長門「古泉一樹、私だけを見て…」 112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:20:54.98 ID:GR4+tUGo0 ――そう、思えば、長かった。 「彼」に出遭う前から、わたしは「彼」を知り、 彼と出遭ってからは、三年間彼を待ち続けていた。 「彼」はわたしに多くのことを教えてくれた。 わたしは「彼」の要請に叶え得る限り応え続けた。 「彼」に褒められることが嬉しく、それはわたしの存在理由のひとつとなる。 「彼」は、わたしを「必ず守る」と思念体に啖呵を切った。 あの瞬間の記憶は、わたしの内部に刻み込まれ、息衝いている。 雪の如く、募り山を成したわたしの想いを告げよう。 わたしは今日、「彼」に告白する。 113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:21:44.46 ID:GR4+tUGo0 捲る。 思考する。 捲る。 思考する。 同じように繰り返してきた七日間。 初めての経験で、糸を織るように言語化の難しい想いの羅列を纏め上げ、整理を完了するまで、想像以上の時間を要した。 けれど、すべて今日で終わり。 163頁にて一旦、読書を終了。 まだ誰も来ていない文芸部室。 蓄積し続けたわたしの感情を明かすために、わたしは一人彼を待つ。 通常通りならば、間もなく、彼の到着予定時刻。 わたしは彼を屋上へ誘い、その場で、わたしの想いを告げる。 どうなるかは分からない。 断られるかもしれない。 それでもきっと、何かを変えられる。 114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:22:15.06 ID:GR4+tUGo0 ――カツ、カツ、と旧館の廊下を渡る何者かの足音が聴こえ始める。 彼が来た。 わたしは書物を膝の上に閉じ、薄く深呼吸する。 緊張している。普段ならば調整の効く鼓動の速さでそれが分かる。 カツリ。 足が止まった。部室前での歩行停止。間違いない。 ドアノブに手がかかる。回転。金具の音。軋み。丁寧な―― 丁寧な? 115 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:22:51.43 ID:GR4+tUGo0 「……まだ、長門さんお一人ですか」 泰然とした微笑と、調子の変わらない悠々とした声。 わたしは、微量の落胆を隠せなかった。もっとも、表情には出力されない。それがわたしの標準的な構造だからだ。 予測が外れた。この時間帯に現れるのは高確率で「彼」であったはずが――演算素子の改善を申請しなければ。 「……今日は、本を読まれていないんですね。どうかされたのですか」 「……」 回答の必要を感じない。無言を貫く。 息を吐き、肩を竦め、古泉一樹は座席に腰を下ろす。 見慣れた光景。何十回とわたしと古泉一樹の間に交わされた日常。 ――その急転を、わたしは「予測」できなかった。 116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:23:42.51 ID:GR4+tUGo0 「長門さん。幾ら待っても、今日、『彼』は来ませんよ」 声色が豹変した。 わたしは音声情報を疑った。それが他の誰でもない、「古泉一樹」の発言であることに。 「……なに」 視線を移すと、彼は普段と何も変わらない姿勢を保持している。 「おや、応じてくださるんですか。『彼』の話題となると食い付きが違いますね」 笑顔は元の笑顔と一致する、一ミリの差異もない表情。 だからこそ、その違和感が際立つ。 わたしは古泉一樹を見返す。 古泉一樹は膝を立て、手に顎を乗せて、眼を細めている。 わたしを嘲るように。 「『彼』の愛らしい妹さんが、お風邪を召したそうで。『彼』は一旦家に帰ったそうです。 涼宮さんも押しかけるつもりでいらしたようですが、『彼』のお母上も居られるそうですから、余り大勢で訪ねてもご迷惑になりますしね。 もうじき涼宮さんも来られるでしょうが、今日の団活動は中止になりますよ。十中八九ね」 「……そう」 「残念でしたね、長門さん。……彼に想いを打ち明けられなくて」 118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:28:30.17 ID:GR4+tUGo0 駭然とした。 何故――どうして、何故、………何故。 わたしは何も言えない。言葉通り、返す言葉が見つからない。 古泉一樹の呆れたような解説が続く。 「どうして気付いたのかと、驚いてらっしゃるんですか? あなたの様子を観察していれば分かりますよ。此処最近のあなたは随分と上の空でしたし。 察しくらいつけられます」 「………」 「僕としては、今日彼が団活動を休業してくれたのは好都合でしたけれどね。 あなたと話す丁度いい機会が巡ってきましたから」 「……なんの、こと」 薄々、分かっている。だから古泉一樹と鉢合わせすることは避けたかった。 特に今日は。 「前々からお願いしようとは思っていたんですがね。此の際ですから単刀直入に申し上げましょう。 『彼』への告白は控えて頂きたい。少なくとも、涼宮さんの力が消失するまでは」 119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:33:45.57 ID:GR4+tUGo0 ――想定していなかった訳ではない。 古泉一樹は「機関」に所属する超能力者。また、涼宮ハルヒを信奉する者のひとり。 利害の一致以外においてわたしの助勢者には成り得ず、 また涼宮ハルヒの精神を脅かす何者に対しても容赦しない。 「あなたが『彼』に告白する……間違いなく涼宮さんは精神に不安を抱えます。 閉鎖空間を頻発させるかどうかは分かりません。彼女の成長を考慮すれば、あなたを信用して理性が打ち勝つ可能性もなくはない。 ですが、彼女の平穏を取り戻しつつある精神の波を、無闇に煽る結果になることは確かです」 聴取する冷え切った声は、――無言のわたしに、追い打つように言った。 「それに、ねえ……長門さん。あなたが告白して『彼』がオーケーを出すなんて、夢を見ているわけではありませんよね?」 121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:37:29.08 ID:GR4+tUGo0 ぎり、と音がした。 気付かなかった。無意識の産物。 「『彼』は鈍感ですが、あれだけの好意を差し向けられてそれに気付かない。 