古泉「笑ってください」


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1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:01:03.84 ID:cF0Yh7fm0


街中に飾られていた『Merry X'mas』の電飾もすっかり見なくなり、冷たく氷のような風が吹く今はもう冬の本番だ。
いつもの坂道を登りながら、俺は背中をつつかれたダンゴムシよろしく体を丸め、白い溜め息を付いた。
冬って言うのはどうしてこう気が滅入るのか。まったく、春の陽射しが待ち遠しいね。

外よりは気持ち程度に暖かい校舎に入り、靴を履き替えすぐさま教室に駆け込む――予定だった。

上履きの上に置かれた、見覚えのあるその封筒を見るまでは。


嫌な予感がする。というか、それしかしない。
去年のバレンタイン辺りにデジャブを感じつつ、俺は急いでトイレに駆け込み、谷口のナンパ結果ぐらい容易に想像の付く差出人から送られたその手紙を開いた。

『今日の夜九時、涼宮さんと朝比奈みくると共に光陽園駅前公園に来てください。

PS:必ず制服を着て来てください』


俺、絶句。
字体やファンシーな封筒などの数々の傍証を鑑みるに、差出人は朝比奈さん(大)で間違いないだろう。それはもういい。全く、慣れっていうのは恐ろしいもんだな。
ここで気になるのは『涼宮』という文字だ。ハルヒ? 何故だ? というか、一番関わっちゃいけないヤツじゃないのか、それ。
ハルヒを呼び出して、おそらくする事は一つだろう。俺達の切り札――ジョン・スミスの事を言う。
それでも、今は切り札を使わなければいけない時か?
ここ最近はそんなハルヒの力が必要な事も起こってないし、どちらかと言えば平和なほうだった。そうさ、言う必要なんて全くない。

始業のチャイムが鳴っても、俺はずっとそこで立ち呆けていた。

――どういう事だ、朝比奈さん(大)。



3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:04:05.14 ID:cF0Yh7fm0



教室に戻る頃には少し考える余裕も出てきた俺は席につき、体裁を装うために教科書を開け、無い脳みそをフル回転させていた。
ページをめくったり、黒板にチョークで書いたりする眠りを誘うような音も、今日ばっかりは無意味だ。
なんせ俺の意識は、時をかけてきたこの一枚に集中されていたんだからな。

とりあえず、何か助言が欲しい。
この手紙では『朝比奈みくる』と書かれていたので、朝比奈さんにこの手紙は見せても大丈夫だろう。駄目なら手紙には『わたし』と書かれているはずだ。助言が得られるかどうかは別として。

幸いな事にリミットは今夜九時だ。部室でも団活終了後でも、考える時間は十二分に残されている。
とりあえず休み時間……そうだな、昼休みあたりにでも朝比奈さんに相談しに行くか。

そこまで考えて、いまさら気づいた事があった。
そうさ、普段なら授業中に筆記用具を放り投げて考え事をしていたら、教師じゃなくても約一名が何をしているんだと聞いてくるはずだ。
後ろからシャーペンなりコンパスなりを刺してきてな。
教師が黒板に何か図形を書いているのを確認してから、俺は後ろに振りむいた。

……こりゃまた、どういう事だろうね。
そいつは不機嫌オーラを回りに散漫させながら、それでもどこかダウナーな雰囲気をまとわりつかせ、机に突っ伏していた。

涼宮ハルヒが大人しい。


5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:05:35.50 ID:cF0Yh7fm0


「おいハルヒ。どうしたんだ?」

授業終了後、俺は体だけ後ろに向かせてハルヒに問うた。
長年の経験から、どうもこれはいつもの無理難題を考えている前兆というようには見えず、どちらかというと体調不良のそれと言う感じだ。
俺の予想通り、ハルヒはアンニュイな動作で組んだ腕から目だけを覗かせた。

「別に。ちょっと気分が悪いだけよ」
「おいおい、大丈夫かよ」

熱でもあるんじゃないかとハルヒのおでこに手を当てようとするが、それをハルヒが払った。放っておいて、という意思表示だろう。痛みは人を狂暴にする。
どうやら本当に辛そうに見えたので、「しんどかったら保健室に行くなり早退するなりするんだぞ」とだけ言い、ハルヒがそれに微弱に頷くのを見届けてから俺は再び前を向いた。
もう一度手紙を見る。ハルヒがいま辛そうにしてるのも、これと関係あるんだろうか。
これの被害を受けるとしたら、古泉率いる超能力者ぐらいだろう。
なんにせよ、ハルヒがそうしているのは似合わない。団長は団長らしく、いつでも百ワットの笑顔を輝かせていて欲しいものだ。


6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:06:44.48 ID:cF0Yh7fm0




待ちに待った昼休み、大食い選手権の優勝者もびっくりの速さで弁当を掻っ込むと、文字通り呆然と俺を見ている谷口と国木田を尻目に、俺はボールを追いかける犬のごとく、朝比奈さんのいる三年の教室へと走った。
ついでにハルヒは、三時間目が終了したあたりに俺が無理やり保健室に行かせておいた事を付け加えておく。

階段を駆け上がり目的地へとたどり着くと、俺は「朝比奈さん!」と叫んだ。ポケットに、封筒を忍ばせて。
数人とお弁当を食べていた(鶴屋さんもそこにいた)朝比奈さんの百カラットの輝きを持つアーモンドのような目がぱちくりと開き、お箸でつまんでいた卵焼きがボトッと落ちた。
そのままネジが切れたロボットのように唖然としていた彼女の背中を鶴屋さんが「行ってきなよっ」と押し、何故か少し顔を赤らめながら朝比奈さんが小走りでこっちに向かってきた。もしかしたら何かを勘違いしてるのかもしれない。
そのままお弁当をご一緒したい気持ちを必死に抑えながら、俺はちょっと来てくださいと、「えっ? えっ?」と慌てる朝比奈さんを外へと連れ出した。
寒さは否めないが、ここなら誰かに聞かれる心配もないだろう。


