キョン「俺もここにいる」


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1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:37:18.08 ID:ywC+zlJH0


涼宮ハルヒと出会ってからというもの、俺の運命は狂いっ放しだ。

俺のこの五年間の話を聞いた奴は、一体どんな感想を抱くだろうか。
大多数が、なんて物好きな、マゾい、いかれた人間もいたもんだなって呆れ顔を浮かべる姿が目に浮かぶね。
もしかしたら多少なりとも俺の境遇に共感して、同情を寄せてくれる御人好しな奴もいるかもしれないが。


俺もどうかと思ってはいるんだ。こんな日々を続けたところで、何一つ俺に報いてくれる訳もない。

不毛なんだ。訪れることが規定されたエンディングを、俺はただ見送るためだけに生きているといってもいい。

エンドロールが流れ出したら、そこに名前が載る前に去らなきゃならない宿命だ。好き好んでそんな状況に甘んじてる方がどうかしている。


――でも。それでもさ。

あんたは笑うかい?


まったく、自分でも馬鹿だと思うぜ。悪趣味にも程がある。

俺は幸せだった。

この五年間、それでも俺は、この上なく幸せだったんだ。



2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:38:41.35 ID:ywC+zlJH0

中間考査からやっと一息をつけるようになった、六月下旬。

春季から梅雨入りし、徐々に夏の模様を忍ばせ始めた気候は、湿度の高さもあって過ごし難い。下敷きを団扇代わりに扇いで涼風を自主生産しながら、俺は平穏そのものの一日に欠伸を噛み殺した。

「だらけてるわね。しゃきっとしなさい、しゃきっと」

俺に苦言を呈すのは、今やその声も耳慣れた涼宮ハルヒで、そう言いながらハルヒも薄い現社の教科書を団扇代わりにしている。不機嫌そうなのは気候のせいか、はたまた近付く七月のせいか。

「あんたはただでさえ猫背気味でオッサン臭いんだから、こういう時期こそ背をぴしっと伸ばして涼しそうな顔してなさいよ。こっちまで暑くなって気が滅入るじゃないの」

「この気候は俺の匙加減でどうにかなるもんじゃねえし、俺がだらしないオッサンの姿見だっていうならお前含めたクラスの大半がそうだろうよ」


4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:39:43.39 ID:ywC+zlJH0


俺がひらりと手を振って反論すると、ハルヒはむぅ、と頬を膨らませた。

「蒸して気持ち悪いんだから仕方ないじゃない。まあね、あんたの言い分も認めるわ。悪いのはあたし達じゃなくて世界の方よ。
天気の神様がいるとしたら相当に性格がねじくれてるに違いないわ。七月前だっていうのにこの暑さはどうかしてるわよ」

「温暖化は回りまわれば人間の責任といえるけどな」

「それだってあたし以外の誰かのせいよ。連帯責任なんて冗談じゃないわ」

と、機関曰く神様筆頭候補らしい娘は唇を尖らせてのたまった。
俺は一つ溜息。


6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:40:55.06 ID:ywC+zlJH0


「そういえば、ハルヒ」

「なに」

「今年も七夕祭りはするのか」

一昨年、去年と笹の葉をかっぱらってきて飾り付けた七夕。朝比奈さんに連れられての初タイムトリップの経験込みで、俺にとっては思い出深い日である。
ハルヒにとっても、恐らくそうだろう。

七夕までは後二週間を切っている。
前年は鶴屋さんのお宅にお呼ばれして、七夕パーティーの名の下に笹団子食べ比べ選手権なんてものが開催されたのだが、胃が破裂する寸前まで餡子を詰め込まされたおかげで俺はあやうく窒息死しかけた。
饅頭形状のものが例外なくトラウマになったほどである。

大食い大会となれば優勝者は当然のように長門で、俺は祝福に手を叩く余裕もなく厠に駆け込んだのだった。
……あの記憶の残ってるうちは、出来ることなら二度目は遠慮したいぜ。

「去年は大惨事になっちゃったから、今年はシンプルに笹飾るだけでいいわ。パーティーなんて本来の目的からは外れてるしね。原点回帰は大事なことよ」

「そいつを聞いて安心した」

9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:41:58.15 ID:ywC+zlJH0


ひとまず昨年の地獄絵図は回避できそうである。
俺が笑ったのを、ハルヒも少しだけ笑い、すぐに元の不機嫌と憂鬱の狭間を揺れるような表情へ逆戻りした。

「……七夕か」

外のグラウンドを見下ろして、頬杖をついた姿で、ハルヒは呟く。

「もうすぐ、三年になるわね」

その意味深な台詞に、俺といえば特に注意を向けていなかった。高校生活のうちでは最後の七夕、というくらいの意味に捉えていたからな。

俺の心配事は、土壇場でハルヒが校庭に白線を引くって言い出しやしないか、ということぐらいのものだった。
それだって初期のハルヒのトンデモ活動に比べれば大した手間じゃない。話題性は十分だろうけどな。
暴走が専売特許の涼宮ハルヒはブレーキの利かせ方をここ二年にそれなりに学んだらしく、近頃のハルヒの安定ぶりは機関と宇宙人両方からのお墨付きを貰っている。

このときハルヒが何を考えていたかなんて、俺にわかるはずもなかった。


10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:43:19.98 ID:ywC+zlJH0





ハルヒと雑談を交わしながら昼休み、受験受験と眼の色を変えつつある教師の指導の下で授業を一通りこなした放課後。
掃除当番で遅れて部室に赴く途中、俺は廊下の隅にて待ち伏せしていたらしい男に捕まった。

「少々相談事があるのですが」

「……部室じゃ出来ない話か?」

「ええ。涼宮さんがいらっしゃいますから。わかるでしょう?」

無駄に爽やかな微笑みがトレードマークの古泉一樹は、知り合ってから二年と半年になろうという頃合になっても外面に変化がなく、いつまでも無駄に爽やかなままである。
しかし、こうやって古泉が声を潜めて語りだす内容が大抵ろくでもないことは経験上理解していた。
俺が露骨に顔を顰めたのを誤解したらしい古泉は、

「いえ、そう深刻になる必要はありません。ちょっと気になる、といった程度の話なのでね。
それでもあなたには万一のことを考えて、お耳に入れておいた方がいいだろうと思いまして」
と、まず前置きする。

13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:44:18.16 ID:ywC+zlJH0


「お前がそう判断したんなら精々神妙に聞いておくがな。で、なんだ?」

「金曜日から今日にかけて、閉鎖空間が発生しています」

「……ただの閉鎖空間の話じゃねえよな?」

神人狩りにすっかりご無沙汰の古泉が、もう涼宮さんはみだりに世界改変をしたりはしないでしょう、とつい先日に俺に漏らしたばかりなのを俺は忘れちゃいない。

「お察しの通り。……涼宮さんは七夕付近になるとナーバスになる兆候が以前からありましたが、それでも閉鎖空間が発生するほどではなかった。
閉鎖空間の発生頻度は一昨年から激減していて、今年の発生はこれが初めてのことなんですよ。
近日になにかあったのだろうという推測は立ちますが、涼宮さんがどのような事を原因として閉鎖空間を発生させたのか、それが分からないのです」

「ふむ……」

15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:45:31.98 ID:ywC+zlJH0

今日のハルヒは些か暑さに辟易した様子だったが、あれくらいの調子のハルヒは別に珍しくもない。取り立てて落ち込んでいるようにも見えなかった。

「俺には、今日のハルヒが特別変わったようには見えなかったぜ。やや上の空気味なようには思ったが、この蒸し暑さじゃ俺だって気分は低空飛行だ」

かといって、暑さを理由にハルヒが閉鎖空間を生み出す、なんてレベルはとっくに眼中にない。ハルヒの成長を身に染みて知っているからこそ、古泉は疑念を抱いているのだ。

「あなたにも心当たりはないようですね」

「残念ながら、俺に思い当たる節はないな」

「そうですか。もしかしたら、と思ったのですが。
神人の様子も暴れまわるのではなく、何か、思い悩んでいるような……。ともかく単なるストレス故の発生ではなさそうなんです。規模は小さいですし、処理に然程手間はかからないのですがね。あなたならあるいは、その理由をご存知かもしれないと思ったのですが」


18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:46:32.82 ID:ywC+zlJH0


古泉は最後は殆ど独り言と変わらぬ呟きを残し、咳払いをした。

「……まあ、暫く様子を見ることにしましょう。あまり長く続くようなら対策も考えますが、内なる秘めた青春的悩み事に由来するものかもしれません。
それなら僕がしゃしゃり出るのはお門違いでしょうしね」

どんな無粋な想像をしてのニヤケ笑いなのかは知らんが、その顔でハルヒの前には戻るなよ。

「おや、これは失礼しました」

俺の親切心溢れる忠告に、古泉は少しも悪びれた様子なく、笑って謝罪した。



19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:47:43.24 ID:ywC+zlJH0





それから古泉と二人揃って顔を出した部室では、長門が読書に勤しみ、ハルヒは数学の参考書を捲っていた。
こういうハルヒを見ると、俺もやや気が引き締まる。普段は意識から逃げ気味だが、俺たちは冬に受験を控えているのだ。遊んでばかりもいられん。


「遅かったじゃない、二人とも」

「すみません。分からない問題があったので、授業後私的に質問に行っていたんですよ。今は大事な時期ですからね。彼とは行き掛けに鉢合わせまして」

「へえ、古泉くんにも分からない問題があるなんて意外ね。何の教科?」

「古文です。筆者の解釈と教科書での注釈に矛盾があるように思いまして、その確認も兼ねて……」

よくこうも口からでたらめな言い訳が出るものだと感心するね。


20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:49:21.09 ID:ywC+zlJH0


「古泉くんの成績なら余裕そうなのに。その向上心は賞賛に値するわ。キョンも見習いなさい!」

無茶を言うな。俺はテスト範囲を見返すだけで精一杯なんだよ。


鞄からノートと過去問題集、筆記用具を取り出し、ハルヒの隣に腰掛けて復習を開始する。古泉も同じように準備を始めた。

三年に進学してからの、それはハルヒが宣言して以降の取り決めだった。
休日のSOS団活動は続ける。それでも受験生たるもの勉を疎かにはできない。あたしたちは文武両道がモットー、放課後は勉強会にして成績の向上を図りましょう!

古泉曰く、俺の成績不振を慮ってハルヒが考え付いたことだというが、ハルヒの真意は定かではない。
優秀な家庭教師が周囲に三人もいるとあって、俺の方はハルヒの思いつきに随分助けられちゃいるがな。

ちなみに長門は成績に問題があろうはずもなく、ハルヒ直々に勉強会免除が言い渡されており、現在も読書中である。
正直な話、羨ましいことこの上ない。


21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:50:28.86 ID:ywC+zlJH0



俺はシャープペンの芯を引き出しつつ、思う。
長門とハルヒと古泉と俺。部室には四人しかいない。
ここには今、未来人属性を持った心優しきお茶汲みメイドはいない。

朝比奈さんは高校を卒業すると同時に未来へ帰還した。
とびきりの暖かい笑顔を俺たちに預けて、まだ年に何度かは顔を見せにこの時代に訪れると約束してくれたから、かろうじて涙は堪えたが。
以前のように部室の戸を叩くたび、彼女の甘い声に癒しを貰うことはもう出来なくなってしまった。

朝比奈さんのメイド服は丁寧にアイロンがけされて、ハンガーに吊るされている。いつ朝比奈さんが来ても、身に纏ってもらえるようにだ。

ハルヒは即席でお茶汲みを任せた俺の淹れたお茶が美味しくないと文句を言うし、俺だって反論の気持ちは露一つ分も沸かない。
誰だってそうさ。愛らしい小さな手ずから渡された湯飲みで、朝比奈さんのお茶を一度でも飲んだことのある奴なら。
あれ以上の味なんて、知り得ないに決まっているのだから。



22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:51:36.97 ID:ywC+zlJH0



「どうしました?」

古泉が俺の動かない手元を覗き込んで来る。

「いや。なんでもねえよ。この問題はこの計算式を当てはめるのであってるのか、迷ってただけだ」

「んー?なに、あんたこれ初歩の初歩じゃない。まだこんなとこで躓いてるなんて他より五十歩は遅れてるわよ。五十歩百歩は似たようで大違いなんだからね。
あたしに教科書寄越しなさい、教えたげるから」

古くからの諺をさりげなく全否定しながら、教科書をひったくるように奪われ、ハルヒの解説が始まる。俺は大人しく解法に集中した。
ハルヒの手ほどきは大変分かりやすくて結構なのだが、もうちょっと小さい声で喋ってくれてもいいぞ、ハルヒ。耳が痛い。

古泉が隣で含み笑いをしているのが、何だか癪だった。……なんでだろうね。



23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:53:35.98 ID:ywC+zlJH0



その日も、その次の日も、それが当たり前とばかりに難なく過ぎる。学業に追われつつも平穏な日常。

唯一気掛かりだったのは、古泉から打ち明けられた理由不明のハルヒの閉鎖空間だった。
俺も古泉から話を聞いて以来、それとなく気を遣うようにしていたのだが。
ハルヒは憂鬱そうな面差しを浮かべてはいたものの、強迫観念を抱かせるような類のそれではないし、時に零れる照り付くような笑顔も健在だ。
古泉から事前に話されていなければ、このハルヒが閉鎖空間を発生させているなんて夢にも思わないに違いない。

そしてその古泉の懸念は、当人から後に否定されることになった。
数日過ぎた頃に、電話で連絡を受けたのである。断続的に発生していた閉鎖空間が、どうやら自然消滅したとのこと。

