ハルヒ「有希、その本面白い?」 17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 20:25:00.82 ID:/uQEvYgz0  俺は少しばかり急いでいた。  冷気に満ちた廊下を走り、扉の前に立つ。  今日俺が掃除当番だったという事実を果たしてハルヒは覚えていてくれているのか、そんな心配をしながら 俺は部室の扉を叩き、ハルヒの許可の下、入室、目下このような光景に出くわしているわけだ。  部室では電脳世界での旅に多くの時間を費やしているハルヒが読書なんざ、雷でも落ちるんじゃないか、と そんなどうでもいいことを考えつつ、すでに温まり始めていた部室の空気を表に逃がさぬよう俺は急いで扉を閉めた。 「遅かったわね」  本のページから視線を外すことなく、ハルヒが言う。  窓際で、こちらはいつも通りの読書に勤しんでいる長門は、やはりいつも通りなんの言葉も無い。 「ああ、掃除当番だって言っただろ」 「そうだった?まあいいわ」  長門の許可もなくページの端に小さな折り目を付けながら、ハルヒは投げやりにそう言った。 20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 20:57:44.91 ID:/uQEvYgz0 「なんの本を読んでるんだ?」 「なんでもいいでしょ。秘密よ、秘密」  俺のほうを見て嬉しそうに宣う。  やっとこっちに顔を向けたと思ったら秘密とはな。ま、それほど知りたいことでもないし、別にいいか。  ハルヒが再び本の世界に自身を飛び込ませたのを確認した俺は、溜息を一つついてハルヒの向かいの席に座った。 なんでハルヒがいつもの自分の席ではなく古泉の席に座っているのかも気になったが、本に集中しているようなので 何も聞かないでおくことにする。  コンコン――  ノックの音。  ハルヒがどうでもよさそうに、「どうぞー」という気の抜けた声を出す。  古泉だろうな、と、予想とは呼べぬ予想を勝手にしながら、俺は扉の方に顔を向ける。 「どうも。……おや」  予想に違わず姿を現したニヤケ面の超能力者は、いつもの自分の指定席が既に埋まっているのを見て動きを止めた。 22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 21:09:01.08 ID:/uQEvYgz0 「どうしたの?……あ、そっか」  自身の問いに古泉が答えぬうちに、ハルヒは勝手に納得して席を立った。 「古泉くんの席だったわね」  "団長"の二文字が誇らしげに踊る赤い三角錐を備えた団長専用机に向かいながら、 ハルヒは上の空といった感じでそう言った。本から、目を離さぬまま。 「どうもすみません」  自身に非は無いにも関わらず笑顔で謝る古泉。 ハルヒの機嫌を損ねないためと思えば、大したことではないのだろうな。  鞄が部室中央のテーブルに置かれる。  ハルヒがいつもの椅子に腰掛ける。  次いで古泉はボードゲームの用意を始める。  俺が戦場を作るために自分の荷物を除けたところで――  バタン!  いつもの柔らかな表情とは似ても似つかない決然とした色をその顔に携えた朝比奈さんが、 かつてないほどの勢いで部室の扉を開いた。 25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 21:20:06.82 ID:/uQEvYgz0  一瞬、部室の空気が固まる。  まるで面白い企画――往々にして俺達にとっては頗る面白くない企画なのだが――を見つけた時のハルヒのように、 扉が吹っ飛ぶんじゃないかと思うほどの衝撃と共に登場した朝比奈さんは、いつだったか、俺に自身が未来人であることを 告白した時のような、まさに決然とした光をその目に湛えていた。  開かれた扉が壁に当たって跳ね返り、ギイギイと悲しげな音を立てている。 「ちょ、ちょっとみくるちゃん、びっくりするじゃない。  もっと静かに入ってきてよね!」  ハルヒが本から眼を離して、朝比奈さんに向かって言う。  自分がいつもどうやって入ってきてるのか、今度一部始終を録画して見せてやろうかと考えていた俺の頭は、 次の朝比奈さんの言葉を聞いたとたんに機能を停止した。 「涼宮さん、あたし、SOS団を辞めます」  ――冬の風が窓を打つ音が、やけにうるさかった。 27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 21:32:22.18 ID:/uQEvYgz0  誰も、動かなかった。  誰も、何も言わなかった。  俺の頭はたった今鼓膜を振るわせた音の意味するところを理解するのに必死で、言葉を出せるような状態ではない。  後ろの様子は分からないが、ハルヒも似たようなものなんじゃないか、そんなどうでもいいことを頭の隅っこで考えていたとき、  名指しされた団長よりも早く、古泉が動いた。 「朝比奈さん、それは……どういう意味でしょう」  意味を確認することは重要だ。  特に急な宣言には、その理解においてしばしば誤解が含まれる。  古泉がそれを意図して言ったのかどうかは分からないが―― 「言葉の通りです。あたしはもう、SOS団の活動には参加しません」  ――いずれにしろその問いは、少しずつ活動を再開し始めた頭が必死に否定しようとしていた事実を、 綺麗に、より強固に再認識させられる手助けをしただけだった。 「……そうですか……」  古泉はそれだけ言うと、再び俺達と同じく沈黙の虜と相成った。 31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 21:44:11.10 ID:/uQEvYgz0  極度の痛々しさを孕んだ沈黙が部室を支配している。  世界はこんなにも静かになれるものなのか。 「ちょっとみくるちゃん!」  緘黙させられていた俺と古泉の後ろで、ついにハルヒが吼えた。  それにつられて、俺は背後へと振り向く。 「いきなりそんなこと言われても訳わかんないわよ!  勝手な退団は許さないわ!」  もう、先程まで読んでいた本のことなど忘れているんじゃないか。  ハルヒは立ち上がり、そんなことを思わせるほどの勢いで朝比奈さんに向かって捲し立てた。 「…………」  朝比奈さんは黙ったままだ。  でも、なぜだろう。一瞬だけ、あの決然とした表情が緩んだような気がした。 「と、とにかくあたしはもうここには来ません。今までありがとうございました」  律儀にもお辞儀を一つ。  入ってきたときとは対照的に静かに扉の向こうに消えた朝比奈さん。  後を追おうと思えば追いかけられただろう。  ――それでも俺達は誰一人、動くことは出来なかった。 37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 21:53:11.52 ID:/uQEvYgz0  数十秒はそのままだっただろうか。  唐突に沈黙は破られた。 「キョン」  何年かぶりに、その言葉を聞いた気がする。  それが俺のことを指し示しているということに気づくのに数秒かかった。 「あ、ああ。なんだハルヒ」 「追いかけて」  声が震えている。 「みくるちゃんを追いかけて!早く!」 「わ、分かった」  考えるよりも早く部室の外に出た。防寒着を部室に忘れてきたがそんなことはどうでもいい。 なぜ、ハルヒに言われるまで動こうとしなかったのか。後悔と憤りが身体を駆け巡る。  廊下には誰もいない。 「朝比奈さん!」  力の限り声を出した。普段とは比べ物にならないほど走った。  周りの奇異の目も気にせず、校舎中を駆けずり回った。  しかし、朝比奈さんは、見つからなかった。 40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 22:03:12.46 ID:/uQEvYgz0  息を切らして、膝に手をつく。  走り回ったおかげで防寒着がないことなど気にならないほどに温まることが出来ていたが、 朝比奈さんを見つけられないのではそんなことに意味は無い。 「まいったな……」  朝比奈さんが部室から出てからどれほどの時間俺達が固まっていたのかは分からないが、 長くて一分程度のはずだ。そんな短時間で、一体朝比奈さんは部室からどれだけ離れたんだ?  それともどこか部室の近くで探していないところが……。  ……いや、分かっている。  朝比奈さんが、すでにこの学校からいないことくらい。  どれだけ探し回ろうと、朝比奈さんを見つけることは出来ないだろう。  あの決然とした表情。突然の退団宣言。そして失踪。 加えて彼女がどんな立場にある人物なのかを鑑みれば行き着くところは一つ。 ――朝比奈さんは帰ったんだ。彼女のあるべき時代、未来へと。 47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 22:21:54.48 ID:/uQEvYgz0  訳が分からなかった。  あの朝比奈さんが、突然あんなことを言うなんて。  これも未来からの指令なのだろうかと考える。朝比奈さんは、今まで未来からの指令に従順に従ってきた。 今回も指令が下されていたとすれば、朝比奈さんはおそらくそれに従うだろう。  だが、それにしては不可解なところがある。朝比奈さんが退団すれば、ハルヒには少なからずストレスになるはずだ。 ハルヒのことを"時空のゆがみ"とまで言っている未来人が、わざわざハルヒの精神状態を乱すようなことをするだろうか。 もう一度ゆがみとやらが発生すれば、さらに未来人は困ることになるんじゃないのか?わざわざ過去の問題として、 それを調査しに来たくらいだしな。  ……俺がここで考えていても始まらない。 結局はそういう結論に至ったものの、俺は部室に帰ることが出来ないでいた。 このままなんの収穫も得られずに部室に戻ったとして、ハルヒに何と報告すればいいのか。 「朝比奈さんは未来に帰ったからもう会えない」  ……とでも正直に言うのか? それが出来れば苦労はしないし、第一ハルヒがそんなことで納得するわけも無い。  だがかといって、このままぶらついていても何も収穫は得られそうにないのも確かだ。  灰色の空が暗く埋められ始める頃合になって、俺はようやく部室に戻ることにした。 51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 22:35:54.05 ID:/uQEvYgz0 訂正  意を決して部室の扉を開いた俺の目に飛び込んできたのは、 携帯電話を片手にいつになく真剣な表情でテーブルの中央を見つめている古泉と、 閉じた本を膝の上に抱えたまま部室の奥の椅子の上で佇んでいる長門だけだった。 「ハルヒはどうしたんだ?」 「やっぱり自分も探しにいくと、しばらく前に出て行かれました」  古泉が疲れた声で言う。笑顔は無い。 「電話してたのか」  古泉が握っている携帯に目を留める。  相手は恐らく俺の予想通りだろう。 「ええ。……参りましたよ。小規模ではありますが、  この数十分でもう閉鎖空間が三個も発生しています」  お手上げです、とでも言わんばかりに肩を竦める古泉。  そんな古泉にこんなことは聞きたくなかったが、俺はどうしても気になった。 「その、お前は行かなくて大丈夫なのか」 「……機関は、今の状態においては僕は神人と戦うよりも、こちらに残って涼宮さんの様子を見つつ対策を練る方が  得策と考えたようでして」 56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 22:45:32.16 ID:/uQEvYgz0  対策。  それは朝比奈さんがいなくなったことに関してなのか、 それとも単にハルヒの精神状態を落ち着けるためのものなのか。  一人の未来人がいなくなったことに関して超能力者が介入するケースというのは ありえるのかと古泉に尋ねようとしたその時、静かに扉が開く音がした。 