涼宮ハルヒの落胆 19 名前:俺が代筆してやんよ[] 投稿日:2008/06/21(土) 15:37:51.46 ID:POPrC43q0 涼宮ハルヒが初めて起こした情報爆発から二年が過ぎ、 俺達は高校三年生、世間でいうところの受験生になっていた。 受験生になったといっても毎週末のSOS団の不思議探索は変わらず行われていたし、 ハルヒの傍若無人っぷりが鳴りをひそめることもなかったので、 俺は受験勉強と団活の両立で実に多忙な毎日を送っている。 常識的に考えて、ハルヒと愉快な放課後を送りつつ大学受験を成功させるのは不可能に近い。 がしかし。 今現在、俺はなんとか志望校を狙えるギリギリの位置にいた。 おいそこ、大袈裟に「嘘だろ!?」なんて顔すんな。 勿論理由はちゃんとある。 頼んでもいないにも関わらず、ハルヒが家庭教師役を買って出てくれたからだ。 三年生になってから最初のテストが返却されたある日、ハルヒが俺の答案を覗き込んで言った。 「何コレ」 「何って、数学の答案用紙だが」 「そんなもん見たら分かるわよ。  あたしがいってんのは点数の話!」 点数の部分を隠そうとしたが、遅かった。 ハルヒは目にもとまらぬ早さで答案用紙をもぎ取ると、 「何点か言ってみなさい。あんたの口でね」 つくづく意地の悪い女だ。しかし口答えできないので言うしかない。 「………38点です」 「ねぇ、あんた危機感あるの? あたしたち、もう受験生なのよ?」 そんなこと、言われなくても分かってるさ。 特に最近はお袋に予備校行け行けと口酸っぱく言われてるから、いい加減耳にタコができそうだぜ。 26 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 15:58:16.27 ID:POPrC43q0 「分かってるなら、どうして勉強しないのよ?  要は意志の問題でしょ。  あんたが家に帰ってから、ご飯食べてはうだうだして、  お風呂入ってはうだうだして、夜更ししてはうだうだしてるから駄目なの。  あたしはSOS団を思いっきり楽しんだ後は、しっかり勉強することにしているわ。  それがあんたとあたしの点数の差になって現れてくるのよ」 あたしを見習いなさい、あたしを、と言わんばかりに胸を反らすハルヒ。 どうにか反駁したいところだが…… 言っていることが正論すぎて返す言葉が見つからない。 しかもハルヒの机にある答案の、堂々の96の数字を見て、更に俺は落ち込んだ。 「お前の言う切り替えみたいに、勉強スタイルができてたらいいんだがな。  今までその場凌ぎで定期テストを乗り切ってきたから、  一年後に向けて長期的にやる気を保つことが難しいんだよ」 「弱音を吐かないの。  このままじゃ、あんた絶対に浪人するわ――」 と、ハルヒが興に乗り始めて来たときのことである。 「いやっほう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」 落胆と羨望と慰めの声が入り交じる喧噪の教室に、場違いな雄叫びが響き渡った。 話の腰を折られて、ハルヒは見るからに嫌そうな顔をする。 「誰だ……?」 視線を教室の端にやる。 すると、今世紀最高のキモい笑顔で自らの点数を吹聴する谷口の姿があった。 27 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 16:12:38.48 ID:POPrC43q0 「―――89――だぜ――」 嘘だろ? 俺の妄聴だよな? 誰かそう言ってくれ。 自分の耳を疑いながらも、教室の端に耳を傾ける。 「いいかお前らよく聞け。  俺は生まれ変わったんだ!  89点だぜ、89点!  今まで俺のことを馬鹿だの阿呆だの微塵子だのと蔑んできた奴は  俺の目の前に傅いて許しを請うがいい! ふははは」 マジかよ。 赤点ラインギリギリを低空飛行して戦火をかいくぐってきた戦友谷口はどこにいっちまったんだ? 愕然とする俺をよそに、ハルヒは涼しい顔で 「90点台でもないのに大袈裟ね」 などと谷口を小馬鹿にする。そして徐ろに俺を見据えると、 「で、谷口に大差をつけられた気分はどう?」 「…………」 悔しい。悔しいに決まってるじゃないか。 酷い裏切りにあった気分だった。 いったい谷口に何があったんだろう。 あいつはカンニングをするほど零落れちゃいないし、 かといってテスト一週間前から覚醒作用のあるクスリを服用し、 寝食惜しんで勉強に打ち込んでいた、なんて話も聞かない。 いや待て……そういやあいつ、今年の春から家庭教師をつけたとかなんとか言ってなかったっけか? 29 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 16:33:29.08 ID:POPrC43q0 俺は消沈しつつ呟いた。それはほとんど溜息に近い。 「予備校に行くこと、真剣に考え始めた方がいいのかもな……」 が、ハルヒは俺の独り言を敏感にキャッチし、 「駄目よ」 「どうしてお前に俺の受験勉強を邪魔されなきゃならん。  なんとかしないと浪人すると脅しをかけたのはお前だろ」 「確かに受験勉強はしなくちゃならないわ。  でも予備校なんかに通ったら、SOS団に参加できる日数が減っちゃうじゃない」 世間一般の部活引退の概念は、SOS団には適用されないようである。 「俺にはSOS団を等閑にする気なんてさらさらないよ。  団活にはできるだけ参加するようにするし、  勉強疲れでサボったりもしない――」 「あたしが言ってるのはそういうことじゃない!  自分の力で受験を乗り切るって考えはあんたにないの?」 独学での受験合格プランを平然と宣うハルヒ。嘆息を禁じ得ないね。 「あのなぁ。  そんなことができるのは、世の中の高校生の一握りだけだ。  非凡組からあぶれた大多数の人間は、  遊ぶ時間を削ってでも勉強しなくちゃ、志望校なんて狙えねぇんだよ」 「………」 さっきまでの驕慢な態度が一転、 ハルヒの輝きに満ちた黒い瞳が、捨てられた子犬のような目になる。 30 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 16:54:20.31 ID:POPrC43q0 「な、なんだよ」 「………本気で予備校に通うつもりなの?」 「ああ。お袋も真剣に勉強するなら、予備校にかかる金は工面してくれるそうだし……」 「そんなの駄目」 論拠もなしに駄目だしか。俺は宥めるように説得する。 「今までのらりくらりと受験のことを考えないようにしてきけどさ。  やっぱ、いつかは現実を見なきゃいけないんだよな。  俺だってSOS団に参加できる回数が減るのは嫌さ。  でも、予備校に通ってでも成績上げないと、冬には笑い事じゃなくなっちまうんだよ。  だからハルヒ、俺の予備校通いを認めて――」 「やだ」 「はぁ?」 お前は駄々っ子か。 「やだったらやだ。古泉くんも有希も独学なのに、  あんただけ予備校通いなんてぜーったいに認めないから」 ハルヒは腕組みをしてそっぽを向く。そりゃああの二人が独学なのは、非凡組の一員だからだろ。 特に古泉が特進クラスに在席しているのにも関わらず(しかも不定期なバイトに駆り出されているにも関わらず) トップクラスの成績を維持しているのは、天が二物どころか三物、四物をあいつに所与したからに他ならない。 「お前、自分が滅茶苦茶言ってるって分かってるか?」 「間違ってるのはあんたの方よ」 とりつく島もない。俺は投げ遣りに言った。 「じゃあ賢いその頭で考えてくれよ。俺がSOS団を休まずに、成績を上げる方法をさ」 31 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 17:10:50.77 ID:POPrC43q0 ハルヒが返答に窮して、 認めざるを得ない状況に追い込む――それが当初の目的だった。 しかし、俺は気づいていなかった。 案外解決策はそこらへんに転がっていて、 あとはハルヒがそれを拾い上げるだけであったことに。 例によって例の如く、団長様の閃きは突然だった。 テストが返却されてからしばらくたった、教室が静けさを取り戻した頃。 「キョン、団活を休まずに成績を上げる方法、思いついたわよ!」 襟首を掴まれてしこたま机の角に後頭部をぶつけ、 涙目で星を数えながら俺はハルヒと向かい合う。 懐かしいなぁ、このシチュエーション。俺は嫌な予感がした。 「あたしがあんたの勉強を見るの。  平日は放課後学校に残って、休日はあたしがあんたの家に出張してあげる!  感謝しなさいよね。団長が直々、団員の面倒を見てあげるんだから」 燦然と輝いた笑顔。 否定を許さぬ声。 輝いた瞳。 その瞬間に、俺はもう、この先一年間の未来を予想できた。 どこか愉しげにスパルタ指導をするハルヒと、ひいひい言いながらペンを動かす俺。 溜息が出そうになるが、出なかった。それは存外、俺にとって一番の受験勉強に思えたからだ。 33 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 17:27:11.64 ID:POPrC43q0 「感謝するよ」 快く返事すると、ハルヒの笑顔は100Wから500Wくらいになった。 ハルヒはそのまま勢いに乗って今後のプランを説明しようとしたが、 俺は静かに首を振って席に着かせ、教師に再開してもいいですよと身振り手振りで意思表示した。 教壇に立っている教師からクラスメイトの反応まで、 何もかもが二年前のリフレインだった。何かの因果なのかもしれん。 それから俺も着席し、教室がいつもの雰囲気を取り戻す。 後ろをチラ見すると、ハルヒは幼い子供がスケッチブックにお絵かきするみたいに、 夢中でノートに何かを書き込んでいた。 といっても書かれているのは拙い落書きじゃなく、計算され尽くした勉強スケジュールだ。 いつまで経っても背中にシャーペンが刺さらないと思っていたらこんなことをしてやがったのか。 気の早い奴だね、まったく。 苦笑を堪えて窓の外に視線を戻す。 季節は晩春。 校内の植物は瑞々しく芽吹きだし、空からは強い日差しが照りつけている。 窓の隙間から入り込んできた風からは、僅かに、夏の匂いがしていた。 36 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 17:46:18.45 ID:POPrC43q0 ―――――――――――――――――――――――――――――― ハルヒは約束を破らなかった。 有言実行にして頑固一徹。 いくらこの三年でハルヒの物腰が若干柔らかくなったとはいえ、根っこの部分は変わらない。 放課後は部室で勉強を教えて貰い、休みの日はどちらかの家で勉強をする日が続いた。 何故毎週俺の家に来てくれるというハルヒの申し出を断ったかと言えば、流石にハルヒに悪いと思ったからだ。 ……すまん、嘘だ。 実は、理由はもう一つある。 家族の視線。コレだ。 特に中学に進級した妹は変な部分だけ大人びてしまい、 俺がハルヒと自分のためにお菓子やジュースを階下に取りに戻る度、 「ねーねーキョンくん、ハルにゃんと付き合ってるの〜?」 と話しかけてくる始末だ。 最初は妹の反応を笑っていた親父とお袋も、最近じゃマジで信じてそうだから困る。 