涼宮ハルヒの性欲


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ゆっくりとドアを開け、静かに足を踏み入れる。
後ろ手で部室のドアを閉め、音を立てずに鍵をかける。
ハルヒはコンピ研からかっぱらってきたパソコンに夢中だ。
大方ネットサーフィンにでも夢中なのだろう。
俺は静かに椅子に腰を下ろした。さすがのハルヒもこれで俺に気づいたようだ。

「あっ、キョン、来てたの。他の皆が遅いんだけど・・・何か聞いてない?」

俺が知らない旨を伝えると、ハルヒはまたしてもネットサーフィンに没頭し始めた。
まったくもって悠長な奴だ。危機感が感じられない。
まあそれほど俺を深層意識で信頼してくれるってことなんだろうがな。
計画はもうすでに進行している。
そう、今日この部屋に俺とハルヒ以外が来ることはありえない。

話は五日前に遡る――

下校時間が迫り、長門の本を閉じる音でその日の活動は終わった。
古泉から、珍しく真剣みを帯びた微笑でその話を聞かされたのは、その日の帰り道のことだった。
男女に分かれて帰り道を歩く古泉が、僅かにペースを落とし、楽しそうに話すハルヒたちと距離を置き始めたのだ

「少しお話があります」

俺はにわかに悪い予感がした。
また厄介事が発生したのか・・・・今度は何だ。 俺はハルヒの閉鎖空間量産の原因なんて作っちゃいねーぞ?

「いえ・・・・今回はそういうわけでは・・・・・。ですが非常にデリケートな問題でして・・・・・。」

そう言う古泉の顔は、微笑をたたえながらも、「こんなときどんな顔をすればいいかわからない」といった顔つきだった。
そんなに深刻な問題なのか? だが目の前を歩く朝比奈さんと長門の間ではしゃいでいるハルヒを見ても
なんの懸念材料も思いつくことができない。

「えぇ、深刻といえば深刻です。特に今回はあなたの協力が必要不可欠なんです」

機関や情報統合思念体の力を持ってしても解決できない問題だと?
一体何があったんだ。本気で心配し始めた俺をよそに、古泉はとんでもない問題の核心を伝えた。

「実は・・・・・・涼宮さんは性欲を持て余しているようで・・・・・。閉鎖空間でもその兆候が見え始めています。
 最近、その兆候が特に顕著でして・・・・・我々機関としても対応を急がねば、と・・・・・」

「はぁ!?」

あまりに大きな声を出してしまったせいで、少し先を歩く三人娘が不思議そうにこっちを見ている。
心配するな、大丈夫だ長門。
そんな心配そうな顔でこっちを見ないでください、朝比奈さん。
そして―――。ダメだ、直視できん。この重大な問題の張本人には、心の中でも何も語りかけることができなかった。
自分が赤面しているのがよく分かるぜ・・・・・・・。

「あなたが驚かれるのもよく分かります、しかしこのまま事態を放置しておくわけにもいきません。
 具体的にあなたに何をしてもらいたいのかは、今夜電話で伝えますので・・・・」

呆然とする俺をよそに、古泉はそう言い残し、自分の帰路についていた。
俺は何も考えられない頭でそいつの後姿を見送った。

俺は日の降りた帰り道を一人歩きながら呟いた。

「はぁ・・・・・どうなってんだよ、全く・・・・・」

結局、あの後は最後までハルヒの顔をまともに見ることができなかった。

「あんたどうしたの? さっきからずっと変よ?」
「き、気にするな。何でもない」
「ふーん・・・・変なキョン!」

それから他の皆と別れて一人になるまで、俺はずっと古泉の言った言葉を反芻していた。

「――性欲を――もてあまし――特に最近――顕著に――――」

あいつがそんなことになってたなんてにわかに信じがたい。
だが、それが古泉(真剣な)の口から出た以上、事実なのだろう。
俺は思考が定まらないまま家に入り、ベッドに倒れこんだ。
とりあえずあいつから電話がこないことにはまだ何も分からない。
俺は落ち着いて電話を待つことにした

ん・・・・なんだかいい匂いがする・・・・・・・
でもこの匂い、どこかで・・・・・・ハル・・・・・・・・ヒ・・・・・・?

「・・・・・くん!・・・・・・・ョンくん!・・・・・・・キョン君! 起きてってばぁ!」
「うごっ!」

妹よ、頼むからそのボディープレスをやめてくれないか。
ベッドの上で悶絶する俺にかまわず、妹は俺に電話を突き出す

「電話だよ。お兄ちゃんにって」

その一言で俺の頭が急速に覚醒していく。
時計を見ればもう8:00になっていた。どうやら俺はうたた寝していたらしい。
何かいい夢を見ていたみたいだが、そんなことはどうでもいい。

「古泉か?」

受話器をとって話しかけると、やはり相手は古泉だった。
だがその息が切れているのはなぜだろう

「いえ、先ほども閉鎖空間が発生しましてね。発生頻度はそう多くないのですが・・・・・・毎回規模が大きくなっていまして」

えーと・・・・・・・。
それはつまり、ハルヒが性欲を制御できなくてイラついてきてるってことか?

「簡単に言えばそうなります。ですが原因は簡単でも、その処置にあたる我々の力には限界があります。
 このペースで規模の巨大化が進めば、あと数週間で我々の手に負えなくなるでしょう」

なんて迷惑な奴なんだ。自分の性欲が抑えられないからって閉鎖空間を発生させるだと?
しかもその規模もだんだん大きくなるとくれば・・・・・はた迷惑にも程がある。

「ですが、これは涼宮さんに責任はありません。ですから、あなたに協力を頼みたいのです。
 その内容は簡単に言えば―――」

俺は、何か予感めいたものが脳裏をよぎったのを感じた。
だが、そんなことはありえない。待て、言うな、いくらなんでもそんなこと――

「あなたに涼宮さんを襲ってもらいたいのです。それしか方法はありません」

俺の最後の希望は粉々に打ち砕かれた。
ある程度予感はしていたが、こうして改めて頼まれると現実味を帯びてくる。
だが、まだ解決策がそれだけと決まったわけじゃあないだろう?
ほら・・・・・自慰とかいくらでもあるじゃねえか

「そんなことで解決するなら、誰もあなたに頼みませんよ。
 彼女はすでに実践済みです。その上で閉鎖空間が発生しているのです。
 あなたなら分かっていると思っていたのですが・・・・・・・・」

ああ、分かってたさ、それくらいな・・・。
話は分かった、でも、俺の意思はどうなる。俺に無理矢理ハルヒとHしろってのか?

「・・・・あなたがどうしてもいやというなら無理強いはしません。
 ですが、その場合世界は書き換えられてしまうでしょうね。
 仮に機関の人間が襲いに行ったとしても、彼女が嫌がれば全くの無意味ですからね。」

正直に言えばハルヒのことは好きだ。たまに見せる仕草には、目を見張るほど可愛いと思うこともある。
だが、いきなりハルヒを襲えと言われてもな

ハルヒの顔が浮かんでは消える。ここで俺が躊躇する理由は何だ?
ハルヒに嫌がられるか不安だからか?
それとも俺がただ単にビビッてるだけなのか?

「決断はあなたに委ねます。手はずはすでに整えていますので、あとはあなたが――」

いや、違う。俺はきっと自分が許せないんだ。
世界を救う、なんて名目でハルヒをレイプしようとしている自分がな。
だが、ここで断れば世界は―――

「お願いします。あなたの決断にかかっているんです」

分かったよ。やってやる。だがひとつだけ条件がある。
お前らがどんな方法でハルヒを俺に襲わせるか考えているか知らないが、俺は俺のやり方でやるぜ?

「俺が本当のレイプのやり方を教えてやる」

それから俺と古泉は、計画について話し合った。
場所、時間、襲うときの状況など、だいたいのことが決まったときには、
時間はすでに10:00を過ぎていた。

「細部の確認についてはまた明日に・・・・・それでは」

ガチャ、ツー、ツー、ツー・・・・・
受話器が落とされた音を聞きながら、
俺はあらためてこの計画の重大さを感じ取っていた。
確かにハルヒは俺に恋愛感情を寄せている(らしい)。
好意的解釈をすれば、俺がどんふうに襲ってもかまわないということだ。
しかし、一歩間違えば、俺が性欲に身を任せ、誰でもいいから襲ったようにも見えてしまう。
そこが難しいところだが、Hなんて付き合った先の果てにあるものを
いきなりしようとするのだから仕方がない。
もっと時間があれば本当に付き合ってから・・・・ということもできるだろうが、
限界がいつかは古泉含め機関の連中も分からないらしい。
だからこそ即効性のある行動が必要となっている。
だが、もし、もしも一歩間違えてハルヒに強い拒絶を示されたらどうすればいいのか。
考えたくもないが、ありうる話だ。

慎重に準備を進める必要がある。
その決意を胸にして、俺は眠りに落ちた。

次の日、いつもより早く教室に着いた俺は窓の外を見つめていた。
昨日の夜はお世辞にもゆっくり眠れなかった。原因は・・・・・一つしかないだろう?

「キョーン! おはよ! 今日は早いのね」

ガタガタと椅子をずらす音と、鞄を机に置く音が後ろから聞こえる。
振り向けば、やはりそこには100Wの笑顔のハルヒが居た。
本当にこいつが自慰でも抑えられないほどの性欲を・・・・・・・?
そんな疑問を抱きつつ、いつの間にかハルヒの顔をじっと見つめていた俺は、
ハルヒの顔が朱色に染まっているのに気がついた。

「な、なによ。私の顔になんかついてる?」
「いや、なんでもない」

そういって俺はいつものようにHR前の雑談をすることにした。
作戦実行前までに不審な行動をするわけにはいかないからな。

ダラダラとした午前の授業が終わり、教室に活気が戻ってくる。
谷口と国木田が俺を飯に誘ってくれたが、やんわりと断った

「なんだよ、お前最近付き合い悪いな」
「キョンもいろいろあるんだよ。また誘うよ、キョン」

相変わらずバカの谷口と物分りのいい国木田には悪いが、俺には用事がある。
中庭には古泉が待っているはずだ。

「悪い、じゃあな」

手を軽く振って俺は教室を出た。
教室を出る際に、端目でハルヒの姿を探してみたが、その姿は
見つけることができなかった。おそらく学食にでも行ったのだろう。

中庭の三つ目のテーブルに古泉は座っていた。
春の柔らかい日差しの中で、口元に手をあて、いつもの微笑でこちらを見ている。
下級生の女子が放っておくわけがないな、悔しいぞ古泉。

「遅れて悪かった、ちょっと捕まってな」
「かまいませんよ。もっとも、あと少しで食事を始めようと思っていたところですが」

傍から見れば、仲のよい友人同士が雑談しながら昼飯を食べている、といったところだが
その話の内容は極めて重要なことだ。俺はパンをかじりながら、昨夜の話について切り出した

「決行は四日後の月曜日だ。場所は部室、俺が部室に入った後は誰もその中に入れない・・・・・ここまではいいな?」
「ええ、分かっていますよ。しかし驚きましたよ。あなた自らレイプのやり方を考えると言った時は・・・・・・予想外でした」

正直、自分でもなぜこんなにこの計画に対し意欲的なのか分からない。
だがこれだけは言える。ハルヒを襲う以上、他人の考えたレイプのシナリオなんか使えないってな。

「もちろんあなたにやる気をだしてもらえるのは嬉しいのですが・・・・やはり一つだけ障害が残りますね・・・・」

その障害。それはSOS団の他のメンバーにどう説明するかってことだ。
恐らく長門はこの事態を把握しているはずだ。だが朝比奈さんは何も知らされていないに違いない。

「偶然誰かが部室に入ってくるというイレギュラー因子の排除は可能です。
 ですがSOS団のメンバーの部室侵入を止めるには・・・・この計画をメンバーに伝えるしかありませんね」

そう言った古泉の声からは、それ以外に手段がないことを十分にうかがわせた。
強引に長門と朝比奈さんを部室から引き離すことはできないし、
事後に「こんなことがありました」といえるレベルの話ではない。
ここは直接、何故部室に近づかないでほしいのかを話すしかなさそうだ。

「こちらから彼女達に伝えましょうか?」
「いや、いい。俺が話すよ。お前にこれ以上苦労をかけることもできないしな」

古泉はまだ何か言いたそうだったが、そのことについては俺に任せることで
了解してくたようだ。残っていた紅茶を飲み干し、テーブルから立ち上がる。

「長門には俺が呼び出して伝える。
 朝比奈さんには・・・不思議探索のときに伝えるよ」
「わかりました。機関のほうにもそう伝えておきます」

そういって古泉は中庭から去っていった

午後の眠いだけの授業が終わり、同級生達がそれぞれ思い思いの場所へ散っていく。

「キョンー、部室行くわよ? 早く支度しなさい」
「ああ、ちょっと待てって、なんなら先に行っててもいいぞ?」
「ま、待ってるわよ・・・・でも早くしないとホントにほってくからね!」

俺の後ろでやかましく催促するハルヒとそれに気だるそうに答える俺の姿を見て、
クラスメイトが生暖かい視線を送ってきていることにはもう気づいていた。
―――こんな風にしてると、
俺達付き合ってるみたいだ。
そんなことをふと考える。もっと時間があればそれも現実となっていたかもしれないな・・・。
だがそんな思考もすぐに中断させられた。ハルヒによって。

「わっ!」

右手をつかまれてぐんぐん引っ張られていることに気づいたのは、それから数秒後のことだ。
咄嗟にちょうど詰め終わった鞄を左手で掴んでいたが。

「なにすんだよ!」
「あんたが遅いのがいけないのよ! ほら、ちゃんと歩きなさい」

俺がもつれた足を直し、普通に歩けるようになってもハルヒは手を離そうとしなかった。
おい、廊下のやつらが全員俺達のこと見てるぞ? 気づいてるのか?