『波は非常に安定……というよりは、微弱になっています。
結局発生の原因は分からず仕舞いでしたが、世界改変の規模に至るようなものではありませんでしたし、杞憂で済ませても良さそうです』


25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 23:54:59.77 ID:ywC+zlJH0


機関の方も首を傾げているようだった。理由が不明というところに気持ち悪さを感じているのだろう。
いかに超能力者とはいえ、ハルヒの心の声まで盗み聞きすることは出来ないだろうからな。

まあ、心配事が目に見えて減ってくれるのはいいことさ。

容量を超えての労苦を背負えるほど、俺は人間ができていない。

母親からは塾に行かないかと散々に脅されている。本腰を据えて勉学に励みながら、SOS団として七夕を祭るのも行事としてこなさなきゃならない。
ここにこれ以上の厄介話は持ち込んで欲しくないというのが本音だ。

心配事がなくなって、俺も古泉もすっきり安眠、万事解決だ。
あとは七夕に予想外なとんでもない事態が起きたりしないことを祈るだけ。
俺は電気を消し、ベッドに寝転がった。

俺はすっかり安堵しきっていたのである。まったく、能天気だったという他にはない。

28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:04:37.11 ID:2IW76D/V0

………
……



皆が帰宅した後――俺は、挨拶がてら部室に顔を出した。
目当てはSOS団一の読書娘である。


もう時刻は夜に近しいが、日はまだ高く夕火を差し込ませている。
此処から見る風景も、これで見納めになると思うと、感傷は拭えない。
初対面の頃かけていた眼鏡もなくなって、レンズ越しでない瞳に光を通す姿は、いささか胸にくるものがある。


「よ。久しぶり」

軽妙に声を掛けたつもりだ。長門はこちらに視線を移すと、本を閉じた。

「……ひさしぶり」

「そろそろ期限だから、顔を見に来た」

「……そう」

31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:08:05.01 ID:2IW76D/V0


相変わらず言葉少ないが、その表情は幾らか柔らかだ。
心優しい宇宙人。
……お前のおかげで、俺はここまで来られた。


「――お前には、本当に、世話になったよな」

「………」

話し出す言葉を迷った挙句に、出た台詞はベタベタだ。もうちょっと捻ろうぜ、俺。
しかし年季を多少経たところで、ボキャブラリーが劇的に増えるわけではない。
己の好き勝手に馬鹿をやっていた昔の自分と、今の俺に、どれだけの差があるだろう。

確かに成長できたのか。……反省会は、後にやればいい。



33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:12:01.06 ID:2IW76D/V0



「わたしは、何もしていない」

長門が手を止め、微かに瞬いたのが俺には分かった。それは長門が獲得した感情の表し方の一つなのだろう。
傍で見続けてきたからこそ、わかる。俺は笑う。

「いいや。俺が今ここにいられるのも、俺がこうやって過ごせたのも、お前のおかげだ。
――ありがとう、長門有希」

その名を噛み締めるように、大事に大事に口にする。
長門はそっと眼を伏せて、「……いい」、と呟いた。


色んなことを話したい気もしたが――今更、不要だろう。



「……リミットが迫っている」

「わかってる。七夕で終わりにする。
だから――これは、俺の最後のワガママだ。……聞いてくれるか?」


無理難題だと分かっていたが、俺の願いを、長門有希は聞き届けた。
まったく、本当に、お前には最後まで頭が上がらないな。


34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:14:07.09 ID:2IW76D/V0


……





気が付いたとき、俺はベッドに腰掛けていた。

――ん?

どう見ても消灯済みの自分の部屋である。
俺は熟睡する気満々で、早々に掛け布団の下に潜り込んでいたはずなのだが、これは一体どういうことだろうか。
幽体離脱でもしたのかと振り返るが、ベッドの中に生身の俺が鼾をかいて寝ている、ということはなかった。
俺の意識が器から離れてエクトプラズム化したわけじゃなさそうだ。

寝惚けて起き出して、座った状態で覚醒した?
んな馬鹿な。

わけのわからない気分のままでいると、更にわけのわからない事が起きた。
俺が下敷きにしていた布団が盛り上がり、小山を形成すると、もぞもぞと動いていた布団がぱたりとひっくり返ったのだ。
なかからひょこりと、小さな頭が覗く。


35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:15:03.49 ID:2IW76D/V0



俺はこの時点で半ば、この不可解な現象の原因を悟った。
揺れる黒髪。負け知らずの強気の双眸が此方を向く。

俺が五年前、七夕の日に見た、幼き日の涼宮ハルヒだった。



あの昔の姿のハルヒが、真夜中、俺の部屋の、俺のベッドに。
これは夢か?
夢だとしてもこれはなんのジョークだ、俺がチビなハルヒとベッドの上で邂逅を果たす夢なんて。
これが朝比奈さんの愛らしいお姿だとか、等身大のハルヒだとかならまだしも――俺の煩悩がロリ趣味とは認めたくない。
いや本当に、笑えんぞちっとも。

俺が唖然としている中で、ミニハルヒはじっと俺を睨む様に見つめている。何かを思案しているような、それとも腹はもう決めているような、なんともいえない哀歓入り混じった表情だ。



36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:16:03.49 ID:2IW76D/V0



『七夕。約束の日』

素っ気無く、何処か拙い舌づかいで、ハルヒは口にした。

『あたしを連れて行って』


俺は困惑した。その言葉の唐突さに面食らったこともあるし、「七夕」という単語をハルヒが語ったことも俺の動揺を誘った。
連れて行け、だって?――何処へ?
さっぱりわからん。それに、約束ってのはなんだ。

『約束なの。だから、行かなきゃいけないのよ』

俺はお前と約束した覚えなんてない。お前に扱き使われるSOS団下っ端としても、五年前お前を手伝って校庭に絵文字を描いてみせたジョン・スミスとしてもだ。
だが、ハルヒは、俺の言う言葉の総てを最初から分かっていると言わんばかりに、泣きそうな顔をした。

『あたしは……ここにいるから』

そのときまで、覚えていて欲しいのだと、ハルヒは縋るように呟いた………。




38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:16:59.08 ID:2IW76D/V0





「……んあ?」

日の光が燦燦と差し込む自室。
――もしかしなくても朝、か?

「キョンくん、おっきろー!」

バン!と扉が開いて、飛び込んできた妹にプレスをかまされる前に、俺は慌てて跳ね起きた。妹はベッドに飛び込みジャンプする体勢を取った寸でのところで急停止する。ギリギリセーフ。

「あれぇ、今日ははやおきだね。キョンくん。おはようー」

「……おはよう」

「トースト焼けてるよー」

妹はふにゃりとした笑顔を見せ、踵を返して階段をトトトと駆け下りていく。
俺は呆然と頭を掻きながら、その背を見送った。念のため室内を見回し、布団の中を探っても見たが、ベッドに俺以外の誰かの形跡はない。

そこでセットしていた目覚まし時計が鳴り始め、俺は拳骨をスイッチに食らわせた。

消化不良というべきか。やけに明瞭で、意味深な夢だった。



39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:21:01.03 ID:2IW76D/V0



釈然としない気分で鞄を引っつかみ、家を出る。
カレンダーが新しい一面に捲くられて、迎えた七月の朝。

太陽の日差しはより一層強まり、嫌がらせのように空気中に熱光線を振りまいている。登らないことには登校も出来ない、長い坂道が何時もに増して億劫だ。
教科書やら参考書やらで重い鞄も、こういうときは投げやってしまいたくなる。


「キョン、おはよ」

振り向けばハルヒが仏頂面で立っている。
一緒の登校になるとは、珍しいこともあるもんだ。

俺はそれとなくハルヒを観察した。無表情に近いが不機嫌……ではないな。何処か茫洋としているというか、疲れているように見える。

「お前がこの時間とは珍しいな。寝坊か?」

「昨日は暑くて寝付けなかったのよ。何時も通りに起きられなくて。
クーラーが壊れちゃってるんだけど、修理に時間かかるっていうし……。参るわね」


40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:22:16.57 ID:2IW76D/V0


そういえば眼の下に薄いクマがある。活動的精力的であることはハルヒの本分だが、寝不足には慣れていないのだろう。
ハルヒは明らかに普段の精彩を欠いていた。歩いている今も物憂そうにしている。
俺が血迷って気を遣いそうになるほど、顔色も悪かった。

「寝不足で無理すると倒れるぞ。適度に休んでおけよ。
何なら、放課後の勉強会をナシにしたっていい。今日も暑くなりそうだしな」

「あたしはそこまで柔じゃないわよ。それに、あたしがいないとあんた、勉強サボるでしょ」

「ちゃんとやるさ。何なら、監視役に古泉や長門をつけてくれたっていいぜ。
身体が資本の団長殿が倒れちまったら、団員に示しがつかないんじゃねえのか」

つん、と鼻先を逸らすハルヒの態度は、強がりと、心配の言葉を素直に受け容れられない捻くれぶりを表している。
それから若干の照れも。


41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:23:14.96 ID:2IW76D/V0


「長門達には俺から言っとくから、休んじまえ。心配しなくても明日からはまた、みっちり家庭教師をお願いしたいしな」

「………ん。あんたがそこまで言うなら……、そうね。教える側としても、万全を期したいもの。わかったわ、今日は早めに帰ることにする」

「ああ」

ハルヒはそこで、躊躇うように口を閉ざし、俺を見た。

「……教室行ってから話そうと思ってたけど。あんたに『折り入って』話があるのよ。6日の昼休み、文芸部室に来なさい」

「往来じゃできないような話か?」

「……そうよ」

俺はハルヒの横顔を食い入るように見たが、ハルヒは気だるそうに憂鬱を浮かべているだけだ。

「わかった」


42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:24:12.90 ID:2IW76D/V0


俺が首肯すると、ハルヒは前を向いて、さっさと歩き出した。後を追うように続きながら、脳裏に過ぎったのは、今朝の夢のことだ。

あの夢は――やはり、なにがしかの予兆だったんだろうか。
正直今朝の夢を、ただの夢として片付けてもいいものか悩んでいたのだが、馬鹿正直に夢の内容をハルヒに話すのは賢い遣り方じゃねぇよな。
下手をすると変態扱いされかねん。どうしたもんかね。
……古泉か長門に、相談しておくべきかもな。
俺は溜息を飲み込む。また何か、面倒なことになりそうな予感がしたのだ。



それは下足入れを覗いた瞬間、確信的なものとなって俺の目の前に落ちてきた。


『一人のときに読んでください。』


封筒に書かれていたのはそんな簡素な文章だが、俺は、誰がこれを書いたのかを当たり前に知っていた。


44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:25:31.72 ID:2IW76D/V0



トイレに行きたくなったからと断り、ハルヒと別れ、トイレの個室に慌てて滑り込んで俺は手紙を開いた。
桜色が散ったファンシーな封筒だ。丁寧に糊付けされていたそれを破かないように引っぺがし、折り畳んで収められていた便箋を取り出した。

そこには、懐かしい、丸っこい字が並んでいた。
一字一字をきっと、丹念に書き綴ったのだろうと分かる、優しい文体である。


『――キョンくんへ。お久しぶりです。』


朝比奈さん。本当に、お久しぶりです。



46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:27:23.53 ID:2IW76D/V0



『お元気ですか。そちらの夏はとても暑かったから、体調を崩したりしていないか心配です。
他のみんなの顔も見ていきたかったんだけれど、許された時間は少しだけでした。なので、こうして手紙に残していきます。』

ハルヒは珍しく暑さにあてられたみたいですが、すぐに元気になるでしょう。古泉は相変わらずで、長門も涼しげです。皆、それなりに元気ですよ。

いかん。こんな冒頭だけで既に涙が出てきそうだ。朝比奈さんが旅立って半年も経っていないというのに。


『本当は直接会ってお話したかったんだけど、駄目でした。詳しくは禁則事項だから、その事情の説明もできません。
とにかく、キョンくんの手助けをすることが、時空監察員としての私には、許されていないの。
ごめんなさい。
……これからキョンくんは、ある分岐点に立つことになります。そこでキョンくんがどう立ち回るかで、未来が変わり得ます。
これはイレギュラー。確定された未来の話、規定事項ではないの。
私にはどちらを取って、っていうアドバイスはできません。でも、キョンくんが後悔しない道を、どうか選んでください。』


それは朝比奈さんが俺に宛てて残してくれた、助言のようだった。
何かまたハルヒを巡ってのトラブルが――あるいは長門の親玉を巻き込んでの壮大な闘争劇が、機関の血みどろの抗争が繰り広げられるということだろうか。
勘弁してほしい、という思いが強い。



48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:29:10.59 ID:2IW76D/V0



『また、会いに行きます。
そのとき、キョンくんから明るい報告が聞けることを、祈っています。みくる』


一番下に小さく署名があった。俺は便箋を眺め、暫く考えに耽った。
何かがこれから起きる、もしくはもう起きている――ということか。
ハルヒパワーに纏わるなにか、重大なことと見た方がいいんだろうな……。


朝比奈さん、お気遣いありがとうございます。この手紙であなたが何を指しているのかは全然見当もつきませんが、心構えだけはできそうですよ。
俺は見えぬ朝比奈さんの幻に頭を下げ、便箋を元に戻そうとしたところで、便箋の裏側に書かれていた単語に気付いた。