「……ハルヒ」  俺と同じように防寒着を忘れていて。  俺と同じように疲れていて。  そして俺よりも必死だったんだろう。 「あんたも……見付けられなかったみたいね」  俺は言葉を返さない。  見つけられなかったと、ハルヒの前で認めてしまうのが嫌だった。 「……今日は、もう解散にしましょう」  古泉以上に疲れを滲ませた声でそう言うと、ハルヒはまるで蝋人形のように立ち尽くす俺の横を通り、 団長机から鞄を取って来てドアノブを握り、そして言った。 「明日みくるちゃんに会ったら、理由、聞くからね」  自分に言い聞かせるように放たれた言葉が部室に響き、扉が閉まると同時に今日の団活は終わりを告げた。 64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 22:58:33.35 ID:/uQEvYgz0 「それで、これからどうする?」  自分の椅子に腰掛けながら、残る二人の団員に意見を求める。 もう、この三人でどうにかするしかないんだ。古泉も長門も、少なくとも俺よりはずっと頭がいい。 俺だって朝比奈さんに辞めて欲しくないという気持ちは二人に負けていないつもりだ。 「我々機関は、朝比奈さんがあのような行動をとったことに関して真相を究明し、  可能なら朝比奈さんの退団を止めさせるよう努力するという方向で一致しています」 「それは、ハルヒの精神の安定を望んでのことか」  言わなくてもいいことを言ってしまう。 「その点が考慮されての判断であることは否めませんが……」  古泉は少しだけ、その顔に笑顔を戻して続けた。 「……僕自身、朝比奈さんには戻ってきて欲しいと思っています。  誰かの欠けたSOS団なんて、余り見たくないですね」 「……そうか」  少し、心が軽くなる。  古泉、お前はやっぱり、SOS団の副団長だよ。 67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 23:12:38.77 ID:/uQEvYgz0 「長門」  俺は古泉との会話を中断し、部室の隅で本を抱えたまま動かない少女に言葉をかける。 「お前んとこの親玉はなんて言ってる?」 「……情報統合思念体は」  そこで言葉を切った。  あの長門が言葉を切るなんてめったにないことだが、今はさして重要ではない。  長門は確実に俺にしか分からないであろう程度にその目に湛えた光の色を変えて、こう続けた。 「情報統合思念体は静観の構え」  静観?  俺の頭の中の辞典が正しければその意味するところはつまり……。 「対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースは、今回の出来事に干渉しない」  予想外の展開に頭が理解を拒否している。 「だから」  団の一大事なんだぞ。  嘘だと言ってくれ。 「わたしには、何も出来ない」 74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 23:30:25.05 ID:/uQEvYgz0  風の音が、また強くなってきた。 窓の外に広がっていた灰色は今やすっかり黒にとって代わらている。 「それは本当ですか」  俺よりも先に古泉が問う。 こういう時に一番最初に冷静さを取り戻すのはいつも古泉だ。 「本当」  たった一言。それはそうだ。長門がこんな場面で嘘を言うはずはない。 かつてないほど冷たく聞こえたその言葉は、部室にある電気ストーブの暖かさすら忘れさせた。 長門が協力してくれないという事実に驚くと同時に、今までいかに長門に依存してきたかを俺は思いだす。 「……分かった」  数秒の逡巡を挟み、俺はそう言った。そうだ、確かに長門がいなければ何も出来ないようでは意味が無い。 「だが、一つだけ聞かせてくれ。お前は、今回の件についてどう思ってるんだ?」  意思を、確認しておきたかった。  繋がりを……求めていただけかもしれない。 「わたしは」  ――その時、長門の顔が、なぜかとても悲しげに見えたのは気のせいだろうか。 「朝比奈みくるに戻ってきて欲しいと思っている」 81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/24(火) 23:49:50.11 ID:/uQEvYgz0 「そうか」  長門も古泉も、そしてもちろん俺も、結局は同じ気持ちなんだ。  分かっていた。ただの確認だ。それでも、気持ちは少しだけ晴れる。 ありきたりな表現をすれば、俺達は五人でSOS団なんだ。誰が欠けても叶わぬ存在。 ハルヒももちろん、そう言うだろう。 「長門、朝比奈さんが今どこにいるのか、それくらいなら教えてもらえるか?」 「朝比奈みくるは今、この時空には存在していない」  やっぱりか。ということは未来に帰ったということで間違いないだろう。 「未来へ帰った……となると、やはり未来人の上層部から指令を受けていたということになるんでしょうか」  携帯をポケットにしまいながら古泉が言う。 「だがお前らのところほどデリケートに扱っていないとはいえ、あからさまにハルヒの機嫌を損ねるようなことをするか?」 「それに関しては、現段階でこれと判断するのは尚早かもしれません。我々の知らない事情が未来人勢力にある可能性もあります」 「それはそうだが……」  数分間、似たような議論を続けて、最終的に"情報が足り無すぎる"という見解で俺と古泉は一致した。 朝比奈さんが未来へ帰ってしまい、長門の協力も得られない今、俺達に一番必要なことは……・。 「待つこと、ですね」 古泉が両手を顔の前で組みながら言う。 89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 00:02:37.34 ID:nu5GRhmK0 「いくら事情があろうと、このまま涼宮さんを放っておけば大変なことになるということくらい  あちらも心得ているはずです。時空のゆがみが発生する仕組みや兆候はよく分かりませんが、現段階で直接的に  涼宮さんが世界を崩壊させる危険性があるという点、つまり閉鎖空間絡みの問題に対処できるのは我々超能力者だけです。 「機関が動かなければ、未来人の事情がどうだろうがやがて世界は崩壊する……」 「そういうことです。ですから、我慢比べですね」  未来人が痺れを切らして動き出すのを待つってことか。 「それでなくとも、まだ朝比奈さんがいなくなってから一日もたっていません。  明日になれば、涼宮さんの精神状態も少しは落ち着くかもしれませんし、新しい動きが出てくるかもしれません」 「そうだな。とりあえず俺は俺でハルヒと話してみる」  古泉が急に難しい顔をする。 「これはとてもデリケートな役割です。涼宮さんの精神状態を落ち着けてくださるのは結構なのですが、完全に  安定させてしまっては未来人が動いてくれません。つまり……こんなことは言いたくありませんが……」 「ハルヒの精神状態をコントロール出来る様にしろってか」  好きなときに世界を安定させ、好きなときに世界を崩壊に追い込む。  ……なんてふざけた役割だ。 「察しが良くて幸いです。いいですか?世界崩壊のカードをちらつかせておけば未来人は必ず動きます。  自分達の未来へと連なる土台がなくなっては元も子もありませんからね。機関の方には僕が説明しておきます。  良くも悪くも、やはりあなたが"鍵"ですね」  溜息をついた。想像以上の重荷だ。だが、未来人が動くのを待つことしか出来ないのも確かだった。 「……そろそろ帰るか」 95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 00:26:53.04 ID:nu5GRhmK0  昼には灰色だったはずの空なのに、いつのまにか雲は綺麗に吹き飛ばされて、見上げれば満天の星。 澄んだ空気は冷えに冷えていて、俺はマフラーをしっかりと首に巻きつけた。  坂道を、三人で下る。 いつも五人で下っていた坂道が、少しだけ広く感じた。 「…………」  会話は無かった。古泉も長門も、前だけを見て歩いている。  別れ道にさしかかる。それぞれが、それぞれの家路を行くことになる。 「それでは、また明日。もっとも涼宮さんの精神状態がさらに不安定になって、  世界が消えてしまわなければの話ですが」 「縁起でもないことを言うな」  それでは、という別れの挨拶に、微笑を添えてよこした古泉に、俺は手を上げて答える。 長門は、何も言わずにただこちらを見つめた。 「…………」  液体ヘリウムのような瞳に、星の光が映りこんでいるように見える。 もっとよく見ようと何度か瞬きをしているうちに長門は俺に背を向け、そのまま一度も振り返ることなく夜の闇に消えていった。  その姿をしばらく見送っていた俺も、一陣の寒風に追われるように家路を急ぐ。  翌日、ハルヒは学校に来なかった。 97 名前: ◆Mene.OWFJw [] 投稿日:2009/02/25(水) 00:31:23.63 ID:nu5GRhmK0 書く気はあるんだけど眠い 残ってたら続き書く 別にどうでもよかったら落としちゃってください あと薔薇族を期待している人は、残念ながら期待には添えないと思う ではおやすみなさい 176 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 13:43:52.55 ID:8O87WWTE0  いつも通りに坂道を登り、いつも通りに校門をくぐり、いつも通りに教室に入る。 もう、いつも通りではなくなってしまった世界の中で、幽かないつもを求めて目をやった 窓際一番後ろの席には、誰も座っていない。  失望を覚えつつ、自分の机に近づいて鞄を置いた。 「よおキョン」  谷口が話しかけてくる。 内容は昨日のテレビ番組に関してのことだったと思うが、俺の耳には半分も入っていなかった。  結局岡部教諭が教壇で号令をかけるまで一方的に話し続けていた谷口は、 俺がけだるそうに返した「ああ」とか「そうだな」などという返事を肯定的な意味に捉えたらしく、 満足そうに自分の席に戻っていった。  朝以降の時間がまるで溶けてなくなったかのようにあっという間に放課後になり、 俺は帰りの挨拶もそこそこに教室を飛び出した。部室に入り、古泉と長門の姿を認める。 「どうも」  昨日よりも更に疲れたような雰囲気で、それでも古泉は笑顔を取り繕った。 180 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 13:54:28.22 ID:8O87WWTE0 「少々おかしな事実が発覚しましたよ」 「なんだ?」 「あの後機関に連絡をして、機関と関係のある未来人にコンタクトを取ってもらったのですが、  その人物によれば、朝比奈さんにSOS団を辞めろなどという指令は出ていないそうです」  俺の反応を見るように、古泉はそこで言葉を切る。 「もちろんその未来人の方が知らなかっただけ、という可能性もあります。  朝比奈さんがどれほどの地位にいらっしゃるのかは知りませんが、  彼女への指令が未来人勢力の誰もが知るところであるとは限りませんから」  朝比奈さん(大)の顔が脳裏に浮かぶ。  今回もあの人が絡んでいるんだろうか。 「次に涼宮さんの件ですが……」  古泉が立ち上がった。 「その前にお茶でも淹れましょうか」 184 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 14:08:51.32 ID:8O87WWTE0  湯を沸かすため、やかんを手に取る古泉。 「それで……そう、涼宮さんの件ですが」  俺が何も言わなかったからか、改めて古泉が切り出した。 「彼女が今日学校をお休みしていることは既に知っています」  注がれる水道水。やかんの中に水が当たって踊る音が部室に響く。 