結局、手を繋いだまま俺達は部室に着き、部室のドアを開けた。
中には長門が一人だけで、本を読みながら文芸部室の背景と同化している。

「今日は有希だけ? みくるちゃんと古泉くんは?」
「二人とも所用でまだ来ていない」
「そうなの、それなら仕方ないわね」

ハルヒは自然に、それでも名残惜しそうに(俺の主観だからか?)手を離し、団長席へと向かった。
パソコンが起動される音が、静かな部室に響く。
俺はさりげなく本棚から本をとって、適当なパイプ椅子に座った。
静かだ。でも全然居心地が悪くないのは、これが俺の日常になっているからだろう。
しばらくすると、ノックの音がして、ドアが開いた

「遅れてすみませ〜ん・・・ちょっと手間取っちゃって・・・・すぐにお茶を入れますね」

声の主はMy sweet angelである朝比奈さんだった。
慌ててやってきたのか少し息を切らしているが、その一生懸命さがさらに可愛さを引き立てている。
ホント、何をやっても愛くるしい女性ですね、あなたは。

朝比奈さんがメイド服を手にとったのを確認し、俺は本を手にしたまま立ち上がった。

「なあ長門、コンピ研の部長が何か用事あるみたいだったんだが・・・」
「そう」

くそ、やっぱり乗らないか。まあつい最近にも行ってきたばかりみたいだったしな。
あまり頻繁に行きたがらないこいつの気持ちもわからんでもない。
だが―――

「なんか急を要するみたいだったぜ。行ってやってくれないか?」

今度は長門が本から目を離してこちらを見た。
俺はその全く感情を読み取れない目に、必死にアイコンタクトを試みた。
頼む長門、俺と一緒に部屋を出てくれ・・・・

「・・・・少しだけなら」

そういうと長門は立ち上がり、俺について部室を出てくれた。
すまない、長門。ハルヒに怪しまれないようにするにはこれしか方法がなかったんだ。

「この本、今日中に読んでくれないか」

そう言って、俺はさっき本棚からとった本を長門に手渡した。
だが、その本にはしおりを挟んである。大事なしおりだ。

本を見つめ、一瞬の沈黙の後に長門は僅かに頷いた。
長門がコンピ研の部室へと歩き出しすのを見送って、俺は廊下に座り込んだ。
ふぅ、これでひとまず安心だ。

部屋の中から聞こえる衣擦れの音に
妄想を膨らませながら(悪いか? 俺も健全な男子高校生なんでな)
俺は朝比奈さんがドアを開けてくれるのを待った。
ちなみにコンピ研が長門に来てもらいたがっていたのは本当だった。
コンピ研部長には感謝してもらわないといけないな。

朝比奈さんがメイド服に着替え終わり、
俺が朝比奈さんが運んでくれたお茶(なんでもいつもと違う茶葉を使用したらしい)
を飲んでいると、少し疲れたような微笑をたたえた古泉がやってきた。

「遅れてしまってすみません。クラスの用事が長引いてしまって」

そういう古泉の手にはまたしても新しいテーブルゲームらしきものがある。
・・・・・これでもう何個目なんだろうな。

「今日は何を持ってきたんだ?」
「今回のは少し珍しいですよ、手に入れるのが苦労した逸品でして―――」

ルールを聞いてゲームを始める。少し変わったゲームだが、戦略性があってなかなか面白い。
しばらくして、横で観戦していた朝比奈さんが、連戦連敗の弱すぎる古泉と変わり、
先ほどからこちらをちらちらと盗み見ていたハルヒが俺と変わり、
俺と古泉の二人は、気づけばゲームをしている様子を見る側に回っていた。

「みくるちゃ〜ん、手加減しないからねー」
「お手柔らかにおねがいしますぅ〜・・・」

少し離れてゲームに熱中している二人を見ながら、俺は自然と小声で古泉に話しかけていた。

「いつまでもこうしていられたらいいんだがな」
「ええ、僕もそう思いますよ。ですが、無限の停滞はありえません。
 我々機関は・・・・いえ、僕は、良い方向に事態が進展するのを望んでいます」

いつの間にか帰ってきた長門も、所定位置のパイプ椅子に座って本を読んでいる。

古泉がゲームを持ってきて、朝比奈さんはメイド姿でお茶を運び、
長門は静かに本のページを繰る。そしてハルヒがとんでもないことをを言い出して―――
そんな「いつも」の風景が、知らず知らずのうちに俺の一番の居場所になっていた。
でも、この風景は変わっていく。それは止められない。そしてその鍵を握るのはほかでもない、「俺」だ・・・・

「あなたが計画を成功させれば、事態はひとまず好転するでしょう。
 ですが失敗すれば、もうこの風景は元に戻りません。
 その時、その風景がどうなってしまうのか、まったく予想できませんがね」

この言葉で、緩みかけていた心が引き締まった。
古泉の表情はあいも変わらず微笑のままだったが、
真剣みをおびていることが分かる。
いやはや、俺の古泉の微笑の見分け方も板についてきたってわけか。

俺の気持ちが緩んでいたのは紛れもない事実だ。
さっきの古泉の言葉が、変わらない日常を感じて緩んでしまっていた俺に、
現状を再認識させるための古泉の思いやりであることはよく分かる。

「少しあなたにプレッシャーを与えてしまったようですね。僕としたことが・・・・・すみません」
「いや、いいさ。むしろ礼を言わなくちゃならん」

俺は笑顔で古泉に返し、いまだボードゲームを続けている二人に視線を戻した。
戦局は意外にも、朝比奈さんにかたむいているようだ。

「おい、負けてるぞ、ハルヒ」
「わかってるわよ。あんた、何かいい手考えなさい」
「そ、そんな・・・・それじゃ二対一じゃないですかぁ」
「それでは僕が助太刀しましょう。これで二対二ですよ」
「・・・・・・・・・・・・・」

最終的に、勝ったのは俺とハルヒだった。
正直あの状況からどうやって勝てたのか疑問だが、
その原因の八割がたは、朝比奈さんに加勢した古泉だろう。


帰り道。俺と古泉は、前方を歩く三人娘を見ながら、昨日と同じように少し距離をとって歩いていた。

「長門には今夜会って話す。あいつのことだ、もう予想はついてるだろうけどな」
「朝比奈さんにはいつ伝えられるのですか?」
「明日の不思議探索で話そうと思う。クジわけに関しては長門に頼んでみるつもりだ」

それを聞いて古泉は安堵したようだ。

「機関の方も、あなたの考え方に同調することで意見がまとまりました。
 後はあなたの行動で全てが決まります。もちろん、まだ引き返すこともできますが」

古泉は俺を気遣ってくれたのか、中断できることも提案してくれたが、俺の意思は固まっていた。

「じゃあね、キョン。明日の不思議探索、忘れたら死刑だからね」
「はは、分かってるよ。じゃあな、ハルヒ」

夕日で赤く染まったハルヒが背を向けて歩きだすのを見届け、俺は一人家路についた。
家に帰ると妹が出迎えてくれた。相変わらず元気だな、お前は。

「あ、キョンくん帰ってきたー! あのね、お母さんちょっと出かけるって。帰ってくるの少し遅くなるみたいだよー?」
「そうか、お兄ちゃんも出かけるから、留守番を頼む」

もう自分のことを「お兄ちゃん」と呼ばせることはあきらめているさ。
このあだ名は、この先ずっと変わらないだろうしな。
俺は手早く着替えて、長門に伝えることについて頭の中で整理した。
しかし・・・・・長門はハルヒの状況についてどこまで理解しているのだろう。
それが分からないゆえに、長門が俺の伝えることを理解してくれるか少し不安だった。
ナントカインターフェイスには性欲、つまるところHしたいなんて感情があるのだろうか。

「一時間くらいで帰ってくるから。いい子にしてろよ」
「はぁ〜い」

自転車に乗り駅前の公園を目指す。
長門がしおりを読んでいれば、公園にいるはずだ。
俺は初めて長門に呼び出されたときのことを思い出しながら自転車をこいでいた

約束の時間、7:00までは、まだ余裕があった。
だが、やはり長門は俺よりもはやくベンチに座っていた。


春の夜の風は生暖かく、それでいて心地よさを感じさせる。
公園の敷地内に入ると、まるで俺を出迎えてくれたように外灯が点灯し始めた。
俺が長門の前に自転車を止めると、長門はゆっくり顔を上げた。

「来てくれたんだな、長門」

俺は制服姿のままの長門を端目に捉えながら長門の横に腰を下ろす。
長門はいつもの無表情だが、俺が何か大事な話をしようとしていることは感じているはずだ。
俺は、長門には前置きはいらないと思い、単刀直入に切り出した

「ハルヒが・・・ハルヒが性欲を抑えきれなくなっているのはお前も知っているはずだ」

長門は目をこらさなければ分からないほど微妙な動きで、コク、と頷いた。
やはり長門は知っていた。今、何が起きているのかを。
だがその解決策については分かっているのか? 俺はその疑問を、長門にそのままぶつける。

「生物学的に解決策は性行為を置いて他にない。
 そして涼宮ハルヒにとってそれが可能なのはあなたのみ。でも・・・・・・・」
「でも・・・・・・?」

それきり長門は黙りこんでしまう。俺は長門の言葉の続きが気になったが、
とりあえず四日後の計画について話すことにした。

「・・・・・・とまあ、こんなわけだ。だから、月曜日には、部室にこないで欲しいんだ。頼めるか? 長門」

先ほどから長門は俺の話を聞くばかりで、何も答えようとしない。
その伏せられた顔は無表情で、何を考えているかうかがい知ることはできなかった。

「あなたの計画には不確定要素が多すぎる。計画の実行は危険」

不意に開かれた長門の口からでた言葉は、俺がハルヒを襲うことを
躊躇させる内容だった。だが待て長門、それ以外に方法はないんだぜ?

「涼宮ハルヒがあなたの行動全てを容認するとは限らない。様子をみるべき」

なんだかやけに否定的だな。
でも様子を見ていて閉鎖空間の限界が来たらどうするんだ。
それに時間がたてば性欲が消えるってわけでもない。
今行動を起こさなくちゃ手遅れになっちまう。

「・・・・・・・・」

それきり、また長門は口を閉ざしてしまった。
それにしても長門にこんなに計画を否定されるとは思っていなかった。
長門になら、Hしたいなんて概念が理解できなくても、
計画自体には賛成してくれると思っていたんだが・・・・・・・・

「リスクが高いのは百も承知だ。成功する確率だって分からない。
 でも、何もしないままじゃ結果は見えてるんだ。わかってくれ」

覚悟はあるということを示す俺の呼びかけに、
長門が小さく肯定の動作を示したのは、数十秒後のことだった。

「こんなお願いして・・・ごめんな。じゃあ、任せたぜ」

顔を伏せた長門に、明日のくじ引きの情報操作の件を伝え、俺は自転車に跨った。
長門にこんなお願いをするのは失礼なことだと分かっていた。
だが、ここは計画成功のために割り切るしかない。

最後の肯定の仕草から、まるっきり反応がない長門を置いて公園から去るのは気が引けたが、
薄着の俺には少し寒い夜の風が、俺に自転車のペダルを踏む決意を促した。

「じゃあまた明日な、長門」

軽く長門に手を振って公園から出る。
良かった―――。
俺は安堵していた。計画は何の問題もなく進み、長門も同意してくれたと、俺は思い込んでいた。
だが俺は、長門の本当の気持ちに気づいてやれていなかった。
あいつが、ベンチで座る長門が、小さく、本当に小さな声で

「・・・・・・あなたはとても鈍感・・・・・・・・・・」

って呟いたことに気づいてやれなかったんだ。

家に帰ると、ちょうど8:00になった頃合だった。
居間に入ると、妹はお気に入りのTV番組を見ているらしく

「キョンくんおかえり〜、おかあさんはまだだよ」

と上の空で声を投げかけてくる。俺は冷蔵庫を開けて麦茶を取り出し、
母親が帰ってくるまで妹とTV番組を見ることにした。

TV番組を見ていても、全く内容に集中できなかった。
時折、公園での寂しそうな長門の顔が脳裏を掠めたが、気のせいだと思いこんだ。
あいつが寂しそうな表情を作るわけがないんだ。
だが想像は止まらない。
もし長門が計画の中止を提案した理由が、、
俺とハルヒが繋がることが”いや”だったからだとしたら・・・・・?

「ははっ、そんなわけないよな、シャミセン」

いくらなんでもそれは想像の範囲を超え、妄想の域にまで達している。
俺はシャミセンを持ち上げ、必死で手から抜け出そうとするシャミセンを見て笑った。
その可能性はありえない。バカみたいな期待はよせ、俺。

「お兄ちゃんが猫としゃべってる・・・おかあさーん、キョンくんがおかしくなっちゃったー」

ちょうど帰ってきた母さんに駆け寄る妹を見やりながら、俺はシャミセンを離しコップを台所に置いた。
母さんがいれば妹も大丈夫だろう。俺は母さんに寝ることを伝え、二階に上がった。
明日の不思議探索では、朝比奈さんに計画を伝えなければならない。
今日は早めに寝よう・・・・。


まどろむ直前に、長門の寂しそうな顔がまた脳裏に浮かんだ。
だが、俺の意識は覚めることなく、眠りに落ちていった。


その夜、俺のベッドにシャミセンは来なかった。

・・・・・・き・・な・・・・の・・・・・・・・・・・・・こと・・・・・が・・・・・す・・・・・なの・・・・・・・

・・・・・・・ハル・・・・・・・・・・ヒ・・・・・・・・・・・・・?・・・・・・・・・・・・・


「んー・・・・・」

目を覚まして時計を見れば、まだ集合時間まで二時間もあった。
何故こんな早くに目が覚めたのかわからないが、不思議と目覚めは悪くない。
昨日と同じで何か夢を見ていたみたいだが、またしても内容が思い出せない。
だが、妹のボディープレスを食らわずにすんだのは純粋に喜ぶべきことだ。

俺が軽快な足取りで一階に下りると、やはり妹はまだ起きていなかった。
俺は簡単に食事をとり、ゆっくりと服を着替えて準備をすることにした。

「あーっ、キョンくんがひとりで起きてる!」

少し遅れて妹も起きだしたのか二階から声が聞こえたが、
そのとき俺はすでに出発の準備を完了していた。
順調に着けば今日は喫茶店で出費しなくてすみそうだな―――
そんなことを考えている俺の頭からは、今朝の夢のことはもう忘れ去られていた

喫茶店に着いた俺は、古泉とハルヒが向かいあって座っているテーブルを見つけた。
長門と朝比奈さんの姿が見えないところをみると、
どうやら本当に最下位を免れることができたらしい。
俺はハルヒに気づかれないよう、ハルヒの背後からテーブルに近寄った。

「でね、古泉くん、キョンったら・・・・・・!!!」
「よお、俺がどうしたって?」

ハルヒは真剣に驚いているのか、唖然とした表情でこちらを見つめている。
古泉も同様で、何故俺がこんなに早く喫茶店についたのか解せない様子だ。
そんなに俺が早く来たことが驚くべきことか? まあいつも俺が最下位だったがな。

