古泉「最近、閉鎖空間が発生していません」 2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 21:36:16.20 ID:p1OpKtPvO 「ねぇ、あんた最近、有希と何かあったの?」 「はぁ?」 我らが団長の唐突な一言に気の抜けた返事をしてしまった。 今は雨の放課後。オセロで古泉に2連勝したところだ。 「別に何もないぞ」 「……ふーん」 正直に答える。というか、何もやましいことはない。 しかし団長様は納得のいかない御様子。 というか、何故に長門なんだ。 やれやれ、最近はハルヒの機嫌がいいせいか、平和そのものだったのだが。 長門や古泉の出番も少ない。 少し前、確か先々週の日曜日まで、古泉が忙しかったのが最後だな。 3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 21:40:59.65 ID:p1OpKtPvO 「長門と俺は別に何もないぞ。喧嘩もしてない」 「ホントかしら?」 ハルヒの疑念をしり目に朝比奈さんが煎れて下さったお茶を堪能する。 だから何でそんなに疑り深いんだ、ハルヒ。 「お前は何でそんな事を聞くんだ?」 「べっつにぃー……ただ最近、有希とあんたが仲いいように見えたからよ」 「別に普段から仲は悪くないだろう」 「特に仲が良いってことよ」 そうなのだろうか、と最近の出来事を思い返す。 4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 21:43:45.38 ID:p1OpKtPvO ……うーむ。 本当に特に変わった事はない。何もない。 休日の不思議探索で長門と一緒に図書館に行ったりもしたが、それは今までにもよくあったことだ。 目の前の古泉と目が合う。にこっと爽やかスマイルを返された。 それは俺ではなく、クラスの女相手にしてやるんだな。 「……いや、本当に何もないぞ」 「あ、そう……」 俺の返答をハルヒは気だるそうに受け止めた。 6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 21:45:19.28 ID:p1OpKtPvO 俺はそんなハルヒの反応を流して、もう片方の人物、長門の方を見た。 長門はいつも通りに分厚いハードカバーの本をペラペラと捲っているはずだ。 長門検定一級の俺が思う、普段通りの長門の姿である。 「……」 ふと。目が合った。 じっと、液体ヘリウムのように静かな長門の目が俺に向けられていた。 7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 21:49:26.19 ID:p1OpKtPvO 「……う」 思わず、声が漏れ出る。 何やら色々な意味で意表を突かれた。 長門は宇宙人だ。しかし、かなりの美少女だ。 それにこんなことを言われた後にじっと見つめられれば嫌でも意識してしまう。 雨足が少し強くなっているのが分かった。 9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 21:53:07.60 ID:p1OpKtPvO 俺の無言は長門が本を閉じる音でかき消された。 「帰る」 と長門は言い放ち、すたすたと部室を出ていってしまった。本を机に置いたまま。 横顔から僅かにその表情を見ることが出来た。 何か焦っている……? 長門に何かあったんだろうか? 心配になる。長門はたまに一人で抱えこむから。 何をそんなに、何がそんなにお前にそんな表情をさせるんだ。 11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 21:55:12.37 ID:p1OpKtPvO 「あたしも帰るわ。雨も強くなってきたしね」 ハルヒも続いて立ち上がった。決して不機嫌なわけではないようだ。 「あ、キョン」 ハルヒは部室のドアに手をかけながら、 「もし有希に何かしたら死刑よ?」 と言い放ち、出ていった。 ハルヒらしい何ともまぁ乱暴な発言だな。 でもハルヒはいい。今は。 とにかく長門だ。 あの表情。それは、他人が見れば全くの無表情に見えるだろう。 だが、俺には分かる。俺はそれが好きじゃない。 アイツの思い詰めたような表情。俺には何が出来るんだろうか。 13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 21:56:40.40 ID:p1OpKtPvO ……少し考えた。長針がほんの微かに傾いていた。 俺は何をやっているんだ。やることなんて1つしかないだろう。何を考える必要があったんだ。 決心はついた。一気に立ち上がる。 「……あぁ、もう! すまん、古泉!  オセロはまた今度だ!」 「いえいえ。構いませんよ。今日もありがとうございました」 いつも通りの笑みを浮かべながら、古泉はオセロを片付けていく。 朝比奈さんも湯飲みを片付けていた。 15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 21:58:05.19 ID:p1OpKtPvO 「……色々と迷惑をかけるかもしれん。すまない」 「いいんですよ。それよりも急がれた方がいいのでは?」 いつもすまない、古泉。ありがとう。 こんなこと、恥ずかしくて言えないけどな。 「……すまない! 朝比奈さん、古泉、また明日!」 ドアを開け放ったまま、俺は部室を走って出た。 17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:01:57.48 ID:p1OpKtPvO 降りしきる雨の中、俺は適当に取った誰のとも知らない傘を片手に走っていた。 薄明るい空の下、生徒は殆ど見当たらない。 「……!」 息が切れる。自分の体力が恨めしい。 まだいるだろうか。まだ間に合うだろうか。 自分が泥で汚れるのを気にせずに追い掛けた。 ……何故か先に出たはずのハルヒには会わなかった。 18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:04:56.73 ID:p1OpKtPvO 正門を出て少し行ったところに。 傘も差さずに、彼女はいた。 悲鳴をあげそうな体に鞭を打ち、駆け寄る。 「……長門!」 駆けながら、名前を大声で呼んだ。 長門はゆっくりと振り向く。 あの表情のまま。