そんなわけで俺はハルヒに 「これからはお前の家で勉強させてもらってもいいかな。  毎週足を運ぶの、大変だろ?」 と持ちかけ同意を得た。 しかしそれから数週間後、何故かハルヒが俺と同じようことを言いだし、 話し合いの末「休日は交代でお互いの家を訪問する」という折衷案が生まれた。 今でも俺がその理由を問い質す度、ハルヒは顔を背けて口数が減る。 どうして秘密にする必要があるんだろうね。訳が分からん。 39 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 18:08:35.91 ID:POPrC43q0 ちなみに他の団員の反応は、意外と淡々としたものだった。 朝比奈さんが北高を訪問する日を見計らって行われたSOS団ミーティングで、ハルヒは俺の学力向上計画を発表した。 言い忘れていたが、朝比奈さんは卒業後、都心の某有名国立大学に進学したことになっている。 朝比奈さんのいなくなった部室は、ぽっかり穴が空いたみたいで寂しかったが、 それでも二週間に一度くらいの頻度で尋ねてきてくれるので、 俺はそのタイミングでばっちり眼福を得ることにしている。閑話休題。 ハルヒの発表に、長門は代わり映えのない反応だった。 本から顔を上げて、首を捻り、 「………そう」 と一言。もうちと何かコメントしてくれてもいいんじゃないか、と思う。 そして、長門と対照的に鬱陶しいほどの賛辞を送るかと思われた古泉も、 「涼宮さんならあなたにぴったりです。  僕もかねがね、あなたの学力不足を憂いていたのですが、  いやはや、これであなたの受験も安泰ですね」 と述べるに留まった。 唯一朝比奈さんだけが、否定的なことを口にした。 「あのぅ、涼宮さんがキョンくんの勉強をみたら、涼宮さんの勉強がおろそかになるんじゃあ……」 「だいじょーぶよ、みくるちゃん!  あたしはあたしで、今まで以上に勉強するから」 どん、と胸を叩くハルヒに安堵した笑みを見せる朝比奈さんだったが、 俺はその表情の奥に隠れた、未だ腑に落ちない彼女の心情を見て取っていた。 俺が首を捻っていると、朝比奈さんが俺に微笑み返した。 ぴちぴち教師スタイルの朝比奈さんは段違いに綺麗になっていて、思わず頬を緩める。――思い違い、だよな。 42 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 18:32:01.86 ID:POPrC43q0 肝心の学力はというと、これが驚くべきことに、順調に向上していった。 結果は如実に、模試の点数に現れ始める。 成績グラフは二次曲線を描き初め、 秋の初め、俺は高校に入学してから初めての90点台をとった。 文句なしに嬉しかった。 俺の答案用紙を見て呆然としている谷口や、素直に「すごいね」と誉めてくれる国木田に、 喩えようのない優越感が沸き上がってくる。 お袋の反応も上々だった。答案用紙をみた途端、寿司をとったくらいだぜ? これで自信がつかないほうがおかしいってもんだ。 でも、俺は思い上がったりしなかった。 人生初の好成績に気が緩んでいた俺を、ハルヒは一言、 「これで油断したらなんの意味もないんだからね。  この成績を維持できるかが、受験で成功する人と失敗する人の違いなの」 ばっさり斬り捨てた。 次の日からはまた変わらぬスパルタ授業が始まる。 でも、俺に不満は微塵もなかった。 こんなことを言うとハルヒに隷従しているみたいに捉えられそうで嫌だが、 俺はハルヒの言うことならなんでも聞くつもりだった。 実際に成績は上がっているのだ。 ハルヒの教え方は板についてきているし、俺の理解力も数ヶ月前と比べたら雲泥の差があるほどに成長している。 もう、この勉強スタイルを変えることは考えられなかった。 ひぐらしの鳴き声が遠のき、 街が緑から艶やかな朱や黄色に色彩を変えて、 やがて、朝布団から出るのが億劫な季節が訪れる。 ――受験勉強は、怖いくらいに順調だった。 43 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 18:44:51.03 ID:POPrC43q0 転機が訪れたのは、 雪に変わりそうなほど柔らかい雨が降る、日曜日のことだった。 その日のことは今でもよく憶えている。 俺は朝から愛車を漕ぎ漕ぎ、ハルヒの家に向かった。 一年前の俺が今の俺を見たら、 宇宙的未来的超能力的第三者が、俺に成り代わったと勘違いするに違いない。 そう思うくらいに、俺は勤勉だった。自分で言うのもなんだけどさ。 「なにぼーっとしてんの。集中集中!」 とん、とシャーペンのノック部分で額を突かれる。 「すまん。少し眠くて……」 「勉強頑張るのもいいけど、夜更しはよくないわ。  体調壊したら元も子もないんだから」 口を斜めにしたハルヒは、すっかり教師モードだ。 この時のこいつは、どうも説教臭くていけない。 髪を伸ばして化粧を憶えて随分と可愛くなったのに、勿体ないことこの上ない。 47 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 19:18:43.78 ID:POPrC43q0 「説教臭くて悪かったわね」 「う、聞こえてたのかよ」 ハルヒは溜息をついて参考書を閉じると、 「どうしてあんたはいっつも一言多いのかしら。  いくら頭が良くなっても、口の利き方に気をつけられないようじゃ大学で上手くやっていけないわよ」 俺はペンを置きながら姿勢を崩した。 こうなるともう、毎度恒例の休憩ムードだ。 「俺の口べたと大学ライフにどんな関係があるんだよ」 「あのねぇ、大学では高校と違って、教授と仲良くなんなきゃいけないの――」 閑話はそれから10分ほど続いた。 51 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 19:45:57.49 ID:POPrC43q0 「――へぇ、それで谷口は今どうしてるの?」 「ついこの前のテストがやばかったから、  またお袋さんに無理矢理予備校なりなんなりに通わされるんじゃないか」 「やっぱり谷口は期待を裏切らないわね。家庭教師までつけてもらってたのに、受験まで精神力がもたないなんて」 現在、話題はつい最近受験戦争のストレスで壊れた谷口に推移している。 「でもあいつのことは馬鹿にできないよ。  なんでも意地張って志望校のランク上げて、その所為でパンクしたそうだ」 ハルヒは優雅に紅茶を口に運びつつ、 「どうしてランクをあげたのかしら」 「さぁな。俺は何も聞いてないが」 本当は全部知っていたが、谷口のプライドのために黙っておいてやることにした。 概要はこうである。 受験生であることを忘れて、大学生のコンパに潜入した谷口は、正面の女性に一目惚れした。 身分を偽って会話を進めていき、谷口はメルアドと携帯の電話番号までは入手できたらしい。 しかし、そのままお付き合いできるほど現実は甘くなかった。 幹事の情報によれば、その女性(谷口よりも一歳年上)はこの辺りでもかなり上位の国立大学に在籍しており、 同大学の男からも引く手数多なのだそうだ。 どこの馬の骨とも知れぬ受験生の求愛など、一日たりとも記憶に残らないに違いない。 だから谷口は決心した。 その女性と同じ大学に入学し、振り向いてもらうんだ、と。 単純な奴、馬鹿な奴だ、と言えばそこまでだ。 多分今の話をハルヒにしたら、十中八九谷口をこき下ろすだろう。 でも俺は谷口を評価したい。 動機は不純でも、自分の限界を超えようと努力したことは事実なんだし。 53 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 20:00:12.69 ID:POPrC43q0 「さ、そろそろ再開すっか」 いつまでもだべっているわけにはいかないと、俺は再びペンを取った。 だが、いつまで経ってもハルヒはティーカップの底を見つめたままだ。 「どうしたんだ? 寝てるのか?  なんでぇ、お前も寝不足だったんじゃないか」 「………」 おかしい。俺の挑発に暴力をもってやり返さないなんて、 紅茶に鎮静作用のあるクスリが入っていたとしか思えない。 おいおい、まさか谷口が可哀想になったんじゃあるまいな? 俺はハルヒの顔を覗き込んだ。 長い睫毛に縁取られた瞳は、物思いに沈んでいた。俺はハルヒの肩に手を伸ばして、 「おい、」 「今日は、ちょっとした試験をするわ」 急にハルヒが立ち上がって、机の引き出しをごそごそし始める。 「試験?  お前がわざわざ俺のために作ってくれたのか?」 「ううん………、あんたに今から解いて貰うのは、とある大学の前年度の試験問題よ」 57 名前:リアルタイムっす[] 投稿日:2008/06/21(土) 20:35:28.40 ID:POPrC43q0 真剣なハルヒとは裏腹に、俺は余裕をもって構えていた。 過去問題を解かされるのはこれが初めてじゃない。 今まで解いた過去問題のレベルは中くらいで、苦手な教科は苦戦しても、 得意教科では好成績をたたき出し、答え合わせではなんとか及第点を獲得してきた。 だから、今回もハルヒを満足させられる。 俺はそう、思いこんでいた。 「お昼には食事休憩を入れるけど、あとはぶっ通しよ。  集中力を斬らさないようにして」 「そんなに心配してもらわなくても大丈夫さ」 「…………」 ハルヒはじっと俺を見つめてから、言った。 「お願い、真面目にやって」 「わ、分かったよ」 紙束が手渡される。 制限時間と受験要項を簡単に述べて、ハルヒはストップウォッチを押した。 俺はすぐさま、問題に取り掛かる。 背後でドアの閉まる音がした。 「………キョン」 壁一枚を隔てた廊下で、 ハルヒが祈るように瞑目していたことを、その時の俺は知る由もなかった。 61 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 21:06:35.33 ID:POPrC43q0 試験終了、5分前。 俺はもう、諦めていた。 窓ガラスを叩く雨は次第に強さを増して、俺の疲れ切った頭に響く。 時間が足りなかった。 知識が足りなかった。 応用ができなかった。 焦りだけが先行していた。 一問目に目を通した時点で、俺は今まで解いてきた問題が どれだけ易しいものであったのかを痛感した。 俺は、今まで、何をしてきたんだろう。 遊ぶのもやめて、暇ができたら勉強して。 分からないところはハルヒに分かるまで教えて貰って。 スケジュールをこなして、一つ一つ、着実に理解していって。 そして学校の模試では、毎回そこそこの成績を出して………。 それらみんなが、俺の自己満足だったっていうのか? 背後に、ハルヒの気配がした。 「……終わりよ。お疲れさま。  あたしはこれから採点するけど、あんたはどうする?」 時間はもう既に6時を回っている。俺は答案用紙はそのままに腰を上げた。 「帰るよ。昼に続いて晩ご飯まで御馳走になるのは悪いからな」 嘘だ。これまでにも昼晩御馳走になったことは何度もある。 ハルヒもそれを知っているはずだったが、止めなかった。きっと、察しているんだろう。 67 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 21:50:40.48 ID:POPrC43q0 家人への挨拶もそこそこにハルヒの家を出た。 外は、夜の帳が降りていた。 