「こ、古泉くん、さっきの話は・・・・」
「もちろんわかっていますよ」

今度は隠し事かよ・・・・。まあいい、朝比奈さんと長門はまだなのか?
俺は一番気になる疑問を口にし、ハルヒの隣に腰掛けた。

「ええ、まだ到着しておられませんが・・・・何故今日はこんなに早くこられたんですか?」
「いや、なんだか今日は早く目が覚めてな、自分でも不思議なくらいだよ」

そう言って俺は近くを通りかかったウェイトレスにアイスコーヒーを一つ注文した。
ハルヒはまだこっちを見ようとしてくれないし(心なしか顔が赤い気が・・・・)、
古泉は口に手をあて、微笑の中に複雑な心情を隠しているといった様子だ。

その膠着状態をしばらく味わっていると、長門と朝比奈さんが連れ立って店内に現れた。
長門は無表情のままだが、朝比奈さんはやはり驚いた様子で

「ふぇえっ、なんでキョンくんがいるんですか〜?」

と俺の予想通りの反応をしてくれる。そんなに不思議なのかね、俺が早くきたってことがさ。
SOS団が全員揃ったことで、さっきまで黙ったままだったハルヒが口を開いた。

「・・・・・えーと、これで全員揃ったわね、じゃあこれよりSOS団不思議探索を始めます!」

ハルヒが鞄からくじ引きを取り出すとき、俺はずっと長門を見つめていた。
頼む長門・・・・俺と朝比奈さんを同じにしてくれ・・・・・・・。
長門の表情には、いざくじ引きが始まっても全くといっていいほど変化はなかったが、
俺は長門を信じていた。昨日のことがまだ胸にひっかかるが、長門ならぬかりはないはずだ。

そして事実、俺と朝比奈さんは同じ班になった。

「キョン! 遊んでたりしてるのみつけたら許さないんだからね!」
「ああ、分かってるって」

別れ際、ようやくこっちを向いてそう大きく叫んだハルヒはいつもと同じハルヒに見えた。
俺は視線で、ハルヒの横にいる長門に感謝の意を送る。
喫茶店での古泉のあの複雑な表情を見て少し不安だったが・・・・杞憂だったみたいだな。

「それじゃ、行きましょうか」
「はい」

俺と朝比奈さんは、近場にあるデパートに向かって歩き出した。
前に朝比奈さんが

「デパートで服のセールがあるんですよ! 楽しみです〜」

と言っていたことを俺は覚えていた。
朝比奈さんに計画について話すのは、デパートに行ってからでもいい。俺はそう考えていた。
もっとも、簡単に言えば問題を先延ばしにしたかっただけなんだがな・・・・・

デパートについてから、俺は朝比奈さんを見失わないようにするのが大変だった。
なんせ小さくふわふわした体の朝比奈さんは、すぐにセール時の大量の人ごみに流されてしまう。
ようやく一つの洋服店に入った時、俺は精神的にも肉体的にもフラフラだった。
だが、朝比奈さんは

「キョンくんはここで待っててくださいね、すぐ戻ってきますから!」

と目の色を輝かせて服の物色に夢中のご様子だ。
女性用の服しか置いてないこの店で、男ひとりつったってるってのもなあ・・・・
かなり居心地の悪い気分だが、俺はもう何も気にしないことにした。
朝比奈さんが服を選んで喜んでいるなら、それでいい。
計画の成否によっては来週、こうやって楽しく服を買うことができないかもしれないんだからな。
やがて両手に服を抱えて戻ってきた朝比奈さんを、俺は笑顔で迎えた。

「試着します。キョンくんにもどれが似合ってるか見てもらえますか?」
「ええ、もちろんですよ」

正直に言おう。俺の目には、どの服も似合っているように見え
どれが良くてどれがダメだなんて批評ができるはずもなかった。

「きれいです」「似合ってますよ」

なんて言葉に朝比奈さんが満足するわけなく、

「もぉ〜、キョンくん、ちゃんと見てくれてるんですか?」

ちょっと頬をふくらませて怒った表情を見せる朝比奈さんだったが、それすらも愛らしい。
結局、試着した服の半分ほどを買うことになった。ふう、これでやっと終わりか―――。

「さて、次はどこのお店に行きましょうか? あ! あのお店の服、とっても可愛いですよー」

ああ、俺は何も言わなかったさ。
買った服が増えるたびに俺の体力が限界に近づいていることに気づいていてもな。

結局それから3〜4件回ったせいで、俺の両手は朝比奈さんの服で完全にふさがれていた。

「どこかでお昼にしましょうか♪ 私も疲れちゃいました〜・・・」

俺達二人は服の入った袋を抱えたまま、小洒落たレストランに入った。
アイスティーとサンドイッチを頼むと、俺はサービスの水を飲み干し、テーブルにつっぷして
体力の回復を図ることに専念する。

「だ、大丈夫ですか・・・・? すみません、今日は私の買い物につき合わせちゃって・・・・・・」

そんな落ち込んだ顔を見せないでください、朝比奈さん。あなたには笑顔が一番似合っていますよ。
これくらいなんでもないです。でも・・・俺は今からあなたの笑顔を壊すような話をしなくちゃならない―――。

「朝比奈さん、実は・・・・・・」
「はい、どうぞ。アイスティーとサンドイッチです」

絶妙のタイミングで俺の注文した料理が運ばれてきた。
俺はその話をひとまずおいて、料理を食べることにした。
それに間もなく朝比奈さんにも料理が運ばれてきて、とても話を切り出せるような状況ではない。

「本当においしいかったです、ここの料理。また来ましょうね」
「え、ええ。また・・・」

デパートを出た俺達は、街を歩いていた。
食事中の朝比奈さんは本当に饒舌だった。
学校でのこと、新しいお茶の煎れ方、鶴屋さんと遊びに行ったときの話―――。
俺は相槌をうつことしかできなかったが、ひとまず朝比奈さんは今日の不思議探索を楽しんでくれたようだ。

でも・・・・・これ以上問題を先伸ばすことはできない。余計に話しづらくなるだけだろう。

「朝比奈さん、お話があります」

俺はそう言って朝比奈さんに向き直った。

「えっ、は、話ですか? それなら今ここで・・・・・」
「・・・・大事な話なんです。場所を変えてもいいですか?」

朝比奈さんは最初小動物のように目を丸くしていたが、
俺が真剣なのに気づくと、「はい」と頷いて俺に着いて来てくれた。

俺が向かう場所は・・・・・・・朝比奈さんに未来人だと知らされた忘れもしないあの場所だ。

しばらく歩いていると、建物もまばらになり、川が見えてくる。
その河川敷を北上する間、朝比奈さんと俺に会話はなかったが、
桜並木が視界に入った瞬間、俺達は

「わあっ・・・・」

と感嘆の声を上げた。
去年きたときには桜は散り終わっていたが、今、俺達の目の前には
満開の時期は過ぎてしまったものの、美しく咲き乱れる桜の花がある。
綺麗だ。それ以外の言葉が思いつかない。

「座りましょうか」
「はい」

俺が桜の下のベンチに座ったのを見て、
朝比奈さんもワンピースの裾を押さえて俺の隣に腰掛ける。
こうやって二人で桜並木を眺め、おしゃべりをしながら駅前まで戻れたらどんなにいいだろう。
だが、ここで話さなければ、俺の決心が揺らいでしまいそうだった。
俺は、まず朝比奈さんがどこまで知っているのか尋ねることにした。

「朝比奈さん、あなたは今、ハルヒの状態についてどこまで知っていますか?」
「えっ・・・・・・涼宮さんがどうかしたんですか?」

俺がいきなりハルヒのことについて話し始めたので、
少し面食らったような感じの朝比奈さんだったが、
その声と表情から察するに、本当に未来からは何も連絡が入っていないのだろう。
どうやら俺が全て話すしかなさそうだった。

「・・・実は、ハルヒは今・・・・」

俺は一つ一つ、古泉から聞かされたことを簡潔に朝比奈さんに伝えていった。
ハルヒが性欲を抑えきれなくなっていること、
そのせいで閉鎖空間が生じていること。
その巨大化のペースに機関の対処が追いつかなくなってきていること。
そして――――

その解決には性行為が必要不可欠であること。

最初、朝比奈さんは俺の話に静かに耳を傾けていた。(もっとも、「性欲」などの言葉を聞いて顔を赤らめていたけどな)
だが、解決には性行為、つまるところ誰かとHしなければならないと聞いたところで
俺の考えていることを察したようだった。

「涼宮さんが大変なことになっていることはわかりました・・・。
 で、でも涼宮さんと・・・その・・・え、Hできるのは・・・・」
「自分で言うのもなんですが、俺だけ・・・みたいですね」

このままいけば話も早く済みそうだ―――。
俺はそう考えていた。
だが、話が終盤にに差し掛かり、俺が計画の内容を朝比奈さんに伝えたところで
俺は突然の不意打ちを食らうことになる。

「キョンくんは・・・・キョンくんは本当に涼宮さんのことが好きなんですか?」

そう語り始めた朝比奈さんは、手を膝の上でぎゅっと握り締め、視線をその手に落としていた。
朝比奈さんの独白は、俺の心にあるわだかまりを容赦なく突いていく。

「キョンくんが涼宮さんのことを真剣に想っていないなら、
 もし、ただHがしたいだけで古泉くんの頼みを引き受けたなら・・・
 それは涼宮さんを傷つける結果に終わるわ。
 たとえ一時的に涼宮さんの性欲を抑えられても、
 その先できっと障害が発生すると思うの・・・・」

俺は、どう言葉を返せばいいかわからなかった。
その様子を察したのか、朝比奈さんは
落とした視線をこちらに向けて、憂いを帯びた表情でくすりと笑う。

「でもね、わたしが心配していることはそれだけじゃないんです。
 私、こうしてキョンくんとお買い物したり街を歩いたりするのがすっごく楽しかった。
 もちろん、私は数ヵ月後には高校を卒業して、未来に帰らなくちゃならないけど・・・・
 それでも、それでもまだ先のことだと思っていたの。
 こうやって、またキョンくんといつでも一緒にって・・・・・」

暖かな春風が、ふわふわとした朝比奈さんの栗色の髪の毛をなびかせていた。

「でも、もしキョンくんが涼宮さんと繋がったら、それももう終わり・・・だから・・・」
「・・・・・・」
「答えて、キョンくん・・・キョンくんは、本当に涼宮さんのことが好きなの・・・・?」

いつの間にか、俺を見つめる朝比奈さんの目は、真剣そのものになっていた。
俺の横に座っているのは朝比奈さん(大)であるかと錯覚させるほどの、
危うさもはかなさも感じさせない目だった。

俺は一昨日、古泉にハルヒのことについて聞かされたとき、どう返事すべきか混乱した。
だが、それでいて古泉の頼みを断らなかったのは何故だ?
ハルヒの体が欲しかったからなんて単純な理由じゃあない。
もちろんハルヒの体は魅力的だ。あいつがグラマーな体つきをしていることは、
きわどいコスプレ(バニーガールとか)を見てよく知ってる。
でも・・・そんなことで決心がつくほど、俺はバカじゃない。
俺がハルヒを襲うと決めた理由は―――。
俺は、自分の気持ちを正直に口にした。

「俺は・・・あいつのことを正確にはどう思っているか・・・まだわからないんです。
 確かにあいつのことは好きだ。でも、その気持ちが
 ただ「好き」なのか、「愛している」なのか、俺は自分でもよく分からないんですよ。
 なんせ、俺達はまだ付き合ってさえもいないんですからね・・・。
 こんな俺に、あいつを抱く資格があるのか・・・正直言って不安です。
 でも、俺があいつを・・・ハルヒを大切に想ってることは絶対に嘘じゃない。
 だから、これだけは言えます。あいつと繋がることに迷いはない、ってね」

俺がようやく紡ぎだした言葉を、朝比奈さんは黙って聞いていたが、
やがて目を伏せ、バッグを手に取り立ち上がった。
座った俺からは朝比奈さんを見上げる形となり、
その表情をうかがい知ることはできないが、声は聞き取ることができる。
そして、俺の耳に届いた言葉は、確かに震えていた。

「・・・キョンくんは・・・卑怯です・・・・・・・」

 
「私はこの時間平面上で、必要以上に誰かと仲良くすることは許されていません・・・
 でも、それでも私は――――」

俺は朝比奈さんが何を言おうとしているのか分からなかった。
だから朝比奈さんが振り向いたとき、俺は心底驚いたんだ。
だって彼女の少し充血した赤い瞳からは―――涙がポロポロと零れ落ちていたんだからな。

「私はキョンくんが――――」

そこから先の言葉は、聞き取ることができなかった。
朝比奈さんは口をパクパクと動かすだけで、そこから声が出ることはない。
朝比奈さんは涙を零しながら、

「ふふっ・・・やっぱり、禁則事項みたいですね・・・」

と、誰にでも無理に作ったとわかるような微笑を浮かべた。
でもこの世界に、泣きながらこんなに綺麗に笑える人が、いったい何人いるんだろう。

「朝比奈さん・・・・」

立ち上がり、朝比奈さんの肩に触れようとした俺の手は、虚しく空を掴んだだけだった。
俺の手をかわした朝比奈さんは、俺に向き直り、頬をつたう涙をぬぐおうともせずに言う。

「月曜日・・・部室には行きません。
 だから・・・・頑張ってね、キョンくん」

そう言うと朝比奈さんは、俺に一人で駅前に戻ってくださいと頼み、
俺に背を向けて、元来た桜並木を歩いていった。
桜吹雪の中、俺はその後姿を、ただ見送ることしかできなかった。

重い足取りで集合場所である駅前に着くと、
ハルヒに何故朝比奈さんと一緒じゃないのか詰め寄られたが、それくらいのことは予想済みだ。
体調が悪くて今日は帰るそうだ、と言うと、少し考えるそぶりをみせていたが
ハルヒは納得してくれたようだった。

「みくるちゃん、大丈夫かしら・・・・」

心配するハルヒをよそに、長門はもちろん、古泉も平静を保っている。
どうしたんだ? いくら俺の言い方が嘘っぽいとはいえ、
もっと朝比奈さんを心配するそぶりをみせるかと思っていたんだが。

「きっと大丈夫ですよ。心配なら電話をかけてみてはどうでしょう?」
「それもそうね」

携帯電話のボタンをプッシュし始めたハルヒから視線を二人に戻すと、
古泉は「やれやれ」といった微笑を浮かべ、長門は俺に非難がましい(気のせいだよな?)視線を向けている。
どこまでも感情の読めない二人である。いたたまれなくなった俺は、日の落ち始めた空に視線を移した。

朝比奈さんには今度会ったときに礼を言わなくちゃならないな。
このまま月曜を迎えていたら、俺は中途半端な気持ちでハルヒを抱いていたかもしれないんだ。
いくら「覚悟ができている」って口にしても、俺はなにもわかっちゃいなかった。
朝比奈さんの問いかけが、俺の決心を固めてくれたんだ。

しかし、俺にはどうしてもわからないことがあった。桜吹雪の中で朝比奈さんが言おうとした言葉。
朝比奈さんの、いつものハルヒに無理矢理脱がされて浮かべるような涙ではなく、
真剣な涙を流して、禁則事項と知っていてもなお、口にしようとしたその言葉はなんだったのか。

いや、そのことについて追求するは、もうやめよう―――。
俺は不思議に思ってなお、その疑問を追求すべきでないと感じていた。
その言葉を聞けば、決心が揺らいでしまいそうだと、俺は本能的に感じ取っていたんだ。

「・・・・・そう、たいしたことないならいいけど・・・・体には気をつけてね、じゃ」

電話は終わったようだ。朝比奈さんもうまく話をあわせてくれたようで、俺はひとまず安心した。

「それでは、今日の活動を終わります! 解散!」

ハルヒの声が駅前に響き、俺達はそれぞれの帰路についた。
各人に挨拶して、愛用自転車を止めた駐輪場に向かう。
しっかし、今日はなかなかの運動だったな。よく頑張ったぞ、俺。
俺は肩を軽く回して歩き始めたが、何かに引っ張られている感じがして振り返った。

そこにはハルヒが、俺の袖をつまんでそっぽを向いて立っていた。
俺から話しかけるのを待っているんだろうな、何か言いたそうだが、目は俺からそらしている。

「どうしたんだハルヒ? 帰ったんじゃなかったのか?」
「あんた・・・今日は不思議探索ほっぽって、みくるちゃんと服を買いに行ったそうじゃない」

この言葉から、俺は朝比奈さんがさっきの電話で、今日の活動内容を話してしまったのを理解した。
まあ相手がハルヒじゃしょうがないか。
でも今日はデパートのセールで、朝比奈さんも楽しみにしてたんだ。
たまには許してくれたっていいだろ?