『かぐや姫』



50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:32:49.15 ID:2IW76D/V0


「……かぐや姫?」


一体なんだ、これは。
朝比奈さんが俺に託したキー・ワード……例えば二年前の、『白雪姫』の伝言のようなものだろうか。

俺自身が朝比奈さんのことをかぐや姫に喩えたことがあったような気がするが、まさか、未来から此方へ来ることができないと明記している朝比奈さんのことを指しているわけもないよな。
じゃあかぐや姫ってのはなんだ。ハルヒか?
いやいや、竹取物語の姫君のような殊勝な役柄であるはずもない。ハルヒはそんなキャラじゃないだろう。俺の脳内でもこの思いつきは即却下だ。

沈思していると、……ふと、思い浮かんだ。

竹から生まれたかぐや姫。
笹。


――七夕。

55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:47:35.03 ID:2IW76D/V0

……




「………はあ。何か変わりはあったか、ですか?」

古泉は俺を探るような目つきで眺める。突然にこんな事を訊ね出すのは、怪しいと自己主張しているようなもんだろう。
自覚はあるだけに、俺としても非常に居心地が悪いが、他に何も考え付かなかったのだから仕方がない。


「そうですね、現状、特には。閉鎖空間の収束以来、とりたてて機関からも報告はありません。
というか、全く発生の気配がないので不気味なくらいなんですよ。
まるで彼女から能力が消滅したのではないかと疑いそうになるくらいですから」

「……そいつは大事じゃないのか?」

「もし彼女の能力が真に消え失せたならば、僕たち超能力者にも何らかの形で感知できるはずですから。
それがないということは、彼女の力が失われたわけではないということです。大体、それなら長門さん達が黙っている訳もありませんし」

「なるほど、それもそうだな」


古泉達超能力者や、機関に何か起きている、という予想図はペケのようだ。ハルヒの能力変動も全く以って異常なし、オールグリーンときた。
『一人のときに読んで』と御丁寧に注意書きされていた朝比奈さんの手紙である。
古泉や長門にその内容を打ち明けていいものか分からず、伏せたままで取り合えず変事はないか確かめようと思ったのだが……。


58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 00:57:11.75 ID:2IW76D/V0


ハルヒが早退した後の部活は、俺、古泉、長門の三人での粛々としたものとなった。

朝比奈さんの手紙の中身は謎めいているし、本当なら二人に手紙を公表して事細かに話を聞くのがベストだろう。
もし災事が降りかかるなら、事前に対処法を練っていくのが一番の予防になる。

だが、何度か手紙を読み返すうちに気付いたのは、手紙で朝比奈さんが行動の主体を『キョンくん』と名指しにしていたことだ。
『SOS団』と書くのではなく、あくまで俺の行動が、未来の分岐に繋がると書いている。

つまり、この手紙にある問題は、もしかしたらそれほど壮大なことではないのかもしれない。
世界を揺り動かす大惨事を呼ぶ、といったようなSOS団全体の協力が必要なものではなくて、
あくまで俺個人のありかたが、誰か個人の生涯を変えるといったような……。


「……それで、何故急にそのようなことを?」

古泉が俺の思索を遮り、割り入る。古泉からしたら質問だけ寄越されて放置だ。意図を知りたくもなるだろう。

「悪いが、言えん。言っていいのか分からないってのが正しいが」

その一言で、古泉は大体を察したようだ。

65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 01:10:14.76 ID:2IW76D/V0


「僕が介入するのは好ましくない事のようですね。……わかりました。明かすことの出来る段階になったら、お話頂きたいですね」

「ああ。正直、どうなるのか自分でもよく分かってないんだ。どん詰まりになったら、助けを求めるかもしれん。
虫のいい話だってのは分かってるが……」

同年代にしては頭の良すぎるきらいのある古泉は颯爽と笑い、俺の言葉を否定する。

「僕たちがここにいる理由をお忘れですか?あなたのサポートは機関から与えられた至上任務の一つですよ。
個人的な想いを重ねることを許して頂けるなら、古泉一樹というあなたの友人の一人としても、助力は当然のことです。
困ったときはお互い様といいますしね」

なんだ、照れ臭くて顔をまともに見れないなら言うな。眼が泳いでるぜ。
……サンキュ、古泉。



69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 01:22:02.69 ID:2IW76D/V0



「それで、詳細は言えんが長門。お前にも同じ事を聞きたい。思念体絡みで、何かが起きてるってことはないか?」

これは念のためだ。事が俺個人の判断で全て解決できるようなものなら、俺一人悩んでいれば済む。
考えておかなきゃならないのは、朝比奈さんの忠告にある事が世界破滅に直結する大事だったりする可能性だ。
そしてもしそんな事態が進行しているなら、銀河を統べる情報統合思念体が何もキャッチしてないってことはないだろう。

窓際の椅子に腰掛け、頁を無言で捲っていた長門は、此方を見た。
僅かに、睫毛が揺れる。

適切な言葉を捜しているように、数秒。


「……思念体に変化はない。観察行動を維持している」

「――思念体絡みじゃなくてもいい。世界に何か、異変が起きてるってことは?」

「………」

沈黙。長門が間を置くのは珍しいことじゃない、はずだ。
だが、何だろうか、この違和感は。
俺が訊ねれば、大抵のことはあっさりと解をくれるのが長門だ。長門は俺に嘘をつかない。
そのことだけは妄信してるといってもいい。

長門が「言葉にしない」のは、そこに「禁則事項」が、あるいは長門個人の「言いたくないこと」があるからだ。


71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 01:34:08.04 ID:2IW76D/V0



古泉は、俺と長門の様子をつぶさに見守り、口を挟むことはせずにいる。
――長門。お前、何か知ってるのか。

黒瞳は真っ直ぐに、俺を貫くように見ていた。
俺は意を決して口を開いた。長門から感じる、揺るぎのない強固な意志の意味を確かめたくなったのだ。


「言えないことなら言わなくてもいい。言いたくないことなら、そう教えてくれ」

「………言いたくない」


長門は明言した。
今までにないような拒絶に、俺は眼を剥いた。

知っていて、俺に教えたくないことが長門にはあるらしい。
……少々ショックを受けたことは否めないが、長門に協力を仰ぐことだけは出来そうにないと分かった。収穫としては十分だ。
思念体が手を貸してくれなきゃならんようなレベルの災害、危機に基づくような展開だけはないと判断できるのだから。

74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 01:42:50.12 ID:2IW76D/V0



俺が手酷い衝撃を受けているとでも思ったのか、古泉が俺を見て曖昧に微笑む。

「思春期に差し掛かった我が子に、初めて反抗を受けてうろたえている父親の気分でしょうか」

うるせえ。予想外にバッサリ来られてほんの少し傷心なだけだ。
冗談です、と古泉は手を大袈裟に広げた。

「長門さんには見事にかわされてしまいましたね。何か、手掛かりになりそうな断片は見つかりましたか?」

「いや。ちんぷんかんぷんだ。……だが、どうにもこれは、俺が考えなきゃならん問題らしい」

機関の手も思念体の手も借りずに、俺一人で。
――どんな選択肢が用意されているものやら、余り考えたくないんだけどな。



79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 01:55:06.13 ID:2IW76D/V0



これ以上長門に話し掛けても無駄と悟った俺は、その後の時間をハルヒとの約束通り、古泉と並んでの受験勉強に費やした。
頼めば二人は口裏を合わせてくれるだろうが、ハルヒを早退させたのは俺なのだ。俺のほうが約束を破るのはフェアじゃない。

日が沈みがちになって今日の活動も解散と相成る頃、俺はハルヒにメールをしてみた。
具合はどうだ、と体調を気にしてのものだったが、いつもはすぐさま送り返してくるハルヒから、返信が中々来ない。

……寝てるのかもしれんな。
あれだけ顔色が悪かったのだ。ベッドで既に休んでいてもおかしくない。

そう思った矢先に、「メールを受信しています」の待ち受け画面が現れる。フォルダから新着メールを開くと、


『寝てたら熱出た。やってらんないわ』


「……おいおい」

こりゃ、休ませて正解だったな。相当酷かったのだろう。あいつのことだから、無理を押して学校まで来ていたのかもしれない。

82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 02:10:45.17 ID:2IW76D/V0



『ゆっくり休めよ。養生して、完治させてから学校に来い』

送信したメールの返信は来なかった。今度こそ寝入ったかな、と思いながら携帯を閉じると、帰り支度を終えた古泉が俺を窺っていた。

「涼宮さんにメールですか?」

「ああ。ハルヒのやつ、熱出したらしい。暫く学校には来れないかもな」

「それは……心配ですね。明日お休みのようでしたら、お見舞いにいきましょうか」

「そうだな」

頷く俺を合図にしたように、長門が部室を消灯する。下校時刻を過ぎたことを報せるアナウンスが、スピーカーから音量を徐々に落としながらも鳴っていた。


校外に出ると、明るい闇が延々と広がる空に、薄い星が点々と散らばっている。
俺は古泉や長門と並びながらの帰宅途中に、ハルヒの顔を思い浮かべた。

いつも溌剌として、暴風雨の如く全力で突っ走っていくのが取り得のようなもんなのに、先陣を切る役目のお前がバテてどうする。
振り回す側の人間がいない分、俺の周囲は平和だが、その平和がこういう時は少しばかり物足りなくなったりもするんだぜ。

……しっかり休んで、早く元気になってくれよ。

そこまで思った俺は、案外、ハルヒのことを素直に心配しているのかもしれない。


87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 02:34:53.13 ID:2IW76D/V0

………
……




黒髪が乱れて、汗ばんでいる。

俺は成す術もなく立ち尽くすばかりだ。出来ることといったら心の中で励ましを投げ掛けるくらいが関の山。
道に落ちたパン屑を住処に運ぼうとする蟻でも、今の俺よりはマシな働きをするだろう。

ハルヒは寝苦しそうに唸っていた。熱が下がらないのだろう、時折うわ言を漏らしながら辛そうに寝返りを打つ。
熱さのあまりか掛け布団を蹴飛ばしたのを見、俺はハルヒの心地いいとはいえないだろう眠りを覚ますことがないように気遣いながら、落ちた布団を掛け直してやった。

氷枕は既に溶け出していて、冷えピタも効果切れだ。ハルヒの親御さんが様子を見に来てくれればいいんだが、深夜だからそれも難しい。


ごめんな、ハルヒ。……何も出来ない。


俺は声に出さず、悔やみを喉に押し込めるように、呟いた。
ハルヒがいかに苦しんでいても、俺が手助けすることはできない。

だけど、お前が望むなら。約束はきっと、叶えてやれるから。
壁に掛かったカレンダーを見た。7/7に、赤いペンで大きな丸が囲われているそれと、窓際に立て掛けられた玩具の笹の葉を。

――もうすぐ、七夕の日がやってくる。




90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 02:54:06.52 ID:2IW76D/V0

……





ハルヒは翌日も、翌々日も、更に三日、四日と過ぎても学校に来なかった。

性質の悪い風邪にかかっちまったらしく、熱が中々引かないのだという。
見舞いに行こうとしたのだが、ハルヒの親御さんからやんわりと、「うつるといけないから」と対面を拒否されてしまった。

仕方がないので見舞いに購入した果物籠だけ献上し、俺たちは大人しく引き下がることになったわけである。連絡は時折メールで交わしたが、そのやり取りも途切れ途切れで、ハルヒの不調が窺えた。

……この分じゃ、今年の七夕は無理かもしれんな。日付が5日に更新されたところで、俺はそんな風に諦観し始めていた。
ハルヒがいないSOS団は騒がしさがない分活力も余りなく、ハルヒ一人であの団に活力を漲らせていたといっても過言ではないくらいなのだからそれも当然のことで、部室に篭っていてもある種のやるせなさが付き纏う。

朝比奈さんからの手紙にあったような、「何か」が起きている気配は、今のところない。

あの『かぐや姫』の意味するところも、ハルヒが俺に話したいといっていたことも、何一つ俺は把握できないままだ。見えないところで何事かが進行していたりしたら、後手後手の八方塞である。
どうか分岐点とやらが、まだ俺の前に表れていませんようにと祈るしかない。


91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 03:05:04.86 ID:2IW76D/V0



「……やはり、弱まっているんでしょうか」

「何がだ?」

「涼宮さんの、願望実現能力ですよ」

本日の勉強会における課題教科は生物。人体の構造と働きに関してのページを捲りながら聞き返した俺に、古泉はさらりと返す。
薄々、想像していたことではあったから別段驚きはしない。
閉鎖空間は六月に入って、今年初めての観測だったという。ハルヒの能力が沈静化しているという見方は、恐らく正しいはずだ。

「涼宮さんの経験上に、これだけ長い間病気を患ったことは一度もありません。風邪でも一日か二日で完治です。
我々は、彼女の能力故のものという考え方を取ってきていたんですが」

「ここに来て長い風邪、か」

「病状は大分回復してきているようですがね。見過ごせない症例と考えます。もしかしたら、近いうちに、彼女の能力は消失するかもしれません」


93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 03:23:17.19 ID:2IW76D/V0




涼宮さんの力が消滅してしまったら、あなたはどうしますか?



その日は勉強に身が入らず、早々に切り上げて帰宅することにした。
学校帰りの小学生らしい一群を目の端に捉えながら、信号の青が明滅するのを慌てて横断しながら、余りの蒸し暑さに路上の自販機へ流し目を送りながら、古泉の言葉を反芻する。
考えた事は何度もあった。それこそあらゆる仮定を立てて。
巻き込まれてばかりだった俺が、SOS団の一員であるという明確な自覚をもって動くことを決意したときに、考えたのだった。

例えば不本意ながら俺の友人というポジションにいる古泉一樹にとっては、その結末はより望ましく、得難いものだろう。
長門はどうだろう。進化の可能性を探る思念体の基本方針を変えざるを得なくなるだろうから、歓迎はしないだろうな。
朝比奈さんは?ハルヒの力の喪失が朝比奈さんの未来どおりならば、望む望まないに関わらず、彼女にとっては絶対のことに違いない。

では俺は。

とんでもない力を秘めた涼宮ハルヒに引っ張られて、ここまで走ってきた俺自身は、どうなんだ。
俺はハルヒの力をどう思っているのか。面白い。楽しい。厄介。そんな風に片付けてしまっていいのか。

俺は力を失くした涼宮ハルヒを前にしたとき、一体何を思うだろう?