土砂降りの雨がアスファルトを跳ねて、容赦なく足許を濡らした。 あまりの寒さに体が震えた。 その日家に帰ってから、俺はどうしてもペンを握る気になれなかった。 次の日。 一晩中降り続いた雨はすっかり上がり、 それとリンクするかのように、鬱な俺の気分も若干の回復を見せていた。 切り替えが肝心なんだ、切り替えが。 一つのテストの不出来を、他のテストにまで響かせるのは暗愚のすることである。 てなわけで、俺は何事もなかったかのように登校を果たした。 そして教室の隅っこの席にハルヒを見つけ、 「よう」 いつもの挨拶をする。 ハルヒは俺の目の下を観察すると、 「おはよう、キョン。今日は寝不足じゃないのね?」 「昨日はたっぷり寝たからな」 昨夜、帰宅してから一度も勉強していないのは秘密だ。 それから俺たちは恒例の雑談を交わして、HRを迎えた。 昨日の過去問題のことには、お互いに触れようとしなかった。 教室を見渡すと、昨日よりも空席が目立っていた。 69 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 22:13:30.03 ID:POPrC43q0 時は流れて、放課後。 俺とハルヒは連れだって教室を後にした。 「いいよな、キョンは。彼女に勉強教えてもらえてさぁ」 「こんな時期にのろけてんじゃねーよ」 その際、冷やかしが飛んでくるのはいつものことである。 ラスの誰が何をどう曲解したのかは知らないが、俺とハルヒは交際していることになっていた。 冷やかしをぶつけられる度に俺は誤解の解消に努め、 ハルヒは虚心坦懐の面持ちで「は? 適当なこと言ってたら殺すわよ」などと物騒なことを言っているのだが、 一度広まった噂を止めることは、ハルヒの環境情報操作能力でも叶わない。 部室棟に向かうまでの廊下で、クラスメイトの一人と会う。 「お前、大学でも涼宮の尻にしかれてそうだなw」 最早通過儀礼みたいなもんだ。 この後、ハルヒはそいつを一喝して、分かり易く顔を赤らめるはず――。 俺は耳に栓をして、ハルヒが怒鳴るのを待った。 でもハルヒは予想に反して、顔を伏せたままずんずん廊下を歩いていく。 「………じゃ、じゃあなキョン」 「お、おう」 戸惑い気味のクラスメイトに手を振って、あいつの後を追う。 やっぱり、いつものハルヒじゃない。 72 名前:鬱にはしないさ[] 投稿日:2008/06/21(土) 22:40:00.12 ID:POPrC43q0 文芸部室は、西日で朱く染め上げられていた。 ハルヒ、俺の順に定位置に座る。 この場合の定位置とは、部室の真ん中のテーブルのことだ。 放課後の受験勉強は、専らこのテーブルの上で進めていたからな。 鞄の中を漁っていたハルヒが、一枚の紙を取り出して言った。 「テストの結果よ。一言で言えば、惨憺たる点数だったわ」 紙を受け取る。プリントされた無機質な文字列が目に飛び込んでくる。 ハルヒの言葉に間違いはなかった。 「酷いもんだな。  ……うわ、これなんか洒落にならない点数だ」 「そうね」 お互いにテーブルの紙に視線を落としている所為で、目が合うことはない。 それでも、ハルヒが不機嫌な面をしていることは、容易に思い描くことができた。 「冷たいんだな。  もうちょっと励ましてくれてもいいんじゃねぇのか。  俺だってショックなんだぜ」 冗談めかして言ってみたところで、ハルヒが笑ってくれるはずもなく。 俺は真面目に訊いた。 「昨日の試験、何処の過去問だったんだ?  今までやった奴とは格が違ってたが、  やっぱ俺の実力不足だったってことか?  それともあれは腕試し的なもんで、一定の点数を上げられなくて当然だったのか?」 「…………」 78 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/21(土) 23:11:01.23 ID:POPrC43q0 「なんとか言ってくれよ」 「…………」 「なあ、」 「正直言って、あんたは本当によく頑張ったと思うわ」 とつとつとハルヒが語り出す。 開口一番に厳しく叱咤されることを予測していた分、俺は拍子抜けした。 俺が頑張った? あの点数を見て、本気でそんなことを言っているのか? 「確かに、点数は酷かったわよ。  あの試験を実施した大学が求める点数には、全然届いていないし、  あたしの採点が甘くて、実際にはもっと低得点だったこともあり得る。  でもね、あたしは最初から、あんたが及第点を取れるとは思ってなかった」 「当然の結果だったってわけか」 「そうよ。だからあんたが落ち込むことなんてないの。  こんなこと言って、あんたを驕らせる要因になったら嫌だけど、  実際、今の志望校なら、あんたの今の実力で重畳よ」 ハルヒの誉め言葉を聞いても、手放しに喜べないのはどうしてだ。 自問した上で、俺にはその答えが既に分かっていた。 なに、長い付き合いだ。こいつのの考えていることは大体分かる。 話の核心は別にあるんだ。 ほら、その証拠にハルヒはさっきから、一度も俺に目を合わせようとしていない。 「お前の評価は素直に受け取るとして、だ。  お前の元気がない訳を、聞かせてくれないか。  きっと昨日の試験結果を踏まえた上で、何か俺に言いたいことがあるんだろ?」 華奢な肩が、ぴくりと震える。 赤い光条に、端正な横顔が浮き彫りになる。ややあって、ハルヒは口を開いた。 217 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/22(日) 19:50:01.01 ID:RIxAxMS80 「……志望校のランクを、上げて欲しいの。  具体的に言えば、昨日の試験を実施した大学をあんたに受けて欲しいの」 そりゃ無理だ。 即答しそうになる口を噤んで、俺は冷静に答えた。 「この時期に志望校を変更するのは、かなり無茶じゃないか。  特に今の志望校に思い入れがあるわけでもないから、  同じレベル内の大学なら変更しても別に構わないが、その大学はレベルが高すぎる」 ハルヒはよく、やる前から諦めるのは臆病者だと言う。 実際、受験勉強中に理解不能なところを投げ出して、何度その言葉を吹っかけられたか知れない。 でも、いくらなんでも今度の勝負は勝ち負けが見えていた。これは妥当な諦観なんだ。 例え今日からラストスパートをかけたとしても、 「間に合うわ。ううん、間に合わせて見せる。  あたしが付きっきりで勉強見てあげるから。ね?」 初めて顔を上げて、ハルヒが微笑む。 その表情が、一瞬泣いているように見えたのは俺の錯視だろうか。 「どうしてその学校に拘泥する?  特別な理由でもあるのか?」 「そ、それは………あんたなら、まだまだ上を目指せると思ったからよ。  安全策を選ぶのは簡単だけど、それは現状に甘んじていることと同じだわ。  一年前の自分を思い出して。  あんたはあの時と、比べものにならないくらいに賢くなったわ。  それはあんたが諦めないで、あんたの意志で、努力を積み重ねたからよ。  だから――」 「オーケーオーケー、もういいよ。もう、そんなに必死にならなくていい」 223 名前:愛のVIP戦士@全板人気トナメ開催中[] 投稿日:2008/06/22(日) 20:14:14.15 ID:RIxAxMS80 「え、それってどういう……」 精緻な顔に、希望と絶望の同居した表情が浮かぶ。俺は言った。 「やってやるよ。  お前の言うとおりだ、折角ここまで頑張ってきたってのに、  可能性を捨ててノーリスクの道を選ぶのは間違ってる。それに、」 ここで一つ咳払い。 俺は古泉じゃない。気障な科白を言うときには心の準備が必要だ 「それに、あながち無謀な賭けでもないしな。  だって俺には、最高の先生がついてるんだからさ」 「キョン………」 顔をくしゃっと崩して、ハルヒが俯く。 どうやら俺のくさすぎる科白に言葉も失ってしまったらしい。酷い奴だ。 「さて、志望校の変更が決定したことだし、  そろそろ昨日の過去問題を実施した大学名を教えてくれないか」 しばしの沈黙を挟んで、消え入りそうな声がした。 「………大学よ」 それを聞いても、俺の心はまったく動じなかった。 ただ、「ああ、やっぱりか……」なんて悟ったみたいな間投詞が漏れただけ。 ハルヒが口にした大学を、俺はよく知っていた。 それは世俗的認知度の極めて高い、 近隣府県の大学の中でもトップレベルの難関校で――ハルヒの、志望校でもあったからだ。 228 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/22(日) 20:39:51.91 ID:RIxAxMS80 思わず笑い出しそうになる。 なんだ、昨日俺が解いていたのはあの大学の問題だったのか、 そりゃあ半分も解らなくて当たり前だ、むしろ善戦したとさえ言っても言い――。 何故、ハルヒがリスクを承知で志望校の変更を勧めてきたのか。 何故、ハルヒの提案した大学がハルヒの志望校と同じだったのか。 そんなこと、考えるまでもなかった。 ここで俺が鈍感っぷりを発揮すると想像した奴は反省しろよ。 ハルヒの真意が読めるくらいには、俺も器用になったのさ。 「よし、そんじゃあ今日から死にもの狂いで勉強しないとな。  今の俺の実力じゃ、お前の言う大学の求めている学力には程遠いんだろ?」 「うん……残念だけど、それは事実だわ」 おずおずと上目遣いに俺を見るハルヒ。 俺が決心したことを、喜んでいるものの公にできない――そんな感じだろうか。 「大いに結構。これからが勝負だぜ」 言って、俺は鞄からノートを取り出した。余計な質問はいらない。 俺がハルヒの提案の真意に気づいたことを、きっとハルヒも気づいている。 だから? だからといって、特別アクションを起こす必要なんてないのだ。 俺は盲目的に勉強をすればいい。 偶然にもハルヒと同じ志望校を選んで、偶然にも一緒に現役合格を果たす。それでいいんだよ。 233 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/22(日) 21:04:43.16 ID:RIxAxMS80 「…………ありがとう」 幽かにそう呟いて、ハルヒも勉強道具を取り出しにかかる。 勿論俺は聞こえないフリだ。 それからしばらくぎこちない雰囲気が続いたが、 俺が数学の難所に詰まった辺りでハルヒに教えを請い、 数分間二人で頭を抱えた挙げ句、実はただのケアレスミスであったことが発覚、 どちらからともなく笑ってしまって、微妙な雰囲気は元通りになった。 それから俺たちはいつものように、日が暮れるまで部室に残って勉強した。 結局、古泉と長門はいつまでたっても姿を見せなかった。 二人きりの部室は、真冬だというのに温かかった。 後日の放課後、俺は進路変更の旨を伝えに教員室まで向かった。 最初は分かり易く呻吟していた岡部も、最後には 「お前がこの一年間でどれだけ頑張ってきたかは俺が一番――いや、二番目くらいに分かってる。  だから、お前なら最後にはやれると思う。頑張れよ」 と、どっかのドラマの受け売りみたいな言葉をくれた。不覚にも嬉しかった。 教員室を出て、部室へと向かう。 その道中、俺は二週間に一度だけ会うことを許された麗人とばったり出会った。 一年に一度の織姫との再会を果たした彦星並の感動が胸に広がる。 