そのこと自体、その対象に興味がない証拠だとは思われませんか? ――告白して、彼に断られた場合のことは考えていますか?笑って『オトモダチ』でいましょう、ですか? 『彼』は出来る限りそのように振舞うでしょうが、どうしてもしこりは残るもの。ひいては、団全体へと波及するでしょう。 ぎくしゃくした関係性、気まずい空気、お喋りの止んだ淀んだ部室。 特に涼宮さんはあなたの感情を知れば、葛藤し悩むでしょうね。朝比奈さんもいらぬ気苦労を抱えることになりそうだ。 ……すべて、あなたが『彼』に告白することによって、歪んでしまうかもしれないSOS団の未来です。 それを分かっていますか、長門さん?」 「………」 ぎり。 「わたしが、『彼』に、告白しようとするまいと」 ぎりり。 122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:40:51.06 ID:GR4+tUGo0 「あなたには指図される謂れはない」 「ええ、まったくその通りですね。……ですが」 わたしを嘲弄する、その意図を持った発言だと分かりながら、抑え切れない。 ――不快極まりない挑発を続けられて、それを赦し続けられるほどわたしは温厚ではない。 これまで共に事件処理に当たってきた古泉一樹とは、まるで別人だった。 わたしが認識していなかっただけなのか。 これが真実の、古泉一樹か。 「ただ当たって砕けて終わるだけと分かっている人を、そのまま見過ごすのも寝覚めが悪―ぐっ…!」 ガシャン、と割れる音。 彼の額に的中し、涼やかな音を鳴らして粉々に砕けた硝子は、 中に残っていた僅かな水と共に、古泉一樹の全身に降り注いだ。 124 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:50:15.69 ID:GR4+tUGo0 ……我を忘れて、コップを投擲した。 そのことを遅れて知覚する。 古泉一樹は蹲り、血の流れる額を押さえている。破片が床に散らばり、電灯を反射して淡く煌いていた。 ……やり過ぎたことはわかっていた。幾ら、腹立たしい言葉を投げ付けられたのだとしても。 選択肢は幾つもない。謝罪。無視。治療。 だがそのどれを実行するより前に、――ドアが開いた。 「ごめーん、待たせたわね、みん……」 涼宮ハルヒが凍りつく。 後から「遅れましたぁ」と、頭を覗かせた朝比奈みくるも、同じように。 125 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 13:59:19.37 ID:GR4+tUGo0 「古泉くん……!?どうしたの!」 「ふぇ、血、血が出てます…!」 焦りながら「みくるちゃん!応急セットよ!」と指示を飛ばす涼宮ハルヒ。 立ち尽くすわたしに、古泉一樹が二人からは死角となる位置から、 ……はっきりと蔑みを込めて、笑った。 「すみません、涼宮さん。転んだ拍子にコップを打ち付けてしまいまして……」 「何やってるのよ、古泉くんらしくないわね!あー、ダメ、結構傷が深いわ。みくるちゃん、包帯ある?」 「は、はい…!お薬つけますから、じっとしててくださいね。でも、血、なかなか止まらないみたい……」 「どうせ今日は団活動を中止にしようと思ってたし、古泉くんを保健室に連れて行きましょう。 有希、古泉くんから聞いてると思うけど、キョンは今日休みだから」 「………」 「立てる?古泉くん」 「はい。……ありがとうございます」 「あたしは古泉くんを連れて行くから、みくるちゃんは古泉くんとあたしの鞄持ってきて。 有希は床の掃除を、簡単にでいいからお願い。誰かが怪我するといけないし」 「……了解、した」 127 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 14:05:22.30 ID:GR4+tUGo0 注意というか… 一応スレタイに沿うように進めるつもりでいるので 長キョン期待はしないでください 130 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 14:08:11.09 ID:GR4+tUGo0 「お手を煩わせて申し訳ありません、長門さん」 ちらりと微笑んだ、それは繕われた彼の笑みだった。 今の彼の内心がわたしには理解できる。あれだけ言われれば、否でも理解する。 強烈な当て擦り。厭味。 古泉一樹は、わたしを嫌悪している。 「涼宮さんも、朝比奈さんも」 「いいのよ!団員の介護も団長の仕事のうちだわ」 「傷の方が心配です、はやく保健室に」 「そうね。――有希、後は頼んだわよ!」 パタン、と扉が閉まる。わたし一人を置いて。 古泉一樹の変貌ぶりを、その原因を探知しきれない自分が居た。 わたしは呆然と人の居なくなった部室に佇む。 古泉一樹の指摘は悪意を透過させてはいたが、的外れでは決してなかった。 わたし自身、実際に危惧してもいた事柄ばかりだった。 131 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 14:16:15.31 ID:GR4+tUGo0 わたしが「彼」に告白すれば、「彼」との今の関係性は崩れてしまうかもしれない。 それを、眼前から突きつけられた。 逸らしたかった、敢えて思考しないことで得ようとした踏ん切りを、奪われてしまった。 『彼は鈍感ですが、あれだけの好意を差し向けられてそれに気付かない。 そのこと自体、その対象に興味がない証拠だとは思われませんか?』 「……わたしは、それでも」 それでも。 132 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 14:22:38.73 ID:GR4+tUGo0 /// ……発端は、その日からだった。 古泉一樹はその日以来、わたしに何かと挑発的な、見下すような眼を向けるようになった。 また、わたしが彼と二人きりになる状況を、さり気なく邪魔するようになっていった。 部室で「彼」が来るのを待っていても、必ず古泉一樹が先んじる。 「彼」に放課後に話があると呼び出そうとしても、古泉一樹が得意の口舌で話題を逸らし、「彼」の意識を別のものに向けさせてしまう。 後は不思議探索で籤を操作することを考えていれば、「彼」の妹の風邪が長引いているからという理由で 結局SOS団でお見舞いに行くことになり、不思議探索は中止となった。 その提案も、古泉一樹がした。 団員が揃う中で想いを告げるのは、リスクが大き過ぎる。 