7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:07:51.24 ID:cF0Yh7fm0


「キョ、キョンくんっ! どどどうしたんですか、いきなり……」
「すみません食事中に。少し見せたいものがあったので」

そう言うと俺はポケットの中から封筒を取り出し、朝比奈さんに渡した。
不思議そうな目でそれを受け取ると、封筒を開き文字を音読した朝比奈さんは再び固まった。朝比奈さんロボットモードだ、とくだらない事を脳の片隅で考えつつ、俺は彼女の顔色を伺う。

「……え、えええ!? どういう事ですか、これっ!!」

次第に驚愕に目を開かせ、あんぐりと口を開けた朝比奈さんが言った。やはりというか何というか、彼女は何も知らされていないらしい。

「朝、俺の下駄箱の中に入ってたんです」
「そんな……。涼宮さんもってどういう事なの……?」
「多分また未来からの手紙だと思いますが、無視する事はできませんか?」

朝比奈さんは一度俺の顔を見上げ、手紙を指でなぞると、その愛らしい顔をふるふると横に振った。

「ううん。この手紙にはコードがついてます。だからこの手紙の指示通り動かなきゃいけません。しかも、これは最優先のコードだわ。
でも、どうして……」

なるほど。やはりこの手紙にはそれが付いているのか。前に送られてきた手紙についていた、未来人の特殊な強制効果を持つ命令コード。
それから俺はひとまず朝比奈さんを落ち着かせ、手紙について意見を交わす事にした。


9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:09:08.71 ID:cF0Yh7fm0


「ここ最近で、何かハルヒについて思い当たる節はありますか? 俺が知らないところで、こんな事を言ってたとか」
「ないです。あたしからは涼宮さんはいつも通りに見えました。あの……ごめんなさい」

役に立てなくて申し訳ない、といった風に朝比奈さんが頭を下げる。
いやいや、いいんです。実際俺からもそうしか見えませんでしたから。
非力なのは俺のほうだ。なんたってこの麗しい顔を悲しみに歪めちまったんだから。

「未来からあなたに直接指示は来ていませんか?」
「えーっと、来てないです。なんにも。……え?」

朝比奈さんが少しびっくりしたように俺を見た。いや、違う。俺を通り過ぎた向こう側だ。
何かあったのもしれないと俺は瞬時に思い、首だけを後ろに向かせるが、そこには何もなかった。誰かがいたわけでもなく、ただ冷たい風に吹かれて枯れ木がさやさやと揺れているだけだ。

「どうかしましたか?」
「今……あ、ううん。なんでもないです。きっとあたしの見間違い」


結局休みが終わるまで有力な情報は出ず、俺は後ろ髪をひかれる思いで朝比奈さんと別れた。


11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:10:37.70 ID:cF0Yh7fm0



――今思えば、もう少し考えるべきだったんだろう。俺達は失念していたのだ。

リミットである今日の夜九時までの出来事は、俺達が知っているものだけではない事を。
これから何かが起こるかも知れない、という可能性の事を。



13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:12:19.14 ID:cF0Yh7fm0


どうやらハルヒは早退したらしい。
荷物をまとめ、さて部室にでも赴こうかと思った俺を岡部が引き止め、そう教えてくれた。
うん、それがいい。申し訳ないことにまた九時頃に呼び出す事になりそうだから、それまで家でゆっくり養生しといてくれ。

どうやら俺が一番乗りのようだった。大抵は俺を迎えてくれる長門がいない部室っていうのは珍しい。
ガキの頃、土曜日学校から帰ってきたら親がいなかったような寂しさを感じつつも、俺は鞄を置き、電気ストーブをつけてその前に座み手をかざした。寒い寒い。
ほどなくして朝比奈さんが来、俺は着替えの間また外に放り出される事になったが、朝比奈さんの可憐なメイド姿を拝めるなら安いもんだ。

しばらくドアの前でベランダに出されたシャミセンのように寒さに震えていると、古泉がやってきた。
微笑みを張りつかせた優男は俺の顔を見ると、ソフトキャンディーだと思って噛んだのが実は飴だった、みたいな顔をした。
なんだ、どうかしたのか。

「いえ、僕が一番だと思ったもので。朝比奈さんは着替え中ですか?」
「ああ」

俺がそう言うと、古泉は鼻の付け根からてっぺんまで指でなぞり、「ふむ」と言葉を漏らした。こいつはこいつで何か問題を抱えているんだろうか。
あの手紙の事を古泉にゲロっちまおうかと考えていると、「お待たせしましたぁ」という舌ったらずな甘い声が聞こえ、俺は蜜に引きつけられる働き蜂のようにドアの扉を開いた。


15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:14:39.26 ID:cF0Yh7fm0



しばらくしても長門は来なかった。今日は休みなんだろうか。

「どうかされたんでしょうか、長門さんは」
「さあな。ハルヒみたいに体調でも悪いのかもしれん」

もしそんな事になったら、俺はこんな風にのんびりと朝比奈印のお茶を飲んでいる場合じゃないだろうがな。ハルヒと長門。二人がいない部室はどこかすっからかんとしていて、隙間風が俺を煽った。

「涼宮さんも、無事でしょうか。ただの風邪だといいのですが」

古泉が団長の三角錐をチラっと見て、心配気な面持ちでぽつりと言葉を零した。
あいつの事だからきっと風邪菌のほうから逃げていくだろうよ。明日になればまた満面の笑顔でドアを蹴破ってくるさ。