少し寂しげな表情。 そんな顔をするな。そんな顔を俺は見たくない。嫌いなんだ。 「傘も差さないで何をしてるんだ……びしょぬれじゃないか」 「……そう」 俺も人の事を言えない。俺も傘を差さないで来たのだから。 とりあえず傘を差し、中に長門と一緒に入る。 20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:08:08.79 ID:p1OpKtPvO タオルを取り出そうとして、鞄を忘れたことに気付いた。 ポケットからハンカチを取り出して、長門の頭を拭く。 布の面積がまるで足りない。しかし、何もしないよりはマシだろう。 あっという間にハンカチは使い物にならなくなった。 「何があったんだ、長門?」 「……」 長門は何も答えない。 その液体ヘリウムの瞳は寂しさを微かに含んでいるように見えた。 22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:10:50.06 ID:p1OpKtPvO 「……言ってくれ。何かあったんだろう、長門。  お前に何があったんだ?  何をするつもりなんだ?」 雨の音がうるさい。 長門は少し怯えるような表情をした。 雨滴が長門の前髪を伝い、落ちる。 24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:14:07.34 ID:p1OpKtPvO 「……私は今から統合思念体にパーソナルネーム長門有希の処分を申請する」 瞬間。 雷に打たれたような衝撃に叩きのめされた。 思考は事故を起こしてしまい、まともな働きをしない。 何で。何故。どうして。 「な……」 声が出ない。自分が何を言いたいのかすら分からない。 長門が自分を処分? まるで意味が分からない。 いなくなるのか、それは? 長門が。 何がなんだっていうんだ。 長門がいなくなるなんて訳が分からない。 25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:15:44.71 ID:p1OpKtPvO 「……」 「ど、どうして……」 「……」 「どうして、何だよ、長門」 ようやく絞り出した。ショックでこれが精一杯だ。 長門は申し訳なさそうに、ほんの少しだけ目を伏せた。 27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:18:47.12 ID:p1OpKtPvO 「私は約3年前に涼宮ハルヒの観察の為に作られた」 長門が生まれた理由。それはこの世の神だとも言われている涼宮ハルヒの観察。 「最近、私はその観察を十分に行えていない。 現時点では報告に不備が出る程ではない。しかし、これでは観察役として私は将来的に不適格となる」 それは例のエラーと言うヤツのせいなのだろうか。 長門は堰を切ったように喋る。 28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:21:50.52 ID:p1OpKtPvO 「そう。エラー。 あの時、私から大量のエラーが検出されたのは貴方も知っているはず。  だからそのような事はもう起こさないよう、エラーは自分で処理出来るよう思念体に改良された。  しかし、その後も大量のエラーが検出され続けた」 長門は俺を見上げた。俺は長門から目を離さずに、離せずにいた。 長門はそのまま続ける。 29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:27:03.78 ID:p1OpKtPvO 「涼宮ハルヒの観察を行う為に、その障害となるエラーは処理しなければならない。  私には涼宮ハルヒを観察する義務がある。それが私に課せられた最優先事項。  だと言うのに、観察の障害となるエラーは発生し続けた。 エラーは処理する毎にその発生頻度を高めていった。  私はそのエラーの影響である行動を取らざるを得なくなっていた」 長門は一息に言い切る。 俺は無言で長門の言葉に耳を傾けた。 30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:30:16.35 ID:p1OpKtPvO そして長門は一拍入れて、 「私は貴方を見ていた」 と言った。 33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:33:14.01 ID:p1OpKtPvO 「私は、貴方が朝比奈みくるからお茶を貰い、それを飲む時の表情を追っている。  貴方が古泉一樹とのボードゲーム等で勝負している時の表情も。  涼宮ハルヒが貴方といる時も、涼宮ハルヒよりも貴方を見ていた。  私は、涼宮ハルヒの観察よりも貴方を見ることを優先していた」 「……」 長門は俺を真っ直ぐに見据えていた。 35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:39:34.83 ID:p1OpKtPvO 「私は観察役として不適格。処分を申請するべき」 そう言い切った後、長門は視線を落とした。 長門の宣言した行動は、自らの存在の消滅を意味する。 つまり、長門の今からしようとしている行動は、自分を殺すようなものなのだ。 雨の中なのに、辺りが静寂に包まれたような気がした。 よく聞くと、雨音が少しも弱まっていない。 この雨はしばらく続きそうな気がする。 37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:43:30.92 ID:p1OpKtPvO 「長門……」 長門を見つめる。見つめずにはおれない。 「安心して。情報操作を行い、全員の私に関する記憶の全てを消去する……」 「長門!」 長門を大声で押し留める。 長門は少しだけ驚いて、俺を見上げた。 38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:47:59.38 ID:p1OpKtPvO 「聞いてくれ、長門。それは間違ってる」 詰まってしまいそうな胸から、ようやく言葉を吐き出せた。 「お前はそんなことの為だけに生きているんじゃない。  確かにハルヒの観察役としての役目はあるかもしれない。  でも、もっと他のことの為に生きていてもいいんだ」 「……」 40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:51:24.11 ID:p1OpKtPvO 「……」 長門は何も言わない。 