古泉「これで良かったですか、長門さん」 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 15:12:58.38 ID:Uho218TK0 鈴の音、響き渡る。 靴音。 近づいてくる。 この店は貸切。 ウェイタすらいない店で一人佇んでいた僕は侵入者に声を掛ける。 「お一人様ですか?」 「知らん。後から誰か来るのかも知っているのは俺じゃない。お前だ」 僕は微笑む。君も苦笑い。 「ご注文は?」 「何が有るんだよ」 「何でも有りますよ」 まるで手品の様に。 「望むなら、何だって。貴方の手に入るでしょう」 「そっか。そうだな。そんなつまらない生き方はお断りだが」 「相変わらず欲の無い人だ」 「俺が欲なんざ持ってたら、きっとお前は今でもあの制服を着てるだろうさ」 「貴方も、ね」 とりあえず、と僕はグラスを差し出す。氷が揺れる。硬質の音を立てる。 「ロックでよろしかったですか?」 「尋ねるまでも無いよな。望むものが出て来るだろ?」 「それが、この店の売りです」 二つのグラスを打ち鳴らす。 「お帰りなさい」 「遅いんだよ、迎えに来るのが」 彼は微笑む。僕も苦笑い。 4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 15:18:16.53 ID:Uho218TK0 「機関が解体した後の僕は、ちょっと貯金を持っているだけの一般人ですよ?」 「だったらどうやって俺の連絡先を突き止めたってんだ、馬鹿野郎」 「昔取った杵柄、とやらですか」 BGM、リピートワン。 「こっちはずっと待ってたっつーのによ」 「おや、待っていてくれたんですか?」 「前言撤回だ」 「つれないですね。そして、変わってない」 彼は顎を撫で擦る。 5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 15:23:24.78 ID:Uho218TK0 「変わっちまったよ」 「後悔は?」 「山ほど」 「戻りたいですか?」 「半々、ってトコか」 「幸せでしたか?」 「それも半々、ってトコだな」 「同じですね、僕と」 ウイスキを流し込む。喉の奥が焼けるような、心地よさ。 6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 15:28:03.59 ID:Uho218TK0 「幸せだったか?」 「半々、ってトコでどうでしょう?」 「戻りたいか?」 「それも半々、といったところで」 「後悔は?」 「だらけですよ」 「同じだな、俺と」 ウイスキが彼の喉奥へと滑り込む。喉仏を上下させる、その姿は変わらない。 7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 15:34:18.67 ID:Uho218TK0 「何の用だ?」 「おや? 用件が有ると思いますか?」 「用件も無いのに呼び出したのか?」 「一人で飲むのが寂しかったんですよ」 「似合わない台詞だな、元エスパー」 「そうですか? 昔の僕はこんな感じだったかな、なんて考えながら受け答えをしてるんですけどね」 「それだけの為に場末のバーを貸しきるのは、それだけはお前らしいと言えなくも無い」 彼が懐からシガレットを取り出す。僕はポケットからライタを取り出してカウンタを滑らせた。 10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 15:40:36.84 ID:Uho218TK0 「生憎、煙草じゃない。パイポだ。嫁が怖くてな。禁煙してる」 ライタが滑って手元に帰ってくる。 「吸っても良いですか、僕?」 「構わんさ」 「では、失礼して」 身体を蝕む紫煙を肺一杯に吸い込む。 11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 15:46:03.45 ID:Uho218TK0 「彼女は、息災ですか?」 「ああ。見せてやりたいくらいだよ。余りに変わってなくて腰抜かすぜ」 「既に驚かせて頂きましたよ」 「覗き見か。趣味が悪いな、ピーピングトム」 「お子さんを連れて、あの頃よりも一段と綺麗になっていらっしゃいました」 「綺麗に? 実感無いな」 喉の奥で笑う。