長門が本のページを捲った。 「機関の連中に伝えられたのか」 「ええ。涼宮さんの家を監視している者によれば、彼女は昨日家に着いて以降、  表には出ていないそうです」  しばらくの間頭の中をいったりきたりしていた朝比奈さん(大)の顔がフッと消え、 ハルヒの困憊とした表情がそれに取って代わる。 186 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 14:24:18.09 ID:8O87WWTE0 「現在は、涼宮さんの精神状態は安定しています」 「安定、ね」 「……お分かりだと思いますが」  いつの間にか沸いていたらしいお湯が急須に注がれて、その隣で湯飲みが出番を待っている。 「これはもちろん仮初の安定。とても脆く、いつ崩れてもおかしくないような儚いものです」  そんなことは分かっている。俺はそれよりも、ハルヒの精神が、 おそらく一時的なものだろうとはいえなぜ均衡を保っていられるのかが不思議だった。  思考は、目の前に置かれた湯飲みで中断される。古泉は長門の所にも湯飲みを運び、 昨日はハルヒが居座っていた自分の椅子に腰掛けてこう続けた。 「彼女の精神がなぜ一時的な安定性を保っているのかは分かりませんが、やはり出来るだけ早く  ケアが必要かと」  もちろん、あなたのですが、と付け加えた古泉は、湯飲みを手に取って口元に運んだ。 俺もそれに倣う。 「なかなかうまいよ」 「分かっています」 「まあ朝比奈さんには叶わないけどな」 「それも、分かっています」 190 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 14:34:35.60 ID:8O87WWTE0 「それで今後のことですが、あなたはどうするおつもりで?」  自身の湯飲みが空になったのを認めて、急須を取りに立ち上がる古泉。 俺は少しだけ残ったお茶を飲み干し、古泉に湯飲みを押し付けてから言った。 「ハルヒの家に行く」 「……やはりそうですか」  お茶を注ぐ手を止めた古泉は、急須を置いて俺の方を向いた。 「実は僕もそうお願いしようと思っていたところです」  まあさっきの言動からもそれは分かるけどな。世界の安寧がかかっていようがいまいが、 今の状態でハルヒを放っておくことは俺にはできない。 「僕は僕で未来人勢力と接触を図るつもりです。まあ、おそらく収穫は得られないでしょうが……」  それでも、俺も古泉も、何もせずにはいられない。  喪失感と焦燥感がせめぎあって、俺達を駆り立てる。 192 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 14:43:38.10 ID:8O87WWTE0 「長門、俺達はもう帰るがお前はどうする?」  暗い色のセーターを着て、部屋の隅でいつにもまして置物と化していた長門は、 題名を知る気にすらならない分厚い本を読むのを止め、こちらを向いて一言、 「ここに残る」  ポツリと、零すように小さな声でそう言うと、まるでこれ以上話すことはないとでも言うように 再び本の世界へと帰っていった。 「では、もしかしたら僕らもまたここに戻ってくるかもしれませんので、留守をお願いします」  お前は長門にいつまでここにいさせる気だ。 「戻ってくるとすればそれほど時間はかからないでしょう。  長門さんはいつもの終礼の時間までいるおつもりでしょうから、その時間までに帰ってこれれば、という話です」 「ここを集合場所にするってことか」 「ええ。ここで待つだけなら、長門さんも問題はないでしょう」  古泉は自分の首にマフラーを巻きつけながら、俺に言っているのか長門に聞いているのかよく分からない 話し方で意見を述べた。 197 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 15:04:06.49 ID:8O87WWTE0 「分かった。じゃあ留守を預けるとするか」  自分の鞄を持つ。古泉も用意は出来たようだ。 そこで初めて、電気ストーブの電源を入れていなかったことに気づく。 「長門、これ、つけておくからな」  対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースにとっては、暖房器具などあってもなくても同じかもしれないが、 長門は、そうではないと思いたかった。  長門は何も言わない。ただ、顔をこちらに向けて少しだけ首を傾けた。 「では、よろしくお願いします、長門さん」  古泉が声をかけ、扉を開いた。  注いだもらった二杯目のお茶を一気にあおり、俺は湯飲みを片付ける。 「じゃあな、長門」  長門に一言残し、団長席とその右に見えるパイプ椅子に目をやる。  いつもよりも広く感じる部室に一抹の寂しさを覚え、俺は急いで扉を閉めた。 202 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 15:35:43.34 ID:8O87WWTE0 「何か進展があれば連絡します。それでは」  古泉は校門から少し外れたところに止まっていた黒塗りの車に乗り込み、 そう告げて俺の前から消えた。ハルヒの家まで送るとも申し出られたのだが、 なぜか歩いていきたかったので丁重にお断わりをした。  昨夜、星が見えるほどに晴れ渡っていた空は、今日になって再びねずみ色の雲に覆われている。 風が吹いて少しだけ髪を煽り、目の前に捨てられていた白いビニール袋が舞い上げられて消えていく。 冷たい空気を肺の容量限界まで吸い込んだ俺は、ハルヒの家へのルートを数秒だけ思い返し、 坂道に向かって決然と一歩を―― 「こんにちは」  ――踏み出そうとして、唐突にかけられた声に清々しいまでに出鼻を挫かれた。 205 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 15:50:50.58 ID:8O87WWTE0  急いで振り返る。 俺よりずっと長いその髪は寒風になびき、淡い緑色が綺麗に踊っている。 SOS団依頼者一にして北高生徒会の役員、そしてさらに人間ではないという オプションまでついてしまっているその女性は、校門の側で微笑を浮かべていた。 「喜緑さん……」 「今日は冷えますね」  彼女が人並みに寒さを感じるのかどうかには疑問を呈する余地がありそうだったが、 ひとまずそれは置いておく。 「どうしたんですか?」 「少しお話しても、よろしいですか?」  正直こんな美人に"お話"などに誘われてしまっては男として動じないわけには行かないのだが、 生憎と今はやるべき仕事がある。 「悪いんですが、今はちょっと……」 「長門さんのことなんです。それに、涼宮さんにも関係あるかな」  彼女は俺の言葉をさえぎるように言う。  長門とハルヒのこと……? 「聞く気になっていただけましたか?」 209 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 16:17:01.87 ID:8O87WWTE0 「わざわざ生徒会室までお連れするのもなんですから、せめて昇降口で風を凌ぎましょう」  喜緑さんはそういうと、くるりと後ろを向いて歩き出した。 少し遅れて、俺も再び学校の敷地に足を踏み入れる。 「あなたがたが今、大変な苦境に立たされていることは知っています」  昇降口から建物に入ってすぐ、目の前に下駄箱が並ぶ場所で、喜緑さんは切り出した。 「なんでもメンバーの一人がいなくなったそうで。  でも、長門さんに聞いたと思いますけど、残念ながらわたしたちは力になれません」  喜緑さんは、これはあくまで俺個人の主観だが、本当に残念そうに見える。 「情報統合思念体は、涼宮さんやあなたに実害的な危険が及ばない限りは、基本的に静観します」 「でも、このままじゃ世界が消えてなくなる恐れもあるんですよ?」  俺は至極当然だと思われる反論をした。 「情報統合思念体は、彼女の力が自らの存在をも抹消するとは考えていません。  自律進化の可能性が涼宮さんにあるならば、その精神状態の変動も可能性を探る上で無視は出来ないという考えです」 212 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 16:37:45.35 ID:8O87WWTE0 「あいつの精神が……」  言葉を切った。考えがまとまらない。  世界、ハルヒ、朝比奈さん、未来人……。  頭の中を、様々な言葉が縦横無尽にかけ巡って俺を揺さぶる。 「ここからが本題なんです」  喜緑さんのことばで我に帰る。  真剣なまなざしで見つめてくる彼女に、俺は少しばかり気圧されて目をそらした。 「長門さんの様子がおかしいんです」  一般人から見ればあいつはいつもおかしいんじゃないだろうかというどうでもいいことを一瞬考えた。 「情報統合思念体の許可なく不意に接続を遮断することが時々あって……」  長門が……?いつもとそう変わっているようには見えなかったが……。  情報統合思念体に従って静観を貫く辺りは、むしろ思念体に従順とさえ見える。 「でも、やっぱりおかしいんです。わたしが聞いても何も答えてくれないし……」 220 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 16:56:22.45 ID:8O87WWTE0 「すみません。俺には分かりません」  俺は正直に言う。長門の変化が気にならない訳ではなかったが、そろそろ心がまた ハルヒに移り始めていた。 「そうですか……。分かりました。すみません、お時間をとらせてしまって」  それじゃさようなら、と、最後はまた微笑んで喜緑さんは去っていった。 長門の変化に関し、蟠りを抱えつつも、俺は学校を後にしてハルヒの家に向かった。  ハルヒの家には、団の活動で何度か来たことがある。 俺の家がたまたま都合が悪かったときにお邪魔させてもらったのだが、今度はこんな形で訪れることになるとはな。  呼び鈴を押す。数秒の後、ハルヒの母親のものと思われる声が聞こえて来て、俺は名を告げる。 「ああ、キョンくんね」  結局此処でもこのあだ名で呼ばれることになるのかという事実を、諦め半分に受け入れつつ、 俺はハルヒの家にお邪魔した。 225 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 17:12:46.79 ID:8O87WWTE0 「わざわざありがとうね」  外套とマフラーに手をかけた俺に、ハルヒの母親が言う。 「いえ。ハルヒは風邪かなんかですか?」 「熱はないみたいなんだけどね、なんか具合が悪いんだって」  ハルヒが具合が悪い……ね。俺が団活の時に進んで勉強会を提案するくらいありえないな。  部屋に向かいながら、俺は会話を続ける。 「そうですか……。あの、昨日とか、何か変わったこととかありましたか?」 「変わったところ……。そうね……うーん…………本?」 「本……?」 「そう。あの子、何かの本をすごく熱心に読んでるみたい」  「本」という言葉にどこか引っかかりを覚える。  と、同時にハルヒの部屋の前に着いた。  俺はハルヒの母親に礼を言って、部屋の扉を二度ノックする。 「…………」  帰ってきたのは沈黙だけだった。 228 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 17:29:13.76 ID:8O87WWTE0  本当に風邪をひいていて、今はぐっすりと眠っているということならば、 明らかに俺は今、入室しない方がいい。 と、考えていたのだが……、 「入っちゃっていいわよ」  ハルヒの母親が、いたずらっぽくそう囁いた。そのまま彼女はリビングの方に行ってしまい、 俺は一人、ハルヒの部屋の前に取り残される。  言葉に後押しされたのか、俺の手はいつのまにかドアノブを握っていた。 