「じゃあ・・・・・・・なさい。」
「・・・え?」

部分的に一気にトーンダウンしたハルヒの声は、よく聞き取れなかった。
今なんて言ったんだ?

「私も買い物につれってって言ってるの! 何度も言わせないでよね、このバカキョン!」

そう一気にまくしたて、俺の腕をべしべしと叩く。
今日一日の疲労で、一番ガタがきている腕を叩かれて呻きながらも、
俺はいまだに、ぷい、とそっぽを向いているハルヒのことを可愛いと思っていた。
なんだ、こいつ、俺が朝比奈さんとデートしてきたことで拗ねてるのか。

「いいぜ、デパートのセールは明日もやってるだろうしな」
「え・・・いいの・・・?」

俺が快諾すると、一瞬だけ100Wの笑顔を見せ、またそっぽを向いた。
俺のほうを見たくないのは分かったが、笑顔をこらえてるのは隠せてないぞ、ハルヒ。

「ま、まあ団長の命令には絶対服従だから、当然よね!
 それじゃ明日、いつもの時間に駅前に来なさい。忘れたら死刑だから!」

最後に物騒なことをいい残し、ハルヒは走っていった。
どうやら明日も忙しくなりそうだ。俺に休日はないのかね・・・。

家に帰ると、いつも迎えてくれる妹がいなかった。
別に寂しいってわけじゃあないが、あいつの「おかえり」がないとなんだか拍子抜けするね。
母さんの話によると、ミヨキチの家に遊びに行っているみたいだ。
あいつのことだ、飯時までたっぷり遊んでくるんだろう。
俺は適当に水分を摂取し、疲れを癒すために自室へと向かった。

スウェットに着替えてからベッドに倒れこみ、無機質な天井を眺める。
眠気が襲ってくるかと思ったが、いつまでたっても睡魔は俺の瞼に現れない。
かわりに現れたのは、桜吹雪の中の、泣き笑いしている朝比奈さんだった。

「私はキョンくんが―――」

その先の言葉・・・・忘れると決めたはずなのに、目を閉じれば自動的に映像が再生される。
俺には読唇術なんて特殊な能力はない。
でも、考えれば考えるほど、朝比奈さんの唇は確かに―――。

「たっだいまー!」

俺の思考は階下から聞こえる妹の声で中断された。
あいつが帰ってきたってことはもう飯なんだろう。
もうご飯だぜ。そろそろ起きたらどうだ。
俺は俺の部屋で眠り続けるシャミセンを軽く小突き、
いい匂いのしてくる一回へと足を進めた

食事が終わって、しばらくしてからかかってきた電話に出たのは
いつも電話が鳴るたびに駆け寄っていく妹ではなく、俺だった。
満腹感と共にTVをぼーっと眺めていた俺が、子機に一番近かったこともある。

こんな時間に誰だ・・・・?

気だるげに耳に当てたスピーカーから聞こえてきたのは、
いつもの余裕のある声ではない、真剣味を帯びた古泉の声だった。

「お話があります、どこか誰にも会話が漏れない場所に移動してください」
「ああ、わかった」

何故電話に出たのが俺だと分かったのかは気にしている場合じゃない。
俺は子機を右手に掴んだまま、自室へ向かった。
こいつから電話がきたってことは、何か懸案事項が発生したってことだ。
だが、今日のハルヒの様子を見たところ、何も問題はなかったはずだが・・・・・・?

自室のドアを完全に閉め、一応窓も閉めておく。
この部屋が密室であることを確認してから、俺は子機を耳に当てた。

「なにがあった?」
「いえ、急を要するような事態は発生していません。
 ですが、これはあなたの耳に入れておく必要があるかと思いまして。
 あなたは今日、何も違和感を感じませんでしたか?」

違和感・・・? 
俺は脳をフルに活動させて、今日一日の行動を振り返る。
確かに今日は朝比奈さんに計画のことを伝えたりで大変だったが・・・・
目に見えるような違和感なんて、何も感じなかったぞ?
それとも古泉たちのグループで何か問題が発生していたのか?

「いえ、僕達のグループでは終始問題はありませんでした。
 涼宮さんもいつもどおりでしたしね。
 僕が言っているのはもっと前の話―――あなたが喫茶店に入ってきた時間についてです」

古泉の言葉で、俺はようやく合点がいった。
確かに今日、俺は目覚めが良かったせいで、珍しく最下位を免れたんだったな。
だがそれがいったいなんだってんだ?

「よく考えてみてください。
 あなたが何故、土曜日の不思議探索で、毎回僕達におごることになっているのか。
 もしあなたが早起きしようと本気で努力すれば、
 最下位で到着することは容易に回避できたはずです。」

確かに、毎回俺が喫茶店に到着するのは決まって最後だった。
だが、それはただの偶然で―――。

「本気でそのように考えているのですか?
 あなたは知っているはずです、偶然を必然にできる一人の人物を」

「涼宮さんはあなたが最後に来ることをずっと望んでいました。
 もちろんそこには一片の悪意もありません。
 あなたにおごらせて、あなたを困るのを見て楽しんでいたと言い換えてもいいでしょう。
 でも、それは第一回の不思議探索からずっと変わっていませんでした。
 それが何故、今日に限ってあなたは最下位を自然と回避できたのか。
 賢明なあなたなら、もうおわかりですね?」

・・・・・・こいつのいわんとしていることはよく分かった。
もっとも、そのまどろっこしい言い回しには相変わらず腹が立つが。
要するに―――

「ハルヒが望んだから、俺が早起きできて最下位を免れたってことか?」
「まぁ・・・概ね正解です」

概ねとは何だ、概ねとは。

「あなたは今日、僕と涼宮さんが何を話していたか、何も聞きませんでしたか?」

そういえば・・・ハルヒが俺に気づいていなかった時点で、会話に俺の名前が出てきていたような気がするな。

「やはりちゃんと聞こえていたんですね。
 そこで全く動じなかったあなたには、ある意味感服しますが・・・。 
 涼宮さんに無断で話してしまっていいのかは判断しかねますが、まあいいでしょう、
 あなたはすでに彼女の気持ちを知っていますしね。
 涼宮さんは僕に、あなたのことについて相談をしていたんですよ。
 それもかなり踏み込んだ内容の話を・・・・ね」

あいつ、あの時いきなり黙りこんだと思ったらそんな話してたのか・・・。
これであの時のハルヒの行動にも納得がいく。
あいつは、自分の気持ちがすでに俺に伝わっているなんて、夢にも思っていないだろうからな。
だが、俺は憤りを感じずにはいられなかった。
これで終わりか?・・・・たいして重要性もないじゃねえか・・・・心配して損したぜ。
俺は、古泉の話を理解してなお、この電話が無意味なものに思えてならなかった。
子機から発せられる、古泉の次の言葉を聞くまでは。

「いえ、話はまだ終わっていませんよ。僕の話を最後まで聞いてください。
 これは憶測ですが・・・いいですか? あくまでも憶測です。
 涼宮さんは深層意識で、あなたに自分の気持ちに気づいてもらいたがっている可能性が高い。
 そして、それが今日、あなたがいつもより早く喫茶店に来店し、
 僕達の会話を、一部とはいえ聞いてしまったことに繋がっている。
 涼宮さんの心の中では、二つの考えがせめぎあっているんですよ。
 あなたへの想いを知られたいという気持ちと、それでいてあなたへの想いを知られたくない、という気持ちがね」
 
古泉の声が、密閉された俺の部屋に、やけに大きく響き渡る。

「それは、一見するとあなたへの思いの強まりとも捉えることができます。
 つい数ヶ月前までと比べれば、信じられない程の進歩とも言えるでしょう。
 ですが―――裏を返せば、今、彼女の心は揺れているということになる。
 そして止まらない性欲の高まりは、彼女の気持ちをさらに不安定にさせているでしょうね」

俺は子機を握り締めたまま、何も言葉を発することができなかった。
俺に気持ちを伝えようか、ハルヒがまさに今、葛藤しているのだとしたら・・・
手荒にではないにせよ、付き合ってからするはずの手順を全てすっとばして
レイプしようと迫る俺を、ハルヒはどう思うのだろう―――

「これはあくまでも憶測です。しかし、可能性の一つとして覚えておいてください。
 もっとも、もしもこれが事実ならば、徐々にあなたとの距離を近づけたい、と
 考えはじめている彼女を襲うことは、さらに難しくなりますがね・・・
 僕からの用件はこれで終わりですが、あなたの方から何かありますか?」

古泉からの問いかけに、俺は明日、ハルヒとデパートに行くことを伝えた。

「やはり、彼女も積極的になっているようですね・・・
 あなたのことです、どう行動すべきかは分かっているでしょうから、僕はもう、何もいいません。
 念のため機関の者を配備しておきますが、恐らくなにも起こらないはずです。
 それでは・・・・・」

無機質に鳴り続ける、ツー、ツーという連続音を聞きながら、
俺は明日のことについて考えていた。

古泉、お前の電話で、ハルヒの感情の推移は把握することができた。
だが、俺の抱える悩みをさらに増やしてしまったことも事実だぜ・・・?
俺の計画を成功させるには、たとえ明日、ハルヒが積極的な行動をしてきたとしても、
上手く流す必要がある。果たして、俺にそれができるかどうか。

俺は子機を机の上に置き、こもっていた空気を入れ替えるために窓を開けた。
雲ひとつない夜空には、ちょっと太り気味の上弦の月が浮かんでいる。

明日は晴れそうだな―――。

計画はきっと上手くいく。
長門にも、朝比奈さんにもちゃんと伝えたし、今のところ何の問題もない。
後は俺次第なんだ、しっかりしろ。
俺は窓を四分の一だけ開けた状態にして、ベッドに横になった。
疲労たっぷりの体は、さきほどから脳に熟睡を求めていたらしい。
俺は、まどろむ間もなく深い眠りに落ちていた。

・・・・・・キョ・・・・ン・・・・・ねぇ・・・・・聞・・・え・・・・・る・・・・?
・・・わた・・し・・・・ね・・・・キョ・・・ン・・・・こと・・・が・・・・・す・・・・き・・・・・・


「・・・・・ョンくん、・・・・・・キョンくんてっば!」
「ごふっ」

「ドスッ」という嫌な音と共に、俺は最悪の目覚めを迎えた。
チカチカする目を無理に開けて、ゆっくりと上体を起こせば、目の前には妹の姿が見える。
いやしかし、妹のこの荒っぽい起こし方にも慣れたもんだ。最初は悶絶から回復するのにかなり時間がかかったがな。
だが、妹がボディープレスで起こしにきたってことは・・・・

「お母さんが、早く朝ごはん食べなさいっていって。
 キョンくん、昨日はあんなに起きるの早かったのにねー」

時計を見て、予想していたことだが愕然とした。ハルヒとの約束の時間まであと20分もない。
俺はいまだボディープレスをしたままの妹をはねのけ、階段を駆け下りた。

超特急で半焼きの食パンとコーヒーを胃に詰め込み、
むせながら服を着替え、顔を洗って軽く髪を整える。
こんなときに髪を整えてる暇があるのか、と問われれば
時間厳守を重視すべきなこの状況では省略すべきなんだろうが、
俺だって身だしなみぐらいは整えたいんだ。
たとえそれで数十秒を消費することになってもな。

「行ってきます!」

俺は自己最高記録なんじゃないかと思うほどの
素早さで支度を整え、玄関を飛び出した。

自転車を立ち乗りで見慣れた町並みを駆け抜け、駅前に向かう。
腕時計を確認すれば、約束の時間まであと少ししかない。

間に合ってくれ―――

はたして駅前にいたのは、
腕を組んで仁王立ちの、悪戯っぽい笑顔を浮かべたハルヒだった。

「はぁ、はぁ、ハルヒ、時間は・・・」
「一分遅刻、罰金ね」

膝に手をつき、荒い呼吸で聞いた俺の希望の言葉は、
ハルヒの非情な、それでいて楽しそうな宣告によって一刀両断された。
やっぱり間に合わなかったか・・・。
いやしかし、俺はよく頑張った。
昨日の就寝時間を考えれば、何故こんなに寝坊してしまったのかは分からないが、
ここまで頑張った自分を褒めてやるべきだろう。

自分の行動が無駄ではなかったと思い込み、いつまでもこうしていられないと
顔を上げた俺は、そこであることに気づいて
一瞬、呼吸という生命維持活動の基本動作を忘れてしまっていた。

遠目では気づかなかったが、
今日のハルヒは、裾が長めの落ち着いた色合いのTシャツの上に
フェミニンな上着をはおり、黒のプリーツスカートに
オーバーニーといった、春らしいいでたちだった。
体のラインが上手く強調されていながらも、それでいて派手さは感じさせない。

お前も普通にお洒落できるんじゃねえか・・・・。

だが、俺が眼を奪われた点は別のところにある。
俺が呼吸を一瞬でも忘れてしまったその理由、それは
ハルヒの後ろでぴょこぴょこ揺れる髪に気づいたからだ。
なんてったって今日のハルヒの髪型は―――

どう控えめに見たってポニーテールだったんだからな。
正直に言おう、可愛すぎるぜ?