断っておくが、これは決して大袈裟な比喩じゃない。 「こんなところでどうしたんですか、朝比奈さん。  確か次に未来から帰ってくるの、あと三日くらい後じゃありませんでしたっけ?」 「こんにちは、キョンくん。………実は、今日はキョンくんだけにお話があってきたの」 239 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/22(日) 21:32:46.00 ID:RIxAxMS80 「俺だけに、ですか?」 朝比奈さんは小動物のように頷いて 「とりあえず、場所を映しませんか?  SOS団のみんな――特に涼宮さんには、知られたくない内容なの」 俺が呆気にとられている内に、朝比奈さんが身を翻す。 SOS団の皆に知られたくない話って、何だ? 疑問符を頭に浮かべたまま、俺は朝比奈さんの背中を追った。 「ここなら、誰かに盗み聞きされる心配もありません」 朝比奈さんが足を止めたのは、屋上に続くドアの前だった。 ――カチャリ。すんなり開扉して、屋上の風景が四角枠から覗く。 旧世代の施錠技術は、未来人にはないも同然らしい。 屋上には、身を切るような冷たい風が吹いていた。 ポケットに手をつっこんだまま、朝比奈さんの質問に耳を傾ける。 「キョンくんが受験する大学を、言って貰えますか」 「あれ、ずっと前に教えたはずじゃ……」 そこまで喋ってから、気づいた。俺の志望校情報はついさっき更新されたばかりじゃないか。 「……大学ですよ」 「……………」 「あれ、驚かないんですね。  いいんですよ、本音を言ってもらっても。  クラスメイトの谷口なんか、無謀だ、とか身の程をわきまえろ、とか好き勝手言ってましたし」 244 名前:鬱展開あるけど、その後はお楽しみ[] 投稿日:2008/06/22(日) 22:00:56.43 ID:RIxAxMS80 ちなみにその後、谷口はハルヒの鉄拳制裁によって原形を留めなくなるまでボコられた。 正直、ちょっとだけ同情した。 でもまあ、烈火の如く怒り狂ったハルヒに指の骨を折られ、 ペンを握れなくなった、なんてコトにならなかった分だけ、谷口は幸運だったと言えよう。 「今からじゃ時間的にも量的にも厳しいのは、分かってます。  でも、ハルヒと一緒ならなんとかなるかな、って。はは、ほんと俺ってあいつ頼みですよね」 力無く笑ってみたものの、朝比奈さんは閉口したままだ。 いつの頃からだろう。 朝比奈さんの俺を見る眼が変わったと、頓に感じるようになったのは。 「これは忠告です」 ふいに、形の良い唇が動く。 「このままその大学を目指せば、キョンくんと涼宮さんの関係は破綻することになるわ。  だから、最初の志望校に戻して欲しいの」 「それって何の冗談ですか。  俺が落ちるかもしれない、とかいう予言ならまだしも、  ハルヒと俺が不仲になる予言だなんて、度が過ぎて、」 「冗談なんかじゃありません。  これは近い将来に起こる事実です。  お願いキョンくん、眼を逸らさないで。わたしだって意地悪でこんなこと言ってるわけじゃないの」 訳が分からない。 俺の理解者で、未来に帰ってからは姉のように慕っていた朝比奈さんが、 どうしてこんな悲しいことを口にするんだ? 「………嫌です。俺はあいつと約束した。あいつと同じ大学に行くって、決めたんだ」 248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/22(日) 22:21:03.28 ID:RIxAxMS80 「どうしても、わたしの言うことを聞いてくれないんですか」 「先輩の忠告を無下にするのが、悪いことだとは承知してます。  でも、あいつを裏切ることはできません」 朝比奈さんは、小さく息を吐いて眼を閉じた。 まるで、聞き分けのない弟に辟易する姉のように。 「やっぱり、わたしが無理に介在したところで、  キョンくんの意志を変えることはできないんですね」 凍て付く寒さの所為か、豊頬は血色を失っている。 冬風に凪がれた髪を耳にかける仕草が、なんだか見るに堪えなかった。 俺は眼を逸らした。 「キョンくんの意志が固いことは、よく分かりました。  だから、わたしはもう何も言いません。  その代わりに、一つだけ憶えておいてください。  この先遠くない未来に、さっきの言葉の意味が分かる時が来ます。  その時、キョンくんはきっと、自分のことしか考えられなくなっていると思うの。  でも、キョンくんが悩んでいるときに、キョンくんの傍にいる人も、同じくらいに悩んでいることを忘れないで」 声が途切れる。風向きが変わった。 俺は視線を上げた。朝陽奈さんの姿は、もう、どこにも見当たらなかった。 「朝比奈さん………」 一面のコンクリートから逃げるように、空を仰いだ。 蒼鉛色の雲から、真白な雪が降り始めていた。 部室に戻ろう。今は、一刻も時間が惜しい。 254 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/22(日) 22:54:35.57 ID:RIxAxMS80 時間は瞬く間に過ぎて、12月の終わりが見え始めていた。 受験生にとって、季節ごとのイベントは無縁だ。 それでも、クリスマスの存在を思い出したのが当日の二日前だった時には流石に自分でも吃驚した。 雑誌や携帯、雑誌といった情報源に、最後に触れたのはいつだろう。 俺は、自分が疲れてきていることを自覚していた。 時折、問題集の文字が霞んだ。 焦燥に負けて、単純な問題が解けなくなることがあった。 キャパシティを超えた記憶が入り交じって、忘却が連鎖することも何度かあった。 けど、ハルヒの前では、絶対にそんな姿を見せたくなかった。 あと一ヶ月だ。あと一ヶ月で、全てが終わる。 そう言い聞かせて、俺はラストスパートをかけ続けた。 今から思えば、俺はここで、誰かに弱音を吐くべきだったのだ。 プライドを捨ててでも、そうするべきだった。 「明日のクリスマスプレゼント、楽しみにしてるからね」 「ああ、期待してくれていいぞ」 玄関前でハルヒを送り出したのは、夜も更けた9時過ぎのこと。 女子高生がこんな時間まで男の家に滞在することを許す親は希少だが、 ハルヒのご両親は俺のことを根っから信用してくれているようで、、 "あの日"からこっち、この時間までハルヒと机を共にするのが日常になっていた。 手早く風呂を済ませて、自室に引っ込む。 それから俺は、クリスマスプレゼント用に購入したネックレスをケースから取り出して眺めた。 昨日、妹に手伝って貰って購入したものだ。こういうアクセサリーには妹の方が通暁しているからな。 ハルヒは、気に入ってくれるだろうか。 258 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/22(日) 23:18:27.73 ID:RIxAxMS80 そう思う一方で、この時期にクリスマスプレゼントを要求してきたハルヒに不満を感じていることもまた事実だった。 そりゃハルヒにはまだ、クリスマスをささやかに愉しむ余裕もあるだろう。 でも、俺にそんな余裕はない。 ぼんやりとネックレスを眺めたまま、溜息を吐いた――その時だった。 「キョーンーくんっ!  差し入れだよ〜。妹特製ココア、たんと召し上がれ」 おぼんをもった妹が、器用に片手でドアを開けて入ってきた。 妹はテキパキと机にマグカップを置き、 そしてネックレスを眺めている俺を矯めつ眇めつした後、 「勉強、がんばってね☆」 意味深な笑顔を残して去っていった。 やべ、恥ずかしいところみられちまった。 今頃はお袋に、嬉々として俺のキモい行動を報告しているに違いない。 「やれやれ」 首を振り振り、問題集を開く。眼を通す。 ハルヒに教えてもらったことを一つ一つ思い出しながら、問題を解いていく。 だが、四問目に差し掛かった辺りでアレがきた。 最近はもう、珍しくともなんともなくなっている。問題集の文字が霞み始めたのだ。 「ん………やっぱ疲れてるのかな………」 誰ともなしに呟いて、俺はマグカップを取ろうとした。 だが、俺の手は見当違いのところに向かって――、ガタン 259 名前: ◆.91I5ELxHs [] 投稿日:2008/06/22(日) 23:20:45.29 ID:RIxAxMS80 疲れたお 明日で完結しそうだお……… 上の方でばれてたけど一応トリつけとくお……( ´ω`) 417 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/23(月) 20:38:29.62 ID:CuvXloYV0 マグカップが倒れる。 温かい液体が手に触れたと思ったその時には、机の上はココアで浸されていた。 ノートも、問題集も、ハルヒが残していったルーズリーフも、全部。 「はぁ………」 一気に脱力した。 零れたココアを片づける。そんな当たり前のことが、たまらなく億劫だった。 それからやっと机の上を片付けて、再び机に向かった時には11時を過ぎていた。 掃除ごときに何を手間取っていたんだろう。 頭痛がする。 空費された一時間を、もう、思い出すことができない。 俺はノートを開けた。 そしてペンを走らそうとして、 「ちっ、もう駄目だな、このノート」 文字が滲むことに気づいた。 一通り拭き取ったつもりでいたものの、紙は未だたくさんの水分を含んでいたらしい。 仕方なくルーズリーフを取り出して問題を解き始めたが、 モチベーションの低下もあいまって、全然進まなかった。 本当に今日は、やることなすこと全てが裏目に出るな……。 言い表しようのない倦怠感が、全身を蝕んでいた。 そして、その弱みにつけ込むように、今まで考えまいとしてきたことが脳裏に浮かんでくる。 421 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/23(月) 20:57:30.19 ID:CuvXloYV0 ――俺は、間に合うのだろうか。 何もかも遅すぎたんじゃないか? 本気で合格を願ってきた奴らは、俺が受験を意識しだした頃より、 ずっとずっと前から努力を積み重ねてきた。 俺の自信の源であるこの一年間なんか、そいつらの努力の足許にも及ばないだろう――。 心のどこかで思っていたことが、一気に噴き出してくる。 俺はそれを振り払うように、問題を解こうとする。 でも導き出せた答えは不完全で、それを補う術を俺は知らない。 「そうだ、確かハルヒはこの先の頁まで進んだと言っていたから……」 無意識のうちに、携帯を開く。 あいつの声を聞けば、この胸のどろどろした感情が消え去る気がした。 だが、俺がハルヒのメモリを見つけるよりも先に、受信画面が表示される。 差出人は、ハルヒだった。 from:ハルヒ subject:明日のことだけど 今日はあんたの家で勉強したから、明日はあたしの家で勉強よ それでね あんたはクリスマスパーティは来年まで我慢、なんて言ってたけど、 やっぱりそんなの、つまらないじゃない? だから、明日の夜は、慎ましやかながらクリスマスパーティをしようと思うの ケーキは勿論、あたしが作るわ あ、もしよかったら妹ちゃんも、―― ………なんだよ、これ。 429 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/23(月) 21:14:14.69 ID:CuvXloYV0 決定的なズレを感じた。 