95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 03:43:50.70 ID:2IW76D/V0



「……キョン?あんた、こんなところで何してるの」

素っ頓狂な、掠れ気味の声が上がって、俺は思考の海に沈んでいた意識を引き戻した。数メートル先で、目を丸くしているのは――涼宮ハルヒだ。
この熱さの中で長袖を着て、サンダルを履いて立っている。たった数日ぶりの再会だったというのに、酷く懐かしい顔に出会ったように感じられた。

「こんなところって……」

言い掛けて辺りを見回し気付く。
考え事をしながら歩いていたせいか、無意識のうちに、俺はハルヒの家の前まで来てしまっていたらしい。
思考に足まで連動しちまうとは、何て愚直な両脚だ。俺は適当な言い訳が見つからず、言葉を濁した。

「……その、具合はどうなんだ?」

怪訝そうに見つめ返されたが、追及は止めてくれるようだ。ハルヒは唇をへの字に曲げて応じた。

「割と快調よ。今日は大事を取って休まされたけど、明日には学校に出れると思うわ」

やや不機嫌なのは休まされたことが不服だったかららしい。あたしは大丈夫だって言ったのに、と何処か拗ねるような口調だ。

「無理すんなってことさ。第一、治りかけで登校して風邪菌を周囲に撒かれても困るだろ」

「ふん。そうなったらあたしの前の席のあんたが、一番感染しそうね。お見舞いくらいいってあげるわよ」

「その前にうつすなっての。……大体、今日休んだんなら外出すべきじゃないだろ」

「ちょっとした散歩よ、散歩。最近寝たきりだったから体鈍っちゃったしね。ほんの少し外の空気が吸いたかったのよ」


98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 03:59:23.90 ID:2IW76D/V0



偉そうに胸を反らせて話すハルヒの弁を何処まで信じていいものかと思うが、俺は嘆息した。
俺が心配するまでもなかったね。
ハルヒの態度は、悠々としていて不敵で不遜な、普段どおりの涼宮ハルヒそのものだった。


「……ま、こんな暑い空の下、わざわざ家まで来たんだもんね。ジュースくらい奢ってあげる。上がっていいわよ」

ハルヒにしてはやけに寛大なことを言い残して、ハルヒはひらひらと手を振りながら自宅の玄関を潜り抜けていく。
俺はこんなことをしている場合ではなく、寧ろハルヒの健康体を確認したのだからすぐに帰っても良かったのだが。
……暑い日差しを浴びての道中に喉が渇ききっていたのも確かで、ハルヒの「ジュース」の一言は大層魅力的だった。

――お邪魔するか。

一杯貰って、お暇すりゃいい。他意はないのだ。
俺は希少なハルヒの気遣いの産物をご馳走になることにした。

118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 11:57:27.02 ID:2IW76D/V0


ハルヒの家は最近リフォームしたばかりという二階建てで、三人家族で暮らしているはずなのだが何故か四人家族の俺の家より遥かに広い。
鶴屋さんのお嬢様ぶりとは比較するべくもないが、涼宮家もそれなりに裕福な家庭に分類されるんだろうな。
不公平な世の中である。
フローリングのキッチンは改修してからそれほど経過していないということもあって、風雅な木の匂いが鼻をついた。
テーブルの装飾一つとっても、全体的に品が良い高級嗜好のものばかりだ。父親の趣味だろうか。ハルヒの親父さんっていうのも、余り想像がつかないが。


「はい」

ハルヒがオレンジジュースがなみなみと注がれたグラスを、俺の目の前に差し出してくる。礼を述べて受け取ると、ハルヒは自分用に新たにカップを取り出した。
パックには『濃厚果汁100%オレンジジュース』とでかでかとロゴが入っている。100%と書かなけりゃジュースとは呼べず、頭の『濃厚』は果たして必要なものなのかというくだらない思考を走らせながら、俺はジュースに口をつけた。
柑橘系の甘ったるい味が口の中に広がるが、喉がからからだった所為か驚くほど美味かった。一気に飲み干す。


121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 12:15:08.10 ID:2IW76D/V0


「ご馳走さん」

手を合わせた後、空になったグラスを流し台に運ぶ。ハルヒを見ると、ハルヒは手元に注いだオレンジジュース入りのカップを手で弄びながら、思案顔で俯いていた。
数日前に、俺に「話がある」と切り出したときのハルヒの表情だ。

「……ハルヒ、どうした」

何か、悩み事でもあるのか。ついさっきまではいつもの団長様だったっていうのに、今はまた笑みに陰りが生まれている。
其の横顔はやけに大人びて、俺の知らぬハルヒのようだった。
白い頬は暑さに微かな朱を帯びていて、瞳は手の内のカップ周辺を彷徨っていた。思い描いたことの実行と中断の狭間での葛藤。

やがて視線が持ち上げられる。

俺が掛ける言葉を模索していると、ハルヒは俺を見据えた。
腹を括った顔つきだった。


「明日言うつもりだったんだけどね。病気で休んで七夕の用意が疎かになっちゃったし、明日はその準備で忙しそうだから……。今から話すわ」


124 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 12:23:47.91 ID:2IW76D/V0


「明日言うつもりだったんだけどね。病気で休んで七夕の用意が疎かになっちゃったし、明日はその準備で忙しそうだから……。今から話すわ」

「六日に話すって言ってた、『折り入って』の話のことか?」

「……そうよ」

一体ハルヒの口から何が飛び出すのか、まるで考えが及ばない俺は想像力が貧困なんだろうかね。
相手はハルヒだ。こういうシチュエーションに甘酸っぱい期待と共に最初に思い浮かべてしまうような、色っぽい話ではまずないだろうが。
油断しているうちに爆弾が落とされやしないかと俺がやや身構えていると、ハルヒは、予想外のことを訊ねてきた。


「――あんた、あたしが五年前の七夕に何をしたか聞いたことある?」



126 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 12:38:44.85 ID:2IW76D/V0



俺は体感する蒸し暑さと裏腹に、背筋が冷えるのを感じた。

何を意図した問い掛けだ、これは?
まさか俺が過去のタイムトリップでハルヒに会い、名乗りをあげた、即席の別の名に関して勘付かれてしまったのだろうか。
俺の最後の切り札。――俺がジョン・スミスであることに。

いや、まだ分からん。俺は焦りのあまり先走っている思考を食い止めた。
結論を出すにはまだ早い。今の台詞だけ聞く限りでは、ただの状況把握のための発言だ。それに、ハルヒが鎌をかけているだけってことも有り得るのだから。

俺は平静を装い、関わった当人しか知らないような情報をうっかり漏らしてしまわぬよう気を使いながら、ハルヒに頷いて見せた。

「……谷口から聞いたぜ。なんでも東中の校庭に、けったいな絵文字を書き殴ったらしいとかなんとか」

ここまでは確かに谷口から聞かされたことだ。俺が知っていても何の不審もない。
ハルヒはすんなり頷きを返した。

「そう。まあ、この話は近隣じゃ有名みたいだから今更よね。でも、本当はその文字、あたしが書いたんじゃないの」

「どういうことだよ。お前が次の日に、『あたしがやりました』って名乗り出たんだろ?」

「あたしが『やらせた』っていうのが正しいわね。その絵文字を実際に書いたのは、身元不詳の怪しい北高生だったから」


131 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 12:54:21.23 ID:2IW76D/V0



俺は指に力を篭めて、震えを押し込めようとしたが上手くいかなかった。
こいつは武者震いだ。

来た。とうとう来ちまった。

まったく、何てところでカードを切ってきやがる、涼宮ハルヒ。
俺は強張った顔つきを解す余裕もなく、ハルヒの静かな両目を受け止めているしかない。
いきなりこんな事を話し出した理由は目に見えている、ハルヒは俺を試しているのだ。

これまで触れることの決してなかった、五年前の七夕に関して、ハルヒが俺に語ろうとしている。

『ジョン・スミス』と名が刻まれたジョーカー。この名の効力は、「俺が何も知らない」という前提に立っている。
もし俺がハルヒから「少女を背負った男」が「ジョン・スミス」と名乗ったことまで打ち明けられてしまえば、俺のジョーカーは意味を為さないものになる。

だから――俺が今後ジョン・スミスであることを明かすのは博打になる。下手をすれば、「あたしをからかってんじゃないわよ」で一蹴されてしまうことになる恐れもある。

言うなら今だ。
明かすなら、……今しかない。


132 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 13:09:33.84 ID:2IW76D/V0



しかし、ハルヒにジョン・スミスの正体を打ち明けることそのものが、元より博打なのだ。
今は緊急事態ではない。長門も古泉も平穏無事で健在、現状どうしてもハルヒの力が必須ということはない。
このまま将来も何事もなく過ぎてくれるなら、俺が切り札を行使する必要もない。
俺がジョンであることを明かすことが、ハルヒの能力を刺激し、かえってよくない結果を招いてしまう可能性もある。


ハルヒは俺が悠長に迷っている時間を許しはしなかった。
俺が告白を躊躇っている間に、ハルヒはあっさりと俺の煩悶のカードを叩き落としてしまったのだ。


「そいつは、『ジョン・スミス』って名乗ったわ。
あたしを手伝って、『世界を大いに盛り上げるためのジョン・スミスをよろしく!』って、ふざけたことを言って去っていった」


134 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 13:24:45.46 ID:2IW76D/V0



俺は緊張に張っていた身を脱力させた。……核心的なことを、随分、簡単に言われてしまった。
この時空平面上での鍵となる言葉が「ジョン・スミス」だった筈なんだが、ハルヒ自身にとって、実はさしたる意味を持つ言葉じゃないんだろうか。

ハルヒは俺をジョン・スミスと疑っていた――はずだ。
俺の反応を逐一確かめているような節はあるが、それにしては、焦らして様子を見るような手段は取って来ない。
確信的な疑いを持っているならこんな回りくどい言い方はせず、単刀直入に俺に斬り込んで来たってよさそうなものである。


何にせよ、言いそびれた以上、今からどうこう言うのもアレだな。
俺は知らぬ振りを突き通すことにした。

なんとも歯痒い気分になるが、致し方ない。


「……それは、物好きな男もいたもんだな。お前が北高を選んだのも、其の男が理由か?」

「まあね。いくら探しても、ジョンは北高にいなかった。だから、諦めたのよ。三年前の七夕が来るまでは」

140 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 13:45:29.47 ID:2IW76D/V0



ぶわ、と嫌な汗を掻いた。


「―――三年前?」

「……あんたにはいつかに話したわよね。あたしが昔世界をつまらなく感じてたってこと。
中学三年のときそれが絶頂に達したのよ。其の頃は学校もよくサボったし、何もかもつまらなくて、別世界に行きたいって思ってた。あたしを分かってくれる人が、宇宙の何処かに、違う世界の何処かに居てくれる筈だって思ったのよ。
あたしは、その想いをそのまま七夕の短冊に書き綴った。十年後でも二十年後でも、あたしの願いを誰かが聞き届けてくれたらどんなにいいかって思った。
そしたら、いつの間にか、私が書いた覚えのない色の短冊が混じって吊るされてたの」


若草色の短冊は月の光を浴びて、夜風に葉の擦れあう音と共に、さらさらと揺れていた。
ハルヒはその不可解な代物の出現に驚き、上の方に取り付けられていたそれを手に取る。

薄っぺらなその一枚の紙には、こんな一文が記されていたという。



『世界は大いに盛り上がったか?』



141 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 13:57:13.21 ID:2IW76D/V0



「あたしは誰がそれを書いたかすぐわかった。当たり前よね。あんな台詞をあたしに吐いたのはあいつだけだったもの」

ハルヒそこで小さく笑みを浮かべた。得意げに、悲しげに、懐かしげに。

「あたしは返信を書いた。別の短冊に、『駄目。全然駄目』って書いてぶら下げておいたの。……次の日、目が覚めたら、今度は薄紅色の短冊が増えてたわ。
そこにはこう書いてあった」


『三年後もお前の世界がつまらないなら、約束だ。三年後の七夕に、俺が違う世界に連れてってやる』。



俺はそのヴィジョンを一通り想像し――唇の異常な渇きを感じた。鼓動が早い。拳を胸に押し当てて、ハルヒの語った話を脳内で反復する。

五年前の七夕にジョン・スミスと会って、別れて。
三年前の七夕に、ジョン・スミスと短冊を手紙代わりにやり取りした?

待て。待て待て待て。
俺は知らない。三年前の俺は高校受験を控えてお袋に尻を叩かれていたから暢気な生活とは言えないが、その当時の俺はハルヒの家どころかハルヒの存在そのものを知らなかった。
俺はジョン・スミスだ。五年前の七夕にハルヒを手伝ったのも、『世界を大いに盛り上げるための……』の言葉を発したのも間違いなく俺だ。
なら、三年前の七夕に、ハルヒにメッセージを発した『ジョン・スミス』――そいつは、誰だ?