「今までに色々な事をSOS団として、皆でやってきた。  楽しかっただろう? 楽しくなかったか?」 「……私という個体はそれを望ましいと感じた」 長門は弱々しくも、しっかりと答えた。 41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:54:52.70 ID:p1OpKtPvO 「楽しかったんだよ、それは。それでその親玉は文句を言ったりしたか?  言わなかったよな?  大丈夫なんだ。お前がそういう他のことをやっていても大丈夫なんだ」 長門の目をじっと見据える。 頭でっかちのコイツを何とかして柔らかくしないと。 42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:56:22.84 ID:p1OpKtPvO 「それとも、お前は俺達ともう一緒にいたくないのか?  俺達といるのは嫌になったのか?」 「そんなことはない。私という個体はあなた達との共有を非常に望ましいと感じた。  私という個体は時間の共有を望んでいた」 「過去形に、するなよ」 「……ごめんなさい」 長門は落ち込んだように頭を沈ませた。微かに。 こんな馬鹿げた事は止めさせないと。 44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 22:59:18.21 ID:p1OpKtPvO 「楽しいなら、それを続ければいい。続けてもいいんだ。  ……続けて、くれ」 「……しかし私はこのままだと涼宮ハルヒの動向を見逃す可能性がある」 「確かに、もしかしたらハルヒがまた何かやらかすかもしれないな。  ハルヒという気まぐれな神様に何回振り回された事か」 ハルヒを思い出す。 あのワガママで、やかましいまでに元気で、それでも放っておけない。 おかげで今までに何度も危機を迎えてきた。 しかし、長門や古泉を始めとした皆の活躍でそれらを解決してきたのだ。 45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:01:24.97 ID:p1OpKtPvO 「でも今までにも俺たちは解決してきたじゃないか。  古泉や朝比奈さんが頑張ってくれた。鶴屋さんや皆が。  俺だってそれなりに努力したさ。  それで何とかなってきたじゃないか。  だからこれからも何とかなる。その証拠はないがな。  だが、俺を信じろ。俺が保証する。  長門、信じてくれ」 長門にいつか言われた言葉。それを俺は殆どそのまま返した。 長門はしばらく考え込んだ。 47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:04:49.88 ID:p1OpKtPvO 「私には前科がある。  私はかつて、エラーの蓄積で大変な事件を起こしてしまった」 あの事件。 確かにあれは長門が引き起こした。 エラーの蓄積が長門をそうさせた。 それは今の長門の、過去の負い目。 それが長門の自信を奪っている。 48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:05:58.99 ID:p1OpKtPvO しかし、俺は断言する。 「大丈夫だ」 「……」 「そのことなら問題ない」 「しかし」 「長門は、長門なら大丈夫」 「……理解不能」 長門は不可解な目で俺を見る。 しかし、長門は理解を捨てたわけではない。 49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:07:23.17 ID:p1OpKtPvO 「理解なんて、出来なくていい。  俺は分かってるから。お前なら大丈夫」 「……」 そう断言できる理由なんて1つしかない。 長門。 俺はお前を知っているからだよ。 お前が見掛けによらず負けず嫌いなのも、 お前が意外と感情が豊かなのも、 お前が実は冗談が好きなのも、 お前が本当に本が好きなのも、 お前が責任感が強いのも、優しいのも、怖がっているのも、寂しいのも。 俺は長門有希を知っている。 だから。 50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:10:24.93 ID:p1OpKtPvO 「信じてくれ、長門」 卑怯かもしれないが、もう一度、長門の言葉を利用する。 「信じてくれ」 また、使ってしまった。 本当なら、うわ言のようにひたすら、馬鹿みたいに繰り返したい。 出来ることなら、泣きじゃくるように鬱陶しく、子供みたいにすがりつきたい。 52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:13:33.17 ID:p1OpKtPvO 頼む、頼む。頼む。 お願いします。 俺達から、俺からこの長門有希を奪わないで下さい。 53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:15:15.87 ID:p1OpKtPvO しばらくはお互いに無言だった。 雨は相変わらず降り続けている。 長門はようやく言葉を紡いだ。 「貴方は信じるに値する人物。私は貴方を信頼している。 「ありがとう。光栄だ」 長門に信頼されている。それは素直に嬉しい。 54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:21:55.40 ID:p1OpKtPvO 「だから、私は貴方のその言葉を信じる」 「ああ、俺も長門を信じてる」 それを聞いて、安心が心の中で破れた。 腰やら膝やらから力が奪われそうだ。 色を失いかけた世界に色が見えてくる。 安堵を覚えた。 だけれども、俺は長門を待たずに言葉をまた始める。 まだ不安そうな長門が見えたから。 55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:25:21.25 ID:p1OpKtPvO 「なぁ、長門。俺は楽しいんだぞ。 お前と一緒にいて楽しい。  だから、長門。処分を申請するだなんて、言うな。もう二度と。  いなくなるな。いてくれ。  止めろ。俺はそんなの、嫌だ。嫌なんだ。頼む」 感情が決壊してしまった。ろれつが上手く回らない。 俺は懇願していた。