この受験に対する、ハルヒと俺の姿勢。 基礎学力の土台作りから始めた俺と、 それに対策課題を上塗りするだけで事足りたハルヒの、精神的余裕の差。 志望校を同じにしたときに、疑問に思うべきだったんだ。 ハルヒが教師で、俺が生徒役を演じられたのは、 それぞれ志望校のレベルが違うからこそできることじゃなかったか。 志望校を同じにしたのなら、俺たちの関係は共に助け合うものでなければならなかった。 なのに俺は享受するばかり、生徒役を演じたまま。 でも、一方で、それは詮無いことなのだとも思う。 教師と生徒の違いは、圧倒的な経験値の差によって生まれるものだろう? その差を覆すことは、例え今の俺でも難しい。 俺はその事実から、ずっと、眼を逸らし続けてきた。 携帯のフラップを閉じる。 焦りで押し潰されそうだった心は、不自然なほどに軽くなっている。 湿った眼で窓の外を見ると、滲んだ月が寒空にぽつんと浮かんでいた。 ――あともう少しで、日付が変わる。 443 名前: ◆.91I5ELxHs [] 投稿日:2008/06/23(月) 21:40:01.69 ID:CuvXloYV0 次の日、俺はいつも通りの時間にハルヒの家に向かった。 「おはよう、キョン。  ふふっ、いつからかしらね、あんたが遅刻しなくなったのって」 いつもの挨拶、いつもの笑顔に迎えられて、いつもどおりにハルヒの自室にお邪魔する。 でもそこからは、いつもどおりじゃない。 鞄を置くと、コトリと音がした。普段鞄に入れている参考書類は、今日は家の本棚に並んでいる。 きっともう、俺の部屋から持ち運ばれることはないだろう。 鞄の薄さに気づいたハルヒが、眉を顰めて言った。 「もしかして、肝心の物を忘れてきたわけじゃないでしょうね?」 違う、忘れたんじゃない。俺は―― 「今日もってきたのは、お前へのクリスマスプレゼントだけだよ」 「はぁ? 何悪びれずに堂々と宣言してるのよ。  大体、クリスマスプレゼントをもってきて勉強道具忘れるなんて、優先順位が逆じゃないの」 声に怒気はほとんど含まれていない。 唇を尖らせていてもほっぺたは綻んでいて、 俺は、ああ、こいつは本当に俺のプレゼントを楽しみにしていたんだな、と思った。 今みたいな表情が――、 喜んでいるのに素直になれない、怒りたいのに本気になれない、いじらしい顔が、俺は結構好きだった。 でも、それもあともう少しで歪んでしまうだろう。 「今日は元々、プレゼントだけをお前に渡して帰るつもりだったんだ」 ハルヒに、クリスマスカラーの包み紙で装飾された箱を手渡して、 454 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/23(月) 21:58:24.98 ID:CuvXloYV0 「はい。気に入るかどうかはお前次第だけど、とりあえず受け取ってくれ。  中身は街で買ってきたアクセサリーだ」 俺は、精一杯の笑顔を作った。 現実の俺はどんな顔をしているんだろうな。 こんな時、古泉の変幻自在の能面がとても羨ましくなる。 ハルヒが、困惑した様子で言った。 「あ、ありがとう………じゃなくて。  プレゼントだけ渡して帰るって、どういうことよ?」 「そのままの意味だ。  なあハルヒ、もう終わりにしよう。  今日から勉強会はやめて、個々での受験勉強に切り替えないか」 「笑えないジョーク飛ばすのも大概にしなさいよね。  あんた、今から一人で勉強して合格狙えるとでも思ってるわけ?」 ハルヒは、まだ俺が本気であることに気づいていないようだ。 いや――気づいていないフリをしているだけもしれないが。 「流石に今の志望校は無理だろうな」 ハルヒの顔が蒼白になる。 「でも、俺が最初に決めていたところなら、俺一人でも十分だろ」 「ちょっとキョン、いい加減にしないとあたしも、」 「いい加減なことを言ってるつもりはない。  昨日一晩考えて、やっぱりこうするのが一番だと思ったんだ」 「……いや……、いやよ」 黒髪の間から覗いた耳が、みるみるうちに紅潮していく。俺は眼を伏せて、語り続けた。 464 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/23(月) 22:26:13.06 ID:CuvXloYV0 「初めてお前にあの大学を薦められた時、  俺は自分の実力が最低ラインまで伸びるのか、半信半疑だった。  けど、お前がいるから、なんとかなると思えた。  実際、俺はあれからそれまで以上に勉強したし、  この短期間にしては、かなり実力の底上げができた。  あの大学が、そう遠くないように感じられたよ」 こんな時期になってさえ、俺はハルヒの前で大学名を口にすることを避けていた。 それは暗黙の了解だった。 "偶然にも"ハルヒと同じ大学に合格する――そんな夢を、つい一昨日まで見ていたんだ。 「でも、やっぱ現実って甘くないんだよな。  そんなこと、今更気づいても遅いんだけどさ。  ……このまま受験しても、俺は最低ラインにギリギリかするかかするないぐらいだ」 「嘘……そんなの、甘えてるだけじゃない………」 「俺の先生役であるお前なら、分かるだろ」 「わかんない。わかんないよ」 小さな肩が震え出す。 でもそいつを止める権利が、俺にはない。 ふいに、冬の屋上で朝比奈さんに言われた言葉が蘇る。 ――このままその大学を目指せば、キョンくんと涼宮さんの関係は破綻することになるわ―― こういうことだったんですね、朝比奈さん。あなたには、この結末が視えていた。 深く息を吐いて、その記憶を、彼女の最後の科白と共に閉じこめる。 俺は言った。 「なぁハルヒ。俺の志望校変更を、認めてくれないか」 473 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/23(月) 22:44:47.15 ID:CuvXloYV0 返事は案の定、 「イヤよ」 の一言のみ。デジャビュが襲う。 そういえば一年前、俺が予備校通いを認めてくれと頼んだ時も、 ハルヒは頑として受け付けなかったんだよなぁ。 あの時からハルヒは成長したが、やはり時間と共に移ろわない部分もある。 俺と離ればなれになりたくない。 それが過去と現在のハルヒにおける共通項だ。 おっと、別に思い上がっているわけじゃないぜ。 いくら鈍感で昼行灯で朴念仁な馬鹿野郎でも、三年も一緒に過ごせばコレに気づかない道理はないだろ? 「諦めて欲しくないお前の気持ちは分かるし、嬉しい。  でも、たとえ大学が違っても、」 「やだったらやだ……!」 小さな、それでいて感情の籠った声に顔を上げた。 ハルヒはいよいよ感情的になっていた。 大きな瞳が、ウサギのそれみたいに真っ赤に充血している。 「酷いわ……どうして今になってそんなこと言うのよっ。  信じてたのに……一緒に頑張ろうって、約束したじゃない……」 「だから、俺たちは頑張ったじゃないか。  お前は一生懸命俺に勉強を教えてくれたし、俺もそれに応えようとした。  けど、届かなかった。これ以上は、どうしようもない」 490 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/23(月) 23:08:37.07 ID:CuvXloYV0 「そんなことないっ!」 「じゃあお前は、俺にどうしろって言うんだよ!」 ハルヒの駄々っ子のような言葉の応酬に だんだん感情的になっていくのを、俺は冷静に感じていた。 このままでは、修復できない亀裂が生まれてしまう。 そんな予感があった。そしてその予感は、 「――お前に俺の気持ちなんてわかんねぇだろ」 「どういう意味よ!」 「最初から賢かったお前には、俺がどれだけ苦しい思いして、  ここまでやってきたかわかんねぇって言ってんだよ。  その証拠が今日のクリスマスパーティだ」 「か、勘違いしないで。あたしが今日クリスマスパーティをしようと思ったのは、」 「悠長すぎるんだよ、お前はな。昨日、メールを見て分かったよ。  努力じゃ埋められない溝はあるんだ。  ……俺は、お前と一緒の大学には行けない」 束の間の静寂。 呼吸の音でさえうるさく感じる部屋に、やがて、鼻を啜る音と一緒に声が響いた。 「………帰って」 空っぽの鞄を手に立ち上がる。 頭の中は不思議なほど真っ白で、別れの言葉が見当たらなかった。 静かに、玄関から外に出る。空から、しんしんと雪が降っていた。 ――これで、良かったんだよな。 イルミネーションで彩られた街の中、俺は一人きりで帰路を歩んだ。 510 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/23(月) 23:25:28.81 ID:CuvXloYV0 帰宅してからは、一切勉強が手に着かなかった。 ここまで突っ走ってきた分の反動が、一度に押し寄せてきたのかもしれない。 リビングで、久しくニュース以外の番組を見ていなかったTVをつける。 全然おもしろくなかった。 俺が勉学に没頭している間にバラエティの趣向は様変わりしていたし、 気に入っていた番組も、新聞のTV欄を見ると打ち切られているのがいくつかあった。 この話だけでも、俺がどれだけ受験勉強に打ち込んでいたかが分かるだろう。 西日の赤が部屋にに満ち始めた頃、妹が帰ってきた。 背中に声が投げかけられる。 「あれれー、なんでキョンくんが家にいるの?  ハルにゃんの家で勉強してるはずでしょ〜?」 「今日から、別々に勉強することになったんだ。んで今は休憩中だ」 「ふぅ〜ん……」 妹は数拍おいてから、 「喧嘩したの?」 やれやれ。 女の勘はよく当たるというが、妹に洞察されるとは、俺もヤキがまわってきたということか。 「うるさい。中学生はさっさと宿題して寝ろ」 「今日は宿題出てないもんねー」 516 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/23(月) 23:36:41.85 ID:CuvXloYV0 まるで俺を小馬鹿にするように、 鼻歌を歌いながら階段を上っていく妹。 でも、俺はそれがこいつなりの気遣いだということを知っている。 その晩、帰ってきた親父とお袋も含めて、誰も俺にハルヒとのことは尋ねなかった。 まったく。 弄れるときは散々弄るくせに、本当に荒んでいるときにそっとしておいてくれるとは、つくづく、出来た家族だね。 夕食が終ってから、俺は二階に上がった。 流石にいつまでも自棄になってはいられないので、 一ヶ月前に使っていた低難易度の問題集を開いた――その時だった。 Purururu,Purururu.... 携帯が震える。俺はすぐさまフラップを開いた。 その刹那、ハルヒの文字を期待した自分がどうしようもなく情けない。 果たして電話を寄越したのは、古泉だった。 551 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/24(火) 00:25:29.12 ID:Cs6vxoHT0 「こんな時間にどうした」 わざと冷たい調子で言ってみる。 すると古泉は気分を害した風もなく、 「こんばんは。  婉曲な言い回しは避けますのでご安心を。  明日の朝9:00に、駅前の喫茶店の"いつも"の場所に来ていただけませんか。  お話があります。  