「そうだといいんですがね」


17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:15:33.27 ID:cF0Yh7fm0


古泉は苦笑といった感じに微笑み、見当外れな場所に白のオセロを置いてから、

「前々から言っていましたが、涼宮さんの力も減少傾向にあります。
僕としては、このまま無事平穏に無くなっていって欲しいと願うところですが――」

それに反対するかのように、古泉の胸ポケットに入った携帯が震えた。

「僕の仕事も、まだまだ続くようです。全ての終わりはもう少しお預けですね」

まあ、今日のところは俺にもハルヒにも非はない。あいつも辛いだろうからな。

「承知していますよ。彼女の苦しみが少しでも楽になる事を祈っています」

古泉は片手をあげて、思わず落書きしたくなるような笑顔で「それでは」と部室を出て行った。おうよ、頑張ってこい。


19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:16:56.85 ID:cF0Yh7fm0


対戦相手がいなくなり、手持無沙汰になった俺は朝比奈さんとオセロをする事にした。

「長門さん、本当にお休みなのかなぁ?」

壁に掛けてある時計を眺めながら、朝比奈さんが呟く。さっきもしかして隣のコンピ研にいるんじゃないだろうかと思って見に行ったが、長門の姿はなかった。

「そうみたいですね。もしいたら手紙についての助言を聞きたかったんですが」

未来の自分との同期を絶っているとはいえ、長門なら何かわかるかもしれない。三人寄れば文殊の知恵って言うしな。
しばらく朝比奈さんとオセロを続け、二週目に突入した時だった。
コンコン、と丁寧なノックの音が聞こえ、俺と朝比奈さんは同時にドアに視線を寄せた。
古泉は絶賛閉鎖空間ツアーに出かけていて、ハルヒは早退。長門はそもそもノックなんぞしないので、それはつまりお客さんが来たという事だ。


20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:18:57.91 ID:cF0Yh7fm0


「どうぞ」

そう声を掛けると、「失礼します」と声が聞こえドアが開いた。
予想外の人物の訪問に、俺は暫しの間唖然とした。見覚えのある姿だった。ただし、記憶にある完璧なまでのメイド服ではなく、黒いスーツを着こなしていたが。

「森さん」
「どうも」

彼女の顔は、いつもの如才のない晴れやかな笑みではなく、まるで主人公二人のいないタイタイック船のように沈んでいた。
森さんは丁寧に一礼すると、「おおお茶淹れますね」と慌てて立ち上がる朝比奈さんを止めた。

「突然の無礼をお許しください。少し伝えたい事がございましたので」
「あの、どうかしたんですか?」

俺の言葉に、森さんは悲痛な顔を俯かせた。嫌な予感がする。


「古泉が、死にました」




22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:21:11.37 ID:cF0Yh7fm0



鼓動の音が、やけに耳に響いた。

「……へ」

意識せずに漏れた声が、緊迫した空間へと溶けていく。

そう言えば俺の高校生活は驚きの連続だった。だったっていうのはおかしいな。何しろ、朝の時間遡行の果てにやってきた手紙をはじめそれは現在進行形なのだから。
後ろの席の女子生徒が神様だったり、それを目的とする三者と奇天烈な活動を続けたり。宇宙製アンドロイドに一度は刺されかけ、二度目は遠慮なしにグサリとやられた事もあった。俺の寿命は秒刻みにすり減ってるんじゃないかと時折心配になる。
それでも、今回の爆弾はその中でも超特大だったようだ。俺では対処しきれない。
そんな俺と、今にも口から魂が抜けだしそうな朝比奈さんを一瞥し、森さんは言葉を続けた。

「閉鎖空間の処理中、古泉は神人にはじき飛ばされました。我々が駆け付けた時には既に……」

そこまで言って、唇をぐっと噛みしめた彼女の鮮やかなピンク色の唇からは鮮血が見えた。
森さんの表情は生々しかった。それは、どう考えたって後ろにドッキリ大成功の看板を隠し持っているようには見えず、それがまた俺の心を締め付けた。生憎鏡を持ちあわせていないので確認する事はできないが、俺もそんな顔をしているのかもしれない。


23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:23:48.38 ID:cF0Yh7fm0


色々なことが呆けた頭の中を駆け巡り、最後に頭をよぎったのは朝の手紙の事だった。

――ああ、もしかしたら。

古泉の死。時間遡行。切り札。願望実現能力。そこから導き出される答えは、ひとつ。


沈黙した部屋に急に携帯のバイブが響き、森さんは「失礼します」と断ってから携帯を開き、小さく溜息をこぼした。
それからまた俺達を見据え、

「お伝えしたかった事はそれだけです。わたくしは機関に戻らなければなりません。では」

再び一礼してから、どこか名残惜しそうに森さんが去った後、俺は朝比奈さんと顔を見合わせていた。


――朝比奈さん(大)、こういう事ですか?

29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:45:18.93 ID:cF0Yh7fm0




ハルヒに全てを打ち明け、それから過去――今日の中のどこかに戻り古泉を助ける。おそらくそれがこれからのシナリオだろう。
ぼんやりとそんな事を思いながら、俺は暗闇の中自転車を漕いだ。
朝比奈さんと約束したのは手紙の時間の二十分ほど前だった。ついでにハルヒにはまだ連絡をしていない。なんとなく、それまでに何かありそうな気がしたからだ。

最美の女性としてルーブル美術館に寄贈されても何らおかしくないあのお方を、冬の夜の真っ暗な中一人で待たせるのは危険だと思い早めに家を出たつもりだったのだが、朝比奈さんはすでにベンチに座っていて、「あ……」と手を振り俺を迎えてくれた。

「いてもたってもいられなくて、早く来すぎちゃいましたぁ」

天使の笑顔だ。朝比奈さんの身に何も無くてよかったと安堵してから、俺は朝比奈さんの兎のように赤い瞳と、そこから筋を作る涙の痕を見、そしてその顔にどこか決意のようなものがあるのに気づいた。

