんな事を言って、一体、一体なにをして欲しいんですか? わけが、わけがわかりません朝比奈さん。俺にはまったく分かりません。 みくる大「私が伝えたかったことはそれだけ……ごめんねキョンくん……追い詰めるようなことを言ってしまって」 朝比奈さんは辛そうな表情をした後俺に背を向けて歩き出す。 待ってください、待ってくださいよ。それだけですか、本当にそれだけなんですか。 俺はさっきまで非情に徹していたんですよ。そんな俺の精神を揺さぶり崩しておいて、 どうして、どうして何も言わずに帰ってしまうんですか。朝比奈さん、朝比奈さんっ。 朝比奈さんは歩みを進め、再び元居た影の中に入ると存在自体がぼんやりと希薄になり いつの間にか消えてしまっていた。 凪いでいた風が戻ってきた。時間が動き始めたような感覚。 俺は吹き抜ける風の中で跪き、両目から伝い落ちた涙の線に冷たさを感じながらそれをぬぐった。 もうすぐ鶴屋さんが戻ってくる。それまでに、俺はさっきの状態に戻っていなければならない。 天を仰ぎ深呼吸する。冷たい空気が喉を引き裂すように流れ込み咳き込んでしまった。 俺は、俺は何をやっているんだ。俺は何をやってきたんだ。 こういう時、いつもの俺って奴は一体どんな風に乗り切るってんだ。俺は一体本当にどうしちまったんだよ。 俺は立ち上がろうとするもよろめいてフェンスに掴みかかった。フェンスが軋む音がする。 キイキイと擦れてやかましい。煩わしい感情がこみ上げる。 このままこの場から消えてしまいたい衝動に駆られた。 このまま何もかもを捨ておいて、逃げ出したい感情に支配されそうになる。 そういった押し寄せるあらゆる情動を振り払うように俺はもう一度大きく息を吸い込んだ。 64 名前:21/13[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:05:40.72 ID:wsfxcr/i0 気持ちを落ち着かせる。ワンシープス、ツーシープス、スリーシープス、etc。 寝息に似た音を数えて無理やり自分をだまくらかす。 静まっていく思考。同時に凍り付いていく感情。 指先にかかるフェンスの冷たい感覚が痛みへと変わった。 鶴屋さん「おーい、キョンくんキョンくんっ! 待たせちゃってごめんにょろっ、        やー、実は急にお腹が痛くなっちゃってね、そのまま動けなくなってたのさっ。        でももう治ったから心配いらないよん」 鶴屋さんは俺が反応しないことを不思議に思ったのだろう。心配そうに背後から訪ねる。 鶴屋さん「あれ、キョンくん、どうかしたのかいっ?」 鶴屋さんが俺に近づく。俺はフェンスから指を離して鶴屋さんの方へ振り返る。 俺の指は冷たさも痛みも通りこして、もう何も感じなくなっていた。 キョン「実は俺もこの寒空で腹が痛くなって唸ってたところだったんですよ。      でも大丈夫です。       もう治りました」 65 名前:21/14[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:08:00.68 ID:wsfxcr/i0 鶴屋さん「あははっ、そうなんだ、奇遇だねっ。二人してお腹痛くなっちゃうなんてさっ」 鶴屋さんはケラケラと俺に笑いかける。鶴屋さんの立っている場所からは 俺の顔色をうかがいにくいことが幸いして目元が赤く腫れていることには気付かれなかったようだ。 どうして貴女を好きになってしまったんだろう。 俺の糸を鶴屋さんが引いていて、鶴屋さんの糸を俺が引いていて。 そんな関係を夢想する。 鶴屋さん「ねぇねぇキョンくん、もう遅いからさっ、今日はこの辺にしとこうよっ」 俺も同感です。雪も振るかもしれませんし、これ以上寒くなる前に帰りましょう。 俺がそう言うと鶴屋さんも大きく頷いた。そして「だったらさっ」と続ける。 鶴屋さん「最後にあのゲームコーナーでプリクラでも撮ってかないっかい?        せっかく来たんだからさ、何か思い出になるようなもん持って帰ろうよっ」 思い出づくり。そうだ、その為にここまで来たんだった。俺は最初の目的を思い出した。 キョン「いいですね、撮りましょう。それも一回と言わず、二回でも三回でも四回でも五回でも」 鶴屋さん「それはさすがに撮りすぎにょろよっ、でも三回くらいは撮りたいっかなっ。        だって折角キョンくんと遊びに来たんだし、それに妹ちゃんにも自慢したいっからねっ!」 66 名前:21/15end[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:10:42.59 ID:wsfxcr/i0 微笑みと共にくるくると回る鶴屋さん。再び俺の手を取って、勢いよく駆けていく。 俺をぐいぐいと引っ張って、俺のことなどおかまいなしに、風の向くまま気の向くまま、ただ勢い込んで走るままに。 嬉しそうな表情で、弾けるような笑顔で。楽しそうに、跳ねるように、踊るように。 何も感じなくなっていた俺の手に鶴屋さんのぬくもりだけがかすかに灯って。 そして、俺の胸の内側も少しだけ暖かくなったのだった。 67 名前:22/1[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:15:17.69 ID:wsfxcr/i0 俺たちは自宅へと続く坂道を二人並んで登っていた。 鶴屋さんは丸鶴デパートのゲームコーナーで撮影したプリクラを嬉しそうに眺めている。 俺の顔には散々な落書きがされていて、妹が見たら爆笑必至だろうという悲惨さだった。 吹き出しに俺が気が狂ったとしても絶対言わないであろうセリフや 挙句ネコミミだのヒゲだのを手描きで描き込まれるわ頬に桃色の斜線を描き込まれるわ…… 後で鶴屋さんにSOS団の部室にだけは持っていかないよう念を押しておかないとな。 (後なんてあるのか?) 頭の中でもう一人の俺が否定する。わかってるよ。そんなことくらい。ただ、不意にそう考えちまっただけだ。 丸鶴デパートからこっち、一人延々とこんな自問自答を繰り返しているんだからな。 鶴屋さん「ほら、キョンくんキョンくんっ、これなんか傑作だよっ、        天使のキョンくんがスモチを崇めたてまつってるところさっ!」 プリクラの中の俺はひきつった頬と死んだ魚のような目つきで天に謎の立方体を捧げつつ吹き出しで 「スモチ万歳!」と叫んでいた。 これは確か鶴屋さんと一緒に「「スモークチーズ」っ!」と叫びながら撮影した奴だ。 ポーズ指定がやけに細かかったのはこの為か。 俺は思わず吹き出してしまった。鶴屋さんがしてやったりという顔で俺を眺めている。 鶴屋さん「それじゃぁもいっかいやるにょろよっ、キョンくん! 準備はオッケーかなっ!?」 68 名前:22/2[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:18:46.24 ID:wsfxcr/i0 俺はいつでも微妙に準備不足です。 鶴屋さんが俺の前に立ち二人して天を指差し輪を描きながら徐々に姿勢を横に傾け つま先立ちになりながら斜め十字に交差する。そして天高らかに、ついでに近所迷惑に、 キョン、鶴屋さん「「スモークチーズ」っ!」 と叫んだ。 鶴屋さんが「パシャリっ!」と口でシャッター音を鳴らす。 鶴屋さん「ふっふっふ、今のはなかなか上出来だったにょろよキョンくんっ。        もはやあたし達の前に立ちはだかる敵はいないっさね。        あたし達が力と技と勇気を合わせれば二人の願いは百万パワーで天を貫き道を創るのっさ!」 鶴屋さんは天を指さしたままその場でぐるぐると高速で回転し始めた。靴底をアスファルトに盛大に擦り付けながら。 どっちかというと脚で地面を掘り抜けそうな勢いだった。 俺はつっこむことも忘れて笑ってしまう。 鶴屋さんはそのスレンダーな胸をいっぱいに突き出して得意そうにしている。 目尻に溜まった涙をぬぐう。俺と鶴屋さんが笑う度に白い息がふわりと漂っては消えていった。 些かの余韻を残すこともなく。風の向くまま気の向くままに。 このまま数分この坂を登ればもうそこは俺の家だ。今は俺たちの、か。 俺はすぐ隣で楽しそうに大股に歩いている鶴屋さんを見る。 古泉が俺に用意してくれた時間も終わっちまう。 まぁあいつには全然そんな気なんかなくてマジでうっかりすっかり渡しちまったんだとしたら、残念ご愁傷様。 俺は余計にお前に感謝するぞ。 お前の財布の中が機関とやらの報酬で諭吉さんがおしくらまんじゅうしてるってんなら話は別だけどな。 俺は立ち止まる。 69 名前:22/3[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:21:28.71 ID:wsfxcr/i0 マフラーがピンと張って鶴屋さんが「わたたっ」と体勢を崩した。 俺は手を添えて鶴屋さんを支える。 鶴屋さん「きょ、キョン……くん……?」 傍から見れば俺が鶴屋さんを抱き寄せているように見えるだろう。 もう一方の手を鶴屋さんの背中に回す。鶴屋さんも甘えるように俺の背に手を回す。 そして俺をぎゅっと抱きしめた。 俺と鶴屋さんはその場から一歩も動かずにしばらくの間そうしていた。 鶴屋さんは時折俺を見上げると「えへへっ」と照れと嬉しさが混じった笑顔を見せた。 鶴屋さん「キョンくん」 鶴屋さんが言う。 鶴屋さん「なにか……伝えたいことがあるって言ってたっしょ?        そ、それって……なんだったのかな……」 鶴屋さんは怖がるような期待するような眼差しで俺を見る。 鶴屋さん「そ、それってこないだ布団の中で話したことのお返事……なのかな……?」 布団の中、背を向ける俺に鶴屋さんが寄り添って語りかけてきたこと。 (鶴屋さん「このまま……あたしと……さ……」) あのまま俺は鶴屋さんと。 俺の意識に泡のように浮かび上がってくる夢想。 それは理性のザラつきにさらされてパチンと弾けて消えた。 70 名前:22/4[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:23:45.63 ID:wsfxcr/i0 鶴屋さんは言いにくそうにする。 鶴屋さん「な、情けない話なんだけど、さ……。       ほとんど、っていうか完璧キョンくんを連れ回すかっこになっちゃったのはさっ、       立ち止まっちゃうとキョンくんがその話をするんじゃないかって気が気じゃなかったのさっ……。       だからごめんにょろよっ、キョンくん……。ずっと言いたかったかもしれないのに……さ……」 鶴屋さんは少しうつむく。 鶴屋さん「あっはははっ、あたしダメだねっ、自分から言い出しておいてさっ。       ほんとに、ほんとに迷惑ばっかかけちゃってごめんよっ」 俺は軽く笑みを浮かべながら少しだけ責めるような口調で言う。 キョン「地下の食品売り場で試食しまくったのも?」 鶴屋さん「そ、そうにょろ……」 鶴屋さんは面目ないといった表情で頭の裏を少し掻いた。俺は続ける。 キョン「ゲームセンターで俺をコテンパンにしたのも?」 鶴屋さん「うっ!?」 キョン「屋上で一人っきりにしたのも?」 鶴屋さん「うぅっ!? そ、そうにょろ……」 71 名前:22/5[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:25:55.20 ID:wsfxcr/i0 キョン「いつまで経っても戻ってこなかったことも? あれはひょっとして仮病ですか」 鶴屋さん「ぎくぎくぎくぅっ!? きょ、キョンくん……実は超能力者だったりしないっかいっ……?」 鶴屋さんは衝撃を紛らわそうとするかのように俺に訝る視線を向ける。 キョン「いいえ。でも実は異世界人かもしれません」 鶴屋さんは一瞬キョトンとした後、 鶴屋さん「あっはははっ、そうかもにょろねっ、でもキョンくんはキョンくんだよっ。        キョンくんがあたしを知ってて、あたしがキョンくんを知ってて、        それで二人で一緒に居られるならそれは本物のキョンくんだよっ」 両手を叩いて俺に笑いかけた。 鶴屋さん「ごめんよっ、キョンくんっ。ちゃんと聞くっからさ、       だからその……若干ちょっとだけ期待してるっさ……」 そう言って鶴屋さんはうつむいたまま瞳を閉じた。 本当はめがっさ期待しているくせに。その言葉を飲み込んで俺は鶴屋さんの首に手を添える。 鶴屋さんの体がビクリと大きく震えた。そのまま怯えるような、期待しているようなかすかな震えに変わる。 俺は自分の首からマフラーを取り外すと鶴屋さんにすべて巻きつけた。 鶴屋さんが驚いた表情で俺を見る。その瞳は疑念で曇っているように見えた。 俺は少しだけ後退する。 鶴屋さんは思わずなのか手を差し出して俺のコートを指先でつかむ。 72 名前:22/6[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:28:26.34 ID:wsfxcr/i0 俺がもう一歩後退すると鶴屋さんの指先は宙を掴むだけになった。 視線を落とすと鶴屋さんの脚がガクガクと震えているのがわかる。 踏み出したいのに踏み出せない、そんな躊躇いと恐怖心を感じているのだろう。 わかりますよ、鶴屋さん。わかります。全部わかっています。 キョン「このまま……」 俺はつぶやくように言う。 (このまま貴女だけを奪い去りたい) そんな三文小説のような言葉が思い浮かぶ。 だが次に俺の口から出る言葉はそんな上等なもんじゃない。もっとひどい最低な何かだ。 キョン「鶴屋さん……このまま……貴女と一緒にいることはできません……」 何を言われたかわからないというより、信じたくないと言った表情で 鶴屋さんの顔色がみるみるうちに動揺と悲しみに染まっていく。 鶴屋さん「キョ……く……」 上手く言葉をつなげられないのだろう。それとも恐怖で喉が凍りついてしまったのか。 鶴屋さんは何も言葉をつなぐことができずに宙を噛むばかりだった。 やっとのことで絶え絶えに言葉を紡ぎ出す。 鶴屋さん「や……やだよ……キョンくん……や……やだよ……やだよ……」 ただボソボソとつぶやいて俺の言葉を打ち消そうとする。 目尻には今にも溢れ出さんばかりに涙が溜められている。 かすかな一押しでも、放っておいても決壊するのは明白だった。 俺は鶴屋さんの最後の堤防を崩しにかかる。 74 名前:22/7[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:30:48.92 ID:wsfxcr/i0 キョン「あなたとは一緒に暮らせません。もう一緒にはいられません。      俺にとってあなたはただの先輩で、俺はあなたのただの後輩です。      他の何でも、特別な何かでもありません」 そんなことないと言いたかったのだろう。鶴屋さんの唇だけがそう言っていた。 喉はまともに息をすることができず、ひゅうひゅうと風を切っている。 ぎゅっと握りしめた両手がわなないた。 俺は用意しておいた言葉を続ける。 キョン「だっておかしいでしょう?」 なにが? 俺が? 鶴屋さんが? この状況の何もかもが? キョン「俺と鶴屋さんが一緒に暮らしているなんて」 おかしい? なんでだ? なんでおかしいんだ? キョン「そもそも自分の家があるのにどうして俺の家に住んでるんだ? おかしいだろ」 夢の中のあののっぺりとした表情の俺と今の俺が重なる。 敬語を挟む余地さえない、ただ聞いたまま見たままを再生するように。そう俺は言い放った。 (いい加減にしろよ) 頭の片隅で声が聞こえた気がした。構わず俺は続ける。 キョン「寒いでしょう? そのマフラーは差し上げます。その後は好きにしていただいて構いません。      返しに来る必要もありません。荷物は後で郵送しますよ。安心してください」 75 名前:22/8[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:33:17.46 ID:wsfxcr/i0 鶴屋さんは肩を震わせて大粒の涙を流している。 鶴屋さんが悲しんでいる。俺のせいで。俺のために。 俺がどうしようもないばっかりに。 鶴屋さん「キョンくん……キョンくんっ……キョン……くん……」 鶴屋さんは何度も俺の名を呼ぶ。俺はそれに返す言葉を持たなかった。 暗闇の中で誰か探すように、鶴屋さんはただ俺のことを呼んでいた。 俺なんかのことを求めていた。今一番、俺を必要としてくれていた。 俺はそれに応えられない。思えば今まで鶴屋さんのどんな想いに応えてきただろう。 なにも。何一つ。俺は応えてなんかいなかった。 鶴屋さんの俺を呼ぶ声がかすれて小さくなっていきただの嗚咽に変わる。 俺は歩き始め鶴屋さんの隣を通り過ぎる。鶴屋さんが振り返って俺の肩をつかもうとしたのも構わずに。 俺は鶴屋さんを無視するように歩き続けた。 背後で鶴屋さんが俺を呼ぶ声がする。悲しそうな声がする。 鶴屋さんは物分りのいい人だ。 何も言わずにそれとなく悟ってくれて、必要以上に立ち入らずに一歩引いていてくれる人だ。 その姿勢に何度助けられたことだろう。そんな鶴屋さんが背後で必死に叫んでいる。 いや、叫ぼうとしている。声にならない声を搾り出そうとして、かすれるような音を漏らすばかりで。 聞こえてくるのは俺の名前。聞こえてこないのも俺の名前。 鶴屋さんは俺の名前しか呼ばない。わたしは、なんてかけらも混じらない。 ただただ俺の名前を呼んでいる。 俺は何一つ応えられないというのに。 76 名前:22/9end[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:35:31.48 ID:wsfxcr/i0 鶴屋さん「……キョンくんっ!」 はっきりと声がした。俺は脚を止める。 ただそれ以上どんな言葉を繋ぐでもなく沈黙だけが訪れた。 何を言うこともできない鶴屋さんは最後に何かをつぶやいた後、坂道を下り始める。 振り返って見たその背中は、夢で見たちゅるやさんのように深い悲しみを背負っていた。 俺は坂道を登り始める。一歩踏みしめる度に吐き気がした。 目が眩むような感覚と虚脱感。胸の奥が信じられないほど鋭く痛んだ。 折を見て気を見て妹には言おう。家族には言おう。鶴屋さんはもう帰ってこないのだと。 そして俺が世界を救おうとしていることは誰にも言わないままで。 どうだい、見事なもんだろう? 俺は世界を救おうと戦ってるんだぜ? マジでイカした話だろ? そんなもん、映画の中だけでしか見たことないんじゃないか? ところがどっこい、マジなんだぜ。 マジで鶴屋さんは俺のそばから居なくなっちまったんだぜ。 ははっマジかよ。 笑えねぇよな。 ほんとのほんとに、笑えねぇよな。 77 名前:23/1[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:38:40.12 ID:wsfxcr/i0 坂を上り始めてから数分で自宅の前に着いちまった。 中で妹が、俺と、鶴屋さんの帰りを待っている。 さて、どうしたものか。俺は力なく門口に腰掛けた。 空を見上げる。相変わらずの曇天模様。ただ、雪は振らなかったな。俺の予感もつくづくアテにならない。 なぁ、長門、古泉。これでよかったんだよな。俺は、これでよかったんだよな。 思えばここ数日鶴屋さんとずっと一緒に居たせいか一人の時間って奴がなかった。 自分の考えをまとめる暇も余裕もなく、ただただ状況、もとい鶴屋さんに振り回されるばっかりで。 ゆっくり自分の気持ちを考えることもなく。 縁石に手を置いても俺の手はもう何も感じない。 俺の手に灯ったかすかなぬくもりはもう消え失せていた。 恐らく永遠に。この先もずっと。 居るハズのない人を居るハズの場所に還しただけ。 そう、鶴屋さんが居るべきなのは俺の隣なんかではなく、もっと、違うどこかや、違う誰かの隣なのだろう。 俺はパンピー。鶴屋さん超人。 俺の財政、マジでピンチ。鶴屋さん、生まれながらの名家のお嬢様。 俺の容姿、冴えない目つき。鶴屋さん、眉目秀麗スレンダー。ついでに時々ロングなポニーテール。可愛さ63%増し。 鶴屋さんの感情、繊細で知的。俺の感情、どうしようもない。 鶴屋さんの性格、豪放磊落、自由奔放、天真爛漫、それでいてお優しい。俺の性格、うざってぇ。 笑っちまうよな。笑っちまうほど差があるよな。 なのになんでなんですか、鶴屋さん。どうして、俺なんですか。 どうして、俺なんかのことをあんなに求めてたんですか。俺の何がそんなに良かったんですか。 同じ匂い。 そんな言葉が脳裏をよぎる。 78 名前:23/2[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:41:17.08 ID:wsfxcr/i0 感情と肉体が引き裂かれるような感覚に襲われる。 俺は声もなくむせび泣いた。 鶴屋さんと過ごした時間が次々と意識の底から浮かび上がってくる。 走馬灯じゃあるまいし。ははっ、でも案外近いかもな。俺のメンタルはマジで発狂寸前だ。 いっそこのまま狂っちまいたかった。中途半端に正気なこんな状態じゃ、痛くて痛くてたまんねぇよ。 世界と一緒に消えちまうなら、いっそその方が清々しかった。 夢の中で悲しそうに坂を下っていったちゅるやさんの後ろ姿を思い出す。 それが鶴屋さんと重なって言いようのないザワつきが胸を走っていく。 あの夢の中の俺も最低だと思ったが今の俺はそれ以上に最低だ。 あれはこれから起こることを現してたんじゃないだろうな。 薄緑色のぼんやりとしたモノトーンの中に溶け込むように消えていくちゅるやさんを思い出す。 背筋に寒い悪寒が走った。 畜生、畜生。 突然携帯が鳴り始める。 俺はポケットから携帯を取り出すと発信者を確認しようとした。 感覚のない手では手元な簡単な操作でもままならない。 やっとのことで俺は携帯を開いた。 79 名前:23/3[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:43:38.99 ID:wsfxcr/i0 なんだよハルヒ。こんな時に。お前は本当に空気の読めない奴だな。 俺はコールを切る。五秒も経たない内に再び鳴る。 俺はコールを切る。五秒も経たない内に再び鳴る。 俺はコールを切る。五秒も経たない内に再び鳴る。 俺はコールを……あぁ、もう仕方がねぇな。 キョン「なんだよハルヒ、なん──」 ハルヒ「────ばかああああああああああああああああ!!!!」 俺の鼓膜をつんざくハルヒの声。 一瞬難聴になった俺は聴力を取り戻すまでのハルヒの言葉を聞き取れなかった。 たしかボケだのナスだのアホだのトーヘンボクだの言われた気がしたのだがいかんせんよく聞こえなかった。 ハルヒ「──のバカキョン! っんなぁ〜にやってんのよっ!!      ぜんぶ古泉くんに白状させたわ! 有希も一緒だったって言うじゃないの!      あたしを差し置いてなぁにとんっでもないこと勝手に決めてんのよあんた達はぁ!!!」 おい、古泉、マジかよ、話しちまったのかよ。ってかいいのかよおい。 そこでガタガタという音と共に電話の向こうの相手が突然変わった。 ハルヒの「ちょっと、有希、離しなさい、離しなさいったら!」という声が遠くから聞こえた。 古泉「すいません、突然電話をしてしまって。驚かれたでしょう」 変わって出たのは古泉だった。おい古泉、どういうことだよ。 80 名前:23/4[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:46:18.58 ID:wsfxcr/i0 古泉「涼宮さんがあなたに電話をかけると聞かなくてですね。     それも大変長い間待ってもらったんですよ。     そろそろ大丈夫な頃合いだろうと思って電話をかけた次第です」 古泉、お前の勘は当たってるよ。今さっき世界を救ってきたところだ。 お前も喜べよ。乾杯でもしようぜ。ところでハルヒにはパラレルうんぬんってのは話しちまったのか? いいのかよそれ。そういうのは秘密じゃなかったのかよ。 古泉は一瞬黙りこむといつものように言葉を続けた。 古泉「パラレルワールドに関しては離していません。     ただ、あなたが我々や他の人達の為に鶴屋さんを突き放そうとしている、とだけ伝えました」 おいおい、それじゃ俺は完全に頭の痛い変な奴だぞ。 古泉は「えぇ、そうですね」と苦笑した。だが頭の痛い変な奴、ってとこだけは同感だ。 今の俺にぴったりの言葉だ。 電話の向こうが再びバタバタした。古泉が一瞬呻いたような気がした。 どさりと倒れこむような音。 朝比奈さんの「古泉くん〜」という心配そうな声とパタパタと駆け寄る音がして俺は事態を理解した。 古泉、成仏してくれよ。 ハルヒ「で!!!!??」 で、じゃねぇよ。 ハルヒ「それはこっちのセリフよ! あんたバッカじゃないの!?      鶴屋さんを突き放すぅ!? ばっっっっかじゃないの!!      アホ! ボケ! カス! 死んで鶴屋さんにわびなさいよっ!」 81 名前:23/5[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:48:40.20 ID:wsfxcr/i0 それを言いにかけてきたのか? ならもう切るぞ。 俺もそうそう正気を保っていられないしな。特にお前の前ではな。 ハルヒ「だからあんたはアホだって言ってるのよ! バカキョン! アホキョン!」 俺はいい加減むかっ腹が立っていた。 それは九割方が自分自身に対するものなのだが、それをすべてハルヒへとぶちまける。 キョン「キョンキョンうっせぇんだよ! 俺には俺の名前があんだよ、      てめぇは入学以来俺の名前になんか興味も関心もないかもしれないけどな、      わけのわかんねぇあだ名で犬みたいに呼びつけられるのはもううんざりなんだよ!      一回くらい名前で呼んでみやがれってんだ!!! 名字でもいいぞ、それ言ってみろ!」 ハルヒ「あんたなんかキョンで十分なのよ! キョン! バカキョン! ろくでなしキョン!」 うぐぐ、ムチャクチャな奴め。一体いつになったら俺はまともに人に名前で呼んでもらえるんだ。 案外永遠に来なかったりしてな。 朝比奈さんの「こんな時に喧嘩はやめてください〜」という声と ハルヒの「みくるちゃんは黙ってなさいっ!」そして朝比奈さんの「はい〜……」へと続く。 朝比奈さんのしゅんとした表情が思い浮かぶ。 82 名前:23/6[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:51:16.05 ID:wsfxcr/i0 ハルヒ「自分を好きになってくれた人を誰かの為だやらなきゃいけないんだとか言って      ホイホイ裏切って英雄気取りで悦に浸るようなどうしようもないバカはSOS団には必要ありません。      さっさと消えてください。どうぞ消滅してください」 何気にとんでもない一言である。 いつぞやハルヒに存在ごとなかったことにされるかも、と思ったが、 まさか世界を救おうとしたせいで消滅させられることになるとはな。 ただ今の俺にとってお似合いの最後かもしれん。今の俺にハッピーエンドは似合わない。 そういやお前の力、弱まってるんだったよな。俺一人消し飛ばすぐらいの力もないのか? だからわざわざ電話をかけてきたってのか? なぁハルヒ。言えよ。 ハルヒ「あきれたわ。あんたって本当におめでたいバカね」 へいへい、そーですよ。おっしゃる通りですよこん畜生。 ハルヒ「今すぐ……」 キョン「なんだ? よく聞こえないぞ。もっとはっきりと喋──」 ハルヒ「今すぐ鶴屋さんのところへ直帰しなさい!      そして焼き土下座でも焼き土下寝でも炙りブレイクダンスでもしながら全身全霊全力で謝罪しなさいっ!      これは団長命令です、違反したキョンにはその場で切腹してもらいます! わかったっ!!?」 ハルヒが相変わらずのムチャクチャを言う。俺は開いた口が塞がらなかった。 83 名前:23/7[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:54:07.24 ID:wsfxcr/i0 ハルヒ「それに、ほら、あれよ、鶴屋さんがあんたのとこにいられないなら、あんたが鶴屋さんのとこに居なさい!      