ガチャリ 「ハルヒ……?」  ベッドの上には、誰も居ない。  ハルヒは眠ってはいなかった。  ハルヒは何も言葉を返さなかった。  ハルヒは机に向かっていた。  ハルヒは何かを読んでいた。  そしてその何かを知ろうとして、ハルヒの背中越しに内容を覗いた俺は――  ――そのまま、暗闇に包まれて意識を失った。 232 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 17:44:05.79 ID:8O87WWTE0 「……ョン……キョン」  誰かに身体を揺さぶられて目が覚めたのはその数分後だ。 まあその誰かっていうのはハルヒだったわけだが。 「……う……ハルヒ……?」  声を出す。手を動かしてみる。正常。  目を開く。天井。ハルヒの部屋だ。 「キョン、どうしたの?」  俺は……そう、ハルヒの様子を見に来たんだ。 そして部屋に入り、ハルヒが読んでいる本の中身を見て……。  そうだ。俺は辺りを見回す。目はすっかり覚めていた。 「本は……」 「本?」  ハルヒの読んでいた本。俺が中を見た本。  そしてそれは、俺の記憶が正しいなら……。  立ち上がり、机の上を見る。  その本は、そこにあった。 234 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 17:53:07.80 ID:8O87WWTE0  その本には、見覚えがあった。 ――なんの本を読んでるんだ?――  つい昨日、見たばかりの装丁だ。 ――なんでもいいでしょ。秘密よ、秘密―― 「ハルヒ、この本はどうしたんだ?」 「これ?有希に貸してもらったのよ」 「なんで今日、学校を休んだ」 「だってあたし、忙しいから」  本に目をやる。黒い表紙には何もかかれていなくて、厚さはそれなりに詳しい参考書並だ。  忙しい?この本を読むことにか? 「あたしね、なぜかこの本を全部読まなきゃいけない、そんな気がするの」  思い出したくもない思い出が、脳裏で鮮やかに自己主張を始める。 いつだったか、閉鎖空間と呼ばれる特殊空間に迷い込んだとき、突如として 現れたそれ。  今のハルヒの目は、あの"神人"を見つけたときと同じような光を湛えていた。   265 名前: ◆Mene.OWFJw [] 投稿日:2009/02/25(水) 21:02:46.45 ID:EeECp8pj0  根拠のない発言など、今までいくらでもあった。 でも今回は、それがとてつもなく重要な出来事のように思えてならない。 「ちょっとみせてくれないか?」  ハルヒが机からそれを持ち上げ、俺に渡した。 受け取ったそれの重みに思わず腕に入れる力を強める。  やはり間違いない。あの時の本だ。思えばハルヒは、あの時もこの本に熱中していて ほとんど上の空だった。 「ハルヒ、この本にはどんなことが書いてあるんだ?」 「うーん、うまく説明できないわね……」  この本の内容は分からない。しかし俺は、この本に書いてある文字を一瞬だけ見て、 そして気を失った。これがただの本でないことは明白だ。 「あとね、書いてある言葉は絶対に日本語じゃないはずなのに、なぜか読めちゃうのよ」  そう。たしかに一瞬だけ見えた文字の羅列は、明らかに日常的に日本人が使用するような言語ではなかった。 詳しくは思い出せないが……。俺は……。   268 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 21:15:28.46 ID:EeECp8pj0 「キョン、あたしその本を読まなくちゃならないから」  ハルヒがそう言って、俺に本の返還を求めてきた。俺は躊躇いを隠さない。 ハルヒのこの本への入れ込みようは少々異常だ。まあ元々一つのことに熱中するタイプでないわけではないが……。 「分かった。ほら」  数瞬の間を置いて、結局俺はハルヒに本を返すことにした。 SOS団から一人が脱退するという、ハルヒにしてみれば自身の身体を削られるような 苦しみであるはずの状態においてハルヒの精神状態が均衡を保っていられるのは、 この本にを読むことに熱中しているからではないかという考えに行き当たったからだ。 「今日は団活は無しか?」 「あ、うん、そうね。みんなにも伝えておいて」  読書のために学校を休み、何よりも優先してきたはずのSOS団の活動もあっさりと切り捨てる。 元からおかしな奴ではあったが、今日はそういうおかしさではない。  ……つまり、ハルヒらしくないんだと、数秒の逡巡の後に俺は結論付けた。 271 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 21:28:51.50 ID:EeECp8pj0 「きっとね」  本に目を落としながらハルヒが言う。 「きっともうすぐ分かると思うの。これがなんなのかが」  俺も視線を、ハルヒの手元の本に向ける。 これがなんなのか。そうだな、ハルヒなら分かるのかもしれない。 「……ああ、分かった。じゃあ、俺は帰るぞ」  視線をハルヒの顔に戻して、俺は別れを告げる。  ハルヒの様子を見るという目的を果たした今、長居は無用だ。 「うん、……あ、キョン」  背を向けて部屋から出ようとする俺を、ハルヒは小さな声で呼び止め、 「その……今日は来てくれてありがと」  呼び止めたときよりももっと小さな声で、顔をそらしてそう呟いた。 274 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 21:40:01.60 ID:EeECp8pj0  ハルヒの母親に挨拶を済ませ、表に出る。 相も変わらず灰色がかった空は今にも泣き出しそうだった。  収穫はあった。ハルヒの精神状態は、あの本に熱中している限りはおそらく心配ない。 相変わらず根拠のない話しだし、一時的というオプションも外れてはいないが。  情報も得た。長門がハルヒに渡したという本。間違いなく普通の本ではない。 だがあれがなんなのか。どんな意味を持つのか。中身を少し覗き見ただけで気を失ってしまう俺に それを知る術は無い。  つまりだ、俺が次になすべきことは決まっている。 気持ちを新たに、目的の場所へ向かおうとした瞬間、どこかで何か低い音がした。 それがポケットの中で震える携帯電話の音だということに気づくのに数秒を要した俺は、まだボーっとしているんじゃないかと 自分の頭をゴツンと叩きつつ、逸る手で通話ボタンを押した。  ―――――――――――――――――――――――  ―――――――――――――――  ――――――― 276 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 21:56:47.52 ID:EeECp8pj0  黒塗りの車に乗り込む。 中には、運転手と僕だけ。彼は乗らないということだった。 「何か進展があれば連絡します。それでは」  至極簡潔に別れを告げて、冷気を遮断するために窓を閉じる。 運転手に行き先を告げた僕は、窓の外に広がる家々に目を細めた。  この世界を、僕らは守っている。  ここの人々を、僕らは守っている。  行きかう人も、飛ぶ鳥も、誰も知らない暗い場所で、密かに戦いを続けている。  功績が明るみに出ることは無い。  それでも、僕は貧乏籤を引いたとは少しも思っていない。  世界のために働き、世界を守り続ける。なんと名誉な仕事だろう。  窓の外に現れては消えていく人々。  僕らの存在を知ることは無い。  それでいい。  それでいいんだ。 281 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 22:12:26.73 ID:EeECp8pj0 「着きましたよ」  柄にも無く感慨に耽っていた僕は、運転手の言葉で現実に引き戻された。  途中から目を瞑っていたらしい。眠ってはいなかった様で幸いだ。  着いた場所は、どこにでもある公園。  遊具が少なく、遊べるものは砂場とブランコしかない。  そんな理由もあってか、子供達が訪れることがほとんどない公園であり、そして、 「少し遅かったわね」  ……それゆえに、機関のメンバーとの待ち合わせ場所の一つにもなっている公園だ。 「道が混んでいたもので」  適当に嘘を吐く。目を瞑っていたから実際は分からない。  まあ、おそらくその手の理由だろうとは思うが。 「それで、彼女の方は?」  黒のスーツに身を包んだ森さんの姿はどう贔屓目に見ても白昼の公園で制服姿の男子高校生と 談笑するのにふさわしいものではなかったが、そんなことは今はさして重要ではない。 286 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 22:38:29.33 ID:EeECp8pj0 「彼に任せました」  僕は極めて簡潔に任務報告をする。  森さんは無駄の一切省かれた僕の報告を、伝えるべきことが含まれていない失格の報告と捉えたらしく、 「具体的にはどういう風に?」 「言葉どおりです。彼が涼宮さんの家まで様子を見に行くと自分から言い出してくれたので、  僕は予定通りそのまま彼女のことを彼に一任しただけですよ」 「なるほど。で、結果的にあなたは未来人の側の情報を探ることになったと、そういうこと?」  説明の必要は無い様で助かった。  さすがは森さんだと思ったが、次に続けられた言葉が僕の心を曇らせる。 「でもね、わたしたちにははっきりいって、未来へ行ってしまった  未来人に関する情報を得る手段はほとんどないわよ」  風が砂を巻き上げて、僕らのほかには誰もいない公園が少しだけ霞む。  僕は風上にあるベンチを指差して、 「座りませんか」  森さんに提案する。彼女は少し溜息のようなものをつくと、  僕よりも先にベンチへと歩き出した。 294 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 23:04:21.61 ID:EeECp8pj0 「機関は一応、何人か未来人とコンタクトを取ってはいるけどね」  僕がベンチに座ると、先に腰掛けていた森さんが切り出した。 「彼らもあくまで利害の一致のもとに我々と接触を保っているだけ。  彼らの核心に迫ってしまうような質問にはおそらく答えてくれないわ」  もっともだった。  未来人には未来人なりの考えがある。それはどの組織も同じ。  僕らだって余りに自分たちの不利益になってしまうようなことは口にしないだろう。 「ダメもとで聞いてみることも出来ない。なぜかは分かるわね?」 「……ええ」  僕らが彼らの核心的な情報を知りたがっていると知られれば、 彼らの上層部が危険と判断し、結果、コンタクトを取っている未来人は警戒して、 僕らは今まで以上に情報を入手しにくくなってしまうだろう。  中途半端な詮索は、かえって情報の流動性を弱めるのだ。 「それで」  森さんが再び口を開いた。 「古泉、あなたには何か考えはあるのかしら」  彼に約束した手前、何も収穫を得ずにのこのこと顔を合わせることは出来ない。  が、現状、かなり詰んでいるのも確かだ。  未来のことは、僕の専門ではない。僕は超能力者なのだから。 297 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 23:22:53.03 ID:EeECp8pj0 「仕方ないわね」  しばらく黙っていた僕を見かねたように、森さんが溜息をついてそう言った。 「いい古泉、今からわたしが言うことを他の誰かに聞かれたら、おそらくあなたもわたしも、  良くても機関にいられなくなるわ」  森さんがいつになく真剣な表情で僕を見る。  いや、森さんはいつも真剣なのだが、どことなく……熱さを感じる。 「"良くても"ですか。つまり……」  聞き逃したかったのに聞き逃せなかった部分を口に出して繰り返す。  