「わたしはまだ全然だめだめだけど、古泉くんを助けられるように頑張ります」

朝比奈さんは、小さな両手を自身の胸にそっと押し当てた。

「全然だめなんかじゃないですよ」

あなたはこれまでに、あなたの知らない所で何度か俺たちを助けてきてくれています。
もっとも、あなたがそれを知るのはきっと、もう少し未来の事でしょうけどね。


30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:51:23.05 ID:cF0Yh7fm0


それから、俺は辺りを見回した。もしどこかに隠れているとしたら、そろそろ出てきてくれる頃合いだろう。
それに答えるかのように、「くぅ……?」と声が聞こえ、朝比奈さんの頭が隣に座る俺の肩に乗った。
再びデジャブ。ふと、ハルヒによって書かされ、長門に訳してもらったあの文字が脳裏に浮かんだ。

「いるんでしょう。朝比奈さん」

背後の草ががさがさと音を立て、いつになく真剣な顔をした朝比奈さん(大)が姿を表した。
俺は立ち上がり、朝比奈さんを起こさないようにゆっくりとベンチに寝転ばせてから、もう一人の朝比奈さんと向かい合った。

「俺たちがここに呼ばれたのは、古泉の件に関してですよね」
「ええ、そうです。これから涼宮さんにすべてを話して、あなたと涼宮さんとそこにいるわたしに過去に行ってもらいます」

やっぱりな。

「そこからまずは長門さんに会って、閉鎖空間の侵入コードの解析をお願いしてください」

なるほど。今日長門がいなかったのにはそんな裏があったのか。


31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 21:58:55.82 ID:cF0Yh7fm0

そこから朝比奈さんはこれからの行動をかいつまんで説明してくれたが、何故かそれは俺の頭に留まる事なく、小川を流れる水のようにさらさらと抜けていった。
前に古泉が言っていた言葉を思い出す。――聞く聞かないかは脳が選択し、処理する仕事の範疇です――つまり今、俺の耳は朝比奈さんの言葉を受け取り拒否しているって事だろう。
話し終え、どこか寂しげな目で俺を見る朝比奈さん。……答えてくれるとは思っていなかった。それでも、気がついたら口に出ていた。

「古泉は、助かりますか」

暗闇に溶け込む朝比奈さんの表情は、よく見えなかった。

「……禁則事項、です」




32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 22:01:58.20 ID:cF0Yh7fm0


制服のポケットから携帯電話を取り出し、着信履歴の大半を陣取るその番号に電話を掛ける。三コールぐらいでブチっと音が聞こえ、

『なによアホキョン』

第一声がこれだ。こいつは電話の受け取り方と他人との接し方というものを習わなかったのだろうか。

「悪いな急に。どうだ、風邪は治ったか?」
『薬飲んで寝てたらだいぶマシにはなったわ』

確かに、声を聞く限りではいつものハルヒだ。やっぱりあの時保健室に連れて行って正解だったな。

「そうかい。そりゃよかった。それで早速なんだが……今から光陽園駅前公園に来てくれないか?」
『は?』
「悪い、ちょっと言いたい事があるんだ」
『な、何よ。電話でできないような話なの?』
「ああ。夜遅くで悪いが、頼む。来てくれ」

いつもより真剣な俺の声に、ハルヒは電話の向こうで少しゴソゴソと音を立てながら、

『分かったわよ。たまには団員の要望に答えてあげるのも団長の務めだからね』
「サンキュ。あ、制服も着て来てくれ」
『制服? まぁいいけど……つまんない話だったらぶっ飛ばすからね。そうね、重石をつけてオホーツク海一周ってのはどうかしら』

さりげなく恐ろしい事を言いながら、ハルヒは俺が何か答える前に一方的に電話を切った。いつもの事だ。もう慣れた。


34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 22:07:54.91 ID:cF0Yh7fm0


十五分ぐらい寒さに震えながら(ちなみに俺のコートは朝比奈さんに掛けた)そこで待ち、何かあったかい飲み物でも買っとけばよかったと後悔しはじめたところで、ハルヒらしき姿が見えてきた。
最初は小走りで、俺達の姿が見え始める距離になると途端にスピードを落とし歩いてきた。普通逆じゃないのか、逆。
まあもしこいつに普通という言葉が通用するならば、俺はこんなに走り回る事はないんだろうが。

「よっ。悪いな、夜分に」
「ふん。あれ、なんでみくるちゃんそんな所で寝てるの? ちょっとキョン、何をしたのか今のうちに白状しなさい」

手に汗が浮かぶ。緊張してるのか鼓動が高く波打った。……今、話すんだ。ハルヒと、ハルヒを中心とする全ての出来事を。
ゆっくりと冷たい息を吸って、吐いて。充分に気持ちを落ち着かせてから、俺はいかにも「どうやって絞めてやろうかしら」と考えていそうなハルヒに言った。

「ああ、朝比奈さんなら突発性眠り病にかかっちまったらしい」

四年前の言葉を覚えていてくれたのか、ハルヒの眉根がピクリと反応する。


35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 22:14:38.36 ID:cF0Yh7fm0


「あんた……」
「ハルヒ」

ハルヒの言葉を遮って、俺はハルヒの両肩に手を置いた。「な、なによ」と少し驚いたようにハルヒが言う。
そういえばジョン・スミスの事をハルヒに伝えるのは二度目だな。光陽園のブレザーを着た髪の長いハルヒと、学ランを身にまとった古泉が今でも鮮明に脳裏に浮かぶ。ついでに余計なことまで思い出してしまったのか、ハルヒからローキックを食らった踝がちくりと痛んだ。
確かあの時、古泉が「僕は涼宮さんが好きなんですよ」と、どでかい爆弾のスイッチを押して、俺はびっくりさせられる事になったんだっけ。……思い出を振り返るのはもう少し後にするか。今はやらなければいけない事が貝塚のように積み上がっている。

「あの七夕の日、お前が白線で文字を書いた時、お前の傍には北高の制服を着た男と女の子がいたはずだ」

ハルヒの目が驚愕に見開いた。どうして知ってるの? と言いたげな口元を見ながら、俺は言葉を重ねた。

「まったく、あの時はこき使ってくれたもんだな。警察が来たらどうするつもりだったんだよ。俺はまだ前科は欲しくないぞ」
「な、何言ってんのよ。だって、あんたはその時あたしと同じ歳で……」