「・・・ハルヒ、ポニーテールなんて珍しいじゃねえか、どういう風の吹き回しなんだ?」
「き、気分よ気分! それよりあんた、もっと気のきいたこと言えないわけ?」

俺は少し考えるようなそぶりを見せてから、
何か期待するような大きな眼でこちらを見つめるハルヒに告げた。

「似合ってるぞ」

実際、本当にハルヒのポニーテールは
これ以上似合う奴が見当たらない、と今ここで断言できるほど似合っていた。
髪型がポニーテールの、世の全ての女性には悪いがな。
今のハルヒの髪は、去年のあの日と比べればずいぶん伸びている。
ポニーテールにするにはちょうどいい長さだろう。

「そ、そう。別にあんたに見せるためじゃないんだから。
 褒めても何もでないんだからね!」

ハルヒは全て言い終わらないうちに、身を翻し駅に向かって歩き出した。
背を向け、ずんずん歩を進めるハルヒの表情を伺うことはできなかったが、
俺には今、ハルヒがどんな顔をしているか容易に想像することができる。
やれやれ、少しは素直になってもいいと思うんだが――。

しかし、俺がそんな素直じゃないハルヒを愛しく感じていることも事実だった。
鏡を見れば、俺の頬はおそらく緩んでいるはずだ。

古泉、お前の憶測はどうやら当たっているみたいだぜ。
俺は昨夜の電話を思い出しながら、
ハルヒに追いつくために少し早めの歩調で歩き出した。

等間隔で揺れる車両内には、珍しく乗車客が少なかった。
日曜の朝はたいてい、どこかに遊びに出かけようとする家族連れやカップルで、
それなりに賑やかなはずなんだが・・・・・。

しかしそれより俺は、一つさっきから気になることがあった。

「今日はどんな服を買いたいんだ?」
「ん・・・見てからきめるつもり」

電車に乗ってからのハルヒは、どこか落ち着きがなかった。
視線を両手で持つバッグに落としていたかと思えば、
流れ行く窓の景色を眺め、たまにこちらの様子を伺い、
またバッグに視線を落とす。

以前、不思議探索で街に出るために電車に乗ったときには、
周りの人に迷惑なんじゃないかって思うほど
元気にしゃべりまくっていたはずなんだがな。

電車を降りた俺達は、昨日朝比奈さんと来たデパートへ向かう。
さすがに日曜日の街の雑踏は人が多く、老若男女、たくさんの人が
思い思いの場所に歩を進めていた。

電車を降りてからも、ハルヒの様子は変わらない。
何を考えてるかは知らないが、そんな雰囲気を漂わせるのはお前らしくないな。
ここで俺は、俺の隣を歩くやけに大人しくハルヒを、少し驚かせることにした。
いつも驚かされる側にいる俺だ。たまにはその立場が反転したっていいはずだぜ。

おもむろに俺は、触れるか触れないか微妙な位置にあったハルヒの左手を握った。

「ふぇっ?」

横目で見れば、案の定ハルヒは驚いた顔をしてこちらを見ている。

「はぐれないようにしっかり掴んでろよ」

俺は表情を崩さないようにして、その言葉を言い終えた。
ハルヒは数瞬間ぽかんとしていたが、みるみる内に顔が紅潮していく。

「わ、分かってるわよ」

俺の握る手に、確かな力が加わったのは、
そのつっけんどんな返事のすぐ後のことだった。

それからハルヒは、いつもの元気を取り戻し始めたようだった。
時折握った手に意識を奪われているが、もうさっきの妙な雰囲気は感じない。
饒舌になり始めたハルヒを見て、俺は安心していた。
やっぱりハルヒはこうでなくちゃな。

結局、雑踏を抜けてデパートについても俺達は手を繋いだままだった。
悪いか? 俺は手を離したくないし、ハルヒも手を離そうとするそぶりさえ見せない。
理由ならこれで十分だろ?

「キョン、次はあの店よ!」
「おいおい、まだ清算終わってねーぞ。ちょっと待てって!」

デパートの中にある洋服全てを見るかようなの勢いで、ハルヒは足を進めていく。
俺はハルヒに振り回されながらも、この状況を楽しでいる自分自身に気がついていた。
やっぱり、俺はこいつのことが―――

だが、俺の手を引いて快進撃を続けるハルヒの足が止まったことに気づき、俺は思考を中断した。

「キョン、早く隠れてっ!」
「うおっ、ど、どうしたんだよ!?」

いきなりそんなことを言われても、ここはデパート内だ。
人が歩行できるためだけに作られた通路に、隠れる場所なんてない。
慌てて俺の手を引くハルヒを尻目に、俺はハルヒが見ていた方向に目を凝らした。
そこには、俺達がよく知る人物が、
恐らく服が入っているであろう紙袋を抱えこちらを見ていた。
なるほど、そういうわけか―――
だがハルヒ、もう観念したほうが良さそうだぜ?

「誰かと思えばハルにゃんとキョンくんじゃないかっ」

デパートの人ごみを掻き分け、
こっちに向かってくるのは、飛び切りの獲物を見つけたような
笑みを浮かべた鶴屋さん、その人だった。
先輩、どうかここは穏便に―――。

「今日は二人だけなのかいっ?
 もしかするとしなくても、デート中なのかなっ?」

あまりにも単刀直入なその質問は、ハルヒを動揺させるには十分だったらしい。
ハルヒは裏返った声で反論を試みるが、鶴屋さんの一言で何もかもが崩されてしまう。

「ち、ちがっ・・・」
「へぇーっ、じゃあその繋がれた手はなんなんだいっ?
 ごまかさなくてもいいっさ。ちゃんとわかってるにょろよ?」

ハルヒが顔を真っ赤にして口を閉ざしたのを見て、俺は助け舟を出すことにした。
ここで鶴屋さんの意識を逸らさないと、まずいことになりそうだったからな・・・

「つ、鶴屋さんは今日はお一人なんですか・・・?」
「みくると有希っことも一緒だよっ。
 みくるは有希っこに合う服をまだ探してたけど、もうすぐ戻ってくるんじゃないかなっ」

なんでもない質問をしたつもりの俺だったが、
今度は俺が動揺することになった。
ちょっと待ってください、朝比奈さんと長門もデパートに来てるんですか?
でも、この状況を二人に見られるのは・・・・

俺とハルヒが手を繋いでデパートを散策している。
文章にすればただそれだけのことだが、俺は何故か、朝比奈さんと長門に
俺達の姿を見られることに抵抗があった。
頭に浮かぶのは
夜風に前髪を揺らす、寂しそうな長門の顔と
桜吹雪の中で泣き笑いの表情をみせる朝比奈さんの姿。
鶴屋さん、どうかこのことは二人に―――

「くっくっく・・・・」

だが、口を開きかけた俺が目にしたのは、
口に手を当てて笑いを堪える鶴屋さんだった。
俺が鶴屋さんの罠にまんまとはまっていたことに気づくのに
あまり時間は必要なかった。

冷静に考えれば、話の矛盾に簡単に気づたはずだ。
長門が服を選びにデパートに来るとは考えにくいし、
そもそも朝比奈さんは昨日、あんなに服を買っていたじゃないか。
つまり、鶴屋さんの話は・・・・

「今日は一人でお買い物っさ。
 一応みくるも誘ってみたけど、もう昨日十分楽しんだみたいだったからねっ」

一瞬でもうろたえてしまった俺を、鶴屋さんはしばらく笑っていたが、
ふいに俺の目をまっすぐに見つめてこう言った。

「でも心移りはよくないなぁっ、うん。
 キョンくんはすっこしばかり優柔不断なところがあるからねっ」

どこまでもお見通しってわけですか。
・・・・・・まったく、あなたには敵いませんよ。

「デート、邪魔してわるかったっさ。
 それじゃ、二人とも頑張るにょろよ!」

そういい残して去っていった鶴屋さんを、
俺とハルヒは台風が過ぎ去った後のような気持ちで見送った。
彼女が言い残した「頑張るにょろよ」に、どれだけの意味がこめられているのかはわからない。
もしかしたら、ただ純粋に俺達のことを応援してくれただけなのかもしれない。
だが彼女の家が機関のスポンサーである以上、
鶴屋さんが今起こっている事態を、少しなりとも把握している可能性は十分にある―――。

鶴屋家の長女であり、SOS団メンバーとの繋がりも強い彼女なら、
現状を把握していてもおかしくはない。
だが、いくら鶴屋家が巨額の資金を投資しているとはいえ
鶴屋さん個人に対して、機関が簡単に口を割るだろうか?

憶測は憶測を呼び、考えれば考えるほど、俺の思考は深溝にはまっていく。
いつの間にか熟考していた俺を現実世界に引き戻したのは、上目遣いでこちらを伺うハルヒだった。

「ねぇ、ご飯食べに行かない? もうこんな時間だし・・・」

腕時計を見れば、確かに昼時を過ぎたあたりだった。
こいつといると、本当に時間の流れを忘れてしまいそうになる。

「そうだな、そろそろ行くか」
「うん!」

買い物していた時と比べるといささかトーンダウンした声で
食事に誘ってくれたハルヒは、どこか気恥ずかしそうだった。
どうやら鶴屋さんの言葉の衝撃から、まだ完全に立ち直っていないみたいだな。

俺はそんなハルヒを見て、自分が今しなければならないことを再確認した。
鶴屋さんがどこまで知っているかは、たいして重要じゃない。
もし仮に全て知っていたとしても、あの人は俺達に不用意なことは言わないはずだ。
だからあの「頑張るにょろよ」も、好意的解釈をしてかまわないってことさ。

―――俺は、目の前のことだけに集中すればいい。

なかなか現れないエレベーターを待つ間に、
俺は鶴屋さんへの疑念をすっかり吹っ切っていた。

デパートの上階にある飲食店が密集するエリアを
うろつくこと数分、俺達が選んだ(というよりハルヒが即決したんだが)のは、
昨日朝比奈さんと来たところとは全く別の店だった。
腰を下ろし、改めて店内を見渡してみれば、
内装や照明が凝った、なんとも高級感あふれる洋食店であることが分かる。
注文をとりに来た店員さんの物腰も落ち着いていて、
俺は、自分が場違いなんじゃないかと思わずにはいられなかった。
だがハルヒは大満足らしく

「ふぅん、結構いいとこじゃない」

なんて悠長に感想を述べている。

別にファーストフードでも良かったんだが・・・。
なぁ、ハルヒよ。無理に背伸びしなくてもいいんだぜ?
喫茶店でコーラすすってるほうが、ずっとお前らしい―――。

だが、俺はその言葉を心の中にそっとしまっておく。
もしそんなことを言えば、
両手に持ったホットオーレに上品に口をつけているお嬢様が、
機嫌を損ねてしまうことは目に見えていたからな。

当たり障りのない話題を選びながらハルヒと雑談し、
時折、忘れたころに運ばれてくる料理を、
慣れないフォークとナイフを使って口に運ぶ。
確かに旨いが、どうも俺の空腹を満たせそうにない。
量的には十分なんだが・・・・なんでだろうね?

一瞬会話が途切れたころを見計らい、
俺は、返事が分かりきっていても、あるセリフを口にした。

「ここの料理、かなり高そうなんだが・・・お前、誰が最後に金払うか分かってんのか?」
「あんたが払うに決まってるじゃない。約束の時間に遅れた罰よ」

お決まりの質問にお決まりの返事。
質問する前から、ハルヒがなんて答えるかは分かっていたさ。

会話をしながらの食事というものは
やけに時間の経過を早く感じさせる。
だが、料理も残り少なくなってきたところで、俺は
ハルヒの口数が徐々に減っていることに気がついた。

「もう服はいいのか?」
「これだけ買ったら十分よ。お金だって限りがあるもの」

先ほどからのハルヒは、俺の言葉に反応はするものの、
空になったマグカップを見つめていたかと思えば、
席の横に置いたバッグに視線を移し、俺のほうをちらりと伺ってから
またマグカップに視線を戻す、といった調子でどうも落ち着きがない。

―――この感じ、どこかで―――

ふいに感じた既視感の正体を見破るのに、俺はほとんど苦労しなかった。
朝の電車内でも、ハルヒは今のように落ち着きがなかった気がする。
俺は煮え切らないハルヒに違和感を感じつつも、
午後からの行動予定について考えていた。

昨日、不思議探索の解散直後には
ハルヒから買い物に連れて行けとしか言われなかった。
だが、だからといって

「用件が済んだから帰る」

なんてを戯言を吐くほど俺は終わっちゃいない。
それに、俺には帰る気がさらさらなかった。
さて、ハルヒをどこに連れて行こうかね――。
今だ所在なさげに視線をさまよわせるハルヒを見やりながら、
俺は近辺の娯楽施設を一つ一つ、知っている限り頭の中に列挙していく。
しかし、もともとインドア派の俺に、この時期人気の
デートコースなんて思いつくはずもない。
こんなとき古泉なら、あのムカつく爽やかスマイルで
「〜はどうです? 今なら〜で・・・・」
なんて言えるんだろうがな。

「ねぇキョン、この近くに新しい映画館ができたの、知ってる?」

何か決心したようなハルヒが、それでいて不安を秘めたような表情で
そう尋ねてきたのは、俺が本気で古泉に助言を頼む電話をかけようか
考え始めた時のことだった。

新しい映画館・・・?
そういえば前に谷口が登校時に話していたっけな。
どうでもいいと聞き流していたが、こんなところで役に立つとは。

「なんでも、四月頃に街に新しく映画館が建つらしいぜ。
 今年の春は恋愛映画の期待の新作が多いからな。
 いいかキョン、恋愛映画を見た後ってのは
 そういうことに敏感になってるんだ、だからそこでアタックをかけて―――」