森さんは僕の言葉を途中でさえぎって言った。 「悪かった場合のこともわたしに言わせる気?」 「いえ、すみません」  気圧されて顔をそらす。笑ってなどいられない。 「それでなんでしょう。大丈夫ですよ。盗聴器などはどこにも仕込んでありませんし」 「当然よ。あなたに限らずもしどこかに仕込まれていたらわたしの探知機が反応するから」  どこに機械を隠し持っているのかは下らぬ小事だと思い、僕は彼女の話に耳を傾けることにした。 「未来人が未来へ行ってしまって、この時代では何も手掛かりを得られないんだったら、  するべきことは一つしかない。わたしたちも、未来へ行ってしまえばいいのよ」  おそらく僕は驚きと困惑がないまぜになったような顔をしていることだろう。対して森さんは微笑。  こういう時の彼女の大胆さと行動力はどこかの団長に通ずるものがある。 301 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/25(水) 23:40:25.81 ID:EeECp8pj0 「……具体的には?」 「コンタクトをとっている未来人のうち、弱そうなのを一人適当に見繕って奇襲をかけます」  ああ、おそらく僕はもうこの人からは一生逃げられないんだ。  話してしまったのは間違いだったのか? 「適切な交渉の上、時間遡行の方法を教えてもらって未来へ向かうの」  適切な交渉。  それは相手の態度によっていかようにもその姿を変える。  あっという間に、ごく簡単に。  相手が従順なら、事は穏やかに進むだろう。  しかし、相手が抵抗の意を見せたなら……。 「でもね。問題もあるのよ」  まるでたった今僕に言ったことが問題ではないとでも 言うような口ぶりで、森さんは続ける。 「時間遡行の方法が未来人特有の能力だったりするとお手上げになるわ。  機械のようなものを使ってのことだったらまだしも……でもそれも、機械が未来人の体内とかにあれば  手は出せないわね」  一人で盛り上がってしまっているようだ。  僕はしばらく言葉を失っていたが……。 「落ち着いてください森さん。そんなことをすれば、例え真相を究明できたとしても、  そのあと機関と未来人勢力は戦争状態になってしまいます」  森さんは、これまたどこかの誰かによく似た感じで少し口を尖らせた。 310 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 00:10:57.66 ID:rxKIHavw0 「じゃあどうするの?何かいい案でも?」  森さんが不満たらたらといった感じで僕に問いかける。  ここで止めないとこの人は本当にこういうことをやってしまいそうで怖い。  いや、大丈夫だ。仲間は信じなくては。  とはいえ、協力を求めているのはどちらかと言えば僕の方な訳で。  オルタナティヴを出せずに喚いても、何の解決にもならないのも確かだ。 「いい案……ですか……」  森さんとこれ以上視線をつき合わせているのが居た堪れなくて、僕は顔をそらして公園の入り口に目をやる。  その時、僕は一人の女性が公園に入ってくるのを認めた。  その女性の髪は赤みの強い栗色で。  その女性はどこぞの教師のようないでたちで。  そして僕は、その女性の顔に少しだけ、よく知る人物の面影を見た。 「古泉?」  女性に視線を釘付けている僕を不審に思ったのだろう。  森さんが僕に声をかける。僕は言葉を返さない。 「こんにちは。古泉くん。こうして会うのは初めてかしら」  僕の前に立ち、そう言った。  その女性に、僕は会ったことはなくて。  しかしその女性は、紛れもなく朝比奈さんだった。 424 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 14:09:40.84 ID:7+a7S13t0 「朝比奈……さん?」  言葉が零れる。その人物が僕の良く知る朝比奈さんでないことは明白だったが、 しかし僕は、その名以外に言うべき答えを持ち合わせてはいなかった。 「始めまして、朝比奈といいます」  それは、僕ではなく森さんに向けられた言葉。  森さんは怪訝そうな目で僕をちらりと見て、然る後に朝比奈さんに向かって口を開いた。 「あなたが朝比奈みくる?」 「そうです。もっとも、古泉くんの良く知る朝比奈みくるよりも、  もっと未来から来た朝比奈みくるですけど」  繋がった。  この人は確かに朝比奈さんだったのだ。  ただ、元いた時代が違うだけのこと。 「なんの御用ですか?」  事態を完全に把握したわけではないが、時間は待ってくれない。  僕は笑顔を取り繕って、同時に内で気を引き締める。  もうすでに、組織と組織の交渉は始まっているのだ。 426 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 14:20:25.40 ID:7+a7S13t0 「古泉くんにお願いがあるんです」  目の前の女性の顔をよく見る。  穏やかな表情だが、目が笑っていない。 「わたしについて来てもらえませんか」  逡巡。  いきなり現れたと思ったら提案もいきなりだ。  ここで乗れば間違いなく新しい手掛かりは得られるだろうが、その後僕が無事に戻れる保証はない。  今更わが身に危険が降りかかることは怖くはないが、それではするべきことが果たせない。  朝比奈さんの足跡を追い、退団の原因を突き止め、あわよくばそれを止めさせるという彼との約束が。  僕は森さんの顔を見る。  仄かに楽しげな色すら孕んでいた先程とうって変わって、彼女の顔からは感情が消えていた。 「どこへついて行けと?」  繋ぎの言葉だ。出来るだけ情報を引き出しておくに越したことはない。  朝比奈さんは少しだけ目を細めて、ただ一言。 「未来へ」 431 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 14:36:30.21 ID:7+a7S13t0 「それはあなたのいる時代へということですか?」  いつだったか、彼が朝比奈さんに付いて時間遡行を行った話を聞かせてくれたとき、 僕もいつか連れて行ってほしいなどと考えたことを思い出しながら僕は聞いた。 「いいえ、ほんの数日後です」 「数日後?」 「はい。そこでは……まあとにかく、実際に見てもらえば分かると思います」  知りたければついてこい。要約すればそういうことだった。  僕は一分ほどの沈黙を挟み、彼女の目を見据えて言った。 「分かりました。行きましょう」 「……ありがとう。それではその前に、お連れの方には外してもらえますか?」  森さんの顔を見る。眉毛が少しだけ動いたような気がしたが、それ以外に目立った変化は見られない。 「森さん、いいですか?」 「大丈夫なの?」 「はい、多分」  言い終えてから、僕は多分という言葉は余計だったと後悔する。  しかし森さんは、「そう」とだけ言って、僕から視線をそらした。 「古泉をよろしくお願いします」 433 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 14:50:34.90 ID:7+a7S13t0  森さんが公園の入り口から消えていくのを認めてから、朝比奈さんは僕のほうに向き直った。 「ごめんね。あとで怒られたりするのかしら?」 「いつものことですから。大丈夫です」  たわいもない会話。  それでも、緊張はいくらか解れた。  僕は立ち上がったが、 「いえ、ベンチに座ったままでいてください」  朝比奈さんに言われて再度腰を下ろした。  彼女は僕を座らせると、部室でよく見るあの朝比奈さんからは想像もできないような きびきびとした歩き方で僕の後ろに回った。 「目を瞑ってください」  柔らかな声で朝比奈さんが言う。  言われて目を瞑った僕は、朝比奈さんの声を思い返してやっぱりあの頃とは変わったなと思った。  あどけなさを絵に描いた様な可愛らしい声とは違い、今の彼女の声は大人っぽさを孕んだ、ともすれば妖艶な声だ。 「少し気分が悪くなるかもしれませんが、我慢してください。それでは行きます」  最高に気分が悪くなったとの彼の話を一瞬思い出した僕は、脳を揺さぶられるような強烈な眩暈に襲われた。  座っていたはずのベンチの感覚がなくなる。  どこまでも落ちていくのかも分からず、ただ、口を固く結んで吐き気に抵抗した。 437 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 15:15:13.95 ID:7+a7S13t0  不意に感覚を取り戻す。  どこかに座っているという感触でこれほど安心できたことはかつてない。  目を開けたいという衝動と、絶対に開けたくないという衝動に板ばさみなっていた僕の耳に、誰かの声が届いた。 「もう大丈夫です。目を開けてください」  それが朝比奈さんの言葉だと気づき、僕はゆっくりと目を開く。  固く閉じていたまぶたが、光を受け入れる。  そこは僕のよく知る場所だった。  部屋の中央にテーブルが一つ。窓際にはパイプ椅子。その間にパソコンの置かれた小さな机。  壁際の本棚には、厚いものも薄いものも入り乱れて本が何冊も並べられている。  ――つまり、そこは北高の文芸部室だった。 「……」  朝比奈さんが僕にかけた言葉以降、沈黙は破られない。  喋ることよりも大事なことがあった。  重い感触。何かがそこに存在している感覚。  僕はこの感覚を知っていた。  閉鎖空間だ。 440 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 15:31:35.70 ID:7+a7S13t0 「これは……」 「閉鎖空間、ですよね?」  朝比奈さんが言葉を継いだ。  僕は自分が座っていた椅子から立ち上がり、窓際に寄る。 「わたしもなんとなくは分かるんです。ごく微小ではありますが、時空震が観測されていますから」  朝比奈さんも、窓の方に歩いてきて、僕の隣に立ってそう言った。 「あの空間の中では何もかもが普通じゃありません。  時間の乱れも、普通は気づかない程度ですが起きているんです」  不自然なことではなかった。納得はいく。しかしそれは、朝比奈さんが閉鎖空間の存在を  感じ取ることが出来ていることまでだ。 「しかし……この大きさは……」  尋常ではなかった。  今までの経験上見てきた全ての閉鎖空間の遥か上をいく規模。  しかも恐ろしいことに、 「拡大しています……」  それは、かつてないスピードで。 「やっぱりそうなんですか……。わたしたちは存在自体はかろうじて感じ取ることは出来ても、  中に入ったり実際に見たりは出来ないので、確証はなかったんです」 443 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 15:50:30.96 ID:7+a7S13t0  世界の創生。  広がり往く重苦しい灰色はそれを連想させた。 「何が起きているんですか。この時間軸の機関は……」 「いえ、いいんです。わたしはこれが閉鎖空間だと言うこと、  すなわち涼宮さんが発生させているものだということを確認したかっただけですから」  悲しそうな顔で朝比奈さんはそう言って、僕の手を引いた。 「もう一度、座ってください」 「もしかして、もう戻るんですか?」 「そうです。これ以上いたらここも危険でしょう?」  僕はもう一度感覚を鋭くさせる。  閉鎖空間の拡大がいくらかつてないスピードだと言ってもそれはすぐに世界を覆ってしまうというものではなかったが、  それでも確実に、それは広がっていた。 「しかしこの世界を放っては……」 「古泉くん」  言葉をさえぎって、朝比奈さんが僕の手を強く握る。 「この事態を打開するために、わたしたちがやるべきことはあなたの時代にあるの」  僕はもう、それ以上抵抗することは出来なかった。 