肩を震わせて笑う。 「ああ、こんな風に笑うのは久しぶりですよ。こんなに愉快なのも」 「こんなに懐古に浸るのも、か」 「ええ。あ、もう知っているかも知れませんが一応。機関の決定だったんですよ」 「知ってる。ハルヒを刺激しないように、だったか」 「宇宙人、未来人、超能力者……その頃には『元超能力者』ですが」 「アイツが力を取り戻さないように、その全てはアイツの前から消える、か」 僕は二人分の空のグラスに琥珀を注いだ。 12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 15:51:37.84 ID:Uho218TK0 「彼女の望みでも有るのかも知れませんね」 「別れが?」 二本目に火を点ける。 「そうです」 「かもな」 彼はパイポを口に咥えて濁った空気を吸い込んだ。 「ようやく手に入れた、幸せが続くように」 「お前らが邪魔になった、ってか。ハルヒはそんな女じゃないぜ」 「分かっていますよ」 煙草の箱とライタがカウンタテーブルを滑る。彼の手にコツリと当たった。 「優しいのでしょう。だから、叶えてくれた」 「何を?」 「僕らが貴方達の幸せを見なくても済むように、してくれたんです」 「そんなもんか」 彼はそれ以上の追及はせず、煙草に火を点けた。 13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 15:56:15.90 ID:Uho218TK0 「そんなものです」 「この再会も、アイツの手の上か?」 「恐らくは。実は僕、今、結構泣きそうなんですよ」 「奇遇だな」 二人分の紫煙が視界を曇らせる。 「俺もだ」 「それはまた……奇遇ですね」 「泣いても、誰も見てないぜ。煙草の煙が目に沁みたとか、言い訳も出来るだろ」 「その為に禁煙の誓いを破ったんですか?」 「まさか。隣で煙草吸ってる奴が居て、まだ我慢が出来るならソイツは人間じゃねぇよ」 「言い付けますよ?」 「よく言うぜ。アイツの前には二度と出れないくせに」 小さな店に煙が充満するのにはそう時間が掛からなかった。 だから、視界が定まらないのは、きっと、そのせいで。 14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 16:03:22.25 ID:Uho218TK0 「会いたいか?」 「残酷な質問ですね」 「悪かった。撤回する。聞かなかった事にしといてくれ。得意だろ、そういうの」 「幸か不幸か、得意です」 「きっと、不幸だ、そりゃ。……いや、不器用、だな」 「貴方には言われたくありませんよ」 「ははっ。違いない」 「別のにしますか?」 グラスが手元に滑ってくる。僕はそれに杏子酒を注いだ。 「会いたいですよ、ずっと。今も」 「そうかい」 「どの面下げて、って感じですよね」 「会えば良いじゃないか」 「貴方の生活が一変しますよ。そう、それこそ高校時代に舞い戻りかねません」 「そうなっても、今度の主人公は俺達じゃないさ」 「お子さんがどうなっても良いんですか?」 「可愛い子には何とやら、さ。それにな、古泉」 「はい」 「俺はお前達を信じてる。……この酒、甘すぎるな」 「そこで、その台詞は卑怯でしょう。ああ、炭酸で割りますか?」 「そうしてくれ」 冷蔵庫を開ける。そこにはキンキンに冷えたドリンクが並んでいた。 あの頃、ずっと渡せなかった小箱がそこで一緒に冷やされている。 15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 16:04:24.60 ID:Uho218TK0 「好きな分量で割って下さい」 「客に手酌させるのかよ、この店は」 「残念ながら、今日は店員が居ないんですよ」 笑いたいのに、笑い声が出て来ない。ただ、笑顔だけを浮かべられたのが……ああ、僕は本当に不器用になってしまったのだな。 「そうか。ソイツは仕方ない」 「僕が貴方の前に出てくるのすら、協定ギリギリなんですよ」 「お前らの内情なんざ知ったこっちゃないね」 「おや? それにしては頬が緩んでませんか?」 「目が悪くなったんじゃないか、お前」 彼の言う通り。今夜の僕は目が悪くなっているらしい。 何もかも、曇りガラスの向こうに有るような視界。 