145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 14:22:53.59 ID:2IW76D/V0



俺の恐慌状態など知る由もないハルヒは、話し終えて胸の支えが取れたというように、大きく背伸びをした。
手に握られたままのカップの中のジュースの残りが、拍子にちゃぷんと波打つ。

「……ずっと、誰かに話しておこうと思ってたのよ。まあ、SOS団作ったきっかけに関わってるのはキョンだし、あんたになら話しておいてもいいかと思って」

述懐するハルヒは、さばさばと晴れやかな表情だ。まるで、もう未練はないとばかりに。
思い残すことがないように、言いたいことを全て伝え置いたような――そんな、憑き物が落ちたような顔でいる。
朝比奈さん、あなたが俺に与えてくれたヒントはこのことだったんですか?
育ててくれた翁を置き去りにすることになっても、遠い故郷の月に旅立つことを最終的には決断した、異星人のかぐや姫。


……ふざけるなよ、畜生。


「七夕って明後日じゃねえか。そんな怪しげな宗教勧誘みたいなのに釣られて、ホイホイ行くつもりなのか?
相手が不審者だったらどうする」

「……キョン?」

「SOS団はどうするんだ。お前が作った部活だろ。俺たちを放っておいて、どっか行っちまおうって腹なのかよ」

「ちょっとキョン、何怒ってんのよ」

148 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 14:49:15.11 ID:2IW76D/V0


詰め寄る分だけハルヒは後退り、やがては壁を背にするところにまで行き着いた。
戸惑いを瞳に浮かべて俺を見上げるハルヒは、俺の変わり身の意味を測りかねているようだが、知るか。

「いきなり変よ、あんた。あたしが言いたいのは――」

「俺は行かせねえ。お前が望んだって、絶対にお前を七夕に連れて行かせたりしねぇぞ」


俺自身、信じられないくらい自制ができなかった。ハルヒが怯えているのが分かるのに、怒りの矛先が眼の前にないからこそ俺は声を荒げるしかない。
俺は確かに怒っていた。
俺のジョン・スミスの名を騙りやがった何者かが、ハルヒを何処かへ連れ去ろうとしている事実に、どす黒い炎が噴き上がってきそうな激しい憤りを感じていた。


卑怯な手を使ってくれるじゃねえか。
俺たちのアキレス腱をわざわざ奪いに来るなんて、上等だ。その喧嘩買ってやるぜ、偽者のジョン・スミス。

誰が連れていかせるか。
涼宮ハルヒはSOS団の恒久的団長だ。
俺たちを良くも悪くも最後まで引っ張っていくのがこいつの役割なんだ。
偽者なんかに連れて行かれてたまるか。SOS団総出で阻止してやるとも。

俺たちのSOS団、俺たちの団長、俺の―――



153 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 15:06:03.74 ID:2IW76D/V0


「何勘違いしてんのよ、バカキョン!誰が行くって言ったのよ!」


盛大な一喝が俺の暴走に水を浴びせかけた。


「……は?」

俺は愕然としてハルヒを見下ろす。

ハルヒは顔面を――耳までも紅潮させて、唇をきつく引き結んでいた。大きな黒瞳が微かに潤んで、いかにも弱弱しい。
いつの間にかハルヒに掴み掛かる様な体勢になっていたのに気付き、俺は慌てて飛び退いた。
これ、誰かに見られたら狼藉者扱いは確定だろう。冤罪ですらない。


「あたしは一言だって……『行く』なんて、言ってないわよ」

「え、だって、お前……」

俺は先ほどの勢いが嘘のように、馬鹿みたいに狼狽した。本当に、俺の無様を誰か盛大に笑ってくれ。
今この時ほど他人に道化呼ばわりされたかったことはない。自分でやるには惨めが過ぎる。

ハルヒはふてくされたように腕を組み、鼻を鳴らした。

「あんたの言うとおり、SOS団作ったのはあたしなんだもの。それを放置していく訳にはいかないじゃない。
……あたしだって、その責任くらいは弁えてるわ」

161 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 15:26:00.99 ID:2IW76D/V0


嘘じゃないことは曇りのない瞳が告げている。
あたしが、あんた達を見捨てるって?キョン、人を馬鹿にするのも大概にしなさい。あたしを見縊らないでよね!


「……そう、か」


俺は手を額に当て、天井を仰いだ。
……確かにそうだ。俺はハルヒの成長ぶりを見縊っていたのかもしれん。
ハルヒはこの高校生活で、驚くほどの変化と順応を見せた。不機嫌面しかしていなかった入学当初から、笑顔を浮かべ、積極的になり、友人も増えた。
今ではクラスの他の女子とも親睦を深め、リーダーシップのある明るい女子高生として認知されつつある。

そしてそんなハルヒの些細な一歩一歩を見守ってきた俺である。ハルヒが最優先に選び取ることが、既に「自分の望み」というエゴに終始するものではないことなど、分かっていたというのに。

特大の閉鎖空間を生み出し、俺と二人きりの世界を作ろうとしたあの時のハルヒなら、この七夕の誘い文句にも喜んで乗っただろう。なりふり構わず、他の何も省みることなく突っ走っていただろう。
だが、今のハルヒは違う。
この世界に潜む「普通」の楽しみを見出し始めたハルヒは、もう、この世界を安易にゴミ箱に投げ打つような真似はしない。

167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 16:14:22.45 ID:2IW76D/V0


「悪かった。てっきりお前が行くつもりなんだと決め付けちまってた。
……今の言葉、信じていいんだよな、ハルヒ」

「あたしは信じろなんて易々と言わないわよ。でも、あたしがあんたの期待を裏切ったことがある?」


俺の安息への期待をことごとく裏切り続けてきた奴の台詞とは思えんが、常の調子に戻りつつあるハルヒに、ひとまず安心が先に立った。
ハルヒは七夕にジョン・スミスの下に行くつもりはない、と寸分の躊躇いもなく断言してのけたのだ。
ハルヒに赴く意思がないのならば、相手方の計画はこの時点でおじゃん。敵前でざまあみろと舌を出してやりたい。涼宮ハルヒを甘く見たのがお前の敗因だ。


顔を火照らせたハルヒに、「熱がぶり返したんじゃないか」と横になるように勧めると、「誰のせいだと思ってんのよ」と睨み返された。
……掴み掛かったのは確かに悪かったが、俺も必死だったんだ。情状酌量の余地を認めてくれ。
俺の謝罪に益々ハルヒの機嫌は悪くなった。……俺、何かしたか?


173 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 16:47:52.17 ID:2IW76D/V0



……





翌日、七月六日。
ハルヒは実に五日ぶりの通学となり、ハルヒの身を案じていた一部女子達から暖かい抱擁で迎え入れられた。
ハルヒも満更ではなさそうで、一人ずつに応対しながら、ハルヒが休みの間あった出来事を世間話のタネに、話に花を咲かせている。
体力も全回復、すこぶる快調のようだ。俺じゃなくても喜ばしいことである。らしくないハルヒを見ていると、こっちの気も滅入るもんだからな。

ハルヒはいまやクラス行事でも主力の活躍をする中心人物になりつつあった。その明朗さと押しの強さは憧れを抱かれやすい性質でもある。
これが本来のハルヒの姿と思えば、しっくりくる話だ。……少々、物寂しさは拭えないが。


俺は俺で、復帰したハルヒに和んでばかりもいられない。頭に引っ掛かっているのは俺の偽者野郎のことだ。
正体を突き止めないことには、七夕もゆっくり過ごせそうにない。

ハルヒから三年前の話を受けて、俺が真っ先に思い浮かべたのは長門のことだった。
得体の知れぬもう一人のジョン・スミスが、宇宙人に類するもの、未来人に類する者である可能性に思い至ったのだ。
「世界を大いに盛り上げるためのジョン・スミスをよろしく!」というあの言葉を知っているのは、俺とハルヒと朝比奈さんだけ。普通の人間が三年前の七夕の時点で、あの特徴的なワンフレーズを知っているはずがない。
古泉でさえ仔細は聞いていないはずだ。機関その他の人間勢力は候補から除外していいだろう。

175 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 17:03:20.62 ID:2IW76D/V0


候補として最も有力なのが、宇宙人組織だ。つまり情報統合思念体や、天蓋領域の一派のような宇宙生命体である。
ハルヒの進化の可能性の更なる進展を望む彼らなら、ハルヒに偽者のジョン・スミスをちらつかせ、ハルヒの身を確保しようとするのも有り得そうなことだ。
そして長門は、「思念体は観察行動を維持している」と言っていた。つまりは、思念体以外のナンタラ星系に点在する意識集合体なんかが、ハルヒを騙くらかして連れ出そうとした。
いかにも辻褄が合いそうな話じゃないか?


「――天蓋領域及び、他に地球外で活動するすべての意思生物は、今回の件に関わりはない」


俺の思い付きを切って捨てたのは長門だった。

放課後の部室。例年通り立派な笹の葉がハルヒの手によって準備され、あとは短冊を飾るばかりというところまでセッティングされている。
自然そのものの薫りは、初夏特有の青臭さを滲ませているようだ。
長門は今日、読書という読書をしていなかった。分厚い書物は膝上に置かれているものの、椅子に座ったきり、笹の葉をじっと見つめている。
何事かに思い巡らすように。


176 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 17:17:20.82 ID:2IW76D/V0



「じゃあ、なんだ。未来人か?」

俺は真摯に問い質しているつもりなのだが、長門は徹底的に沈黙を貫いた。
言いたくない、という長門の堅い否定の言葉から想定はしていたが、不意を突いて沸きあがる苛立ちは抑え切れなかった。
長門は悪くない。わかっている。この怒りは自分の不甲斐なさのせいだ。
だが下手をしたら、ハルヒがわけのわからない俺の偽者に、何処かへ拉致監禁されていたかもしれない。長門がジョン・スミス(偽)のことを知っていたなら、そうなる可能性を見越して黙っていたということになる。


「長門。……お前は、偽者のジョン・スミスのことを知ってたのか?」

「………」

長門は、このとき、初めて俺を見た。硬質の眼が、微かに解けたように緩まった。

「七月七日に、あなたを今悩ませていることは決着する。……あなたの心配は杞憂」

214 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 22:51:43.28 ID:2IW76D/V0



杞憂、か。
にわかには信じ難い話だった。現にハルヒは寸でのところで誘拐されるところである。
しかし、俺は長門の語ることに全幅の信頼を寄せている。長門がそう言うからには、そうなのだろう。

念押しのように長門は繰り返す。

「これは確かなこと。……規定事項ではないが、そうすることを望んでいる。我々も、『彼』も。それが、元々の取り決め」

「『彼』?『彼』って……」


ざあ、と窓から吹き込む生温い風が笹の葉を大いに揺らした。
長門は無言で俺を見ている。

「『彼』が願い、涼宮ハルヒが望んだ。だからこそ『彼』はここに来た」



215 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/24(水) 22:54:27.04 ID:2IW76D/V0



――そう、俺は一つ忘れていたのだ。

考えてみれば簡単なことだった。自己紹介に高らかに宣言した涼宮ハルヒが、引き寄せることを望んだものは四つある。
一つ、宇宙人。二つ、未来人。三つ、超能力者。
まだ現れていない最後のピース。


長門がいっこうに推理の進まない俺を慮って教えてくれた、それがジョン・スミスの答えだった。




217 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:09:28.54 ID:2IW76D/V0




其の日は復帰したばかりのハルヒの都合もあり、早期に解散号令が出た。
俺は事前に、ハルヒが不意を打って掻っ攫われたりしないよう注意しておいて貰えるよう、古泉に根回しを頼んでおくことにした。
元からそのような事態にならないよう機関の監視は万全だという、実に頼もしい返事である。


「あなたが直々にそのようなことを言ってきたからには何かありそうだと、機関での態勢をより『厳重』にしておきました。
森さんはフル装備で楽しそうでしたよ。校外の車内で一日中待機していると思います。何があっても三十秒で駆けつけられますよ」

頼んだら頼んだでえらいことになっている。別に頼まなくても良かったかもしれん。何かあったら戦争になりそうだ。
その森さんの「装備」の部分が酷く気になるが、敢えて聞かなかったことにしておいた。精神衛生上よろしくないものを想像しそうだったからな。


色々なことを考え過ぎて、あまり寝付きはよくなかったが――長門の弁によれば、全てが七日に終結する。

なるようになるしかないってことだ。

七月七日。七夕。本日も快晴。……欠伸はここのところの友達である。





221 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:24:08.72 ID:2IW76D/V0



「さあ皆、どしどし願い事を書きなさい!」

青空の下、巨大な笹の葉が窓から吊り下げられ、風に揺れて風流な音を奏でている。道行く人の注目を集めてる気がするんだが、ここに願い事を吊るすのは悪目立ちしそうで、若干気が引けるな。
俺の胸中などお構いなしに、今日の涼宮ハルヒは実に楽しそうだった。
約五日間家に縛り付けられていたことが余程堪えたと見え、遅れた分をめいっぱい楽しんで取り返してやろうという意識が透けて見える。

「今日のあたしは機嫌がいいから短冊は一人五枚まで!お星様だってきっと機嫌がいい日に願い事を見れば、二つでも三つでも叶えてくれるわ。
寧ろ叶えられる範囲以外のを切り捨てられちゃうとしたら、沢山書いておく方がお得よね。願い事にも頭使って、出きるだけ多く叶えて貰える様努力しなきゃ」

お前はサンタクロースに大きいプレゼントから小さいプレゼントまで何十個も願い事を書いておくタイプか。両親が子供の部屋を覗いたら、欲しいものリストの厚さに腰を抜かすだろうな。

「願いが叶うまでのブランクを考えなさいよ。サンタクロースはご老体なのに一晩で全部配らなきゃいけないじゃない。それなら、プレゼントのランクは多少眼を瞑ってあげなきゃ可哀相でしょ」

