涼宮ハルヒの選択 - Endless four days - 2nd route 2週目 4日目 904 名前:修正ver[] 投稿日:2008/03/14(金) 00:38:51.58 ID:SWE3fo6o 翌朝。 俺は家族及び妹への説明もそこそこに、身支度を調えて家を出た。 玄関を出る間際、妹が俺のベルトを掴んで言った。 「キョンくん最近ひみつばっかりー。ねーねー、どこいくのぉ?」 「急用なんだよ。かいつまんで話してやる時間的余裕さえないほどのな。ほら、分かったら今すぐ二度寝してこい」 「キョンくんのいじわる〜」 妹は半分開いた目をぐしぐし擦り始める。嘘泣きのつもりなのだろうか。 ったく、眠たくて堪らない癖に面倒かけやがって。そう思いながらも、俺は優しく諭してやった。 「折角の休みなんだ。  お前もいつまでも俺の後ろくっついてないで、自分のことに時間使った方が有意義だと思うぞ?」 「ゆう……いぎ……?」 「ためになるってことさ。じゃ、行ってくる」 出先の委細は口にしなかったのは、約一時間後に掛かってくるであろう電話に備えるためだ。 それを怠るほど俺は浅慮じゃあない。 愛機に跨って走り出す。行く先は喫茶店ではなく長門のマンションだ。 また、時間的にもハルヒが指定した時間よりも30分早い。 春の風は気持ちよくて、吸い込むと気分が落ち着いた。 道中、腰に妹がしがみついている幻視(妙にリアルだった)をしながらもマンションに到着、 俺は昨夜の来訪時と同じ手順で、長門の部屋の前にやってきた。 長門は今頃、支度を調えている最中だろうか。俺は自答する。 不思議探索の待ち合わせでは必ず俺よりも先についてコーヒーを嗜んでいる長門のことだ。 既に部屋を後にしていることはないだろうが、準備はとっくに済ませているに違いない。 ピンポーン。 チャイムを押してみる。 『……誰?』 『俺だ』 実に簡素な遣り取りだが、俺たちにはそれで事足りた。 しっかし、今しがたの声がかなり眠たそうに聞こえたのは、俺が緊張しすぎている所為なのかね。 1、2、3………5秒も待たず厚い金属の扉が開いた。 「よう、長門。朝から押し掛けて悪いが、ちょいと話があって――、っ!!」 瞬間、俺は卒倒しそうになった。 あろうことか、扉の先にいたのは寝癖全開のまま片手にカレーパンを装備し、口をモグモグさせている長門だった。 それだけなら良かった。だが、その寝間着が良い具合にはだけちゃったりしているから、俺はもう理性を騒動員してドアを閉めるしかない。 910 名前:>906 なんというミス\(^o^)/ >907 nice follw[] 投稿日:2008/03/14(金) 01:30:31.96 ID:SWE3fo6o くそ、無防備にもほどがあるぜ。 あれほど隙だらけの長門を見たのはいつ以来か。 俺がドアを閉めてから数秒後、ドアの向こうは静逸を保っていたが、 十数秒後にいきなりバタバタと荒々しい音が聞こえはじめ、やがて静逸を取り戻した。 再びドアが開いて、白を基調としたワンピース姿の長門が言った。 「見苦しいところを見せてしまった」 目線は醜態を曝したことを恥じているのか、俺の胸元に定められている。 いや、さっき目に焼き付いたお前の姿は、脳内アルバムで1、2を争う可愛さだったぞ。 ところでお前、朝食はいつもカレーパンなのか? 「それは偏見。わたしの主食はカレーではない。  現に今朝摂取したのも食パンと低脂肪牛乳だけで、とても普遍的な食事といえる」 そうかい。じゃあお前の口元についているそれにツッコむのはやめとこう。 「………約束の時間までまだ30分ほどある。どうしてここに?」 こんな序盤で見破られているようでは、とても今日一日を長門と過ごすことはできない。即ち、失敗は許されない。 俺は胸の動機を抑えつつ、慣れないポーカーフェイスで答えた。 「あれ、まだ連絡来てなかったのか?  今日のテーマパークは中止だぜ。  なんでもハルヒによると、鶴屋さんのくれた優待チケットが使えなくなったらしくてさ――」 軽い嘘を吐いたときと比重が違う罪悪感が去来する。 でも、罪の意識に苛まれるのは今日一日が終わってからだ。それまでは無慚でいい。 長門は5mmほど頭を傾けて、 「……………その情報は未収得だった」 そりゃそうだ。なんせ今し方言ったことは全部虚偽なんだから。 「でも、それではあなたがここに来た理由が不明」 912 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/14(金) 01:54:46.05 ID:SWE3fo6o 「テーマパークの計画がおシャカになって、ついでに今日の活動もナシだ。  つまり俺たち団員は、もうだいぶ久しぶりに自由な土曜日を手に入れたことになる。  そこで、だ」 「…………?」 一拍置いて、泳いでいた視線を固定する。ほぼ同時に長門も上目遣いになって、 自然と、俺たちは框を挟んで見つめ合った。 大義名分の欺瞞に染まった瞳には長門が映り、 子供のように純粋無垢な瞳には俺が映り込んでいた。 羞恥心はそんな卑怯な俺に愛想を尽かして、どこかに旅立っていったらしい。 おかげで俺は平常心を崩すことなく、長門に誘いかけることができた。 「今日は、二人きりでデートしよう」 951 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/15(土) 21:08:06.47 ID:J/UJHBAo 「デート………二人きり………」 視線を俺の靴のつま先辺りに落としながら、ゆっくりと復唱する長門。 そう吟味するほど長いセンテンスでもなかったと思うんだが。 俺は腕時計に目線を運びながら、 「返事を聞かせてくれないか?」 さり気なく長門の顔を盗み見た。長門は悩んでいるようだった。 といっても、俺みたいな呻吟や辟易とは対極に位置する、とても静かな悩み方だった。 早い話がフリーズしていたのだ。 「あぁ、無理にとは言わないぜ。  テーマパークが御破算になった時のために私用を考えていたなら、  そっちを優先してくれてかまわないんだ。また日を改めて誘うからさ」 長門の様子に訝しみつつも、譲歩してみる。 すると出し抜けに再起動した長門は、 「いい」 と呟き、毎度お馴染みの「その言葉は肯定と否定どちらを意味しているのか」という問い掛けを俺がするよりも早く、 「一刹那だけ待って」 といい、ドアを閉めた。本当に0.5秒後にドアが開いた。 長門有希ver2.00になった長門がそこにいた。 956 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/15(土) 22:09:32.93 ID:J/UJHBAo ―――こいつはバグの初期症状なのか? 感慨に打ち震える思考を余所に、口が自動的に正論を述べ始める。 「こういっちゃあなんだが、わざわざ着替える必要はあったのか。  さっきのワンピースでも十分だと、」 「ちょっとしたおしゃれ」 ははあ、これをちょっとしたおしゃれ、もといバージョンアップとおっしゃいますか。 状況証拠的にデートの承諾を貰ったことも忘れて、俺はコーディネート観察に没頭する。 革命的だ。それ以外の言葉が見当たらない。 この感動を伝えるべく情景を言語化してみたいと思うのだが、俺は男で女の子の服装には少々疎い。 そのため齟齬が発生する場合があるが、そこら辺はご了承願いたいね。 さて、従来の長門と新バージョンの大きな違い、それは基調色である。 桜色のキャミワンピースは露出した肌を艶美に演出し、 キャンディホワイトのカーディガンニットが元々の清楚さを引き立たたせている。 その絶妙なバランスの支点となるのが、これまた純白のストラップサンダルである。 アクセサリの類を一切纏っていないのが少し寂しいが、 それでも、長門の可憐さが数段階高次なものに昇華したことは事実である。 後にこのバージョンアップはフランス革命と比較されるほどの革命的更新として人類史に刻まれることになるのだが、それはまた別の話。 「お願い、目を醒まして」 ブンブン、と目の前で手が動いている。俺は目頭を押さえつつ言った。 「だいじょうぶ、元から眠っちゃいない。  それじゃあお前の準備も出来たことだし……出発するか」 時間はもう、9:00に差し掛かろうとしている。 そろそろ俺たちの遅刻に業を煮やしたハルヒが、古泉たちの宥めを無視して電話しはじめる頃だろう。 俺は一歩引いて、長門が施錠するのを待った。 と、エレベーターに向かって歩いているときだった。俺は長門の表情に滲む1pxの寒色に気がついた。 その理由を考えて、意外とすぐに答えが出た。 危ない危ない、今日一日だけでも昼行灯の烙印を押されないようにしないと。俺は訊いた。 「その服、朝比奈さんと一緒に買いに行ったのか?」 「そう。彼女が卒業する前に誘ってくれた」 やっぱりそうか。このフェミニンな服装には朝比奈さんの名残がある。 959 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/15(土) 22:50:36.04 ID:J/UJHBAo 俺はエレベーターの現在位置表示板を見上げながら、 「凄く似合ってるぜ。いつもの100倍くらい可愛い。  ……すまん、もっと色々言いたいことあるんだけど、毀誉褒貶に慣れてなくて上手く言えない」 この大嘘つき野郎が! さっき事細かに解説してたじゃねぇか! などと野次が飛んできそうだが、俺はそいつらに向かって言いたい。 さっきのモノローグをそのまま口にしてみろ。長門にドン引きされること請け合いだ。それに―― 「………ありがとう」 ほら、希少価値の高いお礼を賜ったじゃないか。 長門は誉められて恥ずかしがっているのか俯いている。いいね、実に幸先のいいスタートだ。 だが――鼻を伸ばしてから一分と立たずに失言し自爆するのが俺だ。 思うに、俺には咄嗟のデリカシーというものが欠けているのだ。しかも先天的で治療不可だから性質が悪い。 俺はエレベーターの中の無言を掻き消すべく、半ばジョークのつもりで指摘した。 「ずっと前から気になってたんだけどさ。いつまで口元にカレーつけてるつもりなんだ、お前。  気合い入れたコーディネイトも、そんなオプション付きじゃ台無しだぜ?」 「…………」 密室の空気が凍結した。――そんな錯覚がした。 ―――――――――――――――――――――――――――――― マンションから一歩外に出ると、抜けるような青空が広がっていた。 長門が俺の背中に、おずおずと手を回す。その初心な様子に微笑しながら俺はペダルを踏んだ。 車輪を見つめている筈の長門の目が――どこか後悔するように、或いは懺悔するように閉じられていたことを知る由もなく。 964 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/16(日) 00:31:51.56 ID:5urGeD6o 休日の朝の閑散とした街並を走り抜ける。 ハンドルはとりあえず、図書館方面に向かって切っていた。 「長門はどっか寄り道したいトコとかあるか?  勿論図書館には行くつもりだが、いかんせんまだ時間が早いだろ」 「特に希望はない。あなたに任せる」 「そんな適当でいいのかよ。後で後悔してもしらねーぞ」 言って、先程から安定性抜群の積み荷を振り返ってみる。 長門は左手で荷台を押さえて、右手で前髪を整えつつ、 「誘ってくれたのはあなた。だから行動予定はあなたに一任する………前」 ププーッ、っとけたたましいクラクションの音が、俺のすぐ脇を駆け抜けていった。 危ねー危ねー。っと、長門のぷらぷら揺れる脚に見惚れてる場合じゃなかった。 図書館の開館まで(別にそこで少し時間を潰しても良い)に寄り道できそうな場所は―― >>970 自由安価 ただしキョンたちの行動圏外はなし 970 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2008/03/16(日) 00:41:05.23 ID:OUhc8Xs0 いつもの駅前の喫茶店 16 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/16(日) 20:30:44.07 ID:5urGeD6o いつもの駅前の喫茶店にいってみよう。これは確認作業も兼ねている。 古泉と朝比奈さんが上手く立ち回ってくれているなら鉢合わせすることはない。 また、もし仮にまだ喫茶店に留まっているとしても、それとなく路線変更して通りすぎることも可能である。 「実は俺、朝飯まだなんだ。  お前は退屈だろうけど、ちょっと腹ごしらえしてもいいか?」 シームレスに、コク、と頷く気配が背中を伝わってきた。 長門も朝の「必要カレー摂取量」を満たしていないのかもしれないね。 その場合、原因は間違いなく俺だが。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 俺は長門と連れだって喫茶店の扉を開けた。 カランカラン、と涼しい音が鳴った。 ざっと店内を見渡してみると、店外から遠見で確認したとおり、ハルヒたちの姿はなかった。 俺は適当に選ぶフリをして店内の真ん中辺りのテーブルを指差し、 「ここにしよう。たまには違う席もいいだろ」 椅子を引いてやった。ちょこん、と腰掛ける長門。対面に俺も座る。 いつもの不思議探索で使うテーブルを使わなかったのには理由があった。 2人で6人用テーブルを占有するのが勿体ないから、というのも一つだが、 最大の理由は長門に"今日のテーマパークの計画がなくなったこと"を自分の目で視認してもらうためだ。 ここの席からは窓際のテーブルがよく見える。 因みにそのテーブルは現在、スーツ姿のインテリメガネに占領されていた。 18 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/16(日) 20:44:19.18 ID:5urGeD6o 「メンチカツサンドとエスプレッソ……お前は何にする?」 「カプチーノ」 「飲み物だけでいいのか?」 長門はメニューのフード欄に目線を這わしながらも己を律しきったようで、 「……お腹は空いていない」 あのな……そんなバレバレの嘘ついても意味ないから。 「あとベーグルサンドも一つ、お願いします」 「――ですね。かしこまりました」 復唱して店員が去っていく。 長門が非難がましい目で俺を見てくるが、どうせ10分後にはベーグルサンドをパクついているので無問題だ。 俺は食事が運ばれてくるまでの閑話にと、 1、朝比奈さんのことについて 2、周囲から向けられている視線について 長門に水を向けてみた >>23 23 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2008/03/16(日) 20:52:16.40 ID:vvc1oHAo 2 28 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/16(日) 21:50:01.67 ID:5urGeD6o 先程からこのテーブルに集中している視線について話すことにした。 