半信半疑といったところだろうか。ぶつぶつと言葉を呟くハルヒに、俺はとどめを刺した。

「ジョン・スミス、と言えば分かるか?」

47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 23:08:13.49 ID:cF0Yh7fm0


俺のネクタイが急に締め付けあげられ、「うぉわっ」と情けない声が漏れた。ギブギブギブ、苦しいぞ。何すんだ馬鹿、離しやがれ。
全く、どっちのハルヒも同じ事をするんだな。

「ウソ……。ジョン? 本当にジョンなの?」
「ああそうさ。ついでにあの時の女の人は朝比奈さんだ」

ハルヒが勢いよく顔だけをすやすやと眠っている朝比奈さんに向け、それからまた俺へと向きなおした。

「どういう事なの! ジョン……めんどくさいからキョンでいいわ。説明しなさい!!」

普段よりも勢い百二十パーセント増加気味にハルヒがまくしたてる。
俺はすべてを話した。ハルヒのことや長門、朝比奈さん、古泉のこと。SOS団をとりまく人間や組織や宇宙人のこと。閉鎖空間のツアーや、朝比奈さんとの時間旅行や、十二月に起きた長門による世界改編のこと。
古泉の死を除き、俺は記憶を洗いざらいにし、知っていることのすべてをハルヒに伝えた。

「そんな……そんな事って……」
「今までに何度か片鱗はあったはずだ。
ハルヒ、不思議っていうのはな、本人が知らないだけで、意外と身近なところで起きてるもんなんだ」

ここで何かしらハルヒの力が働くことを俺は危惧していたのだが、それは杞憂で済んだらしい。


49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 23:16:15.77 ID:cF0Yh7fm0


「このバカキョン! そんな楽しいこと、何で早くあたしに言わないのよ!」
「前に説明した時に『ふざけんなっ!』って一蹴したのはどこのどいつだ」

俺より遅く来たくせに伝票だけ押しつけやがって。あの時払わされた八百三十円の事を忘れた日はないぞ。

「それとこれとは話が別よ。全く、どうしてみんなもあたしに言ってくれなかったのかしら。団長様に隠し事なんて五百万年早いわ」

満面笑顔のハルヒを見て、俺は心臓がチクリと痛んだ。
俺はまだ全部を話していない。一番大切な部分――古泉の死を、俺は話さなければいけない。
宅配セールスマンのような胡散臭い笑顔が、頭に浮かんでまた消えた。

「ハルヒ」
「……な、なによそんな暗い顔して。まだなんかあるっていうの?」
「頼む、落ち着いて聞いてくれ」

本当に落ち着かなければいけないのは俺かもしれないな。と思いながら、俺は生唾を飲み込んだ。ごくりと喉を通り過ぎてから、俺は言葉を刻む。

「古泉が、死んだんだ」

ハルヒの目がぐらりと揺らいだ。先ほどまでの満面笑顔が一気に蒼白へと変わる。


50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 23:23:04.22 ID:cF0Yh7fm0


「え? な、何言ってんのよ。あんたね、冗談ならもっとマシなのを付きなさい。今のでマイナス三ポイントだから」
「ハルヒ、頼む。落ち着いてくれ」
「だって、昨日まで元気だったじゃない。それなのに死んだなんて。そんなのウソよ」
「ハルヒ!!」

慌て取り乱していたハルヒが、びくっと震えた。

「聞いてくれ。今日お前を呼んだのは、古泉を助けるためなんだ」
「たすける……?」
「ああそうだ。今から朝比奈さんに過去――とは言っても今日だが。に連れてってもらう。そこで、あのニヤケ面をどうにかして救出するんだ。
団員を守るのは、団長の仕事なんだろ?」

しばらくうつむきながら押し黙っていたハルヒは、やがて決意をしたのか顔を持ちあげた。

「もちろんよ。あたし、古泉くんを死なせたくない」

今までに見たことないような、強いまなざしだった。




54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 23:32:05.22 ID:cF0Yh7fm0


「朝比奈さん、起きてください」
「みくるちゃん、起きて」

二人がかりで朝比奈さんを揺り動かし、そうして「うみゅう」と可愛らしく目覚めた朝比奈さんは、現状が把握できていないのか、勢いよく起き上がると俺とハルヒを交互に見つめぐるぐると目を回した。

「え、なななんであたし寝てたんですか? 今はいったいいつですか? どうして涼宮さんが……」
「みくるちゃん、お願い。あたしを過去に連れてって」

その言葉で完全にオーバーヒートしたらしい。沸騰した頭でお茶が沸かせそうだ。

「え、えええ!? そ、そんなの禁則事項で禁則事項ですっ。それよりどうして涼宮さんが……」
「俺がすべてを話しました。朝比奈さん、俺からもお願いします。古泉のところに連れていってください」

深々と頭を下げる。それと同時に朝比奈さんが「あっ」と小さく声をあげた。

「いいいま、未来から指令が来ました。わたしと涼宮さんとキョンくんで、今日に戻れって……」

まるで誰かがこの光景を見ていたかのようなタイミングだ。
おそらくまだ三割も理解していないだろう朝比奈さんは、ハルヒのほうをちらっと見てから、「ふぅー」と深呼吸して指を組んだ。


55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 23:37:45.96 ID:cF0Yh7fm0


「えっと、……それじゃあ行きます。リラックスして、目を瞑ってください」

たどたどしく朝比奈さんが呟き、それにハルヒが従うのを見届けてから、俺も固く目を閉じる。
そして数秒後――きやがった。あの安全装置故障中のジェットコースターのような浮遊感とめまい。隣でハルヒが「きゃっ」と叫ぶのが聞こえる。
今にも意識がブラックアウトしそうな中、俺は必至でハルヒの手を探り当て、上から覆うように握った。