ハルヒ理論は相変わらず分からん。それなら十数年後に願い事を一気に叶えなきゃならん織姫と彦星の労苦も大変なもんだろうに。どっちも労わってやれよ。


223 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:39:37.23 ID:2IW76D/V0



「労わってるわよ。ちゃんと手を合わせて『お願いします!』って頭も下げてるもの。織姫と彦星だって年に一度の逢瀬でハイテンションに決まってるわ。そういうときこそお願い事もホイホイ叶えてあげようって気になるでしょ?」

眩い100ワットの笑顔のハルヒを目の前にするのは、久しぶりのような気がした。発言内容のぶっ飛びぶりはさておくとしても、やはりハルヒはこうでなきゃ面白くない。
……ああ、そうだな。認めざるを得ない。俺はこの馬鹿をやってる笑顔のハルヒが好きなのだ。ハルヒがいなければSOS団は成り立たない。憂鬱顔のハルヒは、それだけで俺達のテンションまで下げてしまう劇的な効果を持っている。

――守るさ。

そのためなら、俺は何時だって走ってやる。朝比奈さんは抜けてしまったが、彼女だって何時までも団員だ。このSOS団と団長殿の笑顔を守るためなら、何だってしてやる覚悟が俺にはある。



「沢山願い事を書くことが出来るのは有難いですが、五枚ですか。なかなか思いつかないものですね」

そう言いながらへらりと笑うのは古泉だ。一枚目から書く内容を悩んでいるらしい、ペンは少しも動いていない。
俺は「新種のゲームが欲しい」とか「宝くじ一等賞」とか即物的なことを書き溜めて余裕で五枚終了。早いもんである。
長門はというと、俺達の会話を余所に黙々と書き記していたので、隣から一体どんな願い事をしてるのかとこっそり覗いてみると、

『谷川流新刊発売』

……長門も即物的な願いというものを覚えたようである。望ましい形かは別にして、だが。


226 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:49:40.40 ID:2IW76D/V0



早々に書き終えた俺、ハルヒ、長門に多大な遅れを取っていた古泉は、一時間の苦闘の末に、ようやく五枚分の短冊を書き終えた。
相変わらずミミズが這ったようなワイルドな字である。時折お前の平仮名が象形文字に見えるんだが。

「余計なお世話かもしれんが、お前、ペン習字とか習う気ないか」

「……これでも、通信で一年半習ったんですよ」

マジでか。




カラフルな短冊が思い思いの場所に吊るされ、さわさわと風に踊る。
一際大きなハルヒの虹色の紙を使った短冊には、極太マジックでこう書かれていた。


『SOS団総出で宇宙旅行!』


俺は思わず吹き出してしまい、ハルヒにむくれ顔をされちまったが。
そうだな、古泉。したり顔で言われるまでもないぜ。
涼宮ハルヒはもう安心だ。能力も何もない、一般人の俺がそれを保障する。

231 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 00:18:13.69 ID:B6cVC6VV0




17時30分、SOS団企画七夕祭り無事終了。


俺達は勉強尽くめだった日頃の疲れを笑い合って癒し、帰途に着いた。


涼宮ハルヒは笑っていたので、俺は、長門の「杞憂」という言葉を信じていた。


……あの夢のことを、思い出すまでは。




232 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 00:19:51.97 ID:B6cVC6VV0


……






「連絡ナシ、か……」

俺はベッドの上で携帯を眺めていた。

万が一を考え、古泉に、ハルヒがもし外出する素振りを見せたら、俺に連絡を寄越してくれと頼んでおいたのだ。
古泉は機関経由で必ず連絡を回すと約束してくれた。二十四時間態勢で監視にあたるということで、機関の方々に申し訳なく思いもするのだが、俺が一晩中ハルヒの家を見張るってのは流石に無理があるからな。

学校から帰宅して21時半。ハルヒが出掛けないなら俺に心配することは何もない。
ハルヒは行かないと言っていた。俺はそれを信じていれば十分である。


「……仮眠取るか」

寝不足気味だしな。意識した途端、大きな欠伸が出た。
やきもきしていても仕方がない。
ハルヒが出掛ければ、必ず携帯がアラーム代わりに鳴ってくれる。23時になったらまた起きて、日付が変わるまで携帯を睨み付ける作業に戻ることにしよう。
布団を被り、時計を調整すると、眼を瞑った。

235 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 00:30:23.89 ID:B6cVC6VV0



眠りに落ちるのはすぐで、俺が強制的に覚醒に導かれたのもすぐだった。近頃の俺はどうも、快眠というものにつくづく縁がないらしい。
瞼を開いたとき、俺はベッドに腰掛けていた。



何処となく現実味のない消灯された灰色の室内。闇に沈んだ街。そして眼の前の床に、正座で座り込んでいる小さな涼宮ハルヒ。


――疑う余地はない。こいつは、前に見た夢だ。

二度繰り返す夢には意味があるという。深層心理を如実に反映するものとも聞くが、そっちの例は捨て置いていい。
これはハルヒが見せている夢だ。俺にはその確信があった。
生唾を呑む。数歩歩けば抱き上げられそうな距離を置いて、五年前の涼宮ハルヒが、俺を見て怒ったように眦を吊り上げている。


『連れて行ってって、言ったのに』



240 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 00:43:08.33 ID:B6cVC6VV0



ハルヒは恨めしそうな声で唸った。俺に駄々をこねるように、それでも切実な声を重ねる。

『約束したの』

『約束なの。あたし、行かなきゃいけないの』

『連れて行って』

『連れて行って』

『あたしを、連れて行って…!』



――ハルヒ。俺は声を発そうとするのだが、夢の中のせいか、唇は張り付いたようになってどう踏ん張っても開かない。

俺は胸を掻き毟りたい気分だった。俺に自分の胸を抉ることのできる長い爪があったなら、実際にそうしていただろう。

この夢が、ハルヒが俺に見せているものだとしたら。
この小さなハルヒが、ハルヒの心理状態を表しているものだとしたら。
「行かない」と言っていたハルヒの言葉は、本心ではなくて――俺を想って、取り繕っただけのものだったとしたら?


247 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 01:02:49.40 ID:B6cVC6VV0


俺は焦燥感に囚われ、呼べもしないハルヒの名を何度も、無我夢中で呼ぼうと無駄な努力を繰り返した。
小さなハルヒは、そんな俺を哀れむように、一筋の涙を流す。


『あたし、     に    たい の』


なんだって。何て言ったんだ、ハルヒ。
俺は叫ぼうとし、ハルヒは泣きながら両腕を伸ばし、俺は小さなハルヒの身を抱き締めようと一歩を踏み出す。






――けたたましいアラーム音に、俺は今度こそ叩き起こされた。

夢が霧散する。耳元に置いておいた携帯が、音量を最大値にしておいただけあって盛大に、軽快な着信音を鳴らしていた。すぐさま拾って耳に押し当てる。

『……やられました。申し訳ありません』

叱責を覚悟した男の声は、古泉だった。口早に俺に状況を説明するのを聞くうちに、全身の血の気が引いた。

『暗視スコープで涼宮さんの室内を確認したんですが、蛻の殻でした。彼女が帰宅して以降外出の形跡はなかったことをメンバーが確認しています。
「誰にも見つかりたくない」という彼女の能力の発露によって抜け出したとしか思えません。僕達は無人の家を監視していたんです…!』


252 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 01:20:35.14 ID:B6cVC6VV0


目下ハルヒを捜索中という古泉の声を最後まで聞かずに、俺は電話を一方的に打ち切った。
適当に上着を羽織り、自転車の鍵と財布を掴んで家を飛び出す。


ハルヒが行く場所なんて決まりきっていた。
ジョン・スミスのところだ。
あいつは、俺達を置いて、三年前にメッセージを短冊に書いて寄越したジョン・スミスのところへ行ったのだ。

鍵穴に差込み回す時間すら惜しかった。猛烈な勢いでペダルを漕ぎながら、俺は息を切らして愛用のママチャリで夜の街を滑走した。
焦慮と恐怖で胸が破裂しそうだった。もしもの可能性を考えただけで、眼の前が真っ暗闇に落ちそうになる。



ハルヒ、お前、楽しかったって言ってたじゃねえか。こんな生活も悪くないって笑ってたじゃねぇか。

宇宙旅行はどうしたよ。SOS団全員で火星を見に行くんだろ?

それにSOS団の責務はどうしたんだ、お前以外に誰があんなヘンテコな団の団長を務められるっていうんだ。

確かに何もしなきゃこの世界はつまらない、在り来たりな日常だろうさ。だけどお前は学んで、自分でその楽しさや喜びを作り出すようになった!

この世はお前が考えてる以上に刺激的で、前向きで、お前の遣り方一つでどんな風にだって盛り上げられるはずだ。

だから行くな、ハルヒ。

頼むから行くな。

俺を、置いて行くな…!


259 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 01:34:58.17 ID:B6cVC6VV0



東中の校舎に接近するにつれ、俺は半ば祈るような思いになっていた。ハルヒが既に奴と姿を消してしまっている、そんな最悪の想像が頭にこべりついて離れない。
重々しい鉄の校門は開け放たれていた。客人を待ち侘びているかのように、無造作に口を開けている。

自転車を引き倒して、俺は縺れる足を叱咤して校庭内へと駆け込んだ。
ここを訪れるのは人生で二度目だ。
周辺を目視で見渡し、――暗闇に満ちたグラウンドに、人影を見つけた。




そいつは、俺より早く俺の訪れを察知していたようで、俺の方を静かな面持ちで見ていた。

俺は満遍なく眼を配りながら、必死にハルヒの姿を探すが、それらしき姿は見当たらない。


264 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 01:46:30.86 ID:B6cVC6VV0


「――ハルヒは何処だ?」


もし、ハルヒを何処かへ連れ去った後だというなら、眼の前の奴の顔を原型が止めないくらい蛸殴りにして吊るし上げて連れ戻させてやる。
俺の威嚇の唸り声を、俺より数年、年季の入っている無精髭の男――ジョン・スミスは、――異世界の『俺』は――、小さく笑って受け止めた。


「安心していいぜ。……ハルヒなら、ここには来てない」

「信じられるかよ」

「信じろよ。一応、お前は『俺』なんだから」

400 名前:271[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 23:17:33.14 ID:B6cVC6VV0


「ふざけるな。てめえは誘拐未遂犯じゃねえか。異世界のハルヒを自分の世界に引っ張り込もうって腹なんだろ?俺だろうが何だろうが明確にお前は俺の、SOS団の敵だ」


啖呵を切った俺に、男は面映そうに眼を細めた。俺が睨み付けるのにも、大した脅威を感じているようには見えない。
余裕ってわけかよ、この野郎。俺は唇を噛み締める。



――『彼』が願い、涼宮ハルヒが望んだ。だからこそ『彼』はここに来た。


長門の言葉。
ハルヒが求めた宇宙人でも未来人でも超能力者でもない存在といえば、異世界人しかいない。
それが眼の前のこの男だと、俺は長門のヒントから漸く掴み取ることが叶った。


402 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 23:24:20.95 ID:B6cVC6VV0



異世界人とすれば、あの短冊の文言も読み取りが容易だ。
『別の世界につれてってやる』というのは文字通り、この男が元居た世界に連れて行くという意味だろう。

この異世界人たる俺がどういう経緯で、いつ、この世界に降り立ったのかは知らないが、三年前から短冊でハルヒに誘いをかけ、準備を整えてきているところからして計画的犯行である。
ハルヒを連れ去ろうと企んだ時点で、初対面前から俺の中の男の好感度はピラミッドの最下層を突き破って土に埋められるレベルだ。

どんなペテンを使って時空遡行したのか知らねえが、俺の眼の黒いうちにハルヒを連れて行かせたりするもんかよ。 そう、ハルヒが幾ら望もうとだ。こればかりは譲るわけに行かない。



異世界の『俺』は、俺が捲くし立てた言葉に少々驚いたらしい。なんだ、と今度は柔らかとも形容できそうな苦笑を浮かべる。

「そんだけはっきり言えるなら、何で普段からもっと素直になれないんだ、お前は」

こんな時に古泉みたいなことを言いやがる。お前の知ったことじゃねえ。

「……随分嫌われたもんだな、俺も。どうも誤解があるみたいだから言うが、俺は別に無理やりハルヒを俺の世界に連れて行こうって思ったわけじゃないぜ。
三年前のハルヒは荒れてた。世の中に心底絶望しているように俺には見えた。……だから、本当にこの世界が辛くて苦しいなら、それをハルヒが望むなら、攫ってやろうと思っただけだ」


403 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 23:33:27.55 ID:B6cVC6VV0


「その攫うってのが気に食わねえって言ってるんだ。俺たちの世界のハルヒに、勝手に干渉する権利なんて誰にもない。
大体、『俺』がいる異世界なら、ハルヒだって当然いるだろ?ハルヒ同士鉢合わせてどうするつもりだ。ドッペルゲンガーって言い訳でもするのかよ」


男が表情を石のように硬くしていたことにも気付かぬまま、俺は怒りに後押しされて、衝動のまま沸き上がる言葉をろくに考えもせず吐き捨てた。
男は俺の言葉のすべてに反駁することなく、俺の詰りを受け止める。


俺が荒い息をつきながら言葉を切ると、異世界人は、眼を伏せて言った。


「――俺の世界のハルヒは、もう、死んでるんだ」



409 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 23:45:57.37 ID:B6cVC6VV0



俺は口を開けた。何か言おうとして、何も言えなかった。


なん――だって?