頼み込んでいた。 止めてくれ、と。 手の中のハンカチは握り締められ、水を滴らせた。 57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:28:44.86 ID:p1OpKtPvO 『信じてくれ』という、さっきの俺の言葉。 俺はそれを神にすがる思いで捻り出した。 もしその時、目の前にハルヒがいれば、ハルヒにもすがったかもしれない。 俺は必死だった。 だからこそ、感情が爆発してしまった。 いつの間にか、視線を地面に向けていた。長門を見る。 長門は俺を見続けていた。 58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:33:08.63 ID:p1OpKtPvO 長門は視線を俺から外さず、俺も視線も俺から外さなかった。 「了解した。処分の申請を取り止める」 長門はそれを緩やかに受け止めながら、承知してくれた。 長門は前言撤回となる発言をしてくれたのだ。 良かった。 気を抜くと、涙が出そうだ。くしゃくしゃな笑みはもう出てしまっていた。 良かった。 長門がいなくならないで、長門がいてくれて、本当に良かった。 59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:36:02.80 ID:p1OpKtPvO 「それと、ごめんなさい」 「何がだ?」 「心配を、かけてしまった」 「いいんだ、長門さえいれば」 本当に申し訳なさそうな長門の謝罪を受け止める。 いいんだ、そんな馬鹿なことさえしなければ。 そして、長門は躊躇いがちにこんなことを訊いた。 61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:38:05.46 ID:p1OpKtPvO 「私は今まで私の認識とは違う生き方をしなければならない。  私はこれ以外の生き方を知らない。 私はこれからどうすればいい?」 こんな、こんなにも簡単なことを。 64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:42:29.91 ID:p1OpKtPvO 「何をしてもいいんだ。長門がやりたいようにやるだけさ。  感じるままに生きるんだ。  いつも通りでいいさ。 そんなことに難しいことなんて考えなくていい。  いつも通りにお前は部室で本を読んで、SOS団の活動をすればいい」 「……良く分からない」 長門は視線を再び落とす。 何でこいつはこうもこうなんだろうか。 いいじゃないか。人間みたいに生きても。 いいじゃないか。生きる目的が生きる理由じゃなくても。 66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:45:37.65 ID:p1OpKtPvO よく見てくれ。長門には、こんなにも感情があるじゃないか。 よく見てくれ。長門は、長門有希はどう見ても人間じゃないか。 親玉の統合思念体さんとやらもそう思わないのか? 67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:46:46.99 ID:p1OpKtPvO 「……じゃあ」 ハンカチを胸ポケットにねじこみ、空いた手で長門の手を握る。 優しく。ぎゅっと。この綺麗な硝子細工が、どうか壊れぬように。 68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:49:15.13 ID:p1OpKtPvO そっと、握った手を長門の頬に移動させる。 長門は不可解そうな様子で俺を見つめた。 僅かに首を傾げている。 最初の頃に比べれば本当に分かりやすくなったものだ。 光が透き通ってしまうような白い肌が、雨に濡れていた。 69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:51:32.34 ID:p1OpKtPvO 「俺の……彼女にならないか?」 「……?」 「大変だぞ。彼女というのものも。 一緒に登校したり、弁当食べたり、放課後にデートしたりさ……  ほら、図書館だ。長門は図書館が好きだよな。また一緒に行こう。  きっと今までとはちょっと違う図書館デートになるぞ。  まぁ、俺はまた寝ちまうかもしれないが……寝ないよう、努力する」 長門は不思議そうな目で俺を見る。 70 名前: ◆oLOPK320Xk [] 投稿日:2009/06/20(土) 23:53:18.52 ID:p1OpKtPvO 「……貴方の意図が理解出来ない」 「大層な意図なんてない」 「……なら、どうして?」 「分からん。ただ、俺はこうしたいだけだ」 カッコつけることなんて芸当、俺には出来ない。 ただ馬鹿正直に、自分の、嘘偽りのない気持ちを吐き出す。 73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:56:30.36 ID:p1OpKtPvO 「……あなたはそれでいい?」 「勿論だ。あぁ、言っておくが、この気持ちはその場しのぎとかじゃないぞ。  その、お前を放っておけないというかだな。  いや、いつも俺が助けられているんだけどな。何というか、その……。  とにかく、お前が気になっていたんだ。ずっと」 「……」 「だからな、長門。  お前が困っていたら、俺は助けたい。  お前がいないのは嫌だ。俺はお前と一緒にいたい」 「……」 これが全て。これだけだ。俺が言える全部は。 フライパンに引いた油のような静けさが辛くて、俺は長門の頬を遠慮がちに撫でた。 74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/20(土) 23:59:04.16 ID:p1OpKtPvO 「……大量のエラーが発生した」 長門は静かに言った。 「数えきれない程のエラー。迅速な処理が出来ない……。  体を動かすことが不可能。やはり私は……」 最後まで聞かず、長門を抱きしめた。 持ち主を失った傘は地面に落ち、転がる。 この、幽霊のように消えてしまう雪のような長門を、繋ぎ止める為に。 76 名前: ◆oLOPK320Xk [] 投稿日:2009/06/21(日) 00:01:55.57 ID:gLgjcCgYO 「長門……今、エラーはどうなっている」 「……消滅と発生が同時に行われている。