「今日お前と一緒にいる間は、ずっと傍目に曝されなくなちゃならないんだろうな。  ま、すぐに慣れると思うけど……」 出し抜けの水向けに面食らったらしく、長門は首を傾げている。 うなじが露出しているためだろうか。見飽きたはずのその仕草が、新鮮さを取り戻して俺の眼に映った。 こいつは恐らく俺の言っている意味が分かっていないんだろう。 周囲の視線を感知していても、その視線に籠められた意図を解読しようとしないのだ。 そいつはある意味、世界で一番純粋な謙虚さと言うこともできるが―― 「なあ長門。お前はちったあ、自分が客観的にどう評価されているか興味を持った方がいいと思うぞ」 でないと色々と勿体なすぎる。 と、俺は長門の相貌をまじまじ観察しながら言ったのだが、 四半秒開けて返ってきたのは俺を猛省させる魔法の一言であった。 「あなたが"可愛い"と言ってくれた。わたしにはそれで十分」 俺は肘をついて明後日の方向を向きつつ、 「……そうかい」 でもよ。お前が可愛いっていうのは、何も俺だけの感想じゃないんだぜ? この喫茶店に入ってからこっち、お前をチラ見している男の多いこと多いこと。 加えて女性陣からのウケもいいようだ。元々、その華奢な体ゆえにハルヒに抱き竦められている長門だが、 今日のふわふわファッションも相まって、庇護欲のそそり方が半端ないことになっている。 羨望、嫉妬、求愛などなど、着飾った女性からすれば最高の評価を得ている長門だったが―― 俺はというと、これは余り意識したくないのだが、悽愴なことになっていた。 パーセンテージで表すと"邪魔だどけ"が60%、"何故お前みたいなのがツレなんだ?"が30%、 残りの10%が"無関心"。描写してから思った。割愛すれば良かった、と。 「泣いてもいいかな、俺」 すると絶妙のタイミングで、 「はい」 「え?」 「エスプレッソ、メンチカツサンド、カプチーノとベーグルサンドです」 33 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/16(日) 22:41:44.43 ID:5urGeD6o 朝食セットが運ばれてきた。 注文した通り、俺にサンドが二つとエスプレッソが、長門にはカプチーノのみが渡される。 「……………」 長門の閉じられた口からは、今にもじゅるりといった擬音語が聞こえてきそうである。 俺は何も言わず、ベーグルサンドを差し出した。 「ふぃー、満腹満腹」 俺がサンドの半分を平らげた頃に、長門は泰然と俺が食べ終わるのを待っていた。 多分、完食までに要した時間は1分にも満たなかったに違いない。 俺はお腹をさすりさすり席を立ち、 「そうそう。言い忘れてたんだが……」 この先デートを妨害するであろう携帯端末を排除することにした。 ちなみにこのミッションは、デート開始からかなり早い段階でクリアしておかなければならない代物だ。 長門はファーバッグから携帯を取り出した。 女の子特有のプリクラやゴテゴテした装飾が一切なく、待ち受け画面がデフォルトのままのそれは、 持ち主に興味を持たれていないというよりは、ほぼ使用されていない、と言った方が正しい。 長門からすれば携帯なんぞ、俺たちが博物館で拝むような旧世代の遺物よりも不便なものに見えるに違いなく、 この扱いも当然といっちゃあ当然なんだが――、閑話が過ぎたな。 「今日一日だけ、携帯の電源はOFFにしておいてくれないか」 「………なぜ?」 長門の瞳の琥珀色が、俺を透かし見るように深い色に変わる。 俺は用意してあった科白を暗唱した。 舌の滑りは嘘を重ねる毎に良くなるようで、スラスラ言えた。 「邪魔が入らないようにするためだよ。  せっかくお前と二人きりでデートしてても、メールや電話が入った途端に雰囲気は総崩れだ。  俺はそれが嫌なのさ。それに、お前にとってこいつは生活必需品ってモンでもないだろうし……、別にいいだろ?」 42 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/17(月) 00:35:04.43 ID:sj5GbKAo 「分かった」 フツーなら有り得ない俺の頼みを、特に不思議がることもなく受け入れてくれたのは長門ならではだろう。 長門がボタンを操作して――ディスプレイは暗転した。 この目で確かめたので間違いない。そこ、信用できないとかいうな。 存外、あっさりミッションを完遂できて安堵しつつ、伝票をレジに持って行く。 長門が財布を取り出すモーションを見せたが、俺はゆるりと制止した。 「…………?」 「いつも五人分支払ってること考えたら安いモンさ。  それにな、長門。デートっつーのは、大抵男が奢ると相場が決まってるんだよ」 喫茶店を出る。駅前には順調に人が増えてきていて、時間の経過を教えてくれた。 「それじゃ、お待ちかねの図書館に行くとしますか」 長門がコク、と頷く。その振幅が若干いつもより大きく見えたのは、図書館に行ける喜びだからだろうか、それとも―― 「早く漕いで」 はい、どう考えても原因は前者です。 「了解しやした」 と荷台の読書狂に告げて、俺は立ち漕ぎで図書館に向かった。 長門がひたすらに無言な理由は、きっと、まだ見ぬ新刊たちに思いを馳せているからだろう。 図書館につくまでの暇つぶしとして、補足的モノローグを垂れ流してみる。 古泉と朝比奈さんに頼んでハルヒを説得してもらい、俺と長門抜きの状態でテーマパークに行ってもらうというこの計画。 当然、烈火の如く怒り狂ったハルヒが大遅刻した俺と長門に連絡をとろうとすることは想像に難くなく、 俺は今朝から携帯電話をOFF、家族に出先の明細も告げずに家を飛び出してきたわけだが、 長門にそれと同じことをしてもらうことは辻褄合わせの関係上、できなかった。 が、何の対策もナシでは、いくら俺が嘘を吐こうともハルヒの電話で即バレである。 そこで俺は長門に携帯電話のOFFを提案した。これで余計な情報はシャットダウンだ。 しかし、どうしてもそれでカバーしきれない時間帯が存在した。俺が長門を誘いにかけて、丁度ハルヒとの約束の時間を過ぎた辺りだ。 ここは古泉に任せた。あいつがどう乗り切ったのかは知らないが、きっと 『涼宮さんは彼に電話してみてください。僕は長門さんに電話をしてみます』 とかなんとか言って、結局繋がらないフリをしてくれたんだろう。演技派のあいつのことだ、もっと巧くやっているかもしれんが。 それにしても――なんだか今日の俺は、仕方がない部分もあるにせよ、歯の浮くような科白ばかり言っている気がするね。 お、小さく図書館が見えてきた。 そっと首だけで振り返る。長門は小さな子供みたいに目を輝かせていた。 前に一緒に図書館に来たのはいつだったけな――。もう、だいぶ昔のような気がする。 52 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/17(月) 21:07:26.64 ID:sj5GbKAo 図書館内はガンガンに冷房が効いていた。 「さむっ。これじゃあ外の方がまだ過ごしやすいってもんだ」 まだ春先でそこまで暑くないってのに……税金の無駄遣いの良い例だよな、まったく。 館外との気温差に身を竦めつつ、オープンスペースの端っこの席に座る。 受験生の利用でフリースペースが埋まる季節も過ぎ、加えて土曜の朝という、 社会人なら出社し学生なら繁華街に繰り出しているこの時間帯。図書館はいつにもまして静かだった。 長門といえば早々に姿を眩ましていた。今頃森を散策する妖精の如き足取りで、本棚の森を巡っているに違いない―― と、そこまで考えて、俺は図書館に着く少し前に思っていたことの矛盾点に気が付いた。 初めて図書館に訪れてから約二年。 本に対する愛好精神は衰えることを知らず、 世界中のハードカバーを網羅せんとする勢いで図書館の蔵書を漁っていた長門だったが、 それに比例するはずの俺との図書館デートの回数は、何故か反比例のグラフを描いていたように思う。 「俺ってもしかして避けられてる? ははっ、まさかそんなことあるわけ……」 ない。ないない。第一、避けられてるなら今日のデートだって断られていたはずだし、 俺があいつに負の感情を持たれるような行為をしたことは一度だってないんだ。誓ってもいい。 俺はネガティブシンキングを振り切るように頭をぶんぶん振って立ち上がった。 よし、ここは 1、ライトノベルを読もう。いい眠剤になってくれるはずだ 2、長門の行方を捜索するとしますか >>57 57 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/17(月) 21:13:03.90 ID:qQOKLMAo 2 60 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/17(月) 22:07:30.78 ID:sj5GbKAo 長門の行方を捜索するとしますか。 なんだか無性に、あいつが本を選んでいるトコを見てみたくなった。 慣例に習うなら俺はオープンスペースで長門の帰りを待っていなくちゃならないのだが、 入れ違いになることはまずあるまい。 階段を上って二階へ。目指すは勿論、分厚い本がこれでもかと陳列された上級者向け区画である。 一概に分厚い本といってもジャンルは様々で、俺が最初に当たったのは自然科学の本棚だ。 何故SFの方面から探さないのか? といった指摘が飛んできそうだが、愚かかな、そいつらは長門の読書量を量り間違えている。 長門は二年生の秋あたりに、SFジャンルの本をコンプリートしていたさ。 「長門ー?」 小声でそう言いながら、本棚を巡っていく。 他の利用者は存在しないと言っても差し支えないほどで、俺は堂々と彷徨くことができた。 が、呼びかけに反応はナシのつぶて、視界に映るのは見ているだけでお腹がいっぱいになる本ばかり。 やっとこさ本棚の隙間から長門のボブショートを見つけた時、俺は図書館内だというのに疲弊していた。 俺は本棚の上に置かれた金属プレートを仰いで、 「へえ、心理学か。フロイトの夢判断なら家にあるから無期限で貸してやるぞ」 「要らない」 即答かよ。俺は軽く傷心しつつも、長門の視線の先を追ってみた。 そこは心理学という響きに魅せられたにわか共に食い物にされがちな、初心者コーナーだった。 意外だな。お前ならこっちの『精神のコミュニケーション』に目を奪われていた方が自然だ。 「それで、どの本が入り用なんだ?」 高所の本をとるのは俺の仕事だ。 しかし長門は初心者コーナーの上部を仰いだまま唇だけを動かして 「ここにはない。わたしが読みたい本は向こうにある」 と言い、あの糸に引かれた人形のような歩き方で歩き出した。 おい、待てよ! 俺も慌てて後を追う。本棚に背を向ける間際、最後に長門が見ていた本の背表紙を見た。 『ハリネズミのジレンマ』 基礎的な心理学を題材にしたこの寓話は、あまりにも有名だが、 ――こいつの何処が、長門の気を引いたのだろう。 62 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/17(月) 22:24:40.16 ID:sj5GbKAo 十分後。三冊の辞書、じゃなくて専門書を抱えて一階に下りた俺と長門は、 読書用に設けられたテーブルに腰を落ち着けた。 配置は自然と向かい合う形になった。 座った途端に頁をめくり始めた長門に対し、手持ち無沙汰になっちまった俺。 だが無論、残る二冊に手を伸ばす度胸はない。 仕方ないのでライトノベルを一冊選んでとってきた。 ラブコメ要素満載の読んでいるだけで脳味噌が蕩けてしまいそうなヤツだ。 一頁目から溜息を吐かざるを得ない。こんな恋愛ができたら、さぞかし人生が愉しいんだろうね。 俺はこのまま読み続ける気にもなれなかったので、 1、長門に話しかけた。朝比奈さんについて。 2、ライトノベルを読むフリをして長門を観察した。 3、やっぱり読んでみることにした。どうせ途中で寝ちまうに違いないが >>67 67 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/17(月) 22:28:07.11 ID:dQErTsE0 1 73 名前:修正ver[] 投稿日:2008/03/18(火) 00:18:07.93 ID:3Qik8uwo 長門に話しかけてみることにした。 本の世界に沈み込んだ長門の意識を浮上させるのは簡単だが、 きちんと手順を踏まないと機嫌が悪くなる。俺は小声で訊いた。 「今話してもいいか?  切羽詰まった話じゃなくて少し気に掛かったことだから、  無視して本を読み続けてもらってもいいんだが……」 すると長門は直ぐさま面を上げて、 「何?」 「今日のテーマパークがナシになって、自動的に朝比奈さんとの再会も先延ばしにされちまっただろ。  やっぱお前も、残念に思ってるのかなぁって」 一瞬の逡巡もせずに答えた。 「………とても残念。彼女との再会はわたしにとって最も楽しみにしていた予定の一つ」 「そっか」 そう、だよな。長門の変わらぬ朝比奈さんへの想いにジーンときながらも、自己嫌悪で胸が苦しくなる。 間接的であるにせよ、俺が長門から朝比奈さんとの再会の機会を奪ってしまったことは事実だ。 昨夜は事務的なメールの遣り取りで朝比奈さんの心情を察することができなかったが、あの人もきっと、長門と同じ想いだろう。 顔面の筋肉が表情をニュートラルに戻すべく躍起になっていたが、どうにも力が抜けていた。 古泉のペルソナの苦労が、ちょっぴりだけ分かった気がした。 「ところでさ、朝比奈さんがこの時間平面にもう一度渡航してきた原因って何なんだ。  まさか本当に大学の資料を収集しにきたんじゃないだろ?」 「情報統合思念体がTPDDの使用痕跡を解析したところ、  彼女がこの時間平面上に現れたのは今日未明だと分かった。渡航目的は不明。  ただし、これまでの経緯を鑑みれば彼女が敵対処理される暴挙に出る確率は無に等しい」 わたしは安心している、と長門は長台詞を締めくくった。 お前はそんな悠長に言うけどな。こういう未来の干渉には、敏感になりすぎるぐらいで丁度良いと思うぞ。 92 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/19(水) 13:34:14.97 ID:evEUPtwo 「………そう?」 俺の諌言も虚しく、長門は読書に戻ってしまった。 ま、こうまで長門が断言しているんだ。 本当に朝比奈さんの時間渡航は、大した出来事でもないんだろう。 ライトノベルに視線を戻す。