「ハルヒは、高校二年の七夕の日、命を落とした」

男が移行した無表情は痛いくらいに感情というものが削げ落ちていた。

「忘れちゃいけないぜ。いつだって胸に刻まなきゃならない。――奇跡は必ず起こるものじゃない、与えられたそれは必然のものじゃない。
ここは幸運な世界だ。ハルヒが生きていて、俺も生きている。
俺は幾多に重なる、この世界の平行世界の一つからここまで『跳んだ』。厳密に幾つ超えたかは分からん。
だが、どの世界もが、この世界のお前達みたいに幸福な生を手に入れられたわけじゃなかった」



――俺は、もっと注意深くあるべきだったのだろう。

例えば長門が異世界人のことを『彼』と呼び、ハルヒを攫おうと計画していた不届き者にも関わらず、擁護するように一切の情報を俺に漏らすまいとしていたこと。
三年前にハルヒに宛てて短冊を吊るしたということは、過去へ舞い戻る術を男が持っているか、あるいは三年以上前から男がこの世界を訪れていたということ。
異世界はこの世界と同一ではなく、そこに生きる人々の運命もまた、世界によって大きく変化している可能性があったこと。

そのすべての理由には、男がこの世界へ飛んだ『動機』が隠れていたのだから。


411 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 23:53:21.76 ID:B6cVC6VV0



「俺は俺の世界で、ハルヒを蘇らせようとして時空を捻じ曲げ、壊滅寸前にまで追いやった。
最後に奇跡を願って『賭け』に出たが、それも失敗した。ハルヒは死んでしまった。俺はあいつを、取り戻せなかった。
……絶望して、嘆いて、あらゆるものを呪って、……気がついたらハルヒを探して俺は時空を跳んでいたんだ」

「………」


俺よりくたびれた、疲れ果てた男の表情。男の老成したような立ち姿は、ハルヒの死を知っているが故のもの。

俺は男が実際に味わったハルヒの死の瞬間を思い浮かべてみようとしたが、それは余りに不吉なイメージで、俺の思考はその想定すら拒否した。
考えたくもない。――いつか訪れるとわかっていても。
だが、その出遭いたくない場に、男は立ち会ったのだ。立ち会って、それでも生きていかなければならなかったのだと、『俺』は俺に語る。



男は何故ハルヒが死に、どうして一般人である筈の『俺』が時空を跳躍する力なんてものを持っていたのかを語る気はないようだった。
気になりはしたが、俺は男の語りを遮る気にはなれずに黙して耳を傾けた。



412 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 23:59:59.71 ID:B6cVC6VV0



「其の日は時空の歪が丁度上手く重なっていた……らしい。詳しいことは長門にでも聞いてくれ。
とにかくハルヒを求めていた俺がその歪に上手い具合に挟まって、辿り着いたのがこの世界だった。それが、五年前のことだ。
グラウンドに白い文字をラインで引いているお前と、それを指示しているハルヒがそこにいた」

五年前の七夕のことなら、昨日のように思い出せる。初対面の高校生を扱き使う女子中学生。当時から不機嫌そうな顔つきで、肩肘を張って生きていた。
あの光景の何処かに、この男も姿を隠して存在していたのだと聞かされ、俺は酷い遣り切れなさを感じた。

男は調子を特別に上下させることなく、あくまで静かに話を続けるから、俺には分からなかった。

姿を隠して、どんな思いで見てたんだ、あんたは。
喉から手が出るほど欲していた涼宮ハルヒが、生きている姿を。

414 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:01:57.39 ID:h46SLHfj0




「五年前に落ちた俺が、元の世界にすぐに帰ることは不可能だった。俺がこの世界に入り込んだ際の歪が、そのとき既に修正されてしまっていたからな。
俺はこの世界に存在する宇宙人、名前は会って初めて知ったんだが、長門に助力を求めた。
長門は次に歪が発生する時間を算出してくれた。それが今日、五年目の七夕ってわけだ。
……俺は思念体他、各組織の面々……おっと、機関は除くぜ? ともかく双方と交渉し、五年間の異世界人滞在を認めてもらった」


五年後の七夕に間違いなく元いた世界へ帰還すること。それまでは他の一切の人間と接触しないこと。
条件はそれだけだった。


――そうして、男は五年間生きた。
会話相手は長門のみ。人目につかぬように身を隠しながら、息を潜めながら、ずっと、男は陰でハルヒを見ていた。
一個人の人間が背負うには重過ぎる能力ゆえに、涼宮ハルヒは満足を知らなかった。
時に荒れ、世界のつまらなさを嘆き、誰にも理解されない孤独に泣いた。


『俺』はずっと見ていたのだった。
ハルヒが北高に進学し、俺と出会い、SOS団を結成し、満ち足りた笑みを浮かべるようになっていく様を。
ハルヒは、男の世界でのハルヒの命日であった高校二年の七夕を乗り越え、もう、五年前のような悲痛さを垣間見せることはなくなった。



415 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:05:53.95 ID:h46SLHfj0



「……悪い、話が長くなったな。まあ、だからさ。あんな風に楽しそうなハルヒが俺と一緒に来はしないだろうことはわかってたんだ。
わかってて最終確認をした。結局、振られちまったけどな」

「最終確認?」

初耳だ。俺がハルヒから聞かされていたのは、三年前に短冊でメッセージを交し合ったことだけだった。
男は表情を緩やかなものに戻し、くっ、と笑った。

「なんだ、聞いてないのか? 二週間ほど前に、また短冊メッセージを吊るしておいたんだ。俺と行く気があるかどうかって。
さすがのハルヒも少し考えてたみたいだったが、数日後に吊るされた返事はノーだった」


『あたし一人ならあんたと一緒に行ってたかも。でも、今、あたしの身体はあたし一人のもんじゃないの。
だから、ごめんなさい。』


俺は声を喪った。
――ハルヒは俺に嘘をついていたわけではなかったのだ。
七夕の数日前に、既に、ジョン・スミスの誘いに乗らないことを決断していた。あいつのことだ、究極の二択を前にして随分悩んだのだろう。
そう、今年度に入ってから初めての閉鎖空間を、断続的にとはいえども、発生させてしまうくらいに。



416 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:09:40.40 ID:h46SLHfj0



「じゃあ……あんたは、ハルヒを連れて行くつもりはないんだな?」

「ああ。ハルヒが断ってきた時点で、俺にハルヒを連れて行く意思はねえよ」


俺はこの時になって、漸く強張らせていた肩の力を抜いた。安堵と、ただ振り回されていただけだったという気恥ずかしさの入り混じった溜息を吐く。

『俺』が俺より数年年上である理由も、話を聞いて得心がいった。話を聞く限り、異世界でハルヒが死んだときの『俺』は17歳かそこらの筈だ。
その姿のまま五年前にトリップしたということは、単純計算で眼の前の『俺』は22歳。俺より4歳ほど年上ということになる。



『俺』の語りは始終淡々としていたが、男の言葉一つ一つが俺に訓戒の刃として突き刺さった。
異世界の『俺』は言外に言っていた。この物語はもしかしたら、俺の世界の話だったかもしれないと。


418 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:13:11.24 ID:h46SLHfj0


「あんまりクサいことは言いたくないが。告げたい言葉を躊躇ってるうちに、相手がいなくなっちまうこともある」

「……ああ」

「涼宮ハルヒが大切なら、守れよ。この世界でそれが出来るのは、お前だけなんだ」


男に対して燃やしていた敵愾心は、何時の間にか収縮してしまっていた。同情もあったが……話すうちに、相手は確かに『俺』だということを、感じたせいかもしれない。

俺が重々しく頷くのを見て、初めて男は満足そうに微笑んだ。





419 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:18:55.59 ID:h46SLHfj0


……






――月が傾いた。

体育座りをして星を眺めていた『俺』は、思いを吹っ切るように力強く立ち上がり、俺を振り返って芝居がかったように両腕を上げた。


「さて。そろそろ、帰りの時間だ」

男の声を合図にするように、不自然な風が、渦を巻いて砂埃を巻き上げ、少しずつ範囲を大きく大きくグラウンド全周に渡るまでに広がり始める。
目に砂が入りそうになったのを片腕で庇ったが、結局砂埃が煙幕のようになって眼がまともに開けられない。
髪が風に煽られて乱れ、轟々と激しさを増す風勢にバランスを崩してしまいそうだ。

「……こいつが、歪ってやつか?」

「そう、五年待って漸く出来たこの世界の綻びだ。これを通らないと、元の世界に帰れない」


……男の元の世界。ハルヒが死に、絶望の余り男が飛び出したという世界。
『俺』が五年間もの間音信不通となり、今帰ろうとしているその世界に、『俺』を迎え入れてくれる誰かはいるのだろうか。


俺の声を読んだように、男はふっと笑う。


420 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:21:43.94 ID:h46SLHfj0


「心配はいらねえよ。……幸福なら、この世界で数え切れないほど貰った。元の世界でも、この五年間を糧に生きられる」

俺は信じられない想いで『俺』の顔を見上げた。吹き乱れる風の中で、確かに男は笑顔でいる。

「この五年間、本当に幸せだった。生きているハルヒと、そのハルヒが俺と作っていく未来を見られたんだ。これこそ奇跡みたいなもんだ。
――なあ、これ以上に何を望むって言うんだよ?」


生きて笑うハルヒを前に、直接会話することも許されず、ただ、ハルヒを見て孤独な心を暖めるだけの生活を五年間。そんな不毛でやり切れない毎日を送ってきて、その上で「幸せだった」と胸を張ってみせる異世界人。

――なんてお人好しの馬鹿野郎だ。お前が「俺」だっていうのが、信じられないくらいだぜ。ハズレ籤を引き続けさせられたくせに、不平不満の一つも言わず、感謝までしてみせるなんて何処の菩薩様だ。



421 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:23:50.14 ID:h46SLHfj0



「人を好きになるってのは、そういう馬鹿をやることなのさ。お前だって俺と同じ境遇になったら分かるはずだ。想像して見ろよ。その上で考えろ。涼宮ハルヒをどう思うか、ってな」

往生際が悪いと責められそうだが、俺は想像を働かせることなく肩を竦めておいた。というより、想像するまでもなく本当は分かってるというのが正しい。
つくづく分からされた。ハルヒがいなくなっちまうかもしれないと、心底恐怖したあの瞬間に。

だがそれを臆面もなく言えるほど羞恥心は枯渇してないもんでね。上辺はこう言っておくんだ。

“さてね、一体何のことやら。”
男は、もう少し正直に生きた方が人生楽だぜ、と要らぬアドバイスを残し、そんなやり取りさえ久方ぶりで痛快だというように破顔した。

幾らか老けて見える「俺」の、年相応の笑顔だった。



424 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:28:25.22 ID:h46SLHfj0


「さて、そろそろ潜らないと歪が消えちまう。……達者でやれよ、俺」

手を振って、男はさよならの挨拶を口にする。
確かに歪とやらは既に限界値にまで開ききっているほうで、これからは縮小していくばかりに見えた。今を逃すわけにはいかないのだろう。だが――

「待て。ハルヒがまだ来てない。あいつに会っていかないのか?」

別世界に帰り、恐らく二度目はない、正真正銘の最後だ。
五年間話もせずに生きた、そのご褒美にハルヒと一言を交わすくらい、どんなへそ曲がりの神仏だって赦免状を書いてくれるだろう。

そう、考えてみればハルヒは何処で何をしてるんだ。時間でいえば、とっくに東中に辿り着いていっておかしくないってのに。

「俺のためを想ってくれるのは感謝するぜ。だけど俺のことを今更なんて説明する?それに、ハルヒは来ない。たぶん、日付が変わるまではな。それじゃ間に合わない」


426 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:32:34.25 ID:h46SLHfj0



歪は零時をもって完全に収束する。それまで待つわけにはいかないのだと男は言う。

……このまま、見送るしかないのか。
男は幸福であったと己の過ごした月日を笑うが、客観的に見て男のこの人生は不憫そのものだ。男が望んだのはハルヒの側にいたいというただそれだけで――それだけで。
俺なら誰とも話せず、何年も異世界に一人取り残されることを考えただけで発狂しそうだってのに。


何か、方法はないのだろうか。
誰でもいい。織姫でも彦星でも阿弥陀如来でもお釈迦様でもシヴァ神でもなんでもいい。誰か、こいつにほんの少しの手心を加えてやろうって奴はいないのか。
五年ってのは決して短くない。その間を健気にハルヒを支えに生きた男に、手土産の一つも持たせてやれないほどこの世界は無慈悲なのか?

なあ、ハルヒ……!



俺は自分の掌を見つめる。夢の中で少女を抱きしめようとして、叶わなかったこの腕。


『あたしを連れていって』



427 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:34:50.93 ID:h46SLHfj0



「あ………」


あ。
ああ、あああ。

無力な俺に、起死回生の一手が、――雷が落ちたように閃いた。



思い出した。意味深な夢の中でハルヒがしきりに俺に訴えていたこと、俺に嘆願していたこと。
俺はあの夢をハルヒが本当はジョン・スミスと共に行きたがっていたのだと解釈した。だから焦りもしたし、汗水垂らしながら全力疾走でここまで足を運んだのだ。だが、あの夢のハルヒの意図しているところが、俺の理解とは全く別の方向のものであったのだとしたら――?