ありがとう谷口、そして眠れ。
俺はべらべらとしゃべり続ける谷口を脳内メモリーから消去し、
ハルヒに向き直った。

「ああ、知ってるが・・・なんか見たい映画でもあるのか?」

ハルヒが映画を見たいなら、午後の予定については悩まずに済む。
俺は軽い気持ちで聞いたつもりだったが
ハルヒはその問いかけには答えず、バッグの中をごそごそと探りはじめた。
何を探してんだ・・・・・?
俺は黙ってそれを見ていたが、やがてハルヒは目当てのものを見つけたらしく、
何か紙のようなものをバッグから取り出した。
テーブルの上にその紙を置いて、そっぽを向いて口を開く。
紙は良く見ると2枚あり、手のひらほどの大きさの、長方形の紙だった。
これは―――。

「映画の無料券よ。開館記念で配布してたのをもらたっんだけど・・・・・
 あ、あんたがいいなら行こうかなって思ったの。悪い?」

俺は、今朝の電車とさきほどのハルヒの様子がおかしかった理由が分かり、ふぅ、とため息をついた。
同時に、ハルヒへの愛しさがこみ上げてくる。

「べ、別にあんたが嫌でも他に一緒に行く人はたくさんいるんだから―――」

俺は、未だに言い訳を続けるハルヒに向かって、できるだけ優しくこう告げた。

「おい、いつまでそうしてんだ。
 早く行くぞ、これからは映画館も混むだろうしな」

俺の言葉を聞いたハルヒは・・・・・・・いや、もうこれ以上語る必要はないだろう。
それほど予想通りの反応を見せてくれったってことだ。

伝票に並んだ数字に思わず顔をしかめた俺を見て、
小悪魔めいた笑みをうかべるハルヒからは
もうさっきのような大人しさを感じることはできない。

俺とテンションが三倍増しになったハルヒは
デパートの宅配サービスに大量の買い物袋を預け、
その映画館へと歩き出した。

朝よりも更に混雑している雑踏で、
俺達の手はしっかりと繋がれていた。
手を繋ぐまでに、最初のときのような会話は必要なかった。

そういえば聞いていなかったが、ハルヒは何の映画を見るつもりなんだろうか?
そんな素朴な疑問を抱いた俺は、
300Wの笑顔を咲かせるハルヒの横顔を見て、
しかし結局聞かないことにした。

映画館に着くまで推理するってのもいい。
こいつのことだ、スプラッタ表現のある映画は却下として、
ノンフィクションはまず選ばないだろう。
非現実を好むハルヒなら、SFやホラーなんてジャンルが好きそうだ。
いや、フィクションならばコメディが好きな可能性も捨てきれないが―――。

俺は好き勝手にハルヒが見たがる映画のジャンルを想像していたが、
映画館に着いた瞬間、今までの推理が全て無駄であったと知る。

何故かって?
理由は至極簡単だ。なぜなら映画館で上映されていた映画は全て――

恋愛映画ばかりだったんだからな。

映画館の前にはご丁寧にも「期待の恋愛新作! 続々上映開始!」なんて広告旗が数本立っていた。
しかし・・・ジャンルも何も、恋愛モノしかないってのはどういうことだ。
館長さんよ、恋愛映画しか上映してない映画館なんて前代未聞だと思うぜ・・・・・?
俺はまだ真新しい映画の上映時刻表示板を見て、深いため息をついた。

おいハルヒ、どうする? どうやらお前の観たい映画は、ここには―――
俺はそう言いかけて口を閉じる。

いつの間にか無料パンフレットを数枚拝借してきていた
ハルヒは、真剣に時刻表示板とにらめっこしていた。

やがて俺に向き直り、パンフレットを指差して

「キョンはこれとこれ、どっちがいいと思う?」

なんて聞いてきやがる。

手渡されたパンフレットの表紙には、

「今春最高の感動をあなたに送る―――」
「全米No.1ヒットを記録―――」

なんてどれにもどこかで見たような言葉が羅列されており、
2、3枚ページをめくると、言葉にするのさえ恥ずかしいような文章が綴られている。
おいおい、ハルヒよ、本気で観るつもりなのか?

だが、俺の返事を待つハルヒの大きな眼は期待感に満ち溢れ、
とてもじゃないが否定的なことを言えそうにない。

俺はパンフレットの内、なんとなく綺麗なレイアウトなものを一つ選んで

「これでいいんじゃないか?」

とハルヒに突き出した。
適当すぎるとつっこまれれば反論のしようがないが、
俺に恋愛映画のチョイスを任せるほうが間違ってるのさ。

俺の選択にどんな反応をするのかと、ある意味楽しみにしていたが、
意外にもハルヒは満足そうに頷いた。

「へぇ、あんた分かってるじゃない。意外だったわ」

結局俺達が無料券と交換したのは、
俺が適当に選んだといってもいい恋愛映画だった。
どうやらハルヒが眼をつけていたのも、俺が選んだものと同じだったらしい。

5番シアターに移動する途中、俺は、あることに気づいていた。
いや、そう言うと語弊があるな。
本当は入館したときから薄々気がついていた。
周りの客は、ほぼ全てが男女の連れ、さらにそのほとんどがカップルだということに。
まぁ上映している映画が映画だ、仕方ないだろう。

さすがのハルヒも、シアターに着いてからはそのことに気づいたようで
周囲に視線をちらちらと移している。
平静を装っているのは分かるが、今更意識したって遅いんだぜ?

半券に印刷されたI−13、14の指定席に座ると、そこは
シアターの真ん中の少し上といった、映画鑑賞には絶妙の位置だった。

先ほど買った特大のキャラメルポップコーンは二人の間に、
無駄に甘ったるいレモンティーを俺の右側に置いて、俺は映画が始まるのを静かに待つことにした。
ハルヒといえば、先ほどのパンフを取り出し、もう一度読み直している。
おいどうしたんだ、お前顔赤いぞ・・・?

「ねぇ、キョン、やっぱり―――」

ハルヒがためらいがちに口を開いたのと、上映開始のブザーが鳴り響いたのは同時だった。
照明が落ちていき、はるか後方のプロジェクターが起動する。
ハルヒが口をひらかないのを見ると、どうやらたいした用じゃなかったみたいだが・・・・
いったい何を言いたかったんだ?

映画を観始めて約30分。
何の時間かって?
俺がストーリーの理解を放棄するまでにかかった時間のことだ。

興味を失ったスクリーンからふと左に視線を向ければ、
映画を真剣な面持ちで観ているハルヒの横顔があった。
スクリーンからの淡い光がハルヒを照らしていて、絶妙のコントラストを作り出している。

綺麗だな―――。

相変わらず褒め言葉のボキャブラリーは少ないが、そこは寛大にみてほしいね。
俺はこいつのことを可愛いじゃなく、ただ純粋に綺麗だと思った。それは事実なんだからな。

ハルヒのポニーテールの合間に見えるうなじが、やけに俺の視覚を刺激する。
ふいに俺はハルヒにキスしたくなる衝動にかられたが、必死に抑えた。

ダメだ、明日の計画を実行するまで、先走った行動は・・・・・

魅惑的なハルヒの横顔に吸い寄せられる視線を引き剥がし、
俺はゆっくりと深呼吸した。
・・・・・落ち着け。
一時の欲望に負ければ、そこで計画は台無しだ。

俺は、レモンティーに一口つけ、頭を冷やすことにした。
明らかに多すぎる砕氷で、レモンティーは薄められ
ほとんどその味を感じることがやできなかったものの、
俺の一時でも火照った頭を冷すには十分だった

スクリーンの中では、先ほどから
女優(名前が思い出せない)が妖艶な笑みを浮かべて
俳優(同じく名前が・・・)に向かって何かを喋っている。
俺にはその会話の意味がつかめない。

まぁ序盤で映画鑑賞を放棄したんだ、
会話の脈絡を理解できるはずもないけどな。

ハルヒはわりと真剣に見ているが、はっきり言って
俺には他人の恋愛模様を見て何が楽しいのかわからなかった。

恋愛なんてのは自分で体験して楽しむもんだろう?

童貞風情が何をいう、と笑われそうだが
俺には俺の持論があった。
そんなもの人それぞれだろう。

だから、昨夜の睡眠時間が十分だったとはいえ、
睡魔がゆっくりと、確かな足取りで俺の瞼に現れたのは
至極当然のことだといえる。
淡い照明、静かな劇場、退屈な映画。
俺が睡魔に抵抗しなかったのを責めるのは、筋違いって奴だろうさ。

まどろみ始めた俺が最後に、とハルヒのほうを一瞥すると、
暗がりでよく見えないが、若干顔を赤らめたハルヒは
スクリーンから目をそむけたかと思えば、
またちらりと観るという謎の行動を繰り返していた。

何やってんだか―――。

俺はそれから、一体何がハルヒにそんな行動をさせているのか気になって、
もう観ないと決めたはずのスクリーンに目を向けた。

そこに繰り広げられている光景を見て、深く後悔することになるとも知らずに。

本当に、本当に軽い気持ちで視線を前に向けた俺は、
しばらく眼前に広がる光景が理解できなかった。

先ほどまで会話をしていた二人がベッドの上で、
お互いの舌を探り合うような熱烈なキスを交わしている。
しかも生まれたままの姿で。

いやいやいやちょっと待て、なんなんだこれは―――。
キスだけならまだいい。俺も予想済みだった。
恋愛映画には、お決まりのシーンだと言えよう。

だが・・・・こんな激しいベッドシーンまであるなんて聞いてねえぞ。

俺はいつの間にかハルヒと全く同じ状況に陥っていることに気づき、視線を下げることに専念した。
明日ハルヒを襲うつもりの俺が、こんなことで恥ずかしがっているのもおかしな話だ。
それでも、俺はスクリーンに集中しているとハルヒに思われるのが嫌だった。

沸騰した頭で視線をさまよわせていると、
ふと俺はこの映画のタイトルがどこかで聞いたことがあるのを思い出す。
頭の中に浮かび上がってきたのは、またしてもアホづらの谷口だった。
だが・・・今度は見るからに品の悪い笑みを浮かべている。

脳内メモリーから消去したはずだったんだが・・・・
そんな俺の気も知らず、記憶の中の谷口は意気揚々と語り始めた。

「いいか、キョン?
 確かに今春は恋愛映画が多いが、その半分はハズレだ。
 要するにB級ってこったな。」

ここで谷口は、辺りに視線を走らせる仕草を見せてから小声になる。

「だが安心しろ。
 中にはもちろん当たりもある。
 俺の調べた情報によれば、とんでもない長さのラブシーンが収録されたことで有名な――」

谷口が言ったタイトルは、今俺達が観ている映画のタイトルと一致していた。
どうりで濃厚なベッドシーンがなかなか終わらないわけだぜ・・・。

俺が知りたい情報を得た後も、谷口はまだべらべらと他の映画の詳細情報を語っている。
ここで俺は、完全に谷口を脳内からたたき出すことにした。
ありがとう、そして安らかに眠ってくれ。

谷口が消滅間際に
「WAWAWA―――」
なんて叫んでいた気もするが、そんなことはどうでも良かった。

問題は何も解決していない。。
俺がこの状況をあと少なくともあと数分耐えなければならいってことが
分かっただけなんだからな・・・・・。

絡み合う肢体。
やけに耳に残る喘ぎ声―――。

いくら視線を外す努力をしたところで、
所詮無駄なあがきというもので、どうしてもちら見をしてしまう。
男の性なんだ、許してくれ。
もはや誰に謝罪しているのかも分からないが、
俺はとにかく弁明したい気分だった。

局部は巧妙に隠されているが、これはもうすでに映画の域を超えている。
恐らくR指定されているはずだが、なんで気づくことができなかったんだ?
ここで俺は、上映開始前にパンフを見ていたハルヒが、
焦った様子で何か言いたがっていたことを思い出した。

きっとあの時、ハルヒはパンフを見て、
この映画の本質を悟ったに違いない。

なんでもっと早く言ってくれなかったんだ・・・・・
そう思って左を見れば、偶然にも俺に視線を向けていたハルヒと
ばっちり眼があってしまった。

・・・・・・こんなとき、男はなんて言うべきなんだろうね?

「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

一瞬眼を合わせた俺たちは、顔を赤らめ
視線をスクリーンに戻し、また慌てて視線を下げるという行動をシンクロさせた。
結局何も言えなかったが、誰も俺を責めることはできないはずだ。
だって仕方ないだろう?
こんなシチュエーションは予想だにしていなかったし、
俺の脳は既にある感情の高まりを抑えるのでいっぱいいっぱいだったんだからな。

今まで数多の修羅場をくぐりぬけてきたつもりだったが・・・
この状況で適切な言葉を投げかけることに比べれば、
情報統合思念体にサシで勝つことの方ががずっと簡単なんじゃないだろうか――。

映画がエンディングを迎えたとき、俺は全身に広がる疲労(主に精神面)で
体が普段の十倍重くなったかのように錯覚した。
だが、いつまでもシアターに居座るわけにもいかない。
俺はすっかりぬるくなったレモンティーと、
まだ半分ほど残ったポップコーンの容器を持って、シートから立ち上がった。

「・・・・行くか?」
「う、うん・・・・・」

やはりというべきか、ハルヒの返事は小さかった。


映画館から出ると、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。
瞳孔の収縮による眼の痛みを覚悟していた俺は、なんだか拍子抜けしてしまう。
俺の横を歩くハルヒは、明らかに俺と視線に合わせないようにしていて、
何を考えているのかは伺えない。

やれやれ――。

俺は心の中で溜息をつきつつ、ハルヒになんと声をかけるべきか悩んでいた。

俺達の間に漂う微妙な雰囲気の原因はとっくに分かっていたが、
原因が分かったからといって、すぐに打開策が浮かび上がるほど俺の脳は完成しちゃいなかった。

映画の内容はスルーして、全然関係ない話題で話し掛けるべきか?
いや、それではあまりにも不自然だな・・・余計に意識していると思われかねん。
かといってストレートに映画について語るってのも―――

堂々巡りを続けたところで、満足のいく答えがでないことは明白だった。
だが、今考えるとそのときの俺は、ネジが少なくとも十数本欠落していたとしか思えない。
いくら己の思考能力の限界に痺れを切らしていたとしても、

「ははっ、それにしてもすごかったな、あの映画」

なんて言葉を、恥ずかしげもなく堂々と言い放ったんだからな。
普通に交際しているカップルならまだしも、
俺達はまだ、そんな関係に少しも達してなかったっていうのに。

・・・・・・・・。

時間にして数秒、だが精神的にはあまりにも長い沈黙。

誰か俺を殺してくれ、いや、それが無理なら銃を渡してくれるだけでもいい。
できるなら一撃であの世にいけるやつを頼む、それも今すぐだ―――。

言い終わってから自殺したくなるほどの後悔に苛まれた俺は、
明らかに即席で作ったと分かる
「俺は全然映画のベッドシーンなんて気にしてない」
という笑みを継続させたまま固まっていた。

ハルヒの反応はどうだろう?
こんな無粋なことしか言えない俺に失望しているのだろうか?
それとも羞恥心で顔を真っ赤に染めているのだろうか?