このような事は初めての現象」 「じゃあ、お前は、お前自身はこうされてどう思う」 俺の腕に丁度良く包まれた長門はしばらく、何も言わずにそのままでいた。 77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:04:07.11 ID:gLgjcCgYO 「上手く言語化出来ない。  しかし……私という個体はこの状態を継続したいと願っている」 長門は静かにゆっくりと答えた。 「……ああ。分かった。続ける」 雨は止む気配を見せない。 俺は優しく、長門を抱きしめ続けた。雨に濡れ続けるその髪を撫でながら。 78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:07:29.91 ID:gLgjcCgYO 「このような体勢になると、私の頭部があなたの胸部に当たる」 「そうか」 「貴方の心音が聞こえる」 「そうか」 「上手く言語化が出来な……」 「してみてくれ。どうにか」 長門は少し困ったような色を見せる。 そして長門は俺をじっと見据えて答えた。 「……答えに最も近いと推測されるものを発見した。 これは優しくて、暖かい。とても心地好い」 長門は右頬を俺の胸に押しつける。 宝物を見付けた子供のように、嬉しそうに。 81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:09:04.50 ID:gLgjcCgYO 「……そうか。それが何か分かるか?」 長門は腕を伸ばし、少し強く俺を抱きしめ返した。 時間にして5分にも満たないだろう。 しかし俺には、長く長く感じられた。それはきっと長門にも。 「……」 長門と俺はお互いを見つめ合った。 長門の瞳は俺だけを映していた。 84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:15:56.94 ID:gLgjcCgYO 長門は静かに口を開いた。 「判明した。エラーの原因でもあると判明。  原因は、愛情。  ……私は、貴方に好意を抱いている。 その度合は非常に大きい。 恐らく、私は貴方に恋をしている。  私はずっとこうしたかった」 衝撃はあった。驚愕は、何故かしなかった。 しかし、俺は長門に凄いことを言われているな。言わせたのは俺だが。 今更、恥ずかしい。 長門は何で、こんないい匂いがするんだ。 「長門はどうしたいんだ?」 「……少し待って欲しい。  情報伝達に齟語をきたす可能性がある」 長門は言い終わる前に、またぎゅっと強く俺を抱きしめた。 俺も抱きしめ返した。 長門の小さく、華奢な体を。 86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:18:16.81 ID:gLgjcCgYO 「……私も貴方と一緒。  貴方とずっと一緒に居たいと思っている。  私は、貴方が、大好き。  私は貴方と恋人同士になりたい」 どこか遠慮がちにおずおずと、しかしはっきりと芯を持って、長門は答えた。 「……よろしく頼む」 長門の強い言葉と視線にそれしか答えられなかった。情けない。 俺の顔はもう真っ赤だ。恥ずかしさと長門のこの可愛さで。 何とかして長門を見つめ直す。 長門は少しばかりの照れを滲ませて、 「……恐らく、今、私の感じている感情は幸せというもの。  私は貴方といられて幸せ」 と言った。そして、 87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:21:10.93 ID:gLgjcCgYO 「ありがとう」 笑いながら、言った。 その時の長門は、ほんの僅かに、ほんの一瞬だけだが、笑ったのだ。 「……!」 思わず目を下にやり、長門の視線から逃げてしまう。 不意打ちだった。 まるでカマイタチのような笑顔だった。 そんな風に、俺の心に長門の、その愛らしさが深く、優しく撃ち込まれた。 88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:23:15.96 ID:gLgjcCgYO 「?」 首を傾げる長門。 その可愛らしい仕草は止めてくれ。もう俺は瀕死だ。既にノックアウトだ。 これ以上は俺が危ないぞ。 「……違った?」 「い、いや、違わない! 違わないぞ!」 不安げに尋ねてくる長門。 マズいな。俺の甲斐性のなさで長門に勘違いをさせてしまっていた。 「……俺もありがとう。嬉しいぞ、長門」 何とか、長門に視線を戻して、お礼を口にする。 「そう」 「ああ」 またお互いに強く、抱きしめ合う。 91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:28:12.34 ID:gLgjcCgYO 「長門」 「何?」 長門の体温を感じながら、言わなくてはいけないことを思い付いた。 「不安がらなくていい。怯えなくてもいい」 「……」 「……ハルヒのことは確かに大変だ。でも俺達が手伝う。俺が、古泉が、朝比奈さんが、皆が。  困ったら、誰かに頼ってくれ。絶対に何とかする。 俺はお前の恋人だ。古泉や朝比奈さんはお前の友達だ。勿論、ハルヒだってお前の友達だ。  だから、絶対に何とかなる」 「……恋人、友達」 長門は小さく呟いた。 「ああ、そうだ」 「……理解した。  これからは何らかの問題が発生した場合、貴方や皆に頼ることにする」 「ああ、遠慮するなよ」 俺は長門の頼みなら何でも聞けるぞ。出来る範囲なら、だが。 92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:30:32.10 ID:gLgjcCgYO 「早速、私の我が儘を聞いて欲しい」 「ああ、何だ?」 多少、面を食らった。 が、そんなことで動じてはいけない。 「私は、貴方からまだ好意を明確に示す言葉を聞いていない」 「う……」 言葉に詰まる。確かに俺は言ってなかった。『俺は長門が好き』だと。 「私は言った。私は貴方が大好き」 恥ずかしいから何度も言うな。そりゃあ滅茶苦茶嬉しいが、こう、むず痒い。 「お願い」 長門のお願いだ。仕方ない。恥ずかしいがやるしかない。誰も聞いていないんだ。大丈夫。 93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:32:45.43 ID:gLgjcCgYO 「分かった……俺は長門が好きだ」 何とかして混じりっ気なしの真実を淀みなく言えた。 