打つ手は減らされていき、わたしは逃れる道を塞がれていく。 135 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 14:27:48.49 ID:2vNYR1x10 どうしたらいいのだろう。 電話や手紙という遣り方も考えた。 けれど、想いを伝えるのならば、やはり面と向かって自分の口から明かしたい。 それが誠実な遣り方だと算出しているのに、古泉一樹に阻まれ、焦燥ばかりが募る。 不愉快さは徐々に増し、形を変えていった。 何故、わたしは「彼」に打ち明けることすら許されない? 何故、わたしは「彼」と共にいたいという願いすら許されない? 誰のせい、誰のせい、誰の…… 誰の。 140 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 14:37:03.92 ID:2vNYR1x10 授業を終えて部室に赴く。 ……また、来ているのだろう。 扉を開けた先に、定位置に腰を下ろし、一人で詰め将棋をしている男。 以前は一番最後に部室に訪れることも、珍しくはなかったというのに。 「――ああ、また早くにいらしたんですか? あなたも諦めが悪いですね。どう足掻いても『彼』とは二人きりになれないこと、分かっているでしょうに」 黒い、と形容できるその悪辣な笑みを、他に誰が知っているだろう。 つい先日までは、わたしすら、古泉一樹の本性に隠れているものなど知らなかった。 意識すらしていなかった。 「長門さん。今日の昼休みも空振りだったんでしょう?残念でしたね」 「………!どうして」 「ご存知でしょう、機関員は至る所に配置されているんですよ。 『彼』に理由をつけてあなたと遭遇しないように計らうくらい、訳はありません。 機関も基本的に僕の考えを支持してくれていますから」 「………」 142 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 14:43:29.70 ID:2vNYR1x10 「長門さん。諦めが肝心ですよ。 まあ、あなたが告白したところで、涼宮さんや朝比奈さんに夢中の『彼』が、あなたを異性として意識することなんて万に一つもないでしょうが。 無駄な足掻きは、美しくありませんね」 くっくっと小さく、おかしくて堪らないと言う様に笑い声を立てる古泉一樹。 ふつり――と。 堪え続け、溜め込み続けたものが、自制を失ったのはその瞬間。 苛立ち。 憎しみ。 何故、わたしは許されない。 何故、わたしは…… 誰のせい? ――ああ、そんなこと、決まっていた。 143 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 14:55:15.46 ID:2vNYR1x10 時としてほんの数秒。 わたしにとって有機生命体を相手取ることなど、蟻の脚を捥ぐように容易いこと。 故に、通常時はセーブをかける。 力を出し過ぎて殺してしまわないように。 それを少しだけ、解放した。 ………瞬きを終える頃には、古泉一樹は壁に凭れ掛かり、荒い息を吐いていた。 倒れたパイプ椅子に、重なるように尻餅をつき、腹を押さえて喘ぐ。 腹部に蹴り三発、頭部に拳一発。 この程度で動けなくなるほど、人間は脆弱。 「…がっ…ごほっ、げほっ…!」 古泉一樹の顔面が、苦痛に歪み、わたしを瞠目して見据える。 ……とても、愉しい。 147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 15:09:41.45 ID:2vNYR1x10 「……こんなことをして、……どうするおつもりです? 僕が『彼』に告げるとは、思われないんですか……ぐっ……!?」 「――どうでもいい」 減らず口を塞ぐために、首を掴み上げる。 ぶら下がる姿が無様。青痣も、歪んだ恐怖に半分引き攣った表情も、新鮮でいい眺め。 「今は、考えるのは後回し……」 古泉一樹のせいで、わたしは「彼」と共にいられない。 ならば、その苛立ちの発散に古泉一樹を利用することに、なんの瑕疵もない。 あなたが悪い。 だからわたしは、あなたを使う。 それだけのこと。 最後に回し蹴りを食らわせれば、めしりと食い込む音がして、古泉一樹は床に転がった。 痛みのあまり、気を失った模様。……本当に脆い。 150 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 15:18:14.18 ID:2vNYR1x10 彼等が来ては言い逃れが面倒なので、わたしは室内の状態を元に戻し、 古泉一樹を椅子に座らせ、散らばった将棋の駒を並べ直し、見える位置にある目立つ外傷は消しておいた。 こうしておけば、詰め将棋の途中で転寝をしたように見えるはず。 ……それに、傷を治療してやれば、何度でもサンドバック代わりに再利用できる。 わたしとて、古泉一樹の存在を痛めつけ続けたいわけではない。 これを機に、古泉一樹が態度を改めるならば、 そしてわたしへの邪魔をしなくなるのならば、脅し以上の実行はしないでおくくらいの譲歩はできる。 わたしは久しぶりに清清しい気分で席に着き、読書を始めた。 やがて、団員達の到着。 「今日は蒸し暑いな……まったく」 ――「彼」だ。 151 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 15:26:43.75 ID:2vNYR1x10 「よう、長門。それに、古泉か……最近こいつ来るの早いな。にしても、寝てるのか?」 「……そう」 「珍しいな。優等生は転寝なんかしないんじゃなかったのかね。 最近は、閉鎖空間が出てるって話も聞かないが……」 鞄を置き、物珍しいものを観察する目つきで、古泉一樹を見遣る「彼」。 ふと、――わたしは気付く。 今こそが絶好の機会だと。 古泉一樹は気を失っている。わたしの告白を阻もうとする者はいない。 涼宮ハルヒは確か掃除当番。朝比奈みくるは進路指導で順番待ち。まだ、此処を訪れるには時間を要するはず。 言うなら今しかない。 他に誰も居ない、今しか。 153 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 15:36:34.87 ID:2vNYR1x10 心拍数の増加。汗腺の刺激。耳鳴り。 痛いほどに煩い、という書物の中の比喩を理解する。激しく高鳴る心臓を模したものが、わたしの胸中に痛みを呼ぶ。 背表紙を閉じた。呼吸機能の低下。身体機能の異常?違う――不安。不安だから。