447 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 16:16:18.02 ID:7+a7S13t0  こんな短時間にこんな気分の悪さを二回も体験してしまうのはどう考えても身体に悪い。  そんな不満を少しだけ感じながら、僕は再び目を開いた。  先程の公園だった。 「付き合ってくれてありがとう。おかげで確証が持てました」 「なんの確証ですか?教えてください」  僕は言葉を早めた。逸る気持ちを抑えるのは難しい。  あんな規模の閉鎖空間など、今まで見たことはない。  あれがどれほど危険なものなのか、超能力者だからこそ僕はよく分かる。 「ですから、あの時空震は閉鎖空間であり、涼宮さんが発生させているということです」  結論をなかなか口にしないその物言いは、どこか記憶の隅にひっかかる物がある。 「それはさっき聞きました。でも……」 「古泉くん、それについては、わたしからは話せません」  朝比奈さんはまたもや僕の言葉を遮る。  僕の顔から、目が逸らされた。  高台の公園からは、建設途中のビル群が見える。 451 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 16:30:10.45 ID:7+a7S13t0 「ごめんなさい」  ただ一言。  放たれた言葉に力は無くて、僕は用意していたいくつかの言葉を述べる気力を失った。 「では、誰が……?」  僕は朝比奈さんの顔に視線を戻す。  彼女も同時に僕を見た。かみ合う視線。  悲しげな光は消えていなくて、僕は目を逸らさないようにいささか顔に力をいれなければならなかった。 「長門さんに聞いてください。教えてくれると思います」 「長門さんに……ですか」  推測の域を出ない表現。  それでも、霧が晴れるのなら。 「長門さんとお知り合いなんですか?」  大して重要ではなさそうなことを聞いてしまう。 「ええ」  彼女の答えも、簡潔だった。 454 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 16:40:12.26 ID:7+a7S13t0 「わたしは、これからやることがあります。  古泉くん、あなたはどうする?」  これから。  僕の成すべき行動の候補が、いくつか頭に浮かんで回る。 「とりあえず、彼に連絡を取る事にします」 「そう。分かったわ。それじゃあ、ありがとう」  礼を述べられる。  僕も礼を返した。 「いええ、こちらこそ」  自分が何に対して礼を言っているのかも、分からないまま。  公園に立つのは僕一人だけとなった。  本当にここは、昼間だと言うのに誰も来ない。通りがかりすらしない。  好都合ではあったが、行政はもう少しここらの子供への周知を徹底させた方がいいんじゃないだろうか。  それとも近くに他の公園でもあるのか?  成すべきことが在るときにどうでもいいことばかりを考えてしまうのは僕の悪い癖だ。  直す気にもならないほどに染み付いた慣習に溜息をつきつつ、僕は森さんに連絡を取る。 456 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 16:57:36.32 ID:7+a7S13t0  森さんはすぐにやってきた。  さっき僕が乗ってきたのと同じ黒塗りの車が、公園の入り口で待つ僕の前に滑り込む。 「それで?収穫はあったのかしら、ほとんど時間はたっていないようだけど」  なるほど。朝比奈さんは僕らがこの時間軸を発った時と同じ時間に僕を戻したのか。 「ええ、。とりあえず彼に会おうと思います。よろしいでしょうか?」 「わたしは別に構わないわよ。早く乗りなさい」  促されて助手席に乗り込む。  ドアを閉める。  さっきと違うのは運転手が森さんであることだけだった。  朝比奈さんがやるべきこととはなんだろう、と考えようとしたが、未来人の成すべきことが超能力者に分かるはずも無い。 「彼を拾ったら、学校に向かってください」  森さんの許可を得た僕は、彼に連絡するべく携帯電話を取り出す。 「学校……ね。了解。あと、シートベルトを締めなさい」  言われて僕は片手間にシートベルトを引き出しつつ、彼の番号を探す。  車が緩やかに走り出した。  番号を見つけ、かける。  コールが一回、二回、三回……。  八回目のコールが鳴り終わろうとしたとき、音がフッと途絶え、彼の声が聞こえた。   458 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 17:14:12.03 ID:7+a7S13t0  ―――――――  ―――――――――――――――  ――――――――――――――――――――――― 「もしもし」 「どうも」  古泉の声だった。  聞くのは随分久々のことに思える。 「今、どちらです?」 「ハルヒの家を出たところだ」 「それはちょうどよかった。今からそちらに車で向かいますので、どこか寒さを凌げるところで  時間を潰していてもらえますか」 「それで、どこに行く気なんだ?」 「学校です」  奇遇だな。俺もちょうど行きたかったところだ。  通りがかる車を避けるために道路の端に身を寄せつつ、 「分かった。待ってるぞ」 「おそらく十五分ほどで着けるかと。それでは」  電話が切られた。向こうにもそれなりに収穫があったらしい。  携帯を閉まった俺は、すぐ近くに会ったコンビニに駆け込んだ。 460 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 17:32:20.90 ID:7+a7S13t0  直前の電話連絡を含めてそれからきっかり十五分後、黒塗りの車が近づいてくるのをコンビニの駐車場で見つけた俺は、 なんどか見たことがある機関の車との間に特徴の一致を見る。  目の前に緩やかに停車した車の助手席に古泉が座っているのが見えた。 「乗ってください」  窓越しに古泉が言う。  俺は急いでドアを開けようとして、静電気の激しい攻撃を被った。 「お疲れ様です。電話で申し上げたとおり、これから学校に向かいます」  ドアを閉めると、古泉が後ろを向いてそう言った。  隣にいたのは……、 「森さん……?」 「お久しぶりです。シートベルトをお忘れにならないでください」  事務的な口調で告げられた。  俺は急いでベルトを引き出す。 「さっそくですが」  古泉が切り出した。 「お互いの収穫を確認しておきましょうか」   466 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 17:58:44.15 ID:7+a7S13t0  それから、俺と古泉は森さんの軽やかなハンドルさばきの横で情報を交換し合った。  その上で話を整理するとこうなる。  まずハルヒについて。  ハルヒは昨日の朝比奈さんの脱退で大いに精神に打撃を受け、閉鎖空間をいくつか発生させた。 しかしその後の精神状態は安定しており、現在までその他の閉鎖空間の発生は無い。 今日、ハルヒは学校を休んでおり、その理由は「本を読みたいから」らしい。 その本は長門が前日ハルヒに渡したものであり、解読不能の文字で記されている。俺がこの本を見て気を失ってしまった ことから考えても、ただの本ではない。また、精神状態が安定している理由もこの本を読むことに 精神が集中されているからではないかと考えられる。  次に長門。  長門は朝比奈さんが退団した件に関して、「情報統合思念体が静観の構えを見せている」ことを理由に、 干渉できない旨を俺たちに伝えてきた。喜緑さんによれば、長門の様子が少しおかしいとのこと。 また朝比奈さん(大)の話すところによると、長門は何かを知っているらしい。 ハルヒに謎の本を渡したのもこいつだ。  最後に朝比奈さん。  昨日、突然退団宣言をした後、朝比奈さんはこの時空から消失。その後の足取りは掴めない。 古泉が接触した朝比奈さん(大)は、古泉を彼女曰く「数日後の未来」に連れて行った。 そこでは閉鎖空間が急速に拡大していたが、朝比奈さんはそれがハルヒが発生させたものであるということが 分かるだけでよかったらしく、そのまま古泉を連れて元の時間軸に帰還。長門に話を聞けと言い残して去った。 470 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 18:12:06.34 ID:7+a7S13t0 「…………」  一頻り情報をシェアして、俺達は沈黙した。  最初の頃に比べて情報は大分増えたが、これは真相に近づいたと言えるのだろうか。 「着きますよ」  森さんの声で我に返る。見慣れた風景が窓の外を通り過ぎていく。 見慣れた坂道を登り終え、見慣れた校門の前で車は停車した。 「ありがとうございました。森さん」 「とんでも御座いません。ご健闘を祈っています」  車から降りた俺達を灰色の空から吹き降ろす風が容赦なく撫でる。 雨の心配も必要な空模様だが、そのような心配は家を出る前にすべきことだ。 「大丈夫ですよ。雨が降ってきても我々の車でお送りします」  俺の心を見透かしたかのように笑顔で述べる古泉。 「ああ、頼むよ」  顔を古泉に向けることなく俺は言い、下駄箱に向かって歩き出した。 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 18:35:24.80 ID:7+a7S13t0  下駄箱で靴を履き替える折、ふと、朝比奈さんのことを思い出す。 思えば、未来からの指示はいつもこうやって届いていたんだよな。  部室の前。  少し力を込めて扉を開く。 「…………」  長門は俺達がこの部室を後にしたときと全く同じ体勢で椅子に座っていた。  まるで俺達が来ることなど知っていたとでもいうような反応の無さだ。  長門には限ってはそれでも驚きはしないが。  鞄を置いて、深呼吸。  古泉が扉を閉める。 「長門。お前に聞きたいことがある」  長門はそこで初めて俺の顔を見た。 「朝比奈さんがな、お前に話を聞けってさ」 「あの朝比奈さんではなく、もっと未来から来た朝比奈さんです」  古泉が補足する。 「教えていただけますか。これまでのこと」  長門が本を閉じた。 31 名前: ◆Mene.OWFJw [] 投稿日:2009/02/26(木) 20:46:28.17 ID:OatfxhSh0  小さな声で長門は話し始めた。  俺と古泉は、テーブル横の椅子にそれぞれ腰を下ろしている。 「彼女は、わたしにの前に現れて頼みがあると言ってきた。  未来人と対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースは、  接触をすることはあれど取引を行うことはほとんど無い。この時点で、  わたしは異常事態の発生を察知した」  朝比奈さん(大)が長門の前に現れる。  なるほど確かに余り普通のこととは思えない。 「そういえばお前とあの朝比奈さんは面識があるんだったな」  一年の頃を思い出して俺は言う。  しかし長門は、少しだけ首を傾げてこう続けた。 「わたしと彼女に面識があるのは事実。でも、初めて会ったのは  あなたが考えている時よりももっと前のこと」  今度は俺が頭をひねる番だった。あの、俺が朝倉に襲われた次の日よりも前に、 二人は既に会っていたと言うのか? 36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 21:00:14.11 ID:OatfxhSh0 「彼女はこう言った。『いつになるかは言えないけれど、涼宮ハルヒはまた情報爆発を起すことになる』と」  情報爆発。  奇しくも今思い出した朝倉も言っていた言葉だ。  それのせいで厄介な現象が色々と起きたんだっけな。 「その情報爆発の及ぶ範囲は広大。  