が、朝比奈さんの話を出したからか、 長門のコーディネイトが朝比奈さんによるものだからか、 俺はつい長門に、朝比奈さんの面影を重ねてしまっていた。 もし俺たちが何の問題も抱えていなくて、最初の約束通りテーマパークに行っていたら。 俺と長門は朝比奈さんと、共に再会を喜べたんだよな。 あの人はハルヒに弄られて遊ばれるマスコットキャラクターから、成長しているだろうか。 いや。俺の想像を飛び越えて、大人版の朝比奈さんに変貌を遂げているかもしれない。 次がいつになるかは分からないが――、早く会いたいもんだ。 と、その時だった。俺はまち針で刺されたレベルの痛みを感じて、額に手をやった。 何も刺さっていない。となれば、今のは眼光投射による攻撃である。 注意深く辺りに視線を巡らせる。しかし結局、俺が見つけた知人は平静と頁をめくる長門だけで、俺は犯人捜しを諦めた。 あぁ忌々しい。 さて、 1、ライトノベルを読むフリをして長門を観察しよう。 2、ライトノベルを読み進めてみるか。どうせ途中で寝ちまうに違いないが >>96 96 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2008/03/19(水) 13:41:31.08 ID:boQShw6o 1 98 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/19(水) 14:39:54.17 ID:evEUPtwo さて。50頁で食傷気味になった俺は、早々にライトノベルを投げ出した。 最近のラブコメはツンデレモノが受けるらしく、 このライトノベル内に登場するヒロインもその模範的な特徴を持っているのだが、 俺は別段惹かれることもなかった。傍若無人で我侭で、気に入らないことがあったらすぐに主人公に八つ当り、 かといって主人公のコトが嫌いなのかと言えばそうでもなく、 二人きりのシーンや、互いを意識せざるを得ないシーンではデレる。 はは、なんだこりゃ。こんなの現実にいるわけねぇっての。 んなのよりもまだあっちの方が現実味を帯びてるね。 寡黙で無愛想なんだけど、実は優しくて主人公に想いを寄せている――という無口キャラ。 なんてったって目の前にそいつがいる。 もっとも、こいつが想いを寄せている相手はいないだろうし、主人公が誰かさえも定かでないが。 本を立てて読書するフリをしながら、長門を盗み見る。 見れば見るほどそっくりだ。よもやこいつ、フィクション世界から実体化してきたんじゃあるまいな。 そんな妄想をしつつ、10分後。 俺のバレバレユカイな盗み見はあえなく看破されたようで、長門の指は不定期に頁を捲りはじめていた。 こうしているとこの行為がとても穏やかな加虐に思えてくる。 が、しかし、そこで俺を咎める長門でもなければ、関心を逸らす俺でもなかった。 「…………」 「…………」 根比べである。お前は図書館で何をやっているんだ、と叱咤されそうでもあるがまぁ見逃して欲しい。 更に10分後。長門の頬が色づいてくる。そこから更に5分後。長門の目がついに頁から俺に移った。 「……用があるなら言って」 耳朶に触れる声が幽かに震えているのは幻聴だろうか。俺は嘯く。 「俺はライトノベルを熟読していたんだが」 「あなたの指は15分32秒前から微動だにしていない」 参った。 101 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/19(水) 15:54:11.85 ID:evEUPtwo 「わたしを注視していた理由説明を要求する」 詰問口調になってきた長門に返す言葉はない。 ――改変世界の局地的リフレインを試みていたのさ。 オブラートに包まずに言えばそうなるが、それをそのまま言うほど俺は馬鹿じゃない。 がしかし、咄嗟に言い訳を思いつくほど器用でもないので、 「なんとなくだよ、なんとなく。  強いて言うなら眼福を得ていたのさ。  それにお前だって、しっかり俺が指止めた時間計ってたんだろ? 「それは……」 「な? だからお互い様ってことで」 「……論点にズレが生じている」 まぁ俺が意図的にズラしてるからな。 これ以上追及されたらトンでもない答えをしてしまいそうだったので、 俺は館内の壁時計を見遣りつつ、 「もうすぐお昼だしさ、そろそろ出ないか」 と提案した。ちょっとムクれながらも長門がそれに応じる。 やっぱあっちの世界みたく、恥じらいながらも好意を振りまいてくれるってことはないか。 先程借りてきた本を三冊束ね――いや、積み上げて、カウンターまで持って行く。 当然、こんな重いモノを携えてデートなんかできないので、一旦長門の家に運び込もうと思っていた。 だが、図書館アルバイトのお姉さんに、長門は告げた。 「元の場所に戻しておいてください」 耳を疑ったね。 長門を良く知るお姉さんも、今し方の発言に戸惑っていた。 「どうして借りないんだ。まだ読んでる途中だったじゃないか」 104 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/19(水) 18:18:34.24 ID:evEUPtwo 「求めていた本ではなかった。わたしの部屋に代替的書物が存在する」 嘘吐け。お前の部屋にあんな本はなかった。 「本当によろしいんですか?」 長門はハードカバーを一瞥してから、 「いい」 その一言で、お姉さんは言及を諦めたようだった。 すたすたと出口へと向かう長門。 長門が本を借りなった理由を、推測できないといえば嘘になる。 返せないことが分かっていて本を借し出すことはできない。 あいつは愚直にも、そう考えたのかも知れない。 お姉さんに会釈してから外に出ると、長門はもう駐輪場で待っていた。 俺は黙って長門を持ち上げて荷台に載せた。 当たり障りのない言葉がいくつか頭に浮かんできたが――結局、いつもの言葉を口にする。 「また来ような、長門」 背後でコクリと頷く気配がした。ただ、その振幅はいつもよりずっと小さかった。 ―――――――――――――――――――――――――――――― SOS団メンバーの分を奢るわけでもなく、かつ今日のために財布を潤沢にしてきた俺は それなりにメニューが高いレストランを提案したのだが、長門が頑なに遠慮するので、 昼飯は適当にファストフードで済まることにした。 といっても、長門の食べる量に代わりはない。 ふわふわした長門のことをまるで捕食対象のようになめ回していた不良共の視線も、 食事タイムが始まった途端に一気に外れていった。うーん、やっぱりお前、損してると思うぞ。 呆れつつ、俺は携帯の電源を入れた。 ハンバーガーにパクついている長門の四角で、俺は着信履歴とメールをチェックする。 「うわぁ……予想してたけど、こいつは酷いな」 「……??」 頬を食べ物で膨らませながら首を傾げるハムスターこと長門。 なんでもないよ、食事、続行してくれ。 着信とメールは、見事なまでに「ハルヒ」で埋め尽くされていた。 おおよそ約束の時間から予定の電車が駅を発つ時間まで、 カリスマストーカーもかくやの密度で俺に連絡を取ろうとしていたらしい。 110 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/19(水) 19:39:42.98 ID:evEUPtwo やれやれ、熾烈な事後処理になりそうだ。 と、俺が胸中で嘆いていると、タイミングを計ったかのように電話が掛かってきた。 定時連絡だ。古泉のやつ、巧く抜け出せたみたいだな。 「トイレ行ってくる。  変なヤツに絡まれても構うなよ。しつこいようなら強制排除してやれ」 喋れない長門が頷きで承諾を示した。前言撤回。 ……こいつが絡まれることよか、喉を詰まらせたりしないかの方が心配だ。 トイレのフリースペースで、俺は電話に出た。ここは結構辺りの声が拾いやすいが、 まさかハルヒの密偵が会話を傍受していることもあるまい。 「もしもし。順調か、そっちは」 「仰けから状況把握ですか。  悲しいですね、この掠れた声音から、僕の疲弊具合を慮って頂けないというのは」 皮肉混じりの涼しい声が聞こえてきた。 「全て終わったときに労ってやるからそれまで待て。  で、ハルヒはどうしてる?」 「何か吹っ切れたように僕たちをアトラクションに連れ回していますよ。  お陰で閉鎖空間で培った体力が枯渇寸前だ。まぁ、これでも朝に比べたら随分落ち着かれましたが」 「訊くのが怖いが一応訊いておく。どんな風だった?」 「筆舌に尽くしがたいほどお怒りになられていましたよ。  時間の余裕があれば、間違いなく彼女はあなたと自宅と長門さんのマンションに特攻をかけていたでしょうね」 戦争を懐古するような語り口に、俺はなんだかとても申し訳なくなって、 「無理言ってすまなかった。  でも、よくそんなあいつをテーマパークに連れて行けたな」 「朝比奈さんの尽力のおかげですよ。僕一人ではとてもカバーしきれませんでした」  115 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/19(水) 21:11:06.39 ID:evEUPtwo 朝比奈さん、卒業以前はハルヒに振り回されることが常だったとはいえ、 未来から帰ってきていきなりハルヒを宥めなくちゃならないなんて可哀想すぎる。 誰だ、彼女にそんなことを強いたのは。 「あなたです」 黙れ。そこは突っ込まなくてもいいんだよ。 「さて、次はあなたが現況を説明する番です。  もっとも、何が目的か知らされていない以上、聞いても意味はありませんがね」 「……長門と某ファストフード店で昼飯食べてるところだ」 「ふぅ、仲睦まじくデートというわけですか」 脳裏に、携帯片手に首を竦める古泉の姿が投影された。 古泉には俺の行動が果てしなく利己的なものに思えるに違いないが、こればかりは仕方ない。 「まぁいいでしょう。僕と朝比奈さんは引き続き、  涼宮さんの現在の機嫌状態を維持、もしくは上方修正に専念します。  ですが、あまり僕たちに信頼を置きすぎないでください。  彼女の行動は予測不可能だ。いずれ、僕たちが抑えきれない場面が出てくるかもしれません」 「あぁ、分かってるさ。あと半日大変だろうけど、頑張ってくれ」 俺は携帯を切ろうとした。が、その直前に、 「あなたに仰せつかったこの任務も、存外辛いことばかりではありません。  思い出してください。こちらの編成メンバーの性別比率を」 何を言い出すかと思えば…… えーっと、お前が男で朝比奈さんとハルヒが女だから―― 「所謂ハーレムですよ。いやぁ、夜の花火が楽しみだ。では」 ツー、ツー、ツー。 切れた携帯を握りしめて、トイレ前に立ちつくす俺。 う、羨ましくなんかないぞ。 俺にはそんな自慢話に構っている余裕はないし、第一、こっちには長門がいるじゃないか。 127 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/19(水) 23:34:10.27 ID:evEUPtwo ホッとしたのとムカついたのとでごちゃ混ぜになった気分のまま、俺は長門の元に戻った。 途中、アウトロー気取りの悪ガキとすれ違ったが、 「お前もう撃沈したの? だせぇな、次は俺がいってやんよ」 「やめとけ、死ぬぞ。ほらこれ……」 煙草の先を震えながら見つめていたところから推測するに、 長門にちょっかいを出して蒸発させられかけたのだろう。ご愁傷様。 「よう、もう食べ終わったか?」 「終わった」 満足げに頷く長門。それを見ながら、俺は思った。 古泉、お前は失念してる。 たとえ朝比奈さんとハルヒ二人がかりでも、こんなに可愛く着飾った長門には敵わないぜ。 食べ終わったあと、必ず口元になんかついてんのが玉に瑕だがな。 さて、昼飯も食べ終わったことだし。 午後の予定は―― >>135 自由記述 ただし行動圏外はなし 135 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2008/03/19(水) 23:43:47.29 ID:Xm6Yoy6o 公園に 161 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/21(金) 14:50:11.16 ID:wo4oxqMo 午後は駅前の公園に向かうことにした。 食後のアクティブな行動は胃に堪えるから、という真面目な理由からではなく、 長門がやかましい繁華街や娯楽施設を好まないことをしっていたが故の選択―― だったのだが。 「休日の憩いの場とあって混んでるなー……失敗したかも」 園内はチビッ子で溢れていた。互いに掛け声を上げて、ボールを追いかけ回している。 元気がいいね。俺は近くのベンチに腰を下ろした。長門も隣に座る。 距離は肘が触れるか触れないかの微妙な距離。 ま、いちいち意識しても仕方がないんだけど、この距離が親密度を体現してるって言うだろ? 俺はサッカー観戦しながら、 「ここの公園さ、夜と昼じゃ全然景色が違ってるよな」 昼は結構な人数の子供が遊んでて、希に若いアベックや老夫婦が散歩してるのに…… 夜は人っ子一人いやしない。寝床を求めて彷徨う浮浪者でさえも、この公園を避けているようだった。 暗闇、静寂、無人とくれば、まさに秘密の逢瀬場としてぴったりだと思うんだがな。 「わたしは昼間の方が好き」 「どうして?」 俺と同じく、サッカー観戦しながら長門が言う。 「彼らの挙動予測は不可能。個々が完全に独立している上に乱数的」 つまり見ていて飽きない、と。 「そう」 165 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/21(金) 16:13:02.73 ID:wo4oxqMo 「ここにはお前一人でもよくくるのか?」 「たまに。長時間の読書によって疲れた目を緑で癒す」 「へぇ……」 漏れた嘆息は、長門でも疲れ目になるんだという意外さではなく、 こいつが俺の知らないところで、一人の時間を楽しんでいたことへのものだ。 俺はもしかして、と思って訊いてみた。 「でも、いつも一人ってわけじゃあないだろ」 「喜緑が勝手に同行してきたこともあった。一人がいいと主張してもお構いなし」 そういう長門の横顔は、その時の記憶が蘇って不快になったのか尖っていた。 いや、あの人も同じマンションに住んでるわけだしさ、散歩に同行するくらい別に―― 「迷惑」 よほど忌まわしい出来事だったのだろう。これ以上触れることはやめにして、 「じゃあ、公園でよく見掛ける人はいるか?」 高校生三年生にもなって公園を頻繁に訪れるのは余程幼児退行した変人くらいだろうが、 それでも長門と同じように、リラクゼーション目的で訪れている知人がいるかもしれない。 俺はそう思って訊いたのだが、 「数人いる。あなたのクラスの谷口がその最たる例」 なんですと? 