本当は怖い。だけど、逃げていては。 逃げているのでは何も変わらない。 「彼」は依然、古泉一樹の方を向いている。 わたしは、彼を呼び、振り向かせ、言うのだ。 何度もシュミレートしてきた、決まりきった語句を、わたしの口から彼に伝える。 わたしはあなたのことが、 『あなたが告白して「彼」がオーケーを出すなんて、夢を見ているわけではありませんよね?』 声が、出ない。 唇は動こうとするのに、発せられない。 156 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 15:50:03.94 ID:2vNYR1x10 なぜ。 なぜ。 ―――なぜ……! わたしは動揺し、リトライする。それでも声は漏れ出さない。わたしの声が、出力できない。 たった三言告げれば済むだけのことを、声に出来ない。 極度の緊張状態によって声帯が故障したわけではない。 この土壇場で、わたしは、思い返してしまった。 古泉一樹の言葉を思い出してしまった。 身が竦んでしまった。 断られるビジョンが浮かび、わたしを遠ざける「彼」の姿を想起し、わたしが一人置き去りにされる想像をしてしまった。 「彼」がいなければ、わたしには他に何もない。 任務をこなす以外に、何も残らなくなる。 だから、拒絶だけは。 告白を断られるのはいい。 拒絶されることだけは、どうしても……! 157 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 15:56:54.24 ID:2vNYR1x10 煩悶に費やしてしまった無為な時間に、わたしはついに機会を逸した。 「……そんなに僕の寝顔は面白いですか?」 器用に左目を開けて、古泉一樹が微笑む。「彼」はぎょっとしたように後ずさり、 「なんだお前、狸寝入りかよ!」 「心外ですね。起きたのはついさっきですよ」 からかうように笑う。明るく爽やかと評される、SOS団員はおろか校内のどの生徒にも共通的に認識される、古泉一樹の微笑。 ……敗北感が、あった。 わたしは結局、大きなチャンスを自らの手で逃してしまった。 「久しぶりによく眠りました。涼宮さんが来られる前に起きられて安心しましたよ。 僕に求められるイメージの看板はまだ外す訳にはいきませんし」 「油断大敵だな。もう少し寝てりゃ、顔に落書きしてやったんだが」 「そうなったら、いつかお返しさせて頂きましょう。……一局いかがです?」 「いいぜ」 158 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 15:59:59.66 ID:2vNYR1x10 ……あれほど心を決めていたはずなのに。 土壇場で萎縮してしまった、不甲斐ない己に失望していたわたしは、 わたしに静かな視線を向ける、 ――古泉一樹の瞳に宿った暗い色に、まだ、気付いてはいなかった。 176 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 16:40:32.48 ID:2vNYR1x10 /// あの暴行を経た結果として。 ――何も、変わることはなかった。 あれだけ痛い目に遭わせたというのに、古泉一樹は己の振る舞いを変えようという気はないらしい。 彼は他人の前では紳士的にありながら、私の前では常にわたしを侮辱し、理不尽なまでに嘲った。 「彼」とわたしが共に在る事を、身勝手に妨げるのも相変わらずだ。 わたしはそれに、暴力で応じるようになった。 仲間だから、危機には手を組む間柄だからという遠慮自体、わたしの思い込みだと悟ったからだ。 古泉一樹はわたしを心底嫌っているようであるし、わたしも古泉一樹を心底嫌っている。 ならば、咎められる理由はない。 それにわたしは警告した。 それを無視して態度を改善させなかったのは向こうなのだから、わたしには何一つ責められるべき点などない。 184 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 17:03:03.67 ID:2vNYR1x10 最初は部室内で、他の団員達が来る前に行った。 単純に、殴打したり、蹴り飛ばしたりすることを重ねる。 加減し切れずに軽く脚を折ってしまったときは、脂汗を流しながら悶えている姿が見物だった。 それでも悲鳴はプライドが許さないのか、中々上げようとしない。 元々機関に所属している人間というだけあり、痛みへの耐性をつけるための特訓は色々としていた様子。 肩を出来るだけ「ゆっくり」脱臼させると、床をのたうって漸く痛みに声を上げた。 鼻を折る、歯を引き抜く、爪を剥ぎ取る…… 日替わりでメニュー変更をしながら、発散を行う。 死なれては困るし、他の団員に感付かれても厄介なので、重傷の場合は即座に治療。 暴行は、古泉一樹への憎しみから発散の行為となり、日課となった。 古泉一樹に齎された不快感の解消に、古泉一樹を用いて好きなように痛めつける。 古泉一樹がわたしを不快にさせなければ、終わる連鎖だと本人も分かっているだろうに、 やめようとしない彼の心境は、……わたしには、理解できなかった。 189 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 17:44:29.82 ID:2vNYR1x10 「――あなたは何故、抵抗しない」 気絶した、古泉一樹に問い掛ける。 答えはない。 回数を重ねる毎に、暴力は愉悦の源ともなった。 古泉一樹を殴打しているとき、わたしは「彼」への想いに苦しむ自分を忘れられた。 言い訳はどちらだろう。 「彼」への想いを阻む古泉一樹の言動か。 ただの、暴力行使の大義名分か。 分からないまま、月日だけが過ぎて行った。 193 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 18:06:20.06 ID:2vNYR1x10 /// ――迎えた、もう何度目かの不思議探索の日。 その頃になると、わたしは「彼」に告白する、その意欲そのものを欠き始めていた。 想いが薄れた訳ではない。 「彼」へと恋焦がれる感情は依然としてあり、「彼」が楽しげに朝比奈みくるとやり取りをしているのを見れば嫉妬し、 涼宮ハルヒに引き摺られていくのを見れば己の立ち位置を悔しいと感じた。 全身全霊でぶつかろうとして出来なかった、あの一度きりの失敗が、尾を引き続けていた。 有り体に言うならば、わたしは「勇気」を失いかけていたのだ。 もしやこれすら古泉一樹の算段かと疑心を抱いてしまうほどに。 