鶴屋さんの家って大きくて広いんだから、あんた一人置物にしておくぐらいわけないでしょ。      涙流して感謝しながら一生つまらない骨董品として養ってもらいなさい、以上!」 以上、じゃねぇよ! 俺人間ですらねぇのかよどんな観賞物だよ!ってか俺を見て何が面白いんだよ! ハルヒ「おもしろいわけないでしょっ! むしろげんなりするわよ!」 ハルヒは言い放つ。 ハルヒ「あんたがするべきことはたった一つよ。      鶴屋さんを迎えに行って、鶴屋さんを受け入れて、鶴屋さんに抱きしめてもらって、泣いて謝るの。      ごめんなさい、もうしません。素直になれないボクを許してください。だから捨てないで。お願いします、ってね!!」 おーい、なんか一杯あるんだけど、山ほど条件追加されてるんだけどっ!? ハルヒ「キョン……」 ハルヒの声のトーンが変わる。俺は一瞬ドキりとした。 短い沈黙が訪れる。ただそれは本当に短い間で、あっという間に過ぎ去っていった。 ハルヒ「……男は度胸! さっさと鶴屋さんをゲットしてきなさい!!!」 俺は拳を握りしめて両腕をわななかせた。 ギシギシと軋む携帯をへし折らないようにするのが精一杯だった。 ただそれは怒りでも憤りでもなく、ましてや憎しみなんかでは絶対になかった。 85 名前:23/8[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:57:04.75 ID:wsfxcr/i0 俺はな、ハルヒ。嬉しいんだ。 神のお墨付きを得たようなもんだからな。本当に心強いんだ。 さっきまでの嫌な気持ちが全部すっ飛んで、自分のやるべきことがはっきりと見えてきた。 自分のしたいことが、ようやくやっとわかってきた。 ハルヒ「いい、キョン。人生は一回しかないの。一回こっきりしか鶴屋さんとめぐり会えないの。      あんたは鶴屋さんがどこかへ行っちゃっていいの?      他の誰かと楽しく笑い合ってる姿を見て耐えられる?      無理でしょ? あんたのヤワな脳みそじゃ、そんなストレス耐えられないでしょう」 あぁ、その通りだよ。本当にその通りだよ。 ハルヒ「だからあんたは何がなんでも勝ちあがって、そして、あんたの人生で起こるはずがなかった      ありえないほどの幸せへの片道切符を手にするのよ。それは全部あんたのものなのよ、キョン」 俺はおもむろに立ち上がる。足取りは異様に軽く、電車の在来線どころか、 新幹線だって追い抜けるような、そんな高揚感を足元から立ち上らせながら。 ハルヒ「さぁ、キョン。用意はいーい? あんたのそのバカみたいな走り好きの性格はこのためにあるのよ。      鶴屋さんを迎えに行く為。その為にあたしはあんたの汗臭さを耐えてきたのよ。      その努力を無駄にするなんて絶対に許さないわ」 いつでも、いつだって俺は微妙に準備不足だった。そんな俺の背中を押してくれる誰かを求めていた。 この世に宇宙人や未来人や超能力者や神が実在することを知らなかった自分。 そんな世界は願い下げだと思っていた自分。 平凡が一番だといつの間にか諦めてしまっていた自分。そんな俺を、全部お前が壊してくれたんだよな。 感謝してるぜ、ハルヒ。今ならお前が本当の本当に神だって言われても信じてやれそうだ。 86 名前:23/9end[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 02:59:42.81 ID:wsfxcr/i0 ハルヒ「墜落する準備はオーケー?」 どこかで聞いたようなセリフをハルヒは言う。 キョン「あぁ、いつでも。いつでも俺は微妙に準備不足だ」 ハルヒ「よし、なら、行ってこい──!」 そのセリフと共に、俺は、風のように、風の向くまま気の向くままに、 俺が傷つけて俺を必要としてくれている先輩の為に、その先輩の下に、駆け降りていった。 電話の向こうから、宇宙人未来人創造神、ついでに死にかけの超能力者の声援に背中を押されながら。 鶴屋さんのもとへ。 87 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 03:05:10.44 ID:wsfxcr/i0 本日はここまでになります。 前回のログが欲しいという方がおられたので再びURLを載せておきます。 ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org658558.mht.html 合言葉は2683 つーるーやーさん なぜハルヒがキョンラブじゃないのか、という点は 次回の投稿のキモになっているのでその辺も楽しみにしていただきたい所存です。 それでは中途半端なところになりますが話は折り返し地点を過ぎていますので、 興味がありましたら最後までお付き合いください。 ありがとうございました。 ではまた次回に。 おやすみなさい。 4 名前:24/1 合言葉は 2683 つーるーやーさん[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 23:40:39.55 ID:wsfxcr/i0 見る見る内に景色が流れていく。 といってもそれは下り坂だからであって、決して俺が俊脚であるというわけではなかった。 前回発揮したような超常的な力は現れず、俺はどたどたと情けない足取りで坂を下っていた。 畜生、脚が痛てぇ。いつぞやたたらを踏んだときの比ではない、全身全霊全体重が俺の脚にかかる。 このままポッキリと折れてしまうんじゃないだろうか。 それは困るな。せめて鶴屋さんに追いついてからにしてくれよ。俺の両足。 息急き切りながら駆け下っていくと小さな人影が見えた。 見覚えのあるマフラーに、腰よりも遥か先に伸びたキレイな髪と後ろ姿。 俺が知っている人。俺が知っている先輩。 俺の可愛い先輩、鶴屋さんがそこにいた。 力なく肩を落として、道端にじっと座り込んでうつむいて。 普段の鶴屋さんからは絶対に想像のできない姿だった。 ぬけがらのように何もない地面を見つめる姿からはいつもの覇気が感じられない。 こんな繊細な人を、俺はどうしてあんな風に傷つけちまったのか。悔やんでも悔み切れない。 ただ今は、鶴屋さんの元へ一刻も早く駆けつけたかった。その後どうするかは、その後考えればいいのだ。 俺は急ブレーキをかけて鶴屋さんの背中に手を伸ばした。 キョン「鶴屋さ──」 次の瞬間、俺の身体は宙を舞い一回転した後背中を地面に強かに打ち付けたのだった。おぅふっ。 肺から空気が一斉に飛び出し痙攣し縮みきった横隔膜では一切の外気を取り込むことができなかった。 俺は仰向けで逆転した天地の今は上方にある恐らく大地かっこ鶴屋さんの方かっことじるを見上げた。 鶴屋さん「──っの! なにすんっ、ってキョ、キョンくんっ!?」 5 名前:24/2[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 23:43:45.09 ID:wsfxcr/i0 驚いているような表情の鶴屋さん。いや、実際に驚いているんだろう。 なんで俺がいるのか、なんで自分に投げ飛ばされているのか、状況が飲み込めないといった表情だ。 俺はなんとか体勢をうつ伏せに変え両腕をついて上半身を起こす。 鶴屋さん「だ、だいじょぶかいっ! キョンくん! キョンくんっ!」 鶴屋さんが俺に駆け寄り気遣うように俺の両腕に手を添える。 苦しそうな俺の顔を覗き込んで心配そうにする。 鶴屋さん「な、なんでキョンくんがここにいるのさっ!?        そ、それになんで、どうして、わ、わけがわからないよっ、どういうことなのさっ!」 さっきとはまるで逆だ。俺がまともに喋れなくて、鶴屋さんが一方的に喋っていて。 ついでに俺が鶴屋さんの名前を呼んでいるところも。 俺はいまだに何も喋れないでいる。 さすがに坂の上から投げ飛ばされて背中を思いっきり打ち付けたのだ。 五分や十分休んだ程度では回復しない。 畜生、すぐにでも伝えなきゃならないことがあるってのに。 俺がどうすることもできないでいるとポケットの奥から話し声が聞こえてきた。 ハルヒ「──ちょっと、キョン、聞いてるの!?      なによ今のガチャガチャって音、鶴屋さんのとこには着いたの!?      ねぇってば! キョン! キョン!!」 どうやら俺は電話を切り忘れてきちまったらしい。 会話の後ポケットにつっこんだまま放置していた。 俺はなんとかポケットに手を突っ込むとハンズフリーのボタンを押した。 ハルヒ「ちょっと! キョン! キョン! もう鶴屋さんには追いついたんでしょうね! キョン!」 7 名前:24/3[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 23:46:00.31 ID:wsfxcr/i0 鶴屋さん「ハルにゃんっ!? ハルにゃんなのかいっ?」 ハルヒ「その声は鶴屋さん!      よかった、バカキョンが追いついたのね。ところでキョンはどうしてる?      さっきからうーともあーとも言わないけど」 鶴屋さん「そ、それがっ……さっ……」 鶴屋さんは申し訳なさそうに言う。 鶴屋さん「あたしがぽいっと投げ飛ばしちゃったさ……それも坂の上から」 ハルヒ「あちゃー」 ハルヒの呆れたような声が響く。 鶴屋さん「突然後ろから掴まれたから敵対する亀屋一族の刺客かと思ったっさっ」 だんだん鶴屋さんの家は極道か何かなんじゃないかと思えてきた。それでも違和感がないから困る。 ハルヒ「え、キョンがそんなことをしたの? それは自業自得ね。むしろ追い打ちをかけておくといいわ」 無茶言うな、死んじまう。 鶴屋さん「いやぁそれはさすがにひどいっしょ。元気になってからにしとくよっ。死なない程度にさっ♪」 うおーい、そんな満面の笑顔で言わないでくだっさい! ただそうされても仕方がないことは否定のしようがない。 むしろその程度で済むならよかったと思うべきだろう。 8 名前:24/4[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 23:48:32.02 ID:wsfxcr/i0 ハルヒ「と、言うわけで!」 ハルヒがまとめに入る。どういうわけだ。 ハルヒ「そこのバカはいろんな誰かの為だとか      鶴屋さん自身の為でもあるとか      いい加減で自分勝手な思い込みで貴女を思いっきり苦しめました。      さて、どうしますか? どのように血祭りに上げますかっ!」 ハルヒが恐ろしいことを言い始める。 鶴屋さん「そうさねぇ。        まずはあばらをへし折って身動きを取れなくした後で        じっくりと肉体の機能を奪っていくっさっ。        そして完全に無抵抗になったところを絞め技でじわじわと体力を奪っていってそれから……」 鶴屋さんは俺を値踏みするように見た後さらりと言う。 ハルヒも電話の向こうで若干引いていた。 「さ、さすが鶴屋さん。恐ろしい子」などと言って。むしろお前が恐ろしいわ。 俺はハルヒとの通話を切るとそのまま一緒に電源も切った。 先程までの賑やかな空気は一瞬にして消え失せ夜の静けさだけが残った。 鶴屋さんは不安そうに俺を見る。 ハルヒの賑やかさにつられて明るく振る舞ってはいたが、やはりさっきの今なのだ。 どうしようもなく距離感がある。目の前にいる鶴屋さんがいつもより小さく遠くに見えた。 それは肩を落として申し訳なさそうにしていることに加えて、俺のことを信頼しきれないでいるからなのだろう。 当然だ。ハルヒの手ではなく、俺は俺の手でこの人の信頼を取り戻さなければならない。 それが俺の今すぐとりかかるべき最大の重要課題なのである。 10 名前:24/5[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 23:51:17.33 ID:wsfxcr/i0 とはいえ俺の呼吸はいまだ絶え絶えでまともに喋るどころか立ち上がることさえ困難だ。 (さて、ここからどう出るんだ、俺? どう立ち回るんだ?) そんなもん、決まってんだろ。 俺は鶴屋さんを強引に抱き寄せ、そのまま胸の前で抱きしめた。 鶴屋さんはそれでも不安そうに、怯えるように俺を見上げる。 目線を合わせるのが怖い。そう訴えるように。 鶴屋さんは俺の顔から視線を落とし俺の胸元に置いた。 気まずい沈黙が流れる。 俺はなんとか腹に力を込めつつかすれるような声を絞り出した。 キョン「つ……やさ……」 鶴屋さんの肩がビクリと震える。恐れるように、怯えるように組んだ両手をわななかせながら。 キョン「つるや……さ……鶴屋さん……鶴屋さんっ!」 ようやく言葉にして紡ぐことができた。俺は鶴屋さんの名前を何度も呼ぶ。 そのたびに鶴屋さんは肩をいからせてうつむいていく。目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。 キョン「鶴屋さん……俺はずっと、あなたのことを雲の上の人だと思ってきました。      俺には手の届かない、掴みどころのない人だって」 鶴屋さんは驚いたように俺の顔を見る。疑うような、それでいて期待するような視線。 その瞳を見据えて俺は言うべき言葉をつなげて行く。 12 名前:24/6[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 23:55:58.59 ID:wsfxcr/i0 キョン「俺は、あなたの、鶴屋さんと俺の違いばっかりに気が行っていて、      それで鶴屋さんが俺に何を期待してくれているのか考えたこともありませんでした。      鶴屋さんは名家のお嬢様で頼りになる先輩で、      俺はというとただの一般人で頼りにならない情けない後輩です」 鶴屋さんは辛そうな表情で俺を見る。そんなことないと言いたいのだろうか。 何度か言葉を発しようとした後、苦い表情で押し黙る。 それでも視線は俺から逸らさず、今にも泣き出しそうになりながら。 キョン「そしてごめんなさい、鶴屋さん」 鶴屋さんの視線が小刻みに泳ぐ。 動揺、恐れ、不安、期待、すべてがないまぜになった感情が瞳の奥に陰っていた。 鶴屋さんは寒さで赤らんだ頬を上気させながら俺の言葉をただじっと待っている。 キョン「あなたが俺を必要としてくれている以上に、      俺にはあなたが必要みたいです。鶴屋さん……」 俺は言うべきことを言う。伝えるべきことを伝える。 ただ目の前の先輩に安心してもらって、俺のことをもう一度信頼してもらう為に。 14 名前:24/7[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 23:58:52.64 ID:wsfxcr/i0 キョン「鶴屋さんが俺のとこに居られなくなったら、俺が鶴屋さんのところへ行きます。      それはもう迷惑がられるでしょうが、そんなこともうどうでもいいです。      財産目当てかと言われたらそいつはぶん殴っておきます。      それで鶴屋さんが鶴屋さんの家に居られなくなったとしたら、      そのときはごめんなさい」 鶴屋さんが大粒の涙をこぼし始める。 苦しそうに歯を食いしばりながら、 それでいて瞳にはいつの間にかいつもの光が宿っていた。 暗い陰りはもうかけらも見られなかった。 鶴屋さん「バッカじゃないっかいっ」 鶴屋さんは言い放つ。そして目尻の涙を袖で拭うとまっすぐに俺を見据える。 後から溢れてくる涙で再び泣き出しそうになりながら。 鶴屋さん「ばかばかばかばかばかっ! キョンくんの、キョンくんのっ……!」 鶴屋さんが俺の胸を叩く度に大粒の涙がこぼれ落ちる。 鶴屋さんは俺を何度も何度も叩く。 その度に名前を呼びながら、俺の嫌いなあだ名を叫びながら。 言葉はやがて嗚咽に変わり鶴屋さんは俺の胸に額を目一杯力強く擦りつけてきた。 コートの襟を掴んだ手は少しずつ下がっていき、 俺の二の腕をなぞって背中にたどり着きそこで落ち着いた。 俺は鶴屋さんの脇の下から背中に手を回すと鶴屋さんが痛がらない程度にきつく、 ぎゅっと抱きしめた。 15 名前:24/8                  >>13自分でも呆然としました。[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:03:42.78 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さんの喉からわずかに息が漏れる。俺の腕の中で鶴屋さんは小さく息をしている。 まぶたはきつく閉じられていたが目尻にもう涙は浮かんではいなかった。 安心したような大きなため息。それは荒い呼吸へと変わっていった。 俺の息も荒くなる。背中はまだズキズキと痛んだが、構うことはない。 そんなもん放っときゃ治る。 鶴屋さんが顔を上げて俺の目を見る。 そして期待するような瞳ではなく、命令するような強い視線を俺に投げかける。 責めるような、きつく問い詰めるような視線。悪事を働いた子供を叱るような目つきだ。 俺は気圧されてたじたじになる。参ったなこりゃ。 キョン「あの……俺のしたことを許してもらえますか……?」 鶴屋さんはニカリと満面の笑みを浮かべる。 ただそれはどこか邪悪を孕んでいて、良からぬ企みを予感させ、何より八重歯が威圧的だった。 俺は嫌な予感がした。俺の危険探知スキルはレッドアラートを鳴らしている。 ただもう俺は立ち戻れないところまで着ていて、 恐らくそこはとんでもない猛獣の縄張りで、 いつの間にやら俺は囚われの哀れな餌なのであった。 一体いつからだろう。 鶴屋さんが俺の隣に現れたあの日あの朝。 あの時から俺は、囚われの獣なのだった。 上等な狩人の前では、狼だって家畜同然だ。抗うことはできない。 そしてもう抗う気もない。俺が主導権を握れる最後のチャンスは、 今日を最後に永遠に失われたのだから。 16 名前:24/9[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:06:56.72 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さん「んっ」 鶴屋さんが目を閉じて唇を差し出してくる。さっさとしろとでも言わんばかりに。 些かの逡巡も俺には許されていなかった。 俺は鶴屋さんの肩を抱いて、自分の唇を鶴屋さんの唇に重ね合わせた。 鶴屋さんの肩が一際大きくこわばる。 その後は安心したように力が抜け、俺に身を任せるように体重を委ねてきた。 どれくらいそうしていただろうか。どちらからともなく唇を離す。 鶴屋さんの俺を見つめる瞳はトロンと惚けたように虚ろで、それでいて恍惚に満ちていた。 口はわずかに開き、確かめるように舌で二三回唇を舐めた。 胡乱な瞳で俺の口元を眺めている。 鶴屋さんはそれでもまだ不満そうだ。というより物足りないといった表情だった。 俺の耳元に唇を寄せると囁くように語りかけてきた。 鶴屋さん「キスだけじゃ足りないっさ……        なんで人は男の子と女の子に別れてるか……キョンくんは知ってっかいっ?」 俺の額を一筋汗が伝う。極めつけに冷たい、氷のような汗だった。 鶴屋さんは今から悪事を働こうと嬉々としている犯罪者のように俺を見据える。 いや、獲物をどう料理しようか思案している腹ペコの狩人のような目だった。 あの日あの朝あの時から俺は囚われの獣で、 間抜けにも自ら皿の上に飛び乗った家畜同然の狼なのだった。 19 名前:24/10end[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:09:35.53 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さんがもう一度俺にキスをする。今度は自分から、激しく強く求めるように。 冷たい汗はいつの間にか引いていて、俺の頬も上気していた。 いつの間にか胸の奥に暖かい日差しが指しているような、そんな清々しさとぬくもりを感じる。 手は空気の冷たさを甲に感じると同時に鶴屋さんの体温を手のひらで感じていた。 小さな火がかすかに灯るような、そんな暖かい感覚がした。 それは俺の両腕を通り、脳へと伝わり、様々な電気的スパークを織りなして、 深い慈しみへと変わったのだった。 鶴屋さん「それじゃぁキョンくんっ。準備はオッケーっかなっ?」 鶴屋さんが俺に訪ねる。俺はいつでも微妙に準備不足です、鶴屋さん。 俺がそう言うと鶴屋さんはニカッと笑って、 鶴屋さん「めがっさ承知しないにょろっ!」 嬉しそうに俺を抱きしめたのだった。 21 名前:25/1dream[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:13:10.82 ID:zg1LfBPO0 また変な夢を見た。 再び見たのはちゅるやさんではなく、なんていうか、ものすごーく不可解で説明しにくいんだが…… 朝倉涼子だった。 それもちゅるやさん並に小さい小動物みたいな朝倉だった。わけがわからん。 このもう一つの世界って奴は一体どうなってやがるんだ? 朝倉……ちゅるやさん風に言うとあしゃくらか? で、そのあしゃくらは夜の俺の家の前に張り込むと封印された手紙を手に静かに佇んでいた。 俺の家の中からはちゅるやさんの話し声が聞こえる。 ちゅるやさんはスモチがいかに素晴らしいかについて語っているようだ。夢の中の俺の素っ気ない返事も聞こえる。 よかった、あいつらも仲直りしたんだな。いや、でもあいつらはもともと一緒に暮らしてるんだよな? 鶴屋さんが俺のとこに来たからあいつらは離れ離れになって、 それで俺が鶴屋さんと一緒にいることを選択したから、 そうか、俺が鶴屋さんと一緒に居るってことはそれはそのままこいつらが離れ離れになるってことなんだよな。 迂闊だった。だがどういうことだ。こいつらは今普通に生活しているぞ。 俺は嫌な予感がした。 まさかこっちの鶴屋さんに何かあったのか? まずい、さっさと起きなければ。しかしどうやって起きればいいんだ。 頬でもつねってみるか。ところで俺の頬ってどこだ。身体も動かねぇ、ってか身体がねぇ。 意識だけがここにある感じだ。畜生、動けよ。 22 名前:25/2dreamend[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:16:04.88 ID:zg1LfBPO0 俺がどうにもできないでいると不意にあしゃくらの手が天にかざされた。 そのままくるくるとかき混ぜるように動かし始める。 俺の感覚のない背筋が凍りつきそうになる。 俺は似たような光景を見たことがあった。 忘れもしないあの時、長門がそうやって世界を変えたように、今まさにあしゃくらが世界を変えている。 あしゃくらがゆらゆらと天をかき混ぜた後、一際大きく風が吹いた。 俺の意識はその風に吹き飛ばされ高く高く舞い上がっていく。 町内、市内、県内、列島、大陸、惑星、銀河、宇宙、虚無。 どんどんと遠ざかり、やがて小さな点からなにもない広大で真っ白な世界へと変わった。 目がくらむような光。それは俺の部屋のベランダから差し込む朝の日差しのようだった。 24 名前:26/1[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:19:30.78 ID:zg1LfBPO0 目覚ましがなる前に俺は目を覚ました。 頭の奥、芯が抜けたような感覚がして首を捻った瞬間頭痛がした。 頭の前の方がズキズキと痛む。 ガンガンするというよりは前頭葉が麻痺しちまったかのような、エラーを起こしているかのような不快感がする。 ぼんやりとままならない思考で辺りを見回す。 なんかまた妙な夢を見たような気がするんだが、内容ははっきりと思い出せなかった。 なんだかえらいとんでもないような夢だった気がする。だが思い出せないのでは仕方がない。 鶴屋さんの寝息がして俺は壁側を見る。鶴屋さんは心地よさそうに眠っていた。 俺は心の底から安堵のため息をつく。なんだか鶴屋さんが居なくなっちまってるような気がしていたからだ。 どうやらそんなことは俺の杞憂に過ぎなかったらしい。やれやれ、俺もヤキが回り通しだな。 俺は鶴屋さんの頬を指の背でかるく撫でる。鶴屋さんは猫のような甘えるような声を出した。 まだ夢の中でうにゃうにゃと戯れているようだ。無理に起こすのも悪いので俺は目覚ましのタイマーを止めた。 軽く伸びをする。 寒かったので脱ぎ捨ててあった手近なシャツを適当に羽織った。 ベランダから外を覗くと一面に銀世界が広がっていた。俺はカーテンを閉じて外の光を遮った。 この分だと早めに登校した方がいいだろうな。 休校になる可能性もあるが一応準備だけはしておいた方がいいだろう。 俺は布団にくるまっていまだ夢の世界でまどろんでいる先輩の額にかかる髪の毛を指で繰り分けながら声をかける。 25 名前:26/2[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:22:51.36 ID:zg1LfBPO0 キョン「鶴屋さん、朝ですよ。起きてください」 俺の声に反応してうっすらとまぶたを開くと再びむにゃむにゃと舟を漕ぎ始めた。 俺は鶴屋さんの布団を無理やりはぎ取ろうとしてやめた。 鶴屋さんの肩に毛布をかけてくるんでそのまま抱き起こす。鶴屋さんの首がくたっと俺にもたれかかる。 そのまま髪の毛を踏まないように気をつけながらベッドに座らせた。 舟はようやく港に着いたのだろう、 鶴屋さんは俺を認めると「おっすっ」と軽やかに朝の挨拶を交わした。俺もめっすっと返す。 鶴屋さん「んにゃは……もう朝にょろっ? なんだか眠り足りないっさ……」 まぁ眠るのが遅かったですからね。 鶴屋さんは「それもそうだねっ」と笑うと大きく伸びをした。 俺は鶴屋さんに肌着を渡す。鶴屋さんは毛布の中に潜り込むともぞもぞと中で着替えた。 鶴屋さんが毛布の中からピョコンと首を出す。そして言いにくそうに床を指差しながら、 鶴屋さん「それも取ってほしいっさ……」 と恥ずかしそうに笑った。俺はそれを拾い上げると鶴屋さんに手渡した。 鶴屋さん「ありがとっ、キョンくんっ」 そう言うと鶴屋さんはもう一度毛布の中に潜りこんでもぞもぞと動いた。 27 名前:26/3[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:26:45.97 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さんが毛布から手を出すたびに新しい着替えを手渡した。俺もそろそろ着替えないとな。 髪を手ぐしで整えながら俺は制服に着替えた。 タイを結ぼうとしたところで着替え終わった鶴屋さんが毛布の中から現れた。 そのまま俺の前に立つとタイに手を掛け結び始める。あのー、鶴屋さん? 鶴屋さん「ちょっち任せてほしいっさっ。        ただ初めてだから上手く結べないかもしれないけどねっ、そのときは許して欲しいにょろっ」 そう言う鶴屋さんはわりと慣れた手つきで俺のタイを結んでいく。 なんか俺より上手いぞ。本当に初めてなのか? 鶴屋さんはそんな俺の心を読んだのか「いっぱい練習したからねっ」とニカッと歯を見せながら笑った。 俺は身悶えしそうになりながらもなんとか平静を保つ。さすがに今そういう気分になるのはまずいだろう。 俺のひきつった顔を見て鶴屋さんはにゃははっと笑った。 妹ちゃん「キョンくん、鶴屋さん、おっはよ〜!」 バタンと扉が勢いよく開いて妹が朝の挨拶をする。 俺と鶴屋さんは二人同時に妹へ振り向く。 鶴屋さんの手はちょうど俺の後ろ襟を直していて顔と顔が非常に近い位置にあった。 妹の顔がみるみる赤くなっていくのがわかる。おい、ちょっと待て、お前が思っているようなことではなくてだな。 妹ちゃん「ご、ごゆっくりー!」 妹は大慌てで扉を勢いよく閉めた。ドタドタと廊下を駆けていく音がする。 おいおい階段で転ぶなよ。鶴屋さんはケラケラと嬉しそうに笑っている。俺もなんだか笑ってしまった。 