171 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/21(金) 17:44:44.58 ID:wo4oxqMo 俺が詳細を希望すると、長門は語り出した。それを要約するとこうだ。 曰く、谷口は煙たがるチビっ子たちの輪に入ってサッカーをしている 曰く、谷口は長門が公園で過ごす日はかなりの高確率で現れる 曰く、谷口は汗を流しながらキモい笑顔を長門に向けてくる 「然るべき公的機関に通報すべきかもな」 コク、と頷く長門。 あの野郎が何を考えて公園通いしているかは知らないが、ストーカー紛いの行為はよくねぇなぁ。 直接長門の隣に座って変態行為に及んだ場合は俺が断罪の剣で細切れにしてやるが、 まだ未遂だ、警察に任せた方が穏便にコトは済むだろう。 俺は携帯を取り出そうとし、 「待って」 長門が「しっ」と人差し指を立てている。止めるな長門! 確かにまだ、アイツがチビっ子たちと触れあっていたという心温まるストーリーの可能性は捨てきれないが―― 「静かにして」 長門が俺の頬を両ばさみにして明後日の方向に向ける。 その感触に頭が追いつかないまま、俺は右隣のベンチ脇を見た。赤ちゃんがいた。 やれやれ。ガキ共でさえ離れたところで騒いでいるのに、俺が騒いでどうする。 1、赤ちゃんが泣き出した 2、赤ちゃんはすやすや眠っている。うるさくすると起きそうだし、何か飲み物でも買ってくるか。 >>177 177 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2008/03/21(金) 17:49:00.94 ID:6UyB3v.o 1 181 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/21(金) 20:48:10.18 ID:wo4oxqMo と、その時だった。俺の深い内省も虚しく赤ちゃんがぐずり始めた。 お母さんらしき女性が慣れた様子であやしているが、泣きやむ気配はない。 「参ったな……」 赤ちゃんを泣かせた責任は俺にある。 元々機嫌が悪かった可能性もあるっちゃあるが、起爆剤になったのは間違いなく俺の寸劇だ。 でも、泣かせる手段は知っていても、宥める手段は知らない。 相手が幼児ならいとこと遊んだ経験が生きるんだが……乳児には適用外だろう。 "どうしよう?" 俺は助けてくれオーラを出しつつ隣を見た。 長門は俺の隣から乳母車の元へテレポートしていた。おい―― 「だいじょうぶ、安心して」 誰もが良く知るあやしかたを一切せずに、 「彼はとても優しいひと。あなたを傷つけたりしない」 ただただ、語りかける長門。 するとどうだろう、赤ちゃんがどんどん落ち着いていく。 魔法みたいだった。でも、今のが"魔法"じゃないことは能力がない俺でも分かる。 しかも赤ちゃんのお母さんは、長門と知り合いらしかった。 長門がお母さんと二言三言交わして、悠々と返ってくる。後光が差して見えたね。 187 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/21(金) 22:55:43.98 ID:wo4oxqMo 「凄いな。お前、保母さんとかベビーシッターとかに向いてるんじゃないか?」 長門はちょこん、と定位置に座り、 「荒れていた精神状態を修復しただけ。特別なことはしていない」 だからそれが凄いんだっての。 俺が自分を指差して「だいじょうぶ、安心してくれ。俺は優しい人間だ」なあんて言って笑ってみろ、 赤ちゃんは嗚咽を取り越して慟哭し始めるだろうよ。 長門が溜息らしき吐息を漏らして言った。 「……大袈裟」 かもな。 俺たちはそれからもしばらく公園で過ごした。 桜が散り終わる四月の終わり。温かい空気に誘われて、転た寝してしまいそうになる。 それでも俺が目を瞑らなかったのは、長門と公園を行き過ぎる人々との繋がりを見ていたかったからだ。 創造されてから五年――。 長門にはSOS団以外にも、自分を認めてくれる人たちや場所がある。 そんな当たり前のことを、俺は今日、初めて実感した。 ――――――――――――――――――――――――――――― 陽が傾き始める。 子供達が散会し始めたのに従って、俺たちも公園を後にした。 192 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/22(土) 00:35:10.36 ID:qPsaRPAo 子供達と違って俺たちはまだまだ遊べるが、 その前に決めておかなければならないことがある。晩飯についてだ。 一応、ハイティーンが行くには豪奢な店(古泉が紹介してくれた)も ピックアップしてあるにはしてあるんだが、長門の意見も取り入れるべきかもしれない。 高級料理の名だけが長門を惹きつけるわけじゃない。それはお昼の時にも証明されている。 1、長門にどうするか訊いてみよう。 2、たまには引っ張っていくことも大切だろう。 >>200 200 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2008/03/22(土) 00:48:39.62 ID:dPFadygo 1 205 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/22(土) 20:16:17.79 ID:qPsaRPAo 俺は訊いた。 「気が早いかもしれないけど、晩飯はどうする?  長門に希望がないなら、俺が用意した店に――」 だが全てを言い切る前に、 「わたしがつくる」 「つくるって晩飯をか?」 長門は僅かに眉を顰めて言った。 「会話の脈絡からしてそれ以外の単語は嵌入しない」 すまん、今のは素で驚いたんだ。 「お前がつくってくれるならそれ以上の晩飯プランは存在しないな。  でも、本当にお願いしていいのか」 「どういう意味?」 お前の手料理の前では歓楽街のエセ高級料理など霞み消えゆく。 が、二日も続けて晩飯を御馳走になると、なんだか俺が遠慮ナシの晩飯泥棒みたいじゃないか。 「わたしはあなたに料理を食べて貰いたい。だから晩飯泥棒でいい。  それに、あなたにも助手を務めてもらう予定」 嬉しいね。よしよし、料理のセンスに乏しい俺は、お前の助手として精一杯雑務をこなすとしよう。 ……おっと、一番大事なことを訊くの忘れてた。 「料理のメニューはもう決まってるのか?」 長門は自信たっぷりという風情で宣った。 「カレー」 214 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/22(土) 21:32:53.25 ID:qPsaRPAo ―――――――――――――――――――――――――――――― はぁ……重い。カレーの具材ってこんなにかさばるモンだったっけか。 俺は訴えてみる。すると長門はすいすいマンション通路を進みながら、 「それが普通」 お前の基準で、だろ? だいたいお前が「具材がない」なんて言い出すから わざわざスーパーまで買い出す羽目になっちまったんじゃないか。 「夕食のメニューは急遽決定された。  適当な買い置きがなかったのは致し方ないこと」 的確な反論にぐうの音も出ないね。 ひいひい言いながらも、俺はなんとか長門の部屋に袋を運び込んだ。 「お邪魔します」 「どうぞ」 ぱちん、と明かりをつける音がして―― 初めて訪れたときよりも、ほんの少し賑やかになった(それでも殺風景なことに変わりない)長門の部屋が照らし出される。 カーテンを開ける。すると、ちらちら零れていた黄昏時の日差しが一気に溢れた。 窓外の街も朱く染め上げられている。その景色に見とれていると、 「準備完了」 背後から長門の声がして、 「あなたも手伝って。丁度予備のエプロンがある」 俺は知った。眼福も可視領域を逸すれば、目を覆わずにはいられなくなるということを。 カーディガンを脱ぎキャミワンピースの上からエプロンをした長門。 その姿は昨晩の三人娘の眼福総量を遙かに上回り―― 「……早く」 ぐい、と長門がエプロンを押し付けてくる。はいはい、今すぐ準備しますとも。 217 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/22(土) 22:21:33.07 ID:qPsaRPAo 長門に晩飯を御馳走になった機会は結構多い。 でもその殆どがレトルトカレーを鍋にぶちまけたもので、お世辞にも料理とは言い難かった。 だから今回、長門がカレーを手作りすると言ったとき、 果たしてまともな料理が完成するのだろうか、いや、おでんはあんなに巧く作れてたし―― と、俺は密かに葛藤を抱えていたのだ。 だが。 実際に料理が始まると、そいつは自然消滅していった。 認識が甘かったのは俺の方だった。 長門はいつのまにやら、レトルト食品に依存した生活から脱していたのである。 「人参を乱切りにして。そう難しくない。あなたにもできる」 長門はジャガイモの皮を剥きながら指示を飛ばす。その眼は手元を見ていない。 すげー。ミリ、いやミクロ単位で精密な皮剥きに唖然としていると、 「早く手を動かして」 怒られた。なんだろうな、この感覚。 幼少期にお袋の料理の手伝いしたときとシチュエーション的には似ているものの、 相手が長門とあってあまり反省する気になれない。 「ゆっくりやってもいいじゃねーか。料理は楽しんでやるもんだぜ?」 「衷情が籠もっていなければ料理の旨みは半減する。  あなたはもっと真剣に料理と向かい合うべき」 流石長門有希先生、言うことが違うね。 俺は―― 1、それでも余裕綽々を装い、手元をロクに見ないまま包丁を引いた。 2、深く感銘を受け、真面目に乱切りに取組むことにした >>220 220 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/22(土) 22:25:02.45 ID:hgpls5Ao 1 225 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/23(日) 00:04:09.72 ID:7mv4dBoo それでも余裕綽々を装い、手元をロクに見ないまま包丁を引いた。 そして――因果応報、意地を張った報いは指先の神経を通じて返ってくる。 要するに俺は指を切った。 「痛っ……」 鮮やかな朱色が滲んでいた。あーあ、やっちまったな。 調子に乗りすぎた罰か。馬鹿な助手だと思われているだろうな、と俺は視線を長門に移した。 カプ。 かぷ? 妙な感覚が指先を襲う。 大抵、じんわりした痛みが過ぎ去った後は痒みが広がってくるものだ。 なのに今俺の指先は気持ちのよい生温かさで包まれている。 あのう、長門先生。何をしておられるのでしょうか? 「止血」 んなもん見りゃ分かるさ。俺がつっこんでんのは止血方法についてだよ。 243 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/23(日) 23:21:09.38 ID:7mv4dBoo 「ナノマシンでも注入してくれてるのか?」 「ひはう(違う)」 長門は唇から指を離して、 「……唾液には止血作用がある。  血液凝固因子であるトロンボプラスチンに酷似した物質が含まれており、  また上皮細胞成長因子によって治癒速度の上昇が見込める」 やけに早口で解説してくれた。顔には少々赤みが差している。 こいつ、自分でやっといて照れてるのかよ。 かくいう俺も実のところは照れまくりで、 今すぐにでも狂喜乱舞しタミフル患者よろしくベランダからダイブしたいところだったのだが、 長門に袖を摘ままれ思い留まる。 「ちゃんと絆創膏を貼って」 トコトコとダッシュボードへ歩いていった長門は、 やがて一枚の可愛らしいくまのプリントがされた絆創膏を持ってきた。 「油断は禁物。包丁の扱いには細心の注意が必要」 説教を垂れつつ巻き始める。その手つきは慣れたモノで、 保健室の先生の手際の良さと比べても遜色なかった。 「……できた」 「あ、ありがと」 「いい。料理を再開する」 と言って、ジャガイモを超高速で乱切りし始める長門。 どうやらあの大胆行為の余韻に浸る間は与えてくれないようだ。 消沈しつつ包丁を握る。えーと、にんじんの乱切りだったっけ。 それにしても、さっきの出来事が頭を過ぎる度に、もう一度指を切りつけたくなる衝動に駆られるのはどうしてだろうね。 俺に自傷趣味はないはずなんだが―― 「…………」 じーっ、と俺の指先を見つめる長門。 気づけば包丁は、さっき怪我した指とは別の指に向かい始めていた。 はぁ。単純すぎるな、俺。 253 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/24(月) 02:44:44.65 ID:z1rlPDso ―――――――――――――――――――――――――――――― それから後も薄切りしなきゃいけないタマネギを千切りにしてしまったり、 長門が最後の最後に調味料の塩こしょうを砂糖と間違え掛けたりと、 二人で初めての手作りカレーは難航を極めたのだが、それでもなんとか、鍋いっぱいのカレーが完成した。 片方は並、片方が特盛りのカレー二皿のセットをテーブルに運び終えたとき。 俺の額には汗が滲んでいた。長門もうっすらとだが、汗をかいているようだった。 合掌。 「「いただきます」」 俺たちは同時にカレーを口に運んだ。緊張の一瞬である。 もぐもぐもぐもぐ。これは―― 「普通」と長門。 「だな」と俺。 可もなく不可もなく。初めての共同料理は、至極現実的な結果に終わった。 具材がちょっと崩れているのは、俺が長門にちょっかいをかけすぎたからだ。 一晩寝かせたわけでもないのに旨みが増しているのは、きっと俺が水の分量を間違えたからだ。 「見た目は酷くても味は美味。  レトルトカレーの域は十分に逸している」 それって誉め言葉なのか? 「誉め言葉。  それに料理に置いて結果と過程は等価」 言いつつ、二杯目のカレーをよそう長門。 その表情の綻びで、俺はもう完成度なんてどうでもよくなってしまった。 さあ、俺もどんどん食べるか。 カレーはまだまだたんまり残っている。五杯食べてもまだ余裕があるくらいにな。 261 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/24(月) 20:51:46.55 ID:z1rlPDso 二杯目の中盤に差し掛かった辺りで、俺はふと思った。 喫茶店に、図書館に、公園に、長門のマンションにと、 今日のデートは実に地味なスポットを巡りであった。 雑踏を歩かず人混みを避けて。友人と邂逅することもなければ、知人と擦れ違うこともない。 ハルヒに呈示したら即、顔面に突き返されそうなデートプランだ。 でも、俺はそれで満足だった。