予め言っておくと、閉鎖空間は発生していません。  ですから、あなたが明日姿を見せるか見せないかは、あなたの自由ということです。  強制はしません。  ………それでは」 「ちょ、おい……!」 スラスラと言葉を連ねて、一方的に電話を切った。 なにが「強制はしません」、だ。 こんな電話を貰った以上は、顔を見せないわけにはいかないじゃないか。 常が平身低頭の癖に、こんな時だけ上手に出やがって……… 俺はそれから、今日の出来事を忘れたくて遮二無二知識を頭に詰め込んだ。 気づけば、夜気で肩が酷く冷えていた。 ベッドに横になると、瞬く間に睡魔が襲ってきた。 眼を瞑る。 瞼の裏側に浮かんだのは、受験に必要な知識でも数式でもなくて、 ハルヒの、今にも泣き出しそうな顔だった。 569 名前:俺はバッドエンドが好きです、でもハッピーエンドの方がもっと(ry[] 投稿日:2008/06/24(火) 00:46:15.80 ID:Cs6vxoHT0 ―――――――――――――――――――――――――――――― 今、俺は駅前の喫茶店に向かっている。 古泉の敷いたレールに乗っかってやるのは癪だが、 ここであいつを無視すれば、深く後悔するような気がしたのだ。 見慣れた街並みを通り過ぎて、駅前の駐輪場に愛車を止める。 喫茶店内に入ると、温かい懐かしさが胸に広がった。 何も、変わっていない。 店の内装も、店内から見える外の風景も、最後にきたあの日のそのままだ。 "いつも"のテーブルへのルートは、足が憶えていた。 背丈の違う、二つの人影を認める。 「よう」 と、俺は声をかけた。 「おはようございます。今か今かと待ち侘びていたんですよ」 屈託のない笑み。 「SOS団団員がこの場所に複数名集合するのは、167日ぶりになる」 済んだ琥珀色の瞳。 能力を失いつつある超能力者と、 任務の束縛から解かれた宇宙人が、そこにいた。 俺は二人の対面に座って、適当に飲み物を注文する。 外見と同様、メニューも最後に来たときから全然変わっていなかった。 584 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/24(火) 01:06:17.58 ID:Cs6vxoHT0 「それで………、俺は今から、お前らに説教されるのか?」 自分がどれだけ捻くれたことを言っているかは、重々承知しているさ。 古泉は珈琲を一口飲んだ後、 「説教?  あなたは僕たちに叱って貰いたくてここにきたのですか?  それなら、残念ながら僕たちの出る幕はありませんね」 前言撤回。捻くれ度なら、こいつの方がずっと上だった。 「ならさっさと俺をここに呼び出した理由を言え。  こちとら受験生だし、お前らだっていくら頭の出来がいいからってこの時期に余裕はないはずだろ」 古泉の代わりに長門が代弁する。 「わたしたちは、客観的事実を確認するためだけにあなたを呼び出した。  あなたは、ただわたしたちの話を聞いて、質問に答えるだけでいい。述懐は不要」 「オーケー、じゃあ手早く頼むよ」 語り手が古泉に戻る。 「単刀直入に訊きます。何故、この時期に志望校の再変更を決心されたのですか」 俺は機械的に答えた。 いくらスパートをかけたところで、及第点の獲得がほぼ絶望的であること。 受験に対するハルヒとの温度差が、顕著になってきたこと。 話が終ったあと、古泉が眼を細めて呟いた。 「なるほど、あなたは重圧に耐えかねて逃げ出したわけだ」 605 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/24(火) 01:33:54.61 ID:Cs6vxoHT0 「なんだと………!!」 「あなたの極めて"客体的な"お話を聞いて、確信しましたよ。  今し方言ったことに虚偽はありません。  あなたは1%の可能性を捨てて安易な道を選んだ。違いますか?」 この涼しい顔面を殴り飛ばしたい衝動に駆られる。 ただ、この場所で面倒事を起こしたくなかったので耐えた。 でも何故、こいつにここまで嫌味を言われなければならないんだ? 「俺自身が、悩みに悩んで決めたことだ。文句を言われる筋合いはない。  それにお前は、お前らは、俺がどれだけ刻苦してきたか知らないだろう」 どんなに言葉で表現しても、経験は完全に共有できない。 元々学のない俺が、周囲との差を、ひいてはハルヒとの差を埋めるのに どれ程努力したか、俺以外の人間には、誰にも分かるはずがないんだ。 「本気でそうお考えですか?」 古泉が、ペルソナを外した失望の表情で言う。 「あなたの懊悩を、あなた以外の誰も理解していないと?」 一瞬ハルヒの姿が浮かんだが、俺はそれを無理矢理に掻き消した。 あいつだって、俺のことを分かっていない。 無理に自分の我侭を俺に押し付けて、挙げ句、受験前だというのにクリスマスに浮かれていた―― 「あなたは大きな誤解している。今のあなたは、とても愚か」 細くてよく通る声。 なんだ長門、お前まで俺を責めるのか? 四面楚歌の完成だな。 637 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/24(火) 02:03:57.85 ID:Cs6vxoHT0 「涼宮ハルヒが、あなたと同じ大学に進学したいと望んでいたのは、あなたも知っているはず」 「ああ」 「でも初めから彼女は、あなたに志望校の同調を求めなかった」 何故だか分かる? と長門が俺を見据える。 底の見えない瞳に、吸い込まれるような錯覚がした。 「さあな、考えたこともなかったよ」 「彼女にとっての最優先の目的は、あなたの進学をサポートすること。  同じ大学に進むのは、あくまで二の次。  しかし、彼女の予想を上回って学力が向上したあなたを見て、彼女は志望校変更を持ちかけることを決断した」 あの日曜日のことを反芻する。 思い詰めたハルヒの表情は、今でも鮮明に思い描くことができた。 心が揺らぎそうになる。 俺は心にもないことを口にした。 「決断? ただの我侭だろう。  レベルのかけ離れた俺を、自分のために最難関レベルまで引っ張ってきたんだ」 「…………違う」 静かな否定。 俺が気圧されるほどに、長門は、怒っていた。 「それは、とても危ない綱渡りだった。  よく思い出して。彼女があなたと机を共にしていたとき、彼女は常にあなたの進捗状況を意識していたはず。  あなたの成績が幾何級数的に向上したのは、彼女があなたに尽くしていたから。  しかしそれは同時に、彼女自身の勉強時間を削っていた。  それでも彼女は両立を続けた。常人なら、まず間違いなく不可能な芸当。  特にあなたが志望校を変更してからは、彼女の私的な勉強時間は更に減っていた」 663 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/06/24(火) 02:39:13.10 ID:Cs6vxoHT0 火照っていた思考が、冷や水を浴びせかけられたみたいに冷たくなる。 ハルヒは、俺の所為で自分の勉強が疎かになっていることを、おくびにも出さなかった。 馬鹿じゃねえのか。俺を一緒の大学に合格させたいがために、そこまでするかよ、フツー。 そんなんで自分の受験が危うくなったら、どうするつもりだったんだよ。 「昨日のクリスマスパーティにしても、れっきとした理由が存在する。  彼女は、あなたが過酷な受験勉強でストレスを蓄積していることを知っていた。彼女は、それを解消したかった」 「じゃあ、わざわざ自分でケーキを作ったのも……」 「そう。一時でも、あなたの気分転換になればと思って企画したこと。  彼女は電話で、あなたが精神的に疲弊していることをわたしに話してくれた。  わたしはその時、特に何も意見しなかった。  でも、今となっては、あなたに誤解を与える可能性があることを、彼女に話しておくべきだったと思う」 昨日、ハルヒはどんな気持ちで俺を家に迎え入れてくれたんだろう。 そして形だけのクリスマスプレゼントを押し付け、 唐突に志望校再変更を切り出した俺を、ハルヒはどう思ったのだろう。 あの時、ハルヒはただただ俺の決心を否定するばかりだったが、 同時に恩着せがましいことは一言も口にしたりしなかった。 あれほどの時間を割いてまで勉強を教えた相手に、 「志望校のランクは落とすし、これからは一人で勉強する」 とまで言われたら、普通は激怒するだろう。 俺のよく知るハルヒなら、メモリがパンクするくらいメールを送ってくるはずだ。 でも、現実はそうじゃない。 俺の携帯は静かなもんで、昨日からハルヒは一度も連絡を取ろうとしてこない。 この期に及んで「どうして?」は、愚問だ。 あいつはきっと半分くらい、俺の志望校変更を受け止めてくれている。 ハルヒが我侭だって? はん、選択していたのは、いつも俺じゃないか。 いったい誰があいつを、そんなに主体性のない人間にした? 716 名前:特別投下 涼宮ハルヒの落胆[] 投稿日:2008/06/24(火) 21:27:52.54 ID:eljm1xgo 「それで」 それまで俺と長門の遣り取りを傍観していた古泉が言った。 「まだあなたは、自分の懊悩を誰も理解していないと仰るおつもりですか」 「……………」 俺は無視した。 こいつ、絶対俺の心情を知った上で言ってやがる。 「言葉は不要、ですね。  あなたは過去を反芻し、それを踏まえた上であなたなりの判断、行動ができる人だ」 「そいつは買い被りすぎだぜ、古泉。  俺はまだあいつと仲直りするとは、」 「おや、僕は一言もそのようなことを口にした憶えがないのですが」 顔が熱を帯びるのを感じた。 どうせ気色の悪いニヤニヤ笑いを浮かべているに違いない―― そんな予感と共に古泉を睨め付ける。 果たして、古泉が浮かべていたのは嘲笑でも失笑でもなくて、 まるで深い安堵を体現するような、穏やかな笑顔だった。 そして古泉は、突然謝罪した。 「あなたを試すような真似をして、申し訳ありませんでした。  酷な仕打ちと知りながら、ともすればあなたを深く傷つけてしまうかもしれないと思いながらも、  僕は、どうしても彼女の気持ちが無駄になることが、  あなたがあのような形で失意することが、許せなかった。  余計なお世話だ、と言われればそれまでです。  しかし、僕は機関からの派遣員であると同時に、あなたたちの友人でもあるつもりだ」 「感動的な科白だな。  その割には冒頭じゃ随分と酷いこと言ってくれたじゃねえか」 「その点については、完全なる僕の失態です。  あなたのあまりに自分本位な説明に、つい、感情的になってしまいました」 おどけた風もなく、ふざけた風もなく、深々と頭を下げる古泉。 卑怯者め、今更になってマジに謝るんじゃねーよ。 あんなに喉元まで迫り上がってた溜飲が、下がっちまったじゃねえか。 721 名前:本日、六月二十四日は全世界的に、UFOの日です[] 投稿日:2008/06/24(火) 22:04:17.25 ID:eljm1xgo 「あー、もうなんとも思ってないから頭上げろ。いつまでそうしてるつもりだ」 おずおずと頭を上げる古泉。 慣れないことをされるのは、あまり気分のいいものじゃない。 それにしても、この古泉を感情的にさせる程に、 俺の話は自分本位極まりない物であったらしい。 でも、それは仕方のないことなんじゃないのか、と思う。 