28 名前:26/4[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:29:53.88 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さん「キョンくん、ちょっち手伝ってほしいっさっ」 鶴屋さんは俺に背中を見せると頼みごとをする。 なんですか、鶴屋さん。あなたのお望みでしたらなんなりと。 鶴屋さん「これこれっ」 鶴屋さんは自分の長い髪を指差す。 鶴屋さん「今日は結ってみようと思ってさっ、        あたしがゴムを押さえとくからキョンくんはあたしの髪を通してくれないっかな?」 鶴屋さんは自分で一回髪の毛を髪ゴムに通すと後を俺に任せた。 俺は二度三度と鶴屋さんの髪を髪ゴムに通した。 いかんせん不器用なせいで鶴屋さんの首筋に俺の指が当たるたび鶴屋さんはくすぐったそうに笑い声をあげた。 ようやく結び終えたところで鶴屋さんが振り返る。長いポニーテール姿の鶴屋さん。 手を後ろに隠してやや前傾な姿勢で俺を上目遣いに見上げる。その表情はなんだか嬉しそうだった。 俺は恥ずかしくなって頬を指でかいた。 鶴屋さん「どっかな、キョンくん、似合ってるかいっ?」 当社比63%増しです。俺がそう言うと鶴屋さんは八重歯を見せながら笑った。 鶴屋さん「それじゃ、いこっかっ」 鶴屋さんが俺の手を引く。そのまま器用に後ろ歩きをする。 31 名前:26/5[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:35:40.21 ID:zg1LfBPO0 俺が扉を開けて、鶴屋さんが俺を引っ張っていく。 どこに行くかというと朝食を食べにダイニングまで下りてその後学校へ向かうだけなのだが、 鶴屋さんはとても楽しそうだった。こんな日がいつまでも続けばどれほどいいことだろう。 階段を下りてダイニングに着くと食事が用意されていた。 どうやら妹が一人で作ったらしい。 といってもありあわせの材料、もとい昨日一昨日の朝昼晩の残り物に多少手を加えた程度だったが。 大したメニューではないが妹にしては上出来だと言える。鶴屋さんが言っていたとおり案外化けるかもな、あいつ。 ところでその当の本人はというと、 いまだ赤い顔でキッチンの物陰に隠れながらこちらをちらちらと伺っているのだった。 お前はどっかの産業スパイか何かか。 鶴屋さんが手招きすると妹はおずおずと顔を出した。そして鶴屋さんに駆け寄って抱きついた。 鶴屋さん「妹ちゃんおっはよ〜っ、朝ごはん作ってくれたんだっ、        もうお腹ぺっこぺこだから助かったにょろっ」 俺は鶴屋さんのお腹がぺっこぺこな理由を想像する。はい、昨日の晩飯を抜いたからですよ。 当然である。決して俺が考えているような不埒な理由ではないのだ。これ重要。 妹ちゃん「えへへっ、ちょっと早起きして作ったんだよっ。きっとお腹空いてるだろうなって思って」 妹は嬉しそうに鶴屋さんに自慢している。しかし妹はどういう理由で俺たちのお腹が空いていると思ったのだろう。 不意に妹の口から禁則事項ですっという言葉が飛び出しそうな気がして俺は頭を振った。 まぁいい、さっさと朝食を済ませちまおう。学校があるならあるで相当骨が折れそうだからな。 32 名前:26/6[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:38:21.30 ID:zg1LfBPO0 俺はリビングから外を見る。一体何センチ積もってるんだ。 俺はリモコンでテレビの電源を入れた。 朝のニュースをやっている。先週末の流星群に関するニュースだ。そういや気になってたんだ。 俺はニュースに聞き入った。 キャスター「流星群を望遠鏡から高感度カメラで撮影した写真を解析したところ         人間の顔や身体の形に見えるそうですね」 女子アナ「えぇ、なんでも女性の体つきに見えるとか」 キャスター「なんとも悩ましいポーズを取っているそうですね」 女子アナ「えぇ、まぁ」 女子アナウンサーが苦笑する。 女子アナ「どこか悩ましいその形状から観測機関は正式に流星群の名称をググレ流星群に決定しました。        この名称は国際的な検索エンジン大手の──とは関係なく──」 画面の下に「Goo-Goo Lay meteor storm」と表示される。 ググれ、ってか。なんか微妙にどっかで聞いたことのあるようなないようなフレーズだな。 まぁ今はそんなことを考えている暇はない。さっさと朝飯を食っちまって学校へ行こう。 そして古泉や長門にまた相談しないとな。 俺はダイニングで鶴屋さんと妹と朝食を取る。 33 名前:26/7[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:41:55.34 ID:zg1LfBPO0 妹が俺のおかずを盗んだり鶴屋さんが俺のおかずをかすめ取ったりしながら騒々しい朝の時間は過ぎていく。 妹が鶴屋さんの髪型を褒める。鶴屋さんが照れくさそうに笑う。うむ、我が妹ながら素晴らしい審美眼だ。 女子にしておくには惜しいがお前が弟じゃなくて心底よかったと思うぞ俺は。 朝食をとり終えた俺と鶴屋さんは鞄を持って玄関へ向かう。妹の小学校は休校らしい。 そりゃこの雪ならそうだろうよ。だが俺たちはそういうわけにはいかないんでな。 ちなみに両親は明日には帰ってくるらしい。いったいいつまで遊んでんだ。世間はとっくに平日だぞ。 と思ったらどうやら山の方では昨日の朝から豪雪で帰るに帰れなくなっているらしい。 本来なら昨日の晩にはもう戻っているはずだったそうだ。積雪、ナイスファインプレー。 なんて空気の読める子だ。俺は小さくガッツポーズを取った。鶴屋さんは隣で不思議そうにしていた。 俺が「こっちの話です」と笑うと鶴屋さんも「そうかいっ?」とつられて笑った。 妹に見送られながら俺と鶴屋さんは門口を通る。 道には既にわだちが出来ていてちらほらと人も歩いている。俺と鶴屋さんはザクザクと積雪を踏みしめながら坂を下っていく。 俺と鶴屋さんはどちらからともなく手をつないでいた。 手袋はしていなかったので手の甲は冷たかったが、結んだ手のひらはとても暖かかった。 俺は鶴屋さんの歩調に合わせてゆっくりと歩く。 鶴屋さんが凍結した路面で滑ったときはすぐに支えられるように気をつけよう。 そう思った次の瞬間、俺の足は地面をしっかり捉えることなく左右にフラフラと揺れた。 そのまま坂を滑走していくかというところで背後からマフラーをつかまれて俺は体勢を立て直すことができた。 鶴屋さんは出来の悪い後輩でも見るような「しょうがないなぁ」と言いたげな眼差しで俺を見る。 鶴屋さんがそのスレンダーな胸を張って何かを言おうとした瞬間足が思いっきり宙を蹴った。 当然ながらずっこけたわけである。俺はとっさに鶴屋さんの足を掴んで引き寄せる。 鶴屋さんは転倒することなく俺の腕の中に収まった。 俺が得意げな顔をして鶴屋さんをからかってやろうと思った矢先、鶴屋さんは責めるような眼差しで俺を見上げてきた。 35 名前:26/8[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:44:29.82 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さん「キョンくん……」 なんだか嫌な予感がする。 鶴屋さん「……見たにょろっ?」 え、見たって何をですか。俺の頬を冷たい汗が伝う。 鶴屋さん「スカートのっ!」 あぁ、毛糸の。 俺の顔面に鶴屋さんの鉄拳かっこ怒髪かっことじるがめり込んだ。 俺はかろうじて倒れることなく直立の姿勢を保った。 鶴屋さんはスカートの前を両手で押さえながら頬を赤らめ怒るように俺を睨みつけている。 若干八重歯をのぞかせながら。見たっていうなら昨夜もっとすごい何かを見た気がしますが。 俺がそう言おうとしたのを鶴屋さんに読まれたらしい。鶴屋さんは目つきを一際キッと鋭くして俺を制した。 俺は笑ってしまう。 鶴屋さんもしばらく怒るような顔つきを続けていたが、観念したのか笑顔を取り戻す。 バカな話だ。俺はまだ、世界も何も救っちゃいないというのに。 鶴屋さん「今日は日直だからさ、下駄箱で待ち合わせはできそうにないにょろっ」 鶴屋さんが残念そうに言う。 36 名前:26/9end[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:46:54.54 ID:zg1LfBPO0 キョン「それなら待ってますよ。しばらくその辺ブラブラしたり部室に顔を出したりしてます」 鶴屋さんは照れくさそうに笑うと太陽のようにカラッとした笑みを浮かべた。 鶴屋さん「キョンくんごめんにょろっ、ありがとっさっ!」 俺と鶴屋さんは再び手をつなぐ。 そして二人一緒に、学校へ向かう坂道を下っていった。 37 名前:27/1[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:49:13.66 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さんと俺は下駄箱で別れてそれぞれの教室へと向かう。 教室の前では谷口と国木田がだべっていて俺を見つけた連中が軽い挨拶をしてきた。 俺は適当に返事をして教室に入る。 俺の席の後ろでハルヒはいつものように外の景色を眺めていた。 俺は自分の席に座って鞄を置くとハルヒに軽く挨拶をする。 キョン「よっ、ハルヒ。元気か」 ハルヒは俺の方を一瞥もせず無言を貫いていた。 視線は景色、というかどこか空中に置かれたまま動かない。俺は構わず続ける。 キョン「昨日はすまなかったな、助かったぜ。あの後──」 ハルヒ「ストップ」 ハルヒは視線も姿勢もわずかに動かすことなく俺を制する。そして短く「後にして」とだけ続けた。 キョン「後っていつだよ」 ハルヒは答えない。まぁ多分放課後のことなんだろうな。そう当たりを付けて俺は黙っていることにした。 触らぬハルヒに祟りなし、とは言わないまでも、昨夜みたいなご利益を時々は与えてくれるんだ、 そのぐらいの意思は最大限尊重するべきだろう。そうこうしているうちに朝のホームルームが始まる。 授業の合間もハルヒは終始無言だった。 俺は背後にプレッシャーを感じながらもすべての授業を終え、放課後を迎えた。 帰り支度を始めるハルヒに声をかける。 38 名前:27/2[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:51:27.23 ID:zg1LfBPO0 キョン「そろそろいいか、ハルヒ」 ハルヒは短く「ダメ」とだけ言った。なんだ、まだなのか。 いったいいつならいいのかと聞こうとしたところで先回りするようにハルヒは言う。 ハルヒ「ここじゃダメ。部室で。あとあんたはしばらくブラブラしてきなさい。すぐに来たらぶっ飛ばすわよ」 そう言うと鞄を手にすたすたと歩いていってしまった。 ついに俺に一瞥くれることもなかったな。一体どういうことなんだ? そういや昨夜の電話は一方的に切っちまってたんだった。それを怒っているのか? まぁなんにせよ今は取り付く島がない。 俺は言われた通りブラブラすることにした。と言っても寄る場所などないのだが。 鶴屋さんの教室へでも行こうか。そこには朝比奈さんもいるかも知れない。 ただ一年坊が一人でフラフラと歩いていくには敷居が高い場所ではある。 とりあえず古泉の教室へでも行ってみようか。あの後どうなったか気になるしな。 俺は一年九組の教室へと足を向けた。 九組の教室の入口で話し込んでいる女子に古泉はいるかと訪ねる。 女子「古泉くんだったらホームルームが終わったら急いでどこかに行っちゃったよ。     なんか用事があったみたい」 キョン「そうか、わりぃな。ありがとよ」 女子「いいえ〜」 背後で女子のクスクスと笑う声が聞こえる。 笑い声に混じって「ねぇねぇ、あの人じゃない?」とか「そうかも」とかいう話し声も聞こえてくる。 39 名前:27/3[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 00:56:38.92 ID:zg1LfBPO0 俺は背筋に寒いものを感じながらも気を取り直して歩みを進めた。 中庭側の窓から空を見ると昨日までの曇天が嘘のように晴れ上がっていた。 それでも雪が溶けない辺り気温は相当に低いらしい。 今朝は天気予報を見てこなかったからな。 シベリア寒気団が冬将軍まで引き連れて来たのかもしれない。そしたら今頃生きちゃいないか。 俺はその辺をブラブラする。本当にブラブラしていただけだった。 途中で軽音部の連中とすれ違ったり挨拶を交わしたりしながらふらふらとその辺を漂う。 もうそろそろいいだろう。俺はSOS団の部室へと歩き始めた。 部室棟の階段を上り文芸部、もといSOS団の部室のドアに手をかける。 不機嫌そうなハルヒの横顔が思い浮かぶ。何を言われるにせよ今はとにかく覚悟を決めるしかない。 俺は扉を開いて部室へ入った。 ハルヒは窓の前に立って外を眺めていた。 いつものようにメイド姿でお茶を入れている朝比奈さん。どこか緊張しているような素振りだ。 古泉は俺を認めると静かに笑った。古泉、昨日はありがとな。 そして長門はいつものように本を読んで、はいなかった。 俺の方をじっと見てどこか申し訳なさそうにしている。 いつもより肩を落としているように見えたのは気のせいだろうか。 ハルヒはゆっくりと俺に向き直る。その目は俺を睨むように見据えていた。 だがどこか微妙によそよそしい雰囲気をまとっている。 言いにくい事を言う前の、聞きにくいことを聞く前にするような表情だ。 だが若干の陰りはあるもののそれはいつものハルヒの目だ。 自分の意思を貫こうとする時の目だ。たとえどんなに迷っていても ハルヒは最終的に自分の望む道を選択する。そんなことはわかりきっている。 俺はそんなハルヒに何を言うでもなく自分の席に座った。向かいで古泉が困ったような顔をしている。 41 名前:27/4[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:00:37.97 ID:zg1LfBPO0 俺は鞄を置いてマフラーとコートを外した。 朝比奈さんがお茶をすすめてくれる。ありがとう、朝比奈さん。助かります。 そんな俺に業を煮やしたのかハルヒがつかつかと歩み寄ってくる。 ハルヒ「──で?」 突然俺に訪ねてきた。まだ何も聞かれていないが言わんとするところはわかる。 あの後どうなったのか、事の成り行きを聞いているのだろう。 俺は朝比奈さんが出してくれたお茶かっこ美味いかっことじるを一口すすってハルヒに向き直った。 俺の微妙な余裕が気に障ったのだろう。ハルヒは机に思いっきり手のひらを打ち付けると俺を責めるようにまくしたてた。 ハルヒ「昨夜はよくも通話を、ていうか電源まで切ってくれたわね、まだ話したいことがあったのに!」 俺はハルヒを制するように手のひらを向ける。それが余計に気に障ったのかハルヒは更にまくし立てる。 ハルヒ「で、鶴屋さんとはどうなったの!? ちゃんと養ってもらえることになったんでしょうね!」 俺は笑いそうになったが顔には出さなかった。今ここで笑おうものなら問答無用でぶん殴られることは目に見えている。 ハルヒは一方的に巻き込まれた、というか勝手に巻き込まれたたんだが、一応はこの問題に関して部外者の立場だ。 完全にそうではないものの、あくまで優先されるべきは当事者間の意思であって、 ハルヒが世界に対してこうであったらと都合のいい空想的な期待を押し付けることはあっても、 誰かが自分の思うこうこうこういうように考えていたら、 などという世迷い言は思いつきもしないだろう。 そもそもそういうときハルヒは自分の口や自分の手でもって相手の思考を変えようとする。 決してその超上の能力で人間の精神まで改変したりはしない。 42 名前:27/5[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:03:14.49 ID:zg1LfBPO0 それはハルヒにとって一番やってはいけないことだからだろう。 どこかに本物の神がいてある日突然ハルヒの前に現れて、 「あなたの望むような世界に変えてあげます」 と言ったとして、ハルヒは首を縦に振るだろうか? いや、いままでのハルヒだったらそういうことにはイエスと答えたかもしれない。 ただ目の前のハルヒは違う、少なくともSOS団を結成してからのハルヒにとっては絶対に、 天地がひっくり返ってもありえないことだ。俺はそう信じたいね。 じゃなきゃハルヒは誰かのためにこんなに必死になったりはしない。俺はそう思う。 キョン「まぁ落ち着けよ、な。むしろ俺はお前に聞きたいことがあるんだ」 ハルヒが憮然とした表情をする。ハルヒは期待を裏切られたように不満げだったが、一応は俺の言葉を待っている。 ハルヒ自身も迷っているのだろう。そんなハルヒを見据えて俺は言葉を続ける。 キョン「そもそも俺と鶴屋さんの共通点ってなんだ?」 ハルヒは驚いたような、呆れたような表情に変わる。そしてその顔にはみるみるうちに怒りが充満していく。 怒りで紅潮したハルヒは俺の胸ぐらを掴み上げた。 43 名前:27/6[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:05:33.72 ID:zg1LfBPO0 ハルヒ「あんたって奴はぁああ!」 そして俺を思いっきり殴りつけた。 椅子を巻き込んで倒れこむ俺。 ぜぇぜぇと肩で息をするハルヒ。 二度三度と蹴りの追い打ちが飛ぶ。そのたびに俺は顔を床にこすりつけた。 長門がハルヒを背後から制する。ハルヒはいまだ何かを叫んでいる。 俺はゆっくりと上体を起こした。 長門、別にかまわないんだぜ。ハルヒを押さえなくてもな。 正直俺は今ハルヒにぶん殴られてホッとしている。 鶴屋さんは俺を許してくれた。古泉もできる範囲で俺を応援してくれた。 朝比奈さんも今こんな俺を心配そうに見てくれている。 長門は暴れるハルヒを押さえつけてまで俺を守ってくれる。 俺には自分で自分をぶん殴る根性がない。だからハルヒ、お前にぶん殴って欲しかったんだ。 お前なら後先考えず俺をぶん殴るくらいわけないだろ。お前しかいなかったんだよ。すまん、ハルヒ。すまん。 俺はおもむろに立ち上がってゆっくりハルヒに向き直った。椅子を起こし再びそこに座る。 そしてもう一度言う。 キョン「なぁ、ハルヒ。俺と鶴屋さんの共通点ってなんだ?俺と鶴屋さんはいつからこうしてる?      いつからこういう関係になった? いつ知りあっていつ仲良くなって、      いったいいつのどの時に俺の家で暮らすようになったんだ?」 44 名前:27/7[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:07:42.99 ID:zg1LfBPO0 ハルヒ「そんなこと──!」 言いかけてハルヒは一瞬言葉に詰まった。 ハルヒ「あ、あたしが知るわけないわよ! あんたと鶴屋さんの話でしょ!      いくら団長だからって団員の私生活にまで干渉したりしないわよっ!」 俺の私生活は十分お前に振り回されてるんだけどな。それはさて置き俺は言葉を続ける。 キョン「古泉、お前は知ってるか?」 古泉は首を横に振る。 キョン「朝比奈さん、あなたは?」 みくる「えっと──いつの間にか……そうなってたと思い……ます……」 キョン「ありがとうございます。長門、お前は?」 ハルヒがいまだバタバタと暴れているのでしゃべりにくそうだったが長門は割と平気そうに答える。 長門「確認できない。あなたと鶴屋さんがいつから共同生活を始めたのかは不明」 キョン「ありがとよ」 長門はコクンと小さく頷く。 45 名前:27/8[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:10:10.52 ID:zg1LfBPO0 ハルヒ「そんなの──!」 ハルヒは長門の手をついに振り切ると俺の椅子に足を叩きつけるように乗せて睨みつけてくる。 ハルヒが足の置き場を間違えていたら大変なことになっていたな。そう思うだけで股間がキュッとなるぜ。 ハルヒ「あんたがなんか調子いいこと言って意外と純情な鶴屋さんを手篭めにして、      あんなことやこんなことやそーんな卑劣な手段をあれこれ駆使して都合よく弄んだに決まってるでしょ!      じゃなきゃなんであんたみたいなろくでもない甲斐性のないバカに      鶴屋さんみたいな美人がなびくっていうのよ、えぇ!?」 こいつの中ではそうなってるのか。俺は笑っちまうのをこらえるのに苦労した。 まぁいつもの俺って奴がそうしていないことを保証できないので俺には返す言葉がないわけだが。 やれやれ。自分にまで手を焼くハメになるとはな。俺はニヤリと歯を見せずに笑うと キョン「俺もそう思う」 とハルヒに言ってやった。 ハルヒ「んなっ──!?」 ハルヒは心底驚いているといった表情だった。そして怒りのボルテージは最高潮と言わんばかりにまくしたてる。 ハルヒ「んじゃぁなに、あんたマジで鶴屋さんのこと遊びだったわけ!?      それで鶴屋さんのことがいらなくなったから振ったっていうの!? なによ……それ……なんなのよ!!」 ハルヒは今にも泣き出しそうな表情で俺を見据える。俺はどんな表情をするでもなくただハルヒの視線を受け止めた。 ハルヒの手は今すぐ俺の首を絞めてくびり殺してやろうと言わんばかりにわなないている。 それを抑えるためか、ハルヒはぎゅっと拳を握った。 46 名前:27/9[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:13:09.14 ID:zg1LfBPO0 ハルヒが俺の言葉を待っている。俺は続けた。 キョン「正直俺にはわからなかった。鶴屋さんがなんで俺のことを好きになってくれているのかがな」 ハルヒは苦々しい表情で俺の言葉を待つ。急かすように二三度宙を噛むも、言葉にならず押し黙った。 キョン「俺はな、ハルヒ。正直不安だったんだよ」 ハルヒは俺から視線を逸らさない。それは非常に名誉あることだった。まだ見限られていない証拠だからだ。 それだけで敢闘賞もんだった。 こいつはいろんな人間、いろんな物事を常に見限り続けて、そして一時期自分にまで見切りをつけようとしてたんだからな。 そんなハルヒが俺をいまだ見据えていることは奇跡的なことだった。 宝くじに当たるより、隕石が脳天に命中して生きているよりありえないことだった。 キョン「鶴屋さんは名家のお嬢様、俺は単なる一般人。      鶴屋さんは頼りになる先輩、俺は何の価値もない情けないほど頼りない後輩だ。      俺は鶴屋さんに何一つしてやれない。なのに鶴屋さんは俺になんでもしてくれる。しようとしてくれる。      いろんな努力も、気遣いも、俺のためだけにやってくれる。自分を変えようとさえしてくれる。      そんなこと、俺が望もうが望むまいがお構いなしにな」 俺はおどけるように言う。ハルヒの顔に若干青みが差す。不安を隠せない、最悪の状況を思い浮かべた直後のような表情だ。 俺はそんなハルヒにも構わずなおも続ける。 キョン「正直、吊り合わないよな。だって見てみろよ。鶴屋さんはあんなに美人なのに、俺はこんなだぜ?      俺のどこにそんな美人に好かれる要素があるってんだよ。ハルヒ、お前だっておかしいと思うだろ」 ハルヒはわなわなと拳を震わせる。 絞殺を我慢するために握られた手は今や撲殺の凶器と化していた。 あぁ、ハルヒ。それでいい。それで合ってるよ。頼んだぜ。 47 名前:27/10[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:15:34.22 ID:zg1LfBPO0 ハルヒ「おかしいのは……あんたのその脳みそよ!!」 ハルヒは思いっきり俺を殴りつける。突っ伏した俺の体重で机の足がガリガリと床を擦る。 ハルヒはそれ以上俺を殴りつけるでもなく蔑むような視線を投げかけている。 不愉快なものでも見るように俺を見下ろしている。ただ視線は一瞬たりとも逸らさずに、俺を見据えたままに。 俺はよろよろと立ち上がる。朝比奈さんが支えてくれようとしたが俺は手でそれを制した。 古泉も同じように動いてくれたが、それも制した。おれは自分の足で立ち上がってハルヒを見下ろす。 俺は真剣にハルヒを見据えた。ハルヒは驚いたように半歩後ずさる。 ハルヒ「な、なによ──!」 キョンのくせに、と言いたかったのだろうが、それよりも先に俺が口を開いた。 キョン「そうだ、おかしいのは俺の方だ。イカれちまってたのは俺の方だ。      俺には当たり前の当たり前過ぎる当たり前のことがすっかり抜け落ちてたんだからな」 ハルヒは訳がわからないと言った表情で俺を見据える。俺だってわけがわからない。ただ次の言葉は、わけがわかると思うぜ。 キョン「朝起きたら鶴屋さんが隣で寝ていた。マジで仰天したぜ、これには」 ハルヒの目が丸くなる。同じベッドで寝起きしていることまでは知らなかったようだ。ハルヒの顔が赤くなる。 これは珍しいものが見れたな。 キョン「そんなこんなで俺は鶴屋さんに振り回されながら、昨夜突き放しちまおうってことになった。      もちろん古泉、お前も共犯だぜ?」 48 名前:27/11[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:18:19.54 ID:zg1LfBPO0 俺が指さした先、古泉にハルヒが狩猟直前の猛獣のような凄みを込めた視線を向ける。 古泉はたじろいで数歩後退したあと俺を避難するような、救いを求めるような視線を送ってくる。 長門のことは言わない。なぜなら主犯は俺と古泉だからだ。 ただ安心しろよ、お前と地獄まで相乗りする気はねぇからな。俺は返事の代わりにニヤッと笑いかけてやった。 古泉の額から一筋冷たそうな汗が伝う。表情は完全に硬直していた。すまん、古泉。その顔は若干おもしろいぞ。 朝比奈さんはおろおろしながらも事態を見守っている。時折何か言いたそうにしながらも何度も言葉を飲んでいる。 長門が朝比奈さんの側に寄って二三言囁いた後朝比奈さんはおろおろするのをやめ落ち着きを取り戻した。 すまん、長門。恩に着るぜ。 キョン「そんで昨夜のあれだ。ハルヒ、助かった。本当に助かったんだ。感謝するぜ。ありがとよ」 ハルヒはそれには一瞬だけ視線を逸らし居心地悪そうにする。 だがすぐに俺を睨み返して不満を訴えかけてくる。 ハルヒ「そ、そうよ! あんた鶴屋さんと仲直りしたかったんじゃなかったの!      それであたしに散々迷惑かけておいて何よ! もうあんたムチャクチャじゃないの!」 俺はハルヒに構わずに言う。 キョン「それでもう一度だけ尋ねさせてくれ」 俺はハルヒを真剣に見据えてもう一度言う。 キョン「俺と鶴屋さんの共通点ってなんだ?」 50 名前:27/12[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:20:34.61 ID:zg1LfBPO0 ハルヒはぐっと押し黙る。 答えたいのに答えられない、そんな居心地の悪さと何か適当な理由でも思いつきはしないかという必死の思索がうかがえた。 ハルヒは考えている。 俺と鶴屋さんの共通点。なんで鶴屋さんが俺を好きになって、なんで俺が鶴屋さんと一緒にいるべきなのか。 その理由を求めて。 ハルヒは両腕を力なく落としてうつむいた。瞳からはいつもの覇気が消え失せてどんよりと曇っている。 古泉が机の向こうで気が気じゃないといった表情で事態を見守っている。 この後に超特大の閉鎖空間が現れて空前絶後の戦闘を繰り広げることを覚悟しているんだろうか。 まぁ、そうなるかもしれないが、そんときはそんときで、なんとかしてくれ。 ハルヒはいまだ何も答えられないでいる。 こうしてハルヒを見下ろす日が来るとは思わなかったが、あんまり気持ちのいいもんじゃないな。むしろ居心地が悪い。 ハルヒがこうして落ち込んでいると夏にさっさと日が落ちちまったようなあっけなさを感じる。 