映画館や遊園地などの動的な場所が好きな人もいれば、 図書館や公園など、静的な場所が好きな人もいる。 長門は後者だ。俺は、長門の好むデートスポットに赴くまでのこと。 それに、退屈なんか全然しなかった。 長門の知られざる私生活の側面を覗けたし。 場面場面で、俺は初見の時と今を比べて長門の成長を再確認することができたし。 最後の最後で、長門は俺に「夕食はわたしが料理を作る」なんて言いだして、本当につくってくれたし。 今日一日だけで、随分とたくさんの思い出ができた。 カツン。 スプーンが前歯に衝突して、硬い音が鳴った。 「考え事?」 「ああ、いや……そうそう。お前、今日は楽しかったか?  デートといっても今まで行ったトコばっかで、不思議探索の時みたく、  真新しい発見とかおもしろおかしいイベントとかに遭遇したりはしなかったけどさ」 長門はごくごく水を飲んでから、 「……楽しかった」 「そりゃ良かったよ。デートに誘った甲斐があるってもんだ」 と言ったところで。俺はデートという言葉の意味を再吟味してみることにした。 デート。和訳で逢引。逢引とは愛し合っている二人が人目を忍んで会う、という意味だ。 現実ではもうちと柔らかく、互いに行為を抱いている異性同士が場所を決めて会うこと、と認識されているが。 とにかくデートという言葉は、広義に捉えることができる。 その男女が付き合っていても付き合っていなくても、デートはデートなのだ。 がしかし、付き合ってもいない男女がデートと称し図書館に赴き公園でくつろぎ女宅で料理を御馳走になるというのは、 客体的に見てどうなのだろう。 どちらかといえばこれは――互いに気を遣うことなく意思疎通が潤滑に行えるようになった 長寿カップル御用達のデートコースなのではなかろうか。 265 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/24(月) 22:42:10.95 ID:z1rlPDso それに―― 「ものすっごく今更だけどよ。  お前は独り暮らしの女の子なわけで、俺はそこに晩飯を頂くという名目でお邪魔しているわけだ」 スプーンを咥えたまま首を傾げる長門。俺の質問の意図が分かっていないようだ。 「前にも夜お邪魔したことはあるけど、どれもこれも例外なく、ゆっくりする暇なんかなかっただろ」 「………」 「ところが今回は遊び目的だ。  まぁだからといって、俺がお前相手にはっちゃける、なんてことは万が一つにもありえないんだけどさ」 お前には情報操作という最強魔法があるけど、それでも一応、男を部屋に入れる時は警戒すべきだと思うぞ。 と、俺は所々嚼みながら言った。 すると長門はますます首を傾げて、 「わたしはあなたを信頼している。  警戒の必要性は皆無。それに、」 さも当たり前のことのように言った。 「SOS団のメンバーを除いて、部屋への進入を許す人間はあなただけ」 「そうか」 俺は口にカレーを詰め込む作業を再開する。 今俺の顔面には、胸中の感情が如実に表現されているはずだ。 とてつもなくキモいにやけ笑い。そいつを長門に見られるわけにはいかないのさ。 長門の言葉が孕んだ可能性――別に古泉でもOK――に気づかないまま、俺はスプーンの往復スピードを上げた。 279 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/25(火) 21:47:26.89 ID:t8Kkd2so 食後のお茶を啜りつつ台所の長門の立ち姿を眺めているお前は一体何様なんだと顰蹙を買いそうだが、 前日に引き続き皿洗いを申し出る前に断られたのだからどうしようもないのだ。俺は緑茶を堪能する。 カレー色に染まっていた胃が癒されていくのが分かるね。 長門が鍋と、皿とスプーンとコップそれぞれ二つずつをテキパキ洗っていく。 一年前の俺に"一年後長門はレトルト卒業して自分で料理作って皿洗いしてるんだぜ"と言ったら、どんな反応するかな。 ……腹抱えて笑い飛ばすんだろうなあ。 長門がすげー甲斐性持ちになることなんて、信じる努力さえしないと思う。 指に巻かれた絆創膏と、皿洗いを続ける長門を交互に見て。俺はまた緑茶を一口飲む。 いつか遠い未来。長門の伴侶となる男はこの世界で1、2を争うほどの幸せ者になれるだろう。 家事ができて、程よく気遣ってくれて、飛切り可愛い。 最初は口数が少なくても、心を開いてくれれば会話が弾むようになる。ソースは俺だ。 洗い物が終わったのか、 「お代わり、いる?」 と言って、俺の隣に腰掛ける長門。 湯飲みがこぽこぽ音を立てている間に俺は時計を確認した。 時間の進み方はいつもとちっとも変わらなくて、短針はもう間もなく、9の数字を指そうとしている。 「――昼の公園でお前に話しかけてきたガキ――随分懐いてたじゃねーか――」 「―――彼とは249日前に出会った――その時彼は怪我をしていて―――」 それでも、俺は長門とだらだら雑談し続けた。 転機を迎えさせるのは最後の最後でいい。そう思っていたからだ。 「――へぇ、助けてやったのか―――」 「―――それから彼は、わたしをサッカーに誘うようになった――」 285 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/03/26(水) 01:40:44.17 ID:ZGwEGIEo 告白してしまえば。今となっては、カタルシスエンドを迎えられる可能性は極々小さかった。 いや、零というべきだろうか。奇跡が三つくらい重複しない限り、俺の揃えたカードではとても大逆転できそうにない。 「――今日は誘ってこなかったじゃないか―――遠くの方で友達と――」 「―――恐らく――遠慮していたと思われる―――」 しかし、今日のデートの目的がカード揃えかと訊かれたらそうでもなくて。 勿論最善のルートは俺が長門のエラー原因を突き止めることだが、 それができなかった場合のために――俺はずっと、 自分が為そうとしていることの正当性の有無について悩んでいた。 それは数日前までは明瞭で、十数時間前までは曖昧模糊で、今では正反対の評価を得た俺なりの答え。 「―――どうして遠慮なんか―――」 「――それは以前、わたしが彼に―――………」 ごーん、ごーん。 カチ、と秒針が12に重なる。 長が今までの脈絡を擲って、呟いた。その声は、古い蜘蛛糸のようにか細くて。 「………子供の夜間外出は親の心配の種。あなたはもう帰宅するべき」 タイムリミットが近いことを教えてくれた。 「親には夜遅くなるって伝えてある。まだ大丈夫さ」 と真実を述べる俺に、長門は 「わたしの部屋での夜更しは推奨できない。  加えてあなたは明日早起きしなければならない運命にある」 「予言か?」 「そう」 「なら従わなくちゃな。お前の予言は百発百中だから」 292 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/26(水) 21:28:30.52 ID:ZGwEGIEo でも――その前に。 「一つだけ訊いていいか」 沈黙を肯定と受け取って俺は続ける。 「お前、隠し事してるよな。  俺はそれを今から暴露するけど、嫌なら長門が先に自分の口で話してくれ」 部屋の空気が変わる。 凍て付くと言うよりは、対流が遅くなったような感じだ。長門は依然喋らない。 それが俺の突然の問い掛けに驚いていたからか、質問の先を推測していたからかは不明だったが、 「エラー蓄積限界が来たらお前、消されるんだってな」 「…………!!」 すぅ、と息を呑む長門。 「………それを誰から………」 聞いたの、と尋ねる声に起伏はない。 ただ、隣から怒りとか悲しみとか諦めとかが混淆した気配を察知することはできた。 それほどまでに長門は感情を発露させていた。猫に置き換えるなら毛を逆立てているといったところか。 「喜緑さんが教えてくれたよ――」 監視者が削除者であること。 お前が自ら情報統合思念体の要請を承諾したこと。 事後、俺やハルヒが暴挙に打ってでないように画策していたこと。 刻限がすぐそこまで迫っているということ。 「――全部な」 319 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/28(金) 01:07:49.02 ID:Kgro/Uwo 「………………」 「初めてそれ聞いたときは参ったよ。  お前が考えナシに承諾したわけじゃないって知ってる手前、  遮二無二に説得するわけにもいかないし、かといって指咥えて見てるわけにもいかないし」 そんで辿り着いたのが、お前のエラーの原因を突き止めてそいつを潰すって方法だ。 でも―― 「それが出来たら苦労しないんだよな。  結局、俺にはお前のエラーの原因が全然分からなかった。  お前を観察すればするほど、喜緑さんの話が嘘に思えてくるのさ」 隣で僅かに反応があった。 独り言みたいに俺は言葉を連ねた。 「今日なんか特に酷かったぜ」 柵を捨てて。介在を透して。できるだけクリアな思考を心懸けてお前の隣にいた。 すると、 「俺が観たのは、お前が充実していることの傍証ばかりだった。  これじゃあ当初の目的と逆転しちまってる。まるで意味がねぇ」 湯飲みに向かって喋り掛けているみたいだった俺は、ここに来て初めて、 隣の長門と向かい合った。長門も俺に視線を定める。 「でもさ、頭を空っぽにして、鳥瞰になって、やっと大事なコトがはっきりしたんだ」 「……大事なコト?」 「そうだ。んでもって俺は今からそいつを、お前に命令したいと思う」 一瞬、懐疑色になった双眸に怯みそうになりながら、 「なぁ、長門――、」 エラー原因はもう特定不能だ。バグを起こした場合のリスクも計測不能だ。 何もかもが未知数の未来。でも、だからこそ俺はお前に言う。 「――絶対に消えるな。削除されそうになっても抗え。それが駄目なら逃げ延びろ」 332 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/28(金) 23:46:29.62 ID:Kgro/Uwo 長門の体が、電流が走ったかのようにびくつく。 実際には数秒、感覚的には数十分もの間隔を置いて、 「承認できない」 「俺が協力してやると言っても、か?」 長門は小さく首肯する。 だろうな。お前ならそう答えると思ってた。 「理由を言ってみろ」 「統合思念体と結んだ契約の破棄は不可能。  あなたの協力を得ても成功確率は最低レベルな上、成功を前提としてもメリットの所与対象はわたしだけ。  あなたはわたしに過ちを犯すことを推奨している。冷静になって」 どこか祈るように、俺を見上げる長門。 冷静になって、ねぇ――そうか、お前には俺が理性を失って感情的になっているように見えるのか。 ところがどっこい、俺は真面目も真面目、大真面目だぜ。 「情報統合思念体のとった策は論理的かつ妥当。  わたしは自身が削除されることになんら猜疑心を抱いていない。  このことは喜緑から聞いているはず。あなたはただ、感情的に――」 「いんや、違うね。俺は至極まともなことを言ってるつもりだぜ」 話の腰を一言で折られて、長門は目を丸くする。 この自信がどこから湧き出てるのか理解不能、って感じだな。 俺は言ってやった。 「いいか、良く聞け。お前は分かっていないんだ。  手前が対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースやらTFEIやら、  統合思念体の命を帯びた宇宙人である前に、一人の人間なんだってことをな」 356 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/30(日) 02:05:22.60 ID:PNvoZyso 「わたしが……一人の人間……」 「そうさ。代替物の存在しない、生誕から今に至るまで5年間分の歴史を持った人間なんだよ。  この意味が分かるか?」 長門はどこか怯えるように首を横に振った。 「それはな、お前が自己主張していいってことなんだよ。  情報統合思念体の意向とか、ハルヒ絡みの他勢力とか、お前の同僚とか、  みーんな引っくるめて無視すりゃいいんだ。大事なのはお前の気持ちなんだよ。  俺は今からお前に質問する。YesかNoの二つでいいから、必ず答えると誓ってくれ」 戸惑いを帯びた首肯。俺は訊いた。 「お前は本当に、自分が消えちまってもいいのか?  後先のことはどうでもいい。メリットデメリットのことは一旦忘れろ。  ただ純粋に――この世界からリタイアすることが、お前は不服じゃねえのかよ」 と、どうやらそれが無表情のペルソナを剥がすキーワードだったらしい。 僅かに唇を噛んで、視線を湯飲みに落とす長門。俺は黙って、しかし心の中で語りかけながら返事を待った。 Noだよな、長門。 お前がこの世界を疎んでいる蓋然性なんて万が一つにも有り得ないんだ。 お前はきっと、いや絶対にこの世界を愛してる。この街も、この殺風景な部屋も、学校も、文芸部室も、 そこで一緒に過ごしてきたハルヒも朝比奈さんも古泉も、ちょっと恥ずいけど俺も、 SOS団に関わってきた組織の構成員も、お前がプライベートで付き合いのある人たちも――みんな、大好きに決まってる。 382 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/31(月) 20:06:13.11 ID:twyD91.o さぁ言ってくれ、長門。 ただ一言「消えたくない」と言いさえすれば、俺がお前の楯になってやる。 情報統合思念体の敵対勢力と認知されても、その結果として危険な目にあっても構わない。 だから―― 「帰って」 ………は? 今なんつった。 「俺はお前に二択問題をフッたんだぞ。  それじゃ全然答えになってない。ただ単に逃げてるだけじゃねえか」 長門に詰め寄る。だが、長門はスッとソファから腰を上げて、 「帰って」 と繰り返して言い、窓際に寄って背を向けた。 「――これは忠告」 元々静かだった部屋が、その言葉が響くことによって更に静けさを増す。 「今のあなたはとても愚か。  窮迫した状況で、正確な判断ができない状態。  それは小さな子供がダダを捏ねているのと同義」 紡がれる一文節一文節が、まるで雨雫のように俺の心の湖に波紋をつくっていく。 「たとえわたしが自己の存続を願っているとしても、それは唯の我侭でしかない。  打算的な行動にも身勝手な行動にも、等しく責任が付きまとう。  そしてわたしは、後者を選んだ場合の責任処理能力を持っていない」 波紋は広がらずに、元より生じていた波紋と相[ピーーー]る形で作用した。 「あなたはわたしに自暴自棄になることを強要している。  それは様々な弊害を生む。さっきあなたは、一時的に全てを忘れろと言った」 しばしの静寂。そいつは多分、 次のデカイ雫がつくる、飛切り大きな波紋を際だたせるためだ。