俺はたった今長門から色々聞かされるまで、まるっきり違う考え方をしていた。 プレッシャーに押し潰されそうで、周りに気を遣うことができなかった。 だから、俺がハルヒのことを分かってやれなかったのも、不可抗力で、 そこまで考えて、朝比奈さんの科白を思い出す。 ――キョンくんが悩んでいるときに、キョンくんの傍にいる人も、同じくらいに悩んでいることを忘れないで―― 俺に何が欠けていたのか、彼女は教えてくれていた。 受験の所為で周囲を気遣えない? 受験の所為で気遣ってもらえて当然? そんなの、ただの甘えじゃないか。 俺は隣の窓ガラスに深々と溜息を吐いた。 広がる白の大きさが、後悔の度合をそのまま表しているようだった。 ……さあ、そろそろ行こう。 飲み物代を置いて、コートを羽織る。古泉が訊いてきた。 「お帰りですか」 「ああ、ちょっと行くところができた」 俺は無性に気恥ずかしくなる。 それと対比するように、アルカイックスマイルが復活した。 「でも勘違いするんじゃないぞ。  俺はあくまで、自分の気持ちに整理をつけに行くだけだ。  それからの身の振り方は、そこで決める」 「大いに結構ですよ。  あなたがこれから向かう場所で、あなたがどのような選択をするかは神のみぞ知る、だ。  文字通りの意味でね」 727 名前:本日、六月二十四日は全世界的に、UFOの日です[] 投稿日:2008/06/24(火) 22:53:37.66 ID:eljm1xgo いちいち反論していてもキリがない。 そう判断して、俺は既に答えの見えている質問をいくつかすることにする。 「ハルヒのやつも強情だよな。  大学が違ったところで今生の別れというわけじゃないんだぜ。  そんなに俺と一緒の大学に進学したいなら、俺の志望校に合わせりゃよかったのによ」 「彼女自身の矜持が許容しなかったのでしょう。  そんなことをすれば、彼女の心の内は明かされたも同然ですからね」 「じゃあ、今となっちゃあ意味のない問いだけどさ。  俺の受験勉強に、ハルヒの能力が干渉していた可能性はあるのか」 「元々彼女の能力が減衰してきていたことに加え、彼女は、あなたを独力で合格させたいと願っていた。  とりもなおさず、あなたの現在の学力は、あなたの努力とと彼女の尽力によって培われたものだと言うことです」 「なるほどね。それじゃあ、これは最後の質問なんだが」 俺は大真面目な顔をして訊いた。 なぁに、ちょっとした意趣返しだ。 「機関のコネを使って、あの大学に入学することは可能なのか?」 古泉は分かり易く顔を歪めて、 「現実問題としては可能ですが、しかし………。  そのような方法で入学したが最後、  キャンパスライフを心から愉しむことができるとは思えません」 「はは、冗談だよ」 腰を上げる。 並んだ長門と古泉の顔を眺めると、土曜に特別活動をしていた頃の記憶が蘇った。 次にここで集まるのは、受験が終わってからだな。 「じゃあ、そろそろ行くわ」 「待って」 長門の呼び止めに、足を留める。 「彼女の情緒は、今現在とても不安定。  あなたとの接触を拒む可能性が十二分に考えられる」 なんでぇ、そんなことかよ。俺はさらりと言ってやった。 「心配すんな。  ――俺が、どれだけあいつと一緒にいたと思ってる」 747 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/06/25(水) 00:56:45.75 ID:zhlC2xko ―――――――――――――――――――――――――――――― その後、俺は駐輪所に戻って愛車に跨り、ハルヒの家に向かった。 今の俺は手ぶら、つまり単身での特攻というわけだ。 12月の下旬だというのに、不思議と寒くなかった。 昨夜粉 雪を撒いていた鈍色の雲から、幾条もの天使の梯子が降りている。 ハルヒの家の前に立つと、随分久しぶりな感じがした。 インターホンを押す。 「いらっしゃい」 と快く迎えてくれたハルヒのお母さんは、何もかも知っているようだった。 昨日勝手に帰った理由や、こんな時間にやってきた理由も尋ねずに俺を案内すると、 「あの子、昨日からずっと鬱ぎ込んだままなの。  でも、きっとあなたなら、部屋に入っても大丈夫だと思うわ」 ハルヒそっくりの笑顔を残して、階段を下りていった。 ドアの前で、深呼吸する。 本音を言えば、俺は自分の身勝手さを反省した上でも、志望校を固めることができずにいた。 いや、自信がなかった、という方が正鵠を射ているだろう。 勇気と無鉄砲は別物だ。 俺の今の学力ではあの大学は絶望的で、合格できる確率は1%かそこらで…… それこそ、あの大学を諦めるファクターは枚挙に暇がない。 でも、それでも俺がここに立っているのは、 ハルヒに抱いた誤解を、謝罪したいからだけではないとも思う。 けじめをつけるため、ちゃんとした答えを出すために、俺はここにいる。 ドアを開けた。 カーテンの隙間から差し込んだ冬の陽の光で、部屋はうすぼんやりと明るかった。 そして、見慣れた光景の端っこで、ハルヒが机に突っ伏していた。 ……暗いな。 見ているこっちが憂鬱になりそうな雰囲気を醸してやがる。 まあ、こうなる原因を作ったのは俺なわけだが。 761 名前:今日は夜無理なので、今のうちに少しだけ[] 投稿日:2008/06/25(水) 17:28:40.43 ID:zhlC2xko 「誰なの?」 長い髪に埋もれた部分から、鬱陶しそうな声がした。 「勝手に入ってこないでって言ってるじゃない」 「俺だ。いつもノックしないで入ってたから、大丈夫かな、と思ってたんだが。  勝手に入って悪かったな」 「え? キョン……!?」 飛び起きるハルヒ。 俺の眼に映ったハルヒの顔は、まるで徹夜明けのように疲れ切っていた。 眼は僅かに充血していて、肌には瑞々しさがない。 こいつの眼には、俺はどう映っているんだろう。 そんな疑問が浮かんだときだった。 誰にでも分かるような攻撃的な物言いで、 「わ、忘れ物でも取りに来たの?  それなら早く持って行きなさいよね。  あたしは、受験勉強で忙しいんだから」 ハルヒが俺から顔を背ける。 他人事みたいに、まるで同棲が破綻してしばらくした後のカップルみたいだな、と思う。 「そう突っかかるなよ」 俺はベッドに腰を下ろして、 「なあ。俺に5分だけ時間をくれないか。  その間、黙って俺の話を聞いていて欲しい。  自己満足だってことは分かってるし、何を今更って思われても仕方ないけど、  それでも……、それでも、俺はお前に謝りたい」 767 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/06/25(水) 18:10:12.06 ID:zhlC2xko 垂れた髪で、ハルヒの表情は窺えない。 ただ、膝に置かれた両手が、ぎゅっと握りしめられたのが見えた。 俺は、沈黙を肯定と受け取ることにした。 そうでもしないと、俺たちはいつまでたってもこのままだろうからな。 「まず一つ。  今までお前に報いてやれなくて、ごめん。  無償で毎日、自分の時間削ってでまで俺の勉強に付き合ってくれて……  なのに俺は、それを当たり前のことだと思ってた。  上辺だけの感謝だけで事足りると、そう思いこんでた。  本当は、どれだけお前に「ありがとう」って言っても足りないのにな」 ハルヒは天才じゃない。 こいつがいつもトップクラスの成績を維持できていたのは、 平凡よりもちょっと上の才能に、堅実に努力を重ねていたからだ。 俺の勉強を見出してから、ハルヒの勉強時間は確実に減っていたはず。 その上で成績を維持するには、一体、どれほどの苦労が要ったのだろう。想像もできない。 「二つ目に、自分のことばっか考えててごめん。  受験のプレッシャーで押し潰されそうで、周りが見えなくなって、  お前の気遣いにも気づかないで、悩んでるのは俺一人だけだと思ってた。  でも、俺と同じくらい、お前だって受験のプレッシャーを感じてたはずだ」 つくづく感心するね。 どこを見渡しても受験生なんて自分のことで精一杯なのに、 ハルヒは俺を、学力的にも精神的にもサポートしようとしてくれていた。 狭量な誰かさんとは大違いだ。 「三つ目。これで最後になるが……。  実力が届かなかったのは全部俺の所為なのに、八つ当りしてごめん。  酷いこと言ったよな、俺。  お前はあれ以上にないほど、頑張ってくれてた。  赤ん坊みたいに享受してただけの俺には、最初から文句を言う資格なんてなかった。  だから……ごめん。本当に、ごめんな」 806 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/06/28(土) 01:54:07.56 ID:D8R1tTAo 「……どうして今になってそんなこと言うのよ」 ハルヒの声は震えていた。 「え?」 「あんたがどんなに謝ったところで、  もう一度、大学を考え直してくれるわけじゃないんでしょう?  なのに、そんなこと言われたら、  あんたを怒ることができなくなったじゃない……」 俺は項垂れる。 ハルヒの言っていることは、もっともだった。 今日ハルヒの家を訪れて、ごめんなさいと謝るのは、要は俺の自慰に過ぎないのだ。 謝罪したからといって、もう一度ハルヒと同じ大学を受験する踏ん切りがつくわけじゃない。 現実は変わらない。 その大学に俺が合格する確率はそれこそ1%に満つるか満たないかで、 一般常識に当てはめれば、俺はリスクが少ない堅実な受験をすべきだ。 でも――、 814 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/06/28(土) 21:42:37.01 ID:D8R1tTAo 「………なの」 「え?」 「あたし、キョンと同じ大学じゃなきゃダメなの」 俺はそのとき、ハルヒの顔に覆い被さった髪の間に、濡れた瞳を見た。 反則だろ。 出会ってからこれまで一度も見たことのなかった涙が、こうもあっけなく流れるなんて。 「本当はもう、言うつもりなんてなかった。  勉強に集中して、時間が経てば、自然と諦められると思ってた。  でも、あんたを目の前にしたら、そんなの全部意味がなくなっちゃったの。  だから言うわ。  ……ねぇ、お願い。  あたしと同じ大学を受験して。  あたしは、あんたと離ればなれの大学生活なんて考えられないの」 嗚咽が聞こえる。 すると俺は無条件に、それを止めてやろう、と思えたのだった。 ああ。昔からこうだった。 ハルヒが人の迷惑を考えず言いたい放題言って、俺がご機嫌をとるために骨を折る――。 最初は嫌々、しばらくすると慣れてきて、今やそれが当たり前の日常。 「……、………・」 しかも今回は、一生に一度拝めるか拝めないかの、涙混じりの懇願ときてる。 加えて、最後には聞いてるこっちが恥ずかしい科白も聞こえた気がするしな。 あの無駄にプライドの高いハルヒがだぜ? これで心が揺れ動かないほうがおかしいね。 もしこの涙が打算的なものだったとしても、俺の気持ちは変わらない。 だって俺は、もうとっくの昔に、こうなることを運命付けられていたのだろうから。 「………ごめんなさい、……みっともないとこ見せちゃって……」 眼を擦るハルヒ。 俺はその前まで行って、そして机の上に何かが光っているのを見つけた。 ネックレスだった。 馬鹿だな、アクセサリーは眺めるもんじゃない。