どんなに鬱陶しくても、おいおいまだ早いだろって言いたくなるようなそんな感覚だ。 俺は続ける。 キョン「わからないんじゃない。そんなもの、初めからないんだ」 ハルヒの手がぴくりと動く。ただ反論までには至らないらしい。その後うんともすんとも言わない。 キョン「強いて言うなら、普通の人間だってところだな」 これにはハルヒが噛み付いてきた。闘志をむき出しにして、それでいて蜘蛛の糸にすがる罪人のように。 51 名前:27/13[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:22:43.14 ID:zg1LfBPO0 ハルヒ「はぁ? そんなの当たり前でしょうがっ!      それを言うならあたしや古泉くんやみくるちゃんや有希だってそうじゃないのよ!      あんたほんっとに頭がおかしいんじゃないの!」 俺は笑ってしまった。古泉も微妙に苦笑いをしている。 朝比奈さんは居心地悪そうだ。長門は、うん、いつも通りだな。いつも通り、頼りになる連中だ。 今もこうして世界を守っている、まったく大した奴らだよ。 ただもうちょっと俺の馬鹿に付き合ってくれ。いつもは俺がお前らに合わせてるんだからな。 まぁいいだろ。ちっとくらい、渡らなくていいような危ない橋を渡ったってよ。 なぁ、お前ら。 キョン「お前の言う通りだよ、ハルヒ。そんなことは当たり前のことだったんだ」 おかしいのは俺の方で。イカれちまってたのは俺の方で。 俺には当たり前の当たり前過ぎる当たり前のことがスポンと抜け落ちてたんだ。 まぁこんな生活を春から続けてりゃ無理もないってもんだ。 自分を弁護していいのなら、一つそれだけは言わせてくれ。 俺には当たり前のことが当たり前じゃなかったんだ。 52 名前:27/14[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:25:44.83 ID:zg1LfBPO0 キョン「鶴屋さんは、普通に俺を好きになって、普通に俺と一緒に居たいと言ってくれたんだ。      ただ、それだけだったんだよな」 ハルヒは複雑な表情で俺を見据えている。 なんだか痛い子を見るような視線が混じっていたのは気のせいではないだろう。 確かに、普通の人間の感覚から見ればそうなるよな。 パラレルワールドがどうとか世界の終わりがどうとか考える必要なんてない。 ましてや鶴屋さんを傷つけることが世界を救うこととどう結びつくってんだ? 今なら俺にもわかる。 ハルヒ、お前の常識が俺にもわかる。ただな、ハルヒ。 お前が一番非常識だってことには、いつまでも気づかないままでいてくれよ。頼んだぜ。 キョン「そしたらなんかバカらしくなってそのまま鶴屋さんとキスしちまった」 俺は高らかに言い放つ。ハルヒの表情を確認するでもなく俺は古泉の方を向く。 こういうシナリオでいいか、古泉。 お前はあれこれ用意してくれていたりなにこれ裏で手を回してくれていたのかもしれないが、 とりあえずこういうことにしておいてくれ。その方が、一番簡単だろ? 俺は朝比奈さんの方を向く。 朝比奈さんは顔を真っ赤にしていけないものでも見るような視線を俺に向けていた。 すみません、朝比奈さん。俺、汚れっちまいました。 長門は俺をじっと見ている。その視線はどこか寂しげなようでいて、同時にとても優しい暖かなものだった。 少し申し訳なさそうにしているのは昨日話したことを気に病んでいるのだろうか。 長門、お前はよくやってくれたよ。本当に、いつもいつもな。 最後にハルヒに向き直る。ハルヒは泣きそうな表情で俺を見る。そんな顔をするなよ。 鬼が童に追われたみたいな、悲しそうな顔をよ。 53 名前:27/15[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:28:52.24 ID:zg1LfBPO0 俺はおどけたように肩をすくめて言う。 今から言うたった一言を言うためだけに俺はハルヒに殴られたり蹴られたり 古泉を青ざめさせたり朝比奈さんを不安がらせたり長門に手間と迷惑をかけたりしたのだ。 ここで言わなかったら、それは嘘だ。 キョン「そこまで行っちまったら、もう理由とか関係ないだろ。責任取らなきゃな。それが俺の答えだ」 俺は痛む頬をニヤリと引きつらせて言い放つ。そして「ただ……」と続けた後、 キョン「その後どうなったかは聞くなよな」 と言った。 ハルヒの顔がみるみるうちに赤くなっていく。 俺は妙な達成感を感じながら若干得意げにハルヒを見下ろしていた。 ハルヒがうつむく。完全勝利だ。ついにこいつを打ち負かす日が来るとはな。 ただ若干この後が不安ではあるが。 そんな俺の不安は的中した。 ハルヒはつかつかと歩き俺の背後に回ると張り手で思いっきり背中を叩いてきた。 景気のいい音がして俺はつんのめる。 不意をつかれたせいで一瞬呼吸が止まったが、心臓が止まったような錯覚がした分そっちの驚きは少なかった。 それに鶴屋さんに投げ飛ばされた時ほど深刻なダメージというわけでもない。 俺はハルヒに向き直る。 キョン「痛っつつ……いきなりなにすんだよ!」 54 名前:27/16[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:31:14.69 ID:zg1LfBPO0 ハルヒの顔は陰っていて見えない。笑っているのか、泣いているのか、それすらもわからない。 古泉「失礼します♪」 不意に背後で古泉の声がした。そしてハルヒに叩かれたところを力いっぱい平手で叩かれた。 さすがに同じところを二度も思いっきり叩かれればそれなりのダメージになる。 俺はゲホゲホと咳き込んで机につっぷす。見上げた古泉の顔はいつも以上のニヤケ面だった。 嬉しさと悪意を満遍なくまぶしたような金箔を振りかけたケーキのようにこってりとした表情だった。 古泉、お前の頬、なんか光ってないか? そう思うのもつかの間、側に近寄るただならない気配を感じて俺は飛び起きた。 次の瞬間長門の手刀がさっきまで俺の頭があった位置に振り下ろされる。 ドゴッとやかましい音がして机が盛大にへし折れた。 ちょ、長門! 待て! 待つんだ! それだけはシャレにならん! 古泉が俺を背後から押さえつける。長門がじりじりと俺に迫る。 キョン「待ってくれ!」 俺の叫び声で長門はためらうように足を止める。 助かったと思ったのもつかの間、背後でたたずんでいる団長様が鶴の一声を鳴らした。 ハルヒ「かまわないわ、有希。おもいっきりやっちゃいなさい」 長門はコクリと小さくうなずく。ちょ、待て! 待ってくれ! 長門「大丈夫、力加減は修正した。死にはしない。多分」 多分ってなんだ、お前の口から多分なんていう言葉を耳にするとは思わなか── 55 名前:27/17[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:33:30.53 ID:zg1LfBPO0 長門「真空長門チョップ」 長門がぼそりと呟いた次の瞬間手刀が俺の脳天に突き刺さった。 俺はおもいっきりつんのめるとバネ仕掛けのおもちゃのように跳ね上がりへし折れていない方の机にダイブした。 机は俺の体重で盛大にへし折れる。SOS団の大事な備品二つがいまや無残な犠牲となっていた。 俺がひくひくと床で呻いていると朝比奈さんが駆け寄ってきた。 あぁ、朝比奈さん、やっぱりあなたは天──そう思ったところで脳天にぽかりと小さな拳が振り下ろされた。 ハルヒ「それじゃぁダメよ! みくるちゃんは非力なんだからもう数発追加しなさい!」 そんなハルヒの声が聞こえた。 みくる「あ、ご、ごめんなさい、キョンくん……えいっ! えいっ!」 そう言って謝る朝比奈さんに俺は何度もぽかぽかと殴られる。正直痛くはなかった。 むしろ新しい感覚に目覚めちまいそうで理性を保つのに必死だった。 危うく普通な俺に普通じゃない属性が追加されるところだった。 それはさすがにハルヒの許容範囲外だろうから死の瀬戸際にあったと言える。 ううん、朝比奈さん、恐ろしい子っ。 俺がほうほうの体で起き上がると長門、朝比奈さん、古泉が俺を見降ろしていた。 どこか嬉しそうな、いつも通りだがいつも通りではない三人がそこにいた。 古泉の気持ち悪いウィンク。 朝比奈さんの素敵な笑顔。 長門は俺にわかる程度に少しだけ微笑んだ。 そこにハルヒが近づいてくる。下から見上げて初めて表情が分かった。 見上げたハルヒの顔は笑っているような泣いているような不思議なものだった。 56 名前:27/18[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:35:53.45 ID:zg1LfBPO0 ハルヒは俺に手を差し出す。俺はその手を取って立ち上がった。 立ち上がったばかりの俺にハルヒはビシッと指を突きだす。 ハルヒ「さぁ、キョン。団長命令よ! 行ってきなさい!」 俺はぽかんと口を開ける。 キョン「い、行くって……どこへだ?」 ハルヒ「決まってるでしょ!」 ハルヒはその出るところは出ている胸を思いっきり張って俺に言い放つ。 ハルヒ「鶴屋さんのところよ!」 俺はわけがわからなかった。 キョン「なんで今から。それに鶴屋さんは今日はまだクラスで日直の仕事をしてるんだぞ」 ハルヒ「なら直接教室に乗り込んでいけばいいじゃない! 何がなんでもそうしなさい!      これは絶対命令です! 逆らったら即死刑! 懲罰的に教育的に死刑を厳粛に盛大に執行します!      だからさっさと行きなさい、キョン! ぶっちゃけあんたの死刑なんてめんどくさくって仕方がないんだから!」 そう言い放つとハルヒは俺の脚を思いっきり蹴り飛ばす。 57 名前:27/19end[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:38:07.86 ID:zg1LfBPO0 キョン「痛っ!」 俺が抗議の声をあげるのにも構わずハルヒは俺の背中を押してどんどん扉の方へ押しやっていく。 古泉が先回りをして部室の扉を開く。 そしてハルヒはもう一度俺の背中を思いっきり蹴り飛ばしてドアの外へと放り出した。 勢いよく廊下に這いつくばった俺は部室の方へと振り返る。 古泉がいつものニヤケ面で手を振っている。朝比奈さんが「ファイトです、キョンくんっ!」と俺を応援する。 長門は手を正面に突き出してぐるぐると円を描く。そしてハルヒは両腕を組んで仁王立ちをしている。 ハルヒ「さぁ、キョン。走り出す準備はいーい?      あんたの大好きな鶴屋さんのところにあんたの大好きな駆けっこで辿りつけるのよ。      これ以上のことはないでしょう」 ハルヒは静かに言い放つ。昨夜あの時俺を焚きつけたように、 俺の背中を勢いよく押し出したあの時のような優しい口調で。 天高らかに指をかざし、ぐるぐると天に輪を描いて。 ハルヒ「レディー────」 俺が微妙に準備不足なのは言うまでもなく。 ここにいる誰もがそんなこと知ったこっちゃないのは言うまでもなく。 俺の顔が凍りついたように引きつっていることもおかまいなしに、 ハルヒ「ゴー!!!」 それでもスタートの合図は出されたのだった。 58 名前:28/1daydream[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:40:26.48 ID:zg1LfBPO0 古泉「しかし良かったんですか、涼宮さん。彼を行かせてしまって」 ハルヒ「いいのよ、あんな奴、さっさと覚悟を決めてさっさと納まるところに納まってればいいのよ。まったくせいせいしたわ」 長門「それは嘘」 ハルヒ「なぁっ!? 違うわよ、ほんっっとにセーセーしたわよ、      ただちょっと鶴屋さんにあんな奴吊り合うわけないなーって思ってただけよ、      あたしだって当人同士の意思は尊重するわよ、      ただあいつがあんなだから鶴屋さんに迷惑かけないか心配なだけよ!      鶴屋さんもあれで結構キョンを立てようとするもんだから不安だっただけよ!      そうよ! そうなのよ! あっはっはっは!」 みくる「涼宮さん……」 古泉「困ったものですねぇ」 長門「ところで今から数十分後に次元間交差の極大期が来ることを彼に言っていない」 古泉「あら、そういえば言いそびれてしまいましたねぇ。こうなることは予想がつきませんでしたから」 みくる「でもキョンくんなら大丈夫だと思います。根拠は……ないんですけど」 ハルヒ「なになに、何の話? 面白い話ならあたしも混ぜなさい!」 古泉「今から数十分後に空で流星群が見れるかもしれない、というお話ですよ」 59 名前:28/2daydream[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:43:30.07 ID:zg1LfBPO0 ハルヒ「なにそれ面白そうじゃない!      キョンなんて放っておいてみんなで見に行きましょう、屋上へ集合ね!      そうと決まったら張り切るわよー!      有希、望遠鏡を天文部から借りてきなさい、そっこーで、急いでね!」 長門「実は既に借りてきていたりする」 ハルヒ「のわぁっ! 有希……恐ろしい子っ!」 みくる「あ、あたしも手伝ったんですよ〜」 ハルヒ「みくるちゃんナイスファインプレー! もう、こうしちゃうんだからっ」 みくる「ふぇえええ、やめてください〜」 ハルヒ「ここかぁ、ここがええのんかぁ、ぐへへへへ。      ってそういえば古泉くん。ちょっといいかしら」 古泉「なんでしょう?」 ハルヒ「あなたとキョンがグルになってたって話、あたしまだ聞いてなかったんだけど?」 古泉「ちょ、涼宮さん、待ってください、これには深い、世界の存亡に関わりかねない深い事情がっ!」 60 名前:28/3daydreamend[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:45:40.60 ID:zg1LfBPO0 ハルヒ「だまりなさいっ!」 長門「生体反応レベル低下」 みくる「こ、古泉くん〜〜っ」 ハルヒ「あ〜、すっきりしたわ。それじゃぁみんな、レッツ・ラ・ゴーーー!」 古泉「……」 61 名前:29/1[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:47:58.88 ID:zg1LfBPO0 俺はハルヒに焚きつけられるままに部室棟を後にして二年の教室がある校舎を訪れていた。 勢い込んで走ってきはしたものの教室の場所がわからない。 鶴屋さんがまだ日直の仕事をしているというのならまだ教室に残っている可能性がある。 俺は一つ一つ二年の教室の中を確認することにした。 しかし不思議なことにここに来るまでの間二年の生徒はもとより 渡り廊下や他の学年の校舎でも誰一人としてすれ違うことはなかった。 この積雪量では運動部の活動などままならないので普段残るような連中はさっさと帰ってしまったんだろうか。 それにしても人の気配どころかかすかな物音までしないのは不可思議ではある。 俺は異様な雰囲気を感じながらも鶴屋さんを探して教室を一つ一つ覗いていった。 いくつ目かの教室を覗いたところで鶴屋さんの後ろ姿を見つけた。 鶴屋さんはほうきで床をせっせと掃いている。 同じ日直の当番であろう男子の姿はなく、他に残っている生徒もいなかった。 にゃろう、手伝う奴とかいないのか。俺は若干の憤りを感じつつ教室の扉に手をかけた。 扉を開く音に気づいて鶴屋さんがこちらを振り返る。そして意外そうな表情をした。 鶴屋さん「にょろっ、キョンくんどうしたんだいっ、めっずらしいねぇ。       キョンくんがうちの教室まで来るなんてさっ。       文化祭のとき以来じゃないかなっ。みくるだったらもうとっくに部室棟へ行っちゃったよ」 鶴屋さんはほうきを手にニコリと笑う。そしてほうきを後ろ手に隠すような仕草をした。 鶴屋さん「それとも……あたしに会いに来てくれたのっかなっ?」 鶴屋さんが嬉しそうに微笑む。俺はなんとも気恥ずかしくなって頭の後ろを掻いた。 63 名前:29/2[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:50:37.34 ID:zg1LfBPO0 キョン「まぁ……なんていうか……本当にそうなんです」 ハルヒがなんで俺をここに寄こしたのかはわからないが、一応俺としてはそういうつもりである。 鶴屋さんは再び意外そうな顔をする。半分冗談だったのに、と言おうとしたのか、 何かを言いかけてそれを飲み込んだ。そして照れくさそうに笑いながら頬をポリポリと掻いた。 なんとも言えない時間が流れていく。 鶴屋さん「ちゃっちゃっと終わらせちゃうからさっ、もうちょっとだけ待っててよっ」 キョン「俺も手伝いますよ、その方が早く帰れますから。      そしたら帰りにスモチでも買って、また一緒に食べましょう。もちろん妹も一緒にね」 鶴屋さん「それはいいにょろっ! キョンくん、ありがとっさっ」 鶴屋さんはほうきを抱きしめて楽しそうに笑う。 俺はそんな鶴屋さんに微笑み返す。教室内には夕日が差し込み赤と橙に染まる。 窓辺に立つ鶴屋さんと扉側に立つ俺。窓枠が夕日を遮ってできた格子状の影が床や壁を這う。 風が吹いて窓ガラスががたがたと揺れた。 そのまま鶴屋さんをずっと見つめていたい気分になった。 ただ俺はそんな光景にどこか見覚えがあった。 鶴屋さんが立っているその場所に確か違う人物が立っていた気がする。 そこは一年五組の教室で。 それは誰だったかな。そう、そこには確か……。 64 名前:29/3[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:53:17.69 ID:zg1LfBPO0 俺が何気なくそんなことを考えながらほうきを取り出そうと掃除用具入れの扉に手をかけたところで 突然建物全体が揺れたような激しい衝撃を感じた。 引力が逆転したかのように一瞬体がふわりと浮かびあがる。そしてすぐに重力が帰ってきた。 俺はその場に転倒し体を床に強かに打ちつける。鶴屋さんは衝撃で体勢を崩しその場に座り込んでいる。 俺はなんとか床を這いずって鶴屋さんに近づこうとした。 床に這いつくばったまま窓から空を見上げると赤い空にいくつもの光の筋が現れていた。 それは流れ星の大軍のように現れては消え、また現れては消えていった。 しかしその数はだんだんと増えていき、遠目には一筋の太い光線のようにも見えた。 おいおい、流星群ってのは夕方でも見えるもんなのかよ。 やはりあのググレ流星群というのはただの流星群ではなかったらしい。 だがこんな天変地異まがいのことまで起こすとは。 二つの並行宇宙が接近して潮汐効果で分裂する。 長門から聞いた説明が脳裏をよぎる。くそ、俺が鶴屋さんを突き離せなかったからこうなっちまったてのか。 せっかくハルヒや長門や朝比奈さんや古泉が俺に決心をつけさせてくれたっていうのに。 ようやく、ようやく鶴屋さんの気持ちとまっすぐ向かい合う覚悟ができたっていうのに。 キョン「鶴屋さん……!」 俺はなんとか鶴屋さんのところまで辿りつくと鶴屋さんを力いっぱい抱き寄せた。鶴屋さんも俺に必死にすがりつく。 重力感覚が消え失せそうになるほどに激しい揺れの中で目を開くと傍に落ちているほうきや机や椅子は微動だにしていなかった。 いったいこれはどういうことだ。てっきり流星群の影響で引力が逆転しちまったのかと思ったんだが。 しかし激しい揺れは実感として俺と鶴屋さんを襲い続けている。 幻覚だとはとても思えない。これは、これは一体どういうことなんだよ。 65 名前:29/4[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:55:32.43 ID:zg1LfBPO0 突然発光する白い物体が俺達のすぐ隣に出現した。 ぼんやりと煙のように正体がつかめなかったそれは徐々に輪郭を帯びて小さな人間の形へと変わっていく。 なんだってんだ、マジで神でも降りてきたってのかよ。 それは急激に光を放ち俺は目を閉じる。必死で鶴屋さんを抱きとめながら。 やがて光が収束し、教室内に夕日の赤が戻ってくる。 俺は恐る恐る目を開いて発光した物体の方を向く。鶴屋さんも俺の目線を追ってそちらを向く。 それはなんとも奇妙な光景だった。 小柄な物体、というか生物というか。 しかしどこか見覚えのある人にとてもよく似た小さな後ろ姿。 それは俺がここ数日の間夢で見ていた、もう一つの世界の鶴屋さんであるちゅるやさんその人だった。 ちゅるやさん「……にょろ?」 ちゅるやさんはきょろきょろとあたりを見回す。 まだ背後にいる俺達の存在には気づいていないようだ。 ちゅるやさん「あれっ、あたしどうしちゃったんだろっ。          さっきまでキョンくんと教室のお掃除してたのに。          キョンくん……先に帰っちゃったにょろ……?」 鶴屋さんは寂しそうに肩を落とす。そして小さく「にょろ〜ん」と呟いた。 キョン「ちゅるやさん……?」 俺はちゅるやさんの名前を呼ぶ。ちゅるやさんは俺に向き直ると表情をぱぁっと明るくした。 67 名前:29/5[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 01:57:53.60 ID:zg1LfBPO0 そして俺の方へひょこひょこと歩み寄ってきた。鶴屋さんは呆気にとられた表情でちゅるやさんを見る。 そしてちゅるやさんの名前を呼んだ俺に向き直ると不思議そうな視線を投げかけてきた。 鶴屋さん「キョ、キョンくん、この子は……?」 ちゅるやさん「キョンくんっ! と……あれ、おっきいあたしだっ。          あたしいつの間にこんなにおっきくなっちゃったんだろっ。気づかなかったよ」 俺は微妙にひきつった笑顔を見せながら鶴屋さんにちゅるやさんを紹介する。 キョン「ちゅるやさん……と言うそうです……なんでも鶴屋さんのもうひとつの姿だとか」 鶴屋さんは目を丸くしてちゅるやさんの丸い目を見る。ちゅるやさんも不思議そうに鶴屋さんを見る。 鶴屋さんとちゅるやさんが見つめ合っている不思議な光景だった。 鶴屋さんは次の瞬間表情をぱぁっと明るくした。 鶴屋さん「キョンくんキョンくん! この子、めがっさかわいいねっ!        それになんだかあたしに似てるねっ、ちょっち照れくさいっかなっ」 鶴屋さんはちゅるやさんを抱き寄せてそのスレンダーな胸元でぎゅっと抱きしめた。 小さな女の子が子犬を抱きしめて喜んでいるような仕草で、ちゅるやさんに頬を擦りよせて嬉しそうにしている。 ちゅるやさん「キョンくんキョンくん、あたしおっきくなっちゃったのに小さいままだよっ。          これってどういうことかなっ?」 ちゅるやさんは不思議そうに俺に尋ねる。俺にも自体がさっぱり飲み込めないので説明しようがない。 俺は苦笑いを返すだけで精いっぱいだった。 68 名前:29/6[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:00:39.86 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さん「ねぇねぇ、キョンくんっ! この子うちに連れて帰っちゃだめかなっ!」 鶴屋さんは瞳をランランと輝かせて俺にせがむように詰め寄る。俺は気圧されてたじたじになる。 キョン「え、えぇ……俺は一向にかまいませんよ」 ちゅるやさん「え……また、キョンくんの家で一緒に住んでもいいにょろっ……?」 ちゅるやさんが驚いたように声を上げる。その瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。 ちゅるやさん「またキョンくんと一緒にスモークチーズを食べていいのかいっ……?          良かったにょろ……ずっと……ずっと一人で寂しかったにょろよ……キョンくん……」 ちゅるやさんは鶴屋さんの手を離れとてとてと俺に寄り添って涙を流した。俺は目一杯嫌な予感がした。 驚いたように俺を見つめていた鶴屋さんの表情はみるみるうちに怒りに染まり 今や炸裂寸前の火山のようであった。髪の毛は膨らみ若干浮き上がっている。 なるほど、これが例の怒髪というやつか。 俺がそんな場違いな感想を抱いていると鶴屋さんが烈火の如く勢いよく立ち上がり叫んだ。 鶴屋さん「キョンくんっ、ちっさいあたしになにしたっさ〜!!」 してませんっ、一応、こっちの俺は何もっ! 何もしてないはずですからっ! とはいえあちらの俺がしたことはある意味俺のしたことでもあるわけで、 ということは俺自身に懲罰を与えることは一切何の間違いもないと言えるが、 ただ、それはあちらの俺に対してして欲しい。俺ばっかりが痛い目に遭うのは納得がいかなかった。 そんなことを鶴屋さんに説明したところでわかってもらえないのは目に見えている。 70 名前:29/7[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:03:34.69 ID:zg1LfBPO0 俺はこういう状況に対してとことん悲しいまでに無力であった。 俺がその後の惨劇を覚悟しているとちゅるやさんが間に立ち鶴屋さんを制する。 ちゅるやさん「や、やめてほしいにょろっ、キョンくんは何も悪いことしてないっさっ、          きっと全部あたしが悪かったんだよっ、          だからおっきいあたしもキョンくんを許してあげて欲しいっさ。          あたしはまたキョンくんと暮らせるだけで幸せにょろよっ」 ちゅるやさんは涙が出るほどに健気であった。 俺自身でさえもう一人の俺を許せないというのにちゅるやさんはその俺のことを憎いとは欠片も思っていないらしい。 もう一つの世界の鶴屋さんもある意味大物だった。 やはりどこの世界でも鶴屋さんは大した人なのだと感心する。 そう思うともう一人の俺の酷さったらないな。俺はどこに行ってもあんなのってことか? 畜生、泣けてきた。 鶴屋さんは急にしおらしくなってちゅるやさんを抱きかかえその場に座りこみ俺におずおずと尋ねてくる。 鶴屋さん「キョ、キョンくんっ……本当に知らないのかいっ……?        あたしこの子が言ってることがちょっとわかんなくなってきちゃったにょろ……一体どういうことなのさっ?」 鶴屋さんは不安そうな顔で上目づかいに俺を見る。 71 名前:29/8[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:05:47.18 ID:zg1LfBPO0 キョン「うまく説明できないんですが……      別のもう一つの世界ってところにそのちゅるやさんみたいにもう一人俺がいて、      ちゅるやさんと暮らしてるんですよ。その世界で俺はどういうわけだかちゅるやさんを家から追い出しちまって、      今二人は離れ離れになってるんです。で、俺はその光景を夢で見てたんですよ。      今の今まで本当のことだったとはそれこそ夢にも思いませんでしたが」 鶴屋さん「じゃ、じゃぁそのキョンくんももう一人のあたしみたいにこんなにちっさいのかなっ?」 鶴屋さんの瞳がらんらんと輝く。何を期待しているかは明白だった。 きっとちゅるやさんみたいにかわいらしい俺を想像して期待に胸をふくらませているのだろう。 俺はもう一人の俺ののっぺりとした顔を思い出す。あれは可愛いものというよりも面白いものに分類されるだろうな。 残念なことに、もう一人のおれのデザインは鶴屋さんの期待には沿えないのだった。 俺は両手の平を上にあげて首を横に振る。鶴屋さんは残念そうにしながらも俺に笑いかけてくれた。 若干慰めが混じっていたような気がしたのは俺の心を見透かしてのことなのだろうか。 何はともあれその繊細な気遣いが俺の心の支えなのだった。 鶴屋さん「とにかくそのもう一人のキョンくんはとっちめてやんないとねっ!        まっ、こっちのキョンくんもあたしのこと追い出そうって考えてたみたいだから        ある意味同罪だと思うんだけどねっ」 鶴屋さんの鋭いごく当然の指摘が俺の胸に突き刺さる。