長門は言った。 「でもあなたは――永遠にそれらから目を逸らせと言うの?」 392 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/03/31(月) 22:08:45.69 ID:twyD91.o 俺は答えない。 長門はそれから、自分に言い聞かせるように、自分が存続した場合に、 ハルヒとか情報思念体とかに及ぼす害悪を列挙していった。顔はずっと背けたまま。 「――だから、帰って」 締めくくって、両掌で耳を塞ぐ。どうやら反論は受け付けてくれないらしい。 独白は、俺の昂ぶっていた心を静めるには効果覿面だった。反省したよ。 確かにあんな言い方じゃ、手詰まりになったバカが捻り出した苦肉の策、ととられても仕方ねーよな。 「やれやれ」 溜息を湯飲みに落として、そっと立ち上がる。ぴく、と長門の肩が震えた気がした。 ここは長門の部屋だ。直接的な視覚と聴覚を遮断してなお、こいつには俺の一挙一動が手に取るように分かるに違いない。 それにしても……。こうしていると俺たちまるで、互いに折り合いが付けられなくて諍いあってるカップルみたいだな。 一般的なカップルの場合、行き着く先は和解か破局と明文化されているが、俺たちの場合はちょいと複雑だ。終着点は予測不可。 けどな長門。俺は喧嘩別れだけは嫌だぜ。 「俺は帰らないよ」 「…………!!」 400 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/01(火) 00:43:04.48 ID:7AshXOQo 「本当はな。さっきのYesかNoの質問に応えてくれるのがベストだったのさ。  そしたら俺が臭い科白言うことも、お前が余計に悩むこともなかったからな」 でも今のお前は、俺よりも重症な鈍感みたいだから。仕方なく言ってやるよ。 まったく、この俺に鈍感と言わしめるなんてフィールズ賞を受賞するよりも誇っていいことなんだぞ。 「あのなぁ、長門」 俺は小柄な背中に向かって語りかける。 「正直に言うとな。俺もつい昨日まではお前の考え方と同調してた。  さっき言ったことを口にするのは絶対の禁忌で、  お前を救うにはエラーの原因そのものを潰すしかないって決めつけてたのさ。  いや、断言したら語弊があるな。境界線の一、二歩手前で悩んでた、の方が正しい」 「……………」 「でも、今日お前とデートして確信したよ。  お前と二人きりになる機会がめっきり減ってたからかな。要は切欠だったのさ」 ひたすらな沈黙。もし長門が光化学迷彩してたら、傍からみりゃ完全な独り言だな。 そんな下らないことを想像しながら俺は告げた。 「お前さ。お前の信じてる正論もある意味じゃあ我侭ってこと、分かってないだろ」 再び。長門の肩が震える。 「話ぶっ飛ぶけど着いてこいよ。  一人の命と一個の地球、どちらが重い? って問題は知ってるよな。  これを論理的かつ現実的に解いたら、たった一つの人命よりも、もっとたくさんの命を乗せてる地球の方が重いに決まってる。  だがな、そいつは俺が、そのたった一人の素性についてなんにも知らされてなかった場合の話だ」 「……………」 422 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/03(木) 01:07:10.92 ID:6c5guJYo 「もし少しでも素性を知ってたとするなら、  俺はこの世界なんてモンと比べられちまったそいつに同情するだろう。  例えそいつと、道ばたで擦れ違っただけの関係でもな。  が、しかし、そこまでだ。たった一度の面識くらいじゃ、同情はしても結局は世界を選ぶ」 長門の手が、一層強く耳を押える。俺は続けた。 「じゃあ、そいつが友達だったら俺はどうすると思う?  唯一無二の親友だったら?  恋人だったら? 家族だったら?  掛け替えのない仲間だったら?」 俺は、どうすると思う? 上辺だけのシカトを決め込んだ長門の代わりに自分で答えるとしよう。 「迷うさ、誰だってな。少なくとも俺は滅茶苦茶迷うぜ。  そして辿り着く先は、きっと比較の前提そのものを壊す努力だ」 もうお分かりだと思うが、この話のほとんどは長門を取り巻く状況に置き換えることができる。 「お前の消滅と、世界の安定、どっちが大切?  これはさっきの問題の改変verだが、俺が辿り着いたのはさっきの答えとおんなじだ。  だってお前は、俺の、掛け替えのない大切な仲間なんだから」 しかも……、だ。 「それは俺だけじゃないんだぜ。事情が飲み込めてる奴も飲み込めてない奴も、  お前を知っている人間――SOS団の皆もそれに関わってきた組織の面々も、  お前のクラスメイトも、図書館のお姉さんも、お前の御近所さんだって、こぞってお前が消えるのを黙認したりしないさ。  マイノリティに属するのを覚悟でな」 生憎、お前の状態を知ってる人間は極僅かで、一般人にはどう足掻いても解決できない問題だけど。 「…………」 ふいに、長門が反論の兆しを見せた。それよりも先に釘を刺す。 「おっと、本当にそう思っている確証はない、なんて戯言は言ってくれるなよ。  ……話を最初の質問に戻すぞ。  俺たちの気持ちを無視して自己犠牲を貫くことも我侭だってこと、分かってくれたか?」 433 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/03(木) 22:19:22.91 ID:6c5guJYo 耳を覆っていた両手が落ちる。長門は観念した風に、 「分かった」 と呟いた。が、しかし――。 やっと分かってくれたか、と胸を撫で下ろしたのも束の間、 長門は実にシンプルかつ純真無垢な質問を投げかけてくる。 「あなたはわたしとこの世界の安定とを天秤にかけた。  そして、わたしの……左の受け皿に錘を乗せることで平衡状態をつくった」 ま、イメージ的にはそうなるな。 相槌を打ちつつ、俺はさり気なく足を運ぶ。 長門は、まるで裁判で自ら不利な証言をする被告人のように、 「でも、その均衡は著しく不平等なもの」 消え入りそうな声で断言した。 「どうしてそう思うんだ?」 「わたしの存続を願ってくれる人もいれば、世界の安定を重視する人もいる。  数量的に圧倒的多数を占めるのは後者」 ふぅん。だから? 「…………あなたは右の受け皿にも錘を乗せるべき」 「はぁ? んなことしたら均衡が崩れちまうじゃねぇか」 淀みない否定に余程驚いたのだろう、長門は一瞬、振り返りそうになって、 「だって、それが在るべき結果だから……」 全然違うね。 更に一歩踏み出しながら言ってやる。 「お前は自分を矮小化しすぎだ。  かといってどこどこの誰よりも価値が高い、なんて評価はできないけどな。  結局のところ、お前と世界中の人間一人一人を比べても、客観的な優劣なんてつけられないんだよ。  んでもって俺が左の受け皿――お前の方――に錘を乗せた理由は、そんなとこから生まれたんじゃない」 窓に映り込んだ長門の表情は、困惑に歪んでいた。 ほっといたら"絶対"に消えてしまうお前と、お前が存在することによって世界が改変される"可能性"。 「俺はお前に賭けることにしたんだ。  お前がこの世界を改変したりしないって信じてるからな。  一方的な期待はプレッシャーになるっていうし、俺がこんなこと言うのも何だけど……自信持ってバグればいいんじゃないか。  そんでお前の上司に、なんともなかったじゃねーか、って胸張ってやれ」 これが俺の、気の遠くなるくらい遠回りして導き出した答えだ。 453 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/04(金) 22:25:21.99 ID:TD7E2nYo だから――あとは、お前の出す結論次第。 それから俺は口を閉ざして、最後の一歩を踏み出した。 手を伸ばせば触れられる。そんな距離で長門の返事を待った。 「……………」 多分、今こいつの頭の中では、色んな思考が交錯して、ぶつかりあっているのだ。 論理とか。倫理とか。一個と複数の数学的な優劣とか。従前に得てきた印象深い記憶とか。 それらみんなに踊らされて、懊悩しているんだろう。 「…………わたしは…………」 俺の場合。幾つも分岐する結論から、一つだけを選べと言われたとき、 結局のところ判断基準になるのは感情の傾きだ。分水嶺を前にして、咄嗟の直感で判断を下せるのは"人間"だけ。 プログラムに従わされる機械なら、命令に縛られたTFEIなら、最も高効率でローリスクの選択肢を選ぶだろうからな。 だから―― 「…………わたしは…………」 こいつが、俺の望む答えを口にしてくれたとき――。 それは同時に、長門が"人間"であることの何よりの証明になる。 俺はただただ、硝子に反射した双眸を見据えた。それは僅かに潤んでいるように見えた。 交錯した視線にメッセージを載せる。 少し勇気を出せばいいのさ。何、ちっとも難しいことじゃない。 「………わたしは……………わたしは、消えたくない……………!!」 ほら言えた。 467 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/05(土) 20:06:01.65 ID:qqXHT3ko 「その言葉を待ってたんだ」 僅かな距離は一瞬で埋まって、俺は後ろから長門を抱き締める。 華奢で、少しでも力を入れたら頽れてしまいそうな体は、それでも確かな熱を持っていた。 あぁ、あったかい。ハルヒの奴、いつもこんな感動を味わっていやがったのか。 抱き竦められた長門はというと、 「離して」 とも 「やめて」 とも言わずに、 「………んっ……」 と小さく吐息を漏らして、なされるがままだった。 耳朶に甘噛みしたくなるほどの距離。俺は囁く。 ――もう絶対に離さない。お前が助けを求めたんだ、何があっても護り通してやる。 一拍の間をおいて、長門は答えてくれた。 「………ありがとう。とても嬉しい」 その言葉の響きを哀韻と捉えてしまったのは、きっと俺が喜びで舞い上がっていたからだろう。 気持ちだけなら空の彼方、衛生軌道上を通過し月を超え、火星に到達しそうだぜ。 ぽたり。 ふんわりした甘い香りに、意識が朦朧とする。 ぽたり。 ずーっと抱き締めていたい。そんな子供じみた欲求に、俺は流されていた。 眼を瞑っているから解らないが、長門は迷惑してるかもしれないな。 ぽたり。ぽたり? ふと、腕に等間隔に落ちる雫に気が付く。 俺はともすれば眠りに落ちていたかもしれない瞼を開けた。窓ガラスに長門が映っていた。 表情は一切崩れていない。肩の震えも哀咽も、呼吸の乱れさえなかった。 ただ、涙だけが止めどなく、双眸から零れ落ちていた。 「長門……?」 涙の理由を考えるよりも先に、綺麗だと思った。 どうかしてる、と自責しながらも、俺はその涙を拭ってやることができなかった。 481 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/07(月) 00:28:21.61 ID:YPRaQd6o 不可解だった。この涙は何に起因しているんだ? 長門の頭を愛撫してやりながらも、俺の頭は幾何級数的に混乱の度合を深めていく。 そうこうしている内に、長門はまた呟いた。 「本当に、嬉しい」 科白から欠落した目的語を推量する。長門に尋ね返す選択肢は思いつかなかった。 俺という協力者を得たことによる安堵感からか? 消去されずに思念体に抗う道を選んだことによる喜懼からか? ……うーむ、不可解だ。 がしかし。この突然の涙の理由は、なんと長門自身によって明かされることになる。 「―――している」 今度ばかりは本気で耳を疑ったね。 俺は来週には必ず耳鼻科にいこうと決心しつつ、奇蹟を目の当りにした無神論者みたいに訊いた。 「すまん、もう一度復唱してくれないか」 「――――減少している」 やっぱ聞き違いじゃねえか……。 驚いたぜ、こんな時にデウスエクスマキナの存在を知覚するなんてな。 ま、その神出鬼没性と意味不明さがデウスエクスマキナのデウスエクスマキナたる所以なんだが。 ここ数日の伏線が実を結んだ気配はないし、 今日一日の流れにおいて、特別重要なファクターを手に入れたわけでもない。 なのに長門は俺に告げた。 「今まで蓄積されていたエラーが――、急速に――、減少している」 嗚咽で言葉が濁らないよう、呼吸を整えながら、途切れ途切れにそう告げた。 へぇ。突然エラーが減少、ね。 こうも不可解な解決の糸口を呈示されたら、俺はもう常套句を吐くしかないよ。 「やれやれ」 わけがわからん。脈絡がないにも程があるだろ。俺は溜息で憤慨を示した。 すると長門は俺の腕の中で体をもぞもぞさせながら、 「一つだけ、あなたに隠していたことがある」 507 名前:修正ver[] 投稿日:2008/04/08(火) 01:43:23.29 ID:2jZgPrco なんだ。もう何を聞いても驚かないから言ってみろ。 「三日前の夜の電話を、憶えてる?」 俺はいろいろな意味で淡朦朧とした記憶を辿りながら、 「憶えてるに決まってるじゃないか。  お前が初めて、エラー云々の話をしてくれた電話だろ?」 ミクロン単位で頷く気配。今からほぼ72時間前――。 あの時、俺は朝倉のことで頭がいっぱいいっぱいになっていた。 おかげで概要はともかく、会話の明細まではきちんと記憶していない。 でも、その電話で長門が俺に隠し事をしている感じはなかった……と思う。 どこからか「この鈍感が!」と叱咤の御声が聞こえてきそうだが、 気紛れな慧眼と称される俺の観察眼も、電話越しじゃ意味がないのさ。 「それで、隠しごとってのは何なんだよ?」 「エラーの増減に関する、非公開情報があった。わたしはそれを、意図的に隠蔽していた」 こいつの喋り方だと、どうにも汚職議員の悪口暴露みたいに聞こえて嫌だな。 エラーの増減……。あぁ、そういえばそんなことも言ってたっけ。俺は合点する。 直後にお前の限界が近づいていると聞かされて、そっちに意識を持って行かれていたよ。 「確か、不明なエラーが不明な理由で増えて、これまた不明な理由で減っていたんだよな。  今まではなんとか均衡してたんだけど、最近になって崩れてきて、許容量の限界がきた、――どうだ、合ってるか?」 「その通り」 再び首肯するかに思われた長門。 だがしかし、長門は今度はナノ単位で左右に首を振って 「そこに嘘がある」 と言い、 「実は……わたしはエラーの濫觴を明確化できずとも………エラーの増減に一つの規則性を発見していた。  そして……、その規則性の……、中心にいたのは……………あなた」 半端ない滑舌の悪さで後半を宣った。 あなた? それってもしかしてももしかしなくても、俺のこと? いくら理解不能でも、長門の主観的言の葉による「あなた」とは「俺」のことに他ならない。 そんなつまらない思考にたっぷり十数秒浪費して、俺は長門に問うた。 