ぐるぐると回る視界の中、俺が最後に思い浮かべたのは、「それでは」と微笑む古泉の姿だった。

――待ってろよ、古泉。いますぐ助けにいってやるからな。





57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 23:43:22.80 ID:cF0Yh7fm0



「おいハルヒ。大丈夫か? 起きろ」
「涼宮さん。起きてくださぁいっ」

「うーん」と眉間に皺がより、ハルヒがぱちりと目を覚ました。
仮にもコイツは病み上がりだからな。さっきの移動は体に堪えたのかもしれん。

「ほんと……急に空が明るくなってる……。みくるちゃん、今はいつなの?」
「えっとぉ、今日の昼休みぐらいです」

自分の電波時計を確認してから朝比奈さんに言う。
ハルヒはしばらく北高を見回し、それから自分の制服を見て、「だから制服で、って言ったのね」と納得したように頷いた。


60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 23:49:55.28 ID:cF0Yh7fm0


「それで、まずはどうすればいいの?」
「長門に会いにいって、閉鎖空間の侵入コードの解析を頼めば……」

いいらしい、と最後まで言える事なく俺の耳に入ってきたのは、そういや毎日聞いてるような気もしないでもない男の声だった。

「未来からあなたに直接指示は来ていませんか?」

俺は急いで回り確認し、この時間平面の『俺』と朝比奈さんを見つけると、だらりと冷や汗が流れるのが分かった。
そうだ。この場所、この時間。――『俺』と朝比奈さんが手紙について議論してた時じゃないか。

「えーっと、来てないです。なんにも。……え?」

目と鼻の先から、朝比奈さんの不思議そうな声が聞こえる。
俺は小さな声で「しゃがめっ!」とハルヒに言い、朝比奈さんが両手を口で抑えてでかい木に隠れているのを横目で確認してから、俺も木々に身を隠した。

「どうかしましたか?」
「今……あ、ううん。なんでもないです。きっとあたしの見間違い」


61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/28(火) 23:58:40.87 ID:cF0Yh7fm0



「そっかぁー」

と、こっちの朝比奈さん。

「やっぱりあの時あたしが見たのって、これだったんだぁ。見間違いじゃなかったんですね」

朝比奈さんは「ふぅー」と息を付き、ハルヒはやはり気になるのかあっちの『俺達』とこっちを交互に見比べている。
ずっとここにいるわけにはいかないだろう。もうすぐ弁当を食べ終えた元気な生徒が降りてくる頃だろうし。今頃保健室で寝息を立てているはずのハルヒと、目の前で自分達を観察している俺達を見られたらさすがに説明がつかない。

「ひとまず、部室に行って長門を呼び出そう」

あっちなら鍵も付けられるし、生徒が来る事もなさそうだ。というのが俺の弁で、

「そうね。誰かが来たら箒で戦えばいいし、最悪窓から飛び降りればいいわ。
みくるちゃん、ドアが開くのと同時に湯呑を投げるのよ。敵に一秒でも隙をあたえたら後はあいつらの思う壺なんだから!」
「え、えぇ! そ、そんなの可哀相ですぅ……」

というのがハルヒの弁だ。こいつは一体誰と戦っているんだろうか。

63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 00:08:34.04 ID:NlHbyru90


誰にも見つからないように忍者のごとく歩き、部室の扉を開ける――と、思わぬ収穫があったようだ。

「長門。ここにいたのか」

いつもの指定席で本を読んでいた宇宙製アンドロイドは、俺を見て、そしてハルヒに視線を固定したまま絶句していた。
いや、その言い方には語弊があるな。こいつはいつでも絶句モードなのだ。

「涼宮ハルヒの異時間同位体。何故ここに」

さすが、一発で見破ってくれたようだ。驚く長門に、俺はすべてを説明した。
古泉が死んだこと。ハルヒにすべてを教え、今日の夜から俺達は時間遡行をしてきたこと。そこで古泉を助けること――とはいっても、長門は時間遡行あたりで「分かった」と頷いてくれたが。
さすが、一を聞いて十を知るどころか百ぐらい分かってくれそうなやつである。

「わたしがすべきことは」
「あさ――未来人によると、とりあえずこれから生まれる閉鎖空間の侵入コードを解析して欲しい。できるか?」
「おそらく、可能」

俺が胸を撫で下ろしていると、長門は一度言葉を探し当てるように頷き、

「必ず、する」

と力強い言葉をくれた。全く、ハンディビデオでも撮って古泉に見せつけてやりたいくらいだ。


65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 00:15:22.09 ID:NlHbyru90


一通りの説明を終え、とりあえずまだ一息つく時間はあるとの事らしいので、朝比奈さんはお茶を淹れてくれ、ハルヒは長門にかまいだした。

「有希って宇宙人なのよね。えーっと、なんとかインターフェースっていう」
「……そう」

どこか緊張気味に長門が頷いた。一方のハルヒは、妹にかまう姉のように瞳を輝かせている。
神様と宇宙人の会話ってのも、なかなかおつなもんだな。と俺は思い、朝比奈さんが淹れてくれた熱々のお茶を一口飲んだ。
うーん、デリシャス。

「今でも信じられないわ。こーんなちっさい子が宇宙人なんて。
あたしもっと違うの想像してたのよ。でーっかくて、体が緑色で、『ワレワレハウチュウジンデアル』って言って地球を侵略しにくるの!」

想像だけで終わってくれてよかった。そんな長門は見たくない。

「あの時の、白線で書いた文字を解読してくれたのもコイツだぞ」

と、俺。ついでに言うと俺達を三年後まで送ってくれたのも長門だが。
ちなみに三年の時を経たあの短冊は、捨てるのも惜しくて引出しにしまってある。
そうなの? と言わんばかりにハルヒが長門を凝視し、小柄な宇宙人は小さく頷いた。