一旦このネタで揺すられれば俺に太刀打ちする術はないのだ。 俺は微妙にひきつった表情のまま硬直する。 鶴屋さん「まっ、もう気にしてなんかないけどねっ」 鶴屋さんは楽しそうに俺にウィンクをする。俺は手のひらを鶴屋さんの方に向けて降参の意思を示す。 72 名前:29/9[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:08:06.14 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さんはにゃははっと声に出して笑うとちゅるやさんを抱きしめた。 ちゅるやさんもそれにつられて「にょろ〜ん」と嬉しそうに言う。というより鳴き声のような感じだったが。 そういえばちゅるやさんがここに現れたってことは他に、 例えば俺なんかも今この校舎のどこかに現れているんだろうか。 あっちの世界のハルヒや長門や朝比奈さんや古泉の姿をまだ俺は見たことがない。 そういえばもう一人夢で見ていたような気がするのだが、それは誰だったか。 喉元まで出かかっているのだが上手く思い出せない。 今ここに、かつてこんな夕日の中で、俺の教室のちょうどこの場所で俺を待っていたその人物。 俺はそこに思い至って愕然とする。同時に前回見た夢の内容がありありと浮かび上がってくる。 どうしてだ、どうして俺は忘れていたんだ。どうして今の今まで、俺は思い出すことができなかったんだ。 ここに立っていたのは朝倉だった。 夢で見たのは朝倉……いやちっさい朝倉、あしゃくらだ。 あいつが空中をかき混ぜて、それで世界がおかしくなったんだ。 なんらかの方法でおそらくあっちの世界のハルヒの力を使うかして世界をおかしくしちまったんだ。 しかしどういうことだ、どうして無関係な俺たちの世界にまで影響が。 鶴屋さん「キョ、キョンくん、あれっ!」 俺の思考を遮って鶴屋さんが教室の扉の方を指差す。 俺が振り返るとそこにはちゅるやさんが現れたときのようなぼんやりとした煙のような光が漂っていた。 それは徐々に形を成してちゅるやさんのような小柄な女の子の姿へと変わる。 その姿に俺は見覚えがあった。 73 名前:29/10[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:10:15.57 ID:zg1LfBPO0 忘れるはずがない、いや、ついさっきまで忘れていた俺が言うのもなんなんだが、 忘れようもないその後ろ姿は、もう一人の朝倉涼子、あしゃくらだった。 あしゃくら「あ、あれ? わ、わたしなんでこんなところに……?        キョンくんを追っかけてたのに……キョンくんっ、何処に行っちゃったの〜」 朝倉が、いやあしゃくらが俺のことを探している? 俺は背筋に寒いものを感じた。 その手に握られているものはなんだ。紙切れのようだが、いや、油断はできない。 突然爆発したりナイフに変化したりするのかもしれない。 連中にとって物質の構成情報を変異させることなど造作もないことなんだ。 あしゃくらがゆっくりとこちらに振り向く。 その見た目はちゅるやさんのように愛らしいが、正直あの朝倉の分身のような存在を見た目だけで信頼する気にはなれない。 俺はとっさに身構えて鶴屋さんとちゅるやさんを後ろに隠した。 俺を認めたあしゃくらの表情がぱぁっと明るくなる。 どうしてそんな表情をする? どうしてそんなに嬉しそうなんだ? 俺をもう一度殺せることが、そんなに、そんなに嬉しくてたまらないっていうのか。 あしゃくら「あっ……キョンくんっ、そこに居たのねっ。あの……こ、これを受け取ってくださいっ!」 あしゃくらは俺に向かってとことこと駆け寄ってくる。まずい、これ以上距離を詰められたらどうしようもない。 朝倉の人間離れした俊敏さを思い出す。 それはどう考えても目の前のちっこいあしゃくらには不釣合いな動きではあったが、 たとえどんな姿をしていようと朝倉は朝倉である。ほんの僅かな油断さえ許されない。 キョン「朝倉、それ以上近寄るなっ!」 俺はとっさに身構えると大声を上げてあしゃくらを威嚇した。 75 名前:29/11[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:12:58.71 ID:zg1LfBPO0 あしゃくらは俺の言葉に驚いたように体を大きく震わせるとその場に立ち尽くした 。全身をふるふると震わせている。表情は今にも泣き出しそうなくらい悲しげだ。 なんだ、このあしゃくらは朝倉とは違うのか? あしゃくらが朝倉と同じなら俺の言葉で動きを止めたりなんかしない筈だ。 ならこいつは俺を殺す気はないっていうのか? それとも単に油断させるためか、余裕の現れか。 怯えるように全身を震わせるあしゃくらからはそういった危険は感じとれない。 だが、朝倉に二度殺されかけ実際に一度刺されている俺としてはそれだけの理由で あしゃくらへの警戒を解くことはできない。考えがどうのっていうより、本能がそれを許さない。 なのに、くそっ、なんでこんなにやりにくいんだよ。 あしゃくら「あの……その……ごめんなさいキョンくん……        わたし……ただこの手紙を受け取ってもらいたくて……」 キョン「手紙……? 何が書いてあるんだ、何かの罠じゃぁないだろうな?」 あしゃくら「えっ……? わ、罠ってなに……? わ、わたしはそんなつもりじゃ……        ただキョンくんにわたしの気持ちを知ってもらいたくって……        あ、あの……この手紙、受け取ってもらえませんか……?」 あしゃくらは手に持っている手紙をおずおずと俺に差し出してくる。 小動物のように怯えるあしゃくらからはあの朝倉涼子がまとっていたような危険な気配は感じられなかった。俺は葛藤する。 正直どうしたものかわからなかった。俺や鶴屋さんもあんなに違ったんだ。 あちらの世界のあしゃくらとこちらの世界の朝倉が必ずしも似た人間ではないということも十分考えられる。 なら今おれがしているような態度はひどいことなんじゃないのか。頭の奥がズキズキと痛む。 思考と生存本能の軋轢で相当にストレスを感じているらしい。くそ、俺はどうすればいいんだ。 76 名前:29/12[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:15:30.54 ID:zg1LfBPO0 ちゅるやさん「あしゃっち……あしゃっちなのかいっ?」 俺の背後からちゅるやさんが覗き込むようにあしゃくらを見る。 いつの間にか鶴屋さんの手から離れて俺のすぐ斜め後ろに立っていた。 あしゃくら「ちゅ、ちゅるやさんっ!? ど、どうしてあなたが……キョンくんと一緒に……         あ、あなたはもうキョンくんとは一緒に居られない筈なのにっ」 ちゅるやさん「そんなことないよっ、キョンくんはあたしのことを許してくれたさっ。          また一緒に暮らそうって言ってくれたさ。だからあしゃっちともまた一緒にスモチを食べられるっさっ」 そう言って嬉しそうにあしゃくらへと駆け寄る。 あしゃくら「こ、来ないでっ!」 あしゃくらの叫び声に驚いてちゅるやさんは足を止めた。 ちゅるやさん「あ、あしゃっち──」 あしゃくら「あなたは、あなたはいつもそう! わたしの気持ちなんか知らないで、        ずっとキョンくんの隣で仲良く楽しそうに笑ってるっ、わたしは、        わたしはそんなあなたのことがずっと邪魔だったのっ!」 ちゅるやさん「あ、あしゃっち……どうしたのさっ……また一緒にスモチを食べようっさ。          そうしたらきっとみんな幸せな気持ちになれるっさ」 あしゃくら「やめてよ……やめてよっ!」 あしゃくらが叫ぶと突然その手に持っていた俺へ渡したいと言っていた手紙が発光を始めた。 77 名前:29/13[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:17:39.58 ID:zg1LfBPO0 そしてそれはキューブ状に変化して分解再構築されるとサバイバルナイフへと変わった。 忘れもしない、朝倉が俺を刺し殺そうと突進してきたときのあのサバイバルナイフへだ。 あしゃくらは驚いたようにわなないている。 あしゃくら「な、なにこれ……知らない……わたしこんなの知らない……」 あしゃくらの顔は恐怖に染まっている。 このあしゃくらに人は殺せない。あしゃくらを見ていて今ならば断言できる。 このナイフも、あしゃくらの意思で変化したのではない。俺にはそう思えた。 サバイバルナイフはあしゃくらの手に吸い付いたように貼り付き、 あしゃくらを無理やり引っ張っているようにさえ見える。 ナイフにだけ別の者の意思が宿ったような、 不自然なほどあしゃくらからは乖離した殺意に満ちた禍々しい狂気を振りまいていた。 キョン「ちゅるやさ──」 俺がそう叫ぼうとした瞬間、ちゅるやさんに向いていた切っ先がついっと俺の方へと転換した。 そのままあしゃくらの意思を無視するように空中をゆっくりと進み、あしゃくらを引きずっていく。 実際にはあしゃくらの手足だけが操り人形のように動いていて、 両手両足の自由がきかないあしゃくらは必死で体を後ろに戻そうとしているのだがどうすることもできないでいる。 見えない糸で操られるようにあしゃくらはゆっくりと俺に向かって前進してきていた。 78 名前:29/14[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:20:01.83 ID:zg1LfBPO0 あしゃくら「そ、そんな、いやっ! わ、わたしこんなことしたくない!        こんなの、こんなのだめっ! キョンくん、お願い、逃げて、お願い!!」 あしゃくらの悲痛な叫び声が教室内に響き渡る。 異様な迫力に気圧されて俺は身動きが取れなかった。 少しでも動こうものなら弾丸のように一直線に跳びかかってくるという予知めいた予感がした。 鶴屋さんだけは、鶴屋さんだけは傷つけさせるわけにはいかない。俺はあしゃくらから鶴屋さんを隠す。 鶴屋さんは場の異様な雰囲気を感じ取ってか大人しく俺の背中に寄り添っている。 背後を一瞥すると鶴屋さんは不安そうに俺を見上げてきた。 とはいえ鶴屋さんを安心させられるようなネタを俺は持ってはいない。 どんな表情をすることもできず、俺はあしゃくらに向き直った。 あしゃくらが握るサバイバルナイフはじりじりと俺に迫ってくる。あしゃくらの悲鳴が室内に響き渡る。 このままではただ刺されるのを待つばかりだ。 ここは思い切ってあしゃくらからナイフを奪い取るしかない。 あしゃくらがもう二三歩近づいてきたときが勝負だ。ただ殺されるのを待つだけの状況には耐えられない。 俺は意を決して重心を前方に移す。 俺が飛びかかろうとしたその時、ちゅるやさんがあしゃくらの前に立ちはだかった。 79 名前:29/15[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:22:20.02 ID:zg1LfBPO0 ちゅるやさん「あしゃっち……こんなこと、もうやめようっ。その方がいいっさ」 あしゃくら「ちゅるやさん……だめ……逃げて……このままだと、わたしはあなたを!」 ちゅるやさん「あしゃっちはそんなことができる子じゃないっさっ。あたしはそう思うにょろよっ」 あしゃくら「え──」 ちゅるやさんはあしゃくらの手からひょいっと呆気ないほど簡単にナイフを取り上げると、 代わりにどこからともなく取り出したスモチを手渡した。 ちゅるやさんはナイフをその場にぽいっと捨てる。 ナイフがまとっていた禍々しい狂気はもはや感じられなかった。 あしゃくらは糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。緊張の糸も切れたのか大粒の涙を流しながら。 あしゃくら「わたしは……わたしは……あなたをずっと邪魔に思っていたのに……        あなたはわたしに優しくしてくれる……わたしがどんなにあなたの邪魔をしようとしたって        ずっとあなたは私と、本当の友達のように親しくしてくれる……        それが……わたしには辛くって……辛くって耐えられなかったの……」 あしゃくらは言葉の合間にとぎれとぎれに嗚咽を漏らす。 自分を責めるように、自分のしたことを後悔するように自分の感情を吐き出していく。 あしゃくら「だから、だからわたしはあなたをキョンくんから引き離したのに……        それでもなんであなたはわたしに優しくしてくれるの……        そんなひどいことをしたあたしにどうしてこんなに、優しくしてくれるの……」 81 名前:29/16[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:24:36.41 ID:zg1LfBPO0 ちゅるやさん「そんなの、決まってるっさっ」 ちゅるやさんは泣き崩れるあしゃくらに優しく微笑んだ。 ちゅるやさん「あしゃっちが、あたしの大切な友達だからだよっ」 あしゃくらが驚いたようにちゅるやさんを見上げる。 あしゃくら「許して……くれるの……?        こんなに、こんなにひどいことをしたのに、こんなに、あなたを傷つけたのに……」 ちゅるやさん「許すも何も最初から怒ってなんかいないっさっ。          またキョンくんとあたしとあしゃっちでさっ、スモチを食べようよっ。          きっとみんなで食べたほうが美味しいにょろっ」 あしゃくらは一際大粒の涙を流すとちゅるやさんを抱きしめた。ちゅるやさんもそれに応える。 やはり鶴屋さんはどこのどんな世界でも大物だった。 あしゃくらの狂気を鎮めたちゅるやさんは、本当に女神か何かのように見えた。 俺は鶴屋さんの方を見る。鶴屋さんは優しげな瞳で二人を見つめていた。 視線に気づいた鶴屋さんは俺に向き直り優しく微笑みかけてくれた。俺も鶴屋さんに微笑み返す。 ようやく、何もかもが終わったのだ。 そう予感したその時、突如教室の床が裂けるように隆起し炸裂した。 近くに居たちゅるやさんとあしゃくらが吹き飛ばされる。 82 名前:29/17end[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:26:44.62 ID:zg1LfBPO0 あしゃくらは土煙の向こうへ飛ばされ見えなくなった。 ちゅるやさんは教室の後ろ、連絡黒板の前に落下した。 慌てて鶴屋さんがちゅるやさんのもとへ駆け寄る。 俺は舞い上がる土煙を凝視した。そこに誰かが居るような気がしたからだ。 粉塵の奥に覗いた人影に俺は見覚えがあった。 あれこそ、あれこそ間違いなく俺が知っている人物。 俺を一度ならず殺そうとして、そして今、再び俺を殺すためにやってきた。 そんなターミネーターみたいな奴。 朝倉涼子がそこに居た。 84 名前:30/1daydream2[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:29:24.59 ID:zg1LfBPO0 ハルヒ「な、なによあれ! なんなのよ! すごいわ、これは大発見よ! あんな流星群見たことがないわ!」 長門「流星群の大気圏突入時の損耗率、0%。形状を維持したまま現在も地表に接近中」 みくる「あわわわわわわ、ど、どういうことですか〜」 古泉「わ、わかりません。ただ流星群の帯が心なしか大きくなっていっているような……ゴフッゴフッ」 長門「流星群が互いに衝突を繰り返し合体している。巨大な隕石へと変化するのも時間の問題」 みくる「え、そ、それってすごく大変なことなんじゃ……」 長門「そう。あの規模の隕石が太平洋、     あるいは地表に落下すれば大量絶滅クラスの影響を全生命体に与える」 ハルヒ「なんですってぇ!? あたしがまだ宇宙人未来人超能力者異世界人に出会う前に      世界が滅んでたまるもんですかっ! っていうか誰かなんとかしなさいよっ。      突然だっさいタイツを来たキョンが現れてスーパーツッコミビームで隕石をなんでやねんしちゃうとか      そういうことが起こらないのっ!?」 古泉「……ある意味涼宮さんの力が弱まっていてよかったのかもしれませんね」 ハルヒ「なによ、古泉くん。何の話なのよ。って何あれ、なんだかこっちに近づいてくるわよ」 長門「流星群、完全に合体。重力、及び慣性を無視してこちらに高速接近している。衝突は不可避」 みくる「ふええぇええ」 古泉「ほ、本当に世界が、このまま終わってしまうんでしょうか」 85 名前:30/2daydream2[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:31:48.39 ID:zg1LfBPO0 ハルヒ「そんなことあたしが許さないって言ってんでしょっ! んもー! こんな隕石、      さっさとどっか行っちゃいなさいよっ!どうせならもっとおもしろいエイリアンとか連れてきなさいよねっ!」 長門「隕石、地表まで数万メートルの距離まで接近。来る」 みくる「ひゃあぁあああ」 古泉「み、みなさん、うわああ──!」 ハルヒ「……」 長門「……」 みくる「……」 古泉「……」 ハルヒ「──あれ? なんにも起きないわよ」 長門「隕石、地上から数千メートルで突如静止。地表への影響は一切認められない」 古泉「ど、どうやら……助かったんでしょうか……」 長門「不明。情報を検索する」 ハルヒ「ね、ねぇ、あれちょっと見てよ。あの隕石、なんだかみくるちゃんに似てない……?      ていうかそっくりじゃない! いや、でも……なんだろ……どこか微妙に違うような……」 みくる「え! わ、わたしにですか……?」 87 名前:30/3daydream2[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:33:57.48 ID:zg1LfBPO0 長門「体格の同調率は99.9%。ただし顔面の形状が著しく異なる」 古泉「そうですね、どこかのぺっとしているというか無表情といいますか、まったく生気が感じられません」 ハルヒ「人間にできる表情じゃあないわね。      でもあのナイスエロボディは間違いなくみくるちゃん……      実際にいんぐりもんぐりしたあたしが言うんだから間違いないわっ!」 みくる「やぁあ〜、み、見ないでください〜」 長門「流星群、形状変化。発声機能の始動を確認。何らかの音声的コンタクトが予想される」 ハルヒ「い、隕石のみくるちゃんが……しゃべってる! で、でもどうして! どうしてなの──!!?」 89 名前:30/4daydream2end[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:37:41.23 ID:zg1LfBPO0 ググレ流星群「ググれ」 ハルヒ「……」 長門「……」 みくる「……」 古泉「……」 ハルヒ「……夢ね。これは。それもとびきり悪い夢だわ」 古泉「おぉっ、と、突然隕石が爆発しましたっ! し、四方に飛び散るあれはっ! え……」 長門「我々に似た者の足の裏から超光速伝導流体が放出され空中を高速飛行している。     原理は不明。地球に存在する技術ではない」 みくる「わ、わたしはあんなこと言いません〜っ!」 ハルヒ「まぁもうそんなことはどうでもいいじゃない、みくるちゃん。      ほら、綺麗よ。アタシたちが空を飛んでいるわ。そこだけはいい夢じゃない」 古泉「そうこうしているうちに空を飛んでいる涼宮さんが爆発しました!     そして無数の小さな……小さな涼宮さんに……」 ハルヒ「あぁ、もうどうでもいいわ。もうなにもかもがどうでもいいわ。      さっさと全身タイツのキョンパーマンが現れて事件を解決してくれることを祈るだけよ。      さぁ、みんなで叫びましょう」 一同「「「「キョンパーマン〜」」」」 90 名前:31/1[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:40:56.91 ID:zg1LfBPO0 一瞬誰かに呼ばれた気がして窓の方を振り返ったがそんなことはなかった。 そんなことをしている場合ではない。 こいつは、こいつは消滅した筈の、もうとっくに消えてなくなっている筈の朝倉涼子だ。 なんでこいつがここに居るんだよっ。嫌な予感はしていたが、まさか本人が登場するとは思わなかったぜ。 朝倉「久しぶりね、キョンくん……元気にしてたかしら? 学校生活は楽しめてる?     ふふふっ、結構楽しんでるみたいね」 朝倉はそう言って鶴屋さんへと視線を移す。俺の額から冷たい汗が一筋伝った。 こいつのヤバさはあしゃくらが握っていたナイフの非ではない。こいつ自身が全身凶器みたいな奴だ。 腕を金属の槍に変えて伸ばしたり空間を変化させたりなんでもありな奴。そんな奴とどう戦えってんだ。 長門が居なきゃ俺にはどうしようもない。 朝倉は床に落ちていたナイフを拾うとひきつった笑みを浮かべて俺の方を見る。 朝倉「意外そうね? なんで消えた筈の私が復活したのか、わからないって顔じゃない?     教えてあげるわ、その子のおかげよ」 朝倉は刃先を指先でなぞりながらナイフを動かして背後の瓦礫の影で倒れているあしゃくらを示した。 朝倉「その子が、ふふ、もう一人の私が世界をこんな風にいじってくれたおかげよ。     もっとも、こうなることは計算してなかったみたい。     ただ単にあなたとちゅるやさんを引き離したい一心だったみたいね。     わけもわからず世界を改変したせいで、今こんなにめちゃくちゃなことになっちゃったってわけ。     ふふふ、おもしろいでしょう? おかげで私は復活できた。一時的にだけどね。     それでもあなたを殺すには十分な時間だわ」 キョン「ど、どういうことだ? 俺にはまだ、わけがわからない」 93 名前:31/2[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:45:31.76 ID:zg1LfBPO0 朝倉「あら、仕方がないわね。じゃぁ説明してあげるわ。あの時みたいにね。     この子がこっちの世界に現れた瞬間、私の存在はこの子とある意味一蓮托生になったの。     例えるならこの子の一部を間借りしているような状態ね。     この子がここに存在している限り私はここに存在していられる。自分の意思を伴ってね。だから……」 朝倉は切っ先を俺に向ける。 それは正確に俺の心臓を指し示していて、いつでも殺せると言わんばかりの威圧感だった。 朝倉「私は私の使命を果たす。あなたを殺して涼宮ハルヒの出方を見る」 キョン「ま、待て、その急進派って奴は今もそう思ってんのか? 聞いてみろよ、      今はもう事情が変わってるのかもしれないぞ、あれから随分経ったんだ、      俺を殺して困るような状況になってるかもしれないだろ」 朝倉「あらあら、怯えてるのね。昔の私だったらもうとっくにそうしていたでしょうね。でも今はどうでもいいの。     私、うれしいのよ? またあなたに会えて。あなたを私の手で殺せると思うとゾクゾクするわ。     正直、使命なんて関係ない。あなたを殺せればそれでいい 」 なんてことだ。 今や朝倉は情報統合思念体の差し向けた暗殺者ではなく、既に一介の殺人鬼へと変貌していた。 俺の最後の希望は絶たれたに等しい。どうすれば、どうすればいいってんだ。 不意に自分が電車に追いついたときのことが思い浮かぶ。 あの力が使えたなら鶴屋さんやちゅるやさん、そしてあしゃくらを連れてこの場から逃げおおせるかもしれない。 だがその力はあの時の一回こっきりでそれ以降使うことはできなかった。 今も使えるという保証はない。 だが、今はそれに頼るしかなかった。 94 名前:31/3[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:48:48.75 ID:zg1LfBPO0 俺は必死であの時の高揚感を思い出そうとする。 朝倉「何かしら。駆けっこでもしようっていうの? 面白そうね。私も参加させて欲しいわ」 クスクスと楽しげに笑う朝倉の目は全く笑ってなど居なかった。 獲物を狩る直前の猛禽類のような視線。機先を制されてしまった。こいつにはどこまでがお見通しなんだよ。 鶴屋さんは連絡黒板の前でちゅるやさんを抱きかかえて呆然と立ち尽くしている。 それはそうだろう、朝倉の言っていることは傍から見れば頭のイカれた狂人そのものだからだ。 俺はこいつのことを少なからず知っているからかろうじて落ち着いていられるが、鶴屋さんは違う。 俺が初めて朝倉の話を聞いたときのような、理解が状況に追いつかないゆえの焦燥感を感じているのだろう。 ただならない危機感だけが内蔵を締め付けられるような不快感と共にまとわりついて離れない。その気持ちは痛いほどにわかった。 朝倉「こんな可愛い彼女を抱えて私から逃げられるなんて思わないことね。     たとえそれが適ったとしても、どっちみちあなた……たち……は……」 鶴屋さんに視線を移した朝倉の表情が一瞬苦痛に歪んだような気がした。 目は限界まで見開いて口元が小刻みに震えている。いったいどういうことだ。 こいつが突然こんな顔をするなんて。鶴屋さんの何に反応したっていうんだ。 俺は嫌な予感がした。朝倉の怨念があしゃくらのナイフに宿っていたことを思い出す。 もしそれが朝倉に対しても起こっていたとしたら? 朝倉にも予想外の筈だ。 自分が一方的に操っていたつもりの対象から、深刻な影響を受けているなどと、こいつが認める筈がない。 だがそれはこいつ自身が一番よくわかっているのだろう。だからこそまずい、 こいつは、こいつは自分の、自分自身の感情を否定しにかかる。それはもちろん、鶴屋さんに対する凶気としてだ。 朝倉にとって鶴屋さんを攻撃するのにそれ以上の理由はいらない。奴は何の迷いもなく鶴屋さんを襲う、それも今すぐにでも。 動け、動けよ俺の足、動け──。 95 名前:31/4[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:51:04.49 ID:zg1LfBPO0 朝倉「あなた……気に入らないわ……」 朝倉が鶴屋さんに向かって飛びかかる。鶴屋さんはとっさに身構えるもちゅるやさんを抱えて、 それも宇宙的人外である朝倉を相手にして太刀打ちできる筈がない。 鶴屋流古武術はさすがに宇宙人との戦闘は想定していないだろう。俺が、俺が鶴屋さんを守るしかない。 超高速の脚力は発揮できなかったが朝倉の動きを予想できていたことが幸いした。 俺と鶴屋さんの距離が朝倉より離れていなかったこともだ。 いつの間にか走り出していた俺は朝倉と鶴屋さんの間に飛び込み、ナイフの切っ先の前に立ちはだかった。 朝倉の頬が一瞬狂喜に歪んだ気がした。朝倉の左右のバランスの崩れた狂ったような顔が迫る。 俺は覚悟を決めた。 だが次の瞬間、俺の体はふわりと浮き上がりバランスを崩した。 ナイフは俺の体をかすめ脇腹をえぐり朝倉はそのまま連絡黒板へと突っ込んだ。 もうもうと煙が立ち上り木片が辺りに散乱する。木くずの雨が降り倒れこむ俺の顔にパラパラと落ちた。 鶴屋さん「キョンくん……キョンくんっ!」 鶴屋さんが俺に駆け寄ってくる。 どうやら鶴屋さんがとっさに俺の体勢を崩して投げ飛ばし間一髪でナイフを回避させてくれたようだ。 とはいえ朝倉の動きが速すぎて完全には間に合わなかったらしい。 それでも生身の人間としては達人クラスの動作と言っていい。 鶴屋さんが俺を投げ飛ばしてくれなかったら俺は今頃あの世行きだった。 こうして鶴屋さんの顔を再び見ることもできなかっただろう。俺は心の底から鶴屋さんに感謝した。 この頼りになる偉大な先輩に、俺の可愛い先輩に。 96 名前:31/5[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:53:35.24 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さん「キョンくん……しっかりするっさっ! キョンくんっ! 