「視力検査なんて免許の更新ぐらいでしかやりませんからね」 「ああ、俺もだ」 「少し、酔っているのもあるようです」 「お前、こんなに酒に弱かったか?」 「いえ、夜が悪いんですよ」 「そういう台詞は異性相手に言え」 「女性が相手なら、貴女の瞳に酔ってしまいました、でしょう」 「俺が言ったらぶん殴られる台詞だ」 16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 16:10:27.95 ID:Uho218TK0 「棘の有る言い方ですね」 「棘が無いように聞こえたら、お前は耳も悪いよな」 杏子酒は、少し塩味がした。 口の中は鉄錆びた味。唇が破れていた。 「貴方に、会いたかった」 「そうか。俺はいつかこんな日が来るだろうな、とは思っていたが」 「彼女に、会いたい」 「そうか。俺はいつかそんな日も来るだろうな、とは思っているが」 「来ますかね?」 「来るだろうよ。アイツが優しいなら。きっと。お前の思いだって汲んでくれる」 「想いは汲んではくれないでしょうけど」 「俺の前でそういう事言うか、お前?」 「恨み言くらい、言わせて下さいよ」 新しい氷を二つのグラスに躍らせる。 17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 16:14:43.58 ID:Uho218TK0 「あまり強いのは勘弁してくれ。帰れなくなる」 「では、ジンジャーエールで割りましょうか」 「辛い方が好みだ」 「カナダドライは置いてません。貴方が望まなかったので」 この再会は、彼女の掌の上。望めば全て手に入る彼に、この場が与えられたのは。 彼が望んだから。僕が望んだから。そして、もう一人。 「元気だったか?」 「聞くの、遅くありません? その手の質問は最初にするべきでしょう?」 「忘れてたんだよ」 「元気でしたよ。貴方は?」 「見れば分かるだろ」 「残念ながら、今日の僕は目が悪いのですよ」 「元気だった。お前らの事を忘れた事は無かったけどな」 「忘れられる、訳は無いでしょう。あの日々は、僕の一番大切な時間だった。貴方にとって忘れられる記憶だったら、悲しくていっちゃん泣いちゃいますよ」 「もう、泣いてんじゃねぇか」 「煙草が目に沁みたんです」 「もう少し上手い言い訳を考えたらどうだ。らしくない」 「貴方が知っている僕というのは、何年前だと思っているんですか」 何年前だっただろう。あの日々は。なのに、今でも僕の心の中心を支配している、輝かしい思い出。 18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 16:23:02.31 ID:Uho218TK0 けれど、それはやはり過去で。 けれど、それはやはり懐古で。 「何年前でしたっけ?」 「さぁな。自分の年齢すら管理してるのは嫁と役所くらいだ」 「明日は彼女の誕生日ですよ」 「それくらいは覚えてる。ああ、後数時間だな」 「ええ。このタイミングで貴方に連絡を入れたのは、偶然ではありません」 「流石に日付が変わるまでには家に帰らせろよ」 「良い旦那さんですね、貴方は」 「ハルヒが五月蝿いだけだ。後、ガキ共もな」 誕生日午前零時。貴方はきっと彼女に、誰よりも早い「ハッピーバースデー」を告げているのでしょう、ずっと。 ずっと。僕と道を別れた後も。 彼女の傍には、貴方が居た。 既定事項。きっと未来人ならそう言うに違いない。 「幸せですね、貴方は」 19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 16:28:39.16 ID:Uho218TK0 「言ったな、半々ってトコだ。お陰様でな」 「そうでないと、困ります」 「古泉」 「はい」 「お前は? 幸せなのか?」 「ええ。彼女が幸せなら。僕はそれだけで幸せですよ」 「嘘吐け」 「半々、ってところですか」 「幸せには、なれそうか?」 「少なくとも、今夜は愉快です」 それは本音。アルコールのせいで、口に蓋が出来なかったようだ。そう。僕は今、愉快で、愉快で、そしてとても切ない。 「そうか。俺で良ければまた付き合ってやらんでもないが」 「言ったでしょう。この再会はギリギリなんですよ」 「その割には、ゆったりとしてないか?」 「用件が無いと、会ってはいけませんでしたか?」 