「わたしはここにいる」


66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 00:22:59.51 ID:NlHbyru90




「長門は閉鎖空間の発生を探知できるのか?」
「可能。閉鎖空間が発生すると、その場所の粒子と構成物質の情報が一時的に書き換えられるから」
「朝比奈さんは、できますか?」
「えっと、あまり小さいものだと分からないけど、ある程度大きいものなら時空震の揺れで分かります」

そういや、去年のインチキ野球大会の時。
ハルヒがむっすりと不機嫌になるのと同時に、三人は何かアクションを起こしていたはずだ。やはりあれは閉鎖空間の発生を意味してたのか。

五限の始まりと同時に、長門はどこかに出かけて行った。
俺達は放課後、閉鎖空間の発生と場所を長門に教えてもらい、古泉が部室を出ていくのを追跡し、中に侵入する。という事らしい。
授業の時間を見計らって屋上に移動したり、中庭に移動したりしていると、ついに運命の時――放課後がやってきた。

119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 16:33:37.58 ID:NlHbyru90


部室棟の出入り口付近に俺達三人は隠れ、寒そうに体を丸めて歩く『俺』と、その三分後ぐらいにぱたぱたと部室に駆けていく朝比奈さんを見送ってから、古泉を待つ。
緊張しているのか、ハルヒも朝比奈さんも一言も話さず、食い入るように渡り廊下を見つめていた。といっても、俺もなんだが。

そして――来た。
適当に流行りの服を着せて街を歩かせたら、五人に三人は振りかえりそうなツラに相変わらずのスマイルを張りつけて古泉は部室へと歩いていく。
その姿を見て、俺はなんだか泣きそうになった。なんでだよ、こんなに元気なのに。馬鹿野郎。なんで死んじまったんだよ、古泉。

しばらく沈黙を守っていたハルヒは、古泉を見て我慢ならなかったのか立ち上がり、

「あたし、やっぱり古泉くんに……」

「おい、馬鹿!」

俺がハルヒの腕を引っ張ったのと、古泉が振り向いたのはほぼ同時だった。
やばい、見られたか?


122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 16:40:51.48 ID:NlHbyru90


古泉は暫く訝しげな視線をこちらに送り、首を傾げると数秒後には部室へと歩きだした。
冷や汗をぬぐい、俺はおもわず安堵の溜め息を付く。同時に、――ああ、そういうことか。部室で顔を合わせたあの時の古泉の表情の意味に気付いた。

古泉は確かに俺達を見たのだ。
ここから部室へは一本道だ。自分より後ろにいたはずの人間が、すれ違ってもいないのに自分より先にそこに到着していたならば、誰だって疑問に思うだろう。

「何よ! なんで邪魔するのよ」

そう言ってこっちを睨むハルヒも、心なしか少し目が潤んでいた。

「お前はこの時、古泉には会ってないだろ?」

「そうだけど、でも……」

「ハルヒ、歴史を変えることはとても重要な事なんだ。
前にとってはこれぐらいのことと思うかもしれないが、それだけで人が一人死んでしまったりする事もあるんだ。
だから、今は待て。そしてその時になれば、好きなだけ古泉に何か言ってやればいい」

ハルヒはぐっと唇を噛みしめ、そして一言、「……分かったわよ」と呟いた。


123 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 16:50:05.06 ID:NlHbyru90


「まだかなぁ。もうそろそろ――……あ!」

それからしばらく部室と時計を交互に見ていた朝比奈さんが、突然耳元に手を当て、そして叫んだ。

「キョ、キョンくん! 涼宮さん! 閉鎖空間が発生しました!」

朝比奈さんがそう言うのと、俺の携帯が震えたのが同時だった。
俺は思わずハルヒと顔を見合わせ、急いで携帯を取ると、震える親指で通話ボタンを押した。

「長門!」

『閉鎖空間の発生を確認した。これから侵入コードの解析を開始する。場所は――』

発生場所は、幸いにもここから歩いて十分ほどの場所だった。
電話を切ると同時に部室棟から小走りで古泉が現れ、見覚えのある黒塗りのタクシーに乗り、そこへと向かって行った。

「キョン、みくるちゃん、行くわよ!」

ハルヒが立ち上がり、「早く!」と俺達を促すとそこに向かって走り出す。
「は、はいっ!」と朝比奈さんは叫ぶと、ハルヒの後ろを危なっかしい足取りで追い、俺はその後ろを追随した。


127 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 16:57:50.64 ID:NlHbyru90


「長門! どこにいる!」

なんとか指定された場所に辿り着き、俺は叫んだ。
それと同時に目の前に突然長門が現れ(おそらく俺が過去にお世話になった不可視遮音フィールドだろう)、俺達からしたら何も見えない場所を指さし、「ここが入口」といつも通りの平坦な口調で言った。

「この中に古泉くん達がいるのね?」

息を整えながらハルヒが問う。長門はハルヒを見据え、こくりと頷いた。

「分かったわ。それじゃあ早速行きましょう」

ハルヒが全員の顔を見渡してから、真剣な面持ちで見えない壁に睨みをきかせる。
長門が先頭に立ち、空間を掴むように手をかざしながらいつもの高速呪文を唱えた。
ぐにゃり、と空間がねじれ――


世界が、灰色に染まった。




129 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 17:07:03.62 ID:NlHbyru90


「ここ……」

光の差さないこの空間と、それを壊すのっぺりとした青光る巨人、――神人、そしてその腕を器用に回避し、攻撃する赤い光に目を奪われたハルヒが呟く。
そして思い出したように振りかえり、俺に視線を投げかけた。対する俺もハルヒを見据える。
去年の若葉の頃、夢のような現実世界で俺とハルヒはこの中に閉じ込められる事になり、今思い出しても舌を噛み切りたくなる方法で脱出してきたのだ。
後ろで朝比奈さんが「ひ、ひゃぁ」と可愛らしい叫びをあげて蹲る。長門はいつものスリープモードだ。
あの怪物に会うのも三回目か。と至急どうでもいい事を考えたその時だった。