しかし、長門は 「そう……でも、それは足りない」 「へ?」 大分嬉しそうに、少し不満そうに言った。 「私は貴方が大好き……大好き。  貴方は?」 長門は、大好き、と繰り返した。 あぁ、つまりこういうことか。 細かいとは少し思う。でも、それは可愛らしいかった。 意を決する。ここまで来たら、もう俺の羞恥心なんてどうでもいい。 95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:36:33.73 ID:gLgjcCgYO 「貴方は?」 「俺はお前が大好きだぞ、長門」 「……そう」 満足げな長門は間髪入れずに。 「ありがとう……私は貴方を愛している」 「な……!」 俺に向けて、最上級の愛の言葉を言った。 こ、これは流石にヤバいな。ストレート過ぎる。 「……」 俺はじっと見つめられている。小動物がするような見つめ方。 俺は長門のこれに勝てそうな気がしない。 きっと、将来もずっと。 「長門、あ、愛してるぞ」 「そう……ありがとう」 流石に言い淀んでしまったが、長門は満足してくれたようだ。 96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:38:17.10 ID:gLgjcCgYO 「次はキス……」 「キス?!」 と思ったのは大間違いであった。 「そう、キス。恋人同士なら当たり前の行為。お互いの愛を確かめ合った後なら、尚更」 平気な顔、いや少し照れてはいるな。落ち着きがない。 そんな表情で長門は言った。しかし、俺は戸惑う。 「……い、いきなりするのか?」 「……駄目?」 「だ、駄目じゃありません!」 やはり長門の不安げな表情には勝てない。あっという間に俺は降伏した。 「よ、よし……」 長門のあごに手をやり、軽く上げる。長門は目を開けたまま、されるがままだった。 97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:42:11.62 ID:gLgjcCgYO 人形のように精緻な長門の顔。 冬の湖のように静かで無垢な長門の瞳。 月のように彫りの深い、真っ直ぐな長門の鼻梁。 新緑の葉のように雨で濡れ、綺麗な小さい長門の唇。 駄目だ。こんなにも見つめられると。 「長門、こういう時は目を閉じるもんなんだぞ」 「そう。了解した」 長門は目を閉じた。 少しだけ恥ずかしさが消えたと思ったが、また別の恥ずかしさが湧いてきた。 「……」 長門は俺を待っていた。 どうしても躊躇してしまっている。踏ん切りがつかない。 だがそんな俺も、俺を待っている。 俺の心臓が激しく動く。 長門の肩を優しく抱いた。 俺も長門にキスをしたい。 この愛らしく、愛しい俺の恋人、長門有希に。 99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:45:01.80 ID:gLgjcCgYO 「……」 そうして俺達はキスをした。 唇と唇が触れ合うだけの、拙い、挨拶のような、短い、キス。 水の感触と長門の柔らかでたおやかな唇の感触。 味は、しなかった。 そっと唇を離す。長門の吐息が少しだけ震えている。 感触が残像となって消えてしまう。名残惜しい、と感じる。 俺達はキスをしたんだ。 俺は長門とキスをしたんだ。 100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:47:58.81 ID:gLgjcCgYO 「……もう、目を開けてもいいぞ、長門」 少し離れてからそう言うと、長門はゆっくりと目を開けた。 長門の髪を撫で、目を見つめようとしたら、無表情に、正確には無表情を装った顔で―目を逸らされた。照れてるのか、長門。 「……私達二人の心拍数の著しい上昇を確認。血圧の上昇、発汗も見られる」 データ収集みたいなので誤魔化すのは止めて欲しい。 それは、普段の長門らしくはあるんだが。 102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:50:21.63 ID:gLgjcCgYO 「……嬉しい。  私は貴方とキスをして、嬉しい。  ありがとう。また、して欲しい」 ……長門よ。それは反則だ。 そんな表情のお前に、そんなことを言われるなんて。 「こちらこそよろしく頼む」 混乱しきった俺は意味不明な返事をした。 雨はまだ止まなかった。 104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[>>103 ちゃんと書きます。] 投稿日:2009/06/21(日) 00:53:25.68 ID:gLgjcCgYO 「なぁ、そろそろ帰ろうか」 俺達はそれからしばらく抱きしめ合っていたが、流石に頃合いだろう。 お互い、雨でずぶ濡れもいいとこだ。 「このままだと、風邪を引いちまう」 「……分かった」 長門は少し不満げな表情をしたが、すぐに同意してくれた。 腕を広げ、長いこと抱きしめていた長門を解放する。 腕が少し痛い。 「鞄は……もう明日でいいか。じゃあ、俺はもう帰るぞ、って」 「……」 「何だ?」 長門は俺の服を引っ張っていた。 「私の家に来て?」 「お、お前、それは……」 ヤバいだろう。色々と。 106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 00:56:51.85 ID:gLgjcCgYO 「私は今日という日の残された時間を貴方と共に過ごしたい」 「……」 「……駄目?」 長門にまたもや可愛らしいお願いをされた。1秒で白旗だ。これを断れる奴などいやしない。 何故か自然と猥雑な気持ちは消えていた。 「ああ、分かった。俺もお前といたい」 「……ありがとう」 長門の嬉しそうな声を受け止めてから、随分と水を溜まった傘を見た。 水を落として、拾い上げ、差した。すぐに長門を入れる。 「……」 長門は自然な動作で俺の傘を持つ手に自分の手をしなやかに重ねる。 長門の体温が暖かい。心地好い。そこからじんわりと、全身に安心感に広がっていく。 107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:00:10.57 ID:gLgjcCgYO 「行こうか」 「……」 こくり、と長門は頷いた。 そんな簡潔な動作だけでこんなにも長門が愛おしい。 