「からかうな、古泉」 「これは、失礼しました」 紫煙が、喉に痛い。今夜の為に用意した煙草は吸い慣れず、少しキツかったかも知れない。 21 名前:BGM「今夜はブギー・バック」スチャダラバー feat. 小沢健二[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 16:38:43.05 ID:Uho218TK0 「お気付きで?」 「気付かない振りをしていた方が、お前の事だ。どうせ良いんだろ」 「あの鈍感だった貴方が、こうも変わられるとは。これは驚きを通り越してちょっとしたスペクタクルですよ」 「大袈裟が過ぎるし、それに昔もそこまで鈍感だった訳じゃねぇよ」 「では、気付いていない振りをしていただけだ、と。驚愕の真相ですね」 「確信は無かったからな。臆病者だったし。いや、今もだが。演技と地と、半々ってトコだ」 「それでも。貴方が大人になられた事を実感しました」 彼はグラスの中の氷を揺らして笑った。 「いつまでも子供じゃ居られないだろ」 「流石。『パパ』が言われると重みが有ります」 「おい、茶化すなら俺は帰るぞ?」 「申し訳ありません。タクシーがこの店に来る時間は指定済みなんですよ」 「抜け目無いな。ああ、褒め言葉だ」 「ありがたき幸せ。皮肉が上手くなりましたね」 「その台詞も皮肉だな」 この空間だけが、時間から取り残されているみたいだった。いや、もしかしたら本当に切り離されている可能性も有る。 彼女に出来ない、行為ではそれは無い。 22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 16:44:49.54 ID:Uho218TK0 「グラス、空ですよ。何を飲まれますか?」 「何が有るんだ?」 「貴方が望むものなら、なんだって中空から取り出しましょう」 「流石だな、超能力者」 「そこは手品師にでも鞍替えしたのか、と言って欲しかったですね」 「お前に先回りされるような台詞を吐いてたのは、昔の俺だよ」 「前言撤回です。貴方は変わられていらっしゃらない」 「それも……そうだな……」 「半々ってところ、でしょうか?」 「そうだ。半々ってトコだ」 何年も経っている。変わっていない訳が無いのに。時折、見せる仕草の中に君が変わっていないような錯覚を覚えるのは。 君が僕に合わせてくれているからだろうか。 それとも、神が会いたい人に会わせてくれたのだろうか。 考えても、答えなどは出る筈も無く。 「変わらないモノなんて無いさ」 26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 16:50:06.94 ID:Uho218TK0 「妙に実感の有る言い方ですね。何か、有りました?」 「いや、ウチのガキ二人な。昨日生まれたと思ったら、もう上は小学生だとよ」 「お父さんは大変だ」 「全くな。願いが叶うなら、もう少しマシな労働環境を俺に与えて欲しかったね」 「おや。幸せでは、ないんですか?」 「皆まで言わせるな。察しろ。頭の回転まで悪くなったか?」 グラスになみなみとアイスコーヒー。ウイスキを少しだけ混ぜて。 夜を溶かしたような味がする。 苦く、芳しく。少しだけ、頭を狂わす。 「古泉、結婚は?」 「秘密、としておきましょう」 「のくせに薬指に日焼け跡が有るんだな」 「そんなに目敏かったですか、貴方」 「人間は成長する生き物だろ」 「成長なんてしませんよ。人間はただ、忘却するのみです」 「へぇ。言うようになったな。何か有ったか、超能力者?」 「元、ですよ、その呼称も」 君が薬指に光る銀を弄る姿なんて、見たくは無かった。 ……駄目ですね、僕は。 27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 16:56:47.83 ID:Uho218TK0 「今はどう呼べば良い?」 「お好きなように」 「だったら、決まってるな」 彼はニヤリと笑った。あの頃みたいに、意地悪く、笑った。 「副団長、息災かい?」 僕は、ついに滂沱の涙を堪える事が出来なかった。 29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:02:40.81 ID:Uho218TK0 この夜は、僕が望んだ通りの再会になっているのかも知れない。 