「あっ」

朝比奈さんの口から言葉が漏れる。
一つの赤い光が神人の腕を避け切れずはじき飛ばされ、俺達の十メートルぐらい先に叩きつけられたのだ。
全身をまとっていた赤い光が不意に消える。血を流し、激痛に顔をゆがめるその顔は、俺達が毎日顔を突き合わせていた副団長のもので間違いなかった。

「古泉くん!」

「古泉!」

真っ先にそこにハルヒが駆け寄り、後を追おうとする俺の腕を長門が掴んだ。
行かせてくれ! と主張する足を必死に断ち切り、俺は歯を食いしばりそこに踏みとどまった。そうさ、こういうのは団長の仕事だ。団員は後ろで見守ってるだけで十分なのさ。


130 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 17:12:00.59 ID:NlHbyru90


古泉が顔だけをこちらに向け、いかにも状況が理解できないといった風に愕然と顔を固まらせた。こいつのこんな顔を見るのは初めてだ。

「大丈夫!? 血が出て……。そんな、嫌……あたしのせいで……」

ハルヒが古泉の体を揺さぶりながら悲愴に顔を歪める。
古泉はハルヒを見、俺達を見、大丈夫なのか、と確認するかのような視線を送ってくる。それに強く頷くと、古泉はいくらか安堵の表情を浮かべた。
――馬鹿野郎。お前はどこのヒーローだ。本当は他の事の心配なんかできる状態じゃないだろうに。
やっぱり、世界を救うヒーローは俺達とは一味も二味も違うみたいだ。


134 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 17:19:41.63 ID:NlHbyru90


「ごめんね。あたしいつもっ! ……ごめんね、あたしのせいで。ごめんなさい、古泉くん、ごめんなさい」

普段は見せない気弱な顔で、ボロボロと大粒の涙を零しながらハルヒが泣き叫ぶ。ごめんなさい、あたしのせいで、と。
古泉は微かに口を動かし、覚束無い動作で腕を持ち上げ、ハルヒの目に溜まった涙をぬぐった。

「すずみや、さん」

古泉は笑っていた。そうさ、こいつはいつだって笑っていたんだ。


「笑って、ください」


世界のために戦っていた、一人の戦士。
四年の月日は、決して短いものではない。怖かっただろう、逃げ出したくなる日だってきっとあったはずだ。
それでもこいつはいつだって戦ってきた。与えられた使命に愚痴も言わず、ずっとずっとこの場所で戦ってきたんだ。

全ては、ハルヒのために。涼宮ハルヒという、たった一人の少女の笑顔のために。



138 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 17:27:48.88 ID:NlHbyru90


「ハルヒ、笑え!!」

見せてやれ。古泉がずっと守ってきた、お前の笑顔を。
あいつが少しでも幸せだったと思えるような、そんな微笑みを。それぐらいの慈悲はあったっていいだろ?

ハルヒは俺を見て、古泉を見て、嗚咽と共に唇を噛みしめると涙をぬぐった。
そして――思わず見とれてしまいそうな、まるで梅雨に濡れた蕾が花開くような微笑みを見せた。

なぁ古泉。見ろよ。こんな微笑み、俺だって見たことないんだぜ。
それが今、お前だけに向けられているんだ。そうさ、頬にある涙の跡だって、どこか遠い彼方にふっとんじまうだろ?

それにつられるように、古泉もいつもの慇懃な笑みとは少し違う、優しく、全てを包み込むような素の微笑みを浮かべた。

「ありがとう」と、「僕は幸せだ」と、眩しい笑顔がそう物語っていた。


古泉がゆっくりと瞼を閉じる。涙のフィルター越しの灰色の空間に、一筋の光が走った。





143 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 17:37:05.97 ID:NlHbyru90




クリスマスやお正月などといったイベントも終え、大人たちがやっと一息つける頃。人一倍段差に気をつけながら、あたしはそこへと向かう。
いくらコートを着こんできたとはいえ、やっぱりこの季節は寒い。ゆっくりと深呼吸をしてみると、冬の匂いがした。

お墓って、どうしてこうも単調なのかしら。こんなの面白くないわ。もっと派手にしないと、宇宙から見えないじゃない。
そんな悪態を付きながら、一つのお墓の前で足を止める。命日からは幾日か経っているのに、その墓はいつも花で溢れていた。

それを頼んだのはあたしだった。
全てが終わったあの日、あたしは直接古泉くんが所属していた組織――『機関』に出向き、約束をしたのだ。
あたしはもうあなた達の手を煩わせるような事はしない。彼が四年もの間守ってきたものを、あたし自身が壊すような事をしたくなかったから。
だから――彼のお墓に花を供えてあげてほしい。彼が寂しくないように、たくさんの花を、と。

「古泉くん」

まったく、寒いわね。だから今度はみんなで温泉旅行なんてどうかしら。そうね、卓球のできる所がいいわ。

「ほら見て。お腹、おおきくなったでしょ」

本当ですね。でもこの季節は冷えますから、寒さには充分気を付けてくださいね。と、彼の声が聞こえた気がした。

「男の子なんですって。ふふ、これって何か素敵よね」


144 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 17:38:46.56 ID:NlHbyru90



そっと目を閉じ、思いを馳せる。
優しい人だった。芯の強い人だった。そして、とても笑顔が似合う人だった。


風にそよぐ「副団長」と書かれた腕章に視線を移し、彼の微笑みを思い浮かべ、はっきりと呟く。

「ありがとう」

あの日彼が望んだ、笑顔と共に。




終わり


146 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/29(水) 17:40:56.88 ID:NlHbyru90

完結しました!
原作っぽく時間遡行物を書いてみたかった
たくさんの支援や保守ありがとうございました!



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