わたしには古泉一樹が何を思考しているのか分からず、 わたしには古泉一樹がわたしの暴行に甘んじている理由が分からず、 わたしには古泉一樹がわたしを蔑む理由が分からない。 197 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 18:17:25.04 ID:2vNYR1x10 わたしという個体が真に古泉一樹を、憎んでいるからしている暴力行為なのかどうかさえ、 確証が持てなくなる。 古泉一樹の内面は、何時までも見えないまま。 ――そのことに、わたしは、別のエラーを生じさせつつあった。 あれだけ数を経れば、古泉一樹にどんな悪口雑言を囁かれようとも、大して意には介さなくなる。 わたしの不快感は、もはや、古泉一樹がわたしへと毒突くことによるものではなくなっていた。 わたしは、――古泉一樹が、知りたかった。 201 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 18:36:10.45 ID:2vNYR1x10 「じゃ、午前の部はあたしと、みくるちゃんとキョンね!」 籤の結果で分かれ、彼等とは違う道を行く。 古泉一樹は愛想の良い微笑を終始浮かべていたが、彼等が去ればやはり笑みの質を変えた。 わたしを見下ろし、酷薄に笑む。 「……もう籤の入れ替えは行わないんですね。そろそろ、分相応を自覚して諦めでもしたんですか?」 「………」 「責めているわけではありません。ええ、大変結構なことだと思いますよ。 懸命な判断です。 あなたが余計な真似をしなければ、僕もあれこれと気を遣って働かずに済みますから」 「………」 わたしは、返答をやり過ごした。 古泉一樹が右足を引き摺るように歩いているのは、わたしが前日に彼の脚を拳で潰し続けたその後遺症による。 あらかた回復させておいたが、完治に至るまでは治療しなかった。 やり過ぎたとは思わない。 ただ、…… わたしが思考に耽っていたのを、古泉一樹は無視されたと感じたらしい。 202 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 18:43:06.12 ID:2vNYR1x10 古泉一樹は、そのとき、不意に向けていた視線をわたしから逸らした。 不自然な動作だった。 そのせいで、わたしはその瞬間の彼の表情を見取ることはできなかった。 ――もしかしたら、その瞬間にその彼の表情を見つめていたら。 すぐにでも、わたしは、すべてを理解できていたのかもしれない。 「それで、何処へ行きます。――いつもの、図書館でも?」 「……」 「図書館で、構いませんね」 ……力ない声だと、感じたのは気のせいだったのだろうか。 わたしが古泉一樹のことを考えている間に、 古泉一樹が流した一言を、わたしは聞き逃してしまっていた。 229 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 20:59:18.69 ID:J9KXATXS0 午前の部。 古泉一樹と図書館で過ごす。お互い会話はない。 わたしは蔵書検索をしたが、欲していた本が一覧にないのを確認し、借りるのは諦めた。 各々、好きに行動し、わたしは読書に耽り、時間になれば機械的に並び立って集合場所へ。 古泉一樹との交流は一つとしてなかった。出際に言葉を交わして以来、古泉一樹は黙り込み、わたしに話題を振ることもない。 わたしが彼に初めて暴力を振るったあの日より以前に、還ったようだった。 会話という会話もなく、ただ其処にいるだけの存在。 ただ笑っているだけ。 内心を晒すことのない、其の場に応じた装いに長ける、得体の知れない人間。 ……「彼」は、古泉一樹とは違う。 わたしは「彼」といられれば心が安らぐ。気持ちが落ち着き、癒される。もっと傍にいたいと願う。 古泉一樹と共にいるとき、わたしは不安定な感情に左右される。不快な想いを揺さぶられる。 わたしは、…… 繰り返して思う。まるで理由付けをしているようだと。 231 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 21:14:59.06 ID:J9KXATXS0 「二人とも、何か不思議なものは見つかった?」 涼宮ハルヒが指を突きつけ、合流したわたしと古泉一樹に真っ先に訊ねる。 勢い込んでいるというよりは、儀礼的な意味合いが強いもの。 涼宮ハルヒのこの発言は、通例のやり取りの一つに過ぎない。 「残念ながら……目ぼしいものは見つかりませんでしたね」 常なら、そこで「長門さん」とわたしに振りを寄越す古泉一樹は、 両手を広げて肩を竦めるポーズを取った後、何を言うこともなく沈黙に徹した。 わたしは、彼の些少な変わり身が掴めない。 「やっぱりこの暑さだもの。不思議の方も夏バテ気味なのかしらね」 「季節は関係ないだろ。こんな往来で簡単に見つかるようなら、世は不思議で溢れ返ってるだろうよ」 「だからって、探索を無視して遊びまわっていい理由にはならないわよ!その辺はきっちりしなきゃね。 行く先行く先でみくるちゃん相手にヤラシイこと考えてそうなエロキョンには特に――」 「お前はその妄想から成る言い掛かりをやめろ」 「け、喧嘩はだめですよ〜」 「まあ朝比奈さん、喧嘩するほど仲が良いと言うじゃないですか。夫婦喧嘩は犬も食わない、とも」 「コラ古泉」 232 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 21:30:16.80 ID:J9KXATXS0 笑い合う彼等を、一歩離れた地点で見守るわたしは、彼等の円には混ざれなかった。 わたしは人外であり、インターフェース。 わたしには、結局のところ「彼」しかいない。 わたしが心を赦せる相手も、わたしを過剰に美化せず卑屈に貶めず受け止めてくれる相手も、「彼」しかいないのだ。 だから…… やはりわたしは、「彼」が、愛しいのだと思う。 その想いに改めて向き合えば、止められない。 紙屑のように握り潰して塵箱に捨て去ることも、抱え込んだまま眠りにつくことも、きっと出来はしない。 古泉一樹のことは考えないようにしようと、わたしは自身に言い聞かせる。 ……また、エラーが収拾がつかなくなるまでになってしまっては、困るから。 わたしは「彼」のことを考えていれば、幸福でいられるのだから。 「無駄話はこれくらいにして、次は午後の部いきましょ。さあ、ペア分けよ!」 涼宮ハルヒが高らかに宣言する。 ――わたしは、誓って、入れ替えの操作を行ったりはしなかった。 