そう思うと、俺は声を出さずに笑った。笑みがこぼれ落ちた。 長門もそんな俺を見て、微かに笑ったような気がした。幸せそうに。 俺達は寄り添い合いながら、長門のマンションへと向かう。 雨はまだ止まない。 でも、その雨は何故か俺達を見守ってくれているような気がした。 第1部 完 110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:08:18.19 ID:gLgjcCgYO 「行かせて良かったんですか?」 彼が慌ただしく部室を飛び出てから少し経つ。 朝比奈みくるは盆を携えながら、そう尋ねた。 戸惑いながら、そして不安げな表情を浮かべて。 「ええ。構いません。 僕個人としましては彼個人の意思が大切だと思っています」 外を見た。 雨足は弱くなっておらず、もうしばらくは止みそうにない。 恐らく、びしょぬれになっているであろう彼を思い浮かべる。 「あのぅ……ですが、涼宮さんはキョン君の事を……」 朝比奈みくるは遠慮がちに、おずおずと返答する。 年上にこんな言葉は似つかわしくないと思うが、実に可愛らしい方だ。 112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:11:37.15 ID:gLgjcCgYO 「はい。彼は涼宮さんの鍵です。非常に重要な人物と言えましょう。  本人に自覚はありませんが」 涼宮ハルヒは彼に好意を抱いている。 本人は周りにバレバレなのに気付いていない。 しかし好かれている当人は気付いていないが。 「ですから、今のキョン君の行動は、その、まずいんじゃないでしょうか?」 閉鎖空間。 で、済んだら御の字といったところだろう。 下手をしたら、世界が改変されてしまう。 「……正直、機関としましては微妙なんです。意見も分かれています。 ですが、僕や森さんを始めとしまして、この事に関してはノータッチでいいという派閥が優勢です」 「どういうことですか?」 頭に?のマーク浮かべながら、首を傾げる朝比奈さん。 「ここ最近、閉鎖空間が発生していないんです。それはご存知ですよね?」 「はい」 めっきりと減った『バイト』のコール。 一瞬だけ携帯電話に意識をやり、言葉を続ける。 113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:15:27.84 ID:gLgjcCgYO 「少し前に大規模な閉鎖空間が発生しましてね。毎日のように、しかも複数回、です。機関は恐々としていました。  最初は何かに戸惑っている様子でしたが、徐々に暴れ方が激しくなりました。 いつも対応している僕たちでも手に余る程にです。  そして、更に驚いたことが起きたのはその数日後です。 その日、僕はいつも通りに閉鎖空間に侵入したんです。  しかし、そこで神人は普段と違う神人だったのです。 破壊行為を殆どしない、その衝動に耐えようとする神人。長い戦いの中でも初めての経験でした」 その光景を思い返す。 虚空を見上げるような神人。 神人は自分を抑えていた。 それでも破壊をしてしまう。それでも抑えようとする。 「私達は戸惑いましたが、攻撃をしました。  ですが、倒しても倒しても、次から次へと、倒した瞬間に、  何事もなかったかのように神人は現れます。  何日も、その閉鎖空間と奇妙な神人は出現し続け、  遂に、機関もお手上げという判断をするかしないかという瀬戸際に、 何と神人は自然消滅したのです」 115 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:20:14.99 ID:gLgjcCgYO 閉鎖空間の中で立ち尽くす神人。 神人は最後の最後に派手に暴れ、そして遠吠えのように哭いた。 すると、あの灰色の空の一部が割れた。 はらはらと、空はこぼれ落ちていった。 神人は空に溶け込むように、煌めきながら消えていった。 これが僕の見た神人の最後。最後の神人。 「それから神人は、いえ、閉鎖空間は発生していません。  機関でもこの現象についての解釈は様々です。  ですが、僕はもう閉鎖空間は起こらないような気がします」 言いながら、もうアルバイトは終わりになるんじゃないかな、と思う。 「それに、今までの発生の原因となるようなことを彼がしでかしても、発生しませんでしたしね」 朝比奈さんなら、その彼の行動と発生原因の関係は言わずとも分かる。 「えっと、じゃあ、それは涼宮さんが……」 朝比奈みくるは息を飲む。 大袈裟にも見えるリアクション。なるほど。 やはり、どうしてもこの人には癒されてしまう。 彼の意見には賛同せざるを得ない。 116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:21:21.65 ID:gLgjcCgYO 「はい」 朝比奈みくるの驚愕に短く答える。 これに証拠なんてありはしない。 人の心にはそんなものは残りはしないのだから。 それでも僕は僕なりに側にいたのだから、断言したい。 朝比奈さんは辛そうに言った。 「辛かったでしょうね」 あの神人は泣いていたのだろう。 「ええ」 涼宮ハルヒは彼を諦めたのだ。 118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:24:31.25 ID:gLgjcCgYO 彼女は察しがいい。 だから、彼が自分の望むモノとは違うモノを選ぼうと、選ばれようとしてるのに気がついてたのだ。 それは、悲しい。彼女は彼が好きなのだから。 だがしかし、彼女は暴走しなかった。 自分の痛みを、神人を抑えたのだ。 何故なら、それ以上に悲しいのは。 彼が彼でない事なのだから。 「古泉君はどうだったんですかぁ?」 朝比奈さんは少し困ったような顔で尋ねてきた。 「良く分かりません。恐れなかったと言えば嘘になります。  しかし彼が自分の気持ちに素直になれたのは嬉しいです」 差出がましいかもしれないが、僕は彼と僕の間に友情の念を覚えているから。 「だから、後の事は僕が何とかします」 そんな僕の言葉に朝比奈さんは、 「それはちょっと違いますよ。私、達、ですよ」 ちょっぴり諭すように、そして天使のような微笑を浮かべてこう言った。 119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:28:26.00 ID:gLgjcCgYO 「……これは申し訳ありません。