その広さは、世界そのものを創りかえるほど」  俺はいつだったかの古泉の話を思い出した。 『万が一、この世界が神の不興を買ったら、神はあっさり世界を破壊して一から創り直そうとするかもしれません』  この世界がハルヒによって創り上げられたのではないかという考えは古泉たち機関では主流と言うことだった。  情報爆発の規模や内容は詳しくは分からんが、恐らく似たようなものなんだろう。  その古泉は、いつもの両手を顔の前で組むポーズをしながら難しい表情を浮かべていた。 37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 21:15:55.87 ID:OatfxhSh0 「そしてその情報爆発が起こったとき、わたしやあなたを含めた全ての情報体は消失し、  再構築される」  とんでもないことを聞いた様な気がする。気のせいか?  古泉の顔を見る。驚きを隠せていない。なるほど、気のせいではないらしい。 「我々が……消失すると?」  古泉が信じられないといった声色で言った。 「そう。そして然る後に再構築された世界に、我々は存在しない」 「そんな……それじゃ……」  古泉が冷静さを失っているのを見たのは初めてだった。  確かに自分の存在が消えると言われれば絶望してしまうのは不自然なことじゃない。  しかし、こと古泉にとって、その絶望がアイデンティティの問題にまで波及してしまうことを俺は知っていた。  古泉は今まで、世界を守るために戦ってきた。放っておけばどんどん勢力を増してしまう神人を退治し、  世界が閉鎖空間に飲み込まれるのを防ぐ。そうして日々、こいつは俺達の済む世界の安寧のために働き、  実際に健全に維持してきた。  それなのに、「実は世界はどの道消え去る運命だった」などと言われてしまったら。 42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 21:32:23.63 ID:OatfxhSh0  超能力者にとって、それは矜持のようなものなのだと俺は思う。  古泉にとって、世界が消える運命にあると言われるのはまさに今までの自分の存在理由を否定されるのと同じ。  ――それは超能力者のアイデンティティとプライドへの、決定的な侮辱に他ならない。 「待て待て待ってくれ長門」  俺はたまらず口を挟んだ。 「おかしいじゃないか。俺達がみんな消えてしまう運命にあるのなら、なぜ朝比奈さんは存在できているんだ?」  朝比奈さん(大)の過去の姿である俺達の良く知る朝比奈さんがいなくなってしまったら、 その時間的にその延長線上にいる朝比奈さん(大)の存在も消えてしまうのではないか。 「だから、朝比奈みくるは呼び戻された。  世界が消失することが分かっていたから、その前に未来へと帰ってくるように」  じゃあ朝比奈さんがあの時退団宣言をしたのは……。 「語弊があったかもしれない。この帰還は彼女の意思ではない。  彼女に指示を下した人がいる」  あの朝比奈さんに指示を与える人物と言われて、俺の頭が思い浮かべることが出来た人物は一人しかいなかった。 43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 21:42:06.43 ID:OatfxhSh0 「朝比奈みくるの異時間同位体。彼女があの朝比奈みくるに、未来へ帰還するよう指示を下した」  別に、俺達を助けてくれないことを恨みはしない。  自分だけ助かろうと思う気持ちが低俗だとは思わない。  それでも、俺は胸の奥で蟠りを感じざるを得なかった。  ――せめて一言、一言くらい、何か言ってくれてもいいじゃないか。  別れも告げずに帰還させてしまうなんて、そんなの少し酷過ぎやしないだろうか。 「朝比奈みくるは」  長門が話を再開した。 「自分が助かろうとして自分の異時間同位体を呼び戻したのではない」  どういうことだろう。その行動にそれ以外の意味があると? 「彼女が助けたかったのは、自分ではなくこの時代の朝比奈みくる」  長門が諭すように言う。 「そして、わたしたち」 45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 21:53:24.15 ID:OatfxhSh0 「それはどのような意味でしょう、長門さん」  世界消失の話以来、俯いて口を開かなかった古泉が、  長門の方に向き直ってそう言った。 「世界の崩壊は、規定事項。規定事項と言うものは、一つの未来に向かって道筋をつけるときに必ず必要な事象。  だから、未来人はいくつもの規定事項を過去への干渉により達成することで、その過去が自分達の未来へ  向かうように、道筋を固定する」  今が未来へいくために必要な事象。そうだ。  だから俺達は何度もそれを達成するために動くよう言われたんだ。 「規定事項の中には、それまでに行うべき規定事項を達成していないと規定事項として意味を成さないものがある。  涼宮ハルヒがいずれ起すであろう規定事項はそれに該当する」  規定事項のための規定事項。それまでに達成されるべき事象。  つまり……。 「要するに」  再び古泉が口を挟む。 「適切な規定事項をいくつか達成していないと、その規定事項は達成できないと言うことですね」  長門は首肯で答えた。 48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 22:08:09.15 ID:OatfxhSh0 「必要な規定事項が達成されていない状況でその規定事項に行き当たった場合、  その事象は完全な形では達成されない」  だんだん、分かってきたような気がした。 「涼宮ハルヒの情報爆発は、それまでに行うべき規定事項が行われていなかった場合、  不完全な状態で達成されることになる」 「つまりその結果……あるいは……?」 「本来、それが達成されるべきだった時間よりも早ければ早いほど、なすべき規定事項は達成されなくなる」  よく分からんな。 「つまりこういうことですよ」  大分余裕を取り戻したらしい古泉が、俺の方に向き直って言った。 「涼宮さんの情報爆発という規定事項。これが完全な形、すなわち、我々の情報が全て消失し、  再構築されるれると言う形ですが、この完全な形で達成されるためにはそれ以前にA、B、C、Dの規定事項を  達成する必要があるとします」  古泉は指を折りながら必要な規定事項の数を数える。   49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 22:20:28.07 ID:OatfxhSh0 「このAからDまでの規定事項を達成できれば、情報爆発と言う規定事項も完全に達成されます。  しかし、もし涼宮さんの情報爆発が起こる前の段階で、Aの規定事項しか達成出来なかったとしたらどうでしょう?」  必要な規定事項の数が足りない。つまり……情報爆発は……。 「完全な形では達成されない。お分かりですね。つまり涼宮さんの情報爆発という規定事項が  前倒しにされればされるほど……」 「……それは不完全な形で達成されることになる」 「すなわち、完全な条件の下でなら達成できたはずの『全情報体の消失』は限りなく達成されにくくなる、ということです」  ようやく理解できた。ハルヒの情報爆発の前に達成される規定事項が少なければ少ないほど  いいってことか。 「だから、そのために朝比奈みくるは」  二人で勝手に盛り上がっていた俺と古泉は、再び長門の話に耳を傾ける。 「涼宮ハルヒの情報爆発の発生時間を前にずらそうとした」 「では僕が彼女に連れて行かれた『数日後』は……」 「正確には明日」  明日だって?随分急じゃないか。 「おそらく数日後と言う表現を使ったのはあなたたちを焦らせない為」 52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 22:36:03.01 ID:OatfxhSh0 「涼宮ハルヒの情報爆発が発生したかどうかは、厳密には朝比奈みくるら未来人には判断できない」 「だから僕を連れて行って、本当にそれが涼宮さんの発生させたものなのかを確認してもらった」  忘れもしない一年の春。ハルヒと迷い込んだ閉鎖空間の中、赤の光体として空間に侵入してきた古泉は  俺に言った。ハルヒは新しい世界の創造に着手したようだと。つまり、ハルヒが新世界の創生に入った場合、  情報爆発は『大規模かつ特殊な閉鎖空間』という形で顕現するってことか。 「あの程度の閉鎖空間で済めばいいものだ、とは立場上言いたくはありませんけどね」  世界の消失よりは確かにマシです、と言って古泉は方をすくめる。 「当然、閉鎖空間の発生への対処に追われている明日の機関のメンバーには何も頼めない。  だから僕を連れてきて確認させた。おそらく前もって教えておくことで明日それを目の当たりにしたときにも  慌てないで対処する出来るようにする意味合いもあったんでしょう」 「予定通り閉鎖空間の発生を確認した朝比奈さんは、この時代に戻ってきて、古泉を……」  長門のところへ向かわせた、と続けようとして言葉を切った。  己の愚かさへの憤りが縦横無尽に身体を駆け巡る。  古泉も俺の少し前に気づいたようで、顔をしかめている。 「規定事項の達成の意味するものはその未来の実現。そして規定事項の不達成の意味するものは」  長門の話す、その言葉の先をそれ以上聞きたくなかった。 「その未来の消失」 54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 22:41:09.80 ID:OatfxhSh0  浮かれていたのかもしれない。  消失を免れるという事実に。  人は何かを失うことなしに、何物も得られはしないのに。 「あの朝比奈みくるのいる未来は達成されなくなる可能性がある。  少なくとも、わたしたちがいるこの時間軸との繋がりは断絶される」  あるべき規定事項を不達成に終わらせると言うことは、その先に繋がる未来の  存在を危ぶませるということだ。 「長門さんが僕らに何も教えなかったのは……」  長門は、いつか見たあの悲しげな光を双眸に宿らせた。 「あななたちが、朝比奈みくるの行動を止めようとするのを防ぐため」  少し間を置いて、長門は続ける。 「そう、頼まれた。朝比奈みくるから」 57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 22:53:02.82 ID:OatfxhSh0  俺達が、あの朝比奈さんが自身の未来の消失すら賭して俺達を消失から守ろうとしてくれていると知ったら。  間違いなく俺達は止めていただろう。  他の方法がある。これから探せばいい。  そんな、根拠の無い推測を散りばめて。  でも、おそらく朝比奈さんは知っていたんだ。他に方法などないこと。  甘い考えは確率論を覆しはしないと。わずかな可能性にかけることの無謀さを。  しばらくの間、部室を支配していた沈黙を古泉が破った。 「長門さん、涼宮さんに渡したあの本。あれは何なんですか?」  確かにその疑問はまだ解決されていなかった。  項垂れつつも俺は長門が口を開くのを待つ。 「時間遡行の概念を、わたしが記した」  とたんに、思い返される。 「朝比奈みくるに頼まれて、最後にこう付け加えた。  『朝比奈みくるは未来人』」 あの時の、あの言葉。 59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 23:04:29.82 ID:OatfxhSh0 ――ひょっとしてお前も時間移動とか出来るのか?―― 『わたしには出来ない。でも時間移動はそんなに難しいことではない』 ――コツを教えてもらいたいね―― 『言語では概念を説明できないし理解も出来ない』 ――そうかい―― 『そう』 「記したといっても、それは本の形にしてページに情報を焼き付けたと言うこと。  