俺に背中を向け、今にも疑似台風の目の中に消えていこうとしている男に、俺は精一杯の声を張り上げた。

「待て!」

風塵に身を消そうとしていた男が、怪訝そうに振り返る。



438 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:52:08.27 ID:h46SLHfj0



これが正しいのか、俺にはついぞ分からない。まったく行き当たりばったりの苦し紛れの一手かもしれん。
朝比奈さんのいう分岐点が一体何処のことだったのかすら明確に分かっていない俺だ、自分の行動の何が歴史的に正しく間違っているかなんて分かる筈もない。
だが、朝比奈さんはそれでも、言ってくれていた。後悔しないようにとだけは俺に伝えてくれていた。
後悔ってのはやれたかもしれないことをやらなかったときに生じるもんだ。朝倉の言葉じゃないが、俺はきっと今、こうしなければ後悔する。
だから。

「おい、ハルヒ!ここにいるんだろ!」

男が面食らったように立ち止まる。往来でこれをやったら気でも触れたかと疑われそうだが、残念ながら俺はいたく正気だった。

「お望み通り、お前をここまで連れてきた!隠れてないで出てこい!」

「おい、お前、どうした――」

男に本気で心配されるが、その男は俺の行動の意味を、数秒と待たずに理解したはずだ。
男の眼が、驚愕に大きく見開かれる。

異変は俺のすぐ目下で起きた。
はじめは、何もなかった。
それが次第に半透明のゼリーがまるで空気から生成されあふれだしたかのように膜を張り、どろどろと量を増して、俺の太股を越えるくらいの嵩になるとーー急速に、色を付け始めた。
髪が伸び、肌色が露出し、誰がどう見ても人間の子供に姿を変えたところで、変身は終わった。



440 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:57:15.80 ID:h46SLHfj0



ついさっきからそこにいたかのように――いや、実際、いたのだろう。俺の視界にはなかっただけで。
夢で俺に語り掛けてきていた五年前のハルヒが、そこに立っていた。



『俺』は、見たものが信じられないというように、表情を凍り付かせている。


「その子は……」

「――多分、『神人』だ。ハルヒの力の、具現みたいなもんだと思う」




441 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 00:58:58.07 ID:h46SLHfj0



恐らくは。
ジョン・スミスと共に行くことを夢見ていたハルヒが、そのジョンの誘いを断らなければならないことの無念と謝罪意識から生み出した、――もう一人のハルヒ。
もしかしたら、ジョン・スミスの孤独さえも見越して、ハルヒが願った小さな代替。


会いたかったんだろ。
……行ってこい。

その小さな背を軽く押してやると、チビハルヒは俺を一度振り向き、大きく首を縦に振った。そこに、はっきりと笑みを刻んで。
そして、ぱたぱたと男の方へ走っていく。

『俺』は状況がよく飲み込めないといったように目を白黒させていたが、小さなハルヒが目の前に立ち止まると、身を硬直させてじっと少女を見下ろした。
息苦しい緊張に満ちた沈黙から真っ先に抜け出したのは、幼いハルヒの声だ。



445 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 01:04:01.23 ID:h46SLHfj0




『三年前に貰ったあの言葉で、あたし、ここまで頑張れた』

呆然としている男に、小さな掌が差し出される。
優しい笑みが、ハルヒの表情いっぱいに広がった。そこに俺は、俺の知るあのハルヒの微笑が重なり合い、混ざり合って融けてゆくように思えた。

『辛くても三年後には迎えがくるんなら。自暴自棄にならないで、もう一回挑戦してみようって気持ちになれた』

――伝えたかった、ずっと。あんたが居てくれて良かったって。

これはハルヒの声。……異世界からの客人、ジョン・スミスに捧げる。




『だから、ありがとう』





449 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 01:07:28.22 ID:h46SLHfj0


――こんな綺麗なハルヒの「ありがとう」、俺だって聴いたことはない。
そう思うと、何だか妬ける光景だった。


男の顔がくしゃりと歪んだ。保っていた平静を粉々に崩されて――男は泣いていた。
膝頭を地面につけ、小さなハルヒと目線を合わせて、差し出されたその白い手をぎゅっと握り締める。


「俺、………俺は」


何をも語れず、男はただ滂沱と泣いている。堪えてきた何もかもが、堰を切って溢れ出した様だった。そしてそんな男を、ハルヒは宥めるように強く笑うのだ。


『約束よ。あたしを連れてってくれるんでしょ?』

「……ああ。……ああ……!」

連れてってやるさ。何処へでも。
男は泣きながら笑い、その小さな身を掻き抱いて、ぼろぼろと泣き続けた。嗚咽を夜空に届かせるように。涙の跡を、自分がいた証としてこの地に染み込ませるように。



451 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 01:20:07.63 ID:h46SLHfj0







……時間は、それほど長くなかっただろうと思う。
存分に泣いた男は、泣き腫らした眼ではあったが、数分後には落ち着きを取り戻していた。


「なんつうか……最後の最後に、年甲斐もなく情けないところを見せちまったな」

「いや。俺は、ほっとしたさ」

あんたに相応の報いがあったことに感謝する。そうじゃなきゃ、余りに世の中の天秤が偏り過ぎているってもんだ。
ハルヒが機関の言うように神様たる存在なのかの真偽は置いておくとしても、此の世を司る何者かの采配も捨てたもんじゃないってことだよな。
なあ、そうだろ。ハルヒ。





453 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 01:25:30.78 ID:h46SLHfj0




男は小さなハルヒと固く手を結んで、歪の震源地へと歩き出す。風は時間を経過した分、随分と緩いものになってきていた。
出入り口が完全に収束態勢に入っているらしい。
本当のタイムリミットってわけだ。これ以上の滞在は、時空を更に歪ませかねず危険なのだという。


「――世話になった。この世界にも、お前にも。……ありがとな」

「俺は礼を言われるようなことは何もしちゃいないぜ」

「はは、そういう謙虚さ、嫌いじゃないぜ。さすが俺だな」

「自画自賛かよ」

俺だとノリツッコミが気軽でいいな……なんて馬鹿なことを考えた。

風が『俺』と幼いハルヒの姿を包み込み、次第に霞ませていく。

「ああ、そうだ、忘れてた。――お前、最後に頼まれてくれるか。本当は自分でやろうと思ってたんだが……これも、約束なもんでね」



454 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 01:28:08.67 ID:h46SLHfj0



ちょっと待て、こんな消え失せる寸前に物を言うんじゃねえ、もっとゆとりを持てって習わなかったのか!
話を聞いちまったら、俺が却下してる暇がないだろうが。


俺の不満顔を一瞥してニヤリと笑い、
『俺』は未練の一筋もない笑顔で、俺の断りを最初から聞く気のない、望み事を口にした。





457 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 01:38:08.50 ID:h46SLHfj0


……





見れば見るほど星が明るい。

手持ち無沙汰になった俺は、一人暗闇の中での暇潰しのために星座観賞に精を出すことにした。織姫と彦星は逢瀬を済ませてもう別れの渡し舟に乗ったのだろうか。
そういえばベガとアルタイルに願い事が届くのは十六年後と二十五年後だったな。ってことは、十六年前と二十五年前に七夕に短冊を吊るした奴はそろそろ願いが成就される頃というわけだ。
神様的能力を保持しているハルヒ印の理論であるから、実際この世の誰かの願いが何の前触れもなく叶えられていても不思議はない。そんなツキのいい人間がもし居るなら、俺も今夜ばかりは妬まず祝福してやろう。


つらつらと考えているうちに、お目当ての人間が現れた。

驚き半分、呆れ半分の複雑な顔で。



「……何やってんの、あんた」

「星座観賞だが」





460 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 01:49:14.91 ID:h46SLHfj0


嘘丸出しだったが、ハルヒはふうん、と咎める様子もなく俺の隣までやって来て、どさりと腰を下ろした。
その眼差しは空をひたすら見据え続ける俺とは違い、グラウンドに向けられている。


「……あたし、謝罪はしないわよ。嘘ついてないもの。……もう、今日は7月8日だしね」

「誰も、ここに来たことを責めちゃいねえよ」


先走って焦りまくってたのは俺の責任だしな。
ハルヒもこんな口ぶりだが、「行かない」と言っていたにも関わらず約束の場所へ訪れたことに、些少の後ろめたさは感じているようだ。
ってことは、なんだ。家を出てから日付が変わるまであちこちぶらついて、時間を潰してたってことか。

「一人になって考え事したかったのよ。どうせ眠れなかったし」

協力を要請した機関の方々には申し訳ないことをした。そういえばまだハルヒを捜してるんだろうか。連絡くらい入れておけば良かったな。


465 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 02:06:03.51 ID:h46SLHfj0



「……あたしね、約束してたのよ。ジョンと」

俺の現実逃避気味の思考は引き戻される。星から、それとなくハルヒの横顔へと視線を移した。

グラウンドに眼を注いでいたハルヒは、声こそ普段と全く変わりない調子で言葉を紡いでいたが、その黒い瞳には堪えきれずに微かに光るものがあった。
……俺はそれを見ないふりをした。ハルヒの矜持のために。


「二週間前にね。『あんたと一緒には行けない』って返事を書いたら、それじゃああたしを連れて行かない代わりに何か望むことはないかって言うから。
あんたが、夢や幻じゃなくこの世界にいて、あたしを選んだ証拠を置いていけって書いた。あいつは、それを『約束』したわ」



466 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 02:07:01.38 ID:h46SLHfj0





中学校のグラウンドとしてはかなり大きい部類に入るだろう、闇に沈んだ大きなキャンバス。
白線で書き殴られた、世界で唯一無二、ハルヒにあてられたメッセージ。

象形文字のようなそれは、そう、「I」をジョン・スミス風に言い換えれば、ちょうどこんな風な意味になるだろう。






俺は、ここにいた。





474 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 02:23:29.28 ID:h46SLHfj0



――『俺』から託された最後の仕事は、白線引きで、ハルヒのためのメッセージを書くことだった。
暗がりで気付いていなかったが、絵文字の設計図が校庭の隅に折り畳まれて置かれていた。其の通りにハルヒが来るまでに線を引くのは、中々骨が折れる作業だったが。

ハルヒは唇を引き結び、闇の下の白文字を、食い入るように見つめていたが……。暫くすると、軽く頭を振ってまた立ち上がった。

「ま、いいわ。……『約束』は、ちゃんと果たしてくれたみたいだしね。何処かに帰っちゃったアイツが、元気でやってくれてることを祈るわ」

「……ああ。そうだな」

そいつは俺も同感だ。
ハルヒらしい立ち直り方だと思いながら、俺は異世界のことを思い浮かべた。あいつなら大丈夫だろう。五年間をこの世界で生きたのだ。
今は、あの小さなハルヒもあの男に傍らに居るのだから。『俺』がこれから、永劫の苦しみを孤独に生きることは決してない。


「本当は、ちょーっぴり、残念だけどね。違う世界が見れるチャンスだったんだもの。
……でもまあ、この世界にはキョンがいるから。それで、勘弁してあげるわ」




482 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 02:34:07.32 ID:h46SLHfj0


俺は眼を剥いた。お前、今何を―――



ハルヒは座り込んだままの俺より数歩先をつかつかと歩き、仁王立ちの体勢で立ち止まる。
こんな夜目の効かない暗がりの中でも分かるくらいに、ハルヒの耳朶は真っ赤に染まっていた。


「……大体ねえ。モロバレなのよ。あれで気付かれてないと思ってるのが恥ずかしいわ。あんたと、何処かに帰ってったジョンが違う奴なのは何となくわかったけど!」

此方に背を向けたハルヒは一体どんな顔をしているのやら、勢いに任せていきなりハルヒは俺を罵倒し始めた。
バカ、オタンコナス、ニブキョン、アホキョン、エロキョン、……ちょっと待て、最後のは特に納得いかねえぞ。


「SOS団結成して、あんたが書いた部活結成の届出書を見た瞬間にもう確信の域よ。あんなヘタクソな字、一度見たら忘れられるわけないじゃない!」



486 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 02:42:58.23 ID:h46SLHfj0



―――あ。


三年前にハルヒの短冊に書かれた、『世界は大いに盛り上がったか?』の字は、異世界の俺の「直筆」。
で、異世界の俺はやはり俺と人格や性質や能力的には一緒なのであって、つまり……



俺の字はヘタクソってほどじゃねえ、それなら古泉の字の方がよっぽどだとか色々と反論したいことはあったのだが、俺はまったく、完敗だった。
ああ、諸手を挙げてやるぜ。お手上げだ。いつまでたってもお前には敵う気がしない。
――最初から、涼宮ハルヒは、全部知っていやがったのだ。

異世界のジョン・スミス。どうせなら、筆跡を変えるくらいの手間は惜しまないで欲しかったぜ。




488 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 02:54:57.19 ID:h46SLHfj0




ぷりぷりと照れているんだか怒っているんだかなハルヒを前に、俺は何もかも観念して白状することにした。
正直なところ、ここまで隠し果せて来ただけでも驚きだ。もっと早くに打ち明けることになっていたとしてもおかしくなかった。

ハルヒに事の真相を報せるために発生する弊害、ってのが一番厄介なんだが、俺は楽観的に大丈夫だろうと思うことにした。

今のハルヒなら、きっと。
万一何かが起きちまったとしても、俺が駆けずり回って何とか収められるようにしてやるさ。それくらいの責務は背負ってやる。



「それじゃあ、ハルヒ。――五年前にお前を手伝いに現れた、ジョン・スミスの話でもするか?」


多分それが、話し始めには丁度いい物語だ。





491 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 03:02:07.35 ID:h46SLHfj0

終わりです。
多大な保守&支援ありがとうございました。

493 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 03:03:32.73 ID:h46SLHfj0

一応区切りのいいところまで来たので、これにて〆にします。
明日も実は早いのです……。伏線部分回収しきれてないところもあるので、書けたらまた後日談でも。



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