234 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 21:40:23.99 ID:J9KXATXS0 だからそれは偶然の結末。 「幸運の女神が長門有希に微笑んだ」。 ペアになったのは、わたしと、「彼」だった。 爪楊枝の先を見据えていたわたしは、古泉一樹の視線を感じたが、…… わたしの単なる思い違いであったかもしれない。 涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、古泉一樹と別れて歩き出す並木道。 ……夢のようだった。 此処最近は、彼と二人きりになる機会は、悉く潰されてしまっていたから。 「どうする、何時もどおり図書館にしておくか? いや、よく考えてみりゃ長門は午前古泉と一緒だったよな。午前も図書館だったか」 「そう」 「なら、別の方がいいよな。……どうする?」 「……ここで、いい」 「え?」 もしかしたらこれが、最期の機会かもしれない。 236 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 21:50:56.35 ID:J9KXATXS0 一度目はわたしの意気地のなさで、未遂どころか声を出すこともままならなかった。 今度こそ、誰の邪魔も入らない。 人気のない並木道、まだ青い葉を揺らした樹木が、等間隔に立ち並ぶ。 聞こえてくる川のせせらぎ。 穏やかな風の声。 これ以上ないというくらい、麗らかな日和。 わたしを後押しするように、一羽の小ぶりな蝶が、わたしと彼の間をすり抜けていった。 「あなたに、言いたいことがある」 「……ああ、何だ?」 「わたしは」 ――わたしは。 これで、今度こそ、最初で最後。 238 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 21:59:48.69 ID:J9KXATXS0 「わたしは……!」 息を吸う。 告げる言葉は決まっている。何ヶ月も、前から脳裏にだけ存在した。何度も何度も、声が嗄れるまで尽くしても足りない想いを、告げるための台詞。 わたしは「彼」の眼を真っ向から見上げ、 『それで、何処へ行きます。――いつもの、図書館でも?』 「……長門?どうした?」 ――わたしは。 優しい「彼」の声が、眼の前にある。わたしに添えられた大きな掌がある。 ここに望み続けたものが、すべて揃っているのに。 『長門さん、どうです、星がよく観えますよ』 どうしてこんなときに、思い出すのか。 240 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 22:14:02.20 ID:J9KXATXS0 『カシオペヤ座をご覧になったことは?……いえ、僕も実物はまだなんですが…… 星座を見るときは、ギリシャ神話の本を携行しておくと、より深く楽しめるかと思います。 僕が天体に興味を持つようになったのも、神話の本が原因なんです。 そう、そこから、UFOやUMAに憧れを持ったり』 夏の天体観測の日。 古泉一樹はわたしに語り続け――わたしは彼に、一言も、言葉を返しはしなかった。 それでも古泉一樹は楽しそうに笑っていた。 愉快げに、笑っていた。 だから。 「……長門。何か、悩んでるのか」 わたしを見兼ねたように、「彼」がわたしに接近し、顔を近付けてくる。 誠実に、わたしを案じているその双眸。 「………わたしは、古泉一樹が分からない」 「古泉?」 「どうして………いつも、笑っているのか」 242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 22:31:24.85 ID:J9KXATXS0 古泉一樹が蔑みを露にしたのは、 わたしがエラーに耐えかねて世界を改変した日のように、蓄積し続けたものが爆発したからであったのか。 もしそうならば、笑うことを止めればいいものを。 思えば彼は、わたしに毒のある言葉を選び取ってくる日にも、笑みの質は変われど、笑みを絶やすことはなかった。 わたしの言葉が想定外だったのだろう、虚を突かれたらしい「彼」が、じっとわたしに視線を注いでくる。 「古泉と、何かあったのか?」 「………」 「ま、言いたくないなら言わなくてもいいが……」 頬を掻きながら、「彼」が―― わたしに、小さく、皮肉げに微笑む。 「あいつの考えなんて俺にもよく分からん。ハルヒの望むスタイルを貫く為、っていうのは耳にタコが出来るくらい聞かされたが。 ただ、そうだな……。あいつなりに、守りたいものがあってのことなんだろうよ」 246 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 22:44:39.79 ID:J9KXATXS0 「――守りたいもの」 機関が「神」と信仰する涼宮ハルヒや、その鍵となるだろう「彼」、そして世界。 「ああ。それに、SOS団の皆だ。――長門、お前も含めてのな」 「……わたしも?」 ……何かが、零れ落ちた。 「あいつ言ってたぜ。長門を救うためになら、一度機関を裏切っても構わないって。 ……長門、思った以上にさ、結構皆見てるもんなんだよ。利害なんか越えたところで繋がってるものを信じてる。 俺も、古泉も、朝比奈さんも――ハルヒは言うまでもないけどさ」 247 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 22:49:45.75 ID:J9KXATXS0 引っ掛かり続けていたこと。 古泉一樹が急変する以前。事務的な事柄以外での会話は殆どなかったけれど、古泉一樹は、どんな人間だったか。 総てが総て舞台上での演技に過ぎず、何もかも演じた役者でしかなかったと、本当にわたしは信じられるのか。 古泉一樹の、星について眼を輝かせて微笑んでいた、あの笑みは―― 本当にただの、偽りの仮面だったのか? 観ていなかったのは、わたし。 何も知らなかった。 何一つ、大事なものを観てはいなかった。 語り掛けていたのは誰。 何度も何度も、幾ら無視をしても、わたしに笑い掛けていたのは誰。 「彼」しかいないというのは、嘘だ。 わたしが見ないようにしてきただけのこと。 彼は、何時も、笑っていて。 わたしは。 248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 22:54:01.66 ID:J9KXATXS0 「……喧嘩したとき、仲直りする方法を知ってるか、長門」 「彼」のクイズに、わたしはぽつりと答えた。 