「卑怯ですよ、貴方は」 「お互い様だろ」 「一番弱いところを、狙い澄まして刺すのですから」 「言ったろ。成長したのさ。やられっ放しだった頃とは違う」 「いいえ、全然」 僕は首を振った。カウンタに滴が落ちる。 「貴方はまるであの時のままだ。あの時の、あの貴方だ」 「誰よりもお前には言われたくないね」 「ははっ。違いありません」 「だろうよ」 僕は、変わってない。変わって、変わってない。 君は、変わった。変わらないままに、変わった。 違うのは、手の中の飲み物に残らずアルコールが入っている事と……。 「幸せ、なんですよね、僕」 「そうか。奇遇だな。俺もだ」 「でも、少しだけチクリと刺す、この思いはなんて名前でしたかね?」 「俺は語彙が少ないからな。間違ってるかも知れんが、それで良ければ答えてやろうか?」 「お願いします」 「センチメンタリズム、ってんだ、そりゃ」 懐古主義(センチメンタリズム)。 30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:08:23.06 ID:Uho218TK0 「モラトリアムの続き、でしょうか」 「残滓、だな。俺もお前も、モラトリアムなんて言ってられる年齢でも、立場でも無いだろうよ」 責任猶予期間(モラトリアム)。 「そうですね。ああ、メランコリック、なんてどうです?」 「ちょいと情感的過ぎるぜ、その言葉は。お前はともかく、相方が俺なのを考慮してくれ」 憂鬱(メランコリック)。 「センチメンタルの方が余程恥ずかしいかと」 「それもそうか。なぁ、古泉。言葉にする事に意味は有るのか?」 「貴方が僕と同じ時間と感傷を共有してくれる助けになるでしょう?」 「大分前から、共感してるつもりだったんだけどな」 「おや、これは嬉しい誤算だ」 31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:12:06.04 ID:Uho218TK0 「言ってろ」 「良いんですか? 許可を貰ってしまうと、僕は際限無く喋り続けますよ?」 「ああ、良いぜ」 彼はグラスを揺らして氷を鳴らした。そんな仕草が、けれどよく似合っていた。 昔の彼なら、きっと似合わなかっただろう、そんな仕草が。 「悪くない気分だ。今なら付き合ってやれる」 「今夜しか、無いんですよ、僕達には」 「まるで未来を見てきたように言うな、お前」 煙草が彼の手元と僕の手元を行き来する。灰皿に積まれていく吸殻だけが、時間の経過をしっかりと僕に伝えていた。 「協定、ですよ。言ったでしょう」 「悪いが俺はその内容を知らんし、知る気も無い。俺が知ってるのはたった一つさ」 「一つ、とは?」 「俺達の女神はツンデレだが、慈悲深い」 彼が口にして、これほど似合う台詞も無いでしょう。 33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:17:43.10 ID:Uho218TK0 「再会を、お約束しても?」 「約束したら、守らなきゃならんからな。そんなのが無くても、俺達はきっとまたこうして酒を酌み交わせるさ」 「僕は信じてしまいますよ、その言葉」 「ああ、信じちまえ。信じる者は救われたりするらしい」 君は。僕は。変わった。変わってない。 どちらなのか、なんて意味は無い。 きっと、半々といったところなのだろうから。 「この場は、誰が用意してくれたんだ?」 「僕と、彼女と、彼女が。いえ、神様が望んでくれたのでしょうね」 「そうか」 彼は煙草を深く一度吸って、そして大きく煙を吐き出した。 溜息を、吐くように。 34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:22:29.65 ID:Uho218TK0 「朝比奈さんと、長門によろしく言っておいてくれ」 「承りました」 「ああ、後、元超能力者の変態にも、一応な」 「……必ず、伝えますよ」 「なんか有ったら……何も無くても、俺の方はカムカムウェルカムだ」 「そんな事を言っていると、非常識が大挙して押し寄せてきますよ?」 「言ったろ。ウェルカムだ。酒くらいなら出してやっても良いぜ」 彼が微笑む。僕も苦笑した。 そんな「いつか」は決してやってこない。知っている。 