つけなきゃ意味がないんだぞ。 817 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/06/28(土) 22:30:34.41 ID:D8R1tTAo 「ほら、ちょっと顔上げろ」 ネックレスを手にとって、ハルヒの細い首に回す。 「………あ」 耳元で、なんだか妖しい吐息が漏れた。 何をされているのか、まだ分かっていない御様子だ。 俺は留め具と悪戦苦闘しながら囁いた。 「よくよく考えれば、俺もお前と一緒なんだよな。  何のための大学だ、って教育関係者諸々の方々にお叱り受けそうだけどさ、  俺一人の大学なんて退屈ばかりで、つまらないに違いないんだ。  お前がいなきゃ、意味がない」 「……キョン」 「だから、仕方ないからお前と同じ大学を受けることにする。  いいか、これはお前の我侭とかお願いとか関係ない。  俺の意志だ」 中々留め具が噛み合わない。つくづく、自分の不器用さが情けないね。 832 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/06/29(日) 20:23:11.49 ID:ThXIb9go 「そこで、お前に頼み事があるんだが………」 ハルヒが、思い出したように洟を啜る。 何の拍子か留め具が止まった。体を離して、ハルヒと向き合う。 あーあ、可愛い顔が涙でぐちゃぐちゃじゃねえか。 俺は続きを言った。 「俺に、勉強を教えてくれないか。  生憎その大学は偏差値が滅茶苦茶な高さでさ、俺一人の力じゃ到底合格できそうにないんだ。  だから、これからの一ヶ月、つきっきりで―――」 が、まだ科白の途中であるにも関わらず、 「ありがと……、ほんとに、無理言ってごめんね」 ハルヒの頭が、顔のすぐ下に移動していた。 気の早い奴である。 しかし昨日の喧嘩別れからこっち、俺がハルヒと仲直りしたかったのも事実なので、 ハルヒの背中を撫でてやることはやぶさかでない。 きちんと手入れされた髪は、一本一本梳ったように滑らかで、 また姿勢の関係もあって、ハルヒの白い項がよく見えた。 あれ、俺は一体どんな経緯で、こんな美味しい状況にまで至ったんだ? 「ありがとう、本当にありがとう……」 譫言のようにありがとうを口にして、やがて、ハルヒが顔を上げる。 その距離、目測にして約18cm。 潤んだ瞳はどこまでも大きくて、映った俺の瞳に映ったハルヒまで、見えるような気がした。 なんとなく、言葉を失う。 しかし何故か、俺は言葉のついでに体の制御も失ってしまい―― 「だ、だめっ」 顔を近づけようとして、見事に空振りしていた。 844 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/06/29(日) 22:29:40.68 ID:ThXIb9go 二重の意味でショックを受ける。 こんな時に調子に乗ってしまった自分と、突然だったとはいえ俺を拒んだハルヒに。 「なんで……」 いや、そこは「なんで」じゃないだろう、俺。 痛いほどの後悔に苛まれる。 リンゴみたいに顔を紅潮させたハルヒが、口を開いた。 「だってあたしたち、まだ受験生でしょ。  そういうのは、その、全部終ってからにして欲しいの……」 「そっ、そうだよな。  今はこんなことに現を抜かしてる場合じゃないよな……って」 それはつまり、何もかもが終わった後は、OKってこと? コクリ。長門みたいに、ハルヒが頷いた。 口の中が、砂でも詰め込んだみたいにカラカラになる。 ――おいキョン、これはいよいよマジに合格しなくちゃいけなくなったみたいだぜ。 頭の中で、意地の悪い声がした。 いつもなら無視するところが、今回は同意する他なかった。 俺はハルヒの頭に手を置いて、 「さて、一旦家に戻るとするよ。  参考書やら問集やら、色々もってこなくちゃ」 まともに目を合わせることができない。 完全に受験モードに切り替わるまでは、あともう少しだけ時間がかかりそうだ。 踵を返す。と、その時、 「ちょっと待って。  あたし、あんたに渡し忘れてたものがあるの――」 902 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/07/03(木) 23:10:57.23 ID:dastpB2o 外に出ると、ちらほら雪が降っていた。 受験に対する不安は、いつの間にやら消え失せていた。 俺の今の学力は絶望的で、 機関のコネクションは使えなくて、 ハルヒの能力は衰えていて、奇蹟が起こる見込みはない。 けど、だから何だ、と俺は思えるようになったのだった。 いつだって、奇蹟を起こすのはハルヒだった。 それはあいつが、その奇蹟の実現を本気で願っていたから。 ただ傍観していただけの俺には、奇蹟は転がってくるどころか、むしろ遠ざかっていただろう。 でも、今度は違う。 眦を決した以上は、どんなに絶望的でも、どんなに不可能だと笑われても、絶対に合格証書を手に入れてやる――。 コート越しに吹き付ける風は、とんでもなく冷たかった。 それでも、首を竦めるだけで俺は温かさを感じることができた。 何故かって? ハルヒお手製マフラーのお陰さ。 ちなみに付属のクリスマスカードにはこんなことが書いてあった。 『風邪ひいたら許さないから』 脅迫状かよ。婉曲な気遣いは誤解の素だってのに……。 でもまあ、それと同じくらい俺も素直じゃないことは自覚していたので、 俺は頬を緩めつつ、白いカーテンのかかったような街を歩く。 クリスマスを終えた街並みは、イルミネーションの光を失って、どこかくすんで見えた。 深く首をマフラーに埋める。 今頃、古泉と長門はしたり顔で微笑んでいるのだろうか。 遠くの、或いは近い未来で、朝比奈さんは何を想っているのだろうか。 俺の選択は、どの結末に繋がっているのだろう―― 俺は少しだけ不安になって、やがてそんなことよりも先に解決しなければならない障害に思い当たった。 家に帰れば、ほぼ必然的に妹と顔を合わすことになる。 いそいそと勉強道具を鞄に詰め、再び外出する兄を、あいつが黙って見逃すはずがない。 散々弄り倒されるんだろうな……。 憂鬱になった。しかし、昨夜「これからは別々に勉強する」と断言した手前、 また元通りになった経緯を説明しないわけにもいくまい。 適当に誤魔化せるほど、妹はもう幼くないのだった。 ふと、唇の隙間から、吐く息と一緒に言葉が転がり出た。 それは珍しくともなんともないMy常套句だったが、このときに限っては、色んな意味が籠められていたように思う。 どこまでも我侭なハルヒに。 挫折した昨日の俺自身に。 一瞬で心変えた今日の自分に。 そして、恐ろしく密度が高くなるに違いないこの先の一ヶ月を想って、俺は言った。 「………やれやれ」 927 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/07/05(土) 02:14:25.10 ID:smloiGso 俺が最初に後悔したのはこの大学がえらく自宅から離れていることで、 春だってのに大混雑の急行電車内で大汗をかきつつ 早朝出勤しているサラリーマンの苦悩をいやいや体験している最中であった。 これから最低四年間も毎日こんな満員電車に揺られなけりゃならんのかと思うと暗澹たる気分になるのだが、 ひょっとしたらこれが俺の起こした奇蹟の代償の一つであるのかもしれず、 ならば呼吸するスペースがあるだけでも感謝すべきだし文句を垂れる権利なんて俺にはないか、と考えたりもするものの、 隣で漆黒のスーツに身を固めている澄まし顔の美女が、 俺の突っ張った両腕の庇護の許で悠々と窓外に視線を遊ばせ、 時折俺に悪戯っぽく微笑むのを見ているとそんな理屈で納得するのは到底不可能で、 しかし結局、俺は毎朝このような理不尽極まりない通学風景を描かねばならないのだろうと諦観し暗澹たる気分が倍加した―― なんて、な。 一時間前の回想を三年前の高校入学式のモノローグに似せてみたが、どうも今の俺にはしっくりこなかった。 婉曲な言い回しに嫌気が差したのか。或いは単に、面倒くさがりになったからか。 そこら辺は自分でも分からない。 ただ、どっちにしろ、今の気持ちを表すには一言で十分だった。 俺は今、最高に満ち足りている。 それは前後左右に着席しているやつらも同じみたいで、退屈な学長のお話にも笑みさえ浮かべて耳を傾けられた。 ――あいつはどうしているだろうか。 目だけを動かして探してみるものの、ほぼ同じ服装で同年代の人間が大量にいるのだ、 そう簡単に見つかるはずがない。俺は他の人の迷惑にならないよう、大人しくしていた。 粛々と式は進み、最後に学長が締めくくって、入学式は終わった。 947 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/07/06(日) 00:18:10.99 ID:3NAB03oo 講堂から出ると、正面広場では早くもサークルの勧誘が始まっていた。 屈強な躰の男が話しかけてきたが(勝手な想像だがラグビー部かもしれん)、会釈一つでその場を離れた。 大学生活といえばサークル活動だが、俺の一存では決められない。 悲しいかな、この先四年間の選択権はあいつが握っているのである。 見渡す限りの人波。 騒々しいほどの喧噪を透して、俺はあいつを探した。 講堂を出た順番が俺よりも先だったとはいえ、 まだ右も左も分からぬ大学構内でそう遠くに行ったとは思えない。 思えないのだが、あいつの姿は見当たらなかった。待ち合わせ場所を決めていなかったことが悔やまれる。 仕方なく、俺は携帯で連絡をとることにした。その時だった。 『――こっち――』 声が聞こえた気がして、その方向に視線を移す。 立ち並ぶ桜。その中でも一際大きな樹の下で、黒のスーツに身を固めたハルヒが、大きく手を振っている。 ……ああ、そんなところにいたのか。 俺が気が付いたことにハルヒも気が付いたのか、満面の笑みが浮かんだ。 唇が動く。俺に読唇術の心得はないが、言っていることはなんとなく想像できた。 歩を進める。 人混みの間隙を抜って、大樹の許へと向かう。 初めに、何を話そう。 この気持ちを、どう伝えればいいのだろう。 俺は一頻り悩んでから、至って変哲のない結論を出した。 あの冬の日の約束を果たそう。 それは、幾千の感謝の言葉にも勝るに違いないだろうから。 それは、今まで曖昧に、蒙昧にしてきた俺の気持ちの、確かな意志表示でもあるから。 「――ハルヒ」 距離が近づく。 蒼穹から差した陽光に、桜の花片がきらきらと反射している。 一陣の風が吹く。 花片と一緒に、長い黒髪が凪がれる。 細い指が、髪を耳にかける。 その隙をついて。 「ありがとう」 俺は、そっと桜唇に口吻した。 涼宮ハルヒの落胆 終わり 950 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/07/06(日) 00:24:41.27 ID:3NAB03oo 落胆終わった 選択読みたいーって人には、寄り道してごめんなさい ちなみに今少し酔ってます 今日はこれにて終ります 明日から選択再開 淫夢まであと少し! 追記 宮部みゆきの新作「ICO」読んだけど面白かったよ 原作のゲームはやったことないんだけど、 滑らかな情景描写と、生き生きとした比喩が素晴らしいかったです