フリーズ直前の頭で、俺はただそれだけが気になっていた。
だが、ハルヒ返事は意外にも、完全にシャットダウンしようとしていた俺の頭を
瞬時に再起動させるものだった。

「・・・・キョンは・・・・キョンはああいうこと、したことあるの・・・・?」

俺を見上げてそう聞くハルヒの顔には、
映画に誘うときに悩んでいたのとはまた違う不安の色が浮かんでいた。

ん・・・?
ちょっと待て、今ハルヒは何て言った・・・?
まず「ああいうこと」とは、映画のベッドシーンのことと解釈していいだろう。
そして「したことあるの?」という部分からは、
俺がそれを経験したことがあるのか尋ねていると判断してまず間違いない。

「し、したことないが・・・・ハルヒはどうなんだ?」

高校二年で童貞を喪失してないってのが世間的にみてどうなのかは知らないが、
俺が今まで誰かと性行為にまで及んだということは断じてない。
俺はハルヒの質問の吟味にたっぷりと時間をかけ、言葉を返した。
無意識に、デリカシーの欠片もない質問を付け加えて。

「わ、私もしたことないけど・・・・って何聞いてんのよこのエロキョン!!」

全て言い終わらないうちに、どん、と俺を突き飛ばして憤慨するハルヒだったが、
ハルヒがその怒り顔の中に、どこかほっとしたような表情を隠していたのを俺は見逃さなかった。

なんだ、こいつさっきの俺の言葉を聞いて、俺が経験済みかどうか心配だったのか―――。

そのことに気づいた俺は、急に先ほどまで失っていた余裕を取り戻した。
無論、俺もハルヒが処女であることが分かり、安堵していたことも確かだったがな。

たとえ相手のことが好きじゃなくても、
雰囲気に流されてやってしまったという男女の話はよく聞く。
ハルヒのことだ、そんなことはありえないとは思っていたが
中学時代に告白をされまくったあげく、一度も振ることを知らなかった奴だ。
ハルヒが非処女である可能性は、万に一つもあるんじゃないかと、
俺は考えたくはなかったが覚悟はしていた。

俺を突き飛ばしたハルヒは、まだ赤い顔で、

「私がそんなに節操のない人間だとでも思ってたわけ?
 ありえないわね、あんたSOS団員として失格よ!
 だいたい私が体を許すのは―――」

とまくしたてていたが、やがて俺の生暖かい視線に気づいたのか
ぷい、と視線をそらす。

ここで俺は、ハルヒにちょっとした意地悪を敢行することにした。
意地悪といったところである質問をするだけなんだが・・・
今のハルヒにとっちゃ、どんな問題より答えるのが難しいはずだ。

それにしても、今までの俺ならハルヒに
意地悪だなんて考えもしなかったはずなんだが・・・
まったく、最近の俺はどうしたんだろうね?

俺はできるだけ自然に、その質問を投げかけた。

「なぁ、ハルヒよ。なんで俺がああいうことをしたことがあるのか気になったんだ?」
「そっ、それは・・・・・」

どうやら俺の問いかけは効果てきめんだったらしい。
あえて俺はHのことを「ああいうこと」に置き換えたが、
ハルヒはあからさまに動揺し、言葉を続けることができない様子だった。
いや、こうやって困っているハルヒも新鮮でいいな。

ここら辺で笑って誤魔化してやろう。
拗ねているときのハルヒも可愛いんだが
あんまり意地悪して本気で拗ねられるのも面倒だしな。

十分に意地悪を楽しんだ俺は、ハルヒに声をかけようとして、
しかしハルヒの言葉によってそれを阻まれた。

「おい、ハルヒ―――」
「・・・・あんた、中学時代に付き合ってた子いたんでしょ?
 今はもう付き合ってないみたいだけど・・・」

俺はいきなり話しはじめたハルヒに面食らいながらも、慌てて否定の言葉を口にする。
ちょっと待て、それは誤解だ。そいつはただの友達で――
しかし、ハルヒの独白に俺の弁解はかきけされてしまう。

「嘘つかないで!
 谷口や国木田が言ってたのよ、
 あんたとその子、すっごく仲良さそうだったって」

俺は谷口と国木田の無責任さに怒りを覚えたが、今はそんなことに
意識を奪われてる場合じゃない。

「それに・・・谷口が言ってたわ。
 あんたが夜中にその子と会ってるとこを見たって。
 だから・・・・その・・・その子とあんたがHしててもおかしくないと思ったの!悪い!?」

そう一気にまくしたてたハルヒは、またしてもそっぽを向いてしまう。

おそらく夜中に会ってるってのは、塾からの帰りを見て
谷口が脳内補完したので間違いないだろう。
なんでも色恋沙汰にしたがるあいつのことだ、可能性は十分すぎるほどにある。

やれやれ・・・。

俺は心中で溜息をつきながら(このごろ頻度が増えてきてる気がするな)
どうハルヒに説明するか整理して、口を開いた。

「あのな、そいつ――お前が疑ってるやつだが――と
 俺が付き合ったことなんて一度もない。
 谷口は夜中に俺達が会ってるのを見たとかほざいてるみたいだが、
 多分塾から一緒に帰ってるところを偶然見たんだろう。
 だから、俺とそいつに特別な関係なんて少しもなかったんだ。
 強いて言うなら親友、ってとこだろうな」

俺が一言一言確認するようにゆっくり語りかけるのを、
ハルヒはそっぽを向いたまま聞いていた。
もっとも塾から一緒に帰っていたところで耳をピクリと動かしていたが。

「・・・どうだ、分かってくれたか?」

俺がハルヒの考えていることは全て勘違いであり、
そのような色恋沙汰になっていたと捉えられていたとは、
その疑いをかけられている俺も驚天動地だ、という旨を伝えると、
やがてこちらに首を動かしたハルヒは、
どこか凄みをきかせた声で

「それホントなの?
 嘘ついてるんじゃないでしょうね?」

と聞いてきた。
そんなに俺は信用がないのかね・・・・
少し悲しくなった俺は、それでも淡々と否定を続けることしかできず、
それを実行する。

「嘘も何も、本当にそれ以上のことはないんだ。
 それにここでお前に嘘をついたところで、
 少し調べられればすぐにバレることだろ?」

ハルヒはその大きな瞳でしばらく俺を見据えていたが、どうやら納得してくれたらしい。
大きく息を吸い込んだ後、

「ふぅん。まぁ信じたげるわ。
 でも、これはあくまでも団員のことは団長である私が
 一番よく把握してなくちゃならないから気になったことであって・・・・
 とにかく他意はないの! 分かった?」

と言い放った。

「ああ、分かってるよ」

団員が童貞か非童貞か知りたがる団長が、いったいどこにいるんだ・・・?

俺は疑問を感じずにはいられなかったが、口にするのはやめておく。
さっきのでこの調子だ、これ以上意地悪すれば俺の身がもたないだろうからな。


人が聞いたらまず間違いなくあきれるであろう会話をして歩いているうちに、
俺たちはようやくというべきか、駅に到着した。
駅構内へ向かう階段をどんどん上っていくハルヒを、俺は駆け足で追いかける。
そのとき俺は、昨日今日の外出で、ずいぶん足を酷使していたことに気がついた。
今まで気づかなかったが、だいぶ疲労が溜まっているようだ。
まあ連日、あれだけの荷物を持って駆け回ったことを考えれば、当然の結果だろう。

「おい、そんなに急ぐなよ、少し足が痛むんだ」
「もう電車着いてるじゃない。はやく歩きなさいよ」

そういいながらも俺の足を気遣う様子を見せるハルヒに、俺は少し頬をゆるませた。
なんだかんだいって、こいつはやっぱり俺のことを心配してくれる。


俺とハルヒは、駅員に軽く睨まれながら電車に飛び乗った。

車両内は、閑散としていた朝とは違い、
家路につく家族連れやカップルでそれなりに込み合っていた。
俺は空いてる席を見つけることをあきらめ、つり革に手をのばした。
しかしハルヒの方を見れば、嬉しそうにこちらに向かって手招きしている。
どうやら、奇跡的に座れる場所を見つけたらしい。

「ちょうど空いてて良かったわ。あんた足痛いんでしょ?
 座って休めときなさいよ」
「あ、ああ・・・・」

ここはレディーファーストでハルヒを座らせるべきなんだろうが、
足の痛みがあったこともあり、俺は素直にハルヒの言葉に従った。
俺はハルヒの気遣いに感謝しながらも、軽く笑って礼を言う。

「お前が俺に席を譲ってくれるなんて、珍しいこともあるもんだな」
「何言ってんの? あたしは立つ気なんてないわよ?」

嫌な予感がした。そして案の定、それは数秒後に現実となる。
ハルヒは何の躊躇もなく、小さな隙間に自分の体を割り込ませた。
まったく、お前には遠慮ってやつがないのかね・・・?

だが、俺は迷惑そうに顔をしかめる家族連れのお父さんに軽く頭を下げながら、
右半身に意識を完全に奪われていた。

もとより大人と子供が一人ずつ並んで座っても、いっぱいいっぱいだったスペースだ。
俺とハルヒが無理に座れば、体がこれまでにないほど密着するのは必然である。

俺は、できるだけ体にあたる柔らかい感触をできるだけ意識しないように、
斜視の状態を保ち続けた。

だが、俺も男である。
どんなに視線を固定しようとしても、
10秒に一度くらいの頻度で視線がふらふらと彷徨ってしまうのを
止めることはできない。

短めのプリーツスカートから伸びる、健康そうな色で完璧なラインを保つ脚。
それほど厚みもない上着の上からでも分かる豊満な胸。
そしてポニーテールから時折覗くうなじ。

仕方ないだろ?
不可抗力だったのさ。
これだけの誘惑を前に動じないというやつがいたら、ぜひとも
俺の前につれてきてほしいね。ただし特異な趣味を持つやつ以外でな。

俺はしばらく自分を正当化していたが、ふいに肩に重みを感じて、
ちら見ではなく、はっきりと右に視線を向けた。
そこには―――こいつも疲れてたんだろうな――
何も悩みがないような安らかな顔で、静かに寝息を立てるハルヒの寝顔があった。

俺達が乗った電車は、各駅停車の普通電車だった。
さすがにこの時間帯ともなれば乗り込んでくる人の数は少なく、
駅に着くたびに、徐々に電車内からは人が減っていく。
当然、それは俺達の座っている座席にもいえることであり
かくして俺とハルヒが密着する理由はなくなったわけだが、
俺に席を移動する気は微塵もなかった。
もっとも、俺が動けば俺の方に頭を乗せて眠っているお姫様を
起こしてしまうことになり、動くに動けなかったこともあるんだけどな。

反対側の窓を見れば、俺とハルヒが寄り添う姿が映っていた。
冴えない俺と、黙っていればかなりの美少女であるハルヒは
美男美女のベストカップル、とは言い難いだろうが、
他人目からみればどうみてもデート帰りのカップルに見られているはずだ。

俺は次々に風景を変える窓から、
隣ですやすやと寝息を立てているハルヒにまた視線を移した。

「よく眠ってやがる・・・」

あれだけ元気に走り回り、俺を振り回し続けていた団長様が、
今は俺の肩にもたれかかって眠っている。
そしてその寝顔は、赤道直下の笑顔や目を吊り上げている不機嫌そうな表情とは違い、
そのままの、ありのままのハルヒの素顔だった。

「寝顔も可愛いじゃねえか・・・はは、起きてたら殴られてるな」

ハルヒが寝ていると分かっていると、ついつい本音が口から出てしまう。
調子に乗って(?)優しく、起こさないようにハルヒの髪をなでてみれば、
手入れを怠っていないのだろう、ハルヒの髪は柔らかくなめらかで、とても心地よかった。

今日は一日中こいつの言うことを聞いてやったんだ。
俺がハルヒの寝ている間に何をしたって、誰も文句を言えないはずだぜ?

適当に理由をつけて、俺は結局、降りる予定の駅の一つ前の駅までそうしていた。
髪をなでている途中に「むにゃむにゃ」なんて寝言が聞こえたときはさすがに焦ったけどな・・・。

「おいハルヒ、そろそろ起きろ。着いたぞ?」
「ん・・・ぁ・・・」

俺達が降りる駅に電車が着く直前に、俺はハルヒをゆり起こした。
起きてからしばらくは寝ぼけていた様子のハルヒだったが、

「もう・・・・着いたのね・・・・」

と、緩慢な動きで(気のせいか?)俺から体を離す。
てっきり俺から飛びのいて、自分からもたれかかってきたのにも関わらず
「エロキョン」だの「セクハラ」だの言いがかりをつけるかと思ってたんだが―――
いつものハルヒらしくないな。

覚悟していた分だけ拍子抜けしたが、言いがかりをつけられないことに越したことはない。
この様子だと寝ている間のことも覚えていなさそうだな。

俺は大してそのことを気に留めず、駅構内から完全に陽の降りた暗い夜道に足を踏み出した。
まだ眠いのか、目をこすっているハルヒはシャミセンのようで、俺はつい頬をゆるめてしまう。

いや、それにしても本当に忙しい一日だった。

デパートではたくさん服を買ったし(ほとんどがハルヒのものだったがな)、
どこかのお嬢様の要望で、普段入らないような洋食店で食事をした。
そして予想外の人物、鶴屋さんと会って・・・あのハルヒの慌てっぷり、今思い出しても笑っちまう。
昼からは最近建ったという映画館に行って―――映画の内容は赤面モノだったが――
帰りにハルヒは、いつもなら絶対に口にしないような質問をしていたっけな。

そして今日、俺達はずっと手を握っていた。
ハルヒの我侭で日曜日に連れ出されたことは何度もあるが、こんなことは初めてだった。

ざっと回想している内に、俺たちはそれぞれの帰路への分岐点に着こうとしていた。
駅からここまで、会話らしい会話はなかったが、その静かな帰り道は不思議と暖かかった。
分岐点で俺達の歩みはとまり、お互いに向き直る。
俺は何か別れ際に言おうと思ったが、