宇宙人が、未来人が、機関が。彼と彼女を今でも取り囲む全てがそれを許さない。 でも、僕はその真実を決して君に告げない。 告げては、ならない。 希望は、届かなくとも輝いているだけで価値が有る。 それが分からない子供では、僕はもうない。 35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:27:02.18 ID:Uho218TK0 「では、いずれ」 「ああ。いつでも来い。ハルヒも喜ぶ」 「開口一番、怒られそうですよ。どこに行っていたのだと」 「それくらいは、甘んじて受けろ」 「ええ」 BGM、リピートワン。空気を、気だるく染めていく。 「古泉」 「はい」 「だから、別れ際に『さよなら』は無しだ」 「臭い台詞ですね。しかし、よくお似合いで」 「茶化すな、って言っただろ」 「ならば、何と言って別れましょうか?」 「決まってる」 38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:33:06.07 ID:Uho218TK0 僕は、昔、彼女に渡せなかった小箱を、彼女の連れ合いに渡した。 「また会おう」 「またお会いしましょう」 その別れの言葉も小箱の中身と同じで、きっと半々。 39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:36:38.96 ID:Uho218TK0 靴音。 近づいてくる。 この店は貸切。 ウェイタすらいない店で一人佇んでいた僕はずっとテーブルに着いていた彼女に声を掛ける。 「お一人様ですか?」 返答は無かった。いや、三点リーダは何よりも雄弁だったと言うべきか。 40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:39:10.48 ID:Uho218TK0 「朝比奈さんは?」 「帰った」 「そうですか」 背後を見ると、そのテーブルでは誰かの涙が水溜りを作っていた。 「これで良かったですか、長門さん」 彼女は何も答えない。 41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:40:50.94 ID:Uho218TK0 彼女達は声を掛ける事すら出来なかった。 不可侵協定が、彼女達を雁字搦めに縛り付けていたから。 「……古泉一樹」 「はい」 「ありがとう」 「その言葉は向ける相手が大分的外れです」 彼女の前にグラスを差し出す。アルコールが彼女を酩酊させてはくれない事を、僕は知っている。 だから、戯れにそこへウイスキを注ぐ。 「一緒に、飲みませんか?」 「構わない」 「ありがとうございます」 「その言葉は私に向けるべきではない」 機械のような宇宙人が、しかしジョークを言える事を僕は久しぶりに思い出した。 数年振りに。 42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/08(日) 17:42:50.67 ID:Uho218TK0 「長門さん」 「何?」 「いつか、五人で飲みに誘いますから、その時は良い返事をくれませんか?」 だから、戯れにそこへ繰り言を告ぐ。 「喜んで」 前言撤回。アルコールは、宇宙人からも笑顔と涙を引きずり出す事が出来るらしい。 「望むなら、何だって。貴女の手に入るでしょう」 「変化の無い時間はもう過ごさないと決めた」 「相変わらず欲の無い人ですね」 「わたしが欲求を所持していたら、きっとわたし達は今でもあの制服を着てる」 「ああ、それは願ってもない。そしてお断りです」 「……半々で」 「ええ。半々で」 こうして、誰かと誰かと誰かの、初恋が幕を閉じた。 甘い、苦い、芳しい。ウイスキを飲み干すように。少しだけ喉と思い出を焼いて。 まるで、ミルクに蜂蜜を溶かし込んだような、少しだけ特別な夜のお話。 〆 46 名前: ◆.vuYn4TIKs [] 投稿日:2009/11/08(日) 17:45:41.62 ID:Uho218TK0 以上です。ありがとうございました。 リピートワンで「今夜はブギーバック」を掛けながら読んで頂けたら幸いです。 そして、読んでいてこの曲を思い浮かべて頂けたなら大成功。 スレタイで開いてくれた方、古長じゃなくて本当に申し訳ない。