「あー、それは俺が、お前のエラーを間接的に増減させていた、という認識でいいのかな」 528 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/09(水) 21:32:18.40 ID:pOx8Av6o 長門はぽつりと言った。 「………いい」 なんてこった。 俺は衝動的に頭を抱えたくなったが、生憎両腕は長門を抱き締めるのに使っていたので叶わなかった。 もし俺がエラーの原因だったとするなら――。先走る思考プロセスを中途終了して、尋ねる。 「規則性の詳細を教えてくれるか?」 「エラーの蓄積・解消は、微量なら普遍的なTFEIの活動副産物。  でもわたしの場合……その微小変化とは別に、一度の変化量が定量的でないエラーの増減があった。  そしてその増減が起こったのは、決まって、あなたと同一空間に居合わせた時。  以上の事実から、あなたがわたしのエラーに関する鍵を握っていると推察される」 鍵、か。遠い遠い昔、どこぞの超能力者にも同じことを言われた気がするね。 それはさておき。長門にこうも断言されちゃあ、頭の悪い俺でも解るぜ。 舞い上がっていた桜の花片の如き思考は現実という名の雨粒に叩き落とされて、 「どうして黙ってたんだよ」 俺は、責めるように訊いた。 「それは………」 と、口籠もる長門。 ここ四日間、長門のために色々と手を拱いてきた俺が、実は諸悪の根源だった――、皮肉な話だな、まったく。 「俺がエラーの解消にも関係していたのも認めるとして、  それでもやっぱ、俺がお前と一緒にいなきゃ、エラーが発生することはなかったはずだ。  どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ。そしたら……」 そしたら? 俺はどうするのだろう。長門が俺と共に過ごしてエラーを増減させなくなるまで、フェードアウトするのか? いつまで? 一時だけ? 数日? 数週間? 数ヶ月? 期限は誰にも解らない。俺はそんなの嫌だ。でも、長門がエラーを溜込むのに比べたら、 「――やめて」 535 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/10(木) 00:55:46.32 ID:17IYQAUo 凄烈な緘口令。再び震え始めた長門の肩を、俺は黙って抱き締めた。 「わたしが法則性を隠蔽した理由は……、巧く言語化することができない。  齟齬が発生する可能性がある。………それでも、聞いて」 脳梁の記憶の引き出しが、ガタガタと反応する。 齟齬。懐かしい響きだな。そんなことを考えながら、俺は頷いた。 「あの夜の電話で……、わたしはまず最初に……、叱責を受けることを覚悟していた」 叱責? 「そう。何故ならわたしは………、二年前あなたと交わした約束を、破ったから」 不意に、眼窩であの冬の日の追憶が始まる。 皎潔の病室。真夜中の薄明かり。シンとした静寂の下。 長門が淡々と「自己の処分が検討されている」と告げて、 最後に「ありがとう」の言葉を発するまでに、俺は長門にこう言った。 『お前がバグることは三年前には分かっていたんだよな。  なら、いつでもいいから俺に言えばよかったじゃないか』 長門はきっと、それを小さな、大切な約束と捉えたのだろう。 ――次にバグる時は、エラーを蓄積し始めた時点から俺に伝えよう。 さしずめそんなところだろうか。対して俺はその約束を忘却の彼方に押しやり――。長門は続ける。 「でも………、あなたから、電話越しに怒気を感じ取ることはできなかった。  わたしは盲目的に安堵していた。………そして打ち明ける機会がないことを利用して、法則の隠匿を謀った」 声は深い懺悔と、それでも変わらぬ意志が拮抗しているかのように揺れていた。 俺は今更、言ってみることにする。本当は四日前に尋ねていなくちゃならなかったことを。 「なんでだよ。どうしてお前はエラーが生じたその瞬間から、俺に訴えなかったんだ。  そしたらもっと時間に余裕も持てて、お前のエラーの原因とか、仕組みについて調べることができたのによ」 「先の法則性を伝えれば………、あなたは必然的に"わたしと接触機会を絶つ"という愚考に走る」 ああそうだ。つーか、もうその結論に走ってる。 だがな、長門。その考えを愚考とこき下ろすのはどうかと思うぜ。 確かにお前と距離を置くのは最高にイヤさ。でも、お前がエラーに悩まされずに済むんなら―― 「わたしはそれを絶対に避けたかった。その時生じていたのは、エラーとは無関係の反理性的な思考形態」 「長……門……?」 今度は俺が三点リーダを紡ぐ手番だ。眼前の細い頸は、白から朱に染まっている。 長門は、まるで初恋を語るうら若き乙女のように俯いて、 「わたしはあなたと疎遠になるのが怖かった。  それはわたしがエラーに飲み込まれるよりも、危険因子として排除されることよりも、怖いこと」 誤解の氷塊が融けていくのを感じる。 俺は古泉から貰い受けた助言のパラグラフを思い起こした。 551 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/11(金) 00:59:06.13 ID:kHI16gMo ――『あなたの長門さんに対する意識が、彼女の成長に追いついていないからですよ』―― 婉曲な言い回しだ。 視点が間違っていれば疑問符が頭を席巻するし怒りを覚えもするが、 視点が合って、ちゃんとした解釈ができるようになれば、いとも簡単に脳味噌に浸透する。 ったく……やれやれだぜ。認めたくはないが見事に正鵠を射てやがる。 俺は先程からどこからともなく沸きつつある、しかし長門のエラー生成原因を説明するに足りる仮説のQ.E.Dを試みた。 思考のホワイトボードの上で、情報を整理する。 長門は変則的なエラーに悩んでいた。 その特殊エラーには発生法則があった。 俺が傍にいると、増えたり減ったりする、といったシンプルなものだ。 長門は俺にそれを教えなかった。教えたら俺が距離をとると思っていたから。 俺と疎遠になることは、長門にとって自己の消滅よりも許し難いことだった。 以上から導き出されるエラーの発生条件とは何か? ここまできたら、答えはもう暗黙の内に浮上する。するのだが、俺は最終確認のために訊いてみた。 「これはちょっとした確認なんだが……。お前がエラーの増大を確認したとき、  俺の傍にはハルヒやら鶴屋さんやら朝比奈さんがいなかったか?」 驚いたように目を瞬かせ、長門は数cmほど頷く。 「じゃあ減少した時、お前の心拍数やら体温やらはどうなってた?  お前にとっては意味不明な質問かもしれんが、答えてくれ」 寸暇もおかず、正確無比な情報が述べられる。 「例外なく上昇傾向にあった。  ……ただ、わたしはそれをノイズとして処理していた」 559 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/12(土) 01:04:18.18 ID:TAbyLbIo 「そうか。十分だよ、ありがとう」 情報は揃った。裏打ちは十全、めでたく証明終了というわけだ。 長い長い遠回りの末、得られたのがこうも単純明快な結論だったことには嘆息を禁じ得ないが。 俺は言った。 「ところで長門。突然なんだが、俺、お前のエラー原因分かったよ」 「えっ………?」 ミクロン単位ナノ単位じゃなくて、大袈裟に眉根を寄せる硝子の中の長門。 ま、驚くのも無理ないか。 今長門は、さっきの『エラーが急激に減少している』発言を受けた俺よりも衝撃を受けているはずだからな。 硝子に反射させた視線に、純粋な疑問符を乗せる長門。 きっとこいつは、こう思っているんだろう。 自分が処理できなかった難題を、何故俺のような人間が解けたのか、と。 でもな、長門。こいつはとある気障な吟遊詩人の受け売りだが、 ”高次の知的生命体が我々人類にとっては未知の物理法則を易々と理解できたように、  数多の制限に縛られた有機生命体の方が解を得やすい事柄も、多々ある”のさ。 「婉曲な言い回しをするなら、お前は鈍感なんだ。  俺よりも酷い。比較対象に俺が出るということは、お前は相当の重症患者ってことだぜ?」 厳密に言うなら――、長門は鈍感とは微妙に違う。 絹糸のように繊細な機微。 大量の書物を栄養とし、情緒豊かにすることに努めてきた長門も、 いざ自身の実体験となると、蓄えた知識は無用の長物に等しい。何の役にも立たない。 長門が手に取った本のジャンルは多岐にわたり、総数は最早計上できないほど。 そしてその中には必ず"恋愛"関係の本があったはずだ。その物語の趨勢を、長門はどんな気持ちで読んでいたのだろうか。 シミュレートはできずとも、明白な事実が一つ。 感情移入こそしさえすれ、自分が同じ状況下に身を置くことになるとは、露程にも想像していなかったということ。 だから長門には分らなかった。この特異なエラーが示唆する、感情の奔流が。 567 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/12(土) 18:46:56.38 ID:TAbyLbIo 「でもお前は悪くない。それどころか今回の件では、悪者なんて何処にもいなかったんだ。  敢えて挙げるなら……俺だな、うん」 「…………?」 長門の精神的な成長速度。 俺の認識が、もっと早い段階でその加速に追い付けていたら、 こんなゴタゴタした事態にはならなかっただろう。 長門を一人の女の子であると認めつつも、 この世界にごまんといる男に恋慕を抱くことなど有り得ず、 百万歩譲って有り得たとしても、それはずっとずっと先の未来のことであると、俺は思いこんでいた。 頼まれてもいないのに保護者ヅラして、 それっぽい雰囲気が流れた時も表面上焦った顔しながら内心は泰然自若と構えていた。 長門の「求愛を受けたことがある」宣言しかり、 喜緑さんによる俺に対しての、「付き合うなら誰がいい?」という質問しかり。 とどのつまり、俺は長門の精神年齢を過小評価していたのだ。 長門はまだまだ純真無垢で、恋愛など縁遠い感情なのだと。それはある意味、妄信に近い。 「お前の特別な感情の矛先が、どこに向いているのか。  誰よりもヒントを与えられていた俺が、第一に気づくべきだった。  馬鹿だよな、口数が増えたことと、心を許す度合が同じとは限らないのにさ」 何故俺が長門の機微に触れられるようになったのか。 過去の俺は表情識別眼の能力UPなどと喜んでいたが、実のところはそうじゃない。 これは推測だが……、長門は機微の表現を調整できなくなっていたのだろう。特定の条件下に置いて。 そして出力された未調整の表現から、俺は長門を「一人の少女」と認識していった。 だが、それは他の人間――長門と会話し、行動を共にした――にとっても同じだろうか。 古泉の誇大極まりない比喩も、そこから生まれたものだ。 俺はチャットでの古泉の独白に違和感をもった。 俺と古泉の、長門に対する認識のズレ。 今から思えば、それは小さな差異が積み重なってできた、当然の結果だと言える。 585 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/04/12(土) 22:59:30.25 ID:TAbyLbIo 「さて」 俺は長門の体を一旦離し、くるりと反転させた。 感情の波に揉まれてか、赤みが差した白皙の頬。 その上を幾筋かの涙の跡が走っている。 僅かに充血した瞳を俺が見つめると、長門はふい、と顔を背けた。 「……あなたは何を言っているの」 「さあ、何を言ってるんだろうな。  この事態を収束させる方法が思いついたには思いついたんだが、  同時に自省心やら内罰心やらが顔を出して邪魔するんだ」 「わたしのエラーを消滅させる画期的な方法を考案したのなら……、早々に口にすべき」 まあそう催促するなよ。 それにしても、こいつの尖った唇から紡ぎ出される言葉に、 感情を籠めまいとする意図が感じられるのはどうしてだろう。 表層上は期待しているようで、裏ではまだ俺の解決法に懐疑的だからか? もしそうだとしたら悲しいね。 俺は99%実説となった仮説に絶対の自信をおいている。 だが――何故それを元に、さっさと実行に移さないかと訊かれれば、 それは視なくてもいい未来を勝手に予見して、書生論を踏み躙る理性が、俺に待ったをかけているからだ。 長門は自分が抱いている特殊な感情の正体に、気づいていない。 そしてその感情を定義するのは俺だ。驕っているわけじゃないが、実際そうなるだろうからな。 なら尚のことさっさと定義しちまえ、と言われそうだが――。 俺は長門と親密になり始めた時から、悩み秘めていたことがあった。心の隅に巣くう、小さな疑念。 こいつが俺に向けてくれている好意は、もしかして生まれたてのヒヨコの如き、盲目的なそれなのではないか。 長門はまだ人としての経験が少ない。なんてったってまだ5才である。 よって、心理的な依代として俺にそんな感情を抱いた可能性は否めないのだ。 「……………どうして黙っているの?」 潤んだ瞳が、俺に告白を求める。ああもう、俺はどうしたらいい。 今までそれなりに好いていた自分の情けない性格が、この瞬間とことん嫌いになった。 ここは分水嶺だ。それも天辺が目視できないくらいに空高い分水山脈に存在している。 こんな時、俺は今までどうしてた――? 1、[ピーーー]この鈍感野郎。もう小難しいことで懊悩するのはやめだ、感情のままに動けばいいんだよ。 2、確かに長門の今の気持ちは、俺に向けられているのかもしれない。   でも、それが仮初めのモノだったら俺は取り返しの付かないことを吹き込むことにならないか? >>592までに多かったの 586 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/04/12(土) 23:03:05.53 ID:avY2nxU0 1 587 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2008/04/12(土) 23:03:22.13 ID:q37dypgo 2 588 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2008/04/12(土) 23:03:57.37 ID:9k2mDADO 2 589 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/04/12(土) 23:06:14.79 ID:LcK/GwAO 11111111111 590 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2008/04/12(土) 23:09:34.00 ID:FBDFznQ0 1 591 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2008/04/12(土) 23:10:08.41 ID:mC/ixkQo 1111111111111 592 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/04/12(土) 23:10:34.60 ID:3KnxB6DO 111111 603 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/13(日) 01:01:28.44 ID:oq3oY5go と、その時だった。 