「……謝罪する」 「そうだ。それから?」 「……これからも良好な関係を継続したいと、願い出る」 「よく出来ました」 髪をくしゃりと撫でられた。 その感触だけで、わたしは幸せだった。 古泉一樹は、どうだったのだろう。 ……わたしは、訊ねてみたかった。 262 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 23:45:43.72 ID:J9KXATXS0 /// 不思議探索終了。 解散の号令の後、わたしは古泉一樹を引き止めた。 「……話がある」 眼を細める彼は、困惑しているらしく僅かに反応が遅い。 「『彼』と同じペアになれた自慢話なら、他でお願いします」 「あなたの言い分は聞かない」 断るなら縛り上げてでも連れて行く。実行は不可能ではない。 連日の暴行を思い返したらしい、彼はわたしの意思は動かないと察したように、嘆息した。 「此処では出来ないお話ですか」 「……そう」 「分かりました。ご一緒させて頂きます。……どちらへ?」 「わたしの家」 「それは、とんだところへ……」 267 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/07(日) 23:55:17.02 ID:J9KXATXS0 溜息交じりの古泉一樹の愚痴は聞かず、抵抗も受け入れない。 腕を引いて歩き出す。 ――ああ、これは、いつかの涼宮ハルヒのようだ。 「彼」の腕を引いて、猛進する「進化の可能性」たる少女。 一時にも憧れたことのある、その位置に立ってわたしが掴んでいるのは古泉一樹の腕。 わたしがそれを告げたなら、皮肉なものですねと、古泉一樹は笑うだろう。 けれど、何故か。 わたしが思い描いた古泉一樹の図像が浮かべる笑みは。 毒気のない、星を見上げていたあの日の彼の、温厚な笑顔だった。 到着したマンションの、708号室。 わたしは古泉一樹を玄関から突き飛ばして押し込め、扉に鍵を掛ける。 まだ治っていない脚を縺れさせた彼は、フローリングに転倒するが、 わたしはそのまま彼の髪を掴み上げて引き摺り、リビングまで連れて行った。 278 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 00:07:19.81 ID:u86PQGVe0 リビングで放り出すと、人形のようにぐったりと肢体を投げ出し、 古泉一樹がわたしを胡乱な眼で見上げる。 「乱暴、ですね…。お話というのは建前ですか?」 「違う」 「『彼』との会話で不都合でもありましたか?怒りを此方にぶつけるなら、もっと――」 手馴れてしまって、古泉一樹に対して乱暴な扱いになってしまうことに疑問すら差し挟まなくなっていた。 今のは拙かったかもしれない。 「違う。……本当に、そのためではない」 「では、何です?」 「………」 訊ねたかったことがあり、話したかったことがある。 けれど正直に、古泉一樹は打ち明けるだろうか。 素直な遣り方では、口を噤んでしまうかもしれない。 283 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 00:23:21.77 ID:u86PQGVe0 なら、……素直ではない遣り方で。 わたしは、仰向けになっている古泉一樹に迫り、 ――上から、跨った。 「な、」 驚愕に固まっている彼に構わず手を伸ばし、彼の首筋へ包み込むように掌を宛がう。 血管を圧迫するように少しずつ指先に力を篭めていくと、脈打つ振動が、そこから皮膚を隔てて伝わってくる。 ゆるゆると、締め上げて。 呼吸が苦しくなり、表層が黒ずみ、やがては息絶えるまで。 古泉一樹の眼が、不意に、潤んだ。 287 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 00:35:29.47 ID:u86PQGVe0 「ぐっ、げほっ、がはっ、はぁ……!」 ――ぎりぎりのラインを見計らい、締め上げていた手を離した。 自由になった気道に、一気に流入した空気に咽ぶ彼を、わたしは見下ろす。 「何故」 わたしは、もっと早くに訊ねてみるべきだったのだ。 自問し、意識のない彼に投げ掛けるのではなく。 「……何故、抵抗しないの」 今までとは一線を画している。今のは――下手をすれば、確実に命を喪う場面。 これまで死に至るような危害をわたしが加えては来なかったからといっても、 今回もそうであるとは限らない。 ――彼の瞳から、一筋涙が溢れて落ちる。 生理的なものではなかった。 彼は、微笑み、泣いていた。 297 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 00:57:16.44 ID:u86PQGVe0 「……死んでも、それはそれで……構わないかなと、思ったんですよ」 「……」 「あなたに殺されるならと。卑怯なことを、考えました」 そこにいたのは、毒を吐いていた彼ではなかった。 ――古泉一樹。 長門有希という個体にとっては毒にも薬にもならなかった、無害で、笑顔を愛する一人の男。 「……『死んでも良かった』から、『抵抗しなかった』?」 「死んでも、良かったというのも少し違います。あなたは……僕を殺すようなことはないだろうと思っていましたから。 ただ、結果的に例えそうなったとしても、それはそれだということです」 300 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 01:06:05.55 ID:u86PQGVe0 微笑む彼からは、わたしにこれでもかと向けられていた負の念は掻き消えている。 演技はどちらだったか、その答は、こんなにも単純なものだった。 仲間総てに演技をし、長門有希のみに本性を晒したのではない。 前提条件が間違っている。 ――演技をしていたのは、わたしに対してのみ。 「……僕の望みは、最初から一つだったんですよ」 綻ぶように微笑む古泉一樹が、わたしの首に両手を回す。 「僕を、見てほしい」 303 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 01:12:49.23 ID:u86PQGVe0 僕を「認識」して欲しい。 僕の話を聞いて欲しい。 僕に、「感情」を向けて欲しい。 それが例えば憎悪でも、蔑視でも、ストレス発散のためのサンドバッグでも。 「礫のようなものでよかった。