死なないでおくれよっ!        お願いだからさっ、一生のお願いだから……死なないで欲しいにょろ……        お願いだよキョンくん……キョンくんっ……」 鶴屋さんの俺を呼ぶ悲痛な声が聞こえる。俺は霞んでいく視界の中でかろうじて鶴屋さんを認めた。 俺がかすかに笑いかけると鶴屋さんは安心したのか大粒の涙をこぼした。 キョン「あなたの……おかげです……鶴屋さん。おかげで命拾いしました……」 鶴屋さんの表情がぱぁっと明るくなる。 鶴屋さんは俺の頭を自分の膝の上に乗せると力いっぱい俺を抱きしめた。 キョン「すみません……鶴屋さんは一人でも平気だったのに……      俺がバカなことをしたせいで余計な迷惑をかけてしまって……」 俺は鶴屋さんの凄さを見誤っていた。鶴屋さんは俺の助けなど初めから、ぜんぜん、 まったくこれっぽっちも必要とはしていなかったのだ。 雲の上の人だなんだと散々心の中で持ち上げておいて腹の底ではまだこの人を常識の範疇で捉えていたらしい。 そんな自分の浅い思考が恨めしかった。 だが鶴屋さんはそんな俺の考えを否定するように首をふるふると横に振った。 鶴屋さん「キョンくんが間に立ってくれたからあたしの動きが読まれなかったっさっ。        あたしが助かったのはキョンくんのおかげにょろっ、そうじゃなかったら間違いなく動きを合わせられてたっさ……        あんな速さで迫られたら正直……どうしようもないっからね……」 どうやら俺の犠牲もまんざら無駄ではなかったらしい。 鶴屋さんの言葉を信じるならば俺は鶴屋さんのことを超常的な力に頼ることなく自分の力だけで守れたのだ。 俺のしたことは決して余計な邪魔なんかではなかった。そう思うとえぐられた脇腹の激しい痛みでさえ誇らしく感じられる。 97 名前:31/6[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:55:59.11 ID:zg1LfBPO0 鶴屋さんの無事な姿とその笑みに俺は安堵の溜め息を吐いた。 だがまだ安心するには早すぎる。朝倉はまだそこに居て、いつ再び襲いかかってくるかわからない。 えぐられた脇腹から徐々に痛みが引いて何も感じなくなっていく。 痛みが失せるにつれて俺の意識も朦朧とし始め周囲の輪郭はぼやけ視界が曖昧になっていった。 俺は陰っていく視界の中鶴屋さんに語りかける。 キョン「逃げて……ください……あいつは人間が相手してどうこうできる奴じゃない……宇宙人なんですよ……      しかもターミネーターみたいにしぶといんです……そんな奴をどうこうできっこない……      鶴屋さん……俺のことはもういいです……ですから……だから……」 あなただけは逃げてください。そう言おうとしたところで鶴屋さんが俺の口を押さえて言葉を遮った。 鶴屋さん……? 鶴屋さん「そんなこと……そんなこと言わないで欲しいにょろ……あたしの居る場所は……        キョンくんの隣だって言ったはずさっ! 絶対に、絶対にキョンくんを一人では置いていかないよっ、        そんなのは、キョンくんが許してくれたって、あたしがあたしを許せないっさ……」 鶴屋さん、そう言ってくれることは涙が出るほど嬉しいですが、でも、でも今は俺は あなたになによりも生き残って欲しいんです。だからお願いです。逃げてください……逃げてください……。 俺の願いも虚しく鶴屋さんはその場から動かず、立ち上る粉塵の向こう側から朝倉が憤怒の形相を見せながら現れた。 俺は絶望に打ちひしがれる。朝倉のそんな感情をむき出しにした顔は見たことがなかった。 涼しい顔で笑いながら消えていった、そんな朝倉涼子はもういなかった。 99 名前:31/7[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 02:58:09.01 ID:zg1LfBPO0 朝倉「あなたは……いつも……いつも私の邪魔をして……殺してやる! 八つ裂きにして殺してやる!」 もはや朝倉自身その感情が自分のものなのかあしゃくらのものなのか区別がついていない。 あしゃくらの感情と朝倉の狂気がクロスオーバーし危険な化学反応を起こす。 鶴屋さん、お願いだ。逃げてくれ。 誰か…誰か居ないのか……俺たちを助けてくれる誰か……どこかの誰か……。 お願いだ、俺のことはいい。鶴屋さんを、鶴屋さんだけは助けてくれ。 朝倉はゆっくりとこちらに近づいてくる。狂喜と凶器と狂気を振り乱し、胸喜に打ち震えながら。 充足する寸前の恍惚の表情を浮かべて。俺が最も恐れていた自体がそこにあった。 鶴屋さんが気丈に朝倉を睨みつける。鶴屋さんの俺を抱きしめる力が強くなる。その手は小刻みに震えていた。 本当はこの場から逃げ出したくてたまらないのだろう。なのに俺なんかのためにこの場に残ってくれている。 それは俺が想定した最悪の自体そのものだった。鶴屋さんがいっそ俺のことを見捨ててくれればどんなにいいだろう。 鶴屋さんの俺に対する優しさが今は完全に裏目に出てしまっていた。 朝倉は俺と鶴屋さんの前で立ち止まると逆行で影になった暗い表情に目いっぱいの蔑みを浮かべて俺たちを嘲笑った。 朝倉はナイフを逆手に持ち替える。ナイフを握る手が徐々に振り上げられていく。 朝倉「あなた……本当に邪魔よ……」 朝倉の冷たい囁きと共にナイフは無慈悲に振り下ろされた。 100 名前:31/8[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 03:02:57.68 ID:zg1LfBPO0 俺は心の中で叫んだ。やめてくれ、お願いだからやめてくれ。 今そこに居るだれか、どこに居るだれでもいい。 助けてくれ。お願いだ──俺たちを助けてくれ──。 突然朝倉の背後から何者かの手が飛び出してナイフの刃を素手で掴み上げた。 朝倉のナイフを掴んでいた腕がひねり上げられて小さくうめき声をあげる。 背後を振り返った朝倉の声は驚愕に満ちていた。 朝倉「う、嘘よ……あなたにこんなことができる筈がないわ……ただの人間のあなたに……     ありえない……ありえないわ!」 朝倉が悲痛な声で叫ぶ。どうした、なにがこいつをそんなに動揺させてるってんだ。 鶴屋さんを見上げるとその表情も朝倉同様驚愕に満ちていた。 しかしその瞳はどこかランランと輝いて、まるでスーパーヒーローを間近で見た少年のようにきらめいている。 目尻にうっすらと涙をためて嬉しそうですらある。誰だ──鶴屋さんにこんな顔をさせるそいつ、 朝倉のナイフを素手でつかみあげたそいつは誰なんだ──。 俺の目にぼんやりとした人影が飛び込んでくる。こいつは一体誰なんだ──。 そいつは人間離れした動きでそのまま朝倉を弾き飛ばすとその場に仁王立ちした。 朝倉「がふっ──!?」 朝倉は空中で二回三回と回転し体勢を整えると床の上に着地した。 朝倉の体から骨が軋むような嫌な音がする。どうやらあの一撃は朝倉にダメージを与えているようだ。 無尽蔵の体力と回復能力を持つ朝倉にダメージだと? 俺には状況がまったく飲み込めなかった。 101 名前:31/9halfend[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 03:05:29.55 ID:zg1LfBPO0 誰だ? 長門か? お前が来てくれたのか? いや、違う。あれは俺と同じ男子の制服だ。 誰だ、谷口、なわけないか。まさか古泉じゃないよな。もしそうなら俺はお前にキスしたっていい。 俺が半分暗闇がかった視界をゆっくりと上へと向ける。 そこに立っている人物に俺は見覚えがあった。たった一度だけ夢で見たあの男。 なんとも味気のない、のっぺりとした表情。どんなに人生を儚んで絶望に伏したとしても絶対にあんな顔はできまい。 それはまさに一切の感情を見いださせない虚無の表情である。人知を超越した何者かの顔である。 だがそれは間違いなく俺のよく知っている人物だった。 それは──俺だった。 そしてその俺は間違いなく異世界人であった。まったく笑えない冗談だった。 にょろっとした俺だから……にょろキョンでいいのか? とにかく俺はお前をそう呼ぶぜ。 そいつ……にょろキョンはゆっくりと両手を上げ体の正面で交差させた。 にょろキョン「だーめ」 2 名前:31/10halfstart[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 23:48:49.08 ID:zg1LfBPO0 次の瞬間、朝倉がナイフを握っていない方の手を金属質の槍に変異させ もう一人の俺に突き立てようと突進してきた。 弾丸のように飛来する金属質の槍は正確ににょろキョンの心臓を貫かんとしていた。 だがもう一人の俺はまるで気配を感じさせない動きで朝倉の突進をスルリとかわすと 瞬時に距離を詰め朝倉の足を払い浮き上がらせたその腹に深々と俊脚をめり込ませた。 突進してきた朝倉は逆に弾き返され机や椅子を巻き込みながら盛大に吹き飛んだ。 もう一人の俺はそのまま両手をポケットの中にしまう。 どうやら俺と鶴屋さんを守るために朝倉を蹴り飛ばしてくれたらしい。 表情からは読めないが意外と考えている奴だった。 俺には真似できそうにないな。 ふとそんなことを思った。 朝倉は憤怒の形相で机や椅子を吹き飛ばしながら立ち上がった。 ダメージはあるが深くはなくむしろ精神的な動揺で我を忘れているようだった。 朝倉がナイフと槍を交互に突き出しもう一人の俺に襲いかかる。 にょろキョン「いけない子だ」 余裕綽々、というか余裕という感情自体存在するのかどうかまるで読めない表情で 朝倉の連続攻撃を事も無げにかわしていく。 その場からほとんど動きもせずに朝倉の連続攻撃をさばききった。 朝倉は疲れているように見えた。肉体的な疲労ではなく、精神的な疲労によって。 朝倉とにょろキョンはなおも格闘を繰り広げていく。 4 名前:31/11[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 23:51:13.80 ID:zg1LfBPO0 椅子が飛び、カーテンが裂かれ、床が壁が飛び散った。 そんな喧騒の中で俺は鶴屋さんに話しかける。 キョン「すみません……鶴屋さん……本当は俺が助けたかったんですけど……      できませんでした……ははっ、笑っちまいますよね……」 どうやら俺にも冗談を言うぐらいの余裕はあるようだ。 同じ人間に何度も刺されているせいか変な耐性ができてしまっているのかもしれない。 鶴屋さんは泣きそうな顔で俺に振り向いた。 鶴屋さん「キョンくんは……ちゃんと守ってくれたさ……        あたしを ……こんなになってまで守ってくれたさ……        こんなに嬉しいことはないっさ……だから……」 涙を目尻にいっぱいに貯める。こらえきれなかった涙がぽろぽろと俺の顔に落ちた。 鶴屋さん「死なないで欲しいにょろよ……キョンくん……」 俺は泣き顔も美人だなと場違いな感想を抱く。 それが自分の為ならことさら可愛く見えるのも無理はないのだ。 俺は鶴屋さんの髪を撫でる。ごめんなさい、鶴屋さん。 俺のせいで、あなたを何度も何度も泣かせてしまって。何度も何度も傷つけてしまって。 本当に、本当にごめんなさい。 そしてこんな俺の傍についていてくれて、見捨てないでいてくれて、本当にありがとうございます。 キョン「鶴屋さん……俺はあなたのことが……大好きです……」 5 名前:31/12[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 23:54:01.64 ID:zg1LfBPO0 思えば鶴屋さんにはっきりと気持ちを伝えるのはこれが初めてなんじゃないだろうか。 いつも頭の中で考えているだけで、 まったく口に出すことがなかった言葉を俺は今になってようやく伝えることができた。 鶴屋さんの表情が悲痛に歪む。こぼれ続ける嗚咽が悲しみと苦しみの深さを物語っていた。 それでも鶴屋さんは一つの弱音も一つの弱気を吐くこともなく俺の隣に居てくれる。 俺の隣に居たいと言ってくれる。俺は鶴屋さんの頬を伝う涙を指先でぬぐった。 キョン「お返事は……?」 鶴屋さんは生意気だぞっと一瞬責めるような表情をした。 それもすぐに微笑みに変わる。 泣きながら、笑う。そんな複雑な表情で。 鶴屋さん「そんなの……決まってにょろ……」 鶴屋さんが女神のように微笑む。 頬をニカッと釣り上げて、目いっぱい八重歯をのぞかせながら。 鶴屋さん「あたしは……キョンくんのことが大好きっさっ……」 俺は鶴屋さんの頬を撫でた。 校舎の柱の一つが吹き飛んで天井が軋むような音を立てる。 戦いはなおもつづいていた。 6 名前:31/13[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 23:57:06.49 ID:zg1LfBPO0 朝倉が繰り出す怒涛の連続攻撃はすべてもう一人の俺にさばかれ そのたびにカウンターを打ち込まれている。 一撃一撃のダメージは軽いようだが二発三発と立て続けに食らうたびに朝倉の動きが鈍くなっていく。 にょろキョンはときどき朝倉の機先を制するように軽い打突をあご先などの急所に打ち込んでいる。 一瞬だけ手元が見えたのだが人差し指と中指を軽く伸ばしてそっと触れるように突いているだけだった。 だがそれだけの動きで朝倉の速度は半分以下に殺され 微妙な重心の変化で体勢を崩し足元はおぼつかなくなり頭から盛大にずっこけた。 もう一人の俺は軽くステップを踏む。 だがそれでも朝倉の体力は尽きることがなく転倒するたびに起き上がり もう一人の俺に直線的な突進を繰り返す。 微妙なパワーバランスの膠着状態が続く。 焦った朝倉が大ぶりの攻撃を加えるとにょろキョンはふわりと跳躍した。 朝倉「バカね、空中では逃げ場がないわよ──!」 待っていたと言わんばかりに朝倉は叫ぶ。 朝倉の背後から無数の隠し槍が展開されもう一人の俺に迫った。 戦いの駆け引きの上では朝倉の方が上なのか。 スピードでは叶わないと見るや、直線的な突進を繰り返していたように見えて もう一人の俺が飛び上がって逃げ場をなくすのを待ちかまえていたらしい。 畜生、もうお終いなのか。 やっぱりいくら超人的な異世界人とはいえ本物の人外である朝倉にはかなわないっていうのかよ。 畜生──。 7 名前:31/14[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 23:59:33.57 ID:zg1LfBPO0 俺がそう思った次の瞬間、すべての槍が宙を切っただけで にょろキョンは瞬間移動でもしたかのように突如別の場所に出現した。 何事か理解していない様子の朝倉。単にそれを信じられないだけなのかもしれない。 だがここから見ていた俺にはよくわかる。 なんのこともない。あいつは天井を蹴って天井を走って今、天井に立っているだけだ。 大丈夫、あれは異世界の俺だ。不思議じゃない。なんのこともない。俺はまだ正気だ。 そのはずだ。俺が電車に楽々と追いつけた脚力。あいつはそれを持っているんだ。 なぁ、俺。遊ぶのはもう終わりにしようぜ。 あいつは俺だけじゃなく鶴屋さんやちゅるやさんまで傷つけようとした。怒っているんだろ。 言わなくてもわかるぜ。だってお前は俺なんだ。お前の感じる怒りは俺の怒りなんだ。 やっちまえよ。なぁ、キョン。やっちまえ──! にょろキョン「……しょうがない子だ」 もう一人の俺の声に朝倉の肩がぴくりと反応する。 髪を振り乱してボロボロにすり切れた体を小刻みに揺らし静かに笑い始めた。 朝倉「ふふ……ふ……なによ……ちょっと驚いただけじゃない……得意げになっちゃってさ。     ただちょっと動きが素早くて、天井を走れるからなに? なんだっていうの?     ただの人間でしょう。どこまでいってもただの原始的な生命体でしょう!?」 そして金属質の槍を元の人間の手に戻し勢いよく正面にかざすとニヤリと頬を引きつらせて笑った。 嫌な笑い方だった。 8 名前:31/15[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:01:44.05 ID:g4lxuVci0 朝倉は一体何をするつもりだっていうんだ。 朝倉「あなたの存在……面白いけど……涼宮ハルヒには及ばない……     もういいわ、構成情報の一辺まで……消えて……なくなりなさい!」 朝倉の手の平から未知の光線が放たれる。 それは無数の光の粒子へと変化しにょろキョンの体にまとわりついた。まずい、逃げろ、俺! 朝倉「ふふふ……楽しい時間はもう終わりよ……     あなたの情報は量子レベルまで分解されて消えてなくなるわ。     自分が跡形もなく消される気分はどう? 私はなかなかいいと思うの。     自分の存在理由も何もかもが失われて消え去っていく、あの一瞬は本当に忘れられないわ!」 朝倉の顔面は狂喜に満ちていた。 高らかに叫ぶその声は無感情な宇宙人などではなく、狂った一人の人間のようだった。 その肉体を構成する有機情報があしゃくらの感情に刺激されて激情の糸を紡ぎ始めたのだろうか。 生まれて初めて感じた感情が他人への不快感だった、そんな朝倉に対して俺は哀れみさえ感じた。 光に包まれるにょろキョン。だがもう一人の俺はなんでもないような顔で光の束の中から足を踏み出す。 肌にも制服にもどこにも変わったところは見受けられない。 朝倉は驚愕に顔を引きつらせながら叫ぶ。 朝倉「な、なんでよ……なんでなのよ! あ、アナタは一体なんなのよ!!!」 にょろキョン「キョンです」 9 名前:31/16[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:05:08.76 ID:g4lxuVci0 そう言ってにょろキョンは朝倉との距離を瞬時にして潰した。 朝倉は完全にムキになってもう一人の俺を渾身の一撃で迎え撃つ。軌道が直線的だ。 にょろキョンは軽やかな足さばきで四方八方を蹴りクレーターを残しながら部屋中を跳躍する。 眩惑されたように立ち尽くす朝倉。視線が完全に泳いでいた。 にょろキョンを捉えられないでいた朝倉は一瞬現れた影に斬りかかるもそれはスモチだった。なぜにスモチ? もう一人の俺は死角から朝倉に飛びかかると朝倉を抱えたまま机や椅子や教壇を弾き飛ばしながら直進し 朝倉共々黒板にめり込んだ。建物全体が揺れたようにさえ感じるほどの凄まじい衝撃が伝わってきた。 正面から完全に押さえつけられた朝倉は一切身動きが取れない。背中の槍も封じられたようだった。 もう一人の俺は朝倉を締め上げる力を強くする。朝倉のうめき声と共に握り占めていたナイフが滑り落ちた。 朝倉「ふ……ふふふ……異世界のあなたに私の力は通用しないってわけね……     誤算だったわ……きっと切っても刺しても無駄なんでしょうね……     ナイフを素手で掴んだって平気ですものね……ふふふ」 朝倉は先程までとは打って変わって余裕の表情を見せていた。 なんだその余裕は。さっきまでの燃えるような怒りを見せていた朝倉はどこへ行ったんだ。 なんでそんなに余裕のある顔をしているんだ。 ある種の諦観や覚悟さえ感じさせるようなその嫌な表情はなんだ。 俺は悪い予感がした。 朝倉の形相が一転にして憤怒に変わり金切り声を上げながらその口から血反吐をまき散らし叫んだ。 10 名前:31/17[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:07:22.86 ID:g4lxuVci0 朝倉「でもこの教室はこちらの世界のものよ──!     この空間そのものがなくなったらあなたはどうなるのかしら? 死なないかもしれないわね。     でも永遠に時空の狭間を漂い続けることになるんじゃないの? 永遠に、老いることもなく、意識を保ったままね!     私もそうなるわ! でもいいの……私は私が生まれた目的さえ果たせればそれでいい!     涼宮ハルヒの絶望する顔が目に浮かぶようね、     あはははははは!」 俺は背筋に寒気がした。俺に膝枕をしている鶴屋さんも凍りついたように動かなくなっていた。 朝倉の言葉の意味はわからないが、言わんとしていることは理解できたのだろう。 蒼白な顔で事の成り行きを見守っている。 もう一人の俺もさすがに朝倉の情報改変そのものをやめさせることはできないようだ。 読めないその表情の奥では今の俺のように焦りを感じているのだろうか。 ふいにもう一人の俺が口を開きちゅるやさんに語りかけた。 にょろキョン「ちゅるやさん。逃げなさい」 いつの間にか意識を取り戻していたちゅるやさんがそれに答える。 ちゅるやさん「きょ、キョンくんを置いていけないにょろ……」 ちゅるやさんも鶴屋さん同様健気であった。そんなちゅるやさんにも構わずもう一人の俺は続ける。 にょろキョン「逃げないともうスモチあげません」 冷たく言い放つその言葉の裏にはちゅるやさんに対する暖かい気遣いが感じとれた。 11 名前:31/18[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:09:36.00 ID:g4lxuVci0 こいつもこいつで、傍から見て不可解ながらちゅるやさんのことを気遣っているのだ。 そう思うだけでこいつののっぺりとした表情が急に人間味を帯びてくる。 ちゅるやさんが何故このもう一人の俺と居たがるのか今ならわかるような気がした。 ちゅるやさん「いいにょろ……キョンくんと一緒に食べられないスモチなら……          いらないにょろ……」 ちゅるやさんは泣きながら訴える。そんなちゅるやさんに対してもう一人の俺はかすかに、 注意しなければわからないほど本当にかすかに頬を動かして小さく笑う。 にょろキョン「本当にしょうがない子だ」 この二人にはこの二人で、俺にはわからない絆があるようだった。 俺はこいつのことを誤解していたのかもしれない。その点では反省する。 だがお前がちゅるやさんにしたことをまだ許したわけじゃないからな。そこんところは勘違いするなよな。 そう思うとにょろキョンの頬がかすかに吊り上がった気がした。 バカにされたような気がしたのは気のせいだったのだろうか。 俺の思考を遮るように朝倉が絶叫する。 この世のすべてを呪い蔑むかのように激しく、暗く、陰鬱な瞳で俺たちを睥睨していた。 朝倉「あははははは! 美しいわね!     でもあなた達のね……そういうところが……     大っきらいなのよ!!!!」 12 名前:21/19[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:12:11.79 ID:g4lxuVci0 朝倉は既に狂っていた。 最初っから狂っている奴だったが、今は自分さえ見失っている。その姿は哀れにすら思えた。 あいつには自分なんて初めからなかったのかもしれない。 だから自分があしゃくらから受け継いだ──自分自身の──感情に対応できないでいるのだろう。 使命を超えて、感情をぶちまけているように見える。 あいつは間違いなく、自分ごとこの場にいる全員を殺すだろう。そう断言するに十分すぎる狂気をはらんでいた。 この場で動ける者は誰一人としていない。もう終わりなのかもしれない。 俺は鶴屋さんを見る。鶴屋さんも俺を見つめている。不安と恐怖で張り裂けそうな胸の内が伺える。 鶴屋さん、最後にあなたの膝の上で死ねるなら本望です。けれども、けれどもですよ。 できればこのまま、あなたと生きていたい──── そう思うことは今は贅沢なのかもしれない。けれども、それは本心からなんですよ。 鶴屋さん──── 教室中が白い光に包まれる。 朝倉が白い粒子となって消えたあの光が、この場にいる生命体以外のすべてを消し去っていく。 窓の外の風景さえも、泡のように弾けて消えていく。これが空間ごと消されるっていうことなのか。 鶴屋さんが俺をぎゅっと抱きしめる。俺も力無くそれに応えた。 ごめんなさい、鶴屋さん。あなたを巻き込んでしまって。 ごめんなさい……本当にごめんなさい。 13 名前:31/20[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:15:06.23 ID:g4lxuVci0 朝倉「あぐっ……あぁああぁああっっ!!!」 朝倉が突如絶叫した。 それと同時に消えていく教室もいつの間にか何事もなかったかのように元に戻っていた。 外の景色も、差し込む夕日もある世界に帰ってきた。だが何故だ、何があった? 朝倉のあの尋常ではない痛がりようはなんなんだ。もう一人の俺が何かやったのか? いや、違う、あれは、見覚えのあるあいつは、あいつは──。 それはちゅるやさん並に小さくて遠目に見つけるのは困難だった。 ただでさえあの俺と朝倉が暴れてさんざん備品が飛散したこの教室ではなおさらのことだ。 それは小刻みに震えていた。何か恐れを必死でこらえているような小さな嗚咽と共に。 あしゃくらは朝倉が落としたナイフを握りしめていた。 赤い血が滴り落ちる。誰の血だ、もう一人の俺を刺したっていうのか。 違う、叫んだのは朝倉だ、なら、ならあしゃくらが刺したのは──── だがバカな、そんなことがあるっていうのか。 あしゃくらが刺したのは朝倉だった。 ナイフを構えたまま肩を、全身を震わせて泣いている。そのあしゃくらは、 俺が知っている朝倉とは違う、まったく違う生き物だと信じられるほどに人間らしく悲しんでいた。 少なくとも俺にはそう見える、そう見えないわけがなかった。 14 名前:31/21[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:17:33.91 ID:g4lxuVci0 朝倉「な、なんで……あなたは……私なのに……私の味方であるべきなのに……!  なんで……なんで私が私を裏切るの!!? なんで、なんでなんでなんでなんでなんで!!  どうしてッ──!?」 心底納得できないという表情で驚愕と理解の不全による不快感を隠すこともなく朝倉はもう一人の自分をなじった。 言葉を発するたびに口からは赤い血がこぼれ落ち朝倉の構成物質が有機体であることを物語る。 顔を振るたびにまき散らされた血液があしゃくらの前にも散らばる。 あしゃくらはもう一人の自分を悲痛な面持ちで見上げている。 あしゃくら「それむり……」 ただ一言、あしゃくらはつぶやいた。 朝倉が目を見開いて驚愕する。 親玉である情報統合思念体に見捨てられたってあんな顔はしないだろう。 言葉をつなぐこともできずただ口だけが宙を噛む。 わなわなと肩を震わせて、信じられないといった表情で。 あしゃくら「キョ、キョンくんや……ちゅるやさんを傷つけようとする人は……        たとえわたしであっても許せない……ちゅるやさんは……こんな私でも友達だって言ってくれたの……        だから……あなたを止めるの……ごめんね……もう一人のわたし……        私は……私より……大切な人がいるから……あなたに……この気持ちもわかってほしかった……        けどごめんね……あなたを狂わせたのも……わたしの気持ちだから……        だから私が……あなたを止めるの……誰よりもあなたにとって身近な……私自身の手で……」 15 名前:31/22[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:19:56.38 ID:g4lxuVci0 あしゃくらの言葉を聞いた朝倉の顔からみるみるうちに力が抜けていき、 張り詰めていた表情が解きほぐされていった。 その瞳はどこか寂しげな光をたたえてゆらゆらと揺らめいた。 俺には、あの朝倉が泣いているように見えた。うすらぼんやりとする視界の中で、その光は確かに見えた。 俺には、確かに見えたんだ。 夕日が雲で陰り教室から光が失われていく。その影の中で朝倉が少しだけ微笑んだ気がした。 朝倉「そうなの……これは……あなたの気持ちだったのね……」 その言葉はどこか優しげで、あしゃくらに語りかけるようでいて、自分自身に言い聞かせているようにもとれた。 