俺の中で傍観に徹してきていた何か――第二人格とでも呼ぼうか――がキレた。 そいつが叫ぶ。頭蓋を割らんばかりの声量で叫喚する。 いい加減くたばれこの鈍感野郎。いや、自覚してるから優遊不断野郎か。 まあそんなこたぁどうでもいいんだ。いいか、その稚拙設計な記憶を奮い起こせ。 分水嶺における要諦事項は何だ。あ? 散々長門に説教垂れといていざ自分が選択に迫られたらダンマリか? 情けねぇ。仕方ねえから代わりに俺が答えてやる。 直感だよ、直感。第六感も表情識別能力も時折発揮する鋭い洞察力も必要ない。 小難しい論理はもう捨てろ。その段階はもう終わった。 今肝要なのは長門がてめえみたいな阿呆に恋慕抱いてる事実と、 それにてめえがどう答えるか、だろうが。 長門の気持ちが仮初めのモノかもしれない? 上等じゃねえか。 利用してやれ。罪悪感なんて微塵も感じなくていい。何故ならお前は―― もういい。後は俺が言う。 何故なら俺は――長門を、愛しているからな。 深呼吸して、浮き彫りになった"答え"を再認する。 今から思えば。身を挺してでも救いたいと思ったとき、その感情は既に生まれていたのだ。 無愛想な長門。 羞恥に朱くなる長門。 本の世界に没頭した長門。 ハルヒの玩具になった長門。 新しいクラスメイトと親しむ長門。 俺の知らない他人と交流を深める長門。 困ったときにいつも俺を助けてくれる長門。 ふいに無邪気でつい微笑んでしまう失敗をする長門。 それらみんなを、俺は失いたくないと強く願った。 何に代えても守りたいと思った。ならば、これを恋と呼ばずしてなんと呼ぼう? 619 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/14(月) 01:01:40.67 ID:kpvrf8oo さあ――。驕慢な妄想でも都合のいい絵空事でも他人が仕立てたシナリオでもない、 あるがままの事実に――俺に恋心を募らせて、その葛藤をエラーと勘違いした可愛いTFEIに、応えよう。 俺は長門の双肩に手をかけて言った。 「お前を悩ましているエラーの名前はな、俺たち人間で言うところの恋なんだよ。矛先はどんな理屈か俺に。  いつからかはお前に訊いてみなくちゃ分からんが、その気持ちはだんだん膨れていった。  あれだけたくさんの本を読んできたんだ。その中には何冊か、恋愛関係の小説があったろ。  その主人公と同じ心情を、お前は経験していたというワケさ」 溜めに溜めた独白。 「でも実際、お前はそれに気づかなかった。  こいつは適当な憶測だが、知識としては理解しているのに、経験は別の情報として処理されてたんだろう。  とにかく、お前は未知の感情に踊らされていた。意中の俺の一挙一動に、感情をかき乱されていた」 瞠目するかと思われた長門は、滔々と耳を澄ませていた。 ただ、紅玉のように艶々した瞳が、長門の心情吐露の役割を担っていた。 「刹那的な嫉妬や安堵。  そいつらは好き勝手にお前の心の中で暴れ回って、終いには蟠りという不純物になって蓄積されていったんだ。  それがエラーだ。増えたり減ったりしていたのに均衡が取れなくなっていったのは、  捌け口を知らない心が次第にバランスを崩し始めたからだ。  当然、心は臨界点を迎えた。感情の正体をお前に気づいてもらえぬまま、蟠りだけが深まっていくのに嫌気が刺したんだよ」 遣った"心"という言葉は、もう、メタファーじゃない。 「でも、その葛藤もすぐに終わる。  今この瞬間をもって、お前のエラーは半永久的に消滅するんだ」 硝子に映った瞳の、光彩が燦めく。 躊躇いはなかった。高翌揚感もなかった。失敗への畏れもなかった。 歪な告白だと思う。でも、これが俺と長門らしい終わりかただとも思う。いや――、始まり方と言うべきか。 「俺はお前が好きだよ、長門。さっきも言ったけど、お前を失いたくない。  独り占めは我侭かもしれないけど、ずーっと一緒にいたい。  だからもう、お前がいじらしい思いをする必要はないんだ」 お前は一人の女として、俺は一人の男として、お互いを想い合ってる。 これ以上の充足がどこにある? だが、そう自負する一方で、俺は一縷の不安の糸を断ち切れずにいた。 黙したまま、眼を伏せるように彷徨わせる長門。 まさかこいつ、俺の独白がまるっきりの見当違いだ、なんて諧謔を弄し始めるんじゃあるまいな? 数刹那後、俺はそれがまるっきりの杞憂であると知る。長門は片手を胸に当てて、確認するように呟いた。 「………わたしは、あなたが好き……愛している………」 そして、使い古された二文字に、最大限の愛しみを籠めて。 「………わたしは今、とても幸せ」 647 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/14(月) 23:26:56.49 ID:kpvrf8oo 長門は微笑んだ。 言葉通りの幸福を示す、小さな小さな花が咲く。 それは、無表情の壁を壊して外に出てきた感情の結晶だった。 と、視界の中央に捉えていた長門が、いきなりぼやけた。 込み上げてくる情動が涙腺を刺激してやまない。 痒くてこするフリをして目に手をると、目尻が少しだけ湿っていた。 目にゴミが入ったとか、欠伸だとかのチープな言い訳をするつもりはない。 でも、ほん少しだけ俺の矜持を庇う表現をさせていただくならば――、俺は、泣いていたのかも知れない。 「………俺も、すっごく幸せだ」 そうだけ言うので精一杯だった。 どこまでも水平線を描いていた俺の心電図は、今じゃアルプス山脈もかくやのアップダウンを見せている。 呼吸が苦しい。よもや俺の肺胞は、普通のガス交換を一時停止し、長門の甘香を取り込もうと躍起になっているのでは―― そんな馬鹿な想像を平気でさせるほど、長門の言葉は破壊力抜群だった。 唐突に。桜唇が、俺の眼の前に突き出される。 「………ん」 ん? 「えーと……これは……」 何を求められているんでしょうかね? と言うほど、俺の頭は幼児退行しちゃいない。 こんなもん第二次性徴期を終えた中学生でも分かるぜ。 爆発しそうな頭で考える。 661 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/15(火) 00:51:25.88 ID:KnI0c3co 長門のエラーはもうほぼ消滅状態なわけで。 俺とこいつは恋人関係なわけで。 ということはキスの一つくらいしても全然おかしくないわけで。 でもここで唇触れたら、心の奥底に封鎖してきたリビドーが理性の鎖を引き千切るわけで。 人生史上、一、二を争う葛藤。 紆余曲折を経る間にも、長門の悩ましげな、雛鳥が親にごはんをせがむような声が邪魔をしてきて、 何でこんなに煩悶しなくちゃならねえんだと宛先不明の苛々が募り、 ――畢竟。 俺はそっと長門の右頬にキスをして、何か言われる前にがばっと抱き締めた。 「キスはお前がもうすこし大人になってからな。  それまではほっぺたで我慢してくれ。俺も色々と準備できてないんだ」 という、支離滅裂な科白と共に。笑いたきゃ笑え。 ヘタレ、及び腰、臆病者、意気地なし、チキン野郎、etc...なんとでも嘲弄するがいいさ。 俺はこれでいいんだよ。今は。 「………そう」 不満げに吐息を漏らす長門。……否応なしに罪悪感が沸いてくる。 今からでも遅くないかな、と安直な思考に走り始めたとき。 「それなら、代案を提唱する。――、して」 弱い力が、俺の躰を包む。 正面から抱き合った躰はより密着して、俺はなんだか「これでもいいや」という、実に投げ遣りな気分になった。 俺はそっと、長門の耳に口を近づけた。 ―――――――――――――――――――――――――――――― それから――。 俺は長門と拙い睦言を交わし合ったのだが、 その内容があまりに長く、また会話の切れ端を思い起こすのも赤面必至なので、割愛させていただく。 不特定多数の人間に、俺たちの秘め事を晒すのも憚られるしな。 今現在。俺はソファに眠る長門を傍目に、窓外の夜景を眺めている。 エラー関連のことで負荷が……じゃなくて心労が溜まっていたんだろう、 長門は懐抱の途中で、いつしか眠りに落ちていた。 702 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/17(木) 22:38:32.45 ID:Yjf48CQo 落ち着いた寝息を背中で聞きながら、 一ヶ月分の密度があったといっても過言ではないこの四日間を、追憶する。 長かった。 あの夜の電話から始まって、ろくに仲間の力も借りないまま悩み、 答えが出ないままタイムリミットが訪れ、土壇場でハリウッド専属演出家も真っ青の急展開があり、 なんだかんだで長門のエラーは消滅、めでたしめでたし――なのだろうか。 巧くいきすぎじゃね? 俺ってほとんど流れに身を任せてただけじゃねえの? まあいいじゃん。物事で重要なのは過程じゃなくて結果の善し悪し。 そして俺は今、最善の未来に立っている。 明日からまた平穏無事で、幸福度の増した日々が始まるのだ。俺は快哉を叫んでいい……。 予期せず得た達成感は陶酔感にも似ていて。 俺は朝靄みたいにぼやぼやした違和感を、斟酌することなく拭い去った。 ふいに、指先の傷が疼いた。 長門が貼ってくれたところよりも、ちょっとズレた絆創膏。 可愛らしいプリントは、無条件で見るものを和ませる。 長門もこういうの好きだったんだなあ、としみじみ思って、俺はなんとなく、絆創膏のパッケージを探した。 「確か、ダッシュボードから出してきたんだっけか」 眠り姫を起こさないよう、忍び足で。俺はダッシュボードの中身を、漁ってみた。 目的のそれはすぐに見つかった。だが、その下に、『涼宮ハルヒへ』と銘打たれた封筒を見つけたから、 俺の行動は一気に宝探しへと昇華した。 「なんだこりゃ」 好奇心は猫を殺すというが、俺は人間なので大丈夫。 横目で長門を確認して、封を切る。果たして中に入っていたのは、勾留令状だった。 勿論、ワープロで印刷したと見紛うほど綺麗に並んだゴシック体とは関係なく、文面の内容が、だ。 『この手紙をあなたが読んでいるとき、既にわたしは――』 そんな書き出しのせいで遺書めいた文章は、実に淡泊に、虚偽のの推移を説明していた。 急な用事ができた。 外国に暫く滞在しなければならなくなった。 何も告げずに消えてごめんなさい。 でも、心配しないで。わたしは大丈夫。 ざっと要約すればこんなところか。 ――今までありがとう。と在り来たりすぎる文句で締めくくられた手紙。 推理するまでもなく、こいつは長門が、自分が消えた後のことを思ってしたためた手紙だ。 ハルヒが怒り狂わないように。俺が、ハルヒを嗾けたりしないように……くっ、ははっ、あははは。 「馬鹿だな、長門。  こんな手紙ぽっちで、ハルヒが……俺が、納得するわけないじゃないか」 例え他に何か方策を講じていたとしても、こんなレベルじゃとてもハルヒの逆鱗を撫でつけることはできない。 断言してもいい。込み上げてくる笑いを口の中で噛み殺しつつ、手紙を封筒に戻す。 712 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/18(金) 20:41:46.62 ID:DXVYpLko それから、ベランダに出た。 春の夜空は良質の墨を流したみたいに蒼黒くて、 就寝間際の街の風景は、どこまでも澄み渡っていて。 俺は肌寒さも忘れて、欄干から、少しだけ身を乗り出した。 こんな手紙、もう、要らないよな。 封筒ごと、手紙を千切る。びりびり。 小間切れになった紙片は、丁度いいところにやってきた春風に乗って飛んでいく。 それはさながら、季節外れの雪のようだった。 封筒がピンク色なら、桜の花びらに見えただろうに。 と、そんなくだらないことに思いを馳せていた時――、 遠雷のような音が俺を襲う。 月や星とは違う人工的な極彩色が、夜の闇に花開く。 それは、あまりにも唐突すぎた。 俺はしばし呆気にとられていたが、やがて長門が眠っていることを思い出した。 慌てて部屋に戻って、窓を閉める。音の波が遮断される。 長門は……よかった、目を醒ましていない。俺はホッとしてソファの端に腰を下ろした。 この鮮麗な光景を拝ませてやりたいとも思ったが、無防備に眠る長門を揺り起こすのには抵抗があった。 それから。 俺はぼうっと、四角の枠の中で自由に色彩を変える動く絵画みたいな夜の景色を眺めていた。 綺麗だった。それはまるで永い四日間を終えようとしている俺を、祝福しているかのよう。 それなのに。不思議と、睡魔が足音を響かせる。 視界に暗幕が降り始める。 思考は風凪ぐ海のように穏やかだ。 たまらず、俺はソファに横になった。 長門と同様、俺も知らず知らずのうちに疲弊していたのかもしれない。 小さな躰に寄り添う。寝息が重なる。それが心地よい。 いよいよ意識は朦朧としはじめる。そして―― 『おやすみ』 誰かが、そう囁いた気がした。ああ、五感が虚ろだ。 腕の中の仄甘い香り。切り貼りの幸福。 それらが確かなものであると錯覚したまま、意識は深みに落ちていく。 -naagato routeA end- 719 名前: ◆.91I5ELxHs[] 投稿日:2008/04/18(金) 20:59:03.40 ID:DXVYpLko あー、二周目が終わったわけだけど、まず、 ここまでついてきてくださった気長な読者の人には本当に謝りたい 安価すくなくてごめん! ペース遅すぎてごめん! 一周目と比べて長すぎてごめん! もう二周目は本っ当に俺の書きたいように書いちゃった気がする…… 正直、二周目の三日目辺りからは 俺の文章・プロット・推敲同時進行型の書き方が通用しなくなり始めて 色々とやる気がなくなりはじめたのも相まって、かなりタイピングするのがキツかった ―――――――――――――――――――――――――――――― さて、愚痴もここらにして RouteAとしたのは勿論別ルートがあるからです(ついでに三周目からはハルヒの別ルートもありにする予定) あと前々から言っていたとおり、三周目は か な り 自由にかくつもり 初心に戻って、サクサクスイスイ読めるSSを目指す 具体的な例を挙げれば、安価を基本2〜3レスに一つおいたり 三周目再開は明後日日曜の14:00から