……あなたの視界に僕が居ないことは知っていました。 僕は、空気のようなものだった。素通りして、眼に留まらず、好意的対象でも嫌悪する対象でもない……。 あなたが「彼」を想っていることは知っていて、「機関」は僕に妨害を命じました。 最初はね、果たすつもりはなかったんです。そこまで、機関に干渉される謂れはないと思った。 だけれど、あなたに無視されたときに、思いつきました。 ――これは、チャンスかもしれない、と」 あなたに何かしらの感情を、僕に対して生成して貰えるためのチャンス。 古泉一樹は、薄く笑う。 306 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 01:24:43.34 ID:u86PQGVe0 「あなたが僕に憎しみを抱いていてくれている間は、あなたは、僕だけを見ていてくれましたから。 だから……嬉しかった。 殴られている間も、蹴られている間も。 嬉しくて……嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。はは、我ながら気持ちの悪い男ですね」 「……古泉一樹」 「僕の身勝手な感情に付き合わせてしまって、申し訳ありませんでした。 わざと、煽るような言葉を投げ付けて来たのは僕ですから、長門さんが気に病まれることはありません。 先程の探索のときに、……僕が幾ら悪役を演じてみたところで、長門さんには遠からず無視されてしまうだろうことを悟って…… 此の侭続けても、どうにもならないだろうと思いました。ですから」 これで終わりにしましょうと、彼は締めくくる。 「僕は空気に戻ります。 もう長門さんが不快感に煩わされることもありませんよ。 ……正直、心にもない言葉ばかり叫んできたもので、……疲れてしまいました」 309 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 01:38:39.86 ID:u86PQGVe0 瞼を閉じ、断罪に身を委ねようとする彼。 わたしは、初めて知った事項の多さに戸惑う。 あれだけの肉体的苦痛を味わいながら、それでも、わたしが眼を向けていたその事実だけで、 彼にとってそれが幸福な時間であったということ。 でも、 「それは違う」 わたしの否定に、彼は、閉じかけた蓋を再び開かす。 「………終わりには、できない。 ――わたしの感情は、消えてはいないから」 312 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 01:46:22.27 ID:u86PQGVe0 知ってしまったから。 彼がわたしを見ていたこと。 彼がわたしを望んでいたこと。 常日頃の微笑から絶やさずに、わたしを見守り続けていてくれたこと。 わたしを、組織を一度裏切ることになっても救うと、誓ってくれていたこと。 まだ、完全に失われてはいないから。 古泉一樹に抱いた憎しみのような、苛立ちのような形で、募っていったエラー。 既に、古泉一樹に何か不愉快な発言をされたから積もった、というようなレベルのものではなくなっている行き場のない靄。 「わたしはまだ、あなたに対する興味を失ってはいない。 わたしは、あなたを憎んでいる。 わたしは、あなたを……もう少し、知りたいと思っている。 あなたを知ることで、わたしの憎しみは深くなるかもしれない。 ……もしかしたら、その逆かもしれない」 けれど、もう、古泉一樹は空気には戻れない。 わたしがそれを告げると、古泉一樹は、泣きながらも堪え切れぬように笑った。 313 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 01:55:50.29 ID:u86PQGVe0 「それじゃあ、長門さん。 ……そのまま、憎悪と愛情を錯覚するくらい、僕を嫌いになってください」 古泉一樹が腕を引く。わたしは、引かれるまま彼に被せられる。 「……ならあなたは、わたしだけを見て」 わたしだけを見続けて。 「彼」がわたし以外の誰かを愛する日も。いつかわたしが壊れて消える日にも。 それがいつか、どうにもならない二人の約束になる。 電灯もつけていない広い室内で、――影が、重なった。 316 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 02:17:47.58 ID:u86PQGVe0 /// 「………長門さん、本当に使うんですか」 「男に二言はないはず」 「いえ、言い出したのは長門さんであって僕ではないんですが……」 買い物袋を抱えながら、微笑を湛えつつ青褪めた古泉一樹に、わたしは突きつける。 「大丈夫。使うのは金槌とロープだけ。蝋燭はまた今度にする」 「いえあの、マニアック過ぎませんか」 「拷問マニュアルは一通りこなした。マンネリは避けるべき」 「拷問にマンネリという概念があることに驚きです。あの、痛いんですよ。本当に、泣きそうなくらい……。 指磨り潰し器までで勘弁して下さいませんか。お願いします」 「……」 「そんなポーズでお願いされても、……まあ、ちょっとだけなら」 「認可を得た。やはり蝋燭も使用する」 「……」 317 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 02:25:08.48 ID:u86PQGVe0 肩を落とし、疲れたように微笑む彼の笑みは、わたしにざわつきを喚起する。 ……靄のようなエラーは、晴れないまま。 わたしはあれからも結局拳を振り翳すことを止めず、彼はそれを受容している。 ……それで、変わるものがあるだろうか。 何を紡ぐわけでもない関係性。 明滅するアラーム。SOS団の日常。来るべき訣別の未来。 わたしはまだ「彼」を想う。 一方で、わたしに不快なエラーを呼び起こさせながら、眼を離すことのできない存在を想う。 古泉一樹は、わたしを見ている。 わたしは、古泉一樹を見ている。 「……長門さん、もう少しお手柔らかにお願いします」 「……善処する」 ――わたしは古泉一樹を憎んでいる。 その靄が転化する日が近いことを、わたしは今、感じている。 終わり 318 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/09/08(月) 02:26:53.28 ID:u86PQGVe0 gdgd/(^o^)\ すみません、嘘つきました もう少しで終わるとか言っといて何時間かかってるんだほんとすみません お付き合いありがとうございました