「キョン―――」

お互い同じことを考えていたようだ。口を開いたのはハルヒのほうが先だった。

こいつのことだ、買い物についていったことに対する礼なんて言わないだろう。
団長の命令云々でごまかされるのがオチだな―――俺はそう確信していたが、

「今日は・・・・ありがと。あんたのおかげで助かったわ」

というハルヒの声で、自分の予測が完璧に外れていたことを知る。

「あんたが楽しんでくれたかはわかんないけど・・・・あたしは楽しかった。
 今までにもこんなことはあったけど・・・今日のはなんか違ったの―――」

俺は何故か、このまま黙っていれば取り返しのつかないことになる予感がした。
適当に相槌を打って別れの言葉を告げれば終わり、と分かっていても、
俺は黙ってハルヒが話すのを聞くことしかできなかった。

「―――いつもはあたしがキョンを振り回して、疲れたら家に帰ってそれでおしまいだった。
 でも今日は違った・・・・なんて言ったらいいかわからないけど・・・」

そこでハルヒはいったん言葉を切り、つい先ほどまで繋がれていた右手に視線を移す。
俺はここで、自分の予感が当たっていることを確信しつつあった。
間違いない、ハルヒは俺に―――

「あたし、ずっと不安だったの。キョンが・・・キョンがあたしの知らない誰かと
 あたしの知らないところで楽しく過ごしているんじゃないかって」

予想が当たれば計画を延期、もしくは中止しなければならないと分かっていても
俺は口を挟むことができない。

「そりゃあ、あんたを見るたびにそんなことありえないって思った。
 でも、もしかしたら・・・・って・・・・・・
 だから、今日あんたの話を聞いてあたしは本当に安心した」

俺は映画を見終わったあとの会話を反芻しながら、
どうしようもない情動の高まりを止めることができなかった。

「それに・・・・あんたが手を握ってくれたときは驚いたわ。
 だっていっつもあたしが無理矢理引っ張っていくって感じだったでしょ?」

小さく笑ってこちらを見上げるハルヒ。
最早俺に、ハルヒの話を止める気は完全に失せていた。
計画なんてものは頭の隅に押しやられるどころか、一時的に完全に消え去っていて、
俺の頭はただ、ハルヒの言葉の先を聞きたいという気持ちでいっぱいだった。

「長い間手を繋いでたら、それが普通になっちゃうのよね。
 一度離しても、すぐにまた繋ぎたくなる・・・・手が寂しくてしょうがないの」

ああ、その気持ちは痛いほどよく分かるさ。俺だって同じ気持ちだったからな。

「本当は我慢するつもりだったわ。
 あんたが優しいのはいつものことだし、それもあたしに限ったことじゃないのかもしれないしね。
 でも・・・・電車でのあれは反則よ?」

ハルヒが電車で起きていたことは本当に知らなかった。
だが、そうするとあの独り言や髪をなでていたこともハルヒにはバレていたことになる。
――寝ぼけたフリをしてたのか、道理で行動が不自然だったわけだぜ。

「あのときのキョン、すっごく優しかった。
 だからあたし、もう我慢しないことにしたの。
 ちょっと前までは、ずっとこのままの関係でいるのもいいと思ってた・・・。
 でも、もう抑えきれない。分かってる? あんたがいけないんだからね」

そう言い終えると、ハルヒは深呼吸をするかのように大きく息を吸い込んだ。

そこからは、時間がやけに長く感じられた。
アインシュタインの提唱した相対性理論が関係しているのかはこの際どうでもいい。
瞬きを繰り返す、切れかけの外灯が発する音がやけに耳朶に触る。
その淡い光の下で、俺は静かにハルヒの言葉を待つ。
この流れから、次にハルヒが発する言葉は、いくら鈍感の俺でも簡単に推測できた。
問題は、俺がそれにどう答えるか。


答えは二択、YesかNo


なんて答えるかって? 決まってるじゃねえか。

精神的に気の遠くなるような時を経て、ハルヒはようやく口を開いた。
ハルヒの双眸が、まっすぐにこちらを見つめている―――。

「あたしは・・・・・あたしはキョンのことが―――」

「―――好き。ずっとあたしのそばにいて・・・・お願い・・・・」

あまりにもシンプルで、飾り気のない告白。
だが、今までこれほどまでに俺の心を揺らした言葉があっただろうか。
ここまでに至るハルヒの話は、順序も脈絡も支離滅裂だったが、
俺にはハルヒが何を言いたいか分かっていた。

――ハルヒが俺のことを好きだと言った。

どんなに予測をしていても、どんなに古泉からそのことを聞かされていても、
ハルヒ本人から実際に聞くのとでは、全く別物であることを俺は実感した。

今の俺にとっての世界は、揺れる双眸でこちらを見つめるハルヒが全てだった。
いや、俺の世界はハルヒで満たされているといってもいいだろう。
悪いな、古泉、計画はちょっとばかし変更しなくちゃいけないみたいだぜ?

俺はハルヒの言葉には答えず、ゆっくりとハルヒを抱きしめた。

「ふぇっ・・・・えぇ・・・・・」

俺の胸から、小さく、それでいて確かな嗚咽が漏れ始めたのは、それからすぐ後のことだった。

全身に感じる、小さくて柔らかいハルヒの体。
鼻腔をくすぐる、ハルヒの髪の匂い。

俺はただ、ハルヒを離したくないと思った。ずっとこうしていたいと思った。
帰りの電車のときよりも、ずっと近くにハルヒを感じていた。

「キョン・・・・あたし・・・・ぐすっ・・・・あたし・・・」

俺はハルヒを落ち着かせるために、
ポニーテールを崩さないように注意して、優しく髪をなでた。
髪に触れた瞬間ビクッとしていたハルヒだったが、
なでているうちに嗚咽がだんだん収まっていく。

ハルヒが落ち着いたころを見計らい、俺はゆっくり体を離してハルヒの顔を見ようとした。
だがハルヒは慌てて両手で顔を隠し、俺と顔を合わそうとしてくれない。

「おいハルヒ――」
「見ないで・・・・・きっとあたし、酷い顔してる・・・・キョンに見られたくないの!」

―――やれやれ。

本日何度目か分からない溜息を心中でつき、
俺は未だに顔を隠し続けるハルヒを見つめた。

「何を勘違いしてるか知らないが・・・・」
「あ・・・」

顔を隠しているハルヒの指を、一本一本外していく。

「俺がお前の泣き顔を見て、嫌いになるとでも思ってるのか?」

完全に指を外し終えると、ハルヒの顔があらわになる。
ハルヒの言ったとおり、目は充血し、頬には涙の跡がいくつも残っていた。

俺はそっと頬に手を添えて、親指で涙の跡を拭う。
ハルヒはしばらく無抵抗だったが、やがて恥ずかしくなったのか、
頬を朱色に染めて

「恥ずかしいじゃない・・・・もういいわよ」

と長門並みに小さな声でつぶやいた。

正直ハルヒのぷにぷにした頬から手を離すのは名残惜しかったが、
俺はしぶしぶ手を下ろした。

どうやら完全に落ち着ちついたみたいだな――。

それにしても、まさかこのタイミングで告白するとは・・・・
俺はもちろん、恐らく古泉も完全に予想外だったはずだ。
もとはと言えば、俺の行動一つ一つがこの結果へと導いたわけだが――
手を繋いだことも、あの映画を選んだことも、ハルヒの髪をなでたことも、
俺は全く後悔しちゃいなかった。

頬を朱色に染めたまま、ハルヒは両手をもじもじさせていたが、やがて

「あ・・・・あんたの返事を聞いてないわ。」
 
と言って俺を見上げた。一瞬返事とは何のことか分からなかったが、
俺はすぐに告白への返事のことだと合点が行く。
抱きしめたことが何よりの俺の意思表示のつもりだったんだが・・・・
団長様は、はっきりと言葉で聞かないと満足できないらしい。

抱きしめた後、いきなりハルヒが泣き出したのには驚いたが、
それが嬉し涙であることが分かったとき、
俺は何か熱いものがこみ上げてくるのを感じていた。
ハルヒが泣き顔を見られたくないと言ったときは、
その仕草も、その表情さえも、何もかも愛しく感じていた。

朝比奈さん、今なら言えますよ――
あの時はまだ、俺は自分の気持ちをちゃんと理解できちゃいなかった。
でも、ハルヒに想いを確かめた今なら――今なら俺は断言できる。

「俺もハルヒのことが好きだ―――いや、愛してると言った方がいいな。
 とにかく、俺はずっとお前のそばにいるぜ。いつでもどこでも、ハルヒ、お前を感じていたいんだよ」

・・・自分でもよくこんなセリフが言えたと感嘆するばかりだ。
よくよく考えてみれば、プロポーズとしても遜色ないじゃねえか。

それからのハルヒの反応は――いや、皆まで語る必要ないだろう。
今までにないほど顔を赤くしたハルヒは、自分で言わせたくせに

「よくそんな恥ずかしいセリフ言えるわね・・・・」
「ずっと一緒にいるってことは・・・え・・・と・・・・」

なんて呟いていた。
さっきのセリフはそんなに衝撃が強かったのか?
自分の気持ちを正直に伝えたつもりだったんだがな―――。

だが、やがてやけに強気な眼でこちらを見据えたハルヒを見て
俺はハルヒが、いつものハルヒに戻りつつあることを感じ取っていた。

「浮気したら承知しないいんだからね!
 あと、これから毎日さっき言ったことをあたしに言うこと。
 いい? 一日でも忘れたら死刑だから!」

もう溜息はつかないさ。
俺は適当に相槌を打って、ハルヒの無防備な手を掴む。
幸い、今まで人が通りを歩いてくることはなかったが、
ずっとここでつっ立っているわけにもいかない。
話は歩きながらでもいいだろう?
俺は掴んだ手を引いて、ハルヒの家に向かって歩き出した。
彼女を家まで送るのに、特別な理由はいらないはずだ。

ハルヒの家へと向かう間、ハルヒは俺に告白したときの
泣き顔もどこへやら、赤道直下の輝く笑みを浮かべて俺に話し掛けてくる。

「あたしのメールには、必ず3行以上で返すこと。
 あと明日のお昼ごはんは用意しなくてもいいわ。
 その・・・・あたしが作ってくるから。いい? 楽しみにしてるのよ!
 それから―――」

やむことのないハルヒの声を聞きながら、俺は幸せを噛み締めていた。
掴んだ手から、確かに伝わる温もり。
握り方もいつしか指と指をからめる形に変わり、
ちょっとやそっとのことじゃ離れそうにない。

しかし、どんなに楽しい時間でも終わりは必ず訪れる。
ハルヒが家に近づくにつれて減速していることには気づいていたが、
そんな抵抗もむなしく俺達はハルヒの家に到着した。

「キョン――」
「ハルヒ――」

手を離す瞬間、言いようのない喪失感に襲われる。
つい数時間前までは、まさかこんな状態になっているなんて全く予想できていなかったはずだ。
それほどまでに、俺のハルヒに対する想いは強くなっていた。

「もう一度だけ・・・・聞かせて?」

甘えるようなハルヒの声に、俺の口はまるで
それを言うために準備していたかのような滑らかさで言葉を紡ぐ。

「好きだ。ずっとそばにいる」

すでにこの言葉を使うのに、躊躇することはなくなっていた。

「ふふっ。あとでメールするから・・・・3秒で返信するのよ?
 じゃあ・・・・おやすみ」
「ああ・・・・・」

そう言うとハルヒは、名残惜しそうな表情をちらりと見せた後、くるりと背を向け玄関へと歩き出した。

だが俺はここで、ある行為をしたいというとてつもなく強い情動に襲われた。
おい、待て――必死に理性が静止をかけるが、俺の体は止まらなかった。
体が勝手に動く、とはまさにこのことを言うんだろうな。
俺の足は、自分の意識とは別の力でハルヒの元へと踏み出していた。

距離が迫り、ハルヒが俺に気づく――

「キョン? どうしたの―――!!」

目の前には、驚きで目を大きく見開いたハルヒの顔がある。
俺は、今しがた行った自分の行動を理解するのに、数秒を要した。

唇から伝わるのは、ハルヒの柔らかく湿り気のある唇の感触。
脳に電気が走ったように何も考えることができない。
まるで時が止まったかのようだった。
閉鎖空間でのキスとは、何かが決定的に違っていた。
やがて俺は体を少し離し、ハルヒを見つめて声を絞り出した。

「あの・・・その・・・おやすみ」
「お、おやすみ・・・・・」

「じゃあ・・・また明日な」

俺はそういい終えると、逃げるように踵を返して帰路についた。

おそらく今、俺の顔は間違いなく上気してる。
くそ、理性が追いつかなかった・・・・・。
自分のあまりに唐突な行動をハルヒはどう思っているのだろう。
暗闇ではハルヒの表情が伺えなかったから、それだけが気がかりだな・・・・・

だが、俺はニヤつく頬を抑えることができなかった。
鮮明に頭に蘇るキスの感触。 
ふと唇に手をやれば、そこには湿り気が残っているようで――

――だが、その甘い回想も携帯から発せられる着信音でかき消される。
そろそろ来ると思っていたが・・・・家に着くまで待ってくれないとはな。

俺はふぅ、と一息ついてから通話ボタンをプッシュした。

「さて――あなたのことですから、僕が言いたいことは大方予想できているはずです」

予想通りの声色と口調。相手はやはり古泉だった。
ああ、分かってるぜ。今日の俺の行動はあまりにも
当初予定していた計画と逸脱しすぎていた。

「ですが、これだけは言っておく必要があります。
 今日のあなた達の行動は、全て把握していますが・・・・
 正直に言えば、涼宮さんはともかく、あなたの積極性は想定外でした」


いつになく感情の起伏が感じられない古泉の声は
俺の舞い上がっていた気持ちを一瞬で地に落とす。

「あなたと立てた計画は、成功率は決して高くはありませんでしたが
 五分五分といったところでした。しかし・・・涼宮さんの告白と
 あなたがそれを承諾したことで、計画の成功率は限りなく0に近くなりました。
賢明なあなたのことです、今日の結果がどう影響するかは分かっていたはずですが・・・・」

古泉の言葉が、一つ一つ心に響いていく。

「いいですか? 一度状況を整理します。よく聞いてください。
 あなたは涼宮さんと交際を開始した。ここから生まれるメリットは
 涼宮さんと性行為に臨んだときになんの障害も発生しないということです。
 抵抗される恐れはありませんし、終始うまくいくはずです。
 しかし・・・・当然デメリットも存在する。
 あなたは交際したての涼宮さんに対し、性行為を迫ることができますか?
 失礼ですが―――今のあなたにはフレンチキスが限界なのでは、と思うのですが・・・」

「・・・・・・・・・・」

図星を突かれて、俺は何も反論することができない。
俺はここにきて、いかに俺の考えが甘かったのかを知った。






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