失言でした」 何故かその顔を見ていられなくなり、視線を落としたい気持ちに駆られた。 何やら恥ずかしかった。 「いいんですよ……くすっ」 「ふふっ」 朝比奈さんは夏の鈴のように笑った。 僕は釣られて笑うしかないなかった。 そして、しばらく無言が続いた。 と、彼の鞄が目に入る。 慌てて忘れていったんだろう。彼らしい。 朝比奈さんが湯飲みを片付け終わる。 鞄をどうしよう、と思案していたところ、朝比奈さんは唐突にこう言った。 「じゃあ、今日の涼宮さんのあれは……気を利かせたって事なんですか?」 「ええ、僕の推測ですが、そうなります」 彼女のちょっとした悪戯のような微笑とその発言に面を喰らいかけるが、すぐさま返す。 120 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[第三部はすぐ続けます。] 投稿日:2009/06/21(日) 01:33:23.00 ID:gLgjcCgYO 「……じゃあキョン君はすっごく空気読めてないじゃないですか。KYです」 「……あなたからそんな言葉が聞けるとは驚きですよ」 思わず、目を見開いてしまった。 朝比奈みくるからこのような類の言葉が聞けるとは。 「あ、それどういう意味ですかぁ?」 「あ、いえいえ。他意はありません。なかなか珍しいと思いましてね」 「くすっ、分かってますよ」 「いえいえ、すいません」 「くすくすっ。ちょっと前に鶴屋さんから教わったんです。一回使ってみたかったですよぉ。  使いどころが分からないんですけど間違ってないみたいですね」 にこやかに笑う朝比奈さん。 その朗らかに咲き誇る一面の花の笑顔を見て僕は、 あぁ、やっぱり世界は大丈夫だ。 と思った。 晴れやかな気分を抱えて、窓の外を見る。 雨の勢いが少し収まったような気がした。 でも、まだ、もうしばらくは止まないだろう。 第二部 完 121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:38:28.12 ID:gLgjcCgYO シンプルな淡い水色の傘を手に、黄色いリボンの少女は玄関で佇んでいた。 靴箱に体を預けながら、微かに見える灰色の空を見つめていた。 雨は止まない。 少女はいつからそこにいたのだろうか。 走る少年は必死だった。拳を握り締め、懸命に腕を振っていた。少女に気付かなかった。 隠れる少女は必死だった。拳を握り締め、腕を震わせた。少年に気付かせなかった。 126 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:41:10.43 ID:gLgjcCgYO 「……」 少年は傘を手にして、外へ出た。 少女は傘を手にして、外に出なかった。 少年と少女は傘を差さなかった。 少年は雨に濡れることを気にせずに、少女は心が痛むことを気にせずに。 少年は走った。少女は佇んだ。 雨は止まない。 「……傘くらい差しなさいよ、バカキョン」 そうして、少年は違う少女を追い掛けた。 そうして、少女はその少年を追い掛けなかった。 127 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:44:34.77 ID:gLgjcCgYO 「嫌な雨ね」 少女は少年の後ろ姿に目をやった。 顔は見えない。しかし分かる。 どんな顔をしているなんかなんて、少女は見なくても分かる。 「……バカキョン」 少女は少年が見えなくなっても、その方向を見続けていた。 雨はまだ止まない。 少女は見えなくなった彼に笑いかけていた。 それは、いつも少女が少年に向けていた笑顔ではない。 真っ逆さまに降り注ぐ、ギラギラした太陽のような笑顔でも、 得意気で自信たっぷりの、全てを飲み込むようなふてぶてしい笑顔でもないのだ。 129 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:46:05.28 ID:gLgjcCgYO 「……バカ」 優しげで、でもちょっとだけ寂しげな笑顔。 儚げで、そよ風で消えてなくなってしまいそうな、淡い笑顔。 少女はそんな笑顔を出せてみせた。 少女は悟った。 少年の行くべき場所はどこなのか。 少女は悟っていた。 雨はまだ止まない。 131 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:47:21.43 ID:gLgjcCgYO 「……楽しい顔をさせることは、あたしだって出来るんだけどなぁ」 少女は少年に楽しそうな表情をさせることが出来る。 少年は少女に楽しそうな表情をさせることが出来る。 しかし、少年のあの表情を少女は出すことが出来ないだろう。 少女の、今している表情を少年以外の誰かが出せないのと同様に。 132 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:49:57.72 ID:gLgjcCgYO 少年はあの少女にだけ、安心感の溢れた顔をする。 遊び回っていた子供が母親に駆け寄って行く時のような。 純粋な安心。 少年はあの少女にだけ、安心感の溢れた顔をする。 父親が遊び回っていた子供に駆け寄って来られる時のような。 無償の献身。 134 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 01:54:07.33 ID:gLgjcCgYO 「……有希には敵わないわね」 少女は思いを口にして、玄関から静かに外に出た。 傘を差す。音が鳴った。 雨はまだ降っていた。 少女は傘を傾けて、灰色の空を見上げる。 雨音は少し小さくなってきていた。 にも関わらず、彼女の視界には多くの雨が滲んでいる。 「覚悟してなさいよ、バカキョン。  有希を泣かせたら許さないんだから」 太陽はまだ沈んでいる。 この雨はしばらく止まないだろう。 Fin 139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/21(日) 02:03:55.14 ID:gLgjcCgYO 初のSS、何とか無事に完結させることが出来ました。 お誉めの言葉、ご指摘の言葉、感想の言葉を頂いて、私は嬉しいです。 特にスレ建て代理の方、わざわざありがとうございました。 またの機会があれば、また何か書きたいと思います。 もし朝まで残っていれば後日談なども残していきたいです。 皆さん、本当にありがとうございました。