先程までの朝倉からは考えられない、信じられないほど穏やかな表情だった。 朝倉「ふふふ……素敵じゃない……     あたしも……生きている間にこんな気持ちを感じてみたかったわ……     そうしたら、ただの長門さんのバックアップじゃなくって……     きっと、あなた達と一緒に……」 朝倉はそう言って優しく微笑んだ。 その表情はどこか納得しているような、儚げなものだった。 もう一人の俺が朝倉を開放する。もう害はないと判断したのだろう。 ゆっくりと朝倉を黒板から引き出し、その場に寝かせた。 朝倉はもう一人の俺の頬を指の背でなぜるような仕草をした。 そしてその頬に優しく手を添える。 16 名前:31/23[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:22:26.07 ID:g4lxuVci0 朝倉「ふふふ……あたしのために泣いてくれるの……?     あなたって……本当は……」 朝倉の体は既に半分以上消滅していて、立ち上る光の粒子へと変わっていく。 いつかに消滅したときのように、やはり涼しい笑顔を見せながら、朝倉涼子が消えていく。 光の粒へと変わっていく。 朝倉「優しい人なのね」 そう言った次の瞬間、朝倉涼子の存在はこの教室から完全に消え去っていた。 再び大粒の涙を流すあしゃくら。人目もはばからず泣き崩れる。 そんなあしゃくらを見下ろすにょろキョンの目は表情こそ読めなかったが決して冷たく蔑むようなそれではなかった。 俺にはわからない、もう一人の俺だけの感情がそこにはあった。 俺に俺だけの感情があるように、こいつにはこいつだけの感情があるのだ。 他の誰に教えるでもない、たった一つの感情が。 でも、今ならわかるぜ。俺にだって、お前の考えていることがよ。 そう思わせてくれよ。なぁ、俺。 鶴屋さんが俺の手を取り微笑みかけてくる。俺は鶴屋さんの手を握り返して返事をする。 鶴屋さんの表情からはもはや恐怖や不安は消え失せていて いつもの朗らかで気持ちのいい鶴屋さんに戻っていた。 やっぱり俺の可愛い先輩には笑顔が一番似合う。 俺がそう思ったのを感じたのか鶴屋さんは照れくさそうに笑った。 どうやら俺の顔は今相当ニヤついているようだ。なに、鶴屋さんが笑ってくれるんだ。 それぐらいのこと、かまやしないさ。 17 名前:31/24[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:25:27.19 ID:g4lxuVci0 ちゅるやさんが鶴屋さんの傍を離れもう一人の俺のもとへと駆け寄る。 にょろキョンとちゅるやさんがあしゃくらのもとへと歩み寄る。 ちゅるやさんはあしゃくらの肩を抱いて顔を上げさせた。その瞳には後悔の涙がいまだ浮かんでいた。 もう一人の俺はそんな二人をまとめて抱え上げると俺たちの方を向く。 あしゃくらの頬が若干桃色に染まっているのが見えた。 にょろキョン「しっかりやれよ」 俺は俺にそんなことを言われた気がした。 なにをやれというのか。 それは決して俺が考えているような不埒なことではなく、きっと別のもっとましな何かの事なのだろう。 俺は軽く手を軽く動かして返事をする。今は口を動かすわずかな体力さえ惜しかった。 時間がない、そんな漠然とした予感だけを根拠にして。 再びちゅるやさん、もう一人の俺、あしゃくらの姿がぼんやりと輪郭をなくし、 あの煙のような白い光へと変わっていく。うっすらと薄まっていく光は夕日の中に溶けるように消えて、 やがて見えなくなった。かすかな余韻さえも残さずに連中はさっさと行ってしまった。 後に残されたのは無残に崩壊した教室と、粉々に破壊された備品と、へし折れた掃除用具と、 俺の脇腹の傷跡だけなのだった。 これをどう片付けろというのだろう。ちょっと無理な相談だった。日直の鶴屋さんが可哀想ではないか。 仮に鶴屋さんがどんなに不器用で壊滅的な掃除の腕を持っていたとしてもここまではできまい。 うっかり鶴屋さんの掃除の腕が破壊的だという評判が立てばさっさと一緒に下校できるかな、 などという不埒な考えをしてしまう。 そんな俺の馬鹿な考えを知ってか知らずか鶴屋さんは一連の惨状を眺めて俺に笑いかける。 18 名前:31/25[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:28:07.64 ID:g4lxuVci0 鶴屋さん「あっははっ、これじゃぁ一週間くらい帰れないかもしれないっさっ」 あっけらかんと笑う鶴屋さんの表情は晴れやかだった。 さきほどまでの騒動が嘘のように、心は天高く澄みきっていた。 俺は鶴屋さんの手を握る。鶴屋さんは握り返してくれる。 なんとも言えない静かな時間が流れた。 教室の床や外の景色から徐々に光の粒が立ち上っていく。 それはやがて光の帯へと変わり天に地に様々な場所を這い回る。 存在自体がゆらいでいく。既視感を伴ないながら初めてみる光輪が世界を包み込んでいく。 空を見上げると流星群が天に輪を作っていた。そして何か人型の物体が勢いよく天を駆けていくのが見えた。 なんだあの面白い生き物は。ハルヒが見たら爆笑するんじゃぁないのか。 いや、突飛すぎて呆れ返り夢か何かだと思って自分を納得させようとするかもしれない。 そんな姿を想像して俺は笑っちまった。 何を考えているのかわかってはいないだろうに、そんな俺に付き合って鶴屋さんも笑ってくれる。 だんだんと意識が薄ぼんやりとして眠くなってきた。 白んでいく世界の中で俺は鶴屋さんにもう一度自分の気持ちを伝えようとした。 なのに今の今になって気恥ずかしくて上手く言葉が出てこない。 参ったなこりゃ。そんな俺に先回りするように鶴屋さんは自分の唇を俺の唇に重ねる。 まどろむような夢の時間が過ぎると鶴屋さんの明るい笑顔がそこにあった。 口は開かず八重歯はのぞかせて。とても器用な笑い方だった。 やっぱりこの人は美人なだけじゃなくて、とてつもなく可愛らしいのだ。 そんなこの人に、俺は惚れてしまって、もはや逃げ出せないところまで来てしまったのだった。 19 名前:31/26end[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:31:07.94 ID:g4lxuVci0 鶴屋さん「きっと迎えにいくっさ……」 鶴屋さんは俺にそう囁いた。 それは俺のセリフですよ、と俺。 鶴屋さんはかすかに笑うと寂しそうな、恋しそうな、いとおしそうな眼差しで俺のことを見下ろす。 その頬にはうっすらと涙が浮かんでいた。しかし力強い瞳で、俺から視線を逸らさずに言う。 一時足りとも目を離すものかという決意を顔ににじませて、俺にそう感じさせながら。 鶴屋さん「ごめんにょろっ……でも、どうしても……言いたかったっさ……       待ってるだけは、あたしには似合わないっからねっ!」 キョン「あはは、そうですね……鶴屋さん……      本当に……本当に……」 その通りです────。 光の中に消えゆく世界。その中で、鶴屋さんと俺はもう一つ……何か大切なことを誓い合ったのだった。 …… 20 名前:幕間[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:34:08.43 ID:g4lxuVci0 昨日投下するはずだった分はこれにて終了です。 ここからはエピローグになります。もう少しだけお付き合いくださいませ。 21 名前:32/1dream[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:38:15.34 ID:g4lxuVci0 ちゅるやさん「今日はすっごい大変だったね……もうあたしお腹ぺこぺこっさぁ」 にょろキョン「走りまわったのは俺だけどな」 ちゅるやさん「てっへへ……ねぇ、キョンくんキョンくん、          この後スモークチーズっとか……食べないっかな……?」 にょろキョン「だーめ」 ちゅるやさん「にょろ〜ん……」 にょろキョン「うーそ」 ちゅるやさん「にょろっ……!?」 にょろキョン「一緒に食べよう」 ちゅるやさん「……うんっ」 ちゅるやさん、にょろキョン「にょろ〜ん」 あしゃくら「あ、あの……あたしも……一緒に行ってもいーい……?」 にょろキョン「だーめ」 あしゃくら「あわわわわ……」 にょろキョン「ぜんぶ元に戻してからな」 23 名前:32/2dreamend[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:40:24.90 ID:g4lxuVci0 あしゃくら「あ……う、うんっ!」 ちゅるやさん「ねぇねぇあしゃっち、          あしゃっちも一緒ににょろ〜んってやろうよっ」 あしゃくら「それむり」 ちゅるやさん「にょろ〜ん……」 あしゃくら「にょろ〜ん」 ちゅるやさん「あっ……!」 あしゃくら「一回だけ……なら……」 ちゅるやさん「……ほっこり」 にょろキョン「それじゃぁさっさと帰りますよ」 ちゅるやさん、あしゃくら「「にょろ〜〜〜ん!」」 にょろキョン「なにこのカオス」 24 名前:33/1[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:43:16.63 ID:g4lxuVci0 エピローグ 俺は目覚ましの音で目を覚まし目覚ましを手元に引き寄せて止めるとようやく目を覚まし……。 気がついたら朝だった。 そろそろ妹が起こしに来る時間だ。これ以上もみくちゃにされるのは勘弁願いたい。 俺はそう思ってもそもそと布団から出るとあくびをしながら部屋の扉を開いた。 ちょうど妹が起こしに階段を登って来ていたようで、部屋から現れた俺の顔を見て怪訝な顔をした。 妹ちゃん「あっ! お、お母さん〜! キョンくんが、キョンくんがちゃんと起きてるよ〜!」 なんだそりゃ。俺だって起きるときはちゃんと起きられるわい。 しかしいつの間に俺はちゃんと起きられるようになったんだ。 なんだか誰かに起こされているうちに自然と身についた習慣のような気がしたのだが、 それが一体誰なのか俺には見当がつかなかった。 なんだか俺にとってとても良い人のような気がしたんだが、とんと思い出せない。 こういうことってあるもんなんだな。 俺はなんとも言えない不思議な気持ちになりながらもダイニングに下りて朝食を取った。 部屋に戻り制服に着替える。 一人でタイを結んでいると不意に誰かが結んでくれるような気がして背後を振り返った。 当然そこには誰も居らず、俺はなにもない空間と壁を交互に見つめて頭をかいた。 なんだ、どうしたってんだ。なんだか白昼夢でも見た後のようなはっきりしない感覚がした。 25 名前:33/2[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:45:33.73 ID:g4lxuVci0 俺は鞄をひっかけて階段を降りる。 そうだ、登校する前にホットミルクでも作ってあったまっておくか。 昨日の豪雪はいくらか引いたとはいえまだちらほらその辺に積雪が残っている。 風が吹けば当然凍えるように寒いはずだ。 俺は冷蔵庫から新しい牛乳を取り出すとカップに注いでレンジの電源を入れた。 そういや使った牛乳は野菜室に入れるんだったな。まったくめんどくさいこった。 うちの両親の健康志向にも困ったもんだ。 俺は野菜室の扉を開いて封を切った牛乳をそこに置いた。 逆にカビかなんか生えちまいそうな気がしたが、親の言うことには逆らうまい、大人しく野菜室の片隅に置いておいた。 不意に目に止まる長方形の物体があった。俺はその物体を手にとる。 そのパッケージにはスモークチーズと書かれていた。 スモークチーズ? なんだ、燻製にしたチーズかなにかか。こんなもんうちにあったっけか。 大方母親が興味本位で買ってきてそのまま忘れちまってたんだろう。冷蔵庫の肥やしだもんな、こんなもん。 ところでなんだか香ばしい匂いがするぞ。だんだん食欲がそそられてきた。 俺の腹が鳴ろうか鳴るまいかというところでレンジが牛乳を温め終わりアラームが鳴る。 とはいえ今は食ってる時間もない。 まぁいい、放課後に部室でおやつにでもするか。 連中が好きかどうかはわからないが、まぁひとつすすめてみるとしよう。 俺はそう思ってなんとなくスモークチーズを鞄の中に入れホットミルクをすすった。 26 名前:33/3[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:47:49.14 ID:g4lxuVci0 寒空の中、北高への坂道を登っていく。 途中で出会った谷口と適当にダベりながら寒さを紛らわす。 学校の玄関口の前で朝比奈さんと出会った。こんにちは、朝比奈さん。 みくる「こんにちわ♪」 朝比奈さんは俺に優しく笑いかけてくれる。朝の一番にこの笑顔を見ることができたのは最先がいいぞ。 今日は何かいいことが起こるかもしれない。 ハルヒが余計なことを思いつかなければ、という付帯条件付きだが。 まぁ、そうじゃなければその時で、また考えればいいさ。 キョン「あれ、ところで今日は鶴屋さんと一緒じゃないんですね。どうしました?」 みくる「鶴屋さんは今日は家族の用事があるって言うので学校へは午後から登校するそうですよ」 キョン「あ、そうなんすか」 俺はあの元気な笑顔をした可愛い先輩を思い浮かべる。 一体家族との用事とはどのようなものだろう。何か危険な悪事の企みか何かなんだろうか。 鶴屋さんの家は実は極道的な何か良からぬ悪事を働く秘密結社的な組織で、 日夜世界征服の準備を進める為に怪人を次々と量産していて、 そんな中正義の心に目覚めた鶴屋さんが実家の悪事をかろやかに成敗し、 悪にまみれた親族眷族をばったばったとなぎ倒し、ちぎっては投げちぎっては投げ……ん? 実家? なんで俺実家なんて思ったんだ。まぁいい。どうせ言葉のアヤだろ。 気にしない気にしない。 27 名前:33/4[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:50:09.96 ID:g4lxuVci0 みくる「なんでもすごくバタバタしてるらしくて。ちょっと心配なんです」 キョン「未来人でもそういうのはわかんないものなんですね」 みくる「さすがにそこまでは……もうっ! キョンくん、禁則事項ですよっ♪」 朝比奈さんは可愛らしく俺に笑いかける。くっふぅ、正直辛抱たまりませんっ、鶴屋さんっ! ってあれ? 鶴屋さん? どうしたんだ、俺。頭大丈夫か。 俺が二回三回と首をひねっているのを不思議に思ったのだろう。 朝比奈さんが心配そうな顔で俺を覗き込んでくる。正直抱きしめたくなった。 だがなぜだろう。俺は何か違う人を何度も抱きしめていたような気がした。 それはスラリとしたスレンダーな人で。うーん、思い出せない。 どうやら本格的にどうかしちまったようだ。 俺は朝比奈さんに別れを告げると下駄箱でうんざりした顔をしている谷口に追いついて教室へと向かった。 教室へ向かう途中、一年九組の前の廊下で俺は古泉と偶然顔を合わせた。 すまん、谷口、先に教室へ行っててくれ。俺はこいつと話があるんだ。 そう言うと谷口はお熱いこって、と悪意満面にわざと教室の中にまで聞こえるように指笛を吹いた。 教室の中からこちらをチラチラと伺う女子達の紫色の視線が気に障る。 おい谷口、まじでいい加減にしろよ。お前までそういう冗談を言い始めるとマジでキリがないんだからな。 谷口は後ろ手に俺に手を振るとごゆっくり〜と言ったか言わなかったかは知らないが さっさと一年五組の教室へと歩いていった。 28 名前:33/5[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:52:18.71 ID:g4lxuVci0 なぁ、古泉。お前もこういうのにはうんざりしてんじゃないか? 古泉「僕は別に──ただあなたがなんでそこまで必要以上に気にかけるのかその理由がわかりかねますね。     ただまぁ、そういうお年頃だ、ということにしておきましょうか。まだ若いですもんね」 そういうお前だって俺と同年代なんだろうが。マジでお前がいくつになるのかたまにわからん時があるぞ。 古泉「あっはは、実年齢より年上に見られることはよくあることです」 ったくよ。その余裕がムカつくんだよ。 キョン「ところで古泉、お前見たことのない筈のものを知っているような感覚に襲われたことはないか?      何かを見たとき、何か別のものがぼんやりと浮かびあがってきて、      それでいてはっきりと思い出せないっていう妙な感覚のことだ」 古泉「それはデジャヴ、という奴じゃないですかね。感覚の不調とも超常現象の一種とも言われています。     それを涼宮さんに話されてみてはいかがですか? きっとお喜びになられると思いますよ」 おれはうへっと辟易するような顔をした。 キョン「そんなことはまっぴらごめんだよ。この件はこれで忘れっちまうことにするぜ。      じゃぁな、古泉。悪かったな、時間取らせちまってよ」 俺は軽く手を上げて古泉に別れの挨拶をする。 古泉もそれに応じて軽く手を振った。 九組の中から女子の黄色い歓声が湧き上がる。……こいつらほんとに進学クラスなのか? くだらねぇ妄想なんかしてないで、せっせとお勉強でもしてろってんだ。 とはいえ俺よりも頭の出来がいいことは確かなわけで。 29 名前:33/6[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:54:57.44 ID:g4lxuVci0 そんな紫色だか黄色だかわからんような奴らが俺よりも好成績を修めているという事実に憤りを禁じえないのだった。 (そう思うなら勉強しろ) 頭の中でもう一人の自分に叱られる俺。へいへい、わかりましたよ良識様よ。 どーせ俺はあいつらとはもともと頭の出来が違うんですよーだ。 教室に入るとハルヒが眠そうに突っ伏していた。こいつが寝不足なんて珍しいこともあるもんだ。 俺は自分の席に鞄を置くとハルヒに軽く挨拶をする。 キョン「よっ」 ハルヒ「よっ、じゃないわよまったくぅ……もう……」 キョン「どうしたってんだよ? いつものお前の元気はどこへ行っちまったんだ?」 ハルヒ「うるさいうるさいうるさいっ! 昨日なんか変な夢を見ちゃってすっごくヤな気分なのよ……      生まれ変わったら貝になりたいわ……」 キョン「はいはい、怪になりたいんですよね。わかりますよ、ハルヒさん」 ハルヒ「なによ、その引っかかる言い方……      おおかた変な漢字でも頭の中に思い浮かべて一人でいい気になってるんでしょ。ふんっ」 大正解。そこまでわかっているなら今更解説してやる必要はないな。 俺は鞄から荷物を取り出して朝の授業の支度を始めた。 ハルヒは相変わらず後ろでつっぷしてあーだのうーだのみくるちゃんダメ〜だのとつぶやいている。 一体どんな夢を見たっていうんだ。こいつの鋼鉄の精神にここまでダメージを与える現象ってなんだ? 30 名前:33/7[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 00:57:26.08 ID:g4lxuVci0 また閉鎖空間でも現れてやしないだろうな。 古泉の顔色はそんなに悪くはなかったからまぁそこまでのもんではないんだろう。 なら俺が心配する必要はないな。それよりも支度支度っ。 朝のホームルーム、 授業、 休み時間、 何度目かの授業、 何度目かの休み時間、 昼休み、 放課後。 時間はあっと言う間に過ぎて俺はいまだ机につっぷしたままのハルヒに軽く 「先に部室に行ってるぞ」とだけ言ってさっさと教室を後にした。 ハルヒは特に返事をするでもなく片手をあげるとうぅっ、と唸った。 まったくワケのわからん奴だ。ハイになったりローになったり、まったくお忙しいことである。 俺は部室棟へ言って文芸部、もといSOS団の部室の扉に手をかける。 部室に入ると長門が一人で本を読んでいた。 キョン「よっ、長門。今日は何を読んでいるんだ?」 長門「不完全性定理。クルト・ゲーデルの第一定理と自然に導かれた第二定理の──」 キョン「オーケー、オーケー。俺には荷が重いってことがわかった。      後で簡単にまとめた感想なんかを聞かせてくれればそれでいい」 31 名前:33/8[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:00:11.62 ID:g4lxuVci0 SF小説のワープ航行とかならまだしもなんとか定理だとかなんとか原理だとかいう 科学的な用語に関して俺はまったくの門外漢だ。 まぁ普段から宇宙人とか未来人とか超能力者とかパラレルワールドとかと接している俺にしてみれば むしろそんなものは机上の空論に過ぎないのであって……ん? パラレルワールド? 最近そんなところと関わった覚えはないが。これは異世界人が現れる前触れかなのかなのか? うぅ、考えたくもない。やめておこう。 今はいつくるかわからない異世界人のことよりもストーブであったまる方が先決だ。 俺がストーブの前で慎ましやかに暖を取っていると古泉が入ってきた。 小脇に長方形の板状のものを抱えて。 キョン「おう古泉、オセロでもしようぜっ」 古泉「すみませんが……今日はオセロのお相手はできないんですよ。     実は新しいゲームを用意してきましてね、これで決まりです。その名もバックギャモン」 キョン「なんだそりゃ。俺は知らねぇぞそんなゲーム」 古泉「なぁに、簡単なボードゲームですよ。二人対戦のすごろくみたいなものです」 キョン「それなら簡単そうだな。どれっ、いっちょやってみるかっ」 古泉「お手やわらかにお願いします」 俺と古泉はバックギャモンとかいうゲームを始める。 これが簡単ながらなかなか奥の深い遊びで俺は徐々にのめりこんで行った。 キョン「おりゃっ、ここでダブルだ! 16倍だぜ!」 32 名前:33/9[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:02:49.56 ID:g4lxuVci0 古泉「おやおや、負けてしまいましたね」 キョン「へっへん、どんなもんだってんだ」 俺が古泉を見事に打ち負かしたところで朝比奈さんがやってきた。 みくる「すいません〜遅れました〜」 キョン「朝比奈さんこんにちわ」 みくる「キョンくんこんにちわ〜」 俺と古泉は朝比奈さんが物陰に入ったのを確認するとそそくさと部室の外に退散した。 朝比奈さんが着替え終わるのを待つ俺と古泉。 俺は先程の勝利の余韻に浸りながら次はどうやって古泉を負かしてやろうかと考えていた。 古泉「しかし困ったものですね。サイコロを使ったゲームでもあなたに一回も勝てないとは。     何か秘訣でもあるんですか?」 キョン「お前が弱すぎるだけだよ、古泉」 古泉はおやおや、手厳しいですねと笑うと両手の平を天に向けて困りましたのポーズを取った。 朝比奈さんの着替えが終わったらしい。 どうぞ、という朝比奈さんの声を合図に俺と古泉は部室内へと戻った。 朝比奈さんのメイド姿がまぶしい。ウホッ、いいメイド。MADE in MIKURU。MAID in SOS-DAN! 冥土の土産に持って帰りたいくらいだぜ。ん? なんだ、最近なんか死にかけたような気が……。 ってなんだそりゃ。さすがに死にかけたことなんてそうそうないぞ。 33 名前:33/10[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:04:59.08 ID:g4lxuVci0 一度や二度ならあるが、なんだかごく最近そういう目にあった気がする。 それも一週間二週間も離れていない、ごく最近の数日のうちに。 だめだ、喉元まで出かかってるんだがな。やっぱり思い出せん。こういうのは気持ちが悪いな。 俺は再び古泉とゲームを再開するとこてんぱんに打ち負かしてやった。 やっぱり気分が晴れないときは古泉とゲームをやるに限る。 2、6、8、3と思った通りに面白いほどぽんぽんと欲しい手が出てくる。 なんだ、俺には勝利の女神でもついてやがんのか? なっはっは、全く笑いが止まらないぜ。 にーろくやーさんっ、と。勉強もこう楽だといいんだがな。 そう思った瞬間俺の浮かれていた気分が一瞬にして奈落の底へと突き落とされた。 俺……進級できるんだろうか。世界の危機の前に俺自身の進学の危機である。希望はまだない。 がんばれ、俺。がんばるにょろよっ。ん? にょろ? 鶴屋さんじゃあるまいし、マジでどうしちまったんだ俺は。 キョン「にょろ〜ん」 不意に妙な生き物みたいな鳴き声を口ずさんでしまう。これには古泉が怪訝な顔をする。 一体全体マジでどうしちまったってんだ俺は。ダメだ、思い出せない。 この鳴き声の持ち主が思い出せない。喉元まで出かかってるっていうのに。うぐぐ、悔しい。 そんな俺をいたわるように朝比奈さんがお茶を出してくれた。 ありがとう朝比奈さんっ。そういえばお茶うけにスモチなんかどうだろうか。 ちょっと朝比奈さんにお願いして分けてもらおうか。 ん、スモチ? まぁいいか。 35 名前:33/11[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:07:29.12 ID:g4lxuVci0 キョン「朝比奈さん」 みくる「なんですか? キョンくん」 キョン「これをちょっとみんなに分けて──」 俺がそう言いかけたところで部室の扉が勢いよく開かれる。 手で開かれたのではなく、足で蹴り飛ばされたことは蝶番の盛大な軋みようから用意に察することができた。 おいハルヒ、ただでさえボロっちいのに壊しちまったらどうするんだ。文芸部の予算からってのはナシだぞ。 ハルヒは俺の言葉に反応するでもなくさっさと自分の席について鞄をおろす。まったく困った奴だな。 今朝といい今といい寝不足なんだか不機嫌なんだかどっちかにしろよな。 俺がそんなことを考えているとハルヒが突然机をバンッと力強く叩いて高らかに言い放つ。 ハルヒ「今週末は鶴屋さんの家が所有する鶴屋山で      宇宙生物が寄生していると思われる謎の隕石を探す冒険に旅立ちたいと思います。      異議のある人は認めません。各自しっかりと準備してくるように!」 おいハルヒ、今日は火曜だぞ。もう週末の話か? ちょっと気が早いんじゃないのか。 ハルヒ「なによ、こういうのは数日前からちゃんと準備しとかなきゃいけないのよ。何かあったら大変じゃない。      じゃないと謎の仏教系だかキリスト教系だかわからない恐怖のエイリアンに改宗させられちゃうわよっ!」 なんだそのどこのB級ホラー映画だかなんだかわからないSFものは。 一体全体どこでそんなネタを仕入れてきた。 36 名前:33/12[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:10:58.49 ID:g4lxuVci0 ハルヒ「知らないわよ。なんとなくそんなのがいるような気がしてるだけよ。      でもあんたなら大丈夫ね。生粋の無宗教っぽい顔をしてるもの。      何のご利益もなさそうな感じが案外エイリアンに同情されて道を指し示してもらえるかもね」 いらねぇよ、そんな道。だいたい俺が無宗教ってなんで決めつけるんだよ。 ハルヒ「何よ、実家がどっかの檀家さんだったりするわけ?」 んなこたぁない。生粋の無宗教的日本人でクリスマスも正月も祝いますよーだ。まいったか。 しかし実家って言ったかハルヒ。本日二回目だ。なんだろう、このきゅんと来る感じ。 たまらなくくすぐったい感触がする。なんでだ? やっぱり思い出せない。あー気持ちわりー。 くすぐってー。 ハルヒ「じゃぁキョンはどうでもいいとして、各自このリストに書かれたものを持ってきてくださーい、      それじゃぁみんなちゃんと読んでね〜、      はい、有希、はい、みくるちゃん、はい、古泉くん、はい、万年衆生」 誰が迷えるシープスか。ていうかハルヒ、さっき鶴屋山って言ったか? そんなの鶴屋さんがオーケーしてくれるとは限らないだろうが。 だいたいお前は鶴屋さんに迷惑かけすぎなんだよ。