普通の人間には理解できないし、見れば脳が拒否反応を起す」  あの時、ハルヒが見ていたのは、時を駆ける方法。 「朝比奈みくるに強く執着し、さらに一種の興奮状態にあってその情報を得た涼宮ハルヒは、  ためらい無く概念の行使を試みる」  閉鎖空間の中では、微小なれども時間の変化がある、朝比奈さんはそう言ったと古泉に聞いた。 「時間遡行とは、情報の移動。涼宮ハルヒほどの情報体が急激な時間遡行を行えば、それは」  ……情報爆発になる。 「――――零時を回った」   61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 23:12:33.56 ID:OatfxhSh0  世界が泣いているような気がした。  灰色の風が辺りを走るような、ざわざわとした嫌な感覚に包まれる。 「あそこに記された遡行の概念は一部だけ。たった今情報爆発を起した涼宮ハルヒは、  そのまま自分の知る概念で飛べるところへ向かう」  そこにいるのは。 「……来る」  長門がそう呟いた数秒後、窓際に座っている長門の方を向いていた俺たちの後ろでドサッという音がした。  急いで振り向く。  部室の扉の前に三人の人間が居た。  二人は眠っているようにぐたったりとしており、そして一人は……。 「久しぶりねキョンくん。古泉くんは、また会ったわね、かな」   64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 23:19:40.87 ID:OatfxhSh0  その女性の髪は赤みの強い栗色で、  その女性はいつか見た懐かしいいでたちで、  そして俺は、その人のことを良く知っていた。 「朝比奈さん……」  脇の二人はハルヒとこの時間軸の朝比奈さんのようだ。  二人ともぐっすりと眠っているらしい。 「長門さんに、もう全部聞いたかな」  俺と古泉は首肯する。 「ごめんね、何も言わずに」  少なくとも、今何も言えないのは俺のほうだった。 「でもね、わたしは」  言葉を詰まらせる。  そして隣に眠る小さな朝比奈さんの頭に手を置いて、朝比奈さんは双眸を潤ませた。 「わたしじゃなくて、この子に生きていって欲しいから」 65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 23:26:06.44 ID:OatfxhSh0 「朝比奈さん……」  名前を繰り返して呼ぶことしか出来ない自分の無力さを呪う。  古泉は口を固く引き結び、朝比奈さんのことを見つめている。 「ありがとう、長門さん」  俺達の後ろに、朝比奈さんは声をかけた。  振り返る。長門はいつもの無表情な顔で見つめ返した。 「……よかった。最後にお礼が言えて」  朝比奈さんは少しだけ目を閉じて、そして再び俺の方へ向けて開いた。 「規定事項をいじっちゃったから、この情報爆発が収まればもうこの時間軸とわたしのいる未来との繋がりは  消失します」  ――その人はただ、微笑んでいて。 「ほら、そんな顔しないで。未来は自分達で作っていくものでしょ?」  ――俺はただ、泣いていた。 68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 23:36:27.05 ID:OatfxhSh0 「この子をよろしくね。もちろん、涼宮さんも」  両脇の二人の頭に再び手を置いて朝比奈さんは言う。 「古泉くん、あなたにもお願いします。ちゃんと涼宮さんを支えていってあげてね、副団長さん」 「……はい」 「うん、じゃあ……そろそろ行きます。あ、少ししたらこの部屋、空けてね。  わたしと古泉くんが来ると思うから。もちろん、情報爆発のさなかだから長くはいられないし、  みんなが会うわけにもいかないけど」  朝比奈さんが扉に手をかける。  とっさに俺は言う。 「ありがとうございました。朝比奈さん」  自分が何に対しての礼を言っているのかも、決められないまま。 「丁度揃っているし、最後にSOS団のみんなに言っておきます。涼宮さんが起きたら、伝えてね」  扉が開かれて、 「わたしは、楽しかったから」  扉は、閉められた。 72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 23:50:03.11 ID:OatfxhSh0  世界は、結局朝を迎えた。  灰色がかった昨日の空が嘘のように晴れ渡り、陽光に照らされた坂道を途中で出くわした谷口と一緒に登る。  ――時間は飛んで放課後。  ハルヒはいつぞやの疲れに満ちた顔がこれまた嘘なんじゃないかと思えるほどの太陽の輝きを取り戻しており、 百ワットの熱に焼かれそうになった俺は朝比奈さんの淹れてくれたお茶でなんとか身体を潤す。  朝比奈さんもハルヒも、結局何も覚えていないようで、それがあの朝比奈さんによるもなのかはたまた  長門の情報操作によるものなのかは俺も古泉も知る術は無い。  聞くつもりも無いしな。  長門は読書、朝比奈さんは編み物、ハルヒはネットサーフィン、俺と古泉はオセロ。  いつも通り過ぎて、思えばこれはハルヒの嫌う"退屈"には当たらないのだろうかと一考しそうになった俺は  古泉の駒に痛い場所を取られて珍しく劣勢に陥っていた。  古泉の顔を見る。目が語っていた。  ――僕は忘れていませんよ――  駒を置きつつ、俺も返す。  ――俺もだよ――  自分の番を終えた俺は、窓の外に視線を逸らした。   75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/26(木) 23:53:56.22 ID:OatfxhSh0  過去、俺はあなたを知った。  ――あなたは俺に言った。白雪姫を思い出せ。  今、俺はあなたを覚えている。  ――記憶は今も、鮮烈に。  そして未来に、俺は誓います。  ――あなたをずっと忘れない。  いつまでも。  いつまでも。 〜fin〜 84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/27(金) 00:04:53.66 ID:Hxpt22PR0  無数の情報の海の中から、意識が選り分けられてすくい上げられる感覚。  わたしという個体は、そうして生まれた。  涼宮ハルヒ。情報爆発。様々な情報がわたしの中にインプットされている。  感情は、いらない。一般的な人間が持つ、趣味も必要無い。  生み出されてから三年間、わたしはそうやってすごしていく、そう思っていた。 「こんにちは」  有機生命体の区分では"女性"とされる、赤みがかった髪を揺らす人だった。  突然ごめんなさい、でも、あなたにお願いがあるの。彼女はわたしに、そう言った。 「いつになるかは言えないけれど、涼宮さんはまた情報爆発を起すことになるんです」  記憶媒体にある名を聞く。彼女の話に興味を持った。  そうして話をして、知った。  世界は、消失するかもしれない。 90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/27(金) 00:12:55.93 ID:Hxpt22PR0  話をほとんど終えた後で彼女はこう言った。 「これに、時間遡行の概念を記して涼宮さんに渡してもらえますか?」  "本"と呼称されるその物体は、薄い紙が何枚も重ねられて綴じられたもので、人間はこれを"読む"そうだ。 「長門さん、これはね、あなたには分からないかもしれないけど、人間にとってはとても重要な情報取得手段なの」  わたしには、よく分からない。 「そう、まあいいわ。あ、そうだ」  彼女は何かを思いついたようだった。 「じゃあ長門さん、これから学校に入学して、涼宮さんの観察に回ると思うんだけど、暇な時は本を読んでいて」 「なぜ」 「わたしの、異時間同位体っていうのかな。その子も涼宮さんのところへ行くの。  その子には宇宙人の子は本を読んでいるって教えておくから」  理由を聞いていない。 「常に本を読んでいないとね。涼宮さんはあなたの持っている本に関して興味を持ってくれないでしょう?」  概念には、自ら興味を持つことが大切。そうでないと、彼女はそれに集中してくれない。そう言われた。 94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/27(金) 00:27:10.12 ID:Hxpt22PR0  本は、面白かった。  やがて自分でも、もっと他の本を読んでみたいと思うようになった。  苦痛ではなかった。少しだけ、新しい感情というものを覚えた気がした。  時はたち、わたしは涼宮ハルヒのもとへ。  そこには、確かにあの「朝比奈みくる」という女性に雰囲気の似た女子生徒が紛れていた。  長い時間をかけて、涼宮ハルヒにわたしの読む本に対しての興味を少しずつ引き出してきたつもりだった。  それでも、彼女は他のことに目を向け続けている。わたしは、ただ待った。  生み出されてから四年以上が経ったある日、兆候が見られ始める。  それは、彼女が本に興味を持ち始めたということではない。  不思議な、人間的に表現すれば"嫌な"感覚。朝比奈みくるに教えられていた。情報爆発の兆し。  そう、涼宮ハルヒは、情報爆発の小さな欠片を持ってはいたのだ。わたしが渡すべき本は、  ただその顕現を早める手助けをするだけ。  やがてその小さな情報の奔流は、涼宮ハルヒの側にいるわたしの情報接続を時折阻害するまでになる。  わたしは、朝比奈みくるに渡されて、わたしが時間遡行の概念を記したあの本を、常に持っておくようになった。 97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/27(金) 00:41:07.66 ID:Hxpt22PR0  もうすぐ。もうすぐその時が来るはず。わたしがそれを手渡すときが。  涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、古泉一樹、そして彼と一緒に過ごすうちに、 わたしはこの本に込められた"想い"を理解するようになった。  ただの、時間遡行の概念が記された本ではない。朝比奈みくるの、「救いたい」という想いが込められているのだと。  あの朝比奈みくるに出会ってから、幾日が経っただろう。 彼女はわたしの顔を見て、言った。 「有希、その本面白い?」  ――驚きはしなかった。感慨もわかなかった。  わたしは信じていた。そう言ってくれることを。  なぜなら、涼宮ハルヒはこの本に興味を持つと、朝比奈みくるが信じていたから。 99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/02/27(金) 00:48:09.70 ID:Hxpt22PR0  窓の外が、灰色だったことを覚えている。  わたしは彼女の想いを、願いを渡す。  未来に続く、道しるべ。そしてこの後に、もう標は無い。  その先は、わたしたちが創り上げていかなくてはならないのだから。  朝比奈みくるがわたしに残してくれた、これが一つの約束ならば、  成功を信じつつ。彼女を信じつつ。  わたしは生み出されて初めて、祈ろうと思う。  ――最後の規定事項に、未来への祝福を。  終    105 名前: ◆Mene.OWFJw [] 投稿日:2009/02/27(金) 00:52:35.24 ID:Hxpt22PR0 前に書いたシリアスものではみくる(大)を悪役っぽくしてしまったので、今回はこういうポジションに。 もう一度なんとかスレタイを出したくて、もしかしたら蛇足になっちゃったかもしれないけど一応お話が始まる前の エピソードも書かせてもらいました。 次スレまで立てるという失態をおかしてしまって申し訳ない。 遅筆にもかかわらず保守・支援してくれた方々、ありがとうです。