ちっとは自重しろ。 ハルヒ「なによ、鶴屋さんだったらきっといつも通り快くオーケーしてくれるわよ、あんたとは心の広さが違うのよ。      いーっだっ」 んなっ。ったく、どうなっても知らねぇぞ。 俺は宇宙人未来人超能力者の相手はできてもコテコテのSFクリーチャーと戦うなん てまっぴらごめんだからな。なぁ、古泉、お前もそう思うだろ? 古泉「あっははは……それは少し……いえ、絶対にご勘弁願いたいですね」 37 名前:33/13[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:13:44.21 ID:g4lxuVci0 だろう? なぁ、お前からもハルヒになんとか言ってやってくれよ。 古泉「それもご勘弁願います」 あー、そうかよ。古泉、お前はしばらく黙ってろ。 俺はハルヒに対する文句をハルヒに聞こえない程度の小声とぶつぶつとつぶやきながら 古泉とのゲームを再開した。相変わらず俺のサイコロ運はつきまくっていた。 に、ろく、はち、さん。ふはははは、笑いが止まらねぇぜ。ダメだ、まだ笑うな。ふはははは。 俺が間抜けなニヤけ面を晒していると部室の扉が再び勢い良く開かれた。 蝶番はビキビキと嫌な音をさせている。こりゃぁどっかで新品を買ってきて交換しなきゃぁならんかもな。 ハルヒばりに扉を勢いよく開いたのは何を隠そう鶴屋さんその人であった。 そういえば2、6、8、3はつーるーやーさんとも読めるな。 なんだ、俺のバカヅキが鶴屋さんまで召喚しちまったっていうのか? 案外俺の幸運の女神はこの人なのかもしれない。いや、案外なんていうもんじゃなく── ん、どうした、俺。どうしたんだ。何か、何かが喉元まででかかって……あぁ、もう。 鶴屋さん「おっすハルにゃんっ! みくるは今日もメイド姿がまぶしいねっ!        長門っち、相変わらず本読んでっかいっ! 一樹くん、いつもいい男だねっ!」 鶴屋さんは俺にだけ挨拶をしなかった。どうした、俺、なんか鶴屋さんにまずいことやったっけか。 ううん、思い出せない。なんかすごく、とんでもない間違いをおかしてしまったような 後に引けない既成事実を作ってしまったような…… ダメだ思い出せねー。 38 名前:33/14[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:17:03.00 ID:g4lxuVci0 ん、そういや鶴屋さんの髪型、今日はポニーテールじゃないか? どんな髪型をしても似合うと思うが今日の鶴屋さんは格別美人だな。 決してポニーテールで当社比63%増しだからというだけではない、 なんだかいつもよりハキハキしているというか、強い意思と決意が感じられるというか。 ハルヒ「鶴屋さんっ! ちょうどよかったぁ、ちょうどお願いしたいことがあったのよねっ。      今週末に鶴屋さんとこの山へみんなでピクニックに行ってもいいかしらっ」 おい、謎の宇宙生命体が寄生した隕石を探しに行くんじゃなかったのかっ? 調子のいいことを言って鶴屋さんを丸め込もうってんだろ、ったくよ。 まったく鶴屋さんもいい迷惑だろうぜ。 鶴屋さん「うんっ、ぜんっぜんばっちオッケーっさっ! うちの山だったらいっくらでも使うといいさねっ、       ただしちゃんと準備をして気をつけて使ってほしいにょろっ。けが人が出たら大変だかんねっ」 ハルヒ「大丈夫大丈夫、キョンがバカなツッコミでもしない限りそんなこと起こりっこないんだから〜」 俺はお前の中で一体どういう役どころなんだよおいっ。 まさか俺をSFクリーチャーの格好に仮装させて一発ギャグでもやらせようっていうんじゃないだろうな。 ハルヒ「あら、それはいい考えね。採用。      ついでに全身タイツの古泉くんと戦ったりすると面白いかもしれないわね!」 ちょっと待てーい! 却下! 却下だ、おい! 聞いてんのか、おい……おーい……ハルヒさーん……。 古泉の顔面がひきつっていたのは言うまでもない。 39 名前:33/15[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:19:46.35 ID:g4lxuVci0 ハルヒ「それで鶴屋さん、今日はなに?      なんか用事があったから来たんでしょう? なんでも言ってちょうだい、      SOS団名誉顧問の鶴屋さんにはもれなくSOS団総出で問題解決にあたっちゃうんだからっ!」 鶴屋さん「あぁっ、そうそうっ、ちょっちみんなの顔でも見よっかなって思っただけさね。        まぁでも今日はちょっと別の用事もあったりするんだけどねっ」 鶴屋さんはいたずらっぽく笑うと照れくさそうに笑った。めずらしいな、鶴屋さんがこんな風にして笑うなんて。 笑っているのはいつものことなのだが今日は微妙に様子が変だ。 どこか浮き足立っているというかかんというか。 ん? なして俺を見るんですか鶴屋さん。え? 鶴屋さんは俺の方へつかつかと歩み寄ると俺のすぐ目の前で足を止めた。なんだか嬉しそうに俺を見下ろしている。 どこか切なげにうるんだ目に一瞬うっすらと涙が浮かんだ気がしたのだが、俺の気のせいだろうか。 ど、どうしたんですか、鶴屋さん。そんな顔をして。 俺の顔になんか面白いもんでもついてますか? 鶴屋さん? 鶴屋さん……? 鶴屋さん「ねぇ、キョンくん……スモークチーズはあるかい……? 」 キョン「スモークチーズ……ですか? 一応ありますけど……      なんで鶴屋さんが俺がスモークチーズを持ってきてることを知ってるんですか?」 鶴屋さん「そっか〜持ってきてるんだ〜えへへっ」 鶴屋さんは嬉しそうに恥ずかしそうに笑う。 古泉や朝比奈さんやハルヒが怪訝そうな顔をする。 40 名前:33/17[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:22:04.11 ID:g4lxuVci0 見慣れない表情の鶴屋さん。 その鶴屋さんの胸の内を推し量ろうとして全員があれこれと思索を巡らせている。 だが誰一人として一定の結論に達した者はいないようだ。 ただことの成り行きを見守るように鶴屋さんと俺に見入っている。ハルヒの突き刺すような視線が痛い。 俺にもわからないんだってば。ただなんとなく、とても切ない感覚がした。 なにかとても大切なことを俺は忘れてしまっているような、そんな寂しさを伴なう感覚。 いったいこれはいつのどのときの感情なのだろう。俺には思い出せない。 そしてそれが今、鶴屋さんを前にしてたまらなく狂おしいのだった。 鶴屋さんは優しく俺に微笑みかける。俺はその意味もわからないまま微苦笑を返す。 鶴屋さんは面白いものでも見たようにふふっと嬉しそうにはにかんだ。 鶴屋さん「キョンくんっ、その……一緒に……屋上で食べないっかなっ……?        スモークチーズをさっ、その方がきっと……        美味 しく食べられると思うにょろっ!」 俺はわけがわからなかった。 どうして鶴屋さんが俺がスモークチーズを持っているのを知っているのかという疑問だけではない。 鶴屋さんの思考、鶴屋さんの感情、鶴屋さんの思惑、鶴屋さんの意図が俺にはまったくつかめなかった。 あれこれ考えてみてもさっぱりだ。ただ胸の奥の、ずっとずっと奥の底の方で なにかチリチリと火がともったような感覚がした。 その感覚に導かれるままに、従うままに俺は呆然としながらも受け答えをする。 キョン「俺も……そう思います」 41 名前:33/18[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:24:17.46 ID:g4lxuVci0 俺と鶴屋さんは見つめ合う。 ただならぬ雰囲気に古泉は目を丸くし朝比奈さんは若干うろたえている。 ハルヒはというと大きく身を乗り出してわけがわからないといった表情だ。 長門も珍しいもんでも見るように本を読むのをやめてこっちを見ている。 いったい全体どうなってるんだ。俺にはわけがわからない。 この胸の奥にくすぶる感覚はなんだってんだ。スモークチーズじゃあるまいし、 これじゃぁ俺の脳みその方が先に燻製になっちまうよっ。 そんな俺の考えを知ってか知らずか、鶴屋さんはその場で身を屈めると俺の唇に自分の唇を重ねた。 騒然とする団内。呆然とする俺。 鶴屋さんは俺の両頬に手を添え、軽くではなく、深く深く永いキスをした。 ハルヒが椅子から立ち上がる音がする。古泉が思わず後ずさる。 朝比奈さんは顔を真っ赤にして驚愕している。長門は目をまん丸に見開いてこちらを見ていた。 鶴屋さんが俺から唇を離すと唾液が一本うっすらと線を引いた。 鶴屋さんはそれをぺろりと舌で舐めとると得意げに俺を見下ろしてくる。 どうだ、まいったかいっ、と言わんばかりにそのスレンダーなお胸を突き出して嬉しそうに八重歯を見せながら。 俺は呆然としながら自分の口元をなぞる。 43 名前:33/19[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:26:52.99 ID:g4lxuVci0 ついさっきまで鶴屋さんの唇が重ねられていたとはとても思えない俺の唇。 現実世界では俺の初めてのキスになるんじゃないか? そんな俺のリアル・ファーストキッスを奪った鶴屋さんはおもむろに俺の手を取ると 力一杯引っ張って俺を立ち上がらせたのだった。 そして俺を間に挟んでハルヒを覗き込みながら言う。 鶴屋さん「それじゃぁハルにゃんっ、キョンくんを借りてくよっ! それじゃぁまったねぇ〜っ!」 そう言い放つと俺の手を引いて、俺をつれたまま風のように駆けていく。 俺をぐいぐいと引っ張って、俺のことなどおかまいなしに、 風の向くまま気の向くまま、ただ勢い込んで走るままに。 嬉しそうな表情で、弾けるような笑顔で。 楽しそうに、跳ねるように、踊るように。 わけもわからずについて走る俺の手に鶴屋さんのぬくもりだけがかすかに灯って、 そして、俺の胸の内側に熱い炎が灯ったような感覚がした。 怒涛のように押し寄せてくる記憶の波。 怒涛のように吹き寄せてくる鶴屋さんがまとう風。 その風に巻き込まれて俺の心は軽やかに舞い上がっていく。高く高く、天を空を抜けていくように。 背後からハルヒの叫び声が聞こえる。どうやら俺達を追いかけてきているようだ。 44 名前:33/20[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:29:02.97 ID:g4lxuVci0 ハルヒ「こら〜! ちょっとどういうことなのキョン! あんた鶴屋さんに何したのよ!      ちゃんと説明しなさい! 団長命令よ! 止まらないと死刑なんだから〜〜っっ!!」 何をした、っていうかお前の考えているような不埒なことではないぞ多分。 まぁもうちょっとだけ爽やかな感じに受け取ってもらえると嬉しい。 説明のしようもないのでこういう曖昧な表現になるわけだが。 まぁ別にいいだろ、どーせこの世はお前みたいにいい加減にできてんだからよ。 そんな俺に振り返っていたずらっぽく笑う鶴屋さん。なんだか笑顔がいつも以上にお美しいですね。 鶴屋さん「ごめんねっ、キョンくんっ!」 元気いっぱいに、少しだけ申し訳なさそうに鶴屋さんはウインクしながら笑う。 その姿はとても見慣れた、いつもの鶴屋さんのいつもの謝り方だった。 ようやくハルヒを振り切って俺と鶴屋さんは北高を抜け出し坂道を勢いよく駆け下っていった。 鶴屋さんが走りながら言うにはどうやら俺の家の俺の部屋に転がり込むつもりらしい。 鶴屋さん「いやっさ〜っ、親に泣かれるわ爺やにせがまれるわもう大変だったさ〜っ! にゃっはははっ!」 そうあっけらかんと笑う。それはなんだかとんでもないことなんじゃないでしょうか、鶴屋さん。 もっと深刻そうな顔をしたほうがいいのでは? 鶴屋さん「なんでっ?」 鶴屋さんはそう言って俺に振り返る。 鶴屋さん「だってあたしたちいままで一緒に暮らしてたじゃんっ」 45 名前:33/21[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:31:29.44 ID:g4lxuVci0 まぁ、それもそうですね。ってあれ。鶴屋さん? 鶴屋さんは、鶴屋さんですよね。俺の知っている鶴屋さんは、鶴屋さんで、あ── え? ええ!? 鶴屋さん── どうしてあなたが、ここに──。 鶴屋さん「迎えにいくって──待ってるだけはあたしに似合わないって言ったはずにょろよっ!        キョンくん、もう忘れたのかいっ? いけないなぁ、若い子がそんなことじゃぁ、        将来が思いやられて心配っさっ。なんならキョンくんがうちに来るかい?        でも、そんときは命の保証はできないにょろよっ!」 マジですか、ていうかヤバイんですか鶴屋さんの家はやっぱりそっち系ですか。 鶴屋さん「ううん、そんなことはないんだけどねっ」 鶴屋さんと俺はそんな風にやりとりをしながら坂道を駆け下っていく。 俺の家への坂道を駆け上り俺は自分の家の前で鶴屋さんと佇んでいた。 鶴屋さんは両手を後ろに回して懐かしいものでも見るように俺の部屋がある場所を眺めている。 俺はそんな鶴屋さんの横顔を眺める。嬉しそうな、はにかむような笑顔。 鶴屋さんが俺の方へと向き直る。 鶴屋さん「正直目が覚めたときは悶絶して死にそうだったよっ!        なんていうか……あたし達いろいろとんでもないことしちゃってたからねっ!」 そういう鶴屋さんの顔は真っ赤だった。 今の鶴屋さんは俺の知っていた鶴屋さんで、 また同時に俺とよく知り合っていた鶴屋さんでもあるらしく。 46 名前:33/22[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:34:13.59 ID:g4lxuVci0 そりゃぁ悶絶の一つもするってもんだろう。 朝起きて気づいたら散々キスをねだったり自分の家が経営しているデパートでデートしていたり 実際にあれこれそれな場面やらが頭の中で再生されれば俺だったら悶絶したまま発狂してもおかしくない。 鶴屋さんの精神はかなり頑丈にできているらしい。そして常識の方はしなやかに柔軟だった。 鶴屋さん「最初は、ひょっとしたら全部夢かもって思ったにょろ。        でもあたしがキョンくんにお願いしたことに……        それがどんなに勝手でめちゃくちゃなお願いでも全部、あますとこなく        しっかりかっきりぜーーんっぶ応えてくれて……それがすっごく嬉しくって仕方がなかったことは、        ちゃっきりしっかりすっかりばっちり、間違いないって胸を張って信じられるくらい        はっきり覚えてるにょろよっ!」 鶴屋さんは今までの俺のあんな無様な受け答えでさえ心の底から喜んでくれていた。 そう思うだけで俺の胸は暖かいもので満たされた。 自分のしてきたことが報われたような、 そんなくすぐったさとも恥ずかしさとも照れくささとも取れるような得も言われぬ実感を伴って。 そんな自分の感情を上手く言葉にできず、 俺は鶴屋さんの透き通るような瞳にただ見入っていた。 そんな俺に優しく微笑んで鶴屋さんは大事なことを思い出すように少しの間目を閉じた。そしてゆっくりと開く。 うっすら開かれた鶴屋さんの瞳はまっすぐに俺を見つめていた。 鶴屋さん「それじゃぁキョンくんっ……今後とも、よろしくお願いするっさっ!」 キョン「あ、はいこちらこそ。っていきなりですか。いきなりそこに戻っちまいますか」 鶴屋さん「うんっ、だってここはあたしの家みたいなもんだからねっ!」 47 名前:33/23[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:36:41.16 ID:g4lxuVci0 鶴屋さんは太陽のような笑顔でにぱっと笑う。 口は開かず八重歯は覗かせて、それはそれは器用なもんだった。 どうやったらそんな笑い方ができるのか教えてほしいくらいに。 鶴屋さん「それじゃぁ、キョンくんっ! 最後にした約束は、ちゃんと覚えてるっかなっ!?」 俺は「なんでしたっけ」と尋ねる。 鶴屋さんは不機嫌そうに表情を曇らせながらもすぐにぱっと明るい表情に戻ると、 めいっぱいそのスレンダーなお胸を張って得意げになる。 鶴屋さん「それじゃぁ教えてしんぜようっ! キョンくんとあたしが交わした約束っ! それは──!」 それは──!? 鶴屋さん「それはキョンくんがあたしを一生鶴屋さんって呼ぶことっさ!」 俺はガクッと体勢を崩してつんのめりそうになる。 キョン「な、名前では呼ばせていただけないんですね」 鶴屋さん「そりゃそうっさっ、なんたって今更名前なんかで呼ばれたらくすぐったくって仕方がないからねっ。        キョンくんだって今更キョンくん意外で呼ばれるなんて考えられないっしょっ」 いや、俺の場合そうでもないんですけど。 鶴屋さんは俺のそんな気持ちを知ってか知らずかあっけらかんと笑うのだった。 なんとも豪快な、男らしい笑い方だった。壮絶な人だ。鶴屋さんがお嫁にいく家は大変だな。 いや、この場合鶴屋家では鶴屋さんが将来家長になるんだから婿養子を取るわけか。 48 名前:33/24[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:38:49.75 ID:g4lxuVci0 ん? なんだ、何か嫌な予感がするぞ。なにかとてつもなーく嫌ーな予感がするぞ。 冷たい汗が流れてきた。俺の危険予測スキルがレッドアラートを鳴らしている。 どういうことだこれは。 鶴屋さん「それを実現する方法がたった一つだけあるんだよねっ」 鶴屋さんが勿体つけたように笑う。俺は生唾を飲んでその言葉を待った。 次の言葉は用意に予想ができてはいるのだが、 だがそれはある意味死刑宣告よりも緊張する内容で、 そして俺はその宣告に対していまだ微妙に準備不足なのであった。 鶴屋さん「キョンくんがぁ……うちの家に────」 風が吹いて鶴屋さんの声がかき消えた。 それでも俺は唇の動きから鶴屋さんの言いたいことがわかった。 まったく驚きの展開で、まったく参った結末だった。 鶴屋さんが俺の家へとやってくる。それだけでもてんやわんやだっていうのに。 しかも俺の隣で毎晩寝起きするんだという。どうすりゃいいってんだこりゃ。 ハルヒにはなんて説明しよう。 古泉や長門や朝比奈さんにはなんて言おう。 なぁ、お前ら。どう思う? これって、驚くべきことだって、そう思わないか? 49 名前:33/25[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:41:02.85 ID:g4lxuVci0 鶴屋さん「それじゃぁキョンくんっ!」 鶴屋さんが俺に向き直る。そして目いっぱいはにかんだ素敵な笑顔を俺に見せた後、 鶴屋さん「めがっさお疲れっ! これからもよろしくっぽ!」 と高らかに笑ったのだった。 その後俺が何度も死にかけるような目にあったのは言うまでもない。 だがそれは──また────別の機会にしよう────── ただ俺はこの笑い袋のような先輩の。 俺の可愛い先輩の、この溢れんばかりの優しさと愛情に満ちた笑顔を。 いつまでもそのかたわらで見ていたいと、心の底から。 そう願ったのだった。 鶴屋さんは初めて俺に言うような口調で叫ぶ。 51 名前:fin[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:43:25.28 ID:g4lxuVci0 鶴屋さん「キョンくんっ、愛してるよっ!」 俺はそんな鶴屋さんに小さく、しかし力強く答える。 キョン「俺もです、鶴屋さん」 鶴屋さんが俺の部屋に、俺の隣に現れた、あの日あの時あの朝から。 これから先も未来にわたって。 魅き寄せられるままに、ずっと……。 嬉しそうに飛び掛ってきた鶴屋さんに抱きしめられながら。 俺が鶴屋さんを抱きしめながら。 鶴屋さん「てっへへっ……にょろ〜んっ♪」 本日二度目の口づけを交わしながら。 俺はそんなことを思ったのだった── 52 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:45:46.09 ID:g4lxuVci0 これにて終了です。 あとはちょこちょことあとがきのようなものを書いていきたいと思います。 なにか質問などあればできる限り答えたいと思います。 ただその前にちょっとだけ休憩しますね。疲れました……w 55 名前:都留屋シン[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:54:10.67 ID:g4lxuVci0 若干自分語りになるのでウザかったら読み飛ばしてください。 最初は、ビデオ屋で偶然ハルヒちゃん&ちゅるやさんのDVDを見かけたのがきっかけでした。 100円レンタルで他に見たいものもなかったので何の気なしに借りてきて。 鶴屋さんのハキハキした表情とちゅるやさんの可愛さにどっぱまりしました。 そいで同じ店で漫画版のハルヒ消失を読んでうぉお!ってなりました。 それでも友達と店で仮面ライダーのグッズなどを探しながら 「こんなん考えたんだけどどうよ〜」 「いや俺ハルヒとか知らないんだけど」 「まぁまぁ聞いてくれよ。こうこうこうでこうこうあれなんだよ」 とかいい加減にダベってるだけでその時は気が済みました。 でもなんとなーくいつもだいたいそうだなーとか。とらドラとかの時もそんなこと考えてたなーっと。 56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 01:59:21.02 ID:g4lxuVci0 そいでなんの気なしに一月に隣町で見た仮面ライダームービー大戦2010のことをふと思い出して、 ちゅるやさんの世界とハルヒの世界混ぜたら笑えるんじゃね? とか考えたり。 それで爆笑しながらラストのバトル展開のことをだっと書きなぐったりしてました。 で、ふと鶴屋さんって硬派だよな〜っという思いが脳裏を過ぎり。 恋愛してドギマギしてる鶴屋さんが想像できず。軟派な自分には思いつかず。 ボーッとDVDを見ているとちゅるやさんがキョンと同居しててなにぃっ!?と思った瞬間、 設定が部分的に入れ替わるというほとんど強引なやり方で キョンと鶴屋さんをくっつけてしまおうという邪念が芽生えました。 58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 02:05:16.51 ID:g4lxuVci0 そん時には書き始めていました。本当に端的な箇条書きのプロットです。 真面目に文章を書いたのは二年ぶりぐらいで、その前は中学生のときでした。 初期の展開をダーッと書きなぐり、2月7日に名古屋で弟とハルヒ消失を見に行って 改めてキョンの心の動きに共感して、キョンのことも大好きになりました。 消失を見る前と見た後では大分文体が変わってますね。 最初にキョンらしくないと指摘された時はギクリとしました。まったくもって当然ですね。 そうこうしているうちに体調を崩したり誕生日を迎えたりしながら14日の正午を 個人的な締切として書き始めていました。 遊びたくて遊びたくてたまらない中さそわれるままに10時間以上ドライブしてたのはいい気分転換でした。 59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 02:09:34.90 ID:g4lxuVci0 死ぬ。 生き返る。 死ぬ。 レッドブルを飲む。 即死。 ザオリク。 を繰り返しながらなんとか14日の朝7時頃に書き上げて、 余韻で眠れないながらも朝食を済ませて11時には布団で昏倒していました。 その後はそのまま誤字脱字を探したり展開を見直したりしようとするも意識の限界で、 なら投稿と並行して作業するしかないか、と思い休養につとめ。 ていうかそもそもどこに投稿すればいいのか。 そんなことすら考えず、いや考えてたんですけど、決められないまま書き終わってしまいました。 60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 02:13:30.51 ID:g4lxuVci0 SSまとめサイトでVIPに投稿されたものをまとめています、という文を読んで 「vipか……こええよぉ……ガクガクブルブル」 とか思いながら逡巡し、15日の深夜に投稿を初めて。 いやあんときはキモイ文ですいませんでした。 見にくいとか読みづらいとか一人称が違うとかほんっとにまったくそのとおりで、 いろんな人の指摘に助けられながら自分なりに見せ方を工夫できたと思います。 途中で思いついた展開や文章、言い回しを微妙に変えながら、ちょこちょこ原文とはまた 違った味が出てきたと思います。本当にありがとうございました。 ここまで読んでくれて。 62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 02:17:30.22 ID:g4lxuVci0 ここまでキャラを壊してしまっていいんだろうか、とか。 キョンと鶴屋さんがこういう関係になっていいの? とか。 最後はちょっとだけ仲良くなった友情エンドで締めくくろうと思っていたのに 脳内で鶴屋さんが勝手に動き出してしまったり、 ハルヒがキョンをぶん殴ったり、古泉がネタの被害者になり始めたり、 みくるがググれ流星群になったり、長門が状況を説明する役割を一手に引き受けたりしてくれました。 ハルヒはキョンラブじゃないのか、という質問をされました。 個人的にクロスオーバーする世界のハルヒはキョンのことが好きだと思っています。 64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 02:21:24.32 ID:g4lxuVci0 でも自分の中ではハルヒはものすごく愛情深いと思っているので、自然とずっとキョンのことを応援する立場になりました。 ハルヒがただ常識的なだけなら……ふと世界を憎むようなことをかけらでも思ったのなら もっと悲惨な事件があちらこちらで起こっているだろうな、と思い、ならハルヒは普段も世界につまらない、退屈だ、と 不満を抱くことはあっても今の世界で生きている人を心の底では大切に思っているんじゃないか、そう思いました。 66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 02:24:36.10 ID:g4lxuVci0 ハルヒは結局自分が超人になりたい、なんてことは思わず、(私はよく妄想しますが) ただ自分が一般人の立場としてそういう不思議にめぐり合いたいという立場を貫いていますよね。 これって、すごく操作的じゃないんですよね。自分が世界を裏技で世界を変えられると知っても、 きっとがっかりするんじゃないでしょうか。 なんだ、そんなことか。それじゃぁ世界はやっぱりもともとつまらないままで、私一人が特別なのか、と。 仲間が欲しい。そう思うと思います。 67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 02:28:37.79 ID:g4lxuVci0 そろそろ語り口がくどくなってきたので終わりにしたいと思います。 もういい加減三時前ですし、バッテリーもなくなってきました。 文庫一冊分、そうですね、カウントしてないですけどそのぐらいありますよね。 本当に長い間、それも夜の3時までお付き合いいただいて申し訳ないです。 本当に感謝しています。 68 名前:あとがきのようなもの おわり[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 02:30:51.14 ID:g4lxuVci0 それでは、Capital Stayer Sincereの提供でお送りしました。 都留屋シンという名前を使い続けるかはわかりませんが、 どこかで見かけたらまたバカなことをやっているな、と嘲笑ってやってください。 それでは、またどこかで。 ありがとうございました。